光を含んだ綿雲が、軒端に見える空いつぱいに輝いて、庭木といふ庭木は葉先ひとつ動かさず、それぞれに雲の光を宿して濡れた樣に靜まつてゐる。蝉の聲はその中のあらゆる幹から枝から起つてゐる樣に群り湧いて、永い間私の耳を刺して居た。
數日續いた暴風雨のあとで、今朝屆いた雜誌を一册載せたばかりの机の上には冷たい濕氣が浸みてゐた。讀むともなく開いた表紙の折目の蔭になつた隙間に口に含んだ煙草の煙を吹き込むと雜誌の向側から直ぐ眞白な濃い煙がさアつと机のおもて一面に擴がつて出た。そして机のしめりに浸み込む樣にベツトリと木地にくつ着いたまゝ這ひ擴がつてゆくのみで少しも上へは昇らない。もう一度私は同じ樣に折目の下から煙を吹いた。前の煙のあとを追うて浸み擴がつたそれは、やがてよれ/\に小さな渦卷を作りながら僅かに上に昇らうとする。二つ、三つと小さな渦は出來たが、矢張り上には立たなかつた。一二寸の高さに昇つたかと思ふと、くづるゝ樣に下に
波立つ胸で私はその少し前に用意して來てゐた蠅叩きを取つた。そして一打ちにその大きな虻を打ち落した。あり/\と強過ぎる力で打たれた蟲は、片羽をもがれ、腸を出して死んでしまつた。
そのきたない死骸を見て一時當惑した私はすぐそれを可愛がつてゐる蟻に與へようと思つた。
降りこめられてゐたあとの日和で、三段になつた石段にありとあらゆる蟻が出揃つて駈け

報告に行つた留守の間に他の蟻の族が幾度となくその周圍にやつて來た。私は力めてそれらを餌に近附けさせぬ樣に用心した。この日の私の疲れた心はさうした場合に當然起る兩方の蟻の間の爭鬪を見るのがいやであつた。やがて、一つの石段の角の所からいまの一疋と思はれるのが姿を出した。と見ると、そのあとに引續いてぞろ/\ぞろ/\と長い列を作つてうねる樣にその仲間がやつて來た。
やれ/\と私も微笑しながら其處を離れた。そしてそのまゝ茶の間に行つて夙くに時間の過ぎて居る藥を一服飮んで來た。再び離室に歸つて机に向はうとしながら一寸その石段を覗いて見て驚いた。ほんの僅かの間に、其處には
僅かの事にも波立ち易くなつてゐる自分の心持を鎭めるために、私は心を入れて机の上の雜誌を讀まうとした。耳に入るは蝉の聲である。さながら軒端から射す雲の光の中に電氣でも通つて居る樣に、ひり/\ひり/\と耳から頭に響いて聞えて來た。