五月六日

牧野信一




 一ぺん朝はやく起きたのであつたが、ゆうべから読みかけてゐた「ライネケの話」といふおとぎばなしを感心しながら読んでゐるうちに、うと/\してしまつて風谷龍吉君に起されると、お午だつた。風谷君はこのあひだうち水戸へ行つてゐた時から知り合ひとなつた高等学校の生徒である。古いアメリカ版のお伽ばなし集で、作者の名前が誌してないのだが、どうもこれはゲーテ作のやうな気がするので、龍吉君に質問したが知らぬといふ。挿絵が気に入つたと云つていつまでも龍吉君はそれを手から離さぬので進呈する。
 間もなく子供が学校から帰つて来て、おばあさんから手紙が来てゐるので、これから小田原(故郷)へ行くのだといふ。なるほど五月のお節句かと気がついた。ちかごろ母との便りの往復は子供ばかりである。家内が土産ものをあれこれと苦労するのだが、何も買へさうもないのでだまつてゐた。龍吉君は二階でごろりとして雑誌を読んでゐるので、子供をおくりかた/″\外へ出る。汽車など平気だと子供が云ふので、田町九丁目で別々のバスに乗る。新橋で降りて文藝春秋社へ赴く。武内君に会つて、ひとから頼まれてゐる出版の校正についてはなしをする。ライネケのことを多田君に訊ねると、やはりゲーテだらうといふ答へをうけ、想像したことがうまくあたつたと思つて、非常に愉快になつた。直ぐにうちへ帰つた。筍の皮をむいてゐる家内が帰りのはやいことにおどろいた。やはり水戸の学生である大津八郎君が来てゐて龍吉君とトランプを戦はせてゐた。八郎君は苦学生で何か仕事はないかといふのであつたが、いくら考へても見当がつかなかつた。筍と豆腐とで晩めしを喰ひ、勝手口に錠をおろして芝浦へ散歩に行く。貨物船を見る。サーカスを見ておもしろかつたといふと龍吉君と八郎君が這入りたい這入りたいといふので五十銭の切符を買つてやる。
 帰つて仕事をするのかと思ふと非常に気分がうごかず、三田に来て片岡千恵蔵の活動に這入つた。千恵蔵は立派で綺麗だが「堀田隼人」とかいふ物語の筋がごた/\してゐておもしろくないので、出ようと促すのだが家内は動かなかつた。とう/\終ひまで観て外へ出ると、慶應柔道部の四段の学生である石井君に遇ふ。伴れと下宿を探してゐるのだと云ふので、近いうちの会飲を約して別れる。聖坂をぶら/\歩いて、だんだん吾家が近づくに伴れて歩どりがのろくなり、時々立ちどまつては考へ深気に空をあをいだり地面を視詰めたりすると、家内は酒を欲しはぢめたのだらうと怪しみ見ぬふりをして先へ立つてゆく。おこつた声を出してステツキで地面を叩いたりしたが、家内は平気で横丁をまがり石段をあがつて行つてしまつた。ふところ手をして街の灯を見降してゐると、門口かどぐちの方からがや/\といふ人声がするので行つて見ると、新進作家の矢車凡太と波野大吉と、早稲田と帝大の学生である谷口三治、小原一郎、新海虎雄君等の五人が酔ひ疲れた格構でふら/\してゐた。急に元気になつて、みんなに握手などした。そして坂下の、酒も食ひものも絶世の悪味だといふので普段から誰もがたぢろぐすしやへ案内した。
 皆なは、さすがの悪味に辟易したのか飲めさうもなく白けたのに、こつちはひとりで大馬鹿なことばかり喋舌りながら憎態に大きな徳利を五六本も空にしたといふ。二時過ぎとなり、皆な泊ることゝなり、おぼろ月夜の段々坂をかつぎあげられた。





底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房
   2002(平成14)年7月20日初版第1刷
底本の親本:「文藝首都 第一巻第六号(六月号)」文學クオタリイ社
   1933(昭和8)年6月1日発行
初出:「文藝首都 第一巻第六号(六月号)」文學クオタリイ社
   1933(昭和8)年6月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月1日作成
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