初夏

牧野信一




 私が中学の三年の時でした。私の親友の河田が、突然自家うちの都合で遠方へ行かなければならなくなりました。河田とは小学校以来のたつたひとりの親友でしたから、私はその別れを何れ程悲しむだか知れませんでした。
 河田と私とは学校の野球の選手でした。河田が居なくなつて仕舞つた、と思ふと、私はもう野球などやる元気はなくなつて了ひました。次の土曜日に対校仕合があるので、学校の運動場では毎日猛烈な練習が始つてゐて、私もどうしてもそれには出なければならなかつたのですが、私は少しも張合がなく、二三日前から運動場へ姿を現さなかつたのです。他の球友達も心配して毎日のやうに大勢が訪ねて呉れるのでしたが、やはり私の心を知つてゐるものですからすゝめる事も出来ず、しほ/\としてゐるばかりなのです。その同情深い球友達に接すると、私はどうしていゝかわからなくなる程、たゞ悲しさばかりが込み上げて来るのでした。私が出なければ私に代るべき捕手のない事も私は充分承知はしてゐたのでした。
「あゝ、つまらないな。」と私は思はず溜息を洩らしました。私の書斎には、土によごれたユニフオームが淋しく懸つて居りました。当り前ならバツトやボールと一緒に物置の隅に投げ込むで置くのでしたが、もうそれを着て河田と輝かしいスタンドに立つことも出来ないかと思ふと、それが河田との紀念のやうにさへ思はれて、はかないものとは思ひながらもさうして置かずには居られなかつたのです。机の前から凝と思ひ出の深いユニフオームを瞶めてゐると、幻の中だけでは喜ばしい心になることが出来たのです。
 野球の事ばかりではありませんでした、河田と私との間にはその他に思ひ出せば種々なことがありました。
 ――丁度前の年の夏の事でした。その年に初めて私達の学校では水泳部がもうけられて、有志の学生だけが、教師に引率されて或遠方の海浜へ出掛けることになつたのです。
 私は、どうしてもその水泳部に加はりたかつたので、河田はさして行きたがつても居なかつたのを、無理に、「何だ元気のない。」などと説き落して、二人はそれに加はりました。私達は真黒になることばかりを誇り合つて毎日を愉快に暮しました。
 ある朝のことでした。海は紺碧に澄み渡つて、一点の雲さへ見えぬ穏かな空で、白鳥は地平線に呑まれる迄はるかに見かすむで、半島が絵のやうに薄紫に煙つて居りました。
「ボートで遠乗をしようか。」と河田は海辺の舟に腰掛けて、その美しい海面を見渡しながら云ひました。私は直ぐに賛成しました。
 二人乗の小さなボートに乗つて、私達は空と同じやうに晴れ渡つた美しい心で、「夏は――夏は、鴎とぶ品川へ……」などと歌ひながら沖へ沖へと進んで行きました。そんな好い天気なものでしたから、他にも沢山な漁船やらボートなどが木の葉のやうに浮いて居りました。
 私達は沖へ遠く出る事に小さな誇さへ感じて居りましたもので、腕にまかせてどんどんと漕いで行きました。いつの間にか余程遠くに乗り出たと見へて、私達の周囲には少しばかりの漁船が見へるきりで、ボートなどは殆ど見あたらなくなりました。と見ればはるか彼方に夢の国のやうにたつた今乗り出した渚が淡くかすんで居りました。
 と、一町ばかり先に見ゆる一艘の漁船が、今迄ジツト止つてゐたにも拘らず急に動き始めました。するとその附近の舟も一斉にその後を追ふやうに走り出すのでした。
「どうしたのだらう。」と河田は少しばかり不安な色を示して言ひました。
「大方もう朝の漁が終つて帰り始めたのだらう。どうしても漁師には適はないね、僕達にはとてもあんなに早くは漕げないね。」と私は感心してその方を見て居りました。
「もう、そろそろ僕達も帰るとしようか。」
「まだいゝや、もう暫く此の辺で休まうや。」などと私達はオールを離して話し合つて居りました。
 でも、余り愚図々々してゐて、先生達が心配するといけないから、と云ふので、私達は悠長な漕ぎ方で静かにボートを陸の方へ返し始めました。
 その時! 海には充分慣れてゐる河田が、突然、何を見たのか、顔色を変へて、
「アツ、大変だ!」と叫むで、もう少しでオールを流してしまふところを、私が辛くも取り止めました。
「大変だ! 大変だ!」と河田は夢中になつて叫ぶのでした。
「えツ!」と私はその方を見ましたが、私には何が何だか少しもわかりませんでした。
「鮫だ、鮫だ。」と河田が云ふのでさすがに驚いて先方を見ると、成程大きなうねりがおしよせて来る。私も初めて慄然とした……。
 青白い魚の背が現れて、一群になつたなぶらは渦をなして、此方に向つて来る。――何とも云へない怖ろしいうなりの響までが聞えて来た。周囲が穏かなので、その光景は見るからに怖ろしいものだつた。
 河田の眼は血走つて居ました。おそらく私のもさうだつたらう、度胸がないと云つて笑はれても仕方がないが、事実その時は刃のやうな寒さが全身に漲つて、口唇も紫色に変つた。握り拳はぶる/\とわなゝいてゐた。もう二人とも言語ことばを発するどころの騒ぎではなかつた。氷つたやうに夢中でオールに噛り付いた。
 小さな岩影にやつとたどり付いた迄、殆ど無意識だつた。岩の上にやうやく登り得た時初めて夢から醒めた気持がした。
 物凄い海のおもてを覗いて、私と河田とは思はず抱き合つた。もう鮫は見えなかつたが、穏かな海が悪魔のやうに怖ろしかつた。――河田と私の頬にはひとりでに涙が流れて居りました。
 本部から来た小舟に探し出されて、伴れ帰られた時は、二人とも死んだやうに疲れて居りました。夕陽の色彩いろどりが西の空に滲むだ頃でした。私達は鮫の事は誰れにも語りませんでした。――無断で遠乗などに出たといふ廉で、私達は学校へ帰つてから一週間の停学に処せられました。毎日河田と行つたり来たりして、停学といふ事はそれ程悲しみませんでしたが、その時のおそろしかつたことなどを今更のやうに話し合ひました。
 こんなことも私と河田とを一層親密にしたとも見られました。
 私は書斎の窓に腰かけて、ふとその頃のことを想ひ出して居りました。いつまで、そんな想ひに耽つてゐても限りがないやと、私は自分の心を紛らさうとしていつそ運動場へ行つて練習でもして見ようかと思ひました。
 で、私は壁からユニフオームを取つて身に纏ひました。すると割合に晴々した気持になる事が出来て、この分なら仕合にも出られさうだ、といふ気さへしました。
 私は帽子を眼深にかぶつて、バツトを抱いて家を出ました。私の姿を見出した友達は「よく来て呉れた。」と云つて私の手を取つて喜びました。丁度ノツクの練習をしてゐたところで、今度は私に打つて呉れと云ふのでした。運動場の周囲の青葉には清新な香の満ちてゐる風薫る頃でした。
 私はダイヤモンドに立つて、全身に力をこめて強くノツクバツトを振りました。私の打つたボールは高く/\初夏の青空へ飛びました。私はそのボールを静な心で見上げてゐました。飛むだ球と一緒に私の悲しみも消えてゆくやうにさへ思はれました。私は河田のことを忘れたのではありませんが、そんな少さな悲しみよりも、はるかに大きなある力をその刹那にふと感じたのでした。
「この分では試合に出てきつと勝つて見せるぞ。」と私は胸に呟きながら、その次の球を更に力強く打ち上げました。球は、また高く、澄むだ空にコーンと鳴つて飛むでゆきました。





底本:「牧野信一全集第一巻」筑摩書房
   2002(平成14)年8月20日初版第1刷
底本の親本:「少年 第二〇三号(星の秘密号 七月号)」時事新報社
   1920(大正9)年6月8日発行
初出:「少年 第二〇三号(星の秘密号 七月号)」時事新報社
   1920(大正9)年6月8日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年5月6日作成
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