一九三七年を送る日本

戸坂潤




 個人に公的生活と私生活とがあるように、社会全体にも云わば公的生活と私的生活との区別がある。別に社会の裏面があるということではない、社会の内心の生活があるという意味だ。どっちの生活も現実の生活であって、どっちだけを採りどっちを捨てるというわけには行かない。社会の公私生活がお互いに割合背反していない場合には、一方を以て他方を代表させることが出来る。即ち公的生活を以て私的生活を代表させることが出来るのである。事実又、私的なものを(公式に)代表するからこそ、公的生活は初めて公的生活なのだ。社会の公式表現と実質的な潜在情勢とが一致する社会は、幸福である。
 だが大抵の場合、社会周知の潜在情勢は必ずしもそのまま公式な表現となっては現われない。現われないばかりでなく、寧ろ潜在情勢とワザワザ反対な表現が公式な社会特色として通用することが多い。尤もだからと云って、社会的公式表現が必ずしも潜在情勢を悉く詐って、デマゴギー一点張りの外出着をつけるということには限らぬ。潜在事情の如何に拘らず公式表現は公式表現で、それ自身の特有な真実を持っている。例えば世論にしてもそうだ。政府や自治体の声明とか発表とかは、勿論社会の公式な自己表現である。その社会がそういう声明や発表を公式にやらねばならぬということが、取りも直さずその社会の重大な実質の一つであり特色の一つに他ならない。だからそれが必ずしも嘘とは限らない。儀礼というものは抑々そういう性質の真実性を有っている。こういうものも世論でないとは云えない。だが又、公式には到底発現出来ないような併し周知の潜在的見解が、であるから真実でないなどと云うことは出来ない。公的には世間の表面には現われないような一種の「世論」というものも、大いにあるのである。公式には現われないから、私語となり囁きとなり又は「奴隷の言葉」となってしか現われないのを普通とする。もしくは形のない或る一種の世の中の空気として実感される。流言や飛語の母体は正にここにある。
 日本の国民代表が日本の世論を代表して、アメリカやイギリスへ日本の所信を説得に出かけるとする。宣伝は大いに結構である。処でこの代表者達は日本の社会のどういう種類の「世論」を代表するのだろうか、とすぐそういうことが私には疑問になる。日本政府の対外的声明や発表は勿論公式言論であるが、それでも不足だというので出かける民間代表は、では日本国民の潜在的世論をでも説くわけだろうか。併し日本の潜在的世論とは今日何であろう。又そういう民心を知ることが、所謂国民代表に可能なことだろうか。仮にそれを知っているにしても、国家国民の代表者としては、そうあけすけには正直に云えないわけで、結局公式代表の種類を脱することが出来ないではないか。先日或る私立大学の教授がアメリカのインテリに日本の世論を説くべく出かけるについて、向うへ行ってからこういうことを説いて呉れという注文をする会があった。私はこの教授が決して日本の真実な国民の心を代表し得ないことを知っているので、注文する気にはならなかった。恐らく彼もごく公式な日本の世論を伝えるだけに終るのではないだろうか。
 それはさておき、なぜこんなことを云い出したかというと、近頃の日本の社会を診断するには、その公私二重の生活の夫々を連関させて見て行くことが、特別に必要だからである。日本の社会は刻一刻と統制されて行きつつある。経済、政治、社会生活、文化運動、皆そうだ。常識は之を日本の「ファッショ化」とも呼んでいる。こういう言葉は理論的に慎重に使わないと、随分間違いを惹き起こす因になるが、とに角この一般現象を日本ファシズムの結局の発展と呼ぶことは許されるだろう。少なくとも日本ファシズムの発展と云えば間違いはあるまい。
 この現象は勿論、決して誰かが悪宣伝してそう称しているわけではない。又単に巧妙な宣伝か何かで、そう云われているわけでもない。たしかに日本の社会の公式相貌はそうに相違ないからなのである。そしてこういう他所行き顔も亦、日本の社会そのものの顔なのであって、嘘の顔ではない。他所行きの顔をしなければならぬということも、人間の正直なことの内容の一つだ。日本が日本型ファシズムに向かって勇往邁進しているということは、日本の真実である。日本社会の公式な真実だ。この公式は又日本の社会的儀礼をなしている。公式は儀礼的なものだからである。今日この公式儀礼を多少とも重んじないものは、日本の社会という社交場裏には立てない。新聞記者の批判的言説も無産党の階級的観点も、この公式礼服を着用に及んでいる。モーニングか燕尾服かの相違があるだけだ、公式礼服としては。
 だがこの公式な社会儀礼の皮下に実際に潜在的に動いている日本社会の私的生活は、必ずしもこの公式儀礼には現われない。如何に潜在的情勢でも、あまりに公式儀礼が自分を裏切りすぎると思えば、この公式礼服の着用をお断り出来るわけであるが、それをしないでおとなしく着用に及んでいる処を見ると、今日の日本の私生活も結局この公式儀礼と全く無関係でないことは認めなくてはならぬ。だが、それにしても公式儀礼とは別な或る社会生活意識があることは真実なのである。シェークスピアの芝居などには傍白(アサイド)というのがあるようだ。相手役には聞えないが観衆には聞える台詞である。もし社会でもそういうものが許されたら、この潜流も亦、或る程度日向に出るかも知れない。併し今日の日本では割合そういう傍白が芝居の常道になっていない。それだけに、日本の社会意識を公私共に連関させて診断するには、困難が伴うわけである。

 さて昭和十二年、一九三七年の一年は、之を概括して云って了えば依然たる日本型ファシズムの上昇であり、又その急上昇であり、そしてその曲線は跳ね上ったまま恐らく年を見送るだろう。だが之を上半期と下半期とに区別して見ると、その間には大きな相違がある。一体昨年(一九三六年)も上半期と下半期とでは大変な差があった。昨年の上半期は二・二六事件を関門として著しく非常時的戒厳的準戦時的な波の高まった時期であった。併しそれを波の峠として、下半期は却って常時的文治的な波の形を保つように見えた。そして今年の上半期はその続きだったわけである。二・二六事件によって契機された粛軍の必要、今年に這入ってからの北支工作の一時的行きづまりなどは、宇垣内閣の流産やその後の林内閣の祭政一致主義にも拘らず、この正常波をよび返した心理的原因であろう。尤もこの正常波は決して単一な波ではなくて、ある複雑な合成波なのであり、その内最大の振幅を有ったものは、他ならぬ統制化の名の下に一括される刻々その振幅を拡げる動きであったから、その合成波であるものも、結局出来る限り正常な形の曲線に近づけられた限りの非常波であったに過ぎず、出来るだけ既成常識によって通常視され合法化され得るような形をとった非常時的な波であったわけだ。本年上半期に於ける林内閣の失脚、近衛内閣の一応の成功と大体に於ける好人気、とは政局に於けるこの合法的通常味のおかげであったのである。だが他方、この合法味や通常性の政治的形式の下に盛られた社会機構内容そのものは、却ってその反対な実質を固めるものであったことは人の知る通りで、政変ごとに高まる予算乃至軍事予算はこれを物語って余りあるだろう。かくてとに角一応正常化されたこの政局の下にも拘らず、いつしか非常時の声は準戦時体制の声となりやがて全くの戦時体制となった。かくて一九三七年の日本は下半期に這入る。
 この間にあって、軍事的勢力の社会機構上に占める位置は一歩一歩高まりつつあったことは今云った通りだが、併し社会機構上の確保は必ずしも社会全体に於ける夫を意味するとは限らない。すでに政治意識になると、却って一応は露骨な形態を抑えねばならなかったことをさっき述べた。ましてこの勢力に対する社会意識や社会的信用や又文化的信頼に至っては、決してそう楽観すべきものではなかった。本年度上半期のこの社会意識上の不自由は、早晩清算されて行くに相違ないとも考えられたが併し又逆に、やがて之が或る程度のブレーキを政界や経済界にも利かせ得るようになるのではないかとも考えられた。軍事予算と並行して社会政策予算要求の声は、即ち広義国防の声は、近衛内閣の社会正義の声明となったとも考えられた。社会保健省案の成立は、ともかく非常時日本ファシズムが、その相当可能な一つの属性としての「社会政策」に乗り出すことをも暗示した。国内相剋の止揚も亦、之を積極的に民主的に理解すれば、このことを意味するかも知れないとさえ考えられた。こうした批判的な社会イデオロギーは、北支工作その他の活動に対する過度の期待からの反作用と一緒になって、軍事予算の急遽な膨張に対する拍手にも拘らず、それと対蹠的な心理をおのずから醸し出していたのである。国民の公式儀礼は少なくとも非公式心理によって多少とも裏切られて見えたのが、上半期の事実であった。
 かつて満州事変の成立によって獲得された国民的人気は、新しい何等かの軍事事変を機会として恢復されねばならぬ。処が下半期しばらくして、北支事変が勃発した。之が天下の事情を全く一変させて了ったことは人の知る通りである。単に之は人気上の問題だけではないのは知れたことで、戦時体制が愈々本物の動員体制に這入るに及んで、経済統制の強化(特に臨時資金調達法の如き)や税制の強化は云うまでもなく、資源局と企画庁との合同による企画院の設立、大本営設置の実現などの現象が、続々と現われた。大本営案については、全国務大臣が幕僚として参加するという形の軍事内政の両面に渡る案さえ一頃有力であった。もしそうなれば超強力内閣が出来ることになるかも知れなかったので、日本の政治形態としては大きな変動でなくてはならなかったろう。だが結局は純軍事的なものに落付いたらしいが、又国家総動員法の実現さえ遠くはないと報道されている。是によれば単に物的資源の総動員に限らず、労働力その他に対する動員も絶対力を発揮するわけで、労賃は法定されるし、労働者の賃労働は国民の義務として絶対化されるわけだ。労働争議などはその形態自身が全く非合法反動員的なものであるとして相場が確定するわけである。ファシストの労働憲章やナチの場合と完全に等しい効果を生む筈だ。
 軍機秘密保護法の改正に平行する造言飛語の取締りやスパイ容疑者の特別な取締りなどは、北支事変が支那事変に変更される頃に及んで、社会の新しい特色の一つとさえなった。政府は新聞の官製ニュース化を徹底し、評論雑誌から同人雑誌に至るまでの検閲を厳重にした。国民の自由な立場による会合は、事実に於て遠慮を命じられる等々。一切は軍事的総動員を絶対的な社会基準として、大きな旋回か上昇かを行なうに至ったのである。国民歓呼の声に送られて街頭を練り歩く出征軍人が、今や日本の一切の公的意志を象徴する。
 社会大衆党は北支事変勃発と共に軍事行動に対して最も積極的な参加を党是として決定した。日本無産党も亦人民戦線という目標を自然に撤回したように見える。独り大衆政党だけではない。社大党支持者の多い総同盟や、日本無産党支持者の少なくない東京交通労働などの諸労働組合は、争議打ち切りと労資協調へと転向した。それは夫々総会の決議という形で決ったと記憶する。之を例の国家総動員法の受動的な前触れと見れば、その意義はまことに深刻だと云わねばならぬ。軍事予算の膨張の自然的結果として可なり活発な労働争議が増加しつつあった今年の上半期の後を受けるものとして、社会運動全体の急旋回を思わせるに充分なものがあろう。事変勃発後物価が異常に高騰して来たことは忘れてはならぬが、それでもまだ極端な悪性を有つに至ったと云うことの出来ないのが事実であろう。と共に他方に於て、軍需工業労働者の需要や、その一部となるべき熟練工の需要、幼年工の熟練工化の要求(之は教育界を或る程度まで動かし、文部省による技術工養成機関の設備や技術教育の要望などとなって現われている)、等々を見ると、恐らく今年度は、このような労資協調のための一時的なそして部分的な経済的根拠を有っているのでもあろう(動員下に於ける農村の経済的社会的事情はあまり公式には判らぬようである)。
 文部省の教育政策思想政策としては、例の大仕掛けの国民精神総動員(之は文部省単独の仕事ではなく内政全般に渡る責任によるものだが)を別としても、国体明徴のために文理大や若干の帝大に国体学講座を新設するとか、又引き続き国体明徴に資する研究にも、補助費の支給を世話するとか、勿論多忙を極めている。すでに上半期から一般的な教育改革案も立案されていることで、高等学校教授要目の国体教育化への改正はすでに実施されるに至った。そしてこれを機会に一般の教育改革案は、試案の形で民間からいくつも提出されようとしている。尤もこの民間改革案相互の間には、相当根柢的な対立もあるわけで、帝大を中心とする一般社会の識者の意見として現われている教育的改革同志会案は、事実あまり国民精神総動員的な精神のものではないかも知れない。単に勤労教育とか実際教育とかの必要を説いたもので、それが戦時体制的な社会的の生産の要求に基くと云えばそれまでだが、併し教育精神自身としては必ずしも国民精神総動員的ではないようだ。これに反して師範系の改革案は、師範教育精神の「この際」に於ける絶対化を提唱するもので、二つの見解の間には可なり重大な撞着があるわけだ。一方に於て資本制生産の要求を充たすと共に、他方に於てより形而上的な教育精神をねらわなければならぬ文部省が、どっちに傾くか興味があるが、すでにこのように、教育の公式イデーそのものに或る矛盾が孕まれて来るということは、国家総動員体制に於ける精神的文化的な弱点の一端を露出するもので、国民精神総動員の大声叱呼を以てしても、今の処之を如何ともすることは出来ないらしい。社会の公式表現と潜在情勢との間の例のギャップが、この場合こういう形で頭を出すのであり、特に文化現象に於ては公私間の破綻が現われ易いのであるが、それは後にしよう。――以上が上半期に対する下半期の特色である。

 林内閣瓦解直前に於ける総選挙の結果が、実質に於て無産政党の大進出となって現われたことを人々は忘れないだろう。勿論ここでも公式表現と潜在事情との関係は忘れられてはならないので、公式には大衆無産政党の議席は全議員の一割五分にも足りないのである。だがこの公式には貧弱な状態も、潜在的な国民の世論の意外な圧力を代表するものとして、甚だしく当局乃至社会の実権者を刺激した。そして重大なことは、それ以来、民衆の圧力を一般的に概括して、人民戦線と呼ぶという支配当局の習慣を産んだということである。従来自由主義とか左翼とか呼ばれていたものは、一括して人民戦線と目されるに至った。人民戦線とは、之まで多くは単に思想的現象に過ぎないと見做されたものが、本当に政治的実力を持つに至ったということを指す言葉とされるようである。言葉を変えて云えば、今では思想的な特色は、日本の政治勢力にとって、譬喩ではなくて実質となった。これ以来、日本の政治実権者と社会実権者とは、思想運動が彼等自身の政治運動に直接する真剣な問題であることを初めて本当に理解するに至った。それまで軍部イデオロギーとか新官僚のイデオロギーとか色々云って来たのは、実は思想を指すのではなくて単に思想の譬喩のようなものであった。ただの心理とか習癖とかに過ぎぬと思い慣れて来た。そういう日本の政治常識を、恐れさせるに之は充分であったのだ。爾来当局の人民戦線恐怖性は極度に高まったように見受けられる。
 無産政党とは反対に、総選挙に見事失敗したのは、支配権力を頼みにしていた筈の多数のファッショ政党である(仮に簡単のためにファッショ政党と呼ぶことにする)。大衆的政治勢力として失敗した彼等は、そこで今云った人民戦線という政治思想的なカテゴリーを敵本対策として、之にすがることによってわずかに一種の言論戦をそれとなく展開して来たのである。事変と同時に全社会の動員的旋回が行なわれたに拘らず、ファッショ政党の社会活動には、意外にも特別に積極的なものを見ない。寧ろ国民精神総動員その他に政府嘱託の委員として活動する社会大衆党などの方が、活動力を有っているような次第である。思うに之は大衆的地盤を持たない日本の所謂「ファッショ政党」の根本弱点に由来することで、ファシズム活動は主として官僚的国家権力そのものを通して上からしか作用しないという、日本型ファシズムの特色を、裏書きするものであろう。事変に這入って特にこの感を深くする。
 この日本型の特殊性は、云うまでもなく日本の統制経済が社会的に持っている特有な意義を形づくっている。云って見れば民主的な国民の完全に独立独歩の企業が比較的貧弱であり、それが官営乃至御用商人的な企業の比でないという日本の経済的条件の下では、統制経済も多くの摩擦に拘らず割合円滑に行くということが注意に値いする。そのためには別に際立った政治的変更をさえ必要としない。ばかりでなくこの統制そのものが多分に恩恵的な意義をさえ帯びていることを、多くの産業資本家自身私かに知っているのではないかとさえ思われる。政治の分野に於ては勿論このことは一層著しい。政治の強権化は日本の一般民衆にとってはそんなに不思議なことでも損失でもないかのようである。経済的依存主義と政治的事大主義(昔は官尊民卑と呼ばれた)とは日本民衆の特色の一つで、之が日本型ファシズムの日本型たる所以をなす条件だ。この点、ここ数年来を通じて、そして特に本年度後半期の軍事的体制への転向に際して、定式通りに実証された処である。つまり今年という年は、日本型ファシズムの社会的実地踏査に、極めて有利な材料を提供したようなものである。
 だがこの日本型が決して経済や政治には限らぬのは、当然である。国民の一般的な社会意識、生活意識、そのものが、やはり日本的で日本型にあてはまっていることを、人々は事毎に見出した筈だ。その依存性と事大性は抜くべからざるように見える。之が日本人の所謂常識である。少なくとも公式生活に於ける常識なのである。文化の世界に於ても、この根本的な特色は、失われない。それを最もよく実証したのが、やはり今年度の文化界の動きである。
 併し予め念を押しておかなくてはならない点は、日本の官僚的支配者が従来文化的に可なり無力であったという歴史である。その原因を検討していては長くなるが、要するに他の点では大変有能で又お世話やきでありすぎた程の日本の官僚は、教育行政上の或る形の成績は別として、一般文化の問題になると、まるで積極性がなく、殆んど全く自信がなく無関心だったという事実である。教育と云えば学校教育のようなものしか主として考えない、その背景をなす一般文化についての見解までには及ばないのである。――処が最近になって、この日本の官僚も次第に文化方面に注目を集中して来た。多少の文化的な自信を有つようになって来たのである。今年に這入って、文化勲章制定や芸術院設立となって現われたものがそれである。
 だが不幸にして、従来日本の文化は政府と殆んど全く無関係に育って来たために、民衆自身が築き上げた文化意識と、今更政府が公定しようと試みる文化との間には、文化理念上の重大なギャップが横たわっているのを如何ともすることが出来ない。それには元来、日本に於ける前資本主義的文化のイデーと資本主義後の近代的文化のイデーとの対立が根柢に横たわっているからだが、つまり政府は民衆自身の国民文化を卒直に日本の公認された公式文化として押しだすだけの自由を持たない。そんなことをすると政治的儀礼や教育的大義名分とあまりにもかけ離れて行くからである。それだけではない、文化と云えば今日どこの国でもすぐ様社会観や政治思想とからみ合っており、又文学其の他に現われる思想の自由を想定しなければならないが、処が日本に於て思想らしい思想を持つものはどうも日本の公式思想として押し出すのに、政府にとって都合が悪いのである。かくて、折角の文化勲章も芸術院も、肝心の文化や思想の現役の大家を網羅することが出来ずに、思想的にあまりさしさわりはないような文献学者や絵かきの類をよせ集める他はなかった。日本の支配者による「文化」の活用がどんなに制限を有つものであるかを、国民はこの問題で、最も切実に理解したのである。官僚は遂に、少なくとも今日の処、文化的に指導力を有ち得ないということ、少なくともこと文化に関する限りは、文化存在の社会条件について政府の顧慮を労わす種類のことを別とすると、政府は頼みにするに足りないということ、それを世人は今更ながら知った筈だ。
 事変に関して英米その他に於ける日本の評判の悪いことは、宣伝に於て支那より劣るところがあるからだというので、多くの半公式日本代表が派遣された。それは前にも触れた。評判の悪いのが宣伝の下手なせいかどうかは今問わぬとして、とに角宣伝が下手だということは本当らしい。と云うのは、宣伝は決してただの雄弁や何かではなくて可なり複雑な文化活動なので、之が上手であるためには当局によほど文化指導的な訓練がなくてはいけないのだ。処が日本の当局は、国民のデモクラティックな発達を抑えることによって、国内的に宣伝の必要を持たずにすんだが、その代りに宣伝という文化的訓練を自分自身の身につける機会がなかったので、こういう時局に際して、その報いを受けざるを得ないのである。国民精神総動員と云っても、決して之を高度な文化政策と見做すことは出来ない。単に戦時総動員の一環として、文化をも利用しようというのが、精々の文化的意図のようだ。併し文化的能力の低いものが、文化を利用しようとしても、利用の緒口がないと云った様子である。この時代の日本型ファシズムの高潮にも拘らず、そして多年の思想善導、国民精神作興、国体明徴、思想動員、精神動員、其の他等々の方寸にも拘らず、日本当局に依然として、民衆的な宣伝力に富んだ文化政策がないという不可思議は、ここに秘密を持っている。当局が捻出する文化のイデーは、どれとして民衆の既得の文化意識を満足させるものがない。
 日本に於ける文化ファシズム(勿論日本型の)のために、半官半民の形を以て、援助に出馬したのは、しばらく前からの松本学氏の如き人物である。その仕事の系統は国維会(岡田内閣成立前)に発して本年に於ける日本文化中央連盟の結成に及んでいる。この連盟の計画によると、相当莫大な財源によって日本の古典の出版その他の日本文化紹介の有意義な仕事と共に、日本諸学なるものの研究及び研究助成に乗り出そうという。この計画の外貌は、例えば国民精神文化研究所の感触などに較べても、もっと近代的であり、前資本主義的趣味を脱している。そこに一応形式上の民衆性があるわけで、ただの国粋反動団体的バーバリズムとは区別されねばならぬが、併し日本諸学などということになると、依然として、国民の文化常識からの反発を招かぬわけには行かない運命におかれている。
 だがそれはそれとしても、日本の文化運動の形態が、国家権力の大樹の蔭に文化を求めようとするにあることは、日本型の文化ファシズムの特徴なのである。この文化的事大主義と文化的依存主義とは併し、勿論一般にはもっと高尚な文化的な相貌をとって現われる。諸文化の半官半民の民間アカデミー運動は多少ともこの動きの表面に現われたものだという一面を有っている。現に日本文化中央連盟はそういうアカデミー運動の総和であると見てもいい。そしてその一部になるらしい「新日本文化の会」の如きは、寧ろ最も著しい事大的アカデミーの意義を有っているだろう。
 本年度に於ける文化上思想上の最も大きな課題は、このような事大主義の系統に帰する日本文化乃至文化一般の観念と、之に対する批判としての別系統にぞくする日本文化や文化のイデーとの間に、横たわっていたと云っていい。「文化問題」についての論議は、時事的評論雑誌や科学的評論雑誌の上で跡を絶たない。ジード旅行記やその修正版、それに対する各方面の批評(最近はフォイヒトヴァンガーによる批評)、それからこれに連関してソヴェート清党運動についての文化的関心、も亦見逃すことの出来ないセンセーションであった。だが何と云っても問題の中心は日本文化にあったと見ねばならぬ。「日本的なるもの」や「日本文化の伝統」の問題はそのままの形としては、丁度ヒューマニズムがそうであったように、云わば行方が知れなくなった。と云うよりも意外の処へ(実は意外ではないのだが)抜け穴を有っていた。そこでそういう形で議論をするのが、抑々莫迦々々しいのだということを、今年の文化人は気づいたようである。そこで興味のあったのは所謂国民文学論であろう。その提唱者によると、国民に於ける階級の対立が之まで如何に深く国民の文学そのものに刻印したかなどというようなことは、キョトンと忘れたかのように、国民は国民だから国民の文学を有たねばならぬ、国民的人物、国民的性格を作品の内に打ち出さねばならぬと主張するのである。之ではまるで、専ら例の政治的な国内相剋緩和のための文学のように見える。だが国民には国民の文学が必要だということは、同語反覆的に疑うべからざることだから、国民文学という言葉は方々で重宝がられているのが事実であるが。――戦争文学ということも話題に上らないではない、之も亦日本文化や国民文学の一変形とならぬとも限らぬが、今の処取るに足りない。
 之に反して、一般に文化問題又特には日本文化の問題を、最も合理的な形で検討するという期待は、科学的精神の論議の高潮の内に見られる。昨三六年頃から科学的精神は次第に時局的な問題とされ始めたが、今年に這入っても著しくその文化時局的意義を深めた。今年の初めにかけて、文学主義と科学主義との対立というようなことが一時問題になったが、元来科学主義などという言葉は、今日何の役にも立たぬ当てずっぽうの言葉で、科学的精神を歪めて云い表わしたものにしか過ぎなかったろう(最近大河内正敏氏の理研コンツェルンの産業哲学として科学主義工業という言葉が注目されているが)。科学的精神は単に科学研究の精神と云うには止まらず、まして又自然科学の研究の精神などに制限されるものではない。社会科学や歴史科学にこそ、又文芸其の他にこそ、つまり一切の文化そのものにとってこそ、必要な精神が之だというのである。文化そのものの真の精神だ。科学的精神がこういうものとして検討を始められたのは、今年の文化界思想界の、唯一の収穫であったと見ていい。日本文化の本質は、この科学的精神との関係に於て、初めて正常に把握されるだろう。例えば教学的精神の批判などということが、この方向に向かった課題となるのではないかと、私自身は考えている。文部省のかつての学生課は思想局となり、それが今年に至って教学局となったことは興味がある。
 日本の社会に於ける文化上の公的相貌は、さっきも云った通り、著しくそれ自身の制限と撞着とを、公的にさえ暴露している。だから文化上の私的相貌、国民自身の自主的な文化意識、日本社会の文化上の潜在的情勢は、今日のような社会事情の下でも比較的よく社会の表面に卒直な姿を現わすことが出来る。日本の社会の他の部面に於ては、公式表現と潜在的情勢との間のギャップは、或る特別な個々の場合でない限り、公式表現そのものによって蔽いかくされて了っている。政治でも経済でも、一般社会活動でも、皆そうだ。ただ少なくとも文化の領域に於ては、日本の社会が有つ内心の文化意識の相当正直な処が、或る程度まで表面に出ることが出来るのである。そこではもはや、社会の公式儀礼が必ずしも絶対的であるとは限らない。で恐らくこれが一九三七年度に於ける日本の社会の唯一の通風洞であったと見ていいだろう。
(一九三七・一一)





底本:「戸坂潤全集 第五巻」勁草書房
   1967(昭和42)年2月15日第1刷発行
   1968(昭和43)年12月10日第3刷発行
底本の親本:「改造」改造社
   1937(昭和12)年12月号
初出:「改造」改造社
   1937(昭和12)年12月号
入力:矢野正人
校正:Juki
2012年8月24日作成
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