親子遠足の感

大町桂月




『獅子、子を生めば、必ず之を深谷に墜す。能く出づる者は之を育て、能はざる者は棄てて顧みず。これ誠に獸のみ。人は則ち是に異なり。其の能不能を問はず、必ず之を愛養す。然れども、遠途を渉り、難阻を歴、風土、謠俗、山水の變態を知らしむ。諺に可愛き子には旅させよとは、亦獅子が谷に墜すの意也。予、三子あり。長を九文といふ。生れて四歳、疥を患ふ。百方之を療すれども已まず。年已に十三、瘡珠攅簇、肌膚鮫魚の皮の如く、痛痒忍ぶべからず。予、大いに戚ふ。且つ大都に生れ、見る所は唯※(二の字点、1-2-22)紛華の地、共に嬉ぶ所は、唯※(二の字点、1-2-22)裙屐の子弟、未だ曾て一歩も都門を出でざる也。是を以て、肉緩み、皮慢に、筋骸相束ねず、ほゞ慷慨激昂の氣なし。予又甚だ之を憂ふ。因りて謂もへらく、上毛の草津温泉は、疥を治すに效あり、兒をして澡浴して疾を療し、兼ねて※(「覊」の「馬」に代えて「奇」、第4水準2-88-38)旅の艱を知らしむれば、これ兩得なり。』
 これ安積艮齋の紀行の一節也。げに、親の心は、さもあるべし。予にも三子あれども、幸に艮齋の子の如き病氣なし。たゞ余は旅行を好むこと甚しく、旅行の益を熟知す。その益を兒等にも得させむとて、折々旅行に伴ふ。さは云へ、親につれられての旅行は、所謂可愛き子は旅させよの眞意を得たるものに非ず。單身獨歩にして、よく艱苦缺乏と鬪ひて、はじめて可愛き子の旅といふべきもの也。然し、それは、十七八歳以上の事也。十歳内外より十五六歳までは、をり/\つれてゆきて、旅行の趣味を知らしめ、脚力を養はしめ、十七八歳に至りて、始めて獨りにて突き放さむとす。余のをり/\子供をつれゆくは、其意實に茲に存す。結果を數年の後に期する也。
 今年の夏は、われ鹽原の勝を探りたり。又那須の勝を探りたり。更に又遠く陸奧の十和田湖の勝を探りたり。長子、同遊を乞ふ。許さず。一人にて行けるやうにならば、いつでも旅行せよと云ひきかし、その代りに水泳を學ばしめたり。水泳の出來ることは、旅行家の一資格也。秋に入りて、近郊の遠足を思ひたち、長男と次男とをつれてゆく。
 新宿驛より汽車に乘り。國分寺驛にて乘りかへて、東村山驛に下る。徳藏寺に、元弘戰死碑を見る。これ新田義貞に從つて戰死せしこの地の豪族の石碑にして、五百年前のものなりと言ひきかす。狹山に上り、荒幡の新富士の上にいたる。これ富士信仰の村民が、七年の久しきにかけて、氣長く築きあげたるもの也。關八州は寸眸の中に收まる。秩父の群峯や、大山の連山や、富士山や、みな見えたり。東京は、遙に煙突の煙にあらはる。筑波はあのあたり、日光はあのあたりと説明す。この壯觀を肴に、親子三人、絲楯の上に團欒して、握飯を食ふ。酒なく、茶なく、湯も水もなし。一袋の白砂糖を相分つ。白砂糖にて握飯を食へば、湯水なくとも、喉かわくことなしといふことを、書物の上にて知り、實驗しても知り、それを今兒等にも實地に知らさんとする也。
 山口村さして下る。山上雜木林の中に、長さ四五寸の草の、形は土筆と福壽草とに似たるが、全體純白にて簇生せるを見る。兒等めづらしがりて、之を掘る。みな其名を知らず。水晶草とでも名を附けようと云ひ居る處へ、十歳ばかりの村童一人ぶら/\來たる。これは何といふ草にかと問へば、笑つて名を言はず。そんなものを東京へ持つて行つたら、笑はれちやアといふ。思ふに、あの邊りには多くして、村童には珍らしくも何ともなかるべし[#「何ともなかるべし」は底本では「何となもかるべし」]。それがまた我兒には珍らしき也。
 勝樂寺、横田諸村を經て、拜島驛にいたり、汽車に乘りて、羽村驛に下る。數町にして多摩川畔に出づ。こゝに壯大なる堰あり、羽村の堰といふ。實に玉川上水の入口也。東京に住むものはこの堰を知らざるべからずとて、茲に伴ひたる也。
驛に戻れば、午後六時、發車までには、一時間を餘す。腹もへりたるべしとて、一亭に入りて、腰かけて晩食す。肴一品の晩食なら、必ず三十錢以下なるべしと思ひしに、四十錢づゝにて、豫算がくるひたり。二兒には、新宿までの切符を買ひたり。余は漸く立川までの切符を買ふことを得たり。立川より東京までは、七八里、歩いてもよしと思ひしが、たかの知れた汽車賃と思ひかへして、大久保驛まで來て降る。驛長とは、相知る仲なれば、不足の賃金の二倍を借りて、それで汽車賃をすましぬ。われ旅行すること凡そ二十年、今もなほこのやうな間の拔けたる事をする也。
(明治四十二年)





底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年8月25日作成
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