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この書を後れて来たる青年に贈る
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兄弟よ、われなんじらに新しき誡を書き贈るにあらず。すなわち始めよりなんじらのもてる旧き誡なり。この旧き誡は始めよりなんじらが聞きしところの道なり。されどわれがなんじらに書き贈るところはまた新しき誡なり。
――ヨハネ第一書第二章より――
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版を改むるに際して
この書は発行以来あまねく、人生と真理とを愛する青年層の人々に読まれて、数多くの版を重ね、今もなおあわただしい世相の動きにも、自己本然の真実の姿を失うまいとする、心深く、清き若き人々の間に読まれつづけている。
私はその生命の春に目ざめて、人生の探究に出発したる首途にある青年たちにはこの書がまさしく、
示唆に富める手引きとなり得るであろうことを今も信じている。私が
恃みを持つのは思想的内容そのものよりも人生に対する態度である。いかなる態度をもって生きゆくべきか、その誠と力とラディカルな自由性とは今の青年たちに感染してけっして間違いないであろう。この書はたとい思想的に未熟と誤謬とを含んでいる場合にも、純一ならぬ軽雑な何ものをもインフェクトせぬであろう。私は反語とか
諷刺とかの片鱗をもって論述を味わいつける、大家にも普通なレトリックさえけっして用いなかったのである。徹頭徹尾純一にして無雑な態度を守り得たことはこの書が若き人々に広く読まれるに際しての私のひとつの安心である。小さく賢く、浅く鋭く、ほどよく世事なれる今日の悪弊から青年たちを防ぐのに役立つでもあろう。
この書にはいわゆる唯物論的な思想は無い。一般的にいって、社会性に対する考察が不足している。しかし生命に目ざめたる者はまず自己の
享けたる
いのちの宇宙的意義に驚くことから始めねばならぬ。認識と愛と共存者への連関とはそこに源を発するときにのみ不落の根基を持ち得るのである。社会共同態の観念もわれと汝と彼とをひとつの全体として、生を与うる絶対に帰一せしむる基礎なくしては支えがたい。社会科学の前に生命の形而上学がなくてはならぬ。
この書を出版してよりすでに十五年を経ている。私の思想はその間に成長、推移し、生の歩みは深まり、人生の体験は多様となった。したがって今日この書に盛られているとおりの思想を持ってはいない。しかし私の人間と思想とのエレメントは依然として変わりない。そして「たましいの発展」を重視する私は永久に青年たちがそこを通って来ることの是非必要なところの感じ方、考え方の経路を残しておきたいのである。けだし思想は生命が成長するために脱ぎ捨ててこなければならぬ殻皮である。しかしその殻皮を通らずに飛躍することは何人にもあたわぬ。青春時代には青春の被覆をまとうていねばならぬ。生命と認識と恋と善とに驚き、求め悩むのは青春の特質でなくてはならぬ。社会性と処世との配慮はやや
後れてくるべきものであり、それが青春の夢を食い尽くすことは惜しむべきである。世に
属くことと天につくこととの間には聖書のしるすごとく越えがたい溝がある。まず天と生命とに関する思想と感情とにみちみちてその青春を生きよ。私が私の青春を回顧して悔いが無いのはそのためである。やがて世はその乾燥と平凡と猥雑との塵労をもって、求めずとも諸君に押し寄せるであろうからである。
「常に大思想をもって生き、
瑣末の事柄を軽視する慣わしを持て」とカルル・ヒルティはいった。今の知識青年の社会的環境についての同情すべき諸条件をけっして私は知らぬのではない。しかも私が依然としてこの語を推すのは瑣末な処世の配慮が結局青春を
蝕み、気魄を奪い、しかも物的にも、それらの軽視したよりもなんらよきものをもたらさぬであろうことを知るからである。今日の世に処して、物的欠乏の中に偉大なる精神を保つ覚悟無くしては、精神的仕事にも、社会革命にも従事することはできない。物乏しければこそ物にかかずらうのはつまらない。大燈の「肩あって着ずということなし」といい、
耶蘇の「これらのものは汝に加えられん」という、その覚悟をもって、その青春を天と
いのちと認識と愛と倫理との、本質的に永遠なる思想、感情に没頭せよ。諸君の将来を偉大ならしむる源泉は依然としてここにあるのである。
今日世間の塵労の中に大乗の信を得て生き、国民運動の社会的実践に従いつつある私は、それにもかかわらず、諸君の青春に悔いなからしめんためにこのアドヴァイスを呈するものである。
青春は短い。宝石のごとくにしてそれを惜しめ。俗卑と凡雑と低吝とのいやしくもこれに入り込むことを拒み、その想いを
偉いならしめ、その夢を清からしめよ。夢見ることをやめたとき、その青春は終わるのである。
(一九三六・一二・一〇)
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序文
この書に収むるところは自分が今日までに書いた感想および論文のほとんど全部である。この書の出版は自分にとって二つの意味を持っている。一は自分の青春の記念碑としてであり、二は
後れて来たる青春の心たちへの贈り物としてである。自分は今自分の青年期を終わらんとしつつある。しこうして今や青春の「若さ」を葬って、年齢にかかわりなき「永遠の若さ」をもって生きゆかんことを今後の自分の志向となしている。自分は自分の青春と別れを告げんと欲するに臨んで、じつに無量の感慨に浸らずにはいられない。自分は自分の青春に対してかぎりなき愛惜を感じる。そして
労う心地をさえ抑えることができない。自分の青春はじつに
真面目で純熱でかつ勇敢であった。そして苦悩と試練とにみちていた。そして自分は顧みてそれらの苦悩と試練との中から正しく生きゆく道を切り開いて、人間の霊魂のまさに赴くべき方向に進みつつあることを感じる。そして自分は自分がその青春の、そのようにも烈しかった動乱の中にあって、自己の影を見失わないで、本道からはずれないでくることができたことを心から何者かの恵みと感じないではいられないのである。自分はいま自分の青春を埋葬して
合掌し焼香したい
敬虔な心持ちでいる。そして自分が青春を終わるまでに自分が触れ合ってきた、自分を育てるに役立ってくれた――多少とも自分が傷つけているところの――人々に謝しその幸福を祈らないではいられない気がする。自分の青春はまたじつに多くの過失に富んでいたのである。自分は自分に後れて来たる青年が、自分のごとく
真摯に、純熱に、勇敢に、若々しく、しかしながら自分のごとく過失をつくることなく、したがって自分および他人の運命を傷つけることなく、賢明にその青春を過ごさんことを心から祈らないではいられない。それらの過失はじつに純なる「若さ」に伴うものではあるが、しかしそれは一生の運命の決定的契機をつくるほど重大なるものであり、その過失の結果はじつに永くして怖ろしいからである。現に自分はその過失の報いから今なお癒やさるることを得ずして、不幸な境遇の中に生きている。ただ自分はその境遇の中に祝福を見いだす道の暗示を――それは自分の青春そのものが示唆したのであるが――かすかながらも
掴み得ているために、今後の生活の希望を保つことができるのである。自分はそこに自分の過失を
償い、生かし、いなむしろその過失によっていっそう完きものに近づく知恵を獲得することができたと思っている。この書はその過程の記録である。自分はこの書が後れて来たる青年に対して有益であることを信じないではいられない。それは自分の青春がすぐれて美しく、完全であるからではなく、かえって多くの過失を
具えているからである。そしてその過失が償われて――少なくとも償う本道の上に立って進みつつあるからである。自分はこの書を後れて来たる青年に対して、今の自分が贈り得る最上の贈り物であることを信じる。人がもし心を
空しくしてこの書を初めより終わりまで読むならば、きっと何ものかを得るであろう。そこには一個の若き霊魂が初めて目醒め、驚き、自己の前に置かれたるあらゆる生活の与件に
対かって、まっすぐに、公けに、熱誠に働きかけ、
憧れ、疑い、悩み、また
悦び、さまざまの体験を経て、後に初めて愛と認識との指し示す本道に出でて進みゆき、ついにそれらの与件を支配する法則およびその法則の創造者に対する承認および信順の意識の暗示に達するまでの、生の歩みの歴史がある。この集に収むる文章はその思索の成績において必ずしも非常にすぐれているとは言わないが、その文章の書かれた動機は、いずれの一つもその表出の理由と衝動とにみちていないものはない。そして一つのものから次のものへと推移する過程には必然的な体験の連結がある。その意味において真に霊魂の成長の記録である。人は初めのものより、終わりのものへと進むに従って、しだいにその思索と体験とが深められ、その考え方は多様にかつ質実となり、初めには裁いたものをも
赦し、
斥けたものをも
摂り、
曖昧なる内容は明確となり、しだいに深く、大きく、かつ高くなり、その終わりに近きものは、もはや「恵み」の意識の影の隠見するところにまで達せんとしつつあるのを見いだすであろう。その意味においては、人はむしろ自分をあまりに早く老いすぎるとなすかもしれないほどである。実際自分には壮年期と老年期と同時に来たような気がしている。それは必ずしも自分が緻密なる思索に堪え得ざる頭脳の
粗笨と溌剌たる体験を支え得ざる身体の病弱とのためではなく、じつに自分のごとき運命を享けたる者、早き死を予感せるものが、
彼岸と調和との思慕に急ぐのは必然かつ当然なることである。その意味において自分は「恋を失うた者の歩む道」より以後のものは、壮年期以後の人に対しても読まるることを適当でないとは思わない。もとよりこの書には、ことにその初めの頃のものは
稚く、かつ若さに伴う
衒気と感傷とをかなりな程度まで含んでいる。しかしながら自分は自分の青春の思い出を保存するためにかなりの
羞恥を忍んでそれをそのままに残しておいた。それらの衒気と感傷とはそれが真摯にして本質的なる
稟性に裏付けられているときには青春の一つの愛すべき特色をつくるものである。実際自分はそれらのものを全く欠ける青年を、青年として愛することは困難を感ずる。またかなりに
目障りな外国語の使用等も
学生としての気分を保存するためにあえてそのままにしておいた。「生命の認識的努力」は幼稚であり、学術的には認識論の入門にすぎないけれども、その頃の自分にとってはじつに重要なものであり、この文章を書いた頃の尊い思い出を愛惜するためにどうしても割愛する気になれなかった。かつこの文章には一般の青年がその一生を哲学的思索に捧げない人といえども、必ず知っておかなければならない程度の、認識論の最も本質的に重要なる部分をことごとく含んでいるからである。そして自分が常に抱いている、中学の課程において、自然科学を教うる際に、認識論ことに唯心論的な認識論の入門をあわせて教えなければならないという意見の実施の代用として役立つことを信じるからである。実際自分は中学の誤まれる教授法によって授けられたる自然科学の知識の、実在の説明としての不当の――その正しき限界と範囲以上の――要求から解放せらるるまでに、どんなに不必要な、しかもじつに
惨憺たる苦悩を経験したことだろう。自分はそのために青春の精力の半ば以上を
費したといってもいい。この事たる、ただ中学において、自然科学の教師が、その知識が実在の説明として、ある一つの考え方であって、唯一のものではなく、他に多くのそしてその中にはたとえば唯心論のごとく、全然反対の考え方もあることを付加するだけの用意を持っていさえしたならば、免るる、少なくとも半減することができたのである。そしておそらく私のみでなく、ほとんどすべての青年が同じ苦悩を経験するであろうと思わないではいられない。その意味において自分のこの稚き一文はかなりな効果ある役目を果たすであろうと思っている。またこの書にはかなりしばしば同一思想の反復あるいは前後矛盾せる文章を含んでいる。これはすなわち自分が同一の問題を繰り返し、くりかえし種々の立場より眺め、考え、究めんとせるためおよび思索と体験の進むに従って、前には否定したものをも
摂り
容れ、あるいは前に肯定したものをも、否定するに至ったためである。思想が必然的連絡を保って成長してゆく過程を
痕づけるものとして、かかる反復と矛盾とは、避くべからざるものであるのみならずまたその思索と体験の真摯なることを証するものであると思う。
この書は青年としてまさに考うべき重要なる問題をことごとく含んでいるといってもいい。すなわち「善とは何ぞや」、「真理とは何ぞや」、「友情とは何ぞや」、「恋愛とは何ぞや」、「性欲とは何ぞや」、「信仰とは何ぞや」等の問題を、たといけっして解決し得てはいないまでも、これらに関する最も本質的な
考え方を示している。しこうして考え方はある意味において解決よりも重要なのである。一般に自分はこの書の学術的部分には恃みを持っていない。ことに「隣人としての愛」より後は自分の興味はしだいに哲学より離れ、したがって表現法も意識的に学術的用語を避けて、直接に「こころ」に訴えるごときものを選ぶに至った。自分がこの書において最も恃みをおいている点は、人間がまさに人間として考うべき種々の重要なる問題を提出しそれについての最も本質的なる考え方を示し、かつ人間の「こころ」の種々なるムードについて、深く、遠く、かつ懐しく語り得ていると信じる点にある。それらの
心情の
優しさにおいて、種々の尊き「徳」について語り得ていると信じる点にある。自分はこの書が読む人の心を善良に、素直に、誠実にかつ潤いに富めるものとならしむるに少しでも役立つことを祈るものである。一個の人間がいかに生きているかは、善悪ともに、他の共に生けるものの指針となる。その意味においてこの書は、その青春の危険多き航路を終わりたる水夫が、後れて来たる友船へ示す合図である。自分は彼らの舟行の安らかならんことを心より願う。しこうして自分もまた愛と認識との指す方向に航路を定め、長き舟行の後ついに彼岸に達せんことを念願するものである。がそれは恵みの導きなくしては遂げらるるとは思えない。願わくば造りたるものの恵み、自分とおよび、自分とともに造られたるものの上にゆたかならんことを。
(一九二一・一・一八朝)
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憧憬
――三之助の手紙――
哲学者は淋しい
甲蟲である。
故ゼームス博士はこうおっしゃった。心憎くもいじらしき言葉ではないか。思えば博士は昨年の夏、チョコルアの別荘で忽然として長逝せられたのであった。博士の歩みたまいし寂しき路を
辿り行かんとするわが友よ、私はこの一句を
口吟むとき、
髯の
疎らな目の穏やかな博士の顔がまざまざと見え、たとえば明るい――といっても月の光で
微白い園で、色を秘した黒い花の
幽かなる香を
嗅ぎながら、無量の哀調を聞くごとくそぞろに涙ぐまるるのである。しこうしてこうして哀愁に包まれたとき私が常になすがごとくに今日も君に書く気になったのだ。
その後生活状態には何の異なりも無い。ただ心だけは常に浮動している。なんのことはない運動中枢を失った蛙のごとき有様だ。人生の
愛着者にはなりたくてたまらぬのだが、それには欠くべからざる根本信念がこの幾年目を皿のごとくにして探し回ってるのにまだ捕捉できない。といって冷たい人生の傍観者になんでなれよう。この境に
彷徨する私の胸にはやるせのない不安と寂愁とが絶えず襲うてくる。前者は白幕に映ずる幻燈絵の消えやすきに感ずるおぼつかなさであり、後者は
痲痺せし掌の握れど握れど
手応え無きに覚ゆる淋しさである。ときどきこんな声が大なる権威を帯びて響きくることがある。
「はかない人知で何を解こうとしてるのだ。幾年かかれば解けるのだ。それを解決してからがおまえの意義ある生活ならばそれは危いものだ。初めから意義ある生活を打算してかからぬ方がましかもしれぬよ。疑惑の雲の中へ頭を突き込んでやがては雲の一部分に消え化してしまうのであろう」
一度は恐れ
戦いてこの声にひれ伏した。が
倨傲な心はぬっと頭を
擡げる。
「いくら苦しくても、意義が不明でも、雲の中へ消え込んでも、その原因は私の意志どおりをやってきたからだ。世の中に思いどおりをやるほど好いことがあるものか。それに私はある女(真理)に恋慕してるのだ。なるほど
対手の顔はまだ見ない。しかし彼女はきっと美しい
崇い顔を持ってるに違いない。まだ見ぬ恋の楽しさを君は知るまい。私の恋が片思いに終わるとは断言できまい。今に彼女は必ず私に
靡くよ。白い雲の上で私を呼んでいる彼女の優しい上品な声が聞こえるような気がする。考えてもみたまえ。互いに胸を打ち明けてからもおもしろかろうが、打ち明けぬうちも捨てがたいではないか。私はいかにしても思い切る気はない」
君、僕はこんなことを考えて沮喪する心を励ましているのだよ。いつもの話だがどうもわが校には話せる
奴がいない。O市の天地において僕は孤独の地位に立ってる。から騒ぎ騒ぐ野次馬、安価なる信仰家、単純なる心の尊敬すべき凡骨、神経の鋭敏と官能のデリカシイとに鼻
蠢かす歯の浮くような文芸家はいるが、人生に対する透徹なる批判と、
纏綿たる執着と、
真摯なる態度とを持して真剣に人生の愛着者たらんと欲する人は無い。例の
瘰癧のO君とはただ文学上において話せるのみだ。彼は根本的思索には心が向かっていない。彼は考えずしてただ味わおうとのみ
努めている。彼の唯一の根底は生の刺激すなわち歓楽である。歓楽からただちに人生に入った彼の内的生活の過程を私は納得することができない。絹糸のごとき繊細なる感受性は持ちながら、知識は荒繩のごとく粗笨な一部の文芸家によって、哲学者の神聖なる努力と豊富なる功績とがいたずらに人生の傍観者なる悪名の
裡に葬り去られんとするのは憤慨すべき事実である。われら哲学の学徒より見れば、いまだかつて哲学者ほど人生に対して親切、熱烈、誠実なる者を知らぬのである。彼はライフを熱愛するのあまり、これを抽象して常に眼前にぶら下げている。あたかも芸術家が自己の作品に対するごとき態度をもって哲学者は自己のライフに面している。かのロダンの大理石塊を前にしてまさに
鑿を
揮わんとして息を
屏め目を凝らすがごとくに、ベルグソンは与えられたる「人性」を最高の傑作たらしめんがためにじっとライフを見つめているのである。われらは彼の蒼白き頬と広き額と結べる唇とに纏綿たる執着と、深奥なる知性と、強烈なる意欲の影の漂えるのを看過してはならない。フィロソファーとは愛知者という語義だという。しかし私は愛生者をこそ哲学者と呼びたい。
それから君はややもすれば単純なる心の持主、いわゆる善人をば軽蔑せんとする傾向があるがそれは悪いよ。考えてもみたまえ。もともとわれらは真正の善人――哲学的善人たらんがために哲学に志したのではないか。われらが冷たい思索の世界に、こうして凡俗の知らぬ苦労を
嘗めているのは「真」のためでなく、「美」のためでなく、じつに「善」のためである。「実在」に対する懐疑よりもはるかに
疾く、はるかに切実に「善」に対する懐疑に陥ったのであった。迷い惑うるわれわれの前にいかに荘麗に、崇高に、厳然として哲学の門は
聳えたりしよ。われらは
血眼になって傍目も振らず、まっしぐらに突入したのだ。
だからわが友よ、われらは彼ら善人を愛し、彼らの持てる純なる情と勇ましき力とをもって守るに価する真の善の宝玉を発見せねばならぬ。われら神聖なる哲学の徒は彼らの抱ける善の玉のいかに不純不透明にして
雑駁なる
混淆物を含みおるかを示して、雨に濡れたる
艶消玉の月に輝く美しさを探ることを教えねばならない。濁水
滔々たる黄河の流れを貪り汲まんとする彼らをして、ローマの街にありという清洌なる噴泉を
掬んで渇を潤すことを知らしめねばならない。
思えば今を
距る二千六百年の昔、「わが」哲学がミレートスの揺籃を
出でてから、浮世の嵐は常にこの尊き学問につれなかった。しこうして今日もまたつれないのである。故国を追われて旅の空に眼鏡を磨きつつ思索に耽ったスピノーザの敬虔なる心の尊さ、フィロソフィック・クールネスの
床しさ! 僕らはあくまでも尊き哲学者になろうではないか。私はH氏のものものしき
惑溺呼わりに憎悪を抱き、K氏の耽美主義に反感を起こし、M博士の遊びの気分に溜息を
洩らす。M博士は私の離れじとばかり握った
袂を振り切って去っておしまいなすった。私はかの即興詩人時代の情趣
濃かなM博士がなつかしい。かのハルトマンの哲学を抱いて帰朝なすった頃の博士が慕わしい。思えば独歩の
夭折は私らにとって大きな損失であった。
底冷たい秋の日影がぱっと障子に染めたかと思うとじきとまた暗くなる。鋭い、
断れ
断れな
百舌鳥の声が背戸口で
喧しい。しみじみと秋の気がする。ああ可憐なる君よ、(可憐という字を許せ)淋しき思索の路を二人肩を並べて勇ましく
辿ろうではないか。
行方も知れぬ遠い旅路に泣き出しそうになったらゼームス博士を思い出そう。哲学者は淋しい甲蟲である! お互いに真面目に考えようね。
お手紙拝見。お互いに青春二十一歳になったわけだね。でも苦労したせいか僕の方が兄のような気がしてならない。昨年の正月の艶々しい恋物語を知ってるだけに、冷たい、暗い、汚い寮で
侘しく新年を迎えた君がいっそうのこといとしい。君は私と違って花やかな家庭に育ったんだからね。T君が君をロマンチックだって冷笑したって。かまうものか。彼の刹那主義こそ危いものだ。なぜというに、彼の思想には中心点が無いからだ。彼の「灰色生活」は虚偽である。みたまえ。彼の
荒んだ生活には、ああした生活に必然伴うべきはずの深刻沈痛の調子は毫も出ていないではないか。さて僕だ。例によって帰省したものの、ご存じのとおりの家庭ゆえあまりおもしろくない。でもさすがに正月だ。門松しめ飾り、松の内の八百屋町をぱったり人通りが
杜絶えて、
牡丹雪が音も立てずに降っている。
昨日丸山さんが手紙をよこした。つつましい筆使いだがちょっと人を惹きつける。私は三年前の夏の一夜を思いだす。水のような月の光が畳の上までさし込んで、庭の
八手の
疎らな葉影は
淡く縁端にくずれた。
蚯蚓の声も
幽かに聞こえていた。
螢籠を
檐に吊して丸山さんと私とは縁端に並んで坐った。この夜ほど二人がしんみりと語ったことはなかった。
淑やかに
団扇を使いながら、どうかすると心持ち
髷を傾けて寂しくほほ笑む。と螢が一匹隣りの庭から飛んで来た。丸山さんは庭に下りて団扇を揮うて螢を打った。
浴衣の袖がさっと翻る。八手の青葉がちらちら揺らぐ。螢は危く泉水の面に落ちようとしてやがて垣を
掠めてついと飛んで行った。素足に庭下駄を
穿いて飛石の上に立った
丈の高い女の姿が妙にその夜の私の心に沁みた。寡婦にして子供無き丸山さんは三之助さん、三之助さんと言って私を弟のごとく愛してくれたのだが、今では岐阜で女学校の先生を勤めてるそうだ。
私は休暇の初め、岡山で私の趣味に照らして最も美しいと思う
花簪を妹に
土産に買って帰ってやったら、あの質素な女学校ではこんな
派手なものは
插されませぬと言っていたがそれでも嬉しそうな顔はした。君も重子さんに本でも慰めに送ってやりたまえ。妹というものは可愛いもんだからね。明後日出発する。しっかり勉強したまえ。
O市の春はようやく深し。今日の日曜を
野径に
逍遙して春を探り歩きたり。
藍色を漂わす大空にはまだ消えやらぬ
薄靄のちぎれちぎれにたなびきて、晴れやかなる朝の光はあらゆるものに流るるなり。操山の腹に
聳ゆる
羅漢寺は
半ば樹立に抱かれて、その白壁は紫に染み、南の山の端には白雲の顔を
覗けるを見る。向こうの松林には日光豊かに
洩れ込みて、
代赭色の幹の上に斑紋を画き、白き鳥一羽その間に
息えるも
長閑なり。藍色の空に白き
煙草の煙吹かせつつわれは小川に沿いて歩みたり。土橋を潜る水は
温みて夢ばかりなる水蒸気は白く
顫え、岸を蔽えるクローバーは柔らかに足裏の触覚を
擽りて、いかにわれをして試みんとする春の旅の楽しきを思わしめしよ。わが友よ、御身と逢うの日は近く迫り来れり。わが心は常に哲学を思い、御身を慕えり。じつにわれらの間の友情はかの熱愛せる男女の恋にも
勝りていかに纏綿として離れがたく、純乎として清きよ。夜半夢破れて枕に通う春雨の音に東都の春の
濃やかなるを忍ぶとき、御身恋しの心は
滲むがごとくに湧き出ずるなり。今宵月白し。花紅き
籬のほとり、行人の声いと懐し。
大船で
訣れるとき、訣れの言葉をも交さず、またお互いに訣れるのだということも知らないで訣れるのなら好いと思った。しかし君と僕とはきまりの悪い、辛そうな顔して訣れた。汽車がゆるゆる動き出す。君が窓に肱杖突いてこちらを見てる。僕がときどき後を振り向く。そのたびごとに君の姿が遠く小さくなる。そのうち君と僕とは全く訣れてしまったのである。手持無沙汰に、あの麦藁帽子を被って、あのマントとあの袋とを携えて、プラットホームの一隅に四十分もつくねんとしていた僕の姿をば、三日前の夕暮れには共に
暢々して眺めた風景にこのたびは君一人で面接しながら察してくれたであろう。
とにかく再び汽車に乗った。君と別れて取り放されたように淋しく疲れた私の胸はまたもややるせない倦怠に襲われねばならなかった。
明くれば五日黎明、しとしとと降る京の雨の間を走る電車に乗せられて私はS君の宿を訪るる身であった。朝飯をすまして私とS君とは春雨に烟った東山に面する一室に障子を閉め切って火鉢を隔て向き合う。私が鎌倉、逗子、東京の近況、君やH子さんのことなど話して聞かす。しかし楽しく暖かく君と遊んできた私には、その後は淋しくもあり、悲しくもありしてならなかった。S君と私との間にはかなりぼんやりしてる一枚の
帷が下がってる。S君は気のおける人だ。うち解けてくれない。どうしたらS君と心おきなく楽しく話せるのだろうかと思わざるを得なかった。君の言葉を借りて言えば、S君の感情はルードである。どうかするとS君のこの傾向が鋭く感じられたので京都においてはただ自然美に恵まるるのみであった。夕暮れ、私ら二人は知恩院を訪うた。雨晴れの夕暮れの空に古色蒼然たる山門は聳えていた。ああこれぞ知恩院である。山門であると思いながら、私共はそれを潜った。春雨を豊かに吸うた境内の土、処々に侘しく残った
潦、古めかしい香いのする本堂、
鬱然として厳しく立ち並んだ老木の間には一筋の爪先き上りの段道がある。その側には申し訳のような谷川がある。私共は肩をならべて登った。
もともと君でも僕でも真心より尊き美に憧るる者である。一個の生を
享けてその生の骨子たらしめんとするのは「尊きもの」である。一枚の紙のみ張ってある組子の無い障子はこの間まで春風を心地よく受けてふわりふわりとしていた。秋風の寒さが吹いて来たときこれでは
堪らない。何か確然としたものはないかしらと気がついた。君でも僕でもこの確乎したものは「尊きもの」でなくてはならなかった。それからというものは、お互いに血眼になって「尊きもの」を探してる。だから当然内容の
如何を問わず、ある尊きものに面接したときハッとして立ち止まる。このとき言い知れぬ懐しさを感ずるのだ。君と僕とが鎌倉で無名の社に詣でたときこれを経験したではないか。さて私はS君と滑らかな林道を辿った。私の心には懐しき尊さが訪れて僕はそれと応接すべくS君とは口を
利かなかった。S君の趣味があまりに低級にして、感情がいかにも粗笨に思われたからである。やがて二人は
祇園桜に出た。群衆は
競うてその側に集まる。
紅提燈に灯がともる。空は灰色からだんだん暗黒になってゆく。それから都踊りを見た。私は踊りに関しては門外漢だから論じられぬが、
美わしき舞子が、美わしく装うて、美わしき背景の前に、美わしく舞うたのはさすがに美わしかった。そのとき音楽ということが稲妻のごとく私の頭に光明を与えてまた行ってしまった。上野の森の夕闇の逍遙に、君が音楽の価値を論じて私共が音楽の世界にストレンジャーであるのを嘆いたが、いま花やかなる踊り場の中にあって、調子の整った三味の音、鼓、大鼓、笛の響きを聞いたとき、ほんとにそうだとつくづく思った。居合わすものはS君と君とD君とK君、お互いに舞子の顔の批評ばかりし合ってる。
翌日嵐山、金閣寺を見物して、クラシックの匂いを慕って奈良に回ったが
綺羅粉黛人跡繁くして駄目であった。ただ大仏に対して何だか色のない尊い恋というようなものを感じた。それからずうッとO市に帰ったのである。
今日は八日、花曇りの空は重々しく垂れかかってる。こうして机に
倚りかかってぼんやりしてると、過ぎにし旅行のことが影絵のごとく、おぼろに思い浮かべられて、淡い淡い悲哀を覚ゆるのである。恋しき友よ、君はなんという私にとって無くてはならない友であろう。私の覚ゆる悲哀は一には君のために覚ゆる悲哀である。春雨に濡るる若草のごとくに甘い、懐かしい、潤うた悲哀である。君無くば
乾からびた味の無い砂地のごとき悲哀になっちまう。
お互いに自重しようね。耽溺、刹那主義、pleasure-hunter なんという嫌な響きであろう。思索だ! 思索だ! 永遠にして崇高なものをぐっと握り締めるまでは、私共のなすべきすべてのことはただ思索あるのみである。
今日は朝っぱらから心細いことのみに出っくわす。例の
瘰癧の男と学校で会って僕が彼に思索せぬことを
詰ったら彼は次のごとく答えた。
「私は十年経てば死ぬと医者から宣告せられてるのだぜ。過去は暗黒だ。未来は謎だ。短い命を誰がくだらぬ思索なんかに費すものか。私にはそんな余裕はない。私には『生きる』ということが仕事の全部だ。なるほど生きているなと思うには強い、
濃い刺激が要る。それには歓楽に
如く者は無い。鼓の響き、肉の香、白い腕、紫の帯、これらは私の欠くべからざる生活品だ。これらが無くては寂しくて
堪らぬ。私の頸からは切っても切っても汚い、黄色な
膿がどぶどぶ出る。君らは鏡に向かって自分の強く美しき肉体を賛美することは知ってても、肺病患者が人知れず
痰を吐いて、混血の少ないのにほっと息を吐くときの苦心は知るまい。私は死に面接してる。君らは死を弄んでる。死は私には事実だが君らには空想だ。『自然』に反抗するとき死は恐怖だが、降参してしまえば慰安だ。君らは早
叶わじと覚悟して、獅子の腕の下るのを待ってる小羊の心がぞんがい安静なのを知らないのだ」ざっとこんな意味のことを嘲るように、投げ出すように言った。私はなんだか私らの思索の前途がおぼつかなくなった。帰宅すると机の上に君の手紙が置いてある。それを読むとまたいっそうのこと心細くなった。君のは瘰癧のとは形式は異なるが、やっぱり「自己存在の確認」を訴えてるからだ。君がオブスキュアな生活が味気なく、ポピュラリチーを欲求するのはあえて無理とはいわない。ことに君は花やかな境遇ばかり経てきたのだからなおさらだ。しかし群衆の反応の中に自己の影像を発見しようと努めることとフィロソフィック・クールネスとははたして両立し得るであろうか。身オブスキュリチーに隠るるとも自己の性格と仕事との価値をみずから認識してみずから満足しなくては、とても寂しい思索生活は永続しはしない。君の言のごとく自己の記念碑を設立せんと欲するのは万人の常ではあるが、君、どうかそこをいま少し深刻に、真面目に考えてくれたまえ。君は他人より古い、小さい、弱いと思っては満足できぬ人間なのだから、エミネンシイに対する欲求も無理とはいわない、がそこを忍耐しなくては
豪い哲学者にはなれない。君が目下の急務はフィロソフィック・クールネスの修養だ。何事も至尊至重のライフのためだ。後生だからエミネンシイとポピュラリチーとの欲求を抑制してくれたまえ。君はあくまでも尊い哲学者になりたまえ。私は熱心に研究してる。この頃くだらぬ朋友と皮一重の談笑するのが嫌でならない。独歩や藤村等のしみじみした小説、大西博士、ショウペンハウエル、ヴントを読んでる。
今日はじつにいい天気だ。空は藍色を敷き詰め、爽やかな春風を満面に
孕んだ
椎の樹の梢を
掠めて、白い雲がふわふわと揺らぐ。朝から熱心に心理を読んでいた私は、たまらなく
暢んびりした心地になって、羽織を脱ぎ捨てて飛び出した。O市西郊の
畷道、測量師の一隊が赤、白の旗を立てて距離を測ってるのが妙に
長閑である。このとき僕はふと明林寺を想い出した。大西博士の眠りたまえる寺である。墓参しようと決心した。しばらく経って私は明林寺の鬱然たる境内、危そうな象形文字を印したる凸凹道を物思いがちに
辿っていた。墓地に着くやいなや、
癩病らしい、鎌を手にした少年が陰険な目付きでじろじろ睨んで通った。冷やりとした。数多き墓の中、かれこれと探って、ついに博士の墓を発見した。大きな松ののさばりかかった上品な墓だ。頭の上ではほろろと鳥が啼き名も知れぬ白い、小さな草花があたりに
簇り咲いていた。尊き哲学者を想うこころは、私をしてその墓の前に半時間あまりも
蹲らしめて深い物想いに沈ましめた。豪い哲学者もこうして忘れられてゆくのだと思ったときオブスキュリチーに
慄える君を思い出して痛ましく思わずにはいられなかった。いつしか迫ってくる夕闇に、墓場を辞して
火燈し頃のO市に帰った。帰宅するまえ例のカフェに寄った。例の娘に「おまえ、大西博士を知ってるの」と聞いたら黙って頭を振った。天に輝く星を眺めておお涼しいこととでも思ってるのであろう。博士はとうとう美しき彼女には知られぬであろう。
暗い暗い、気味悪く冷たい、吐く気息も切ない、
混沌迷瞑、漠として極むべからざる雰囲気の中において、あるとき、ある処に、光明を包んだ、
艶消しの黄金色の紅が
湧然として輝いた。その刹那、
顫い
戦く二つの魂と魂は、しっかと相抱いて声高く叫んだ。その二つの声は幽谷に
咽び泣く
木精と木精とのごとく響いた。
君と僕との離れがたき友情の定めは、このとき深く根ざされたのであった。思えば去年私が深刻悲痛なる煩悶に陥って、ミゼラブルな不安と
懊悩とに襲われなければならなかったとき、苦しまぎれに、寂しまぎれに狂うがごとき手紙をば幾回君に送ったことであろう。親類を怒らせ、父母を泣かせて君が決然として哲学の門に
邁進したとき、私の心は勇ましく躍り立った。月日の立つのは早いものだ。君が
向陵の人となってから、小一年になるではないか。思えば私らはこの一年間、何を求め得、何を味わい得たのであろう。奥底に燃ゆるがごとき熱誠と、犯すべからざる真面目とを常に手放さなかった私らは、目を皿のごとくにして美わしい尊いものを探し回ったのに、また機敏なる態度を持してかりそめにも
遁すまいと注意したのに、握り得たものは何であろう。味わい得たものは何であろう。私らは顧みて快くほほ笑み、過去一年の追憶を美わしき絵巻物を
手繰るがごとく思い浮かべることができるであろうか。この長き月日を冷たい、暗い喧騒な寮に
燻って浮世の花やかさに、憧れたりしわが友よ、僕は君を哀れに思う。かくのごとくして歓楽に


する君は歓楽から
継子扱いにされねばならなかったのだ。
かの公園に渦のごとく
縺るる紅、紫、緑の洋傘の尖端に一本ずつ糸を結び付け、一纏めにして天空に舞い上らしめたらどうであろう。しばしあっけにとられた後はわれに帰るであろう。清く崇き鐘の音をして花に浮き立つ群衆を散らしめよ。人無き後の公園は一種名状すべからざる神秘的寂寥を極むるであろう。清い柔らかな風がいま一度吹き渡る。天はますます青く澄み、緑草は気息を吹き返す。私はこの寂しき公園の青草の上に天を仰いで
転びたい。そしてあのいい色の青空を視力の続くかぎり
視つめたい。その視線が太く短くなってやがてはたと切れたときそれなりに瞑目したらなお嬉しい。
今年の私のこの心持ちはいっそうにエルヘーヴェンされたのである。私は所詮神秘と崇厳とを愛憬する若者であった。
私は去年、花やかさにも
湿いにも乏しきO市の片隅の下宿において、冷たい、暗い、乾ききった空気の中に住むことをいかほど辛く味気なく思ったことであろう。しかし今年の私は君の濃き温かき友情に包まれることができる。H子さんが私を知っての上の熱き真情もある。加うるに真生命に対する努力と希望とがある。O市における燻った生活、淋しき周囲の状態はこれらの前には首を低うして、ひれ伏さねばならぬであろう。僕は君に喜んでもらわなくてはならない。
それにしても君、今年の春は
早逝かんとするではないか。隣家の黒板塀からのさばり出た桃の枝は敗残の姿痛ましげに、今日も夕闇の空に輪郭をぼかしている。私は行く春の面影を傷手を負うたような心地で、
偲ばぬわけにはゆかぬのである。私は惜しくて惜しくてならない。地だんだ踏んでもいま一度今年の春を呼び返し、君とともに味わったかの清楽と、花やかなしかし見識のある歓楽が味わいたい。しこうして崇高の感に打たれたい。こう思うとき心の扉はぴりぴりと振うではないか。
この間の長い手紙丁寧に読んだ。じつを言うとあの手紙は私にとってあまり嬉しい感じを与えてくれなかった。苦心して探し回って、ついにどうか、こうか快楽という一事を捕えたまではよかったが、その「快楽」を捕えたときは、君はすくなからず
蕭殺たる色相とデスペレートな気分とを帯びてるごとく見えたからである。快楽主義は君にとっては今や一つの尊き信念になった。しかし君はあの手紙を書いて以来、柔らかな、優しい、
湿うた、心地で日を送ってるかい。おそらくは
荒んだ、すてばちな気持ちであろう。君の結論は私はこう断定した。「人間の本性は快楽を欲求する意志である。ゆえに最もよき生を得んには意志の対象たる快楽の存するところに赴くべし」と。私だって快楽にインディフェレントなほどに冷淡な男では万々ない。私らがある信念を得てそれに順応してゆくところ、必然になんらかの快楽が生ずることは今から信じている。しかし人間の行為の根本義は快楽であろうか。快楽だから欲求するのであろうか。経験の発達した私らには快楽だから欲求することはずいぶんある。しかし発生的、心理的に考えてみたまえ。欲求を満足せしむるとき初めて快楽を生ずるので、欲求する当初には快楽は無かったに違いない。約言すれば快楽は欲求を予想している。元来快楽主義は脳力の発達した動物にのみあり得べき主義である。それに人間には
朧ろながら理想というものがある。なんとなれば欲求に高下の差別はあり得ぬにしても、われらはある欲求は制してある欲求は
展ばしているが、この説明者は理想でなければならぬからである。私は自己運動の満足説を奉じたい。もっとも自己の満足するところ快楽ありとすれば、客観的には快楽だから欲求したのだともいえようが、しかしそれは客観的、経験的の立言で主観的ではない。それにまた人間がこの世の中にポッと生まれ出て、快楽のために快楽を味おうて、またポッと消えてしまうとはあまりにあっけないではないか。ただそれだけでは私らの形而上学的欲求が許してくれない。快楽主義の奥に何か欲しいではないか。少なくとも
巌のごとき安心の地盤に立って堂々と快楽が味わいたいではないか。
姑息な快楽だけで満足できるようだったら、私らは初めから哲学に向かわなかったであろう。享楽主義の文芸家と私らとの分岐点はじつにこのところに存する。彼らよりも私らが人生に対していっそう親切に、忍耐に富み、真摯なりと高言し得るのはじつにこのところに存する。君の性格は享楽主義の誘惑に対してすこぶる危い。人生の真の愛着者たらんとする君ならばそこを一歩勇ましく踏み止まらなくてはならない。君の享楽主義は荒涼たる色調を帯びている。君はいま泣き泣き快楽を追わんとしているのだ。まことに
荒んでいる。君の吐く息は
悽愴の気に充ちている。君の手紙のなかには「ああ私は生に執着する」とあった。しかし私にはこの言葉がいかにももの凄く響いたのである。君の態度は君の手紙のなかにあったごとく、
平将門が
比叡山から美しい京都の町を眺めて、「ええッあの中にあばれ込んでできるだけしつこく楽しんでやりたい」といったようにしか思えなかったからである。愛着の影さえ荒んで見えたのである。私は君がみずから緑草芳しき柔らかな春の
褥に背を向けて、明けやすき夏の夜の電燈輝く大広間の酒戦乱座のただなかに狂笑しに赴くような気がしてならない。四畳半に遠来の友と相対して湿やかに物語るの趣は君を惹かなくなって、某々会議員の宴会の夜の花やかさのみが君の心をそそるようになるようにも思われる。君はいま利己的快楽主義の
鉾をまっこうに
振り
翳して世の中を荒れ回らんとしている。快楽の執着、欲求の解放、力の拡充、財の獲得! ああ君の行方には暗澹たる黒雲が待っている。恐ろしい破滅が控えている。僕はこれを涙なくしてどうして見過ごすことができよう。これらもみな今までの君のライフが充実していなかったがためである。しみじみと統一的に生き得なかったためである。そう思えばますますいとしくなる。揃いも揃って美しい七人の姉妹の間に、父母の溺愛にちやほやされて、荒い風に揉まれず育った君は素直な、柔らかな
稚松であった。思えば六年前僕らが初めて中学に入校した当時、荒い黄羽二重の大名縞の筒袖に短い
袴をつけて、褐色の鞄を右肩から左脇に懸けて、赤い靴足袋を
穿いた君の
初々しい姿は私の目に妙に懐しく映ったのであった。どうかすると君はぱっと顔を赤くする癖があった。その愛らしい坊ちゃん坊ちゃんした君を知ってるだけに、今の荒んだ、歪んだ君がいっそうのこといとしい。いなそればかりではない。君の認識論はほとんど唯我論に帰着して、自他を峻別して自己に絶対の権威を置くの結果、三之助なる者の君の内的生活において占有する地位は淡い、小さい影にすぎなくなった。僕と君とのフロインドシャフトは今や灰色を帯びてきた。君の手紙のなかには「君と別れてもいい」といったような気分が漂うてるなと私は感じた。ああしかし僕は君を離したくない、君が僕を離れんとすればするほど君を僕の側に止めておきたい。そしてできるだけ私の暖かな
気息を吹きかけてじんわりと君の胸のあたりを包んであげたい。君よ、たとい僕と離るるとも、もし君が傷ついたならまた僕の所へ帰ってきたまえ。
濡える眸と柔らかな掌とは君を迎えるべく
吝ではないであろう。
ああ、今やわれら二人の間を
画して、無辺際の空より切り落とされたる暗澹たる灰色の冷たい幕。われらの魂はこの幕を隔てて対手の微かな溜息を聞き、涙を含む眸と眸とを見合わせながら、しかも相抱くことができぬのである。ああ僕はどうすれば好いのだろう。
私は哀れな、哀れな虫けらである。野良犬のごとくうろうろとして一定の安住所が無い。
寂寞と悲哀と悶愁と欲望とをこんがらかして身一つに収めた私はときどき天下真にわれ独りなりと嘆ずることがある。今や私には気味悪い厭世思想が心の底に萌している。この思想は蕭殺たる形を成して意識の上に現われては私を威嚇したり
揶揄したりする。
そこでM町を去ってF村へ鞍替えをしたがここもできたことはない。無限に続く倦怠は執念深きこと蛇のごとくここでも私に付き纏う。孤独の寂し味のなかに包まれて、なんのことはない、餅の上に生えた
黴のようなライフを味おうている。
M町から帰った夜、兄と一つコップの酒を飲んでいろいろ語った。
蚊帳のなかに
蟠る闇の裡に私らのさざめきは聞こえた。黙契の裡に談話を廃して後しばらくして、「蛙が鳴くなあ」兄の声はしめやかであった。
「独歩がいったごとくに宇宙の事象に驚けるといいなあ」と兄がいった。私は腹のなかで
頷いてる。そして、
「現象の裡には始終物
自爾がくっついてるのだから驚いた次の刹那にはその方へ回って、その驚きを埋め合わせるほどの静けさが味わいたい」と私がいった。
「それは理知の快味だ。驚いた刹那は争うべからざる驚きの意識で占領された刹那じゃないか。その意識こそ尊い意識だ」
「
森鬱として、巨人のごとき大きな山が現前したとき、吾人は
慄然として恐愕の念に打たれ、その底にはああ大なる力あるものよとの弱々しい声がある。しかしその声に応じて
縋りつくものが欲しいではありませぬか」
「縋りたいという意識の生じ得ない刹那がいっそう高い。とにかく人間の現象のなかでは驚きということがいちばん高いなあ」
私は口を緘してじっと考えた。明け放した障子の間から吹き込む夜風はまたしても蚊帳の
裾を翻した。突然柱時計が鳴り始めた。重い、鈍い音である。数は三つであった。
今宵は形而上学的な友である。ランプの黄ばんだ光は室をぼんやり照らしている。本箱には金文字の背を揃えた哲学書が行儀正しく並んでいる。ガラス瓶に
插した睡蓮の花はその
繊い、長い茎の上に首を傾けて上品に薫っている。その直後にデカルトの石膏像が立ってる。この哲人はもっともらしい顔をして今にも Cogito ergo sum といい出しそうである。
私は読むともなしに卒業前後の日記を読んだ。そしてしばらくの間過去の淡い、甘い悲哀の内を
彷徨していた。うっちゃるごとく日記を閉じて目をそらしたとき、ああ君が恋しいとつくづく思った。そして発作のごとく筆を執った。しかしこの頃のやや荒廃した心で何が書けよう。ただただ君が恋しい。これ以外には書くべき文字がみつからない。私は近頃たびたびトリンケンに行く。蒼白い、悲哀が女の黒髪の直後に
蟠る無限の暗のなかに迷い入るとき、皮一重はアルコールでほてっても、腹の底は冷たい、冷たい。
ああ初秋の気がひしひしと迫る。今宵私の心は著しく繊細になっている。せめて今宵一夜は空虚の寂寞を脱し、酒の力を
藉りて能うだけ感傷的になって、蜜蜂が蜜を
啜るほど微かな悲哀の快感が味わいたい。
風の
疾い、星の凄いこの頃の夜半、試みに水銀を手の腹に盛ってみたまえ、底冷たさは伝わってわれらの魂はぶるぶると慓える
[#「慓える」はママ]であろう。このとき何者かの力はわれらに思索を迫るであろう。かくてわれらは
容を改め、
襟を正しくして厳かに、静かに瞑想の領に入らねばならぬ。霜凍る夜寒の床に冷たい夢の破れたとき、私は
蒲団の襟を立ててじっと耳を傾ける。窓越しに仰ぐ青空は恐ろしいまでに澄み切って、無数の星を露出している。嵐は樹に
吼え、窓に鳴って
惨じく荒れ狂うている。世界は自然力の
跳梁に任せて人の子一人声を挙げない。このとき私は胸の底深くわが魂のさめざめと泣くのを聞く。人は歓楽の市に花やかな車を
軋らせて、短き玉の緒の絶えやすきを忘れている。しかし、死は日々われらのために墓穴を掘ってるではないか。瞼が重だるく閉じて、線香の匂いが蒼ざめた頬に
啜りなくとき、この私は、私の自我はどこをどう彷徨してるだろう。これが暗い暗い謎である。肉
爛れては腐り、腐りして、露出した骨の荒くれ男の足に蹈まるるとき、ああ私の影はどこに存在してるだろう。かの微妙な旋律に共鳴した私の情調、かの蒼く顫える星に
翔り行く私の詩興、これらすべては
杳として空に帰すのであろうか。そればかりではない。われらを載す地球も、われらを照らす太陽も、星も、月も、ありとあらゆる者はついに破滅するというではないか。バルフォアは世界大破滅の荒涼たる光景を描いてほぼ次のごとく述べている。
The energies of our system will decay, the glory of the sun will be dimmed, and the earth, tideless and innert, will no longer tolerate the race which has for a moment disturbed its solitude. Man will go down into the pit, and all his thoughts will perish. Matter will know itself no longer.‘Imperishable monument’and‘Immortal deeds’death itself, and love stronger than death will be as if they had not been. Nothing, absolutely nothing remains. Without an echo, without a memory, without an influence. Dead and gone are they, gone utterly from the very sphere of being.
かくのごときは唯物論の到達すべき必然の論理的帰結である。けれども、私は物質の器械力に無限の信仰を払うにはあまりに宗教的であり、芸術的である。いわんや、この恐るべきバルフォアの自殺的真理をばいかにして奉ずることができよう。ヘッケルに身慄いして逃げ回った私のどきどきと波打つ胸をじっと抱えて、私の耳に口を触れんばかりにしてゼームス博士は、Is the matter by which Mr. Spencer's process of cosmic conclusion is carried on any such principles of never ending perfection as this? No, Indeed it is not! と力ある声で囁かれたのである。じつに私の内的生活に消ゆべくもない唯心的傾向を注入したのはゼームス博士の A world of pure experience とショウペンハウエルの Die Welt als Wille und Vorstellung とであった。Die Welt ist meine Vorstellung. Alles, was irgend zur Welt geh

rt ist nur f

r das Subjekt da. というショウペンハウエルの一句は私にとって無量の福音であったのである。しかし私は今この暗い深い死後の生活に関して盲目の手探りをなす前に、さらにいっそう痛切なる問題に接触する。それはわれらの現世の「生」をばいかに過ごすべきかという平凡なしかし厳粛な問題である。「生きたい」ということは万物の大きな欲求である。これと同時に統一、充実して生きたいということは意識が明瞭になればなるほど悲痛な欲求の叫びである。ああ私は生きたい、心ゆくばかり徹底充実して生きたい。燃ゆるがごとき愛をもって生に執着したい。されどされど退いて自己の内面生活を顧みるとき、
徘いて周辺の事情を見回すとき、内面生活のいかに貧弱に外情のいかに喧騒なるよ。前者の奥には
爛として輝く美わしき色彩が潜んでいるらしいけれど、いかんせん灰色の霧の閉じ
籠めて探る手先きの心もとない、後者の裏には心喜び顫える懐しきものの
匿れていて、私の探りあてるのを待っているらしいけれど、種々の障害と迷暗とに逢瀬のほどもおぼつかない。けれど私は生を願うものである。たとい充実せぬはかない気分で冷たい境地をうろついていても、たとえば浮き草の葉ばかり揺らいで根の無いごとく、吹けば消え散る心の靄、こんな生活をして、果ては恐ろしい倦怠のみが訪れても私は死にたくない。かかる生が続けば続くほど、ますます運命を開拓して心の隈々まで沁み込むような生が得たい。私はあくまで生きたい。しかし恐ろしい力を持つ自然は倨然として死を迫る。こんな悲惨なことがどこにあろう。これじつに人生の大なる矛盾不調和でなくてはならない。かくのごとく強烈に生に執着するわれらにとっては死の本能を説くメチニコフの人生観はなんの慰安にもならぬのである。かくのごとくしてわれらは自然の大きな力の前に
詮方なく蹲いて行く。われらの「ウォルレン」の反抗を嘲笑して、自然は生死に関しては「ザイン」そのままを傲然として主張するのだ。またわれらの生も一面から見れば一つの「ザイン」である。刹那主義の立脚地はここにあるかもしれない。混沌の境に彷徨する私はともすればこうした生活に引きさらわれやすいけれど、涙無くしてみすみす引きさらわれてゆくことがどうしてできよう。生死の問題は今のところいかんともすることはできない。ただ発作的恐怖に戦慄するのみである。しかし深く考えてみれば要するに生きんがための死ではあるまいか。死に対する恐怖の本能よりも、よく生きんとする欲求的衝動の方が強烈である。人生の中核はいかにしてもよく生きんとする意志あるいは衝動、さらに言を
逞しくすれば一種の自然力であるらしい。私はショウペンハウエルと共にこの真理を信仰し、謳歌し、主張したい。倦怠の裡には寂愁があり、勝利の裏には悲哀がある。一つは生を欲するための死に対する恐怖であり、他は生の充実を感じたための死に対する思慕ではあるまいか。
われらは人間の有する性情を「
何所より」「
何処へ」「何のために」「かくあるべし」と詮索するよりも「何である」と内省することこそ緊要である。自己の真の奥底より湧き起こる声に傾聴して、自己の真の性情に立脚するところ、そこに充実せる生は開拓さるるであろう。ただ
遁れがたきは個性の差異である。個性こそは自我の自我たる
所以の尊き本質である。普汎的自我の白帛を特殊的自我の色彩をもって染めねばならない。この個性に対して忠実に働き、個性の眼鏡を透して、そのままを認識し、情感し、意欲する心的態度をしも真面目と呼びたい。
自然主義は一つの過渡期の思想であったし、現にある。私はけっしてこれに満足することはできないがまた多くを学び得たのである。われらがまさに到らんとする幻滅とともに、眠れる自覚を
唆り起こして、われらを偉大なる自然の前に引きいだし、実生活に対する自然の権威、自然に対する主観の地位等を痛感せしめた。しかしわれらは自然の器械力の前にひれ伏して現実そのままの生活に執着して大なる価値を掘りいださんには適しなかった。自然の足下に恐縮して心を形の質とせんには謙虚でなかった。ただ神経の鋭敏と官能の豊富とに微かな気息を洩らして、感情生活の侵蝕に甘んずるにはあまりに真率であった。現実生活をしていっそうよきものたらしめんがために自然力の偉大を悟り、生の悲痛を感じ、神経のデリカシイと官能のあでやかさとを獲得したのである。私はこの意味において自然主義存在の理由と価値とを認容する。自然主義を眺めた私の心の目はショウペンハウエルの観念主義の色調を帯びて、ここに一種の特殊な見方に陥ったのである。「世界は吾人の観念にほかならない。主観を離れて客観は無い。自然は主観の制約の下にある」といった命題はいかに私に心強く響いたであろう。しかしまた裏へ回って「見ゆる世界の本体は意欲である。世界は意志の鏡であり、またその争闘場裡である」と聞いたとき慄然として
戦いたのである。しかしまた本体界の意志を無差別、渾一体のものとして認めた彼はなんとなく私の心の動揺を静めるようにも思われた。かくて最後に残った者は自然を前にしてよく生きたいという一事であった。
享楽主義者たるをも、イリュウジョンに没頭し得るロマンチシストたるをも得なかった私には、いかにせばよき生が得らるるかが緊要な問題であり、また日々の空疎なる実生活がやるせなき苦悶であらねばならなかったし、現にあるのである。私は考えた。悶えた。しこうしてどうしても人間の根本性情の発露にあらずんばよき生は得られないと思った。人性の曇らさるるところ、そこに憂鬱があり、倦怠がある。その発露の障害さるるところ、そこに悲哀があり、寂愁がある。人性の
燦として輝くところ、そこに幸福があり、悦楽がある。人性の光輝を発揚せしめんとするところ、そこに努力があり、希望がある。人性の内底に
鏗鏘の音を傾聴するところ、そこに
漲る歓喜の声と共に詩は生まれ、芸術は育つ。かるがゆえにわれらは内面生活の貧弱と主観の空疎とを恐れねばならない。外界に対する感受性の麻痺を厭わねばならない。われらはいたずらに自然の前にひれ伏して恐れ縮んではならない。深き主観の奥底より、暖かき息を吐き出して自然を柔かに包まねばならない。とはいうものの顧みればわれらの主観のいかに空疎に外界のいかに雑駁なるよ。この中に処して
蛆虫のごとく喘ぎも
掻くのがわれらである。これをしも悲痛と言おう。されどされど悲痛という言葉の底には顫えるような喜びが
萌してるではないか。悲痛に感じ得るものは充実せる生を開拓する大なる可能性を蔵してるということは今の私には天堂の福音のごとく響くよ。私はまだまだライフに絶望しない。冷たい傍観者ではあり得ない。
この夏休暇以来、君と僕との友情がイズムの相異のために荒涼の相を呈せざるを得なくなるにつれて、私の頭のなかには「孤独」という文字が意味ありげに蟠っていた。私は種々の方面からこれを覗いてみた。ああ、しかし孤独という者はとうてい虚無に等しかったのである。私が一度認識という事実に想到するとき絶対的の孤独なるものは所詮成立しなかったからである。われらは認識する。表象はわれらの意識の根本事実である。表象を外にして世の中に何の確実なる者があろう。「表象無くんば自我意識無し」
元良博士のこの一句のなかには深遠な造蓄が含まれている。認識には当然ある種の情緒と意欲とを伴う。これらの者の統合がすなわち自我ではないか。われらは対象界に対して主観の気息を吹きかけ、対象界もまた主観にある影響を及ぼす。かかる制約の下にありながらいかにして絶対孤独に立ち得よう。ああ認識よ! 認識よ! おまえの後ろには不思議の目を見張らしむる驚嘆と、魂をそそり揺がすほどの喜悦とが潜んでいる。
最後に私は今や蕭殺たる君と僕との友情を昔の熱と誠と愛との尊きに
回さんとの切実なる願望をもって、君の利己主義に対して再考を乞わねばならない。
君と僕との接触に対する意識が比較的不明瞭であって、友情の甘さのなかに無批評的に没頭し得た間はわれらはいかに深大なる価値をこの接触の上に払い、互いに熱涙を注いで喜んだであろう。しかし一度利己、利他という意識が萌したときわれらは少なからず動揺した。惨澹たる思索の果て、ついに唯我論に帰着し、利己主義に到達したる君はまっ蒼な顔をして「君を捨てる!」と宣告した。その声は慄えていた。鋭利なる懐疑の刃をすべての者に揮うた君は、
轟く胸を抑えて、氷なす
鉾尖を、われらの友情にザクリと突き立てた。その大胆なる態度と、純潔なる思索的良心には私は深厚なる尊敬を捧げる。僕だって君との接触についてこの問題に想到するときどれほど小さい胸を痛めたかしれない。始めから利己、利他の思想の頭を
擡げなかったならばと投げやりに思ってもみた。しかしこの思想は腐った肉に
聚る蠅のごとくに払えど払えど去らなかったのである。このとき私の頭のなかにショウペンハウエルの意志説が影のごとくさしてきた。
表われた世界は意志の鏡であり、写しである。この世界にあっては時間と空間という着物を着て万物は千差万別、個体として鬩ぎ合ってる。しかし根拠の原理を離れた世界、すなわち本体界にあって、万物の至上の根源、物自爾としての実在は差別無く、個体としてでなき渾一体の意志である。この渾一体の意志は下は路上に生うる一葉より、上は人間に至るまで、完全に現われている。たとえばその意志は幻燈の火のごときものである。ただ映画によって濃きも淡きも生じて白い帷の上にさまざまの姿を映す。そのさまざまの姿こそ万物である。
これに次いで前述の認識、表象という文字が湧き起こる。主観を離れて客観はなく、客観を離れて主義はない。これに連接せしめて「表象なくば自己意識なし」ということを考えてみれば、どうも自己意識は絶対的には成立せぬらしい。唯我論は動揺せねばならない。いわゆる、利己、利他の行動は、本来この偉大なる渾一体としての意志の発現ではあるまいか。本体界の意志という故郷を思慕するこころは宗教の起源となり、愛他的衝動の萌芽となるのではあるまいか。これじつに遠深なる形而上学の問題である。
何が人生において最もよきことぞと問い顧みるとき、官能を透してくる物質の快楽よりも、恋する女と、愛する友と相抱いて、胸をぴたりと融合して、至情と至情との熱烈なる共鳴を感ずるそのときである。魂と魂と相触れてさやかなる囁きを交すとき人生の最高の悦楽がある。かかるとき利己、利他という観念の湧起する暇は無いではないか。もしかかる観念に虐げられてその幸福を傷つけるならば、その人はみずからの気分によりてみずからを
害うものである。気分というものは人生において大なる権威をなすものだ。君は君の本性と正反対の気分をもって反動的にイリュウジョンを作り、それに悩まされているのではあるまいか。
君は他人は自分の「財」として、すなわち自分の欲求を満足せしむる材料としてのみ自分にとって存在の理由があるという。しかし、ここが問題である。私は他人との接触そのものを大なる事実であり、目的であると考えたい。たとえば相愛する女と月白く花咲ける
籬に相擁して、無量の悦楽を感じたとする。このときの情緒そのものが大なる目的ではないか。この情緒の構成要素としては女の心の態度、用意、気分またはその背後に潜む至情が必要であるとともに君の心のこれらの者も同時に必要である。この際しいて女を手段と見るならば、君自身をも同様に手段と見ねばなるまい。君は自他の接触をばあまり抽象的に観察してはいまいか。愛らしい女がいるとする。これを性欲の対象として観るとき、そこに盲目的な、荒殺の相が伴う。これを哲学的雰囲気のなかに抱くとき、尊き感激は身に沁み渡って、彼女の長き
睫よりこぼるる涙はわれらの膝を潤すであろう。
虞美人草の甲野さんが糸子に対する上品な、優しい気持ちこそわれらの慕うところである。私は君との友情のみはあらゆる手段を超越せる尊厳なる目的そのものだとしか思えない。君よ! 哲学的に分離せんとしたわれらは再びここに哲学的に結合しようではないか。哲学の将来はなお遼遠である。ともに思索し、研究し、充実せる生を開拓しよう。この頃私は「生きんがため」という声を聞けば一生懸命になるんだ。耳を澄ませば
滔々として寄せ来る唯物論の大潮の遠鳴りが聞こえる。われらは、pure experience と Vorstellung との城壁に拠ってこの自殺的真理の威嚇の前に人類の理想を擁護せねばならない。
ああ愛する友よ、わが掌の温けきを離れて、
蘆そよぐ枯野の寒きに飛び去らんとするわが
椋鳥よ、おまえのか弱い翼に嵐は冷たかろう。おまえに去られて毎日泣いて待っている私のところへ、さあ早く帰ってお出で。
(一九一二・二)
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生命の認識的努力
一
われらは生きている。われらは内に省みてこの涙のこぼるるほど厳粛なる事実を直観する。宇宙の万物は皆その影をわれらの官能の中に織り、われらの生命の内部に潜める衝動はこれに能動的に働きかけて認識し、情感し、意欲する。かくて生命はおのれみずからの中に含蓄的(implicit)に潜める内容をしだいに分化発展してわれらの内部経験は日に日に複雑になってゆく。この複雑なる内部生命はおのれみずからの存在を完全ならしめ、かつ存在の意識を確実にせんがために、表現の道を外に求めて内に
蠢動する。いうまでもなく芸術と哲学とはこの内部生命の表現的努力の二途である。ただ前者が具体的に部分的に写出する内部経験を後者は概念の様式をもって、全体として(as a whole)統一的に表現するのである。かくて得られたる結果は内部生命の投射であり、自己の影であり、達せられた目的は生命の自己認識である。
われらの生命は情意からばかりはできていない。生命は知情意を統一したる分かつべからざる有機的全体である。われらの情意が芸術のはなやかな国に、情緒生活の潤いを追うてあこがれるとともにわれらの知性は影の寒い思索の境地に内部生命の統一を求めて彷徨しなければならない。じつにわれらは日々の現実生活において血の出るような人格の分裂を経験せずにはいられない。この
素より分かつべからざる有機的なる人格が生木を割くがごとく分裂するということはわれらの生命の系統的存在の破壊であって、近代人の大きな悩みであり、迷いでなければならない。なんとなればすべて生命あるものは系統的存在であって、系統の破壊はただちに生命そのものの滅却であるからである。これじつに空疎なる主観と貧弱なる周囲とがもたらす生命の沈滞荒廃よりもわれらにとっていっそう切実なる害悪であり、苦悩である。
このゆえにちぎれちぎれの刹那に立って、個々の断片的なる官能的経験を
漁りつつ生活の倦怠より
遁れんとする刹那主義者はしばらく
措き、いやしくも全部生命(whole being)の本然的要求の声に傾聴して統一せる人格的生活を開拓せんとする真摯なる個人は必ず芸術とともに哲学をも要求せずにはいられない。これじつにわれらの飽くことを知らざる知識欲の追求にあらずして、日々の実際生活に眉近く迫れる痛切なる現実の要求である。ここにおいてわれらは大いなる期待と要求とをわが哲学界の上に浴びせかけねばならなかった。
わが国の哲学界を見渡すときに、われらはうら枯れた冬の野のような
寂寥を感ずるよりも、乱射した日光に
晒された乾からびた砂山の連なりを思わされる。主なき研究室の空虚を意識せぬでもないが、それよりも街頭に客を呼ぶあさはかな喧騒を聞くような気がする。近代の苦悩を身にしめて、沈痛なる思索をなしつつある哲学者はまことに少ない。まれに出版される書物を見れば通俗的な何々講習会の講演の原稿が美装を
凝らして現われたのにすぎない。著者の個性のあらわれた独創的な思想の盛りあげられた哲学書はほとんどない。深刻な血を吐くような内部生活の推移の跡の
辿らるるような著書は一冊もない。そればかりではない。彼らは国権の統一にその自由なる思索の翼を
搦まれている。ローマ教会の教権が中世哲学に
累したごとく、国権がわが現今の哲学界を損うてる。彼らの倫理思想のいかに
怯懦なることよ。彼らは
蒼い弓なりの空と、広くほしいままに横たわる地との間に立って、一個の自然児として宇宙の真理を説く思想家ではない。それどころではない。われらと同じく現代の空気を呼吸して生き、現代の特徴をことごとく身に収めて、時代の悩みと憧憬とを理解せる真正なる近代人さえもまれである。彼らはわれら青年と mitleben していない。両者は互いの外に住んでいる。その間にはいのちといのちの
温かな交感は成り立たない。
この乾燥した沈滞したあさましきまでに俗気に満ちたるわが哲学界に、たとえば乾からびた山陰の
瘠せ地から、
蒼ばんだ白い釣鐘草の花が品高く匂い出ているにも似て、われらに純なる喜びと心強さと、かすかな驚きさえも感じさせるのは
西田幾多郎氏である。
氏は一個のメタフィジシャンとしてわが哲学界に特殊な地位を占めている。氏は radical empiricism の上に立ちながら明らかに一個のロマンチックの形而上学者である。氏の哲学を読んだ人は何人も淋しい深い秋の海を思わせらるるであろう。氏みずからも「かつて金沢にありしとき、しばしば海辺にたたずんで、淋しい深い秋の海を眺めては無量の感慨に沈んだが、こんな情調は北国の海において殊にしみじみと感じられる」と言っていられる。まことに氏の哲学は南国の燃え立つような紅い花や、裸体の女を思わせるような情熱的な色に乏しく、北国の風の落ちた大海の深い底を秘めて静まり返ってるのを見るような静穏なものである。その淋しい海の面に夢のように落ちる極光のような神秘な色さえ帯びている。色調でいわば深味のある青である。天も
焦げよと燃えあがる

の紅ではなく、淋しい不可思議な花の咲く秋の野の
黄昏を、音もなく包む青ばんだ
靄である。氏はまことに質素な襟飾りを着けた敬虔な哲学者であり、その体系は小じんまりと整頓した研究室をぼんやりと照らす蒼ざめたランプのように典雅な上品なものである。そこには氏の人格の
奥床しささえ窺われて、確信のそのまま溢れたような飾り気のない文章は氏の内面の生活の素朴を思わせ、人をしてすずろに尊敬の念を起こさせるのである。
氏の著書としては『善の研究』が一冊あるのみである。その他世に公けにせられたのは「法則」(哲学雑誌)、「ベルグソンの哲学研究法」(芸文)、「論理の理解と数理の理解」(芸文)、「ベルグソンにつきて」(学芸大観)、「宗教的意識」(心理研究)、「認識論者としてのポアンカレ」(芸文)等の数篇の論文がある。しかしこれらはみな個々の特殊な問題について論じられた断片的なものであって、氏の哲学思想全体が一つの纏ったる体系として発表せられたのは『善の研究』であって、氏の哲学界における地位を定むるものもこの書であることはいうまでもない。この書は十年以前に書き始められたのであって、今日の思想はいくぶんかこれよりも推移し発展しているからいつか書き替えたいと思ってるが、その根本思想は今日といえども依然として変じないといっておられる。しかのみならず、氏みずから語るところによれば五十歳を過ぎるまでは大きな著述はしないとのことであれば(氏はいま四十三歳である)、われらが氏の沈痛なる思索を傾注せられた結果として、深遠な思想の盛り溢れた重々しき第二の著書を手にするときはなお遠いことと思うから、ひとまず前述の著書および論文に表われたる氏の思想およびこれらを透して
窺わるる氏の人格について論じてみたいと思うのである。私はみずから
揣らずして氏の思想の哲学的価値に関して、是非の判断を下そうとするのではない。哲学者としての氏の思想および人格をあるがままに、一の方針の下に叙述しようと試みるのである。論者の目的は氏の解釈である。その態度は valuation でなくして exposition である。
二
青草を
藉いて
坐れ。あらゆる因襲的なる価値意識より放たれて、裸のままにほうり出されたる一個の Naturkind として、鏡の如き官能を周囲に向けてみよ。大きな蒼い円味を帯びた天はわれらの頭上に蔽い被ぶさって、光をつつんだ白雲はさりげなく漂うてる。平らかな堅い地はほしいままに広くわれらの足下に延びて、水は銀のごとくきらめき流れる。風の落ちた大原野に、濡れたる星は愁わしげにまたたけば、幾千万の木葉はそよぎを収めて、死んだように静まり返る。そしてわれらのうら寒い背をかすめて永遠の時間が足音を忍んでひそかに移り行くのを感ずるとき、われらの胸にはとりとめのない寂寥が影のように襲うであろう。眼前に眉を圧して鬱然として反り返る大きな山は、今にも崩れ落ちてかぼそい命を圧し
潰しはすまいか。ああわれらは生きている。ほそぼそと溜息を漏らしつつ生きているのだ。われらの生命の重味を載する二本の足のいかに心細くも瘠せて見ゆるではないか!
このとき来ってわれらに絶大なる価値を迫るものは認識である。われらが認識するという心強き事実である。主観を離れて客観は成り立たない。万象はことごとくその影をわれらの官能の中に織り込んでいる。かばかりいかめしき大自然の生成にわれらの主観が欠くべからざる要素であることに気がつくとき、われらはいまさらのごとく生命を痛感せずにはいられない。われらの
享ける一個の小さき ego のなかに封じられたる無限の神秘を思わずにはいられない。かくて眼前に横たわる一個の石塊もわれらにとっては不可思議であって、彼我の間の本質的関係を考えずには生きられなくなる。じつに認識の「おどろき」はいのちの自覚である。深遠なる形而上学はこの「おどろき」より出発しなければならない。『善の研究』が倫理を主題としながらも認識論をもって始まっているのは偶然でない。私はまず氏の哲学の根本であり、骨子である認識論より考察を始めなければならない。
氏の認識論の根底は radical empiricism である。厳粛なる経験主義である。近世哲学の底を貫流する根調である経験的傾向を究極まで徹底せしめて得たる
最醇なる経験である。自己の意識状態を直下に経験したときいまだ主もなく客もなき、知識と対象とが全く一致している、なんらの
思惟も混じない事実そのままの現在意識をもって実在とするのであって、氏はこれを純粋経験と名づけている。近世の初め、経験論を力説したのはベーコンであるが、その経験という意義が
粗笨であったために、今日の唯物論を導いたのであるが、西田氏はこの語の意義を極度まで純化することによって、かえって唯物論を裏切り、深遠な形而上学を建設したのである。経験という語と形而上学という語とは哲学史上背を合わしてきているにもかかわらず、氏の体系においては経験はただちに形而上学の拠って立つ根底である。これは氏の哲学の著しい特色といわなければならない。氏はいたるところ唯物論の誤謬を指摘して、実在の真相の解釈としての科学の価値を排斥しているが、その排斥の方法は科学の拠ってもっておのれを支持する基礎である、いわゆる経験を吟味して「それは経験ではない、概念である」と主張するのである。これほど肉薄的な根本的な、そして堂々とした白日戦を思わせるような攻撃の仕方はあるまい。
唯物論者や一般の科学者は物体が唯一の実在であつて、万物は皆物力の法則に従ふと言ふ。しかし実在の真相は果してかくの如きものであらうか。物体といふも我々の意識現象を離れて、別に独立の実在を知り得るのではない。我々に与へられたる直接経験の事実は唯この意識現象あるのみである。空間も時間も物力も皆この事実を統一説明するために設けられたる概念である。物理学者の言ふやうなすべて我々の個人の性を除去したる純物質といふ如きものは、最も具体的事実に遠ざかりたる抽象的概念である。(善の研究――四の三)
しかしながら注意すべきことは氏は口を
極めて唯物論者を非難しているけれども、けっして主観のみの実在性を説く唯心論者ではないことである。氏はむしろヴントらと立脚地を同じくせる絶対論者である。ヴントが黄金期の認識として説く写象客観(Objektvorstellung)のごとく、主観と客観との差別のない、物心を統一せる第三絶対者をもって実在とするのである。この点は氏の哲学が客観世界を主観の活動の所産とするフィヒテの超越的唯心論と異なり、むしろシェリングのいわゆる das Absolute に類似するところであって氏はこれを明言している。
元来精神と自然と二種の実在があるのではない。この二者の区別は同一実在の見方の相違より起るのである。純粋経験の事実においては主客の対立なく、精神と物体との区別なく、心即物、物即心、只一個の現実あるのみである。かく孰れかの一方に偏せるものは抽象的概念であつて、二者合一して初めて完全な具体的実在となるのである。(善の研究――四の三)
しからばこの唯一の実在なる、現実なる絶対者よりいかにして主観と客観との対立は生ずるであろうか。
氏はこの疑問に答えて、絶対者の中に含まるる内容が内面的必然に分化発展するというのである。けだしこの説明は氏の根本の立場から見て論理的必然の結果であろう。氏は第一事実としてこの唯一実在のほか何ものをも仮定しないのであるから、もし現象の説明としてなんらかの意味において動的の要素をこれに与えなければならないならば働くものと、働きかけらるるものとの対立は一者のなかに統一されなければならない。すなわち唯一実在の自発自展でなければならない。しこうして分化発展の結果として生ずる新しき性質は可能性の形において絶対者の中に初めより含まれていなければならない。哲学は現象の複雑相を説明する統一原理を求むる学である。一と多との問題はその枢軸である。いま氏は実在として唯一絶対者を立した。この絶対者は一にして同時に多でなければならない。このことたるいかにして可能であるか。一にして同時に多であるためには、その一は数的一ではなくして部分を統一する全体としての一でなければならない。氏はこの要求よりヘーゲルの主理説にゆかねばならなかった。すなわち氏は実在をもって系統的存在となした。「すべて存在するものは理性的なり」とヘーゲルがいったように実在は体系をなしている。差別と統一とをおのれみずからの中に含んでいる。実在の根底には必ず統一が潜んでいる。統一は対立を予想している。対立を離れて統一はない。たとえばここに真に単純であって独立せる要素が実在せりと仮定せよ。しからばその者はなんらかの性質もしくは作用を有せなければならない。全くなんらの性質も作用もない者は無と同一である。しかるに作用するということは必ず他のものに対して働くのであって二者の対立がなければならない。加うるにこの二者が互いに独立して何の関係も無いものならば作用することはできない。そこにはこの二者を統一する第三者が無ければならない。たとえば物理学者の仮定する元子が実在するためには、それが作用する他の元子が存在しなければならぬのみならず、二者を統一する「力」というものを予想しなければならない。また一の性質たとえば赤という色が実在するためには、その性質と区別せらるる他の色が対立しなければならない。色が赤のみであるならば赤という色の表われ方がない。しかのみならずこの二者を統一する第三者がなければならない。なんとなれば全く相独立して互いになんらの関係のない二つの性質は比較し区別することはできないからである。ゆえに真に単純なる独立せる要素の実在ということは矛盾せる観念である。実在するものはみな対立と統一とを含める系統的存在である。その背後には必ず統一的或者が潜んでいる。
しからばこの統一的或者は常にわれらの思惟の対象となることのできないものである。なんとなればそれがすでに思考されているときは他と対位している。しこうして統一はその奥に移って行くからである。かくて統一は無限に進んで止まるところを知らない。しこうして統一的或者は常にわれらの思惟の捕捉を逸している。われらの思惟を可能ならしめるけれども、思惟の対象とはならない。この統一的或者を神という。
一方より見れば神はニコラス・クザウヌスなどの言つた如くすべての否定である。これと言つて肯定すべきもの、即ち捕捉すべきものがあるならば已に有限であつて宇宙を統一する無限の作用をなす事は出来ない。この点より見て神は全く無である。然らば神は単に無であるか。決してさうではない。実在成立の根柢には歴々として動かすべからざる統一作用が働いてる。実在は是によつて成立するのである。神の宇宙の統一である。実在の根本である。そのよく無なるが故に在らざる処なく、働かざる所がないのである。(善の研究――二の十)
この氏のいわゆる神の本質に関しては、後に氏の宗教を観察するときに論ずることとしてここには主として認識論の問題より、神の認識について考えてみようと思う。
しからばわれらはいかにして、この統一的或者を認識することが可能であるか。
氏はここにおいてわれらの認識能力に思惟のほかに知的直観(intellektuelle Anschauung)をあげている。氏のいわゆる知的直観は事実を離れたる抽象的一般性の真覚をいうのではない。純一無雑なる意識統一の根底において、最も事実に直接なる、具体的なる認識作用である。知らるるものと知るものと合一せるものの最も内面的なる
会得をいうのである。われらの思惟の根底には明らかにこの知的真観
[#「真観」はママ]が横たわっている。われらは実在の根本に潜む統一的或者を思惟の対象として外より知ることはできないけれど、みずから統一的或者と合一することによりて内より直接に知ることができるのである。時間空間に束縛されたるわれらの小さき胸のなかにも実在の無限なる統一力が潜んでいる。われらは自己の心底において宇宙を構成せる実在の根本を知ることができる。すなわち神の面目を捕捉することができる。ヤコブ・ベーメのいったごとくに「
翻されたる目」をもてただちに神を見るのである。かくいえば知的直観なるものははなはだ空想的にして不可思議なる神秘的能力のごとく思われる。あるいはしからずとするも、非凡なる芸術的、哲学的天才のみの
与ることを得る超越的認識のごとく思われる。しかしけっしてそうではない。最も自然にして、原始的なるわれらに最も近き認識である。鏡のごとく清らかに、小児のごとく空しき心にただちに映ずる実在の面影である。
知的直観とは純粋経験に於ける統一作用そのものである。生命の捕捉である。即ち技術の骨の如きもの、一層深く言へば美術の精神の如きものである。例へば画家の興来たり、筆自ら動くやうに複雑なる作用の背後に統一的或者が働いてる。その変化は無意識の変化ではない。一者の発展完成である。この一者の会得が知的直覚である。普通の心理学では単に習慣であるとか、有機作用であるとか言ふであらうが、純粋経験の立場より見れば、これ実に主客合一、知意融合の状態である。物我相忘じ、物が我を動かすのでもない。我が物を動かすのでもない。只一の光景、一の現実があるのみである。(善の研究――一の四)
氏の認識論においては to know はただちに to be である。甲のみよく甲を知る。あるものを会得するにはみずからそのものであらねばならない。野に横たわる一塊の石の心は、みずから石と合致し、石となるときにのみ知ることができる。しからざるときは主観と石とが対立し、ある一方面から石を
覗いているのであって、ある特定の立場から石を眺めてこれを合目的の知識の系統に従属せしめんとするのである。いまだ石そのものの完全なる知識ではないのである。すべての科学的真理はかかる性質の知識であって、われらの生活の実行的意識の理想から対象物を眺めたる部分的、方法的なる物の外面的の知識系統であって、物そのものの内面的なる会得ではない。ここにおいて氏の認識は科学者の分析的理解力よりも、詩人の直観的創作力に著しく接近してきて、われらをして科学的真理の価値の過重からきたる器械的見方の迷妄より免れしめ、新しくて、不思議の光に潤うたる瞳をもって自然と人生とを眺めしめるのである。
ハイネは静夜の星を仰いで蒼空に於ける金の鋲と言つたが、天文学者はこれを詩人の囈言として一笑に付するであらうが、星の真相はかへつてこの一句の中に現はれてゐるかも知れない。(善の研究――二の三)
氏の知的直観はじつに認識作用の極致であって、氏の哲学の最も光彩ある部分である。
つぎにわれらは氏とプラグマチズムとの関係を考えてみなければならない。氏の認識論の経験を重んじ、純粋なる経験のほかには絶対的に何ものをも認めない点においてはプラグマチズムの出発点と同一である。氏のいわゆる純粋経験はプラグマチズムの主唱者であるゼームスの pure experience の和訳である。そのゼームスが自己の認識論の立脚点をプラグマチズムと名づけたのはピアースの用語を踏襲したのであって、それまでは Radical empiricism と呼んだのである。その意味は経験のほか何ものをも仮定せずというにある。してみれば西田氏の認識論の出発点はプラグマチズムであるといっても差支えはあるまい。しかしながらこれをもってただちに氏をプラグマチストと解釈するならば大なる誤解である。少なくとも田中王堂氏がプラグマチストであるがごとき意味において、西田氏はけっして単なるプラグマチストではない。氏は認識論の出発点としてはプラグマチズムの純粋経験を採るにもかかわらず、真理の解釈に関してはプラグマチズムと背を合わせたるがごとき態度を持している。すなわちプラグマチズムは真理の解釈に関して著しく主観的態度をとり、真理の標準は有用であり、実際的効果であり、われらの主観的要求がすなわち客観的事実であるというのである。しかるに西田氏は真理の解釈に対して厳密に客観的態度をとり、主観の混淆を避け、主観的要求によりて色づけらるる意味を
斥けて、純粋に事実そのままの認識をもって真理とするのである。プラグマチズムの真理は氏より見れば一つの実行的理想を立てて、これに適合するように対象物を一の特定の方面より眺めたる相対的真理にすぎない。いまだ物そのものの最深なる真相ではないのである。最深の真理はわれらが実行的目的より離れて、純粋に事実に即し、物そのものと一致して得る会得である。ショウペンハウエルのいわゆる「意志を離れたる純粋認識の主観」となって、事物の内実本性を直観するのである。さればとて氏は主観を離れて真理の客観的実在性を説くのではもちろんない。氏は真理に対して主観と客観とを超越せる絶対的実在性を要求するのである。
我々が物の真相を知るといふのは自己の妄想臆断即ちいはゆる主観的のものを消磨し尽し物の真相に一致した時始めて之を能くするのである。我々は客観的になればなるだけ物の真相をますます能く知る事が出来る。(善の研究――四の五)
と論じているのを見ても、また認識論者としてのポアンカレを論じて、真理が単に主観的なコンベンショナルな、学者が人工的に作為したるもので、単に便利なものとはいえない、真理は経験的事実に基づいたものであることを主張しその論文の末段に、
ポアンカレは単に有用なるものは真理であるとか、思惟の経済といふやうなことで満足し得るプラグマチストたるにはあまりに鋭き頭を持つてゐた。氏は何物も自己の主観的独断を加へない。種々の科学的知識を解剖台上に持来つて、明らかに物そのものを解剖して見せたのである。(芸文――十月号)
と評しているのを見ても氏がみずからをプラグマチズムに対して持する態度を知るにはあまりあるであろう。プラグマチズムは敬虔にして、情趣
濃やかなる人々の歩むにはあまりに平浅な道である。西田氏がプラグマチズムに発しながら、プラグマチズムに終わらなかったのは、その原因を氏の個性の上に帰せねばなるまい。氏はもののあわれを知るロマンチストである。その歩む道には青草と泉とがなければならなかった。蒼い空を仰いでは群星の統一に打たれ、淋しい深い北国の海を眺めて、無量の哀調を聞くことを忘れざる西田氏は、ベルグソンの神秘とヘーゲルの深遠とを慕うて、その哲学体系を豊かに、潤いて、物なつかしく、深くして、不思議にした。氏の哲学はじつに概念の芸術であり、論理の宗教である。
三
われらが自己に対して最高の尊敬の情を感ずるのは、われらが道徳的意識の最深の動因によりて行動したりと自覚するときである。われらが自己の胸底に最醇の満足を意識するのはみずから正善の道を
蹈めりと天に対して語り得るときである。われらが自己の生命の発露に最も強き力を感ずるのは、自己の内面的本性の要求に従いて必然的に動きし刹那である。万人はことごとく詩人たり、哲人たるを要しない。ただあらゆる人間は善人でなければならない。道義の観念は全人類に普汎的に要求さるべき人間最後の価値意識である。われらは善人たらんとする意志の燃焼を欲する。ただわれらは因襲的なる不純、不合理なる常識道徳の束縛に反抗する。天地の間に大自然の空気を呼吸して生ける Naturkind として赤裸々なる心をもって真新なる道徳を憧憬する。われらが渇けるがごとくに求めつつある善の概念の内容は自然の真相と性情の満足とに
併せ応うる豊富にして徹底せるものでなければならない。
西田氏がその著に冠するに『善の研究』の名をもってしたのはこの問題が思索の中心であり、根本であると考えたからである。
道徳的意識は当然意志の自由という観念を予想してる。これを認めないならば道徳は所詮迷妄にすぎない。ある動機よりある行為が器械的必然に決定せらるるならば、われらはその行為に対して責任の観念を有することは不可能だからである。氏はまず意志の自由を承認しかつその範囲および意義をきわめて徹底的に研究している。氏は意志の自由の範囲を限定して、観念成立の先在的法則の範囲において、しかも観念結合に二個以上の道があり、これらの結合の強度が強迫的ならざる場合においてのみ全然選択の自由を有することを明らかにした。さてしからば自由の意義
如何。
自由には二種の意義がある。一はなんらの原因も理由もなく、偶然に動機を決定する随意という意味の自由である。他は自己の本然の性質に
則り、内心の最深の動機によりて必然的に動く内面的必然という意味の自由である。もし前者のごとき意味において自由を主張するならば、それは全く迷妄であるのみならず、かかる場合にはわれらはその行為に対して自由の感情を意識せずしてかえって強迫を感ずるのである。われらの有する自由は後者のごとく内面的必然の自由である。内面的に束縛せらるることによりて、外面の事由より自由を獲得するのである。自己に忠実であり、自己の個性に対して必然であり、おのれみずからの法則に服従することによりて自由を得るのである。しかしここに大きな問題が頭を
擡げてくる。もし自己の内面的性質に従って動くのが自由であるならば、万物みな自己の性質に従って動かぬものはない。水の流るるも、火の燃ゆるもみな自己の内面の性質に従うのである。しかるにわれらは何ゆえに自然現象をば盲目的必然の法則に束縛せられているというのであるか。氏のいわゆる必然的自由は Mechanism と危くも顔を見合わせているといわねばならない。しかしながら内面的必然と器械的必然の間には鮮やかな一線が横たわっている。その人類の隷属と自由との境を画する月にきらめく銀流のような一線は何であるか。それは認識である。生命の自己認識の努力である。じつに西田氏ほど認識を神秘化した哲学者はあるまい。認識は氏の哲学のアルファでありまたオメガである。氏によれば認識の性質のなかに自由の観念が含蓄されている。自然現象においてはある一定の事情よりは、ある一定の現象を生ずるのであってその間に
毫釐も他の可能性を許さない。全く盲目的必然の因果関係によりて生ずるのである。しかるに「知る」ということには他の可能性が含まれている。歩むことを知るというには歩まずとも済むという可能性が含まれている。われらの行為がたとい必然の法則によりて生ずるともわれらはみずからそれを知るがゆえに自由なのである。われらは他より束縛せられ、圧抑せらるるとも、みずからそのやみがたき事情を知るときにはその束縛、圧抑を脱して安らかな心を持することができる。天命の免れがたきを知り、自己のなすべき最善のことをなして毒盃を含んで自殺したるソクラテスの心境はアゼンス人の抑圧を超越して悠々として自由である。氏はパスカルの語を引いて、「人は
葦のごとく弱し。されど人は考うる葦なり。全世界が彼を滅ぼさんとするとも、彼は死することを自知するがゆえに、殺す者よりもとうとし」といっている。われらはここにおいて認識なるものに対して驚異の目を見張らざるを得ない。認識能力が人間の無上の天稟であり、めでたき宝であることを思い、認識が人生において占有する地位の厳粛なることを痛感せずにはいられない。知識の拡張は同時に自由の拡張である。無機物より有機物に進んで、人間に至るに従い、意志はしだいに明瞭に、認識は階段をなして発達しきたっている。すなわち生命はしだいにおのれ自身を認識してきている。それと共に自由はしだいに拡張せらるるのであろう。しかしながら氏のいうごとく自然現象と意識現象との間に前者は必然にして後者は自由であるというような絶対的の区別があるとは思えない。今日の生物学が言うように無機物にもなおきわめて低き程度の意識を許さねばならないならば、同時にきわめて低き程度の自由をも認めなければなるまい。自由は要するに程度の問題である。無機物より人間に至るまで実在の自己認識の努力の発達に従いてしだいに高き程度の自由に進むと考える方が、いっそう氏の思想を徹底せしめないであろうか。われらはこの自由の発展的過程の階段に立てるみずからを発見することに大なる喜悦を感ずるのである。
しかしながらわれらがここに疑問を起こさざるを得ないのは行為の自然ということと、自覚ということとははたして矛盾なく調和せらるるかという問題である。氏の自由とは内面的に自己の本性に必然なること、換言すれば自然ということである。しこうしてその内面的必然なる行為が自由であり得る条件はその行為が自覚されるというにある。しかし事実として自然なる行為が自覚を伴うであろうか。われらの行為が自然に発動するときは、むしろ無意識の状態であって、氏の盲目的なりとなす自然現象に酷似している。われらの行為に自覚が伴うのはその行為の発動が妨げられたるときである。最も自然なる行為はなんらの反省も自覚も伴わざる流動的なる自発活動である。
この見かけの矛盾を調和するためには自覚の内化、知識の本性化ということを考えなければならない。すなわち知識がいまだ外的であって、十分に自己のものとならず、自己の本性の中に包摂せられざる間は行為の自然の発露を妨げるけれども、その知識が完全に内的に自己のものとして会得されたときには、直接に行為と合致して、その自然の開展を妨げない。たとえば熟練なるピアニストはその指の鍵盤に触るることを意識しない。しかしこの場合には、指もて鍵盤を打ちつつあることを知らぬのではない。その知識が直接に行為に包摂されて、これと合致してるのである。すなわち純粋経験の状態であって、知と行とが一致してるのである。善事を行なうにしても、善行をなしつつあることを意識せる間はその徳がただちにその人の本性となってるのではない。孔子が心の欲するところに従うて
矩を
踰えずといったごとく、自然のままに行ないしことがただちに徳に適ってるときその人は真に徳を会得しているといい得る。徳の知識が本性の内に体得されているがゆえに、自然のままの行がただちに徳と合するのである。真実の知識はただちに行為を誘うて自然にして無意識なる自発自展を開始する。このときは現前唯一の事実あるのみである。知識はその中に包摂されている。よく知らざるがゆえに知るのである。かくして自然と自覚と自由とは純粋経験の状態においてただちに融合して
一如となるのである。
善は自己が自己に対する要求である。われらは他人のために善をなすのではない。自己の人格的要求に促されてなすのである。罪悪を犯ししときにきたる内心の苦悩は他人の上に被らせし害悪を
傷むのではない。自己の人格の欠陥と矛盾とを嘆くのである。善行をなししときにくる内心の喜悦は、その結果として起こる他人の幸福に対してでもなく、自己の上に返るべき報酬に対してでもなく、全く自己の人格の完成、向上に対する純なるたましいの喜びである。真正なる善は自己の人格を対象とせる観照的意識より生じなければならない。われらの意志の上にかかるおのれみずからの要求でなければならない。西田氏の倫理思想は真新なる意味における個人主義である。
しからば善の内容をなすものは何か。それはわれらの生命の本然的要求である。価値は要求に対する合目的性である。道徳的判断が一の価値判断である以上、それが要求を予想してることはいうまでもない。しこうしてその要求なるものはそれ自身価値の尺度であって、評価の対象にはならない。いいとか、わるいとかいう差別を超越したものである。それはただわれらに与えらるるものである。自然にわれらに備わる性質である。じつにこの本然の要求こそわれら自身の本体である。Wollen を離れては Sollen は無意義である。善が所有する命令的要素はこの自己本然の要求の上に求めるほかはない。われらに本然に備われる要求は動かすべからざるザインであって同時にゾルレンの根源をなすものである。Du sollst という声がもし外部よりわれらを襲うならばわれらはニイチェの獅子と共に Ich will と叫んで頭を振るよりほかはない。しかしこの命令が自己の内部より発したとき、自己内面の本然的要求の上に基礎を置いたとき、われらはその声に傾聴しなければならない。かくて自律の道徳は起こり、真実の自由は始まる。すなわち氏の倫理思想は自然主義である。
この自然主義が誤れる刹那の観念の上に立つとき刹那主義が生まれる。刹那主義には確かに厳粛なる一面の真理が含まれている。かつ空しき過去の追憶と、未来の映像とに生きんとする者に、「汝らは
何処に立てりや」と問うものはこの主義である。現実主義が確固たる足場を得んがために、その哲学的反省を「時間」に関しておのれみずからの上に加うることによりて生じたのである。われらはただ現在にのみ立ってる。未来も過去も内容なき空殻である。ショウペンハウエルもその主著に次のごとく論じている。
Die Form der Erscheinung des Willens also die Form des Lebens oder der Realil

t ist eigentlich nur die Gegenwart, nicht Zukunft noch Vergangenheit: diese sind nur in Begriff, sind nur in Zusammenhang der Erkenntnis da. In der Vergangenheit hat kein Mensch gelebt, und in der Zukunft wird nie einer leben sondern die Gegenwart allein ist die Form alles Lebens, ist aber auch sein sicherer Besitz, der ihm nie entreissen werden kann.(Die Welt als Wille und Vorstellung)
この現在にいくらかの延長を想像し、これを分割して得たる単位時間のなかに、われらの生活の最後の基礎を置かんとするのが刹那主義者である。かくて彼らは刹那刹那の断片的なる要求を満足することにおいて正善な生活を見いださんことを主張する。刹那主義はその動因をわれらの生活基礎を確実にし、価値意識を純化せんとする真面目なる動機に発したものではあるけれど、その思索の過程にはたしかに概念的の錯誤が横たわってるのである。
第一に彼らはわれらの意識現象を時間のなかに生滅するものと考えている。第二に時間を空間に翻訳して若干の単位に分割し得るものと考えている。
しかし時間はわれらの意識現象を統一するために主観が設けた概念である。時間のなかに意識があるのではなく、意識の上に時間が支えらるるのである。意識を離れてただ抽象的に、延長のみ考えるならば、時間のなかに過去と未来とより切り放たれたる独立せる現在、すなわち刹那なるものが立て得らるるであろう。しかし事実として時間は意識をもって填充せられている。時間の推移とは意識現象が一の統一より他の統一へと移り行く過程であって、それは流動的なる純粋の継続であって分割すべからざるものである。その統一の頂点が常に「今」であるが、その今はそれ自身過去と未来との要素を含んでいる。一つ一つ併列して互いの外にある幾何学的の点のような刹那というものはどこにも存在しない。意識現象はいかに単純であっても必ず組成的である。すなわち複雑なる要素を含んでいる。これらの要素は孤立的でなく互いに相関係して意味を持っている。一生の意識もかくのごとき一系統である。われらの本然的なる要求もけっして孤独に起こるのではない。種々の要求は互いに相関係している。その全体の統一がすなわち自己である。ゆえに一時のまた個々の要求を断片的に満足せしめるのが善ではない。善とは全体としての一系統の本然的要求、換言すれば全部生命の要求を満足せしめることである。その全部生命は知情意を統一せる不可分の有機的全体である。これを人格と名付けるならば善とは人格の要求の実現である。けっして断片的なる官能的欲望のみの充足を言うのではない。
西田氏の倫理思想は一言にして蔽えば人格的自然主義である。この人格的自然主義は享楽主義よりもいっそう根本的なる深刻なる基礎に立つものである。生命の底にいっそう深く根を下ろしたる気分より起こるものである。快苦は衝動の充足さるるか否かによりて生ずる感情であって生命の第二義的の産物である。第一義的の価値は衝動そのものである。自然主義は衝動そのもののなかに価値の重点を置くのである。快苦は後より生ずる結果である。自然主義は生命の内部より起こる本然の要求に押されつつ生きるのである。生を味わう心ではない。ただ生きんがために生きる努力である。ショウペンハウエルは半世紀の昔、Alles Leben Leiden. といった。「生きるは悩み」と知りながら、なお、苦痛の中に価値を見いだしつつ生きる心こそ自然主義の根本的覚悟である。飢えたる者には食欲あることは苦痛であり、失恋の人には愛あることは悩みであろう。しかもなお食わんとし、恋いんとするのである。やむにやまれぬ生命の本然の要求は絶対の価値あるザインである。自然主義はこのザインに生存の意義を見いだすのである。
自然ということは西田氏の思想全体を一貫せる根本精神であるが、その倫理思想にはこの傾向がことに力強く現われている。すべてのものをしてあるがままにあらしめよ、世に最も尊くして美しく不可思議なるものはザインである。氏が自然に対する純なる嘆美と敬虔の情は氏の倫理学をして著しく芸術と宗教とに接近せしめている。
氏は善が諸種の要求の調和であることを説いてはプラトーの善を音楽のハルモニーにたとえしことを述べ、善の要求の厳粛なることを論じては、カントが蒼空の星群の統一と並べて、内心に存在する道徳的法則を称嘆せし例を引き、万人の意識の普汎性を説いては野より帰れる淋しき書斎のファウストを思い、善の極致としての主客の融合を論じては創作衝動に駆られて自己を忘れたる芸術家の神来と同一視し、『宗教的意識』には「すべて万物が自己の内面的本性を発露したときが美である」というロダンの語を引いて美と善との一致を説いている。
そればかりではない。氏の自然に対する敬虔の情は氏をして善悪の対立をそのままに放置せしめなかった。何ゆえに自然に罪悪なるものが存在するのであるか。これ心清きものの胸を悩ます種であろう。氏はかばかり統一せる調和せる自然に本質的なる罪悪の存在を許すに堪えなかった。かくて包括的なる宗教的の立場より、罪悪を自然の外に排除せんと試みて、
深く考へて見れば世の中に絶対的の悪といふものはない。悪はいつも抽象的に物の一面を見て全貌を知らず、一方に偏して全体の統一に反する所に現はれるのである。悪がなければ善もない。悪は実在の成立に必要なる要素である。(善の研究――三の十二)
と述べさらにアウグスチヌスの語を引いて、陰影が画の美を増すがごとく、もし達観すれば世界は罪を持ちながら美であるといっている。われらはライプニッツ以来議論の多いこの説明が、この世界より悪の存在を除き去るに完全なるものとは思わない。そこには種々の疑問が挾み得るであろうが、氏のごとく自然の円満と調和とに純なる憧憬を有する人にとっては、その企図の方針はむしろ当然のことであると思う。氏にとりてはもともと精神と自然と二の実在があるのではない。両者はただちに唯一実在である。その実在の統一力が神である。自己の本然的要求は神の意志と一致するのである。宇宙は唯一実在の唯一活動であり、その全体は悪を持ちながらに善である。
四
宗教は自己に対する要求である。自己を真に生かさんとする内部生命の努力である。欠けたるものの全きを求むる思慕である。みずから貧しくして、偽りに満ち、揺らめきて危うきを知る謙遜なる心が、豊かにして、まことに、
金輪際動揺せざる絶対の実在を求むる無限の憧憬である。一人
※然[#「螢」の「虫」に代えて「几」、75-13]として生きるに耐えざる淋しき魂が、とこしえに変わらざる愛人と共に住まんと欲する切なる願いである。氏はその宗教論の冒頭に宗教的要求という一章を掲げて、宗教がいかに
真摯に生きんとする者のやみがたき要求であるかを述べて次のごとく言っている。
宗教的要求は自己の生命に就ての要求である。我々の自己が相対的にして有限なるを知ると共に、絶対無限なる力に合一し之に由りて永遠の真生命を得んと欲するの欲求である。パウロがも早我生けるにあらず、基督我に在りて生けるなりと言つたやうに、肉的生命の全部を十字架の上に釘け終りて独り神によりて生きんとするの情である。真正の宗教は意識中心の推移によりて、自己の変換、生命の革新を求めるの情である。世には往々何故に宗教は必要であるかなどと問ふ人がある。併しかくの如きは何故に生きる必要があるかと問ふと同様であつて、自己の生涯の不真面目なることを示すものである。真摯に生きんとする人は必ず熱烈なる宗教的要求を感ぜずには居られないのである。(善の研究――四の一)
宗教は氏の哲学の終局であり、根淵である。氏は『宗教的意識』のなかにシュライエルマッヘルを引いて、宗教の認識論的研究の必要を説いているが、まことに氏の宗教は認識論をもって終始している。認識論より宗教に入る者の帰着点はどうしても Pantheism のほかにはないように思われる。ことに氏のごとき体系の哲学においては汎神論はほとんど論理的必然であるといってもいい。宇宙は唯一実在の唯一活動である。その活動の根底には歴々として動かすべからざる統一がある。宇宙と自己とは二種の実在ではない。純粋経験の状態においてはただちに合して一となる。すなわち宇宙の統一力はわれらの内部にあっては意識の背後に潜む統一力である。この統一力こそ神である。われらがいかにしてこの神を認識し能うかについてはすでに氏の認識論を考察するときにこれを述べたから、ここでは主として神の本質について考えてみよう。
第一に神は内在的である。すなわち神はこの世界の外に超越して、外より世界を動かす絶対者ではなく、世界の根底に内存して、内より世界を支え世界を動かす力である。氏の哲学においては現象界の外に世界はない。たとい世界の外に超然として存在する神ありとするも、それはわれらになんらの交渉もなき無も同様である。われらの生命に直接の関係を有し、われらの内部生活に実際に力強く働くことを得る神はわれらの生命の奥底において見いださなければならない。
第二に神は人格的である。宗教として論理的に最も徹底せるものは汎神論であることはほとんど疑うべからざる事実である。しかしながら、そのいわゆる神は単に論理上の冷ややかなる存在であって、われらの温かなる
憑依の対象となる人格的の神ではないのであろうか。氏によれば敬とは部分的生命が全部生命に対して起こす感情であり、愛とは二人格が合一せんとする要求である。しからば敬愛の情は人格者を対象としてのみ起こり得る意識である。われらが神に対して敬虔の情を起こし、また神の無限の愛を感得することができるためにはその神は必ず人格的でなければならない。しからば汎神論の宗教において神はいかなる意味において人格的であるか。この問に答うるためには人格という概念の意味を明らかにしなければならない。われわれは普通内に省みて特別に「自己」なるものがあるように考えている。しこうしてこれより類推してどこに神の「自己」があるかと問うのである。しかしながらかくのごとき意味においては自己なるものはどこにも存在しない。われらの個人意識も分析すれば知情意の精神作用の連続にすぎない。特別に自己なるものは存在しない。われわれが内に省みて特別なる自己なるものがあるごとく考うるのは、ただ一種の感情にすぎないのである。ただその全体の上に動かすべからざる統一あるがゆえにこれを一人格と名づくるのである。神を実在の根底であるといっても、実在そのものが精神的であり、その全体の発現に統一があるならば神の人格性は毫も傷つけられはしないのである。いな純粋経験の状態にあってはわれらの精神の統一はただちに実在の統一である。神とわれとの人格は一に帰し、われはただちに神となるのである。
ここに氏の宗教において最も著しき特殊の点がある。すなわちそのいわゆる天国といい、罪悪という意義がはなはだ認識論的の色彩を帯びていることである。氏の天国とは主客未分以前の純粋経験の状態をいうのである。この認識の絶対境においては、物とわれとの差別なく、善と悪との対立なく、ただ天地唯一の光景あるのみである。なんら
斧鑿の痕を止めざる純一無雑なる自然あるのみである。われと物と一なるがゆえにさらに真理の求むべきなく、欲望の充たすべきなく、人は神と共にあり、エデンの花園とはかかる境涯をいうのである。しかるに意識の分化発展するに従い、物我相背き、主客相対立し、人生初めて要求あり、苦悩あり、人は神より離れ、楽園はアダムの子孫よりとこしえに閉ざされた。これすなわち人間の堕落であり、罪悪である。ここにおいてわれらは常に失いたる楽園を思慕し、たましいの故里を憧憬し、対立差別の意識を去りて純粋経験の統一せる心境に帰らんことを求める。これすなわち宗教的要求である。
かくのごとく氏の宗教においては罪悪は対立差別の意識現象より起こるのである。しかしながら対立は統一の一面であって対立を離れては統一は考えられない。実在が自己の内面的性質を分化発展するのは宇宙現象の進行の根本的方式である。ゆえにもし対立差別を罪悪の淵源となさば、実在そのものの進行を、したがって神の意志を罪悪の根本となさねばならぬ。この不合理を除去するために氏は罪悪の本質的存在を影のごとく薄きものとなさねばならなかった。
元来絶対的に悪といふものはない。物の本来に於ては皆善である。悪は物其者に於て悪なのではない。実在体系の矛盾衝突より起るのである。罪悪は宇宙形成の一要素である。罪を知らざる者は真に神の愛を知ること能はず、苦悩なき者は深き精神的趣味を理解する事は出来ない。罪悪、苦悩は人間の精神的向上の要件である。されば真の宗教家は是等のものに於て神の矛盾を見ずして却つて深き恩寵を感ずるのである。(善の研究――四の四)
といっている。かくて氏の哲学は一の楽天観をもって終わっているのである。
五
私らは哲学の批評に関して芸術的態度をとりたい。人を離れて普遍的にただその体系が示す思想だけを見たくない。興味の重点をその体系がいかばかり真理を語れるかという点にのみおかずして、その思想の背後に潜む学者の人格の上にすえつけたい。古来幾多の哲学体系は並び存して適帰するところを知らない。もし哲学をただ真理を聞かんがためのみに求むるならば、かくのごときは哲学そのものの矛盾を示すというような非難も起こるであろう。しかしながら哲学はその哲学者の内部生活が論理的の様式をもって表現された芸術品である。その体系に個性の匂いが纏うのは当然のことである。私は西田氏の哲学を、氏の内部生活の表現として、氏の人格の映像として見ることに興味を感じて読んだのである。また氏の哲学ほど主観の濃く、鮮やかに、力強く表われたものはあるまい。『善の研究』は客観的に真理を記述した哲学書というよりも、主観的に信念を鼓吹する教訓書である。敬虔にして愛情に富み、真率にしてやや沈鬱なる氏の面影がいたるところに現われている。氏の哲学の特色はすでに述べたから、ここには繰り返さない。ただいいたきことは氏の哲学には生物学的の研究が欠けていることである。たとえば生殖というような大問題には少しも触れてない。愛に関しては多く論ぜられてるけれど、それはただキリスト教的な愛についてであって、性欲の匂いの籠った愛については何の説くところもない。ことに永遠の大問題である死に関して何事をも語らないのには大きな不満を抱かないではいられなかった。『善の研究』の書き替えらるるときには Leib に関する深い、新しい研究の結果が添えらるることを望んでおく。
終わりに臨んで私は力強く繰り返したい。氏の哲学には生命の脈搏が波打ってる。真面目なる、沈痛なる力がこもってる。しかもその力はしっとりと落ち着いて、深い根を張っている。氏が内部生命の衝動に駆られて、真剣に自己の問題につきて思索しつつある痕跡は至るところに残っている。ことに宗教を論じられるあたりは、病中の作であるからでもあろうが、氏の苦悩と憧憬とがありありと見えてことに感情が
籠っている。淋しげなる思索の跡はそぞろに涙を誘うものがある。「デカルトの哲学は数学の定理の如きものを組み立てて作ってあるけれども、よく読んで見れば、彼の内心の動揺と苦悩が窺われて、強く、沈痛の力に打たれる」と氏はいっておられる。まことに氏は抽象的概念をいじくり回す単なるロジシャンではない。その思索には内部生活の苦悩が纏い、その哲学にはいのちとたましいとの脈搏が通うている。私はともに坐して半日の秋を語りたる、京都の侘しき
町端れなる氏の書斎の印象を胸に守っている。沈痛な、瞳の俊秀な光をおさめた、やや物瘠せしたような顔が忘れられない。メフィストをして嘲るままに嘲らしめよ。氏は生命の根に潜む不可思議を捕捉せんために、青草を藉きて坐しながらなお枯草を食うて、死に至るまで哲理を考えつつ生きるであろう。
(一九一二・一一・一二夜)
[#改ページ]
異性の内に自己を見いださんとする心
Sinotschka. K

nnen Sie f

r die jenige sterben, die Sie lieben?
Niemowezkij. Ja, ich kann es. und Sie?
Sinotschka. Ja, ich auch es ist ja doch ein grosses Gl

ck, f

r den liebsten
Menschen zu sterben, ich m

chte es sehr gern. (Der Abgrund. Andrejew.)
上
たとえば大野の
黎明にまっ白い花のぱッと目ざめて咲いたように、私らが初めて因襲と伝説とから脱してまことのいのちに目醒めたとき、私らの周囲には明るい光がかがやきこぼれていた。ことごとに驚異の瞳が見張られた。長き生命の夜はいま明けた。これからほんとに生きなければならないのだ。こう思って私らは心をおどらし肩を
聳かすようにした。かくて生命の第一線に添うて勇ましくも徹底せる道を歩まんことをこころざした。このときほど自己の存在の強く意識されたことはなかった。
しかしながら私らが一たび四辺を見まわすとき、私らは私らと同じく日光に浴し、空気を吸うて生きつつある草と木と虫と獣との存在に驚かされた。さらに私らとともに悩ましき生を営みつつある同胞(Mitmensch)の存在に驚かずにはいられなかった。じつに生命の底に侵徹して「自己」に目ざめたるものにとっては自己以外のものの生命的存在を発見することは、ゆゆしき驚きであり、大事であったに相違ない。かくて生命と生命との接触の問題が、魂と魂との交渉の意識が私らの内部生活に頭をもたげてくる。このときもしわれらの素質が freundlich であり、moralisch であればあるほど、この問題が重大に関心されるであろう。この問題をどうにか
かたをつけなければ、内部生活はほとんど新しき方面に進転することを妨げらるるであろう。この問題が内部動乱の中心に
蟠り、苦悩の大部分を占めるであろう。私はいうが、私はこの対人関係について思索するに
痩せた。自己の生命を痛感した私が一たび自己以外のものの生命の存在に感触して以来、この問題は一日も私の頭を去らなかった。常に重苦しくもたれかかって私を圧迫した。私はこの問題を徹底的に解釈しなくては思い切った生き方はどうしてもできないと思った。私は力強い全人格的の態度がとれなかった。私の行動はすべて
曖昧に、不鮮明であった。あらゆる行為が否定と肯定との間を動揺した。
私はこの
生温き生き方が苦しくてならなかった。私は実際この問題をどうにかせねばならないと思った。
私はこの生命と生命との交渉、魂と魂との接触は宇宙における厳粛なる偉大なる事実に相違ないと思った。この問題に奥深く底の底まで頭を突ッ込むとき、そこに必ず私らの全身を
顫動せしめるほどの価値に触れることができるだろうと思った。
その頃から私は哲学を私の生活から放さなかった。私は確乎として動かざるの上に私の生活を築きあげたいと思っていた。かくて私は哲学的に自他の生命の交渉、関係について考えてみなければならなかった。
私は生きている。私はこれほど確かな事実はないと思った。自己の存在はただちに内より直観できる。私はこれを疑うことはできなかった。しかしながら他人の存在が私にとっていかばかり確実であろうか。この形而上学の大問題は実際私の手に余ったにもかかわらず、私はどうかして考えを纏めなければならなかった。私はここに認識論の
煩瑣な理論を書くことを欲しないが、とにかくその頃の私は唯心論の底に心を潜ませていた。私はどう思っても主観の Vorstellung としてのほかは他人の存在を認めることができなかった。私にとっては他人の存在は影のごとく淡きものにすぎなくなった。とても自己存在の確認とは比較にならない力の乏しいものになってしまった。私はやや大なる期待をもってあの人格的唯心論(personal idealism)をも研究したのであるが、その他われの存在を設定する過程にどうしても首肯することができなかった。私は唯心論が行くところまで行くとき必ず帰着しなければならないように唯我論に陥ってしまった。
「天が下に独りわれのみ存す」という意識が私をおののかした。私はそぞろに寒き存在の寂寞に慄えつつも、また極端なる自己肯定の権威と価値とに、いうべからざる厳粛なる感に打たれるのであった。自己は今や唯一のそしてまたすべてのものとなった。宇宙の中心に座を占めて四辺を
睥睨した。自己に醒めたるものの必ず通り行く道は個人主義である。それには醒めたる個人をして、しかあらしむる現実生活の種々なる外的の圧力がある。この圧力に迫られてさらぬだに個人主義に傾いていた私は、さらにこの認識論の基礎の上に立って極端なる個人主義に陥らざるを得なかった。この Individualism が要求の体系に従うとき必然的に Egoism になる。私が自己の内部生活を、実在の上に基礎づけようとする要求に忠実であるならば、私はエゴイストであるよりほかはなかった。その頃から私はショウペンハウエルの哲学に読み耽った。そしてひどく動かされた。この沈痛なる皮肉なる冷狂なる哲人の思想は私の利己主義に気味悪き底力と、悲痛なる厭世的の陰影とを与えずにはおかなかった。私は生命の内部にただいたずらにおのれを主張せんとする盲目的なる暴力を意識せずにはいられなかった。生きんとする意志のむやみなる不調和なる主張を痛感せずにはいられなかった。この頃から人なみすぐれて強烈なる性欲の異常なる狂奔を持てあましていた私にはこの盲目力がいっそう力強く感ぜられた。なんという取り返しのつかぬ不調和な地位に置かれたる生であろう! 私はこの痛ましき生をまじまじ見守りながら、それでも引きずられるようにして生きてゆかねばならなかった。この頃私にとりては愛ほど大きな迷妄はなかった。また犠牲ほど大きな生活の誤謬はなかった。この二つのものは私には全く理解せられなかった。私はキリスト教徒について愛の話も聞いてみた。また書を
漁って犠牲の理論も読んでみた。けれども皆私の心を動かす根本的の力を欠いていた。なぜというに私の利己主義はその根を認識論の上に深く張っている。私が唯我論から利己主義に達する過程は論理的必然の強迫である。私を利己主義から離れしむるものは私の独我論を根底より動揺せしむる認識論でなければならなかった。
しかしながら悲しいことには私は形而上学的に叙述された愛と犠牲との書物に接することができなかった。すべては曖昧なる不徹底なるまがいものにすぎなかった。自己存在の深刻なる覚醒もなく、他人の魂の底に侵徹してその存在に触れたる意識もなく、ただ漫然として愛と犠牲とが主張されるのが私は不思議でならなかった。かくのごとき愛がいかばかり力と熱と光とを生命の底より発せしめ得るであろうかを疑った。西田氏は熱心なる「愛の哲学者」である。その氏はしかも愛を骨子とする宗教論のなかに「本質を異にせるものの相互の関係は利己心の外に成り立つことはできないのである」といってる。私は自己存在に実在的に醒めたる個人が、他人の存在を徹底的に肯定するときにのみ、まことの力ある愛は生ずるであろうと思った。しかしながら私はいかにして他人の存在を肯定することができたであろうか。私はいかにして私が自己の存在を肯定するごとく、確実に、自明に、生き生きとした姿において他人の存在を認識することができたであろうか。そして自他の生命の間に通う本質的関係あることを認めることができたであろうか。私は思い悩んだ。そしてこれらのことは唯我論の基礎の上に立ってはとうてい不可能な望みであることを感ぜずにはいられなかった。そこで私は唯我論に私のできるだけ周到な吟味と批判とを加えてもみた。けれども私はどうしても唯心論の帰着点を唯我論に見いだすほかはなかった。そしてその立場より対人関係の問題を
覗くとき、究極は個人主義を透して、極端なる利己主義に終わらざるを得なかった。
今から考えればこの頃の私の生き方はたしかにインテレクチュアルにすぎていた。その思索の方法も情意を重んぜぬ概念的なもので必ずしも正しかったとは思わない。けれども自己の生活を「実在」の上に据え付けようという要求は形而上学的な私の唯一の生活的良心であった。私とてもただ充実して生きられさえすればよかったのである。けれども生きんがためにはそうしないではいられなかったのである。私は私の実際生活の上に落ちかかったこの大問題に貧しい
稚い思想をもって面接することを、どんなに心細くもおぼつかなくも思ったであろう。苦しんでも悶えてもいい考えは出なかった。先人の残した足跡を辿って、わずかに nachdenken するばかりで、みずから進んで vordenken することなどはできなかった。私はこんな貧しい頭を持ちながら考えなければ生きられない自分は何の因果だろうかと思った。私はとても適わぬと思った。けれども何事も生きんがためじゃないかと思うとき、私はじっとしてはいられなかった。私は子供心にも何か物を考えるような人になりたいと思って大きくなった。私は leben せんためには denken しなければならないと思った。
生命と生命との接触の問題は宇宙における厳粛なる偉大なる事実である。私はこの問題に対して忠実でありたい。私はこの問題に対して曖昧な虚偽な態度はとりたくなかった。私は稚いながらも私の信ずる真理の道を進もうと思った。
かくて極端なる利己主義者となった。それもショウペンハウエルの底気味悪き思想を潜りて出でたる戦闘的態度の利己主義であった。初めより生の悲痛と不調和とを覚悟して立ちたるデスペレートな利己主義であった。私は戦っておよそ Egoist の味わい得べきほどのものをことごとく味わい尽くして死にたいと思った。私はその頃の私の心の怪しげなる緊張を忘れることができない。私の生命は血の色に
漲っていた。ほしいままなる欲望にふくれていた。私は充たされざる性欲を抱いて獣のごとく街を徘徊しては、昔洛陽の街々に行なわれたる白昼の強姦のことを思った。魯鈍なる群衆の雑踏を見ては、私に一中隊の兵士があれば彼らを
蹂躪することができるなどと思った。私の目の前をナポレオンと
董卓と
将門との顔が通っては消えた。強者になりたい。これが私の唯一の願望であった。私は法科に転じた。私は欲望の充足のために力が欲しいとしみじみ思った。力よ、力よと思った。ああ欲望と力! こう思って私は胸をおどらした。このとき愛と犠牲とは私にとって全く誤謬であった。それよりも人間自然の状態は万人が万人に敵たるの状態であるというホッブスの言葉が力強く心に響いた。Alles Leben Leiden というショウペンハウエルの言葉が耳元を去らなかった。
しかしながら私の思想がしだいにエゴイズムに傾くとき、私に最も直接な痛刻な苦悩を感じさせるものがあった。それは私の無二の友なるSというものの存在であった。私はいうが、私らは涙のこぼれるほど誠実なる友情を持っていた。二人は細かなる理解をもって骨組まれたる実在的なる友情を誇っていた。それに小さいときから机をならべていたという
濃やかな思い出が、二人の間にいっそう離れがたき執着を
繋いでいた。私はこの友の存在が確認したくてならなかった。実在的に肯定したくてならなかった。その魂の秘密に触れておののきたくてならなかった。生命と生命としっかり抱擁して顫えるほどの喜びにすすり泣きたくてならなかった。けれども私の思想はこの痛切なる願望を裏切らずにはおかなかった。私は泣く泣くも友の存在を影のごとく淡きものになさなければならなかった。二人の間に実在的な交渉を否認してただ
関係的な交渉にしてしまわなければならなかった。これはじつに私には痛刻きわまりなき悲哀であり、苦痛であり、寂寞であり、
涕涙であった。私は苦しみ悶えた。私はその友に与えた手紙の一節を記憶している。
わが友よ。御身と私との間には今や無辺際の空より垂れ下りたる薄き灰色の膜がある。私らはこの膜をへだてて互いの苦しげなる溜息を微かに聞く。また涙に曇る瞳と瞳とを見かわしながら、しかも相抱擁することができない。どうしてもできない。ああわれらはどうすればいいのだろう。
けれどもその頃の私のインテレクチュアルな生き方ではとうてい友を捨てるほかはなかった。私は骨の抜けた、たましいのない空殻のような交渉を二人の間に残すに忍びなかったからである。
そのときの友の態度の誠実なのに私は敬服した。その心根のやさしさに私は涙ぐんだ。
君は私と離れるという。けれども私は君を放したくはない。君が離れたがればますます私の側に置いて私の温かい息で君の荒んだ胸をじんわりと包んでやりたい。君よ、たとい今私と離るるとも君が傷ついたならまた帰って来たまえ。潤える瞳と温かな掌とは君を容れるに吝ではないであろう。
こんなことも書いてよこした。また私が法科に転じて荒んだ方面へばかり走るのをいましめて、
君よ。星の寒いこの頃の夜更けに、試みに水銀を手の腹に盛ってみたまえ。底冷たさは伝わって君の魂はぶるぶると顫えるであろう。このとき何ものかの偉大なる力が君に思索を迫らずにはおくまい。
というようなことも書いてよこした。こんな誠実な可憐な友を捨てることはじつに泣き出したいほど苦しかったのだ。友と別れた私は真に孤独であった。私の胸のなかを荒んだ灰色の影ばかりが去来した。孤独の淋しみのなかに座を占めて、静かに物象を眺め、自然を印象するほどの余裕もなかった。孤独そのものの色さえ不安な、動揺した、切迫したものであった。それでも初めのほどは私の内部生活は荒みながらも緊張していた。
凄蒼たる色を帯びながらも生命は盛んに燃焼していた。炭火のように赤かった。
けれどもしばらくして私はまた惑い始めた。私の生活法がはたしてよきものであろうかと疑い始めた。全体私は蔽うべくもないロマンチシストである。私は幼いときからあたたかな愛に包まれて大きくなった。私は小さいときからものの嬉しさ
哀しさも早く
解り、涙
脆かった。一度も友達と争ったことなどはなかった。戦闘的態度のエゴイズムなどとても私の本性の柄に合わないのだ。それだのに何ゆえに私はエゴイストでなければならないのだろうか。生命は知情意の統合されたる全一なるものでなければならない。私が友を愛してるということは動かしがたき事実ではないか。心理的事実としては知識も感情も同一であって、その間に優劣はないはずである。それだのに私は何ゆえに知性のみに従って、情意の確かなる事実をなみせなければならないか。それはかなり吟味を要するではないか。しかしながら私が友の生命を実在的に肯定することができないというのもたしかなる事実である。してみれば結局私の生命は有機化されていないということに帰着せねばならない。私の生命は全一ではないのだ。分裂してるのだ。知識と情意とは相背いてる。私の生命には
裂罅がある。
生々とした割れ目がある。その傷口を眺めながらどうすることもできないのだ。この矛盾せる事実を一個の生命のなかに対立せしめてることがメタフィジカルな私にとって、どんなに切実な苦痛であったろう。
私は実際苦悶した。私はどうして生きていいか解らなくなった。ただ腑の抜けた蛙のように茫然として生きてるばかりだった。私の内部動乱は私を学校などへ行かせなかった。私はぼんやりしてはよく郊外へ出た。そして足に任せてただむやみに歩いては帰った。それがいちばん生きやすい方法であった。もとより勉強も何もできなかった。
ある日、私はあてなきさまよいの帰りを本屋に寄って、青黒い表紙の書物を一冊買ってきた。その著者の名は私には全く未知であったけれど、その著書の名は妙に私を惹きつける力があった。
それは『善の研究』であった。私は何心なくその序文を読みはじめた。しばらくして私の瞳は活字の上に釘付けにされた。
見よ!
個人あつて経験あるにあらず、経験あつて個人あるのである。個人的区別よりも経験が根本的であるといふ考から独我論を脱することが出来た。
とありありと鮮やかに活字に書いてあるではないか。独我論を脱することができた

この数文字が私の網膜に焦げつくほどに強く映った。
私は心臓の鼓動が止まるかと思った。私は喜びでもない悲しみでもない一種の静的な緊張に胸がいっぱいになって、それから先きがどうしても読めなかった。私は書物を閉じて机の前にじっと坐っていた。涙がひとりでに頬を伝わった。
私は本をふところに入れて寮を出た。珍しく風の落ちた静かな晩方であった。私はなんともいえない一種の気持ちを守りながら、街から街を歩き回った。その夜
蝋燭を
燈して私はこの驚くべき書物を読んだ。電光のような早さで一度読んだ。何だかむつかしくてよく解らなかったけれど、その深味のある独創的な、直観的な思想に私は魅せられてしまった。その認識論は私の思想を根底より覆すに違いない。そして私を新しい明るいフィールドに導くに相違ないと思った。このとき私はものしずかなる形而上学的空気につつまれて、柔らかく溶けゆく私自身を感じた。私はただちに友に手紙を出して、私はまた哲学に帰った。私と君とは新しき友情の抱擁に土を噛んで号泣できるかもしれないと言ってやった。友は電報を打ってすぐ来いといってよこした。私は万事を
放擲してO市の友に抱かれに行った。
操山の麓にひろがる静かな田圃に向かった小さな家に私たちの冬ごもりの仕度ができた。私はこの家で『善の研究』を熟読した。この書物は私の内部生活にとって天変地異であった。この書物は私の認識論を根本的に変化させた。そして私に愛と宗教との形而上学的な思想を注ぎ込んだ。深い遠い、神秘な、夏の黎明の空のような形而上学の思想が、私の胸に光のごとく、雨のごとく流れ込んだ。そして私の本性に吸い込まれるように包摂されてしまった。
私らは進化論のように時間的に空間的に区別せられたる人間と人間との間に生の根本動向から愛を導き出すことはとうてい不可能である。ここから出発するならば対人関係は詮ずるところ利己主義に終わるほかはない。しかしながら私らは他のもっと深い内面的な生命の源泉より愛を汲み出すことができるのである。ただちに愛の本質に触れることができるのである。愛は生命の根本的なる実在的なる要求である。その源を遠く実在の原始より発する、生命の最も深くして切実なる要求である。
しからばその愛の源流は何であるか。それは認識である。認識を透して、高められたる愛こそ生命のまことの力であり、熱であり、光である。
私は自己の個人意識を最も根本的なる絶対の実在として疑わなかった。自己がまず存在してもろもろの経験はその後に生ずるものと思っていた。しかしながらこの認識論は全く誤謬であった。私のいっさいの惑乱と苦悶とはその病根をこの誤謬のなかに宿していたのであった。実在の最も原始的なる状態は個人意識ではない。それは独立自全なる一つの自然現象である。われとか他とかいうような意識のないただ一つのザインである。ただ一つの現実である。ただ一つの光景である。純一無雑なる経験の自発自展である。主観でもない客観でもないただ一の絶対である。個人意識というものは、この実在の原始の状態より分化して生じたものであるのみならず、その存在の必須の要件としてこれに対立する他我の存在を予想している。客観なくして主観のみ存在することはない。
それゆえに個人意識は生命の根本的なるものではない。その存在の方式は生命の原始より遠ざかりたるものである。第二義的なる不自然なる存在である。それ自身には独立自全に存在することのできないものである。これは個人意識が初めより備えたる欠陥である。愛はこの欠陥より生ずる個人意識の要求であり、飢渇である。愛は主観が客観と合一して生命原始の状態に帰らんとする要求である。欠陥ある個人意識が独立自全なる真生命に帰一せんがために、おのれに対立する他我を呼び求むる心である。人格と人格と抱擁せんとする心である。生命と生命とが融着して自他の区別を消磨しつくし第三絶対者において生きんとする心である。
それゆえに愛と認識とは別種の精神作用ではない。認識の究極の目的はただちに愛の最終の目的である。私らは愛するがためには知らねばならず、知るがためには愛しなければならない。われらはひっきょう同一律の外に出ることはできない。花のみよく花の心を知る。花の真相を知る植物学者はみずから花であらねばならない。すなわち自己を花に移入して花と一致しなければならない。この自他合一の心こそ愛である。
愛は実在の本体を捕捉する力である。ものの最も深かき知識である。分析推論の知識はものの表面的知識であつて実在そのものを掴むことはできない。ただ愛によりてのみこれをよくすることができる。愛とは知の極点である。(善の研究――四の五)
かくのごとき認識的の愛は生命が自己を支えんための最も重々しき努力でなければならない。個人意識がかりそめの存在を去って確実なる、原始なる、自然なる、永遠なる真生命につかんとする最も厳かなる宗教的要求である。この意味において愛はそれみずから宗教的である。かくてこそ愛は生命の内部的なる熱と力と光との源泉たることを得るのである。
私はO市の冬ごもりの間に思想を一変してしまった。我欲な戦闘的な蕭殺とした私の心の緊張はやわらかに
弛み、心の小溝をさらさらとなつかしき愛の流れるのを感じた。私はその穏やかな嵐の後の
凪のような心で春を待った。春が来た。私は再び上京した。
けれどもこの穏やかな安易な心の状態は長くはつづかなかった。私は心の底にただならぬ動揺を感じだした。それはいうべからざる不安な気分であった。心が中心点を失うて右往左往するようであった。意識の座が定まらない。魂が鎌首を擡げて何ものかを呼び求むるようでもあった。私は恐ろしい寂寥に襲われた。とても独りでは堪えられないような存在の寒さと危うさにおののかずにはいられなかった。私は何も手につかなかった。ただこの意識中心の推移するのかと思うような心の動乱と寂寥と憧憬とを持てあましつつ生きていった。
私は狂うような手紙をO市の友に幾度出したかもしれない。淋しさと怖ろしさとに迫られては筆をとった。霖雨のじめじめしい六月が来た。その万物を
糜爛せしめるような陰鬱な雨は今日も今日もと降りつづいた。湿めっぽいうっとうしい底温かいような気候が私にいらだたせるような不安を圧迫した。私はこの熱を含んだ、陰気くさく淡曇った天の下に、蒸し暑い空気のなかに、手のつけようのない不安な気持ちに脅かされながら生きねばならなかった。
試験準備で
忙わしい友達の間に何も手につかないでぼんやりしてるのが辛いので、私は筑波山へ旅に出たことがあった。私は淋しいもの哀しい旅をした。筑波山はまっ白い霧に抱かれて黙っていた。私はただ独り山道をとぼとぼ登りながら、自然は冷淡なものだとつくづく思った。この淋しい自己を託さんとする自然は私には何の関わりもないもののように冷然として静まり返っていた。私はとりつくしまもなかった。私がよしやそこに立ってる大樹の肌に抱きついて叫んだとて、雨に濡れたる黒土に噛みついて号泣したってどうともなりはしないではないか。
私は抱きつく魂がなくてはかなわないと思った。私の生命にすぐに燃えつく他の生命の

がなくては堪えられないと思った。魂と魂と抱擁し、接吻し、
嘘唏し、号泣したかった。その抱擁の中に自己のいのちが見いだしたかった。
私は山頂の茶店の古ぼけた登山記念帖に次のようなことをなぐり書きに書きのこしてひとり淋しく山を下りた。
何者かを求めて山に来りき。されど求むるところのものは自然にてはあらざりき、人なりき、愛なりき。たとい超越的の神ありたればとてわれにおいて何かせん。ああ人格的、内在的なる神はなきか。わが霊肉を併せて抱擁する女はなきか。
山から帰ってから、私の心はいっそう淋しくなった。そしていっそう切迫してきた。しかし私は私の心の不安と動揺とにほぼ明らかなる形をあたえることができた。それは私の生命の憧憬の対象があたえられないからだと思った。その憧憬の対象すらも判然とは定まっていなかったけれど、それは人格物でなければならないことだけは解った。私は他の人格を求めてるのだ。他の生命を慕うていたのだ。私は自己のみで生きるに堪えないのだ。他の生命との抱擁よりなる第三絶対者に私の生活の最後の基礎を置こうとしてるのだ。この内部生活の転換こそ心の不安であり、動揺であり、生命を求むるあこがれこそ心の寂寞に相違ないと思った。
かれこれするうちに夏休暇が来て私は故郷に帰った。私の生命を慕い求むる憧憬はますますその度を深くした。そして日に日に切迫してきた。それは宗教的の熱度と飢渇とを示した。乾いた山の町に暑くるしき生を持てあましながら、私は立っても、坐っても、寝ても心が落ちつかなかった。
私は何も読まず、何も書かず、ただ家の中にごろごろしたり、堪えかねては山を徘徊したりした。私の生命は呼吸をひそめて何ものかを凝視していた。
この頃から私の生き方はだいぶ前とは違ってきだした。私の内部の切実なる動乱は私をただインテレクチュアルな生き方のままに許さなかった。私は内部の動揺に、情意の要求に促され圧されて、思索するようになった。概念的に作りあげたる系統からどれほど力ある生活が得られよう。充実せる生活はその価値が内より直観できるものでなければならないと思い始めた。
このとき私の頭のなかには友と神と女とがこんがらがって回転していた。私は真面目に神のことを思った。乾いた草の上に衰弱した
体躯を投げ出して、青いあかるい空を仰ぎ見ながら一生懸命神のことを思った。けれども私にはどうしても神の愛というものを生き生きと感ずることができなかった。内在的な人格的な神の存在は西田氏のいうがごとき意味において私は信ぜざるを得なかった。けれどもそれは実在の原始の状態に付したる別名にすぎない。それはただ一つの現実であり、光景であり、ザインである。その独立自全なる存在においては愛なるものの存するはずはない。われらは愛によりて神に達することはできる。けれどもいかにして神の愛というものが生じ得るのであろうか。私には神の存在よりも神の愛というものが理解できなかった。『善の研究』を読んでもここがどうしても解らなかった。私は神なるものに働きかけることも働きかけらるることもできはしない。愛されてるような心持ちになれない。頼もしくない。
私は憧憬の対象を友に求めようとした。私には細かな理解をもって骨組まれ、纏綿たる愛着をもって肉づけられたる真友があるではないか。けれども私はこれにも満足することができなかった。友には肉が欠けている。これが私を少なからず失望させた。私はその頃から肉というものを非常に重んじていた。肉は生命の象徴的存在である。生命は霊と肉とを不可分に統合せる一如である。生命を内より見るとき霊であり外より見るとき肉である。肉と霊とを離して考えることはできない。肉を離れて霊のみは存在しない。
私は人格物を憧憬するならば霊肉を
併せて憧憬したかった。生命と生命との侵徹せる抱擁を要求するならば、霊肉を併せたる全部生命の抱合が望ましかった。この要求よりして私は女に行かねばならなかった。人格物を憧れ求むる私の要求は神に行き、友に行き、女に至って止まった。そして私の憧憬の対象がしっくりと決まったような心地になった。私の全部生命は宗教的なる渇仰の情を
漲らせて女を凝視した。私の心の隅には久しき昔より異なれる性を慕い求むるやるせなきあくがれが潜んでいた。この心は一度は蕭殺たる性欲のみの発動となって私の戦闘的な利己主義の生活をもの凄く彩ったこともあった。けれども一度その殺伐たる生活より
醒めて、深く、もの静かな、また切実な宗教的な気分に帰って以来、この心は深く、優しく、まことあるものとなっていた。私は異性に対して寛大な、忠実な、熱情ある心を抱いていた。私は性の問題に想い至ればすぐに胸が躍った。それほどこの問題に厳粛なる期待を繋いでいた。私の天稟のなかには異性によりてのみ引きいだされ、成長せしめられ得る能力が隠れているに相違ない。また女性のなかには男性との接触によりてのみ光輝を発し得る秘密が潜んでるに相違ない。私はその秘密に触れておののきたかった。私は両性の触るるところ、抱擁するところそこにわれらの全身を麻痺せしめるほどの価値と意義とが金色の光をなして
迸発するに相違ないと思った。私は男性の霊肉をひっさげてただちに女性の霊肉と合一するとき、そこに最も崇高なる宗教は成立するであろうと思った。真の宗教は Sex のなかに潜んでるのだ。ああ男の心に死を肯定せしむるほどなる女はないか。私は女よ、女よと思った。そして偉大なる原始的なる女性の私に来たらんことを飢え求めた。
私の傍を種々なる女の影が通りすぎた。私はまず女のコンヴェンショナルなのに驚いた。卑怯なのにあきれた。男性の偉大なる人格の要求を容れることのできない小さなのに失望した。私は若さまと嬢さまとの間に成り立つような甘い一方の恋がほしいのではない。生命と生命との
慟哭せんほどの抱擁がほしいのだ。私が深く突っ込むとき私はみな逃げられた。気味悪がられた。私は私の深刻なる真面目なる努力が遊戯にしてしまわれはしまいかと心配せずに女を求むることはできなかった。私は処女は駄目なんだろうかと思った。酒と肉と
惑溺との間には熱い涙がある。その涙のなかにこそ生命を痛感せる女がいるかもしれないと思った。私は非常識にも色街の女に人格的な恋を求めに行った。私はこんなところへも肉を漁りに行かなかった。私は童貞であったが、ゆえあって私の生殖器は病的に無能力であったのである。ただ魂でも、肉でもない、私の全部生命を容れてくれるような女を求めに行ったのだ。けれどもそれは失望に終わった。あの
艶々しい黒髪としなやかな白い肌、その美しい肉体のなかに、どうしてこんな下劣な魂が宿ってるのであろうかと不思議でならなかった。私はその肉体美だけを彼らから
剥ぎ取ってやりたいほどに思った。女はなぜこんなに駄目なのであろう。私は腹が立つよりも悲しかった。やむなくば「女」を撲滅しなければならない。そして女の肉だけを残さなければならないと思った。
私のように女性に対して要求の強いものは女によって充実することはとうていできないのかもしれない。現実の女はみな浅薄なコンヴェンショナルな女ばかりなのかもしれない。私のようなコンヴェンションの目から見て不健全千万な男性を受け容れてくれる女はいないのかもしれない。ああ男性に死を肯定せしむるほどの女性はないだろうか。それはイデアリストの空なる望みにすぎないのであろうか。私はこう思えば重たいためいきを吐かずにはいられなかった。
思えば私は対人関係に深く頭を突っ込んでここまで進んで来た。それはなかなかの思いではなかった。私は女に充実が求められなくて何に充実が求められよう。私はここまで来て引きかえすのは残念でたまらない。とてもそんなことはできない。ぶつかりたい。ぶつかりたい。偉大な価値と意義ある生命のクライシスにぶつかりたい。そして生命の全的なる肯定あるいは否定がしたい。
こう思って私は飢えたるもののごとく女を探し求めた。そして見よ。ついに私は探しあてた。
下
ああ私は恋をしてるんだ。これだけ書いたとき涙が出てしかたがなかった。私は恋のためには死んでもかまわない。私は初めから死を覚悟して恋したのだ。私はこれから書き方を変えなければならぬような気がする。なぜならば私が女性に対して用意していた芸術と哲学との理論は、一度私が恋してからなんだか役に立たなくなったように思われるからである。私はじつに哲学も芸術も放擲して恋愛に盲進する。私に恋愛を暗示したものは私の哲学と芸術であったに相違ない。しかしながら私の恋愛はその哲学と芸術とに支えられて初めて価値と権威とを保ち得るのではない。今の私にとって恋愛は独立自全にしてそれみずからただちに価値の本体である。それみずから自全の姿において存在し成長することができるのである。私の形而上学上の恋愛論はそれが私に恋愛を暗示するまで、その点において価値があったのである。一たび私が恋に落ちたとき、恋愛は独立に自己の価値を獲得したのである。私は私の恋愛論の完全をいかにして保証することができよう。私にはその自信はない。もし私の恋愛が哲学の上に立ちて初めて価値あるものであるならば、もしその哲学が崩壊したとき恋愛の価値もともに滅びなければならない。かくのごときことは私の堪え得ざる、また信じ得ざることである。私はいかにしても恋愛の自全と独立とを信仰せずにはいられない。たとい私の恋愛論を破砕する人があろうとも、それは私の恋愛の価値とは没交渉なことである。恋愛は私の全部生命を内より直接に力学的に纏めているのである。これを迷信というならば恋愛は私の生活の最大の迷信である。誰か迷信なくして生き得るものがあろう。偉大なる生活には偉大なる迷信がなければならない。私はこの頃つくづく思い出した。自分で哲学の体系を立てて、その体系にみずから
頷いて、それに
則って充実徹底せる生活を求めることができるであろうか。充実せる生活は生活の価値がただちに内より直観せらるるものでなければならないのではあるまいか。かくのごとき生活の骨子たるものは哲学ではない。芸術でもない。ただ生活の迷信である。この迷信に支えられてこそ初めて哲学と芸術とは価値と権威とを保ち得るのである。この迷信の肯定さるるところ、そこに歓喜があり、悦楽があり、生命の熱と光と力とがある。この迷信の否定さるるところ、そこに悲哀があり、苦痛があり、ついには死があるばかりである。
私は恋愛を迷信する。この迷信とともに生きともに滅びたい。この迷信の滅びるとき私は自滅するほかはない。ああ迷信か死か。真に生きんとするものはこの両者の一を肯定することに
怯懦であってはならない。
私はただなぜとも知らず私がかくまで熱烈にまた単純に恋愛に没入し得る権利があると感ずるのである。私は私が恋愛の天才であることを自覚した。私には恋は一本道である。私はどこまでもこの一本道を離れずに進まなければならない。私は勇んで恋愛のために殉じたい。よしやそれが身の破滅であろうとも私はそれによって祝福さるるに相違ない。
恋は遊びでもなく楽しみでもない、生命のやみがたき要求であり、燃焼である。生命は宇宙の絶対の実在であり、恋愛は生命の最高の顕彰である。哲学と芸術と宗教とを打して一団となせる焔の迸発である。生命(霊と肉)と生命とが抱擁して絶対なる、原始なる、常住なる、自然なる実在の中に没入せんとする心である。神とならんとする意志である。
私らは恋愛というとき甘い快楽などは思わない。ただちに苦痛を連想する。宗教を連想する。難行苦行を思う。順礼を思う。凝りたる雪の上を踏む素足のままの日参を思う。
丑の時参りの陰森なる灯の色を思う。さてはあの釣鐘にとぐろを捲きたる蛇の執着を思わずにはいられない。
恋愛の究極は宗教でなければならない。これ恋の最も高められたる状態である。私は私の身心の全部をあげて愛人に捧げた。私はどうなってもいい。ただ彼女のためになるような生活がしたいと思う。私はすべてのものを世に失うとも彼女さえ私のものであるならば、なお幸福を感ずることができるのである。私はけっして彼女に背かない。偽らない。彼女のためには喜んで死ぬことができる。私は彼女のために食を求め、衣を求め、敵を防ぎ、あの雌を率いるけだもののごとくに山を越え、谷を
渉り、淋しき森影にともに
棲みたい。
私はほとんど自己の転換を意識した。私は恋人のなかに移植されたる私を見いだした。私は恋人のために一度自己を失い、ふたたび恋人のなかにおいて再生した。
私は彼女において私自身の鏡を得た。私の努力と憧憬と苦悩と功業とはみな彼女を透して初めて意義あるものとなるのである。私は私のみの生活というものを考えることができなくなった。彼女を離れて私の生活はない。私らは二個にしてただちに一個なる生命的存在である。私らは二人を歌うのだ。二人を努力するのだ。二人を生きるのだ。
恋は女性の霊肉に日参せんとする心である。その魂の秘祠に順礼せんとする心である。ああ全身の顫動するような肉のたのしみよ! 涙のこぼるるほどなる魂のよろこびよ! まことに sex のなかには驚くべき神秘が潜んでる。自己の霊と肉とをひっさげてその神秘を
掴まんとするものは恋である。最も内面的に直観的に「女性」なるものを捕捉する力は恋である。
いかなる男性が男性として最も偉大であるか。私は女性に死を肯定せしめたる男性が最も偉大であると思う。いかなる女性が女性として最も偉大であるか。私は男性に死を肯定せしめたる女性が最も偉大であると思う。しからばわれらは最も偉大なる性の力を誇り得る二人である。私らは互いに死を肯定した。
御身は御身の愛するもののために死にあたうや。
しかり。あたう。御身は?
もとよりあたう。わが最愛の人のために死なんは最も大なる幸福なり。よろこびてこそ死なめ。
これ永遠にわたりて最も心強き獻身的なる犠牲の心である。人間が死を覚悟するということはなかなか容易なことではない。私らは軽々しく生きるとか死ぬるとかいうのを慎まなければならない。しかしながら文字どおりに真実なる表現の価値を背景として、この対話を読みてみよ。これじつに偉大にして、崇高なる生命の大事実ではないか。乃木大将を見よ。大将の自殺は今の私にとり無限の涙であり、また勇気である。大将の自殺は旧き伝説的道徳の犠牲ではない。最も自然にしてまた必然なる宗教的の死である。先帝の存在は大将の生活の中軸であり、核心であった。先帝を失うて後の大将の生活は自滅するよりほかなかったであろう。とても生きるに堪えなかったであろう。私は大将の獻身の対象が国君であったからいうのではもとよりない。ただかくまで自己の全部をあげて捧げ得る純真なる感情と、偉大なる意志とを崇拝し、随喜するのである。
孤独ということはわれらの耳に慣れたる言葉である。私はこの言葉の奥に潜みたる偉大なる意義を想う。ただこの語をわれもわれもと軽々しくいって欲しくない。私らは孤独を口にする前にどれほど自分が純熱に他人を愛し得るかを反省する必要がある。私らはいかばかり他人の魂に触るるに誠実であったか、どれほど自己の魂の口を開いて他人の魂を容れようとしたかを反省してみねばならないと思う。今の私は事実として孤独ではない。私は他人の魂から逃げ出したくない。いよいよ深く頭を突っ込んでその神秘におののきたい。たらたらと汗の出るほど、死ぬるほど彼女が愛したい。人を恋いては死を恐るることを私は恥としたい。
私らは二人の間に産まれたる恋愛をもって私らの生命を意義あらしむる唯一のものとしたい。それによって自己の人格の価値をみずから信じたい。天稟の貧しい私らに何ができよう。それを思えば自分の
享けた生がみすぼらしくまた皮肉に感ぜられて自己存在を否定したくなることもしばしばある。けれどその影の薄い私らが、自己の存在に絶大なる充実と愛着とを感じ得るのはただ恋あるがためである。私らには何もできない。けれどもただ一つ恋ができるのだ。互いに死をもって抱擁し、
密着し、涕泣する崇高なる恋ができるのだ。それだけがわれらの唯一の誇りであり、またそれだけで十分なのだ。考えてみよ。全体人間の技巧なんてぞんがい小っぽけなものではないか。人間の人工的なる功業なんかあんがい小さいものではないか。それよりも私らの放つまじきものは生命の内部より湧き起こる感情である。内部自然の発動である。私はこの「自然」の上に築きあげたる私らの功業、すなわち恋愛を誇りたい。そう思えば私は恋が放したくない。土を噛みても彼女を抱きしめていたい。
私のように複雑なひねくれた頭のものがどうして彼女に対してこんなに純になれるのであろう。
軽躁なものがどうしてかくまで誠実になれるのであろう。私はそれが不思議でもあり、また尊くてならない。纒綿として濃やかな、まことにみちたる感情が私の胸のなかをあふれ流れている。
春の目ざめの処女の身体の内部から、おのずから湧き出る恋心は、コンヴェンショナルな女をも自然児に変ずる力がある。その純なる感情の流れに従って生きるとき、女はやすやすと伝説を破って、
まことのいのちに入ることができたのだ。
私は恋愛が肉の上に証券を保ってることが心強くてならない。肉体は生命の最も具体的なる表象である。それだけ最も心強いたしかなものである。肉と肉との有機的なる融着よ! 大きな鮮やかな宇宙の事実ではないか。その結果として新しき「生」が産出されるのかと思えば、胸がどきどきするほどたのもしい。まことに恋愛は肉の方面から見れば科学者のいうように「原形質の飢渇」であるかもしれない。細胞と細胞とが Sexual union に融合するときの「音楽的なる諧和」であるかもしれない。
思えば私は長い間淋しい不安な荒んだ生活をしてきたのだ。それはあたかも霖雨のじめじめしい沼のような
物懶い生活が今日も今日もと続いたのだ。欠席、乱酒、彷徨、怠惰、病気、借金、これらのもののなかを転っていた私の生活はけっして明るいものではなかった。ぼんやりふところ手して
迷児のように毎日のように郊外をうろついたこともあった。酒精にたるんだ瞳に深夜の星の寒い光をしみこませて、電信柱を抱いて慟哭したこともあった。
そんな私だもの、恋を放してどうしよう。私はとてもほかのことでは充実できそうにも思われないのだ。私はもうもうあんないやな生活は繰り返したくない。恋がだめなら、私ももうとても駄目だ。私は度胸を据えた。
私はいま実際充実してる。歓喜にみちてる。私の衰弱した肉体の内部からも無限の勇気が湧いて出るのだ。湯のような喜びが生命の全面を浸している。生命が燃焼して熱と力と光とを蒸発する。私はいまさらながら高き天と広き地との間に心ゆくばかり拡がれる生命の充実を痛感する。ああ私は生きたい。生きたい。彼女を
拉して光のごとく、雲のごとく、獣のごとく、虫のごとくに生きたい。
げに恋こそはまことの
いのちである。私はこの
いのちのために努力し、苦悩し、精進したい。すべてわれらの恋によきほどのものはことごとくこれを包容し、よからぬほどのものはことごとくこれと戦って征服しなければならない。
私の今後の生涯はこの恋愛の進展的継続でありたい。私らが恋の甘さを味わう余裕もなく、山のごとき困難は目前に迫って私らを圧迫している。私らは悪戦苦闘を強迫された。ああ私は血まみれの一本道を想像せずにはいられない。その上を一目散に突進するのだ。力尽きればやむをえない。自滅するばかりだ。
社会にはまだ道徳が発達しないんで善人が亡びて悪人が勝つような不合理なことがある。私はあくまで善人として進んでゆきたい。本校にも悪人が少数いるけれども、常に輿論がこれを導いて正しき道を離れないのは喜ばしきことである。しかしこの頃はだいぶ悪人がはびこってきたようであるが、まだまだ善人が圧倒されるようなことはない。本校に来て善良なる校風に感化されたのが多いけれど、なかには本校に来て堕落したものもある。たとえば本校に来てから酒を飲み始めたり、悪い場所へ平気で行くようになったものもある。本校三年の生活において得たところは非常に多いが、なかにも友情の美しいことを感じた。そして真友の二、三人もできたことは非常に嬉しいことである。ことに私は本校において生活の確信を得た。将来社会に出て戦うべき生活の自信を得たのは何より感謝するところである。
付記。自分はこの文章に対してY君から一つの手紙を受け取った。それは本当にキリスト者らしい、謙遜な、少しも反抗的な気分の含まれないかつ美しい知恵に富めるものであった。その手紙はその後の自分に深い、いい影響を及ぼした。自分は数年後広島の病院から君に自分の不遜を謝する手紙を送ったのに対して、君はまたじつに美しい手紙をくださった。そして自分を青年時代の恩人の一人に数えてくださった。自分は君の名誉のためと、君に対する自分の敬意を表するためにこのことを付記することを禁じ得ない。自分が今日キリスト者に対して、あるツァルトな感情を抱いているのは君に負うところが多い。自分はこのことを感謝する。
As oft as I have been among men, I returned home less a man than I was before.
とも書いてあった。自分は書を読み疲れれば、日当たりのよい縁端で日光浴をし、森の中をさまよい、小山の陰に独り祈り、また暑い午後にはただ一人水の中に
慈悲に聖道浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふが如く助けとぐること、きはめて有り難し。また浄土の慈悲といふは、念仏していそぎ仏となり、大慈大悲心をもて、おもふが如く、衆生を利益するをいふべきなり。今生に、いかにいとをし、不便とおもふとも、存知のごとく助けがたければ、此の慈悲始終なし。しかれば念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にてそうろふべき。
付記。私はこの一篇を一つの優れた思索的論文を草することを意図してではなく、ある緊要な実際的なかつ遠く遂げらるるを要する目的をもって書いたのである。すなわち純潔なる青年を、かつて私が陥ったと思惟する過失――漫然たる霊肉一致の思想に甘やかされて自発的にその純潔を失うことから防ぎたいためである。その目的のために、私は精緻を欠ける思索にもかかわらず、急いでこれを書いた。なんとなれば純潔を失うことはたやすく、そして一度失った純潔は永久に還らざるがゆえに、たとい私の論旨が誤っているにしてもそのもたらす禍は私のこの一文が防ぎ得るかもしれない禍よりもはるかに小さいと信ずるからである。加うるに私は一高時代に「異性の内に自己を見いださんとする心」という一文においてその誤れる思想を主張したことを絶えず気にかけてきた。一度その取り消しをすることを私の義務と感ずる。私は人々が熟知しながら醜いことを明るみに持ち来たすことを好まない清い心から沈黙していることを愚かにあばいたのであろうか。もしそうだったら私は赤面する。しかし私はどうしてもそう思えないのでやむをえず不愉快を忍んで書いたのである。私はけっして醜いことをできるだけリザーヴして表現することの美しい徳であることを知らないものではない。醜いことはたといこれを否定的に語る場合といえども読者の心に悪の陰を翳すものである。清い人はきっとそれを好まぬに違いない。しかし上述のごとき目的をもって書く以上私はそれを避けることができなかったのである。私はもっと天的な感じのする文章のみが書きたい。その意味においてこの一文を草さなければならなかったことを私は一つの不幸と感じている。