歴史的探偵小説の興味

小酒井不木




 森下雨村氏から歴史的探偵小説について何か書かないかといわれて、はい、よろしいとやす受合いをしたものの、さて書こうと思うと何にも書けない。これが犯罪学に関したことなら、参考書と首っ引きで、相当に御茶をにごすことが出来るが、歴史的探偵小説を研究した参考書などは一冊もなく、ただもう自分の読んだ(それも多くは遠い過去に読んだ)少数の作品に就てのぼんやりした感じより浮ばないのであるからほとほと閉口してしまった。私の大好きなオルチー夫人に就ては馬場氏が御書きになるというのであるから、いよいよ以て書くことがなくなってしまう。私の頭の中の歴史的探偵小説に関するライブラリーからオルチー夫人の作品を取り除いたならば、丁度、むかし基督キリスト教徒に掠奪されたアレキサンドリアの図書館のようにがら明きになってしまうからである。サバチニなどの歴史的探偵小説や、ドイルのある作品など面白いには面白いが、どうもオルチー夫人ほどの興味が私には湧かぬ。もう少し、誰か、読みごたえのある歴史的探偵小説を書いてくれたら、こうもこの文を書くに困るまいが、こればかりは考古学者のように墓穴を掘ってさがす訳にいかぬから始末におえぬ。
 が、こんなことを書いていては、書く私の困惑よりも、読者の御迷惑の方が遙かに大きいと思うから、これから歴史的探偵小説の興味というようなことに就て、思ったままを述べて見たいと思う。
 歴史的探偵小説に限らず、上手に書かれた歴史小説は、とにかく、読んで面白いものである。事件の推移の有様よりも、その事件の行われている背景がいうにいえぬ楽しい気分をかもしてくれるものである。白日はくじつに照された景色よりも月光に照されてぼんやりしている景色の方が、何とのう、神秘的な、怪奇的な奥床おくゆかしい気分をそそると同じように、過去の時代即ち想像によってしか思い浮べることの出来ぬ時代もそれと同じような気分を湧かすからである。
 岡本綺堂氏の「半七捕物帳」は私の大好きな歴史的探偵小説の一つであるが、事件そのものよりも、舞台が江戸であるということにいうにいえぬ嬉しさを覚える。綺堂氏自身もやはり「半七聞書帳」に於て、江戸のおもかげをうつすに苦心しておられるようである。歴史的でない普通の探偵小説でも、英米の作品には、よく東洋例えば、ペルシャ、インド、支那、或はまたエジプトなどを舞台として書かれているのが少くないのは、つまり、ヴェールを通して物を眺めるような、或は股のぞきをして景色を見るような一種の言い難い美感を読者に与えることが出来るからであろう。サバチニはよく西班牙スペインあたりを舞台にして探偵小説を書くが、イギリス、フランス、アメリカなどの事情に比較的馴れている私たちは(少くとも私自身は)あまりよく事情を知らない西班牙が背景となっていることにアットラクトされる。サクス・ローマーの探偵小説なども、主としてこの点をねらい所としているようである。
 ことに歴史的探偵小説に於ては、冒険なり、探偵なりの際、主人公の奇智(即ち作者の奇智だが)が、どう働くかということに無限の面白味がある。科学の発達した現代ならば、或は、こうもすることが出来よう或はああもすることが出来ようと思われる所を、科学の発達しなかった時代、即ち、常識を使うよりほか道のない時代に、どうして目的を達するだろうかという所に、興味があるのである。別項に掲げた拙稿「世界裁判奇談」の中にも書いたが、大岡越前守その他の名判官の裁判物語は、その名判官の機智の働かせ方が興味の中心となっている。現代ならば訳なく解決出来ることでも過去の時代にはそうはいかない。そのいかなさ加減即ち、束縛された限局された活動範囲で、しかも見事に事件を解決するという所がいかにもうれしいのである。オルチー夫人はその点をねらって、歴史的探偵小説に大成功をしたと言い得よう。いう迄もなくフランス大革命の際、貴族たちは人民政府の命によって片っ端から、断頭台上に送られた。その可憐の貴族を英国の貴族サー・パーシー・ブレークネーが、厳重に警戒されたパリーから、巧みに救い出して英国へ連れてくるのであるから、事件そのものが既に面白い所へ、如何にして人民政府の眼をくらますかが興味の中心となり、あまつさえ背景がフランス大革命時代のパリーと来ているのであるから、所謂いわゆる三拍子揃った訳である。ブレークネーは常識の活用と、チャンスの利用とによって、どんなむつい関門をも打ち開き、少しも超自然的の力を借りない。そこが「紅はこべ」叢書の生命である。――いや、うっかりオルチー夫人の話になってしまったが、「半七捕物帳」になると、実在の半七その人が「偶然」即ち神の力を多く借りた人であるだけ、それだけ探偵そのものの興味は薄いかもしれぬが、その背景たる江戸の雰囲気とそれを写す綺堂氏の霊筆とは、それを償ってあまりがある。
 日本には欧米に於ける程沢山のすぐれた探偵小説家がないようであって、日本人の現代の生活振りが探偵小説の題材となるに適せぬという人もあるが、現代を背景としないで、過去を舞台としたならば、非常に面白い作品が出来るだろうと思われる。探偵小説だとて必ずしも科学を加味する必要はないから、そういう方面に心掛ける作家が出てほしいと思う。
 大震災以来、所謂「新講談」が歓迎せられるようになり、その方面に優れた作家も多いようであるから追々そういう人の手によって、立派な歴史的探偵小説の書かれる日が来るだろうと、私はひそかに待っているのである。
(「新青年」大正十四年新春増刊号)





底本:「探偵クラブ 人工心臓」国書刊行会
   1994(平成6)年9月20日初版第1刷発行
初出:「新青年」博文館
   1925(大正14)年新春増刊号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「機智」と「奇智」の混在は底本の通りです。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2007年8月21日作成
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