愛読作家についての断片

平林初之輔




 私は、探偵小説は、手にはいるものは、見さかいなく、好きで読みますけれども、誰と言って、特別に好きな作家は、まずありません。
 コナン・ドイルは、今でもそうとう面白く読めますが、いささか千遍一律なのが鼻につきます。数ヶ月前、本誌〔『新青年』〕の増大号にのった長編小説などは、どうも感心しませんでした。ことに、印度インドあたりから、超自然の力をもった僧侶をひっぱりだしてきて手品の種を明かすなどは、全くまたかという感じしか与えません。印度といえばコナン・ドイルの印度に関する知識はよほど深いようであるが、あまりに、それが神秘化されすぎていて、読者にアナクロニズムの幻覚を起こさせるきらいがあります。
 フランスのある批評家(たしかフランスだと思ったがまちがっているかもしれない)が、コナン・ドイルの refugee という、フランスのユグノーのことを書いた小説を批評して、コナン・ドイル、ひいてはイギリス人がフランスの歴史をまるで知らぬといって批難しているのを見ましたが、狭い海一つへだてたフランスの歴史でさえそうだとすると、東洋のことに対する西洋人の知識などはどうも怪しいと判断するのが当然でありましょう。そこへ、もってきて、例のもっともらしい神秘化が行われるのだから、鼻につくこと一通りでありません。
 とはいえ、コナン・ドイルは中々の学者であります。医者、人類学者、各種の収集家らが主人公になっている場合――ホームズその人が常にこれらを兼ねている共通の主人公であるが――氏の博識は、大抵の読者を驚かせるに足ると思います。
 推理の算数的的確さと、それを潤飾じゅんしょくする博識、これがコナン・ドイルのしんしょうであります。
 ポーに至ると、闇の夜に鬼火を見るような物凄さがあるかと思うと、それと全く反対した、幾何学者のような一面もあるように思われますが、どういうものか、私にはそれが不自然でなく思われます。彼のアブノーマルはかえって自然な感じを与えます。彼が、「仮死」の講義を長々とはじめても、鼻につくようなことはなく、かえって愛嬌に思われますし、どんなに奇々怪々な物語を――たとえば「黒猫」とか「蛾」のような物語をかいても、やはり自然という印象を与えます。コナン・ドイルの神秘は理知で組み立てた神秘ですが、ポーの神秘は理知と融合しています。
 けれども、私は、ポーの作品を、今日のレベルから見て、そんなに優れているとは思いません。彼にはあらゆる探偵小説のシャルム〔魅力〕があると思いますが、それはまだ十分に発育していないと思います。芸術品として不完全だというのではありません。珠玉のごとき完成味をもったものが沢山あります。ただ完全ではあっても、まだ十分に進化していないというのであります。今日の作家の誰よりもポーがすきだというような批評をききますが、この批評を文字通りに解するならば、私は、その批評家を、一種の個物崇拝のマニアであると判断せざるをえません。
 フランスでは、ガストン・ルルーとモーリス・ルブランとが、恐らく同国探偵小説界の双璧でありましょう。私も二人とも愛読します。どちらも変化に富んでいて、機知に満ちたものであります。小説の構成法も、ただ一つのやまをこしらえて、すべての興味を一点に集中するというようなものではなくて、次から次へとおしげもなくやまが連続していて、読者にいきもつかせないといった風のかきかたです。
 二三年前、本誌で紹介されたドゥーゼという作家もすきな作家の一人です。この人の作風は、いかにも落ちついています。比較を求めればガボリオの作風にちょっと似ているように思われますが、ガボリオよりも、近代的であり、北国的であります。カリングという探偵は、そうずばぬけた活動はしないで、綿密に、徐々に、いつのまにか微細な点にわたるまで事件の真相をほどいているというたちの探偵法を用いています。アルセーヌ・ルパンなどとは正に正反対な人格です。ある意味で、最も人間的な探偵といえるでしょう。この人の小説を読むと、探偵の存在にはあまり気付かない程、それほど探偵がひかえ目に活動しています。探偵よりも事件そのものに読者の注意がひかれます。
 最近では、ビーストンやヘルマン・ランドンなども愛読します。いま本誌に連載されているランドンの『灰色の幻』はガストン・ルルー張りの変幻極まりなきものです。私はこの原書は読んでいませんので、どういう風に作者がしまりをつけるかと多大の期待をもって毎月次の号をまっています。
 日本の作家の江戸川乱歩氏も、だんだん私のファヴォリ〔お気に入り〕の一人となってきました。今日本の作家で、――あらゆる小説作家を通じて――私が、手にはいったものは必ず読むにきめているのはこの人だけではあります。「赤い部屋」「白昼夢」等における、感覚や想像力の異常性は、――少々奥行が乏しく、かつ仕上げのところが二つとも不自然であるが――最近の文壇における一収穫でありましょう。
 ついでながら、この前、私が江戸川氏を評した時に、江戸川乱歩というペンネームの由来について下した推測は全く間違いで、氏はポーに最も傾倒しておられるために、その音をとって雅号とされたのだということです。これは私が不明と軽率とのためにおかした事実のまちがいですから訂正しておきます。





底本:「平林初之輔探偵小説選※()〔論創ミステリ叢書2〕」論創社
   2003(平成15)年11月10日初版第1刷発行
初出:「新青年 第六巻第一〇号」
   1925(大正14)年8月号
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年10月28日作成
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