東京の近郊

大町桂月




日本橋より四方五六里内外、徒歩して往復の出來る範圍内の地を、こゝに東京の近郊と稱す。南は、品川灣也。東には、江戸川(小利根ともいふ)あり。西には多摩川あり。荒川(下流は隅田川、大川)その中央を流る。東京の近郊は、以上の三大川を有し、臺地と低地とに分る。東より北へかけては低地にして、西より北へかけては臺地也。この臺地が、いにしへの所謂武藏野也。武藏野、今や野にあらずして、畑也。其大部分は、埼玉縣に屬す。日本國中、最も麥の收穫の多きは埼玉縣なるが、この臺地、水田となすに由なければ、自然に多く麥を植ゑるに由るなるべし。臺地も間斷あり。其の凹める處は、小川流れ、水田あり。其の川の水、池より出づるもあれど、臺地方面の近郊にては、多く玉川上水の水をひけり。玉川上水は、啻に東京市内に入りて、飮用に供せらるゝのみならず、用水として田に引かるゝもの、二十餘處の多きに及べり。
 簸川平原は、山陰道にては第一の平原なるが、西風つよければ、この平原の農家は、西方に一列の木立をひかへたるのみにて、明るし。武藏野の農家は、四面に木立を帶ぶるを以て薄暗くして陰鬱也。東海道は、東京より神奈川に至るまで、幾んど家つゞきなるが、木立はつゞかざれば、路は明るし。甲州街道は、東京より七八里の間、家つゞきにして、兼ねて森林つゞきなれば、太だ陰鬱也。冬は日光あまり當らずして、雨餘の路惡るけれど、その代りに、夏は凉し。街道には、多く竝木あるものなるが、甲州街道の如き、森林つゞきの街道は、稀に見る所也。村路に至るまでも、路幅は廣し、東郊の低地は、路明るけれど、西郊の臺地は、樹林を帶びて、路何となく陰氣也。[#「陰氣也。」は底本では「陰氣也」]
 農家の帶びたる樹木には[#「樹木には」は底本では「樹本には」]、欅多し。凡そ東京近郊の臺地ばかり、欅の多き處は天下幾んど其比なかるべし。中にも欅の竝木の見事なるは、府中の大國魂神社(六所明神)也。雜司ヶ谷の鬼子母神、之に次ぐ。
 日本は古來、農國也。毎年同じ處に、同じものを植うるを以て、多く肥料を要す。其肥料には、人糞を充つ。都下二百萬人の糞、一半は糞舟にて海に向ひ、一半は糞車にのせられて近郊に出づ。大山街道、甲州街道、東山道、奧州街道の如き、都の出口は、糞車ひきもきらざるは、閉口也。二子ふたごの渡の如きは、晩方になれば、來るは/\、糞車數百の多きに及ぶ。神經家ありて、糞車と同舟することを嫌はば、終に渡るに由なかるべし。
 武藏野の畑とならぬ處は、雜木林也。雜木とは、櫟、榛木など、木材とならずして、おもに薪炭に用ゐらるゝもの也。その雜木、西郊には、路ばたにもあり。東郊には、あぜ路につらなれり。
 菜花は、田野の春をかざりしものなるが、ともし油幾んどすたれ、石油一般に用ゐらるゝに及びて、菜花の美もなくなれり。西郊には、全く無し。東北郊には遠くはなれて、をり/\之を見る。
 花木の觀を言はむに、近郊に、梅園少なからず。その中にて、最も木ぶり枝ぶりの見るべきは、江東の龜井戸の臥龍梅也。梅園として、美事なるは、西南部の蒲田の梅屋敷也。この二園を見れば十分なるが、なほ江東には、木下川梅園、向島の百花園あり。百花園には、秋草もあり。西郊には、新宿停車場より程近き角筈の銀世界、蒲田の梅屋敷より程遠からぬ原村の立春梅あり。多摩川のかなたに、小向梅園ありたれど、去年よりすたれたり。
 櫻は、小金井の櫻、天下の美觀也。東京には、吉野櫻といふもの多し。生長も早し。十年もたてば、可成り大きくなりて、滿樹花を帶ぶ。飛鳥山、向島、その他、諸所の櫻、多くはこれ也。吉野といふは、吉野山の櫻といふ意味にあらず、染井の吉野といふ植木屋の名に出でたるものなりと聞けり。小金井の櫻は、吉野山の山櫻を移植せるものにて、東京附近には、其類まれ也。玉川の上水をはさんで、兩岸に連なること凡そ一里半。樹も老いて大也。下流の方に、東京にありふれの吉野櫻を植ゑたるは、狗尾續貂の觀なしとせず。櫻の最も多きは、荒川堤也。一に熊ヶ谷土手ともいふ。凡そ三四里、荒川の左岸にあり、千住を過ぎて向島の櫻に連なる、小金井と荒川堤とが、東京近郊のみならず、之を天下の美觀と云ひても可なるべし。
 桃は、市川、中山、越ヶ谷、やゝ遠くして、野田、八村みな桃也。これ天下無比の壯觀也。牡丹は本所四ツ目の牡丹園、美觀をきはむ。躑躅は、大久保。藤は、龜井戸天神。やゝ遠くしては、粕壁在の藤、千年の古木にして、房の長さ五六尺に及ぶ。菖蒲は、堀切が有名なりしが、近年蒲田に、菖蒲園出來たり。恐らくは、これ關東第一なるべし。京都は楓多くして、櫻少なし。之に反して、東京は櫻多くして、楓少なし。瀧野川が楓名所にては、大いに物足らぬ心地す。
 根岸の御行の松、東京第一の名木也。もし、大を言はば、麻布善福寺の銀杏なるべし。小岩不動には、星下り松、四抱へもありて、高く立ち、影向松、十間四方にひろがる。この二木をあはせ得て、東京近郊に於ける、松の奇觀也。木下川藥師の富の松、八代將軍の命名せしとかにて、横に長きも、亦奇觀也。
 近郊にて、最も繁昌せる寺は、川崎大師(眞言宗)、池上の本門寺(日蓮宗)、目黒の不動(天台宗)、堀内の祖師(日蓮宗)、新井の藥師(眞言宗)、雜司ヶ谷の鬼子母神(日蓮宗)、西新井の大師(眞言宗)、柴又の帝釋天(日蓮宗)、中山の法華經寺(日蓮宗)、いづれも、酒樓旅館をひかへて、近郊にて、最も繁昌する寺也。關東は日蓮宗の本場にて、日蓮宗の寺は、到る處に繁昌す。池上の本門寺と、中山の法華經寺とは、甲州の身延山と共に、日蓮宗の三大寺也。南の川崎大師、北の西新井大師、これ近郊に於ける眞言宗の二大寺也。されど、いかにも神聖清淨の地と思はるるは、奧澤の九品佛(淨土宗)と、谷原村の新高野山(眞言宗)と也。
 關東は、源氏の故國とて、到る處、八幡宮多し。されど、八幡宮は、例の御利益なければ、どこも餘り繁昌せず。伊勢屋稻荷に犬の糞は、江戸に多きものに數へられけむ。やはり稻荷が八幡宮よりも多くして、且つ繁昌す。雜司ヶ谷の威光天(稻荷の佛化せる名)、王子の稻荷、砂村の疝氣稻荷を始めとし、稻荷は到る處に繁昌したりしが、近年、羽田の穴守稻荷、急に繁昌し始め、あらゆる稻荷の繁昌を、ひとりにて、しよつて立つの觀あり。十數年前には、沮洳蘆荻のみなりし地に、鑛泉宿、料理店、賣店、櫛比して、わざ/\電車も通ずるに至れり。なほ、古き社には、大宮の氷川神社(官幣大社)、府中の大國魂神社(官幣小社)あり。氷川神社は、林泉の美をひかへたり。一風かはれるは、矢口村の新田神社、新田義興を祀る。木下川藥師の留魂祠、勝海舟が西郷南洲の爲にたてたり。若林村の松陰神社、吉田松陰を祀る。其墓もあり、小塚原の刑場より移したるもの也。
 明治の名士の墓は、多く青山埋葬地にあり。大久保利通、後藤象次郎、西郷從道、川上大將、野津中將、副島種臣、廣瀬中佐、落合直文、尾崎紅葉、市川團十郎などの墓、こゝにあり。中谷埋葬地にも、可成り名士の墓多し。市内にては、泉岳寺の四十七士の墓、回向院の鼠小僧の墓、白金の立行寺の大久保彦左衞門の墓、最も有名にして、參詣者も多し。郊外に出でては、品川の東海寺の墓域に、澤庵和尚、賀茂眞淵、服部南郭の墓あり。海晏寺に、岩倉具視、松平春嶽の墓あり。海晏寺より程遠からぬ大井村の山内家の墓域に、山内容堂の墓あり。本門寺には、狩野探幽、星亨の墓あり。目黒不動のほとり、比翼塚、權八小柴を合葬すとて、有名也。洗足池畔に勝海舟の墓あり。世田ヶ谷の豪徳寺に、井伊直弼の墓あり。板橋停車場の傍に、近藤勇の墓あり。山谷には、高尾の墓、揚卷助六の墓あり。橋場の總泉寺に、平賀源内の墓あり。少し市内に入れば犬の墓多きは本所の回向院、貴族の立派なる墓多きは深川の靈嚴寺也。音羽の護國寺の東北の横手、寺も何も無き處に、室鳩巣、柴野栗山、古賀精里、古賀※(「にんべん+同」、第3水準1-14-23)菴、尾藤二州、岡田寒泉などの墓、累々として相竝ぶ、之を稱して、儒者棄場と云へり。
 古戰場としては、小利根の彼方の國府臺、里見氏と北條氏と相戰ひし處、多摩川の此方の分倍河原、義貞が北條の軍と戰ひ、足利成氏と上杉房顯と戰ひ、北條氏康と上杉朝興と戰ひし處也。矢口の渡は、多摩川の川筋かはりしにつれて、むかしとは異なれど、新田義興の遺恨をとゞむる處也。
 近郊には、桐ヶ谷、目黒不動、喜多見不動、等々力、十二社、深大寺、王子など、諸處に瀧と名のつくもの多し。いづれも人造にかゝりて、馬の小便みたやうなもの也。もし瀧と思ひて、往いて見なば、大いに失望すべし。これらは總べて、見る爲にあらずして、夏日浴する爲にのみ設けられたるもの也。
 十二社の池、三寶寺池、舊神田上水の源なる井の頭池など、池と名のつくもの多けれども、山湖の趣を有するは、西郊の洗足池のみ也。
 關東平原は、日本國中、最も大なる平原也。隨つて東京の近郊は、箱庭的の風景なくして、所謂大陸的也。これ東京近郊の特色也。而して眺望の佳なるは、市内にては愛宕山が第一也。市外に出でては、品川の品川神社、市街と海と山野との眺望をかねたり。國府臺脚下に小利根を見下ろし、三里の平田を隔てて、東京の全市を望む。百草園後に富士、及び甲相の連山を望み、前に多摩川を隔てて、武藏野を見渡す。立川の普濟寺、偉大なる玉川の砂磧を見下ろして、遙に富士を仰ぎ、甲武の山を望む。荒幡の新富士、東村山の停車場より二十餘町にして達す、狹山の連山を見下ろし、四方に關東八州を見渡す。以上の六箇處、われ名づけて東京の六大眺望と稱す。この外、大森の八景園、池上の本門寺、道灌山、飛鳥山など、可成りの眺望あり。小利根川口の蘆花、舊神田上水流域の新緑、いづれも見るべし。小利根と荒川とに於ける白帆も、關東に於ける美觀也、否、關東平原の一特色也。東京の紳士が一夜どまりの贅澤をなさむとせば、南に大森、池上、羽田、東に向島、北にやゝ遠くはなれて大宮の氷川公園あるべし。
 市内より近郊へかけて、人造の富士山多きも、東京の一特色也。試みにざつと數へて見むに、深川八幡、砂村の元八幡、品川神社、千駄ヶ谷の八幡、護國寺、高田の水稻荷、落合村、中里村、中目黒、境公園、駒込などにあり。いづれも、數丈の高さにつみ上げたるものなるが、その中にて、荒幡の新富士が比較的に最も大也。
 以上、地名の臚列、或ひは、遠足と自然美との趣味を解せざる者には、面白からざるべし。されど、もし時節柄、納涼を思はば、瀧の條に注意すべし。遠足と自然美とに趣味を有する者は、請ふ、參謀本部刊行の二十萬分一の地圖と二萬分一の地圖を求めて、對照せよ。
 余は常に地圖をひろげて、視て樂しむ。臥遊とは、これにや。一窓の風雨、曾遊の跡をたどりて、記して同好の士に示すもの也。
(明治四十年)





底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年11月28日作成
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