痩身記

牧野信一





 この間うち、東京へ行つてゐた時、不図途上で、坪田譲治氏に出遇つた。坪田氏とは、会合などの時に二三度お目にかゝつたくらゐで、大森にゐたころ訪問を享けたこともあつたが、わたしがあちこちを転々としてゐるために、機会を得たいと思ひながら、その折を見出せなかつた。といふのは、わたしは坪田氏の作品は可成り久しい前から、主にその短篇を折に触れては愛読し、余程の親しみを感じてゐたので、大森でお目にかゝつた時にも満腔の悦びを感じ、却つてはなし足りぬものを覚えて、やがて、うらゝかな田甫道などを鳥や草や魚のことなどを語らひながら漫歩のかなふ日を自然と期待するやうな夢を抱いたのである。わたしは動ともすれば酒を飲むより他には何の能もなく、病気になどなつて、それがかなはぬやうな状態になど出遇ふと、全く何うすることも出来なくなり、その癖、人里離れた森蔭の水車小屋に住んだり、灯台のあかり一つより他には、自分の咳ばらひだけで人の気はひもない島の崖ぶちにラムプをともしたりしてゐるのであつたが、さて、たつたひとりで、杖でも曳いてあちらこちらを歩いて見ようかといふ段になると、何故か――といふよりも、それは未だ自分にさういふ折々の途方もない哀しさや忙しさに堪えるほどの胸が不足してゐるのだと思ふのであるが、どうにも漫然たる自分の姿を風物の中に手離すのが適はなくなつてしまふのであつた。それだけにわたしの孤独への憧れは一段と逞しく翼を伸べるわけでもあつた。自分のやうに、にぎやか好きな男にとつては、在りのまゝなる孤独に堪えることより他には、烈々たる寒風に吹き荒まれて目のあたりに魂を引き千断られる思ひの切実なる寂寞と、澎湃たる絶望感とに沈湎して骨にならぬ限りは拓かるべき道もないとおもつてわたしはあのやうな山径ばかりを転々としてゐるのであるが、何処に住んでも到底心から、身をもつて風物に溶け込むだけの雅量が見出し難かつた。
 坪田譲治氏の作品から享ける切々たる哀感は常にわたしの胸に痛かつた。嘉村礒多氏のものから享ける切端詰つた人生の怖るべき憂鬱と、坪田氏のものから迫られる極みなきペーソスには往々わたしは、息苦しくなつた。恰もそれは、わたしがいつもたつたひとりで、森蔭の径や川のほとりをさ迷うとして、途中まで出かけて、意気地なくも慌てゝ引き返すと、しやにむに酒をあをつてしまはずには居られないといふやうな思ひであつた。
「私だつて左うですよ。こんな風にはなしながら歩いてゐると、こんなに呑気さうになつて来るけれど、ひとりでは、もう、とても/\……」
 と嘉村礒多君はわらつたことがある。わたしは嘉村君と、天気の好い日などに、しばしばあてどもなく町中を歩いて、やがて野原に出て日暮時になり、更にまた電車のなくなるまでも街々を歩き、さういふ時には哀しさも忘れて、却つて得難いのびやかさを味はつたことが屡々だつた。


 ところでわたしは、坪田氏の「お化の世界」といふ作品に出会つて、酷く沮喪したあたまで、創作月評といふやうなものを書いてゐた折から、何か余程気短な感動といふやうなものばかりを期待し過ぎてゐたとでも云ふのであつたらう――おそらく長い間のいばらの道を通りつゞけて来た此素朴純粋なる作家の幸福を祈らうとするおもひが一杯であつたにも係はらず、それらのことを述べようとする前に、その作品からの不満のやうな言葉ばかりを書き連ねてしまつたのである。で、それが気になつてゐたので、その時坪田氏に出遇ふと、ひそかなる悦びを云はうとする前に、そのことを白状せずには居られなかつた。――そして再会を約して、わずかな間の立ちばなしから別れたのであつたが、それからといふもの次第にその作品のことがあたまに拡がりはじめ、左うすると、刻々に、その作中の人物やら場面やらが夢のやうに美しく怪く浮彫になつて来て、これはやはり、とても得難い作品であつたといふことが、震える胸に鳴り出すのであつた。
 人の気合ひもない寂しい川のほとりや、森の蔭などをわたしはひとりで歩かうとしながら、いつも途中で、それに堪えられなくつて引き返してしまふ意久地なさと、そして風物自然の美しさを見損なつた夢をふつふつと嘆いてゐるわれながらの至らざるおもひと、恰度同じように、その作の不思議なる美しさやおもしろさを見損なつたのである。思ひ出すに従つて、風趣が増して来るほどの作品こそ、文学に求めるわれ/\の望みに違ひなく、やうやくわたしは後になつて、満足の度があきらかとなり、うつかりとはじめに不平めいたことを洩らしたのは、稍ともすれば、われながらの孤独感や虚無感などを凝つとひとりで堪え損なひ、天地自然の哀切なるものに応へようとする挨拶のことばさへ見失つてしまふ普段の愚かさを愧ぢたのであつた。おそらく、切端詰つたかの如きあはたゞしい時間の中で、愴たゞしく読んで、慌たゞしく不得意なる多くの「読後感」を書かうといふ場合でなかつたなら、そんな間違ひも起さなかつたであらうと唇を噛んで、潮鳴りの音に耳を傾けるのであつた。
 灯台の光りが暗い空に閃光をまたゝかせて、今宵はまた急に春とも思へぬ霙まぢりの吹き降りである。
 寞寂極まりもない奈落の淵に声ひとつたてることなしにラムプを点して、涯しもない絶望感に游泳する姿だけが、所詮はわたしの与へられた宿命に相違ないと、病体を養ひながら考へるのであるが、ひとたび家族のことに思ひを駆られはじめると、一体自分は何のために何を堪えようとしてゐるのかと疑はしくなるのであつた。既にして、堪えられぬものに追ひ立てられて、更に堪えられぬ孤独の中に逃避してゐるのではないかと思はれて来たりするのであつた。決して逃避とか独善とかとは思はぬのであるが、虚無感に追はれつゞけてゐる不具なる姿である限り、その周囲に家族さへも見出すことは堪えられぬ罪と感ぜられて、わたしはひとりで半島の果の島に落ちのびたことは事実である。せめて佗しき限りの家族の姿は共々に味はひ、自ずと涌き出ずる詩情を希ひたいと念ずるのであつたが、かれらの憂ひや笑ひを眼のあたりに眺めることが、既に堪えられぬ佗しさであつた。


 或る晩――それは何処を何う歩いた帰りがけだつたか、三四年前の寒い晩に、嘉村君とわたしは、吹きさらしの品川駅のプラツトホームに、肩をすぼめてしよんぼりと立つてゐたことがある。何をはなしてゐたか覚えはおぼろであるが、わたしたちは、しかし、何か切りと、とりとめもなく語り合つてゐて、そんなに夜が更けてゐるのに、未だ未だ帰らうともしないのであつた。わたしは、その時の、月に照らし出された光景が、はつきりと思ひ出されるのであるが、不図、今迄、漠然とした会話をとり交してゐたのに、嘉村君が突然身を震はせて、
「ねえ、何ももなく人生は斯んなに寂しくて何うなるものだらう……」
 と亢奮の、切なさうな声を発した。「この寂しさを何とかして下さい。どうすることも出来ないこの寂しさを――」
 と、まつたく悲痛といふより他はない不思議な調子で叫ぶと、力一杯わたしの手を握つた。――随分と異様な光景で、醒めたならば何んなに映るかも知れないようなものだが、その時もわたしは、そして後になつて秘かに思ひ出しても、いかにもそれがわれわれにとつての自然のことゝ、繰返されるより他はなく、わたしもまたその時、とても異様な声で、
「誰かに何とかして貰はずには居られない、あゝ、あゝ……」
 と唸つてゐたのである。哀しいとか、佗しいなどゝいふことはわたしは文字を誌すにも控たいやうな言葉なのであるが、その時はそんな大きな声でまぢまぢと云ひ放つても、余外な神経も現れず、おそらく傍人の眼には滑稽に見えたであらうほど、大胆に哀しく、わたしはまつたくのしらふの眼で凝つと空を見あげてゐた。「誰かに」「誰かに――」と名をもとめる叫びは、われわれにとつては、畢竟文学以外の何ものでもないのであるが、往々にして相手の名前さへも見失つて、救はれざる不満の吐息を衝きがちなのである。わたしは――。わたし達はその時、そこで別れる筈だつたのを更に脚を伸ばして、宿場の三徳といふ家へ向つた。わたしが酔つて来ると、彼はいくらでも酔つた方が好いとすゝめながら、君が大いに金を儲けて酒池肉林の快楽に耽るところを見物したい――といふ意味などを冗談さうに云ふ程寛いだ。そして彼は、わたしの酔態をいたはるやうに眺めてゐたが、それから四五日たつて訪れて来ると、いきなり、先日酒池肉林云々と云つたことは改めてとり消す、あの時は何か左ういふ華やかなことでも希つてやりたいやうな不満と慊らなさを思つたので、うつかりと不平などを込めて云つたのであつたが、凡そ君には不適当な――自分の過言だつたから! と自身をたしなめるやうな眼で云ひ直した。
 こんなことを書いてゐるうちに、吹き降りの夜があけると、磯の方から出船の貝笛の音が聞えて来る。どうやらわたしは、文学の名さへも見失つて、人生の疑惑に迷ひがちであるが、島流れの憂身には否応もなく堪えられさうな気分も動き、この分なら家族を呼び寄せても、ともかくこれらの風景の中に「家族」となら辛抱も適ひさうな陽気も湧くのであつた。それは然し或る魂の発展とは云ひ憎く、夙に島の風景が明るく、爽かな季節であるからなのだ。たゞそれだけのことなのだ。





底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房
   2003(平成15)年5月10日初版第1刷
底本の親本:「都新聞 第一七〇二四号〜第一七〇二六号」都新聞社
   1935(昭和10)年4月7日〜9日
初出:「都新聞 第一七〇二四号〜第一七〇二六号」都新聞社
   1935(昭和10)年4月7日〜9日
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年9月30日作成
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