足袋のこと

牧野信一




 僕は、これで、白足袋といふものは、未だ嘗てはいたことはないんだぜ――。
 久保田氏は、往来に出ると、さういふ意味のことを、もつと歯切れのいゝ言葉で、だがいかにも何らかの弁明らしくティミッドな調子で、突然ポンと云つた。さう云はれたので初めて私が久保田氏の足もとに眼を注ぐと、そこにはちやんと雪白の足袋を着用した足が性急に運ばれてゐるのである。私はもう少しで「ぢや、それはどうしたの?」と訊き返すところだつた。此方は、大の迂闊者である。にも関はらず万太郎氏は、此方の眼識を重んじて(?)往々それに類する正直な弁明を発しては、此方をぽかんとさせる人だ。
「途中で紺足袋を買つてはき換へるつもりさ。どうしてこの儘芝居へなんて行けるものか!」
「なるほど。」と私は点頭いた。「足袋が気になつて、批評が反れては困るだらう。」
「役者に気の毒をしてしまふ――」と万太郎氏は笑ひながら云つた。この日は、芝居の合評会へ行くのださうだつた。(筑波台から本郷まで私たちは歩いてしまつた。)
 万太郎氏は、歩くのは得意だと云つた。なる程、胸を張り出し、歩調は大まかのやうでスタスタと速いことだ。たしかに闊歩のかたちだ。それに歩なみをそろへるには、私は軽い努力をしなければならなかつた。私も、歩行ののろい部類の人間ではない筈なのだが。私は、「ソマトーゼ飲まぬ人」の如く細く、万太郎氏はその反対なのに。
「本郷に非常に古風な足袋屋があるんだよ。そこで買ひたいと思ふ。」
「なるほど。」と、また私は呟いた。
「女房の奴、俺の白足袋の姿をひやかして、タイコモチのやうだと云つた。」
「ハッハッハ。」と私は好意を持つて笑つた。「そのことをひやかしてゐたのか、僕にもさつきその声は聞えたけれど、何のことだか解らなかつた。」
「――洋服にかぎる!」
「あなたのその和服姿はなか/\立派だ。」
「君こそ白足袋をはいたことはないだらうね。」
「結婚式の時も僕はたしか白足袋をはかなかつたやうに覚えてゐる。」
「それは誇張だ!」
「……白足袋、黒足袋なんて区別を、そんなに考へたこともない。」
「野蛮だなア!」
 本郷の何とかといふ足袋屋は、なる程古風だつた。万太郎氏が、ちよつと面喰つた程お世辞の好い店だつた。
 そこで白足袋を紺足袋にはき換へた万太郎氏は、番頭に「お世話様でした。」と云つて店を出た。これも私は、万太郎氏が何と云つて出て来たのか気づかなかつたのだが、往来に来た時、「君、君――」と私に呼びかけて「君達は、買物をして帰りがけに、どうもお世話様! なんて云ふ言葉は知らないだらう。買物をしてそんなことを云ふ必要なんて無い――と来るだらう。」と誇り気に云はれたので、私はその店を出る時そんなことを云つてゐたらしい万太郎氏を思ひ返したのだつた。
「僕は、それは不思議には思はない。少年の時、あなたとは違つて田舎だが、祖母のしつけ方がそれ式――と云つても、それは無論反対の立場だが――。少し酔つてでもゐて買物でもしたら、どうも失敬! とでも云つて立ち去るかも知れない。」と私は真顔で弁解したのだつた。万太郎氏は軽く点頭いた後に、
「ぢや中戸川吉二は?」と訊いた。
「さア、どうだか!」と私は微笑した。そして小声で「案外そんなこともないだらう。」と答へたが万太郎氏には聞えぬらしかつた。――万太郎氏は、腕を延して、軽く握つた二つの拳を打ち振りながら、こまかく、大きく闊歩してゐた。
 本郷三丁目で私は万太郎氏と別れた。間もなく万太郎氏の小説に用ひられさうな曇つた空から、雨が降つて来た。――家に居ると、万太郎氏が、それは嫌ひなのか、それとも余りの寂しさに堪へれられぬためなのか、知らないが、未だ外が明るくても、部屋を夜にしてしまはずには居ないツワイライトの時刻だつた。――もう一ト月以上も前のことだつた。





底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
   2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「新潮 第四十巻第六号(六月号)」新潮社
   1924(大正13)年6月1日発行
初出:「新潮 第四十巻第六号(六月号)」新潮社
   1924(大正13)年6月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年5月26日作成
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