怪しの者

国枝史郎




      一

 乞食の権七が物語った。

 尾張の国春日井郡、庄内川の岸の、草の中に寝ていたのは、正徳三年六月十日の、午後のことでありました。いくらかもやを含んでいて、白っぽく見えてはおりましたが、でもよく晴れた夏の空を、自分の遊歩場あそびばででもあるかのように、とびが舞っておりましたっけ。
 ふと人の気勢けはいを感じたので、からだおおうている草の間から、わたしはそっちを眺めました。
 二十八、九歳の職人風の男が、いつのまにやって来たものか、わたしのいるところから数間すうけんはなれた岸に、佇んでいるではありませんか。(はてな?)とわたしは思いながら、その男の視線を辿って行きました。岸に近い水面を睨んでいました。そこでわたしも水面を見ました。
(成程、これじゃア誰だって、眼をつけるだろうよ)
 と、わたしは呟きましたっけ。この川(幅三十間といわれている庄内川)は、周囲にひろがってい、広漠ひろびろとした耕地一帯をうるおす、灌漑かんがい用の川だったので、上流からは菜の葉や大根の葉や、藁屑わらくずなどが流れて来ていましたが、どうでしょう、流れて来たそれらの葉や藁屑が、その男の立っている辺まで来ますと、ゆるうずをまき、躊躇ちゅうちょでもするように漂ったあげく、沈んでしまうではありませんか。(あれへ眼をつけるあの野郎こそ怪しい)
 と、私といたしましては、職人風の男へかえって不審を打ったのでございます。
(只者じゃアない、うろんな奴だ)
 私は考えに沈みながら、広い耕地を見やりました。野菜の名産地の尾張城下の郊外です、畑という畑には季節ときの野菜が、濃い緑、淡い緑、黄がかった緑などのかおを敷いておりましたっけ。人家などどこにも見えず、百姓家さえ近所にはありませんでした。いやたった一軒だけ、数町はなれたたつみの方角に、お屋敷が立っておりましたっけ。それも因縁づきのお屋敷が。……尾張様の先々代継友卿つぎともきょうが、お家督よつぎの絶えた徳川宗家そうけを継いで、八代の将軍様におなりなさろうとしたところ、紀伊様によって邪魔をされて、その希望のぞみが水の泡と消え、紀伊様が代わって将軍家になられた。当代の吉宗よしむね卿で。……その憂欝ゆううつからお心がすさみ、継友様には再三家臣をお手討ちなされましたが、その中に、平塚刑部様という、御用人があり、生前に建てた庄内川近くの別墅やしきへ、ひどく執着を持ち、お手討ちになってからも、その別墅へ夜な夜な姿を現わされる。――という因縁づきのお屋敷なので。
(流れ屑が自然ひとりでに沈む淵があったり、化け物屋敷があったりして、この界隈かいわいは物騒だよ)と、私はつぶやいたことでした。

      二

(おや)と驚いて川添いの堤へ眼をやったのは、それから間もなくのことでした。野袴のばかま穿き、編笠あみがさをかむった、立派なみなりのお侍様五人が、半僧半俗といったような、まるめたおつむ頭巾ずきんをいただかれ、羅織うすもの被風ひふをお羽織りになられた、気高いお方を守り、こなたへ歩いて来るからでした。
(これは大変なお方が来られた)
 こうわたしはつぶやきましたが、半僧半俗のそのお方が、さきの尾張中納言様、ただ今はご隠居あそばされて、無念坊退身むねんぼうたいしんとおなのりになり、西丸に住居しておいであそばす、徳川宗春様であられるのですから、驚いたのは当然でしょう。
 と、宗春様はお足をとめられ、何やら一人のご家来に向かい、ささやかれたようでございました。するとそのご家来は群れから離れ、職人風の男のそばへ寄って来ましたが、
「これ其方そちそこで何をしておる」と、いかめしい口調で申されました。
「川を見ているのでございますよ」そう職人風の男は申しましたっけ。
「川に何か変わったことでもあるのか」
「いいえそうではございませんが。所在なさに見ていますんで」
「所在ない? なぜ所在ない」
「わたしは大工なのでございますが、親方のご機嫌をとりそこなって、職を分けてもらうことができなくなったんで。……どうしたものかと、思案しいしい歩いていますうちに、こんなところへ来ましたんで。……そこでぼんやり川を眺めて……」
「大工、そうか、手を見せろ」
「手を? なんで? なんで手を?」
「大工か大工でないか調べてやる」
「…………」
「大工ならかんなだこがあるはずだ」
「…………」
「これ手を出せ、調べてやる。……此奴こやつ手を懐中ふところへ入れおったな!」
「斬れ!」
 とその時烈しいお声で、宗春様が仰せられました。
「あッ」
 これはわたしが言ったのです。
 ご家来が編笠をうしろへね、抜く手も見せず、職人風の男の右の肩を、袈裟けさがけにかけたからで。
 職人風の男は倒れました。でもそれは斬られて倒れたのではなくて、太刀先を避けて倒れたのです。
おのれ!」
 と西条勘右衛門さいじょうかんえもん様は――そう、編笠が取れましたので、そのご家来が尾張の藩中でも、中条流ちゅうじょうりゅうでは使い手といわれる、西条様だということがわかりましたが、そう仰せられると、踏み込み、刀を真向まっこうにふりかぶり、倒れている職人風の男の背をめがけ、お斬りつけなさいました。
 が、その途端に土と小石と、むしられた草とがひとつになって、バッと宙へ投げ上げられ、つづいて烈しい水音がして、職人風の男は見えなくなってしまいました。川へ飛び込んで逃げたのでした。

      三

 二度目にこの男といましたのは、それから三日後のことでありまして、名古屋お城下は水主町かこまち、尾張様御用の船大工の棟梁とうりょう持田もちだという苗字みょうじを許されている八郎右衛門というお方の台所口で。
 ともしころのことでありまして、わたしはその日、そのお宅へ、物乞ものごいに参ったのでございます。それまでにも再々参ったことがありまして、そのお宅はいわばわたしにとりましては、縄張りの一つだったのでございます。ご主人様がご親切だからでございましょうが、下女下男までが親切で、わたしの顔を見ますると「勢州せいしゅうが見えたから何かやりな」と、面桶めんつうの中へ、きたてのご飯などを、お入れ下さるのでございます。さてその日も、ご飯を頂戴いたしましたので、台所口から出て、へいに添って往来とおりの方へ歩いて行きました。すると行く手から、一人の男がやって参りましたが、お台所ちかくまで参りますと、にわかにうめき声をあげて、地へ倒れたではございませんか。驚いてわたしは引き返し、その男の側へ参り、顔をのぞきこみましたところ、例の男だったのでございます。
(さてはこの男ここでまた一芝居ひとしばいを……)
 と、胸にこたえるところがありましたので、いっそ蹴殺してやろうかと足を上げました。

      四

 ところが、お台所口から射し出しているの光で、その男の地に倒れている姿が、女中衆や下男衆に見えたとみえて、飛び出して来て、
「可哀そうに」
「行き倒れだね」
「自身番へ知らせてやんな」
「何より薬を」
「水を持って来い」
 などと、口々に言って、その男の介抱にかかったではありませんか。その騒がしさに不審を打ちましたものか、持田様のお嬢様と、そのお気に入りのお上女中かみじょちゅうのお柳さんというお方が、奥から出て参られ、
「気の毒だからうちへ入れて介抱してあげたがいいよ」
 と言われました。下男衆がその男をかかえて、家の中へ運んで行く時、その男の顔を覗き、
縹緻きりょうね」
 とお嬢様のお小夜様が、お柳という女中へささやかれたのを聞いて、わたしは厭な気がいたしましたっけ。それというのも日ごろから、そのお美しさと初々ういういしさとに、感心もし敬ってもいる、お小夜様だったからでございます。お小夜様のお年は十九歳でございましたが、すこし小柄でございましたので、十七歳ぐらいにしか眺められず、小さい口、つまみ鼻、はやの形をした艶のある眼、人形そっくりでございました。大工の棟梁とは申しましても、尾張様御用の持田家は、素晴らしい格式を持っていまして、津田助左衛門様、倉田新十郎様、などという、清洲越きよすごえ十九人衆の、大金持の御用達衆ごようたししゅうと、なんの遜色そんしょくもないのでありまして、その持田様のお娘御でございますことゆえ、召されておられるお召し物なども、豪勢なもので、髪飾りなどは銀や玳瑁たいまいでございました。
「ほんとに好い男振りでございますのね」
 とお柳という女中も申しましたっけ。
「馬鹿め、何が好い男だ!」
 とうとうわたしは腹立たしさのあまり、かなり烈しい声で、そう言ったものでございます。するとどうでしょうお柳という女は、わたしをジロリと見返しましたが、「いいじゃアないか、お嫉妬やきでないよ」
 と、言い返したではありませんか。

 それから十日ばかりの日がたちました。ある日わたしはいつものように、縄張りの諸家様しょけさまを廻り、合力ごうりきを受け、夕方帰路につきました。鳥にだって寝倉がありますように、乞食にだって巣はございますので。瓦町かわらまちの方へ歩いて行きました。考えごとをしておりましたので。町の口へ参りましたころには、初夜しょや近くなっておりましたっけ。ふと行く手を見ますと、一人のお侍さんが、思案にくれたように、首を垂れ、肩をちぢめて歩いて行く姿が、月の光でぼんやりと見えました。
(途方にくれているらしい)わたしはおかしくなりました。(殺生せっしょうだが一つからかってやろう)というのは、そのお侍さんの誰であるかが、私にわかっていたからで。
 そこでわたしはお侍さんに近より、
「討ち損じたは貴郎様あなたさまの未熟、それでさがし出して討とうとなされても、あてなしにおさがしなされては、なんではしっこい江戸者などを、さがし出すことができましょう」
 と、ささやくように言ってやりました。
 西条勘右衛門様の驚くまいことか――そう、そのお侍様は西条様なので――ギョッとしたように振りかえられました。でも見廻した西条様の眼には、こもをまとい竹の杖をつき、面桶めんつうを抱いた乞食のほかには、人っ子一人見えなかったはずで。そうしてまさかその乞食が、今のようなことを言ったとは、思わなかったことと存じます。
 はたして西条様は、自分の耳を疑うかのように、首をかしげましたが、やがて足を運ばれました。そこでわたしもしばらくの間は、無言でいて行きました。でもまたこっそり背後うしろへ近寄り、ささやくように言ってやりました。

      五

「大工だと申したではございませんか。ではお城下の大工の棟領を――それも船大工の棟領を、おしらべなさいましたら、あの男の素性も、現在のおり場所も、おわかりになろうかと存ぜられまする」
「チエ」
 もうこの時には西条様の刀が、抜き打ちにわたしの右の肩へ、袈裟けさがけに来ておりました。
 わたしは前へつんのめりました。
「そう、あの男もこんなように、貴郎様の太刀先をのがれましたねえ」
「乞食め!」
 と西条様はわたしの背を目がけ、斬りおろしました。
 それをいくぐって左へ飛び、
「ここに庄内川がありましたら、わたしもあの男のように川へ飛び込んで、のがれることでございましょうよ。……それにしても惜しいものだ、乞食にばかりこだわらずに、素直に私という人間の言葉を聞いて、持田さんあたりを調べたら、たいした功が立てられるのに……」
 言いすててわたしは露路の一つへけこみましたっけ。
 庄内川の岸で、職人風の男を討ちそこなって逃がし、西丸様からお叱りを受け、どうあろうとその男をさがし出し、討ってとれとの厳命を受け、さがし廻っているがわからない。そのムシャクシャしている腹の中へ、グッと棒でも突っ込んだように、わたしの言葉がはいったのですから、わたしに対する憎しみは烈しく、あくまでも斬りすてようと、わたしのあとを追って、西条様が、露路へ駈け込んで来たのは、当然のことかと存ぜられます。でも露路には枝道えだみちが多く、こみいっておりましたので、わたしがどこへかくれたか、西条様にはわからなかったようです。
 その西条様がぼんやりした様子で、一軒の家の前に佇んだのは、それから間もなくのことでした。
 平家ひらやだての格子づくりの、いきな真新しい家の前でした。
 と、格子戸の奥の障子が、土間をへだてて明るみ、やがて障子が開き行燈あんどんをさげたあだっぽい女が、しどけない姿をあらわしました。睫毛まつげの濃い大型の眼、中だるみのない高い鼻、口はといえばこれも大型でしたが、受け口めいておりましたので、色気にかけては充分でした。いている左手をびんへ持って行き、女のくせで、こぼれている毛筋を、きあげるようにいたしましたが、八口やつくちや袖口から、紅色がチラチラこぼれて、男の心持を、迷わせるようなところがありました。及び腰をして格子戸の方をかし、
「どなた、宅にご用?」
 と、含みのある水っぽい声で言ったものです。
「いや」
 と西条さんは狼狽ろうばいしたような声で、
狼藉者ろうぜきものが入り込んだのでな」
「狼藉者? 気味の悪い……どのような様子の狼藉者で?」
「乞食じゃよ、きたない乞食じゃ」
「おこもさん、おやおや……お菰さんでございましたら、もうこの辺へは、毎日のように、いくらでも立ち廻るのでございますよ」
「それがしからん乞食でな」
「旦那様に失礼でもなさいましたので?」
「うむ、まあ、そういったことになる」
「息づかいがお荒うございますのね。おひやでも……」
「水か、いや、それには及ばぬ」
「ではお茶でも、ホ、ホ」
 その女は、プリプリしているお侍さんを、からかってやろうというような様子を、見せはじめましてございます。
「戸じまりなど充分気をつけるがよいぞ」
 西条様はテレかくしのように言って、歩き出されました。
 女は持田様の女中お柳でございました。そうしてそのお柳は少したったのちには、この家の奥の茶の間にすわって、丹前たんぜんを着た三十五、六の、眼の鋭い、口元の締まった武士と、砕けた様子で話していました。長火鉢の横には塗り膳があって、それには小鉢物がのせてあり、かん徳利などものせてあるという始末で。お柳がその男を旗さんと呼んだり、頼母たのもさんと呼んだりするところを見ると、それがその男の姓名であり、二人の間柄は、情夫情婦のようでありました。
 そうして、その旗頼母はたたのもという武士こそ、勢州せいしゅうと呼ばれているこの乞食の私なのでございます。どうして武士の私が乞食などになっているかと申しますに、ある重大な計画の秘密を探るためなので。つまり私は乞食に身を※(「にんべん+悄のつくり」、第4水準2-1-52)やつして隠密をしているのでございます。庄内川の岸に寝ていたのも、持田家の周囲を立ち廻ったのも、そのためなので。それにしてもどうして露路へ逃げ込んだ私が、そんな家で、お柳と、取膳で、酒など飲んでいたのかと申しますに、私は、露路へ逃げ込むや、その家――それは私の隠れ家なのですが、その家の前のしもた家の蔭に隠れて、お柳と西条様との会話はなしを聞いていたのでしたが、西条様が立ち去るやすぐに私は、自分の家の裏口から台所へはいって行き、持田家の秘密を探らせるために、持田家へ、女中として入り込ませておいたお柳が、持田家の秘密を持って、この夜来合わせていたのに手伝わせ、乞食の衣裳を脱ぎ、行水を使い、茶の間で、そんなように、取膳で……と、いうことになったのでありまして、さてそれからは、私とお柳との会話はなしになるのでございます。――
「今夜は泊まって行ってもいいのだろう」これは私で。
「というわけにもいかないのさ。……何しろお嬢様があんなだからねえ」
「惚れるのに事を欠いて、あんな野郎に惚れるとはなア」
「鶴吉と宣っているあの江戸者、女にかけちゃア凄いものさ」
「そこへもって来てお小夜坊さよぼうが、初心うぶ生娘きむすめときているのだからなあ」
「ころりと参って無我夢中さ」
「駆け落ちの相談ができ上がったとは、あきれ返って話にもならない」
「世間知らずの娘だからだよ」
「男の素性に気もつかずか」
「男の心にも気がつかずさ」
「まったくそうだ、だから困るのさ。本当の恋からの所業しわざならいいのだが、そうでないのだから恐ろしい」
「江戸へうまうま連れ出されてから、どうされるかってこと、知らないんだからねえ」
「生き証拠にされるってこと、ご存知ないからお気の毒さ」
 お柳の注いだ猪口ちょこを私は口へ持って行きました。

      六

「駆け落ちの日にちと刻限とに、間違いがあっちゃア大変だが」
「今日から五日後のの刻さ。たしかめておいたから大丈夫だよ」
「おめえいて行くんだったな」
「そうさ途中までお見送りするのさ。お嬢様は可愛らしいよ、何から何まで、わたしにだけはお明かしなさるのだから」
「そこがこっちのつけめなのだが……それにしても鶴吉というあの男、お小夜坊ばかりを連れ出して、それで満足するような、優しい玉とは思われないが」
「これまでにお嬢様の手を通して、いろいろの物を引きだしたらしいよ」
「証拠になるような品をだろう」
「ああそうさ、証拠になるような品さ」
「ところで職場の仕事だが、どうだな、はかどっているようかな」
「それだけは妾にもわからないのさ。こしらえたはしから化け物屋敷の方へ、こっそり運んで行くのだからねえ」
「そういうことは鶴吉って男も、とうに知っているだろうに、化け物屋敷を調べないとは、どうにも俺にはにおちないよ」
「これから調べるのかもしれないじゃアないか」
「そうよなア、そうかもしれない……駆け落ちの前にか、駆け落ちの夜にかな」
 私は背後うしろ地袋じぶくろを開け、木箱を取り出し、その中から太い竹の筒を取り出しました。
「こいつ湿らせちゃア大変だ」
「変な物だねえ、何なのさ?」
「いってみりゃア地雷火さ。普通にゃ落火らっかというが」
「地雷火? まア、気味の悪い……どうしてお前さんそんなものを?」
「お殿様から下げ渡されたのさ」
「お殿様って? どこのお殿様?」
「殿様に二人あるものか。俺等おいらのご主君は犬山の御前さ」
「それじゃア成瀬様なるせさまから。……でも、成瀬様がそんな恐ろしいものを……」
「いよいよの場合には火をかけろってね、俺等前もって言いつけられているのさ」
 この時露路のあちこちで、犬がえ出しましてございます。私は竹筒を木箱の中へ納め、また地袋の中へ押し入れて、犬の吠え声に耳をかしげましたが、「あらかた話は済んだらしいな。それじゃア……」
「何がさ」
「隣の部屋に紅裏もみうらの布団が敷いてあるってことさ」
「ばからしい、……わたしゃア小母様が病気だから、ちょっと見舞いに行って来るといって、お暇をいただいて来たんだよ」
「ありもしない小母様に病気をさせて、情夫おとこに逢いに来るなんて、隅に置けない歌舞伎者かぶきものさ」
「その歌舞伎者で心配になったよ。行き倒れ者に自分を仕組んで、持田様へかかえ込まれ、ずるずるべったりに居ついてしまって、お嬢様をたらしたあの鶴吉、わたしの居ない間に、二番狂言でも仕組んで、わたしたちを出し抜きゃアしないかとねえ」
「それじゃアすぐに帰る気か」
「どうしよう」
「じらすのか。……それともじれているのか……」
「あれ、痛いよ」
 見る眼に痛い絵模様となりましたので……。

      七

 相変らず菰をかむり、竹の杖をつき、面桶めんつうかかえた、乞食のわたしが、庄内川の方へ辿って行きましたのは、それから五日後の夜のことでした。
 化け物屋敷の前まで来ました。
 一町四方ちょうしほうもある、宏大なお屋敷は、樹木と土塀とで、厳重にかこまれておりまして、外から見ますると、内部なか建物たてものは、家根さえ見えないほどなのでございます。
 しばらくわたしは土塀について、お屋敷の周囲をまわりました。と、東側の小門こもんから小半町こはんちょうほど距たった辺に、こんもりした林がありました。それをわたしは眺めやりましたが(あれかせて置けば大丈夫さ)と、こう心中で思いまして、そのまま先へ進んで行きました。足場のよいところまでやって来ました。そこでわたしは木立へ登り、そこから土塀のいただきへ登り、お屋敷の構内へ飛び下りました。構内の土塀近くに茂っているのは、松やかえでまきや桜の、植え込みでございました。
(塀外の木立ちと高い厚い土塀と、そうして内側のこの植え込みとで、こう厳重によろわれたんでは、屋敷内で何を企てようと、外からは見えもしなければ聞こえもしない。ましてその上に化け物屋敷などという、気味の悪い噂を立てておいたら、近寄ろうとする人はないだろう。)[#「近寄ろうとする人はないだろう。)」は底本では「近寄ろうとする人はないだろう。」]
 そんなことをわたしは思いながら、植え込みをわけて進んで行きました。と行く手から大勢の人声や、物を打つ音や物を切る音やが、潮の遠鳴りのように聞こえ、の光なども見えて来ました。不意にその時人声が、此方こなたへ近づいて参りましたので、わたしはやぶ蔭へ身をかくしました。
「見慣れない奴でありましたよ」
「外から忍び込んだ人間らしい」
「どうあろうとさがし出して捕えねば……」
 それは二人のお侍さんでした。
「居た!」
 とその中の一人が、わたしを目付けて叫び、手取りにしようとしてか組みついて来ました。(やむを得ない)と思って、わたしは竹の杖を突き出しました。もちろん急所へあてたんで。かすかに呻き声をあげたばかりで、そのお侍さんは倒れてしまいました。
曲者くせもの!」
 この人は斬り込んで来ました。
 でもその人も倒れてしまいました。
 わたしの突き出した竹の杖が、うまく鳩尾みぞおちはまったからで。
(ナーニ半刻はんときのご辛棒で。自然と息を吹き返しまさあ)
 わたしは先へ進んで行きました。
 でもわたしは気が気ではありませんでした。あの鶴吉という男が、わたしのように土塀を乗り越えて、屋敷内にはいり込んだということは、わたしにはわかっておりましたが、愚図愚図しているうちに目的を遂げて、この屋敷から脱け出されたら、一大事と思ったからです。
 わたしは先へ進んで行きました。
 すると「誰だ!」という声が起こり、つづいて「わッ」という悲鳴が起こり、すぐに「曲者!」とわめく声が聞こえ、つづいて「わッ」という悲鳴が聞こえ、さらに逃げてでも行くらしい、けたたましい足音が聞こえましたが、またもや「わッ」という悲鳴が聞こえ、その後は寂然しんとなってしまいました。
すごいな。三人った! 彼奴きゃつだ!)
 とわたしは走って行きました。
 そうしてもなくわたしは、厳重な旅の仕度をし、黒い頭巾で顔をつつんだ、鶴吉と呼ぶ例の男と、木立ちの中で刀を構えていました。そうですわたしも竹杖たけづえ仕込みの刀を、ひっこ抜いて構えたのです。
 わたしたちの足許にころがっているのは、三人の武士の死骸しがいでした。みんな一太刀で仕止められていました。
(凄い剣技てなみだ、油断するとあぶない)
 わたしは必死に構えました。
 と、鶴吉は月の光で、わたしの姿を認めたらしく、
「なんだ、貴様、乞食ではないか。……しかし、……本当の乞食ではないな。……なのれ、身分を!」
「そういう貴様こそ身分を宣れ! 庄内川からこの屋敷へ、大水たいすいを取り入れるために作り設けた、取入口を探ったり、行き倒れ者に身を※(「にんべん+悄のつくり」、第4水準2-1-52)やつして、船大工の棟領持田の家へはいり込み、娘をたぶらかして秘密を探ったり、最後にはこの屋敷へ忍び入り、現場を見届けようとしたり……」
「黙れ! 此奴こやつ、それにしてもそこまで俺の素性を知るとは?……さては、おのれは、……もしや汝は※(疑問符感嘆符、1-8-77)
「…………」
隠密おんみつではないかな? どこぞの国の?」
「…………」
「ものは相談じゃ、いや頼みじゃ、同じ身分のものと見かけ、頼む見遁みのがしてくれ」

      八

「礼には何をくれる」わたしはこう言ってやりました。
「ナニ礼だと、礼がほしいのか?」
「ただでたのまれてたまるものか」
「なるほどな、もっともだ。……かえって話が早くていい。……何がほしい、なんでもやる。」[#「何がほしい、なんでもやる。」」は底本では「何がほしい、なんでもやる。」]
「調べた秘密をこっちへ吐き出せ」
「…………」
おさえた材料ねたを当方へ渡せ」
「…………」
「江戸まで連れて逃げようとする生き証拠を俺の手へ返せ」
「チェッ、要求のぞみはそれだけか」
「もう一つ残っている」
「まだあるのか、早く言え!」
おのれこの場で消えてなくなれ」
「ナ、なんだと?」
おのれに生きていられては都合が悪いと言っているのだ」
 疾風迅雷とでも形容しましょうか、怒りと憎悪にくみとで斬り込んで来た、鶴吉の刀のすさまじかったことは! あやうく受け流し、わたしは木立ちの中へ駈け込みました。そのわたしを追いかけて来る、鶴吉の姿というものは、さながらひょうでしたよ。
(駄目だ)とわたしは観念しました。(俺の手では仕止められない)
 松の木を盾として、鶴吉の太刀先を防ぎながら、わたしは大音に呼びました。
「お屋敷の方々お出合い下され、江戸柳営りゅうえいよりつかわされた、黒鍬組くろくわぐみの隠密が、西丸様おくわだての秘密を探りに、当屋敷へ忍び込みましてござる! 生かして江戸へ帰しましては、お家の瑕瑾かきんとなりましょう! 曲者はここにおりまする、お駈けつけ下され!」
 声に応じて四方から、おっ取り刀のお侍さんや、のこぎりつちを持った船大工の群れが、松明たいまつなどを振り照らして、わたしたちの方へ駈けつけて来ました。その先頭に立っておりましたのが、西条勘左衛門様でございましたので、
「あなた様の太刀先をひっぱずして、庄内川へ飛び込んだ男が、隠密の此奴こやつでございます。川がないから大丈夫で。今度こそお討ちとりなさりませ」
「そういう貴様きさまは……や、いつぞやの晩……」
「あれは内証ないしょにしておきましょうよ。お味方同志でございますから」
 言いすてるとわたしはお屋敷の建物の方へ、一散に走って行きました。

 やるべき仕事をやってしまうと、わたしは引っ返して来ました。屋敷の門がいていました。で、わたしは走り出ました。
 何が門外にあったでしょう?
 東側の小門から、小半町ほどはなされている林の中から、人声が聞こえ、松明たいまつの火が射しているのです。
 わたしはそっちへ走って行きました。
 そこでわたしの見たものといえば、たれげた一梃いっちょう駕籠かごの前に、返り血やら自分の血やらで、血達磨ちだるまのようになりながら、まだ闘士満々としている、精悍せいかんそのもののような鶴吉が、血刀を右手にふりかぶり、左手を駕籠の峯へかけ、自分の前に集まっている尾張藩の武士や、持田八郎右衛門の弟子の、大勢の船大工たちをにらんでいる、凄愴せいそうとした光景でした。
「かかれ、汝等おのれら、かかったが最後だ!」
 と、しわがれた声で、鶴吉は叫びましたっけ。
「かかったが最後駕籠の中の女は、俺が一刀に刺し殺す!……持田八郎右衛門の娘を殺す! かかれたらかかれ!」
 船大工たちは口惜しそうに、口々にののしりました。
「畜生、鶴吉!」
「恩知らず!」
 ――しかし棟領の秘蔵の娘を、人質にとられているのですから、かかって行くことはできませんでした。西条様はじめお侍さんたちも、刀を構えて焦心あせっているばかりで、どうすることもできませんでした。というのは持田八郎右衛門は、船大工の棟領とはいいながら、立派な藩の御用番匠ごようばんしょうであり、ことには西丸様の今度のお企ての、大立物でありますので、その人の娘にもしものことがあったら、一大事だと思ったからで。
 しかしわたしは遠慮しませんでした。大声で言ってやりました。
「今だ、お小夜坊さよぼう、やっつけな!」

      九

 途端に「あッ」という悲鳴が起こり、刀をふりかぶったまま、鶴吉はからだねじりましたが、やがて、よろめくと、ドット倒れました。脇腹わきばらから血が吹き出しています。
「わーッ」という声がき上がりましたが、これは船大工や藩士の方々が、思わずあげた声でした。でもその声はすぐにんで、気味悪くひっそりとなってしまいました。
 血にぬれた懐剣をひっさげて、駕籠のれをねてお小夜坊が、姿を現わしたからです。
 お小夜坊ではなくておりゅうでした。
 はじめて人を斬ったのでした。お柳の顔色はさすがにあおく、その眼は血走っておりましたが、それだけにかえって凄艶せいえんで、わたしとしましてはお柳という女を、この時ほど美しいと思ったことは、ほかに一度もありませんでした。お柳はわたしを見やってから、船大工たちへ言いましたっけ。
「皆様ご安心なさいまし、お小夜様はわたしがお助けして、この林の奥の、藪蔭にお隠しして置きました」
 歓喜の声をあげて、船大工たちが林の奥へ走って行ったのは、いうまでもないことでございます。その間に西条様や藩士の方々は、鶴吉の息の根を止めようとしました。でもわたしは制止しました。
「どうせ死んで行く人間です、静かに死なせてやって下さい」
 見れば鶴吉は断末魔に近い眼を、わたしの眼へヒタとつけて、物言いたげにしておりました。そこでわたしは近寄って行って、耳に口を寄せてささやきました。
「言いたいことがあるなら言うがいい」
「乞食に計られて死んだとあっては、オ、おれは死に切れぬ。頼む、明かしてくれ、お前の素性を」
「もっともだ、明かすことにしよう。……尾張家の附家老つけがろう、犬山の城主、成瀬隼人正なるせはやとのしょうの家臣、旗頼母はたたのも、それが俺だ」
 ここで私は言葉を改め、「貴殿のご姓名なんと申されるかな?」
「…………」無言で首を振るのでした。
「隠密として事破れし以上、姓名は言わぬというお心か。ごもっともでござる」
 この時突然屋敷内から、火の手が立ち昇りました。
「火事だ!」
「大変だ、作事場さくじばが燃える!」
 人々は叫んで走って行きました。
「鶴吉殿」と耳に口を寄せ、またわたしはささやきました。
「貴殿をこの地へつかわした、そのお方が心にかけられた、宗春様ご建造の禁制の大船、ただ今燃えておりまする。貴殿のお役目遂げられたも同然、お喜びなされ、ご安心なされ!」
「火事?……大船が?……燃えている?」
「拙者が放火つけびいたしたからでござる」
「貴殿が……お身内の貴殿が?」
「われらが主君成瀬隼人正、西丸様お企てを一大事と観じ、再三ご諫言かんげん申し上げたれど聞かれず、やむを得ず拙者に旨を含め……」
 この時船大工たちがお小夜様を連れて、林の奥から出て来ました。
「お柳、お小夜様を、鶴吉殿へ!」
 わたしの相棒のお柳は、お小夜様の手を取って、鶴吉の側へ連れて行きました。お小夜様は恐怖おそろしさ悲哀かなしさとで、生きた空もないようでございましたが、でもベッタリと地へすわると、鶴吉のうなじを膝の上へのせ、しゃくり上げて泣きました。鶴吉を愛していたのですねえ。

 宗家相続の問題以来、将軍吉宗様はちだいさまと尾張家とは、面白くない関係あいだがらとなりまして、宗春様が年若の御身おんみで、早くご隠居なされましたのも、そのためからでございますし、ご禁制の大船を造られましたのも、吉宗様はちだいさまに対する欝忿うっぷん晴らし、そのためだったように思われます。そのご禁制の大船ですが、もうあの時には九分がたできていて、立派なものでございました。ご主君から渡された竹筒仕込みの地雷で、わたしが焼き払いさえしなかったなら、完成したに相違ございません。庄内川から取り入れた水を、すぐに船渠せんきょへ注ぎ入れ、まず庄内川へ押しいだし、それから海へ出すように、巧みに仕組まれてもおりました。
 勢州せいしゅう産まれの乞食こじき権七ごんしち、そんなものにまで身を※(「にんべん+悄のつくり」、第4水準2-1-52)やつし、尾張家のためとはいいながら、あの立派な船を焼きはらったことは、もったいなく思われてなりません。





底本:「日本伝奇名作全集4 剣侠受難・生死卍巴(他)」番町書房
   1970(昭和45)年2月25日初版発行
初出:本全集収録まで未発表
入力:阿和泉拓
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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