樹木とその葉

島三題

若山牧水




      その一

 伊豫の今治いまはるから尾の道がよひの小さな汽船に乘つて、一時間ほども來たかとおもふ頃、船は岩城島いはきじまといふ小さな島に寄つた。港ともいふべき船着場も島相應の小さなものであつたが、それでも帆前船の三艘か五艘、その中に休んでゐた。そしてはしけから上つた石垣の上にも多少の人だかりがあつた。一寸重い柳行李を持てあましながら、近くの人に、
『M――といふ家はどちらでせう。』
 と訊くと、その人の答へないうちに、
『M――さんに行くのですか。』
 と他の一人が訊き返した。同じ船から上げられた郵便局行の行嚢を取りあげやうとしてゐる配達夫らしい中年の男であつた。
『さうです。』
 と答へると、彼は默つて片手に行嚢を提げ、やがて片手に私の柳行李を持ち上げて先に立つた。惶てながら私はそのあとに從つた。
 二三町も急ぎ足にその男について行くと彼は岩城島郵便局と看板のかゝつてゐるとある一軒の家に寄つて私を顧みながら、
『此處です。』
 と言つた。
 其處のまだ年若い局長であるM――君はうから我等の結社に加入して歌を作つた。その頃一年あまり私は父の病氣のために東京から郷里日向ひうがの方に歸つてゐた。そのうち父がなくなり、六月の末であつたか、私は何だか寂しい鬱陶しい氣持を抱きながら上京の途についたのであつた。そしてその途中、豫ねてその樣に手紙など貰つてゐたので、九州から四國に渡り、其處から汽船に乘つてこのM――君の住む島に渡つて行つたのである。手紙の往復は重ねてゐたが、まだ逢つた事もなく、どんな職業の人であるかも知らなかつた。
 M――君はたいへん喜んで、急がないならどうぞゆつくり遊んでゆく樣に、と勸めて呉れた。身體も氣持もひどく疲れてゐた時なので、言葉に甘えて私は暫く其處に滯在する事にした。M――君はその本宅と道路を中にさし向つた別莊の雨戸をあけて、
『こちらが靜かですから……』
 自由に起臥する樣にと深切に氣をつけて呉れた。
 M――家は島の豪家らしく、別莊などなか/\立派なものであつた。私の居間ときめられた離宅はなれは海の中に突き出た樣な位置に建てられ、三方が海に面してゐた。肱掛窓につて眺めると、ツイその正面に一つの島が見えた。その島はかなり嶮しい勾配を持つた一つの山から出來てゐて、海濱にも人家らしいものはなかつた。山には黒々と青葉が茂つてゐた。その島の蔭から延いて更に二つ三つと遠い島が眺められた。遠くなるだけ夏霞が濃くかゝつてゐた。手近の尖つた島と自分の島との間の瀬戸をば日に一度か二度、眼に立つ速さで潮流が西に行きまた東に流れた。汐に乘る船逆らふ船の姿など、私には珍しかつた。
 一方縁側からは自分の島の岬になつた樣な一角が仰がれた。麓からかけて隨分の高みまで段々畑が作られて、どの畑にも麥が黄いろく熟れ、滯在してゐるうちにいつかあらはに刈られて行つた。
 その頃私は或る私立大學を卒業して五六年もたつてゐるに係らず、まだ職業らしい職業を持つてゐなかつた。『金にもならぬ和歌ばかり作つてゐて一體お前はこの若山家をどうする氣か』と云つて、先頃まで歸つてゐた郷里の家で、病父の枕許で、年とつた母や親戚たちから私は責められた。苦しい中から學資を貢がせられ、漸く卒業したと思ふに五年たつても六年たつても金の一圓送つて貰へない彼等の身になつて見るとその苦情も當然であつた。たゞ父だけはその性分からか、さまでに氣にかけず『もう少し待つて見ろ、そのうちに何かするだらう』と寧ろ彼等を慰めてゐた。その父が死んで見るといよ/\私の立場は苦しくなつた。是から東京に出て新聞社などに勤めた所で幾らの送金が出來るわけでもなし、いつそこのまゝ母の側にゐて小學校なり村役場なりに出て暮らさうかとまで考へて、その口を探したがなまじひに何々卒業の肩書のあるのが邪魔になつて都合よく行かなかつた。いよいよ弱つたはてにまた母や姉から若干の旅費を貰つて、ともかく東京へ出て見ようといふ途中に、この瀬戸内海の中の小さな島に立ち寄つたのであつた。
 凭り馴れた肱掛窓に凭つてかけ出しの樣になつてゐる窓下を見るともなく見てゐると、丁度干潟になつた其處に何やらうごめくものがある。よく見ると、飯蛸いひだこだ。一つ、二つ、やがては五つも六つも眼に入つて來た。それを眺めながら、私はものうく或る事を考へてゐた。父危篤の電報に呼び返さるゝ數日前に私は結婚してゐた。一軒の家でなく、僅か一室の間借をして暮してゐたので、私の郷里滯在が長引くらしいのを見ると、妻も東京を引きあげて郷里の信州に歸つてゐた。そして其處で我等の長男を産んでゐた。私が今度東京に出るとなると、早速彼等を呼び寄せなくてはならぬ。要るものは金である。その金の事を考へてゐるうちに見つけたのが飯蛸であつた。そして可愛ゆげに彼等の遊び戲れてゐるのに見入りながら、不圖ふと一つの方法を考へた。一年あまりの郷里滯在中は初めから終りまで私にとつては居づらい苦しい事ばかりであつた。どうかしてそれを紛らすために、いつか私は夢中になつて歌を作つてゐた。その歌が隨分になつてゐる筈だ。それを一つ取りまとめて一册の本にして多少の金を作りませう、と。
 くくつたまゝ別莊の玄關にころがしてあつた柳行李を解いて、私はその底から二三册のノートを取り出した。そしてM――君から原稿紙を貰つて、いそ/\と机に向つた。左の肱が直ぐ窓に掛けられる樣に、そして左からと正面からと光線の射し込む位置に重々しい唐木の机は置かれたのである。
 が豫想はみじめに裏切られた。それ以前『死か藝術か』といふ歌集に收められた頃から私の歌は一種の變移期に入りつつあつたのであるが、一度國に歸つてさうした異常な四周のうちに置かるゝ樣になると、坂から落つる石の樣な加速度で新しい傾向に走つて行つた。中に詠み入れる内容も變つて來たが、第一自分自身の調子どころか二千年來歌の常道として通つて來た五七五七七の調子をも押し破つて歌ひ出したのであつた。何の氣なしに、原稿紙を擴げて、順々にたゞ寫しとらうとすると、その異樣な歌が、いつぱいノートに滿ちてゐたのである。實は、郷里を離れると同時に、時間こそは僅かであつたが、やれ/\と云つた氣持ですつかり其處のこと歌のことを忘れてしまつてゐたのであつた。そしていま全く別な要求からノートを開いて見て、其處に盛られた詩歌の異樣な姿にわれながら肝をつぶしたのである。
 其處には斯うした種類の歌が書きつらねてあつた。
納戸なんどの隅に折から一挺の大鎌ありなんぢが意志をまぐるなといふが如くに
新たにまた生るべしわれとわが身に斯くいふ時涙ながれき
あるがままを考へなほして見むとする心と絶對に新しくせむとする心と
ともし斯くもするはみな同じやめよさらばわれの斯くして在るは
いづれ同じ事なり太陽の光線がさつさとわが眼孔がんこうを拔け通れかし
感覺も思索も一度切れてはまたつなぐべからず繋ぐべくもあらず
日を浴びつつ夜をおもふは心痛し新しき不可思議に觸るるごとくに
言葉に信實あれわがいのちの沈默よりしたたり落つる言葉に
さうだあんまり自分の事ばかり考へてゐたあたりは洞穴ほらあなの樣に暗い
自分の心をほんたうに自分のものにする爲にたび/\來て机に向ふけれど
自分をたづぬるために穴を掘りあなばかりが若し殘つたら
何處より來れるやわがいのちを信ぜむと努むる心その心さへ捉へ難し
眼をひらかむとしてまたおもふわがの日光のさびしさよ
死人の指の動くごとくわが貧しきいのちを追求せむとする心よ
といふ樣なのがあるかと思へば、また、
ふと觸るればしとどに搖れて影を作る紅ゐの薔薇よ冬の夜のばらよ
開かむとする薔薇散らむとするばら冬の夜の枝のなやましさよ
靜かにいま薔薇の花びらに來ていこへるうすきいのちによるの光れり
傲慢なる河瀬の音よ呼吸いき烈しきの前のわれよ血の如き薔薇よ
悲しみと共に歩めかし薔薇悲しみの靴の音をみだすなかればらよ
吸ふ息の吐く息のわれの靜けさに薔薇の紅ゐも病めるがごとし
むなしきいのちに映りつつ眞黒き珠の如く冬薔薇の花の輝きてあり
われ素足に青き枝葉えだはの薔薇を踏まむ悲しきものを滅ぼさむため
薔薇に見入るひとみいのちの痛きに觸るる瞳冬の日の午後の憂鬱
古びし心臟を捨つるが如くひややかに冬ばらの紅ゐに瞳向へり
愛する薔薇をむしばむ蟲を眺めてあり貧しきわが感情を刺さるる如くに
灯を消すとてそと息を吹けば薔薇の散りぬ悲しき寢醒の漸く眠りを思ふ時に
この冬の夜に愛すべきもの薔薇ありつめたき紅ゐの郵便切手あり
やや深き溜息をつけば机の上眞青のばらの葉が動く冬の夜
ラムプを手に狹き入口を開けば先づ薔薇の見えぬ深き闇の部屋に
餘り身近に薔薇のあるに驚きぬ机にしがみつきて讀書してゐしが
忘れものばかりしてゐる樣なおちつきのない男の机の冬の薔薇
晝は晝で夜は一層ばらが冷たい樣だ何しろおちつかぬ自分の心
と思ふまにばらがはら/\と散つた朝久しぶりに凭つた暗い机に
ぢいつとばらに見入る心ぢいつと自分に親しまうとする心
斯うしてぢいつと夜のばらを見てゐる時も心はばらの樣に靜かでない
ばらが水を吸ひやめたやうだガラスの小さな壜の冬の夜のばらが
かと思ふと、或る海岸の荒磯に遊んでは、
あはれ悲しいで衣服いふくをぬがばやと思ふ海は青き魚の如くうねり光れり
とかくして登りつきたる山のごとき巨岩きよがんのうへのわれに海青し
岩角よりのぞくかなしき海の隅にあはれ舟人ちさき帆をあぐ
嬉し嬉し海が曇るこれから漸くわたしのからだにもあぶらが出る
身體からだは一枚のとなりぬ青くかがやける海ひらたき太陽
岩のあひだを這ひて歩くはだしで笑ひて浪とわれと
鵜が一羽不意にとびたちぬ岩かげの藍色の浪のふくらみより
下駄をぬいでおいたところへ來たこれからまた市街まちへ歸るのだ
この帆にも日光の明暗ありかなしや青き海のうへに
水平線が鋸の齒のごとく見ゆ太陽のしたなる浪のいたましさよ
少女よその蜜柑を摘むことなかれかなしき葉の蔭の
精力を浪費する勿れはぐくめよと涙して思ふ夜の浪に濡れし窓邊に
悲しき月出づるなりけり限りなく闇なれとねがふ海のうへの夜に
 と云ふ風の歌を作つてゐるのであつた。
 ツイ、僅かばかり前に一生懸命して自分で作つておきながら、いま改めて見直すとなつて殆んど正體なく驚いたのである。どうしてあんなに驚いたのか今考へればわれながら可笑しいが、とにかくに驚いた。ほんの數日ではあつたが、郷里を離れてさうした島の特別にも靜かな場所に身を置いたゝめ、前と後とで急に深い距離が心の中に出來てゐたのかも知れぬ。
 驚愕はいつか恐怖に變つた。何だか恐しくて、とても平氣でそんな歌を清書してゆく勇氣がなくなつてしまつた。と云つて、心の底にはさうして作つてゐた當時の或る自信が矢張り何處にか根を張つてゐた。そしてその自信は書かせようとする、故のない恐怖は書かせまいとする、そのもつれが甚しく私の心を弱らせた。二日三日とノートとにらみ合ひをしてゐるうちにつひに私は食事の量が減り始めた。氣をまぎらすためにM――君から借りて讀んだ萬葉集の、讀み馴れた歌から歌を一首二首と音讀しようとして聲が咽喉につかへて出ず、強ひて讀みあげようとするとそれは怪しい嗚咽をえつの聲となつた。萬葉の歌を眞實形に出して手を合せて拜んだのはこの時だけであつた。
 つひに友人が心配しだした。そして、では私が代つて清書してあげませうと言ひながら、次から次と書きとつて行つた。それをば唯だ茫然と私は見てゐた。さうなつてからは日ならずして二三册のノートの歌が一綴の原稿紙の上にきれいに寫しとられてしまつた。
 折角久し振におちついてゐた私の心はその清書にかゝらうとした時から再びまた烈しい動搖焦燥のうちにあつた。そして友人の手によつて清書が出來上るや否や、それを行李に收め、あたふたと私はその靜かな島を辭した。
 丁度十年ほど前にあたる。いまこの島の數日を考へてゐると、其處の友人の家の庭にあつた柏の木の若葉、窓の下の飯蛸、または島から島にかけて啼き渡つてゐた杜鵑ほととぎすの聲など、なほありありと心の中に思ひ出されて來る。

      その二

 いま一度、私は瀬戸内海の島に渡つて行つたことがある、備前の宇野港から數里の沖合に在る直島といふのへ。
 夏の初、やゝもう時季は過ぎてゐたがそれでもまだ附近の内海では盛んに名物の鯛がとれてゐた。その鯛網見物にと、岡山の友人I――君から誘はれて二人して出懸けたのであつた。直島附近は最もよく鯛漁のあるところと云はれてゐるのださうだ。
 附近に並んでゐる幾つかの島と同じく、直島も小さな島であつた。名を忘れたが、島の主都に當る某村に郷社があり、其處の神官M――氏をI――君は知つてゐた。そして網の周旋を頼むためにこんもりと樹木の茂つた神社の下の古びた邸にM――氏を訪ねて行つた。
 M――氏は矮躯わいく赭顏しやがん、髮の半白な、元氣のいゝ老人であつた。そして私は同氏によつてその島が崇徳上皇配流の舊蹟で、附近の島のうちでも最も古くから開けてゐた事、現にM――家自身既に十何代とか此處に神官を續けて來てゐる事等を聞いた。内海の中に所狹く押し並んでゐる島々のうちにも、舊い島新しい島の區別のあることが私には興深く感ぜられた。
『では、參りませう。網は琴彈ことひきの濱といふ所で曳くのですが、途中を少し※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて上皇の故蹟を見ながら參りませう。』
『でも、たいへんではありませんか。』
『いゝえなに、島中くるりと※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つても半日とはかゝりませんからな、ハヽヽ。』
 私も笑つた。その小さな島にさうした歴史の殘つてゐることがまた面白く感ぜられた。多分、船着場や潮流のよしあしなどの關係から出てゐることであらうとも思つた。
 邸の前から漁師の家の間を五六十間も歩くと直ぐ山にかゝつた。とろ/\登りの坂ではあつたが早くも汗が浸み出た。晴れてはゐても、空には雲が多かつた。
『あそこに見えますのが……』
 杖をとつて先に立つてゐた老人は立ち止つた。まばらに小松が生え、下草には低い雜木が青葉をつけ、そしてところどころそれらが禿げて地肌の赤いのをあらはしてゐる樣な山腹を登つてゐた時であつた。老人にさし示されたところは我等より右手寄りの谷間に當つて其處ばかり年老いた松が十本あまり立ち籠つてゐた。
『上皇のお側に仕へてゐた上臈じやうらふがおあとを慕うて島へ渡つて參り、程なく身重になつた。で、身二つになるまであそこの谷間に庵を結んで籠つてゐたと云ひ傳へられてゐる處です。』
 むんむと蒸す日光の照りつけたその松林にははげしい蝉時雨が起つてゐた。
『さうして生みおとされたお子さまなどは、どういふことになつたのでせう。』
『さア、どうなられましたか……、まだほかに上皇の姫君も父君のおあとを慕つて參られましたが、どうしたわけか御一緒におゐでずに、此處とは別な谷間に上臈と同じく庵を結んで居られたと申します。』
 程なくその島の背に當つてゐる峠を越した。そして少し下つた處に崇徳すとく上皇を祭つたお宮があつた。あたりは廣い松林で、疎ならず密ならず、見るからに明るい氣持がした。お宮もまた小さくはあつたががつしりした造りで、庭も社殿も清らかな松の落葉で掩はれてゐた。ことにいゝのは其處の遠望であつた。眼下の小さな入江、入江の澄んだ潮の色、みないかにも綺麗で、やゝ離れた沖の島の數々、更に遠く眺めらるゝ四國路の高い山脈、すべてが明るく美しく、それこそ繪の樣な景色であつた。
 其處から二三丁下つたところに所謂いはゆる行宮あんぐうの跡があつた。其處も前の上臈じやうらふの庵のあとゝ同じく小さな谷間、と云つても水もなにもない極めて小さな山襞やまひだの一つに當つてゐた。松がまばらに立ち並び、雜木が混つてゐた。平地と云つても、ほんの手ですくふほどの廣さでM――氏に言はるゝままに注意して見るとその平地が小さく三段に區分されてゐるのが眼についた。それ/″\の段の高さおよそ三四尺づつで、茂つた草を掻き分けて見ると僅かに其處に石垣か何かの跡らしいものが見分けられた。段々になつた一番下の所に警護の武士の詰所があり、二番目が先づお附の人の居た場所、一番上の狹い所が恐らく上皇御自身の御座所ででもあつたらう、といふM――老人の解釋であつた。とすると、御座所の御部屋の廣さは僅かに現今の四疊半敷にも足りない程度のものであつたに相違ないのである。そして、一番下の警護の者の詰所から十間ほどの下には、黒い岩が露はれて波がかすかに寄せてゐた。あたりを見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)しても嶮しい山の傾斜のみで、此處のほかには一軒の家すら建てらるべき平地が見當らない。同じ島のうちでも、全然家とか村とかいふものから引離された、斯うした所を選んで御座所を作つたものと想像せらるゝのであつた。斯ういふ窮屈な寂しい所に永年流されておゐでになつて、やがてまた四國へ移され、其處で上皇はおかくれになつたのだつたといふ。
 其處から路もない磯づたひを歩いて入江に沿うた一つの村に出た。玉積の浦というた。其處を右に切れて田圃を拔けるとまた一つ弓なりに彎曲した穩かな入江があり、廣々とした白砂の濱を際どつて一列の大きな松の並木が並び、松の蔭に四五軒の漁師小屋があつた。其處が名にふさはしい琴彈ことひきの濱といふのであつた。
 丁度、晝前の網を曳きあげたところであつたが、一疋の鯛もかゝつてゐなかつた。次の網は午後の三四時の頃だといふ。途方に暮れて暫らく松の蔭に坐つてゐたが、やがてM――老人は急に立ち上つて漁師共の寄つてゐる小屋へ出かけて行つた。そしてにこ/\と笑ひながら歸つて來た。
『えゝことがある、今に仰山な鯛を見せてあげますぞ。』
 老人からこつそりとわけを聞いてI――君も踊り上つて喜んだ。そして時計を出して見ながら、
『早う來んかなう。』
 などと幾度となく繰返して私の顏と沖の方とをかたみがはりに眺めて笑つてゐた。その間に老人は一人の漁師を走らせて酒や酢醤油をとり寄せた。
 程なく右手に突き出た岬のはなの沖合に何やら大きな旗をたてた一艘の發動機船の姿が見えた。
『來た/\。』
 さう叫びながら漁師たちはあわてゝ小舟を濱からおろした。わけのわからぬまゝに私も促されてそれに乘つた。二人は漕ぎ、一人はせつせと赤い小旗を振つてゐた。
 入江の中ほどに來ると、その發動機船は徐ろに停つた。我等の小舟はそれを待ち受けてゐて、漕ぎ寄するや否や一齋に向うに乘り移つた。私もまた同樣にさうさせられた。そして、引つ張られてとある場所にゆき、勢ひよくさし示された所を見て思はず聲をあげた。
 この大型の發動機船の船底は其儘一つの生簀いけすになつてゐた。そして其處に集めも集めたり、無數の鯛が折り重なつて泳いでゐるのである。I――君は機船の人に問うた。
『なんぼほど居ります。』
『左樣千二三百も居りますやろ。』
 おゝ、その千二三百の大鯛が、中には多少弱つてゐるのもあつたが、多くはまだいき/\として美しい尾鰭を動かして泳いでゐるのである。
 その中から二疋を我等はわけて貰うた。小舟の漁師たちと機船の人たちとの間に何やら高笑ひが起つてゐたが、やがて漁師たちは幾度も頭をさげて小舟へ移つた。機船は直ぐ笛を鳴らして走り出した。聞けば彼女はこの瀬戸内の網場々々を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて鯛を買ひ集め、生きながら船底に圍うて大阪へ向けて走るのださうである。
 濱の松の蔭では忽ちに賑やかな酒もりが開かれた。うしほに、煮附に、刺身に、鹽燒に、二疋の鯛は手速くも料理されたのである。
 いつか夕方の網までその酒は續いた。そしてたべ醉うた漁師達の網にどうしたしやれ者か、三疋の鯛がかゝて來た。よれつもつれつ、我等三人は一疋づつその鯛を背負うて、島の背をなす山の尾根づたひの路を二里ばかりも歩いた。歩いてゐるうちに月が出た。折しも十五夜の滿月であつた。峠から見る右の海左の海、どこの海にも影を引いて數多の島が浮んでゐた。斯くて今朝早朝に發動船で着いた船着場とは違つた今一つの港に着いて、其處から一艘の小舟を雇ひ、漕ぎに漕がせて宇野港へ歸りついたのは夜もよほど更けてゐた。可哀相に、其處まで送つて來てくれたM――老人は其處からまた島まで一人で歸るのであつた。晝間の酒をほど/\に切り上げて午後の定期の發動船に間に合ふ樣に老人の村まで歸つて居つたらば斯うした苦勞はせずとも濟んだであつたのに。

      その三

船子かこよ船子よ疾風はやちのなかに帆を張ると死ぬがごとくに叫ぶ船子等よ
大うねり傾きにつつ落つる時わが舟も魚とななめなりけり
次のうねりはわれの帆よりも高々とそびえて黒くうねり寄るなり
はたはたと濡帆はためき大つぶのしぶきとび來て向かむすべなし
やとさけぶ船子かこの聲にしおどろけばうなづら黒み風來るなり
舳なるちひさき一帆裂くるばかり風をはらみて浪を縫ふなり
色赤くあらはれやがて浪に消ゆる沖邊の岩を見て走るなり
かくれたるあらはれにたる赤岩に生物の如く浪むらがれり
友が守る燈臺はあはれわだなかの眞はだかの岩に白く立ち居り
むら立てる赤き岩々とびこえて走せ寄る友に先づ胸せまる
あはれ淋しく顏もなりしか先つ日の友にあらぬはもとよりなれど
別れゐし永き時間も見ゆるごとくさびしく友の顏に見入りぬ
たづさへしわがおくりもの色燃えしダリヤの花はまだ枯れずあり
ダリヤの花につぎて船子等がとりいだす重きは酒ぞ友よこぼすな
歩みかねわが下駄ぬげばいそいそと友は草履をわれに履かする
友よ先づわれの言葉のすくなきをとがむな心なにかさびしきに
相逢ひて言葉すくなき友だちの二人ならびて登る斷崖きりぎし
石づくり角なる部屋にただひとつ窓あり友と妻とすまへる
その窓にわがたづさへし花を活け客をよろこぶその若き妻
語らむにあまり久しく別れゐし我等なりけり先づ酒酌まむ
友醉はずわれまた醉はずいとまなくさかづきかはし心をあたたむ
石室いはむろのちひさき窓にあまり濃く晝のあを空うつりたるかな
 これらの歌は今から七八年前、伊豆下田港の沖合に在る神子みこ元島もとじまの燈臺に燈臺守をしてゐる舊友を訪ねて行つた時に詠んだものである。
 神子元島は島とは云ふものゝ、あの附近の海に散在してゐる岩礁の中の大きなものであつた。赤錆びた一つの岩塊が鋭く浪の中から起つて立つてゐるにすぎなかつた。島には一握の土とてもなく、草も木も生えてはゐなかつた。其處の一番の高みに白い石造の燈臺が聳え、燈臺より一寸下つたところに、岩をり拔いた樣にして燈臺守の住宅が同じく石造で出來てゐた。暴風雨の折など、ともすると海の大きなうねりがその島全體を呑むことがあるので、その怒濤の中に沈んでも壞れぬ樣にと、たゞ頑丈一方に出來てゐた。謂はば一つの岩窟であるその住宅は、中が四間か五間かにくぎられてゐた。階級は一等燈臺で、燈臺守の定員は四人とかいふのであつたが私の行つた時には一人缺員のまゝであつた。臺長といふのはもういゝ年輩で、夫婦にちひさい子供が二人ゐた。私の友人はその少し前に郷里で細君を貰つて其處へ連れて行つてゐた。そしてそのほかに廿六七歳の獨身の人が一人ゐた。
 その友人を知つたのはそれよりも六七年前、私が早稻田大學の豫科生の時であつた。當時私は讀み耽つてゐた『透谷全集』を教室にまで持ち込んで、授業中にも机の下に忍ばせて讀んでゐた。或る時偶然同じ机に隣り合つて坐つたのがその友人で、彼も亦同書の愛讀者であつた。それが緒で折々往來する樣になつたが、別に親しいといふ程ではなかつた。そのうち半年もたつと急に彼の姿が教室から見えなくなつた。一年たち二年たちする間に、同級生であつた彼の同郷人から聞くとなく彼の噂をとび/\に聞いてゐた。彼は佐賀縣の或る金滿家の息子で、急に學校が厭になると郷里に歸つて、以後一切關係を斷つ約束のもとに家から數萬圓の金を分けて貰ひ、肥前の平戸沖あたりの小さな島を全部買ひ切つて一人して其處へ移り牛や鷄を放し飼にして樂しんでゐた。それもほんの暫くでいやになり、二束三文で全てを賣り拂つた金で大盡遊びを續け、金が盡きると或る炭鑛の鑛夫になつた。それも僅の間で、親類たちに多少の金をねだつて米國へ渡り、昨今はあちらで鑵詰工場の職工をしてゐる相だ、といふ樣なことを。が、それも學校にゐる間の事で、學校を出ると同時に彼の同郷人の級友ともすつかり別れてしまつたので、其後の噂を聞くたよりもなかつた。
 學校を出て一年あまりもたつた頃、私は或る新聞の記者となつてゐた。其處へ突然見すぼらしい風をして訪ねて來たのが彼であつた。いきなり私の前へ五六圓の金を投げ出して言つた。
『僕は今度、亞米利加から船中で團扇うちはで客をあふぐ商賣をやつて來た。これはその金の殘りだ。これで一杯飮まうよ。』
 それから幾日か私の下宿にころがつてゐたが、多少繪の心得のある所から自分からたづね歩いて或るペンキ屋に入り込み、キヤタツを擔いで看板繪をかいて歩いてゐた。それもほんの數日で、或る日またふらりとやつて來た。
『いまペンキ屋の親爺おやぢを毆つて飛出して來たよ。』
 程經て市内電車の運轉手になつた。これは割合に永く續いたが、何かの事で首になつた。其後、彼に似氣なく入學試驗といふものを受けて入學したのが横濱に在る航路標的所何とかいふ、つまり燈臺守の學校であつた。六ヶ月間の學期を無事に終へて、初めて任命されて勤めたのが、この神子みこ元島もとじま燈臺であつた。そしてかれこれ一年あまりもたつたであらうか、漸く自分も從來の放浪生活の非をしみ/″\覺つて、今後眞面目にこの燈臺守の靜かな朝夕の裡に一生を終へようと思ふ樣になつた、さう決心すると同時に郷里に歸つて妻をも貰つて來た、この心境の一轉を見るために一度この島に遊びに來ないか、といふ風の手紙を二三度も私の所によこしてゐたのであつた。
 彼ほど徹底してはゐなかつたが、私もまた彼のいふ放浪生活の徒の一人であつた。學校を出て、一箇所二箇所と新聞社にも出て見たが、何處でも半年とはよう勤めなかつた。轉じて雜誌記者となつたが、これも三四ヶ月でやめてしまつた。自分等の流派の歌の雜誌を自分の手で出して見たが、初めは面白くやつてゐても直ぐ飽きが來た。さうかうしてゐるうちにいつか自分もひとの夫となり親となつてゐた。さうしてその日の米鹽すら充分でない樣な朝夕をずつと數年來續けて來てゐたのである。さういふ場合だつたので、今まではさういふ島があるといふ事すら知らなかつたこの島からの友人のたよりは、割合深く私の心にしみたのであつた。そして、つひに其處に出かける氣になつた。
 秋のダリヤの盛りの頃であつた。一本の木草すら無いといふその島には恰好かつこうの土産であらうと私はそれを澤山買つて行つた。先づ靈岸島から汽船で下田まで行き、其處で彼も吾も好物の酒を買つて第二の手土産とした。下田から一週間おきに燈臺通ひの船が出ることになってをり、その船で水から米、其他燈臺守たちの必需品を運ぶのであった。前に友人からよく樣子を知らして來てあつたので、都合よくそれに便船する事が出來た。下田を出ると、船は忽ち烈しい波浪の中に入つた。何處でも岬のはなの浪は荒いものであるが、其處の伊豆半島のとつぱなは別してもひどかつた。それは單に岬だけの端といふでなく、其處には無數の岩礁が海の中に散らばつてゐた。形を露はしたものもあり、僅かに其處だけに渦卷く浪によつて隱れた岩のあるのを知る所もあつた。それらの岩から岩の間にかもされた波浪は、見ごとでもあり凄くもあつた。船には大勢の船頭が乘り込んでゐた。
 多分今日の船で來るであらうと、友人は朝から雙眼鏡を持つて岩の頭に立つてゐたのださうだ。船の島に着いたのは午前十時頃であつた。そして、つれられてその岩窟内の彼の居間に通つて、二年振ほどで彼と對座したのであつた。彼の妻とは初對面であつた。まだ年も若く、何も知らない田舍の娘と云つた風の人であつた。
 氣のせゐかいかにも從來の彼としてはおちつきが出來てゐた。おちついたといふより、急にけて見えた。それにさうした變つた場所のせゐか、私自身が浪や船に勞れてゐた爲か、それとも初對面の細君が側にゐる故か、久し振に逢つたにしては今までの樣に間が調子よく行かなかつた。彼もそれを感じてゐたらしく、大きな聲で先づ酒を出す樣にとその妻に言ひつけた。
 年若い妻は案の如く大輪のダリヤの花を見て驚喜した。そして珍客の接待よりも先づその花をあり合はせの器に活けて、その部屋にたゞ一つしかないガラス窓の所に持つて行つて据ゑた。窓のツイ向うにはゑぐり取つた岩の斷層面がうす赤く見えてゐた。そしてその岩の上僅か一尺ばかりの廣さに空が見えた。何といふ深い色であつたことだらう。今でもそれを思ひ出すごとに私にはその空の色が眼に見えて來る。照り澄んだ秋の眞晝であつたとは云へ、まことに不思議な位ゐの藍色が其處に見られた。そして、この深い藍の色は一層私の心を、沈んだ、浮き立たぬものにした樣に感ぜられた。その色の前にあるダリヤの花はすべてみなせさらばうたものにさへ眺められた。
 直ぐ始まつた酒は一時間二時間と續いて行つた。が、最初にそれ始めた私の心の調子はどうしても平常の賑かな晴々しい所に歸つて行かなかつた。友人とても亦たさうであつた。そしてどうかしてその變調子を取り除かうと努めてゐるのがよく解つた。
 其處へ、積荷を上げ、晝食をとり、一休みした船頭たちの一人が顏を出して友人に言つた。
『ではもう船を出しますが、別にお忘れの御用はございませんか。』
 それを聞くと私は咄嗟に決心した。
『K――君、では僕もこの船で歸らう、ただ顏を合せればそれで氣が濟むと思ふから……』
 さう言ひながら、居ずまひを直さうとした。不意に彼は立ち上つた。これは、と思ふ間もなく彼の烈しい拳が私の頭に來た。惶てゝ身をかはす間に二つ三つと飛んで來た。呆氣あつけにとられた船頭は漸く飛びかゝつて彼を背後から抑へた。隣室からは臺長夫妻が飛んで來た。
『何だと、……歸る、ひとを散々待たしておいて、來たかと思ふと歸るとは何だ。歸れ、歸れ、直ぐ歸れ、この馬鹿野郎……』
 彼はなほ立つたまゝ私を睨み据ゑて、息を切らしてゐる。たうとう私は平あやまりにあやまつて改めてこの次の船まで、その島に滯在することにきめてしまつた。
 燈臺は島で一番の高い所に立つてゐた。燈臺の高さ十六丈、その根から直ぐ斷崖になつて二十丈ほどの下には浪が寄せてゐた。で、燈臺の最高部、燈火の點る燈室から眞下を見下す事は私の樣な神經質の者には到底出來なかつた。たゞ其處からの遠望はよかつた。伊豆半島が案外の近さに眺められた。半島の中心をなす天城山あまぎさんが濃く黒く、どつしりとして眼前に据つてゐた。半島から島までは例の白渦の流れてゐる狹い海、それを除いた三方にはすべて果しもない大きな荒海があつた。晴れた日には黒潮の流が見えた。見えたといふより感ぜられた。動くともなく押し移つてゐる大きな潮流が、その方面を眺めてゐるうちにしみ/″\として身に感ぜられて來た。伊豆七島のうち二三の島がその潮流のうへにくつきりと浮んで見えた。丁度西風の吹き始めた季節で、黒ずんで見ゆるその濃藍色の大きな瀬の上にあまねくこまかな小波の立ち渡つてゐるのが美しくも寂しかつた。夜は、燈臺の火を眼がけていろんな鳥が飛んで來た。そして燈臺の厚いガラス板に嘴を打ちつけては下に落ちた。朝、燈臺の下に行つて見ると幾つかのそれを拾ふ事が出來た。海鳥が多かつたが、中には伊豆の天城から飛んで來るらしい山の鳥も混つてゐた。
 燈室の床はその四壁と同じく厚いガラス張となつて居り、その下に宿直室があつた。ガラス張を天井とするこの宿直室は、一尺四方ほどの小さな窓を二つほど持つてはゐたが明りは主としてその天井から來た。一脚の卓子テーブルと椅子とが、燈臺の形なりの狹い圓型のその室内にあり、圓いなりの石の壁には小さな六角時計がかけてあつた。海上三十餘丈の上の空中にぼつつと置かれたこの部屋の靜けさは、また格別であつた。私はこつそりと螺旋形の眞暗な階子段を登つて來てはこの不思議な形をした小さな部屋の椅子にる事を喜んだ。よく當る風にしろ、よほど強く吹いてゐない限りは四尺厚さの石の壁を通してその薄暗い室内には聞えて來なかつた。
 その空中の宿直室に居なければ私は多く事務室にゐた。それは燈臺守たちの住宅の岩窟の一角に、他の部屋よりはやゝ廣目に作つてあつた。壁には日本地圖世界地圖、萬國々旗表、といふ樣なものが張つてあり、その一方の戸棚には僅かの書物や書類と共に、幾品かの藥品が入れてあつた。この寂び古びた壜や箱の藥品が私には常に氣になつた。凪いで居ればこそ一週間ごとに船が來るが、荒れたとなれば十日もその上も一切他と交通のきかぬこの離れ島に住んで居る幾人かの生命をば僅かにこの幾品かの藥品が守つてゐるのである。大きなテーブルの一部の埃を拂つて凭りかゝりながら、おなじく埃でよごれてゐる大きな地圖を見、棚の上の藥壜を眺め、または窓から見ゆる蒼空を仰いで、靜かな樣な、そして何となく落ちつかぬ時間を私はその部屋[#「部屋」は底本では「屋部」]で過ごした。
 でなければ、釣であつた。よほどの鋭い角度で海底から突つ立つてゐるらしいこの岩礁の四周の磯は到る所が深かつた。浪さへなければ、餌をおろせば大小さま/″\の魚がすぐ釣れた。餌はそこらの岩の間に棲んでゐる蟹であつた。
 或る日、私は獨りでとある岩の角に坐つて釣つてゐた。其處へ友人がやつて來た。何か用ありげに私の側に腰をおろしてゐたが、やがて、
『若山君……』
 と呼びかけて、
『どうだね、一つ、君も東京あたりにいつまでもぐづ/\してゐないで、いつそ諦めてこの燈臺守にならんかね。』
 と言ひ出した。彼自身これまでに通つて來た境遇の繁雜なのに飽いて、何處か斯う目をつぶつて暮せる樣な靜かな境地はないものかと考へて、他にもかくして航路標的所の試驗を受けた、そして實地此處に來て見ると前から空想してゐた靜かな生活といふ事よりも先づ身にしみたのは暮らしむきの安全といふことであつた、今まで自分も隨分といろんな事をやつて來たが、要するに頭には故郷があつた、親や親類の財産があつた、いよ/\それから見離されたとなると、自づと考へらるゝのはその日/\の生活である、それもはつきりと具體的に考へてゐたのではなかつたが、此處に來て見ていよ/\さうであつたことが解つた、それにまたどうしても自分の歳や健康のことも考へられて來る、それにはこの燈臺守位ゐ安全な生活法はないのだ、月給にした所が他に比べては非常にいゝ、早い話が君が四五年かゝつて大學を出てから新聞社に勤めた月給より僕が六ヶ月の學期を終へて此處に勤めてのそれの方が多いではないか、また、貰つた月給は殆んど貰つたなりに殘つてゆくのだ、見給へ此處で斯うしてゐる分には自分等の食ふ米味噌代のほかには金の使ひやうがないではないか、此處に限らない、灯臺の在る所は大抵似たり寄つたりの場所ばかりなのだ、現に此處の臺長なども幾個所か勤めて歩いて來たのだがその間に溜めた金と云つたら素晴らしいものだ、今では伊豆の方に澤山な地所も買つてあり家をも建てゝ、其處から長男長女を中學校女學校に出してゐる、君もいつまでも歌だの文學だのと言つて喰ふや喰はずにゐるよりか、一つ方角を變へてこの道に入らないか、入つたあとでまた歌なり何なり充分に勉強出來るではないか、見給へ、僕等は四人詰で此處に斯うしてゐるが、職業に就いて費す時間と云つたら朝の燈臺の掃除と夕方の點火と二三行の日記を書く事と、全部で先づ毎日三四十分の時間があつたらいゝのだ、あとは何をしてゐやうと自分の勝手ではないか、いろいろ慾を考へずにさうきめた方が幸福だと思ふよ、と私の顏を見い/\いつもの荒つぽい調子に似合はず、ひそひそとして説き勸めて呉れるのであつた。そして、私の身體に目をつけながら、
『それに第一、遠方から來るといふのにそんな小ぎたない風態をして來る奴があるものか、君の細君も細君だ、僕は最初の日、羽織袴で出迎へて呉れた臺長の手前、ほんとに顏から火が出たよ、其處へもつて來ていきなり歸るなんか言ひ出すもんだからあんな騷ぎになつたのだよ。』
 と言つて苦笑した。
 私もいつか竿をあげて聽いてゐた。島に來てから見るともなく、其處の彼等の生活がいかに簡易で、靜かであるかを見てゐながら、多少それを羨む氣持が動いてゐたところなので、一層友人のこの勸告が身にしみた。同じく苦笑しながら、
『ウム、難有ありがた[#「難有ありがたう」は底本では「雜有ありがたう」]、まア考へておかう。』
 と言つてその日は濟んだ。が、それからといふもの、例の空中の宿直室に在つても岩かげの事務室にゐても、釣絲を垂れながらも、私の心はひどくおちつきを失つてゐた。燈臺守になるならぬの考へが始終身體につきまとうてゐたのである。なつての後、いかに其處により善く生活してゆくか、本を買ふ、讀書をする、遠慮なく眼をぢて考へ且つ作る、さうした樂しい空想もまた幾度となく心の中に來て宿つた。
 が、何としても今までのすべてと別れて其處に籠る事は、寂しかつた。よしそれを一時の囘避期準備期として考へても、とてもその寂しさに耐へ得られさうになかつた。その寂しさに耐ふる位ゐなら其處に何の生活の安定があらうとさへ思はれた。そして、或る日、見るともなく事務室の藥品棚の中にある古錆びた藥品を見詰めながら、私は獨りで笑ひ出した。そして自分に言つた、斯うしたものに預けておくには自分の身體にはまだ/\少々あぶらが多過ぎる、と。
 さう思ひきめると、急に東京が戀しくなつた。其處にゐる妻や友人たちが戀しくなつた。そして豫定の日が來ると、私は曾つて私の來る時に友人がしたといふ樣に、朝早くから雙眼鏡を取つて岩の頭に立ちながら、向うの方に表はれて來るであらう船の姿を探した。
 いよ/\船に乘り移らうとする時、何となく私はこれきりでこの友人とももう逢ふ機會があるまいといふ樣な氣がした。そして、固くその手を握りながら、
『どうだ、臺長に願つてこれから一緒に下田まで行かんか、あそこで一杯飮んで別れようぢやないか。』
 と言つた。一年も續けて土を踏まずにゐると脚氣の樣な病氣に罹りがちなので、折々交替に二三週間づつ陸地の方へ行つて來るといふ話を思ひ出してさう言つた。
『フヽツ』
 と彼は笑つた。
『まアよさう、行くなら東京へ訊ねて行かうよ、君もまたやつて來て呉れ、今度はもう毆らんよ、ハヽヽヽ』
『ハヽヽ』
 自分も笑つた。送つて來て呉れた燈臺中の人も、船頭たちも、みな聲を合せて笑つた。





底本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社
   1958(昭和33)年11月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:柴武志
校正:浅原庸子
2001年4月16日公開
2005年11月9日修正
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●表記について