冬物語

牧野信一





 その田舎の、K家といふ閑静な屋敷を訪れて、私は四五年振りでそこの古風な庭を眺めることを沁々と期待してゐたが、折悪しく激しい旋風がこゝを先途と吹きまくつて止め度もなく、遥かの野面から砲煙のやうに襲来する竜巻の津波で目もあけられぬ有様だつた。
「何もこの風は、けふに限つたことではありはしない。大体冬ぢうは吹き通す風さ。」
 とK家の主の銑太郎は、風流さうな顔つきを曝して遥々とやつて来た私をわらつた。私も吾ながらの迂闊さを後悔したが、そんな激しい風が、何も事更でもないといふやうな土地の、身を切らるゝ寒さは想像にあまるものであつた。
 私は座敷にあがつてからも、暫くの間は胴震ひが収まらなかつた。硝子戸の外に庭をすかしても、灰色の風巻しまきに踊る木ノ葉の吹雪が雄叫びを挙げて狂つてゐるばかりで泉水の在所さへも指摘し難い凄じさであつた。折々大鯉が跳ねあがつたかのやうに落葉に埋れた池の水が水煙を挙げたが、それも勿論鯉などは水底に息を殺して瞑目してゐるのみで、凜烈な風の剣打ちで、だがそれで始めて水の溜りが想像されるのであつた。その度毎に長い回廊の硝子戸が一勢に胴震ひして、稍ともすると対手の言葉さへもが聞きとれぬ底の、りんりんたる木枯が悲鳴を挙げて吹き荒んでゐた。
「驚いたね、冬ぢうこんな風だなんて、憂鬱極まるぢやないか。」
 私は思はず銑太郎に罪でもあるかのやうに、そんな不平のを挙げた。
「とても堪らんよ。」
 と銑太郎も滾した。「この村の人達の顔色は素焼の土瓶のやうだが何も腎臓病といふわけではなく、先祖伝来この風に吹きまくられてゐる所為で、意外にも長寿者の数は近郊随一だよ。それにしても斯んな風に吹きまくられて、九十年も生き度くはないね。」
 K家は近郊屈指の旧家で、特に広大な蜜柑山を所有してゐた裏山の切端には一見幾十とも数知れぬ穴倉が並び、恰度往昔に土蔵の数をもつてその家の資産の程が推定されたと同様に、このあたりではそれらの果物の貯蔵庫の数に依つて分限の程を問はれたさうであつた。穴倉と称しても、石器時代の土穽の趣きとは類を異にして、ある庫の奥は十畳の畳を敷いた広さを持ち、天井や壁も自然木で頑丈に組まれ、囲炉裡もあり、炊事場も備はり、主に従業員の合宿所に使用されたものであつた。トンネル風に組み立てられてゐたから、山崩れその他の災害を蒙つた、ためしも絶無といふ、単に穴倉などゝいふ言葉から想像する陰気なものではなかつた。
 銑太郎は私と同年の理学士で、土器の採集に長年没頭してゐるばかりで、畜財の観念に世にも恬淡な人物だつた。数年前に大半の蜜柑山を使用人に分配して、多くの貯蔵庫などはあれるに任せてゐるといふことを私は聞いたのである。
「あれだけの庫があれば、何んな大袈裟な石ころを集めても、貯へるには事欠かぬな。」
「いや、この頃ぢや、それにも以前程の熱は持つてゐないがね。」
 銑太郎は何か他のことを先程から思案してゐるのだが、容易に決心がつかぬといふやうに宙に眼を挙げたりして、余程私に気兼ねでもしてゐるといふ風だつた。私は、遠慮も忘れて早く酒の仕度をさせろよと促し、閻魔のやうな面つきで骨身の寒気と闘つてゐた。


「僕はさつきからいひそびれてゐたんだが、実はあの穴倉の幾つかを自分の思ひのまゝに改装してゐるんだ。僕は決してそれを人には見せないんだが、あんまり君が不景気さうな胴震ひばかりしてゐて気の毒になつたから、思ひきつて案内しようかと考へてゐるんだ。それに君なら、何か僕は安心なので――ぢやあつちへ行つてゆつくり飲んで貰はうか。」
「この寒いのに、穴倉を見物するなんて酔興なはなしだな、君の物好には予々かね/″\怖れ入つてゐるんだから、まあ、いづれお天気の好い日にでも見物することゝして、今日のところは願ひさげにしようかね。」
 私はさもさも物臭さうにふところ手のまゝ脊骨を棒のやうに突つ張らせてぶつ/\いつてゐたが、銑太郎は物をも言はず先に立つて、夫々の手に提電灯あかりの用意をすると、家内の者の眼を盗みながらカビ臭い土蔵脇の忍口しのびぐちから、颯つとばかりに荒波の中へ跳び込むやうに身を交して走り出た。否応なく私も続くより他はなかつたが、アラスカの吹雪の中へでも飛び出したやうに、もう愚痴をいふいとまもなく、思はず羽織の裾を達磨のかたちに逆に頭からかむると、巾着切のやうに素早く横つ飛びに風を切つた――崖下の洞の前まではものゝ三丁もあらうかといふ距離であつたが、私達は夢中の風に乗つて一気に到着した。
 銑太郎は腰に携へて来た鍵をとつて木蔭に埋れてゐる扉を手さぐりに索めて漸く錠を外すと、いきなり私の腕を執つて、ハヤク! と叫ぶと同時に、一と思ひに引つ張り込んだ。私の踵は宙の風を切つて、身体は前のめりに案山子のやうに引きずり込まれたかと思ふと、銑太郎は内側から慌てゝ扉を圧し、えいツ! と太い閂を入れた。――内部は炭坑じみた暗さで、私は彼に片腕をとられたまゝよちよちと歩いて行くのであつたが、間もなくあたりの空気は余程生暖かい湿度に富んで来て、恰度ステームの焚かれた地下室へ降つて行くやうで、進むに伴れて肌には汗が滲みさうだつた。
 外界は、あんなに凄じい風だといふのに、あれらの騒々しい物音や雄叫びは何んなに耳を澄ましても微かにも聞えず、何といふこともなく次第に私の胸は甘さに溢れるかのやうな、そして晩春の夜道でも歩いて行くやうな、その上、どこからともなく丁字の花に似た香のかをりがにほうてゐた。
「それあ、さうさ――煖房装置が配してある室なんだもの。花はもう、とうに咲いてゐるよ……まあ、待て/\!」
 顔つきは見えなかつたが、そんなことを呟く銑太郎の声は、さつきまでの吹きさらしの羅漢のやうな干乾びた人間の声とは凡そ類を異にした生気に富んでゐた。
「これぢや、コウモリなんか棲むまいね。」
 銑太郎に引きかへて私は、妙に異様な心細さにさそはれながら、さつきまでのいけ図々しい客の音声とは、これもまた恰で違つた子供のやうな声で、そんなことを云つたりした。
 ――やがて私達は、第二の扉の前に到着した。何だかアリババ物語のやうで私は、少々薄気味も悪く、案外にも村のヨタ者連が集つて法度の慰み事でも開帳してゐる席なのではないかと疑つたりしたが、扉が静かに内に開くと同時に、何百燭光かと思つた煌々たる照明の襞が、ぱつと私達の影を吸ひとつて、同時に濛々とけむつた煙とも豊香とも差別もつかぬ明るさが、咄嗟の間に私の魂を奪つた。


 その晩のことを私は、どうも明瞭に思ひ出すことが出来ぬのである。たしかに私は海鼠のやうに酔つて生態もなく、何時どうして運び出されたのかも知らぬのである。あんな立派な部屋ならば、東京のアパートなどに住んでゐることに比べれば雲泥の差で、竜宮のやうだと満悦したので、是非とも銑太郎をとらへて当分の借用を申出ようと思つてゐるのに、彼はあの翌朝早々と丹沢山中の某所に石斧の採集に赴いたといふ下婢の伝へで杳としてその行方がわからなかつた。――私の夢でもつくりばなしでもないのだ。つくるくらゐならば今時私は、斯んな空々しい物語なんて空想もする気遣ひはなかつた。
「俺は別段、あんなものゝ採集などに熱をあげてゐるわけぢやないのさ。左うとでも云はなかつたら、バツが悪いからなんだよ。未だ二つ三つしか手をつけてゐないが、やがて俺は此処に並んでゐる限りの穴倉を、夫々奥から奥へ通路をつけながら、自分の思ひ通りの棲家につくらうといふのが、一生の願望なんだ。未だ田畑を売り払へば、相当の資本金は調達出来るからね。」
 銑太郎が、サラセン模様の壁飾りの下に横たへたロココ風の寝椅子に凭つて、そんなことを云つてゐたのを私は覚えてゐる。――「蜜柑山だつて、親類の奴等が兎や角云やがるんで煩いから使用人に呉れてやつた態に吹聴したんだが、使用人中の幾人かは秘密を守つて俺の計画に賛成してゐるんだから、やつたもやらぬもありはしないのさ。皆な、暇を見てはこの中で働いてゐるんだ。金は俺にとつては命の次に大事なのさ。」
 私は、奥まつた一室で銑太郎から金庫の蓋をあけて見せられたのも憶えてゐる。銀行などに預けておくと忽ち露見するので、恰で中世紀の海賊のやうに、こんな風に千両箱を積んで毎年の産物の売上金を貯めておくのであるが、どうだ羨しいだらう、お伽噺を地で演ずるには、やはり何よりも先に先立つものはこれなんだからね――と彼がにたにたと笑つたのも憶えてゐる。私は、その場で若しかすると、貪婪な眼でも輝かせて、一握み貸して呉れないか――といふやうな失策を演じたのではなかつたらうか。でなかつたら一度招待を許した者をこのやうに残酷に突き離すわけはないのだ。
 内部の光景を説明する暇を失つたが、私は是非とももう一度伴れ込まれて、真に世の中と絶縁された観の、あの一室で、あたたまりたいと切望して、朝夕となく山径をつたつて穴倉のほとりをさ迷つてゐるのだが、何しろ幾十となく入口がならんでゐるばかりで、決して人の気配もなく、何の入口を叩いて好いのやら、叩いたところで返事のある筈もないのであるが、皆目手がゝりもつかぬのであつた。私は慾深爺の顔つきで、今更、斯んな世にも滑稽な事件のために血道をあげてゐるものゝ、私にとつては金塊引上事業や鉱脈発見の苦心者と実にも同然なありのまゝの惨胆さに相違なく、どうやら旋風の絶え間もなく、このまゝこんな村で銑太郎の出現を待ち呆けたならば寒風に吹き殺されて了ひさうだつた。――彼奴は丹沢山からは何時も幾日位で帰るのかね? と私はK家の人達に訊ねた。元々風来居士であるから、おそらく日程は解らず、この村の生れの癖にこの風が大嫌ひで、どうかすると春凪の候でなければ戻らぬことも屡々だ――と家人はそれとなく私の帰京を促した。





底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房
   2003(平成15)年5月10日初版第1刷
底本の親本:「中外商業新報 第一七九六四号〜第一七九六六号」中外商業新報社
   1936(昭和11)年1月24日〜26日
初出:「中外商業新報 第一七九六四号〜第一七九六六号」中外商業新報社
   1936(昭和11)年1月24日〜26日
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年10月26日作成
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