日記

知里幸恵




大正十一年六月一日


目がさめた時、電燈は消えてゐてあたりは仄薄暗かった。お菊さんが心地よげにすや/\と寝息をたてゝゐた。今日は六月一日、一年十二ヶ月の中第六月目の端緒の日だ。私は思った。此の月は、此の年は、私は一たい何を為すべきであらう……昨日と同じに机にむかってペンを執る、白い紙に青いインクで蚯蚓の這い跡の様な文字をしるす……たゞそれだけ。たゞそれだけの事が何になるのか。私の為、私の同族祖先の為、それから……アコロイタクの研究とそれに連る尊い大事業をなしつゝある先生に少しばかりの参考の資に供す為、学術の為、日本の国の為、世界万国の為、……何といふ大きな仕事なのだらう……私の頭、小さいこの頭、その中にある小さいものをしぼり出して筆にあらはす……たゞそれだけの事が――私は書かねばならぬ、知れる限りを、生の限りを、書かねばならぬ。――輝かしい朝――緑色の朝。朝食の時、中條百合子さんの文章から、術芸と実生活、金持の人の文章に謙遜味のない事などを先生がお話しなすった。
芸術と云ふものは絶対高尚な物で、親の為、夫の為、子の為に身を捧げるのは極低い生活だといふのが百合子さんの見解だといふ。「しかし芸術が高尚な尊い物であるのとおなじく、家庭の実生活も絶対に尊い物である事にまだ気がつかないのはまだ百合子さんが若いのだ、かはいさうに……」と先生は、若い彼の女をいぢらしいものの様にしみ/″\と仰る。私ハよそ事ではないと思った。胸がギクリとした。私には芸術って何だかよくはわからないが……。
それから、百合子さんは、あまりに順境に育ったので、人生は戦ひである事を知らずに物見遊山と心得てゐる……といふお話もあったが、わかった様なわからない様な気がした。
喜びも悲しみも苦しみも楽しみも、すべてが神様の私にあたへ給ふ事なのだ。私に相応しくない物を神様は私にあたへ給ふ筈はない。だから私はあたへられる物を素直に喜んでいたゞかなければならない。不平、それは、神を拒否する事ではないか。感謝、感謝!
罪を犯して罰をのがれやうとは虫のいゝ話。仕事を持ち出して奥様やおきくさんとお裁縫をする。奥様は昨夜の寝不足で今日は御気分がすぐれないとの事、夢さへ見ずにグッスリと寝入った私は、何だかしら、済まない様な気分が起った。何卒奥様に安眠があたへられます様に……と祈らずには居られない気になった。
赤ちゃんが今日は大へん御きげんがよい。奥様の為に、先生の為に、赤ちゃん御自身の為に、坊ちゃん、おきくさんの為にも赤ちゃんの健康がほんとうに望ましい事。「弱い女が主婦になるのは罪だ。子供の為、夫の為、自分の為に最大の不幸だ」と奥様が仰る。何たる悲痛の言葉ぞ。私は直ぐに打消してそれに代るよろこびの言葉を見つけようと思ったが不能であった。だって私は常日頃ちょうど奥様とおんなじ心持でゐたのだから……。奥様は最も深刻にその経験をなされたのだ。私は……これから、その生活にはいらうとしてゐる。自分の弱い事を知りつゝさうした生活に入るのは罪かしら……。罪だとしたら私は何うすればよいのだらう……。
私は申上げたい。
おいとしい奥様、何うぞ安心して夫の君の愛におすがり遊ばせ。あのおやさしい美しい旦那様はあれ程貴女を愛して貴女を支えていらっしゃるぢゃありませんか。奥様は幸福でいらっしゃる。旦那様の愛は即ち神様の愛、神様の力ではありますまいか、と。
今度少し裁縫をなさいと奥様が仰った。嬉しい事。英語が難かしくなったのが嬉しかった。明朝の復習がたのしみ。麗らかなみどりの日はこれで終る。


六月二日


今日もいゝお天気。朝の中は英語の復習、洗濯で時を過し、お昼飯まではシュプネシリカを書く。午後は裁縫、読書。十二時少し前に就寝、手紙をやっと二枚。此方のイアクニシパの遺稿『身も魂も』を読んだ。何といふ悲痛極る文字であらう。一字々々真紅な心臓から迸出る美しい生血で書つけられたものゝ様……。愛とは何。彼の君が命を懸けて戦った血と涙の記録、何うして涙なしに読む事が出来ようぞ。私にはちっとも批評などの出来る頭ぢゃない、たゞ/\痛切な同情同感の涙のみ……。
真剣、私の心に真剣な愛があるか。真剣な愛を彼に捧げてゐるのか、果して。純真な美しい愛か。おゝ私は愛します。たゞ貴郎を愛します。身も魂も打こんで……。貴郎もまた私に然うである事を私は深く/\感ずる事が出来ます。信じます。私をも信じて下さい。
義経伝説を書いていらっしゃる先生のお顔が何だかしら青く見える。お疲れでせう、ほんとうに……おからだにお障りの無い様に……奥様の御心配の程が察せられる……。赤ちゃんをよほどだっこした。随分私の顔が珍らしいものに赤ちゃんには見えたのでせう。動く私の口を引かいては黙って見つめていらっしゃる……おゝかはゆい嬰子、ほんとうに不思議でせう。何処から来た新しい人だらう……と。
手紙を書いた。眠かった眼が次第にさえて時のたつのを忘れて書いた。ほんとうに真純な誠をこめて……。手紙などは、ほんとうに真実がなければ書けないもの……。グリース神話読終る。


六月三日


朝、チッチッチッと小鳥が啼く。かはゆい声で……。可愛ゆい子供を中にした夫と妻、何といふ幸福に満ちた生活なのであらう。美しい夫婦の愛が子といふものによって、層一層醇化され向上してゆくものなのであらう。
子といふものの若い芽を、魂をのびさせ様とするのには、父も母もほんとうに同じ心を持って心配し、努力するのではないか。頬が少しふくらんで来たといっては顔見合せて共に同じよろこびをし、少し熱がある様だと云っては二人交々愛児の頭に手をふれる……。美しい愛の姿、夫と妻の愛の姿は、二人の間の愛児によって表現されるのであらう。愛児に対する時の父母の心は、真に二つが一つに融けあってゐるのだもの。
奥様が昨夜の寝不足でお気分が甚だ勝れぬ。だから、私も何うか頭が少し痛くなってお苦しみをわけ持ちたいと思った。
お湯にゆく。自分の醜さを人に見られることを死ぬほどはづかしがる私は、何といふ虚栄者なんだらう。これでももし人並に、あるひは人以上に美しい肉体を持ってゐたら、自分以下の人に見せびらかして自分の美をほこるのであらうに。私にふさはしくないものを神様が私にあたへ給ふ事はない。私には何うしてもなくてはならぬ物かも知れない。私はあたへられた私のものを、何のはづる事があらう。神様の目からは、さういふ美醜などは何の差別もなく、みな一つのものではないか。尊い賜である肉体を醜いと云って愧ぢてゐた私。神様に何といふ私は親不ママな子なんだらう。美しい、醜いなどといふ事を何処から割出してきめた事なんだらう。独決! 美しくてもみにくゝてもいゝではないか。みんな人間だ、みんなおなじに神の子ではないか。親の愛は美しい子にばかり偏るであらうか。否。肉体の美醜は親の愛をちっとも変らせる事はない筈だ。私はたゞ感謝する。感謝する。
単衣が出来上った。旭川のお母さんが炭一俵を買ふのをやめた其のお銭が此の単衣になったのだ……。


六月四日 日曜日


七日のうち一日……遊ぶことをわすれて……真志保の声がきこえる様。一切を忘れて神様に祈って、懺悔し、感謝し、心のうちを神様に訴へる……あゝ何といふ尊い事であらう。私は「聖書が欲しい、教会へゆきたい――」それを抑えてたゞ祈る。神様よ、私が何うかしてほんとうに一すぢの心になれます様に――。
奥様は昨夜はよくねむれたと、はれ/″\したお顔を見せて下すったので嬉しかった。
いゝお天気、青葉に輝く日の光、ほんとうに明るい日。こゝちよいそよ風が今日はじめて着換へた単衣の袖をはらふ。(十時頃)
旭川ではもう日曜学校を終ったらう。親、兄弟、親類、知己、一人々々の顔が目の前にうかぶ。父様の病気はなほったか知ら。種々な種類の美しく咲き揃った花を売りにあるく人が面白い声で花歌をうたふ。
やはり私には教会が懐かしい。神様のお話がきゝたい。讃美歌を歌ひたい。祈りしたい。不信仰な私は聖書を忘れて来たのだ……罪人。
先生に教へられて本郷教会へ行く……大きくない教会だけど、あまり人の少いのにちょっと驚かされた。十二人の来会者のうち真面目に話をきく人が何人あるのかしら。若い青年がコクリ/\とゐねむりをし、若い女があくびの出しつゞけ。オルガンを弾く女の人は居ねむりを我慢しきれないでみっともない様子をする……。私には今夜きいたお話が何だかわからなかった。今私の頭に、胸に、何の印象も残ってゐない。
杉原大尉を思ひ出す……杉原先生のお話がきゝたい。真砂町に小隊があるから……とたしかに仰ったのを覚えてゐるが、わからなくて困る。心からシックリと私の心に合ふお話がきゝたい。杉原先生を恵み給へ。
奥様が坊ちゃんと嬢ちゃんを一しょにお湯へ連れて行きなすったので、頭がぐらつくと仰る……何卒今宵も安らかな眠りが彼の人の上に訪れます様に……。
先生が仰る。私が一つの原稿を書くにもこんなに苦しんで書く。誰にもその苦しみは認めては貰へないけれども、それでもいゝかげんにサラ/\と書く事が出来ないと仰る……おゝ何といふ尊い事であらう。何だか知ら、私は涙が出さうに先生の人格に敬服する……。苦しんで苦しんで出来した物を人はちっとも知ってくれないのに、それでも苦しまずには書けない……。私は心の中にそれを繰り返し繰返す。
お伽噺を読むと、私も天真爛漫な子供になってしまふ……。坊ちゃんに読んできかせて上げて、また寝るまで読んだ。グリムのお伽噺。
先生の原稿が出来上った。何んなに先生は御安心でせう。苦しんで/\の賜のよろこび……尊いよろこびぢゃありませんか。私もほんとに嬉しかった。
おきくさんはほんとにかはいらしい人、私はつく/″\思った……縫いかけの単衣を頭からかぶってねむってるおきくさんの側でお伽噺の本を読みながらつく/″\思った。
もう十一時近いだらう。今日もこれで終る。
おや/\先生はこれからまだおしごとがあるんですって。明日の下調べ……。私は寝ようと思ったが何だか勿体なくなって寝られない。何を売るのか知らないが、毎晩悲しい音の笛を吹きながら通る人がある……きっとだいぶ年をとったお爺さんなんだらう。あの笛の音をきくと何だかさういふ気がしてならない。
東京の物売りは実際面白い。豆腐屋がアウ/\と何か気の狂った小僧さんの様な声を出して私を驚かして、わざ/\おもてへ飛出させたりしたっけ。
今日はおうちでフロックスの花を買った。花を見ると、お父つぁんが思出されて仕様がない。
万年筆が何うしたのか、インクが両方から漏り出して困るので赤いきれで繃帯してやったが、それでも漏って困った。先生がかはいらしい万年筆を貸して下すった。此の私のは今度直す所へやって下さるとのお話、東京の商人はずるくて、地方へは悪いものを持ってゆくのだと云ふお話もきいた。
一たい商人といふものは何うしてさう利慾にばかり偏るのか知ら……今夜の牧師さんのお話もさういふのらしかった。富めるものゝ神の国に入るは如何に難いかな。神様の委託物である富を、神様の聖旨にかなう様に使はねばならぬ。富を得る為に悪い事をしたりする人は富を神の賜だと思はないから……自分の労力の代償だと思ふから……。ではその労力は何処から来る、其の代償は何処から来る。見よ、空の鳥はつむがず耕さずして而も豊かに日を暮してゐるではないか、といふおはなしであったのだ。私たちは何もさう、ちっぽけな智恵をしぼって富なる物を得ようとして脱線したりしなくとも、神様は、たゞ信頼し身も魂も任せてる者には、毎日のなくてならぬものは必ずあたへ給う、と。富があたへられたら神の為に……私は、何を持ってるだらう。


六月五日 いゝお天気


赤ちゃんにひっかかれながら庭であそぶ。おさなごはほんとうに正直です。赤ちゃんは私が嫌いなんですもの。
英語を教る。知らない事を覚えてゆくたのしみは非常に大きな物。
旭川の母様からお手紙をいたゞいた。
森長操さんといふ方が私と友達になりたいとの事、何だか困った事の様に思ふ……。私に今まで友達といふものが真にあったであらうか。知里さん、幸恵さん、どうぞ永久に御交際を……さう云って下すった人たちは今何処の空に暮してゐるのか、それさへ私にはわからない。私が東京へ来た、お友達に知らせやうと思った事いまだ一度もない。私にまごゝろがないからか。
真志保が運動会で一等を得たと云ふ。嬉しい事。何卒私の真志保がからだに魂に頭に、強健があたへられますように……。
豊栄の運動会、今年はいつもより大人も小供も服装が立派になったといふ。何卒服装ばかりでなく、愛する兄弟よ、すべてに眼を開いて下さい。
久方振りで聖書を見て私は喜ぶ。やはり私は神の子、常に神にそむいてゐながら、やっぱり神様を思ひ出づる。神を仰ぎたくなる。
聖言葉がきゝたい。


六月六日


朝、聖書を読む。
我やすらかにして臥しまたねむらん。ヱホバよ、我を独にてたひらかに居らしむるものは汝なり。
昨日、奥様に拝借した平民の福音を読む。
人に親切をする事、それは非常にいゝ事である。だけどただ親切をするといふ美名を着るのみなら何にならう。親切は、ほんとうの心から、心の底から起る愛の発現ではないか。相手の人の心と自分の心とが同じになって、はじめて、自分の心が自分のからだを動かして働く……美しい事、尊い事。
お昼はお汁粉、おいしかった。英語はだん/″\むづかしくなって来た。何うしてかう覚えが悪いか。でも、あせらなくったっていゝ。考えればわかるのだから……。もう少し敏捷に頭が働けばよいと思ふけれど自業自得か。それともこれが私に相応った頭であらう。勉強々々、何だか後から/\追はれる様な気がする。いそがしい事だ。
お母様に手紙を書いてゐると、坊ちゃまが見えて、歌をうたふやら、面白い事ばかりきかして下すったのでお腹の皮がよれる程笑った。坊ちゃまの頭は一たい何処に際限があるのだらう。私はたゞ驚くより外なかった。
真志保にも手紙を書いた。今頃はお母様も真子も富子もスヤ/\とねむってるに違ひない。
お母様がいやな夢を見たから幌別にきっと何か変った事があるに違ひないといふお手紙、ハテ、何だらう。フチはかはいさうに、何んなに私の事を心配してゐて下さるのでせう。たゞ一途に私をかはゆくて/\呑んでも足らないのだ。
おゝ、別れの時の光景が目の前に浮ぶ。フチたちよ、父母よ、兄弟よ、御身たちの健康を祈る。私はあなたたちの為に何のいゝ事をしたであらう。これからも何を為し得るであらう。寧ろ心配をかける事の方が多くなるのではないか。神様、私を導きたまへ、私に最もよきところへ。今日は一寸雨が降った。


六月七日 朝


悪に敵するなかれ。人汝の右の頬をうたば亦外のほゝもめぐらしてこれにむけよ。
人汝に一里の公役を強なば、これとともに二里行け。汝に求るものには予へ、借らんとする者をしりぞくるなかれ。
汝等の敵を愛み、汝等を詛ふ者を祝し、汝等を憎む者をよこし、なやめせしむる者のために祈祷せよ、神の子とならん為に……
天の父が日を善者にも悪者にもてらし、雨を義き者にも義からざるものにも降らせ給へり。(馬太五・三九―四六)
此の故に天に在す汝等の父の完全きが如く汝等も完全くすべし。
我汝の指のわざなる天をみ、なんぢの設けたまへる月と星とを見るに、世の人はいかなるものなればこれを聖心にとめたまふや、人の子はいかなるものなればこれを顧みたまふや。
たゞすこしく人を神よりも卑くつくりて栄と尊きとをかうぶらせ、またこれにみ手のわざを治めしめ万の物をその足の下におきたまへり。
すべてのうし、羊、また野のけもの、そらの鳥、うみの魚、もろ/\の海路を通ふものまで皆しかなせり。
われらの主ヱホバよ、なんじのみなは地にあまねくして尊きかな。(詩ママ・三―九)
神様は絶対公平の愛なのだ。私は広大無辺の宇宙を思ふ時にさう思ふ。そして、また最も小さい小さい虫を見ても草花を見てもさう思ふ。名もない草花、垣根の隅の小さな苔でも時が来れば花ひらき種を残して枯れてゆくではないか。神様がそれを彼にあたへ給ふて、彼の此の世の天職としたまふた。そしてかの小さい花は何の不平も持たぬではないか。彼等はそれでいゝのだ。太陽、星を支配したまふ神様はまたかく最小さきものをも些の乱れなく支配したまふ。
お父様の手紙、お父様がさういふ事をお書きなさらうとは夢にも思はなかった。
――人間は何が苦しいと云って、不快な程不幸な事はないであらうと思ふ。其身も将来家を営む上に充分注意を要するべく、其身世間のおかげで勉強して大な智恵袋に一ぱい智恵をつめこんでも、不健全な身体を持ち、不愉快な日を送る様では、何にも知らずに日々荷ナワを背負って薪木を拾ふ人、わらびをとって市に売る人々の方が何程幸福であるかわからぬのである。私の心配する処は其所にあるのですから、必ず/\注意すべきであります――。然り。お父様よ、其の通りで御座います。健康は実に人間の幸福の源でありませう。健康な人は日々の仕事も楽しく快くキパ/\やってのけるでせう。思ふがまゝに其のからだを動かして、夫の為、親の為、子の為、人の為につくすでせう。おゝ健康! 何といふいゝ物でせう。私はすべての人が何うぞ此の健康を得る様にと望みます。そして、私もそれが欲しう御座います。ですけど如何にせん、私には健康がありません。私の生命の源泉である心臓が不健全なのです。一秒々々、ちっともやすまずに湧出づる血潮をせきとめるかたい弁があるのです。しかもその障碍物は私の心臓から取去る事は出来ない、一生出来ない。それも私には無くてはならぬものだから……一度硬くなったそれは再びもとのようにはならないのであらう……。では私は、一生涯不健全な身体で、日々鬱々と不快な時を過さねばならないかしら……。おゝそれではあまりに不幸ではないか。神様は私の罪の償に健康を取上げ給ふた。しかし神様は私を愛したまママ……愛の鞭。病苦をあたへ給ふて私を錬りそして、心の健康をとらしめ給ふのだ。心に安心歓喜をあたへ給ふたのだ。私の心に悪魔が働く。私はもし充分な健康を持ってゐるならば、私は必ずやそれを無上のほこりとして、神を忘れ、世の人を忘れて己のためのみの人間になってしまふであらう。神様よ感謝します。私は弱い身も魂も神様にまかせてさゝへていたゞきますから、安心があり歓喜があります。
何卒お父様御安心下さいませ。私はかうして神の愛をさとりましたから。世の同病者の為に心から祈る心が起る。人に健康を失はせまいといふ努力を心からする事が出来る。私は病苦を通して神様からかういふ賜をいたゞいたのだ。私の身は神に任せ、よろこびと感謝にみちた愛の笑顔を持って人に接しませう。


六月八日 木曜日


なんぢ施済をする時、右の手の為すことを左の手に知らする事なかれ。かくするは、其の施済のかくれん為なり。然ば、かくれたるに見給ふ汝の父は明顕に報ひたまふべし。(ママ六・三―五)
かくれたるに見たまふ父、かくれたるに在す神、おゝ、見るものなしとて罪を犯す私の愚さよ。何うしたらいゝだらう。人さへゐなければ、何かのかげにさへ身をおけば、何かで身をおほふてしまへば、それで自分はかくれてゐるのだと思ふ、何といふ馬鹿者でせう……私は……。
かくれたるに見たまふ神、かくれたるに在す神。
しみくひ、さびくさり、ぬすびとうがちてぬすむ所の地に財をたくはふる事なかれ。しみくひ、さびくさり、ぬすびとうがちてぬすまざるところの天に財をたくはふべし。(太六・十九―二二)
そは、なんぢらの財のあるところに心もまたあるべければなり。ほんとうに、地上のたから……金を持つ人は金に心を奪はれる。身の外形のみに飾りをつける事に腐心して肝心の心をるすにするんですもの。
人は二人の主に仕ふる事能はず。
なんぢら神と財に兼つかふる事あたはず。(太六・二四)
此の事についてえらい人の話をきゝたい。杉原先生のおはなしをきゝたい。
是故に汝らにつげん、生命のために何を食ひ、何をのみ、またからだのために何をきんと思ひわづらふ事なかれ。生命は糧よりまさり、からだは衣よりもまされるものならずや。空の鳥を見よ。まく事なく、かる事せず、倉にたくはふる事なし。然るになんぢらの天の父はこれを養ひたまへり。
馬太伝六章には、何とまあいろ/\な事があるのでせう。私の浅い知識で解せない所は多々ある。何卒教へて下さる人を与へられます様に……。
神ヱホバよねがはくはかれらにおそれをおこさしめたまへ。もろ/\の国人におのれたゞ人なる事を知らしめ給へ。(詩九・二〇)
おのれたゞ人なる事を私は時々忘れる……。此の広大無辺なる宇宙を見よ。極細少から最大の物まで皆一つの運命をもってゐるではないか。深山の奥にある一つの苔も此の家の土台の際の小さい草も、みんなおなじく時がくれば花をひらく……春夏秋冬、世はみんな一定の法則のもとに刻一刻、ちっともかはらずに動いてゆくではないか。神様の力は何処まであるか、それを見て量知る事が何うして出来よう。大きな力、無限の力、無始のはじめから無終の終まで、大きいものから小さいものまで一貫してはたらく其の力、それこそは神様ではないか。
あゝ何と云ったらいゝかわからない。
たゞありがたい。
夕食後、平民の福音からはじまって先生に宗教談をうかゞった。私は何だかしら何もかも解決がついた様な気がしてたゞ嬉しい。
おつるさんといふ人のおはなし。はじめは感心し、羨望し、驚愕し、同情し、おしまひには何だか何もわからなくなってしまった。
大病人の看護を打捨てゝおいて、自分の霊の糧を得るために、何時間も費す、それで自分は義しいのだと主張する……それでいゝのか知ら……。自分の満足のために人を犠牲にする、それが宗教の最高なものか。私はわからない。一杯の水を人にあたへても、それはその人にあたへたのではなくてヱス様に上げる事なのだと仰ったではないか。人に至誠を持って仕へる、それがすなはち神様に仕へるわけではないか。自分をすてて人につくす、だから十字架が尊いのではないか。
あゝ私はまとめて今夜のお話と感想を書つらねる事は出来ない。
たゞし何となしに重い心が急に軽くなった様な気がする。


六月九日


偽善者よ、先づ己の目より梁木をとれ、さらば兄弟の目より物屑を取得るやう明かに見べし。(太七・五)
偽善者とは私の事、ほんとうに私の事。
夕方、奥様のお供をして散歩に出かける。夜、赤ちゃんがたいへんお泣きなさる。何うしたのでせう。


六月十日


天国近きに在り、ほんとうに。私たちの周囲は天国にもなれば地獄にもなるのではないか知ら。私の心も天国になり地獄になる。
十日三時頃かしら、雨が降り出した。お書斎の障子は明ける事が出来ないが、破れ目から少し外が見える。サーサーと滝の様に流れ落つる雨の音、そして其の音の中に雨滴の音も交ってチョロ/\と鈴の様な音がする。大きな、何の葉だか青いのが絶え間なく打たれて躍ってゐる。雨の日もまたいゝ気持。
姉さんは何うしたか知ら……。あの人も不幸な人。自分の事ばっかり考えて、身をすてゝ愛を捧げる事が出来ない人。しかしそれが人間の弱さなのだ。私もまた其の弱さは充分に十二分に持ってるではないか。
何卒姉さんに強さがあたへられます様に……。
彼津屋さんの話をきけば、やはり真の信ぢゃないのだ。あゝわからなくなりかけた。


六月十一日 日曜日 風 晴 月夜


朝九時前に本郷基督教会へ行く。日曜学校も北海道とはちっとも変らない。何うしてだらうか。きれいな若い女の人、讃美歌の声の素敵に美しい人が女の子を教へて庭でしきりに讃美歌のけいこをしてゐた様で、男の子は、眼鏡をかけたハイカラな人が教へてゐた。紙に刷った何かを一枚づゝ、五六人の子にわけて低い声で話をしてゐた。エレミヤの話らしかった。が私にはきゝとれなかった。あれが子供たちの頭にどれだけ深い印象を与へ得たのだらうか。たゞ印刷物を読んで字の通りを説明してきかせて……。子供等はあき/\してゐた様に見えたった。大人集会、聖餐式、寺西牧師不在、聖女学院教授平井先生のお話。私にはよくわからなかった。パンはユダヤ人の常食、葡萄酒はお茶の様な常飲料だから、それから見て、キリスト教は特別な人の宗教ではなくて、たゞの人の宗教、深山に世捨人になって難行苦行するとは違って誰にでも出来得る事である、といふ事。
キリスト教は信者が各自、自分の家庭の人を導いてゆくならば、国はスッカリキリスト教になり得るといふ事。
聖書を読まねば信者とは云はれないといふ事。大体さういふのであった。
夕食後、何といふ教会か知らないけれど、教へられて行って見た。若い子供の様な顔した青年が、何でも信仰の証言をたてゝゐる所へ私が行ったのらしかった。
キリスト教にはいって楽しよう、安心しようと云ふのぢゃなくて、かへって十字架を負ふて主の苦しみを苦しみ、悪と戦はねばならぬ。人間に仕へるは難く、神に仕へるは易く。一生涯を安楽に暮すのではなくて、一生涯を罪と戦って苦しんで死んだ方が、神の嘉し給ふ所である……と。それから、歴史学者が小さい茶碗のかけらを得るために一生涯を費し、科学者や其の他何とか学者が学術の為に命を捨てる。キリストは悪と戦って死んだが、再びゆきて我世に勝てりと云ふ事が出来た。我々も悪と戦って命を捨て、最後の勝利を得ようとしてゐる……。さういふあらましであった。
波多野牧師の話。江原素六先生(武士道と宗教)と云ふだいで、江原先生の人格についてのおはなしであった。
ポーロがダマスコへ行った時は人を沢山つれて行き、三年たって帰った時はスッカリ別になって一人で何も持たずに帰り、人権をのみ重んじてゐたのが、三年の後には天爵、神の力を尊敬する様に変った。江原さんは武士道からキリスト教に移った為に、家柄よりも日本を思ひ、日本よりも世界的、ひろい心になったといふ事。江原さんの如何に宗教に対する熱心だったかを波多野牧師は話した。今夜は私は何を得たのか。
教会で思ひがけなく河野さんに会った。きれいに白粉をつけた彼女は短い時間にいろ/\な事を話した。ホワイトナーさんのベビーさんが出来た話は何となし嬉しかった。
あそこにゐた美しいおとみさんが出されてしまったといふ――急に品行が悪くなって夜遊びするのだった、と云ふ……。かはいさうに……。
救世軍はもう終りかけた所へ行った。小隊長が細い/\手を動かして、しかも強い声でザアカイの話をしてゐたらしかった。私が行ってから二口三口で終ってしまった。――求むる心、切に求むる心がつひにザアカイをして何をもはゞからず桑の木にのぼらしめた。そして望む所の貴い物をかちえた。十二年血漏をわづらった女は無言のまゝ、主の衣にさはって医しを求めた――。
求むる心――それは今の私の心ぢゃないか。少い会衆の多数が立ってお祈りをし、一人の女が泣声で一言二言お祈りした様であった。一人の人は熱心過ぎて、家もわれんばかりの声で祈った。熱心な人々――何といふ純な人たちであらうか、羨しい程――。
あの女士官、大尉夫人は何うしてか元気が無ささうであった……またいらっしゃいと言った……。空には星が二つ三つ、青白い大きな月が空低くかゝってゐた。涼しすぎる程の風に吹かれながら家路を急いだ時は気持がよかった。
教会で河野さんと云ふ人に会った時、私はほんとうにびっくりした。よく忘れずに知里さんと呼かけてくれたもの……。


六月十二日


おくさまが御不快気に見受けられた。私は此の頃坊ちゃんとたいそう親しくなった。坊ちゃんのお相手をする時は、ほんとうに美しい子供になった様な気がするから嬉しい……。おうちの坊ちゃんは、何うしてあんなにいゝ頭脳を持っていらっしゃるのだらう……小さい頭から何うしてあんなに沢山の言葉、変った言葉があの口をもれて出て来るかと思ふと、驚くの外は無い。
昨日のお客は、発音学専門の独学者だと云ふ……その弟の人はやはり言葉にばっかり興味をもって、今は六ヶ国の国語に上達して、各国の小説を読んでゐると云ふ。面白いうまれつきを持った人たちもあるもの。うまれつきりっぱな頭脳を持った人は楽々といろ/\な事が覚えられる。私の様に暗記も出来ない頭脳の、それこそ遅鈍の頭か土人の頭か知らないが、人一倍苦労して/\覚え得たものも、直ぐになくしてしまふ人もうまれつきだから仕方がない。それも私には、それでいゝのだ。
私は昨日、大へんな事をきいた。先生は、私に話しない方がいゝか知ら……と考えていらしったが、それであなたの信仰がぐらつく事はないであらう……と仰ってお話下すった。オックスフォード大学のえらい世界中の学界の権威フヱザーといふ学者の発表したキリスト様の事に就いての事……。
それから、日本の天照大神の事などもそれのついでにきかせていたゞいた。
そして、そのために信仰をぐらつかせるものは、夫が美男子だから貞操の妻になる、親がえらくないから子は親不ママをしてもいゝといふ様なのと同じだといふ事もきいた。成る程、わかった様な気がした。
頭の工合が少し変だ。寝不足の故為だらう。胸の鼓動も此の頃は少し急な様……。
ゐねむりをしてしまった。そして種々な夢を見た。何うしてあんな夢などを見るのかしら……。登別の家でお引越し。みんなが荷物を背負って搬ぶ。フチと浜のフチがおんなじ格好でサラニプを背負った。行ってみる。私もあとからブラ/″\と行く。彼処は何処だらう。深い/\谷をめぐる山の上を私たちはあるいてゐた。そして谷へ下りるかなり傾斜の急な馬車道がある。そこを下りるとオンネシサムが薪を積んでゐた様だった。そして、その翁さんが知らせたのか何うか、私は、何だか「此の道を下りてゆくなら今直ぐに下りてゆかねばならぬ。もう少しおくれれば大へんだ。谷の底からヱンユクが飛出す……」といふ事を思って恐怖の念が私の心にみちてゐた。と、フチも浜のフチも姿が見えなくなった。「あゝ私は一人とり残された」といふ感じが私をおそふて、ずいぶんいやあな気持がした。
お父つぁんもハボも見た様な気がするが、ハッキリわからない……。
またねむった。やっぱり前とおなじ様な沢道を通った――見渡す限り濃緑の――一つの大樹のそばを通った……何だか黒いかたまりがあった――私はぞっとした。何かしら、それが大きな黒い蛇がグル/\アカムになって、そこにゐる様な気がして……。
目が覚めた様で覚めない。やっとの事、力を出して起上って、勇気を出してお勝手へ行って顔を洗ったので、やっと目がさめた。夢を見てゐる時、奥さんがお召換へにいらしったのも覚えてゐる。おきくさんが来て、私が寝てゐるのを笑ったらしいのも覚えてゐる……それで物云ふ元気もなかったのだ――。
奥様は、御親類の所へ、気をはらす為にお出かけといふ……。何卒お望みの通りに幾分でも晴々したお心持におなりなさる様に……。おきくさんと、ほんとうに子供らしいらちもない様なお話ばかりした。幽霊の話など……。おきくさんもかはいらしい人だ。
夕方奥様がほんとに晴々したお顔でお帰りなされた。私も気が清々した様……。おみやのきんつばが堪らなく美味しかった。
朝、木根ウナラベからの手紙、ムヂリ外套に角巻の五十才ばかりの柄の値段を問合せて来た。かはいさうに……東京へ来て私が一人で悠々闊歩、自由に商店をあさりまはる事が出来るかと思って、私をえらく思ってるのでしょう。先生に一応うかゞって、出来ない理由を書いて出した。
思ひついて、ポン先生に葉書を出した。あの先生にも随分かはいがっていたゞいたが……。一ばんはじめに学校へいらしった時はまだ子供子供したお顔で、教室のわれる様な声で教へて下すった。私の事をレキヱ/\と云って、私のうはさを云っていらしったさうだ。だんだんなれるに従って随分かはいがっていたゞいた。学びの友といふ生徒の成績品だの、先生のおはなしだのを綴ぢた本をつくったり、平岡先生批評書とかいふのをつくってみんなに廻して、平岡先生が来られたのに対しての感想を書かせたものだ。お祭などには先生のお家へ、川上トメさんなどゝ一しょに遊びに出かけたものだ。そして先生の兄さんのお家のこわめしを御馳走になったっけ……。栗山タツさんが、今思へばつくりごとであったかも知れないが、とんでもない事を云ひ出して先生をびっくりさせた事があった。タツさんから先生に取りついだのは私だった。その時の人の名は、たしか管野とか言った様であったが、その人こそ迷惑至極であったらうが……。高等科へ上ってから、私は毎日の様に試験の答案を先生に持って行ってはお見せした。先生と一しょにオルガンを弾いて歌った。何も出来ない子供等の中に、私は少しよかったので先生は私の将来に望をママしていらしったのだったらう。まだ/\/\いろ/\な事があったっけ……。アイヌの子供をちっとも差別せずに、自分の弟や妹の様に思っていらしった事は、何時までたっても忘れられない。
試験に及第した時も成績の悪い時も、あたかも我事ででもあるかの様によろこびまた心配して下すった。私の事ばかりぢゃない。教子全体の為にも……勇さんの事で赤松先生の所へ、おっかさんから勇さんを連れてゆけと云はれて学校へ行った時も、先生は遠い雪道の帰りかけをわざ/\勇さんの為に戻って来られたのを覚えてゐる……。お祭でも何かの時には、平気で私たちを連れて行って下すった……まだ/\一ぱいある……。私は今日先生に葉書を出したが、きっと先生はよろこんで下さるだらう。
お湯へ行って来て今日も終る。


六月十三日


奥様に白地単衣を一枚いたゞいた。ほんとうにびっくりしちゃった。何といふ言葉で御礼を申上げればよいか頓には出て来ない。朝起きても何もしない、昼も書斎にゐて自分の事ばかりしてゐる、そしてゐねむりばかりしてたゞおせわになって、その上に今度は奥様のお召物まで頂戴する。まあ、私は何といふ果報者なんだらう。私に何が出来る。口でお礼を申上げるだけで私のからだは何をする事も出来ないものを……心の底から搾り出した――ありがたうございます――でよいのでせう。私に出来る事、それは何だか私にはまだわからない。
私が東京の地をふんでからちょうど一月たった。長い様でもあり短い様でもあった。私は、あと一月を越す事が出来るかしら……明日ありと思ふことなかれ……私が一月ゐるか十日ゐるか、目に見えぬ絶大の力、神の力のまに/\行く私たちですもの……其の時其の日を真実に過せばよいのだ。そんなら私の生活はこれで真実なのか。今、たゞ今、私の命が現世を去っても何の悔もなく目を瞑ることが出来るか! おゝ私は……。


六月十四日
(太――六・十九)


一、もろ/\の天は神の栄光をあらはし、おほぞらはそのみてのわざをしめす。
二、この日ことばをかの日につたへ、この夜知識をかのよにおくる。
三、語らずいはず、その声きこえざるに。
四、そのひゞきは全地にあまねく、其の言葉は地のはてまでおよぶ……。(詩十九・一―四)
九、ヱホバのさばきはまことにしてこと/″\く正し。(詩十九)
十二、誰かおのれのあやまちを知り得んや。ねがはくは我をかくれたるとがより解放ちたまへ。
赤ちゃんのお腹から葉っぱが出たといふ。私がお抱申した時に、山吹を赤ちゃんが持っていらしったのを先生が御覧なすったと云ふ。嗚呼私は何といふ粗忽を昨日はしたのだらう。赤ちゃんのお頭を紅葉の細枝に打ちつけた。あの柔いお頭を……。この粗忽が原因になって、私はこれから信用を得る事が無くなるのかも知れない。ほんとうに私の粗忽でした。然し昨日も一昨日もお抱申した時、紅葉の葉もざくろの葉も山吹の葉も、沢山赤ちゃんは口に入れようとなすった。私は寸時も油断せずに、それをとっては捨て、其の毎に怒られて赤ちゃんに顔をひっかゝれた……が、私に隙があって知らぬ間にそのまゝのみこんでしまはれたのかも知れない。おゝ何といふ私は隙だらけのぼんやり者なんだらう。
大事の大事のお嬢様――お嬢様でなくとも、お百姓の娘子でも、これからずん/\と生長してゆく尊い魂。第二の「我」を預ける子守人はほんとうによく撰ばねばならない――ある時は母親以上のしっかり者が必要かも知れない。赤ちゃんのおなかから出たのは葉っぱでなくて長い糸すぢであった。それは、昨日奥様が何うとかとおきくさんがさういはれた。私ではなかった事はわかったが、赤ちゃんにとっては私であらうが、母様であらうが、その他の人であらうが、同じ大事ではないか。何故、私は自分の弁解ばっかりしたがるか。自分の明ママさへたてばそれでよいと思ふ私の愚かさよ。
自分を捨てゝ人の為に……何といふ難かしい事であらう。私にはとても出来ない事であらう……が、此の前先生が仰った様に、自分を捨てきる事は出来ないけれども捨てゝ人の為にしようといふ努力はやはり尊いものである。努力、努力! そして出来るだけ完全に近い所へゆく……それが人間にとってもっとも尊い事である。
おひる過ぎ、先生お一人を残して三越に出かける。電車の中は涼しかった。
奥様のお顔も涼しく見えたので嬉しかった。昨日いたゞいた着物を早速着て出かけたのだ。嬉しかった。真心から与へられたものを真心から有難いと思ふ――それでいゝのだ。何でお礼が返せるかなどゝ思ふのは、かへって与へた人の真心を無にする所以かも知れない。私だって人に物をあたへる時、価を貰はうとして与へるか。それでは押売りではないか。
三越の中をあるいて/\くたびれてしまった。お汁粉、ドーナツ、曹達水を御馳走になって帰って来た。文明世界は私たちから見ればまるで戦場の様な目まぐるしいものだと思った。二尺に一尺ぐらゐの平べったい瀬戸物の中に水をたゝへて、其中に黒い石の凸凹になったり穴のあったりしてゐて二十円だといふ。小さな二つ三つの赤い花をつけた鉢が二円いくらだといふ。何だかぐちゃ/\とした半衿が一かけ五円だといふ。すべてが私の目をまるくする種であった。何を見たのかちっとも覚えてゐない。何でもあゝいふものは私よりも色の白い人たちが興味を持って見るものであらう。私はたゞ別な人間の住む星の世界を見物にでも来た様な気がした。自分で欲しい、自分の身につけて見たいなどゝはちっとも思はなかった。
夜本郷キリスト教会の祈祷会に奥様のお許しを得て出席した。男は牧師を入れて七人、女は私と八人、女の子が二人ゐた。
ちっとも熱のない会の様に思はれた。私は何故こんな心になったのだらう……。
兵隊さんあがりの商人らしいりっぱな人の信仰の証言があった。それは自分の妻をうんとほめそやしたものであった。
愛は忍ぶ――ほんとうに然うだらう。夫を愛すればこそ何事も忍ぶ――おうちの旦那様も奥様を愛するから忍耐しておいでなさる――奥様も子がかはいゝからこそ自分の苦しみを忍んで朝からあゝしていらっしゃる――愛があればこそ――。私に愛があるか――お前がお前を愛すると云ふ事のみでなく人を愛する愛を持ってゐるか――。
白髪交りの梅原先生や、谷先生の奥さんによく似たよささうな人が私たちの為にお話をなされた――曰く、貴女がたが此の静かな時を得て、口に出さねど心の中に祈る為に此のみ堂に集ったのは何といふ幸福な事でせう。すでに祈祷会に出席しようと思って一歩を外に踏出した事が救はれてゐる心の拠証で、貴方方は実に仕合せな人たちだ――。
牧師さんがねむさうなのにはお気の毒な感じがした。今日旅から帰られたばかりだといふ。無理もないこと。人の話に感動して額を机にすりつけて居られるのかと思ったら、それはねむっていらしったらしかった。おねむい時はあゝいふ会に成るべく出席なさらない方がいゝのぢゃないかしらと思った。
牧師さんのお話は、何でも御旅行先の森岡とかいふ人が、肺結核になって一時は非常に悲観して世を呪ひ人を呪ってゐたが、この頃はその病気がすっかりなほって、其の家庭がまるで変ったといふ事であった。そして其の病気のなほったのは其の心持からで、たしかに神の霊感を受けたからで、私たちは誰でもみんなその霊を感ずる事が出来る――といふのであった。
でも教会へ行く事が私には大きな楽なのだ。
私に感化されてお菊さんがたいへんよくなったと奥様が、おひるきくさんがお使行のあとで仰った。私の内心びくりとした。ハテ、私に一たい何んなよいところがあるのか、臆病な卑怯な心の持主の私の、何処が人を感化する力を持ってゐるのだ――自分で自分をさへよくする事が出来ない私ではないか――おゝはづかしい――。お菊さんは不幸な人で、さうして幸福な人だ――物を見て、人のでも構はず欲しくなって手を出すといふ癖を持つ人は沢山ある。私は、物を見る――きれいだ、と思ふ――然しそれが欲しい、自分のものにしたい、などゝ思ふ事があるかしら――。お菊さんはその心が出て来たときに自制する事が出来ないから不幸な人であったが、今は心を入換へてそんな性癖を矯してしまったといふ。何といふ尊い事でせう。彼女は幸福な人である。自分の性癖をまったくすてゝしまふ、それは何んなに難かしいか知れない。私にはどんな性癖があるのだ。――人前をかざる――それではないか。即ち嘘偽! 言葉にも行動にも。でもほんとうに純な心になってる事がある――そんな時には決して嘘なと云はれないが。他人の感情を害ふ事を無闇とおそれる私。やはり臆病なのだらう、心にもないお世辞を吐いたりする。
人の感情を害すまいとして、自分の思ふと違ふ、寧ろ反抗したい様な事柄も口では然り! と相槌を打つのが私のくせだ。それは正しくない虚偽の生活か――わからない――それだからって、自己に忠実に、人の感情が不快であらうがどうであらうがそれは知った事ではない、自分の思ふ事をどし/\言ってしまって人の心の平和をかきみだしてしまふ――それでよいのかしら――わからない――。
しかし、こんな事で迷ふのは、私がばかなのだらう。それは時と場合によるのだから……。だけども、それは人各自の性質の如何で、同じ時、同じ場合でも一方はさらりと竹を割る様に活溌に自己の思ふ事を其のまゝ発表してしまひ、一方は内気に控へて言ひたいのをこらへて、口にまで出るのをのみこみ/\何うしても言出し得ないでもじ/\する。私は一たい何れに相当するのか――私は臆病なのだ――意気地なしなのだ――。
久しぶりで英語をおならひする事が出来た。先生はほんとうにおねむさうなのに、私故に無理をなすって教へて下さるのを思ふと、安閑と毎日を暮しておせわになり、其の上に英語を教へていたゞくなんて随分勿体なさすぎる事だと思って気が気ぢゃなかった。
昨夜の先生の御講演はアイヌの宗教についてで、非常に賞讃を受けられたと云ふ。何だかしら嬉しかった。二滴らし三滴らしの酒と一つの柳の削ったのを神に捧げて、そして大きな願をする――ずいぶん虫のいゝはなしだ――と思ふ人ははぢなければならない、といふ。何故なら神は人を造ったと云ふが、学問上からは人が神をつくるのだとする。西洋の神は西洋人と同じ神様、日本人の神様はやはり日本人とおなじ神様である。だからアイヌの神様もまたあいぬ自身の心の反映だから、あいぬの神が一滴二滴の酒とイナウをうけて、そして人間の大きな願を容れて大きな恵を下す……それは即ちアイヌの心持を其のまゝ物語るものであるといふ。寡慾なアイヌが頼まれゝば厭とはいへないといふ様な性質なのだ、といふお話でありましたさうな。
何だか涙ぐましい気分になったのだった。
お湯に行っての帰りに、めくらの女を見かけた。何処とかの按摩さんをたづねて来たがわからぬから、此の近所の同業者をたづねてきいてみたらわからうと思って来たのだといふ。杖で探り/\あるくが中々早い。転びはしないか、人とぶっつかりはしないかとハラ/\した。がおきくさんの注意で、道が違ふといふ事がわかって私は彼女の手をひいた。何といふあつくるしい手であったらう。よくしゃべる……見えない目をクル/\大きくする。着物の袖付は二、三寸もほころびてゐた。大きな体格。近所のもみれうじやでは、彼女がいくら大きな声で呼んでも出て来なかった。やっと不親切な女中らしい声が内から出て来た様だ。先生はおるすでいらっしゃるか? の問に女中は無愛想に不在のよしを話してゐた。が、硝子越しに見えた男は主人ではなかったかしら。何にしても、もう少し情のある言葉を彼女に誰かゞ与へてもよささうに思ほへた。悲惨だ。何うしてあんなめくらになったのであらう。今頃は何処にゐるだらう。目的の家が見つかったかしら。


六月十六日


妙な夢ばかり見つゞけた。目をさますと何だかからだが蒸暑いやうな重苦しさを感じた。だいぶ動悸がする。電気はまだ点いてゐて、七八寸開かれたお座敷の襖から坊ちゃまが裸で寝ていらっしゃるのが見えた。しばらく私はそのまゝグッタリしてゐると、突然、サーッと雨が降りだした。いゝ気持。小半時間もたっておきくさんを起したが、彼女は目を細目にひらいて私を見てゐたが、またすや/\とねむりだした――幸福、健康の幸福を彼女は持ってゐる――。
暫くして、雨戸をあけて外を見た時は実に好い気持であった。青葉がしっとりと雨に濡れてポタリ/\と落ちる緑の雫、銀の雫。こゝ地よい風が青葉を渡る。今日一日降ったり霽れたり。とう/\梅雨期に入ったのだ。
一時間ばかりねむってしまった。何うしてかうもねむり慾からはなれる事が出来ないのかしら。少し不足すると動悸が早くなり頭が重くて目がはっきりしない。
赤ちゃんの発熱でびっくりした。奥様の御心配がお痛はしい。私は大丈夫だと思ふ。赤児の発熱はまゝある事で、構はずにしまふと取返しのつかない事もあるが、あまり心配するのもよくない様に思はれる。
然し、親が子の為に心配するのは人情の自然だものを……はたから、心配なさいますななどと、なまじっかな慰言を呈するのは却って罪かも知れない――私は心配する人と共に同じ心で心配したい、――それでいゝのかしら。しかしまさかに、一々相槌打っては心配を増して、それも罪ではないか。そんな事も出来ない。
先生のお話。亜米利加では監獄の囚人を信じて獄外に出して、中学とかと野球の試合をさせる。すると囚人は一人も逃げるものなんか無く、信じられた嬉しさ有難さに泣いて獄屋に帰って来る、といふ。
ほんとうに、信じられるといふ事は幸福な事ですね、と仰った。まったく信じられた時は、何うしても「こんなにまで信じられては、何うしてもしっかりしなければならぬ」といふ責任観念がひとりでに起って来て、むやみと疑はれる時は、こんなにしてもうたがはれる、と思ふと馬鹿らしくなるのが人の感情であらう。勿論、信じられようが疑はれようが、自分の尽すべき事を忠実につくし得る、尊い誠心がなければならないけれど……凡人は何うしても前者の様になりやすい、と思ふ。


六月十七日


汝心を尽し、精神を尽し、意を尽し、主なる汝の神を愛すべし。これ第一にして大いなる誡なり。第二もまたこれに同じ。己の如く汝の隣を愛すべし。(太二二・三七―三九)
ほんとうに最も大きな誡、これだけを守る心がある人は全くのえらい人でせう。私にはとても出来ない。完全なえらい人になる事は出来ないのは当然だらう。が、先生がいつか仰った様に努力! 完全といふ目的にむかって真直に進んでゆく……それが私には最大なものである。


六月十八日 日曜日


中央会堂へ行く。波多野牧師、能力の宗教といふ説教。
荻原副牧師の祈祷は何とも云はれずよかった。夜、救世軍へ行って、親の勤めと云ふおはなしをきいた。


六月十九日 月


奥様はおひるからお出かけ。
赤ちゃんがお熱でお菊さんと二人で体温をはかるやら大さはぎ。
でも思った程でもなかったのでよかった。
奥様は痛切に神を求めていらっしゃる。先生は、奥様に神を信じさせようと熱心に努めていらっしゃる。
ときの声をお目にかけた。ブース大将の悲哀の教訓を……。
先生はそれを奥様に読んでおきかせなすった。それから、馬太伝六章二十五節からおしまいまでのヱス様の御教訓を奥様にお読きかせなさいました。


六月二十日 火曜


故里の何処からも葉書一枚来ない。何だか寂しい。


六月二十一日


登別の父様、母様からお手紙が来た。親の愛、それはほんとうに疑ふことの出来ないものである。深いふかい親の慈愛をありがたく思はずに居られない。筆不精の父様が長い手紙を、書ぎらひなはぼがあれだけ書いて下さる。不孝する子ほど可愛いものだといふ。私はしみ/″\思ふ。親の深い恩愛を……。
今朝お銭をいたゞいて涙した事が寝る前になっても胸にのこってゐて、泣きたい様な感謝の心が湧く。私が何をした為にかうしてお銭をいたゞくのか……こんなことを思ふのは間違ってるのだ。心よく与へて下さるものはありがたうございますと、溢るゝ感謝と共に真直にいたゞくのがいゝのだ。


六月二十二日


S子さんからの長いお手紙、ひらくと、ぱたりと落ちたのは二円のお銭。
あの方の愛は純粋なのだ。私の愛はにごってゐる。おゝ御免なさい。私はあなたの為に生きます。お銭など送って下さらなくともいゝのに……。
午後お母様からのお手紙、真子と富子からの手紙。
救世軍の人に対してニシパが非常に悪感情を持って居られるといふ。救世軍は熱烈、死をも厭はぬといふ所はいゝが、大事な聖餐もなければ洗礼式もない、といふ。誰に断って人の家へ無断で来て集会を開いたり、人の部屋から寄付金をとったりするのであるかと、憤慨して居られるといふ。
救世軍! 私は救世軍が好きだ。形式ばっかりの宗教よりもだん/\/\/\内容充実となる様に進んで行く。何故、聖公会だの救世軍だの何だのかんだのとわかれわかれになってるのだらうか。仏教だのキリスト教だのって……。
自分の神さまを信ずる人のみが天国へ行き、あとのすべての人は地獄へ行くといふ。私にはわからない。
あゝもう宗教の事なんかわからない。たゞ神様はある、たしかにあるといふ事だけを私は確信してゐる。孔子様だの何様だのはほんとうにえらい聖人であったらう。イヱス様の聖書を読んでは、一々、胸をさゝれる思ひがする。ほんとうに拝んでもいゝ。拝まなければならない。理屈なしに信ずればそれでよいではないか。何故私はかうも生意気なのだ。しかし、わからない。あゝ今夜は頭がをかしい。くしゃ/\してゐる。
汝人をさばくは正しく己の罪を定むるなり。そは、さばく所の汝も同じくこれをおこなへばなり。
此の如く行ふものをさばきてこれを行ふ者よ、汝神のさばきをのがれんと意ふや(ロマ二・一―三)
マデアルさんが肋膜炎だといふ。何て情ない事であらう。さうあの人は弱々しい体格の持主だった。ほんとうに素直な優しい気性の人。学業の方は何うか知らないけれど、彼女をあのまゝ病の人にしてしまふのはあまりいたましい事である。
何故アイヌは、知識と健康を併得る事が出来ないであらうか。幸に知識と健康を得たとしても愛を失ってゐる。無味乾燥、少しのやはらかみのないものが出来上ったりするのではないかしら。
知識を得よう、知識を得ようと砕身粉骨に近い努力、先ず自分の最善を尽した私は、とう/\健康を失ってしまった。しかも、それほど望んだ知識なるものも望みの四半分も得る事が出来なかった。何故、私があまりに自然にさからったからか。さうかも知れない、さうでせう。自然にさからふ、それは大きな罪であらう。自然に伴ふべく最善をつくせばそれでよいのだ。
マデアルさんの健康を心から私は願ふ。
トシ子さん、ツナ子さん、マデアルさん、トヨさんが此の次には洗礼をうけるから、その人たちの為に祈れと母様が云はれた。ほんとうに彼の若い人たちが、何卒私の様な生半な心にならず、をさなごのやうにまっすぐな一途な心になって信仰の道にはいられる様に私は願ふ。


六月二十三日 金曜日


善をなすものなし。一人もあるなし。
その喉は破れし墓、その舌はいつはりをなし、其の唇は蝮の毒をもてり、その口は詛と苦きとに満ち、その足は血を流さん為に早し。
残害ヤブレと苦難は其道に残れり。
彼等は平康なる道を知らず。
その目の前に神をおそるゝのおそれある事なし。(ロマ三・十二―十九)
何といふ痛烈な峻厳な言葉であらう。人の胸を突刺すオプの様……。
坊ちゃんの綿入羽織を縫ふべく出していたゞいた。これで私は仕事が出来ると思ふと嬉しくてならない。人は仕事のないほどこまる事はないのだらう。たゞぶら/\と日を消すよりも、あとから/\仕事が出て来て暇ををしんで働く人は全く幸福なのだ。健康※(感嘆符二つ、1-8-75) またしても私は健康について愚痴を云はうとしてゐる。


六月二十四日


患難にも欣喜をなせり。蓋、患難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生じ、希望ははぢを来らせざるを知る。(ロマ   )
朝ずいぶん早く先生がお起きなすったらしい。お書斎の戸を開いてびっくりしてしまった。
昨夜は三日振りで奥様はよくおねむりなすったと、お顔の色が生々していらっしゃる様にお見受した。
坊ちゃんが御帰宅後お発熱。やっと赤ちゃんが丈夫になられたらまた坊ちゃん。真に親御さん方の御苦労は絶ゆる時がない。お気の毒とも何とも申しようがない。食後、先生が坊ちゃんに添寝して静かに手のあたりをたゝいて居られるのを見かけた。何といふ光景であらう。病む五体を愛に強い父君の腕にまかせていまし夢路に入る坊ちゃま、そして憂ひに満ちたお顔は慈愛そのものに見える父君。父君の魂はスッカリ愛児の魂をふところにしておなじ呼吸、おなじ鼓動、すっかり大小の魂がとけあった形ではないかと思った。
私は親の愛をつく/″\思ふ。父の愛、母の愛、それは何れ劣らぬものである。
父様とはまだしみ/″\とお話をしたことは無い。だけど私は、父の愛も母の愛も、私の胸にしっくりと刻みつけられてあるのを今見出す。今此の指の先を流れてゐる血も、父母のわけてくれた血、その血の中には絶えず父母の愛が循ママしてゐるのだ。かうして私が父母を思出してゐる時も、父母はきっと私の事を思出してゐてくれるのだらう。それが何百里遠い此処まで私の心に通じ、硬ばった弁膜をとほして胸の底まで徹して、それでかうしてあふれる涙があるのではないかしら……。私は今日何うかしてゐる。何故こうも父母が思出されるだらう。
先生が昨夜、御自身の経験談をおはなしなすった。先生の父君の子に対する愛のいかに深刻なものであったかゞ私にもあり/\と見える様な気がした。いくらがまんしようとしても涙が滲みでゝ仕様が無かった。
奥様も涙がお目から溢れていらしった様であった。
父様よ母様よ、私は父様にも母様にも不孝な子です。生れるから死ぬまで御心配かけどほしでした。これからだっても私に何が出来るでせう。今までより以上の不孝を続けるかも知れない。だから孝行などゝはあまりに大きくて、私にはそばへもよりつかれない事でありませう。此のまゝの状態で幸恵には何時此の世を去るべき時が訪れるかわからない。
此の世にうまれて何一つ仕出かしたいゝ事もなくて、何時私は死んでゆくかわからない。だけど、父様よ、母様よ、幸恵は生きてゐてなんにもおとっちゃんやおっかさんにいゝ言葉をおきかせしなかったし、ましていゝ事などは出来るはずもなかったけれど、幸恵の心は、おとっちゃんやおっかさんの慈愛に対する感謝でもって一ぱいになってゐたといふ事だけは真実な事です。ゆるして下さい。それだけでゆるして下さい。(二十五日朝)


六月二十五日


日中は非常な暑さ、夕方ザーッと雨。坊ちゃんも大分およろしいので安心。おきくさんが腹痛で青い顔、いたましい気がした。一二日私に出来るなら代ってあげたいと思った。
奥様が教会へ……。何だか嬉しかった。波多野牧師は『神の子』といふお話をなすった。
神を見る……それはむづかしい事だと思ってゐる。がそれはちっともむづかしい事ではない。一輪の花を見てもそこに神が見える。一羽の飛ぶ鳥を見ても神が見える。一人の赤ん坊を見れば一層そこに神の姿を見る事が出来る。
人の心には良心がある。愛がある。それは神様の姿である。目に見えぬ神は、常に目に見える人の形をとって人にあらはれ給ふ。親の愛、夫婦の愛、友情などといふ愛を感ずる時、そこに神の姿が見えるではないか。キリストは神の子、その人格に神の姿が見えるのだ……。
然うだ! 然うだ※(感嘆符二つ、1-8-75)


六月二十六日


奥様に手拭地を一反いたゞいた。何うしてこんなにいたゞいてばかりゐるのかしら。たゞ嬉しかった。ありがたかった。
夜皆様おやすみのあと腰巻を一枚縫ってしまった。坊っちゃんがチッカッパをしようと仰ったのを快くお受けしたのはよかったけれど、外の事でおきくさんと一しょに何かを話してる間に、チッカッパはみんなしまはれてゐた。花火の話をきいてゐる時、またおきくさんが何かを云ったのに気をとられてよく坊ちゃんのお話を聞かなかった。坊っちゃんは不快さうにしてお床に就かれた。
おゝ御免あそばせ。私が悪うございました。何んなに御不快だったでせう。小さい美しい子供心にちっとも同鳴せずに、大人である自分の事ばかりに気をとられた。何といふ私は利己主義な人間であらうか。清い美しい坊ちゃんの御心に一点の不快を点じた私の罪。おゝ御免あそばせ。私自身、一ばん人よりもさういふ事には一人で心をいためる。自分の言ふ事を知らぬ顔されるほど気持の悪い事は無い――さうした経験をあまるほど持ちながら――私は何といふひどい罪の人であらう。御免あそばせ、坊っちゃま。


六月二十七日 大方は雨


貯金をした。先生にいたゞいた五円の五分の一を……。大決心ではじめたのだ。私はこれから収入の五分の一を必ず貯金しようと思ってる。


六月二十八日


救世軍の杉原大尉からのお手紙。とう/\部落から手を抜くやうになりましたと。何だか情けない様な気がした。ほんとうに情ない。松山さんからの手紙。あの方の文字はあの人の気性其の物をあらはした様な文字。美しくて強味のある人であったが……。兄嫁と不和な為に北海道へ渡ってひとりぽっち、語るに友なき淋しい生活をしてゐる故、末ながく姉妹の契りを結ばうといふお手紙。美しいうちに強みを持った、優しいなかにきりっとしたところのある彼の女が兄嫁との不和で北海道へ来たといふ……ありさうな事だ。私の様に骨もない様な人には人と不和の為に遙々旅してわざ/\孤独の生活にはいる……さういふ事が出来るかしら。あゝ私が今こゝへ来てゐるのは何の為?
松山さんはほんとうに懐かしみのある人だった。たしかにいゝ人だった。姉妹の契り、そんな事は私として、はいそれでは、と直ぐにそのまゝうけいれるだけの心の準備がない。たゞありがたう、と言ひたい。私の様なものにさう言って下さるとは随分変った人もあるものだ。
お湯へ行く。


六月二十九日


直三郎さんの病気を昨夜きいてから、何だかむやみと胸が塞る。とう/\あの子が肺病になったといふ。なんといふ痛しい事であらう。今朝先生がいろ/\とお話しなすった。ほんとうに我子をよくしよう/\とあせって、かへって我手で殺してしまふ。
魚をとってばけつに沢山入れる。此方ではいまに池へはなしてやらうと思ってるのに、生悧巧な魚は逃れようとあせってピン/\飛立ってばけつの外に出てバタ/\して、とう/\砂まみれになる。おとなしいのは、終りまでじっとしてゐて池へ入れられる時を待つ。さういふお話を承って成程と感じた。運命に逆らはう、自然の力に抵抗しようと思ふのは罪ぢゃないか。おのれたゞ人ではないか。小さい、いと小さい人の力が絶大無限の神の力にさからはうとするのはあまりに愚な事ではないか。何故神は我々に苦しみをあたへ給ふのか。試練! 試練※(感嘆符二つ、1-8-75) 胸に燃ゆる烈火の焔に我身をやききたへ、泉とほとばしる熱血の涙に我身を洗ふ。さうしてみがきあげられた何物かは、最も立派なものでなければならぬ。
私たちアイヌも今は試練の時代にあるのだ。神の定めたまふた、それは最も正しい道を私たちは通過しつゝあるのだ。捷路などしなくともよい。なまじっか自分の力をたのんで捷路などすれば、真っさかさまに谷底へ落っこちたりしなければならぬ。
あゝ、あゝ何といふ大きな試練ぞ! 一人一人、これこそは我宝と思ふものをとりあげられてしまふ。
旭川のやす子さんがとう/\死んだと云ふ。人生の暗い裏通りを無やみやたらに引張り廻され、引摺りまはされた揚句の果は何なのだ! 生を得ればまたおそろしい魔の抱擁のうちへ戻らねばならぬ。
死よ我を迎へよ。彼女はさう願ったのだ。然うして望みどほり彼女は病に死した。何うしてこれを涙なしにきく事が出来ようぞ。心の平静を保つことに努めつとめて来た私もとう/\その平静をかきみだしてしまった――だからアイヌは見るもの、目の前のものがすべて呪はしい状態にあるのだよ――。先生が仰った。おゝアイヌウタラ、アウタリウタラ! 私たちは今大きな大きな試練をうけつゝあるのだ。あせっちゃ駄目。ぢーっと唇をかみしめて自分の足元をたしかにし、一歩々々重荷を負ふて進んでゆく……私の生活はこれからはじまる。
人を呪っちゃ駄目。人を呪ふのは神を呪ふ所以なのだ。神の定めたまふたすべての事、神のあたへたまふすべての事は、私たちは事毎に感謝してうけいれなければならないのだ。そしてそれは、ほんとうに感謝すべき最も大きなものなのだ。
先生の弟さんが見えた。かげで御兄弟の会話をきいてゐる。何といふなつかしい愛のこもった声なのだらう。お国言葉のせいか、やさしい、ほんとうにやさしい。取交す一言一言に肉親の美しい深い愛情がこもってゐる様にきこえる。赤ちゃんをおんぶして外へ出る。何だか自分が母親になった様な、涙ぐましいほど赤ちゃんがかはゆくて、母らしい気分で赤ちゃんをあやし、赤ちゃんの為に心配する……。子供が欲しい。またしてもこの望みが出てくるのだ。


六月三十日 朝霧


七月一日


夕方奥様のお供をして中央会堂へ行く。一時間ほど待ってやっとはじまった。
無邪気な子供等の映画に心が柔いで平和な気分になる。
ジャンママルジャンの劇、父様の事が妙に思出されるので涙がこぼれた。
其の家の女、親子の愛の美しさを目のあたりに見せつけられて涙を抑へる事が出来なかった。フ※[#小書き片仮名ヰ、168-6]リップが自分の学識、手腕をのみたのんで、それで愛児を救はうと思ったけれども、それは駄目であった。科学の力よりも母の愛の力が強かった。科学を絶対の大なる力と信じてゐた彼は、科学以外の存在を知る事が出来た。


七月二日 日曜日


坊ちゃんが井戸の中へ落っこちた。おゝ神様よ※[#感嘆符三つ、169-2] 坊っちゃんは死なゝかった。何うしてこれが感謝せずにゐられよう。晩になって今日一日のことをおもひだして見てもたゞゆめのやう。坊っちゃんはたいへんに元気でいらっしゃる。
夕方になって少しおむづかり、先生が晩くハーモニカを買っていらっしゃる。夜半頃まで御両親交々、うなされる坊っちゃんをすかしたりなぐさめていらしった。
おいとしい坊っちゃま。早くなほって下さいませ。神様どうぞお力を!
先生のあの時のお顔色、奥様の叫声、思出しても涙が出る。
神の力、親の愛、私はしみ/″\感ずる。


七月三日


今日も坊ちゃんはお元気、ハーモニカを吹いて。夜お医者へ行って坊っちゃんの傷口を見た。あの井戸から落っこちて、これだけの傷で生命を得たことはほんとうに奇蹟でなければならぬ。飛こんで救って下すった弁当屋の若い人、何といふえらい人であったらう。ガッシリとしまったあの肉づき、活々してゐる人であった。


七月四日 大雨


奥様は気疲れでお床の上に臥せっていらっしゃる。無理もない事。
神様、何卒奥様を恵ませ給へ。


七月五日


一日たのしくすごした。坊ちゃんのおあひて。


七月六日


愈梅雨が霽れたといふ。カラリと晴れて照りつける強烈な日の光にからだは焼かれるやう。
夕方、岡村千秋さんといふ方が見えた。先生が私を紹介して下さる為に探して下すったのださうだけど、ちょうど赤ちゃんと一しょに散歩に出かけてゐたので駄目だった。女学世界に何か書くやうに! と仰ったといふ。何を書いたらいゝのか知ら……。


七月七日


北見のウナラペが※(半濁点付き片仮名ツ、1-5-93)レプ イルプを送ってよこした。何といふかはいらしいウナラペなんだらう。ところで困ったのには、私一人で食べてゐられないことである。坊ちゃんがよろこんで食べて下すった。晩には先生が葛湯しておあがりになった。先生はやはり先生、おえらいことだと思った。
奥様の御機嫌は今夜随分お悪い。何だかお気の毒で、赤ちゃんの叱られているかげでハラ/\した。


七月八日


岡村千秋様にお目にかゝった。私の写真を撮る為にわざ/\お出で下すったのだといふ。びっくりして胸がどき/\、顔が熱くて仕様が無かった。何の為に私の写真を……。
お湯から帰りに雨に遭った。きくさんがかけるので私もかけた。一息にかけたあとが苦しくて苦しくて。
でもあれだけかけてこれだけの苦しみで済むとは、私もずいぶん達者になったと思って嬉しかった。
先生に余市の中里さんの話をきいて嬉しいのか悲しいのか涙が出た。茂さんのお父様だ。さういふ人がゐるならば、まだアイヌの運命は尽きないだらう。


七月九日 日曜日


昨夜の夢はずいぶん変だった。
兼吉さんの家に地下室があって、電燈が点ってゐた。私は富子をおんぶしてゐた。富子だと思ったが、泣声をきくと此方のたぁたんであった。中央に白布をかけた卓子があって、学校にあるやうな籐椅子が沢山あって、私はS子さんと対座してゐた。S子さんだと思ったのは川村サイトさんだった。兵隊さんが三人はいって来た。何処かのアイヌの兵隊さん……。私とサイトさんは大声で何かの議論をした。サイトさんが私にまけた。外へ出た。かんとくさんの家の前は一ぱい雪があって、道は凸凹でずいぶん悪かった。ヤイペカ/\しながら来ると、マデアルさんに出会った。瓦ママか何かの縞柄のきれいな袷を着て長い袂の姿優しく蝦茶のメリンスの袴をはいて、靴をはいて、ニッコリ会釈して、あの素直なやさしい黒い瞳を輝かして行過ぎた。私は後見送った。うちにあった赤い表紙の讃美歌を右手に持ってゐた。
中央会堂へ行く。副牧師のおはなし。何だか少しわかった様な気がした。
汝等愛せらるゝ児女のごとく神に效ふべし。
偶像をおがむ者のキリストと神との国をつぐ事を得ざるは汝等知ればなり。
汝等もと暗かりしが今主にありて光れり。
以弗所書五・一―二二ママ
欧州戦争の時、佛蘭西のジョフル元帥が戦傷者の呻吟してる病院を見舞った。すると、何とかの毒とかの為に顔がスッカリ腫れあがって顔の形もなくなった一人の兵士を彼は見た。おゝ、おん身はこの様に顔の形が無くなるまでに佛蘭西の為に苦戦してくれたか。さあ、握手をしよう、と手をのべた時、彼は体をおほふ薄い布の下から手を出した。おゝ其の手は肩の下から切れてゐた。
あゝ右の手が無くなるまでおん身は佛蘭西のために苦闘してくれたか。では左の手で握手を……。元帥の言葉に彼は左の手を出した。がその手は腕の所がプッツリ切れてゐた。
おゝ、おん身は、顔の形を無くし、右の手を失ひ、左の手をきられるまで佛蘭西の為に悪戦苦闘してくれたか。さらば……とジョフル元帥は、彼の醜く腫上って顔といふ形もない彼の一兵士の熱に皮むけた唇に其の唇をつけて強いキッスを与へた。
兵士は泣いた。今までかつて泣いたことのない彼が涙を流した。彼が其の後少し快い時に友人の手をかりて一篇の詩を書連ねた。
我愛は酬ひられたり……と。
人の為、世のために己をすてゝ、あらゆる悪戦苦闘を続けて、ふくれあがり、はれあがり、きれ/″\に身はならうとも、感謝し、喜んでそれを甘受する……それがクリスチャンの生涯だといふ。キリストにならふ所以だといふ。その愛に酬るあついキッスは何?


七月十日


林さんのよっちゃんが遊びに見えた。その人の家庭の話など、奥様がお話しになった。涙ぐましい話。


七月十一日


母様からの手紙。松山さんの話、大尉の話、八重さんの話、すべてにお母様式を遺憾なく発揮してるのが面白く、またかなしい気がする。
葭原キクさんはほんとうに死んでしまったのだ。何卒嘘であってくれるやうに……と思った甲斐もなく。彼の女に就いて思出すことは、容貌の美しかったこと、よく泣く人であったこと、よく笑ふ人であったこと、幼い記憶に残ってるのは先づそんなものである。文字が上手であった。怒った時の表情も目の前に見るやうだ。動作はしとやかな、先づ私たちアイヌのうちにも彼女がゐたことは喜ばしいことである。私を可愛がってくれたった。
その人も今やなし。またしても何故アイヌはかうして少しよい人をみな失ってしまふのかと泣きたくなる。きくさんの娘はみゆきと言った。可愛い子であったが、父なく母なき孤子になってしまったのだ。妙に気にかゝって仕様がない。今は何処にゐるのか知ら。母親に似て、色白の顔の形もとゝのった美しい子だった。さうして、やはり母親に似て利発な子であった。今はもう十歳ぐらゐにもなるであらう。おゝかはいさうに。幼くして母を失ったおん身は、これから何ういふ生活に入るのか。さなきだに涙の多い母を持ったおん身だから涙もろい性質を持って居るのであらうものを、きっと、さびしい/\涙の子におん身はなるであらう。それもよし。泉と湧く涙に身を洗ったならば、おん身は却って、美しい清い魂を得るであらう。何卒さうなって下さい。涙の谷に身を沈めてはいけない。決して沈んでしまってはなりません。


七月十二日 晴、終日涼


奥様が、来年の春までゐて頂戴と仰る。勿体ないこと。
岡村千秋さまが、「私が東京へ出て、黙ってゐれば其の儘アイヌであることを知られずに済むものを、アイヌだと名乗って女学世界などに寄稿すれば、世間の人に見さげられるやうで、私がそれを好まぬかも知れぬ」と云ふ懸念を持って居られるといふ。さう思っていたゞくのは私には不思議だ。私はアイヌだ。何処までもアイヌだ。何処にシサムのやうなところがある※(疑問符感嘆符、1-8-77) たとへ、自分でシサムですと口で言ひ得るにしても、私は依然アイヌではないか。つまらない、そんな口先でばかりシサムになったって何になる。シサムになれば何だ。アイヌだから、それで人間ではないといふ事もない。同じ人ではないか。私はアイヌであったことを喜ぶ。私がもしかシサムであったら、もっと湿ひの無い人間であったかも知れない。アイヌだの、他の哀れな人々だのの存在をすら知らない人であったかも知れない。しかし私は涙を知ってゐる。神の試練の鞭を、愛の鞭を受けてゐる。それは感謝すべき事である。
アイヌなるが故に世に見下げられる。それでもよい。自分のウタリが見下げられるのに私ひとりぽつりと見あげられたって、それが何になる。多くのウタリと共に見さげられた方が嬉しいことなのだ。
それに私は見上げらるべき何物をも持たぬ。平々凡々、あるひはそれ以下の人間ではないか。アイヌなるが故に見さげられる、それはちっともいとふべきことではない。
ただ、私のつたない故に、アイヌ全体がかうだとみなされて見さげられることは、私にとって忍びない苦痛なのだ。
おゝ、愛する同胞よ、愛するアイヌよ※[#感嘆符三つ、178-5]


七月十三日


私が東京といふ土地に第一歩を運んだのは二月前の今日であった。


七月十四日


直三郎さんがとう/\なくなったといふ。涙も出て来ない。
直三郎さんの死骸、それにとりつく、父母君の悲しい光景。それが目の前を何度も通りすぎる。


七月十六日 日曜日


中央会堂で波多野牧師の「信仰の種類」と題するお説教。ちっともわからなかった。
午後、なほ江さんといふ、先生の弟さんが見えた。安蔵さんの方が静かな、優しい方の様に見えた。此の方はまた、たいそう無邪気な可愛らしい弟さんだと思ふ。
お国言葉まるだしで、太いお声。かげできいてゐると、まるでアイヌの男の話声の様だ。
御兄弟仲むつまじくいらっしゃる事は、次郎さんの時も安蔵さんの時も今の方の時も同じ事なのだ。次郎さんとなほ江さんはよく似ていらっしゃる。先生と安蔵さんの似ていらっしゃるのはまたそれ以上である。


七月十七日


大さはぎしてなほ江さんのお帰り。案じた通り奥様の御気分が勝れぬ。


七月十八日


奥様は歯医者さんへ。
先生は中学校へ。お不在の間になほ江さんが見えた。坊ちゃんが新しいマントをお土産にいたゞいた。
夕方、ザーッと夕立、ほんとうに気持がよかった。
宮下長二といふ青年が私を訪ねて来た。あんまり真面目な人に見えなかった。が、それは私の間違ひかも知れぬ。トメさんと文通してるといふ。
研究するんぢゃなくて、たゞ好奇心からアイヌの歴史をきゝ、生活状態を見、心理状態を観察しやうといふのだ。なんだか私は侮辱をさへ感ずる。しかしいくらものずきでもよく訪ねてくれたと感謝する。


七月十九日


仕事が無くて困ってしまふ。
今日も奥様は歯医者さんへ。
一日お天気。


七月二十一日


賜はことなれども、霊は同じ。


七月二十二日


六月の二十七日に出した手紙の返事がやっと七月の二十二日に手に入った。
鉛筆の走書で書いてあることも、私の聞きたいと思ふことは何も書いてゐない。そして浮ッ調子なやうにもとれる。然し、やはり何処かに愛のひらめきが見えるのは嬉しい事である。


七月二十三日 晴、九十度の暑さ


中央会堂へ。
先生に五円、お小費にと戴いた。嬉しくて堪らない。けれど何もしないで……といふ気持がまだ浮ぶ。たゞ感謝すればいゝのに……。
会堂では副牧師の説教。
我生るに非ず、
キリスト我にありて生るなり。
波多野牧師に御挨拶申した。随分いい方だ。
夜、町田さんなる人が見えた。成程、感謝に満ちた顔して居られる。先生や奥様にほめそやされたには驚いた。悪く言はれるのはいやだけども、よくもないことをほめられる事程困ることはない。
赤ちゃんに少しお熱があった。


七月二十四日 晴


朝から随分暑い。
赤ちゃんの機嫌が悪い。からだのかげんがお悪いのだと思ふ。元気がない。
御機嫌がなほった。
樺太のニマポを見せていたゞいた。何れ程古いかわからぬニマポ、ピカ/\光ってる。私は涙が出た。
ワカルパアチャポの事をうかゞって思はず涙にくれる。ワカルパアチャポ、ワカルパアチャポ……あいぬは滅びるか。神様、何卒……。いゝえ、聖旨のまゝに為させ給へ。
奥様のところへマッサージの人が来た。
孤児院の女の子が『買って下さい。要らないのを買ふのが慈善でせう。奥さん、買って下さい』といふ。まだ十二か一のをさない娘。何といふ、惨めな此のありさまであらう。涙ぐましい気持がする。人生の悲惨はこの孤の少女の額にあらはに見ることが出来る。


七月二十五日


午後から、先生と坊ちゃまのお供をして博覧会見物と出かけた。
目がまはりさうなところ。何れも/\驚嘆の種でないのはなかった。
彼方此方で種々と御馳走になった事。お腹が一ぱいだ。
帰って来て心に残り刻まれてあるのは、南洋土人の歌劇、南洋土人の子供のかはゆかった事。いもやかぼちゃのやすかった事、氷水のおいしかった事、噴水のきれいだった事、池の夜景のよかった事。
絵葉書を一組いたゞいた。くたびれて/\、物言ふ事さへ億劫になってしまった。


七月二十六日


くたびれた割に今朝は早く目をさました。金田一さん、金田一さん、とあはたゞしく門をたゝいた山本の奥さん。
一ぱいの水にやっと息をついて、一言二言語った事。
みいちゃんが死んだ、汽車で自殺した、と。
つひ先達見えたあのみいちゃん。美しくらふたけたあのみいちゃん。人の奥さんと呼ぶにはあまりにいたいけな、二十歳だといふても精々十七ぐらゐにしか見えなかったあのみいちゃん。こんな人が奥さんとはあまりに痛ましい事だ、と私が言ったっけが。
神経衰弱とは何とおそろしい病気であらうぞ。
三時頃おかへりの先生は、それに就いて種々なお話をなすった。奥様の事についても。
夜、先生はお通夜にお出かけ。私は先生の代りみたいに奥様がたと一つ蚊帳に寝た。
子を持つ人の如何に苦労の多いかをつく/″\思ふ。
坊っちゃんと赤ちゃんが、あっちへころ/\、此方へころ/\。のみか蚊か、そらお乳、そらおしめ。それに奥様がちっともおねむりなさらない。びく/\/\/\とちっとも落つかない御様子。何だか私の方が神経衰弱かも知れぬ。
二時半のお乳からはグッスリ寝入った。


七月二十七日


先生も奥様もがっかりしていらっしゃる。みいちゃん/\、一日みいちゃんが頭をはなれない。


七月二十八日


(以下余白)





底本:「銀のしずく 知里幸恵遺稿」草風館
   1996(平成8)年10月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本の凡例には、「読み易くするため、拗音と促音のみ現代用法に則った」と記載されています。
入力:田中敬三
校正:川山隆
2006年7月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について