あはれなる廿日鼠

倉田百三




 お手紙を有難う御座いました。この頃は春らしくなりお天気つづきで東京もたのしさうになつたことでしょう。私は今朝本当に久しぶりに二分間程干棚に出て街の上にかかる青空と遠い山脈の断片とを偸み見ましたが、もう春が地上に完全に支配してゐるのを見て驚いた程でした。あなたはミルトンについての論文で忙しいのですね。やはり身を入れて丁寧にお仕上げなさるやうにお勧めします。学校時代の了る時の記念ですからね。私はだんだんと健康を恢復して行きますから、悦んで下さい。安静にして何もしないでゐれば熱も出なくなりました。併し少し何かするとすぐに少し発熱するので、やはり読み書きも許されず無聊に苦しみます。併しあせらずに養生してゐます。私の気質として物事を不足に不幸にばかり考へる悪い癖があるので、こうやうな場合には生き難い気がします。私は一人の友もなく、まつたく淋しいので四、五日前から廿日鼠を三疋飼つてゐます。よく車を廻します。少しの米を食つて何の不足もなささうに遊戯して暮らしてゐます。時々小さな声を立てて鳴きます。私は寝床に横になつて、そのさまを見てゐます。これだけが私の一日のなぐさみです。あはれんで下さい。私の心はどうしても不幸の意識から自由になることができません、やはり死に脅かされるのが一番原因になつてゐます。血の出る時の本能的な不安は実にいやなものです。私は死に身を任せる覚悟のできてゐない生活はたしかなものではないと思ひだしました。そして人間の幸福はやはり安息にあると思ひます。エピクロスなどの考へたのもそのやうな気持だつたのであらうと思ひます。様々の悲哀や心配の絶え間のない人生の終りに来る死、それをreliefのやうに、迎へることはできないものでしょうか。私は故郷の父のことなど思ふと、さうであつてほしいと切に思ひます。私は墓場の彼方に平和を希む生活を一番いいやうな気がします。やはり此の世は仮りの宿といふやうなテンポラルな気がします。トルストイやナポレオンは今どうしてるだらう。夏目さんや魚住さんは? と思ふと私は変な、淋しい気がしてなりません。今から百年経てば私らのうち一人も生きてる人間はゐないのですね。その癖此の世は私たちに強い強い愛著を持たせるのですね。私は長生きができないのが情なくてなりません。そして死ぬる時の肉体的苦痛が今から気にかかります。私の初子が十日以内に生れる筈です。私は実際何と思つてこの子の誕生を迎へていいか自分に解りません。不思議といふ外はありません。生れた赤ん坊を見たら急にかはゆくなるのでしょうか。皆かはゆいと申しますから、私もさうなるのでしょう。男子ならば地三、女子ならば桑子と名をつけようと、お絹さんと相談しました。いまだ孵らぬ卵をかぞへるやうな愚かなことですけれど、天香さんが遥々私を見舞に来て下さるさうで、勿体なく思つてゐます。私は、四月中旬まで病院に居なくてはなりますまい、私の書物が出るのは五月初旬でしょう。まだ自分で書くと手がふるへて少し無理です。
久保謙氏宛 三月十八日夜。中村病院より 




底本:「日本の名随筆 99・哀」作品社
   1991(平成3)年1月25日第1刷発行
   1992(平成4)年5月25日第4刷発行
底本の親本:「新装・倉田百三選集 第一巻」春秋社
   1976(昭和51)年10月
入力:渡邉 つよし
校正:門田 裕志
ファイル作成:野口英司
2001年9月19日公開
青空文庫作成ファイル:
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