哲学の現代的意義

戸坂潤




思想の科学


 文学に於ける思想性云々ということがよく云われている。文学に就いての文壇的常識のマンネリズムによると文学は思想という何らか或るものとはさし当り無関係であるかのような想定であったとみていい。処へ文壇的文学(純文学其の他と呼ばれた)が一種の停滞を自覚せざるを得ないようになって、その停滞を何とか打破しようという処から、改めて文学の思想性ということが注目されるようになった。文学の社会性というものとの観念連合に於てである。従来の文壇的文学に所謂思想性が果して無かったか、それとも実はあったのか、今それは問題外としよう。少なくとも思想性という話題が自覚されて来たという現象に注意しようと思う。
 確かにかつてのプロレタリア文学、つまり云わば左翼的文学であるが、これの最大の魅力は他ならぬその思想性にあった。いや寧ろその思想自身にあったと云っていい。だから最近の文学に於ける思想性という問題を提出したのは云うまでもなく、この左翼的文学であったわけだが、ここで私は、一般世間の思想というものに対する理解には、妙な点があったことを思い出す。と云うのは、一つには思想というと、何等かの学術的公式をそのまま露骨にむき出しにしたドクトリンのことであり、特に社会科学的ドクトリンのことでさえあるかのように考えられたものだ。そしてそういうものを内容とするのが左翼的文学であり、之に反して純文学の類はそういう内容と無関係であっていいから、之は思想などを必要としない種類の文学だというわけだった。
 傾向文学という言葉がある。それが正確に何を意味すべきであるかは、明らかでないように思うが、少なくとも「社会的ドクトリン」としての思想を内容とするものであることは間違いのないようだ。そうとすれば、この場合の思想なるものは、つまり傾向文学にしか必要でない処の、従って一般の文学、特に純正なる芸術的文学には不要である処の、ものに過ぎぬということになる。だが勿論思想をこういう傾向文学的なものと思い込むことは、第一の誤謬だったのだ。
 思想というものが一定の理論的ドクトリンや、まして社会理論の一定のドクトリンの形をしたものでなければならぬというようなことは、勿論滑稽な観念である。こういう滑稽な観念によって思想を理解することは、それ自身、思想というものに就いての常識と教養との欠乏を意味しているわけだが、それはとに角として、思想はもっと日常的にフンダンに見出される処の普遍的な現象なのである。云わば思想は、観念にすぎぬとさえ云っていい。観念や情緒や意欲のある処、即ち思想がある、と一応云っていいだろう。そして一切の醒めた理性ある人間はいかなる瞬間にも、観念を持たないではいない。思想とは何か特別の勿体振ったものではない。三歳の童児も有つものだろう。
 にも拘らず、充分な意味に於ける思想というテーマを文学に教えたものは、所謂純文学ではなくて左翼的文学であった。かくて左翼的文学が多少の移動をなし、純文学と一種の交錯を有つようになって来ると、純文学自身がみずからの思想性、思想を問題にするようになった。之が最近に於ける「文学の思想性」というテーマである。――文学は面白くならねばならぬといわれた。そのためには大衆小説に因んだ大衆性を獲得すべきだという種類の説も行なわれた(純粋にして通俗なる純粋小説の論)。この説は問題を単純な意味に於ける創作方法、つまり技法の付近へ持って行って片づけようとしたものである。之に因んで娯楽的要素と風俗性というものも文学の面白さの要因として挙げられた。之は主として問題を単純な意味に於けるテーマ、つまり題材という処へ持って行って処理しようとする。だがこうした大衆性も風俗的娯楽的要因も、それが他のものではなくて正に文学を面白くするためならば、思想というものと無関係では全く意味を失うだろう。大衆の興味を惹く真に芸術的な面白さは、大衆の内に活きている光彩に充ちた思想をかき立てるからである。風俗が芸術的な面白さにまで高められるのはそれが思想の端的な市井的表現という形をとるからである。かくて文学の面白さという問題も、結局文学の思想性、思想力という点に帰する。島木健作氏も、文学の面白さがその思想性に由来することを、力説している。私はこの主張が、氏の長篇『再建』(特に後半)に於て、相当実証されているように考える。
 だがこの場合の「思想」というのは何のことか。島木氏の場合に考えられているものは、恐ろしく一方に於て社会的認識であり(時としては社会理論のドクトリンでさえあっていい)、他方に於て文学的な観念形象を指すらしい。今その思想傾向は問題外としよう。思想という観念がこういう二面を持っているだろうというのであり、そしてこの二面の統一された或るものを指すだろうというのだ。
 処で世間では往々、この二面のものの統一をこんな風に解釈している。つまり文学に於ける思想性なるものは、理論的な思想かそれとも又何かの思想なるものがまずあって、それが形相化され具体化され肉体化されたものなのであると。つまり文学は思想の血肉化であるのだと。――だがもしそうならば、結局思想そのものは文学以外の処に横たわるもので、之を改めて「具体化」し肉体化すと初めて文学となる、思想は文学とは別な或る何物かである、というような落ちにもなるだろう。思想は抽象的だ、之を具体化して初めて文学になるというような無責任な常識に落ちるのである。だが思想の具体化ということがあるなら、具体化された思想こそ初めて思想でなければならぬではないか。抽象的な思想というものがあるとすれば、それはまだ充分に思想ではないということではないのか。
 尤も思想の具体性抽象性と云っても、色々の意味がある。思想を考え抜くことこそ本来の意味に於けるその具体性でなくてはならぬだろう。だがそれは必ずしも思想の文学的形象化ということにはなるまい。だから具体的だとか抽象的だとかいう区別を、今ここに使うことが抑々混乱の元になる。抽象的な思想が具体化されて文学になどなるのではない。文学それ自身が思想の表現であり、思想そのものだ、と云うべきだろう。ただその思想は、理論的な形に於ける思想とは多少場合を異にしたものであるというに過ぎない。文学それ自身で独特の意味に於ける思想だ、と私が主張する所以である。
 だが、では理論乃至科学に於ける思想と、文学に於ける思想とは、全く別なものであるか。確かに一応別である。その証拠には、或る思想を理論的に具体化すということと、文学的に具体化すということは、可なり異った方面であるからだ。理論上の思想を、ただ「具体化」した所で文学的思想にはならぬ。文学に於ける思想なるものは理論乃至科学に於ける夫とは別な形態なのだ。――だがこの思想の内容の無連関を結論するならば、之は最も戒心すべき誤りだ。なる程一切の文学は、どんな身辺小説であろうと何であろうと、観念を表出している以上、思想の表現だ。だからと云って一切の文学が思想力を有ち、思想性があるとは云えない。観念が血肉を持ってるというだけでは形態としては思想であっても、内容はまだ思想ではない。今日「文学の思想性」と呼ばれているものが、文学が単に観念内容の表現のことだとするなら、それ程無意味なトルイズムはないと共に、之は恰も、先に述べた、思想を何か理論的乃至社会科学的なドクトリンと決めて了う、あの第一の誤謬の裏を行く、第二の誤謬に他ならない。文学の思想性、つまり文学に於ける思想、思想としての文学は、決して単に観念を消化しているというだけではない。そんなことは文学思想性論以前の問題だ。その観念が充分に思想として消化されていなければならぬということだ。と云うのは、理論的乃至科学的形態に於ける思想と一定の内面的な対応関係がなくてはいけないということだ。そうでなければ観念ではあってもまだ思想とは云えない。
 でこういって来ると、思想とは単なる観念ではない、と云わざるを得ない。如何に血肉化していようが又いまいが、単なる観念は思想ではない。妄想や無意味な空想は決して思想の名には値いしないのだろう。思想には何等かの真実がなくてはならず、而も真実は自分自身の生きた連関を探求するものだ。断片的な真実や閉された真実は真実ではない。真実には体系(システム)があり歴史(ヒストリー)がある。そういうものがなければ思想ではない。思想をドクトリンと考えることが滑稽な常識であると同じに、思想をただの観念や観念の集合と考えることも滑稽な常識だ。而もこの二つの常識は大抵同棲しているのが常のようである。文学には思想は要らぬと云って見たり、文学は科学や何かと全く独立しそれ独自の思想や思想性を有っていると云ったりすることは、全く同一のことの表と裏とに帰する。どっちも文学の思想という折角の課題をメチャクチャにして了う。

 だが確かに、思想というものには、独り文学や芸術の場合に限らず、或る種の二重性がある。之をドクトリンと考えることもいけないし、之をただの観念と考えることも間違いだが、そうかと云って全くそのどれでもないと云い放つことは同情の無さすぎる云い方かも知れない。思想には少なくともそのどっちとも取れるような二面がある。それはすでに触れたことだが、之は或る場合、所謂世界観方法との連関として公式化されているものだ。之を世界観と論理と云い直すことも出来る。世界観は、一応ただの観念のようなものだ。之に反して方法や論理はこのただの観念である世界観を解明し分解し再構成しながら発展させる。その所産でもあり足場でもあるのが、特に理論の場合だと夫がドクトリンや公式となるのだ。
 世界観という言葉が併し、時々妙な形に理解されている。例えばマルクス主義的な理論体系、そういう意味でのドクトリンの定式化された一セットのようなものが、所謂世界観だという考えも無くはないのだ。なる程、世界観という日本訳語はマルクス主義と共に輸入されたのだから、そういう惰性的な通念を産んだのも無理ではないが、そういう常識で論議されては、咄が出来ない。世界観は人生観(この言葉の方は反対に妙に無組織な情緒的表象をさすのが習俗のようだ)と同じように、観であって理論やドクトリンの出来上った体系などを指すのではない。世界観は、そういう意味に於て、理論やドクトリンを自覚的に媒介としていないという意味で、直観なのであり、世界の直覚的な反応を指すのだ。だから之は人間が夫々その経験や思索や何かの結果によって、おのずから持ち合わせている自然感情なのだ。すでに支えられた観念なのだ。つまりただの観念に他ならないのである。吾々が何を考えようと何を感じようと、いつもその上に立ち、いつもその下に帰着するような、そういう心理の基底部がこの世界観だ。思想はたしかに、こういう世界観の底部を持つ。
 だが思想には体系(システム)と歴史(ヒストリー)とがあると云った。世界観は単に先天的に与えられるものでもなければ、偶然に行き当るものでもない。それは先々の人間乃至人間群の生活の歴史のその時々の所産として初めて与えられるものだ。その歴史に織り込まれた表面の直観面には現われない営々たる秩序と体系とがあるのは当然だ。観念の秩序づけと体系づけ・組織編成・は、この観念の発達の歴史の内を、氷河が軋みながら移行するように流れているのだ。ここに理論というものがあり、そこに方法というものが横たわる。そしてそこに初めて、思想の名に値いする思想というものがある。極端に云えば好み一つ、趣味一つにも、思想の地層はよく見える。
 この「思想」を又の名によって認識と呼んでいる。尤も認識というと主に科学的認識ばかり考える人が多い。だが一切の直観は抑々なぜ認識でないのか。認識を科学的認識と限定することは、新カント派の認識論の一つの性癖にしか過ぎない。道徳的判断さえも亦実は認識だ。尤も道徳的判断は所謂判断の一種であるという理由で認識の内に這入るという意味ではない。道徳というものは要するに道徳的判断以外の何ものでもないので、判断を単に論理学のものと考えたり、無作為な解釈の一種と考えたりすれば別だが、水を含んで之を甘しとし、欣然として之を飲みほすことがなぜ一体、判断ではないか。苦がい水は吐き出すに違いない。道徳的行為だってそういう判断だ。道徳的判断をしてから道徳的行為をするとばかり考えるのは、道徳について倫理先生式観念であって、では道徳的判断から道徳的行為にまで行かせるものは判断なのか行為なのか。判断は実践という馬車の車丁に他ならぬ。で道徳も亦認識だと云うことになる。但しあくまで、道徳については、之々は良いことであるか悪いことであるかというような、馬鹿げた倫理学を思い出してはいけないが。略々同じ調子で、独り科学に限らず文学乃至芸術も亦、認識なのだ。
 こういう主張は可なり乱暴にも見えるし、又牽強付会にも見えよう。あまり必至でないようにも見えよう。だが事態は、その用語の如何に拘らず極めて明白なことで、誰でも承知していることだ。ただ認識という言葉が、世間に適切に充分に徹底していないだけのことである。或いは文学其の他に就いて、沢山の方言的な雑音が這入っているからに過ぎないだろう。文学その他に於てリアリティーというものを忘れることは勿論出来まい。リアリティーは認識というものを離れては、まるで無意味な言葉だ。
 科学・文学(芸術)・などを総括する言葉を便宜上文化とするなら、文化は認識の総括となる。但し文化という言葉が含んでいる様々な要求(例えば客観的精神とか文明からの区別とか)は抜きにして、便宜上そう呼ぶとすればである。この呼び方は極めて便利で、恐らくこの呼び方を禁じられれば、人々は言葉に苦しむだろうと思うのだが――認識それから文化、之が思想という言葉の必要な内容を最も妥当に云い現わすだろう。認識は世界の認識である。思想は世界に就ての思想である。
 さてこう云ったものが「思想」である。思想は科学、文学(芸術)、其の他一切の文化、つまり一切の人間的認識を一貫する枢軸なのだ。文学などに単に偶然、一思想性などがあるのではない。文学が認識である限り、夫は思想の形態でなくてはならなかったのだ。思想は諸文化を貫く。之を連結し、交錯交流させ、推し動かし、分解させ再構成させるシャフトである。
 処で私は、次のことが云いたくて、之までクドクドと述べて来たのである。それは、この思想なるものに就いての科学、思想の科学が哲学というものだ、ということだ。哲学が現代に於て持つ生きた意義は、専ら夫が思想の科学であるという点にかかる。今日見られるあれや之やの形而上学は、哲学によって処理される一種の文学的労作に他ならないだろう。――或いは、認識というものを、先に云ったように広範に理解すれば、そういう広範な意味に於ける認識論が取りも直さず哲学だということだ。哲学のレーニン的段階と云われるものはその認識論としての自覚に帰すると云っていいのだが、今は認識論という観念を適切に拡大すればよいのである。そしてもし思想の科学として、古来論理学というものがあるというなら、哲学は論理学だと云ってもいい。そういう云い方も決して耳新しいことではない、ただ論理学という観念を適切に拡大すれば足りる。思考の論理ではなくて思想の論理を考えればよいのである。

 思想の科学が任務とするものの内、最も日常的に大きな意味のあるのは、常識についての科学的処理である。その限り思想の科学は云わば常識の科学と云ってよい。尤も哲学史の上では、常識学派乃至スコットランド学派なるものがある。之は哲学的判断の最後の依拠を常識に置くものであり、而も一定の既成判断内容としての常識的直観を最後の審判者とするのである。で之は常識を科学的に処理するものではなくて、却って科学乃至哲学を常識的に処理するものでしかない。だが常識は科学的に処理されるを要する。そうでなければ哲学などは不要で、常識で沢山であった筈だ。
 併し何と云っても、哲学が常識から出発しなければならぬということは、古来云われている通りの真実である。ギリシアの哲学者達は哲学をギリシア人的常識(ドクサ)の批判として出発させた。アリストテレスの総合的な天才が之を最もよく現わしている。近代に於ける常識の収集批判家はカントであった。だがそれを最も自覚的に行なったと思われるものはヘーゲルであろう。彼のカテゴリーの一つ一つが、ドイツ人の常識用語の最も優れた洗練であった。之は単に啓蒙哲学の組織者であったC・ヴォルフ達一派の哲学術語の整頓の事業とは比較にならぬ社会的リアリティーを含んでいる。日常語に如何に含蓄ある而も厳正な用法を与えるかというのが、ヘーゲルのカテゴリー論を一貫した文化的目標の一つであったように見える。
 勿論問題は用語やカテゴリーだけのことではない。そういう用語・範疇・を使う処の民衆乃至国民の日常常識にあるのである。哲学はそういう日常的思考をその思索省察の歴史的な出発とし入口とする。こうして初めてこの思想の科学は常識の諸断片を整理し淘汰し掘り下げ、そして之をつき抜ける。之が常識の批判ということだが、それは社会に向かって、より正確なより高度の常識を造り与えるという思想の科学の大きな役割を果すことに他ならぬ。――尤もここで常識というのは併し、これだけは心得おくべし、と云ったような便宜的な知識のセットのことではない。社会的人間が生活に於て活用しつつある政治的社会的文化的な心理の動き方を指すのである。意見や見識がそれだ。常識はそういう意味に於て、本来良知・良識・のことでなければならず、人間的な教養のことでもなくてはならぬ。決してただの平均的な素人学問のことや何かではない。
 だがこの点については、私は機会あるごとに意見を述べた。今云いたいことは、こういう常識こそ、社会的人間生活の不可避不可欠の心理の動きとしての常識こそ、所謂思想なるものの日常的な形態なのであって、それの科学的処理としての哲学こそ、最も日常的に社会に活用されている哲学だということだ。思想の科学としての哲学が、如何に社会生活に於ける生きた科学であるかを、之で以てまず知ることが出来よう。政治的・社会的・文化的・見解のある処、そこに思想の科学の活動分野が横たわる。一個の常識と雖も、思想の科学は忽せには出来ないのだ。思想の科学は常識の組織者である。
 常識と直接に関係あるものは、道徳である。ここで道徳というのは、前にも一寸触れたように、善と悪とを区別することを唯一の仕事とする、あの倫理学や何かと必ずしも関係があるのではない。道徳律や徳目のことではない。人間の自覚生活に於ける心理としての良心と云ったものの方が、まだ之に近い。習俗や制度そのものでもない、習俗や制度の心理的な裏打ちを指す。つまりモラリスト(モンテーニュから始まり、A・ジード? にまで至る処の)の云うモラルのようなものの事だ。そうすれば之がさっき述べた常識と如何に直接関係が深いかは、当然判る。良識や良知としての常識は、モラルと呼ばれてもよかったのだ。処でモラリストの哲学は、露骨に思想の科学という形を採用する代りに云わば思索の試論(エセイ)とでもいうような形態を取って来た。或いは高々評論(エセイ)の形を採った。そこでモラリストの亜流者達は、この歴史的な制約を打破する代りに却ってこの制約を神聖視し、モラルを科学的に処理し得ないということが、モラリストの長所であるかのように、今は往々考えている。之によると思索の試験は思想の科学の彼岸にある聖域ででもあるらしい。処が思索であろうが瞑想であろうが、それとも又反省であろうが、省察であろうが、その思考と思想のメカニズムを追究しないではおかないものが「思想の科学」の謂であった。亜流モラリストもこの要点を如何ともし難いだろう。
 日本に於て常識と道徳とが、思想として科学的に処理され始めたのは、殆んど過去十数ヵ年以来と云ってもいい。之は疑いもなくマルクス主義的社会科学と唯物論哲学との賜物である。それまでは思想の科学としての哲学などは殆んど無かったと云っていい。黎明会的な啓蒙運動としての批判主義哲学や文化哲学が、その地ならしをした。そして夫が新人会的な活動へと発展した。常識と民衆の道徳意識はここで初めて科学の対象となった。思想の科学とその対象とが発生した。
 だがこの関係は、云うまでもなく単に常識や道徳という云わば内部的思想の動きだけを示すものではない。それは同時に或る客観的な、文化的思想と直接に連関している。というのは、社会科学・文化科学・又自然科学と云ったような諸科学、それから文芸其の他の諸芸術、との連関なしには、この常識も道徳も科学的な処理を受けることは出来なかった。之を逆に云えば、この時初めて諸科学が民衆の社会的常識や道徳意識に決定的影響を有つようになったのであり、芸術も亦初めて自覚した形で而も組織的な姿で、民衆の常識と道徳とを左右する力を持つに至ったのだ。科学と芸術との大衆化という課題が、この時初めて日程に上ることが出来た。思想の科学がとに角発見されたからである。――思想の科学は、常識や道徳という内部的思想材料を、科学や芸術という文化的思想建築物へ媒介した。思想というものが初めて社会的実在性を公認されたのである。之は極めて最近の思想事情であることを忘れてはならぬ。

 で次には科学の思想的本質について一言しなければならぬ。科学に就いては科学特有の社会的迷信が存する。自然科学には自然科学特有の、社会科学には社会科学特有の迷信だ。特に、自然科学的迷信は頑強のように見える。自然科学は主として実験による実証に訴える。そこから自然科学は実証であって思想とは無関係であるべきだという結論が導かれ易い。なる程思想や思惑や願望では左右出来ないものが実証だ(数学などならば厳密な推論は観念で左右出来ないと云うべきだろう)。自然法則は人間の思想傾向などからは独立に行なわれる。唯物論という哲学思想は正にそういうことを主張しているのである。だが、すでに実験は一つの理論的想定の上に立って初めて具体的な意味のあることだ。出た結果を解釈するものは理論だ。処がその理論は一定のカテゴリーを使って出来ている。エーテルというカテゴリーを使って吾々はエーテルの存在非存在を実験する。或る干渉波を云い現わす紋波が出るか出ないかで、エーテルの存否を推定し得るとする。その結果はエーテルの非存在として現われる。ではエーテルはないのか。実はそういうものがあろうと無かろうと問題ではない。エーテルというカテゴリーを変革することが必要なのである。かくてエーテルという範疇は歴史的に変革されそして他のカテゴリーへ移行する。処でこうした歴史的に変遷して行くカテゴリーは、一体思想の一片でなぜないのか。重力はどうか。引力はどうか。之は勿論常識用語からの借り言葉だ。併しそういう観念を用いながら之を淘汰して行くのでなければ、理論も不可能なら実験の一切も無意味となる。そういうものがあるから、初めて科学的な世界像も出来れば科学的世界観も出て来るのである。
 自然科学の思想的本質に気づくための最も確実な試みは、自然科学の歴史的発展の模様を見ることだ。それは思想の発達史なのだ。自然科学は階級性からも民族性からも独立なものだ、というようなことが自然科学専門家によって大いに唱えられている。科学の民族性に対する反駁は最近の課題であるが、之をその階級性と並べて拒けるその拒け方は、しばらく前からの古いやり方の蒸し返しに過ぎぬ。一体文化の民族性と階級性とを同列に並べるということがお粗末な思索なのだが、それは別としても、科学の階級性というようなことを唱えるのが政治的に必要だというなら、吾々自然科学の専門家はそんなことには興味は持てないから勝手にしろだ、という主張を見たが(雑誌『科学』一九三七年九月号巻頭言)、併しそうすると「自然科学には階級性がない」という論者の主張は、明らかに「政治的」な言論ではなくて「科学的」な言論なのであろう。処がその科学的な言論の内に、現に科学には階級性がないとか何とかいう思想上の問題が堂々と取り上げられている。之は何としたことか。この通り、自然科学もいざとなるとその思想的根柢に触れざるを得ないのだ。
 つまり自然科学者は、自然科学の専門家として、すでに自然科学的認識についての省察、そういう認識論を取り上げる権利があるわけだ。その権利は必ずしも妥当に行使されているとは云えないが。自然科学は、自然科学的認識についての認識論、その限りに於ける思想の科学的検討、にいつの間にか連絡している。私はかつて、最近の日本に於ける自然科学の大衆化・自然科学の啓蒙活動・自然科学ジャーナリズムの発達・に因んで、自然科学の思想化的傾向を指摘したが、この思想化的傾向は、自然科学的認識の逸脱ではなくて、自然科学自身の思想的という意味に於て自然科学的な、進歩と見ねばならぬ。思想の科学を離れて、今日の科学的認識を云々出来ないということは、お座狎れにでなく理解されねばならぬ。
 同じことは、併しもっと手短かに、社会科学に就いても繰り返すことが出来る筈である。だが寧ろここでは、科学の所謂民族性というものに就いて、一言しておいた方が適切だろう。科学の民族性という場合、いつも二つのことが無雑作に混同されている。科学が呈する相貌の民族的な特色ということと、科学の論理的機構が民族々々によって通用する範囲を別にするということだ。つまり科学の民族的な特殊性と科学に於ける論理の民族的制限という二つのものが、一緒クタに表象されているのである。科学は或る民族が造った限りその民族の特殊性を帯びている。だがそういうことは決してまだ、その科学の論理的通用性が民族的だということにはならぬ。もし科学の論理的通用性が民族的条件を論理的に必要とするなら、民族には古来無数の区別があるのだから、どれが論理的に本当に通用性を持つのか訳が判らなくなる。科学の民族性と称して、科学を他民族に通用させまいとする気ならば論外だが、そうでない限りこういう民族性論は民族の科学的自殺以外の何物でもない。
 階級性と民族性とを同列に並べたがる民族主義者も多いが、階級性にとっては少し迷惑であろう。階級性にもそう云うなら二つのものの区別があって、一つは階級的な相貌に見出される特色であり、他の一つはその理論の階級的通用性のことだ。階級的特色と民族的特色とを同列に並べるならば、まだ恕すべき点がある。尤も科学の民族的相貌は現象的に見てテーマ的に云って第一テーゼであるに過ぎないので、現象を本質にまで溯源する分析の建前から行けば、第一テーゼはその階級性であるのだが、こういう認識論上のデリケートな要点は逆上している民族主義者の素質にとっては、仲々呑み込むのにあつらえ向きでないかも知れない。科学の論理的通用性に於ける階級性の方は(階級性という限り二つの階級の対立を原型とするのだから)、二つの階級的論理の論理的正否の関係そのものが、論理的に明らかにされているのだ。之をいくつもの民族的論理?の内どれが一体一等正当なのか、又夫々の論理の間の論理的関係はどうなのか、一向判り得ないように出来ている論理上の民族性と、同列に並べることは、思想というものに就いての科学的基本訓練に欠ける処があるという証拠にしかならないだろう。民族性については、科学に関する限り、この位で片づけておいて、次に進もう。

 文芸が一つの認識の様式であり、思想そのものの表現であることは前に触れた。之を一般に芸術全般に推し及ぼすことは容易であるが、今はそういう一般論に過ぎることは省こう。文芸の省察としての文芸学が、こういう意味に於て認識論にぞくさねばならぬ所以も、かつて説いた(「認識論としての文芸学」〔本全集第四巻所収〕)。そこでは科学と芸術乃至文学との原則的な内部的連関が問題であるが、そういうことを明らかにするものこそ、思想の科学としての認識論であったのだ。文学を思想様式・認識様式・の一つと見ない限り、この原則は決して発見されない。単に思いつきの比較に終らざるを得ない。漱石の『文学論』は日本語で書かれた内で最も考え抜いた文芸理論の著作であるが、それにも科学と文学との連関は極めて思い付き風のものを出でない。文学的F(焦点)と科学的Fとの差、Why? に答えんとするものと How? に答えんとするものとの差であるとも云い、科学は解剖を文学は総合をとも云う。科学者は「概念を伝えんとし」、文学者は「画を描かんとす」とも云う。記号と象徴との区別であるともいう、「文学者は香なき者に香を添え、形なき者は形を賦す。之に反して、科学者は形ある者の形を奪い、味あるものの味を除く」、というのである。かくて「文芸上の真」と「科学上の真」とは別だと云う。
 之は単なる対比であり、単なる区別である。まだ文芸と科学との連関ではない。漱石の教養を以てしても、認識論的な眼先の至らない処、遂に之以上の設問に出ることが出来ないのは、興味のあることだ。思想の科学の角度から文芸を取り上げない時、「教養」も教養にならぬということが判る。漱石の「教養」を讃嘆しようとするロマン派流者は、まずこの点に注意を怠ってはなるまい。
 だが吾々は勿論漱石を批難することは出来ない。単に彼がマルクス主義的文芸理論以前の偉材であったからばかりではない。認識論としての文芸学という観念を用意した処の文芸学は、全くごく最近の所産でしかなく、夫は文芸学の現代的段階に他ならぬからだ。それまでの文芸学はアリストテレスからボアローに至る詩論か、そうでなければ文芸史かそうでなければ文芸社会学でしかなかった。――処で最近のそして唯物論的乃至マルクス主義的文芸理論の中心課題は、世界観と方法との関係であった。両者の媒介という点に就いては森山啓氏等の努力を多とすべきであったが、併し科学に於ける世界観と方法(乃至論理)との連関に於ては殆んど全く興味の焦点が理解されていなかった。こうした認識論的眼光の欠如は、文芸理論を文芸学からの彷徨に導いて行く危機を蔵していることは明らかだったのである。創作方法の議論をいくらやっても、夫だけでは一種の方法論主義のようなものに終る他なく、遂に思想としての文学の測定を誤ることとなる。殷鑑遠からぬのだ。
 文芸の認識論として取り上げられた最近の問題は、形象化(概念化に対する)の観念である。だが形象化ということの論理学も、心理学もまだ不充分で未熟であると云う他ないようだ。そういう程度に止まる限り、之は結局、文学と科学との例の思いつき的な対比の一つに過ぎぬと云われても仕方があるまい。下手をするとただの合言葉に終って了うかも知れないのだ――文学を思想の科学の角度から取り上げるのは、今後の認識論の課題の一つにぞくするようである。
 ここで序でに文芸(それから之を中心に考えられた限りの文化)の民族性の問題に触れておきたい。民族性と階級性との夫々の二義性の混同、に就いてはすでに述べた。ただ文芸は科学ではないから、民族的特徴というものと民族的論理というものとの二つの意義がそんなに違ってはいないのではないかという疑問はあろう。つまりここでは文学の民族的特徴というものが、文学の民族的価値尺度と一つではないのかと云う疑問だ。もしそういう疑問があるなら私は「世界文学」と「国民文学」との区別を注意したいと思う。と云うのは、広義に於ける翻訳によってその価値を世界的に承認させ得るものが世界文学で、そうでないのが地方局限文学としての国民文学なのである。翻訳は民族的特色の最も生々として生彩と思われるものを、一応脱ぎ捨てさせるものだ。風俗文学と呼ばれるものの風俗や、肉体化は、この際気の毒ながら無駄な飾りであったように剥ぎ取られる。にも拘らずそこには、世界的に承認を得ることの出来るような、風俗も肉体も残るのだ。或いはそういう風俗や肉体は夫々の民族的伝統の習俗に焼き直される。それでもその肉体の血であり風俗の精神であるものは、少しも損じられない。そういう真実の世界的普遍性を持ったものが世界文学なのだ。近世のブルジョア文学にもそういう世界文学が多数あったし、最近のプロレタリア文学にもそれは多いのだ。
 国民の生んだ文学で、その国民が喜ぶ文学だから、国民文学と呼ぶのだというのは、何も不都合はないが、又何の中味もない主張だ。だから浅野晃氏などという評論家は国民文学という観念に対する反対者は、民衆とか大衆とか云わずに国民という言葉を使うのが気に入らないのだろうと考えているらしい。同じ国民の内に、階級的な区別と対立があり、それが文学の精神に決定的な特徴と論理とを与えているという世界的事情に、少しも触れようとしないような「国民文学論」が、反対されているのだということは、知らないような風をして見せるのである。誰も日本国民や日本民族が階級だなどとは云わないから、心配は要らないのである。ただ国民や民族の内部に階級対立が事実あるのを正直に認識せよというのだ。そういう認識をハッキリさせた「国民文学」ならば、傾聴に値いしよう。そういう国民文学はもはや国民文学ではなくて世界文学だろうからだ。
 私はなぜトゥルゲーネフのインテリが漱石(や鴎外)のインテリに較べて、比較にならぬ程国民文学的な「タイプ」を打ち出していなければならないのか、呑み込めない(「国民文学論」はそういうことを主張するのだが)。ただもしそこに差があるならば、漱石のインテリは階級的役割などを全く知っていないに反して、トゥルゲーネフのインテリ主人公は、いずれも階級的自覚者だということだ。するとつまり、国民文学として優れたタイプというのは階級的タイプとして優れたタイプのことだったということになるようだ。同じく国民文学の恐らくより以上の巨人であるドストエフスキーは、『悪霊』の内でタイプの一人スチェパン氏に云わせている、「わたしはどうもトゥルゲーネフが腑に落ちない。彼の書いたバザーロフは、何だかまるで実際にいない架空の人物みたいだ。今の若い連中も当時自分の口から、ぜんぜん成ってないもののように云ってその価値を否定して了ったくらいだ。」で、トゥルゲーネフが国民的に見えたのは、どうしても彼が階級的であったからとしか云うことが出来ぬ(だがそんなことは思想の科学の課題から云って、ごくつまらないことだ)。

クリティシズムと科学的精神


 思想の科学であるものは、現実の諸思想の生きた法則を探求すると云っていいだろう。単に法則をではなく、また単に思想の形式的な定式をではない、現下の現実としての思想の現に生きている法則を、である。或いは寧ろ、法則を発見するのが最後の目的ではない、実際の思想現象の内から法則を抽出することによって、夫々の思想現象の本質的な従って又時局的でさえある説明を与えることが、目標であり用途である。
 思想現象の生きた姿をつきとめることが、思想の科学の一般的な任務だが、そのためには思想現象の今日に及ぶ歴史的発展――間道と袋小路と反作用さえを介して前進する思想の史的発達――を検討しなければならぬのは当然だ。思想史なしに思想の検討の出来ないのは云うまでもない。だが所謂思想史的記述を以て思想の科学に代えることは出来ないのである。この点、一般的な問題としても注意を必要とする。
 一体歴史記述そのものは必ずしも歴史的研究の凡てではない。歴史記述は歴史に関する科学の一側面にしか過ぎない。歴史的研究の最も生きた課題は、現下の現実現象の時局的解剖であり、歴史記述はその目的の下に適当に利用されるべき手段に他ならない。歴史記述が現代の意識や現代の立脚点に立って行なわれねばならぬ、というだけの意味ではない。それならば要するに歴史記述の問題である。現下の時局的分解は単に記述の終点だという意味しか持たないことになるわけだ。又文献学(フィロロジー)的考察を現代へ適用するということが歴史的研究であるとも限らない。文献学的考察を現代に適用するということは、一見何でもないようで、或る一つの根本的に困難な問題を含んでいる。本当に「適用」が出来るためには、歴史的研究とか歴史的記述とかいうものの意義を、根柢から理解し直す必要があるだろう。で文献学的考察を現下の現実に適用すると云っても、之は必ずしも現下の現実現象の解剖にはならぬ。つまり単なる文献学的検討も、結局歴史記述に帰するわけで、従ってまだ歴史的研究の凡てではない。その一側面にしか過ぎないのである。だからこそ、歴史家なるものが、意外に現実問題に対して見当違いなバカ学者であったり、歴史科学の専門家が現実現象に対して案外鈍感であったりするのである。
 思想の科学が思想に関する歴史的研究を必要とするのは、現下の思想現象の現実を解剖するためであった。そういう目下の需要を充すためにこそ、思想の科学的研究が要求されるのであり、この役割を買って出ることによって、思想の科学というべきものの文化的(つまり思想的ということになるのだが)価値もあるのである。社会に於ける実在性もあるのである。思想の科学が見出す思想法則は、勿論歴史的法則ではあるが、それが現下に働いていることによって初めて歴史的であるような、そういう歴史的法則である。之は云わば歴史法則ではなくて、歴史的な法則だ、とそう一応云っておこう。
 法則の機能については、往々微細な誤解から来る大きな間違いが行なわれている。科学が法則の発見を目的とするという言葉は、間違いではないにしても、取りようによっては大変な誤謬となる。法則によって現象を説明することこそ、科学の目標であることを思わねばならぬ。而も、先ず法則を発見して、然る後に之を現象に適用する、というような図式ばかりで行くとは限らない。法則の発見と適用とが同時の場合の方が、寧ろ多い位いだ。法則の抽出と適用とが、別ではないような法則が、往々真の法則だ。特に思想的・文化的・な世界ではそうである。時には、特にハッキリとした形の法則というものが発見され得ないように見える方が、本当なのであって、下手に何らかの法則というようなものが見出されるとするのは、何の役にも立たぬコケオドシの法則(?)を取り出すことであり、単に無益であるばかりでなく、有害な滑稽さでさえあろう。集合する人間の数が多ければ多い程、人間交互の心的交渉が疎遠になる、と云ったような「社会学」の法則でもあるとしたら、その類だ。
 現実の思想現象に於ては、思想は裸の法則としてではなくて、夫々の姿態に於て存在している。抽象的な法則が具体的な形を取るとか何とかいうのではなくて、思想諸姿態を繞って法則的な関係が行なわれているのである。この姿態から抽象された法則的関係は、一般に法則的関係ではあっても、思想姿態そのものの法則的関係ではない。それでは現実の思想現象の法則でも何でもなくなるわけだ。法則は勿論、常に抽象され得るものでなければならぬが、その抽象になお姿態の要約である衣裳がつき纏っていなくてはならぬ。この場合の法則は、ボイル・シャルルの法則とかゲー・リュサクの法則とかいうものと、多少性質を異にする。――法則の発見抽出が同時に法則の適用であるという場合の法則は、こうしたものである。思想の科学は、そういう意味に於ける思想法則を相手にしなければならぬ。
 思想法則は歴史から見て、ディアレクティックのものであることは疑えない事実だ。併しディアレクティックの三大法則というように定式化すことによっては、勿論思想の現実現象の法則は出て来ない。こうした定式法則は、この現象の、もっと抽象的なそしてもっと一般的な背景に於て、初めて問題になる。之も素より思想の法則の他ではない。だが思想の実際問題の前線に於ける法則ではなくて、寧ろ思想の内でも特に一般関係にしか過ぎない思惟とか思考とかいう背景に於けるものだ。

 さて、事実、クリティシズム(批評)というものが恰もこうした独特の法則性を持っていることを思い出さねばならぬ。真のクリティシズムは、一定の文化現象から法則を抽出すると同時に、その瞬間に実はその同じ文化現象に対してこの法則を適用するということでなければならない。所謂印象批評なるものは、普通、法則の抽出も適用も考えていないクリティシズムのやり方だと考えられている。だが印象から出発しない批評などは一つもあり得ない。丁度現象から出発しない研究など一つもないと全く同じことである。もし豊富で感度の高い印象から出発する批評が印象批評であるなら、印象批評ならぬクリティシズムはあり得ないと云うべきだ。ただ印象批評がよろしくないと考えられるのは、つまりそれが客観性に乏しく科学的な公共性を欠いていると考えられるからだが、それと云うのも実はその印象自身が信頼に値いしないと思われるからであって、印象が出鱈目であったり、主観的に歪んでいたり、角度が低級であったりするのが悪いからであり、そしてまた、この欠陥を自覚させたり暴露したり是正したりする安全装置がどこにも施されていないのが困ると考えられるからである。
 事実あまり経験と省察とに富まない人間の印象は、目茶なものであるのを免れない。そういう印象でものごとを判断し切られては耐ったものではない。だが、経験と省察との教養を蓄積陶冶した感受者の印象が真実であることは、疑えない事実だ。ではどうやって目茶な印象と真実な印象とを客観的に区別出来るかというと、心ある人には問題なく判ることではあるが、之を具体的に説得的に証拠立てるためには、もはやただの印象を語るだけではケジメがつかない。印象を理論的に分析し情緒的に展開して初めて、原の印象が優れたものであったかなかったか、正しいものであったかなかったかが、判って来る。駄目な印象はこの時駄目であることが明白となり、卓越した印象はこの時その卓越さが証明される。
 だがこうなると、もはや之は「印象批評」ではない。所謂印象批評は、印象の段階に停滞していて、それ以上印象そのものの分析展開という理論的反省を致すだけの情緒的論証のないもののことだ。だからこそ、所謂印象批評はいけないということになっているのだ。理論的反省や情緒的論証によって原印象を追跡することを知らない所謂印象批評は、印象の対象たる文化の現象から、法則を抽出するだけの労力も払わないし、まして法則をこの現象に適用するという準備もない。
 印象批評に対するものは、文献学的批評だと考えられている。文学史家や文芸学者が文化現象(芸術作品其の他)に対する時、こういう批評をやるものとされている。この種の批評家は、芸術なら芸術について、一定の法則(カノン・コード)を有っているのを常とする。この法則にあて嵌まるか嵌まらないかで、芸術作品の価値を決定しようとする。尤もこの法則は、場合によっては芸術の価値尺度と考えられるカノンやコードではなくて、一種の社会法則に還元して持ち出されることもある。フリーチェの芸術社会学は、そういう意味に於ける「法則」を芸術の内に見出そうと欲する。之は他の点を論外とすれば、H・テーヌ的な「批評」であり、バックルや、一頃のルナンなどに類縁を持つことを否定出来ないので、所謂「科学的」批評(本当はあまり科学的ではないのだが)の流れにぞくする。だが芸術社会学にまで来れば、もはやクリティシズムではなくて、芸術の歴史記述の新種というものでしかあるまい。クリティシズムは結局に於て峻厳な価値評価を下すか又は之を想定するものだ。クリティシズムに於ける公平な第三者的態度は、常に一応のポーズ以上のものではない。
 社会法則に還元されて了う限りの芸術法則は今は論外としよう。社会的法則であるにしてもないにしても、多少でも芸術の価値尺度としての法則である限り、文献学的クリティシズムは、法則の適用を以て批評の仕事とするものであり、而も或る既成の法則を以て仕事に臨もうとするのであるが、この法則が抽出されたのは、古来からの芸術作品という文献学的材料からなのである。つまり、文献学的クリティシズムは、古来の古典的な芸術から一定の典拠としての法則を予め文献学的に抽出しておいて、やがて之を眼前の芸術作品に適用しようというのである。従ってこうした文献学的クリティシズムは、多くはクラシシズムに立つのであり、クラシシズムの全盛時に発生している。ソポクレスをめぐるアリストテレスの詩学(『ポエティカ』)、ラシーヌをめぐるボアローの詩論など、その典型であろう。
 こういう文献学的クリティシズムに反対するのが、最も優れた意味に於ける印象批評である。印象批評にとって気に入らないのは、あらかじめ文献的に設定された芸術法則を以て、様々の姿態の下に刻々現われる作品に天下り式に臨むという、あの文献学的クリティシズムの学究的な愚かさである。アナトール・フランスは文献学的クリティシズムに対する反感のあまり、文芸に於ける科学的精神そのものにまで、反感を示している。
 所謂印象批評は法則の抽出も適用も意に介しないクリティシズムであり、之に反して所謂文献学的批評は、既成の文献学的法則を以て、作品という生き物に適用し、之を勝手に截断しようとする。――処がクリティシズムの特徴であるべきものは法則の抽出と適用とが同時であるという事であった。文献学的クリティシズムは、予め抽出しておいた定式をそのまま適用しようとする。適用される作品は、自分の姿態とは関係なしに、この定式を押しつけられる宿命を負わされている。これはこの場合、公式についての運用を誤っている。之を公式主義と呼ぶなら呼んでもよい。尤も之を以て、科学的批評などと思われては困るが。――法則の抽出と適用とが同時であると云ったクリティシズムの形態は、寧ろ、好意に解釈された限りの印象批評の内に見られるかも知れない。サント・ブーヴは恐らくそういう場合に該当しはしないかと思われる。
 だが、印象批評に対する抑々の飽き足りなさは、それの客観性・科学性・の欠乏であり、或いは寧ろ、客観性・科学性・の保証を欠いているということだった。批評の科学性の要求を充すに足りないということだった。では之に対立する文献学的批評は、批評の科学性を保証するかと云うと、之亦必ずしもそうではない。それは文献学的な判断を下すことが出来る。それが文献学的な一致と公共性とを有つ限り、一応科学的な批評でないとは云えない。だが科学的であることの終局の価値は、当の事物を最もリアリスティックに理解し説明出来るということだろう。そこへ、古典的な既成尺度を持ち出して来るのでは、成功すると決めてかかるわけには行かないのだ。
 批評の科学性のためには、文献学的な知識を勿論必要とする。だがそのためにも、まず歴史的(歴史記述的には止らぬ処の)認識が必要だが、歴史的認識はもはやただの文献学的知識ではない。文献学や解釈学を以て、歴史科学に代えることは出来ないからだ。つまり批評の科学性には、社会的・社会科学的・認識が根柢に横たわっていなくてはならぬ、という或る人々にとっては自明な、又或る人にとっては自明すぎるが故に却ってよく判っていない、あの関係なのだ。こうした社会的歴史的認識と文献学的知識と、更にそういうものと真に内部的な連関に立っている処の芸術特有の精神的なリアリスティックな感受性との、総決算としての印象(之はおのずから露出するのだ)こそが、事実、芸術的印象の正直な処なのであり、そういう印象にして初めて、追跡されるに値いし、又追跡されることによってクリティシズム――科学的なクリティシズム――の態をなすことも出来る。之は所謂印象批評でも所謂文献学的批評でもの、よくする処ではない。法則の抽出と適用とが同時であるというのは、こうした意味に於ける科学的批評に於て初めて可能なことで、クリティシズムに於ける「科学性」の特徴をなすものが夫だ。

 以上は芸術のクリティシズムを例にとったに過ぎない。クリティシズムは云うまでもなく芸術(や文芸)に特有なものではない。全文化領域について行なわれる一つの機能だ。クリティシズムは角度が高ければ高い程、当然なことながらより総合的であり、よりその目的に適っている。批評は、何と云っても、なるたけ高みに登って現象を測量することだからだ。だからクリティシズムそのものが、いつも文化的な角度を持っている。というのは、一切の社会現象(又間接に自然現象もだ)は批評の対象となる時、文化の問題にまで高められる。そこに批評の特有な機能があるのであるが、このことはつまり、クリティシズムなるものが、一切の現象を文化現象として、従って思想現象として、捉えるということを意味している。クリティシズムは凡ゆる文化領域に於て思想の姿態にまつわっている法則を探究し、之を抽出且つ適用するものである。して見れば、クリティシズムの機能は、思想の科学の仕事の一つに帰する、と云わざるを得ない。批評とは思想の科学の仕事である。
 私は今、思想の科学の仕事はクリティシズムにつきると断定することをさし控えよう。だが少なくとも、この仕事の出来ない思想の科学は、殆んど何等の社会的需要性も実在性も有たないだろう。と共に、思想の科学にまで高められないクリティシズムは、決して満足な批評ではない。日本に於ては思想の科学なるものの意義が正当に認められていないと同様に、クリティシズムの意義についても、一般的な理解が行なわれていない。デモクラシーにつらなる言論の自由・個人的創意・の欠乏は批評的精神の貧弱となって現われているが、それが「思想」や「文化」というものの権威の承認を妨げている。かくて、思想や文化が科学的であることの必要を、真剣に知っている者は、知能分子の内にも極めて少ない。
 クリティシズムの科学性、それは批評に際しての一種の証明力あるリアリズムとでも云うべきものであったが、之はやがて思想にとっての科学性の特色でもなければならぬ。思想の思想としてのリアリティー・姿態法則・価値尺度・を、思想の夫々の姿態について解明することが、思想に対する科学的考察である。思想に対して科学的検討を加えるということは、併し、予め思想そのものの現実性を検討することであらざるを得ない。之は思想の科学性の検討である。そしてここに初めて思想の科学そのものの科学性も存するのだ。思想と哲学との科学的信憑度の問題が之だ。
 科学的信憑度の低いということは、一般にブルジョア哲学の特色であるかも知れない。ブルジョア社会は、自分自身が産んだ哲学とは無関係に、その生産生活を営むことが出来るとさえ云うことが出来る。その時哲学は、夫々一種の知的性癖でなければ、文飾的な奢侈品に近づくだろう。それにしても、ヨーロッパに於ける哲学は文化生活の伝統の内に根ざしているものであり、又アメリカの哲学の若干は資本主義的繁栄にとって現実性を有っている。処が日本のブルジョア社会的哲学は、之まで著しく玩具の性質を持っていた。ブルジョア文化の根柢へ潜入するのには極めて無力であったのを特色とする。そういう哲学が、社会的信憑を要求出来ないのは当然であって、一向社会的な実在性を有っていなかったのも尤もだ。哲学の信憑度が従来真剣な問題にならなかったのも無理ではない。
 つまりこういう事情の下に於ては、思想というものは、実際をいうとどうでもいいようなものなのである。日本に於て思想というものが社会的な意義を獲得し、社会的な現実勢力をなすものだということが発見されたのは、所謂思想問題の発生以後であり、第一次世界大戦末期の頃からであろう。それまでは思想は社会生活と無縁な過剰物であったようだ。思想問題発生以後に於ても、一般に思想の所有ということについての社会人の関心は、まだまだなのだ。つまり思想など何であろうと、そんなこととは関係なしに、立派に生活はやって行ける、というのが、日本の知能ある紳士たちの現実常識なのである。この常識は勿論いつまでもそこに停滞していることは出来ない。思想的動揺はごく最近の知能分子によっての恐怖となりつつある。単なる不安などではない、思想の実在性を認知するに至って生じる自信のないことの自覚が、募りつつあるのだ。だが例の常識は条件としては既成のものだ。日本に於て、どんな精神運動が国家的に強制されようとも、それが仲々、本来の意義に於ける思想的な動きになりにくいということは、ここから来る。国家がともかく一定のハッキリとした思想的動きをなし得るためには、思想というものに就いて、当局と国民との双方に、よほどの教養がなくてはならぬからだ。
 日本の国民の之までの常識にとっては、思想というものは云わば実在ではなかった。それが日本に於ける思想の科学の欠如、哲学の現象性、を物語る。――思想の実在性を信じ得ないことは、又文化の実在をも信じ得ないことを意味する。文化という言葉はしきりに使われている。「日本文化」というような言葉は流行の合言葉とさえなっているが、ではその文化とは何かと尋ねて見るなら、恐らく満足な返辞の出来る日本文化主義者はいない、と私は見ている。思想というものに信憑し得ない処に、文化というものへの信頼などは生じ得ないからだ。思想から別にされて理解された文化は、国民的粉飾でなければ、行政の一手段にしか過ぎないだろう。そんなものを文化の名を以て呼ぶことは、許すべからざることだ。
 文化の威厳なるものは、思想への信頼に発する。この点を理解しない者は、終局に於て文化の敵となるだろう。思想への信頼は、思想の科学的信憑性以外からは出て来ない。そうでない思想信頼は、「ひとのみち」的現象でしかないだろう。思想の科学的信憑性ということが取りも直さず、文化を貫く科学的精神の根柢だ。思想の科学は、それ自身この科学的精神に基く他ないと共に、思想についてこの科学的精神がどういう姿態を取って現われたり蔽われたりするかについて、解剖し説明し批判し指導する。
 現下に於ける思想的現実を、解剖し説明し批判し指導するために、実際的な思想法則を検討する処の、思想の科学が、苟くも成り立ち存在し得るためにも、すぐに必要なものは科学的精神である。科学的精神のみが、思想を批評し得る。いや、科学的精神のみが、思想というものの実在と、文化というものの現実的な力とを、知っている。――思想や文化は云うまでもなく自主的なものだ。ひとからもらったものは結局、思想であるよりもモードにすぎぬ、文化の媚態を持っていても文化の威容を持てない。そういう意味から云って、思想と文化とは常に民衆の自発的なものであらざるを得ない。であればこそ、文化の擁護ということが、二十世紀の国際的な実際問題のプログラムとして挙げられているのである。問題は、文化の問題である限り、ただの文化の向上ということではあり得ないのである。この点、時節柄、注目に値いするのだが、それがとりも直さず、科学的精神の提唱と直接関係している。今日、科学的精神は「文化擁護」のための精神となっていることを見落してはならぬ。単なる「文化の向上」に、何故科学的精神を必要としよう。文学的精神(?)などの方が、遙かに役に立つだろうではないか。
 思想の科学としての哲学が、現代に於て占める役割、それを云い表わすものが、科学的精神である。





底本:「戸坂潤全集 第三巻」勁草書房
   1966(昭和41)年10月10日第1刷発行
   1972(昭和47)年12月20日第6刷発行
初出:「唯物論研究 第六〇、六一号」
   1937(昭和12)年10月、11月
入力:矢野正人
校正:岩澤秀紀
2011年10月18日作成
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