周一と空気銃とハーモニカ

牧野信一





 周一は、今年のお年玉に叔父さんから空気銃を貰つた。去年から欲しがつてゐたものだつたが、危いから駄目だ/\と云はれて、父からも母からも許されなかつた。その代りクリスマスの日に母から立派なハーモニカを買つて貰つたのであつた。
 周一は、ハーモニカに直ぐ飽きてしまつた。何故かなら、一月もかゝつていくら一所懸命に吹いて見ても、やさしい唱歌さへ吹けなかつたからだ。
「ねえお母さん、今度の日曜に、お隣りの健ちやんと一緒なら、空気銃を持つて山の方へ遊びに行つてもいゝ?」
 ある日周一は、もうどうしても空気銃が使つて見たくて堪らなくなつて、茶の間で縫物をしてゐた母の傍へ駆け寄つて斯う云つた。
「空気銃?」と、母は縫物の手を止めて、眼を丸くして聞返した。
「えゝ。」といつた周一は、これはとても駄目らしいぞと気付いたが、事更にきつぱりと、
「だつて健ちやんと一緒ならいゝでせう。」と云つた。母は黙つてゐた。
「ね、いゝでせう?」
「お父さんにお訊ねして御覧なさい。」
「ぢやお父さんが好いとおつしやつたら好いの?」
 母の機嫌は益々悪く見えた。周一はもう泣き出したいやうな気持になつて、たゞ無暗と鼻をならしてゐた。
 庭で草花の手入れをしてゐた父が、その様子を見ると、莨を喫しながら縁端へ来て腰をかけた。
「ぢやいゝだらう。もう一つ年を取つたんだから間違ひもあるまい。お隣の健ちやんと一緒だね。」
「えゝ、さう。」と周一は、思はず飛びあがるやうに元気よく叫んだ。
「お前に鳥なんか打てるものですか、他所の硝子でも割るのが関の山だよ。」と母は笑つたが、周一はもう嬉しくつて/\、母の言葉なんか耳に入らなかつた。
「山へ行くんだ。裏の山へ行くんだ。レオ(犬の名)も一緒に伴れてつて……」と、周一は急いで自分の部屋に駆け込んだ。


 その晩周一は、空気銃を枕もとに置いて寝た。
 翌朝は蒼々と晴れて、冬とは思へぬ位暖い日であつた。
 朝早く起きた周一は、朝飯をそこそこに済ますと庭へ出て、レオの首に鎖をつけた。ところが首に鎖など付けられたことのないレオは、いくら周一がムキになつて引ツ張らうとしても一足も歩かない。後脚をふんばつてクンクン鳴きながら無暗に抵抗した。猟に行くにはどうしても猟犬がなくつては駄目だと思つてゐる周一は、両腕に力を込めてウン/\いひながら引ツ張つて見たが、どうしても来ないので、しまひには諦めたか、レオの首から鎖をはづし、「馬鹿レオ!」と、云つて犬の頭をポカリと叩いた。
 周一は、兵隊さんのやうに空気銃を肩に担いで、スタスタと歩き出した。すると其の後からレオは、今度は呼びもしないのに尾を振つて、周一の脚にからまるやうについて来るのだつた。
「いゝ空気銃だなア。」
 周一よりも三つも年上の健ちやんは、周一の手から空気銃を取つて、一寸狙つて見た。さうして、パチンと一つ空弾からだまを打つて、「狙ひも確かだ。」と云つた。
「でもね周ちやん、いくら鉄砲がよくても、君にはとても雀は打てないから、俺が打つてやらア。さア裏の方に行つて見よう。」
 健ちやんは空気銃を軽く右手にさげて歩き出した。周一は手持ぶさたになつたので、懐手をしながら随いて行つた。
「周ちやん、レオも一緒に伴れてつて鳥を拾はせようぢやないか。君、レオの番人におなりよ。」
「厭だア。」
「ぢやね、俺らは鉄砲打になるから、君は殿様にならないか。それならいゝだらう。」といひながら、銃を右手にもちかへた。ニツケルの銃身に朝陽がキラキラと反射する。
「僕、殿様なんて厭だア。鉄砲打ちの方がいゝや。」と周一は不平さうに云つた。
「チエツ! そんなら君はたつた一発で雀が落せるかい? 鳥が打てない猟人かりうどは、殿様から直ぐ免職されちまふぜ。」
 健ちやんが云ふとほり、周一にはとてもそんな自信は持てなかつたから、不性無性に黙つてしまつた。
「あゝ居る居る!」と云つて健ちやんは立ち止つた。三間ばかり先の黒塀の上に雀が一羽居た。健ちやんは慎重に狙ひをつけた。瞬間、パチンといふ音が周一の耳に響いた。同時に雀はすツと飛び去つた。
「初めは試しだよ。この位利けば百舌鳥位ゐ落せる。」と、健ちやんは顔を赤くしながら、負け惜しみを云つた。


 凍つた田の中や、小山の欅の間をさんざん歩き廻つたが、健ちやんには雀一羽すら落せなかつた。
「この鉄砲は少し狙ひが悪いよ。はじめいゝと思つたが――」と健ちやんは云つた。
 丁度その時、直ぐ眼の前の小さな樫の木の枝に、雀が二三羽止つてゐた。
「健ちやん、僕に一度借して御覧!」と周一は思ひ切つて云つた。
「駄目だよ、俺らにさへ当らないんだもの、君になんて何が当るものか。」
「でもいゝから一度やらせておくれよ。」
「打ちよい処に居るんだが、此奴を逃してしまふのは一寸おしいなア! それに向ふに家があるから危ないぜ。」
 それでも漸くのことで健ちやんは、周一に空気銃を返した。――周一だつて、とても自分に当るとは思つてゐなかつたが、折角許された鉄砲を、他人にばかり使はれるのが癪であつた。
「おい、そんな狙ひぢや駄目だよ。腕を延ばして、脚をもつと踏ン張つて、さうして息を大きくして吸ひ込む時に引金を引くんだぜ。」
「かうかい。」
「まアいゝから早くやつてしまひなよ。どうせ逃す為に打つんだから――」
 周一は息を殺して狙つた。筒先が微かに震えるのがはつきり解つた。それを圧えようとすればする程震えるのだつた。周一は片眼を確りと閉ぢた。当らないでも関はない――と彼は思つた。
「早く早く、そんなに長く狙つてゐると、却つて見当が狂つてしまふ。いゝ加減にして……」と健ちやんは傍から切りにせきたてた。
 周一は、思ひきつてパチンと引金を引いた。とたんに
「ヤツ落ちた/\。」と叫んで健ちやんが駆出したので、周一は始めて吾に返つたやうな気がした。
「紛れ当りだ。」と健ちやんは云つた。健ちやんの手に拾ひあげられた雀は、力なくはねを働かせてゐたが、間もなくジツとしてしまつた。
 周一はニコニコしながら雀をうけ取つた。その胸のあたりは未だ暖かかつた。
「初めてだね、今日……」と、周一が得意気にさう云ふと、健ちやんは急に不機嫌さうな顔をして、
「近いんだもの、あれなら誰だつて打てらア!」と云つた。
 周一は、自分の手に握つてゐる雀が、だんだん冷くなつて来るのを感じた。それと同時に、たつた今迄誇り気に思つてゐた気持が、次第に寂しく、そら悲しくなつて来るやうな気がした。
「ぢやこれから俺らがウンと打つて見せるよ。」健ちやんは周一の手から鉄砲を取つて、また歩き出さうとした。
「僕もう厭だア。」と突然周一は云つた。
「狡いや/\自分ばかりが打つたもので……それぢや勝逃げと同じだ。これからだよ。」と健ちやんは憤慨した。
 併し周一が厭だと云つたのは、さういふわけではなかつたのだ。自分が、もうこんなことをしてゐるのが厭になつたのだつた。
「でも、僕はもう厭なんだ、もう家に帰るんだ。」と周一はキツパリ云つた。健ちやんはすつかり怒つて、
「何だ、けちんぼう!」と云つた。
 周一は、言つても自分の今の気持が健ちやんには解らないと思つたから、黙つて空気銃を抱へて駆け出した。彼はたゞ堪らなく家へ帰りたかつたのだ。
「晩に雀が化けて出るぞ。」と、健ちやんが、後から大声で呶鳴ツた。周一の胸はドキツと鳴つた。さつきから気になつてゐた不安はそのことだつたやうな気がした。
「化けるもんか!」と云ひ返して、雀を健ちやんの方へ投げつけて一散にまた駆出した。
「やアい意気地なし、嚇かしたらほんとにしやアがつて、馬鹿やい! 俺らが家へ持つてつて焼いて食つてやらア、うまい/\。」と云つて、健ちやんは嬉しさうに雀を拾つた。
 翌日から周一は、空気銃にはさはらなかつた。
 彼は自家の中でハーモニカを吹いて独りで遊んだ。
 それから二日目には、周一は「もしもし亀よ」が上手に吹けるようになつて、母から賞められた。





底本:「牧野信一全集第一巻」筑摩書房
   2002(平成14)年8月20日初版第1刷
底本の親本:「少年 第二三六号(四月号)」時事新報社
   1923(大正12)年3月8日発行
初出:「少年 第二三六号(四月号)」時事新報社
   1923(大正12)年3月8日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年5月6日作成
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