範疇の発生学

戸坂潤




 我国の暫く前までの学界情勢では、カント流の範疇が範疇の代表者と考えられていた。それはアリストテレスの判断表から、そしてアリストテレスの判断表は文法から、引きだされたものだといわれている。とに角カントはそれを形而上学的(哲学的)に演繹したものである。だから範疇はここでは先験的に十二という数に限定されて了っている。存在に関する可能的、経験の論理的予件、というような固定した条件を範疇が意味した限りそうなるのが当然であった。だが範疇は元来、アリストテレス自身によれば、様々な言表の根本的な型であった。その数はなる程略々十個程数えられているが、それを十個に限らなければならない理由は必ずしも無かったのである。範疇が言葉のもっとも基本的な理論的機能を意味した限り、そして言葉が人間の生存の諸条件と共に移動する限り、それを絶対的に固定して了うことの出来ないのが当然である。
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 一体言葉は、それが客観的に通用するためには一応固定されねばならないが、しかしそれが常に変化し発展して行く存在をいい表わすためには絶えず変更されて行かねばならない。そういう矛盾した制約を持っている言葉は、系統的変化を持つものなのである。(ここに言語学の科学的地盤がある。)範疇もまたそうであって、単にそれが一方において固定した結節点であると同時に他方において変化の飛躍点であるばかりではなく、それ自身が固定していながら次第にその形を変えて行かねばならない性質を持っている。丁度それは氷河の流れ方によく似ている。存在という岩壁の溝に篏められながら、範疇という氷塊は、必然の圧力と重力とによって岩壁をこすりながら歴史の床を下って行くのである。範疇は常に歴史の所産であり、系統的な発生物である。それは発見又は発明され、そして使い減らされて行く所の、思惟の道具に外ならない。(ここに範疇論の科学的地盤がある。)
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 範疇が系統的発生を持つから、例えば古代的範疇と近代的範疇との間には、その発生過程の歴史を抜きにしては、直接の共軛がない。従って、現在の我々の世界を理論的に把握するために、もし古代的範疇を用いようとするならば、そこでは、丁度古典語を現代語に翻訳するように、範疇の翻訳が必要である。そうしないと現代的な世界観が出来上らない。所が系統発生が実は個体発生において繰り返されているように、古代的範疇は近代的範疇と同時代に共存しているのが事実である。そこで古代的範疇がそのまま例の翻訳の手数を省いて、現代の世界観のための範疇ででもあるかのように思い誤られるのは無理もない。翻訳の媒介を経ない直接態におけるこの同一視は、又逆に古代的範疇を近代的範疇に当てはめて理解する態度ともなって現われる。そこで折角の歴史の媒介は無用となり、歴史の車輪は空転したこととなる。まず第一に範疇のこういう誤った使用法を、我々は一つの反動と名づける。なぜなら歴史の車輪が空転したと信じることは、実際に左へ回った車輪を右へ回し戻したと信じることと一つであるから。だが、これは反動の凡てではない。単に反動の第一公式に過ぎない。例えば欧州における現代のカトリック主義及びそれから来る有りとあらゆる方向への帰結などがこの公式にぞくする反動の適例として撰ばれて好い。
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 動物でもその系統発生の連鎖の環は大抵どこかで欠けている。ゴリラとホモ・サピエンスとを連続させる環は現在生きていない。それが系統の極めて初期の連鎖になると、そこでは無論環が完全に断たれている。人々はホッテントットとアリアン人とを共通の祖先にまで実地に、古生物学的にも、追跡することは出来ないようである。丁度それと同じに、ヨーロッパ的範疇と支那的又はインド的範疇とは、これに系統発生的な統一を与えるには今なお連鎖の環を欠いている。だから吾々はこれ等のものを系統的に順序づけることが実地には出来ない。ヨーロッパ的範疇と支那的又はインド的範疇との間の開きは必ず何か一つのいわばパミール高原的範疇からの系統発生の二つの結果の間の開きでなくてはならないはずであるが、この歴史の連鎖の環を実地に辿ることが不可能であるから、それは歴史的過程を示す代りに単に底のない暗黒を示す外はない。例えば僧侶の仏教や印度哲学、又は漢学者の支那哲学などは、欧州の哲学に対して、全く範疇の共軛性を持たないように見える。そこでこの事情が一群の有力な反動家達に、盲目的な勇気と狡猾な安心とを与えることが出来るのである。このお蔭で全く僧侶達はマルクス主義の世界観としての科学的意味を知る代りに、「売国的邪宗門としてのマルキシズムの鬼畜的思想運動」を折伏しゃくぶくしようと思うことも出来るし、又もう少し賢明な場合にはマルクス主義を華厳教や空観に帰着せしめたりすることも出来る。人々はある種の勝手な欧州的範疇を前方に向って歴史的に転化して行くことが面倒となり不可能であるとわかると、突然「東洋的」範疇へ暗中飛躍することも出来るのである。孔子とソクラテスとを縫い合せるなどは、哲学館時代の遺風であるだけに、罪のない方である。今この二系統の範疇の間に翻訳を施すことは、この二系統が一見独立しているだけに困難である。でそれは範疇の翻訳と呼ばれる代りに寧ろ範疇の系統的な解釈と呼ばれるに相応しい。二系統の範疇が歴史の完全な連鎖の環を通して直ちに翻訳出来ない時には、人々はこれに系統的な解釈を施して、現在の社会生活のために統一的な世界観を与えるような他系統の範疇にまで、共軛化せねばならぬ。この必要な解釈、共軛化の手続きを拒否すること、これが反動の第二公式である。マルクス主義的範疇は我々の知っている唯一の統一的な理論を科学的な世界観を成り立たせる。処が、例えば元来科学から離れて独立に発達した所の、否科学から独立したためにつとにその発展が行きづまっていた所の、非科学的、非統一的な東洋的範疇をば、何等共軛化することなくして振り回わすのが、この場合の適例である。
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 反動のこの第二公式は然し、先の反動の第一公式を採用することによって、自分の根拠づけを見出したと考える。例えば東洋的範疇の偏執者達はそれの欧州的範疇への系統的共軛化を拒否しながら、なおかつ自らに系統的らしい説明を与えたような外観を粧おうとせずにはいられない。これは欧州的範疇が東洋的範疇に較べてその系統的共軛力が有力であるのに反対するための、はかない虚栄からに外ならない。処が実際は彼等は自らの範疇の系統的説明を好まない。なぜならそうすれば東洋的範疇の代りに、これが系統的に共軛化される所の欧州的範疇を採用しなければならなくなるだろうから。そこで彼等は東洋的なるものを過去において発見することによって、これをそのまま直接に、現在の範疇の代りにしようとする。この形が取りも直さず第一公式の反動なのであった。東洋的なるものは論語や仏典や源氏物語に求められねばならない。日本には日本固有の日本的範疇が、思惟が、思想が、国民性が、古来存在する。全く土人王国アビシニアにはアビシニア固有の国民性が、範疇が、古来存在する。日本的思想は永劫以来絶対に日本的であって、決して外来思想に溺れることが出来ない。だが不思議にも、それ故に、(何故かは知らないが)日本的思想は、日本的国民精神は、日本的範疇は恐らくイタリアを除いた凡ての外来思想を欧州的範疇を自らにれい属させねばならない使命を有っているというのである。だが同様にアビシニアの黒人はいうだろう、それ故アビシニア的範疇は日本的範疇をれい属せしめねばならない[#「ならない」は底本では「らない」]使命を有っているのだ、と。かかる論理的な国粋主義は、第二の反動公式の一つの必然的な変容である。
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 反動の第一公式は時代錯誤に相当し、その第二公式はファシズムに相当する。両者は範疇の系統的発生に対する無知から、即ち範疇の系統的な翻訳と解釈という共軛化に対する無知から、帰結した。反動は無論、社会階級の所産であり、反動の形態も又社会の階級的構造から決定されている。だが反動とその形態とに対しては、範疇の系統的性質に対する無知が対応している。この対応が今指摘した第一と第二との反動公式であった。
(一九三一・七・一)





底本:「戸坂潤全集 別巻」勁草書房
   1979(昭和54)年11月20日第1刷発行
初出:「法政新聞」
   1931(昭和6)年7月4日
入力:矢野正人
校正:Juki
2012年7月13日作成
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