私はかうして死んだ!

平林初之輔





 私がこれから話すことは、全部正真正銘の事実である。ただ色々な都合で固有名詞だけは、抹消したり、変改したりしたが、事実そのものには一点一画も私は修正を加えなかった。
 本文で私となっているのは、私にこの原稿を送ってくれた船井君のことである。私は最初三人称でこの物語をはじめようと思ったが、本人自身の筆で語らせた方が効果的だと思ったので最初の形式をすっかり保存して、若干字句の修正を施すだけにとどめたのである。
 彼は本文を読めばわかる通り、去年の二月に肺結核で死んでしまい、死体は火葬場で焼かれ、骨は郷里の墓場に埋められてしまった。それにもかかわらず死後一年たってから、彼は自らペンをとって私にこの不思議な物語を送ってきたのだ。以下は船井君自身の筆になるものである。(平林付記)

     *   *   *

 船井三郎、私は仮に私の名をこう呼んでおく。職業は鉄工である。生まれは鳥取県の片田舎で、年は三十六歳両親は二十年あまり前に二人とも死んでしまったし、兄弟や姉妹はもとから一人もいない。いまだに妻も子もない。十五の年父にわかれてから、近所の町を振り出しに、ありとあらゆる労働をして諸国を渡りあるき、地震の年に東京へ出て、今の××鉄工場の職工になったのだ。今では立派な熟練工で四円の日給をもらっているかたわら、城東労働組合の理事をしている。郷里には親類縁者は一人もないので、私はこの二十年の間一度も郷里へ帰ったこともなければ、郷里の人と音信をしたこともないのだ。
 こういう全体的に至って散文的な私の境遇は、これから私が話す妙な犯罪――そうだたしかに一種の犯罪だ――に欠くべからざる条件なのだ。以上の条件が一つでも欠けていたら――たとえば私が鉄工でなくて官吏であるとか、私の両親が生きているとかしたら、私は恐らく死んでしまわなくともすんだであろう。


 去年の春、議会が解散になって、普通選挙による第一回の総選挙が行われた当時、よほど注意して新聞を読んでいた人は船井三郎すなわちかくいう私が、某無産党の公認で、東京の第×区から立候補しそうな取り沙汰ざたがあったのが、いつのまにかうやむやのうちに沙汰やみとなったことをおぼえているだろう。私はその時、ただ、一身上の都合で立候補を断念すると簡単に声明しただけだったが、それには私だけしか知らない奇妙な事情が伏在していたのだ。
 がんらい私は進んで自分から立候補する意志をもっていたのではない。党の支部と組合の幹部との切なる勧めによって、半月間も熟考したあげく、しぶしぶ立候補を決意したのであった。
 だがいったん決意した以上は、私一個人としての引っ込み思案はきれいさっぱりとすてて、党のため、党の支持する無産大衆のために飽くまでも当選を期する覚悟でいたことは無論だ。そして私の前景気は、じっさい素晴らしかった。自分で言うのも変だが、私は無産党の間では質実な、信用のおける闘士として過分な信頼を受けていたので、無産三派の選挙協定で、他に競争候補を立てないことにきめて三派が一致して私を支持してくれることになった。でもし私が立候補を取り消さなかったら、たしかに私は最高点で当選していただろうと思う。というのは、私が立候補を取り消したあとで、残念ながら三派の協定が破れて無産党の候補が乱立したが、それでもそれぞれ三人とも当選圏近くまで、どうにか漕ぎつけていたからだ。
 それはとにかく私はいよいよ立候補とはらをきめると、色々な手続きをする上に必要があったので、郷里の役場へあてて戸籍抄本を取り寄せることにした。すると一週間ばかりたってから役場から実に意外な返事が来た。船井三郎という人間はつい三日前に死亡届が出ており、船井家には今生きている者は一人もないので戸籍は無くなってしまっているから抄本はつくれぬという通知であった。
 馬鹿々々しい間違いがあるものだと私は田舎役場の出鱈目でたらめさ加減を憤慨したが、何しろ東京と鳥取県の田舎では手紙などで照会していたのでは容易にらちがあきそうにないので、まだ誰にもそのことを話さぬうちに、党の支部へは、ちょっと急用で郷里へ帰ってくると言いのこしておいて、私はその晩の夜行で東京駅をたった。
 都合のよいことには、二十年振りで帰るのだから、村には一私の顔を見て私のことを思い出す人などはいない。それにその日はあの地方に特有の雪空だったので、村へ着いた時には誰にも会わずにすんだ。私はまっすぐに役場へ行った。
「僕はこの村の船井三郎君の友人ですが、船井君の戸籍抄本を四通ばかりこさえていただくように頼まれてきたんです」と私はうそを言った。私自身が当の船井だと言ったのでは、色々うるさいことがあって、まさかその足で引き返してくるわけにはいかないように思ったからだ。田舎、わけても自分の生まれた土地というものは、都会にばかり育った人間には想像のつかないほど面倒なことがあるものだ。そして私はまたそうした面倒なことが人一倍嫌いなのだ。
 小使は妙な顔をして、じろじろ私の顔を見ながら起ち上がって奥へ行った。やがて四十五六の、どこか多少見覚えのある眼の細い男が出てきた。
「村長はいま町へ行って留守でな、わしが助役じゃが、何か用事かな」と彼は私の顔を見ながら言った。どうも田舎の人間は相手の顔をぶしつけにじろじろ見る癖があるものだが、特に私の村ではそれが極端で、なれない人はきっと不愉快に思うだろうと思う。しかし彼は幸い私を知っていない様子だったので、私はやれやれと思って、さっき小使に話した用向きを繰り返した。
「その船井三郎ちゅう人はこないだ死んだで」
 こういいながら、彼は起ち上がって、大きな帳簿をもって何かぶつぶつ独語ひとりごとを言って引きかえしてきた。
「この通りちゃんと死亡届が出とる」
 私の前へつき出された戸籍簿の私の名前の肩にはなるほど朱の細字で「昭和三年二月二十一日死亡」と書いてあった。
「何か病気ででも死んだのですか?」
 私は、飛んでもない間違いだとは思ったが、それでも朱色の不吉な文字を見ると少々嫌な感じに打たれながら、他人事ひとごとのようにきいた。
「何でも東京で死んだちゅう話じゃから、わしもくわしいことはよう知らんが、肺病じゃちゅうこった。医者の死亡診断書もここへきとる」
「その診断書をちょっと拝見できませんか?」
「おやすいこった」
 彼は奥へ行って書類の綴じ込みをもってきて、その一番上の一枚を指し示した。
 死亡の時という欄には昭和三年二月二十一日午後四時としてあった。死亡の場所という欄には、東京市××区××町××番地と書いてあって、死亡の原因という欄には「肺結核、心臓麻痺併発」としてあった。死亡者の氏名は、船井三郎すなわち私自身の姓名に相違なく、生年月日原籍等も私自身のそれと寸分もかわっていなかった。ただ現住所という欄が、死亡の場所と同番地になっていたが、それは私の一度も住んだことのない場所だった。診断した医師の名前は、死亡場所のすぐ近所の町に住んでいる、瀬越せごし雄太郎となっていた。
「ははあ」と私は、私自身の死んだことを証明するこの奇怪な書類を見おわってから、狐につままれたような気もちで、しかも少なからず不快な気もちで皺枯しわがれ声で言った。
「そうするとやっぱり船井君は死んだのかなあ、かわいそうに」
「遺骨もこないだ届きましたよ、ちゃんと壺へはいって、針金でしばって丈夫な箱へ入れてありました。骨のうめてがないので、役場で取り扱って、ちゃんと先祖の墓のそばへ埋めてやりました」
「そりゃどうも有り難うございました」
 私は私自身の遺骨の埋葬のお礼を言うとき、何だかほんとうに自分が死んでしまって、現在そこにいる自分はほんとうに自分の友達ででもあるかのような気がして、無気味な寒さを背筋に覚えた。
「火葬場はどこでした?」と私はもう一度事実をたしかめようと思ってこう訊ねた。
「たしか、落合ちゅうとこだったなあ」と彼は小使を顧みて言った。
「船井君の墓地はどこですか、ちょっとついでにお墓参りをしてこようと思うのですが」
 私はよく知っていたけれども、わざとこうたずねて、道を教えて貰った。そして助役にお礼を言って、役場を出て、雪の中を、子供の時分にふみなれた道を歩いて行った。
 私は見すぼらしい両親の石碑の前にたってしばらく心から瞑目合掌した。そのそばに新しく掘りかえした、小さな土のもり上がりができていて、新しい卒塔場そとばが雪の中に倒れていた。そして、土の盛り上がりの上には粗末な白木の位牌がおいてあり、その前に誰がたててくれたのか水仙の花が二三輪たてかけてあった。それを見ると何ともなしに涙が出た。
 私は、雪を払い落として位牌の文字を読んだ。
『天涯孤独信士』
 裏には、「俗名船井三郎、享年三十六歳云々」としてあった。
 私はその晩、村の誰にも見られずに、文字通り墓穴から抜け出した亡者のように、夜汽車で東京へ向けてたった。


 私はこの通り生きている。だが、すべての事情は私が死んだことを証明している。この世の中に、私の生きていることを証明する手段は、私が自分でその筋へ名乗り出る以外にない。否、それとてもたしかな手段とは言えぬ。村の人は二十年も前の私を忘れているらしいから、ただ口頭の証言だけで信じてくれるかどうか疑問だ。しかし私は、そんな面倒なことをしてまで私の生きていることを証明する必要があるだろうか? 私の生きていることによって爪の垢ほどでも私は利益を期待し得ただろうか? むしろ私は、誰かのいたずらか知らぬが、私を偶然にもこんな奇妙な位置においてくれたことを感謝したくらいだ。
 私は東京へ帰ると急に立候補断念を声明した。そして誰が何ときいても、ただ一身上の都合一点張りで押しとおしてしまった。これは無産党の闘士として、たしかによい態度とは言えぬ。だが、戸籍のない人間には立候補の資格はないし、代議士になるよりも死んだ人間として生きてゆく方が私には遥かに誘惑的だった。
 だが私は誰にも知らせずに、この真相を私一人で是非つきとめてみようと思いたった。というのは、私を殺した人に復讐したり、その人に自白を迫ったりするためではなくて、むしろ、その人に自白などをされては困ると思ったからだ。この不思議な境遇をずっとつづけて行ったらどんなことになるかを試してみたいと思ったからだ。
 で私はまず私の死亡を診断した瀬越雄太郎という医師をたずねた。
 瀬越医院は診断書に書いてあった番地にまちがいなくあった。私は名前を偽って院長に会った。彼はその時の事情をよくおぼえていて、気さくに何もかも話してくれた。
「ついここから二つ目の通りの最初の路次ろじを曲った右側の家ですよ。私を迎えに来たので、最初私が行ったのは、亡くなられた前の日でしたが、一目見てもう駄目だってことがわかりました。ずいぶん永年わずらったものと見えて、両方の肺がすっかり滅茶々々にこわされて、まだ生きているのが奇跡だと思われるくらいでしたからね。あの病気の患者は息をひきとるまで意識が明瞭なのが普通ですが、その男は、まるで、強い酒でも飲んだあとのように、ひどく心臓が弱っていて、熱もあの病気の患者としては異常に高く、私がたときは昏睡状態だったので、私はどうにも施すすべがないので、ただカンフルの注射をしてあげただけでした。もっとも患者が強く興奮するとああいう症状をあらわすことは珍しくないのです」
「それから二度目に行ったのはその翌日の夕方でしたが」と彼は職業がら少し言いにくそうに言葉をつづけた。「何しろ流感がひどくはやっていて、手放せない患者があったものですから、ついおくれましてね。けれども、どうせ、はやくお伺いしたところで、どうにもしようはなかったのです。四時少し前に使いの方が来られて、すぐ行ってみましたが、その時はもうこときれたあとでした。実にめずらしい患者でしたよ。何でも私が前日診察した時まで、一度も医者にかけたことはない様子でしたからね。まるっきり、あおざめた剥製の人間という感じで、息の通っていたのが不思議なくらいでした」
 瀬越医師の話はこれでおわった。
「その男はたしかに船井三郎と申しましたか?」と私はあっけにとられてきいた。
「本人は昏睡状態で、口をきくことはできなかったのですが、玉村というその家の主人が患者のお友達とかで、患者の住所姓名から原籍まですっかり知っていて私にそう言いました」
 私には玉村という男はぜんぜん心あたりがなかったので、
「その主人というのはどんな男でした?」
 とたずねてみた。
「まだ年齢は四十前のようでしたが、あごから頬まで一面に見事な髭をのばしている人でした」
 私はこれだけ聞くと、院長に丁寧にお礼を述べて、瀬越医院を去った。


 私はその足で、院長から聞いた玉村の家へ行ってみた。
 ところが、そのあたりには玉村という姓の家は一軒もなく、その家らしいのに、貸家の札が貼ってあった。
 近所でたずねてみると、玉村という人はつい半月ばかり前にひっこしてきて、一週間たつかたたないうちに、またどっかへ引っ越して行ったということであった。
「その家で、近頃不幸があったと聞きましたがほんとうでしょうか?」と私は、私にその話をしてくれた、一軒おいて隣の京染屋のお内儀かみさんにきいてみた。
わたしはよく知りませんけれど、何でも、引っ越しの前の日にお葬式の自動車が来て、死人を焼場へつれて行ったとかいう話でした。でも別にお通夜のあった様子もなかったし、お経を読む声も聞こえませんでしたわ。そして、その次の日のおひる頃にすぐお引っ越しになったのです。ずいぶん変った人でしたわ」
「どこへ越して行ったかわかりませんか?」
 と私はたずねてみたが、もちろん彼女は知っていなかった。そして、ひっこしてきてから一週間かそこらしかそこにいなかったので、近所の人は恐らく誰も知らないだろうということであった。それで私は近所をたずねることは断念したが運送屋にきけばすぐにわかるだろうくらいにその時は考えていたのだ。ところが、京染屋のお内儀かみの話によると、玉村という男の引っ越しの時には、別に運送屋が来た様子はなく、本人はトランク一つもってタクシーで行ったきりで、その翌くる日差配が来て貸家の札をはって行ったということであった。
 そこで私は差配の家の番地をきいて、そこへ行ってみた。
「玉村君はどこへ越したかわかりませんか?」
 と、私は前から玉村の知りあいのような句調くちょうでたずねた。
「一週間ばかり前にお引っ越しになったのですが、どこへとも仰言おっしゃいませんでした。こんなことがあるといけないと思って、移転先を伺ったのですが、いま番地をおぼえていないからあとで知らせると仰言っていました。でもいまだに何ともご通知がありませんのですよ」
 差配さはいのお内儀は、いかにも申し訳なさそうに、私の顔を見ながらこうびるように答えた。
「荷物はトランク一つきりだったそうですね?」
「それがね、不思議なんですよ。近所の貸布団屋から夜具を一組お借りになったようですが、それにはこないだ亡くなられたご病人が、おやすみになってらしったようですから、あの方はこの寒いのに夜具なしで、暮らしてらしったにちがいないのですよ。まさかあの重病人と一緒におやすみになるわけには、いきませんでしょうからね」
 私はこの話をきいて、玉村という男はきっと晩にはこの家にとまったのではないに相違ない、この重病人をたった一人空家同然の家に寝かしておいて自分はどこかへ泊まりに行ったに相違ないと考えた。これは実に言語道断なことだが、この寒いのに一週間も夜具なしで暮らすということよりも、その方が合理的だと私は考えたのだ。


 私は玉村の貸屋を中心として、その近所のタクシー屋を片っ端から探しはじめた。そして、二日かかって二十七軒目のタクシー屋で、やっと、問題の日に、頬からあごへかけて立派なひげの生えた、トランクを一つもった男を、くだんの番地からのせて行ったという運転手を発見した。
 運転手は、私を警察の者とでも思ったのか、非常に恐縮して言った。
「何か間違いでも御座いましたか?」
「なあに、間違いという程ではないんだが、ちょっと行方をさがしてるんだから、知っているなら、すっかり話して貰いたい」
 タクシーの運転手にとって何よりも恐ろしいものは警官である。彼らは何か事故が起こるとすぐに、彼らの唯一の生活の資本である運転手免状を取り上げるぞと脅かされる。その運転手も一図に私を警察の刑事と勘違いしたおかげで、おっかなびっくりで、すっかり話してくれた。
 それによると玉村は、本郷××町の立憲××会本郷支部という看板のかかった家の前で車を下りて、たしかにその家の中へはいったということであった。
 私は、早速その運転手の自動車にのってその家の前まで行った。
「こちらに玉村さんという方はいらっしゃいましょうか?」
 と私は中へはいってたずねた。
「そんな人はこちらにはおらん」と二十歳前後の紺絣こんかすりの着物をきた筋骨たくましい青年がぞんざいに答えた。
 ははあここは××会の壮士の巣窟だな。道理で、玉村の容貌風采がそれらしいと思ったと私はひとりで合点した。
「頬からあごへかけて立派な髯を生やしていらっしゃる方なんですが……」
「君は誰だ。一体、何か用があるのか? 大方××党のスパイだろう。我が党の情勢をさぐりにきたんだろう」
 一人の壮士がこう答えて、凄い眼つきで私の様子をじろりと見た。
「いいえ、実は本部の山岡先生からの使いで、内々でこちらのご主人にお目にかかる用件ができたものですから」
 私が、××会の山岡総務の名前を口に出すと、壮士連は急に態度をかえて、ちょっと二階へ上がったが、すぐおりてきてどうぞお二階へと案内した。
 私は二階へ上がって行った。
 玉村という男は事務机に向かって何か忙しそうに書き物をしていたが、私が上がってゆくと、急に、私の方へ向き直って、さあどうぞと鷹揚おうように椅子をすすめた。
「ちょっと密談があるので五分間ばかりお人ばらいが願いたいのですが」と私は取り次ぎの男に気兼ねする様な風をして言った。
「よろしい、君、下へおりていたまえ」
 親分の命令で、若い壮士はとんとん下へおりて行った。
 私はわざと一分間ばかりだまっていてから、突然、非常にはっきりとした声で言った。
「僕は船井三郎という者です」
 私はたった一言言って、じっと眼をすえて相手の表情を見ていた。
 人間の表情というものが、こうも急激にがらりと一変するものかと私はその時に思った。壮士の親分らしく、悠然と虚勢を張っていた玉村は、急に真っ青になって、唇のあたりを痙攣けいれん的に細かくふるわしながら、まるで、電気をかけられたようにすっくとち上がった。私も、彼が何か暴行を加えるつもりだろうと思ったので、反射的に起ち上がったが、彼が起ち上がったのは、あまりにひどい驚きのためで、決して暴行を加える意志ではないことがすぐにわかった。
「悪かった、君、僕が悪かった。堪忍してくれ給え」
 こう言いながら彼は私の前にとつぜんひざまずいたので、今度は私の方があっけにとられたくらいだった。壮士というような人間の心の単純さに私はじっさい吃驚びっくりしたのだった。
 彼はすっかり私に話してくれた。それによると、彼は、労働者仲間に人気のある私が××党から立候補すると聞いて、大変だと思い、私を死んだことにしておけば、後ではどうせいたずらだということがわかるにしても一時立候補の手続きがおくれるからその間に、自党の候補が機先を制して猛運動をつづけてゆけば、私の地盤がくつがえせると思って、あんなたちの悪い狂言を仕組んだのだということであった。
「君の一存でやったのか、党の幹部も知っているのか?」と私は興味をそそられてきいてみた。
「むろん僕の一存でやった仕事で、誰も外には関係者はありません。もっとも成功すれば報酬を貰うことにはなっているんですがね」
「それにしても、僕の身元がよくわかったねえ」
「それは君のつとめている工場でしらべて貰ったんです。あの工場では君の立候補を喜んでいないから、こちらの便宜を十分はかってくれましたよ」
「では、あの病気で死んだのは誰だい? 君は罪もない人間を殺したんではないか?」
 この質問を彼はひどく恐れていたと見えてあわてて答えた。
「飛んでもない、ちがいます。あれは浅草で行き倒れの行路こうろ病者をひろってきたんです。僕はずいぶん世話をやいて、医者にもかけてやりましたよ。もちろん、もう二三日の寿命しかないとは思っていたんですがね。ああいう人間が必要なら浅草辺を一日かかればいつでも探し出せますよ。本人も道ばたで野たれ死にするよりゃ畳の上で死んだ方が楽ですから功徳ですよ」
 こう答えたとき、彼の額には汗がにじんでいた。私は彼の言葉をほんとうだと思った。いずれにしてもその点を追窮するつもりはなかったので質問をつづけて行った。
「で君はあの貸家にそんな大病人をひとりでおいといたのだね?」
「どうもあのひどい肺病やみと一つ部屋の中に寝ることもできませんし、それに夜、家を空けちゃこちらで、あやしまれますからね。玉村という偽名であの家を借りて、あの病人をひとりで寝かしといたんだす[#「寝かしといたんだす」はママ]
「そして病人がいよいよ駄目で口もきけないということがわかってから医者をよびに行ったのだな?」
「そうです。でも僕が病気を悪くさしたのではないのですよ」
「だが、君は病人にウィスキーか何かのませやしなかったか?」
「そんなことまでわかりましたか」と彼は額に脂汗をにじませながら言った。
「実は、あの病人が、とても回復の見込みはないから、この世の思い出に好きな酒を一杯だけ飲ましてくれとせがむもんですから、ブランデーを一杯のましてやったのです。ところが彼奴やつはひどく喜んでお礼を言っていたかと思うと、急に昏睡状態に陥ってしまったのです」
「では、その死んだ男は、まだ生きていることになっているんだな?」
「そうです、選挙がすんだら、間違いを届け出て訂正して貰おうと思っていたのです」
「では、その男の戸籍はわかっているのか?」
「僕がその男を家へつれてきたとき、大変よろこんで、死骸の始末だけしてくれと言って、僕に身元をすっかり話してくれました」
「そんなことを届け出たら君は大変な罪になるぞ」と私は、少し考えるところがあったのでおどしてやった。
 彼はまた菜っ葉のように蒼くなった。こういう荒くれ男が青くなるのは、見ている者には実に愉快なものだ。
「だが」と私はすっかり勝利者の優越感を味わいながら言った。
「君がすなおに白状したから、僕はこんな問題を警察沙汰にしようとは思わん。と言って死んだ男を生きたことにして、生きている僕を死んでしまったことにしておくわけにもゆかんから、これは僕から届けて訂正してやる。君は、前途有為の青年だ、もう二度とこんな悪いことをしちゃいかんぞ。君の一生を今棒に振らせては気の毒だから、その死んだ男の戸籍を僕に渡したまえ、僕の方からそっと手続きをすまして、君の名は出さずにおいてやる」
 彼は、私の寛大な処置に非常に感謝して、本箱の抽斗ひきだしから紙片をとり出して私の方へもってきた。
 このことがあってからもう一年になる。むろん私はいまだに、そのことは届けていないのだ。玉村は、私の方ですっかり手続きをすましたものと思いこんでいるから、彼の方で届け出る気遣いはない。
 こうして私は死んでしまったのだ。そして今でも死んだことになっているのだ。私には墓場もあれば、死亡届も出ており、医師の診断を経て死体は落合の火葬場で焼かれて、遺骨は先祖の墓にうめられているのだ。すべてが少しも手続き上の違反もなく、手落ちもなく、私の死を証明しているのだ。
 私は今では私自身の皮肉な位置になれてしまって、気味わるくも何とも思っていない。だがもし私が、大罪をおかして死刑にでもなるとしたら、裁判官はいったい誰に死刑の宣告を下すだろう。死んでしまった私にもう一度死刑を宣告するだろうか? もし私が何かの罪で逮捕されるとしたら判事は誰に向かって令状を発するだろうか? 骨になって埋められている私をどうすることができるだろう? 私に恋人ができて結婚するとしたら、彼女は、火葬場の灰になった私を花婿として抱擁するだろうか?





底本:「平林初之輔探偵小説選※()〔論創ミステリ叢書1〕」論創社
   2003(平成15)年10月10日初版第1刷発行
初出:「新青年 一〇巻七号」
   1929(昭和4)年6月号
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年7月4日作成
2011年2月23日修正
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