この沼津に移つて來て、いつの間にか足掛五年の月日がたつてゐる。姉娘の方が始終病氣がちであつたのが移轉する氣になつた直接原因の一つ、一つは自分自身東京の繁雜な生活に耐へられなくなつて、どうかして逃げ出さうとしてゐたのが自然さうなつたのでもあつた。自分は山地を望んだが、子供の病氣には海岸がいゝといふわけで、そしていつそ離れるなら少なくも箱根を越した遠くがいゝといふので、何の縁故もないこの沼津を選んだのであつた。
何の縁故もないとはいふものゝ、自分等の立てゝゐる歌の結社にこの沼津から一人の青年が加入してゐたのをおもひ出して、先づ彼に手紙を出し、とりあへず一軒の借家を見付けて貰ふ樣に頼んだ。程なく返事が來て、心當りの家があるから一度見に來る樣にとの事であつた。今から五年前の八月十日頃であつたと記憶する。早速出かけて來て見ると、
家の下見に行つた時、その家は本當の空家ではなかつた。まだ人が住んでゐた。何でも或る粘土からアルミニユームを採る方法を發明したと稱へて一つの會社を起さうとしてゐる男であつた。型のごとき山師で、其處に六七箇月住んでゐる間に町の酒屋呉服屋料理屋等にすべて數百圓からの借金を


『どうも始末にいかねエんですよ、毎日々々追立を喰はしてるんですけど、どうしても動かねエんでね、……然し今度は
差配は狡猾らしい笑ひを漏らしながら我等を顧みて斯う言つた。
『だつて行く先が無くちや困るでせうに。』
私は言つた。
『なアに、息子とはちやアんと打合せが出來てるでせうよ、どつちもどつちで、煮ても燒いても食へる奴等ぢやアねエんですから。』
家賃は僅か一ヶ月分を拂つたのみで、その上うまく擔がれて、多少現金をもその男から捲きあげられてゐる話をひどい早口で差配は話して聞せた。
家族を連れて沼津驛に降りたのはその月の十五日であつた。その夜一晩、町はづれの狩野川に沿うた宿屋に泊り、翌朝起きてみるとこまかい雨が降つてゐた。二階から見下す下の通りをば番傘をさした近在の百姓女たちが葱や茄子の野菜の籠を擔いで通つてゐたが、それら眞新しい野菜も雨に濡れてゐた。そして窓から少し顏を出して見ると、今度借りた家のうしろに位置してゐる香貫山といふ小松ばかりの圓つこい岡が同じく微雨の中に眺められた。
『何だかたいへん靜かな生活に入つてゆける樣な氣がしてならないが、お前はどうだ。』
早急な引越騒ぎに勞れ果てたらしい顏をしてゐる妻を顧みて私が言ふと、
『ほんとですね、どうかさうしたいものですね。』
と、微かにさびしく笑ひながら答へた。其處へ例の差配をしてゐる百姓がやつて來た。一わたりの
『何だかいやな顏した爺さんではありませんか。』
とさゝやいた。
三日五日とかゝつて荷物の片付が終ると、夫婦ともにその前後の疲勞から半病人の樣になつてしまつた。そして多くの日を寢たり起きたりで過してしまつた。喜んだのは子供たちで、急に廣くなつた家の内、庭のあちこちを三人して夢中になつて飛んで

さうかうしてゐるうちに、秋が來た。邸の前は水田、背後は畑であつたが、田のもの畑のもの、みなとりどりに秋の姿に移つて來た。私たちの疲勞も幾らかづつ薄らいで、漸く瞳を定めて物を見得る樣なおちつきが心の中に出來て來た。第一に氣付いたのは來客の無くなつた事であつた。東京にゐては一日少なくも一人か二人、多い日には十人からの來訪者を送迎せねばならなかつたのに此處に來て以來、一週間も十日も家人以外の誰もの顏を見ずに濟ますことが出來た。自づと時間が生れて、するともなく庭の隅の土を起して草花の種を蒔いたり、やさしい野菜物を作つたりする樣になつた。
『これはいゝ、やつぱり此處に越して來てよかつた、どれだけこの方が仕合せか知れない。』
と心から思ふ樣になつた。娘の健康も眼に見えてよくなつて來た。それに毎日の自分の
さうした有樣で、一二年の豫定が延びていつの間にか此處に足掛五年の永滯在となつてしまつた。斯うなると改めて東京へ歸つてゆくのが
初めに老醫師の世話で借りた家は、戸じまりも充分に出來兼ぬるほど荒れ古びた家で、しかも間取も甚だ拙く、うまく使へる部屋とても無かつたが、とにかく部屋の數は九つあつた。書生や女中や家族たちをそれ/″\に配置して、まだ來客に備ふる一室位はどうやら殘つてゐた。家の古いこと、町から遠くて不便なこと(これも最初はさうでなかつたのだが、生活の間口が廣くなるにつれて次第に不便を感じて來た。)家の前後から襲うて來る田畑の肥料の臭氣、其他あれこれのことをば我慢しても、出來ることなら
表面の理由は他にあつたが、要するに差配の爺さんの我慾と狡猾とに我等は追はれたのであつた。なほ詮じてゆくと、其處にはその爺さんと私の妻との感情問題も遠い因をなしてゐた。第一印象としての彼女の彼に對する不快は年ごとに深くなつて、事ごとに眼に見えぬ衝突が兩人の間に行はれてゐたのであつた。
今年四月末、二ヶ月もかゝつた中國九州地方の長旅行から歸つて來て見ると、四圍の事情は私の留守の間に急變してゐて、どうでも差迫つた時間内にその家をあけ渡さねばならなくなつてゐた。喧嘩腰になつてかゝればさう
さて、無かつた。極く小さな家ならばぼつ/\と眼についたが、泊り客の多いこと、また毎月出してゐる自分達の歌の流派の機關雜誌の事務室の必要なこと等から、どうでも六つの部屋を持つた家でなくては都合が惡く、その見當で探すとなると、一向に見あたらなかつた。偶々あつたとすると、それは避暑避寒地としての貸別莊向に建てられた家で、家賃が大概月百圓を越してゐた。
たうとうこの家探しの騷ぎのために夫婦とも頭を痛くしてしまつた。その間、私はおちついて机に向ふ餘裕を失つて、爲事の方もすつかり
やがて六月の末が來たが、家にはまだ壁も出來なかつた。七月十五日まで待つて呉れといふ。止むなく待つ事にした。其處へ運惡くも二番目の娘が病みついた。二三日ぶら/\してゐて、いよいよ寢込んだのが七月の
一方差配の爺さんからはそんなことに頓着なく、家のあけ渡しを迫つて來た。病兒の看護のひまを盜み/\私は新しい家の出來上りの催促に通はねばならなかつた。十五日は過ぎ、二十日は過ぎ、たうとう七月は暮れてしまつたが、まだ何彼と手間取つて、その松原の蔭の小さな可愛らしい家には一人二人と大工や左官たちが
壁位ゐは引越してから塗らしてはどうです、といふやうな亂暴を例の差配の爺さんは言ひ出した。よく/\腹に据ゑかねたが、要するに喧嘩にもならなかつた。そして改めて新しい家の方をせきたてて、この八月の九日の朝、いよ/\引越す事にきめた。
九日早曉、手傳の人と共に先づ二臺だけの荷馬車を新しい家の方へ差立てた。そしてそれの引返して來る間に私は俥で近所の挨拶

斯うして苦勞して入つた今度の家は、六疊の茶の間八疊の座敷に、中二階の樣になつた西洋まがひの六疊の部屋があり、他に玄關女中部屋湯殿が附いてゐて、いかにも小ぢんまりした、新婚の夫婦などには持つて來いの家である。が、九人家内の我等には相應すべくもない。越して來て今日で丁度十日目だが、まだ荷物も片付かず、新しい家に落ち着いたといふ喜びも安心も更に心の中に生れて來てゐない。
唯だ
が、それらの山よりも松原よりも、此頃最も私の眼を
むらさき色の鮮かな花といへばいかにも艷々しく派手に聞ゆるが、不思議とこの木槿の花に限つてさうでない。さうでないばかりかその反對に、見れば見るほど靜かな寂しさを宿して咲いてゐる花である。この花の咲き出す頃になると思ひ出される例の芭蕉の句の、
道ばたの木槿は馬に喰はれけり
は如何にもよくこの花の寂しさを詠んでゐるが、なほそれでも言ひ足りないほどに今年などはこの花に對して微妙な複雜な心持を感じたのであつた。この芭蕉の句も彼が旅行の途次、富士川のあたりを過ぎつゝ馬上で吟じたものであるといふが、この花は不思議にまた我等に『旅』の思ひをそゝる。この花を見るごとに、秋を感じ、旅をおもふ。何物にともなく始終追はれ續けてゐる樣な、おちつかぬ心を持つた私にとつては殊更にもこの花がなつかしいのかも知れぬともおもふ。