魚籃坂にて

牧野信一




 魚籃坂に住んで二度目の夏を迎へるわけだが、割合にこのあたりは住み心地が佳いのだらうか、何時何処に移つても直ぐその翌日あたりから、さてこの次は何処に住まうかといふやうなことを考へはじめるのが癖なのに、そしてひとりでそつと上眼をつかひながら、放浪といふ言葉などを想ひ描いて切なく寂し気な夢を追ふのが癖なのに、珍らしくもあまり引越しのことなどは考へずに――また夏となつた。寺町で樹木が多いので到底市中とは思はれぬやうな昆虫類が棲息して去年は美しい鱗翅、脈翅、有吻、鞘翅、膜翅の類ひを居ながらにして八十種あまり採集した。甲虫や玉虫やサイカチなどの類ひが、こんなところでこんなに採れるのかと標本を拵へて見て今更の如く驚いた位ゐであつた。僕は飛びまはる虫を捕獲したり発見するのは寧ろ不得意であるが、標本の製作は仲々適確で、最も古いのは二十年あまり以前の製作品を、僕からその頃寄贈されたまゝ今なほそれは完全を保つて客間や書斎の壁飾りにしてゐる知友を四五人も数へることが出来る。キリギリス、バツタ、スヾムシ、マツムシ、クツハムシ、ケラ、コホロギ、カマキリなどゝいふ難渋な直翅類の標本でも、いさゝかな変色もなく、或る種は翅をひろげ、触手を張り、脚を伸して恰も生けるが如き恰好を保つてゐるのである。去年の甲虫や玉虫やそして膜翅ハチの類ひを完全な一箱にして、ミセス・ナンシーといふアメリカの友達に贈つたら、恰度虫類を模造した帽子ピンや指輪や襟止めがハヤつてゐるところで、特に美しい日本の珍品――蜂類がもてはやされて、あちこちで見本にされた、来年の夏は別種のものを再び切望してゐる、あたしの親愛なる藪蔭の友よ――と書いて新型の誘蛾灯を送つて寄越した。
 僕はクマバチに頬つぺたを刺されたので蜂類の採集は苦手であるが、去年の時は主に正ちやんが採つて呉れた。夏になると僕の二階は暑過ぎて困るので、泉岳寺の裏山の窪地にある花屋の二階を借りるのであつたが、正ちやんはその隣りの息子で去年尋常六年生だつた。学校の庭で毎朝ラヂオ体操があるから一処に行かうと彼は毎朝早く僕と僕の子供を起しに来るのであつたが、僕はつい朝寝をしてしまつて三回しか同行出来なかつた。然も僕は多くの老若が勢ぞろひをして手振り足振りおもしろくをどつてゐるさまは、見物だけで涙が出るほど嬉しくあつたが、とてもその仲間に加はつて、あんなに凜たる表情で体操するなんていふことは健康などは関つてゐられない位ゐ恐縮するばかりであつた。正ちやんは体操の帰りに僕の家に寄り終日遊んで行くのが習慣だつた。彼は虫を採るのが天才であつた。僕には玉虫や甲虫は容易に見付からぬのであるが、彼が近所の寺の境内を一巡して空しく戻つて来る験しはなかつた。その上、正ちやんのお母さんは御殿の草とりに雇はれてゐて、正ちやんは弁当を運ぶので、いつもそのついでに、三本の尾が躯の六倍も長いウマノヲバチや、鼈甲色のベツコウバチや、怖ろしいクマバチや、トクリバチの巣などを採つて来て呉れるのであつた。正ちやんについて行けば御殿のお庭までも這入れるから案内しようと屡々促されたが、僕は畏れ多いので遠慮はしたものゝ、彼の帰りが待ち切れないで胸をわく/\させながら御門外で待ち構へるのであつた。翅のすきとほつたスヾメ蛾、大きな紫翅のオホムラサキ、コムラサキのまぼろしのやうに翅の色を光りに反射して奇怪な明暗を浮べるものや、銀色の鐙兜をつけたスパルタのナイトのやうに颯爽たるカミキリムシや、鋏のやうなノコギリクワガタなど悉く正ちやんの採集に寄るものであつた。
 僕には昔から一度もつかまへることが出来なかつた「シヤアシヤア蝉」とヒグラシが正ちやんのお蔭で標本箱に収まり、もう二学期の学校が始まるねと云ふと、彼はこの夏で学校は止めて神田の或る蓄音機の箱をつくる工場に奉公へ行くことになつてゐるのだと云つた。そして間もなく彼は訪れなくなつたので、花屋の帰りに安否を伺ひに尋ねると、冬の頃折々途上で顔を見知つてゐた夜番の人が現はれて、正平の父であると云ひ、倅は卒業も待てずに奉公に出し、今日は第一の休日で角帯を絞めて帰つて来たがと述べた。家に戻つて見ると、袂のついた縞の着物に角帯を絞めた正ちやんが、僕の机の上のスタンド・ランプの傍らで僕の子と共に絵本を開いてゐた。ランプのまはりには米つき虫や風船虫が切りに飛びまはつてゐて、正ちやんはぼんやりそれを眺めてゐたが、不図僕の跫音をきくと、慌てゝ絵本の上に眼をおとして決して顔をあげなかつた。
 これはずつと後になつて――今年の春頃になつて花屋の人から聞いたのであるが、正ちやんのお父さんは毎年夏になると仕事が無くて、あかりを消されるのだといふことであつた。僕は余程迂闊であつたと思つた。いつか正ちやんのことを訊ねに寄つた時、もうあたりはとつぷりと暮れてゐたのに家の中は暗く、露路の涼台で正ちやんのお父さんが子供たちに滑稽なお伽噺を聞かせてゐたが、僕とのはなしが始まると、朝は早いのだから直ぐにおやすみよと小さな子息たちを家へ入れ、そのまゝ涼台ではなしつゞけたのだつたが、そんな理由があつたのかと気がついた。
 そろ/\僕の二階は暑くなつて来たので、今年は正ちやんの家の二階を借りることを頼むと、滑稽なお伽噺の種もつきて今年は何うして夕暮時の子供達を慰めようと惑ふてゐたところだから、それは寧ろ幸ひだと老主人は喜んで呉れた。僕は避暑などに行かれる境涯でなし、また山や海も別段に恋しくなく寧ろ夏の東京を好む者であるから、此処を借り通す考へである。恰度この頃月が落ちて湿に充ちた夜が続くので崖下の草むらにカーテンを立てゝこれから誘蛾灯を灯さうとしてゐるところである。活動が始まるのか知らと童達が騒いでゐる。これは炭素棒を応用した灯火で適度に光度が調節出来て凡そ二百燭光までの灰白光を放つて夜間採集には甚だ便利らしいが、それよりも僕は今、こゝを立退く時に、正ちやんにこれを贈る約束がしてあつたからと云つたらおだやかであらうか、それでも露骨過ぎるか? などと、この家にこれを寄贈してゆかうと決めて、その時のさりげなさ気な言葉を考へてゐるのである。そして、それとなく主人夫妻にランプの使用法を教授するのであつた。





底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房
   2002(平成14)年7月20日初版第1刷
底本の親本:「文藝春秋 第十一巻第八号(八月号)」文藝春秋社
   1933(昭和8)年8月1日発行
初出:「文藝春秋 第十一巻第八号(八月号)」文藝春秋社
   1933(昭和8)年8月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月1日作成
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