一
文化年中のことであった。
朝鮮の使節が来朝した。
柳営
「ああ我ながらよく出来た」
最後の
老中若年寄りを初めとし
「この八景が融川の作か。……見事ではあるが砂子が
――何気なく洩らした阿部豊後守のこの一言が争論の基で、一大悲劇が持ち上がったのである。
「ははあさようにお見えになりますかな」融川はどことなく
「だから見事だと申している。ただし少しく砂子が
「決して淡くはござりませぬ」
「余の眼からは淡く見ゆるぞ」
「はばかりながらそのお言葉は素人評かと存ぜられまする」
融川は構わずこういい切り横を向いて笑ったものである。
「いかにも余は絵師ではない。しかしそもそも絵と申すものは、絵師が描いて絵師が観る、そういうものではないと思うぞ。絵は万人の観るべきものじゃ。万人の
満座の前で云い出した以上豊後守も引っ込むことは出来ない。是が非でも押し付けて一旦は自説を貫かねば老中の
狩野融川に至っては融通の利かぬ骨頂で、今も昔も変わりのない芸術家
「おおこれでこそ立派な出来。名画でござる、名画でござる」などと褒めないものでもない。
「オホン」とそんな時は大いに気取って
それの出来ない融川はいわゆる悲劇の主人公なのでもあろう。
持ち返って手入れせよと、素人の豊後守から
「ご
「えい
老中の役目を真っ向にかざし豊後守はキメ付けた。しかし
「融川断じてお断わり。……融川断じてお断わり。……」
「老中の命にそむく気か!」
「身
彼は俄然笑い出した。
「ワッハッハッハッこりゃ面白い!
融川はつと立ち上がったが見据えた眼で座中を睨む……と、スルスルと部屋を出た。
一座寂然と声もない。
ひそかに唾を呑むばかりである。
その時日頃融川と親しい、林大学頭が
「豊後守様まで申し上げまする」
「…………」
「狩野融川儀この数日来頭痛の気味にござりました」
「ほほうなるほど。……おおそうであったか」
「本日の無礼も恐らくそのため。……なにとぞお許しくだされますよう」
「病気とあれば是非もないのう」
――ちと云い過ぎたと思っていたやさきとりなす者が出て来たので早速豊後守は委せたのであった。――
しかしそれは遅かった。悲劇はその間に起こったのである。
二
ちょうど同じ日のことであった。
葛飾北斎は江戸の町を
北斎といえば一世の画家、その雄勁の線描写とその奇抜な取材とは、古今東西に比を見ずといわれ、ピカソ
「幕府
云々というのが大体であるが、勝川春章に追われてから真のご
彼はある時には役者絵を描きまたある時には
「辛い辛い七色唐辛子!」
こう呼ばわって売り歩いたのである。彼の眼からは涙がこぼれた。
「絵を断念して
やがて
暦が家々へ配られる頃になった。
「暦々、初刷り暦!」
こう呼んで売り歩いた。
「暦を売って儲けた金でともかくも葛飾へ行って見よう。名主の鹿野紋兵衛様は日頃から
ひどく心細い心を抱いて、今日も深川の住居から神田の方までやって来たが、ふと気が付いて
「南無三宝、これはたまらぬ」
あわてて彼は逃げかけた。しかし一方恋しさもあって逃げ切ってしまうことも出来なかった。向かいの家の軒下へ人目立たぬように身をひそめ、冠った手拭いの結びを締め、ビューッと吹き来る師走の風に煽られて掛かる粉雪を、袖で打ち払い打ち払いじっと門内を
「別にご来客もないかして供待ちらしい人影もない。……お師匠様にはご在宅かそれとも御殿へお上がりか? 久々でお顔を拝したいが破門された身は訪ねもならぬ。……思えば俺もあの頃は毎日お邸へ参上し、親しくご薫陶を受けたものを思わぬことからご機嫌を損じ、宇都宮の旅宿から不意に追われたその時以来、幾年となくお眼にかからぬ。身から出た
述懐めいた心持ちで立ち去り難く
寛政初めのことであったが、日光廟修繕のため幕府の命を承わり狩野融川は北斎を連れて日光さして発足した。途中泊まったのは
「中島、お前どう思うな?」
「はい」と云ったが北斎はちと腑に落ちぬ顔色であった。「竿が長過ぎはしますまいか」
「何?」と融川は驚いて訊く。
「童子は爪立っておりませぬ。爪立ち採るよう致しました方が活動致そうかと存ぜられます」
彼は
「爪立ちするは大人の智恵じゃわい! 何んの童子が爪立とうぞ!
三
しかし北斎にはその言葉が頷き難く思われた。「爪立ち採るというようなことは童子といえども知っている筈だ」――こう思われてならなかった。でいつまでも黙っていた。この
「それもこれも昔のことだ」こう呟いて北斎は尚もじっと佇んでいたが、寒さは寒し人は怪しむ、意を決して歩き出した。
ものの三町と歩かぬうちに行く手から見覚えある駕籠が来た。
「あああれは狩野家の乗り物。今御殿からお帰りと見える。……どれ片寄って蔭ながら、様子をお伺がいすることにしよう」
――北斎は商家の板塀の蔭へ急いで体を隠したがそこから往来を眺めやった。
今日が今年の初雪で、小降りではあるが止む時なくさっきから
今北斎の前を通る。
と、タラタラと駕籠の底から、雪に
「あっ」
と叫んだ声より早く北斎は駕籠先へ飛んで行ったが、
「これ、駕籠止めい駕籠止めい!」
グイと棒鼻を突き返した。
「狼藉者!」
と駕籠
「何を
北斎の声の凄じさ。気勢に打たれて駕籠はおりる。冠った手拭いかなぐり捨て、ベッタリと雪へ膝を突き、グイと開けた駕籠の扉。プンと鼻を刺すは血の匂いだ。
「お師匠様。……」
と忍び音に、ズッと駕籠内へ顔を入れる。
融川は俯向き
「無念」
と融川は首を上げた。下唇に鮮やかに五枚の歯形が着いている。喰いしばった歯の跡である。……額にかかる鬢の乱れ。顔は
「そ、そち誰だ? そち誰だ?」
「は、中島めにござります。は、鉄蔵めにござります……」
「無念であったぞ! ……おのれ豊後!」
「お気を確かに! お気を確かに!」
「……一身の面目、家門の誉れ、腹切って取り止めたわ! ……いずれの世、いかなる代にも、認められぬは名匠の苦心じゃ!」
「ごもっともにござります。ごもっともにござります!」
「ここはどこじゃ? ここはどこじゃ?」
「お屋敷近くの往来中……薬召しましょう。お手当てなさりませ」
「無念!」
と融川はまた呻いた。
「駕籠やれ!」
と云いながらガックリとなる。
はっと気が付いた北斎は駕籠の戸を立てて飛び上がった。それから静かにこう云った。
「狩野法眼様ご病気でござる。駕籠ゆるゆるとおやりなされ」
変死とあっては後がむつかしい。病気の
ちらほらと立つ人影を、先に立って追いながら、北斎は悠々と歩いて行く。
この時ばかりは彼の姿もみすぼらしいものには見えなかった。
その夜とうとう融川は死んだ。
この
これに反して北斎は一時に
「やはり師匠は偉かった。威武にも屈せず権力にも恐れず、堂々と所信を披瀝したあげく、身を殺して
――大勇猛心を揮い起こしたのであった。
四
こういうことがあってからほとんど半歳の日が経った。依然として北斎は貧乏であった。
ある日大店の番頭らしい立派な人物が訪ねて来た。
主人の子供の節句に飾る、
「他に立派な絵師もあろうにこんな
例の無愛相な物云い方で北斎は不思議そうにまず訊ねた。
「はい、そのことでございますが、私
「それでは文晁先生が
「はいさようにござります」
「むう」
とにわかに北斎は腕を組んで唸り出した。
当時における谷文晁は、田安中納言家のお抱え絵師で、その生活は小大名を凌ぎ、まことに素晴らしいものであった。その屋敷を
「よろしゅうござる」
と北斎は、喜色を現わして云ったものである。
「思うさま腕を揮いましょう。承知しました、きっと描きましょう」
「これはこれは早速のご
こういって
北斎はその日から客を辞し家に籠もって外出せず、画材の工夫に
思いあぐんである日のこと、日頃信心する
その時眼前の
近所の農夫に助けられ、駕籠に身を乗せて家へ帰るや、彼は即座に絹に向かった。筆を
これが江戸中の評判となり彼は一朝にして有名となった。彼は初めて自信を得た。続々名作を発表した。「富士百景」「狐の嫁入り」「百人一首絵物語」「北斎漫画」「朝鮮征伐」「庭訓往来」「北斎画譜」――いずれも充分芸術的でそうして非常に独創的であった。
彼は有名にはなったけれど決して金持ちにはなれなかった。
彼は度々
それは根岸
「主人阿部豊後守儀、先生のご高名を承わり、入念の直筆頂戴いたしたく、
これが使者の口上であった。
阿部豊後守の名を聞くと、北斎の顔色はにわかに変わった。物も云わず腕を組み冷然と侍を見詰めたものである。
ややあって北斎はこう云った。
「どのような絵をご所望かな?」
「その点は先生のお心次第にお任せせよとのご諚にござります」
「さようか」
と北斎はそれを聞くと不意に凄く笑ったが、
「心得ました。描きましょう」
「おおそれではご承引か」
「いかにも入念に描きましょう。阿部様といえば譜代の名門。かつはお上のご老中。さようなお方にご依頼受けるは絵師冥利にござります。あっとばかりに驚かれるような珍しいものを描きましょう。フフフフ承知でござるよ」
五
その日以来門を閉じ、一切来客を謝絶して北斎は仕事に取りかかった。弟子はもちろん家人といえども画室へ入ることを許さなかった。
彼の意気込みは物凄く、態度は全然
こうして彼は二十日目にとうとうその絵を描き上げた。
彼は深い溜息をした。そうしてじっと画面を見た。彼の顔には疲労があった。
クルクルと絵絹を巻き納めると用意して置いた白木の箱へ、静かに入れて封をした。
どうやら安心したらしい。
翌日阿部家から使者が来た。
「このまま殿様へお上げくだされ」
北斎は云い云い白木の箱を使者の前へ差し出した。
「かしこまりました」
と一礼して、使者はすぐに引き返して行った。
ここで物語は阿部家へ移る。
阿部家の夜は更けていた。
豊後守は居間にいた。たった今柳営のお勤め先から自宅へ帰ったところであってまだ装束を脱ぎもしない。
「北斎の絵が描けて参ったと? それは大変速かったの」
豊後守は満足そうに、こう云いながら手を延ばし、使者に立った侍臣金弥から、白木の箱を受け取った。
「どれ早速一見しようか。それにしても剛情をもって世に響いた北斎が、よくこう手早く描いてくれたものじゃ。使者の口上がよかったからであろうよ。ハハハハハ」
とご機嫌がよい。
まず箱の紐を解いた。つづいて封じ目を指で切った。それからポンと
「金弥、
呟きながら絵絹を取り出し膝の前へそっと置いた。
「金弥、抑えい」
と命じて置いて、スルスルと絵絹を延べて来たが、延べ終えてじっと眼を付けた。
「これは何んだ?」
「あっ。幽霊!」
豊後守と金弥の声とがこう同時に筒抜けた。
「おのれ融川!」
と次の瞬間に、豊後守の叫び立てる声が、深夜の屋敷を驚かせたが、つづいて「むう」という
幽霊といえば応挙を想い、応挙といえば幽霊を想う。それほど応挙の幽霊は有名なものになっているが、しかし北斎が思うところあって豊後守へ描いて送った「駕籠幽霊」という妖怪画はかなり有名なものである。
「そうです私は商売道具で、つまり絵の具と筆と紙とで、師匠の仇を討とうとしました。豊後守様が剛愎でも、あの絵を一眼ごらんになったら気を失うに相違ないと、こう思ってあの絵を描いたのでした。
私の考えはあたりました。
私は溜飲を下げましたよ。そうして私は自分の腕を益

これは後年ある人に向かって北斎の洩らした述懐である。