木曾御嶽の両面

吉江喬松




 八月の初旬、信濃の高原は雲の変幻の最もはげしい時である。桔梗が原をかこむ山々の影も時あって暗く、時あって明るく、その緑の色も次第に黒みを帯びて来た。入日の雲が真紅に紫にあるいは黄色に燃えて燦爛さんらんの美を尽すのも今だ。この原の奇観の一つにかぞえられている大旋風の起るのもこの頃である。
 曇り日の空に雲は重く、見渡すかぎり緑の色は常よりも濃く、風はやや湿っているが路草に置く露が重いので、まず降る恐れはなかろう。塩尻の停車場から原の南隅の一角をかすめて木曾路へ這入はいって行こうとするのである。道は旧中仙道なかせんどうの大路で極めて平坦である。左手には山が迫り、山の麓には小村が点在している。右手は遠く松林、草原が断続して、天気の好い日ならばその果てに松本の市街が小さく見え、安曇野を隔てて遠く、有明山、屏風岳、槍ヶ岳、常念ヶ岳、蝶ヶ岳、鍋冠山などが攅簇さんそうして、山の深さの幾許あるか知れない様を見せているのだが、これらの山影も今日は半ば以上雲に包まれて見えない。ただ空の一角、私たちの行く手に当って青空が僅にほのめいているだけである。
 この頃の中仙道の路上は到る処白衣の道者の鈴声を聞かない事はない。金剛杖を突き、呪文を唱えながら行く御嶽道者らで、その鈴声に伴われて行けば知らず知らずに木曾路に這入ってしまうのである。
 桔梗が原の尽頭第一の駅路は洗馬せばである。犀川さいがわの源流の一つである奈良井川は駅の後方に近く流れ、山がやや迫って山駅の趣が先ず目に這入る。駅は坂路ですこぶる荒廃の姿を示している。洗馬を通り抜けると、牧野、本山、日出塩等の諸駅の荒廃の姿はいずれも同じであるが、戸々養蚕ようさんは忙しく途上断えず幾組かの桑摘くわつみ帰りの男女に逢う。この養蚕はこれら山駅の唯一の生命である。
 離落たる山駅の間を走って中仙道は次第に山深く這入って行く。雲が晴れて日が次第に照らし出す。山風はいかにも涼しいが、前途の遠いのを思うとすこぶる心もとない。
 桜沢、若神子わかみこ贄川にえがわ、平沢の諸駅、名前だけはく耳にしていた。桜沢以西は既に西筑摩郡で、いわば前木曾ともいうべき処である。これらの村々から松本の町へ出て来る学生がある。家から栗の実を送って来たといっては友人を集めてその御馳走をするのであった。その後では必ず「木曾のなあ――」という例の歌を唄って聞かせた。今では女の学生も出ている。同行者の一人の太田君は自分の教え子だと言ってその子の家へ立寄った。家の中は一ぱいに蚕棚が立てられていて、人のいる場所もない位。おとずれると、太い大黒柱の黒く光っている陰から老人の頭が見えて、その子は今桑摘みに行っていないがとにかく是非ぜひ休んで行けといって、しきりに一行の者を引止めて茶をすすめながら、木曾街道の駅々の頽廃たいはいして行く姿をば慨歎がいたんして、何とか振興策はあるまいかといっていた。
 奈良井の駅は川と鳥居嶺との間に圧せられたような、如何いかにも荒涼たる駅である。此処ここから嶺へ登るので、この嶺は木曾川と犀川との分水嶺になっている。
 嶺を越えるとその中腹に藪原の宿がある。あらら木細工、花漬などを売る家が軒を並べている。「木曾の椽うき世の人の土産かな。」うすい木片をいで、一度使えば捨ててしまうような木の小皿が出来ている。その一枚一枚に様々な風雅な文句がり付てある。
 この藪原の駅からは多く大工が出稼ぎに出る。年中大方おおかたの日は嶺を越えて他へ出ているので、主人のいない家では戸ごと大抵馬を飼うのである。木曾馬といって小形な方で、峻坂の登り降りに最も適している。多くて十四、五頭、少くとも四、五頭は飼わない家はない。その飼養は皆女の仕事で、日中は家から遠く離れた草原へ来て馬を放し、自分らは草を刈っているが、夕方は放した馬を集めて帰って来るのである。十二、三頭並んで崖の上を廻って来る。最先きの馬の背には飼主が乗り、鞍の上で草鞋わらじなどを作っていると、親馬の後を追いながら子馬は立ち止って道草を食ったり、またいなないたりしながら走って来る。と親馬もまた立ち止って長く嘶き互に嘶き合って一つ一つ夕靄ゆうもやの中に消えて行く。
 藪原の宿を出抜けると道は既に木曾川の岸を伝って走っている。明日は御嶽へ登るべき身の足の疲労を気遣って藪原から馬車に乗る。馬車は川岸をめぐめぐって走るので、川を隔てて緑葉の重々と繁り合っているのを仰ぎ見る心地好さ。
「面白いぞや木曾路の旅は、笠に木の葉が散りかかる。」
 これが秋の旅であるならば、夕風に散る木葉の雨の中を、菅笠で辿って行く寂しい味を占め得るのであるが、今は青葉が重り合って、谿々峰々ことごとく青葉の吐息にかおっている。
 馬車屋は元気の好い若者で、自分が何匹も馬を持っている事をば、連りに自慢して話して聞かせた。
に一呼吸でさあ、五里ばかりの道、この間四時間でやった事がありまさあ。」
と馬の強いのを誇っていた。――午後の日の光は緑葉に輝き、松蝉の声が喧しく聞えている。しばらくすると白い雲が行くての峰に湧き上った。日影が隠れて、青葉がざわつき出す、川を隔てて前の谿が急に暗くなる、と雷鳴が聞え出して、川の瀬音がこれに響くかと思うと、大粒の雨が灰のような砂塵の上を叩いて落ち出した。馬は※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)き出す、馭者ぎょしゃは絆を引きしめる。谿が鳴り山が響いて風が一過したかと思うと、大雨が襲って来た。止まるべき家もないので、馬車は雨をいてひた走りに走る。晴天つづきの後とて雨具の用意がない。屋根から洩れ、正面から吹き込む。日除ひよけの幕を一面に引廻わして防いでも、吹き込む雨にびしょ濡れに濡れる。
 不意に馬車が止ったと思うと、何か連りに話し合う声が聞える。――出抜だしぬけに引廻した幕をけて顔を突き出した男がある。見ると八字のひげが第一に目に付く、頭髪が伸びて、太い眉毛の下には大きな眼がすごく光っている。紺絣こんがすり洗洒あらいさらしたのが太い筋張った腕にからまっている。ぎょろぎょろと馬車の中の一人一人に目を止めて見たが、別に何と言うでもなく、そのままぐっと幕を引いて下りてしまった。日除けの隙からのぞいて見ると、紺絣の下に雪袴といってこの辺の農夫が着けている紺木綿の袴ようなものを穿いて傘をさしている。そして馭者の方へ向ってちょっと手を挙げた。すると馬車はまた動き出した。
「何だろう。」車中の者は話し出した。
「オイ、馬車屋さん、今のは何だえ、出し抜けに、え。」と幕の端をちょっと引いて吹きつける雨に顔をそむけながらくと、馭者はちょっと振り返って、
「何に探偵でさあ。」
「探偵? 何の探偵だえ。」
「何に、つい二、三日前にね、山の中で林務官を殺して逃げた奴があるでね、其奴そいつが何でも坊様のふうをして逃げたって事だで、其奴を探すんずらい。」
 馭者は度々此様な事に逢うのか、別に気にも留めていないようだ。雨はまたひとしきり烈しく降る。その降りそそぐ音、峰から流れ落ちて来る水の音、雷鳴はまだ止まない。車中の者は身を縮めて晴れるのを待つばかり。話しすら存分には出来ない。宮越、原野、上田などは雨中に過ぎた。福島の町に入ろうとする手前で雨は晴れた。夕日が遠い山の頂を射て藍青の峰がほのかに匂う。福島は川を挟み山を負うた心地よい町である。林務官殺しの話は此処にも聞えていた。福島に一泊。

 福島から御嶽の頂上まで十里の間、その半ばは王滝川の渓流に沿うてさかのぼるのである。この山中の路は登り下りの坂で、松木林、雑木林、あるいは碧湍へきたんの岸を伝い、あるいは深淵を瞰下みおろして行く。五人十人あるいは二十人三十人、白衣道者の往来するのに逢わないことはない。桑原から沢渡へ越す所で一回王滝川を渡る。橋は一方少し坂になっている処からとちけやき※(「木+無」、第3水準1-86-12)ぶななどの巨樹の繁茂している急峻な山の中腹に向ってけられてあるのだ。橋の下は水流は静かであるが、如何いかにも深そうだ。この橋を渡ると深林の中のみちとなる。小暗く立ち繁った巨樹の根が道を横切っていてつまずきがちである。林を出抜けると草原、崩越を越えて山に沿いしばらく王滝川を遠く脚下に見て行く。山また山が重って、その間を川は眠ったようにうねっている。何だか遠い世の姿でも見るような気がする。山を下りてまた一回王滝川を渡って王滝の村となる。御嶽の第一合目である。
 王滝から田の原(六合目)まで登る間は、一合目ごとに小屋が出来ていて宿泊も出来る。松林が尽き、雑木林が次第になくなって、※(「木+無」、第3水準1-86-12)ぶな類の旧い苔蒸した林となる。雨雲が覆い被さって来て、三合目あたりから遂に雨となった。林の中はただ狭霧と雨とのみ、雨中を鳥の声がする、日は暮れて来る、一行四人はびしょ濡れに濡れて遅く田の原の宿へ着いた。
 田の原の宿を出たのは朝の四時、強力ごうりきともして行く松明たいまつの火で、偃松はいまつの中を登って行く。霧が濛々もうもうとして襲って来る。風が出て来た、なかなかにはげしい。加えて寒さも厳しい、夜がほのぼのと明るく松火はいつか消えてしまった。天が明るくなると遠く見渡される。紫色の空、その鮮かさはかつて見た事がない。桔梗ききょう色に光を帯びて輝く美しさ、その下に群巒ぐんらんの頂が浮んで見える、――しかしこの美観も瞬時に消えて、雲一帯、たちまちに覆うてしまう。風はなかなかに烈しい。偃松の上を雷鳥が風に吹かれて飛んで行く。
 頂上の小屋に達したのは五時、小屋の炉に当って身を温め、剣が峰へ登って見た。御嶽の最高峰、岩角にすがって下の方地獄谷から吹き上げて来る烈風に面して立つと、殆んど呼吸する事も出来ない。風と共に雲が奔騰ほんとうして来て、忽ちに岩角を包み小屋を包み、今まで見えていた一の池、二の池、三の池の姿も一切隠れてしまう。この雲の徂徠、雲の巻舒けんじょ、到底下界では見られない現象である。が、刹那せつなに雲が開けると、乗鞍、槍ヶ岳一帯、この山からつづく峻嶺高峰、日本アルプスの連嶺の頂きが、今目さめたというようなように劃然と浮んで見える。この峰づたいに乗鞍の頂へも出る事が出来ると聞いた、風に吹かれ雲に包まれてこの絶頂無人の境を渉るのである。私は是非行って見たいと思った。
 しかし私らの今取ろうというのは、この峻嶺跋渉ではない、烈しい白雲の中をいていわゆる裏山を飛騨ひだの国へ下りようというのである。
 飛騨路というのは峰の小屋から路を右手にとり、二の池の岸をめぐって磊々らいらいたる小石の中を下って行くので、みちというべき途はない。少し霧が深く、小雨でも降ろうものならいずれが路とも分らなくなるのである。峰の小屋の熊のような主は「危えぜ、く気を付けて行かっせ、何でも右へ右へと、小石の積んだのを目当てに行きせえすりぁ大丈夫だ。」といったが、福島から付いて来た案内の強力も、二の池から山を少し下って裏山になりかかる所で分れて木曾の方へ戻ってしまった。
 御嶽の裏山! 年々飛騨路から多少の登山者はあるとは聞いたが、その他には通い手のない途だ。剣が峰を左手に仰いで池の岸からさいの河原という所を通る。一面の石原、大小千個ともなき焼石の原である。それでも幾年かの間、登山者の草鞋わらじの当る所だけがすれて、少しへだたって見るとかすかに白く一筋の道のようにはなっているが、近くその上へ行って見ると何処ともはっきりとは判らない、ただ所々に小石を積んで道しるべにしてあるのが、せめてもの目当である。
 賽の河原は中々長い、雲の影が明るく暗くその上を照らして過ぐる。如何にも心もとない前途である。河原を上りつめると、一面急峻な偃松帯の中へはいる。みち一縷いちる、危い崖の上をめぐって深い谿を瞰下みおろしながら行くのである。ちょっとの注意もゆるめられない径だ、谿の中には一木も一草もない。ただ赤ちゃけた焼石が磊々としているばかり、水音も聞えない。渓の周囲には太古以来人間の足跡を印した事のない山が続々として群立している。ただ荒れている山だ。それでも次第に雲が晴れ渡って青空が晴朗に輝き暖気を増して来た。
 一里ほども下ったかと思う頃、偃松の幾谿を越えて遠くの方に薄い煙が見える。「もう飛騨の国だろうか。」と思うと何となく不思議な国へ来たような気がする。確かに飛騨の国にちがいない。
 偃松帯を出抜けたかと思うと、径は一層急になって熊笹の中に入る。身長よりも高い熊笹をがさがさと分けて下るが、足とまりは一段一段と段をきざんである。その中には雨水が溜っていて踏むたびに飛び散る。両手で笹を掻き分けるので、三尺離れるともう先行者の姿はその中に没して見えなくなる。立ち留っているとがさがさと音ばかりしている。はっと明るくなったと思って顔を上げて見ると、熊笹が低くなって日影が満面に照らしている。そして熊笹の所々に頭をあらわして黄色い石楠花が咲いている。
 熊笹の中をけ下ると、つがもみなどの林に這入はいる。いかにおおきな樹でも一抱ひとかかえぐらいに過ぎないが、幹という幹には苔が蒸して、枝には兎糸としが垂れ下っている。中には白く骨の如くになって立ち枯れしたものもある。あるいは枯れて倒れて草の中に縦横によこたわっているものもある。その倒れた樹の上を飛び越え踏み越えて下るのだが、その急峻といったら全く垂直線の板上を滑り落ちるようだ。落下しないために絶えず足を動かしていずにはいられない。なく飛び降りつづけるのである。ちょっと油断すれば先行者の姿は草か倒木の下に隠れて見失うのである。立ち止って「オーイ」と呼ぶと、遥か下の方で「オーイ」と答えるが、ただ声だけで、その声も妙に物凄く響く。樹林の中の空気も人の声を伝えた事は稀にしかないのだ。聞く者の耳も妙に変っている。この「オーイ」「オーイ」の応答が杜絶とだえると、自分の心臓の鼓動が高く響くだけが気になる寂莫せきばくである。
 遠く下の方で谿流の響が耳にはいるが、降れども降れども中々達しない。おりてもおりても殆んど同じ垂直の径である。膝頭が痛くなり、眼もくらむように覚える。かような径を果して登る人があるだろうか、下り尽したら何処へ達するのだろう。水の音は何時までも同じ度合に聞えている。
 二、三里も下ったかと思うと、ふと渓流の音が近くに聞えて、路が右に一廻転する。深い草が開けて丸木を渡した谿川へ出た。もう人里も遠くなかろうと思って、倒木へ腰掛けて休んでいると、遅れた同行の一人が漸く追い付いた、先きへ行った二人の影は見えない。
「ねえ君、先きの連中は道を間違えたのじゃなかろうか。」
「なーに大丈夫だ、間違いようもないから。」
「そうだね。」見合せた二人の顔は妙に蒼白かった。言葉も不思議に澄んでひびくし、話し合う気にもなれない。何だか、渓流のざわざわいうのが次第に高くなるようで、如何しても長く停止していられない所だ、また廻りくねって林中の径を走り出した。
 今度は前に比べると一層高く水声が聞えて来る。もう濁川の湯へ近くなったのではあるまいか。水声は聞えても中々林は尽きない。路の急な事も依然として急だ。一時間位も走ったかと思うと、川の縁に沿うて藁屋根が一つ目に這入った。ああ川は益田川の上流だ、家は濁川の湯だ、いよいよ飛騨の国へ来たのである。
 急いで川の岸を伝って行くと、危い橋を渡って家の前へ出た。前も後も急峻な樹木の山、この山に挟まれ渓流に向った一軒家、木材だけは巌丈がんじょうなものを用いて、屋根も厚くいてある。
「やあ、遅かったね。」と出し抜けに声がする。
 驚いて見ると、左手の小屋の中からひょっくら頭を出した者がある。見ると先行者の一人である。
「早く来たまえ、好い心持だ。」近寄って見ると、かなり広い湯槽にいっぱい、上から竹樋で引いた湯が、ざわざわざわざわとあふれて流れている、アルカリー泉のようだ。
 草鞋わらじぎ、衣服をぬぎ捨てて急いで湯へ飛び込む。やわらかぬくよかな心持、浴槽のふちへ頭をせ足を投げ出していると、今朝出立して来た田原の宿、頂上の白雲、急峻な裏山などは夢のようになってしまう。
 湯から出て、浴槽から荒蓙あらござを敷いた二階へ昇る。戸もなく、荒板のままだ。四人は蓙の上へ裸形のまま休んでいると、上り口の方から、髪を無雑作に束ねた女の顔が出て、
「何か食べさっしゃるかね。」という、その歯は黒く鉄漿かねで染めている。
「何か喰べるものがあるかね、川魚でも。」
「川魚なんかありましね、御飯と御汁とならありますし。」
「じゃ、それでも好い、急いで持って来ておくれ。」持って来たのは御飯といっても砂だらけ、御汁といっても煤臭すすくさいようで、おまけに塩湯でも飲むようだ。山菜とかいって野生の菜を汁の味にしたものである。その飯はざらざらしていて、如何に空腹でも二杯とは食べられない。旅宿のある所まで何里あるかというと、
「そうだね、まあ西洞まで行かっしゃりゃ、宿屋はありましず、四里だね。」
「四里じゃ、一呼吸だ、路はどうだね。」「やはり今降りて御座ござらっしたような……。」
「急かね。」「だが、いくらか違いましず。」
 四里の峻坂、木の根を踏み越えて下るのか。一呼吸だと意張っては見たものの実は内々閉口していた。それに空はどうやら曇って来た。これで雨にでも合おうものなら愍然あわれなものだ。二階から下りようと段々の処へ行くと、戸を立て切って上に小さな木札をかけて「林務官御室」としてある。かような家でも特別室があるのかと不思議な思がした。
 入口の処へは今、里から食料を運ぶ男が着いたと見えて四、五人集ってわいわいいっていた。ぎょろっと片眼の飛び出した大男が腰をかがめて、かますに這入っている青物など何かと調べていた。先刻の主婦もいる、六十ほどの老婆もいる。若者が二、三人いる。見ると、入口の柱に寄りかかって帯をだらりと垂らした十八、九の女が一人、娘とも思われないのが、蒼黒い土のような顔色をしている。疲れたような眼を挙げたが、またすぐ視線を地へ落してしまう。
「何だろう、え君。」一人が小声にささやく。「さあ、不思議だね。」「林務官室!」誰かが小声で言った。「ああ、そうかも知れないね。」――この家を辞してまた橋を渡って昇降常なき路を辿って行く。樹は次第に大きくなり、同じ栂、樅の類でも上の方に比べると勢好く生長している。谿はあくまで深い、峰もあくまで高く、如何に見上げても果しがない。枯れて倒れて朽ちた樹が同じく縦横に横わっている。はじめの間は日の光が木立の間から洩れて青白く斑に射していたが、雲行が怪しくなったと思うと、林の中が暗くなって山がごうと鳴り出した。ざわざわざわざわと草がゆらいで、木という木は枝が打合う。如何にも気味が悪い、と思っていると、そのざわめきの中からぬっと何者かが姿を現わした。見ると二つの大きな人影だ、そして自分らの方へ向ってずんずんやって来る。近寄って見ると、黒い林務官の制服を付けた四十位の男だ。細い径をすれ違おうとするので、
「ちょっと伺います、西洞までは未だ何里ありましょうか。」と丁寧ていねいに訊くと、ちょっと立留ったがそのまま棒立ちになって、一行には目もくれず、何処か遠くの方を見入って、聞耳でも立てているという風で、顔の色は蒼黒く、耳が不思議に大きい。「そう、五里位はあろうかな。」と吠えるような、木の洞の中から出て来るような声でいう。「五里?」驚いた。前の湯では四里と聞かされたのが、二里も来たかと思うのになお五里だという。林務官は言い捨てたままずんずん行ってしまう。後からは筒袖を着て、背板というのを背負った男が附いて行く、すぐ草の中へその後姿は没してしまった。――山や谷はこの時一層音高く鳴り出した。「妙だね。」と何人か言い出した。
「何だか変だね。」
「ほんとの人間かしら。」同じような感じは皆の胸を走った。皆は振返って今行った人たちの後を見ずにはられなかった。
 遂に雨となった。
 深山の雨、幾千年となく斧の入った事のない深林の雨だ。始めは繋り合う木の葉にさえぎられているが、次第次第に烈しく落ちて、枝がぬれ、幹がぬれ、草がぬれ、自分らのまとっている糸径いとだてがぬれ、果ては衣服にもとおる。仰いでも望んでも霧と雨、果ても知れず深い千古の谿にふりそそぐ雨の音、黙々として谿を巻き林を覆うて浮動している霧の姿、圧すべき人類もない深山の中で、人などは度外に置いて、霧と雨とが勝手に動いているのだ。
 御嶽は信濃に向っては大きな山であるが、飛騨に面しては殆ど垂直のように思われる。その深い峰の中腹を伝って下りて行くのである。何処まで行けば人里に出られるのかというような気がする。時計を見るともう四時だ。「ねえ君。これは四里や五里の道じゃないぜ。」「何里だか知らないが疲れてしまった。」雨中を六里は確かに下った。身に着けている物は一切濡れてしまった、マッチさえ火が付かない、煙草を吸う術もない。もう外部に対する勇気はなくなった。不平を口にする事すら出来ない、殆んど何処へ行くという考えもなく、また別に深い苦痛も感じない。無意識のままで、すたすたすたすた足を運んで行くばかりである。「人」だという感念すら失っている。
 路が漸く急に下って、林が尽きて草山に出た。局面の変化は多少の希望を繋がせるものである。遠くに瀬音が聞えだした、益田川の本流であろう。その瀬音を耳にすると一行はにわかに元気付けられた。雨もこの時小降りになって、鼠色の雲が峰から峰へ動いて行く。が、次第に夕暗が迫って来るのが感じられる。
 ふと路下の方で馬のいななく声がする。透して見ると草山の麓に黒いものが動いている。
「オーイ」と声を掛けると、「オーイ」と下の方で応呼する。
「西洞まではもう近いかァー。」とくと「二里位はあるぞォー。」と言って草刈る手をやめて上を仰いでいる。まだ二里の路! 自分らは殆んど其処そこに立ちすくまずにはいられなかった。気が付くと其処でも此処ここでもザクザクと草刈る音がする。見ると路の直ぐ上の所にも馬を引いて来ている者が二組も三組もいる。
「何処かこの辺で泊めてくれる所はないかね。」と聞くと、「西洞まで行かっしゃれ、それまではねえだ。」といって、不思議そうに私らの方を見送っている。仕方がない西洞までるくことにする。
 路の両側には四、五尺にも余る草が伸びている。霧は次第に濃く群がってその草原の上をっている。其処此処に大小の小屋が眼に這入る、今の草刈どもの泊る小屋に違いない。
 草原を過ぎて松林となった。路は平かに広くなって遂に益田川の岸に出た。なかなかの急流だ、その岸を伝って走る。四辺が次第に暗くなって来るにつれて、ただ走るより外に法はない、再び機械的に走り出した。殆んど夢中に歩いた。何里位か判明わからないが、山が低くなって地がやや開けて来たと思うとその山の下に火影が一つ見えた。懐しき火影、この時位人家を懐しく感じた事はない。疲れた足をひいて走った。途中で松火を点して来る女にあって漸く西洞へ来た事が判明った。その松火を売ってもらって教えられた宿屋へと着いた。大きな家の中央に炉が切ってあって、六尺もある大きな木が三、四本燃やしてある。宿の老爺は「ようこそ」と自分らを迎えてくれた。胡瓜きゅうりの汁の味でも濁川の湯のものなどには比べものにはならない。空腹をいやして臥床ふしどへはいると、疲労がすぎたのか眠られない。遠くない処で馬の鼻を鳴らす音も聞える。――ふと林務官の事が胸に浮んで来た、雨に逢って如何したろう、今夜濁川へ行ったろうか。彼のような林務官が殺されるだろうか、――なぞと思っている中にいつしか寝ってしまった。

 雨と霧とに巻かれて六里の間、人っ子一人登って来ない御嶽の裏山を飛騨の国に降りて、その晩は西洞という山の中の村へ泊った。疲かれ切っていたので、前後不覚に寝込んでしまった。ふと気がつくと、何処かで人の声がする、馬のひひんといななくのが耳に這入はいる。それが何だか、暗い遠くの方から聞えて来るようで切角せっかく真暗い穴の中から這い出して来て、一生懸命で、その穴の縁に取りついて物音を聞いているが、ともすればそのすがっている力を失って、またもとの穴の中へ落ち込んでしまいそうな気がする。
 話し声、馬の嘶きが一層はっきりして来た。室の中もうす明く見えだして、昨日の山路、今日の行くてのことが朧気おぼろげながら頭に浮んで来る。同行者も皆眼を覚ましているようだ。
 戸を開けて見た。
 さわやかな山国の朝の景色! 雲も霧も夜の間にすっかり晴れてしまって、松林の山がころび出たように眼の前に迫って、その裾を白い泡を立てて流が走って行く。
 青やかな草の香が鼻を襲う。見ると、直ぐ前の庭に刈って来たばかりの青草が山のように積んで地におろしてある。馬小舎に投げ込んで、馬に踏ませてから畑の敷肥に使うのだろう、馬は今までの重荷を急におろされて身軽になって、身体じゅうに波を打たせながら、何人も引かないのに、のそりのそり先きに立って歩いて行くと後から脊負子しょいこを脊に、雪袴に草鞋穿わらじばきの若い男女がついて、家の角を廻って見えなくなった。
 庭へ下り、太い掛樋かけひで山から引いて来てある水で顔を洗い、全身を拭うと、冷かな山気が肌に迫る。仰ぎ見ると、紺青の濃い空の色が、四方に立ち込んでいる山々の頂きに垂れかかって、朝日は流れの向う側の、松山の一面を赤く照らしている。
 今日は久振ひさしぶりで市街のある所へ出られる。三、四日山の中ばかり歩いていたので、人家のある所が懐しい。今日は益田川の岸を下って高山の町へ這入るのだ。
 日の光は次第に広く、峰から森、狭い谿、深い渓流の上までも射し込んで、目に入るものは皆透き通る位にあざやかだ。山の下の細径は谿の上を繞り繞って行く。
 西洞から三里ばかり下りると、浅井という村へ出た、信濃から来る県道野麦街道のむぎかいどうは道幅が広く、電柱が遠く立ち並んでいる。久振りで知人に逢ったような気がした。
 見座という村を通って、郡上根という小さな峠を越す。眼界がやや開けて稲田のつづいているのが目に這入る、この稲田のつづく果てに高山の町が立っているのだろう。ゴチャゴチャと不規則に立ちふさがっている山が次第に四方へ片づいて、人の住むべき地歩を少しばかり譲っているような気がする。
 峠を越して四里高山の町の白壁が遠くに見え出して来た。寺の鐘楼しょうろうが高く家々の上にそびえている。町の響も聞えて来るような気がする。――私は少年の時分、私の家の隠居家に来ていた婆さんのことを思い出だした。信濃へはよく飛騨女が流れて這入って来た、飛騨女は皆色が白く、顔立ちが調ととのっている。私の郷里に近い町にはくるわがあって、その廓へは飛騨女が多く来ていた。その婆さんもその廓へ来ていたのが、年老としとってから私の家の隠居家へ雇われていたのであった。暇さえあれば高山の町の話をして聞かせた。照蓮寺の御堂、高山八幡の宮とか、私の胸へは婆さんから聞かせられた幼時の記憶が次第に浮んで来た――物語の国へでも這入って行くような思いがする。
 町の入口何処の田舎の町へ行って見てもそうだが、狭い道の両側の家の屋根は低く何処か黒いような影が伴っているようで、荷車、馬、子供、犬などが忙しそうにしているが、妙に寂しい、そして一種の懐しい旅情を覚えさせるものだ。
 高山の町は思ったよりも整然と調った這入る者の気を引しまらせるような、生気の充ち充ちた町である。真中に川が流れていて、その川に沿ってにぎやかな通りが縦横に出来ている。飛騨には大きな鉱山がいくつもあって、その鉱山の関係者が皆東京から来るので、高山の町はなかなか裕福だと聞かされた。何処を通って見ても充実した感じを覚えさせる。
 夜になって雨が降出した。雨の中を傘をさして町を見に行く、廿間もある間口の大きな家が両側にならんでいる町を通る。大通りを横切っていくつかの横町がある。皆賑かに人が通っている。川の岸まで出て見ると、水が一ぱい溢れて流れている。橋の際に柳が立ち並んで、夜の雨でぼうっとしている。岸の家々の軒燈籠が水にちらちら写っている。橋の上を若い男の元気の好い声が通って行く、橋の向うには柳のこんもりと茂った中から、ちらちら燈火が見える。その柳の一廓はこの町の廓だ。
 べてが賑かだ、「小京都」という名前にそむかないと思った。
 書店へ寄ると、土地の絵はがきが出ている。その中に乗鞍岳の全景があった。私はそれを買って帰った。
 群巒ぐんらん重々として幾多起伏している上を圧して、雪色のまだらな乗鞍の連峰が長くわたっている。初秋の空らしい、細い雲がその頂の上を斜めに幾条も走っている。如何にも悠然とした山の姿だ。かず眺め入らずにはいられない。
 信濃高原の西方を繞る山脈の奥深く、幾重かさなっている峰々の間から、四時雪の姿を見せている山はこれだ。入日が没した後にうす紫の色に包まれ、遠い微かな思いをさせながら夜雲の底に沈んで行く山もこれだ。中央信濃の少年が幼時から西方を指して、第一にその名を教えられる山はこの山だ。
 今見る図はその乗鞍の後姿だ、母親の懐に抱かれて、
坊やのお乳母は何処行った。
     あの山越えて里へ行った……
と夕暮ごとに唄うのを聞かせられた、その山の後方へ廻って来たのだ、不思議な国へ来たような気がする。
 その夜は山中の旅行にえていた美味、川魚のフライ、刺身、鯉こく、新鮮な野菜、美しい林檎りんご、芳烈な酒、殆んど尽くる所を知らず四人して貪った。
 翌日はまた霧雨が降っていたが、予定通り出発した。出る匆々そうそう草鞋を泥に踏み込んで、高山の町を出た。
 雨は降ったり止んだり、折々日がぱっと照り出すかと思うと、また急に雲が重く重って来たりする。道は少しずつ爪先き上りになって、東北の方角を指して、また山の中へ向うのである。四方を見渡しても小さな山が一面眼前を埋めていて、眺望がさらに開けない、せせこましい感じをするばかりである。
 一里半ばかり行くと坊方という山村がある。其処そこから蒲田の温泉と上高地の温泉へ行く道とがあるが、それへは行かず、旗鉾を通って平湯へ行こうというのであった。五里行くとその旗鉾という村へ出た。山が漸次に深くなり、山道を荷を負うて通う牛が其処此処そこここに群をなしている。道の両側の坂地をならして小さな麻畑がいくつも出来ている。此処までの道は、山も高くなく、ただありふれた山地の景色に過ぎない。
 旗鉾からは山は次第に深くなり、樅、栂、ひのきなどの大木が茂って、路は泥深く、牛の足跡に水が溜っていて、羽虫が一面泥の上を飛んで、人が行くとぱっと舞い上る。道は細くうねうね林の下、谿の上を伝って上る。さあっ、さあっと水の音か、樹上を渡る風の音か、ちょっと判断のつかない響がして、鳥の声が妙に澄んで来る、道を行く者も自ずと黙ってしまう。
 雨は止んで、雲が次第にうすくなって来た。まだ行く先き三里の山路だ。
 熊笹が次第に深く茂って来た。少し先きまで降っていた雨が、笹の葉にたまっていて、脚絆までもびしょ濡れになる。見ると、行く手の藪の中にぬるでの葉がもう赤く染まって秋の景色をほのめかせている。
 一里、二里、熊笹の中を踏んで登る。樅の林が厚く茂って、いくら登っても果しがない。振り返って見ると、樅の樹間を透かして、山々の繞っている間に、稲の敷いている平地が処々に見える。
 夕日がきらきら雲間を洩れて射だした。うす青い、妙に澄んだ光が熊笹の上をすべる。樅の林がとぎれて少し明るくなるが、向うを見ると、まだ暗く厚く茂っている。その中に光が射し込んで縞を織っている。
 切り倒したのか、自ずと倒れたのか、古い大木が熊笹の中に横たわっている。その上を踏み越え踏み越え登る。峰から谿から雲が次第に分れて、光は乱射する。物象の変化が如何にも不思議を思わせる。
 ふと、行くての笹原の中で、何かうなる声がする。ぐう、ぐう、と断続して聞える。思わず立ち止った。「何だろう。」「何だろう?」と同じ問が四人の間に繰り返された。
 かまわず進んで見ると何か笹原の中に横になっている。傍の大木が倒れたものの上には、脊負子が立て掛けてあって、衣服が丸めて括しつけてある。それに、大きな刃広の鋸と、まさかりが一丁、小さな瓢が一つ、括しつけてある。
「ああ人だ!」「人がいる。」と四人は木の上へ馳け上って見た。
 老爺だ、六十ばかりの白髪頭しらがあたまの老爺が笹の中に長くなって顔を腑伏うつぶせて眠っている。「オーイ、どうした、オーイ。」と声を挙げて呼んで見ると、「ウーム」といいながら身を起す。見ると真紅な顔をして「アー」と大欠呻おおあくびをしながら、目をこすっている。そして「ああ、好い気持で寝てしまったな。」と、両手を長く伸しながら一行の方を見て、「一体、お前様たちゃ、何処から来ただね。」
「何処からって、高山からさ、お前は一体如何どうしたんだ、そんな処に寝ていて、吃驚びっくりするじゃねえか。」
「なあに、一ぱいひっかけて、その元気でやって来ただがね、あんまり好い気持だもんだで、つい寝ちまって……はア……。」
「でも、もう日が暮れるじゃないか、何処まで行くんだえ。」
「なあに、今夜は平湯までさ、明日は信州へ帰るんだ。」
「平湯までだって、まだ大分あるだろう。」
「なあに一里そこそこでさあ、へえこれから先きは一と走り下り一方でさあ。」
「じゃ一所に行こう、老爺さん。」
「ええ、行きますべえ、ああ、どっこいしょ、山で日を送ってりゃ安気あんきなもんだ、あさっでは久し振りでかかあの顔でも見ますべえかなあ……」
「老爺さんは今まで何処にいたんだえ。」
に飛騨の山の中にいたんでさあ、飛騨なんて小っぽけな国でね、これから信州へ帰るんでさあ。」
「信州の方が好いかね。」
「そりゃ、国柄が違いまさあ、昔から飛騨は下々国といって、『飛騨の高山乞食の出場所』って、歌にもあるじゃありましねえか。」
「大変な気焔だね、山の中で何をしていたんだい。」
「なあに、大勢で木をっていたんでさあ。」
「面白いだろうね。」
「若い奴ばかり集っておりますからね、ははははは。」
「寂しかないかね。」
「寂しいたって、お前様、仕方がねえ、せっせと稼じゃ、こうやって時々家へ帰るんでさあ。」
「他の者は?」
「他の奴らは未だ残っております、可愛かわいそうに、若い奴らだから女を恋しがって、ね、それでも、俺のいう事を聞いて黙って働いていまさあ……。」
 老爺は酒臭い息を吐きながら、脊負子を脊負って、大声で話し掛けながらやって来る。
 入日は峰の雲に隠れてしまった。径は登り尽くして平らになった。樅の木が立枯れして、白く骸骨のようになって立っている。もう一度振返って見た。飛騨にはもう雲が落ちて、今日通って来た辺などの見当は少しもつかない。この山を向うへ下りると、またいつこの飛騨の地などへ来れるか分らんと思うと、懐かしいような気がして暫く立っていて見た。
 下り坂の端に立った。ぱっと一道の虹が深谷の中から天に向って沖している。深い深い何丈とも知れない谿だ、ざあざあと水音らしい響が聞えて来る。谿底はもう薄暗い。谷を隔てて黒い岩質の山が微かな夕の光を反射させている。
「ああごしてえ、まあ先へ行っしゃろ、平湯はこの谷の底だで。」老夫は岩角へ腰をおろした。
 私たちは草鞋の紐をしめ直して、殆んど垂直とも思われる礫だらけの谷の道を馳け下りた。一度足を動かし出したらば、止めようがない。腹をでくでくさせながら、息もつかずに走り下りた。
 藪道をくぐり抜けて渓流の岸へ下りた。ただ一面の短い草の原、今まで来た道は何処へやら、さっぱり判然わからなくなってしまった。が仕方がない、川を伝って下りて行った。何だか擂鉢すりばちの底でもめぐっているような思いがする。斯様な所を通って行って果して温泉なぞに出られるだろうか、と疑いたくなる。ちょっと立止って耳を澄すと、川の音と、うすくかかって来た霧の中をキュッ、キュッと鳴いて飛んでいる蝙蝠とがあるばかりだ。空を仰いでも、もう虹の色はいつしか消えてしまって、薄ぼんやりしているばかりだ。後から来る老爺を待とうかと言い出したが、まあ関わず行けというので進んで行った。
 川が折れ曲ったかと思うと、山陰に家が黒く見え出して来た。燈火がちらちらする。湯の香もする。人の声もする。ほっと息をついた。足も自ら急がれた。
 湯煙りが上り、靄が白くゆらゆら立ちのぼる中に百六十軒の人家が並んでいる、賑かに歌をうたう声が聞えている。実際思い掛けない所を見付けたような気がした。その中の大きな家を一軒見付けて泊った。湯は炭酸泉だ、外湯で、大きな共同の浴場が出来ていて、皆下駄を穿いてその湯に這入りに行く。

 翌朝目がさめて戸外へ出て見ると、雲が晴れ上って、西の方に当って連峰の上、槍ヶ岳の尖頂は雲を突裂いて立っている。温泉の直ぐ後方からは乗鞍岳つづきの連山が、ごたごた聳えたっていて、今日越すのは、この連山の間の安房あぼう峠というので、これを越して白骨温泉へ出ると、都合二回、――一度は表から裏へ、今度は裏から表へ、日本アルプスを横断した事になるのだ。
 一行は身仕度をして直ぐ裏山から登り初めたがなかなか急峻だ。折れ曲り折れ曲りして草深い中を行く、風は涼しいが藪が繁っているので熱苦あつくるしい。少し登ると昨日越して来た平湯峠が目にはいる。
 ちょっと、曲り角に休んでいると、上の方で「アハハハハハ」と笑い声がするので、ぎょっとして見上げると、昨日の老爺が上の岩角で休んでいた。
「やあ、お早うござんすね。」「お早う。」「随分つろうござんしず。」
と言いながら、先きへ立って登って行く。そして色々な話をして聞かせる。年々この山道で春先き一人や二人死人のない事はないという。そうかも知れない。細い道の一方は深い谿、一方は切立った砂山で、たえず砂が上からほろほろ崩れ落ちて来て、径を埋めて谿へ落ちて行くのである。
 登りつめて平かな砂路へ出た。道の行くては大きな黒い山の中腹目がけて打当って行くようになっている。雲は折々その山の頂からかけて一面に濃く中腹までも垂れ下って過ぎて行く、一簇ひとむらまた一簇、その度に寒さがじっと身に沁みる。八月の中旬だというのに、山の中で蝉の声一つしない。林の樹も動かない。立ち止って耳を澄すと、岩角に突裂される雲の音が聞えるような気がする。雷鳥が一羽不意に林の中から飛び出した。
 雲は次第に低くなって来た。道はまた細くなって、樅の樹の白く立枯れした林の中を行く、砕けた骨のように立っているその尖端に雲が引っかかり、裂けて、幾条にも細くなり、また集って、黙って四方に手を伸ばし、圧しつけるようにして通って行く。
 な黙ってしまった。咳一つしても雲へ響き、何か眠っている者の眼をさまし、荒れ出されてはたまらないような気がする。――森然とした中をただ黙って通って行く。
 雲の中を道は自ら曲って、立枯の林の中から深い谿の上へ出た。谷からの風に雲はぱっと吹き払われた。
「ああ、やっと信州の山かな。」と言いながら老爺は道の曲り角へまた腰をおろした。「あすこに見えるのが焼山でさあ、そら、信州の山はやっぱり大きいね、この辺まで来ると、気がせいせいする、へえ、この辺を下りせえすりぁ、信州でさあ。」
 私たちも腰を卸ろして一休みした。日光が美しく信濃の山々を照らしている。青空は濃く、空気は澄んで、すがすがしい。何とも言えない好い心持だ。
 鳥の歌が聞えだした。坂路を少し降りて来ると、渓流が東北に向ってながれている。もう梓の上流だ、道はその谷の上をめぐりめぐりて下る、上高地への分岐点も過ぎて大曲りに谿を一回りすると、青い草山の向うに白骨温泉の家屋が目に這入って来た。





底本:「山の旅 明治・大正篇」岩波文庫、岩波書店
   2003(平成15)年9月17日第1刷発行
   2004(平成16)年2月14日第3刷発行
底本の親本:「太陽」博文館
   1908(明治41)年8月
初出:「太陽」博文館
   1908(明治41)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の表題は「御嶽の表裏」
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年2月3日作成
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●表記について