水源を思ふ

田山録弥




 水源といふものを私は若い頃から好きで、わざわざそれを探険しないまでにも、よくそれに沿つてさかのぼつて行くことが好きだつたが、今から百二三十年前に、江戸に橘樹園きつじゆえんといふ人があつて、多摩川の上流に興味を持ち、何遍となくそれに溯つて、遂にはその水源までも窮めたといふ旅行記のあつたことを今でもをりをり私は思ひ出した。実際、大きな河が溯るにつれて次第に細く、時には深い渓谷を穿ち、時には瀬となり、時には淵となつて、遂に小さなせゝらぎになつて了ふのを見ると、私は何とも言はれない心持を感じた。私はすぐれた芸術家の故郷にでも行つて見たやうな気がした。
 私は一番初め利根川の上流に心を惹かれた。私は「太陽」の第一号に出た六号活字の『利根川水源探検紀行』を読んだ時には、何をやめてもすぐ出かけて行きたいほどの憧憬を感じた。第一、文珠菩薩の形をしてゐる岩石の乳のところからその水源が絞り出されて落ちて来てゐるといふのがロマンチツクではないか。またその小さやかな水が瀬となりたきとなり淵となつて、次第に大きくなつて、帆を浮べたり外輪そとわの小蒸汽を浮べたりしてゐるといふことが面白いではないか。私は文珠岩には行つて見なかつたけれども、それに動かされて、鬼怒川を溯つた時には、その水源を栗山の奥深く探つて、遂に鬼怒沼まで入つて行つたことを今でも思ひ起した。
 否、そればかりではなかつた。私はよく渓谷を溯つて行つた。箒川はうきがわの谷もかなりに上流まで行つた。大谷だいやの谷もあの深潭しんたんから華厳の瀑壺たきつぼまで行つた。吾妻川の谷にも深く入つて行つた。しかし、本当に水源を窮めたといふことになると、私もさう大して誇ることの出来るといふほどではなかつた。
 水はさらさらと岩石から沢に落ちる。草も木もしとどに濡れてゐる。ところどころに瀬をつくつたり小さな瀑をかけたりしてゐる。次第に谷は屈曲する。そしてその度毎に川は大きくなつて行く。一枚岩の上を清く浅い日影を砕いて流れて行つてゐる。岸の桔梗の枝が折れて、その紫の一輪がせゝらぎに触れて流されかけてゐる。私は水源を思ふと、いつもさうした光景を頭に浮べた。

 峠をのぼつて行くと、いつもその七分通り来たあたりで、長い間沿つて来た谷川とわかれて行つた。(あゝもうお別れだな?)かう思つて私はその流れて来る方の深い谷を覗いて見たが、その時はいつも何とも言はれない物さびしさを感じた。いくらか女に別れて行く感じにも似てゐた。私は川のさびしさを、誰も添つて歩いてゐるもののないさびしさを思ひやらずにはゐられなかつた。幾重に折れ曲つて、深く深く入つて行つてゐる川の心細さを。
 私は何遍も何遍も振返つた。思ひきりわるく振返つた。水の音はまだきこえてゐはしないか。嗚咽して別れを惜んでゐはしないか。
 私は深く穿たれた谷を覗いた。峠の上に来てまでも私は猶ほ耳をそばだてた。

 それはさう大きな川ではなかつたけれども、磐城いわき山地を海岸から向うへと横断して行つた時には、二日も三日も同じ渓谷に添つて私は歩いた。
 私は今でもはつきりとその時のことを記憶してゐる。旅舎は丁度その谷に臨んでゐて、水の落ちて流れて行く音が潺々淙々けん/\さう/\としてきこえてゐる。夜もすがら枕の下にきこえてゐる。半ば覚めた夢の中までもその音は入つて来てゐる。勿論、それはさう大してすぐれた渓流でもなく、岩石などにもさう大してめづらしいものもなかつたけれども、それでも一日沿つていて来た渓声だと思ふと何となくなつかしかつた。ところが、それがその日ばかりではなく、その次ぎの日も、またその次ぎの日も、またその次ぎの日も、その渓谷に沿つて私は溯つた。
『あれがまだ此間の川かね?』
 すぐ脚の下を流れてゐる小さな渓流を指さして私は訊いた。
『さうです――』
『随分水源まで一緒にやつて来たね?』
『もうこれでお了ひです――この水はあの向うの山から出て来るんですから……』
 さらさらと流れてゐる水の上に鶺鴒が頻りに飛んでゐたことを私は未だにはつきりと覚えてゐる。

 私は妻と東北線の汽車の中にゐた。
 その前の夜は志戸平温泉に泊つたが、かなりに深い山の中であつたに拘らず、また豊沢川の水声が淙々として終夜屋外をめぐつてきこえてゐたにも拘らず、暑くつて、暑くつて容易に眠むれなかつた。今朝は早く立つて来た。花巻で乗替へて盛岡へとやつて来た。それでもまだたまらなく暑かつた。東京といくらも変つてはゐなかつた。
『暑いのね? 何処まで行つても――。北海道まで行かなくつては凉しくなるツていふわけには行かないかしら?』殆んど停車場毎にアイスクリイムを買ひながら妻はこんなことを言つた。
 しかし好摩台かうまだいに来ると、ぐつと凉しくなつた。岩手山が左に半ば雲に包まれて立つてゐる。右には姫神山がひろい高原の松林を前にして好い形を見せて聳えてゐる。かなりの勾配になつてゐると見えて、汽車はゴトンゴトンと音を立てゝ静かに喘ぎつゝのぼつてゐる。(うん、これは好い。或は此処はひらくといゝ避暑地になるかも知れない。信州の富士見なんかよりも好いかも知れない。何しろこのひろびろとした高原が好い)こんなことを私はひとり考へてゐたが、沼宮内ぬまくない近く来た時、私は妻に話しかけた。
『この汽車は北上川にずつと長く添つて来てゐるんだが、一の関あたりから添つて来てゐるんだが、まだ一度もその川を渡つてゐないんだ。その此方側ばかりを通つて来てゐるんだ。が、もう少し行くと、鉄橋にかゝるよ、この汽車が初めて北上をわたるんだよ』
 私はそれにつづけて、この北上川のいかに平凡な川であるかといふことと、いかに他の奇のない平野の中のみを流れてゐる川であるかといふことをつけ加へて話して、『たゞ、しかし、その水源が他とは変つてゐるのが面白いよ。中山峠を下りて国道からちよつと入つたところにあるのだがね。そこに清水の湧き出してゐる池があつてね。そこに観音さまが勧請されてあるが、そこから流れ出して来てゐるんだよ。何でもその観音といふのが、源頼義の持仏だつたさうで、頼義が安倍貞任を討つた時に、其処を通つたんだが、その時丁度炎熱が焼くがごとく、士卒が皆な渇き切つて何うにも彼うにもならなかつたんださうだ――』
 不意にゴオといふ音がきこえて、鉄の欄干が向うに見え出して来た。
『お! 鉄橋だ! それ御覧! それが北上だ!』
『これが? こんな小さい川が?』
『だつてもう小さくなつたんだよ。水源が近いからね? これでも七十里も流れてる大河だよ……』
 樹木の茂つた、深く穿たれた渓流の潺湲が、やがて橋欄けうらんの間から微にそれと指さゝれて見えた。汽車は轟々ぐわう/\として鉄橋をわたつて行つた。
『それから何うしたんです?』暫くしてから妻は前の話に戻つた。
『ところが、頼義がその持仏の観音を念ずると、忽ちそこに綺麗な水が湧き出したのださうだ。そしてそれが北上の源流になつてゐるんだから面白いぢやないか?』
『へえ! それは面白いですね。今でもその観音さまはあるんですか?』
『ちやんとそれが勧請されてあるんだから面白いね?』
『へえ!』
 長い間渡らずにやつて来たのに引きかへて、今度は何遍となくその小さい北上を汽車はわたるやうになつて行つてゐた。時には右にまた時には左に、それも行くままに次第に小さく細くなつて、余程注意しないと普通の里川さとかはといくらも違はないやうな形になつて行つてゐるのを私達は見た。否、峠に近く、汽車が次第に喘ぎつゝのぼつて行くやうな音を立てるやうになつても、それでもその水源近い川は、猶ほ汽車のレイルに離れ難いやうにして添つて流れて行つてゐた。『小さくなつたな? これでも北上川だよ。何でもその観音堂のあるのは、あの村の向うあたりだよ』かう言つて私は山の裾に屈曲して見えてゐる赤ツちやけた埃塵ほこりつぽい国道を妻に指して見せた。





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「夜坐」金星堂
   1925(大正14)年6月20日
初出:「読売新聞 第一七〇四〇号」
   1924(大正13)年8月25日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:hitsuji
2022年8月27日作成
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