夏が來て、また山の地方を懷かしむ感情が自然に私の胸に慘んでくるのを覺える。何といつても山を樂しむのは夏のことである。曾遊の夏の山水風光を、かうして今都會の中にゐて追憶して見るさへ懷かしさに堪へないで、魂飛び神往くの思ひがするのである。
日光の奧中禪寺湖の
私は去年の夏の半ばから秋の始めへかけて二た月ばかり箱根にいつてゐた時分のことを今そゞろに想ひ起してゐる。その年は六月の末からかけて七月一ぱい八月の初十日ごろまで息をも次がさぬほどの炎暑で、東京などでは屋敷の隅に生えた桃の若木のやうな草木などはあまりの日照りに枯死してしまふ有樣であつた。私はその八月の十日に立つて箱根にいつた。私がゆくと二三日して、がらりと天候が一變して、連日駿河灣の方から箱根山彙を越して吹いて來る西南の風は涼しいといふよりも寒いほどの雨氣を含んでゐた。殊に私の滯在してゐる海拔二千五百尺の蘆の湯のあるところは、すぐ浴舍の後に聳え立つ駒ヶ岳と双子山との峽になつてゐるので、蘆の湯から双子山の麓を巡つて元箱根の町のある方に降りてゆく一と筋の坦道、鶯坂といつて八月の半ばまで箱根竹の叢藪の中で一日鶯の鳴きしきつてゐる、坂のあるあたりは蘆の湖の水を含んだ冷い雨風が顏をも向けられないやうに強く吹いてゐた。湯疲れのした湯治客などが毎日の雨天に球突にも碁や將棋にも飽いて、浴衣のうへに貸し褞袍を重ねて番傘を翳しながら其處らを退屈さうにぶら/\歩いてゐたりするのを見掛けるが、彼等は少し歩くと詰らないので、すぐ引返へしてしまふ。そこになると日本人に比べて西洋人は男も女も實に感心するほど勇ましく活溌である。彼等は雨が降らうが何が降らうが第一着物がすつかり防水の用意が出來てゐるので雨天には雨天の身裝をして晴天と同じやうに一日も缺かさず運動をする。彼等は病人か何かでない限り温泉はなくとも多く蘆の湖畔に避暑してゐる。そして定つて毎日そこら中の山道を跋渉する、私が散歩してゐると毎日よく見る其ある二三人づれの婦人など、どれも縹緻は好くない女達であつたが、靴の上に草鞋を穿いて雨中の山道を歩いてゆくのであつた。どうかすると夜道を湖水まで歸つてゆくので懇意な店屋に寄つて、店頭から、
「提燈々々。」と呼ぶ。
すると世辭のいゝ、そこの内儀や娘は尻輕に立ち上つて、
「奧樣、まあお遲くから。これからお歸りになるのは大變ですねえ。」
などゝ言ひつゝ、手早く大きな文字で屋號を記した提燈を取つて蝋燭に火を點しながら渡すと、
「おゝ、大變々々。ありがたう。」
などゝアクセントの違つた日本語を店頭に殘しておいて歸つてゆく。
その時分からずつと九月の末まで五十日ばかりの間雨天の日の方が多かつた山の上でも、
蘆の湯はちよつと其處らの小山に登つてもそんなに展望の利くところにあるから、どちらにゆくにも道は四方八方に通じてゐて窮るところがない。日に幾臺となく自動車の馳走する九十九折せる坦道を小涌谷の方へ降りてゆく順路に沿うて歩いてゆくと道の右方にあたつて舊東海道の通ずる古い大溪谷の眺望が深く抉つたやうに展望される。私はそこの緩い勾配をなしてゐる往還に櫻木の杖を曳きながら宛然大きな生物が口を開けたやうな溪谷を眺めるのが好きである。そこから見ると双子山が一入雄偉な容姿に見え上双子と下双子とが須雲川の深い溪谷にまで長く裾を曳いてゐるのも何となく壯大な感を起さしめる。好晴の日に相模灘から湧いて來る水蒸氣が、小田原口から早川の溪を眼がけて押寄せ、湯本から二派に分れて一團は早川の溪を埋め、明星ヶ岳、明神ヶ岳の峯を這ひつつ次第に西北に進んで宮城野の村を深い霧の底に沈め、金時山から足柄峠、長尾峠に向つて長驅する。私は、いつもそれを蘆の湯の笛塚山に登つて觀測する。そして一脈は、天氣の好い日であると須雲川の溪を埋めつゝ、舊東海道に沿うて車を進め、聖ヶ岳と鷹の巣山との中腹を掩ひ双子山の裾を這ひ、肩を隱し
夕陽が駒ヶ岳の彼方に沈んでゆく頃の山々の美しさといふ者はない。駒ヶ岳は灰白色の雲霧に隱れてしまつて、日頃の懷しい姿はどこにあるかさへ分らない。太陽も雲嵐の奧に影を沒して、たゞ僅に微薄の白光を洩してゐるので、あのあたりにゐるといふことを思ふばかりである。そして、ところどころ煙霧の稀薄になつたところに、まるで無數の金粉を播き散らしたやうな夕映えが水蒸氣となつて煙り、日の射さない處は凝乎と不動の姿勢でゐるかと思はれるやうな雲霧もその實非常な急速力で盛に渦卷きつつ奔騰をつづけてゐるのであることが分る。さうして稍

それに反して好く晴れた日の駒ヶ岳は清楚な感じがある。笛塚山または稍

湖水の享樂は限りがないが、私は去年の秋一度箱根町から塔ヶ島の離宮の傍をめぐつて元箱根まで僅かの距離を舟に乘つたことがあつた。嘗ては宮の下から大地獄の方を巡つて湖尻から舟に乘り駒ヶ岳を仰ぎながら箱根町に着いたことがあつたが、それはもう今から十二三年も昔のことで、明瞭な印象が殘つてゐないが、去年の時くらゐ湖水の色を美しいと思つたことはない。それは避暑の客も大方退散した九月の十八日であつた。毎日降りつゞく秋雨に一日湯に入るのと部屋の中に閉籠つてゐるのに倦み果てゝ山の上の人人は頻に天日の輝きを望んでゐた。するとその日になつて空はめづらしく晴れ、拭うたやうな碧空は瑠璃の如く清く輝き、ところ/″\に紗のやうな薄い白雲が漂うてゐるばかり、夏の頃の重く濕つた風とちがひ、爽やかな輕い初秋の風が習々と輕いセルの袖を吹いた。九月になつてからはその方には長く降りてゆかなかつたので、私はあまりの好い天氣に浮かれたやうな心地になつて櫻のステッキを曳きながらぶらぶらと歩いていつた。そしていつもの八町の杉並木を通り拔けて舊關所の趾から箱根町の方へといつた。そこらからが双子山の突兀とした容を仰ぐに最もいゝ。私は双子山を眺めながら箱根町を歩いてみた。
日本人の浴客が八月一ぱいで殆ど退き揚げていつてからも西洋人は九月の十日頃まではこの湖畔に殘つてゐるのであるが、それすらもう殆ど全部山を降りてしまつて眞夏の頃の賑かさはなくなつて、湖水の上にも舟の影は絶えてゐる。私は、ふと歸途は舟で元箱根までかへつてみる氣になつて、船頭を呼んだ。船頭は、この間からの雨で、もう舟などに乘る客はないだらうといつて舟は悉く水涯から遠く砂の上に曳き上げてあつたのを、夫婦がゝりで丸太棒を轉がして水に浮べた。莚と毛布とを持つて來て坐るところを設けてくれた。私は、近いところだからそれには及ばぬと辭退しつゝ舟に乘つて横木のうへに腰を掛け、舟が漸次沖の方へ滑つてゆくにつれて四圍の風景を顧望してゐた。夏の頃とちがつた湖のうへは遠く澄み、駒ヶ岳の裾を吹き下して來る風はもう冷いほど強く肌に沁みた。塔ヶ島の水際に續いたさゞれ石を洗つてゐる水の色も先達て中とはちがつてひどく秋寂びてゐる駒ヶ岳の裾はそのあたりの湖の上から眺めるのが最もいゝ。その長く引いた裾根が蘆の湖の水に


私がもし箱根山彙中の峯々によつて異る奇趣妙景について名を選するならば駒ヶ岳は前にいつたやうに夏の姿をもつて最も優れりとする。双子山もこれを蘆の湯の方の西北から仰いだのでは何等の奇景がない。それに反して南面舊街道の溪谷から見上げるか、或は蘆の湯より鷹巣山の方に向つて降つてゆく時、道の右側須雲川の大溪谷に面して長く裾根を曳いてゐる方面が最も雄偉の感じを與へる。それと箱根町の湖畔からやゝ遠く距離を置いて仰いだローマンチックな姿である。新道から須雲川の大溪谷に向つた方面には特に雲嵐矢よりも速く上騰してゐる時を選ぶ。
そして駒ヶ岳の晴天に仰ぐべき山であるに反し、蘆の湯方面より見た聖ヶ岳は、私は殊に雨後の景を好むのである。雨後の空がまだどんより灰白色に曇つてゐる時三千尺の聖ヶ岳は須雲川の溪谷の彼方に屏々として眞鯉の背の如き濃藍色の山膚をくつきりと浮出してゐる。そんな時には眞綿の如き純白の雲が腰から下を横樣に棚曳いたまゝ凝乎と動かずにゐる。それを見てゐると自から氣が澄んで靜かな心持ちにならしめる。さういふ時に耳の近くで蜩の晩涼を告ぐる銀鈴が爽かに響くと、もう堪らなく心が澄んで、名稱し難い希望と感興が湧いてくる。
八月末頃になると駒ヶ岳神山の裾から笛塚山、蓬莱山にかけて見る限り一面の茅原が可愛い淡紅の薄の穗を抽きそめる。それにまじつて女郎花、兜菊、野菊、米蓼、萩などが黄紫とりどりの色彩を添へる。去年蘆の湯にゐる間私の最も多く散歩した處は前いつたやうに双子山の麓を通つて蘆の湖へ降りてゆく新道、蘆の湯から舊道の辨天山の下を通つて池尻に降り茶屋の前で一度新道に出て、それから新道に
それから前いつた道に戻つて小涌谷におりてゆく臺の茶屋から小涌谷の平、二の平、強羅の平を越して遠く明神ヶ岳に溪の底に群つてゐる宮城野の村を見下ろしたのも懷かしい。池尻か、臺の茶屋に熄ひながら初秋の冷涼そのものゝ如き梨の汁を啜りつゝ、すぐ眉の上に聳つ鷹巣山と峯つゞきなる宮の下の淺間山と二の平と強羅の傾斜との彼方に早川の溪が抉つたやうに深く掘れてゐる。その上に明神ヶ岳は屏々として、濃藍色に暮れてゆかうとしてゐる。明日の晴を報ずる白い雲の千切れが刻々
「毎日々々よく降りましたが、明日はどうやらお天氣らしうございます。雲の具合が大變よろしうございます。」といふ。
さういふ言葉にはもう何十年の昔しからこの山に住み馴れた經驗から雲の動靜や暮れゆく山の色、空の夕燒の模樣で天候を卜する知識を得てゐるらしい。
「あゝ、あの雲はお天氣らしい雲だねえ。」
「左樣でございますよ。あの雲が明神ヶ岳のところをあゝ西へ上つてゆくと明日はお天氣がよろしうございます。」
そんな話を交はしてゐるうちにも山は黒く靜に暮色に包まれてゆく。それとともにすぐ眼の下の小涌谷あたりに丁度夏の宵の星くづを數へるやうに彼方にも此方にも燈火が瞬きをはじめる。一番遠くの谷の底に暮靄の中に微かに見えてゐるのは宮城野の人家の灯である。吾々がたゞ見てさへ懷かしい。況してその村から、家にゐれば氣まゝにしてゐられる親の傍をはなれて、蘆の湯や小涌谷邊りの旅館に奉公してゐる村の娘等が、山の上から遠くの溪の底に親里の團欒の灯を眺めて胸を搾る
山は靜かに暮れていつた。冷いくらゐの涼味は茶屋が軒先の筧の水から湧いて、清水に
あまり遠くへ散歩すると心地よく疲れて、書き物をする前に眠くなつてしまふことがあるので、筆を執つてゐる間はなるべく近い山の上を歩いてゐた。さういう時にはいつも辨天山へ上つていつた。山が雨のあとで靜に濕つてゐながら水蒸氣のないといふやうな日には殊に遠くの山の色が濃く美しくなつて見えた。明星ヶ岳、明神ヶ岳の上に尚ほ遠く高く見えてゐるのは足柄、愛甲諸郡につゞく北相模の山々である。ヘルメット形の大山も見える。好く晴れた日の下には其等の山々が遠近になつて濃淡を劃し、丁度品質の良いインキを溶かして塗つたやうである。横山大觀の雲去來でも寺崎廣業の白馬八題でもこの眞景の秋山雨後には到底企て及ばない。
八月の末をも待たないで大抵の浴客は、家族を連れた多勢の客でも、東京や横濱の繁華な都會から來てゐては三十日もゐると山の眺め、温泉の香にも飽いてしまつて、まだ殘暑の劇しい八月の二十日頃にぞろ/\行李をしまつて降りていつてしまふ。いつた當座は、百に近い部屋がいづれも滿員で、私は廣い庭を隔つた遠くの離家に、東京の某中等學校の校長なる老紳士と室を隣して起臥してゐたが、やがてその老紳士も歸つてゆき、ほかの部屋も段々明いてきたので、私は受持ちの女中が寂しがるのを察して本館に近い別館の一室に移つた。其處は今までよりも一層心の落着くところであつた。長い夏の間東京にゐて極度に疲勞してゐた私の神經衰弱もそこにゐる間にだん/\元氣を囘復して來た。始終不眠症に惱まされてゐたのが、山上の空氣の清澄なると適度の散歩と温泉の效果とのため熟睡を得られるやうになつた。大きな建物の長い廊下を幾曲りかした果ての座敷に連日孤座してゐる私を見て、かゝりの女中は、御飯の給仕に來た時、
「旦那、お寂しくはないんですか、ひとりぽつんとして。」
といつて、氣の毒さうな眼をして私の顏を眺める。
「いや、ちつとも寂しくはない。」
といつて笑ふ。しかしその微笑には深い寂寞を湛へてゐたこととおもふけれども、その寂しみは私の好んで選んでゐる境地なのである。隣の部屋や廊下に跫音や話聲がせぬので私は伽藍のやうな大きな建て物をわがもゝの如く獨占していつまでも朝寢をすることが出來る。
九月の七八日頃、二三日後に二百二十日を控えてゐるので何となく戸外はざわめいて、駒ヶ岳や双子山にかゝつてゐる水蒸氣は疾風の如く飛んでゐるけれど、日は黄色く照り、庭前の杉や楓は風に搖れながら涼しい蔭を地に印してゐる。私はめづらしく隙間を洩れてくる日光が條文をなして白いものに包まれた輕い夜着に射しかゝるのを知りながら、いつまでも快い夢を貪つてゐた。やがて懷しい湯の香のそこはかとなく立ち上るのを嗅ぎ潔く起き上つて、戸袋に近い雨戸を二三枚繰ると、私の長寢をするのを知つてゐて、遠く庭の彼方に見える折曲つた廊下の先の部屋にゐて蒲團の綿を入れてゐるお秋といふ三十ばかりの質樸な女中は、雨戸の音に私の起き出たのを知つて、ふとこちらを見る。そして私が楊枝を啣へて浴室に入つてゐる間にお秋さんはちやんと床を上げ、座敷を掃き清め、お茶を煎れて飮むばかりにしてある。私は靜かな心持ちになつて香ばしい番茶を啜つてゐると、そこへ彼女は味の好い燒きパンに
その日は朝の内は少しく二百二十日前の風が荒れてゐた。けれども清い秋の日は朗かに照り、浴舍のすぐ背に聳えてゐる寶藏岳の木々は細い梢の尖までも數へられる程に大氣は澄んで、黄金色の日光が其等の青い葉々に透きとほるやうに美しく漲つてゐる。天地渾然として瑠璃玉の如く輝いてゐる。駒ヶ岳にも今日は風に吹き拂はれてか、めづらしく雲霧がかかつてゐない。それに自分は一昨日までに書く物も一段落を告げてこゝ二三日は頭を休め、放心したやうになつて居ようとおもつてゐる時である。よく晴れた日は書く物に精神を勞してゐる、休養してゐる時には山が曇つてゐたり、雨が降つてゐたりして果さなかつたが、今日は兩方都合の好い日である。が、少し風が強過ぎるやうである。それで女中のお秋に相談しようとおもうて呼鈴を押すと、お秋の代りに物靜かな老婢が廊下を歩いて來て、用を伺つた。
「今日これから駒ヶ岳に登らうと思ふんですが、すこし風があるやうですが、どんなものでせう。」
さういつて訊くと、老婢は、
「左樣でございますねえ。」といつて、外の木々の風に搖れてゐるのを眺めながら、思案顏にこちらを向いて、
「今日はすこし風が強過ぎるやうでございますから又の日になすつた方がよろしうございませう。下でこの通りですと、山の上はずつと風が強うございますから、今日はお止めになつた方がお宜しうございます。」
人柄さうな老婢は忠實にさういつて、きつぱり止めた。
「ぢや止しませう。」
と云つて、私は其の時は斷念した。そしてまた暫くして、やがてお秋が運んで來た晝飯を喫しながら庭の方を眺めてゐると、立木などは先刻と同じやうにやつぱり風にざわめいてはゐるが、午前にくらべて稍

「お秋さん、先刻駒ヶ岳に上らうとおもつて相談したら、風があるので止めた方がいゝといふので止めたんだが、どうだらうねえ。先刻よりか少し惡くなつたやうだが。」
お秋は外を眺めながら、
「このくらゐなら大丈夫でございます。ついすぐですもの、ぢきに上れますよ。」
と事もなげにいふ。彼女等は昨日の朝私がまだ寢てゐる間に、お客や番頭や女中など七八人の多勢で上つて來たのである。
「いつていらつしやいまし。それは方々がよく見えて、いゝ景色でございますよ。昨日の朝は富士山がよく見えました。あんなに富士山のよく見えることはめづらしいつて番頭さんがさういつてゐました。それは面白うございましたよ。皆で勝手にいろんな面白いことをいひながら。」
それでまた私は心動いて、箸を置くと
更に左方に眸を轉ずると、相模灘はまるで廣重の繪を展いたやうな濃藍色をして眼界に擴がつてゐる。小田原、國府津、大磯、それから江の島から逗子、葉山、三浦半島にまでつゞく津々浦々が双眸に集つてくる。大山、足柄山、金時山の峯巒が遠近に從つて幾色にも濃淡を劃しながら秋の陽を受けて桔梗のやうな色さま/″\に浮びいでゝゐる。私はまたぢつと其等の遠景に眼を遊ばして一と息吐いた。清澄な山の上の風は心地よく汗ばんだ肌をさら/\と吹いていつた。夏の初になるとそこら中眞青な夏草の上に點々として白い山百合が咲く。今は丁度その白い百合の花が靜かな山の夕暮れの中に瞬いてゐる時分である。かうして今身はそこから百里を隔つてる京の町の中にゐても香氣の高いその百合の香が聯想作用で生々と私の臭官を刺激するやうである。
(大正七年六月卅日京都安井の寓にて)