文芸評論の方法について

戸坂潤




 今日の日本の文芸批評の姿には、見渡したところ二群のものを区別出来るようである。一つは作家による文芸批評であり、も一つは評論家による文芸批評である。尤もこう云っただけですでに、多分の註釈が必要となるのはまことに遺憾であるが、一体評論家は一種の作家でないかどうか。最近日本では創作的な評論と云ったようなものも推賞されている。評論が創作でないというのが元々変な云い方だが、とに角小説や戯曲や詩というジャンルを創作と呼び、この創作をやる人間を作家と呼ぶのが習慣なわけだが、創作と評論、作家と評論家、はそう簡単に対立させられないという点が吾々の話を初めからお終いまでつき纏うのである。
 その創作的な評論というのが、特に保田与重郎の夫のような詠嘆文を意味するなら、簡単に無視していい問題だが、文芸評論(一般に評論)も亦文芸創作の一つのジャンルだという意味だとすると、容易ならぬ問題だ。だがこの問題はこの話の終る時初めて解かれるべきものとしよう。さし当り作家と評論家との区別を便宜的に判ったものとして、さて、作家自身が評論を書く場合と、専門の評論家が評論を書く場合とでは、大へん様子が違っていることにまず気がつく。
 日本では作家の数は数え切れない程であるが、文壇ジャーナリズムに登場して来る専門の文芸評論家の数は可なり限られている。処がどんな作家でも文芸評論乃至文芸批評を頼まれないとは限らないし、頼まれれば自分は文芸評論家でないから書かないと云って断わる作家は少ないようだ。暫く前まで、いや今日でも多分にそうだが、専門評論家が少ないということもあって、文芸評論の大部分が(特に新聞などではそうだ)、作家の手になったものだった。尤も作家の内では、評論を殆んど書かない者も少なくはない。島崎藤村や谷崎潤一郎が新聞や雑誌に文芸評論を書くということは何か一寸そぐわないようにも考えられる。それから又作家であると同時に評論家である場合も、大変多い。中野重治、中条百合子、窪川鶴次郎、森山啓(後の二人の詩人兼評論家は最近「作家」の仲間入りをしたとも云うことが出来よう)、貴司山治、其の他、大まかに云った左翼にぞくしていた人達に、この傾向の著しいことは、意味のあることだが、そうでない作家にも若い時代としては阿部知二とか伊藤整とかいう評論家兼任の者が少なくない。さてこの評論家兼任の作家と評論をやらぬ作家とを差し引いた余りの作家は(?)評論家でなくしてしかも評論をやる作家なわけであるが、この作家的評論と評論家の評論とでは大分趣きが変っていると云うのである。
 例えば林房雄を取ろう。彼は決して評論を書かないのではない。だが彼は又決して評論家でもないし、評論家兼任の作家でもない。併し、ではなぜ彼は評論家ではないか、評論を書かないではないに拘らずなぜ評論家と世間は見做さないのか、単に評論の字数の多少の問題ではあるまい。又作家的エネルギーに較べて評論家的エネルギーが小さすぎるからというのではあるまい。もっと質的な問題があるのである。林房雄は、放言の名人である。彼の言論を誰も言葉通りに真面目に取る者はない。彼の言葉は色々話題に上されても、その言葉自身に信頼をおく者はまずなかろう。それが放言たる所以だが、放言は勿論評論にはならないのだ。評論には或る一種の合理上の責任とも云うべきものがある。評論はいつも解説し得るシステムの中に歴然たる位置を占める言葉を中心として成り立つ。そうでないということが放言の放言たる所以であろう。
 放言は評論ではないと云ったが、之を文章にしたら評論ではなくて何になるか。恐らく雑文というようなカテゴリーが夫かも知れない。そうするとつまり、この場合には、評論家でない作家の評論として、例えば作家の書く雑文などを数えたらよいだろう。勿論文芸に関した雑文だが。尤も雑文だと云っても別に怒る必要はない。作家の文芸雑文は意味のあるものだ。処が之ならば実は大抵の作家が時に触れては書いているものである。谷崎潤一郎でも之を試みないではない。そしてそれが仲々文芸批評上の示唆になっているのが事実だ。併しそれはそうでも、文芸雑文はまだ決して文芸評論ではない、という区別に変りはないようである。
 文芸雑文が文芸評論と見做されないのは、要するにその背景をなしている評論のシステムに対する責任を取らないと考えられるからである。その感想は尊重されても、その言葉は信用されないのがそのためだ。いや悪いことには、この信用すべからざる言葉が不用意にも、或る原因から信用されることが珍しくないことだが、この信用が如何に評論の水準を低下するかを世間はよく知っている。放言であれば多分に文壇的地方弁であらざるを得ないわけだ。だからつまりシステムに対する責任を云い表わしていない言葉は、評論の言葉ではないわけで、この評論の言葉で物を云うか云わないかで単なる作家と評論家との区別になるのである。
 処が、こうは区別したものの、実は之までの文芸評論の大多数が、この雑文的・放言的・な言葉を無理にも活用したものであったということを、改めて注意しなければならない。夫は一方に於て、今も云ったように、多分に文壇地方弁に依頼している。と共に、他方この放言的な雑言(?)(雑文に出る言葉という意味だ)が所謂印象批評の言葉でもあるということを、忘れてはならぬ。印象批評の言葉と文壇的方言との間に直接の関係があることは、批評の問題にとってはまことに興味が深い。印象とは勿論直接な感受のことだ。この直接のインプレッションが、そのまま表現されたエキスプレッションが、即ち自分の持前の親愛な言葉だ。地方弁だ。
 印象批評が評論家でない作家の評論の帰着点だとすると、結局、評論家の評論と単なる作家の評論とを折角区別したことも取り消さなくてはならなくなる。この二群のものはその風情から云って確かにどこかに違った処があるらしいに拘らず、印象批評というものが横行している限り、そしてこの影響が所謂評論の意外な深部にまで浸潤している限り、二つはそんなに簡単には分けられない。曲者は所謂印象批評である。
 今日の所謂文芸評論が、作品に対する印象批評からは相当離れて来たのは、事実だ。もはや印象批評という言葉も無用になった程に、所謂評論は発達したと認めることは出来る。ただ、成程印象批評という形のものは少なくなったが、実質に於て印象批評の変形と云っていいものが、文芸評論を支配している点を見ねばならぬ。一方に於ては評論に於ける例の方言性だ。之は評論家がその文壇人としての個人的な印象をまだ充分に組織的に客観化普遍化していない証拠だが、他方に於ては、やがて、評論乃至批評の所謂科学性の自覚の欠乏ということにも関係している。――ここに文芸評論の方法ということが、重大な課題になるのである。
 科学と文芸批評とは両立しない、文芸の科学的批評などというものはナンセンスだ、という観念は、今日でもまだ消滅していない。色々な形で、アカデミシャンの内にまで、巣食っている。だが科学的という言葉はどんなにでも解釈出来るのだし、それに元来、科学的批評ということが口にされる時には抑々批評とか評論とかいうものそれ自身がこれから決定されるべき当のものである筈だから、批評乃至評論の解釈も初めさし当り多様なわけだ。だから頭から、科学的批評など無意味だとすることは、意味をなさぬ。反対に、之まで科学的な批評は至る処に、凡ゆる時代に、あったというのが事実だろう。アリストテレスからホラティウスを経てボアロー・デプレオーに至るまでの「詩学」なるものは、文芸作法のカノンを樹立しつつ作品を例証した点に於て、一種の「科学的」評論であった。心理的・社会的・論理的・な法則によって作品を品隲ひんしつするものは、また他種の「科学的」評論である。批評の科学性を要求したものは、その最も高度な形である今日のマルクス主義的文芸評論には限らない。「科学的批評」とみずから名乗った心理主義者、アヌカンもいるのである。
 でつまり科学的批評、文芸の科学的評論ということは、歴史的材料について見れば明らかなように、要するに文芸評論の方法的に自覚された形態一切を、包括するわけだ。どれが本当に科学的であるかは別として、とに角科学的批評というものは何等か一定の方法を自覚した文芸評論のやり方を意味して来ている。処で今日こうした文芸評論の方法は文芸学と呼ばれている。だから結局、科学的文芸評論なるものは、何等かの文芸学に立脚した処の、文芸学の、システムに根柢を持つ処の、文芸評論だということになる。文芸学の夫々のタイプが、夫々のタイプの科学的批評・文芸評論の組織的方法・を与えている(これを見るのに便利な出版物は『文芸学の方法』――ソヴェート文芸百科全書の内、熊沢訳――だろう)。
 だが私は少し先走りしすぎたようだ。印象批評はどうなったか。――印象批評と文芸学との間の連鎖はどうなのか。――印象批評というと如何にも低級な批評の形式のように思われる。処が実は、云い方によっては、之こそ批評の真の面目なのだということも考えて見る必要があったのである。批評が享受に始まらねばならぬことは当然なことだ。そこで享受が批評へ移行する最初の扉は、他ならぬこの印象だ。印象は批評の初めであり母胎である。云って見れば印象が批評の凡てを決めて了うようなものだ。印象を佯ってはどんなに理屈が立派でも批評にはならず、まして科学的な(と云うのは客観的に真実な)批評にはならぬ。
 何と云っても印象批評が抜くべからざる勢力を有っているという事実は、だから理由がなくはないのだ。だが批評が印象に基くということと、所謂印象批評というものとを、区別しなければならぬのは、勿論のことだ。批評を印象の上だけに止めておくということが所謂印象批評だ。之に反してこの印象を追跡し反省し分析し、なぜそういう印象を直接印象として自分が受け取らねばならなかったかを説明することが、批評・評論・の責任なのだ。所謂印象批評はこの批評の元来の責任を負わないという処に、その放言的な本性があり、評論としての貧困があったのだ。評論は印象そのもののリアリスティックな追究・反省・分析・解説のことだ。
 さてここに、評論・批評・の方法ということが具体的に問題になり、評論・批評・システムということが力を振うのである。尤もこの方法や体系は事実上、評論家の世界観から来るもので、必ずしも作品自身が与える印象から出て来るとは云えない。有態に云うと印象なるものの批評に於ける或る相対性がここにあるわけで、この相対性を許すことが気に入らないというのが所謂印象批評の権利の主張ともなるわけだが、併し元来、評論家の印象というものは、すでにその評論家が一人前にまで成長する間に育った経験と教養との、瞬間的な反応に他ならないから、丁度好みや趣味が人間の思想や世界観を端的に示すように、之は評論家の蓄積組織された世界観の、インデッキスなのだ。だから評論家の世界観によって裏づけられた方法や体系は、決して原印象に暴力を加えるものにはならない筈なのである。もし万一暴力を加えるように見える場合があるとしたら、それは印象が完全なプレパラートにまで用意されてないからであり、つまりそれだけ世界観が未熟か不完全だからであって、それ故にこそ初めてその評論の方法や体系が生むまでギクシャクせざるを得なかったにちがいない。
 だがここで場合は二つに分れる。印象の追跡とその方法とが、評論の(又科学的評論の)内容なのだが、云わば追跡しておい回すそのコースの長さと形の複雑さということと、その追跡の方法が合理的に簡潔であるということとは、一応別である。いや二つは相対立した関係とさえ見えるだろう。方法とは最も確実で目的に適った道を教えるもののことである。だが印象が複雑であればある程、そう簡単に道は見つかるものではない。特にこの方法=道を予知する理性(知性と呼ばれる)としての世界観(思想性と呼ばれている)があまり発育していない場合、印象の追跡はとに角結果に於て甚だ盲目的な外観に終るのである。この盲目的なおい駈けまわしを手頃な方法で打ち切って了うか、それともあくまで追いまわして偶然目的に通じそうな道=方法に出会うまでかけずり回るか、どっちを取るかによって、今日の文芸評論の二つの方向が分れる(勿論その折衷もあるわけだ)。
 最初から、印象を悠々と追いかけ回している人は、日本の文芸評論家には相当多い。かつて谷川徹三はこのタイプの代表者の一人であった。併し実は彼には初めから或るシステムがかくされていたのだ。それは初めディレッタンティズムと称されたが、批評の外部的な特徴ではあってもまだ内部的な法則ではなかった。処が最近平衡の法則なるものを発見したので、彼はこのタイプを去って一種の体系派に近いことを明らかにした。現在最も活躍している代表者は本多顕彰だろう。彼は谷川と共に公平な理解者であることに力めているが更に親切な作品弔問者であり作家の牧師であろうとするらしい。すでに一定の出来上った風格があって、之は安定性を有った強靱なものだ。色々の問題を択び分け受け止める綱である。にも拘らず一向に方法というような心棒のシステムを感じさせないのが、彼の謂う処の「春風駘蕩」派たる所以だろう。
 だが之は文芸現象を理性によって割り切れないということではない。実はすでにチャンと割り切れているのだ。ただその割り切る刀を手に持っていないだけだ。割り切れているから悠々と印象を追いかけ回すことも出来る。この点他の評論家とは一見正反対な落ち付きを示している。今他の評論家として二人の例を挙げよう。一人は中島健蔵である。彼はあたふたと印象追跡に眼の色をかえている。而もまだホリゾントが決らぬらしい。も一人は阿部知二である。之は一旦主知主義という交通整理に成功し、相当風格が定まったと見えたが、この頃又彼の印象はなぜか一斉に色めき立って来たので、周章てなければならぬらしい。
 風格が定まるということは、すでに評論の或る方法が潜在しているか、又は方法の一歩手前まで行っていることを意味する。だがそれだけではまだ方法を持ちシステムを持っているということにならぬ。しばらく前までの小林秀雄は何等か体系に近いものを吾々に感じさせた。私は夫を「物質を恐れる」体系だと云ったこともある。だが実は之も、本当は方法でもシステムでもなかったのだ。単に風格の誇張されたものに過ぎなかったと云わねばならぬようだ。システムの変化はそれ自身がそのシステムに基かねばならぬ。処が彼の最近の変化、平俗化と政論化とは、以前のシステム(?)とはまるで無関係なのだ。だから、以前のはシステムではなくて単にスタイルであったに過ぎない。
 文芸評論を特に方法的に体系的にやるということ、つまり文芸評論を科学的にやるということは、之を文芸学に結びつけて行なうということだ。処が今日の日本では、そうした評論の方法として役立つような現役的な文芸学は殆んど全く発達していない。「日本」文芸学なるものもないではないが、世界的文芸学(?)が必要な吾々にとっては、夫は示唆の程度のものでしかない。ブルジョア文芸学とも云うべきものの優秀な代表者は教授土居光知であるが、その文芸学は現役文芸評論とは殆んど関係がない。ただ文芸学の殆んど唯一の未来の地盤として嘱望され得るものは、唯物論の分野だけである。曾て左翼的であった文芸評論家は、マルクス主義的文芸理論をその評論の体系とし方法とした。この系統が現在依然として日本の文芸評論界を支配していることは、公平に見て真理である。
 まず青野季吉と森山啓とは或る意味での双璧だろう。と云うのは、二人とも最近著しく印象追跡至上への方向を取った処のかつてのマルクス主義的評論家の、労農派と旧左翼系との代表者だからである。前者が現代文壇に於ける最も大人びた信頼のおける理論的文芸評論家であることを誰しも認めるだろう。だが彼には文芸学的背景は初めから比較的に乏しかった。彼はだからその理論的に出来上った風格にも拘らず、必ずしも科学的(ここではマルクス主義哲学的)文芸評論家であるともあったとも云うことは出来ない。彼のジャーナリストとしての優越性は却ってアカデミックな要素を著しく欠いているという文壇の特色とよく一致している。之に反して森山啓は、初めから文芸学的な評論家であった。それが青野と同じ種類の印象追跡中心の風格を帯びようとすることによって、その風格にまだ幾分の不安定が残されていると共に、文芸学上の方法とシステムとに対して、眼に見えてタガがゆるんで来た。かくて今日彼の独自な有用性は可なり低下したようだ。今日の日本の科学的文芸評論にとっては、惜しいことである。
 中野重治は言葉の勘に実に潔癖な評論家である。之を知らぬ者は彼の評論を揚げ足取りの尻取りのと云う。だがこの詩人は他人の用語によって世界を判断することが出来る性だ。ただ彼は殆んど何等文芸学というようなアカデミックな要素を持っていないので、その評論は科学的で方法的で体系的と云うよりも、寧ろ文壇的な合理論的評論と云うべきだろう。之に較べると、中条百合子の評論はもっと文芸学的な素質に富んでいる。――併しどこを見ても、まだ、文芸学的システムから来る本格的な科学的文芸評論のサンプルは見当らぬと云ってよい。そしてこうした科学的文芸評論の多少なりともの新しい芽生えに対して(之は例外なくマルクス主義哲学の畑から萌え出るのだが)、評論に於ける体系というものの意味もロクロク考えて見たことのない文化的擦れっ枯らし達が、「公式主義」「公式主義」と云う自分でも何のことかよく判っていない発音を繰り返すことによって、社会からの正当な庇護を妨げていることは遺憾である。今日の文芸評論の最大の欠点の一つは、却って正に夫が本当に公式主義をばいずれの意味に於ても活用し得ないということにあるのだのに。

 最後に、文芸評論は文芸作品の評論を必ずしも結局の目標としないということをつけ加えておこう。之は所謂創作と評論との連関対比に於て重大な点だ。創作も元来そうである筈なのだが、文芸評論は一種の時代の評論とも呼ばれて然るべきものなのである。処が時代を最もよく描いて呉れ、時代のコピーを最もよく御膳立てして呉れるものが、他でもない文芸作品だ。そこで文芸評論というものは第一に文芸作品を取り上げる。文芸作品が最も整理された媒介物だからである。文芸作品の背景には、奥には、時代があり社会がある。この作品をつき抜けて時代と社会とに迫るのが、文芸評論の本格的な使命だ。つまり所謂作品も評論も、同じく併行してこの時代と社会とを取り上げる。批評も亦作品と併ぶ作品の一ジャンルと考え得る所以だ。世間では之を文明批評というようなやや曖昧な言葉で呼んでいる。そして文明批評というものの評論としての意義をまるで理解していない人間も少なくない。だがいずれにしろ、文芸評論の使命がそこにあるとすれば、何故夫が少なくとも科学的なものでなければならぬかは、すべて明らかなことだ。そして又、今日の事情に照して、この文芸評論が科学的であるということが、唯物論的であることの他にないという点も同じく明らかだろうと思う。科学的文芸評論は、この方向に於てしかあり得ないのだ。そして而も、夫はこれからなのだ。
(一九三七・五)





底本:「戸坂潤全集 第四巻」勁草書房
   1966(昭和41)年7月20日第1刷発行
   1975(昭和50)年9月20日第7刷発行
初出:「文芸」
   1937(昭和12)年6月号
入力:矢野正人
校正:青空文庫(校正支援)
2012年7月27日作成
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