文学とは何ぞや

牧野信一





 その科目は、何であつたか今私は忘却してしまつたが、その科目の受持教授は、数年前に物故された片上伸かたかみしん先生であつた。そして私たち学生(文学科)は、おそろしい卒業試験を迎へてゐたのである。当時、片上先生といへば学生連の間に、其稀有なる厳格な教授ぶりで、或者には神の如く崇拝され、或者には鬼の如く怖れられてゐた。私は何時も教室の一番背後の隅の席で、ノートは拡げてはゐるものの、教授の声には上の空で主に窓の外ばかりを眺めてゐるといふ風であつたから、何の教授にも左うである通り教壇の人の姿などは直視することもなし、勿論質問の手を挙げて直接に言葉を交した験しなどは、普通よりも永かつた全学生時代を通じて絶無であつたが、片上先生の、遥か遠くに見える白哲の額、光る眼鏡、凝つと真正面を凝視しながら徐ろに喉の奥から流れ出る、珠玉をふくまれてゐるかのやうな音声に接すると、正しくこれは大学者の姿であるといふやうな漠然とした畏怖の念も涌き、多くの学生に、畏れられ、崇拝されるのは、先づその容貌風姿の実にもシリアスな趣きに端を発するのであらうと点頭かれた。その上先生の説かるゝ芸術論が、人生論が、難解であるといふことから学生たちは片言たりとも逃すまいとして耳をそばだて、速記に余念がなかつた。だから私も先生の時間にはペンを構へて、左の手では頭髪を握つたまゝ速記の姿勢をとつてゐるのであつたが、或日私は突然先生から直接の言葉を賜つたことがあつた。凡ゆる教授から私が直接の言葉を掛けられたのは、先生のそれが最初で、そして最後であらう。
「あゝ、あの一番隅の学生!」
 講義の途中で突然先生は叫ばれた。学生たちが一斉に筆記を止めて後ろを振り向いたが、まさか私はそれが私に向けられた言葉であらうとは思はなかつたから、私も慌てゝ後ろを向き、其処が壁であるのに驚いて、更に首を窓の方へ振り向けやうとした時、
「いゝえ、君ですよ――」と教壇の上からさす先生の指が私の鼻を指してゐるのに気がついた。「何事です、君は、教室で居眠りをしてゐるとは何事ですか、それ位ならお帰りなさいツ!」
 私は別段帰らうともせず黙つてうつむき、間もなく先生の講義は続いたが、その他にも、何か利口気な質問を発して「お黙りなさいツ!」と一喝された者や、あまりに愚かな質問を発して「君は今日限り退学した方が好いでせう。」と青筋を立てゝ憤られた者、その他学究上の問題で先生の厳しい神経に触れて震え上つた者は多かつた。大概の文科の教授は学生が居眠りをしてゐようと落書をしてゐやうと平気で自己の講義をすゝめてゐたし、また何んな愚問を発しやうと、懇切に答へるか、失笑するかで、憤慨の気色を現はすなどゝいふことはなかつた。しかし片上先生は、先づ術語の用法に関して飽くまでも厳密で、凡そその採点標準が凜烈である――とは先生自らも常々申されてゐたことであつた。


 だから先生の試験の日が迫つた時には、就中臆病な私は、何んな六ヶ敷い問題が出るだらう――と思ふと、激しく胸が震えて、今更の如くいら/\として、一冊分のなかばも誌してないノートを繰拡げて厭世的となり、明方になつても眠れなかつた。それは左うとして私はその日稍早目に登校して見ると、青い顔をして眼をあかくした他の学生は二冊も三冊ものノートを、校門をくゞり、校舎に入り、そして試験開始のベルが鳴つて羊のやうに試験場に繰込む間端までも間断なく験べ続けて、「よしツ!」と独りで点頭いたり、赤鉛筆の印の箇所を口のうちで朗読して、自信深く胸を張つたりしてゐた。――やがて、先生が湖のやうに静粛な場内に、威厳に充ちた稍や前屈みの姿でこつ/\と歩みを運ばれた。続いて試験係りの生徒監が三人、三方に別れて生徒達の間を何時ものやうに往復しはじめたかと思ふと、先生は三人の一人に微笑をもつて何事か囁かれた。監督達は間もなく退場して行つた。生徒達は息を殺して、先生の次の行動を視守つてゐた。いよ/\問題を提出すべく先生は徐に教壇へすゝみ、そしていとも無造作にチヨークを執りあげるや、凡そ二尺四方の正方形にあまるほどの大きさに「文」と書かれた。次に同じく「学」と誌され、続けて「とは何ぞや」と発表された。その先生の態度は恰もシナイ山の岩壁に十誡の言葉を彫むモーゼの概を髣髴させる底の熱度に充ちてゐた。
 学生達は唖然として「たつたそれだけですか?」とか「その答へを書くのですか?」などと叫ぶ者があつた。先生は、その文字のやうに大きく点頭かれたまゝ、無言で室を出られ、私達は、先生の、夢のやうな靴の音が静かに階段の下に消えるのを聞いた。その時、陰気に満ちたドツといふ嗤ひ声が起つたが、忽ちもとの静粛に戻つて学生はさらさらと一気呵成に答案のスタートを起した。――私は、窓の外を眺めて、切りと答案のプロツトを模索するのであつたが、二時間経つて終了のベルが鳴つても、断じて冒頭の一句さへ浮ばぬのであつた。
 爾来十余年、私は学生時代の不勉強を後悔して、あちこちの田舎にかくれながら、心象の苦悶と放浪性を古典書の翻読や創作の机上に求めて寧日もなき有様であるが、不図疑惑の想ひに駆られて空を見あげる度に、空一杯の大文字で屡々「文学とは何ぞや」と掲示するのであるが、相変らずその答案の冒頭の一句さへ浮ばぬのである。今は学生ではないから二時間のうちに答案を作成する要はないのであるが、是非とも私は、やがてのことにはこの宿題を解決せねばならぬのだ。


 いつか私の面上からは一切の笑ひの動きが影を潜めて、あの試験場で放心的な眼を開いて呆然と窓外を眺めてゐたまゝの表情が、不断の私の顔と化してしまつた。私はプラトンの「芸術否定論」とポウの「ユレカ」のナンセンス振りに接触する時だけ、わづかに笑ひを覚えるのであるが、直ぐにその表情はそのまゝ石膏細工のやうに硬化して、で或日私は験しにその面をそつと壊れぬよう保つて鏡の前に運んで見ると、それは笑はうとしてゐるのか怒らうとしてゐるのか、はたまた悲しまうとしてゐるのか区別を知らぬ仮面めんに酷似してゐるに過ぎぬのだ。いつか私は笑へぬ性質と化したに相違ない。
 それだのに私は、何事に触れてもわらへぬ私の心象の事実に反比例して切なく、やがての私の念願は「笑ひの文学」の創作である。私は、過去に於いて、この念願の一端をも満足させた経験は持たぬのであるが、あの試験場で、落第を覚悟しながら頬杖を突いて、明るい窓の下の円型の芝生を見降ろすと大音寺といふ他科の私の友達が、此方を見あげて何か合図をおくつたのであるが、私はそれどころでなく慌てゝ、向方の校合の窓へ視線を脱し、そして晴れ渡つた空を仰いだが、その時不図そんな大それた念願を抱いてゐたことを覚えてゐる。その男が後刻その時の私の表情を評して、恰も後架へ走りたいのを我慢してゐる鬼のやうな顔だつたぞ、貴様は――と苗字に適はしい大男で大声の彼が同情したものであつたが、あゝ、それほどの昔からの、それと同じ面貌を保ちつゞける私の、あゝ、それは人生そのものゝ如く何んなものか一向不可解な「文学」といふものに寄せるまことに難渋な、私にして見れば大音寺もどきの大声で呼びかけたい――実にも滑稽な念願である。
 そして「滑稽小説」――。
 どうぞ、この想ひが悲劇に終らぬやうに――。





底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
   2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「読売新聞 第一九九六五号、第一九九六六号、第一九九六九号」読売新聞社
   1932(昭和7)年9月16日、17日、20日
初出:「読売新聞 第一九九六五号、第一九九六六号、第一九九六九号」読売新聞社
   1932(昭和7)年9月16日、17日、20日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月1日作成
2016年5月9日修正
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