思ひ出した事(松竹座)

牧野信一




 芝居を見るのは、何年振りのことだ。然も自ら切符を買ふこともせず、おまけに文章を書く目的で芝居へ来るなんて、まつたく始めての経験だ。
 だから私は、眼を皿のやうにして、凝つと「芝居」を見たことだつた。行儀の悪い私はあんなにジツとして芝居を見た覚えは皆無のことだ。何だか私自身が、突然役者になつて無理矢理に舞台の上におし出されたやうな感もした。誇張して云へば――。
 さういふ私だつたから、その私の芝居、見方はたしかに遠慮深く、寧ろ愚かしい謙遜に囚はれてゐたに相違ない。――だが不幸なことには芝居は面白くなかつた。何としても面白くなかつた。馬鹿/\しくて仕様がなかつた。この次の幕は? この次の幕は? さう思ひながら私は昼から到々夜の部の大詰まで見通してしまつた。
 あまり面白くないので、その熱心な観劇の途中で、不図私は斯んな気を起した。――
「此方が何か不自然な心持で見てゐるだらうか。私に批評を求めてゐるわけでもないのだ。感想がなければ、強ひて書く必要もないんだらう。……馬鹿な! そんなに尤もらしい顔をして見てゐるなんて! 笑はれるぞ! この若年なドンキホーテ奴!」
 と我と自らを嘲つて見た。そして一寸気分を改めた筈で――(それがまたおそらく私をして反省の及ばぬ変な観劇者にならしめたのだつたかも知れない。何としても救はれぬ一人の見物人である。高い処からは相変らず「喜多村ツ!」「伊井ツ!」などゝいふ声もかゝり、見渡せばそこの見物席には涙も、笑ひも感嘆の色も相当漂ふてゐるのに――。私はさういふ一人であるべき筈だ。さういふ一人として見た感想でいゝんだ。)――それで、学生時分学校をすつぽかして、他に行く処もないので、高田実だの、喜多村緑郎だの、井上正夫だのを、脚本なんては何でもかまはない、それらの人々の容貌を眺め、音声を耳にするだけの目的でやつて来た頃の無智なる不良学生に、自らを返らせようと計つたのである。
 そして見ると、――あゝ、あれは藤井六輔だな、丸菊主人藤兵衛、藤井の生地で出て来たところが、丸菊主人はいゝが二役運転手斎藤金之助は、どうも運転手ぢやない。御者だ。(尤も運転手の藤井は大詰のところで一寸見たゞけ始めの方は見なかつたが。――昔は御者だつたが馬車がすたり、自働車になり、伯爵家の好意で運転手に商買換へをしたキカイの修繕は極不得意の運転手だらう。)
 ――おゝ、福島清も出て来る、相変らず石地蔵が歩き出したやうにヒヨコ/\と可愛気な足取りで、口を一文字にして、雙燕堂村瀬清次郎にならうと、魚屋惣助にならうと、福島は福島であのギコチない可愛味で通つてゐる――瀬戸日出夫……おやどうも記憶のある顔だと思つた。いつかもう年頃の娘になんて成つてゐるので一寸見違へさせられた、お転婆の不良少女になつて、仲々際どい音声をふりしぼつてゐる。何年か前本郷座で「日本橋」の時、果物屋の店先、小織桂一郎(?)が熊の如き狂乱の男で抜身の刀をひつさげ、林檎の実を刃の先に突き刺す、それを見て仰天した果物屋の小僧、小さい癖にキイキイと小生意気な文句を吐いた小僧の子役は、あれは瀬戸日出夫ぢやなかつたかしら? 違つたら失敬――青年瀬戸日出夫よ、精進を祈る。「日本橋」といへば、あの芝居は妙によく覚へてゐる。果物屋の小僧のモーシヨンまで記憶にある程だから、――伊井、喜多村、福島、木村操、雛妓花柳章太郎、巡査になつたのはたしか熊谷武雄といふ名前の役者ぢやなかつたかしら――。
 K・Kといふ学術優等の私の友達が、失恋をして、学業手につかぬ頃だつた。彼の唯一人の友達だつた私は、失恋がなくても学業手に就かぬ性で、朝教室でKと顔を合すやいなや伴れ立つて街の散歩に出かけて仕まふ好き友達だつた。その日も朝から書物の包みを抱へた儘街を歩き回り、疲労して、入つたのが偶然本郷座の「日本橋」だつた。
 K・Kはあの芝居を見て涙を滾した。ポケツトからハンケチを出しては涙を拭つてゐた。
「あゝいふ世界は僕たちの知らないところだ。何で君はそんなに悲しいか。」
 と私はKに訊ねた。私だつて道理は明かに解つてゐたのだが、ワザとそんな拙いしらを切つたのである。
「僕は決心した。」とKは私にさゝやいた。「僕はこれから何としても、あゝいふ世界に足を踏み入れるぞ、酒に酔つて、詩に浸るのだ。」
「僕は、恋をしたい。」と私も云つた。
「喜多村が扮したあゝいふイヽ芸者は、屹度あの地上にゐるに違ひない。」
「居るものか。」と私は苦笑した。「君はあれに惚れたのか?」
「惚れやしない。――花柳章太郎といふのがなつてゐるあの雛妓には惚れた。あれが実は男だと思ふと落胆するが、僕はそこへ行くと君知るが如く大のロマンチシストだから空想を食物にして生きられるんだ。」
「あの雛妓は可愛想で好いネ。」と私も変な声で云つた。「喜多村緑郎……」
「あゝ、柳暗花明の巷が憧れの的になつた! 君はどうだ?」
「僕も、僕も――」と私は云つた。
 だがこの二人の愚かな、幼稚なロマンチシストは、それであるが為か? 臆病で、遂に「紅灯の巷」へ行く勇気は、事実では出来なかつた。
 その代り吉井勇者「東京紅燈集」「祇園歌集」「酒ほがひ」……それらが二人の教科書の間に忍び込むようになつた。
「紅灯の巷へ行きてかへらざる人をまことのわれと思ふや」とか、
「かにかくに恋も情けもすべて仇……」などゝ節をつけて朗吟したりするようになつた。
 Kは学校を卒業すると演劇研究の目的でフランスへ赴き、今なほ帰らない。幸か不幸か? Kも私も当時の決心を裏切つて「紅灯へ行く人」にはなり損つた。だから今だに私はいくらかの憧れを持つてゐる。当時とは少しく違ふ意味でも――。
 此間フランスのKから手紙が来たが、その中に斯んなことが書いてあつた。
 ――もうあれは何年前のことだらう。六七年も前だらう。僕此方で稀に芝居へ行くと、往々あの「日本橋」を思ひ出す……など。
 近く彼に返信を出す時私は、
「吉井勇作魔笛、泉鏡花作婦系図の芝居を見た。僕も一寸当時を回想し、人知れず顔をあからめた。それを見物に出かけたといふ理由は仲々可笑しいんだよ。ともかく僕も此頃大変大胆になつて……」と書いてやるつもりだ。――「だが、悲しい哉と云ふべきか? 「魔笛」を見ても「婦系図」を見ても、何としても当時のやうな興奮は得られなかつた。「婦系図」はさつぱり解らなかつた。此方が悪いんだらう。――喜多村は、君、安心したまへ、元気旺盛、あの頃の通りだ。「魔笛」といふのはね、途中から見たんだが、たしか失恋耽溺の芝居と云つて関はないだらう。ひよつとすると君なら涙を滾すかも知れない。代議士を父に持つた志士肌の男(伊井)、彼は支那満洲を放浪して帰つた、ひとりの友人が失恋耽溺に沈んでゐるのを見て、罵倒しながら誡めるのだ、つまりさういふ芝居なんだ、繰り返して云ふ作者は吉井勇!
 君がフランス、イタリーを放浪して帰つても僕には何の誡められることもないので、退屈でならない、君だつて僕から誡められるようなことはなからう。相変らず吾々は、二つの物体の如き存在か! 少しは吾々も芝居的な出来事が欲しいなア……」
 Kへの返信の中に、少しくワザとらしいが斯んな文句を、もう少し事細かく丁寧に書き加へようかしら、それにしてもこの松竹座見物のことは参るが――。外国にゐると、此方のどんな瑣細な、そしてつまらぬ事でも、いやさうであればある程イヽんだから遠慮なく身辺の消息を知らせて呉れといふのがKの切なる願ひだから、彼に通信を怠つてゐることも久しいものだ。
「新演芸」のO君、いろ/\厄介をかけて済みませんでした。余外なことに走つたやうでもありますが、ともかく以上が小生の松竹座見物の感想に違ひありません。あまりに纏つた芝居見物記になりさうな感想がないので、昨夜喜多村研究劇といふのが報知講堂で久保田万太郎の演出であると知つたのでそれを見たら、いくらか纏つた感想も浮び、此間の方の印象もはつきりするかと思ひ、見物に行きました。それはとても先日の芝居の比ではありません。此方なら、いくらか書けさうにも思へますが、慣れぬ為か気持で云へさうに思はれるだけで、事実はさうは行きません。たゞ、あつちを頼まれたよりは、「報知」の方を頼まれた方が、よかつた様に思はれます。





底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
   2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「新演藝 第九巻第七号(七月号)」玄文社
   1924(大正13)年7月1日発行
初出:「新演藝 第九巻第七号(七月号)」玄文社
   1924(大正13)年7月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年5月26日作成
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