ホオムズの探偵法

平林初之輔




一 書斎の中のホームズ


 ベーカー・ストリートの古びた部屋、そとにはロンドン特有の濃霧がたちこめている。室内には青白い瓦斯ガスランプがついており、ストーブにはかっかっと石炭が燃えている。書棚にはあらゆる種類の専門書がぎっしりとつまっており、色々な薬品や試験管などと共に陶器や各種の金属でこしらえた世界各国の骨董品が並んでいる。その中には、印度インドの仏像や、支那の古器や、南洋土人の手工品や、アフリカの食人種の部落からとってきた頭蓋骨などもあるといった具合。
 ロンドン中の新聞はもとより、パリやニューヨークの新聞などがとりまぜて部屋中に散乱している。その中に、四十そこそこのがっしりした男が、パイプをくわえて、幾分にがみばしった顔つきをして座っている。そのそばには、主人公と同じくらいの年輩の紳士がすわって、二人で何か語りあっている。
 ちょっと見るとこの部屋の主人公は医者のようでもあり、人類学者か考古学者のようでもあり、探険家のようでもある。また肉体だけを見ると、スポーツマンか拳闘手のようにも見える。ところが、これが、だいたい私の想像する、名探偵シャーロック・ホームズのグリンプス〔一見、一瞥〕である。そばにすわっている紳士は言うまでもなく彼の友人であり助手であるワトソンである。

二 ホームズの性格


「すべての感情は、彼の、冷静な、明徹な、それでいて見事に調和のとれた心と相容れない。とりわけ恋愛という感情はなおさらである。私の見たところでは、彼は、全世界を通じてこの上ない完全な、推理と観察の機械であるが、恋愛のことになると、どうも勝手がわからぬらしい。彼は、嘲笑や皮肉なしに恋愛を語ったことはない」
「ボヘミア事件」A Scandal in Bohemia の冒頭で、ワトソンはシャーロック・ホームズのことを以上のように語っている。これでわかるように、彼は冷静な、推理一点張りの人間で、この人の頭には、感情の入り込む席などはとってないらしい。ルパンなどは理知と感情とが並行していて、恋人に対する情熱などは、彼の驚くべき理知力を生むかまどのように思われるが、ホームズになると、恋愛やその他の感情は、推理を狂わせる邪魔者になっているようである。
「カッパー・ビーチス事件」(「ぶな屋敷」)The Adventure of the Copper Beeches の中でホームズがワトソンと二人で「霧につつまれたベーカー街」を抜け出して、アルダーショット付近の田舎へ行くところがある。そこでワトソンが、「何とすばらしい絶景じゃないか?」というと、ホームズは重々しく頭を振って、「君はこのばらばらに散在している家屋を見て美しいと感じるが、僕は、これを見ると、家が一軒々々孤立しているから、人に知られず、罰せられずに罪を犯すことができるという感じしか浮かばんよワトソン君」という。するとワトソンは「冗談じゃない。こんな愛すべき昔ながらの古村と犯罪とを結びつけて考える奴があるもんか?」と一笑に付する。するとホームズは「僕はこういう村を見るといつも何となくおそろしくなるね。ワトソン君、僕は自分の経験によりて信じているがねえ、ロンドンのどんな最下等の路地よりも、こういう美しい片田舎に戦慄すべき犯罪の記録があるもんだよ」という。
 自然の美景に接した時にでも、彼はその美には打たれないで、まず理知をはたらかせるのである。ぼつぼつ散点している家を見ると、絵のかけない人間にでもちょっと絵心がおこるものであるが、ホームズは、家屋が孤立しているということ、孤立した家屋は犯罪に適するということを考えるのである。
 この一事でも彼の性格は大体わかるであろう。

三 ホームズの探偵法


 キュリー夫妻がラジウムを発見するにどういう方法をとったかということは周知のことである。彼らはまず放射物質を含有する数百トンの鉱石を分解して放射物質を含んでいない部分を次々に除去してゆき、最後に、この莫大な鉱石の中から数グラムのラジウムを得たのであった。
 シャーロック・ホームズの探偵法もこれに似ている。「ベリル・コロネット事件」(「緑柱石の宝冠」)The Adventure of The Beryl Coronet の中で彼はこういっている。(面白い文句だから原文と訳文とを両方あげておく)
 It is an old maxim of mine that when you have excluded the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth.
「不可能なことを除去してゆけば、あとにのこったことは、どれほど有りそうにないことでも、それが真理に相違ないっていうのが我が輩の年来の信条だ」
 話はちがうが、ポーの「モルグ街の殺人」なども、この公式の適用された例であって、真理を知るためにまず真理でないものを除去して、捜査の範囲を狭くするということは、あらゆる探偵の実際に行っているところである。名探偵ホームズがこの平凡な真理をマキシム〔信条〕として遵奉じゅんぽうしているのはゆえあるかなといえる。
 ある事件に当面すると彼は小獣を見つけた虎のように緊張する。この緊張裡に彼の微細な推理力は醗酵するらしい。ワトソンが早目に「どうだね、わかったかね?」というような質問をする。すると彼は答える。“I can not make bricks without clay”(粘土がなくちゃ煉瓦は造れないよ)材料がなくては見当がつかぬという意味だ。これまた味わうべきげんである。下手な探偵は粘土なしに張り子の煉瓦をこしらえがちである。そういう軽率なことは彼はしない。
 次に彼はある事件に対して、可能な説明を残らず思い浮かべる。時とすると、それは七つも八つもある。その中でどれが真理かは、はじめは自分にもわからぬが、その後のインフォメーションが付加されるたびに、例の除去法を用いて次々に不可能なものが除去されて、最後に真理をつきとめるのである。江戸川乱歩氏の「黒手組」に足跡のない人間を説明する場合にこういう方法が用いられている。
 その他、ホームズの探偵法の特色を列挙すれば、幾らでもあげることができるであろうが、要するに、それは、「科学的」「理性的」であって、「直覚的」「空想的」でないといえる。しかし同じく科学的といっても、ソーンダイク博士が顕微鏡と試験管とをなくしたら、その活動力の大部分を奪われてしまうであろうに反して、ホームズは頭が狂わぬかぎりは活動力をそがれることはなかろうと思われる。また粘土なしには煉瓦をつくらぬけれども、粘土さえ揃えば電光石火的の早業はやわざで煉瓦をこしらえるところは一見「直覚的」とも見られる。けれどもこの「直覚」は「推理」が異常に早く行われたものに外ならぬであろう。

四 ホームズのマンネリズム


 だがホームズの探偵法もあまりしばしば見ていると、その型が鼻についてくる。『緋色の研究』のはじめの部分の推理方法などは、彼がその後常套じょうとう的に用いるもので、後になると、そのマンネリズムが少々うるさくなってくる。いつか本誌〔『新青年』〕に訳載された誰かの作品に、ホームズのこのマンネリズムをカリカチュアライズ〔風刺〕したものがあった。「今日は雨が降ってるね」「どうして部屋の中にいてそれがわかるね?」「窓硝子ガラスに雨粒が浮かんでいるじゃないか」……といった風のものだったと記憶しているが、よくホームズのかびくさい一面をついていたと思った。





底本:「平林初之輔探偵小説選※()〔論創ミステリ叢書2〕」論創社
   2003(平成15)年11月10日初版第1刷発行
初出:「新青年 第七巻第三号新春増刊号・探偵小説傑作集」
   1926(大正15)年2月号
※表題の「ホオムズ」と、本文中の「ホームズ」は、底本通りです。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年10月28日作成
2010年12月15日修正
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