赤い鳥居

田山録弥





 静夫はその高台のどんな細い道をもよく知つてゐた。そこを出れば坂がある。丘がある。林がある。その林は疎らで、下にはかやや薄が生えてゐる。その薄の白い穂に夕日が銀のやうに光つて見えてゐる。さうかと思ふと、初夏の頃などには、浅い淡い緑がこんもりと丘を包んでそれが晴れた空にまりかなんぞのやうにくつきりとされてゐるのが手に取るやうに眺められた。かれは何遍そこから川の方へと下りて行つたか知れなかつた。
 しかし坂を下りても川はすぐには見えはしないのであつた。もし、そこに帆が浮んでゐなかつたならば――緩く垂れた、または大きく孕んだ帆が見えてゐなかつたならば、誰でもそこにさうした大きな川が溶々として流れてゐるとは夢にも思はなかつたであらう。否、丘の裾に添つたやうな道をぐるぐると廻るやうに、行つても行つてもその岸には出ずに、却つて反対に松の木の疎らに生えた丘の上へと出て行くのを見るであらう。そしてその上り切つたところで、始めて布を引いたやうな大きな川に接して、その眺めの美しいのに眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)るであらう。しかし静夫に取つては、さうした誰でもが喜ぶやうな美しい眺めよりも、却つて林の中や森の下道や赤く一ところ抉られたやうになつてゐる絶壁きりざしの方が好ましいらしく、そこに来てもいつもちよつと立留つて一目眺めただけで、そのまゝ街道を向うの方へと歩いて行くのが例であつた。
 で、その街道――それも時に由つては、此方から向うに越して行く車やら荷馬車やら乗合自動車やらの轍のために泥濘が深くこね返されて、それを拾つて歩くのにも容易でないのであつたが、その深い幾条いくすぢかの泥濘の轍の中にも、かれはその美しい幻影イリユウジヨンぜることが出来た。かれはそこにその眼を見た。その眉を見た。その豊かな白い頬を見た。


 その街道を八分通り上つたところから、赤土の崖になつてゐるところをひよいとのぼると、疎らなひよろ松の林があつて、下草と言つてもさう沢山は生えてゐないのであつたが、そこに晩春の頃には、よく山木瓜やまぼけの花が二つ三つ雑つて咲いてゐるのをかれは眼にした。かれは赤い田舎々々した花を採つてよくそれをその唇に当てた。
(何故、田舎に生立おひたつた娘だからいけないのだらう。何故あの都会の娘でなくてはならないのだらう。それは都会の娘は美しい。リフアインドされてゐる。しかしこの花のやうな無邪気さは、純粋さは全くなくなつてゐるのではないか。いくら美しくつても、そのまことの純なものを失つて了つてゐるではないか。)その花を唇に当てながら、そんなことをかれは思つた。何処に行つても、都会に行つても、学校に行つても、林の中に行つても、草藪の中に行つても、いつもかの女がゐるやうに、矢張そこにもそのなつかしいかの女がゐた。
 そこから少し行くと、疎らな松の幹の間に赤い小さな鳥居が見えて、その向うにさう大きくない稲荷の社が置かれてあつた。静夫にはその赤い小さい鳥居が際立つて眼についた。しかもそれは何故であるかは、かれにもわかつてゐなかつた。或は何処かの無名画家の小さな展覧会か何かで見た油絵の一小幀にそのシインが似てゐるので、それでその眼を惹いたかもわからない。それともまた、それから向うに松林がつゞいて、川がつゞいて、その下にかの女のゐる町の甍が見えてゐるためであつたかも知れない。それともまた、ある日そこに来て、深くかの女を思つた余りに、その祠の前に手を合せたためかも知れない。いつだつたかかれはその小さな鳥居の下で、三年も人知れず燃えてゐるその恋心をかの女に打明けてひざまづいて泣いた夢から愕然として覚めたことがあつたのを思ひ起した。その時、夢の中にも本当に泣いたと見えて、枕のきれが微かにぬれてゐたことを思ひ起した。
 そればかりではなかつた。かれはその小さい赤い鳥居を中心にして、さまざまな空想にも耽つた。かれはそこにかの女を伴れて来ることを想像した。そこまで誘ひ出して来るのはわけはない。あそこの窓の下に行つて、コトコトと叩いて、そこにその白い顔が出た時に、春の風のやうな微かな私語さゝやきを敢てさへすれば、それですぐにかの女は嬉々いそ/\として出て来るに相違ない。かう何遍思ひ立つてその窓の白い紙の前に行つたか知れなかつた。しかしつひに竟にそれは出来なかつた。臆病か。卑怯か。それともまたさうした恋心を日常の空想にして楽しんでゐるだけなのか。実行するほどまでにまだその恋は熱してゐないのか。否、否、そんなことはない。そんな軽薄な心ではない。またそんなに浅い恋でもない。もはやこのまゝでは生きてはゐられないくらゐ憂欝な心持である。それでゐながら何うして一歩を進めることが出来ないのか。矢張、その身自身は意識してゐないにしても、いざとなると都会の娘に馴れた眼がいつもそれを遮るのだ。否、否、かうして打明けない恋なればこそ、そこにも此処にも『詩』を描き出すことが出来たのではないか。この町も、この高台も、この林も、この草藪も何も彼もかの女の美しい面影で満たされて光り輝いてゐるのではないか。


 林を抜けたところに、あの日思ひもかけない静かな草原のあるのを発見して、静夫はそのまゝそこに身を倒して仰向けになつた。
 日は麗かにあたりに照つた。
 かれはじつと空を眺めた。春ではあるがよく晴れた空。かげろふのキラキラする空。一鳥の翼にすらその静けさを破られない空。それでゐて秋とは違つてわるく人の頭を重苦しく憂欝にさせずには置かないやうな空。かれはその空の中にはつきりとその眉を見た。その眼を見た。その笑顔ゑがほを見た。かれは際限がないやうな気がして、つとめてそれを打消さうとしたが、しかも容易にその姿はかれから離れて行かうとはしなかつた。
 起き返ると、そこからは沼が見えた。細長い沼が。芦荻の芽の青々と生えてゐる沼が。点描派の絵のやうに遠くにキラキラと日の光つて輝いてゐる沼が――。かれはその光線の中までもその自分の持つてゐる恋心が細かにちりばめられたやうに雑つて入つて行つてるのを感じた。何といふ美しさだらう。誰の絵にだつて、誰の詩にだつて、こんなに美しいものはあるまいと思つた。
 その癖かれはかうしてゐながらも、その美しさにだけ満足してゐるのではなかつた。かれはもつと暗い心持を、もつと憂欝な重苦しい心持を期待した。(その方が本当だ――かうしてあくがれてゐるのは表面に立つてゐる小波さゞなみのやうなものだ。恋とは美しき夢見て汚なきわざするものぞ。誰かかう言つたが、その汚なき業の方が本当なのだ。そのために美しい明るいイリユウジヨンが消えて行くのを恐れるのは卑怯だ)じつとかれはその遠い沼の閃輝かゞやきを見詰めた。
 到るところにその恋心のひろく展げられてあるのを、細かく織り込まれてあるのを、巧にられてあるのを静夫は見詰めた。恐らく普通の旅客が見たなら、こんなところはなんでもないだらう。この位の川や沼の眺めは何処にでもあると思つて、そゝくさと行き過ぎて了うのだらう。丘から丘へと縫つて行く道だつて、さう大して心を惹くには足らないだらう。しかし静夫にとつては、何も彼もなつかしかつた。道も、坂も、一軒の農家も、何も彼も――。
 かの女を知らない以前にあつては、坂の途中にあるその一軒の百姓家についても、かれは曾て一度だつて注意深い眼を向けたことはなかつた。そこには誰が住んでゐるかすらも知らなかつた。否、何ういふ人達が住んでゐやうと、そんなことは問題にすらならなかつた。ところが、今では静夫はそこに住んでゐる人達を知るやうになつた。新しい手拭を姐さんかぶりにして五月晴の暑い日に、父母と一緒に唐枷を麦に当てゝゐる頬の紅い娘のゐることをも知つた。否、ある日の午後には、その向うの丘のかげで、不意にその娘がかれの前をきまりわるさうに顔を赤くして通つて行くのに出会した。


 かれは夕飯ゆふめしをすますと、いつもきまつて丘の方へと出かけて来た。
 かれは裏の離れから、かの女のゐる窓の傍を通つて、その窓の紙の徒らに白いのをよそに、鞘豆さやまめの花の夕暮の空気の中に浮き出してゐるのを目にしながら、いつも悲しいやうな佗しいやうな心持で、裏の木戸をそつと押して、そして野の方へと出て来るのが常であつた。かれは一番先きに榛の並木のつゞいてゐる路を横ぎつて、夕暮の余照の中にくつきりと黒く見えてゐる笠のやうな形をした野中の一本松を前にしながら、俛首うつむきがちにてくてくと歩を運んで行つた。そしてその松の近くに行つて立留つて振返つた。
 そこからは町が見えた。半は甍で半を板葺きの田舎町が。白壁がをりをり交つてゐたりするジツクザツクした田舎町が。ついさきまで町の医者の二階のガラス窓に夕日が金属か何かのやうにピカと光つてゐたのであつたが、それも全く消えて、今は半ば※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)エルのやうな夕靄に包まれたその田舎町が。そしてその二階屋のその向うに見えてゐる瓦甍の家、そこにこそかの女はゐるのである。かの女の眉も髪も眼も心も何も彼もあるのであると思ふと、そこにぽつつり点されたともしびもかの女のあたりかと思はれて、堪らなくかれの心が惹かれた。かれは低声でハイネの恋の短曲を唄つた。
 しかもその夕暮の散歩には、かれはその高台の方までは行かなかつた。とつつきの丘の、その上から町の灯の美しく輝いて見られるあたりまで行つて、そこで足を留めて、ぢつと長く立尽した。かの女の家の屋根の上には、いつも見馴れた星がキラキラと一つ美しく輝いてゐた。(あの星がかの女を守つてゐる! かの女の美しさと純潔さとをいつまでもいつまでも守つてゐる……)かう考へると、静夫の心は堪らなくをどつた。


 さうして林の中を逍遙さまよつてゐる時にも、都会の女達の姿はをりをりかれの心を掠めて行かないではなかつた。かれは本郷あたりのカフヱで見た女を頭に描いた。眉の濃い、頬の豊かな、笑顔の美しい、耳かくしにつて巧みに髪をウエブさせた女、髪を短く断つて快活に街頭を歩いて行く女、電車の混雑の中にチラリと見た美しい眉……。さういふものが際限なくかれを蠱惑させた。
(何といふ操のない心だらう。それでもお前はかの女を愛してゐるといふのか。かの女でなくては、その恋を捧げるに値ひしてゐないと言ふのか。他にも美しいものが沢山あるではないか。そしてそれ等の美しいものが常にお前の心を引寄せてゐるではないか。操のない男の心! 放蕩にすらわけなく誘はれて行かないとは限らない男の心! それでもお前はかの女に値ひしてゐるといふのか。あの純な眼に、心に――)かう思ふと、静夫はその身が地上深く全く泥土にまみれて了つたやうな心持になつた。
(かの女の愛に比べたら、功名も何もあるものではない。都会も何もあるものではない。それだけですべて満ち足りる。かの女をわがものにしただけですべてこの世の願ひは足りる。如何なるものを犠牲にしても、自分の一生を犠牲にしても、コルシカの離れ小島をじまに住んで一生を終つたといふ『幸福』の主人公のやうになつても決して後悔はしない。自分はかの女のためにあらゆるものを捨てるであらう。かの女のためには、髪をもけば眉をも掃いてやるであらう。かの女の朝化粧あさけはいをするための湯をも沸かしてやるだらう。否、かの女の奴隷となつて一生を終ることにも何の不満をも感じないであらう……。しかし、しかし、それさへ満たされない時には――)さうした空想は際限なしに一つの言葉、一つの辞句となつてかれの頭の中を通つて行つた。かれはかの女の前にひれ伏してでもその心を自分のものにしなければならないやうな焦燥を総身に感じた。
 その恋心は啻にそこらにひろがつて行くばかりではなく、またそこらにある林や森や丘や川に満ち漲つて行くばかりではなく、うねうねと折れ曲つて行つてゐる丘添ひの道にも、深く泥濘に喰ひ込んでゐる車の轍の中にも、草の葉の上にも、篠笹の葉のうらにも、何処にもすべて行きわたらないところはないやうな気がした。静夫はぢつと静かにあたりを見詰めた。小さな赤い鳥居がまたひよつくりとその前に見え出して来た。





底本:「定本 花袋全集 第二十二巻」臨川書店
   1995(平成7)年2月10日発行
底本の親本:「草みち」宝文館
   1926(大正15)年5月10日
初出:「令女界 第四巻第五号」
   1925(大正14)年5月1日
入力:tatsuki
校正:津村田悟
2017年11月24日作成
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