探偵小説界の
江戸川君の怪物ぶりと小栗君の怪物ぶりとは自ら違う。然し、両君ともに、その前身が何となく曖昧模糊としていて、文壇にデビュウするまでに、相当忍苦の年月があり、文学的に相当年期を入れている点が相似ている。そうしてこの点が私や大下君とハッキリ区別されているところが面白い。
一体人は怪物呼ばわりされて決して愉快なものでなく、又無暗に人を怪物と呼ぶのは非礼千万であるが、その非礼を敢てしても、どうも江戸川君と小栗君はやはり
兎に角、小栗虫太郎は不思議な作家である。彼の書くものには、一種異様な陰影がある。底知れない該博な知識には圧倒される。江戸川乱歩は、昼間も部屋を暗くして、蝋燭をつけて小説を書くという噂が立ったが、この筆法で行けば、小栗虫太郎はレトルトや坩堝の並んでいる机の上で、鵞ペンを持って、羊皮紙の上に小説を書いているに違いない。
小栗虫太郎は近き将来に探偵小説作家に分類されなくなるような予感がする。「黒死館殺人事件」一篇も彼が探偵小説を書くつもりで書いたのではないかも知れない。むろん彼は通俗小説プラストリックの探偵小説は書かないだろうし、書けそうにもないと思うが、何か異ったものを書くだろうという期待は持てる。
「黒死館殺人事件」を最初の長篇として、文壇に出た小栗虫太郎は今後どんな発展をして、その怪物ぶりを発揮するだろうか。読者諸君と共に、私はそれを楽しみにしている。
昭和十年三月尽日
堂島河畔の旅舎にて
甲賀三郎