自からを信ぜよ

田山録弥





 総て物が平等に見え出して来るといふことは、面白い人間の心理状態である。美も醜も、善も悪も、うまいもまずいも、昔感じたやうに大きな差別を見ずに、又は好悪を感ぜずに、あるがまゝにあるといふ風に感じて来る心理、この心理は差別をのみ気にし、又はをのみ気にした心理と、ういふ関係を持つてゐるか。
 人が大きな家屋に住んでゐる。立派な庭園を持つてゐる。綺羅きらを尽してゐる。贅沢を尽してゐる。又これと反対に、膝をれる一室に粗衣、蠣食れいしよくをしてゐる。行くに車もなければ自動車もない。しかも、この二つのものは平等である。同じく幸福である。『なあに、同じだよ、少しも違ひやしないよ。』かういふ平等観の心理の起つて来るといふことは何故なぜであるか。
 箇を押しつめて考へて見たからである。我執、理想、空想、煩悩、さういふものを数々押しつめて、そこから理解が生じて来たからである。理解といふことは、例の経文などにある『』である。主観の文殊の方にある解と、客観かくくわんの普賢の方にある『ぎやう』と相対してゐる。『行』は行なふと言ふよりもめぐるである。この『解』と『行』との交錯融合したところから、さうした平等観の心理が出て来るといふことを私は感じた。
 この心理から言ふと、自己は所謂個人主義で言ふ所の自己ではない。小なる自己ではなくつて大なる自己である。『箇』から次第に『全』に向つて完成して行く自己である。私はかつて自己の完成といふことを説いた。又自己の『自然』大にまで生長して行くことを説いた。しかし、それは多くは誤解された。差別の境にゐる人には、自己は何うしても個人主義以上に出て行けるとは思へないらしかつた。
 従つて、この『箇』の研究は非常に大切である。無自覚―自覚―無自覚、かういふ形式を曾て私は示したことがあるが、この自覚が、覚が、『箇』に心が住してゐる時を示した形で、この覚から再び無自覚に入つて行くところが非常に難かしい。覚は大切なことであるが、覚そのものの位置にとゞまつてゐては、その覚が決してその用を成さない。又、微妙の心の門の扉を開くことが出来ない。
『箇』より見たる『箇』は無限際むげんさいである。又無数量である。いくら箇の研究に全努力を挙げて見たところで、いたずらに記録と写生とを増すばかりである。研究すればするほど益々零細になつて行く。『こんなことをいつまでやつてゐたつて仕方がない。』鈍根でない人は必ずかう言つてなげくに相違ない。又非常なる単調と疲労と平凡とを感じて来るに相違ない。例の自然主義が平凡主義、日常生活主義に堕ちて、人に厭がられて行つた形である。
 この『箇』とこの『覚』と、これを一度破壊するために、釈迦は例の山に入つて行つたのではないか。


 性格と言ふことに就いても私は長く考へて来た。つまり『箇』の研究である。私はその『箇』の細かい研究から、『解』即ち理解を得やうとした。しかし、いかに詳しい又は細かい性格を写生し又描写したとてそれだけでは芸術を成さない。何故なら、性格の奥深い心理は、宇宙の不可思議と同じく矢張不可思議であるからである。相連接し、相交錯してゐるからである。
 それなら『箇』の研究なんぞ詰らぬかと云へば、馬鹿なことを言ふなと私は言ふ。箇の研究に出発してかくに行つて、そしてそこからでなければ、深い不可思議な心理の扉をひらくことは出来ない。
 私の今の考では、性格などは二のつぎである。ひろく見渡して見ると、箇々の性格などは、微の微たるものである。細の細たるものである。さうした差別に住してゐては、とても不可思議な深い心理に入つて行くことが出来ない。違つてゐて同じな、同じでゐて違つた、矛盾してゐるやうで決して矛盾してゐない不可思議な深い心理の中に、又は有るといふことゝ無いといふことと異つてゐてそして同じで、又同じでそして異つてゐると言ふやうな微妙な心理の中に……。


 あるがまゝと言ふことは、実はあるがまゝではないのである。又あるがまゝでないと言ふことは、あるがまゝと言ふことである。不可説である。
 芸術をつきつめて行つて、現象主義的になつて行つた形は、だから面白い。現象の中には一切を具してゐるのである。説明を用ゐずして足りるのである。しかしその現象も、その人々の主客両観の融合の程度で、浅くもなり深くもなるのである。ゴンクウルの作品の中には、ドストイフスキイやトルストイのやつた箇の研究、又は性格の研究、又はもつと下つて要求に捉へられた博愛、艱難に捉へられた同情、さういふものはすべて入つてゐるのである。探せばいくらでも出て来るのである。ジエルミニイの深い苦痛の中には『罪と罰』や、『虐げられた人々』や、『アンナカレニナ』の中にある苦痛は皆々そこに入つてゐるのである。
 欧州戦に於ける無数の人間の死傷は、人類主義から言へば非常に恐ろしいことである。又飽まで平和運動をすべきである。しかし、現象、自然と言ふ方から見、又は深い不可思議な心理から見ると、そんなことは小さなことである。一木一草の枯れたのとさう大した違ひはない。日は矢張やはりかゞやきつゝある。人間は矢張棲息しつゝある。私は曾て戦場で、さうした悲惨な光景を見て、『人の血の流るゝは自分の血の流るゝのではない』と下唇を噛んで叫んだ。この下唇を噛んで叫んだ其処に注意して貰ひたい。この下唇を噛むといふ処に、それとは丸で正反対な、乃至は正反対のやうに見える自他融合の境があるのである。『人の血の流れるのは自分の血の流れるのではない。』と言つたすぐその裏に、『他人の血は自分の血だ』かういふ心があるのである。そしてこの二つの見方が、何方どつちも本当ではあるが、しかし何方も主観に偏つたセンチメンタルな見方で、不動不変な自然は、心理は、愛はまだその一段上に位置して、大きな不壊ふえなリズムを刻みつゝあるのである。


 私は考へた。私の邸内にある樹木、これは皆な私が来てからゑたものだ。もとは木も何もなく、無論家屋もなく、一けいの芝畠であつた。それが、私が来たために、樹木は栽ゑられ、草木は生長し、いろいろな生物が発達した。それは最初は私から起つた。私の意志から起つた。見ることも出来ない聞くことも出来ない私の意志から起つた。そしてこの意志は何処から起つたであらうか。かう聞かれると私にもわからない。表面はこゝに来たい意志が動いたからだと言つて置けるが、そこから一歩先に入るともうわからない。普通の人間の心理ではとてもわからない。又答へることが出来ない。
 そしてまたこの私の意志がなくなれば、この生物も、樹木も、家屋も何も彼もなくなつて了ふかも知れないのである。かう考へて来ると、有るといふこと無いといふことは、昔考へたやうに、そんなに距離のあることではない。否、或は有ると無いとは別に違つたことではないではないかといふやうにすら考へられるのであつた。
 私達は今まで余りに有るといふことにのみ意味を置きすぎて来はしなかつたか、有るといふことにのみ執着して、争つたり、笑つたり泣いたりして来はしないか。有るといふその裏にすぐ無があり、又更に一層複雑に有は有にあらず、無は無にあらずといふことを余り考へずに来すぎはしないか。
 又、私達は事物の価値、顛倒てんたうを余りに気がつかずにすぎて来はしなかつたか。知らないがためにある物を価値以上にめづらしがり、又はそこに達し得ないがためにその位置を非常に買被かひかぶつたりしたことはないだらうか。又はその幼稚な要求にがつしたがためにある物、ある事を非常に色濃く見すぎはしなかつたであらうか。
 文明といふことには、この顛例の非常に多いことを私は思はずには居られない。生死、恋愛、自然、さういふものに対しては、文明は決して決定的の進化を示してゐるものではない。
 深く感ぜよといふことは、この不可思議の、普通でない、深奥と心理の扉を開くためである。自己の又は他の、更に進んでは自と他の上に融合する深い心理を……。
 心理学は西洋の所産だけあつて、多くは自の方面から見てゐる。あらゆる不可思議を自――その自も自から信ずる点にすら達しない自で解釈してゐる。従つて何うも浅薄だ。心理学の学者達の催眠術、千里眼を説くのを見ても、多くは自である。他は成るたけ除外してゐる。ところが、この深奥な心理は、自他融合の微妙の境に行かねば、その扉を開くことが出来ないことを私達は考へて見なければならない。
 ニイチエなどは、この自の方を極端に押しつめて行つた人だ。そして最後は狂死を得た。モウバツサンも矢張さうだ。唯、ニイチエには、モウパツサンの『水の上』のやうな自を引くりかへして見たところがなかつた。
『自からを信ぜよ』
 この言葉は最初の言葉である。しかしいかにして自からを信ずべきか。この答は容易でない、『解』即ち理解、更に言ひかへれば主観のけいの修行を十分に積んだものでなければ、自己を理解することが出来ないからである。普通の程度では、自己は決して信ぜられてゐない。信ずると言つたとて、それは本当に信じられたのではない。自己を信じて見ただけである。
 主観の慧の修行は、だから大切である。無論、この修行は経験ではない。もつと深い、しかし経験はこの慧を磨かさせる材料にはなる。それに、この慧の修行と言ふことは一面自己を執着の火の中、煩悩の炎のうち、或は愛、或は慾、さういふ中に置いて見るといふことである。又、自己をさういふ一切の煩悩の中に浮ばせて見ることである。差別、顛倒、混乱、不条理、不完全の中に漂はせて見ることである。
 何の故の差別ぞや。何故の顛倒ぞや。又何が故の混乱ぞや。又何の故の慾、何が故の愛ぞや。慧の明かな人ほど、早く自己のその上に浮び上るのを見るであらう。そして自己の周囲にあるものに快刀をふるふことが出来るであらう。又無限の歓喜に『未曾有』の声を発するであらう。信を起すといふことから、始めて人間の自と他との区別が分つて来るのである。最初の平等観がその黎明の光を放つて来るのである。
 私はある人に言つた。『僕はさうは思はない。さういふ悪がこの人間にあらうとは思はれない。悪とは要するに、差別の上の名である。又その人が『解』の出来ない中ぶらりんの境にゐるのために起る所為である。医者が薬を弄び、似非自然主義者が心を弄び、自殺しそくなつた人が狂言に自殺を再びやつて見るやうなものである。さういふ人は、慧があるやうで、実は慧が曇つてゐるのである。教へて導くべきである』





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「毒と薬」耕文堂
   1918(大正7)年11月5日
初出:「文章世界 第十二巻第六号」
   1917(大正6)年6月1日
※「ことゝ」と「ことと」の混在は、底本通りです。
※初出時の表題は「能所不二」です。
入力:tatsuki
校正:hitsuji
2020年8月28日作成
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