技術の哲学

戸坂潤




 私は今特に、文明批評又は文化批判の立場から、技術の問題を取り上げる。「技術の哲学」と名づけた理由は之である。そしてここでは主に、技術をイデオロギー理論に関係させて取り扱おうと思ったのである。
 この問題についてはまだまだ書くことがあると思うから、序説の積りで之を出版したいと考える。――検閲にそなえるために正確に云い表わせない点があったのは残念だ。
一九三三・一二・六
戸坂潤
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技術の問題


 わが国の現在の言論界では、必ずしも技術の問題が最も重大な問題の一つになっているとは限らないように見える。その原因を見出すことは困難でないだろう。併し技術の問題が今日、様々な対立関係を通じてであるが、最も重大な国際問題の一つになっているという事実は注目を必要とする。ではなぜ今日――吾々にとって――技術は問題とならねばならぬか。又どういう諸形態の問題としてそれが問題にされ得るか。
 封建制下の社会の文化にとっては言葉が或る意味で代表的な役目を有っていた(ギリシア的ロゴス・スコラ的文義的思弁・又我が国に於ける夫々の時代の仏典漢籍国学等々の解釈文化・等)。資本制社会に於ては之に反して、技術が文化の重大な――尤も唯一ではないが――特徴をなしている。之は以前から云われたことである。
 処が、この四年程以来、全世界を通じて極度に発達した資本主義が、決定的な不況という相貌を通じて、ありと凡ゆる形の危機――経済的危機・政治的危機・文化危機・其の他――を凡ゆる人々の眼の前にありありと展げて見せている。資本主義は今や、古いヨーロッパは云うまでもなく、先進後進の極東諸国家に於て、又更に自由の楽土(?)アメリカに於てさえ、物質的及び精神的な(人々はそう呼ぶのである)危機に当面している。金融ブルジョアジーとその代弁者達は、この危機の本質をば経済的危機として解決することが到底出来ないことを遂に悟ったので(アメリカさえ永遠の繁栄を断念しなければならなかった)、特にこれを文化危機という形態に於て捉えることを企て、これをそういう風にイデオロギー化すことによって何とか解消の道を見出そうと試みる。彼等は欧州文明の没落(シュペングラー)・物質文明の幻滅(日本ファシスト)・等々というようなフラーゼを発見することによって、これ等欧州文明とか物質文明とかに対する何かの反対物を空想し(例えば東洋風の形而上学・精神文明・王道文明・王道精神・等々)、かくてこの危機を乗り越える手段を発見したものであるかのように空想するのである。――併し、欧州文明や物質文明という資本主義文化のこの片言まじりの特色づけも亦、必ず技術という概念に結びつけられている点に注目しなければならない。資本主義文化が元来技術と結び付いているものだと前に云ったが、それは同時に、技術が資本制なる経済組織・生産関係と根本的に結び付いていなければならぬということだったのである。処が彼等によればそれが、単に欧州文明に、単に物質文明に、即ち単に文化問題だけに結び付けられて理解されている。これが彼等のやり口の特色なのである。即ち技術はこの際、イデオロギッシュに(観念的に)しか取り上げられていない。
 かくて金融ブルジョアジーのイデオロギーは、資本制自身の経済的危機(それが実は物質的及び精神的危機の凡てを結果するのだ)をば、技術がもち又醸すと考えられる観念的危機に引き直し、そうしておいて技術の代りに何か勝手なものを持って来ることによって、技術を追放しようと欲する。なる程抑々技術がケシ飛んで了うのだから、技術の危機、困難などは立ち消えになるわけであり、それが彼等によれば取りも直さず資本主義の危機の立ち消えを意味することになるというのである。技術という観念は何と有効な解熱剤ではないか。
 だがもし之で事が済むならば、技術というものは高々、現在の危機を観念的に消去する文学的手段として重宝がられるまでであって、別に技術それ自身が問題にならねばならぬという理由は恐らくないだろう。併し、金融ブルジョア・イデオローグの文明批評の手品とは関係なく、技術という観念と及びそれの困難とが立ち消えになっても、技術そのものとそれの現実的な困難とは決して立ち消えになりはしない。そこで、今度は産業ブルジョアジーの直接の手足である処のブルジョア技術家達が、改めて技術と従って資本主義の危機との問題を取上げる。初め金融ブルジョアジーは終局に於て根柢的な金融恐慌を信じることが出来なかったと全く同様に、この産業ブルジョアジーの下士・技術家達は、一応資本主義下に於ける技術の困難・危機を信じることが出来ない。却って彼等は資本主義の危機を解消する唯一の手段こそは技術であり、この手段を活用することこそが技術家の歴史的使命でさえあると空想する。――だが技術家の空想の内部に於ける技術の発展とその効果とは、云うまでもなく、資本主義社会に於ける現実の技術の発展とその効果とからは別である。技術家の善良な意志と決意とにも拘らず、資本主義下に於ける技術は決して正常な発展を遂げることが出来ないばかりでなく、技術の一応の曲りなりの発達さえが資本主義の危機・矛盾の止揚の方向へ導く結果を有つのではなくて、あたかも却って逆に、愈々その危機・矛盾そのものへしか導かない、それが今日与えられた明らかな事実なのである(後を見よ)。実はこの点にこそ、技術が今日のブルジョア社会にとって問題にならねばならぬ終局の理由があったのである。
* Dr. E. D※(ダイエレシス付きU小文字)bi によれば精神的危機を脱するに必要なものこそ技術であり、技術家―技師こそ文化の指導者でなければならぬ(Wissenschaft. Technik. Kultur ―― Der Weg aus der geistigen Krise, 1932)。例のテクノクラットが立つ技術観と技術家観も亦この類いに帰着する。

 資本主義の破壊的危機と対蹠関係に立つものがソヴェート同盟に於ける社会主義建設であることは、改めて云う迄もない。技術の問題はここでは、資本主義社会の危機と結び付く代りに、それが本性上結び付くべきであった社会の建設と結び付く。この単純ではあるが併し極めて重大な関係が、今日の唯一のプロレタリアの国にとって、技術が問題にならねばならない理由をなしている(後を見よ)。――だから資本主義社会にとっては、技術は直接には資本主義的危機との関係から云って、間接には社会主義建設との関係から云って、二重に問題とされねばならぬ理由があるわけである。
* 資本主義の文化が単に技術(Technik)を一特徴とするに対して、社会主義文化は工芸(Polytechnik)――云わば総合技術――を一特徴としているということが出来よう(Bucharin, Die Sozialistische Rekonstruktion und der Kampf um die Technik を参照)。――因みに、Technologie を工芸乃至工芸学と訳す代りに「技術学」又は「工学」と呼ぶことにする。

 以上述べたのは、技術が今日吾々の問題にならねばならない基本的な理由なのであるが、之は又おのずから、この際に於て技術の問題が取り上げられる一定の形態を決めるものともなる。技術はここでは(第一に)、取りも直さず技術そのものとして、――技術に付随した技術家とか自然科学乃至唯物論等々のイデオロギーとから区別されて、取り上げられる。無論之が技術問題の基本的な形態でなければならない。だが実際上から云って、基本的な問題だけが切実な問題だと思ってはならない。技術はその基本的な第一規定として純技術的及び物質社会的意義を有つばかりではなく、それが直接に自然科学や唯物論に必然的なつながりを持たねばならぬ限り、第二に又イデオロギー的意義をも持っている。だからイデオロギーの問題を多少とも具体的に解くためから云っても、技術の問題が極めて必然的な価値を有つことを見逃してはならぬ。実際、今日のわが国に於てのように、イデオロギーが思い切った原始的・封建的・時代錯誤をも敢えて辞せない情勢に当面している時、イデオロギーなるものと技術(このブルジョア文化の一特徴)との関係に向って注意を払うのを怠ることは、由々しい怠慢でなければなるまい。――で、技術はイデオロギーの問題から云っても亦、問題にされねばならぬ理由を得て来る。之が(第二に)、イデオロギーの問題としての技術問題の形態を決定する。
 技術は第三に技術家と離れてはあり得ないが、技術家の問題は又インテリゲンチャ――資本主義社会に於ける及び社会主義社会に於ける――の問題と離れることが出来ない。この切実な併し最も引っかかりの多い中間層の諸問題は、色々な種類と段階の「技術家」の問題に至って頂点に達するのであり、そしてそこにインテリゲンチャ問題が技術の問題に必然的に触れて行かねばならぬ理由があるのである。かくて技術の問題は(第三に)、技術家問題(乃至はインテリゲンチャ問題)として、その問題形態が決って来る。

 で技術を、第一に技術そのものとして、第二にイデオロギー問題として、第三に技術家問題として、取り上げて行かねばならぬ。
 技術そのものに就いて――
 日常吾々は技術という概念を可なり無造作に使っている、時によってこの言葉は所謂技術だけではなく一般に技能や手法をさえ意味している。この概念を一応整理することが問題を展開するのに必要だと思う。
 形式主義的ブルジョア論理は、こうした場合いつでも何かの形の定義が必要であり又有効だと信じているようである。その数から云っても決して古来少なくはない処の哲学的技術論者――技術を哲学的に省察したり技術の概念を哲学体系の骨子にしようとしたりする哲学者・理論家達――も亦、そういう心組みから技術を定義しようと企てる。例えば「技術とは人間の意欲に対して物体的形態を与える処の凡てのものである」とか、「技術とは全生活のタクティークである**」とか、又「技術とは創造の科学である***」とか云うのがそうした「定義」なのである。
* Max Eyth, Lebendige Kr※(ダイエレシス付きA小文字)fte.
** O. Spengler, Der Mensch und Technik.
*** Reuleaux 及び F. Dessauer ―― Dessauer, Philosophie d. Technik を見よ。

 こうした形式的定義は、それから何物も引き出すことが出来ないという点から云って、何の役にも立たない云わば全く装飾的なものに過ぎないが、併しこの際、こうした定義と雖も本当は多少具体的な分析の結果として与えられたものであることを見逃すべきではない。この定義の形式性・抽象性はだから、必ずしも形式的な定義の形態そのものの内にあるのではなくて、そういう定義を結果せしめる処の分析の仕方の形式性・抽象性の内になければならぬのである。と云うのは、これ等の理論家達は技術という概念を専ら主観――観念・精神・イデー・其の他の――に重点を持つものとして、分析しているからである。「技術とは実現さるべきイデーの集団である」、「技術とは創造の科学である」(だが創造の科学は技術ではなくて寧ろ技術学ではないのか)、「技術的なるものの意味はただ精神からしてのみ明らかになる**」、又は「技術は物質世界に結合しているとは云え、無限な純粋精神生活から借りるものがなくてはならぬ***」等々。更に古典的な場合などによれば、主観の行為が知識に基く、ということが技術の意味となっているのである。
* Dessauer 前掲書。
** Spengler 前掲書。
*** Eyth 前掲書。

 技術が一方に於て或る主観的な意味を持たねばならぬということは、後に見るように、誰も忘れることの出来ない点である。夫は云うまでもないのだが、併しここにしか問題の重点を置かないということ、之によっては尽され得ない或る客観的な意味こそがより現実的な重大意義を持つのだということを注意しないこと、技術のそうした観念的な把握の仕方、夫が技術の定義をば形式的で抽象的で無効なものとして了っているのである。実際、そうした方法による分析や、それから来る諸定義は、現実に必然的な問題としての技術の問題――それの理由と形態とを吾々は初めに述べた――を、殆んど何等解明し得ないだろう。技術が単に観念的なものでないからこそ、技術が他の一切のものに対して独特な権利を主張出来る所以があったのだから、折角の技術を、再び観念的に片づけて了うということは、元来無意味な筈なのだ。
 現実の技術は、いつも例外なく、一定の生産関係の内に、一定の社会組織の内に、一定の客観的な存在様式を有っている。之が技術の物質的な契機である。技術の観念的な・主観的な・可能的な・契機は、この物質的・客観的・現実的な契機にまで媒介されるべきものとして、又はこれにまで既に媒介されたものとして、初めて自分自身の具体性を得ることが出来る。この媒介の手続き――之には併し一定の組織的な方法が要るのだ――が必要だという条件を無視して、単に無条件に主観的モメントから出発して技術を規定しようとするから、それがどんなに具体的な客観的事情を顧慮するように見えても、ブルジョア文明批評家の技術論は、いつも実質的に云って抽象的な空気焔・観念的言論(イデオロジー)に過ぎなくなるのである。技術をして本当にその観念的な意味を具体化させ得るのは、却って、その物質的(客観的・社会的)な存在様式を通過させた上でのことでなければならない。
 さてこのことを記憶しておいた上で、技術の主観的契機の方から見て行こう。と云うのは、技術の主観的・個人主体的・な存在様式を先ず見よう。――この場合技術は一般に技能又は能力を意味する。普通世間のイデオローグ式頭脳は、技術が単なる手先きの技能能力をしか指さないものであるかのように思っているかも知れないが、実はこそ原始的人類の物質的・精神的発達に於て決定的な役割に与っていた処のものである。だから技術が仮りに手先きの技能能力につきるとしても、それだけで同時に技術は単なる手先きの事柄ではないことになる。まして発達した人類社会に於ける技能能力は手先きのそれにつきるものではないのだから、技術は同時に知能(インテリゲンツ)にぞくするものでなければならないということが判る。技術は例えば技師や演奏家に於て見られるような本能化された高級の知能(最上の意味の習慣とは之である)迄も包括しなければならない筈である(労作教育は同時に知能の発育を結果するのが事実である)。で技術とは、その主観的存在様式から云えば、一つの勝義に於ける知能なのである(技術家のインテリゲンチャ問題はこの点から続いて分析されるべきである)。
* 逆に知能が一つの技能であるという点も考えて見なければならぬ。と云うのは、知能なるものは単なる素質というようなものではないので、習得され使用される処の具体化された能力を意味しなければならぬからである。「技術と知能」の項参照。

 技術の主観的存在様式が知能にぞくすると云っても、夫は何も技術を特に何か観念的なものと見たということにはならぬ。如何に主観的な存在様式に就いてであると云っても、問題が技術なのだから、明らかに客観的な存在物に外ならない処の機械・道具等々に対して交渉を持つ点で、技術は、本格的に云って、元来物質的技術であることは断わるまでもない。今はこの物質的技術の主観的存在様式としての技術が、知能だと云ったのである。
 だが、この本格的な物質的技術に対して、一応――無論矢張り主観的存在様式の下に於けるものとしての――観念的技術と云ってもいいものを区別しなければならないのは事実である。と云うのは、丁度臨床医が診断や手術をすると同じに、又数学者が様々な組織的な諸方法によって複雑な計算をすると同様に、文学者は工夫された一定の描写方法と構成方法とを用いて制作し、理論家は一定に鍛錬された範疇機構を用いて分析するのであるが、こうした観念処理の手法方法も亦、不断の反覆・熟練・改善・等々に基いて初めて得られるような、頭脳の感官的な運動機構に依っているという点で、即ち云わばそうした観念的な道具又は機械を媒介としてしか行なわれないという点で、技術という性質を有つのである。だから之等のものが実際、本来は何等物質的な技術でなく、即ち何等本来の技術ではないにも拘らず、なお技術と呼ばれているという事実には、充分の理由があるのである。――技術が一つの知能であり、又逆に知能が一つの技能であり、その限り技術性を有っている、という点から見れば、この理由には充分な根拠がある訳だ。
* 制作や分析の法としての公式や、又範疇は、多少アナロジカルに云えば一種の――全く観念的な――道具又は機械である。論理学は古来用具又は機関と名づけられたし、又ジェヴォンズの如きは論理学的計算機をさえ設計した(Jevons, Pure Logic and Other Minor Works を見よ)。

 技術を一般的に語るに際しては、こうした観念的技術に対する配慮を無視してはならない。だが、物質的技術の方が本格的な本来の技術であり、観念的技術に就いて統一的に語るためにもまずこの物質的技術から問題を始める外に道はない。両者は同じく技術と呼ばれるだけに、決して全く別な事物ではないのであり、従って二つを全く別に切り離して了って取り扱うことには色々の危険があるのであるが、問題の中心と解決への端初は、云うまでもなく物質的技術にある筈である。
 さて、主観的存在様式としての物質的技術の本質をどこに求めるべきであるか。例えばデッサウアーの如きは之を発明に求める。「技術の核心は発明である。発明の内に原則的に云って凡てのものが含まれており、凡てのものが尽きてさえいるのである。」だから彼によれば技術的なるものは、第一に目的論的なものであり、第二にそれにも拘らず自然法則と矛盾しないものであることを必要とし、第三に何かに加工するという規定を要素として有っており、或いは(第四に)新しい性質を生み夫が独自の作用を営むという規定を要素としている(第三は仕事を創造する処の技術に相当し、エネルギー貯蔵の働きをなし、之に対して第四は新性質創造の働きをなす技術に相当するという)。――でこういう主観的存在様式としての技術乃至技術的なるものは、その対象的対応物として、技術的世界を有っていると彼は考える。この世界は形而下の尋常な世界ではないので、「力を以て貫かれた超宇宙」、「第四王国」だと云うのである。
* Dessauer 前掲書 S. 6―7, 36, 91ff. 第四王国とはカントの三批判書の対象界の外の謂である。

 主観に於ける或る任意の規定に対応させて或る一定の対象界を想定し、之を何か本当の客観界であるかのように考えるのは、観念論者のスコラ癖である。今もこの例に漏れないわけで、技術乃至技術的なるものという技術の主観的存在様式に対応して、「技術的世界」、が客観的な技術の世界の代りに登場せしめられる。なる程之は全く観念論的にしか想定されない処の現実には限定捕捉し得ない「超」宇宙であらざるを得まい。だが今は、この結果が、物質的技術(無論その主観に於ける存在様式が今の問題だが)の本質を、発明というようなそれ自身も亦主観の働きにぞくする処の規定へしか結び付けなかったことから出て来たものだという点を注意すべきである。――主観的存在様式としての物質的技術にとって本質的な規定は、単に発明とか或いは又創造とかいう言葉で云い表わされた観念的範疇にあるのではなくて、もっと素直に又可視的に、道具又は機械という物質的で客観的な存在物との結合点に、見出されなければなるまい。道具や機械は物体だからそれ自身は当然主観的モメントとしての物質的技術でないが、この物質的技術が之と結び付くという点に(だがこの点に結び付け方は単なる発明という概念などへ結び付ける場合のようにイージーゴーイングには行かない)、この技術の主観的モメントの本質があると云うのである。
 技術(それを如何に物質的技術に限定しても)の主観的存在様式を原理として出発しては、決して本当の「技術の世界」は掴めない。掴めるものは高々一種の観念界としての技術的なるものの対象界――観念的規定の単なる対応領域――でしかない。一体今の場合に限らず、主観的モメントから客観的モメントへ出て行けないのは当然なことなのである。

 吾々は技術の主観的・個人主体的・存在様式――それは結局知能としての技術に帰着する筈だった――に就いて、観念的技術(手法其の他)から物質的技術にまで問題の核心を追跡して来たが、この最後のものの本質は、さし当り道具乃至機械との結合点にあり、正にこの点によって物質的技術が本来の技術として、他の意味での技術と技術以外のものとから区別されるのだったから、今や問題の核心は技術の主観的契機から逸脱してその客観的契機――そこではまず手始めに道具や機械が問題なのだ――の内に求められねばならぬこととなる。問題はもはや単に個人主体的な知能の問題や何かではなくて、技術学工芸学)乃至工学――尤もこのものの意義が抑々問題だが――の問題なのである。
 技術学の第一の対象が道具乃至機械であることは云うまでもない。機械が自然科学の処方箋による通りのメカニズムによって運動するということも無論である。その意味に於て技術学乃至工学は自然科学の応用だと云われていることには意味があるだろう。だが応用という意味には色々あるので、もし応用なるものが原理の単なる云わば随時の適用だというならば、工学乃至技術学は原理の上から云えば全く自然科学以外の原理に立つものではないということになる。即ち機械は(従って道具も亦)全く自然科学的範疇にぞくするものとなるだろう。併し工学乃至技術学が自然科学の応用だという言葉には、実は意識的にか無意識的にか、恐らくもう少し立ち入った意味があるだろう。夫が自然科学の原理にだけ立つものではなくて、同時に他の原理に改めて従属しているが故に、応用だと云われるのである。そうして見れば機械というものは決して単なる自然科学的範疇ではない。実際それは同時に社会科学的範疇――経済的・社会的・更に又政治的・人間史的でさえある――にぞくさねばならない。この機械が直接に連関しているだろう技術なるものは、処で他方、単なる自然でなければこそ技術――アート――だったのである。
* 機械が決して単なる自然科学的範疇ではあり得ないことをマルクスは最も鮮かに指摘している。「数学者や機械論者は、道具は単純な機械で、機械は合成された複雑な道具だと説明している(イギリスの経済学者達もよくこれを真似ている)。彼等は両者の間に何等本質的な区別を見ず、剰え、槓杆・鉋・螺旋・楔等の単純な機械力を機械と呼んでいるのである。なる程どんな機械でも、そうした単純な機械力が仮装したり結合したりして、出来上っているには違いない。併し経済学の見地からはこの説明は何の役にも立たない。この説明は歴史的要素を欠いているからである」(『資本論』カウツキー大衆版第一巻三一六頁)。――マルクス自身は発達した機械を本質的に三つの部分に分析する、発動機・配力機・並びに道具機乃至作業機。そして十八世紀の産業革命の出発点となったものがこの最後の機械部分であったことを述べている。このようなものが機械の歴史的な説明であり、機械の本質が社会科学的範疇によって捉えられねばならぬ証拠である。
 道具と機械との本質的な区別連関も亦歴史的・社会科学的にしか与えられない。作業機なるこの機械部分は大体に於て手工業者又はマニュファクチュア労働者の使用した道具が新しい体系の下に再現したものである。「本来の道具が人間から機構へまで移行すると、単なる道具の代りに機械が現われる」(同上三一八頁)。
 ブルジョア・イデオローグの機械の「定義」は甚だ形式的であり抽象的である。「機械とは抵抗物体の結合であって、この各物体がその機械的自然力を介して一定の運動を作用するように仕組まれたものを云う」(Reuleaux, Mechanik, Bd. ※(ローマ数字1、1-13-21))。「機械とは形態ある物質が自然法則に従って、予定された運動をすることによって、物質に一定の形態、性質又は運動を有たせうるように、配列された処の統一物である」(Dessauer 前掲書一七六―七頁)、等々。
 技術学の第一の対象であった機械自身が、決して単なる自然科学的範疇のものではなく社会科学的範疇にぞくする。客観的存在様式に於ける技術――それこそ本来の技術である――は技術学の対象であるが、その技術学が自然科学の応用(?)であるに拘らず、否それであるが故に、経済学的・社会学的・政治学的・本質のものなのでなければならぬ。で技術(客観的)の本質は社会的なものでなければなるまい。ではどう社会的であるか。
* 「技術学は自然に対する人間の能動的関係を、即ち人間生活の直接の生産過程を、従って又人間の社会的生活諸関係とそれから来る精神上の諸観念との直接な生産過程を、明らかにするものである」(『資本論』三一七頁)。――即ちこうした社会的なもの(客観的技術)及び観念的なもの(主観的技術)までが、技術学の対象――技術――だと云うのである。
 機械は無論単なる一種の物体に過ぎないからそれ自身は何も技術ではない。機械に対する技術の連関を明らかにするためには、機械の社会的性質なるものをもう少しハッキリさせて見る必要がある。と云うのは、機械は(道具を含めてもいい)就中大工業に於ては、最も代表的な労働手段なのであり、従って又最も重大な生産手段の一つに数えられる。この労働手段乃至生産手段を通して行なわれる労働過程乃至生産過程――ここでは外になお人的・主観的・要因を忘れてはならぬが――の内に、社会に於ける客観的な物質的技術が横たわっているのである。
 だがここで労働手段と云ったものの内には――生産手段に就いてはなお更のこと――ただに機械(乃至道具)が含まれるばかりではなく、之と組織的に結合している工場・設備・交通組織等々が、少なくとも同時に含まれていなければならぬ。工場に据えられてない機械は、社会科学的に云えば見本か陳列品ではあっても充全な意味で労働手段ではなく、社会科学的範疇としての機械の概念には充分にあて嵌まらない。それから又外部的な交通組織から孤立した工場設備は現実的には存在し得ない、等々。だから機械は一つの有力な労働手段であることによって、それに必然的に結合している他の諸手段と組織的な統一をなしているのであり、この組織の一部分として初めて、充分に社会的な――資本主義的又は社会主義的大工業にぞくする――性質を受け取ることが出来る。――そこで、機械というこの労働手段を通して行なわれる労働過程と先に呼んだ処のものは、同じく機械だけを通しての労働過程であることに止まらず、必然的に他の諸手段をも貫いている限りの労働過程にまで組織統一されてなくてはならぬ(このことは更に生産手段と生産過程とに就いて迄も拡大され得る)。
 技術はだから、今云った限りのこうした組織的な統一的な労働過程(乃至生産過程)の内に横たわっているということになる。技術は、客観的存在様式の下に於ける物質的技術は、かくてその客観的な組織性・統一性――即ち客観性――を持つことが出来るのである。この組織的で統一的な物的客観性は、主観的存在様式としての技術などに於ては見出すことが出来ない。技術は物的技術組織――例えば大工業に於ける技術的過程其の他――として、社会に於ける物質的客観的存在であると云わねばならぬ。
 こういう意味に於て、技術は大工業に於ける一つの著しい労働手段(乃至生産手段)たる機械其の他を通しての労働過程の内に横たわることから、夫は発達した資本主義以降の社会に於ける生産力を構成する一つの著しい要素でなければならぬ。マルクスによれば、資本主義生産関係に於ける生産力の構成要素で最も重大な意義を有つものは少くとも二つあるように見えるが、一つは労働力であり、他の一つが技術である。技術が特に発達した資本主義社会に於ける生産関係に於て、如何に根本的な役割を果しているかは、想見するに難くない。技術はかくて、全く経済的・社会的・(夫は更に政治的ともなる――技術の問題の第二・第三・形態で之を見るべきだ)な範疇であると云うことが出来る。
* 併しこのことは技術が常に終局的な生産力であるという主張へは導かない。例えばプロレタリア階級なる労働の組織・この労働力は、最も有力な生産力であって、ここではプロレタリア(労働者)の技術的能力ばかりではなく、同時にその政治的役割が問題とならねばならぬ。ブハーリンがこの点から批判されたのは人の知る通りである。――技術は元来労働から切り離せる筈のものではない、即ちプロレタリアの労働力から引き離されてはならないのである(だがこの問題は、「イデオロギーの問題としての技術」の問題、又は「技術家」の問題へ移行するので、「技術そのもの」の問題を取り扱っている今の段階ではこのモメントは捨象しよう)。
 技術の社会的意味に就いてはルービンシュタイン「技術の発展に関するマルクス」(『マルクス主義の旗の下に』日本版第二十二号)を見よ。なお小高良雄氏「唯物史観に於ける生産力の概念について」(『唯物論研究』第二号)参照。

 技術(及び技術学)が社会科学的範疇にぞくすると云うと、技術が他の社会科学的範疇、例えば生産関係とか階級関係とかと異る折角の技術的なものが見失われはしないかを憂える向きもあるかも知れない。なる程ダイナモの運動や内燃機関に関する理論は、何も社会的な事物に関する知識ではないが、併し他方それならば又何も特に技術的なものだと云う必要はないので、単に自然科学的――物理学的・化学的――な知識に過ぎないと云ってもいいわけである、技術が単に自然科学的知識の肉体による表現である以上に――自然科学の実験も亦技術的なのであるが――特に本格的に技術の資格を得るという事情は、この知識が経済的に応用されるという条件の下で初めて発生するのである。技術の内部組織が経済的な必然性によって初めて体系づけられているということが、従来技術を単なる自然科学から区別するための特徴である。哲学者はこの点を指して技術の目的論という観念的な形式的な特色づけを与えているのである。丁度真理が社会的に通用・妥当することによって初めて現実の真理の資格を得ると同じに、社会の一定の経済関係――生産関係――に嵌めこまれることによって初めて、技術は技術の意味を得て来る。仮に人々が純粋科学――そういうものは実はないのであるが――と呼んでいるものが真理に近づくことが夫の進歩だとすれば、それと同様に、社会に於ける生産力の云わば極大に近づくことが技術の進歩であると云っても好い。凡そ事物の歴史的進歩の過程にこそ事物の生きた本質があるのであり、一切の科学の本質も亦それの歴史的発展の過程に於て初めて見出されるものであるが、技術はこうした所謂科学より遙か直接的に、その歴史的発展の内に自らの本質の表現を有っているということをその特色としている。技術の本質――夫こそ技術学の根本的な対象でなければならず、又吾々の元来の関心の中心をなすものだ――は、その歴史的発展によって、社会の生産関係を通してのその進歩又は退歩によって、極めて直接に制約されているのである。だから現実の技術の本質を知るためには、現実に与えられた社会の生産関係によって夫が如何に制約されているかを見ねばならず、又夫を見れば好いわけである。
* 例えば或るアメリカのエンジニヤーによれば、「エンジニヤリングとは人間の目的のために科学を経済的に応用するやり方である」(G. Dunn,“Science”No. 1837)。

 そこで手近かから云って、現代の資本主義社会に於て、技術はどういう制約を受けているか。これは今日至る処に於て見られる事実であり、又聞かされる説明であるが、結論を云えば現代資本制生産関係は技術に対して全く否定的な決定をしか与え得ない。それは技術という現在では最も重大な生産力の一つが、如何に現在の生産関係と矛盾しているかを、最も雄弁に物語っているものに外ならない。
 元来技術自身が資本主義の発達に決定的な役割を果して来たのであったが、この発達の結果は、現段階に於ける世界経済を、古今未曾有の不況につき落して了った。その結果として、技術だけに就いて云うのであるが、操業短縮・工場閉鎖・等々の手段によって、すでに形成されてあった技術の基体――機械・工場設備・其の他――は無益に荒廃にゆだねられねばならず、社会が一旦すでに獲得していた技術の適用実施の限度は拡張されるどころではなく却ってマイナスの方向に向って拡張されて行きつつある。技術の量的質的発達はかくて、単に抑止されるばかりでなく量的に引きもどされ従って又やがては質的に引きもどされることにならざるを得ない。のみならず会社・工場に付属している各種の研究所の活動は一般的に云って活動をそれだけ鈍らされざるを得ないのであり、それが国家の財政に基く研究機関であるならば、一般的失業による歳入減・所謂匡救費支出・警察費の拡張・軍備費の超越的膨脹・等々の結果から、それだけ「経費節減」を受けねばならぬ。研究所や工場に於ける技術家が出来るだけ整理されるのは当然であろう。かくて技術は、単に不況という一現象――之は現代資本主義のほんの表面的な一現象に過ぎない――だけから云っても、その幸運な発達を阻止されつつあるのが事実である。
* 一九三二年秋、相談に着手し始めた処の「日本学術振興会」の創立の如きは、何もこの点の反証にはならぬ。なぜなら之は結局一方に於て思想善導を動機とし、他方に於て軍事科学の研究を動機とするものであって吾々の分析の今の場合にはぞくさないから――後を見よ。
 不況の一原因ともなり一結果ともなるものは資本の独占であるが、この独占資本制は技術の発達に対して極めて特徴ある制約を与える。と云うのは独占(モノポリー)一名専売であるが、これに基く専売特許なるものは元来「発明の奨励」のために、即ち技術の発達のために、設けられた制度だったのである。処が独占資本制の下に於ける特許権が殆んど凡て、発明者個人の手にではなく独占資本の手中に独占されて来るということに問題があるのであって、特許権を独占した独占資本は自分の都合の如何によって、この権利を行使しようとしまいと勝手なのである。実際は、人類の技術の水準を記録している処の多数のパテントが、生産のために用いることを許されずに持ち腐れになっているのである。それでなくても資本による特許権の独占は排他的なのだから、外では特許料を払わない限りわざわざより未発達な・より原始的な・より非技術的な・技術を用いてしか、同じ生産を行なうことが出来ない。そればかりではなく、産業合理化に役立ち過ぎる発明に対しては「社会政策」的に、故意に特許権を与えないという事実も決して少なくない。技術の適用は現実の技術水準を遙かに後れてしか現実され得ない**。――これは単に技術の発達の阻止であるばかりではなく、正に現に発達している技術を未発達の水準にまで抑圧することであり、要するに技術発達の原始化逆転でなければならない。
* モノポリーは十六世紀にイングランドに於て初めて行なわれたと記憶するが、フランシス・ベーコンが恰もこの時期の哲学者であり政治家であったことは無意味ではない。ベーコンは外でもない発明術(それが彼の「新しい論理」である)の提唱者で、技術の理想国 Nova Atlantis の幸福な空想家だった。
** 例えばドイツの「I・G・化学トラスト」は数千のパテントを有ち乍ら之を用いることを許さない。西ヨーロッパの多数の研究所では人造絹糸の製造方法を研究しているそうであるが、この方法の秘密が発表されたり発売されたりするのは、既に役に立たなくなったものに限る、其の他其の他(M. Rubinstein, Science, Technology and Economics under Capitalism and in the Soviet Union, 1932 による)(多くの研究所の研究員の発明に就いては当該研究所又は会社が特許権を所有する約束にしてある)。――わが国の某肥料会社は空中窒素固定法であるハーバー法特許権(之はドイツから賠償にとって来たのを安く払い受けたものである)を、「世間の非難に鑑みて」放擲することを政府に申し出た(一九三二年九月)が、他に仔細がない限り之は「非常時」的な異例に数えられるべきである。

 以上は現代資本主義生産関係が如何に技術の発達を否定する結果にならざるを得ないかという点の要領だったが、今度は逆に、技術の発達が如何に現代資本主義生産関係を破壊するかという点に注意しよう。資本制生産関係に於ては技術の発達――それは機械の発達と平行するのだ――が如何にして「生産過剰」を生み、それが如何に逆説的に、資本制生産関係によって労働大衆の失業相対的貧窮化を結果するかは、古くイギリスの産業革命の頃まで溯って跡づけることが出来る。労働大衆の失業(その貧窮化とは結局失業のことに過ぎない)は併し、それ自身で労働力の絶対的な(相対的ではない)殺減であり、即ちそれだけ生産力要素の殺減であるばかりではなく、やがて生産関係それ自身の変革を(暴動・動乱・又戦争等々を通じて)招くということは、過去にも現在にもあて嵌まる定石である。生産関係が技術の発達を否定する――阻止・抑圧・逆転する――ことが、それに対する反作用として、技術の発達が生産関係を否定する結果になるのは不思議ではない。
 併しもう一つ注意すべきは、或る特定種類だけの技術の発達が他の技術部分を破壊するという場合である。軍需工業の発達は軍需的技術の偏重的発達を促すが、その結果は生産力として機能し得る有益な技術の発達をそれだけ否定することになるばかりではなく(この点だけならば前に述べた範疇に這入る)、それが元来社会的破壊作用――戦争――のための技術であることから、第一には社会建設的な有益な技術の物的基体――機械・工場・都市・農場・等々――を破壊し、従って第二にはこの有用技術の発達部分を物質的に破壊し、更に第三に又この有用技術の人間的基体たる肉体そのものを大量的に破壊することによって、この技術の発達部分を肉体的並びに精神的に破壊するのである。これはその限り生産関係の部分的破壊を意味している。――処で、こうした結果を引き起こす処の原因であった戦争又は戦争準備――現代資本主義制下に於ける戦争は資本主義戦争・帝国主義戦争であるが――は、外でもない技術の発達自身を一つの重大な原因としているのであった。
 かくて現在の資本制下に於て客観的に存在している技術は、凡ゆる本質的な点に於て(なぜなら技術の本質は技術の歴史的発達に於て直接に現われる筈だったから)、現在の資本主義的生産関係・即ち特に独占資本制生産関係と、矛盾に陥っているのであり、而もこの矛盾は一波毎に日々深まって行きつつあるのである。――そこでブルジョアジー又は彼等の代弁者たるブルジョア・イデオローグ――欧米に於ける文明批評家・技術家・科学者・哲学者・其の他――は、この客観的情勢を反映して色々の型の技術否定論を提唱せざるを得なくなる。「技術の過剰」を歎くもの、機械の使用を制限せよと論じるもの、工業の無茶なテンポを止めよと要求するもの、現代の危機は技術・科学の破産によるのだと云うもの、等々。資本主義と資本主義下の技術とが矛盾する限り、資本主義を死守するためには無論技術は否定されねばならない。だが現実的な技術の観念的な否定は何等夫の現実的な否定にはならぬ。技術の進歩は現実的には到底否定され得べくもないのだから、技術と現代資本主義との矛盾はこれ等技術否定イデオローグの観念によっては無論解消され得べくもない。
* G・ベルンハルト教授の意見、アメリカ経済学会大会に於ける要求、アカデミー・フランセーズのボレルの見解、欧米の其の他新聞雑誌の論文。――ルービンシュタイン前掲書を見よ(この点は、「イデオロギーと技術」の項で仔細に取り上げられる)。

 技術の本質・発達の問題に就いても、他の諸国家と全く異った対蹠的な材料を提供しているものはソヴェート同盟である。そこではプロレタリアの社会主義革命は政治的変革の時期を過ぎて今や、技術的革命の段階に這入って来た、それは人々の知る通りである。ソヴェート同盟の新しい生産関係が如何に技術の発達を益々需めつつあるか、又逆に技術がこの生産関係を如何に急速に完成しつつあるか(五ヵ年計画・第二次五ヵ年計画・其の他)、それを今更喋々する必要はあるまい
* ソヴェート同盟に於ける技術の発達に関する一般的解明及び夫と資本主義国に於ける技術との比較は甚だ多い。ルービンシュタイン前掲書、同じく「サヴェート同盟に於ける技術的再建の基礎としての電化」(『新興自然科学論叢』――“Science at the Crossroads”の邦訳――の内)、ブハーリン前掲書、岡邦雄氏「科学と技術との計画的結合」(『唯物論研究』創刊号・第二号)等々。断片的なものでは J. Stalin, On Technology, 1932 など。
 要するに資本主義社会に於ては、技術の歴史的発達は、従って又取りも直さず技術の本質は、資本制の矛盾と共に歪められる。之に反して社会主義社会に於ける技術は、必然的に発達せざるを得ず又自由に発達することが出来、従って取りも直さず技術の本質が自らを充分に展開することが出来る。之が現代の世界に於ける技術の事実的情勢である。――処でアメリカに於ける技術もソヴェートに於ける技術も、苟もそれが同じく技術である以上同じものでなければならぬと考えられるかも知れない。なる程技術の主観的モメント・主観的存在様式・だけを抽象して見れば一応そう云えなくはないだろう。実際アメリカの機械と技師とはそのままソヴェートで役立つ。ディーゼル・エンジンは大西洋で動くと全く同じに北氷洋でも動く筈だし、トラクターはテキサス州に於けると全く同じにトルキスタンでも動く筈である。だが之を動かす技術が、客観的存在様式としては、――主観的様式としての技能はどうであろうと、――一定の与えられた生産関係によって媒介されずにはいない限り、それだけ今の動かし方も実は異って来るのである(ソヴェートに於けるトラクターはアメリカに於てよりもより経済的に動かされるのを注意せよ)。――で、資本主義下に於ける客観的存在様式としての技術と、社会主義下に於ける夫とは、異った二つの技術であると云わねばならぬ。前に社会的だと云っておいた「技術」なるものはだから、当然なことながら、階級性を有つものだったのである。
 さて、技術に関する他の一切の問題――吾々は後に技術とイデオロギーとの関係・技術家インテリゲンチャ・などの問題を取り扱わねばならぬ筈であったが――も亦、技術そのもののこの階級性を視角に持たねばならぬ。
[#改段]

技術と実験


 今日普通に実験と呼ばれているものは、一定の限られた狭い意味を有っている。物理学の実験・化学の実験・動物学植物学の実験・と云えば、意味が具体的に直ぐ判るが、仮に天文学の実験と云えば、もう可なり意味が曖昧になって来るし、社会科学の実験と云えば、人によっては、そういうものはあり得ないとさえ考える。
 実験がこう狭くしか理解されていないのは、無論尤もな理由と、正当な意義とがあるだろう。併し、実験というものが吾々人間の経験・生活・又思考に於て果している役割は、客観的に見れば、実験は遙かにもっと広範なもので、その一つの特殊な場合だけが、所謂「実験」として、世間の人々の観念によって固定させられているに過ぎないのである。
 一体、実験は、何にもまして、近世科学の特徴を云い表わしている標語の一つだ、ということを注意すべきである。なる程、後で見るように、実験は吾々人間の社会生活に於ける日常的な行動形態の一つだとすれば、何も夫が、近世の科学者――主に自然科学者――が初めて気付いたものなどではあり得ないことは、云うまでもない。科学の歴史が古いと共に実験という操作も亦古い、ばかりではない、云わば人間の生活が古いと共に、夫は古いだろう。ギリシアで実験的な精神に最も富んでいた学者はアリストテレスだったと云われているが、事実彼は、動物学の研究に際して、各種の材料をば好んで実験的に処理しているのを見受けることが出来る(Historia Animalium に於ける各種百般の動物――蛇とか象とかイルカとか――の解剖学的研究の諸部分がそれだ)。併し今大事な点は、アリストテレス自身、必ずしも特に実験の精神を高唱しているものではないという点である。
 実験という操作をフンダンに用いるということは、だから必ずしも実験の意義の重大な所以を自覚することにはならぬ。実験という認識態度乃至生活態度が、社会の生産関係に於ける一定の技術的な基礎と直接に接触しない限り、実験が事実上は意識的に行なわれていても、原則的な意義を自覚されて来ない。
 実験が、認識乃至生活に於て原則的な意義を受け取り、新しいテーマとして高唱されたのは、普通ヴェルラムのベーコンによってだと云われている。処がベーコンは、旧教徒を抑えスペインの制海権を奪った新興階級のイデオローグに相応わしからぬ、中世的・旧教的・スコラ的・な残存物を多分に持っている。彼が実験及び帰納を用いるものと考えた自然研究の方法は、彼によって「自然の解釈」と呼ばれているが、この解釈とは、存在に存するスコラ式な形相(Form)を存在から取り出すことに外ならなかった。だから彼が実験と考えたものも可なり曖昧なものであらざるを得ず、夫は不思議にも研究用具(インストルメント)自身と対立せしめられてさえいるのである。それに、彼自身は、多少の例外は別として、あまり実験的研究をしているのではない。だからベーコンが事実上掴んでいた実験なるものは、この点だけから見れば、アリストテレスの段階を完全に踏み越えて了ったものだとは云えないだろう。
 それにも拘らず、彼が実験の最初の提唱者という名誉を担っているのは、外でもない、近世の科学に於て、又一般に近世社会生活に於て、実験が客観的に原則としての意味を持って来るようになったからなのである。そして又ベーコン自身、その中世的な制限にも拘らず、逸早くこの点に気付いていたからなのである。
 尤も実験のこうした原則的な意味に気付いた者は、別にベーコンに限らない。ベーコンより遙か先に、すでにレオナルド・ダ・ヴィンチは、実験が認識の唯一の信頼すべき手段であることを、断片的に述べている。そしてダ・ヴィンチに限らずミケランジェロなども、写実的な絵画や彫刻の技術を学び取るために、解剖を勉強しているのである。特にダ・ヴィンチは技術学上の知識や空の青さの科学的説明の努力やによって、哲学者ベーコンなどに較べて遙かに、技術家で又科学者であったと云わねばならぬ。――だがそれにも拘らず、このフローレンスの美術家兼科学者・工学者(ゲーテに比すべき普遍人)に於ける実験の観念は、エリザベス王朝の高級官吏であった「俗物」フランシス・ベーコンの実験の観念に、遂に及ばないものがある。というのは、ダ・ヴィンチは実験を、単に確実な認識のための手段としか考えていない。実験は彼にとって、静観的な判定の頼り処でしかない。処がベーコンにとっては、実験とは、単に認識判定の手段であるばかりではなく、同時に、自然を征服するための、自然を「拷問」するための、自然を搾取するための、権威ある唯一の手段なのである(当時出来上った東印度会社は、云わばこの自然の搾取のために人間を搾取することを目的とすると云っていいだろう)。
 ここに吾々は当時イングランドに於て勃興しつつあったブルジョアジーの、社会条件と認識態度との最も特色ある表現を見ることが出来る。近世科学の特色がベーコンの提唱になる実験を標語とする所以は、正に、ここに始まりを持つのである。
 実験は初期の進歩的なブルジョアジーが産んだ近世科学、即ち実証科学、の精神であり武器である。中でも最も早く実証的階段に這入った自然科学の、精神であり武器である。処で、実証科学は工業(乃至産業)に工学(テヒノロギー)に、又技術に直接に連関している。コントの如きは、この理由から、実証科学が「工業的(乃至産業的)生活」(vie industrielle)のものであることを、そしてその意味でプロレタリアのものであることを(彼のいうプロレタリアは実は工業資本家乃至産業資本家の忠実な一味徒党のことである)、主張する。だから今日でも、実験は、云うまでもなく、技術に対して最も直接な連関を有っているのである。処で今日の社会に於て、技術なるものがどういう重大な意義を持っているか、それを今ここで改めて述べる必要はないだろう**
* ベーコンの実験の概念が、当時の英国の工業、特に採鉱冶金業の発達と如何に連関しているかは興味ある問題である。当時のイングランドは鉄製品の輸出に於て世界に於ける独自の地位を占めていた。スペインの無敵艦隊も英国製の火砲を載せていたのだと云われている。
** 「技術とイデオロギー」の項参照。

 現代の吾々の知識に於ける科学的なものは凡て、技術と直接又は間接の連帯関係に這入らざるを得ない。今日、唯一の科学的な観念体系は、云わば技術的範疇――技術と連帯関係にある凡ゆる範疇――によって支えられるべきものなのである。然るに、今では昔の産業上又政治上の進歩性を完全に失って了ったブルジョアジーは、結局に於て、単に社会科学に於てばかりではなく、自然科学の世界に於てまで、この技術的範疇を放擲しようと企てている。社会科学は国粋ファッショ化し、自然科学は神秘化される(因果律の放擲)。吾々が今日技術の権利のために是非とも起たねばならない一つの理由がここにあるのであるが、その準備のために、恰も実験という問題が、一応解けていなくては困るだろう。
 実験は以上のような理由から問題にならねばならない。
 実験の問題を積極的な意味に於て、そして広範に、而も一定の必然的な位置を与えて、捉えるものはマルクス主義的範疇である。今それを見よう。――近代の典型的な観念論――夫を自由の哲学と云っていい――の主なものは、恐らくカントのやや正しくはあるが併し不充分な見解を除いては、実験に就いて積極的な意義を認めない。この哲学にとっては、実験は或る意味で、自由の放擲をさえ意味するだろう。自由な自己決定の代りに、自然そのものの自己決定か又は自然が吾々を外部から決定することかが、実験に決定を任せるということに外ならない。実験が所謂「自由」の哲学からは積極的な意味を受け取れないのに不思議はないだろう。それから又、コントの実験の精神が、あのままでは今日の資本主義社会の行き詰りと一緒に行きづまらざるを得なかったことは、前に述べた。今日のブルジョア社会では実験の精神は、積極的な意味を有つどころではなく、却って否定されねばならない必然性さえあったのである。――処でマルクス主義的範疇体系だけは之に反して、社会に於ける実験の積極的な意義を高調することが出来るし、又事実高調せずにはいられない。社会主義的建設などは今日、何よりも顕著な積極的な社会的実験だと云われている。
* カントは自分の哲学を実験的方法に基くものだと考える。丁度コペルニクスが実験に基いて天動説を覆したように、彼も亦実験(但し思考の上の実験だが)に基いて形而上を覆すのだと主張する。――カントの所謂コペルニクス的転回とは、実は実験的転回のことであって、中心を対象から主観に移した点から云えば、寧ろ、コペルニクス自身の転回とは反対な態度だったろう(この点に就いてはすでに高坂正顕氏の所説がある)。
 だがこの社会主義的建設の例は、マルクス主義的範疇としての実験が、単に自然科学の実験ばかりではなく、同時に社会に於ける実験――云わば社会科学的実験――をも意味しなければならぬということを、同時に示しているだろう。実験の本質を社会にまで結び付けたことは、マルクス主義的範疇としての実験が、如何に広範な含蓄を有っているかを示している。
 実際、実験はマルクス主義的範疇の体系に於ては、一つの社会的な歴史的な範疇として、初めて一定の必然的な位置を占めることが出来る。というのは、実験は、社会的実践の一つの代表的な場合でなければならないからである。
 現代の観念論的哲学者は、実践というものを多くは道徳的行為のことだと考えている。行為が只の肉体の表現運動ではなくて道徳的行為であるためには、夫は社会的行為でなければならない筈だが、この社会的行為も、歴史的な意義を担った歴史的行為でなければ本当の社会的行為でないのだとすれば、そうした行為は広い意味で政治的活動の外にはあり得ない。道徳的行為が単に倫理学的なものでなく歴史的なものだということを考えて見れば、道徳的行為も政治的活動として考え直さなければなるまい。マルクス主義的範疇による実践とは、こうした政治活動によって代表されている。
 処が政治活動は第一に、社会全体から見ると、物質的生産活動――産業――によって直接に制約されていることは明らかであるから、政治的実践は産業的実践から来るものだと考えることが出来る。社会的実践はこの場合産業そのものを意味することとなる。処でこの産業は工場・農場・等々に於ける一つの社会的実験の性質を持っている。でこうして、政治活動―産業―(社会的)実験と、順次に社会の物質的地盤に向って下って行くことが出来る。この順序を逆にすれば、(社会的)実験は産業(生産活動)から政治活動へと上って行くことが出来るわけである。こうすれば単に産業(生産活動)ばかりではなく、それに基く政治活動までも、(社会的)実験という性格を帯びることが出来るだろう。実際、革命や戦争などという最も著しい政治活動は、少なくとも結果だけから見ても、実験としての意味を持っており、実験としての効果を有っているのである。
 政治活動は第二に併し、人間生活の根本的な態度であることを注意しよう。人間は政治的動物だと古くから云われている。で人間の生活を、さっきのように社会全体からでなく夫々の個人だけの立場から見ても、彼がやはり政治的活動の主体であることに変りはない。ただこの際には、個人的に見られた彼の政治活動――即ち彼の人間生活――は、人間的経験によって裏付けられている、という一種の認識過程にぞくする一側面が展開してくる。人間生活としての政治活動は経験に基いている。で、実践は今や生活から経験にまで包含の領域を拡げる。処でこの経験が、人間の社会生活に於ける日常的な実践(或いはその特殊な場合として科学上の実験)によってしか蓄積され得ないということは誰でも知っている。経験ということは、故意に企てたか故意でなかったかを問わず、社会に於て何等かの実験を経たということだ。で、こうしてここでも、政治活動(生活)―経験―実験の順序に実践の概念が展開する。之を逆にして云えば、人間的経験も人間的生活も、実験という性格を帯びたものだと考えることが出来るわけである。
 第一の社会全体から見た社会的実験も、第二の個人の認識過程から見た実験も、併し、実は一続きのものであることがすぐ判る。なぜなら、人間個人が社会に於て嘗める処の実験=経験は、結局、一種の社会的実験の外ではないからである。そして、こうした人間個人の社会的実験の特殊な場合が、所謂「実験」と呼ばれる科学上の実験だとすれば、この狭い意味での所謂実験が、一般に社会的な実験と、云い換えれば実験一般と、どういう関係に立っているかも、すでに決っていることである。
 マルクス主義的範疇としての実験は、このように広範であり、又実践の世界に於てこのように一定の必然的な位置を占めている。之が実験というものの本当に積極的で広範な意味に外ならない。

 私は今、実験の性格を担っている処の政治活動や生産活動・人間の社会的生活経験・等々ではなく、之等に実験の性格を与えている当の実験プロパーに就いて、考えて見なければならないわけである。その際便宜上、科学的な特に又自然科学的な実験を中心に置いて考えて見るのがいいと思う(だが科学的実験だけしか考えないと云うのではない)。そうすれば、前に云って来たことから当然、分析は人間的経験との関係から始まらねばならぬ。
 認識論(普通之は人間的経験を単に知的な機能又は成果としてしか取り扱わない哲学部門であるが)的に云えば、人間の経験は感性的な直観から始まる。というのは、客観的な物・対象が吾々の感覚(併し今日の心理学では感覚という概念は疑われている)又は知覚となって現われる(現象する)ことが、人間の経験にとっての所与であり材料だというのである。だが人間の経験は単にこうした一般的な構造を有っているだけではない、それは認識するという或いは広く云って生活するという、決った目的を持っている。で、その目的のために、人間は経験を或る一定の条件=形式にあてはめる。或いはそういう風に一定の条件=形式にあてはめて行くことが本当の具体的な経験だと云っても好い。――人間は観察(Beobachtung)を始めるのである。之がすでに、経験の量が一定の段階にまで蓄積された結果であるのは云うまでもない。
 観察自身の蓄積、即ち経験のより以上の再蓄積は、やがて更に一定の形式を要求する。観察は対象の時間乃至空間による変化(一般に運動と云っても好い)を記載するものだが、併しまだ諸変化を或るコンスタントな標準に照して記載するとは限らない。処が記載の目的から云っても、出て来るデータが過剰になって来ると、どうしても或る標準に照して之を整理する必要に迫られる。そこで観測(Surveying)が必要になって来る。――観測と云えば已に測定(Messung)(それは計量の物質化されたものである)を含んでいることは明らかだ。
 経験―観察―観測。併し之はまだ、必ずしも対象に手を下さなくても出来ることだろう。処が人間の経験は元来決してそうした受動的なものではない。吾々は舌を動かさなければ味が判らないし、手を出さなければ手の触覚も生じない。眠っていては眼は見えないし、注意する意志がないと聴える音も聴えない。人間的経験の本質はいつも、どこまでも能動的であらざるを得ない。で経験は遂に実験(Experiment)にまで行かざるを得ないのである。蓋し実験とは、事物を変更・変革・乃至生産・消費・することによって、新しい知覚を得て、之によって認識し経験することに外ならないからである。――以上述べた移行過程は、自然科学に於ける実験を頭において考えたのであるが、言葉の適切な変更によって、之を社会科学に於ける実験にまで押し及ぼすことが出来るだろう(社会科学に於ける科学的実験に就いては後に見よう)。
 実験に到着する過程は歴史的にも心理的にも又云わば存在論的にも全く必然である。よく考えて見ると、対象を静かにありのままに観察すると云っても、大抵吾々はそれを回転して見たり、後ろへ回って見たりする。手を下して対象の構造を変革して見ない迄も、自分に対する対象の位置関係は変更して見るだろう。人間的経験は初めから実験の形を持っているのである。
 さて科学的認識に於ては、実験は科学上の理論と特別な関係に織り込まれる。普通実証科学の理論は実験の上に立てられると考えられている。なる程初歩的な実験ならば、そう云っただけで済むだろう。併し発達した実験はすでに一定の理論を予想していることを注意しなければならぬ。吾々はエーテルの存在するしないを知覚することは出来ない。波動理論に於ける波の干渉という理論を仮定した実験装置によって、干渉圏の有無を知覚し、この知覚をこの理論によって解釈し、この知覚をば求める事実を云い表わすものとして、先の知覚に代用するに過ぎない。血清に関する理論体系がなければチブスの検診の実験はなり立たない。理論による解釈を仮定しなければ、こうした実験は無意味になる。だから実験自身が理論体系の、即ち理論自身の、鎖の一環をなしている。――或いは逆に、実験と実験とをつなぐものが所謂理論というものだと云っても一応好いかも知れない。科学に於ける仮説とは、丁度こうした見方による場合の理論のことだろう。
 併しそれだけではない。実験が理論と一応別に、それ自身の一貫した歴史的発達を持っている場合も忘れてはならない。無論どの実験の発達も、その発達の各段階の間に横たわる夫々の段階の理論によって促されるのではあるが、丁度数学が理論を一般的に整備するために発展せしめられるのと平行して、実験一般が発展せしめられるために或る種の理論が特別に必要となる。実験自身が実験の理論を持っている。誤差論の如きがそうである。この実験の理論が、個々の実験の場合として分化すると、例えば定性分析の理論になったり或る種の「実験物理学」になったりする。とに角この場合、理論一般は実験自身のために動員されるのである。一般の場合には之に反して、実験は要するに理論的認識のために行なわれると考えられるべきだろう。
 マルクス主義が、科学に於ける実験と理論との上のような一般的関係を、実践と理論との関係の特殊な場合に属させることは、断るまでもない。
 併し科学に於ける実験の役割に就いて、もう少し分析を進めて見る必要がある。
 世間で実験科学と呼んでいるものがある。実験物理学・実験動物学・実験心理学という言葉がよく使われる。その意味は、恐らく、数学や歴史学や社会科学や哲学などが、夫に含まれないような性質の科学を指すのだろう。処でこの名づけ方によると、実験科学は、何か実験という方法によって出来上る科学であるように見える。例えば数学は数学的方法によって(解析と総合)、歴史学は解釈学的方法とかイディオグラフィカルな方法とかによって(ディルタイとヴィンデルバント)、社会科学は分析的方法によって、哲学は演繹的方法によって、之に反して物理学や生物学は実験的方法によって、研究される、という意味だろう。――なる程こうした様々な方法は、吾々人間が日常生活に於て絶えず使っている方法に違いない。吾々は物の数を数えたり(数学的方法)、人の顔色で意向を察したり(解釈学的方法)、過去の出来事を思い出したり(イディオグラフィカルな方法)、色々のあり得べき場合を考えたり(分析的方法)、推理で理屈を追ったり(演繹的方法)しなければ、実際生きて行けない。だが一体、こうすること一般が抑々経験ということであって、そして経験は本来実験だったのだから、こうした諸方法を実験的方法と互格に対立させることは無理である。そればかりではなく、どの科学でもどれか一つの方法だけを、又はそれだけを主として、採用する、と決して容易に断言出来ないのだから、こうした諸方法が諸科学自身の方法だと考えて了うことは、早まりすぎたことなのである。実験的方法(?)と雖も、無条件的に科学の方法ではあり得ない。
 日常的な経験に於ては、実験という方法も亦日常的だと云っていい。と云う意味は、そこでは実験は単に断片的なものとして、任意に、どういう程度と仕方ででも、用いられる。それはまだ科学的に一定の体系を有った実験として、必然的な一定の形態の下に、実行されるのではない。実験はまだ充分に方法としての、科学の方法としての、資格を得ていない。その役割はまだ不定なのである。
 科学的実験方法的実験・になって初めて、実験は一定の形態と役割とを受け取る。――第一に、それは、一定段階の理論に先立つ象面に於ては、データ(所与)の生産・発見・整理の役割を有った実験体系となる。相当高度の段階にまで達した科学的理論にとっては、直接の所与材料というものは殆んどないと云って好いだろう。所与材料は実在を夫々の目的又は想定の下に変更することによって初めて見出される、或いは造り出される。而もこの目的乃至想定は突飛な思い付きによるものではあり得ないから、発見された材料は前に見出されている材料に対して、初めからすでに一定の秩序に這入っている筈である。即ち所与材料が見出されることは同時にそれが整理されることに外ならない。第一にこうした役目を果すものが科学的実験なのである。
 科学的実験の第二の役割は、理論を事実によって検証することに存する。理論的に推定された事実が、その理論によって指定された知覚的表徴として、出現することによって、理論と事実とがアイデンティファイされることを示すのが、この場合の実験の価値である。だから之は一定段階の理論の後から行なわれるクリティカルな実験でなければならぬ。――前の実験に較べて之は理論と同等の資格と権威とを持っていることがその特色である。

 さてこうした科学的実験が、統計乃至統計的方法に対立することを注意しなければならない。統計も亦、第一に、科学的認識のための材料の発見・生産・整理を目的とする。一体統計は、特に社会統計は、それ自身何か神秘的な圧力と理論的権威とを以て世人に臨むように見えるが、本来の役割から云って、第一に、材料の収集又は高々整理を行なうものに過ぎないということを見逃すべきではないだろう。第二に、統計が理論的に想定された事実を検証するために用いられるということも亦、云うまでもなく可能であり又必然である。尤も元来、そうした理論がまだ立てられ得ない内に最も必要なものこそが統計だ、という事実から見て、統計のこの第二の役割はあまり切実なものではないかも知れない。それに、社会統計の如きは、想定された理論自身の要求によって、或る可なりの程度まで、阿諛的な「事実」を提供するカラクリを有っているから、統計に於ける検証の価値はそれだけ減少すると考えなくてはなるまい。
 実験を統計に対立させるに因んで、自然科学と社会科学との対立を問題にする必要が生じて来る。と云うのは、実証科学としての自然科学では何と云っても実験が支配的な役割を果しているが、之に対して、実証科学としての――実証科学でないと云って了えば別だが――社会科学では、統計が重大な役目を受け持っている、と普通考えられているからである。で問題は、社会科学に於ても科学的実験が行なわれ得るかどうかである(それに因んで自然科学に於ける統計はどういう意味を持つか、又社会科学と自然科学との夫々に於て、実験と統計とはどういう関係に立つかも問題になるのである――之は今は省こう)。
 私はすでに「社会科学に於ける実験と統計」(拙著『現代のための哲学』〔前出〕)に於て、社会科学に於ける実験の問題に触れたから、今はごく簡単に述べよう。科学的実験は社会科学に於ては不可能だ、と私かに信じている多くの人々は、大体二つの理由を有っているように見える。第一の理由は、自然科学では、研究される対象と研究する主体とは一般に別なのだから、対象の内に踏み込まなくても実験が出来る。即ち実験すること自身によって対象の求められるべき条件が変って了うようなことはない。処が社会は実験という行為自身によって別な社会になって了うのだから、いつまでたっても実験したい対象は実験出来ないのだ、と。併しこの点は自然科学に於ても実は一向変りがないのである。自然科学に於ても、実験によって実験対象の端初の条件が変って了うということは、実験の原則的な宿命なのであって、ハイゼンベルクの不確定の原理がそれを云い表わしている。
 第二の理由は、自然に就いては実験に必要な理想的な純粋状態を抽象によって現実に造り出すことが出来るが、社会に就いてはそういう抽象が現実的に不可能なので、実験はなり立たないというのである。併し自然に就いてだって、勝手な抽象態を実現することは出来ない。可能なのは、現実に存在している色々な簡単又は複雑な自然状態だけであって、実験者は偶々目的の実験に一等適した自然状態を、人工的に造り出した条件であるかのようにして、選択する迄である。だから無論そこには本当に理想的であったり本当に純粋であったりする状態などは実際にはあり得ない。それは社会の場合とあまり変ったことではないのである。
 だから社会に於ける科学的実験が不可能だという考え、即ち社会科学的実験が不可能だという考えは、あまり理由がないように見える。――実際、社会に起きる一切の出来事及びその連続関係――歴史――は、それ自身理論のための材料の提供者であり、整理者であり、又理論の検証者でもないだろうか。又それを丁度実験室内の現象のような人為的な現象だと考えてなぜいけないだろうか。仮に之が人為的な現象でなくて何かの意味での自然現象だと云うならば、それならば実験室の代りにエベレストの中腹や三原山の火口内を考えて見ればいいわけで、こうした自然的環境も亦実験のための研究室であることが出来る。エベレストや三原山という地理上の特異点と、世界大戦やロシア十月革命という歴史上の特異点と、今の場合どこに根本的な区別があるだろうか。
 尤も私は二つの場合の実験を無条件に同じだと云おうとは思わない。二つのものの区別を与えることは、二つの間の一定の同一性を承認した上でならば、絶対に必要である。F・シミアンは二つの場合の実験が同一性質のもので、単に程度の差に過ぎないと云いながら、その程度の差を、物質的操作による実験と観念的操作による夫との間の差異として説明しているが、吾々によれば、どんな実験でも元来、社会的実践の、感性的物質的な実践の、一つの場合に過ぎなかった筈である(F. Simiand, De l'exp※(アキュートアクセント付きE小文字)rimentation en science ※(アキュートアクセント付きE小文字)conomique positive. ―― Revue Philosophique, 1931 参照)。

 最後に、実験にとって最も宿命的に結び付いている問題は、今日では因果律の問題である。なぜなら、今日の物理学などに於ては、因果律は、単に哲学的な思考の上でだけ理解することは出来ないので、実験の過程を媒介して実験的に定義されねばならないからである。で、因果律が部分的にでも破棄されるならば、実験はそれだけ、科学的予見のための手段としての科学的価値を損ぜざるを得ないだろう。――だが実は、因果律を破棄しようとする思想―範疇体系は、元来かの技術的範疇を破棄しようとする処のイデオロギーに外ならず、それは取りも直さず、実験の客観的な意義を無視しようとするイデオロギーだったのである。こうしたイデオロギーを粉砕し或いは寧ろ救済するものこそ、マルクス主義的範疇の体系でなければならなかった。因果律という範疇なども、実験の概念と共に、マルクス主義的に把握し直された上でなければ問題にならないのである。
(吾々は実験の問題に続いて、他日統計の問題を取り上げる必要があると思う。)
[#改段]

技術とイデオロギー


「技術の問題」で、私は技術の本質が何であるかを概観しようと企てたが、その際二つの問題を残しておいた。「技術とイデオロギーとの関係」と「技術家」の問題。技術の本質に関する私の見解に対しては、色々の――中には非常に優れた――批評に接することが出来たが、併し吾々は問題を進めねばならぬ。で、今、「技術とイデオロギーとの関係」を、極めて一般的に、取り上げようと思う。蓋し、この関係は実は技術家に就いて分析する際になって、初めて結着を得るのである。
* 『唯物論研究』((〔一九三三年〕六月号)に於て、相川春喜氏はマルクス・エンゲルス・レーニンその他の技術に関する見解を一応纏めている(「技術及びテクノロギーの概念」)。氏はその際私の見解の批判にも触れている。氏の批評の論旨には充分読み取れない部分もあるが、一つの忠告としては大体当っているかも知れない(六九頁以下)。第一問題にされているのは私が使った「観念的技術」という概念であるが、相川氏は之を「観念論的」な概念にしか過ぎないと云って承認しないのである。数学者の頭脳に働く主観的技術も、筆紙を必要とするのだし、又そうした「頭脳の感官的機構」自身が物質的実在でないかというのであるが、併し同じく主観的な技術(技能)でも、ピアノ演奏という手先の技術と、数学の演算というの技術とを、区別することがあそこの問題だったので、私は後者を特に観念的だと呼んだ迄である。相川氏は「観念的」という言葉に何か特別な意味を含ませて、この言葉に拘泥しているらしいが、観念的というのは元来、観念にぞくするということではないか。
 それから相川氏は私が「観念的」=「主観的」、「客観的」=「物質的」と決めて了っていると云うが、それは多分部分的な説明を全般へ押して広め受け取ったことから来る誤解だろう。私は技術をまず主観的なものと客観的なものとに分ち、前者を観念的なものと物質的なものに分ち、後者を物質的なものにだけ振りあてた。つまり物質的技術には主観的技術と客観的技術とがあるわけである。で、ここからなぜ「観念的技術」という範疇が「観念論的」な規定になるのかは、私には理解出来ない。
 又、物質的「技術の主観的モメントの本質」が、「道具又は機械という物質的で客観的な存在物との結合点」に見出される、と私が云ったのは不当で、本当の生きた「結合」は主観的要因たる労働力と労働手段との結合でしかないのだ、と相川氏は云うが、氏の主張の後の半分は私自身賛成で問題でないのであるが、併し私の問題にした「結合」はそういうことを云い表わすためでない。技術の主観的モメントと客観的存在(労働手段)との結合点に於て、技術の主観的モメントが初めて、相川氏の所謂主体的要因としての労働力の内容になるということを、私はあそこで云っているのである。尤も相川氏自身は、労働力に、技術の主観的モメントというような規定を有った内容を許すこと自身に反対らしいから、相川氏自身にとっては、私の問題としたものが問題にならなかったわけである。
 最後に、諸観念の「論理的」整理に当って、概念の唯物論的取り扱いが、その歴史性によって充分に貫かれていないという批評は、一つの忠告として承認する。
 本格的な技術、それを私は物質的で客観的な技術と呼んでおいたが、之は生産関係の一定の歴史的段階に於ける労働手段の客観的体系に集中されるものであり、之が、組織された人間的労働力であるプロレタリア階級と並んで、物質的生産力の二つの大きな要素をなしている。処がこの生産力という内容によって決定され又それに相応する処の生産関係が、更に下部構造として、上層建築一般を規定するものであることは、今更述べるまでもない。そこで、技術は、一定の生産関係の下にあって、即ち歴史上与えられた一定段階の経済関係の結合の下に、一般的に云って、上層建築の有力なる決定者の一つであることは、これまた云うまでもないことである。社会の資本主義的構造が成熟すればする程、技術は益々多く、様々な段階の上部構造――イデオロギー――を決定する役割を引受ける。
 特に、特殊な一上部構造に外ならぬ意識形態(之を狭意にイデオロギーと呼ぶことにする)が、社会の技術的基礎に従って、一般にどれ程根本的な、又特徴的な、一定限定を受け取らねばならぬかということは、だから、無数の個々の場合々々に就いて、随処に指摘出来るだろう。――唯の一例として、ごく断片的な場合を取って見ても、近代交通機関に於ける技術的発達は、近代都市生活者の日常的な生活意識の断片に於て、高速度、スピード乃至急テンポの愛好という一定の好みを生んでいるのを見る。好みとか趣味とかは、単に随意や主観性をしか持たないものではなく、実は各個人に固有な意識形態が、極めて端的で直接な日常的表現を取ったものに外ならないから、この趣味が例えば「アメリカニズム」や「機械文明」(もしそういう概念でも成り立つものとすれば)を象徴するとも云われるのである。
 で、技術がイデオロギーをどういう仕方で決定するかはとにかくとして、一般的にいって、技術がイデオロギーを決定するということ、従って又当然或る他の意味で、逆にイデオロギーが一般的に技術に反作用を及ぼすということ、そこには何の問題の余地もない。
 だがここで問題は、技術がいつも二重性を持っているということである。というのは、吾々が前に見た処に従えば、社会的生産の関係から切り離された技術というものは現実にも又理念としてもあり得ないのであり、技術の本質は純技術的なものでも純工学的なものでさえもあり得ない。夫は正に一つの歴史的範疇でなければならなかったのである。一定の経済関係に於て、歴史的に与えられた生産関係の一内容として、初めて技術は技術となるのであって、別に、技術経済という別々のものが偶々現実界で結び付けられるのではない。――技術というもの自身が純技術的契機と経済的契機とを自分自身の二重性として持っているのに外ならない。
* 馬場敬治氏『技術と経済』はわが国に於ける殆んど唯一の技術論の著者だろう。だが博学な氏は、ドイツの現象学(?)的ブルジョア哲学に倣って、技術の本質の問題を事実としての技術の「社会学」の問題から絶縁する。こうした「社会学」と「哲学」との区別乃至分類が如何に「方法論」的に不幸であるかに就いては、私は専らこれまで解説に力めて来た(例えば或る「客観主義者」――これこそ今はデボーリン主義者と呼ばれている――は科学の階級性を単に社会学的なものとしてしか考えることを知らず、真理の客観性と無関係だと主張するのだが、そういうブルジョア科学的誤謬に対して、私は少なくともこの三四年来反覆抗議して来た)。――で馬場氏は、本質としての技術にとって単に最も密接な関係あるものとして、経済という本質を選び出す。これ等の本質の本質的な又事実的な結合が氏の所謂 Technik und Wirtschaft という問題であるように見える。――吾々はこういう行き方に対して、例としてグラノスキーの優れた分析、「資本主義の下に於ける技術発展の諸矛盾」を対立させて見ることが出来る(『資本論研究』の内)。之は無論技術の「本質」の研究でもなければ、技術の「社会学」でもない。而も技術の本質的な分析なのである。
 技術に於ける純技術的なものと経済的・社会的(又歴史的)なものとの二重性とは何か、と問われるならば、仮に技術の量的発達と、これによって呼び起こされる技術の質的変化との対立を参照して見てもいいだろう。例えば高圧電流の送電が技術的に可能になることによって水力電気会社の特殊な技術が初めて経済的に成り立つことが出来る。何も純技術が量的で、経済的なものが質的だというのではないが、前二者の対立を後二者の対立を通して見透すことが出来ようと云うのである。
 純技術的なものと経済的・社会的なものとのこの二重性は、更に技術の社会的制約それ自身を二重的なものにする。実際かつて述べたように、技術は階級的に制約されてしか存在しなかった。階級関係は無論二重物の対立である。
 そこで、技術が上部構造乃至イデオロギーを一般的に決定する(又或る意味ではその逆)といっても、技術を制約する階級性の如何によって、その決定の仕方自身に、今度は根本的な対立が事実出て来る。というのは、一つの場合には、イデオロギー一般が社会の技術基礎に沿うており、技術はイデオロギー一般を正的に――ポジチブに――一貫することが出来る。この場合には技術はイデオロギーと正の連関関係に這入ることが出来ると云って好い。例えばソヴェート同盟に於ける社会主義建設と労働者の社会主義競争・技術家科学者哲学者のそれに対する参加とが、そうした連関の例である。之に反して、他の場合には、社会の技術的基礎はそれ自身であり、イデオロギー一般は必らずしも之と連関がなくてもいいと考えられる。技術的基礎から一貫した線を、イデオロギーは無視していいし、又更にわざわざ回避・蹂躙しなければならぬとさえこの場合には考えられる。ここでは技術とイデオロギーとがネガチブな連関に這入る。現代の我が国に於ける超資本主義的封建意識による国本科学などがその適例だろう。
 そういう訳で、技術がイデオロギーとの関係に於て問題になるためには、特にこの二重関係を追跡することが大切なのである。と共に、技術のこの二重性は、当然技術とイデオロギーとの関係の問題を結果するのである
* 『唯物論研究』(〔一九三三年〕六月号)の哲学時評(梯明秀氏)は、技術問題が、何故今日のわが国に於て、イデオロギー問題として(又技術家の問題として)、実際的な切実な意味を持っているかを理解しないようである。「本質的な第一(技術そのもの)こそが切実に我々には迫るべきものである」という判り切った一般的命題を以て、この問題の必要性の認識に置き換えている。
 イデオロギー(狭義の)・文化形態の内で技術と最も直接しているものが自然科学であることは、誰しも認める処である。元来技術の問題を全面的に取り上げることが出来るのは、社会科学の或る部門でなければならぬ。技術学(テヒノロギー)もそういう意味で社会科学的な観点から見透しをつけられなければいけないのである。併しそれにも拘らず大事なことは、社会科学自身は一応、技術と直接な交互関係に立つ当のものでないという点である。技術の発達によって直接に影響を蒙るものはいつも自然科学であり、逆に又自然科学の発達によって直接に影響を受けるものはいつも技術である。
 自然科学の最も抽象的な理論も、それが抽象的であればある程、それだけ精巧で精密な実験装置によって制約されている。処が実験の装置法とそれに用いられる素材とは、全くその時の社会の技術水準によって決定されざるを得ない。技術上の条件が具わらない時は、何等の有益な実験も従って又何等の有効な自然科学理論も成り立ち得ない。精密機械の製作工場がなければ、大規模な組織的実験は不可能なのである。――だが逆に実験装置や実験素材の技術的生産は又それ自身、自然科学的実験と理論との工業的応用によってしかあり得ないのである。
 そういうわけで、自然科学的並びに又技術的に発達した現代では、科学研究それ自身が一つの大工業の性質をさえ帯びて来なければならず、又逆に近代工業それ自身が、一つの科学研究という形態を採らねばならない、そういう事情が発生して来ている。実際、多くの科学研究所は研究素材の生産、及び研究の生産的或いは実験的応用のために、自分自身の工場を有たねばならぬばかりでなく、工場はそれ自身のために特に優れた研究所を有たねばならぬのが今日の情勢である。――こうやって初めて今日の資本主義的金属工業などが、その技術を急速に発達させ得ていることが一応の事実なのである。
 だが単に、技術の進歩が自然科学の進歩に依存し、又その逆であるばかりではなく、より根本的には、自然科学の凡ての進歩が元来、終局に於て技術上の必要に依存しているという大事な点を見逃してはならない。なる程、自然科学に於ける理論の諸結論の一つ一つが、孤立して、或いは直接に、技術的な意味を持つとは限らないので、さしあたり到底技術的に応用出来そうにもないような結果も無論至極多いが、それは単に、自然科学が技術乃至技術学そのものではないからのことであって、それだけ自然科学はそれ自身に独自な体系を展開する動力を持っているからに過ぎないのであるが、その動力の動力源自身は、天から降って来たのでなくて、一定段階の生産関係に立つ社会の技術的必要から生れて来る外はないのである。生産的技術が、却って破壊的生産技術によって代表されている処の近代軍需工業が、最も好くこの点を証明しているだろう。軍需工業の技術上の必要に迫られて、今日の自然科学的研究が、不均等にではあるにせよ、如何に急速に進歩しつつあるかを注意すれば好い(航空機のための流体力学の研究・毒ガスのための無機化学的研究・軍艦其の他の兵器のための金属学的研究・等々の発達、そのための研究所としては航空研究所・金属研究所・化学研究所・等々)。
* 「技術が甚だ多く(大部分の場合と云ってもいい)科学の状態に依存するとすれば、逆に科学は、より以上に、技術の状態と要求とに依存する。社会に或る技術上の要求が生ずれば、それは十個の大学より以上に科学の助けとなるのである。トリチェリ其の他の流体力学全体は、十六世紀のイタリーに於て、山水を治める必要から始まったものであり、電気が技術的に利用される方法が発見される以前には、電気に就いて知識らしいものはなかったのである。不幸にしてドイツでは、科学が何か天から降って来たかのように、科学史を書くのが習慣になっている。云々」(エンゲルス・一八九五・一月二十五日付シュタルケンブルクあて書翰)。

 発明や発見――多くの哲学者はここに技術の本質を見ている――は、偶発した天才や、天与の偶然に基くもので、必ずしも技術的必要に迫られたものではない、と云うかも知れない。併し所謂発明や発見には、大抵の場合、実はそれに先立つ同種の発明や発見があったことはよく知られている事実であって、偶々それがまだ技術的な必要に際会していなかったために歴史的な意義を持てなかったのであり、後に実際上技術的な必要を生じてからの同種の発明又は発見の反覆だけが、所謂「発明」や「発見」の名誉を与えられるわけなのである。なぜなら、この時になって初めて、その発明なり発見なりがその後の系統的な展開を始めるわけで、それが初めて歴史的に見て意味のある展開の端初――「発明」「発見」――となるわけだからである。技術上の必要のない処では、たとい発明や発見が個人的に偶然なされたにしても、それが歴史的に展開しないから、結局歴史的に意味のある発明や発見ではないこととなる。だから自然科学に就いても、展開の動力源は、個人主観による偶然な発明や発見それ自身ではなくて、客観的な技術上の社会的必要の内になくてはならぬことになる
* この点に就いては数学に関しても略々同じことが云えるだろう。古くは測地学であったゲオメトリア(幾何学)を始めとして、微積分学其の他も亦、一定の技術的要求から、工夫され発達せしめられた。ニュートンに於ける微積分の概念がその物理学的必要に逼られて得られたものであることは、人の云う通りであるが、彼のこの物理学的研究自身が実は当時の技術的・経済的基礎によって必要とされたものであった(B・ヘッセン「ニュートンの『原理』に関する社会的経済的基礎」―― Science at the Cross-roads の内――を参照)。――「十七世紀中葉以来の殆んど凡ての大数学者たちは、彼等が実際機械学を研究し、それを理論づけようと試みた限りに於て、実は単純なる水力製粉所から出発していたのである」とさえマルクスはエンゲルスあての手紙で述べている。――確率論は全く宮廷人の賭博の必要から発達したということも一つの参考になるだろう。一体数学は、その形式的な抽象的な諸形態にも拘らず、歴史的には終局的に云って物理的認識からの一所産であって、その点がまた数学の認識論的論理学的本質だと考えられる。

 技術は下部構造の一つの要素であり、自然科学(又数学の主な部分を含めてもいい)は一つのイデオロギー部門として相当遠距離にある上部構造にぞくするが、この二つのものの実際上の結合が、このように極めて顕著であり統一的であるという一つの判り切った事実を、今特に注意せねばならぬ(だから、自然科学と技術学とが亦、根本的には分離出来ない直接な連関に這入っていることは、別に今説明を必要としないことである)。

 併し、技術と科学(特に自然科学)との以上のような密接な連関は誰でも知っている。この連関の割引のない承認を躊躇する者は、恐らく一種の哲学者である「純粋」科学者とその一党だけだろう。――吾々の問題は、この連関を、特に論理学的関係として展開して見ることにあるのである。というのは、自然科学的範疇と技術との関係が今吾々の問題なのである。なぜなら、こうした範疇論的な興味は、今日のわが国に於ける反進歩的・反自由主義的・観念運動によって惹き起こされた特殊なイデオロギー情勢が要求する処のものだからである。
 自然科学は一つのイデオロギーとして、諸範疇の一個の体系だと考えられる。尤も範疇と云えばそれは根本概念のことで、何かの科学を概念の体系だなどと云って片づけて了うのは、科学を単なる観念の結果にまで、観念論的に解消して了うことに外ならず、それでは科学が人間の社会生活に於て持つ実践的な役割を無視することになるではないか、と云うかも知れない。併し一般に、根本概念としての範疇の実際の機能は、単なる概念としての機能ではないので、同時に、夫によって対象である事物を処理する処の要具ででもなければならないのであり、而もこの要具は吾々人間の長い歴史の実際生活を通して、淘汰され陶冶されながら、対象そのものの内から骨折って抽出されて来たものなのである。そういう意味に於ける諸範疇が、更に又、同様に対象から抽出されながら実際生活を通して淘汰・陶冶された仕方に従って、一定の結合関係に這入ったものが、取りも直さず初めて範疇の体系の名に値いするのである。自然科学も亦そういう範疇体系の一つ、而も今の場合或る点で最も特色ある範疇体系の一つだというのである。
 自然科学的範疇と云っても、之に何々あるかということは、窮極的に決定して了うことは無論出来ない。例えば物質という根本概念は古来、自然哲学乃至哲学的世界観の根柢に横たわっていたものであるが、それに自然科学的な範疇として一定の思考上の役割を有つようになったのはあまり古いことではない。物質の概念と共に古いものは力の範疇であるが、之が一定の物理学的意味を受け取ったのは近世に這入ってからであって、而も近代物理学ではこの概念は再び必ずしも前程絶対的な重大性を有つものではなくなって来ている。特殊な物質概念である原子やエレクトロン・原子核・其の他これに連る一連の諸物質範疇や、特殊の力概念に相当するエネルギーや又重力・電磁気・等々の範疇も亦、夫々の歴史的発生と分化と消長とを持っている。――だが、こうした変遷にも拘らず、それが自然科学的範疇の資格を持つために、是非とも必要な一つの条件がある、と人々は考える。外でもない、之等の範疇は実証的だというのである。
(尤も所謂実証主義なるものはこの実証という規定に或る特別な条件を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)入している、それは一種の現象主義を固執するのである。だが自然科学の範疇自身にとっては、特別な哲学的要求にでも基かない限り――キルヒホフやマッハ等のマッハ主義の如き――、実証主義は何も問題になるべきものではない。今は単に実証的だという点だけでいいのである。)
 で自然科学的範疇が実証的だとして、一体それはどういう意味で実証的であるのか。第一に、それが人類の経験の歴史を通して洗練され、且つ検証されて来たことによって、少なくとも人間の経験に耐えることが出来、且つ之によって保証されて来た範疇だということを意味する。人間が生活対象物を生産し又変革して来たその実践的経験の蓄積の、及びこの蓄積に基く一切のものの範疇が、実証的範疇なのである。
 だが、こうした性質は何も自然科学的範疇にだけ限られた実証性ではないので、自然科学的範疇の実証性には更に、第二に、それが物質的実験に基づくという点を補足しなければならぬだろう(この際 Gedankenexperiment の如きは論外である)。尤も社会科学に於ても、本質上矢張り一種の実験と呼ばれるべきもの――社会変革(動乱や戦争)・社会改良・社会政策・又は事実上そういう効果をもつもの――が、いつも見出されるのは事実であり、而もそういう社会科学的実験も矢張り一種の物質的な性質を持っているのだが、自然科学の範疇のもつ実証性の特異な点は、この物質的なものが、本当の物理的物質・物質界・自然・そのものと直接に結び付いている、という処に存している。本当に物質的な実験はだから自然科学的な――自然自身に就いての――実験だと云って好い。
 こういうわけで自然科学的範疇は、最も実証的な範疇だと云うことが出来る。自然そのものに対する人間の直接的な実践的交渉(実験と検証とを通しての)内に、自然科学的範疇に特有な「実証的」な性質が横たわる。――処が一般に、この「自然に対する人間の能動的な関係」こそが即ちとりも直さず、技術なのである。だから、とりあえず、自然科学の範疇は、最も技術的な範疇、技術的範疇だということになる。
* マルクスは『資本論』に於て技術学の対象を、即ち技術を、一般的にそう説明している。
 併しここで「技術的」範疇と呼んだものは、必ずしも「技術学的」範疇、即ち技術学にのみぞくする範疇のことではない。なる程自然科学と技術学との不可分な連関は前に述べたが、従って自然科学的範疇と技術学的範疇とが又不可分な連関になければならぬのは当然だが、問題はそこにあるのではない。自然科学的範疇――この真に実証的な範疇――は、単に技術学にぞくする範疇であるばかりでなく、より一般的な意味に於て、技術に対して、正の(ポジチブな)・即ち実証的な・連関を持つ一連の「技術的範疇」にぞくし、その代表的な一部分をなしている、ということが云いたいのである。
 私は嘗て、諸科学の範疇が自然科学の範疇と共軛関係に立たねばならぬ所以を説明したが、自然科学と共軛関係に立つそうした諸範疇及び範疇体系を今一般に技術的範疇と呼ぼうと思う。自然科学的範疇と、例えば社会科学的範疇(生産力・生産関係・商品・資本・階級・国家・其の他)とが共軛関係に立つということを保証するものは、この範疇が云い表わす処の存在自身の客観的な連関そのものの外にないことは、断わるまでもない。自然が自然史的に発展することによって社会の歴史の段階にまで上昇して来たという現実の歴史的運動そのものから、自然史的範疇も人間史的範疇も取り出されたのだとすれば、この二群の範疇の間には、自然史と人間史との間の存在史上の統一に対応して、一種の論理学上の統一が出て来なくてはならぬ。この論理学上の統一が共軛関係――又連帯関係と呼んでもいい――に外ならない。
* 範疇の共軛性に就いては拙著『現代のための哲学』の初めの章を見よ。――なお同著の内「社会科学に於ける実験と統計」及び本書の「技術と実験」の項に於ける実験の説明も亦今の場合の役に立つ。
 範疇の共軛関係を客観的に・存在上・保証するものは存在の史的展開そのものだが、之を主体的に実践上保証し得るものは、即ち之を実証し得るものは、正に技術の外にはない。任意の範疇が科学的に役に立つかどうか、即ち又それが科学的真理への用具であるかどうかは、それが技術とどうポジチブに連関出来る手懸りを示すかを見ることによって、見分けがつく。仮にこの概念を直接に実践に結びつけることが出来ず、又実証的にテスト出来ない場合でも、それと技術との反応がポジチブかネガチブかを見て、判定することが出来るだろう。技術的範疇であるかないかを見分ければいいのである。
(数学の諸範疇でさえ、技術的範疇にぞくさねばならぬ。事実、この帰属関係が直接に見出せなかったり見出すのに至極困難だったりする場合には、そういう数学的根本概念は、何か意味の欠乏した抽象物と見做されるし、――その極端な場合は直観性を全く欠いた形式主義的範疇ともなる――、之に反して、数学の対象が直接に「実在」に対応するか、又は自然科学的―物理的「応用」を有てるような場合には、その範疇が直接に技術的範疇に帰属しているわけである。)
 で、自然科学的範疇が有つ論理学的(又認識論的)価値は、外ならぬ、それが技術的範疇の最も代表的なものだという点に横たわる。――所謂実証主義なるものも、工業企業家と工場労働者との一致した(!)活動形式たる、工業的生産技術(vie industrielle)に対応する観念形態として、ガリレイやデカルトの自然科学的研究精神を推奨するのである。ただ、実証主義は技術的範疇を自然科学的範疇に限って、後者と後者の単なる移行以外に技術的範疇の他領域を認めないから、つまる処「科学主義」の偏向や機械論の無意味にさえ陥ったのであり、その困難が最も鋭敏に知覚された社会理論に於ては、この困難を回避するために「歴史主義」にさえ走らなければならなかったのである。――吾々は自然科学の実証的範疇から、「技術的範疇」を抽出した。後は之を他領域についても使って見ればよいのである。
* 技術と実証主義とを結び付けたのは E. Kapp だと云われる。だがここでは技術の尊重とダーウィニズムとが握手する(馬場敬治氏『技術と経済』四六頁以下参照)。――無論これは、マルクスが興味を持った動植物の器官に於ける「自然的技術の歴史」の問題とは別なのである。

 技術は例の二重性――純技術的なものと社会的経済的なものとの――を持っていたから、技術的範疇は、単に自然科学的範疇の体系を貫くばかりではなく、之と共軛的に、社会科学乃至歴史科学の範疇体系をも貫かなければならぬ。それは当然なことだ。併しここまで来ると技術的範疇の役割は中々複雑になるのである。なぜなら社会科学乃至歴史科学に於ては、例えば形式主義的・解釈学的・個別化的・等々ありと凡ゆる(観念論式な)範疇構成の態度が案出されているが、こういう範疇構成の殆んど凡てが、技術的範疇の一貫した線に沿うて行なわれていないからなのである。
 現代ブルジョア社会科学の特色ある情勢は、その認識方法と認識成果との極度の不定と甚だしい不一致にあると考えられているが、それは、全く同じ対象に向って、幾種類かの相異った範疇構成が同時に併立していることを意味し、相互の間に共通性――今の場合の共軛性――が欠けていることを意味している。これは全く、自然科学的範疇との共軛的連関に対して無頓着であるか又は夫を無視したことの報いなのである(例えば批判主義哲学に於ける自然科学と文化科学の概念構成上の対立、「生の哲学」に於ける自然界の範疇と歴史的世界の範疇との分裂・等々)。――そして之は恰も、各範疇組織が、技術的範疇の一貫した線に沿うて実行されていない証拠なのである。
* 代表的ブルジョア社会学者W・ゾンバルトの告白によれば、現代経済学は、対象から云っても認識方法から云っても、又名称のつけ方からさえ云っても、一つとして一定共通のものを見ないそうである。現代経済学は彼に従えば、三つの異った範疇構成方法に分裂している。曰く richtende National※(ダイエレシス付きO小文字)konomie, ordnende N-O 及び verstehende N-O。第一のものは、形而上学的な絶対者の領域に適用され、第二のものは自然の領域に適用され、第三のものは文化の領域に適用される処の、範疇組織だというのである(W. Sombart, Die drei National※(ダイエレシス付きO小文字)konomie, S. 277)。――処で、この際この三つのものの共軛的連関などは与えられない。

 社会科学乃至歴史科学の範疇体系がこのようにマチマチである論理上の原因は、その背後に、あまりに直接に、哲学が控えているからなのである。而も無政府的なブルジョア哲学が控えているからなのである。
 現代ブルジョア哲学の一般的特色は、それが単に観念論であるとか又形而上学であるとかではなくて、主として、夫が解釈の哲学体系であることによって形而上学であり観念論である、という処に存する。解釈学的歴史学・解釈学的文化論・解釈学的人間論・解釈学的現象学、それから解釈学それ自身、こうした「解釈哲学」が今日のブルジョア哲学の最も有力な形態であることを注意しなくてはならない。そこではいつも結局に於て、存在よりも先に自由が問題であり、自由の政治的実現よりも自由の形而上学的可能が問題である。実証的な「事実」は実際的に処理されて行く代りに(そのためには技術的範疇が入要なのだが)、事実の意味相互の関係が、単に意味と意味との区別関係づけが、解釈される。
 処で解釈というものは、それが如何に科学的であろうとも、終局的には一義性を有たないという特色を持っている。実験も検証も出来なければこそ、解釈する外はないのである。一義的でないから、或いは二義的である必要がないから、どういう解釈の体系でも一応は可能なわけで、色々の相異った――独創的とも珍奇とも見える――範疇体系が打ち建てられる。社会科学乃至歴史科学の範疇組織は、こうした哲学のおかげで、例の分裂の浮目を見ているのである。
 解釈の哲学は無論、技術的範疇を用いることは出来ないし、又その必要もない。事実の意味の解釈の体系は、事物の生産・変革の体系と全く別であることが出来る。事物の実証的・物質的処理はそこでは問題ではない。だから技術的範疇などは無用なのである。――一体解釈は、事物の生産・変革のためにこそ必要だったので、別に、解釈のために解釈――自己解釈 Selbstauslegung ――が必要だったのではないが、それだのに今日の形而上学者達は、特に、存在自覚・等々の自己解釈だけのために、夫々の範疇体系を銘々に打ち建てる。意味の鑑賞にしか興味を持たないこの形而上学者達は、自分の哲学体系を実験して見ようとも検証して見ようとも思わないから、その哲学が技術的な地盤につき当るかどうかを検べる機会を有たない。で、客観的に見てその体系が技術的範疇とどう食い違おうと彼等は意に介する理由はないし、もし仮にそれを意識したとすれば、逆に、解釈の範疇を以て技術的範疇体系を押し除けようとしか欲しないのである。意識的に(又技術的範疇が健康を祝われるのである。――人々は解釈哲学が、技術的範疇を押し除けるのに、どんなに持って来いのものであるかを知るべきだ。
* 範疇が、物そのものから触発される感性へ、結び付かねばならぬという理由から、形而上学の批判を始めたカントは、事実、実験的な哲学精神の所有者であったように見える。尤も彼が実験と考えているものはまだ精々云わば「試験」(Versuch)の程度で、プラグマチズム風な作業仮説に重心が置かれているが(Kritik d. r. Vernunft, ※[#ローマ数字18、264-上-11]―※[#ローマ数字22、264-上-11])。道徳の対象界に、この実験的な、即ち吾々に云わせればやがて技術的となるべき、「範疇」を適用しなかったことが、却って後のドイツ観念論の非技術的範疇体系に起源を与えたことになった(而も現代のエピゴーネン新カント派の人達は恰もここにカントの哲学的精神を見出しているのである。曰くアポステリオリとアプリオリとの絶対的区別・科学と哲学との機械的分離・自然科学と文化科学との機械的対立・其の他。――かくて科学と宗教との調和も「批判的」に確立される――後を見よ)。
 非(又反)実験的な哲学の代表者は、同時に現代解釈哲学の代表者である。ハイデッガーの『形而上学』に於ては、実証的・技術的な実験も検証も問題になり得ない。そればかりではなく現象学に固有であるべき直観的・感性的な明証さえがそこでは欠けているのである。
 自然に対する能動的な人間の働きかけ、この実践から出発し、結局に於いて又いつもそこに立ち帰ることを約束している処の、技術的範疇体系は、決して、解釈哲学の体系のように得手勝手でもなければ、無政府的でもあり得ない。それは一義的で唯一な体系をなす。そういう技術的範疇体系として吾々は弁証法的唯物論の範疇体系を有つのである。之は云わば「技術的イデオロギー」を結果する。実際人々は、技術的イデオロギーを軽蔑するために、唯物論という都合の好い言葉を用意してさえいるのである。
 だが次に大事な問題は、こうしたブルジョア哲学が、単にブルジョアジー・プロパーの哲学には止まらないということである。それからまた、哲学は単なる哲学には止まらず、凡てのイデオロギー分野の夫々の事情に即しながら自己を貫徹するという関係である。
 わが国のブルジョアジーが自分自身でかつて清算し切れなかった封建的遺物を、改めて逆に利用し始めた時と共に、わが国のブルジョア哲学は、この社会的(?)需要に応ずるために、その一部分を、ファッショ哲学として発展させなければならなかった。で、そこでは神話的哲学や経典的哲学が、夫でなければ和洋合奏式哲学が、工夫される。今日のブルジョア哲学プロパーさえが、抑々非(又反)技術的範疇に基づいていたのであるから、「制度学」的に又「儒教」的に資本制を越えて時代を遡るこれ等の国粋的哲学や東洋民族的アジア哲学、又アジア的関税をかけた欧州哲学が、お伽噺のように、又玩具のように、超技術的な範疇に基づいたものであらざるを得ないということは、無理からぬことだろう。――だが実際は農村でも化学肥料は必要だし、満州でも石炭の産出が重大与件である。ドイツ国粋哲学・ナチスのイデオロギーの背景には重工業資本が控えているのである。で、こうした反技術的哲学・反技術的イデオロギーが、いつまでもその非技術的範疇のボロを出さずに済ませ得るかは、当分、現代に於ける歴史的な観物にぞくするだろう。
 哲学は併し、決して単なる哲学としては止まらない。夫は自然科学・社会科学・道徳・宗教・等々の諸イデオロギーを一貫して、その範疇を決定して行かざるを得ない、夫はいうまでもないことだ。で非技術的・反技術的範疇に基く哲学は、これ等イデオロギー分野をば、その非(又反)技術的範疇を用いて独特に組織し始める。ブルジョア社会科学の場合に就いてはすでに述べたが、技術的範疇そのものの故郷である自然科学の分野に於てさえ、こうした非技術的範疇の哲学による倒錯した支配が、今日特に目立っている。新量子理論の一結果にすぎない不定性の原理から、A・B・エディントンやG・ミーは、科学的には必要もなければ意味もないような、俗悪な形態の自由意志説や神秘観をわざわざ引き出して見せる。物理学者のこういう哲学的な興奮は、予め非(又反)技術的範疇による諸ブルジョア的・ファッショ的哲学が客観的に行なわれていなければあり得ないことだろう。
 現代ブルジョア(乃至ファッショ)哲学の一つの特色は、自由観念や国家観念やを通して、どれも之も倫理主義化しているということである。単に思想善導式な教育方針に於てばかりでなく、哲学的科学自身がすでに人格第一主義なのである。哲学とはなんでもない道徳に過ぎない。この点から吾々は、哲学と道徳――一つのイデオロギー領域――との現代に於ける特有な交渉を理解することが出来よう。いつの世でも倫理・道徳・修身程、善い悪いという非技術的な――非科学的な――根本概念を安価に振りまわすものはなかった。
 道徳で効験が顕かでない場合には宗教が控えている。人々は、道徳が一つの宗教であり、宗教が又一つの道徳であることを、今日見逃してはならない。で最後の問題は、宗教と非(又反)技術的範疇との関係にならねばならないのである。
 なぜなら、非技術的範疇に基く現代の非(又反)技術的イデオロギーの殆んど凡ての部門――単に道徳や哲学自身だけではない――が、翕然きゅうぜんとして宗教の門へ向って集中されつつあるのが事実で、ここにこそ現代に於ける「宗教」の客観的な意義があるわけだからである。

 所謂批判主義的宗教哲学によれば、宗教の本質は一つの先天的意識形式たる信仰に存する。例えばシュライエルマッハーは之を絶対帰依の感情に基けている。之に反して心理主義宗教哲学とも云うべきものでは、宗教経験の種々相に於て真に宗教的なものを見る(W・ジェームズ)。だがいずれの場合にしても宗教の本質は宗教意識宗教体験の内に求められるという点が要点である。或る意味に於ける客観性を有つ啓示と雖も、やはり宗教意識の内側の、或いは宗教意識よりもより内側の、一関係に外なるまい(弁証法神学)。宗教の「真理内容」と呼ばれるものの在りかは、かくて宗教意識の側面に見られるようである。
 だが――或る他の意味に於て――客観的な外的形態の内に宗教の本質を見なければならぬと考える、実証的宗教学者達によれば、宗教の本質は、そうした宗教意識や宗教体験にあるのではなくて、却って、それの文化的表現であり又は社会的存在条件である処の既成宗教の儀礼・礼拝・教会制度・経典・信条・等々の内にこそなければならぬ。宗教現象は全く社会関係の所産に過ぎないとさえ説明されているのである。
 無論、既成宗教は一定の社会的存在形態を取らなければ実際の宗教でなく、従って宗教的意識の内容たる信仰内容も具体的にならないが、そういう社会的条件から発生し又それに対応するにしても、なお且つもはや社会的条件には解消し切れない何かの独自な宗教の「真理内容」があることも本当だろう。――だが以上の二つの場合のどれにもまだ、宗教の本質が本当には出ていない、と考えられる理由がある。
 と云うのは、宗教は民衆の阿片だ、という極めて含蓄ある言葉を聴いて、人々は云うのである。既成宗教の多くのものはなる程阿片の目的と結果とを有つだろう、だが宗教の真理をなす宗教体験そのものは何等阿片であるどころではなく、却って実践や闘争のエネルギー源とさえなり得るものなのだと。或いはそうかも知れない。だが、必要な問題は、そうした私事に渡る宗教体験そのものにあるのではない、問題は、宗教体験が単なる宗教体験に止まることが出来ずに(無論止まり得る筈はないのだが)、直ちに宗教的世界観宗教的イデオロギーを構成せずにはおかないという点である。
「信仰」はもはや信仰ではなくて神学となる。一体神の信仰世界の把握とは別でなければならない。処が宗教によればそれが一つでなければならないようである。――信仰という感情は、宗教的範疇という論理を創造する。この論理がそのまま展開すれば、夫が凡ゆる意味に於ける神学となるのである。神学とは外でもない、宗教的な世界像・イデオロギー組織のことであり、神学的範疇の体系の建設にいそしむ処のものをいう。こうした神学的範疇体系――この転倒した世界観の組織――は、哲学的範疇体系(それの本当のものが技術的範疇体系だった)に対して、論理学的に云っても阿片的効果を持たざるを得ないではないか。
* 宗教の本質・真理内容・を啓示しようとする「宗教哲学」(それは実は宗教擁護哲学であって批判主義的宗教哲学も決して「批判的」ではないのだが)は、独特な宗教的・神学的・範疇を打ち建てることから説明を始める。例えば、「das Numinose」(それは「神聖」の一種なのだ)なる「この範疇は完全に独自なものであるから、凡ての根本的な根本事実と同様、厳密に云えば決して定義出来ないもので、単に説明を加えうるだけである」(R. Otto, Das Heilige, S. 7)。――所謂神学なるものが、こうした種類の「独自」な神学的範疇の精密な展開組織であることは人の知る処である。

 宗教的・神学的・範疇は、それが原始的に素朴な、或いは体験上直接な、場合は云うまでもないとして、どれ程精密厳正に組織された場合でも、決して技術的範疇ではあり得ない。なぜなら、それは今の場合、事物の科学的認識を目的として出発しているものではなくて、全く宗教的意識を組織するために発生したものであり、地上の範疇の代りに天上の範疇を導き入れる必要のあるものだからである。尤も原始的宗教それ自身は元来実践的な認識を目的としたものであり、従って一つの低級な科学的認識に外ならなかったのだが、現在の世界的宗教に見られるような「文化的」(?)宗教は、決してそういう「科学的認識」などを目的としていないことこそが誇りである。科学や哲学の知識と世界観とがあるにも拘らず、世界宗教は自分の世界観的存在理由を固執しているのは、何よりもこの誇りに基くのだ。だがこの際、この「宗教」は実は科学的認識を外にして、何かの認識目的を、或いは従って又何かの実践目的を、持っている。だからこそそれは科学的認識に代行せざるを得ない。技術的範疇を斥けるためにこそ、宗教は単なる信仰の資格から神学(之が実は宗教の本質である)にまで出現したのである
* 神学体系はすべての世界を体系づける。だから技術自身も亦神学体系内の一範疇であることが出来る。例えばカトリックの信条は立派に技術論を持つことが出来る(H. Jebens, Die Philosophie des Fortschritts を見よ)。大本教は電気現象や光の現象に対して特有な組織的説明を与えている(某月『学士会月報』)。――こうした世界解釈の組織が、その「精神的な」世界統一と同様に、非技術的なものであることは、之によって少しも妨害されはしない。
 資本主義的生産関係が、一切の部面に於てその矛盾を蔽いかくすことが出来なくなり、特に技術はその病的高揚と不具な発達にも拘らず、その自生的発達を抑圧する重圧に苦しみ始める。今や、少くとも一般的失業と知識階級の失業――之は主として技術家の失業としてブルジョア社会では特別待遇を受けている失業現象である――とは、如何なる道徳家にも人格的イデオローグにも、問題となり始める。ブルジョア社会の経済的・技術的絶望はそこで、之等のブルジョア・イデオローグ達に取って、文明乃至文化それ自身の行きづまりとして、「文化危機」として、意識される。――而も彼等に従えば、文明乃至文化が危機に臨んでいるのは、それがブルジョア文明・文化であるからでなくて、正に夫が「機械文明」・「欧州文化」・「技術的進歩」・「物質文明」・「唯物論」・等々の一連のものであるからなのである。かくてヨーロッパをこの文化危機から救済し、更にアメリカをも救い出し、又全人類を、即ち全ブルジョア階級を、この精神的危機から助け出すためには、人々は技術という悪魔を打ち倒さなければならぬ。今日反技術主義(Antitechnismus)がヨーロッパとアメリカとを通じて合言葉となっているのは偶然でない。――この合言葉に武器を提供するものが、そして宗教的・神学的・範疇体系である。だからこそこの頃、宗教への門は国際的に賑わざるを得ないのである。
 尤も「哲学」に対してもっと忠実な信仰家達は、同じ目的のために、文明文化とを峻別するという工夫を知らないのではない。蓋し文明はイギリスから来たもので、イギリスの産業革命に於ける技術的発達に結び付いた言葉であるから、元来それ自身技術主義(?)の合言葉である。之に反して、文化はドイツ精神そのものに外ならず、技術文明の上に精神の世界を君臨させるための呪文なのである。で、技術を失脚させるためには文化を持ち出せば好い、とそう彼等は私かに考えるのである。
 だが、文明と文化とを対比させ、文化を文明の上に位させ、それによって忌むべき「唯物論」を抑圧することは、思想史上でも学術史上でも、決して新しい知恵ではない。ドイツの「文化哲学」や「文化社会学」は全くそうした文化主義のために工夫された学問でしかないので、夫はこの役目さえ果せば退場して好いものなのだが、処がまだその役目を果さない内にその役目を果すことの出来ないこと自身が判って来たので、そこでこそ愈々、文化は危機に臨んでいることを自白しなければならなかったのである。文化社会学の如きはそれ自身、文化危機を告白するための社会学でしかない。文化はだから今日、もはや何等救済の咀文ではあり得ない。
 もし仮に文化と文明とを区別しなければならないならば――そういう区別がなぜ必要なのかは判らないが――、文化は「文明」の発達を媒介するのでなければ発達出来ない、という一つの事実を注意しておけばいい。文化とは元来、教養や自己完成やという倫理的・文学的内容のものではないので、そうした内容は単に階級文化の上品な懐手式な好みにしかすぎない。無階級文化は恐らく「社会主義的建設」の如きものによってしか築かれないだろう。かかる文化が、なぜ技術的範疇を以て貫かれねばならぬかは、だからもはや明らかではないだろうか。
 処で、技術家の問題を分析することによって、技術とイデオロギーとの問題も本当に解けるだろう。次に夫を見よう。
[#改段]

技術家の社会的地位


 独特な意味での技術は物質的生産の技術、一言で云えば生産技術である。現在の資本制及び社会主義制の社会で、この生産技術と特別な直接関係に立つことによって、一定の位置・職業・役割・等々を有っているものが、独特な意味での技術家である。正確には之を生産技術家と呼ぶべきだろう。
 生産技術家は、それ自身自然科学者であるか、又は自然科学とある直接関係に立つ処の者であって、独特な意味での専門家と見做されている。――併し広い意味で云っている技術が、決して物質的生産技術に限らないのは云うまでもないので、それだけ技術家という範疇は拡げられていいのであり、従って又専門家という範疇も単に自然科学者・(生産)技術家に限られていないのは不当でない。社会科学者・哲学者・文学者・その他一切の有資格者的職業人が、皆技術家乃至専門家に含まれなくはない。
 だがこうした広範な範疇であるにも拘らず、否、こうした広範な範疇であればこそ、技術家というものの規定は、之を一等代表的な最も技術家らしい技術家の内から、発見する必要がある。所謂「技術家」としての物質的生産技術家の内に夫を発見しなければならないのである。専門家一般は技術家によって代表され、技術家一般は生産技術家によって代表されると見ていい。
 更に生産技術家に就いて見出される規定は、今日の技術家一般にまで推し及ぼすことの出来る筈の規定であるばかりではなく、同時にそれは資本主義諸国に於ては、或る限度まで、一種の社会階級又はそういう意味を持った限りの社会身分・社会層としてのインテリゲンチャの規定につながるものであり、ソヴェート同盟などに於ては、一つの社会的資格としてのインテリゲンチャ(技術インテリゲンチャ)、(但しインテリゲンチャ技術家のことではない)の規定につながっていることを注意しておこう。
 近代のどの資本主義国家に於てもそうであったが、わが国でも、生産技術家乃至一般技術家達は、彼等自身、現在ブルジョアジー・乃至は小市民・階級の一部分を構成しているのであり、又時代が現在に近づくに従って、ブルジョア・又は高級小市民・階級の出身者によってより多数を占められるようになって来ている。
 わが国の技術家達の可なりの部分、特に技師・技手・等の高級生産技術家の殆んど大部分は、資本主義社会が設置した大学又は専門学校の出身者であるが、これ等大学乃至専門諸学校が、供給する技術家の数が、資本主義社会からの需要を甚だしく追い越さない限り、彼等は資本主義社会に於て支配的優位を結果するような生活を営むことが出来るから、少くとも小ブルジョア階級に編入され得るのは云うまでもないし、又或る者(主に明治の半ば前後までに養成された生産技術家)はやがて技術家としての優位生活をさえ抜け出て、彼等自身産業資本家又は政治的支配者となることによって、大ブルジョア階級に編入されているものも少なくない。
 明治政府がその独特に急速な資本主義化工作に就いて、急速に大量の技術家を養成しなければならなかった時代には、封建的貴族や台頭しつつあった商人階級に較べて遙かに数の多かった農民や又小商人・徒弟達の内からも、技術家が養成されなければならなかった。農民は今や公然と商品化し得るその土地を売って、子弟を東京へ送り、その一半を生産技術家に仕立てることによって、新しい社会制度にその生活を順応させることを企てた(他の子弟の一半は純官吏――政務的技術家? として養成された)。
 やがて併し、資本主義社会が技術家需要の飽和点に近づき、又それに応じて農民・小商人が子弟に投資する家政的余裕が狭められて来るに従って、大学専門学校を卒業する者の極めて大部分が、高級小市民以上の子弟に制限されて来なければならない。こうやって、高級小市民以上の子弟だけが、技術家の位置を占める可能性(但し必ずしも必然性ではない)を有つことになり、かくて、一般に高級小市民以上の子弟だけが即ち高級小市民以上の階級にぞくするという循環になって、この点に関する社会の階級的構成は次第に不動なものになって来る。
 だが情勢がこの境界を超えると直ぐに実は、このブルジョア生産技術家すらが経済的困難に見舞われ始めるのである。併しそれは後に見るとして、まず初めに、所謂技術家が、今日わが国に於て、一般のインテリゲンチャの他の部分に較べて、更に労働者・農民・小商人・等々に較べては無論のこと、どれほど社会的に安全な有利な位置を占めているかに就いて注意を喚起しなければならない。

 そのためには、本来の意味に於ける技術家乃至専門家がよって立つ処の生産技術乃至自然科学的知識が、外の文化諸領域に較べて、社会機能の上で特殊な位置を持っている、という一般的な事情を、まず注意してかかる必要がある。――まず第一に自然科学的知識が社会科学的知識に較べて遙かに、社会的制約を受ける程度が低いという事実は、今更議論するまでもない現象である。
 だが、それだからと云って、自然科学の受ける社会的制約が、自然科学にとってどうでもいいものだということには、決してならない。云うまでもなく、科学とか知識とかいうもののもっている効力は、そしてこの効力は結局に於て社会的に結果しなければおかない社会的効力なのではあるが、真理の普遍的な通用強制力というもの以外にはあり得ない。真理が生活に役立つのも又はその他の効用を持つのも、真理それ自身からくるこの普遍的強制力の外から出て来るものであってはならぬ筈だ。その意味で科学的知識は、自然科学のものであろうと社会科学のものであろうと、それが客観的だという点によって初めて価値があるので、何かの社会的効果から、即ち人間一般の・個人の・集団の・階級の・主観的・主体的な関心から、価値の有無を決めらるべき筈ではない、とそう一般に考えられている。
 科学的知識というものを一般的に論じる限り、こういう規定だけで充分であるし、又之で正しいのである。というのは、科学的知識を歴史的な特定内容ある様々な場合に就いて考える必要がなかったり、又特には自然科学と社会科学とに於けるその相違を見極める必要を直接に感じなかったりする場合には、この一般的な定言で一応いいのである。
 だが問題が自然科学的知識と社会科学的知識との間の相違や、その実質的な認識内容の分化などになると、この一般的提言は必ずしも意味のあるテーゼではなくなるのである。まして問題が自然科学の社会的機能というようなものになると、このフラーゼを一人よがりに繰り返すことは、之をただの御題目に帰せしめて了う結果にさえなるだろう。
 実際、自然科学的知識が社会科学の知識に較べて社会から来る制約の受け方が少ないという例の現象は、科学の単純な客観性によってだけでは説明が与えられないのであって、どうしても自然科学乃至社会科学がもっているイデオロギーとしての夫々の特色から説明する外はない。――尤も科学をイデオロギーだというと、科学を単純な一社会現象と見做した結果に過ぎないと考える向きも多いと思うが、そういう風に見られただけのものならば一社会現象だと云って了えばいいのであって、何もわざわざイデオロギーと呼ぶ必要はあるまい。一体イデオロギーとは意識形態のことだが、意識の何よりの本性は存在を何かの仕方で反映するという論理的認識論的な機能にあることを見落してはならぬ。之を見落さない限り、意識形態であるイデオロギーなるものが、存在を如何に反映するかという真理内容に関わらざるを得ないものだということを見落せない筈である。之を見落すなら、唯物史観に於けるイデオロギーという概念の意義は、その重大な大半を失って了うだろう。イデオロギーというのは人が考えているような単に主観にだけぞくする問題ではない、主観が客観を如何に反映して、真理という客観性を如何に実現するか、という問題を解決する鍵こそが、イデオロギーという概念なのである。所謂「イデオロギー論」はイデオロギーという概念をこういう具合に使わないからこそ、不用であり又誤っているのだ。
 さて自然科学を一つのイデオロギーと見て初めて、夫が社会科学に較べて社会的制約を受けることの少ない点をば、そのイデオロギー性の持ち方の少ないという関係によって、決定することが出来るのである。それは事実上、個人的な、集団的な、併しやがて実は階級的な、利害によって、認識過程(問題の設定・体系の構成・結論の抽出・等々)を決定されるが、その度合は社会科学に較べて原則的にずっと少ないし、又個々の事実から見ても、社会科学程には露骨に又正確に、この階級的な利害に対応したり利用されたりしない。この相違が二つの科学のイデオロギー性の相違の現われに外ならないのである。一方、古典経済学の成立以来今日に至るまでの経済学の歴史と、他方ルネサンス以来の自然科学の発達史とを比較して見れば、この事情は実証的に明らかである。それにも拘らず、或いはそれであるが故に、自然科学は一定のイデオロギー性を有っているわけである。
 自然科学のイデオロギー性は、社会科学の場合に於てのように、何等かの社会的主体の直接な利害と結び付いて直接的に現われるというようなものでない。併し、第一に、少なくとも、その範疇組織や、イデオロギーとしての他諸科学諸文化との連帯関係や、世界観的特色やを通じて、間接に、併し紛う方なく明白に現われる。自然科学のイデオロギー性は稀薄である、だがそれは曖昧だということではない。近世科学の創始者であったガリレイや又コペルニクスの天体理論が、どのように明白な切実なイデオロギー性を持っていたかは、人の知る処である。現代に於ては、物理学的世界観に於て、物理学者達自身が、そのイデオロギー性に対してどれ程判然とした興味を持っているかを見るがいい(但し物理学者自身は之をイデオロギー性とは名づけない、これが後々意味のある態度であることを見よう)。
* 自然科学の特有なイデオロギー性の分析は、すでに不充分ながら試みたことがあるから、ここでは繰り返さない(「社会に於ける自然科学の役割」――拙著『現代のための哲学』採録――を見よ)。

 無論自然科学は社会の文化組織に於て孤立した部分ではない、他の文化諸領域といつも活発な交渉を保っている。例えば自然科学は、色々と応用される。そこで人々の考える処によると、この応用されるという点から、元来自分には固有なものでなかった多分の社会的規定を、自然科学は外部から吸収することになるだろう、だが自然科学の「純粋な理論」はこの応用からは独立で、従って之こそが自然科学の超イデオロギー性従って又そのイデオロギー性の稀少性の本拠をなす、ということになりそうである。なる程数式の計算や帰納や推理の仕方は、形式的に云えばイデオロギー的には一応中性を持っている。丁度2+2が4になるというのに何の社会的内容もないと考えられるのと同じに見える。だがこの種の操作は、個々の断片的なものであって、これをいくら寄せ集めても何等の「理論」にはならぬ。理論になる時には、すでに世界観や他文化領域との連帯関係や範疇組織が問題になる時で、この種のものはだから決してイデオロギー的中性の説明にも又は稀薄性の説明にもなり得ない。
 一体科学の理論が純粋でなければならないのは、丁度科学が客観性を持たねばならぬという規定と全く同じに、何も自然科学だけの特権ではあるまい。一切の科学が不純であってはならないのは当り前で、わざわざ之を「純粋」にするのに却って何かの不純な意企を蔵しているに外ならない(例えば「純粋経済学」とか「純正社会学」とかの如き)。で理論の純粋性という根拠から、自然科学特有のイデオロギー性の特色を掴み出そうという試みは必ず失敗する。
 純粋に対するものは応用であり、夫は社会的応用、即ち又技術的応用のことであるが、考え方によってはこの技術的な・応用の・即ち又「不純」な要素こそが、却って自然科学の超イデオロギー性の本拠だということにもなる。実際、自然科学は技術的なものであるが故に、超イデオロギー的だと考えている人は多いだろう。だが之は技術という言葉の罠を知らない人のことだ。
 技術は一方に於て熟練や手法を意味する。私は曾て之を主観的技術と呼んでおいた(「技術の問題」参照)。なる程こういう技法ならば、元来が部分的で断片的なものだから、自然科学というイデオロギーの全体に対して、部分としての比較的な自由を持っているから、全体としてのイデオロギーから比較的解放されているわけで、その限り一応超イデオロギー的なものに見えよう。だが、之ならば、先に言った理論に於ける部分的な断片的な操作と全く同じものになるので、例えば理論的な計算の操作も技術的な実験の操作と、熟練や手法という点では少しも変らない「技術」(主観的技術)にぞくするわけである。そしてそういう意味での技術ならば、何も自然科学に限らず、経済学に於てであろうと、文学創作に於てであろうと、いつも発見出来る処のものである。統計収集や表現技巧の熟練は、その意味で一応超イデオロギー的なものと世間では見ている。これが極端になった場合、世間が無批判に統計の数字を信じたり、純文学派式の芸術価値至上主義が行なわれたりする現象も生れるのである。
 併し、すでに統計の収集法や文学の表現技術が、少し考えて見ると決して単純に超イデオロギー的なものだとは決められないのと同じに、自然科学に於ける今云った部分的断片としての「技術」すらが実は決して完全に超イデオロギー的なものではないことが判る。一定の熟練がなければ物理学上の実験は出来ないが、そういう熟練を意味する技術も、実験装置自身の生産技術上の条件を抜きにしては、初めから無内容な表象に止まるだろう。
 だから、自然科学に於ける技術的な要素というのは、一見超イデオロギー的に見えるこの科学的部分・断片としての技法のことではあり得なくなるので、実は自然科学が生産技術と直接に接触している或る一定の側面を指す外はなくなるのである。というのは、自然科学というものは抑々その社会的「応用」に於て初めてその目的に到達するものであり、又この社会的応用への需要によって発生し促進されるものであるのだが、この点が即ち自然科学と生産技術との直接な接触面をなしているのである。処でそれならば、丁度吾々が今問題にしようとしている点に来るわけで、この生産技術がどのようなイデオロギー性乃至階級性を有つか、或いは寧ろ持たないか、を決定しない限り、自然科学の「技術的」要素が自然科学に特有な超イデオロギー性の口実になるとは限らないのであって、この場合の結論は寧ろ恐らくその逆にならねばならぬだろう。実際、自然科学特有のイデオロギー性の稀薄さは、この生産技術のイデオロギー性(乃至階級性)の固有な特色から最もよく説明されることになるだろう。
 かくて問題は、自然科学から技術乃至技術学へ移される。

 自然科学が社会科学其の他に対応してもつ固有に稀薄なイデオロギー性は、所謂理論の純粋性や何かから説明され得るものではなくて、結局、生産技術と自然科学との結合点から、即ちこの生産技術乃至技術学が社会科学(特に経済学)其の他に対比して持つイデオロギー性の特色から、判定される外ないということになるのである。――蓋し技術とは自然と社会との交渉圏に於て成立する世界であり、従って或る意味では自然科学的知識と社会科学的知識との媒介点に立つ処の世界だからである。世間では実際、この意味で、技術と自然と(Kunst und Natur)を対比させると同時に、技術と経済とを対比させているだろう。技術問題に就いては、技術と経済とのこの関係が、最も屡々取り上げられる一般問題になっているようである
* 本書「技術とイデオロギー」参照。
 処でこの生産技術が経済組織と不離な関係にあるということ、従って歴史的に与えられた経済組織に対して「純粋」であるような技術自体・「技術の本質」などというものは観念上の迷妄の外ではないということ、生産技術は事実、資本主義下に於けるものと社会主義下に於けるものとでは、その本質的な条件を全く異にしていること、その意味に於て技術乃至技術学は、階級性によって又イデオロギー性によって貫かれているということ、之はこの頃詳しく報告されている事実である
* Bucharin, Die sozialistische Rekonstruktion und der Kampf um die Technik, Der Kampf zweier Welten und die Aufgabe der Wissenschaften. ―― Krshishanowski, Die Grundlagen des technisch-※(ダイエレシス付きO小文字)konomischen Rekonstruktions-Plans der Sowjetunion. ―― Rubinstein, Science, Technology and Economics under Capitalism and in the Soviet Union. ―― Druschinin, Wie der Arbeiter in der Sowjetunion Ingenieur wird 等々のパンフレットを見よ。なお「技術の問題」の項参照。

 技術乃至技術学が、そのブルジョア的一般観念を裏切って、独特に階級的な色彩を持っており、又特有なイデオロギー性を持っているという点は、これだけで明らかだとして、今問題は、それにも拘らず技術は、所謂経済関係に対比しては、比較的にコンスタントな条件に置かれている、という点である。それは、技術が自然と社会(今の場合ならば特に経済)との媒介点に位置しており、そして云うまでもなくこの自然が社会に対比して相対的にコンスタントな条件に置かれているということから、当然そうなければならないわけである。従って又、技術乃至技術学は社会科学に対比して、遙かにコンスタントな内容を持って来るのが当然なのである。
 事実生産技術はその階級性にも拘らず、丁度自然科学的知識自身がそうであると同じに、一つの生産組織から同時代の他の生産組織にまで、比較的自由に切り換えられることが出来る。例えば電気工学的技術はアメリカに於て用いられると略々同じ条件の下に、ソヴェートでも用いられることが出来る。ただ異るのはこの技術がどの程度に統一的に与えられているかの程度であり(「全国電化計画」・「統一的労働手段」の観念等)、そして技術にとってはこの統一性が極めて重大な本質をなしているのであるが、もしこの最後の要石を抜きにすれば、技術は同一な世界経済的水準に並ぶ諸生産組織の間に、比較的自由に出這入りすることが出来るのである。
 技術は経済関係に較べて、このようにその階級性が稀薄であるが(尤も決して曖昧だというのではない)、技術と一つに考えられねばならぬ技術学も亦、社会科学(特に経済学を見よ)に較べて、そのイデオロギー性が稀薄であらざるを得ない。ブルジョア経済学(例えば今日存在する諸々の「静態経済学」)の本質的なものの殆んど大部分は、社会主義組織の下では殆んど何等の意味も持つことは出来ぬ。処が、生産技術(乃至技術学)は決してそうではなかった。
 技術乃至技術学のこの比較的コンスタントな特色から来る階級性乃至イデオロギー性の特徴は、単に同時存在的に見られるばかりではなく、時間的推移に従っても見て取られなければならぬ。というのは、資本主義国と社会主義国との空間的対立の場面に於てばかりではなく、同一社会に於ける資本主義組織から社会主義組織への時間的移行に就いても、この特徴が見られねばならぬのである。こうした組織の移行自身の内にこそ、政治的な階級性やイデオロギー性の実際問題が発生するのであるが、技術の階級性やイデオロギー性が最も実際的な問題になるのは、正にこの場合に外ならなかったのである。
 さて、同時的切り換えに於ても、時間的移行に於ても、技術のイデオロギー性乃至階級性は、明白であるにも拘らず稀薄であった。今そこで技術は何か中立的な存在であるかのような外観を呈することが出来るという点を注意しなければならぬ。なぜなら、技術乃至技術学に於ても、対立物である二つの経済組織又は経済理論が、対立せしめられる代りに、両者の共通点が高調されることによって、中和され妥協させられるかのように見えることも不可能ではないからである。文化的・政治的・経済的・変革とは一応独立に、技術はそのまま生き永らえるかのように考えられる。
 無論こう見えるのは外見であって技術(乃至技術学)の本質ではない。併しこういう外見を有ち得るということが又その本質の一部分をなしているので、問題はこの「本質的な外見」を如何に本質的に処理するかという手段に関わる。
 そこで仮に一つの公式を立てて見よう。この「本質的な外見」を何等かの外見と見る代りに何等かの本質自身と見做すならば、それは外見的な現象に捉われる見地である。この見地によれば、技術乃至技術学の中立性こそがその本質でなければならぬ。技術乃至技術学の何等かのイデオロギー的・社会的・政治的・経済的・制約は之に反して、外部から付着によって生じた偶然な現象に過ぎない、ということになる。だがこうした見地の誤謬は、一つの自己矛盾となって現われる。というのは、技術乃至技術学を中立化すことは、一定の時代に於ては、事実上、それ自身技術乃至技術学の一種の政治化乃至イデオロギー化になっているのである。具体的な事実は、勝手な誤謬をこういう風にして暴露する。技術乃至技術学が中立性を有っていると考えていられるのは、取りも直さず、技術乃至技術学が事実上すべて何かの政治的制約によって或る安定を与えられているからに外ならない。技術に於て人々が感得する中立性とは、政治的中立性の意識ではなくて、却って一定の政治的傾向に従った故の安定の意識の外ではない。

 さて今日のわが国などの技術家や自然科学者は、従来、比較的に生活の安定を持っていたし、又現在でも持っている(ここでは自然科学者を技術家と同じに取り扱っていい)。一方に於ては、社会科学者や思想家・文化運動者・等々がその研究活動と各種の文化活動とを一日々々と制限されつつある時に、従って又やがてその日常生活の条件が日々に悪くなって行きつつある時に、既成の技術家や自然科学者達は、国家と社会とによって、依然として或いは益々、厚い保護を加えられているように見受けられる。
 欧州大戦を契機とする理工科系統の各大学の充実・官公私の管理になる各種の科学研究所の設立・等は云うまでもなく、最近の所謂「思想国難」提唱以来された思想善導と一脈相通じるものを持つ各種の技術的学術の奨励(「日本学術振興会」・「燃料国策審議会」・「満蒙学術探検隊」・「特殊染料」助成・航空事業振興のための「綜合調査会」・等々)が盛んになって来つつあるのを見逃すことは出来ぬ。まして最近数ヵ月間の、軍需工業の拡大や対外為替安による外見的好況は、重軽工業に於ける技術家の「社会的」需要に取って、久し振りの好材料でさえあるように見える。法定失業者の多少の減少・法定就職率の微少な増加・等々はおのずから技術家の社会的地位に対する一般的な信任を増す所以になるだろう。
 これ等技術家の生活条件の安定は、結局、資本主義の安定、従ってブルジョア技術の健在な又は不具な発達と、平行するものであるが、その際技術家の生活が他の職業人の生活に較べて特に強大な安定性を有つことが出来る原因は外でもない、先に述べておいた技術乃至技術家のイデオロギー性乃至階級性が特有に稀薄だったという点に存する。それが稀薄であるために、技術家は一般に階級的・イデオロギー的・影響を一等後になって受け取る順序になるから、与えられた時期に於てはその安定度が他の職業人に較べて最も大きくなるわけなのである。併しもし仮にこの階級性乃至イデオロギー性の稀薄だという特性が、技術の超イデオロギー性・超階級性・による政治的中立性を意味するのならば、技術家の生活の安定が終局に於て資本主義の安定と平行しなければならぬ理由は別にない筈である。それはどういう社会組織の変化の下にも同じ安定度を保たねばならない筈ではないか。――実は此等技術家の生活の安定は要するにブルジョア技術の安定度に平行する外はないのである。処がこうやって技術家の存在がブルジョア技術の動向に順応するということは、とりも直さずこの技術家の社会的地位がブルジョア社会の機構に積極的に順応していることの外ではない。資本主義社会の経済的・政治的・文化的・機構が間接にではあるが併し確実に、彼等技術家の生活を他のどのような職業人よりも高度に又平均的に保証して呉れているから、事実上技術家の生活が今日比較的にあれ程の安定を得ているに外ならない。
 技術乃至技術学それ自身が決して中立的な世界ではなかったと全く同じに、技術家も亦決して中立的存在ではありえないわけで、彼等は或る意味に於て資本主義社会の指導的分子の一部分をさえなしている。だからこそテクノクラット式の技術家支配の思想もここから生じることが出来る。――技術家の技術家としての階級的・イデオロギー的・傾向はなる程、決して濃厚ではあり得ない、なぜなら技術そのものがそうではなかったからだ。併しそれであるからと云って、技術家は階級的・イデオロギー的・に政治的中立性を実際に有ち得るような社会的地位にいるものではない、技術それ自身が今日資本主義のものだからである。
 処が技術家自身は、自分の生活の今日の安定性を、技術自身の本来の中立性に基くと考え、そこからまた自分自身の社会生活の中立性を根拠づけ、又その中立性への意図をさえ理由づける。之は無論その限りでは矛盾でも何でもないので、社会生活の中立性を標榜することによって、技術家の社会生活は事実上益々安定となるのだから、寧ろ賢明な首尾一貫と云わねばならぬ。
 社会的効果を意識的無意識的にねらっているこれ等ブルジョア技術家の中立の意識が、客観的に見て決して公平な中立を意味してはいないということは、彼等に対する社会的待遇が、科学的な社会科学者に対する夫などに対立して反動的な社会理論家などが受け取っている社会的好遇と、全く平行している、という事実からも、推定することが出来る。今日わが国で奨励され助成されているものは、技術的科学のものでなければ、国民精神に関する研究題目を持った精神科学のものなのである。性急な世間は之を見て、技術家に対する幇助が直接思想善導に役立つのかとさえ思うかも知れない。
 さてわが国の技術家が持っている社会的安定、それから来る安定の意識、又それを確保するための安定への意図は、殆んど全くそのまま自然科学者に就いてもあて嵌まる。一般的に云えば、わが国などに見られる資本主義社会に於ける「専門家」なるものは、大体に於てこうした良好な条件の下に生活していると見て良いようである。そしてもし、こうした専門家達によってブルジョア社会に於ける高級インテリゲンチャの可なりな部分が占められているなら、この結論は、例のインテリゲンチャの中間性という現象の部分的な説明にもなるだろう。
 現在の技術家の社会生活の安定は併し、今や次第に脅され始める。ブルジョア技術の一種のゆきづまりと、一般的失業の進行とは、技術家の生活の足場を例外として残すことは出来ない。次にそれを見よう。
 ブルジョア新聞が断片的に与える報道を見ると、世界の資本主義が概して、再び好況に見舞われるのではないかという希望を、人々は持つかもしれない。例えば、失業問題だけを取って見ても、国際労働事務局は、本年度最近の四半期に於て、フランス・ドイツ・イギリス・イタリー・其の他を通じて、一九二九年来、初めて失業者の減少を見たと報じている。イギリスに於ける失業保険加入失業者は一ヵ年以前に較べると五三万人余の減少で二四一万人となり、ドイツの失業者は四〇六万人でこの八月初めに較べるとすでに四〇万人の減少だと、公報されている。
 まして特殊事情に立脚している日本は、今や資本主義の登り坂を登って行くかのようにさえ云われている。本年(一九三三年)日本銀行調査による銀行会社計画資本調べによれば、製造工業では前年同月に較べて三二八〇万円の資本増加であり、又東京市統計課の統計によれば、三〇人以上の労働者を使っている工場数は一九三〇年に較べて、一四二、その労働者一七七〇〇人、を夫々増している。失業者は昨年七月に五〇万人を突破したのが今年の六月には四二万人余に減少し、職業紹介所による就職率は昨年度に比して三パーセント乃至七パーセントを増し、求職殺到率は一二―二七パーセントの減少だと云われる。
 だがこうした断片的な資料は、世界に於ける一般的失業状態失業の大勢とを欺き了わせることは出来ないだろう。統計の単位の採り方にすでに根本的な批判が必要だということは抜きにしても、又この統計の社会的意義を結果に於て割引きするような反対材料が随処に見出せるということを抜きにしても(例えば人絹や綿・毛・織物業の好況に対して蚕糸業の徹底的不況等)、失業者数の絶対値が、今の場合にはいつも根本的な資料なのである。そしてその絶対値の大スケールに於ける終局的な傾向がいつも社会にとって問題なのである。
 あらゆる希望に充ちたように見える材料にも拘らず、日本及び世界各国が、恒常的な失業に悩まされているという事実は、今更ここで指摘する必要のない事実だろう。吾々の今の問題は、技術家乃至広く之を含む限りのインテリゲンチャの失業なのであるが、インテリゲンチャ特に技術家の失業事情は、他の失業者乃至失業候補者(「産業予備軍」・没落資本家・等々)に較べて、特別な条件の下に置かれていることを注意しなければならない。
 技術家が技術乃至科学による処のその特別な社会機能のおかげで、この資本主義の末期に於て、比較的安定な生活を保証されている所以を、すでに私は説いたが、この同じ条件が、ここでも亦技術家の失業事情を見るための特別な条件をなしている。
 と云うのは、技術家乃至之を含む限りのインテリゲンチャが労働者及び農民に較べて、失業の浪に洗われる時期から云っても遅く、従って与えられた時期に於ける失業者の数から云っても少ないということは、当然であって、一般的失業が進行しているにも拘らず、既に社会的に一定位置を占めて了っている技術家乃至之を含む限りのインテリゲンチャは、一見殆んどこの失業の進行と関係がないかのように見えることも、不可能ではない。而も、比較的な一時的「好況」が少しでも見舞いそうに見える時には、最初に失業の危険から遠ざけられるものは技術家乃至之を含む限りのインテリゲンチャそれ自身に外ならぬ。――一般のインテリゲンチャの内でも、失業の浪から最も遠ざかっているものは技術家であるし、又労働者の内でも就職の可能性を最もよく保証されているものは、一種の下級技術家としての「熟練労働者」である。このような事情が、前に云った、現在のわが国などに於ける例の技術家の比較的安定な社会生活を結果していたのである。
 わが国に於ける既成の技術家は、だから現在必ずしも著しく失業に見舞われているのではない。既成技術家達が一般的な失業傾向現象の一部として、失業の危険に曝される可能性を持つその分量だけを、彼等は今日、部分的な一時的な「動員令」による就職の可能性によって、埋め合せている。だから彼等に於ては、その就職傾向が積極的に表面に出ない潜在的なものであると同様に、その失業傾向も亦、潜在的で眼に見えないものに止まっている。で技術家の社会生活が安定だというのは、無条件に安定なのではなくて、潜在的な失業(Virtual unemployment)として僅かに安定を保っているに過ぎない、ということを見逃してはならないのである。

 既成の技術家に就いては、潜在的失業が生活の外見上の安定となって現われているが、処が技術家の候補者に就いては、この潜在的失業が一種の実質的な失業の形を取って現われる。と云うのは、必ずしもすでに持っていた職業を失わないまでも、持たねばならぬ職業にありつけないという意味での失業状態が、ここでは極めて著しい一般情勢なのである。そこで、既成技術家の例の生活安定も決して本当の安定でなかったということは、技術候補者の就職難によって立派に云い表わされているわけである。
 世界のどの資本主義国でも、技術家の代表的な候補者は大学乃至各種専門学校出身者であることはすでに述べたが、生産技術に直接関係のある無しを無視して概括的に見ると、わが国に於ける学校卒業生の昨年(一九三二年)春の就職率は、卒業生の約三五パーセントに過ぎない。尤もこの内、生産技術に直接関係を持っている理、工、農、医の各科では大学出身者の約六〇―三〇パーセント、専門学校出身者の約六〇―五〇パーセントが就職しているから、不況の真中に於ては稀に見る好成績と見えるかも知れない。だが、平均五〇パーセントしか就職出来ないということは、技術家候補者の約半数が過剰生産されているということを意味するわけで、他の場合の事情と比較せずにこれだけを絶対的に取り上げるなら、それだけですでに恐るべき失業状態だということを忘れてはならない。――今年に這入ってからは職業紹介所を通じての「学校出」の就職率は昨年よりも良好で、大学出身では約四〇パーセント、専門学校出では四四・三パーセントとなり、夫々前年よりも五・二パーセント及び三・九パーセントの増加だというのであるが、仮にこのパーセンテージ増しを全就職事情にまで拡大して考え、又特にパーセンテージの高いだろう生産技術候補者の就職事情に適応させて修正するとしても、基礎的な数字をなしている五〇パーセントの失業という絶対値に比較すれば、あまり問題になる材料とは思われない。航空・造兵・火薬と云った特殊な生産技術・軍需工業に直接関係している部面で、どれ程就職率が高くても(夫は場合によっては一〇〇パーセントにさえ達しているのだが)之は技術候補者の一般的失業状態を埋め合せるに足りるものではない。
 単に間接にしか生産技術に関係しない処の、併し生産技術家と直接の連関がある処の、インテリゲンチャ的職業の一般的な候補者になればその就職難が如何に深刻かということは改めて述べるまでもない。こういう副技術家候補者の過剰生産を制限するために、わが国の政府や政党はこの一二年来様々な腹案を立てている。官公私立大学専門学校の収容学生を半減する案とか、学校数減少案とか、官立諸大学の一部を民営に移す案とか、帝大の法文経学部を廃止する案とか、いう諸提案が夫なのである。こういう諸提案がどれだけの実現の可能性を有っているかは別問題として、とにかくこの副技術家候補者の生産制限は、やがては技術家候補者そのものの生産制限の問題にならねばならぬということ、実はすでに現に技術家候補者自身の潜在的な生産制限を意味しているということ、それは今まで述べて来た考察のメカニズムから云って、ここで繰り返す必要はないだろう。
 之は無論世界的現象の一つであって、技術的に発達しているドイツなどになると、技術家候補者の失業―就職難は候補者が割合に多いだけに著しい。ドイツ技術同盟の代表者 Matschoss 教授によれば、ドイツでは約四万人の技術学生が在学し、年々八〇〇〇名が卒業するのであるが、わずかにその二〇パーセントだけが技術家として就職し得るに過ぎない。あとの一〇パーセントは学校に残り、更に残りの二〇パーセントは専門外の一時的な職業を見出し、残りの五〇パーセントは全く何等の職業を見出すことも出来ないというのである。だからスケールの大小は兎に角として、失業のパーセンテージは略々わが国に於けるものと近いと見ていい。教授の計算によれば現在(一九三二年)ドイツには三万人の高級技術家が失業しており、一九三四年までには約一三万人の失業技術家が発生するだろうというのである。――こうやって既成技術家の群に、新しく技術候補者が技術家として加えられて行くことによって、技術家自身全体の失業率は次第に高まって行かねばならない。この点に於て、わが国と雖も何等の例外でないのである。技術家一般の生活はだから、その外見上の安定にも拘らず、すでに今日脅やかされ始めていると云わねばならぬ。
* ルービンシュタイン前掲書の紹介による。

 漫然と云うならば、技術家の失業は技術家の過剰に原因し、技術家の過剰は技術自身の過剰に由来すると云っていい。だが資本制度下に於ける技術の過剰や又技術家の過剰ということは、一寸見る程単純な事情なのではない。一概に云って了えば資本主義は今日技術と技術の正常な発達とを抑制している。既得の技術が原始状態にまで還元されたり、採用されなかったり、廃棄されたり、その発達を抑圧されたりしている。資本主義的生産関係は技術的生産力と最も直接な矛盾に今日陥っていると云わねばならぬ。だが、こうした矛盾にも拘らず、技術は一面、社会のエレメンタリーな自然発生的な展開に沿って、又他面、この矛盾に充ちた生産関係に特有な一つの必然的な社会的要求に沿って、一応の・且つ跛行的な・発達を遂げつつある点を見逃すべきではない。生産関係によって抑圧し切れない技術的生産力があればこそ、技術と資本主義生産組織との矛盾は今日増々鋭くなって行くわけで、この際もし技術が抑圧され終って了うならば、夫と生産関係との対立などはもはや問題ではなくなって了う筈だろう。
 だから技術自身は、資本主義社会に於て、一方、一般的には抑圧されながらも、他方部分的には発達せしめられねばならなく出来ている。技術は、促進されながら制限されねばならぬという、技術自身の内部に於ける矛盾を、資本主義生産組織から受け取っているのである。資本主義社会に於ける技術の過剰とは、実は技術のこのような促進と制限との合成物だったと云うことを注意しなければならない。資本主義社会に於ける技術の一般的な制限に就いては他の機会に述べたし(「技術の問題」)、技術の促進に就いては後に見ようと思うが、今は、技術のこの促進と制限との必要が、そのまま技術家の場合に就いても当て嵌まるという点が大事だ。
 で、資本主義社会に於ける技術家の過剰とは、技術家の社会的優遇と技術家生産の制限との合成物に外ならなかったのである。と云うのは、或る特定の技術家は益々その社会的安定の保証を与えられて行くが、他の而も多数の技術家乃至技術家候補者は、之に反して失業に面接しなければならないということが、技術家の過剰ということなのである。或る少数の技術家は資本主義社会の生産的又破壊的な技術の増進のために鞭打たれなければならぬが、元来資本主義はこの仕事に差し向けるべき技術家の充分に多数を抱えることが出来ない。従って資本制の下に於て使用される技術家はその数を制限されただけ、それだけその一人当りの技術家的エネルギーを捻出しなければならないわけである(問題はこうした資本主義的な意味に於ける能率増進の問題に帰着する)。このようなものが資本主義社会に於ける技術家の安定失業との合成物――技術家の過剰――なのである。
 技術家の失業の原因と考えられた技術家の過剰そのものが、実は技術家の失業乃至制限と安定乃至優遇との合成物だとすれば、ブルジョア社会に於ける一群のブルジョア技術家の生活安定・優遇そのものが、他群の技術家の制限・失業の部分的原因になっているわけで、ここに二群の技術家の利害の対立が必然的に生じて来なければならない理由が横たわる。一方に於て生活の安定を持っている既成技術家は、今後、新しく輩出するであろう技術家乃至技術家候補者から、社会的安定を奪い去ることによって、初めて自分の生活の安定を確保出来るわけで、ブルジョア技術家はその利害をブルジョアジーの利害に愈々一致させることによって、益々ブルジョアになり済まさなくてはならぬというわけである。
 技術家に於けるこの生活利害の対立は、併しまだ必ずしも、技術家の階級的対立だと云うことは出来ないだろう。なぜなら今の場合には、一方に於てなる程ブルジョア技術家がブルジョアジーの利益に参加することによって初めて生活の安定を得ているのであり、そうやって初めて技術家としての生活を営むことが出来るのであるが、之に反してブルジョア技術家として採用され得なかった他群の技術家乃至技術家候補者は、元来この社会では技術家としての機能を少しも果すことを許されないのだから、その能力に於てどうあろうとも、社会的存在様式から云えば技術家でも何でもなくて、単なる失業者に過ぎない。彼等は無産者・失業者ではあっても、ブルジョア技術家に対して階級的に対立するプロレタリア技術家というようなものではあり得ない。単なる資本主義社会に於ては、即ち相当又はそれ以上に発達した社会主義的組織のない社会では、ブルジョア技術家に対立するプロレタリア技術家は存在しない。一般的な階級対立が単純に激化しても、それだけでは必ずしも技術家の階級対立は発生しない。技術家の階級対立が著しい問題になる時は、技術が資本主義的に運用される代りに社会主義的に運用され始める時に外ならない。もしくは、資本主義社会に於ける技術家と、社会主義社会に於ける夫とが、直接に対比されねばならなくなる条件が具わった時がそうなのである。

 ソヴェート同盟に於ける技術家の「欠乏」は、現代に於ける最も稀な現象の一つである。資本主義諸国に於ける技術家の技術に対する過剰の代りに、ここでは技術家に対する技術の過剰があるのだが、この技術の過剰が、資本主義諸国に於ける例の「技術の過剰」と全く正反対な意義を有っていることは面白い。でここでは技術家の欠乏・不足を補うために、諸種の技術家(有資格労働者・技術幹部・高級技術者・発明家・等々)の養成と教育とに最も力が入れられる。そうやってここでは「新しい」技術家が発生しつつあるのである。労働学校工場学校・等々(之は生産と教育・労働と思考・実践と理論との統一であるが)、これ等の新しい教育機関の手によって、労働者大衆自身が技術家として教育される。而もこの新しい労働者技術家の養成と教育とに取っては、資本主義諸国に於てのような制限や手控えは現在少しも必要ではない。だからここでは労働者と技術家との普通見受けられる対立は、根本的な形では存在し得ない。元来この対立は、資本家的支配の形態が工場の秩序にまで反映したものに他ならないが、之は原則的に排除されねばならぬものにぞくするからである。
 さてこの新しい――プロレタリア的――技術家の前に、資本主義的・インテリ出身の・旧技術家の地位はどうなるか。ソヴェートに於ける労働者技術家乃至技術家候補者の数は急速に増加しつつあると報じられている。一九三一年に於ける大学の入学生は一五万七千名で、三二年には夫が二三万人に増加しているし、同じく三二年に於て工芸学校は四二万人、大学労働者予備校(worker's koculties)は三五万人、商・工・業学校は一〇〇万人の入学者を必要としている、云々。だから全体の技術家乃至技術家候補者に対する、労働者出身の技術家乃至技術家候補者のパーセンテージは、極度に増大するわけで、学校によっては七五―八〇パーセントが労働者出身だと報告されている(ドイツに於ては大学生の二―三パーセントだけが労働者階級の出身であり、わが国でも大体その見当だろうと考えられる)。こういう次第で労働者出身でない旧技術家乃至インテリ出身の技術家候補者のパーセンテージは極めて低いのだが、併し旧時代からの優秀な既成の技術家や外国から招聘された技師は、この数多い労働者技術家に対して独特な意義を持っている点を、今注意せねばならぬ。
 と云うのは、こうした旧技術家は、一方に於て社会主義建設の技術的分野に直接に参加すると共に、他方に於て新しい労働者技術家にその技術を伝授する役目を負わされている。と共にそのイデオロギーの上から云えば、彼等は却って労働者技術家によって啓蒙され指導されねばならない条件におかれているのである。新旧技術家のこの交渉は、云わば技術とイデオロギーとの交換だと云ってもいいだろう。――技術家に於ける技術とイデオロギーとのこの一応の分離は、技術の例の特有に稀薄なイデオロギー性に由来するわけで、この稀薄なイデオロギー性のおかげで、旧ブルジョア技術家と雖も、社会主義下に於て技術家としての生活を営む一応の条件が可能になるわけである。
 ソヴェート同盟に於ける旧技術家と新技術家との交渉はそれにも拘らず一種の階級対立をなしている。それは新しい産業制度(工場委員会・生産者会議・等々)に対する疎隔感や、労働者に対する敬遠という、旧技術家の意識の内部に見られるばかりではなく、こういう意識を通じて反ソヴェート的政治行動に走った多数の旧技術家の、又外国技師の、行動の内に最も著しく見て取れる。例えばシャフチンスキー事件・ウクライナ学士院事件・連邦学士院事件・ベリャンチコフ事件・ナホリト事件・産業党事件・等々に於ける技術家による「反ソヴェート陰謀」が、この利害上の階級対立の政治的表現である。だがこの階級対立は、元来が技術の例の所謂「中立性」と、それに基くと考えられる技術家の「中立の意識」とに基いて、成立するのではあるが、併し却って技術の「中立性」(実は中立性ではなくて稀薄なイデオロギー性だったのだが)と技術家の「中立の意識」それ自身のおかげで、技術家のこの階級対立は或る程度まで稀薄にされざるを得ない。だから実際問題としては、技術家による陰謀というような階級対立の表現も、割合簡単な社会現象として無難に片づけられることが出来て来ているのである。
* ア・ルイコフ「技術家・専門家の問題」参照(時国氏訳・クロウサー『ソヴェトロシアの科学』付録)。
 かくて、一方ブルジョア諸国に於ける技術家の社会生活の安定失業との連関機構は、他方ソヴェートに於て、新旧技術家乃至専門家の、一種独特な階級対立となって、反映されているわけである。ただ、後者の場合に於ては、技術の実際の運用者となるべき新技術家の数が、次第に増加して行くために、技術家のこの無用な階級対立は早晩死滅する運命に置かれているが、之に反して、前者の場合には、技術家としての生活の安定を得るものが、全技術資格者に較べて増々割合が少なくなるために、技術はあらぬ方に持って行かれる外はなくなるので、それが二つの場合の根本的な相違なのである。

 技術家の社会的地位は一応こうだとして、次に、技術の促進という問題にまで溯って、技術家の地位を考え直して見よう。
 一定の目的の下に技術を促進させる一つの必然的な手段として、今日、資本主義国も社会主義国も、技術家の一般的な保護と研究補助とに力を致しているのは云うまでもないが、その特殊な場合として、発明(乃至発見)の奨励が行なわれる。之は一般的に云って当然技術家の社会的優遇となって結果する、と一応云うことが出来る。
 尤も人々の考えによれば発明や発見は、偶然や偶発的な天才の結果であって、決して、技術家というような平均的な人間群に対してだけ特別な関係を有つものではないと考えられるかも知れない。こういう論法で行けば技術家を優遇することは必ずしも発明の奨励や何かになるものではなくて、優遇されるべきものは、この凡庸な技術家達の代りに、技術家であるなしに関係なく、発明の天才者でなければならぬということになる。――だがもし本当にそうならば、一体発明の奨励というどこの国でも行なっている社会施設そのものが無意味でなくてはなるまい。なぜなら発明的天才又は一般に天才は、この考え方からすれば、社会施設によって奨励されると否とに関係なく、偶発的に天来のように発生しなければならない筈だったからである。
* 天才が社会的には、即ち人為的には、生産され得ない神秘的な偶然なものだという思想は、可なり広く行なわれている。そして発明乃至発見というものはそうした天才のものだという考えも決して珍しくはない。例えば「発明の才能は偶発物であり偶然の性質を有っている云々」(Ch. Nicolle, Biologie de L'Invention 1932)。――だがそうすれば発明には何等の合理的な規則的な方法もあり得なくなる。処が実際には、吾々は今日まで多くの発明方法の理論を有っているという事実を忘れることは出来ない(この点に就いては J. Picard, Essai sur la Logique de L'Invention dans les Sciences を見よ)。
 実際には併し、このような非合理主義的発明観乃至発見説と無関係に、一切の発明や発見は社会的必要に逼られて、必然的に発生して来ている。アメリカは何も、コロンブスの冒険的創意によって発見されたわけではなかったし、ワットが鉄瓶の蓋の上るのを見て蒸気汽罐の原理をフト思い付いたということも、完全な近代神話に外ならぬ。で、発明や発見は社会的な客観的必然性によって発生するのであればこそ、一つの社会施設として、発明乃至発見の奨励ということにも初めて意味が生じるわけである。
* J・ワットが蒸気汽罐を「発明」した時には、すでにイギリスではパピンの考案になる蒸気汽罐が、鉱山で技術的に経済的に使われていたのである。ワットの「発明」の主なものは、この蒸気汽罐のコンデンサーをシリンダーの外に装置するように改良しようというパテントに過ぎなかった。それを非合理主義的な発明観や天才説が、鉄瓶神話にまで盛り立てて了ったのである。
 で、発明乃至発見が、こういう具合に社会施設によって、「奨励」され得るということは、その社会的地位から云って特別に有利な条件を平均的に具えている人々に対して、この奨励が特に有効だということを認めていることで、それはつまる処、技術家の社会的優遇ということに帰着する外はないのである。発明や発見を最も奨励し甲斐のあるのは、偶然な孤高の天才ではなくて、平均的に考えられた技術家なのである。
 さて、資本主義社会も社会主義社会も、技術家の発明的天才を社会的に助成することに努力しているのだが、技術家の発明的天才という観念自身が、資本主義の下と社会主義の下とでは、別であることを見落してはならない。Laissez-faire や、事業のイニシャティーブの名の下に、個人の個性をば社会の原理とするブルジョア社会に於ては、一方に於て発明が社会的に助長され得ねばならぬと信じながら、併し他方に於ては、発明は個人的独創に委せられる外ないと信じている。と云うのは、発明は特定の少数な選ばれた発明技術家の独創に対してしか期待されないもので、之を広く全技術者群に、全技術家大衆に、求めることは無意味であり又無用でさえある、と考えられている。独創は天来によるものであって社会的に奨励など出来るものではないと考えられる。そうすればここでは、発明は依然として、少数の孤高な選ばれた偶発的な技術的天才者の独創によるものだということが、暗々裏に想定されているわけである。
 技術が大衆のものではなく、技術家が大衆から隔絶されているブルジョア社会では、階級的に制限されたブルジョア技術家の、発明的天才が、このように個人主義化され天才化されることは、蓋し当然だと云わねばなるまい。ここでは発明は個人的――天才的――発明に限られるのであって、大衆的発明や独創の大衆化と云ったような観念は、一つの矛盾だとさえ思われるだろう。技術の促進は技術家大衆の必然的なイニシャティーブによって行なわれるのではなくて、高々、階級的に数を制限された一定範囲内に偶発する少数の天才的諸個人の思想をあてにしてしか行なわれない、ということにならねばならぬ。これでは発明の大した集積は期待出来ず、又発明技術家が、一般的に優遇されるということも不可能になるだろう
* 無論こう云っても、発明はどのような条件の下にでも多少とも自然発生的な展開を見せるということを忘れてはならぬ。特に今日のような軍需上の必要が喧伝されているような時代に在っては最も手近かな発明が続々として現われることも可能である。曰く無電飛行機・白粉から鋼鉄を取る発明・強力磁鋼・アルミニウムの銀メッキ・金属性織物・其の他其の他。だが注意すべきは、之等のものが多くは技術の跛行的な発達に寄与する処のものであって、必ずしも技術の正常な発達の因子だとは限らないという点である。
 労働者農民が自分の内から大衆的に技術家を見出さねばならず又見出すことが出来る筈の社会に於ては、技術家の発明的天才・独創の観念、又発明そのものの観念は、之とは全く別である。ここでは発明的天才・独創は広く大衆的に開発され、発明は大衆的に奨励されるだろう。発明はこの時初めて無条件に発展し、又発明的技術家は、この時初めて一般的に広く、その優遇を享受することが出来ることになるだろう。技術の促進が之によって、他の社会に於けるものよりも、より正常により急速に行なわれるだろうことは明らかである。
 発明家――発明技術家――を保護し優遇する筈である専売特許制度は、資本主義社会に於ては却ってその反対物に移行している。之によって保護され優遇されるものは、発明技術者ではなくて、パテントを安く買い取った、又は定給の支給によってパテントの占有を契約した、非技術家たる単なる資本家でしかないが、それだけではなく、発明技術家の受け取る筈であった利得は資本家の利潤に転化することによって、発明技術家自身に対して間接な損失となってさえ現われて来るのが落ちである。発明の機能はもはや技術の促進ではなくて、商品生産の労働となる。発明技術家は特許制度によって保護され優遇されることを通して、発明技術家全体としては結局圧迫されることにならねばならぬわけである。
 元来資本主義社会に於ける特許制度は、今日では、技術の発展を促がす代りに、技術本来の発達を抑制するのがその唯一の機能となって了っている。多くのパテントは独占され握りつぶされて、恐らく永久に地下に葬られ去るだろう。発明技術家自身の運命も亦之である。
 独占資本主義の一つの機構であるこの資本主義的特許制度に対して、ソヴェート特許法の原理を対比させて見れば興味があるだろう。之によれば、特許権が個人的企業家に向って売却され、無政府的で主観的な思惑による価格が発明技術家の報酬となる代りに、新しい発明は試験所に提出される義務と権利とを持っており、この発明が国家の産業計画に沿って年額どれだけをセーブ出来るかによって、その客観的な価値が評価され、それに対応する社会的優遇(年金・一時金・賜暇・研究補助・等々)を発明技術家が亭受することになっている
* 詳細に就いては The Soviet Patent Law, 1931 を見よ。なお付篇「独創と大衆――大衆的発明と特許法」を見よ。

 残る問題はさし当り、技術家の啓蒙技術家による啓蒙・等々の問題である。吾々はここで(ブハーリンが指摘している)技術のプロパガンダや技術的出版界に就いて考えて見なければならないだろう。だが之は「技術家のイデオロギー」という問題の一部分に外ならない。別の機会にこの問題を取り上げようと思う。


付、独創と大衆――「大衆的発明」と特許法



 社会主義の社会になると、社会関係が統制化され計画化され、その結果として事物は凡てスタンダライズされる。そこで万事につけて希望を失った資本主義思想家に云わせると、そういう社会には折角だが人間の何のオリジナリティーもなくなるらしい。この新しい社会も矢張り相変らず資本主義社会の延長にすぎず、資本主義社会の本質をなしている物質文明・機械文明は終焉するどころか益々露骨になって行くに過ぎない。魂の休憩である宗教のないこの機械文明・物質文明位、呪わしいものはないというのである。
 こういう思想家によるオリジナリティーというものは、云わば手工業的なものに限られているようである。即ち個人というものを離れると独創なるものは考えられないようである。下は無名の下手物作者から上は純粋芸術の天才に至るまで、個人の個性ということがオリジナリティーだというわけである。
 併し明らかにこれは滑稽な固定観念なのである。個人性ということだけが個性でもなければ、個人々々の個性ばかりが個性ではないのだから、独創と個性とを或る点で同一視出来るということからは、独創を個人のものに限る理由はどこからも出て来ない筈だ。一体主に一個人の意匠だけで仕上げられるような作品は今日の資本主義ではあまり大した意義のある製品ではあるまい。建築やキネマが、誰か一個人の個性を持っているとは考えられない。例えば装飾の具体的な各部分や俳優の一つ一つの表情は、すでに設計者や演出家の個性の云うことばかり聞いてはいない。それにも拘らず建築やキネマは、個性と云ってもよいなら立派に夫々の一つの個性を持っている。だから個性とかいう又は天才とかいう根本概念を改造してかからなければ、そういう概念はオリジナリティーを説明するには役立たない。
 それから又、オリジナリティーを創造という概念で説明する場合がある。社会主義の社会は創造的活動に不利だという理由で、夫はオリジナリティーの圧迫される社会だと云う。一つの社会の実現そのものが大きな創造だという事は別にしても、この社会で圧迫されるだろうと想像される創造なるものが、この種の思想家の頭の内に於ては他愛もない通俗観念に過ぎないのである。文学的想像力の所産を創造の尤なるものだと考える文学者達は別としても、彼等は高々要するに眼新しいものの出現や思い付きの所産を創造と呼んでいるに過ぎない。だが無論そういうものは創造でも何でもなくて、空想の興奮でしかないだろう。
 独創はなるほど個性的で天才的で創造的なものだ。併し個性とか天才とか創造とかいう概念が初めから奇妙に理解されていたとしたら、この言葉が全く何の役にも立つまい。本当の独創本当の創造はどういうものとして理解されねばならぬか。
 吾々は大体こう思うのである。独創(創造)というのは新しい公式の抽出のことであると。併し新しい公式は天降って来るのでもなければ突然飛び出して来るのでもない。以前の諸公式の展開と総合とから、初めてそれが結果するのである。この結果が与えられた前の諸条件から物的に上昇している処に、その飛躍的な新しさと独特さとがあるのである。事物はそれ自身に於て展開し抽象し又総合しながら運動して行くわけだが、独創(創造)というものは、外でもないこの運動を俊敏に追跡することに他ならない。
 独創をこういう風につかむことは、之を文学的に理解する代りに云わば技術的に理解することであると云っても好いが、そういう独創が社会主義の社会では無くなりはしないかという心配は、だから全くの取越苦労という外はないだろう。
 社会主義の社会に於てはこの意味で、大衆こそ独創的でなければならず、それが又ソヴェート同盟などに於て事実となって現われて来つつある様である。そこでは独創的な個人が社会計画の結果として大衆的に輩出し、それが凡て社会的に役立てられなければならないのである。
 この点は、既にソヴェート同盟の生産技術上の独創性に関して指摘することが出来る。資本主義の社会では発明という生産技術上の独創は、無論社会全般(?)の福祉を増進するためにこそ奨励されねばならぬと考えられているにも拘らず、それが全く個人主義の観点から取扱われる。発明者は国家から特許権を獲得した場合、それから先は彼の貴重なパテントを単なる一商品として、砂利や古新聞と全く同格に、商品交換の自由競争場裏になげ出す外に道はない。それが資本家によって買い上げられればまだしも、あまりに有効な発明は失業を増大させるから却って特許を与えられないという憂目さえ見なければならない。資本家によって買い上げられたパテントは旧いパテントで充分に利潤が上っている限り永久にとって置きになるかも知れない。だから折角の社会的な大発明も全く個人的な有償無償の物数奇な試みに還元されて了う。発明は個人の気紛れな興味に一任されて了う。
 処がソヴェートではこのような個人的発明に対して大衆的発明を対立させている。ソヴェートの特許法は初め一九二五年に発布されたが、一九三一年四月九日付を以て新しい情勢に相応するように改正された。それによると労働者発明家は自分の発明・技術上の改良・又は意見によって特許を得ると、政府は早速之を産業に適用せねばならぬことを規定する。その際彼はこの適用に立ち会わねばならぬ。この適用の結果生産上節約し得た客観的に現われる年額に応じて、彼は一定率のプレミアムを労働報酬として受け取る。このプレミアムは現金で支払われることもあれば、旅行・賜暇・転地、等の形で与えられることもある。その他になお、発明家として必要な生活資料や研究機会などの生活上の優先権を与えられることになっているのである(The Soviet Patent Law, 1931, Moscow 参考)。
 こうして発明家は実質上大衆的に保護され、発明は実質上大衆的に奨励される。そしてこの奨励方法は、資本主義的個人の無政府的な自由競争に一任されるのではなくて、大衆の「社会主義競争」にむすび付けられているのである。労働者大衆の個人の発明は無条件に社会的発明として大衆的に役立つことが出来る。之が大衆的発明の観念であり、生産技術上の独創はこういう形を以て現に実現されつつあるのである。
 これは特に生産技術の上での独創に就いて述べたのであるが、単にそういう技術的な独創に就いてばかりでなく、もっと一般に、云わば精神的な独創に就いて迄も、この結果を一般化すことが出来ると思う。もし技術的な独創と精神的な独創とは本質上別なものだから、精神の世界では大衆的独創などあり得ないと主張する者がいるなら、彼は多分大衆的独創という言葉を誤解しているのであり、そうでなければ精神界の独創という言葉で何か勝手な幻影を楽んでいるからだろう。精神というものも広義に於て技術的な本質のもので、頭脳労働と筋肉労働との対立が資本主義的生産形式の一結果に過ぎないと同様に、精神と技術との対立はブルジョア・イデオローグの固定観念に過ぎない。私は独創というものが一般に技術的なものだということをもう一遍云っておきたいのである。
[#改段]

技術と知能
     ――現代学生の技術家的役割――


 現代では「学生問題」(?)というものが社会理論の一つの特殊な結節点になっている。単に思想を思想として取り扱おうとする所謂「思想問題」――之は政治的には主として学生思想問題なのだ――なるものがあり得ないと全く同様に、単に学生を学生として取り上げるような学生問題は、文部省や大学の学生課にとってでもない限りあり得ないが、それにも拘らず連関した一連の社会問題の結節線上の特殊な一点として、この問題を問題にする必要がある。
 この問題を特殊なものとしている第一の条件は、併し学生という社会的地位・社会身分・乃至(或る意味で)階級と、そのイデオロギーの種類とが、特別に知能(インテリゲンツ)と結び付いているということにあるのは明らかなので、この問題を分析するために、予め知能が他のイデオロギー形態と異る点を抽象的に、形式的にではあるが、整理しておく必要がある。
 一頃教育家達――而も相当高度の教育年度を受け持つ教育家達さえ――によって試みられた例のメンタルテスト(インテリゲンツ検査)は、それ自身が教育制度の矛盾を回避しようとする社会的必要に逼られて取り上げられた一手段であったが、一方に於ては社会的諸制約から独立した純粋な検査方法を事実発見することが出来なかったと共に、ひいて他方に於て、知能そのものが決して想像されたように純粋心理学的な素質などに尽きるものではないことを教唆した。実際、知能は単なる素質ではなくて開拓されるべき素質であり、その意味に於て教養と云ってもいいのである。
 だが教養とは、ブルジョア教育哲学者達がよく指摘している通り、つまる処性格の教養に帰着する。だから知能は、ブルジョア教育行政家達のフラーゼ――知育と徳育・人格と学識・等々の機械的な対立と混淆――とは関係なく、人間主体の性格(そういうものは無論極めて抽象的にしか考えられないが)に向ってのみ、初めてその結び付きを見出すことが出来る。知能は性格の有つ能力そのものであって、単なる知識能力などではない。その限り、之を生物学的に云い表わせば知能は本能と同じ特色を有っていると云わねばならぬ。と云うのは、知能が本能化しない限り知能ではないのである。本能化さない知能は猿知恵にしか過ぎない。読者にはこの点を予め覚えておいて欲しい。
 尤も普通考えられる処によれば、知能と本能とは別であり又対立さえしている。本能は感性的であるが之に反して知能は知的ではないかと云うかも知れない。併し原理的に云って了えば、感性から出発しない知性はなく、従って感性へ負債を支払い得ない知性は知性ではない筈だ。感性からのこの負債の支払いに於てこそ知性の有能さがあるのである。だから、知能は一つの能力だと云ったが、知能がもつ有能さは知能が自分を本能化し得るという処に、初めて横たわるわけである。実際、性格を教養することは、何も他人と変った性質を捻出することではないので、取りも直さず性格を有能化することが目的なのだが、そうやって性格を有能化すことは、外でもない、性格能力である知能を本能化すことなのである。
 知能のこの有能性を本能に関係してとや角云うのは併し、生物学的抽象によるアナロジーを使ってのことであるが、今はこのアナロジーはどうでも良いので、知能のこの云わば感性的な有能さという事が要点なのである。本能になぞらえられた知能の感性的有能性は、より社会的な範疇としては、広く技術的性能と呼んでいいだろう。蜘蛛が糸を繰るのは本能であるが、製糸工場に於ける女工の性能は技術的なのである。知能はだから結局広義に於ける技術的な本質のものだということになる。
 尤も、技術という概念を本格的に把握するにはまず第一に之を技術学(工芸学)的見地から見て行かねばならず、そしてこの技術学は単に人間主体が有っている技術乃至手練を問題にするのではなくて、この技能が結合している物質的で客観的な体系――機械組織・工場組織・等々及び之等の媒介としての生産関係にまで及ぶ――を問題にするのでなければならない。だが今は元来人間主体の能力としての知能を特色づけるのがさし当りの目標だったから、ここで問題になるのはそうした技術学的な意味に於ける技術ではなくて、人間主体の側に於て之に対応する処の、主体的能力としての技術なのである。この場合の技術はであるから、単に客観社会に於ける生産組織にまで組み込まれた具体的な技術能力を意味するばかりではなく、それから抽象された物質変更能力一般(例えば技術家の所有する技術)を意味する。と同時にそればかりではなく、観念の変更能力一般(例えば作家の手法)までが、ここで必然的に技術という言葉の内に含まれている理由を見出すことが出来る。制作や思考の手法というような観念的な技能が同じく技術の名を以て呼ばれる正当な理由は、ここにしかないだろう。で、こういう抽象され拡大された哲学的範疇としての広義の技術が、知能を特色づけるものだと云うのである。実際こういう意味では、知能は一つの技術的能力に他ならない。――知能はかくて、自分を技術化さない限り、知能としての作用を発揮出来ない。之が予め云っておきたい点だ。――知能が一般の他のイデオロギーの形態と異るのはこの点に於てである。

 さて、知能の抽象的で形式的な規定づけはこうだとして、現在、こういう知能がその特殊な主体的条件となって出来ている社会層がかのインテリゲンチャ層であることは云うまでもない。そしてインテリゲンチャ層の特殊層の一つが即ち現代の学生乃至学生層である。知能は学生乃至学生層に於て、どういう風に特殊化され限定されていたか、又されつつあるか。
 現代社会が学生と呼んでいるものは、一方に於て、例えば生徒から区別された意味での学生というような官制上の身分資格を指すのでもなければ、他方に於て、例えば陸海軍の学生というような官制上の副次的な属性を意味するのでもなくて、ブルジョア社会に於ける一つの社会身分を指している。だからこそ学生という名は時によって職業の名としてさえ通用するのである。職業は何か生活資料の直接な獲得――収入の如き――と不離な関係があるように考えられるかも知らないが、矛盾した資本主義社会に於ては、収入なる概念が甚だ困難な概念となるわけで、例えば余りに少ない収入は収入であっても何等生活資料の直接獲得にはならず、即ち結局収入の実際上の意味を失って了うのであるから、職業や収入と不離な関係に置くと、職業という概念が極めて狭いものにならざるを得ない。それでは失業統計なども恐らく膨大な量に及ばざるを得ないわけで、それは無論ブルジョアジーが決して欲しない結果である。そこでブルジョアジーは職業を、収入と実質上は無関係な一定社会身分という意味に解釈し、どうやってもこの解釈に這入らないものだけを失業と見做す(無職というのはだから実際必ずしも職のないことを想起させるとは限らないだろう)。失業の大部分は実際之によって観念的に解消して行くだろう。――処で、学生は収入どころではなく逆に学資を支出しているのだが、それが一つの一定社会身分だという意味で、職業欄に学生と書き込むことも不自然でない、というような意識をも生むのである。
「学生」はだからブルジョア社会の秩序に於て占められる一定部署を意味している。階級社会に於ける学生層は、一定の階級的意義を有っているということがその特色だ。――学生層の構成内容から云っても亦、このことは確められる。一般学生の各個が、概括的に云って小市民層又はブルジョア階級の子弟であり、高年度の学生になればなる程、「良家」の子弟が多いと推測していいだろう。農民や労働者からは例外としてか又は特殊の条件に偶伴された以外には(例えば有力者の知遇や公私の給費)、決して学生は送り出されない。明治初年以来台頭しつつあったブルジョアジーが盛んにブルジョア社会幹部の養成を必要と感じた時代には、旧下級士族や町人や農民から「苦学生」其の他相当遊学者を出したのではあるが、資本主義の発展に従って、資本制幹部と幹部の定員とが急速に固定し始めた現代に於ては、「学問」や「卒業」を以てする投資は、幻影を外にして成算あるものでなくなって来た。今日の大学生の可なりの多数は、生活収入の問題とは関係なしに全く一つの社会身分を保留し又は享楽するだけのために、大学に籍を置いているに過ぎないように見える。そしてこういう名目上の失業をさえ猶予延期出来るものは、無論相当裕福な家庭の息子達でしかあるまい。
 だが今云った最後の現象などは、云うまでもなくブルジョア教育制度の期待していた処ではなく、ブルジョアジー自身にとっては全く思いも及ばなかったアブノルマルな弊害に外ならないだろう。ブルジョア教育制度は初め、学問の蘊奥や国家に枢要な知識や人材や良妻賢母等々のありと凡ゆる理想の下に、もっと「健全」な計画を立てた筈であった。というのは初め学生にとっては、将来ブルジョア社会に於て占めるべく想定された社会的地位が実質的に約束されてあった筈なのである。官吏・政治家・実業家・言論家(イデオローグ)・専門家技術家・等々のブルジョア社会幹部の地位が、一種の支配者としての地位が、実際に可能なものとして約束されていたのである。――実際にはわずかに下級幹部としてしか任用されなかったり、又は下級幹部候補者のために下級幹部就任の機会をさえ拒まれたりせざるを得なくなった今日と雖も、この約束は空手形として繰り返し繰り返し与えられている。
 だから現代学生は、単に彼等の現在の身分が事実上ブルジョア乃至プチブルジョア(結局ブルジョアジー)にぞくしているばかりではなく、更に少なくとも名義上将来に於ても益々この所属を強調することになる筈の、ブルジョア社会の幹部候補生なのである。世間ではよく学生を「修養」時代と云っているが夫は正しくこのことだろう。恐らく卒業すれば修養は不必要になって大いに発展しても良いという意味でもあろうか。
 名目上だけでなく実質的に云って、充分に将来を約束出来た時代のブルジョア社会幹部候補者であった過去の或る時代の学生は、併しながらまだ積極的な独自の社会的意義を有ったものとは云うことが出来ない。ブルジョアジーのまだ比較的ルーズな幹部網の内へインテリゲンツの技術的所有者(インテリゲント)が容易に吸収されて行くことが出来た限り、ブルジョアジー階級内部に於けるインテリゲンチャ分子というものは考え得られたにしても、この分子がブルジョア階級の外部にまではみ出て、比較的な独立性を獲得し、かくしてインテリゲンチャという一つの社会身分にまで転化して、階級的な重要性を有つ迄には、そこではまだなっていない。所謂インテリゲンチャ――それは個々のインテリゲント分子ではなくインテリゲンチャ層として階級的意義を持った社会身分を指しているのだ――は、まだ充分な意味では成り立っていないのだから、従ってその一部分と想定していい学生なるものも亦、一つの社会身分としての充分な社会的独自性積極性を持つまでにはなっていない。かつての資本主義創業時代のこうした学生――「書生」――は、所謂インテリゲンチャの一部分などではなくて、ブルジョア階級の可能的なインテリゲンチャ分子、即ちブルジョア社会幹部網のためのインテリゲンチャ分子の候補者、に過ぎなかった。――で書生はその知能を有っているということを社会条件としては、何等独特の意識を有ったものではなくて、身にブルジョア社会幹部の知能を縮小し模造することに専心する処の、擬国会的存在にしか過ぎなかった。こうした結局無邪気な学生の意識が当時の「書生気質」だったのである。
 当時のブルジョアジー自身の歴史的情勢が殆んど進歩的であったことから、ブルジョアジー自身の意識が進歩的であり自由であった。即ちブルジョアジー自身の意識が知能的であったのであり、ブルジョアジー自身の知能が知能的であり得たのである。それ故その幹部候補生としての学生・書生の知能は却って、云わばそれだけの候補者的な技能でしかなかったのであり、又それで充分だったので、そこでは学生自身にだけ独特な知能の進歩性・自由性は必要ではなかった。この場合の知能は何も別に批判的な――この最も知能的な――機能を営む必要を現実的には感じなくて済んだのである。一般にまだ現実化さない処の、可能態に過ぎない処の、一種の候補者としての学生の社会的地位から来る自由は、この段階の学生の意識に於ては批判の自由として現われる代りに、却って批判的関心からの自由として、即ち無頓着・無分別・等々として、要するに非知能的な形態を取って、現われたに過ぎないのである。
 それで、出来上って了ったブルジョア社会幹部の知能分子に於てはとに角として、それの卵子に過ぎなかった当時の学生に於ては、知能は別に何も学生の社会的な重大意義を条件づけるものではなかった、と云わねばならぬ。
(だがこう云っても、学生の社会的地位から生まれる例の自由乃至自由の意識の内に、批判の自由への可能性が、固定化し束縛された先輩幹部に対する批判への無形の萌芽が、あり得ないということにならぬ。現実の必要さえ起きれば学生のかの自由は批判の自由として機能し始めるに充分好都合な準備が出来ていたと見るべきなのである。――後にそれを見よう。)
 ブルジョア社会幹部網が次第に充実して来、知能分子をそこに吸収する余地が次第に少なくなって来るに従って、――之が資本主義の発展の必然的な一結果であることは断わるまでもないが――、そして而も他方では之に対応して(学生を中心として考えるなら)、学校教育や社会教育が量的に発達して来たため知能分子の生産量が急速に増大して来るに従って、主として学生上りからなる知能分子がブルジョア階級の外側に大量的に集結せざるを得なくなって来た。即ち学生は前に云ったように単に名目上だけのブルジョア社会幹部候補者でしかなくなり、結局実質に於てはブルジョア候補者としての資格を剥奪され或いは免除されることとなって来るのである。――かくて学生乃至学生上りからなるインテリゲンチャが、改めて一つの社会層、社会身分、となって社会階級の機構の間に現われ始める。所謂プチブルインテリゲンチャなるものの基体がここに出来上って来るのである。――永遠の候補者は、永遠に候補者であることは出来ない筈だ。ブルジョア社会幹部候補者乃至候補者上りは、やがて、何かの候補者であることを実質的に放擲して、改めてそれ自身の体制に這入って行く。之が中間層としてのインテリゲンチャなのである。学生はかかる中間層の一部分として編成されることによって初めて、現代の吾々が口にするような意味での「学生」即ち現代学生層、を形づくることが出来たのである。
 いつも云われる通り、中間層としての(プチブル・)インテリゲンチャが、時間上並びに論理上の終局の瞬間に於ては、総体としては実は決して中間層ではなくて、ブルジョアジーの味方であるに相違ないが、このインテリゲンチャの一部に編入された現代学生層も亦、終局的に云ってブルジョアジーのものである。実際上ブルジョア乃至プチブルジョアの子弟から夫がなっているばかりではなく、名目上から云っても、ブルジョア社会幹部の候補者として、社会秩序の上で一定の地位を占めているのが学生乃至学生層であった。このことはすでに述べた。――だが今、恰もこの点に就いて、学生層は一般インテリゲンチャ層の他の部分(例えばサラリーマン・小官吏其の他)と異った条件を有っていることを注意しなければならない。現代学生層は事実上ブルジョア社会幹部の候補者でなくなっているが、それにも拘らず、ブルジョア社会幹部によって現実に割りあてられた「職業」を持っている処のインテリゲンチャ層の他の部分に較べるならば、学生はここでも亦、そうしたサラリーマン・小官吏等々自身の候補者を意味しているだろう。実際現代学生は大衆的に云えば結局サラリーマン候補者、或いは寧ろ名目上又は実質上の失業者候補生に外ならない。こうした一種の候補生としての学生の位置の自由は、学生各個の生活を保証しているブルジョア又は相当高級なプチブルジョアにぞくする父兄によって、保証されているのである。――学生に特有なこの自由は併し、それだけでは大した意味を得ないのであるが、学生が更に、或る程度の集団的生活を営むことによって、云わば学生社会を造っているということから、この自由に或る決定的な意義が生じて来る。なぜならこの学生社会の一員となることによって、ブルジョアの子弟もブルジョア階級を一時的にしろ抜け出してプチブル・インテリゲンチャの層に出入りするのだからである(これ等の子弟は卒業すれば本来の階級に還されて了う)。で、こうした自由は、無論一般のインテリゲンチャには見出すことが出来ない学生に特有な自由だ。
 学生層のこの社会的自由は処で、彼等学生に特有な意識の自由を産み出す。この自由は無条件には単に一般的で形式的な意識の自由に過ぎないだろう。だが従前の学生の知能が、当時進歩的であったブルジョア幹部の知能への候補者として、予め訓練されていた云わば惰性のまだ強力である処へ、今、ブルジョアジーの知能という従前の目標が実質的には成立たなくなったことが意識されて来るから、今の自由は単に一般的・形式的自由としてではなく積極化して、進歩的な自由として、批判の自由として具体化される結果を有たざるを得ないのである。知能は一つの技術であったから、不用に帰すれば一般に消耗して行くものではあるが、目的を失った大きな惰性を有たされる時は、勢い反射的に・反省的に・自分自身に向わざるを得なくなり、そしてそうした作用が他に向っては批判能力として現われるのである。現代学生層はかくて、一定の客観的な必要に逼られた結果、ブルジョア社会幹部、ブルジョア社会人の候補者から、之等と之等を含むブルジョア社会に対する批判者にまで、必然的に転化する。そしてこの転化の可能性はすでに実質上のブルジョア社会幹部候補者としての曾ての学生の社会条件の内に、なくはなかったのである(前を見よ)。
 現代学生層の知能上のこの批判能力は学生層が置かれる一般社会の客観的情勢の推移に織り込まれながらではあるが、比較的に自動的にさえ、自己再生産して行き、次第に併し急速に体系化され尖鋭化される。と云うのは、単なる集団にすぎなかった学生社会は、之によってブルジョア学校内部に於ける学生組織に転化し、そして又例えば学生運動の形態などを通して、学生各個はそのブルジョア的乃至プチブルジョア的な家庭から独立に、その結果を持ちよりながら学生組織に再び立ち帰って来るのである。現代学生層はだから、その成素が一応ブルジョア又はプチブルジョアの子弟であったにせよ、又集団としては中間的インテリゲンチャに一応ぞくしたにも拘らず、丁度婦人の場合と同じように批判された身分として一つの社会身分にまで結成し、又そう結成することによって益々無産者と同様な性格を持った身分へまで育って行く。現代学生層はそのブルジョア的諸条件にも拘らず、或る限度に及ぶまで急速に批判的にならざるを得ないのである。現代学生層の批判知能の体系化は、この情勢に対応するものに外ならない。
 一般のインテリゲンチャに対して学生層が有っているこうした特異な点が、現代学生層をインテリゲンチャ層に於ける最も積極的な活動的な層にしているのであるが、同時に又この点が、従前の例の幹部候補生としての学生などに於ては決して見られなかった処の、学生の知能の積極的な社会的意義を成り立たせているものに他ならない。実際、現代ブルジョア先輩幹部連は、現代学生が全く学生らしくなくなったことを嘆いている。それは当然で、学生はここまで来て、ブルジョア社会幹部の候補者から、一種の無産者的な層にまで、或いは更に、それ自身一部分の無産者候補者にまで、転化したからなのである。
 現代学生層は、云わばインテリゲンチャを代表して、その知能・インテリゲンツを積極・技術的に社会的に活動せしめる。知能が積極的な社会的意義を有って来るのは、さし当り現代学生層に於てであり、或いは少なくともそうであった、と云うことが出来る。――学生運動・労働運動・啓蒙運動・文化運動・等々が彼等の活動形態であったが、例えばサラリーマンはこれ等の活動性に於て著しく劣っていたように見えるのが事実である。

 さて以上のように規定された現代学生層は、「学生」の技能技術上の歴史の云わば第二期最高潮期と云っていい(この時期の徴候としては例えば福本主義などを挙げることが出来るだろう)。だがこの同じ現代学生層が実は同時に、学生の知能技術上の第三期への、衰亡期への、入口になっている。この点が実は現在最も大事な点だったのである。次にそれを検討しよう。
 現代学生層の無産者化と共に見られた処の、学生知能技術の批判能力の著しい高揚は、すでに云ったように、学生が自分の知能を役立てようとする目標――ブルジョア社会幹部としての技術――を失ったことを条件としているのであったが、他方に於て知能技術の使い道がなくなったということは、終局に於ては技術の訓練を荒廃させることを伴うのであったから、かつての技術訓練の惰性はやがて相当速かに減衰せざるを得ない。知能技術はいつか宙に浮いて了うのである。従って、現代学生層は対社会的な積極的な役割――労働運動の一時的指導・文化運動・啓蒙運動等々――を果して行きながら、元来中間層としてのインテリゲンチャの社会的歴史的役割を制限している一般的な制限のおかげで、当然いつか或る限度に到着する。するとそこから先は、従前のままの条件の下では、学生層の知能技術は活動力を失い始め、発展を止めなければならなくなる。少なくとも学生層に於てそういう過大部分が発生するようになって来る。そうなった時代が学生知能技術上の第三期に外ならない。学生の知能は全般から云って低能化し、非本能化・非技術化し、マンネリズム化し非性格化す。かくて学生はそれに特有な知能技術を喪失する。インテリゲンチャの代表者が、自分の唯一の性格である所の知能を喪失するのである。例えば一見進歩的に見えた学生層大衆が理論的乃至文化的な技術を失った単なる似而非実践家として見出されたような或る時代が、それなのである。「青白き」インテリがインテリによって得意になって嘆かれた時代が之であった。実はこの嘆きの得意さの内にこそ、初めてインテリの無能さが横たわっていたのであったのに。之は全く学生――このインテリゲンチャ代表者――の知能技術の低能化に照応する一現象に外ならない。
 学生層の知能技術のこの一般的な変質は、云うまでもなく学生層乃至インテリゲンチャの社会的意義の歴史的推移から来ている。そしてこの後のものは又ブルジョア社会全般の構成の歴史的推移の結果に外ならない。と云うのは、ブルジョア社会の階級対立が著しくなった結果に外ならない。で云わば人類の新鮮な若い知能は、所謂インテリゲンチャ乃至学生層から、やがて次第に、他の社会層の上に移行して行くのは自然である。現代の本当の大衆は、その大衆性によって、本能的・技術的・直接さを持っているのだが、知能もここまで持ち込まれて初めて本当に本能化し技術化することが出来よう。即ち知能はここで初めて本当に知能的となるだろう。そういう事実は、すでに文芸の世界に於ては次第に実証されて行っている。学生層の知能技術が或る限度に至るまで低能化すということも亦、だから一般的にいって至極自然なことではないか。
 学生層知能技術の低級化の一つの主体的条件として、学生層乃至インテリゲンチャは、文武官・小商人・其の他の小市民層及び後れた層の農民等々と結び付いて、今日見られるようにいちじるしいファッショ化の先鋒となることを敢えてすることが出来る(一連の学生運動・其の他)。今後、多少とも知能的で技術的な左翼学生の閉め出し其の他の教育行政の結果と平行して、又遊戯的――モダーン・不良・等々――学生の圧倒的増加の結果と平行して、学生層一般の知能技術の低下は急速度に進展して行くだろうから、恐らく学生層のファッショ化は抜くべからざる大勢となるだろう。スポーツ学生の典型はアメリカのカレッジボーイにあったとすれば、ファッショ学生の模範はすでにドイツにあるのである(Burschenschaft)。――学生層の知能技術が社会的に進歩的な役割を有つことは、それがどれほど歴史的結果から云って有効であり、そして多くの国に於て如何に共通な現象であったにしても、要するに一つの過渡期の現象にしか過ぎない。学生層が一つの社会身分として、階級的な意義を積極的に持つことが出来るのは、結局一時の現象に過ぎないと云うのである。
「学生問題」、又はわが国に於て特有な仕方で用いられている言葉に従えば「思想問題」は、ただこうした一時的現象が現われている時期に就いてだけ意味を有っている。知能技術が新興の階級へ或る程度以上に移行し、そしてやがて技術一般(心理的又生産的)も亦そこへ渡り始め、かくて一般に社会身分乃至(或る意味で)階級としてのインテリゲンチャの役割が消滅し始め、それに従って学生層の階級的役割が重大さを失い始める時、その時が恰も学生層知能技術の第三期・衰亡期・低能期であるが、その時から所謂思想問題と呼ばれる形の学生問題などは、その重大さを失い始めるだろう。なぜなら一方ファッショ学生はその知能によって何等独特の社会的意義を実際的に有つものではないからである。
 さて現在の現代学生一般はすでにこの段階にまで這入って来たと見ることが出来ようが、ではそこでは学生の知能技術はもはや社会的に何物をも意味しないのか。無論決してそうではない。現代学生層とそれの近い範囲の将来に於ける惰性形態としての学生層を一貫して、依然として進歩性を失わない処の、恐らく多数ではないが併し確実な、或る部分を、見落すべきではない。





底本:「戸坂潤全集 第一巻」勁草書房
   1966(昭和41)年5月25日第1刷発行
   1967(昭和42)年5月15日第3刷発行
初出:「技術の哲学」時潮社
   1933(昭和8)年12月13日
入力:矢野正人
校正:Juki
2011年8月15日作成
2013年10月28日修正
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