狹山紀行

大町桂月




茶の名に知られたる狹山、東京の西七八里にありて、入間、北多摩二郡に跨る。高さは、わづかに百米突内外なれども、愛宕山、飛鳥山、道灌山の如き、臺地の端とは異なり、ともかくも、山の形を成して、武藏野の中に崛起し、群峯相竝び、また相連なりて、東西三里、南北一里に及ぶ。武藏野の單調をやぶりて、山らしく、且つ眺望あるは、唯※(二の字点、1-2-22)こゝのみ也。
 明治四十年六月二十五日、降りさうにて、降らず。腦の心地惡し。午後二時頃急に思ひたち、田中桃葉を伴ひて、狹山へとて、家を出でぬ。
 甲武線を取り、大久保より中野までは、電車に乘る。向側に腰かけたる一老人、田舍の人と見ゆれど、靴をはけば、農夫とも思はれず。洋傘は右脚に接して立てかけたり。煙糞を掌にうけつつ頻に煙草ふかす。忽ちアレ/\と、隣の人が注意するに、老人はじめて氣がつきて、洋傘をもみ消す。煙糞の火のうつれものにて、はや八分四方ぐらゐに擴がり居りたり。二三回も禮は云ひたるが、傘の方は、一向にふりむきもせず。慾も徳も無き善人か、さなくば意氣を尚ぶ男かなるべしと、しばし見入りたり。
 中野より汽車に乘り、國分寺にて乘りかへて、東村山に下る。將軍塚さして行くに、路傍に徳藏寺あり。一寸見れば、農家とまがふばかりの荒寺也。門も無し。入口の左の方に、元弘戰死碑あり。この土地の豪族なりしなるべし、飽間三郎、同孫七、同孫三郎の三人、元弘三年、新田義貞の軍に從ひて討死せる由を記せり。碑の上部は缺けたれど、文字はなほ明か也。扁阿彌陀佛といふ筆者の名も見ゆ。元人の骨法を得たりとて、風流好古の士、こゝに來りて賞玩するもの多かりしことは、江戸名所圖會にも見えたり。とにかくも、五百年前の古碑也。而して、事は忠勇義烈に關す、益※(二の字点、1-2-22)珍重すべき也。
 寺を出でて、間もなく、狹山の最東端にとりつく。測量の三角臺ある處は、即ち將軍塚也。塚といへども、まことの塚にはあらず。元弘三年、新田義貞が軍勢を揃ふる爲に、こゝに旗を立てたるを以て、將軍塚といふとの事也。旗を立つると云ひ、三角點を設くると云ひ、遠望のきく處をえらぶは、古も今も、同一轍也。
 田を一つ越えて、峯にとりつけば、麓に寺あり。上に八幡祠あり。其傍に、水天宮あり。八幡宮より遙に小なれども、繪馬堂もありて、奉納の繪馬多きは、御利益あればなるべし。源氏の故國とて、關東は到る處に八幡宮あれども、御利益なければ、いづれも、さまで繁昌はせざるやう也。
 峯背を西に七八町ゆき、北折して三四町ゆけば、狹山の上には珍らしき平坦の地あり。一方に、明けはなしの堂宇あるは、淺間神社なるべし。一方に、圓錐丘高く、草生ひしげり、樹木も、ところ/″\に立てり。路、斗折して通ず。合目毎に石立てり。折々手を刺すは、薊也。花を帶びたり。さつきも咲き殘る。十合目にいたれば、即ち頂上也。小なる石龕あり。狛、相竝ぶ。聞く、この人造の富士山は、この村の富士講の連中言ひあはせ、ひま/\に、一畚づゝ土を運び、十年もかゝりて、數年前に、こしらへ上げたりとの事也。東京市内外へかけて、人造の富士多けれども、かばかり大なるは、他にその比を見ず。村民の辛苦、思ふべき也。然し、大なりと云ふも、人造と云ふことを忘るべからず。偉大なりといふも、他の人造富士に比較しての事也。
 地は、入間都荒幡村に屬す。荒幡の新富士とて、このあたりにては有名なれど、未だ都人に知られ居らざるは、惜しきこと也。われ曾て、東京及び其附近にて、眺望のすぐれたる處を選びて、六個處を得たり。一、芝の愛宕山、二、品川の品川神社、三、市川の國府臺、四、立川の普濟寺、五、百草の百草園、六、この荒幡の新富士、これ也。其中にて、四方とも眺望あるは、この新富士のみ也。脚下に、一帶の狹山を見下し、遠く關東の平野を見渡す。西に富士、東に筑波。日光の山や、秩父の山や、甲相の山や、すべて寸眸の中に收まる。都人こゝに來りて、はじめて眺望の美をとくべし。感謝す、村民の賜物、亦大なる哉。
八州の空に一つの雲雀哉
八州の我に朝する青葉哉
如何に桃葉、大なる句にあらずやと云へば、われも、それにまけぬ句を得たりとて。
八州の空を横切る杜鵑哉
桃葉
時鳥が啼きたるかと問へば、あの聲が聞えぬかといふ。わが左耳は、幾んど聾す。右耳も、人なみほどには聞えず。啼いたといふは、桃葉の耳に眞理也。啼かぬかといふは、余の耳に眞理也。古來賢哲のわかりし所、凡人はわからず。凡人の心を以て、賢哲の心を推す。正邪顛倒し、善惡處をかふるも、亦己むを得ざる也。
 數日前、桃葉は、『時鳥なくや都の片ほとり』の句を得たり。われ佳と稱す。桃葉得意になりて、この日、家を出でし時、都をはなれぬほどに啼けかし、さらば先生の紀行の中に入らむと云ひけるが、あいにくに時鳥は啼かず。終に、片ほとりとは云へぬこの地に來りて、はじめて其の啼くを聞きたるが、折角の取置きの句は應用するに由なかりき。
 眺望に時をうつして、富士を下り、別路を取りて歸る。山間の田、稻已に植ゑられたるに、二三人のしやがめるは、草とるなるべし。
小山田に一番草を取る日哉
歌ふ聲も聞ゆ。
草取の小歌に暮れし山田哉
桃葉
 山つきて、村落見ゆ。田中の路をゆきしに、路は、小川にさへぎられたり。
行詰る野路の小川や茨咲く
桃葉
跳び越さむには、少しひろし。靴ぬぎて徒渉せむも、面倒なれば、ひきかへし、別路を取りて、漸く橋を得たり。田つきて、樹林村家の間を過ぐ。このあたりの屋稜には、多く一八といふ草を植ゑたり。風をふせぐため也。一婦人ぶら/″\來たる。農家の女にしては、其顏氣高し。咫八するに及んで、余に禮を爲す。余も、無意味に禮をかへす。村路に兒童ならびて禮をなすことは、平生旅行して、たび/″\出逢ひたることなるが、これは、ちと、へん也。
晝顏や知らぬ兒童の禮をなす
 東村山の停車場に近づけば、シグナルさがれり。早く/\と桃葉をうながして、停車場へ駈けつけ、切符を買ふより早く、プラツトホームに出づれば、恰も好し上り汽車來たる。今二三分もおそからば、間にあはざりしなり。ほつと、胸なでおろす。日も暮れたり。
汽車の窓にたそがるゝ野や麥の花
(明治四十年)





底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
入力:H.YAM
校正:雪森
2019年8月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード