江山の姿、とこしなへに變ることなくして、人生の遭逢、竟に期すべからず。曾て房州に放浪して、菱花灣畔に、さゝやかなる家を借り、あびきする濱邊に出でて、溌剌たる鮮魚買ひ來りては、自から割き、自から煮て、いと心安き生活を送り、時には伴れだちて、城山の古城址に興亡の跡を訪ひ、延命寺の古墳に里見氏の昔を弔ひ、富山を攀ぢ、清澄山に上り、誕生寺を訪ひ、洲崎辨天にまうで、行き暮れて白須賀灣頭の月に臥し、夜ふけて鋸山上の古寺に白雲と伴ひて眠るなど、形體を波光山影の間に忘れて、虚心江上の白鴎に伴ひし當年の遊蹤、猶ほ昨日の如きに、同じく遊びしもの、今四散す。一盃を共にせむとして、また得べからず。品川海上より天邊一髮の青螺を望む毎に、覺えず愴然として涙下る。
この三年の間、同じ窓に學びし友の、一半は地方に別れ行き、都に殘れるものも、相逢うて胸襟を開くこと稀なれば、暇ある時を擇びて、二日三日、共に江湖の外に優遊して、積もれる思ひを吐きつくさばやとて、羽衣、烏山二子と共に、かれこれ其の遊ぶ處を議したる末、遂にわれ東道の主人となりて、房州にゆくことに決す。
靈岸島より汽船に乘る。空くもりて、風寒き冬の朝なり。始めのほどは、寒きを忍びて、甲板の上に出でて、江山を指點しつゝ、連歌などなしゝが、やがて微雨至りければ、みな下る。浦賀に立ち寄りしほど、雨小やみせり。こゝより新たに乘りし一行の客あり。男は豪商とおぼしく、その妻のまだ年若きが、顏はうるはしとにはあらねど、姿いと清楚なり。年老いたるは、その母にや。四十路ばかりなるは、その叔母にや。猶ほ僕とおぼしき人、ひとり從へり。室内には、座を占めむ餘地なければ、この一行みな甲板にのぼりゆきぬ。浦賀より房州にゆく舟路は、東京灣の口を横切ることなれば、浪あらく、舟うごくこと甚し。烏山は風邪の心地なりとて、一隅に身をちゞめ、羽衣は船暈の氣味なりとて、座に俯す。船はます/\動搖するほどに、これも船に醉ひたるにや、さきに甲板に上りたる年若き女、手巾もて口を掩ひながら、いと力なげに下り來たる。雨に惱む海棠、風に顰する女郎花、よその見る目もいたはし。男二人横臥せる間のしりへに、わづかに膝を容るゝばかりの餘地を求めて、顏を袖に埋めて俯す。その頻にせきあぐるを見て、かたへに腰かけたる男、船童をよびて、嘔くうつは持て來らしむ。器來たる。女すこしばかり嘔きしが、遂にえ堪へで、横臥せる男の脛を枕にして臥す。雨ます/\降りければ、甲板にありし人、みな下りしに、舟はやがて金谷につきぬ。上陸する人あるが中に、かの船暈に臥したる女、よろよろと立ちあがり、裾さばきもしなやかに、その姑とおぼしき人の手をとりて、船の出口に導く。そのさまいと苦しげなり。やがて歸り來りて、叔母とおぼしき人を伴ひてゆきしが、また獨り歸り來りて、席に伏して、いたく嘔く。あはれ、船に醉へる嫁の、わが體は立たざるに、なほ年老いたる姑と叔母との、船に醉はざるをもいたはりて、扶けゆく心の底も汲まれて、さきに、あらぬ男の脚を枕にするなど、船の醉とは云へ、たしなみなき女なりと思ひしに、いまこのさまを見て、ひそかに涙を墮しぬ。
保田にて汽船を下りて、短艇にのるほどに、雨大いに到りぬ。荷物堆くつみたる上に、十人餘りの旅客、傘をならべて蹲踞す。風荒れ、雨舞ひ、傘端の點滴、人の衣を霑して、五體覺えず寒戰せり。かくて上陸して一旅店に投ず。家は新しけれど、いとせまし。たゞ町の雜沓をはなれたるを取柄に、二階の六疊の一間に、三人火鉢をかこみて、ぬれたる衣かわかしなどす。窓より鋸山を望むに、雲の絶間に、時に寸碧をあらはすのみにて、全山は見るに由なく、雨いみじうして、いつ晴るべしとも見えず。せめて體をあたゝめむとて、午食の膳に、三人鼎坐して、杯を飛ばす。
雨に早く暮れし夕べ、風呂湯ありやと問へば、なしといふに、益

ひと夜あくれば、空晴れて、鋸山の秀色人を襲ふに、心まづ躍り、宿をたちいでて、鋸山へとたどること十餘町にして、山の口に達す。山は昨日の雨に洗はれて、紅葉の色鮮かに、石徑と共に落ち來る一道の溪流、水増して岩をたゝく聲いと大なり。溪流に沿ひ、石徑をよづること、七八町にして、日本寺の廢宇を得たり。一個の佛像、さびしげに壇上に殘れるのみにて、堂のあばらなるが、柱と柱との間に繩を引きて、烟草の葉をほせるなど、佛縁つきて既に久しきを知るべし。もとの僧房とおぼしきところの庭、眺望やゝ開く。加知山の灣、眼下にあり。海を隔てて、相州の山を望む。雲もし去らば、富士山はその上に現はれむ。顧みて、わが居る山を見れば、峰勢天に聳えて、さながら鳥の翼を張れるが如し。いと大いなる銀杏の樹の、美はしく黄ばみたるを始めとして、峰を越え、谷に下り、高低參差、黄赤相交はり、濃淡相接して、一山唯

尾の上には足ふみ入れむかたもなし
妻とふ鹿の聲ちかくして
と。こは山靈へのいひわけなり。妻とふ鹿の聲ちかくして
鋸山の峰勢つきて、海に臨める處に、土俗、猫石と呼ぶものあり。二三丈もあらむと覺ゆる懸崖の、なか少し凹みたる上の方に、尾を垂れ、口をいからせる大猫の形、黒く高くあらはれたり。傳へて云はく、むかし年久しく猫を飼ひし人の、猫をすてて、船に乘りて出でてゆくに、猫見送りて、悲みに堪へず、終に化して、この石となれりと。佐用姫の故事におもひあはせて、附會の説を逞しうせるも可笑しや。
金谷より、幾回となく、隧道を過ぎて、坦々たる國道、山と海との間をゆく。巖石の奇、歩を轉ずるに從ひてその觀を改め、大洋より寄せ來る餘波、巖にくだけて、雪を崩し、花を散らすさま、いとおもしろく、東京灣内海岸の見るべきは、此の間を最とす。たゞに東京灣内のみならず、かゝる水石相鬪ふさまは、他にも多くは見ざる所なり。『浪の花こそときはなりけれ』と、羽衣くちずさみければ、『動きなき岸邊の巖を根ざしにして』と附くるほどに、湊に着く。海波の奇觀、こゝに至りて盡きぬ。
一旗亭に午食するほどに、時は已に午後二時となりぬ。日の暮れぬほどにとて、出でたつ。村落つき、田疇へ來て、足先仰ぐ。こゝは
路は山腹を縫うてゆく。暮れかゝる冬の日の、落つる松釵の聲あるばかり靜かなるに、右に山又山を見おろして、心もゆるやかに、夕日にはゆる黄葉の下、涌く白雲に送られて、左に峯ひとつ攀づれば、こゝは
一夜川臥の夢おだやかに、明くれば、今日は都に還らざるべからず。宿を朝鳥と共に立ち出でて、途に
櫻井へとて、山を下る。四里にして遠し。山下の茶店に、鹿野山のむかしを慕ふ老翁のこちごと聞きつゝ、一杯の茶に渇を醫して、また徒歩し、なほ一里を剩すと思ふ處より車に乘りて、櫻井に着き、午食を終ふる間もなく汽船に乘る。波いと平らかなり。依々として秀色を送りし山の姿、靈岸島にいたりて、終に全く暮靄の外に消えぬ。
(明治三十二年)