杉田の一夜

大町桂月




疲れてくたばるまで歩いて見むと、草鞋脚半のいでたちにて家を出でたれど、汽車のある路は、馬鹿々々しくて歩かれず。横濱までは汽車に乘り、龍頭より小舟に乘りて、屏風ヶ浦をわたる。西山夕陽を啣みて、海波紫に、うち渡す暮烟の中に、ひとむら濃きは杉田なるべく、うれしくも花候におくれざりしと、まづ心ゆきしが、やがて杉田に近づけば、暗香おのづから人を撲つに、ゆかしさ限りなし。既に四たび五たびも遊びて、殘る隈もなく見盡したる地なれど、未だ月夜の梅を見たることなし。今宵こそはとて、東屋にやどる。
 磯山寺の華鯨音なく、梅を殘して靜に暮るゝ春の夕べ、何となう面白く、仰ぎ見れば、むかつをの頂に、老松一株翼然として天を摩するさま、殊に韻致を添ふるに、しばし二階の障子を明け放して見とれけるが、忽ち空艪漕ぐ聲す。花を見すてて歸る雁がねにや。一首なくてはと空を見わたせど、雁影は見えず。忽ちまた鳴く。されど、なほ見えず。三聲四聲、あまり鳴音のしげきに、よく/\聽けば、まことの雁にはあらで、宿に飼ひたる鶩のなく音なりと氣が付きて、覺えず雨江と相顧みて一笑す。
 酒に陶然として醉ひ、宿を立ち出でて、まづ前遊の時立ちよりし茶店に茶を乞はむとて、戸を推せば、恰も入れちがひに、一人の僧の歸りゆくあり。見れば、白鬚長き老翁、爐にあたり、自在にさがれる鐵瓶を隔てて老媼と相對す。僧を送り出でたる一人の女、土間に臥せる小犬を抱き起せば、犬は狎れて、その手を舐りながら、ねむたさに堪へでや又靜かに眠る。女、われらを顧みて、東屋に宿りたまひたる御客ならむといふ。如何にして知りたると問へば、先程已に通知ありたりとて笑ふさま、山家そだちのものとも見えず。老媼茶を汲みて出せば、女そを受取りて、いざとて侑む。酒後の茶とて、味ひ太だ好し。老翁しきりに、上りて爐に當れよと云へど、夜も更けたり、また來むとてたち出づ。
 八幡祠前を散歩す。このあたり、梅尤も多し。一痕上弦の月、天に印し、林下寂として人なし。花は已に滿開なれど、月光おぼろなれば、一望たゞ白模糊たるを見る。晝間はいぶせき茅屋も、梅花にうづもれて、夜色の中に縹渺たるさま、えも言はず。すべて見苦しきものは掩ひつくされて、香氣獨り高く、骨までもしみ通るかと疑はる。われ此景に對して、また言ふ所を知らず。遂に堪へ兼ねて、一枝を手折りて歸る。
 春まだ淺き夜寒の風に、醉もさめたれば、また麥酒のみて眠に就く。折り來りし梅枝は枕頭に在り。脈々たる幽香に護られて、醉夢いづくにか迷ひけむ、窓に近き鶯聲の綿蠻たるに驚けば、日は已に梅林の梢に昇りぬ。名殘は盡きねど、宿を辭して、八幡祠後の山に上る。一村眼下に在り。梅は茅屋の間に點綴す。左に本牧岬を望み、右に觀音崎を望み、房州の山、天邊に寸碧を※(「てへん+施のつくり」、第3水準1-84-74)く。東風のどかにして、海波熨するが如く、布帆みな坐するが如し。路の兩側に茶店あり。右よりは三十餘りの年増、左よりは十七八の少女出で來りて、休んで行けといふ。左に休まば、年増は失望せむ。右に休まば、少女は失望せむ。遂にいづれにも休息せずして下る。
 杉田に滑川といふ小流あり。當年の青砥藤綱の領地、もと此に在り。その五文の錢を拾ひしは、鎌倉の滑川にあらずして、こゝの滑川なりと案内の童にそゝのかされて、行いて見しに、川身に直徑八寸ばかりなる圓き穴五つあり。これむかし落ちたる錢の痕の、年を經て大くなりたるなりといふに、覺えず噴飯せしは、早や已に十年前の一夢となりぬ。その錢痕、今なほ存するや、存せざるや、知らず。
 朝まだ早ければ、遊人未だ出でず、香氣獨り山海の間に滿てり。されど、われは竟にこの香世界を去らざるべからず。命あらば、また來年の春にとて、歸路に就く。憶ふ昔、佐藤一齋の杉田觀梅記に感服のあまり、頓に遊意を催して、夜八時都を出で、明方杉田に着し、その日また直ちに歸路に就き、一晝夜を全く徒歩して辭せざるまでに思ひこがれたる地なれど、前後こゝに遊びし友、一半は渭樹秦雲と隔たり、一半は幽明界を異にす。こゝに遊ぶにつれて、また恨みなき能はず。獨り梅花は舊に依りて東風に笑ひ、われ亦舊の如く江湖の窮措大なり。嗚呼既往十年の事、恥あり恨あり涙あり。苦しき憂世にたつき求むとて、心にもあらぬ事を忍びたるも幾度ぞや。よしや塵には汚れたりとも、もとの心は、花ぞ知るらむ。さらでだに分ち難き袂に、追風のかをるに、腸を斷つ思ひせられて、遲々として歩む程に、磯の竇道に來りぬ。こゝを過ぐれば、杉田はまた見えじと思へば、一たび後ろを顧みて進みしが、また穴の口に戻り、戻りつ、行きつ、はてしなければ、遂に思ひさだめて立ち去る。杉田は遂に山外に隔たりぬ。
 既に太牢の味に飽きたれど、昨夜の宿に風呂なく、料理も亦惡しかりしかば、今日は池上の鑛泉に一浴し、兼ねて午食せむと、雨江のいふに、余も同意して、川崎より汽車を下り、道に小向井の梅を見る。もとは梅園三つありしが、前年醒雪と來りし時は、二箇處となり、今年はまた一箇所となれり。入るに門なく、園に垣なく、直ちに麥畝に接するは、東京近傍の諸梅園と異なりて、風致あり。樹も亦太だ惡しからず。たゞ花未だ半開にだに及ばざりしは、いたく慊らぬ心地せり。六郷川をわたり、原村の立春梅は閑却して、新田神社の前を過ぎて、池上村に來り、鑛泉松葉館に至りて、浴し、酒し飯し、腹と共に、昨日來の望みも滿ち、醉脚蹣跚として、大森の停車場に來り、茶店に憩ふほどに、乘客非常に多く、わざ/\杉田より折り來りし梅枝、いと大なれば、或ひは汽車の中に持ちゆくこと難く、持ちゆくも、人込の爲に、あたら花を散らされては甲斐なしとて、宿の主婦の花ほしげなるを幸に、之に與へて、遂に全く花と別れぬ。その移香は、いづくまでか薫りけむ。
(明治三十一年)





底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年11月28日作成
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