あやふやなこと

牧野信一




 記者。お忙しいところへ、甚だ恐縮ですけれど、「私が処女作を発表するまで」と云ふやうなことに就いて、何かお話して下さいませんか。
 牧野。処女作は、学生時分――早稲田に居る間――に、二つ書いた。どつちが先だか忘れて了つたが、「爪」と云ふのと、「闘戦勝仏」と云ふのとである。「爪」を書いたのは慥か冬だつた。そして「闘戦勝仏」の方は夏だつた。兎も角、どつちが先だか判然しないが、非常な怠け者で、この二つしか書かなかつた。
 記者。処女作として発表したのも、その二篇なんですか。
 牧野。それは、ずつと蔵つて置いたまゝで学校を出てから、友達と、「十三人」と云ふ同人雑誌の仲間に這入り、その第二号に「爪」を載せた。そして、その四号だかに「ランプの明滅」と云ふ、やはり十枚足らずのものを出した。その次には、島崎先生から、「新小説」が新進作家号を出すから、それに何か書いて見ないかといふおはなしで、「凸面鏡」と云ふ十五六枚のものを書いた。それから、「若い作家と蠅」とか、「蚊」とか……など云ふ変な小品を「十三人」に出してゐた。「闘戦勝仏」は「十三人」の一周年号の時、同人が皆んな揃つて書くと云ふのだつたが、私は慥か、夏で、田舎へかへり、海へばかり這入つて居て、何も書けなかつた。それで、秋になつて、東京に出て来てから仕方が無く、大へん気おくれがしたが、「闘戦勝仏」を出したのである。それが慥か処女作には違ひないのだが、別段それが処女作のやうな気もしないので……皆んなその当時のものは、同じやうな気がするのである。それで今、いろ/\な名前を挙げて見たのである。
 記者。甚だ失礼なお訊ねになりますが、さう云ふ「爪」とか、「闘戦勝仏」とか云ふものをお書きになる前に、文学はどう云ふ傾向を辿らなければいけないとか、これまでの文学はどう云ふ傾向を辿つて来てゐたとか、これからはどう云ふ風に進んで行かなければならないと云ふやうなことを研究しておゐででしたか。それともまた……。
 牧野。いや、そんなことは、僕はさつぱりしなかつた。
 記者。さう云ふことは、やはり、書きながら、必要に応じて研究して行つた方がいいでせうかね。
 牧野。僕はどうも、さう云ふ研究心が、少しも無いので……。
 記者。では、自分だけの道についてもお考へになつた事は御座いませんか。
 牧野。そんなことも、さつぱり無かつたですな。
 記者。処女作を書く以前には、主にどんな人の作品をお読みでした。
 牧野。それもまた、殆んど誰のものも読まなかつたですな、その時分。
 記者。殆んどの程度で、いくらかは読んだでせう。
 牧野。いや。全然何も読まなかつたです。だから、少しも文壇のことは知らなかつたんです。
 記者。それはまた……他人の作品なぞには無関心で、御自分だけの世界を拓いて行かうとでも思つてゐらつして、文壇なぞは、全然問題にして居なかつた訳なんですか。
 牧野。僕は、文壇を問題にしない程偉くはなかつたです。知らなかつたゞけなんです。
 記者。それで、文学の方のお友達はあつたんですか。
 牧野。文学の方の友達も、全然無い位で、同人とも、あまり親しい友達にはならなかつた。――同人が、別に嫌ひな訳ではなかつたが、皆んな、学生時分の同級生だけだつたから……。
 記者。それでは、友人同志の間に出来た同人雑誌ではなかつたのですね。
 牧野。さうです。皆んな、クラス、クラスでやつて居たのです。――それで、同人になつて見ると、彼等は、文学に対して、非常に真面目にやつてゐるので、僕はなんとなく恐ろしかつた。本統に怖ろしいと云ふ気がした。僕は何も読んで居なかつたから、ドストエフスキーの話をされても解らないし、皆んなはこんなに激しいのかと思つた。
 記者。それでは、あなたは、ひとりぽつちで文学をやつて居た訳ですか。
 牧野。二人だけ、文科の友達が、あるにはあつた。一人は今、独逸に行つてゲーテの研究をしてゐる柏村次郎で、もう一人は、鈴木十郎だつた。そして、「爪」だの「闘戦勝仏」は、この二人に読んで貰つた。ところが、この柏村次郎は、小説を読むことが嫌ひで、容易に読まなかつた。
 記者。文学をやる人には、珍らしいですね。さう云ふ人も。
 牧野。だから、此方から、無理に読まして無理にほめさせて居たが……(笑ふ)
 記者。さうですか。(笑ふ)
 牧野。鈴木十郎の方は、よく読んで、批評が得意だつた。どう云ふ批評をされたか、今では忘れて了つたが、その二人に見せる積りで書いたのかも知れない、「爪」と「闘戦勝仏」との二篇は……。
 記者。その人達とは、随分親しくなつたんですね。
 牧野。この二人は、僕にとつて、本統にいい友達だつた。今でも、随分と親しく交際して居るが……。しかし、柏村次郎の方は、ローマンテストで、批評などは出来なかつたが。
 記者。それで、その人達は、「十三人」の同人では無かつたのですか。
 牧野。本統なら、僕は、柏村や鈴木と同人雑誌をやるのであつたが、柏村は僕より一年上で、別に同人雑誌をやつて居たから。――僕は初め、柏村と同級だつたが、僕は落第して了つて、その次の級に居たから。――そして鈴木は、中学時代の友達で、早稲田では僕より一年下だつたから……。そしてその頃は一年一年、皆んなクラス、クラスで、同人雑誌をやることが流行して居たらしかつた。
 記者。それで、処女作を、一般的に発表したのは、「新小説」の方の「凸面鏡」なんですね。
 牧野。さうです。
 記者。その外に、何か、処女作を発表するまでのお話はないですか。
 牧野。強ひて言へば、詩人になり度いと思つて居た。そして、変な詩を、いくらか書いてゐた。それは、どこへも発表はしなかつたけれど。
 記者。そのために、小説なぞはあまり読まなかつた訳ですか。
 牧野。いや、さうぢやなくて、落着が無かつたです。その頃の僕は、本統にふわ/\してゐる青年で……。
 記者。ぢや、あんまり、所謂、文学青年らしくは無かつた訳ですね。
 牧野。僕が文学青年らしくなつたのは、近頃になつてからのことですよ。極く最近になつて、漸く……。





底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
   2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「文章倶楽部 第十巻第九号(九月号)」新潮社
   1925(大正14)年9月1日発行
初出:「文章倶楽部 第十巻第九号(九月号)」新潮社
   1925(大正14)年9月1日発行
※「処女作を発表する迄」と題した、インタビューです。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年5月26日作成
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