ガンジーにつれて思い出されるのは同国の詩人タゴールのことである。
タゴールがノーベル賞金を受けて世界的有名になった頃、日本観光に来た。それを招待してタゴールを日本中へ紹介したのは大阪朝日新聞社で、天王寺の公会堂で、タゴールの初御目見得と第一声とを発表した。その時わたしは同社の若い記者として、時の社会部長の長谷川
タゴールは、白色の長い印度服を着白のターバンを捲き、悠然と壇上に立った。磨いた銅のような美しい艶のある顔色肩にまで降りかかっている長髪、鳳眼隆鼻、まことに神々しいほどの端麗さを備えた容貌がわたしたちの眼をみはらせた。彼は手に持っていた原稿を読んだ。その声? それは、故人となられたが当時の主筆兼編集局長であった鳥居素川先生が「あの声を聞いただけでも若い婦人などは泣くね」と評されたほど感銘の深い、銀鈴を振るような声であった。
通訳に立ったのは、
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私はタゴールの詩は「新月」ほか数種読んでいるし、戯曲も「郵便局」その他幾篇か読んでいる。正直のところ、その詩は、具体性が無いという点で、私にはあまり好ましくなかった。私にはシェレーの「
タゴールの詩にはそういう、具体性がなかった。
彼の戯曲も、その素朴の構成などは、アイルランド劇に似通うものがあって好感は持てたがあまりに迫力に乏しく、とらえどころのないという点で嬉しくなかった。
タゴールがノーベル賞金を得たのは、その彼の芸術のためではなく、英国政府が、印度民衆をサービスするために、多分に政治的意味を
わたしにとってはタゴールはその風采容貌と声とが何より詩であり美であった。
その彼の祖国印度もどうやら長年の英国の鉄鎖から解放されそうである。
解放された印度からどんな詩人が産れることか。