幕末維新懐古談

脂土や石膏に心を惹かれたはなし

高村光雲




 ちょうど、その時分、とら門際もんぎわたつくちに工部省で建てた工部学校というものが出来ました。うわさに聞くと、此校ここでは西洋人を教師にやとって、絵や彫刻を修業しているのだということ、絵は油絵であり、彫刻は西洋彫刻をやっているのだという評判……そういう話を聞くと、私はそれを見たくて仕方がないが、しかし見るわけにも行かぬ。生徒には藤田文三氏、長沼守敬ながぬまもりよし氏、大熊氏廣おおくまうじひろ氏などいう人たちが入校はいっているようであるが、自分は純然たる仏師のこととて、まるで世界が違う。その日々々の手間てまを取って一家の生計くらしを立てて行くその仕事の余暇を見つけては、今申す通り実物を教師にして写生することを心掛けているのであるから、なかなか、そういう学校へ入学してその人々とともに研究修業することなどは思いも寄らぬ。
 しかし、西洋の彫刻を西洋人の教師から習っているということは、聞くだけでも羨望せんぼうに堪えぬわけでありますから、何かにつけ、その噂を聞くことさえも心がかれるのでありましたが、或る人の話に、工部学校では、木彫りはやらないのだそうな。何んでも「脂土あぶらつち」といって幾日っても固まらない西洋の土を使って実物を写すので、その土は附けたり、減らしたり自由自在に出来るから、何んでも思うように実物の形が作れる。そうして今度は、その出来たもとの形へ「石膏せっこう」という白粉おしろいのような粉を水に溶いたものをかぶせ掛けて型を取るのだそうな。だから非常に便利で、かつ原型そっくりのものが出来るということだ。というようなことを聞きます。けれども、実際、どういうことをやっているのか、実地を見るわけに行かないが、話に聞いただけでもどうも甚だ都合が好さそうに思われる。かねてから、私は木彫りというのはちょっと不自由な所があることを考えていた。それは、木彫りは一度肉を取り過ぎると、それを再び附け加えることは出来ない。この不自由なのに反して、増減自在でかつ幾日経ってもやわらかなままであるという「脂土」のことを考えると、どうも、その土が至極のものと思われる。
「どうだろう。その脂土というものは売り物はないだろうか」
 こう私はその話をした人に聞きますと、
「そりゃ、売り物にはないだろうが、工部学校から、どうかすれば出ないものでもあるまい、しかし非常に高価なものだそうだ」
「高価といってどの位するものだろうか」
「一寸四方一円位だそうな」
「なるほど、それは高い。とても我々の手にはまあ這入はいらない」
 私は残念ながら、こういうよりほか仕方がありませんでした。が、どうも、その土のことが気になってしようがありませんでした。
 その後、或る日、工部学校の前を通り、ふと見ると、おほりへ白水が流れている。
「アア、これだ、これが石膏というものだな」と私は思いました。
 それで、またその石膏が脂土と同じように私のあこがれのたねとなりました。

 さて、私はこうして一方には西洋彫刻のことに心をかれ、一方では自然の物象についてひとり研究しつつ、相更あいかわらず師匠の家に通って一家の生計をいそしんでいるうち、前述の横浜貿易がこの一、二年間位の中に恐ろしい勢いでさかり出して来ました。
 師匠のもとへは米沢よねざわ町の沢田という袋物屋から種々いろいろ貿易向きの注文が来て、その方がなかなか多忙いそがしくなる。今までは仏様専門であったが、今は不思議なものを彫る。たとえば、枝珊瑚樹えださんごじゅを台にして、それに黒奴くろんぼが大勢遊んでいるようなものをこしらえる。枝珊瑚の根の方を岩にして、周囲まわりいかなみなみとを現わし、黒奴が珊瑚の枝に乗って喇叭らっぱを吹いているとか、陸に上がって衣物きものをしぼっているとか、遠見をしているとかいう形を作る。それは黒檀こくたんで彫るので、珊瑚の赤色にはくうつるので、外国人向きとしてなかなか評判よろしくく売れるという。それで職業的にはまずこうしていても生活の助けとはなるが、しかし、私の実物写生の研究と西洋彫刻に対する憧憬どうけいは少しもゆるみはせず、どうかして、一新生面をひらきたいものである。このまま、こういうことばかりしてはいられないという不安が始終私の心をむちうち、そのため人知れぬ苦労をもしたのであった。





底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
   1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年9月8日作成
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