象徴の烏賊

生田春月




る肉体は、インキによつてたされてゐる。
傷つけても、傷つけても、常にインキを流す。
二十年、インキに浸つた魂の貧困!
或る魂は、自らインキにすぎぬことを誇る。
自分の存在を隠蔽いんぺいせんがために
象徴の烏賊いかは、好んでインキを射出する。

或る蛇は、常に毒液を蓄へてゐる。
至大の恐怖に駆られると、蛇はみつく。
致命の毒を対象に注入しながら
自らまた力尽きてたふれる旱魃かんばつの河!
或る蛇の技術は、自己防衛とその喪失、
夏夕の花火、一瞬の竜と天上する。

或る貝は、海底に幻怪な宮殿を築く。
あらゆる苦悩は重く、不幸は塩辛く、
利刃に刺された傷口は甘く涙を流す。
或る真珠の涙は、清雅な復讐ふくしうである。
奸黠かんかつな商売の金庫に光空しく死せども、
美しい夫人の手に彼の涙は輝く。

或る植物は、常にじめじめした湿地に生え、
その身をあまりに夥多くわたなる液汁に包む。
深夜、或る暗い空洞から空洞へ注ぎこまれ、
その畸形きけいなる尻尾を振つて游泳いうえいする
或る菌はしばしば死と復讐の神である。
漠雲の中哄笑こうせうする、目に見えぬものは神である。





底本:「日本の詩歌 26 近代詩集」中央公論社
   1970(昭和45)年4月15日初版発行
   1979(昭和54)年11月20日新訂版発行
底本の親本:「象徴の烏賊」第一書房
   1930(昭和5)年6月
入力:hitsuji
校正:The Creative CAT
2023年4月4日作成
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