一
今日の
その木柱は長さ約二メートル、幅は僅かに五インチに過ぎまいと思われます。
これを甲州有野村の藤原家の供養追善のために、慢心和尚がかつぎ出した木柱に比べると、大きさに於て比較にならないし、重量に於ても問題にならないものであります。
本来、米友の
第一、慢心和尚が、いつなんらの目的で、どれほどの木柱をかつぎだしたか、そんなことを旅中の米友が知っているはずがなし、それに地形そのものが、また大いに
それは黄昏のことで、多少のもやがかかっているとはいえ、どの方面からも、
その代り、水の
見渡す限りは、その大河の余流を受けた水田で、水田の間に村があり、森があり、林があり、道路があって、とりとめのない幅の広い感じを与えないでもない。
米友が
大抵の場合は、それを苦もなく飛び越えて、向う岸に移るが、これは足場が悪い。距離に於ては、
こんなふうに、慣れない
そこでいくら気を練らしても、持って生れた短気の生れつきは、
いったい、正直者はたいてい短気です。短気の者がすべて正直といえるかどうかは知らないが、宇治山田の米友に限って、正直であるが
そこで、この世の苦労に徹骨した大人は教えていう、九十里に半ばすと。
わが宇治山田の米友も、このごろでは、かなり人情の
その森は、かなりの面積を持った、だだっ広い森で、中に真黒いのは黒松である。
柳もあり、梅もあり、銀杏の樹も多い。柿の木なんども少なくないから、森といえば森だが、屋敷といえば屋敷とも見られる。庭園と見れば庭園である。かくてようやく目的地に至りついた米友は、森の闇の中へ二メートルの木柱をかついだなりで、無二無三に進み入りました。
二
この森は、物すごい森ではない。とりとめもなく広い水田の間へ、幾
面積に於て広いには広いが、やっぱり屋敷跡、あるいは庭園、もしくは公園の一部といったような気分の中の森を、米友は二メートルの木柱をかついで無二無三に進んで行くと、やがてかなりの明るさがパッと行手の森の中に現われて、そこでガヤガヤと人の笑い声、話し声が手に取るように聞え出しました。
その笑い声、話し声も、うつろの前で、今昔物語の老人が聞いたようなフェアリスチックな笑い声、話し声ではなく、充分の人間味を含んだ笑い声、話し声ですから、すべての光景が行くに従って、森の荒唐味と、幻怪味とを消してしまいます。
「ワハ、ハ、ハ、ハ、ハ、そう来られちゃ、どうもたまらねえ」
充分人間味を帯びた笑い声、話し声の中で、ひときわ人間味を帯び過ぎた、まやかし声が起ったことによって、幻怪味と、荒唐味は、根柢から
今の、その声を聞いてごらんなさい。知っている人は知っている、知らない人は知らない、これぞ十八文の名声天下に
「ナアーンだ、道庵先生、先生、こんなところに来ていやがらあ」
長者町の子供が、くしゃみをして
見れば、その、だだっ広い森の中、森というよりは屋敷跡とか、庭園とかいう感じを与える森の中の、とある広場を選定して、そこに数十枚の
その蓆の上へ、嬉々として、お客様気取りに坐り込んでいるのは、この
さて席の正面を見ると、そこに臨時の祭壇が設けられてある。その祭壇に使用された祭具を見ると、八脚の新しい
それよりも大切なことは、祭壇があれば、祭主がなければならないことですが、御安心なさい、
村方の古老、新老が都合五名、いずれも平和なほほえみを漂わして、祭主の周囲に、くすぐったそうに坐ってござる。のみならず、形ばかりの
さて、烏帽子直垂の祭主のみは、
何のことはない、祭主はこの竹藪に向って、
列席の秀才や、淑女は、鼻汁をすすりながら、神妙に席をくずさず構えているのは、多分、この祭礼と供養が済みさえすれば、あの捧げものの
ところで、道庵先生は、どうした。さいぜんあれほど人間味を発揮した
ところがこの一座のどこにも、その先生の姿が見えない――
三
さいぜん、米友がこの森の、臨時祭壇に近いところまで来た時分に、この陽気な笑い声、話し声の中から、ひときわ人間味を帯びたわれがねで、「ワ、ハ、ハ、ハ、そう来られちゃ、どうもたまらねえ」とわめかれた声は、聞きあやまるべくもなき道庵先生の声であるのに、その声が、たしかにこの席から突破されて来たものであるのにかかわらず、現場を見れば、その人の影も、形も見えないから、全く狐につままれたようなものです。
だが、この一席の紳士も淑女も、秀才も
「まだ、来ねえかよ、あの野郎は、友様は、鎌倉の右大将はまだ来ねえかね」
と言いました。そこで、はじめて正体が、すっかり
この
烏帽子直垂の道庵先生は、こうして立ち上り、向き直って
「友様は、まだ来ねえかね」
と
「迎えに行って来て上げましょうか」
かえって、極めて
「それには及びませんよ、ありゃ、正直な人間ですからね」
と道庵先生が言いました。
その時に
祭主の
さては、この竹藪の裏に仕掛があるのだな。
最初から、この竹藪が疑問です。竹藪の前に何物もなく、竹藪の中には何物がおわしますとも見えないのに、祭壇ばかりが恭しく飾られて、祭壇そのものにも、なんらの御本尊の象徴は見えていない。いくら道庵先生が、いたずら者だからといって、ことに自分が
さて、この辺で道庵先生は、例によって来会の民衆に対し、一場の演説を試むるだろうと期待していると、今日は案外におとなしく、また恭しく坐り直して、祭壇の直前に向い、黙祷をはじめてしまいました。
そうこうしているところへ、以前の日蓮宗の坊さまが、また問題の竹藪の背後から、ゆらりゆらりと姿を現わしましたが、こんどは両の手に、すりこ木を入れた
さても
四
「すれましたかな」
「すれました」
道庵先生は、ちょっと中指を、擂鉢の中へ差し入れてみました。
汚ないことをする、味噌がすれたか、すれないか、それをここへ持ち出す坊さんも坊さんだが、それへ指先を突込んで、
「ははあ」
指先へつけたのを、
「けっこうすれましたよ」
「よろしうござんすかね、
「まず、このくらいのところならよろしうござんしょう」
道庵ほどになれば、嘗めてみないでも、眼で見ただけでも、味がわかるのかも知れません。
「にじむようなことは、ごわんすまいか」
「なあに大丈夫ですよ」
「分量は、このくらいあったら足りましょうでがんすかなあ」
「足りますとも、藤原の
「余りますか? そんならひとつ、先生、恐縮でがんすが、その余りでもって、
「お安い御用だね、何なりとお望みなさい、こっちは、謙遜するほどの柄で
と、道庵先生が答えました。
どうも問答を聞いていると、さっぱり予想と要領が
この辺は、味噌の名所だということだから、ところ変れば品変る方言も無いとはいえまいが、余ったら、それで唐紙を一枚けえてもらいてえという言い分はどうしてもわからない。
味噌と唐紙とは、ついてもつかない取合せです。それを
坊さんは味噌をするべきもの、
そこの融通が、淡泊にわかっていさえすれば何でもなかったのです――この場合、擂鉢に入れられたのは、味噌ではなくて墨汁でありました。味噌をするべき擂鉢で、臨時に墨をすっただけのことであります。
それで一部分の事件が判明してきました。この坊さんが自分ですったか、また人にすらせたか、それはわからないが、これだけの墨汁を、ここに提供したのは、祭主たる道庵先生に、この墨でもって何かを書かせようとする予備行為でありました。
そうでなければ、あらかじめ祭主側からお寺へ頼んでおいて、この墨汁を作らせた予備行為であります。
それはどちらでもかまいません。墨汁そのものが、
余りでもって住職のために、唐紙へけえてやることは先生の御承諾になっているところだが、
時なる
五
米友が距離に誤まられて、意外に時間をつぶしたことの申しわけをしているのを、道庵は
さいぜん、すり置かれた墨に、新たに筆を浸して、それをただいま、米友が運び
事態が少しずつ、追々と分明になって参ります。
「豊臣太閤誕生之処」
この八文字が墨痕あざやかに認められたのを見ても、並みいる連中、うんともすんとも言いません。存外やるな! と、その書風に感心の色を現わしたものもなく、また、待ってましたとばかり、ひやかしを打込むものもありません。さてはこの先生のことだから、何を書き出して人の度胆を抜くか、いやがらせをやるか、とビクビクしていた者もなく、極めて常識的に出来上ったのが物足らないくらいのものです。
そうしてこんどは側面を返して、それに年月日を書きました。
これもまた極めて無事であります。
それから念入りに裏面を返して、そこにまず「施主」の二字を認めて
「江戸下谷長者町十八文道庵居士」
と書き飛ばしたが、誰も驚きませんでした。それと押並べて、
「鎌倉右大将宇治山田守護職米友公」
と書きましたけれども、一人として度胆を抜かれたものもなければ、ドッと悪落ちも湧いて起りません。天下に、切っても切れない
さすが道庵の
それへ
すなわち道庵と米友とが、仮りに施主となって、日本第一の英雄、豊臣太閤の誕生地を記念せんがためのお祭でありました。お祭でなければ供養でありましょう。供養でなければ
してみればこの地点こそは、日本一の英雄を産んだところに相違ない。そうだとすれば、他所であるべきはずはない、日本国東海道はいつのおわばりの、尾張の国愛知の郡、中村――の里。
木曾でお目にかかった道庵主従、いつか知らず、海道方面へ出て来て、今宵は、ここでこういう催しをすることに相成っている。
道庵先生が、いかなる動機で、こういう催しをするようになったか、それをよく聞いてみれば、必ずや、なるほどと
とにかく現実の場合、祭典の
六
疾風暴雨というのは、いよいよ、これから祭典も本格に入ろうとする時に、この場へお手入れがあったことです。
ここは、尾州名古屋藩の直轄地ですから、お手入れも、たぶんその直轄地からの出張と思われます。今日今宵、この異体の知れぬ風来者によって、一種不可思議なる祭典が、この地に催さるるということを密告する者あってか、或いは最初から、嫌疑をかけてここまで尾行して来たか、そのことは知らないが、かねて林間にあって状態をうかがっていたことは確かです。だが、お手先もまた、この祭典が何のための、何を主体としての祭典だか、一向わからなかったことは、前に述べたと同じことの理由です。
しかしながら、今や、鮮かに木柱が押立てられてみると、証拠歴然です。
だいそれたこの風来者は、人もあろうに豊太閤の供養をしようというのだ。
親類でも、縁者でもあろうはずのない奴が、官憲の
善良なる村の紳士淑女も、秀才も、
世話人たちは腰を抜かして、弁解の余裕がありません。日蓮宗のお寺に属する坊さんは、驚いて立ち上る途端に、せっかく丹念に
しかしながら、それらの災難も、道庵先生の受けた災難に比ぶれば、物の数ではありません。
主催者であるが
祭壇に飾られた、
ただ、問題の
ところで、すべての人は逃げちりました。逃げ散ったものはお構いなし、すでにこの
「こいつは驚いた、こいつはたまらねえ」
道庵は、やみくもに驚いてしまって、
「こいつはたまらねえ、これには驚いた」
と繰返して、ひとりで足をバタバタさせているほかには為さん
ようやくにして、次の言葉だけを歎願することができました。
「どうぞおてやわらかに
さすがに道庵先生は、江戸ッ子です。この場に及んでも、自己の一身上のための
「たわごとを申すな」
と情け容赦もなく捕方は、ポカリと食わせます。
「こいつは驚いた、こいつはたまらねえ」
道庵も混乱迷倒してしまいました。
かかる折柄、米友が居合せなかったことの幸不幸は別として、米友は、さいぜん、木材を持ち
七
その晩のうちに、極めて無事に、名古屋の城下へ護送されて行く道庵と米友を見ます。
名古屋の城下といっても、ここからは、僅かに一里余りの道のりですから、別段、トウマルカゴの用意も要らず、有合せの四ツ手
いい気持になって、ここではじめて道庵は、護送の役人を相手に、自分たちがこのたびの旅行の目的と、併せて、決して自分たちが危険人物でないということの弁明を試みました。
その言い分を聞いてみるとこうです――
それは、東海道でも尾張の国は、中枢の国であって、この国を
ことに道庵の日頃尊敬しておかざる(?)ところの先輩、弥次郎兵衛氏、喜多八氏の如きすら、図に乗って日本国の道中はわがもの顔に振舞いながら、金の
単にそれだけではない、この尾張の国という国は、日本国の英雄の一手専売所であるということ。頼朝がここに生れ、信長が生れ、秀吉が生れた――日本の歴史からこの三人を除いてごらんなさい、あとはロクでもねえカスばかりとは言わねえが、日本の英雄の相場はここが天井だね。
来て見るとあの通りの有様で、村はあるにはあるが、
あれが無事に済んだら、その次は信長、その次は頼朝と
聞いてみれば、エライ物好きのようだが、一応筋は立っており、当人も案外学者だと思わしめられるところもあり、そうして道庵の淡々として
ただ役人を
かくてこの一行は、まだ宵のうち、無事に再び名古屋の城下へ送り込まれました。
八
尾張名古屋の城下へ足を入れたものは、誰もおおよそこの辺に留まって、お城の金の
ただ朝とは言いながら、時刻が少々早過ぎるのと、そのうちの背の高い方の浪士が、あまり近く
「おい、がんりき、尾張名古屋の金の鯱を今日は思い入れ眺めて行けよ」
後ろを顧みて、道中師風の若いのにこう言いました。
その
ここで、南条、五十嵐と、がんりきというやくざ者を見ることは、小田原城下以来であります。
濠端に進み過ぎている傍まで、五十嵐が進み寄って、二人は金の鯱を横目に
わっしゃあ、お前さん方の従者じゃあありませんよ、といったような面をして、こちらに控えてやにさがっているがんりきのやくざ野郎は論外として、南条、五十嵐の二人を、こうして城濠のほとりに立たせて見ると、どうしても尋常一様の旅人ではなく、一種不穏の空気が、二人の身辺から浮き上るのを
単にそれは、ここやかしこに限らず、この二人は、全国的に要害の城という城には特に興味を持っており、城を見ると、何かしら
だが、このところと荻野山中あたりと同日に見られてはたまらない。七百万石の力を以て築き成された六十万石の金鱗亀尾蓬左柳の尾張名古屋の城が、たかが二人の浪士づれに睨まれたとて、どうなるものか。その辺は深く心配するには足りないが、おりから早暁、あたりに人の通行の無きに乗じ、城を横目に睨み上げて、南条、五十嵐の両名が、高声私語する
「家康が、特にこの名古屋の城に力を入れたのは、何か特別に家康流の深謀遠慮があってのことに相違ない」
「僕は、さほど深謀遠慮あっての取立てとは思わない、単に、
「それだけじゃあるまい」
「附会すればいくらでも理窟はつくが、清洲なら清洲で済むのを、あそこは水利が悪い、大水の時には、木曾川が逆流して五条川が
「織田信長が生れたところが、この城の本丸か、西丸あたりにあたるというじゃないか。そうしてみると、やっぱり天然に、大将のおるべき地相か何かが存在していたものかも知れない」
「いずれ、名将や、名城が出現するくらいの土地だから、何ぞ
「しかし、家康のことだから、ここを
「もとより、家康の心事もわからないが、あの時に進んで主力となって、この城を築き上げた加藤肥後守の態度もわからないものだ。そこへ行くと福島正則の方が、率直で、透明で……短気ではあるが可愛ゆいところがあって、おれは好きだ」
「うむ、あれは清正が、
南条は感慨無量の
そこで暫く途切れた二人の会話の後ろには、名城取立て当時の歴史と、人物とが、無言のうちに往来する。
慶長十五年六月二日より事始め。家康の命によって、その第九子義直のために、加賀の前田、筑前の黒田、
なかにも加藤肥後守清正は、父とも、主とも頼みきった同郷の先輩豊太閤歿後の大破局の到来を眼前に見ながら、その遺孤を
豊臣勢力をして、その犠牲を尽さしめた徳川の城。
ここに慶応某の月、今や歴史は繰返して、落日の徳川の親藩としてのこの名城の重味やいかに。
存在の価値の評価は
このほどの、長州征伐の総督の重任を
「どうだ、この城を築く時の加藤肥後守の立場と、最近の長州征伐を仰せつけられた尾張殿の立場と、ドコか共通したところはないか」
「そうさ、今の尾張公は、加藤清正ほどの英雄でない代り、まだ、あれほど突きつめた悲壮な境遇にも立っていない。そもそも、長州征伐は、江戸幕府というものから見れば大醜態だが、尾張藩というものから見れば、成功の部だとされている」
「そうさ、第一次の長州征伐に、一兵を損せずして平和の局を結ばしめたのを成功と見れば、それは尾張藩の成功に違いないが、あれが手ぬるいから、第二の長州征伐が持上って、徳川方があの
「だが、ともかくも、最初の長州征伐の成功を、成功として見れば、これは尾張藩の成功に違いない。まして昔の加藤清正のように、敵対勢力のために、悲壮な心で、火中に栗を拾わねばならぬ
「まあ待ち給え、君は、第一次の長州征伐の成功成功と言いたがるが、あれは尾張藩の功ではないよ、薩摩の西郷が、中に立って斡旋尽力した
「うむ、一方には、そう言いたがる奴もあるだろうが、尾張藩のある者から言わせると、西郷などは眼中にない、もとより、和戦の交渉一から十まで尾張藩一箇の働きで、長州の
「つまり、それも一方から見れば、この城に、意気と、人物がないという証拠になる。もしこの城に、会津ほどの気概があり、西郷ほどの人物がいたら、金の
「ところが、この城の金の鯱があんまりまぶしくない。
「そうさ、頼みになりそうでならない、その点は、表に屈服して、内心怖れられていた、当時の加藤清正あたりの勢力とは、比較になるものではない」
「思えば、頼みになりそうでならぬのは親類共――水戸はあのザマで、最初から徳川にとっては
「かりに誰かが、徳川に代って天下を取った日には、ぜひとも、加藤肥後守清正の子孫をたずね出して、この名古屋城をそっくり持たせてやりたい」
こうして南条と、五十嵐とは、城を
そのあくびで、二人の
「先生、そんな英雄豪傑のちんぷんかんぷんは、わっしどもにゃあわからねえ。下町の方へおともがしてえもんでございますね、そうして
それを聞いて南条が、
「は、は、は、英雄豪傑は貴様にはお歯に合うまい、熱田のおかめか、堀川のモカといったところが分相応だろう」
「え、え、その通りでございます。何でもようござんすから、早くその名古屋女のお尻の太いところをひとつ、たっぷりと見せてやっていただきたいもんでございます」
「まあ、待っていろ、女はあとでイヤというほど見せてやるから、もう少し念入りに、あの金の
「金の鯱なんざあ、さっきから、さんざっぱら眺めているんでございます、いやによく光るなあ、と思って眺めているんでございます、つぶしにしてもたいしたもんだろう、と考えながらながめているんでございますが、いくらになったところで、こちとらの懐ろにへえるんじゃねえとも考えているんでございます、いくら金であろうと、銀であろうと、眺めるだけじゃ、げんなりするだけで、身にも、皮にも、なりっこはありませんからなあ」
「は、は、は、弱音を吹いたな、がんりき、実はお前をここまで引張って来たのは、我々が英雄豪傑の講釈をして聞かせるためではないのだ、お前に、あの金の鯱を拝ませてやりたいばっかりに連れて来たのだ」
「そりゃ、有難いようなもんでございますが、もう金の鯱も、このくらい拝ませられりゃあ満腹なんでござんすから、そのモカの方をひとつ、見せてやっていただきてえと、こう申し上げるんでございます」
「まだまだ、貴様、そのくらいでは、あの金の鯱が
「このうえ睨んだ日には目が
「なあに、そんなことがあるものか、貴様の眼のためにはいっちよくきく薬だろう、さあ、もう一番、うんと眼を
「もうたくさんでございますってことよ、眼を据えて見たって、すがめて見たって、あれだけのものじゃございませんか」
「ちぇッ、日頃の口ほどにない、たあいのない奴だ、いったい、がんりきともあるべき者が、尾張名古屋の金の鯱を見るのに、そんな眼つきで見るという法はあるまい」
「だって、旦那、こうして見るよりほかには、見ようは
「もっと眼をあいて見ろ」
「眼をあけろったって、これよりあけやしませんよ」
「そんなことで見えるものか」
「見えますよ……」
「なあに、そんなことで見えるものか、さあ、こうして頭を真直ぐに、
「そんなことをなさらないでも、がんりきは
「そのがんりきを見直せ、あの天守は、下から上まで何層あると思う――」
「そりゃ、下の石畳から数えてみりゃ五重ありますよ、その五重目の屋根のてっぺんに、金の鯱が向き合って並んでいやすよ、南が雌で、北が雄だということでござんす、ああ見えても、雄が少し
「よしよし、それはその辺でいい。それから一つ、引続いてがんりき、貴様に少したずねたいことがあるのだ」
「改まって、何でございますか」
「貴様は、それ、柿の木金助のことを詳しく知ってるだろう」
「え、なんですって?」
がんりきの百蔵は、
「柿の木金助の一代記を、お前は詳しく知っているだろうな、がんりき」
「柿の木金助ですって、そりゃ何でございます、ついお見それ申しましたが」
「知らんのか」
「え、存じません、一向……」
「商売柄に似合わねえ奴だ、貴様は」
南条にさげすまれて、がんりきは一層とぼけ、
「そうおっしゃられちまっては一言もございません、何しろがんりきは、御覧の通りの
「字学の方じゃないのだ、
「ところがどうも、全く心当りがねえでございますから、お恥かしい次第でございます」
「ほんとうに知らねえのか、のろまな奴だな」
「これは恐れ入りますな、知らずば知らぬでよろしい、のろまは少し手厳しかあございませんか。いったい何でございます、その柿の木てえ奴は……」
その時に、南条に代って五十嵐甲子男が、いまいましがって、
「ちぇッ、知らざあ言って聞かせてやろう、柿の木金助というのは、あの金の鯱を盗もうとして、
そこでがんりきの百蔵は、
「ははあ……」
と、仔細らしく
「なるほど、なるほど、そんな話も聞きましたねえ、凧に乗って尾張名古屋の金の鯱を盗みに行った奴があるてえ話は、
「柿の木泥棒と言う奴があるか、柿の木金助だ、貴様にでも聞いたら、少しはわかるかと思ったのだ。あの柿の木金助という奴は、どういう思い立ちで、あの金の
「どうも相済みません、子供の時分から、柿の木から落っこちると中気になる、なんぞとオドかされていたものですから、柿の木の方にあんまりちかよらなかったせいでござんしょう。ですが旦那、その凧に乗ったてえ奴は、作り話じゃございませんかね」
「いいや、まるっきり作り話とは思えないよ、事実、三州からこっちの方へかけては、大きな凧が
「ですけれど、凧に乗って、金の鯱を盗もうなんかと、そいつぁ、ちっと……かけねがあり過ぎやしませんかね」
「がんりき、貴様には、そんな芸当はできないか。凧に乗らないまでも何とかして、あの金の鯱に食いついてみてえというような
「は、は、は、は」
がんりきが遠慮なく、高笑いをしてしまったから、五十嵐甲子男が、
「何がおかしいのだ」
「だって、先生、あれこそ、ほんとうに高根の花でござんすよ」
「貴様には、手が出せないというのか」
「エエ、あればっかりは手が届きませんねえ」
「いよいよ意気地のない奴だ、柿の木金助の爪の
「旦那、そりゃ今いう通り、柿の木泥棒のことは作り話ですよ、そりゃあ、柿の木泥棒とかなんとかいう奴があるにはあったんでしょうがね、そいつへ持って行って、誰かが弓張月をくっつけたんですね。そんな作り話を引合いに、がんりきのねぶみを比較していただいちゃあ、迷惑千万でございますね」
「三田の薩摩屋敷には、慶長元和、太閤伝来の
「けしかけちゃいけません、旦那」
「けしかけたって、抜けた腰が立つ奴でもあるまい、まあ腰抜けついでに、見るだけでももう少し丹念に金の鯱を見ておけ。どうだ、朝日にかがやいて、いよいよ光り出してきたぞ、まぶしいなあ。初雪やこれが塩なら
「ほんとうにムクでござんすかねえ。ムクは評判だけで、実はメッキだってえじゃありませんか」
「ばかを言え、南の方の奴は高さが八尺一寸、まわりが六尺五寸、
「本当にムクなら大したものでござんすが、割ってみなけりゃ何とも言えますまい、金ムクと思って、中からあんこが出たりなんぞしちゃあ、あーんのことだ」
「つまらない
「どうですかね、あなただって、見本を一枚取寄せて、削って御覧なすったわけでもござんすまい。それにあの通り、金網が張ってあるじゃござりませんか」
「あれは、例の柿の木金助が取りに行くようになってから、あの金網を張ることにしたのだ」
「へん、そうじゃござんすまい、鳩が巣を食ったり、野火の燃えさしをくわえて来たりなんぞするものですから、火事をでかすとあぶないから、そこであの金網を張ったんだと、こちとらは聞いておりましたよ。まあ、何と先生たちがおっしゃいましても、がんりきはやりませんよ、はい、腰ぬけとおさげすみになっても、苦しうございません」
「意気地なしめ!」
「へ、へ、へ、その辺は意気地なしで納まっていた方が無事でございますが、納まっていられねえところにがんりきの持って生れた病というやつがございますから、その方でたんのうを致したいと、こう考えています。金の鯱はもう満腹でございますが、実のところ、がんりきは、そのかたかたのほうにはかつえきっておりますよ。先生方は先生方で、何ぞというとがんりきを
「たわけ者!」
五十嵐から小突きまわされて、がんりきが、
「へ、へ、へ、旦那方は女の事と言いますてえと、よく、がんりきを小突き廻したりなんぞなさるが、失礼ながら、旦那方だって聖人様ではござんすまい、昨晩も熱田の宿で聞いていりゃあ、ずいぶん、隅には置けねえお話を手放しでなさりやす……曲亭の文にも、人ノ家婦ニ
こんなふてくされを言いながら、二度目の目つぶしを用心して、がんりきが、素早く身をかわしてしまう。
九
この晩、二の丸御殿の
誰いうとなく、この名古屋城の城内と城下とを通じて、第一等の美人は、さあ、どなたでしょう――今晩ここで、その
ようござんしょう、至極賛成でございますね。ごらんなさい、雨が降って参りましたよ、あつらえ向きじゃありませんか、
雨は、この時にはじめて降り出したのではありません、
そうですね、いつぞやも御天守の
「賛成、賛成、大賛成ですね」
そこで、奥女中たちの選挙がはじまる。
城内と城下とを通じての美しいほうでの第一人者――という
城下の町人のうちでも、それといえば誰も
つまり、最初は、名古屋城の城内はもとより、城下町
「皆さん、無駄だから、そんなついえな評定はもうおやめなさい。美人の相場だって、そう一年や二年に変るものじゃありませんよ。聖人というものは千年に一度、天成の英雄と、美人とやらは、百年に一人か二人――しか生れるものじゃありませんから、相場はきまったものでございますよ」
最初から、若い者たちの、やかましい品定めを冷淡にあしらって、何とも言わなかった中老の
「おや、醒ヶ井様、何をおっしゃいましたか」
「天成の英雄と、美人というものは、百年に一人か二人――しか生れるものじゃありませんから、一年や二年に相場が狂うはずはありませんね、ですから、二と三は皆様の御随意にお選びなさい、一は動かすことはなりませんよ」
「一は動かせないとおっしゃるのですか」
「つまり、名古屋第一等の美人の極めは
醒ヶ井の権高い言いがかりと、五年前という言葉が、せっかくの一座の意気込みを、くじいてしまいました。
「それは、どなたでございましたか知ら」
「
「でも、それは、五年前のお話じゃありませんか……」
と、初霜というのが少しばかり張り合う。醒ヶ井は決して負けてはいない。
「だから、言うじゃありませんか、第一の位は、そう一年や二年に変るものではないと。わたしから言わせると、やっぱり今日でも、銀杏加藤の奥方につづく二と三はありますまいね。でも、それではあんまり興が無いから、仮りに二と三をつづけることにして、お選びなさい」
そこで、初霜もだまってはいない。
「それはそうかも知れません。ですけれども、それはやっぱり五年前の番附で、あれから新顔が出ないとも限りませんもの。よし出ないにしたところで、
「おや――あの奥方は名古屋にいらっしゃらない? でも、御良人も、お屋敷も、変りはないのに、江戸への御出府や、一時の道中は、
「ええ、名古屋にもいらっしゃいません、お江戸へもおいでになっていらっしゃるのではございません」
「では、お亡くなりになったの?」
「いいえ……」
「どうしたというんでしょうねえ」
「ホホホホ、
今度は、初霜が逆襲気味で、醒ヶ井の
「五年前のことでは、わたしたちは一向に存じませんもの……」
「わたしは、
「でも、名古屋にいらっしゃらないのなら、新しく別に選んでも、失礼にはなりますまいか知ら」
新進がようやく頭をもたげそうにするのを、醒ヶ井は、いっかなきかず、
「いけません、たとえ、どちらにいらっしゃろうとも、あの奥方が生きていらっしゃる以上は、他人に第一の席は、わたしが許しません、この醒ヶ井が許しません」
「皆さん」
この場合、初霜は新進を代表している形勢であると共に、新進を教育せねばならぬ責めも感じているように、多勢の方へ向き直って、
「醒ヶ井様が、ああ、おっしゃるのも御無理はございません、それは、あなた方のうちにはお聞きにならない方もあるかも知れませんが、銀杏加藤の奥方が、名古屋第一の美人でいらっしゃるということは、醒ヶ井様お一人の
「いいえ、年は標準になりませんよ」
初霜の、充分に
「わたしは、四十になっても、五十になっても、本当の美人の美というものは、衰えるものじゃないと思います、年によって盛衰のあるのは、売り物の花だけでしょう、教養の高い美は、いくつになっても衰えは致しません」
「でも、醒ヶ井様は、五年以来、あの奥方の御消息を、御存じないとおっしゃってじゃありませんか」
「それは存じませんけれど、存じておりましても、存じておりませんでも、美しいものは、美しいに相違ございません」
「そうおっしゃれば、それに違いはございませんけれど、それほどまでに
「城下にはいらっしゃらないのですか」
「ええ」
「では、犬山に?」
「いいえ……
といって、それからひとしきり、その五年前に、名古屋一等の美人だという
前に言った通り、この席には、銀杏加藤の奥方の身の上について、予備知識を持っている若手も多いことでしたから、勢い、それは最初の
奥方は
「もうこれで、家の血統のことも心配はなし、わたくしも、妻としての、一応のつとめを、あなたに捧げたつもりでございます、かねてのお約束の通り、ここで、わたくしにお
といって、ようやく加藤家を去ってしまったのは、つい近年のこと。
これが、奥方が結婚最初からの約束でもあり、自分の理想でもあったらしく、そこに引籠って、その生活を楽しみ、仏学を
主人へは、そのお気に入りの者で、
それは上述の如く、結婚以前に、
惜しいという者もあるし、惜しからずという者もある。
同じ隠退なら、尼寺にでも入りそうなものを、あの水々しさそのままで行いすまされようとなさるのはあぶない。
銀杏加藤の家ではない、実は夫人の生家の方が、加藤肥後守の、現代に於てはいちばん血統に近い家柄であるということは、誰も言うことらしい。
名古屋に加藤家も多いけれど、系図面から純粋に、最も由緒の正しい加藤肥後守の
その時、急に、何か思い出したように、醒ヶ井が立ち上って、自分の部屋へ取って返したかと思うと、一枚の折本を手に持って、
「皆様、これを御覧下さい、五年前のその時の、これが問題の品定めでございます」
投げ出された一枚の大判の紙の折本になったのが、少なからず一座の興を集めたのを、初霜が早速受けて、披露にかかりました。
「むむ、これこれ、これを、あなた様がお持ちでしたら、もう少し早くこの場へお出し下さればよいのに」
「ついして、今まで忘れておりました」
真先に開いて一通りながめ渡した初霜は、改めてそれを新進の者に示し、
「皆様、よく御覧下さいませ、これが五年前の、名古屋美人の本格の品定めでございますよ」
「どうぞ、お見せ下さいまし」
金魚が
そうして、この番附面の極印、やはり銀杏加藤の奥方が
ここは動かないところでしょうが、これはどうか知ら、あの方をこんなところへ持って来るということはありません、選者のおべっかでしょう、それにあの方がこんなに下げられていてはおかわいそうよ、このお方わたしは存じ上げません、江戸表においで? え、おなくなりになりましたか、それはそれは――というようなあげつらいから急に声を落して、まあ、春花楼のお鯉がこんなところに――西川の力寿、あれは京者ではありませんか、徳旭の三吉――礼鶴の千代――
そこで、結着はこれを基礎として、新たに修正し、遊女売女のたぐいは削除して、権威ある新番附を編成しようということに、動議がまとまったらしい。
その修正委員も、書記長も、指名されたり選挙されたりして、おのおの一方ならぬ意気込みでありました。
つまり、名古屋は美人の本場であって、ここで推薦された第一は、天下の第一流であり、ここの幕内は、日本国中の幕の内であり得る資格が充分だとの自負心を以て、慎重に査定を加えた上に、今宵、この場限りの品さだめでなく、広く天下に向って公表しても恥かしくないものを作り出そうとの異常なる興味が、一座を昂奮させてしまったものらしい。
そこで、その夜のうちに、あらましの修正案を、別に一枚の紙に
十
その翌朝、これらの連中がようやく起き上って、お化粧にかかろうとする時分に、意外の警報が伝わりました。
「皆様のお部屋には、別に変ったことはございませんか」
当番の老卒が触れて廻ることが、少なからず朝の空気を動揺させる。
「何でございますか」
「今朝、その、お花畑の様子がどうも変だものですから、それを伝って行って見ますと、
宿直の老卒から、かく申し入れられて、それではという気になりました。しかし、単に駄目を押すだけのことで、異常があれば、こうして他から念を押されるまでもなく、おのおのの身辺に敏感なはずの奥女中たちが、とうに気のついていないはずはありません。ですから、ただせっかくの調査に対しての申しわけだけに、おのおの、持場持場、自分所有の品々について吟味をしてみたけれども、なんら怪しむべきものを発見しませんでしたから、初霜が代表して、
「御苦労さまでございます、長局の方には、一向に異常がございません。どこといっていたんだところもなければ、誰の一品といって、失せたものもございませんそうで……」
そこで断言して、ねぎらいかえそうとした時に、末のはしためが一人、
「あの――昨晩、皆様が
なるほど、昨晩あれほどの興味を集めた産物、長押へ掲げてあの席の
昨晩のうち、あれに手をつけた者がないとすれば、今朝に至って、誰か気を
だが、だれかれとたずね廻っても、一向に
誰ひとり、剥がしたという者もない。
そのうちに、昨晩の
ことに醒ヶ井側は、このごろヒレがついて、自分に
番附の紛失が、奥女中同士の中へ、こんな暗雲を捲き起し、深い堀をこしらえようとはしているが、もし、これが仮りに番附の紛失だけにとどまって、長局全体の被害が救われたこととすれば、
たとえば、化政から天保の頃にはやった、大名高家の大奥や、
だが、有ったものが無くなったということは気になる。場所柄が長局であるということと、それと、ここでは誰も知った者のあろうはずはないが、昨今、この城下へ姿を現わした、あのイケしゃあしゃあとした、いや味たっぷりの、色男気取りの、向う見ずで、意気地なしの、がんりきの百というやくざ者の姿を思い浮べてみると、いい気持はしない。場所も場所、時も時、野郎またやったかなと、知っている者は
果して、その翌日、
「おっと、
問屋町の青物市場から来た青物車を避ける途端に、取落したその紙を、がんりきは、あわてて拾い上げたのを見ると、何かしらの番附らしい。
さてこそ、昨夜の長局の紛失は、まさしくこやつの
だが、こやつとても、あの晩の品定めがあることを、あらかじめ
これは何か別の
そこで、多分、このほかには被害は無いでしょう。ありとすれば、あの番附二枚が、今はいかなる手品の種に使われるかというだけのことです。
このやくざ者のことだから、この番附をたよりに、名所廻りでもする気になって、番附面の美しい人たちを
そこで、今も、青物車に突き当ろうとしたことほど一心に、番附面に
「次第御免」
と真中に大きく、
「名古屋分限 見立角力 」
少し変だと思って、なおよく見ると、
「大関、内田忠蔵――勧進元、伊藤次郎左衛門」
おやおや、この番附は違う。十一
その夜、山吹御殿の一間に、経机に
この女性が、見入っている紋ちらしの襖は、古色を帯びた金ぶすまで、その上に、紫で彩られた
五条川の水の音も静かだし、古城址に
右の桔梗と、蛇の目の紋散らしの襖の外で、その時軽く
絵のような時代のついたこの御殿の一間に、ただひとり、歌を思うているとばかり思うていると、今の軽い咳。軽いというよりは、病人を暗示するような咳によって見ると、次の座敷に人がいる。
二三度、軽く咳入って、それから静かな寝返り。どうしても病める者の
それだけで、また、ひっそりと元に返ったけれども、歌を思うには、少しさわりになったと見えて、
「
「いいえ――」
かすかながら返事がある。それは果して病人である上に、幼い人であるらしい。
その時、夫人は、
床の間には
その肩衣も至って古風で、髪も
よく見ると、肩衣の武将の
そうだ、桔梗の紋が示している通り、それは加藤肥後守清正である。
世の常の
その画像の前には
そこで、再び歌を思うことに気分を転じようとつとめる途端、ふと何かの気配を感じて、縁に沿うた
「誰じゃ」
手にしかけた筆の軸を置いて
同時に、ちらと長押の上を見やったところには、薙刀がある。
「誰じゃ、それへ見えたのは」
「え、深夜のところをお邪魔を致しまして、まことに相済みませんことでございます」
いやに、しらちゃけた返事が、何ともいえないいやなすさまじさを与える。
「え、誰じゃ、何しに来ました」
さすがの夫人も、最初の凜とした声の
「御免下さいまし、御免下さいまし」
「おお、そちは
「はい」
「無礼をすると許しませぬぞ、何ぞ用事があらば、それにて申してごらん」
「え、え、別に用事といって上った次第ではございませんが……またこの通り丁寧に御挨拶を申し上げてるんでございますから、決して御無礼なんぞを致すつもりもございません」
「深夜人の住居をおかす、それが無礼でなくて何であります」
「え、それは、その、
「あ、わかりました、そちは金銀が欲しいのだろう、金に困って、盗みに来たものだろう」
「え、左様なわけでもございません、それは時と場合によりましては、ずいぶん、お金が欲しくて、皆様のところへ頂戴に上ることもないではございませんが、今晩、このところへ参上致しましたのは、お金が欲しいためではございません、お金が欲しいくらいならば、この
「憎い奴じゃ、何のたくらみあって、これへ来ました、一刻も早く立去らねば、容赦はしませぬぞ」
許すまじき
「奥様……実のところは、ふとした縁で、
「お黙りなさい!」
その時、夫人の手にあった
あとでは静かに薙刀の
十二
暫くしてから夫人は、
「伊津丸――もう寝ていますか」
静かに隔ての
「やっぱり、眠っていますね、今の騒ぎも知らないで、そんなによく眠れるのがよいのやら、悪いのやら」
屏風の外に立って、内をのぞくような心持。
全く、今のあれほどの突発事件を、一切知らぬほどに眠っていたとすれば、それは、たとえ病人ではあるにしても、それにしても、たよりが無さ過ぎるほど無神経ではある。ほんとにやる瀬ない、たよりない色を、さっと
「ねえ伊津丸、このごろ、人の話にきけば、信濃の国の
眠っていると知りつつ、こんなように
「お姉様、あなたが、一緒に、いらしって下さるところならば、どこへでも参りますが……」
「おお、お前、目がさめていましたか、そうして、その白骨というところまで行ってみる気になりましたか」
「お姉様の
「では、お前、白骨へ行きますか」
「はい……」
「といって、すすめたわたしが、お前に素直に同意をされてみると、また二の足を踏みたいような心持。話の上では、どうにでもなるけれど、事実、ほんとうに、病人のお前と、女の身のわたしとが、その白骨まで行くのは、生きながら命がけの旅ではないか知ら、と思われないでもありません」
「御迷惑なことでしょうね……」
「でも、そこへ行ってほんとうに、お前の病気に
「ハッコツとは、どういう字を書きますか」
「シラホネと書くのです、白い骨という字だから、ぞっとするではありませんか」
「名は何でもかまいません。それでも、お姉様、あなたがお気が進まないならば、わたしもいやです」
「気が進まないというわけではありません、いっそ、気はハズミ過ぎているくらいですから、すすめてもみたのですが、場所が場所だけに、二の足も踏むのです」
「白骨の湯もいいでしょうけれど、わたしは正直にいえば、お姉様と、肥後の熊本へ行きたいのです」
「熊本へですか」
「ええ」
「だって、熊本には、お前の病気を療治するようなところは、ないじゃありませんか」
「でも、わたしは、尾張の国の名古屋城下で死ぬよりは、肥後の熊本で死にたいのです」
「いいえ、お前はまだ、死ぬということを言ってはなりません、それを思ってもいけないのです、ですから、熊本へはやれません」
「阿蘇の山ふところには、湯の谷だの、栃の木だの、戸下だのという温泉があると聞きました、白骨へ行く代りに、そちらへ行って済むものならば、そちらへ行きたいと思ったばかりです、深くお気にかけなさいますな」
「お前は、熊本が好きですか」
「御先祖の地だということが、どうも、絶えずわたしを引きつけて、どうしても肥後の熊本が、墳墓の地のように思われてなりません」
「御先祖の地は熊本ではない、この尾張の国が、本当に、御先祖の発祥地だという気にはなれませんか」
「どうも、それが……どうしても、そういう気になれないで、熊本が、ほんとに慕わしい故郷の地……というような気ばかりしてならないのです」
「お前までがそれだから、縁があって、縁の無い土地というものは仕方がありません。ほんとうに、よく覚えておいでなさい、加藤という加藤家は多いけれども、清正公の最も正しい血筋を引いたのは、お前だけですよ、お前が亡くなると、加藤清正公の正しい血筋は絶えてしまうのです。そのお前が……お前に加藤家の血統を絶やさないようにと、わたしがどのくらい苦心をしているか、それをお前にわかってもらわなければなりません。加藤清正は、秀吉公の御親類で、まさしくこの尾張が故郷であるのに、あの名古屋の城の天守も、清正公が
十三
「久しぶりにお目にかかります、私は弁信でございます。どうぞ皆様、御心配下さいますな、これでも旅には慣れた身でございます、旅に慣れたと申しますよりは、生涯そのものを旅と致しておる身でございます、生れたところはいずことも存じませぬように、終るところのいずれなるやを、想像をだに許されていないわたしの身の上でございます――はい、甲州、有野村の藤原家を尋常に、お暇をいただいて出て参りました、御縁があればまた立帰って、御厄介になると申し残して出て参りました。お銀様のことでございますか。あのお方は泣いておいでになります、あれ以来、毎日泣きつづけておいでになります。あのお方のは、悲しくて泣くのではございませんよ。無論、嬉しくて泣くのではありません。どうして、泣くのです。どうして、今になって泣かねばならないのですか。火事の前後のことは、わたくしがここで申し上げませんでも、皆様、たいてい御推察のことと存じます。あの前後には、お銀様は泣けなかったのです、それから三日目でしたか、あの日からお銀様が泣き出しました。泣き出すと、どうしても止まることができません、わたくしも、それをお止め申すことができません、大河の
どうして、また今時分、信濃の国の白骨の温泉なんぞへ行く気になったのか――それは一言でお答えを致すことができます。お雪ちゃんがいるからでございます、あの子がしきりに、わたくしを招くものでございますから――といったところで、手紙を一本もらったわけでもなし、飛脚が届いたというわけでもありませんが、どうも、あのお雪ちゃんが絶えず、わたくしに呼びかけているのが、かわいそうで、気の毒で、たまらない気がするものですから、どうしても行って上げたい気になってしまいました。私の逢って上げたいと思う人は、お雪ちゃんばかりではありません、清澄の茂太郎、あの子にもめぐり逢いたくってたまらないのですが、逢いたくって逢わずにいるうちにも、あの子のは心配はありません、あの子はどこへ行っても人に可愛がられます、人に可愛がられ過ぎるから、人以外の者にかえって親しみを感ずるような子供でございますから、高山深谷、あるいは大海原の
十四
白骨の温泉では、いたずら者の北原賢次が、例の
見るところ、やや大きな小鳥籠が三つあって、その中に都合十羽ほどの鳥がいます。その鳥はみんな鳩です。
十羽の鳩を前に置いて、北原賢次は
そんなことが、この冬の温泉ごもりには、結構な退屈しのぎになるらしい。小鳥を前にして、しきりに白樺の皮をなめしていると、
「北原さん――」
という覚えの声。
「おや、お雪ちゃんじゃありませんか」
賢次は白樺をなめしていた手を休めて、全く物珍しそうにこちらをながめ、
「珍しいじゃありませんか」
「お一人ですか、何をなさっていらっしゃるの」
「お雪さん、まあおはいりなさい、いま拙者がしきりに工夫を
「お火がありましたら、少し頂戴させていただきとうございます」
「火ですか――」
北原賢次は今更のように炉中を見ると、よく枯れた木の根が煙を立てずに赤い炎を吐いている。
「有りますとも、この通り。お持ちなさい、いくらでも」
「ほんとにわたしの部屋は変なのです、いくら炭をついでも、立消えばっかりしてしまいますものですから」
「それはいけません、炭が悪いんでしょう、火種ばかりよくっても、炭が悪くっては持ちません」
「炭だって、そう悪い炭じゃないようですけれど、
「では、炉がいけないのでしょう、下に抜穴があるか、或いは水分がしみ込むように出来ているのかも知れません」
「いいえ、見たところ、異状はありません、それに三階ですから、水の来る心配はないはずです、おおかた、部屋が陰気に出来ているせいなんでしょう」
「陰気――或いはそうかも知れません。陰気といえば、お雪さん、あなたこそ、ちかごろは、めっきり陰気が
「有難うございます、自分では、そんなつもりはないのですが、皆さんがそうおっしゃって下さるので、いやになってしまいます」
「あんまり一間にたれこめて、御病人の看病ばかりなさっているからです、たまにはこっちへ出て来て、この
「それでも、何かと忙しいものですから、つい」
「何が忙しいことがあるものですか、忙しいほどの仕事がおありなさるなら、人にぶっかけておやりなさい、拙者なんぞにも、手伝わせてやって下さって差しつかえはございません」
「どうも、皆さんがお集まりのところへ出るのが、気のせいか、ひけ目に思われるようになりました」
「まあ、お話しなさい、火種はいつでもありますよ、この炉の中の火は、
と言いながら、火箸を取り直そうとする途端、薄目になめした白樺の皮が、
「おや――」
お雪は蛇にでも
「何になさるのです、白樺の皮じゃありませんか」
「ええ、ちょっと手ずさみです。いや、手ずさみではありません、これからは一世一代の発明として、実用に供してみようという準備の細工なんですが」
「まあ、鳩をみんなお出しになって、並べてしまいましたね」
「ええ、その鳩のために、この白樺の皮の工夫があるのです」
「何になさいます」
「まあ、おすわりなさい、少しぐらいいいでしょう、ほんとに暫くでしたから、まあお話ししていらっしゃい、お茶をいれて、
「どうぞ、おかまい下さいますな」
「まあ、お話しなさい、それに、この大発明について、あなたのお知恵も拝借したいと思っていたところですから」
「わたしに知恵なんてございませんが、当ててみましょうか」
「当てて御覧なさい」
「この鳩に持たせる軽い
「
賢次は、わが意を得たりとばかり喜んで、
「お雪ちゃんの頭のいいことは、今に始まったことじゃないが、全く恐れ入ったものです、それに違いないのです、よくそこまで想像が届きましたね」
「なに、頭のいいこともなにもあるものですか、あなたはこのごろ、しょっちゅう、そうおっしゃってじゃありませんか、この三つの
「そうでしたかね、そんなことを口走りましたかね、あんまりのぼせていたものですから、自分では気がつきませんでした」
「そうして、御工夫がつきましたの、その発明とやらが
「成就はしませんが、目鼻は明いたようなものです、御覧なさい……」
北原賢次は、薄目になめした皮で、小さな目籠のようなものを仕立てたのを、取り上げてお雪の目の前に出し、
「これなら、この平和の使に持たせてやっても荷にはなりますまい。この程度に薄めて、この裏へ通信の文字を
「可愛らしい文箱ですね」
「お使者が可愛らしいから、文箱もそれに準じてね」
「ですけれども、これでは字を認めるところが、あんまり狭いではありませんか」
「その辺が精一杯ですよ、それより広くした日には、使者に持ちきれません」
「これでは、三十六文字ぐらいしか書けませんのね」
「眼鏡をかけて書けば、百字は書けますよ」
「でも、せっかくのたよりに百字ぐらいでは、何にも、言いたいことが言えないじゃありませんか」
「それはお雪ちゃんのような、文章家には、ずいぶん不足でもありましょうが、きんきゅうの用事ですと、百字書ければ大抵の要領は書けますからね」
「ねえ、北原さん」
お雪は何と思ったか、腰を落着けるようにして、籠の中の鳩を見ながら賢次の方にすりよって――
「北原さん、今わたしも思いついてよ、この鳩と、その文箱を、わたしにも貸して下さらない?」
「ええ、お貸し申しますとも、これだけあるのですからお望み次第です」
「どうぞお貸し下さい、わたしは、この鳩に頼んで上野原まで使に行ってもらいましょう、それともう一箇所は房州まで……」
「そいつはいけません、鳩というやつは、よく使をするにはしますけれども、無条件でどこへでも行くというわけにはいかないのです、ある特定の場所のほかへは、自由に使命を果しに行く能力がありません、そこが畜生の悲しさですね」
「でも人間と違って、羽で行くんですから、どこへでも行けそうなものですのにねえ」
「それが実際そうはいかないので、この籠の分は
「女は鳩より馬鹿だといいますからね」
「何をおっしゃるんです」
北原賢次が、
「それでもなんでもかまいませんから、わたしはそれを一つ拝借して、手紙を頼んでやってみましょう」
「それを御承知ならおやすい御用です。では、どちらにしてみますか、飛騨の平湯行に致しますか、それとも信州の松本、あるいは、やや遠く離れて尾張の名古屋」
「ええ、それでは尾張の名古屋行を一つ、お貸し下さいましな」
「よろしい、承知しましたが、しかし、お雪ちゃん、あなたは名古屋に、お知合いがありますか」
「いいえ、少しも知った人はありませんけれど、弁信さんに宛ててみましょう」
「弁信さんというのは?」
「あたしのお友達よ」
「へえ、あなたのお友達の弁信さん――
「ええ、全く、わたし、世の中に弁信さんほど、よい人は無いと思いますわ」
と、お雪が言い出したものだから、北原賢次が再び
「へえ、弁信さんてのは、そんなに、いい人なんですか」
「全く、この世の中に、あんないい人はありません」
「驚きましたねえ」
北原の方がかえっててばなしになって、驚いてしまったが、お雪はいっこう平気で、
「ですから、わたし、毎日毎日、
「へえ――驚きましたね」
北原賢次は三たび手放しで、あっけに取られました。
しかし、北原はそだちがいいから、下品な冷やかしを打込む男ではありません。
「それはそうとして、お雪ちゃん、鳩の方はとにかく、この名古屋行の分を貸して差上げましょう、この鳩は、尾張の名古屋までしか行かない鳩だということを、忘れてはいけませんよ」
「それはただいま承りました」
「しからば、その弁信さんというのは、ドコにおいでなさるのですか」
「それは、わかりませんけれど……」
「その居所のわからない人のたよりを、名古屋へしか行かない
「それでも、弁信さんは、しょっちゅう旅をしつづけている人ですから、もしかして、途中でこの鳩にでくわさないとも限りませんわ」
「心細いような、大胆なようなおたよりですね、もしかしての範囲があんまり広いのに、鳩の行程が定まり過ぎています」
「それでもかまいません、もしかして、わたしからの弁信さんへの手紙が、途中で、ほかの人に渡っても、その人が弁信さんへ届けて下さるかも知れませんもの」
「かも知れないことを、たよりになさるなら、いっそ、この鳩が途中下車した時に、ちょうど旅をして休んでいた弁信さんとやらの頭の上へ止まるかも知れません、と言ったらいかがです」
「そんなことも無いとはいえませんのよ」
「いよいよたよりないことですね、ほとんど当てのない海中へ、石を投げ込んで鯛を取ろうというような目あてですね」
「でも弁信さんは別物よ、あの人は、とても勘のいい人ですから、この鳩が、わたしからのたよりを持っていることを、頭の上を飛んで行く音で、ちゃんと聞きわけるかも知れませんのよ」
「ははあ、超人間の働きですねえ、第一、頭の上で飛ぶ音を聞きわけるというのが
「ところがね、弁信さんは眼が見えないんですよ、北原さん」
「え」
「あの人は、眼が見えない代りに、勘がおそろしくいいんですから、わたしのたよりを持った鳩と行逢えば、その羽の音で、きっとさとってしまいますわ」
「驚きましたね、いかに勘が鋭敏だといって、それが本当なら、まさしく超人間です」
北原が、やや茶化し気分のいい気持で相手になっていると、お雪ちゃんはいよいよ真剣になって、急に思いついたように、
「あ、そうそう、そういう場合は、弁信さんよりも茂ちゃんだと一層いいわ、あの子ならこの鳩を呼び寄せてしまいます」
「何ですってお雪ちゃん」
「あの茂ちゃんて子が、もし弁信さんと一緒なら
「茂ちゃんとは、何者です」
「可愛ゆい子で、弁信さんと大のなかよしですが、もし二人が一緒にいてくれると、弁信さんがこの鳩を勘でかんづいて、茂ちゃんに耳うちをすると、茂ちゃんが口笛を吹いて、この鳩を呼びとめてしまいます」
「なんだか、お雪ちゃんの話は、
「いいえ、茂ちゃんていう子は、それは不思議な子よ、どんな荒い獣でも、空を飛ぶ鳥でも、地に
「ほんとうにお雪ちゃんの
「つき合ってみれば、ちっとも変っていないんですけれど、聞いてみると、とてもよりつけない人たちのように思われましょう」
「何しろ、その弁信さんと言い、茂ちゃんと言い、人間界の
「そう見えますか知ら」
「見えますとも」
「見えないはずなんですがね、わたしこそ、世間の娘さんと全く同じことよ、心立ては悪かないけれど、そのくせ意気地なしで、自分には何の力もないのに、人様の面倒を見て上げたかったり、頼まれるといやと言えなくなって、あとでよけいな心配をしたり、好きになると、どうしても離れられなくなったり、からきし意気地なしの、お人よしなんですけれど……」
「どうして、そんなどころじゃありません、お雪ちゃんぐらいよく出来た娘さんは、全く珍しいと皆が言っています」
「この山の中では、珍しいんでしょう」
「ははは、お雪ちゃん、なかなかそらさない、そこがいいところだ」
「全くわたしはお人よしね、自分でもそう思いますけれど、強い人にはなかなかなれませんからあきらめています」
「ところがね、その人のいいところに、何ともいえぬつよみがあるのですよ、いわば
「ちっとも存じませんでした、わたしにそんな強味があることを」
「ちっとも存じないところが強味なんですよ、これを存じていてごらんなさい、ツンと取りすましてみたところで、
「北原さんも、ずいぶん、お世辞がお上手なんですね」
「ええ、これでも、女では相当に苦労をした覚えがあるんですから、相当に女を見る目もあるにはあるべきでしょう。ところで、お雪ちゃん、あなたの珍重すべき
「どうぞ、御遠慮なくおっしゃって下さい、何と言われても、為めになることをおっしゃっていただく分には、決しておこりませんから」
「では申し上げましょうかね。人様のことを申し上げるには、自分の
話が思いの外はずんで、賢次がお茶をいれて話しこむ気になると、お雪も身を入れて聞く気になりました。
今や賢次が、わが身の懺悔話からはじめて、おもむろにお雪ちゃんの為めになる意見話の
「あ、尺八」
十五
「あ、尺八ですね」
せっかく、語り出でようとする賢次、せっかく、それに聞き入ろうとしたお雪、二人の熟した気分を、この尺八が折りました。
北原も、話頭を折って、この尺八の音に聞き入る。お雪もまた、それを聞くと何となしに、そわそわとなって落ちつき兼ねた模様も見えます。
じっと
「お雪ちゃん、あれはどなたですか」
「あれですか……」
「あの尺八を吹いているのは、どなたですか、あなた御存じでしょう」
「ええ」
「どなたですか」
「あれはね……」
「我々の間では……最初は、我々仲間の者がやるのだろうと気にもとめておりませんでしたが、中頃から、不思議がるようになりました。君かい、いやおれではない、では誰だ、と論議の末が、ついにわからなくなったと共に、あの笛の音も暫くばったりとやんだものです。それがまた、深夜でも、白昼でも、意外な時に、意外に起るものですから、それから問題になりました。いろいろ物色してみたが、結局、お雪ちゃんの連れの方、そのほかにはあの笛の主が無いということになってみると、ますます問題が問題を生みましたのですよ」
「どうも済みません……」
「いや、済まないということではないですよ、つまりね、我々こうして、計らずも山中に棟を同じうして住んでいますとね、
「ほんとうにおかげさまで、近頃は、めっきりよくなったようでございます」
「それでは、やはり、あの尺八は、あなたのお連れの御病人の方がお吹きになるのですね」
「そう、お尋ねを受ければ、左様でございます、と申し上げるほかはございません」
「そうですか……」
北原はここで、また沈黙して、暫く尺八の音に聞き入っていました。
お雪も、尺八の音が起ってから、なんとなく、そわそわしたけれど、こうなっては急に立ち上るもバツが悪し、その
「やはり
「はい」
北原はこの時、ほとんど感に堪えたようでありましたが――その途端といってもいい時、ハタと尺八の音がやみました。
その時、お雪は、急に引寄せる綱にでもたぐられたかのように、あわただしく立って、
「大へん長くお邪魔をしてしまいましたが、ちょっと失礼して参ります、用事が済みましたら、また上りますから」
あわてて十能を取り上げたのを、北原が
「お雪ちゃん、わたしの方から、お雪ちゃんのところへ押しかけてはいけませんか」
「え、どうぞ」
お雪は、とってつけたような返答をして、二の句にまどいましたが、北原は、
「村田か、誰かつれて、お雪ちゃんの部屋へ話しに行きますが、ようござんすか」
「え、ようござんすとも、どうぞ、いらしって下さい」
この場合、悪いとも言えないし、よしこられては困る場合であっても、お雪には、それを断わるようにすげない挨拶はできないたちですから、やむなく承知の
「それじゃ上ります、その時にですね、お雪ちゃん、あなたのそのお連れの方に、我々をひとつ御紹介ねがえますまいか、御病気がお悪ければ遠慮を致しますが、あれを、あれだけにお吹きになる元気がおありになるのですから、我々に御面会くだすっても、たいしたおさわりにもなるまいかと存じます」
「それはそうですけれどね」
「いけませんか」
「いけないはずはありませんが、当人がずいぶん、きむずかしい人ですから、もしや、失礼があっては済まないと存じます」
「どう致しまして、失礼の段では、我々人後に落ちません……あなたのところへ遊びに行くのはいいが、お連れの方に御挨拶なしにはいられませんからね。御迷惑のようでしたら、早々引上げますよ、人の気も知らないで、腰を落ちつけているような、心なき
「いいえ、座敷は別になっていますから……かまいませんけれど、とにかく、お遊びにおいで下さいまし、あなたお一人でも、村田さんをお連れになってもかまいません」
「では、後刻上りますよ」
こうして、お雪は火を持って、三階の自分の部屋へ帰って参りました。
十六
お雪ちゃんが帰ったあと、北原賢次は、
「どうしたエ」
「今ね、お雪ちゃんが来たところなのだ、珍しいから無理に引きとめて無駄話をしてみたところさ」
「それは珍しかったね」
「そればかりじゃない、話が少しハズンだものだから、いずれそのうち、こちらからお雪ちゃんのところへ押しかけて行ってもいいかエ、と聞いたら、いいと言ったよ」
「何だい、つまらない、悪いとは言うまいさ。しかし……」
「そうさ、穴蔵のような冬の白骨の天地に、こうして一つ宿をしているのだから、おたがいに、誰がどこへ押しかけたって不思議はないはずなんだが、今までお雪ちゃんのところばかり、まだ誰しも
「それは遠慮というものさ」
「遠慮とはいうけれどもね、若い娘っ子をめあてに、接近をしようなんていうことこそ、おたがいに遠慮をしなけりゃならんが、お客同士の気分で行ったり来たりする分に、何の遠慮がいるものか」
「いや、そのことじゃないのさ、お雪ちゃんの傍には大変に重い病人がいるとのことだから、それで皆が遠慮していたというわけだろうじゃないか」
「なるほど――考えてみればそれだな、それが遠慮の第一理由であったかに思われるが、それにしても見舞に行って悪いということも、見舞にも来てくれるなとも言われなかったはずだ、どちらにしても遠慮が少し過ぎていたように思う、それが今日は、徹底されたようなわけだから、これから、君、ひとつ、二人でお雪ちゃんを驚かそうじゃないか」
「それもよかろう、だが、看病の大病人というのに、さわりはないか知ら」
「ところが、それをたずねてみるとね、病気のせいか、なかなかきむずかしやだから、もしか失礼に当ってはなんて、お雪ちゃんが言うものだから、御病気は知っていますがな、あの笛の音では……あの尺八の気力では、そう今日明日というような御病体でもなかりそうだし、日増しによくなってくるような音色じゃないか、とそのことを言ってやると、お雪ちゃんも、
「うむ、問題のあの尺八な」
「それそれ、あの尺八の主がすなわち、お雪ちゃんの
「いったいあれは何者なのだい、正体がわかったかね。最初のうちは、単に病みほおけた
「それは聞かない、聞かないけれども、あえて聞く必要もないじゃないか――最近にその人を見ることができるんだもの」
全くその通り、あの尺八の音が聞え出してから、やや
十七
「あれは、老人や、女子供の吹く音色じゃないよ。そうかといって、うらぶれた通り一遍のこも僧の歌口でもない、いやに人を悩ます吹き方だ」
と一人が言ったことがある。そうすると他の一人が、
「ありゃ、女殺しの吹く笛だよ」
と口を出したものだ。その女殺しと言ったのは誰だったか知らんが、つまり、
「うむ――なるほど」
と一座も、それを承認したかのように、力を入れてうなずいて、なお、その曲の
「女殺し――」といったのは、どういう意味かよくわからない。誰も、それを押して問う者もなかったが、一座がそれを茶化した意味にも、冷かした意味にも、
それ以来、お雪ちゃんの看病しているという大病人が、
お雪ちゃんの、肉身の祖父とか、父母とかいう人では無論ない、男性とすれば、叔伯系の尊族――もう少し近く持って来れば、肉身の兄ではないか、というような
だが、その後は、鈴慕の音色が時あって、不意に起り
本来、
「女殺し――」と言ったのは、その悩みを殊に、どろどろに感得せしめられたからであろう。そうでなければ、自分が、それと同じような
芸術の魅力は毒である。有害であることを知り抜いて、芸術を
「女殺し」と言ったのは、ただなんとなく、濃烈なる甘い悩みの圧迫に堪えられなかったうめきの声に過ぎまい。
十八
北原と、村田とが
「ごめんください」
障子の外から、言葉をかけた時に、
「はい、どなた」
それはお雪の返事には違いないけれども、非常に
「私です」
北原は静かに、外から名乗ると、
「あら北原さん――どうぞ」
とは言ったけれど、その狼狽ぶりは、障子一重の外で鮮かに手に取るほどなのが、来客の心を少しく不審がらせました。
よし、自分たちが不意に押しかけて来たからとて、そんなに狼狽しなくてもよかりそうなものを、ことに、ちゃんと前ぶれもしてあるようなもの。
そこで、お雪は何か、あわてて身の廻りを始末するような物音を立ててから、
「どうぞ」
「お忙がしいんじゃないですか」
あんまり、中があわただしい
「いいえ、かまいませんのです、どうぞ」
「失礼してもよろしうございますか」
「どうぞ」
障子があけられて見ると、お雪ちゃんが少しポッと赤くなって、そのあたりには、縫物だの、書き物だのが取散らしてあったので、それでは、その取散らかしを気兼ねをして狼狽したのだろうと思われます。
「御勉強のようですね」
「いいえ、何もしていやしませんの」
「御病人は……」
といって、北原が、二間打抜きの源氏香の隣りの間を、そっと見ると、
「有難うございます」
お雪はまだ何だか落ちつかない心持で、隣りの間にも気が置けるらしい。
さては、と思った北原は、盗むように隣りの間のその当の人を、なおよく認めようと試みました。
しかし、それは無駄でありました。その人は、
面影は全くわからなかったが、炬燵の傍に机があって、その上に一管の短笛が置かれていることは、めさとく認めないわけにはゆきません。それに、僅かながら、うかがうことのできるその人の
どちらにしても、
そう思って見ると、こちらのお雪ちゃんの取乱した書き物、縫物のほかに、屏風の外へ急に突きやったらしい、
なんとなく、空気が尋常でありませんものですから、さすがの北原も、どちらへどう御挨拶をはじめていいかわからないで、暫くは二つの間へ等分に眼をくれながら、
「村田君を誘って、二人で押しかけて参りました」
「ほんとうによくおいで下さいました、約束をお忘れなく」
この時分、お雪ちゃんもようやく本心に返りかけたらしく、
「さあ、どうぞ、こちらへ」
改まって北原と、村田を案内して、
「お炬燵へいらっしゃいましな、今、お火をいただいて来たばかりですから、その方がよろしうございます」
「そうですか、あの、お雪ちゃん、お邪魔をしていても、御病人におさわりはございませんか」
「え、かまいませんとも」
「御挨拶を申し上げたいと思いますが……」
「あ、そうですか」
お雪はここでもまた、狼狽ぶりを示さずにはおられないらしい。
そこで、北原も、少し訪問のバツが悪かったな、と思わせられないわけにはゆきません。
お雪ちゃんの方で、我々の来ることを待構えて、この一間を立て切って置いてくれたなら、水入らずの訪問談もできたろう。また病人に引合わせられるにしても、多少バツがよかったろうに、こうしてあけっぱなしにしているところでは、こちらが
その時に、隣りの人が、意外にも気軽に首をあげて、
「これは皆様、よくおいでになりました、お雪がいろいろとお世話になります」
と後ろから、不意にあびせられたものですから、北原と、村田が、おびえたように振返って、
「いやどうも、我々こそ、お世話になりつづけ、失礼のしつづけでございます」
と挨拶を返しました。
そこで、今までおっくうにもあり、苦心にもしていた、謎の主の
これは、明るい一間で見た机竜之助以外の何人でもありません。その人が尋常に物を言って、
「この通り眼が不自由なものでございますから、つい一つ宿におりましても、いっこう皆様にお近づきも致しません、失礼のみ致しておりますのに、お雪をはじめ連れの者が、絶えずお世話になっておりまする」
非常にとおりのよい、むしろ、品のよいと言ってもよい挨拶ぶりでしたから、北原も、村田も、決して悪い気持はしませんでした。
ただ、こちらまで迎えて挨拶に来ないのは、それは眼が不自由なせいで致し方がなく、今日までの隠退ぶりも、あらゆる病気のそれよりも、物を見る光を失われているという不自由のさせる
案外と思わせられたところは少しもないことが、かえって案外であったかも知れないと思います。
「いやどう致しまして、お雪ちゃんが、この宿にいて下さることのために、どのくらい我々が救われているか知れやしません」
村田が少し新しい言葉づかいで、お雪ちゃんを讃美したのは、当然これは、この人の妹だ、この人はお雪ちゃんの兄さんだと、判断してしまったからです。
そこで竜之助が、また挨拶しますには、
「では、どうぞ、そちらの
「左様ならば、我々も御免を
再び念を押してみると、
「そんな御心配は御無用です、今日は大へん気分がよろしいので、お話相手が欲しいと思っていたところでございます、心置きなくごゆるりと」
「しからば、御免を蒙りまして」
この晴れやかな問答を聞いて、誰よりも胸を撫で下ろしたのは、お雪ちゃんです。
テレきった自分の立場が完全に救われたのみならず、この人が、こんなにまで、快く人を待遇する気になったのは、来客のために無上の快感であるのみならず、本人自身の病気というものが、全く調子をよみがえらせたものとみないわけにはゆきません。いずれもの意味に於て、お雪は春の光が急に障子の外にまばゆくさし込んで来たような、嬉しい感じでいっぱいになりました。
「さあ、どうぞ、ごゆるりと」
お雪は、
「おみやげです」
「恐れ入りました、たいそう遠いところからおいで下さいました上に、こんな過分なおみやげまでいただきまして……ホホホ」
とお雪ちゃんが
「せっかく心にかけての訪問でございますから、何ぞと思いましたが何もございません、ホンの有合せ、これが私共の土地の名物だそうでございます」
そこでお雪は、お茶をいれにかかりました。
炬燵に落着いたその
「近世説美少年録」
ははあ、宿のつれづれに読むものとしては、ありそうなもの。北原も、ちょっと
本来、読みさしの本には、有合せでも何でもいいから
あわてたな――ちょうど我々が来訪して来た時に、お雪ちゃんはここまで読みすましていたのだ。そこへ不意に我々のおとないを聞いて、あわてて栞をはさむ余裕がなく、ついムザムザと中身の本紙を折り込んでしまったので、これはお雪ちゃんの日頃ではない、非常の際の、ただ一度しか試みてはならない失策なのだ。ふだん、こんなことをしている子ではない、というように北原が、
「既にして夜行太 等は、お夏が儔 多からぬ美女たるをもて、ふかく歓び、まづその素生 をたづぬるに、勢ひかくの如くなれば、お夏は隠すことを得ず、都の歌妓 なりける由を、あからさまに報 げしかば、二箇 の賊は商量 して、次の日、何れの里にてか、筑紫琴 、三絃 なんど盗み来つ、この両種 をお夏に授けて、ひかせもし、歌はせもして、時なく酒の相手とす。只この遊興のみならで、黒三 が宿所にをらぬ日は、お夏を夜行太が妻にしつ、又夜行太がをらぬ時は、黒三が妻にもす。たとへば是 れ両箇 の犬の孤牝 を愛 づるに相似たり、浅ましきこといふべうもあらねど、さすがに我児のいとほしければ、お夏はこれすらいなむによしなし。逃 れ去らんと欲すれども、夜行太と黒三と、かはり代りに宿所にをれば、思ふのみにて便りを得ず、よしや些 の隙 ありとても、山深くして道遠かり、いづこを人家 ある処ぞと、予 て知らねばなまじひに、走り出で路に迷うて、程もなく追詰められ、行戻さるることしもあらば、わが上のみか球之介 が、命も保ちがたかるべし、畜生にだも劣る山賊の、しかも良人 のあだかたきなる、二人の為に身を涜 されて、調戯 となれる事、もともといかなる悪業ぞや。好もしからぬ夫でも、ぬしありながら岐道 かけて、瀬十郎ぬしと浅からず、契 りし罪の報い来て、いける地獄に堕ちにけん、世に薄命なる女子 はあれども、わが身に増るものあるべしやと、過来 しかたを胸にのみ、思ひぞくらす秋の山に、牝恋 ふ鹿もうらめしく、まがきにからむ薯 かつら、子にほだされて捨てかねし、身のなる果 をあはれ世に、訪ふ人絶えてなかりけり。畢竟 お夏がこの窮阨 の、後のものがたりいかにぞや、そは次の巻に解分 るを聴ねかし……」
北原は、眼の落つるところに、一気にこれだけの文字が触れたものですから、一種異様な気分に襲われました。十九
北原賢次は美少年録の
「お目が不自由ではいちばんいけません、そこひででもございましたか」
「いいえ、怪我をしたのがもとで、ひどい目に逢いました」
「中途から見えなくなったのが、いちばんいけないそうでございますね」
「それが全くいけないのです」
「御病気からではなく、お怪我からでございましたか」
「ええ、怪我からやられました」
「怪我もいろいろございますが、それによって養生の方法も違いましょうね。そうそう、先日見えた二人づれのうち、一人の丸山なにがしというのが、医術の心得があるように言っていましたね、君」
北原は同行の村田を顧みると、村田はかたくなに坐りこんでいたが、
「そんなようなことを言ってましたね」
「あの人にでも、見ていただくとようございましたがな」
そこでちょっと話が
しばらくしてから机竜之助が、座右の
「誰に見せてもダメですよ、
とつぶやきました。
「ダメということはございますまいが、せいぜい御養生はなさらなければなりますまい。時にそのお怪我というのは、何が原因なんでございますか」
「この目のつぶれた原因ですか」
「はい」
「これは
「え、煙硝に吹かれたんですか」
「そうです」
「いや、その事。わしらの郷国では、あれが大好きでしてね、大仕掛のやつを好んでやるためによく犠牲者が出ます……それでもまあ、怪我だけで幸いと言わねばなりません、五体を
と北原が言いました。
そこで、また、どうやら話の呼吸が合わなくなったらしい。
北原は、それを自分の推想が
「花火ではございませんでしたか」
「花火ではありません――
「え、戦争ですか」
「戦争というほどの戦争じゃありませんがね、いくさの
「そうですか、いくさにおいでになりましたか」
「ふとした行違いでしたよ」
「どちらでしたか、その
「大和の十津川です」
と竜之助が言ったので、お雪ちゃんがヒヤリとしました。
それは話の半ば頃からです。
眼の悪いことは隠せないにしてからが、その原因までを語る必要はあるまいに、問われたらば、何とでもそらしておく道もあろうに、煙硝でつぶれた、いくさでやられた、その調子で、スラスラと大和の国の十津川まで言ってしまったから、傍に聞いていたお雪がハラハラしたのは、実は自分さえ、今まで大和国十津川というところまでは聞かないでいるからなのです。
どこぞで負傷をしたたたりということは、今迄もきいていたけれど、それをくわしく問うのもなんだか立入りがましいようであり、また、その過ぎ去った原因を洗い立てするのは、この人の古い傷に痛みを感じさせるように思われたから、お雪ちゃんとしては、それに触れたくなかったからです。それをこの場では、問われもしないにすらすらと大和国十津川まで名乗ってしまったものだから、お雪がハラハラするのも無理はありません。
何事をも包みたがるというわけではないが、包んで置いて上げた方がいいと信じて、これまでかしずいて来たのに、案外にも初対面の人に心置きのないこの始末ですから、全く今日は天気のせいではないかと思いました。
でも、相手が北原さんでよかった、先日やって来た、あの手のこわくて冷たい無気味のさむらいのようなのに向って、こう
「え、大和の十津川ですって……」
「そうです」
「あなたがなんですか、大和の十津川のあの
「え、ふとした縁でね」
「ははあ。それはそれとして、十津川ではどちらへお附きになりました、
「どちらというわけもないんですがね、途中で、十津川行の浪士たちに逢いましてね、それにすすめられたものですから、ついその気になったまでです」
「それでは勤王方でございましたね」
北原賢次は、なんとなく我が意を得たとばかり、膝を進めました。
「なんでも中山侍従殿というのを大将にして、事をあげるにはあげたが、数の相違で
「あ、そうでしたか、それはどうもはや、左様な名誉の御負傷とは存じませんでした、なみたいていの御病人だとばかり思っていたものでございますから」
「なあに、名誉の負傷でもなんでもありゃしませんよ」
と竜之助が、苦笑いしました。
「いいえ、名誉です、十津川の一戦は勤王の
と北原が言いました。
「それは本当に勤王心があって、やった事なら名誉かも知れないが、拙者のは出たとこ勝負で、首を突っこんだだけです」
と竜之助が、軽くさばくのを、北原がつり込まれて、
「何事でもです、幕府を敵として孤軍報国のあの義戦に加わろうというのは、赤心鉄腸を備えた勇士でなければできないことです」
北原賢次がムキになると、竜之助はツンと少しばかり天井を上に向いて、何か言いそうで言いませんでした。
そこで北原だけに、ハズミがついて、それをキッカケに、しきりに十津川戦陣の物語に鎌をかけて、この勇士に当時実戦の景況を物語らせ、その名誉の負傷のよって
そこまでは、お雪ちゃんもハラハラするほど話しぶりが進んで来たが、そこへ来ると、どうしても動かなくなってしまいました。
そこで、北原賢次がもて余しきった時に、お雪ちゃんが、
「先生、あなたが、大和の十津川とやらで、そんなお怪我をなすったということは、わたしは今まで存じませんでした」
「いいえ、お雪ちゃんにも話して上げたことはあるはずですよ」
「それでもお聞きした覚えがございませんもの」
「たしかに話して上げたはずなのを、お前さんが忘れてしまったのだろう」
「そうでしたか知ら……」
お雪が無邪気に首をかしげた時に、北原賢次が三度四度、
賢次は眼を円くして、なんだかかだかわからないような気配で、お雪と竜之助の方を、かなりの距離のあるところを、忙がわしく眼を急転させて、言句がつげないような有様です。
そこで、この両室の空気がいやに変なものになってしまったのを、竜之助は眼が悪いから見て取るわけにはいくまいが、お雪ちゃんという子が、そのままはいられないからとりつくろう気になって、
「
と言いますと、
「しょっちゅうというほどでもありませんがね」
と北原が答えました。
「いやですね、いくさなんて」
「
「
「だって時と場合ですからね、今に
「そうなると、日本中が、いくさになっちまうんですね」
「まず、そんなものです、お雪ちゃんの故郷だという甲州なんぞも、当然捲き込まれてしまいますね」
「でも、この白骨までは来ないでしょう」
「さあ、日本中が
「ほんとうに、わたしたちは仕合せです、いつまでもこの白骨におりましょう、ねえ、先生、あなたも、たとえ、お眼がなおっても、二度とふたたび戦に出ることなんぞはおよしあそばせ」
この時、北原賢次が、むらむらとしてお雪ちゃんの
「北原さん、あなたも、ずいぶん、喧嘩っ早いようなお方ですけれど、
と言いました。
「だが、お雪ちゃん、おたがいに白骨温泉の中へ白骨を埋めに来たわけでもありますまい、いつか、それぞれの国と仕事とに返らなければならないでしょう」
「そう言えば、そんなものですけれど……どうかすると、一生こんなところで暮らしていたいような気持もしますね」
その時、北原は、「お雪ちゃんのように相手さえあればね」と言ってやりたい気分になって、その言葉が
「ねえ、北原さん、あなたのお国は、やはりこの信州の
「ははあ、伊那節をわしにうたえとおっしゃるんですか、北原の無粋を見かけての御註文ですね。もとより歌ったり踊ったりは、こちらのガラじゃありませんが、
北原は一種の昂奮を感じながら、信州伊那の郷土を論じ、天竜峡のことに及んで、ぜひ一度、天竜峡を見においでなさい、御案内いたしましょうと言って、はじめて相手が、相手ということに気がついて、まずい
「うちの先生は風景を御覧になることはできないけれど、風景のお話を聞くことは大好きで、風景のお話をして上げると、それが
お雪としては、それを単純なとりなしのつもりで言ったのでしょうけれど、北原は単純に聞き捨てることができませんでした。
この二人の間は何だ。
この二人の間が兄妹でないことは、ここへ来た当初から見えきっているし、主従ではない、先生呼ばわりをしているが、あの男はいったい、お雪ちゃんの何の先生なのだ――
美少年録を臆面もなく読み合う二人の師弟関係――
笑わせるな。
北原のこういった観察が、全宿中へパッとひろまったのは、なにも北原が
二十
これより先、白骨の温泉を立ち出でた宇津木兵馬は、飛騨の平湯をめざして進んで行きました。
白骨から平湯まで、僅か四里の道とはいえ、もう少し雪でも深くなれば、通れない。
雪でなくても天候不順の時は、いかなる山荒れが出現しないとも限らないが、天気は極めてよし、そして途中ひょこりと、中の湯まで行くという猟師と出逢い、その猟師がすすめに従い、道草気分で、中の湯の温泉へちょっと立寄ってみる余裕まで持つことができました。
中の湯の温泉には、宿屋というものはありません。
板を屋根にした掘立小屋が、空しく朽ちて、湯は川の端、巌の間の到るところに湧いている。兵馬は、こんな温泉に一日――もし許すならば十日でも二十日でも滞在して、思うさまこの巌の間の湯につかっていたいというほど、いい気持のした温泉でした。
案内した猟師は、そこから吹き出すのも、ここにたまっているのも、みんなお湯ですよ、まあ、もう少し進んでごらんなさい、天然の湯滝がありますから。湯滝は白骨にもありますが、あれよりズット大きい――といって、渓間を導いて、兵馬を二つの滝が
「どうです、この二つの滝はみんなお湯でございますよ」
それは高さに於て四間、幅に於て三尺ほどの、絵に見たような自然の滝。近くよってさわってみると、全くの温泉です。
白骨にも湯の滝はあったけれど、あれは湯を引いて、人に打たせるように人工が加えてあったし、それと大きさから言っても、これとは比べものにならないのに、これは天然の滝そのものが全部の、自然の湯として現わされているのですから、兵馬は最初、滝の近く寄って、わざわざ腰を押しのべて触れてみようとしたが、ついに、たまり兼ねて
かくて、思う存分に、その湯にひたっていると、猟師は、そのあたりの板小屋に腰を
網を張るというのは、こうして待構えていると、猿やその他の動物が、湯につかりに来ることがある。それを見ていて、あるものは手捕りに、あるものは銃殺、あるいは槍殺もするらしい。稀れには弓矢も用いることがあるらしい。
ここで、思うさまの
今は路傍に美しい高山植物のたぐいこそ咲いてはいないが、山林、
前途の不安が全く除かれてみると、深山を楽しむの快感が身に
兵馬は、この快感と、勇気とをもって、安房峠を打越えながら、「万法一に帰す、一何れに帰す」ということを考えさせられました。これは兵馬にとっては、かなり重い公案のようなものですけれど、兵馬は往々、ふいにこんな公案にひっかかって、分相応の頭を練りながら、旅路を行くこともあるのです。
ほどなく兵馬は、平湯の温泉に着きました。
ここは白骨と違って、周囲の峡間も迫ってはいず、田野も相当に開けて、白骨のように宿屋一軒がすなわち峡間の一部落をなすというようなわけではなく、数十戸の人家が散在して、人里の気分豊かに猟犬の声も相和する、至極穏かで平らかなところだと感じました。
そこの「
浴客も相当にありました。
二三日は、とにかく、ここで落着いて、これから当然、この国の首都、高山の町をおとずれて、尾張方面へ行く、それに順路を取ろうとする。
自分の通された宿の座敷に、
だが、素朴な
兵馬が白骨から来たと聞いて、その四十男が、
「白骨じゃ、このごろ、お化けが出るって評判ですが、本当でござんすかね」
と言いました。
「お化け、そんな話は聞かなかったよ――」
兵馬が答えると、
「こちらでは、もっぱら、そんな評判でございましたよ」
「ははあ、
人からお化けと問いかけられて、はじめて兵馬は、なんだか白骨の思い出に、寒さを感じたようなものです。
その事。兵馬自身こそお化けにはつけつ廻されつしているではないか、仏頂寺、丸山の亡者はいわずもあれ。
そのほかに、何が白骨にいたか。何にもいないから手を
ここ、平湯で、平々淡々として、明るい気分の湯に浸っているのとは、周囲も、気分も、全然違い、ここへ来て見るとはじめて、たしかに白骨には何かいたという気分がしてならない。あの短笛の音も変じゃないか。あの娘――あの冬籠りの人々――二階から三階にわたる陰気なる夜の音。
上から射す初冬の光線は極めて明るかったが、その明るさも、いま考えてみると
さりとて、
やはりお化けが出なかったかと言われて、はじめて兵馬は
「ははあ、白骨にはお化けが出るなんて、そんな
「ありますとも、もし……出なけりゃ不思議なもんだと、こっちではみんな、そういっておぞけをふるっておりますよ」
これは湯槽の中の
「そうでしたかね、我々はあそこにいても、一向お化けというものを聞きもしなかったし、無論、見もしなかったが、いったい、そのお化けというのは、どんなお化けですか」
「いくつも出るそうですが、そのなかで、高山の
と四十男が浅黒い
「ははあ、高山の後家さんと、なにがしの若者、それが化けて出るというのですか」
「そりゃ見た人があるから、たしかなもんですが、そのほか、いろいろな化け物が、この冬は白骨に巣をくっているってますから、こちらからは誰も参りません。
「そうですか、拙者は、ちょっと道に踏み迷うたという形で、あの温泉場へ参り、
兵馬が存外、あきたらず受け流すのを、一同がかえって興にのり、
「左様でございますとも、長く御逗留なすっていると、そのお化けにひきこまれなすったかも知れませんが、早く引上げておいでなすったから、お化けも御挨拶を申し上げる暇がございませんで結構でした、後家さんや、浅公なんぞも、早く切上げて来れば何の事はなかったのに……」
それから、一槽の者が、その
聞いていると事実はこうです、飛騨の高山の
そのうち、男妾の浅公が首をくくって死んでしまうと、まもなく、後家さんが
少なくとも、この二つの幽霊は、白骨の温泉の
それから話がハズんで、あの淫乱後家の淫乱が、男妾の浅公にとどまらないということ――相手嫌わずだったが、突っぱなすのも上手で、存外ボロを出さなかったが、噂にのぼったところでも、あれとこれと、これとあれ――兵馬には聞くに堪えないほどの事情を、右の四十男がズバズバと、すっぱぬいて聞かせました。
とても大胆な、すっぱぬき方であったけれど、槽中の若夫婦までが、あんまり恥かしい顔をせずに聞かされていたことほど、淫乱後家の淫乱ぶりは猛烈で、それが、その後家さんにとっては常識でもあるかのように受取られるほど、徹底していたようです。
兵馬も、その話を聞いて
そうして、聞きようによれば、ここにその淫乱後家の情事をズバズバとすっぱぬいているこの四十男も、どうやら、口を拭いた覚えがあるような、それを、得意がってのろけているようにも聞える。合浴の中婆さんまでが、いい気になって、お前さん、なかなか人が悪い――と四十男の肩をつついてニヤリとする。
「あなた様なんぞもお若いに……穀屋の後家さんがいなさらん時分においでだからいいもんの、夏うちなら食われてしまいましたぜ、なんしろ十五から六十まで、油っ気のある男なら、イヤと言わないで、一日に二人ぐらいは食べたおばけですもんな」
それでいて、何の因果か、浅公だけは離れられずに通したのは、後家さんが浅公に何か弱点を握られているせいだともいうし、浅公の方で、後家さんの油っこいのに離れられないのだともいうし、後家さんは浅公を、振って振って振り通しながら、それでも番頭代りに
浅ましい人間の情慾。
二十一
宇津木兵馬は、その夜は、枕許の四角な
夜更けて、行燈の火影に人のあるのを見て、驚きました。
よく見定めるつもりでいると、その人は行燈を蔭にして、あちら向きに坐り、針を運んでいるもののようです。
誰だろう、人の枕許へ来て、夜中に落ちつき払って物を縫うているのは――
その時、兵馬は、その女が肩先から真赤に血を浴びているのを認めました。
ははあ、白骨へ出るというお化けがここへ来たな、白骨へ出るはずのが、戸惑いしてここへ現われたのだな、そうでなければ、さいぜんの噂が暗示となって夢に現われたか。
夢を見る人に、夢と覚って、現実と差別しながら、それを見ていられるはずはない。
あちら向きに坐って、極めて静かに深夜の針を動かす女性を見る。
この衣を走る針の音までが、さやさやと聞える。
無惨なのは、肩から、背から、胸へかけてのあの血汐。
当人は、痛いとも、苦しいとも思ってはいないらしい。
針の動く音が、まことに静かだ。
兵馬は半身を起して、その後ろ姿をじっと見つめたけれども、女は振返らない。
落ちついていること。
「誰です」
兵馬が呼びかけた時、
「兵馬さん、お目ざめになって……」
はじめて、ふり返って、にっこりと笑ったのは、忘るるひまのない
「
「そうよ」
「今頃、何をしていらっしゃるのです」
「子供のために
「ははあ、そうでしたか」
兵馬は
お浜は、兵馬に対してこれだけの受答えをすると共に、また、あちら向きになって、一心に縫物を進めています。
「
「わたしが無事だか、どうだか、この肩から胸を見れば、わかるじゃありませんか」
「私も、最初から、それを気にしているのです、痛みはなさいませんか」
「それは古傷ですから、痛むには痛みますけれども、いまさら泣いたり、愚痴を言ったりしても仕方がありませんわ」
「嫂さん、あなたは竜之助に殺されたのですね」
「ええ、そうかも知れません、けれどもね、見ようによっては、わたしがあの人を殺したのです」
「悪縁というものでしょう。しかし、憎むべきものは憎まなければなりません。嫂さん、あなたがもしも竜之助の行方を御存じならば教えて下さい」
「それは、わたしがよく知っていますけれど、まあ、わたしが、あれから附きっきりのようにつきまとっているのかも知れません。けれど、兵馬さん、お前はあの人の
「どうするって、嫂さん、あなたとして、あんまりそれは
「ホ、ホ、ホ、兵馬さん、それはわかっていますよ、お前さんが敵討をなさりたいために、今日までの苦労というは並大抵じゃありません」
「それが、わかっていらっしゃるなら、なぜ、そんな冷淡な口をお利きなさるのです、御存じならば早く、彼の
「けれども、ねえ、兵馬さん……私もあの人を善良な人だとは思っていません、憎い奴だと
「何を言うのです」
「憎めませんねえ」
「
兵馬は天を仰いで
「憎めません。憎めないのは、わたしばかりじゃない、兵馬さん、お前だって、本心からあの人を憎んじゃいないのでしょう」
「そんなはずがあるものですか、
「
「そんなはずはありません」
「許しておやりなさい、ね、兵馬さん」
「誰をです」
「お前さんの
「兄上を……」
「わたしも、このごろは、文之丞にも、ちょいちょい逢いますが、あの人は、今ではもう快く、わたしを許してくれていますよ、ほんとに、あの人はよい人です」
「
「敵も味方も無いじゃありませんか、わたしは、文之丞にも、竜之助にも許した女です」
「不貞な女!」
「不貞な女に相違ありませんから、不貞な女の受けるだけの責めは、みんな受けているつもりですよ」
「責めは受けたって、罪は消えない」
「消えませんとも。消えないから、こんなに古傷が痛むのです。わたしは今となって、文之丞も、竜之助も、どちらも罪がないと思います、どちらも行くべき当然の道を歩かせられたのですわ。そんなら、わたしひとりが悪者かというに、そうでもありません、わたしもまた、わたしの行く道を行かせられただけのものです。それで、もうたくさんなのに、兵馬さんまでが、またわたしたちと同じような道を行こうとなさる、ほんとにお気の毒に思いますわ」
「何が気の毒です」
「何でもようござんす、許してお上げなさい、そうすれば、お前さんも救われます」
「誰に、私が救われるのですか」
「白骨の温泉で死んだ、飛騨の高山の穀屋の後家さんというのを御覧なさい、あの方は、御亭主が病気で寝ているその前で、幾人の男を
「何です、それは。それが我々の上に、何のかかわりがあるのですか」
「それをみんな許して、おかみさんのするままをさせていましたが、あのおかみさんは、それでも満足しないで、とうとうその良い夫を殺してしまいました」
「人間ではありません、犬畜生といっても足りない者共です、そんなやからのことを、私の前で、何のためにおっしゃるのですか」
「殺された良人の方は、それでさえ、あの後家さんを許していますよ」
「だから、私の兄も、あなたの不貞を許せばよかったのだとおっしゃるのですか」
「まあ、そうかも知れません、わたしだけじゃありません、みんな許せばよかったのです」
「言語道断です、さような
「お聞きになりたくないことを、
二十二
その翌朝、眼がさめて見ると、昨日のあの快晴に引換えて、天地が灰色になっていました。
聞いてみると、これはやがて雪になるということ。
昨夜の夢見の悪かったのは、一つはこの気候のせいか。
果して、霧のような雨が捲いて来て、暫くすると、それが粉雪に変りました。
「ああ大雪だ」
雪は珍しくはないが、それでもまあ、よかった、今日が昨日でなくてよかったのだ、吹雪の中に白骨を出て来るわけにはゆかなかったのだから、当然この雪をかぶって白骨籠城か、そうでなければ途中の難儀、測るべからざるものがあったのに、一日の境で、悠々として白骨を出て来たのは、時にとっての好運であるように思いました。
だが、同時にまた前途のことが思われないでもない、これから高山までは八里の路、これは、ほとんど山坂のない平坦な道だとは聞いたが、何といっても名にし負う飛騨の国、雪の程度によっては、交通が
食前に、昨夜の風呂場へ行って見ると、これまた意外。
外は、この通り天候険悪であるのに、広くもあらぬ浴槽の中は全くの満員――芋を
しかしながら、桝に盛られたこの
そうして、別段、ハミ出されたものもないらしいから、あのギッシリ詰まった一山の中へも、入れば入れるものだなと、兵馬は
ぜひなく、手持無沙汰に部屋へ引返して来ました。
まだ、火鉢には火の気が無い。再び寝床にもぐり込み、さしもの浴槽も、どうせ、そのうちにはすくだろう、すいた時分を見計らって、悠々一浴を試むるがよろしい。とはいえ、昨夜は、どこを見ても、あれほどの混雑は想像されなかったのに、今朝になって、急にあの有様、昨夜のうちにあの客が着いたのか、着いたとすればどこから来たのか。兵馬は、そんなことを考えながら、再び
それに、たずねてみると、なあに、明神様のお日待ちがありますんで、そのくずれでございますよと、要領を得たような、得ないような返事。
朝飯には
やや、しばらくあって、手拍子面白く、数町を隔てた
こんなことを思いやって、閑なるこの浴室。
窓の外の雪を見ていると、不意に引戸がガラリとあいて、
兵馬は、これを一目見て、ほっと、舌を捲いてしまっていると、先方が、
「やあ、いたいた」
無遠慮を極めて、兵馬の前に裸体のままで立ちはだかって、
「やあ……」
兵馬が、ほとんどおぞけをふるってしまったのは、この二人の亡者、それが別人ならぬ仏頂寺弥助と、丸山勇仙であったからです。
二人は、舌を捲いている兵馬を、まともに見下ろしながら、ズブリと兵馬の左右へ飛び込んで、
「
「いったい、どうしたのだ」
兵馬が
「あの日に、君を出し抜いて、我々二人は先発してな、檜峠まで来てみたのだが、はっと思い当るのは、白骨の温泉に忘れ物をして来たことだ。そこで二人が取って返すと、途中、
兵馬にとっては、あんまり、嬉しくもなんともないことです。
彼等と手が切れたことを、
よくよくの因果だな、この連中、やっぱり、振切ろうとしても、突っぱなそうとしても、やり過ごそうとしても、出し抜こうとしても、ついて離れない。
イヤになっちゃうな――兵馬は呆れ返ったのみで、叱るわけにも、
そこを仏頂寺が、
「宇津木、さあ、これから高山へ行こう。飛騨の高山はあれで、幕府の知行所だ、講武所の山岡鉄太郎の知行所もある、ちょっと、山国の京都といった面影があって、なかなかいいところだよ。それから東海道方面へ出るのは順だが、どうだ、方向を全く一変して、我々と共に越中へ行かないか。越中は我々の故郷だ、
どんなことを言い出すかと思うと、丸山勇仙がしゃらけきって、
「おれは、もう山は御免だよ、早く、名古屋へ出ようではないか、岐阜から名古屋、東海道筋へ向うのは、我々亡者にしてからが明るい気分になる、名古屋美人を前に置いて、いっぱいやりたいものだテ」
「それもそうだな。ともかく、我々はたったいま着いたところで、まだ地の理を研究していない、さあ上ってひとつ、前途の方針をとっくりと
「よかろう」
彼等は、ほとんど、ピチャピチャと雀がゆあみをするくらいにして、もう上りにかかるから、兵馬もつづいて上る。二人は、がやがやと話しながら、ついに兵馬の部屋に乱入してしまいました。
部屋に入ると、いきなり仏頂寺は、床の間に飾った
「やあ、
と言いながら、無雑作にまず
「手荒いことをしてくれ給うなよ」
兵馬は、おとなしく頼むように言うと、仏頂寺は、
「何だい、おてやわらかに取扱わねばならん甲冑が役に立つか。よしよし、この際ひとつ拙者が、正式にひっかついでみてやろう。拙者のかっぷくは、そう人には譲らないつもりだが、昔の人の甲冑は規模が大きいな。どれひとつ正式に着用して、ためしてみてくれよう」
といって、仏頂寺は、飾り物の甲冑物の具をいちいち分解にかかりました。
よせとも言えない。
「勇士組にいる時、
仏頂寺弥助は羽織を脱ぎ捨てて、床の間の
「まず
色のあせた
「
小袴をつけ終ってから、
「足袋はあと、
脛当を取って、まず左の足につけながら、
「こうして左から先にはいて……右足を後に、おっと、この
決拾一対を探り出して、
「近代の具足では、この決拾というやつはあんまり使わないらしい。馬上に弓の場合だな。これも左が先、右が後……すべて甲冑の着用には左を先にすることが
鉄にかなりの時代のある筒籠手を引っぱり出した仏頂寺は、二三度ひっくり返して、
「さあ、これが本当の小手調べだ、どっちが左だい……そうか、まあ、こんなことでよかろう、この辺でお茶を濁しておけ」
一応、
「これから両刀だ、これは御持参物を以て間に合わせる」
と刀をさし、次に
「どうだ、武者ぶりは……」
「
丸山勇仙がほめる。と、仏頂寺弥助は
「槍にしたいものだが、薙刀じゃ少し甲冑につりあわんけれど……」
といって、それを取下ろして、小脇にかい込み、床の間へどっかと坐り込んで、ジロジロ見廻している。
丸山勇仙は、その武者ぶりをほめたり、けなしたりしながら、物の具の
兵馬は、苦々しい思いで、彼等の為すままに任せている。
暫くしてから、仏頂寺弥助が、立ち上って、
「ああ、なかなか重い、昔の武人は、とにかく、これで馬上の働きをしたんだからエライ。もっとも我々でも、いざ戦場となれば、この程度で働けないこともあるまいさ」
「君だからいいけれど、僕や宇津木君なら、つぶされてしまう」
と丸山勇仙が言いました。
そこで仏頂寺も、兜から、おもむろに武装を解きにかかって、取外すと、丸山勇仙が介添気取りで、いちいちそれを整理する。
それから、
「まだ一くさり残っていた」
仏頂寺が、その冊子をのぞいて、渋々と手に取り、
「は、は、は、これこれ、これはまた古来、軍陣中無くてはならぬ一物となっている」
二人は額をつき合わせて、この書物を見ながらしきりに笑っている。
兵馬は、ただ苦々しい思いばかりしている。はしゃぎ廻りながら二人は冊子を見てしまうと、兵馬には見ろとも言わないで、そのまま、また鎧櫃の中へ
「いや、この分では大した降りもないようだぞ、明るくなっている、やむかも知れない。やむとすれば、この間に出立しようではないか。今から三人で押し出せば、少々遅着はするが飛騨の高山までは大丈夫。どうだ、宇津木、出かける気はないかい、多少の雪を
「そうさなあ」
兵馬も、ちょっと、返答に困りました。それは今日は
「出かけよう、出かけよう、こうしていたって仕方がない。さて出かけるとすれば、いったいどっちへ行くのだ」
彼等は、出かけることが先で、その目的があとになる。行きつきばったりとはいうけれど、その行きつきが、臨時で、無方針になっている。兵馬のは、とにかく、方針が定まっているが、彼等は出没自在になっている。
だからこの場の風向きで、兵馬が飛騨の高山を主張すれば、むろん彼等もそれに同ずるだろうし、ことに仏頂寺の故郷だという越中方面に爪先が向けば、彼等は喜ぶだろう。
だが、その時、丸山勇仙が、趣の変った異説を一つ出しました、
「せっかく、平湯へ来たものだから、今日は一日ここで休息をして、この附近で
この提議が
二十三
肉を食い、酒を飲み、飯を食い終った時分、天候も見直したようだから、三人が揃って、ここから程遠からぬ飛騨の平湯の大滝を見に出かけます。
乗鞍よりの山路を行くと、山腹が急に二つに裂けて、大滝を不意打ちに開いて見せられた三人は、
「あっ!」
と言いました。
よく旅人がいう、那智を見る時は那智を見に行く心になり、華厳をたずねる時も華厳をたずねる心で行くから、予想より以上に驚くこともあり、驚かぬこともあるが、飛騨の平湯の大滝は、不意打ちに現われるから驚かされることが多い。
水量に於ては華厳に優り、高さに於ては中段以下が山谷に
「あっ!」
と言って三人が立ち尽すこと多時、
「豪勢だな、おれは那智は知らんが、たしかに日光の華厳以上だよ」
と丸山勇仙がまず驚歎の声を上げる。
「おれは那智も、華厳も、知らないから、でもまずこれがおれの見たうちで日本一かな」
と仏頂寺弥助が、眼をすましながら、
「
と言いました。
兵馬も実際、この大滝は予想外に大きかったことを感歎しているらしい。そこで、仏頂寺は兵馬を顧みて、
「宇津木君、君は諸国を廻って歩くが、これに匹敵するやつを見たかね」
「僕もまだ、華厳も、那智も、見ていないですからな」
「そうか」
そこで、この三人のうちの最も滝通は、丸山勇仙ということになる。
「ここにいては、滝壺がわからんからな、何とも言えないが、水の豪勢なことはたしかに華厳以上だ。華厳の滝は、うらから元まで、ちゃんと一目に見ることができるが、この滝はそうはいかない、高さのことは華厳に比して何とも言えないが、土地の言伝えでは三千尺あるといっている」
「三千尺」
「うむ」
「三百丈だな」
「左様」
「間に直すと……」
「五百間さ」
「五百間――一町を六十間にすると」
「八町と少し……だが、三千尺はうそだろう、唐の
「李白は三千ということをよく言いたがる」
「とにかく三千尺としておいて、さて滝というものは、直立して目通りを見るものでもない、高所から俯して見るものでもない、滝ばかりは下から仰いで見なくちゃ趣が無いようだ、ひとつこの滝壺を
「下り口が、わからない」
「ともかく、もう少し登ってみよう、必ず相当の下り口があるに相違ない」
「誰か土地の案内者を頼めばよかったなあ」
そうして三人は、滝壺へくだる道をたずねて登ると、ややあって、
「あった、あった」
丸山勇仙のけたたましい叫び。
彼は、それが滝壺へ下る路かどうかは知らないが、たしかに下へ向うべき路らしいものを発見したらしい。けれども、それが果して道だかどうだか、発見はしながら自分で疑っているらしい。
「なあんだ、路でもなんでもないじゃないか、ほんの崖くずれのあとだ」
仏頂寺弥助が、丸山の発見を冷嘲する。
丸山も一時は、発見を誇大に叫んでみたが、そう言われると、これが果して路だか、どうだか、自信の程があぶなくなる。
事実、そこは岩角が、雨あがりの崖くずれのために崩壊して、その岩壁を斜めに、ほんの足がかり、それもその気で見れば、たしかに人間の通路をなした
二人は
「滝壺への道路であるかどうかは知れないが、たしかに人間の通った気配はあるにはある」
「ふふん」
と仏頂寺が、兵馬を鼻であしらう。丸山勇仙はやや得意になって、
「そうだろう、たしかに人臭いところがあるよ、一度でも人間の通ったあとには、人間の臭いがするものだ」
「君たちは犬と同じだ」
仏頂寺が、いよいよ冷嘲を極めているが、勇仙は、兵馬が、たしかに自分に味方していると見たから心強く、
「我々が犬なら、君の鼻は豚よりも鈍感というべしだ、たしかにここは人臭い、論より証拠、ひとつ下りてみようではないか」
と、丸山勇仙は実地の踏査を主張したけれど、仏頂寺は、いよいよ冷嘲を鼻の先にブラ下げて取合わず――兵馬は、それほどまでにして滝壺を究めることに、最初から興味をもっていなかったから、これが道路であろうともなかろうとも、身を以て証拠立てようという気にもならない。丸山勇仙も主張はしてみたけれども、他の二人ともに気乗りのしないので、
そこで三人は、三すくみのような形になって立っていると、丸山勇仙が再び、最初のようなけたたましい叫びを立て、
「人が登って来る!」
実証のまだ甚だあいまいであったこの岩角の通路を、下から確実に上って来る人がある。その
勝ち誇った勇仙は、
「それ見ろ――」
「うーむ」
仏頂寺がテレ隠しに、非常に
ほとんど直角に近いほどの崖路。兵馬も、勇仙も、ひとたびは人間臭いと見て、二度目は自信を持てなかったその岩角の斜めについた足がかりを、のっしのっしと上り
「人間じゃあるめえ、狸だろう」
仏頂寺は悪態をつきました。
「どうだどうだ、仏頂寺、君は鼻も
丸山勇仙が、仏頂寺をあわれむと、仏頂寺はふくれ出し、
「狸だい、狸だい、こっちから石を転がしてブチ落してくれべえか」
「よし給え、
「ちぇッ、くだらねえ奴だなあ」
仏頂寺はいまいましげに、丸山は熱心に、兵馬は興味を以て、今しも上り
「
「おお、お前さんは、白骨の温泉で逢った
兵馬に挨拶した眼をうつして、仏頂寺を見た時に、仏頂寺はまぶしそうに横を向いて、いまいましそうに、
「ちぇッ、見たくもねえ」
「こいつは
といって、丸山勇仙も横を向いてしまいました。
鐙小屋の神主はけろりとして、
「ここで、お前さん方にめぐり逢おうとは思いもかけなかった。お前さん方、安房峠からおいでかエ」
それに兵馬が答えて、
「ええ、安房から平湯へ出て、昨晩、平湯へ泊り、こうして、わざわざ滝を見物に来たのです。そうして、神主さん、あなたは?」
「わしは、白骨から乗鞍を越えて来ましたよ」
「え、乗鞍を越えて……今時、あの山が越えられますか」
「は、は、は、もう少し時刻が早いかおそいかすると危ないところでしたよ、危ないといっても命には別条ないが、荒れを食うところでしたよ、それでも運よく、ここまで来ました」
「何しに、こんなところへおいでになったのです」
「滝に打たれに来ました」
「え、滝に……」
「この滝の味は少し荒い」
「たびたび、あなたはこの滝に打たれにおいでになりますか」
「たびたびやって来ますよ」
「そうですか、驚きました」
こうして、兵馬と
ほとんど、憎悪というよりも一種の抑え難い苦痛を感じて、この神主の立去るのを待っているらしい。キリキリと早く行っちまえ、このロクでなし行者め! 不死身無感覚のトンチキめ! 行っちまえ、行っちまえ。そのくせ、憎悪と苦痛の中には、多少の恐怖さえ
幸いにして神主の方では、仏頂寺、丸山の存在には、ほとんど注意を払っていないらしく、兵馬にだけ淡泊に、
「わしはこれからまた乗鞍越しをして鐙小屋へ帰りますじゃ、お前さん、お
山路を鳥のように走り行く神主の後ろ姿を見ました。
実際、高山を見ること平地の如く、天変と気候とを超越すること金石の如き肉体でなければ、こんなことはできないと、兵馬は手を
そこで、仏頂寺と、丸山は、生き返ったようになって、
「いやな奴だなア」
「いやな奴だよ、行者というやつは、乞食同様な奴さ」
「あんな奴の前へ出ると、何ともいえぬ
「そうだ、そうだ、あ、胸が悪い」
仏頂寺と、丸山は、ついに
兵馬は、二人をなだめる役に廻り、
「どうだ、これで実証が出来たからひとつ、下りてみようではないか」
「いやいや、あんな奴の通った路や、汚した滝壺なんぞ、見たくも
噛んで吐き出すように丸山がいう。
「白骨で聞いた尺八と、あの神主めの
仏頂寺が、踏んで蹴飛ばすように言う。それを兵馬は
「いや両君、君たち、もう少し深くつきあって見給え、あの神主はいい人間だよ、
「ペッ、ペッ、ペッ」
「ペッ、ペッ、ペッ」
仏頂寺と丸山は、兵馬の神主讃美の言葉を聞くさえ、堪えられぬもののように、再び嘔吐を催すのを、ペッ、ペッと唾を吐いて、ごまかすと共に、充分に軽蔑の意を表し、併せて、兵馬に、もうこれ以上説くな、聞いていられない、という表情をする。
いよいよ、
その時、仏頂寺が急に思い立ったように、
「どうだ、宇津木、これから
二十四
ここに不思議なこともあればあるもので、名古屋の城の天守閣の上に、意気揚々として、中原の野を見渡している道庵先生の姿を見ることです。
その嫌疑が晴れるまでは、相当の処分を受けて牢屋住まいをも致すべき身が、こうして青天白日の下に、名にし負う名古屋城の、ところもあろうに、天守閣の上へ立って、意気揚々として、遠く中原の空をながめているなんぞは、脱線ぶりとしても、あまりあざやかに過ぎます。
明治以後になって、あらゆる古城はみな解放されて、多くは遊客の登臨に任せている際にも、尾張名古屋の天守へは誰人も登ることを許されていないのに、衰えたりといえども、徳川の流れ
第一、その時代に於て、いかにこの城地の警備が厳重であったか、ここへ来るまでの難関を、あらまし数えてみると、まず、城内へ入ることを特許されたにしてからが、この天守へ登るまでには、どうしても小天守の間を通らなければならぬ。
御天守の南に並ぶ小天守――それは土台の根敷東西十七間、幅十二間四尺、高さ約四間三尺の上に、二層の天守台が置いてある。これぞ、御天守に登る第一の関門であるから、出入りの禁容易ならず、御用を
鍵は御鍵奉行が預かり、内部にはまたそれぞれの分担があって、いちいち奉行立会の上でなければ開閉ができないことになっているはずです。
そこを、どうして、わが道庵先生が通過して来たか?
そこから、いよいよ本物の御天守へ来てからに、まず
ここには長さ七尺、幅三尺五寸の扉が二枚あって、右の方の扉には長さ二尺四寸、幅一尺八寸の
道庵先生は、この難関を、どうして突破したか?
口門を入ると
桝形の奥にまた門があって、その開閉の順序次第は、前と同じことである。
道庵先生は、その関門を
この御蔵の間はちょうど、五重の天守閣の番外なる地下室に当る。ここには
第一、右の御金蔵の南には、封番人の番所があって、御天守を開く場合には必ず出役し、
さて、かりに、ここにはじめて天守の初重を踏んでみたとする。まず
それから、ほぼ初重と同じほどな規模の第二重。
東側の中央の間の北側の段階から第三重に上る。
九室に分れた中の東北の室の北側の段階を登って、ここに第四重目に入る。
四重の東北の室の段階から五重の台。
五重はすなわち天上である。
ここに藩主の
これだけの関門を、道庵先生が、どうして突破して、ともかくも、その天守閣の上に立ったかということは、今に至るまで重大な疑問であります。
かりに、非常の特典があってみたにしてからが、初重まではとにかく、二重以上へは、御用列以下の者は藩主のお
それを、繰返すまでもなく、無位無官の一平民、しかもその無位無官のうちでも、最も安直な十八文を標榜して恥じないわが道庵先生が、どうして
しかし、道庵自身にとって見れば、実にいい気なものです。
第一、あの気取り方をごらんなさい。
突袖をして、
「これはいい、全く中原の形勢を成している、英雄起るところ山河よし、とはこの事だ。第一、せせっこましいところが
と大きな声で言いました。
濃尾の平野遠く開けてはいいが、木曾川がこんこんとして流れという、その、こんこんという字は、どれを
「どうだ、友様」
と言って後ろを顧りみたところに、影の形に於けるが如く宇治山田の米友が控えていたのだ。
天下の英雄は、道庵ひとりではなかった。
「うむ、すてきだな」
「全く、すてきだろう」
米友も同じように、眼を円くして、その雄大なる中原の形勢と、道庵のいわゆる、有れども無きが如くなる遠山をながめている。
「この通り、英雄起るところ山河よしといってな、こういうところから英雄というやつが出るのだから、よく見ておきな。それ、このあいだ、見た信州の松本の深志の城というのがあるだろう、あれからながめたところの風景と、これとは同じ城でも大きに趣が違うだろう。あの城に上って見ると、周囲は皆ことごとく高山峻峰だ、山ばかり
ここまではいいが、この辺からまた脱線、
「ところが、どうだ、現在はどうだ、その昔に対して恥じねえだけの英雄豪傑がドコにいる、いたらお目にかかりてえもんだ。名古屋味噌と、宮重大根ばかり幅を
「なるほど」
「この間、お前と供養のお祭りをした太閤秀吉の生れ故郷は、ここから見てドコに当るか、お前わかるか」
「おいらにゃあ、さっぱり見当がつかねえよ」
「そうら見ろ、あの田の向うに当って、こんもりと森になったところがそれだ」
「なるほど」
「ところで、友様、東西南北がわかるか」
「わからねえ」
「そうら、こっちが西だ、遥か向うの平野に
「えッ、伊勢の鈴鹿山かい」
米友が眼を円くすると、道庵が乗り気になり、
「そうだ、あれから南に廻ると関の地蔵に、四日市、伊勢の海を抱いて、松坂から山田、伊勢は津で持つ、津は伊勢……」
「うーん」
その時
「あれが伊勢の国……違えねえな」
米友の円い眼が
伊勢と言われて、火のついたようになった米友を見ると、道庵も、はたと思い当ったことがあります。
「友様、おたがいに、つい知らず
「…………」
米友は何とも答えない。四方窓の方へひときわ身を乗り出した時の顔色を見て道庵が、ああ、こんな生一本な男に、故郷の山を見せるのではなかった、と考えました。
予期しなかっただけに、べらべらと、しゃべってしまったが、さて気がついてみれば、この男――と、そうしてこの生れ故郷の伊勢――というところには、容易ならぬ因縁の有することを、いま気がついた。
第一、この男が、何故に故郷の伊勢の国を出て来たかを考えてみると、何故に故郷を出なければならなくなったかを思いやってみると、そうして故郷を出て、
年甲斐もない道庵――その辺の事に察し入りがないというのはどうしたものか。たとえ、相手方から、あれが伊勢の国の山かいと聞かれても、なんのなんのと、そこは、お手のものでいいかげんにごまかして、感傷転換をやるほどの
「危ねえよ、友様、そう前へ出ちゃあぶねえよ、落っこちると下だぜ」
といって道庵は、窓から身をのり出した米友を、しっかり後ろから抑えました。
抑えたけれども、米友の力と、道庵の力とでは、相撲にならない。
「うーむ」
血走る眼に鈴鹿山を
「あぶねえよ――友様、冗談じゃねえぜ、落っこちると下だよ」
道庵は、ほとんど必死で米友を抑えましたが、米友はそれを顧みず、
「うーむ」
もう一寸前へのたり出す。
「友様、しっかりしな、ウソだよ、ウソだよ、ありゃ伊勢の国じゃねえんだ、まあ、こっちへ来な、こちらの方の、もっと景色のいいところをただで見せてやるから」
と言ったが、もう追っつかない。今更そんな子供だましの気休め文句を言ったって、焼石に水です。
「うーむ」
この時、もう胸から上が、窓の外に出ている。
「いけねえ」
道庵は必死にしがみつきました。
それを物ともせずに、米友は、じりじりと窓の外へ身を乗り出す。その眼は鈴鹿山から伊勢の海あたりをながめながら、その
どうするつもりだ、何かの無念と、過去の
落ちたところ――かりにこの出来事が、天守の五重目の上とすれば、石垣が東側の
それを知らないのか、この野郎、そうなった日には
だが、この時の当人の身になってみると、その惨酷なる思い出の故郷の山を、こう眼前に見せつけられているよりは、ここから落ちて、
いずれにしても、危険の刻々に迫るのを見て取った道庵は、ほとんど
「誰か来てくれ――助けてくれえ」
思わず絶叫した時に、あわただしく階段を登り来る人の足音、
「先生、どうなさいました」
「早く、早く、何とかしてこの男を、飛ばさねえように……」
「いったい、どうしたのです、先生」
「どうしたも、こうしたもねえ、この男の足をおさえておくんなさい――下へ飛ばせねえように……」
「何が何だか、わかりませんが」
といって、わからないなりに米友の足をおさえたのは、いまあがって来た別の一人――頭が丸くて十徳姿、お数寄屋坊主とも見られる――それはいつぞや、木曾の寝覚の床で、道庵と昔話の相手をしたその
二人の、騒ぐことによって、米友がほっと
おこりが落ちたように、きょろりと
とりのぼせてまことに済まなかったという
二十五
米友をなだめた道庵は、そこを一重下ってから、外を遠くながめて、
「友様、見な、肥後の熊本が見えらあ」
ここで、道庵が突然、肥後の熊本、と言い出したのは、何のよりどころに出でたのか、意表外でした。
呼び名が意表外であるのみならず、てんで方角がなっていない。その指している方向は
言われたままに、米友は、道庵の指した方向に、眼を向けることには向けました。
多分、道庵の計略では、こうして途方もないことを言って、
事実、名古屋の天守閣が、いかに高かろうとも、そこから九州の一角まで見えようはずがあろうとも無かろうとも、それは問題にするに足りないし、道庵の頭が、かなり粗雑に出来ているところへ、米友の頭が、あまり率直に過ぎるから、この
二人の間では、問題にならなかった肥後の熊本を、聞き
「先生、もう、なんですか、あなたは、万松寺へおいでになってごらんになりましたのですか、ずいぶんお早いことですなあ」
米友は、熊本が見える、見えない、ということをちっとも問題にしなかったけれど、聞捨てにすることのできなかった土地案内のお数寄屋坊主から、まじめに受取られて、道庵が少したじろぎ、
「いや、なあに、そのちっとばかり……」
とゴマかすのを、お数寄屋坊主はなおなお親切に受取り、
「もう、あれへお越しになりましたですか、実はこれから御案内をしようと存じておりましたところで……」
「結構ですな、どうぞ願いたいもんだ」
どうもここのところの受渡しがしっくり行かなかったものですから、お数寄屋坊主が少しばかり
「では、まだおいでになりませんのですか、万松寺へは」
「万松寺へ?」
「はいはい」
「万松寺……なるほど」
「稚児様の時分ですと、一段ですが、今はあんまり風情がございませんけれど」
そこで三人は、また天守の一層を下る。
下りながら、さすがの道庵も、ちょっと考えさせられました。
自分が打ち出した肥後の熊本という問題は、米友の頭では問題になりませんでしたけれども、横合いから、それを受取った人が、かえって自分に問題を打ちかけたことになる。
お数寄屋坊主が、委細のみ込んで反問した「ばんしょうじ」の符帳がどうしても道庵に解ききれない、その時は
「じ」という音が示す通り、寺の名には相違ないと判じたが、寺の名であってもなくても、それが肥後熊本と何の交渉がある。察するところ、この先生はこの先生で、また自分の言うところを聞きそこねたな。そうでなければ、
まあ、仕方がない、なるようにしかなるまい、万事、この坊主頭に任せておいてやれ、という気になりました。
そうして、道庵は、また一層の段階を下りながら、
「は、は、は、は」
と高らかに笑って、同行の二人を驚かせましたが、別の仔細はありません。
横町の二町目に店があって、親が
このお数寄屋坊主は、道庵主従を、その万松寺というのへ向けて引廻すつもりでしょう。
程経て三人の姿を名古屋大路に見出したが、途中、仰山らしい人だかりに行手をはばまれて、背の高い道庵が、その人だかりの肩越しにのぞいて見て、思わず声を上げ、
「いや、奇妙奇妙」
と叫びました。
そも、この中に何事があるかということは、道庵が見届けた通り、米友も見届けなければならない義務があるかのように、ちょっとうろたえてみたが、人の肩越しにのぞくだけの身の丈を持ち合わせない米友です。
そこでちょっと人垣の
だが、至りついて見ると、それは別段、奇妙奇妙と声を上げるほどの光景ではない。打見たるところでは、まだ新しい
と、その一方には、木刀をさした、やはりお仲間風なのが、これは、白昼に、箱提灯を
こんな、あたりまえのお供ぞろいに、さりとは仰山らしい人だかり、それをまた道庵ともあるべき者が、
「奇妙奇妙」
と、高い山から谷底でも見るような気持で、のびやかにそれを見下ろしている光景も、のどかなものです。それをまた、
「先生、いいものに、ぶっつかりました、これぞ、熱田西浦東浦の名物、元服の加儀の行列でございます、ほんとに今日の拾い物といってしかるべし」
同行のお数寄屋坊主が、道庵の背中を叩いてけしかけるものだから、
「なるほど、奇妙奇妙」
道庵には、この緩慢なる行列の正体がわかっているのかどうか、しきりに奇妙がって、中を見おろしていると……行列の主人公とも見える、水々しい新元服の美男が、いかにも
「お取持、お取持」
と呼びます。
「はっ!」
中老人の羽織袴のお取持、これは多分、先方からこの客を迎えのための案内役と覚しいのが、
「せっかく、お招きにあずかったは嬉しいが、前に、このような山があっては、進もうにも進まれませぬ」
と言いました。
「はっ、恐れ入りました、万事行届きません、では早速、山を取除かせて、道を平かに致させますでございます」
「急いで、お取りかかり下さい」
「委細心得ました」
お取持が、扇子をパチパチさせながら、
「奇妙奇妙」
道庵までが、悦に入って喝采する。米友にはわからない。
この若い奴――水々しい新元服の横柄なこと――いま、聞いていれば、せっかく、お招きを受けて出て来たことは出て来たが、行手に山があって行けないと言ったようだが――山とは何だ、坦々たる平原都市の大路ではないか、山と聞いたのは聞き違いとしても、その前路になんらのさわりも無いではないか。
そうすると、またお世話人と、お取持らしいのが両三名出て来て、仰山に、恐れ入ったふうをして、ペコペコすると、今度は、新元服に附添の、まだ前髪立ちの美少年が、振袖の
「御案内によりお相客として、われらも
「はっ、はっ――恐れ入りました、至急に地ならしを仕りまする」
新元服の本客に劣らない、振袖姿の美少年の生意気さ――道路の上に指さして、上役が下僚を叱るような態度で、きめつけているのが、
「奇妙奇妙」
道庵には奇妙だが、米友にはむしろ奇怪千万の挙動に見られます。
どうも、両者の詰問を聞いていると、いずれも、せっかく、招かれたから来てはやったが、途中に山があって、通れないということの抗議に帰着されるらしい。
ただ、これを新元服は突袖で言ったが、前髪立ちは、振袖の袂を翻して、鮮かに地上を指さしながら言っているだけの相違です。
恐縮の額に手をおいて、振袖に指さされた地上を、お世話人と、お取持が見つめて、いよいよ恐縮している。その指摘の場所をよく見れば、拳大の石が一つ、路面に頭を出している。
「このような大きな山、
「委細、心得ましてござります。おーい、人足共はあるかやい」
お取持が恐縮千万のうちに、後ろを振返って大きな声で呼ぶと、
「おーい」
と勢揃いの声がして、一方から現われるのは、揃いの着物に向う鉢巻の気負いが五人、手に手に
「これ
「委細承知いたしました、さあさあ、よいやさの――さ」
五人の頭が、鳶口を振り上げて、よいやさのよいやさのと、かけ声ばかりは勇ましく、振袖が
それからまた、
見物は、その緩慢にして、大仰な仕事ぶりを見て、しきりに嬉しがっている。
ばかばかしくって、たまらない米友。
二十六
大骨折って掘り起した三百匁ばかりの石を、手揃いで大八車に積みのせる仰々しさ、さてまた、それを木遣音頭で送り出す騒がしさ。
そこで、お取持が、新元服の前に例によって平身低頭して、工事のようやく成れることを告げてお通りを乞うと、新元服は
「お取持、おのおののお骨折りによって、大山は取除かれたが、またしてもここに大きな川があって渡れ申さぬ」
「ははあ、これはまた恐れ入りました、では、橋かけに取りかからせまする」
大きな川があって渡れないというところを見ると、金魚屋がこぼして行ったような水たまり。
その御託宣をかしこまって人夫をかり立てるお取持――えんやえんやで
「友様やあーい」
「おーい」
「どうだ、出かけようじゃねえか」
一から十まで承知しているような
毎年の
その時、亭主の方よりお取持の者が大勢出で、客の前後に従い、案内をする。その行列はさながら蟻の歩むが如く、
これは、時にとってよい
思わぬ道草で時間をとり、広小路から末広町を通って、若宮裏へ廻って、門前町へ出で、それから少し行き過ぎて、後戻りをして、
道庵がお数寄屋坊主の案内で、
ここでも多分、特別待遇をこうむることと思われる道庵。それを待つ間の時間はかなり長いものと観念した米友は、その間、彼はこの寺の境内をうろつき歩いてみる気になりました。
二十七
万松寺の境内を一わたり歩いて、
ついに、うつらうつらと、桜の根を枕にして、うたた寝の夢に入ったのは、米友としては、
このくらいの余裕はあってもよろしいし、なければ米友としても、やりきれない。それに今日は、老巧にして如才のないお数寄屋坊主の
いくしばらく、
そこで、つい、うたた寝のかりねの夢が、ほんものになり、ほとんど熟睡の境に落ちて行きました。だが、それも深く心配するがものはない、従来、極めて夢そのものを見ることの少なかった米友も、近来はしばしば夢を見ることに慣らされているけれども、かつて不動明王の夢を見て、江戸の四方をグルグル廻らせられたほどに、夢をもてあますことはありません。
それ以来、夢を見るには見るけれど、夢の後に来るものは驚愕にあらずして、多少の
彼は、どこぞでひとたび霊魂不滅の説を吹きこまれてから、それが全く頭脳の中に先入していて、生きている人と、死んだ人との区別が、どうもハッキリしない。有るようで、無いようで、今まで生きていた人が、死んで消え失せたとはどうしても思えないし、そうかといって、眼前、自分の前で死なせて、お
尊敬すべき道庵先生に、その霊魂不滅説の根拠にまで突込んで質問をしてみたこともあるが、先生の答が、要領を得るような、得ないようなことで、おひゃらかされている。
とにかく、この男としては、どうしても死んだものが、もう一ぺん、形を取って現われて来るようにしか思われてならない。死の悲しみは味わわせられたが、それは、別離の悲しみの少し深い程度のもので、いつか、また会われるという感じが取去れないのが、今はもう信念というほどのものにまでなっている。されば、江戸で失った大切な
多分、この時の熟睡の中にも、旅中しばしば繰返されたその夢に、ついさき、見せられた故郷の山河が織り込まれて、相変らず、生と、死と、
こうして熟睡に落ちている時――隠れ里の方から
「稚児桜よ」
「大きいわね」
「大きな稚児さんね」
「本当に大きいわ、花が咲いたらさぞ見事でしょうね」
「花の時分には、ここでお稚児踊りがあるのよ」
「踊りましょうか」
「踊りましょうか」
「手をつないで、この桜のまわりで、皆さんで踊りましょう」
「いいこと、ね、踊りましょう」
「皆さん、よくって」
「ええ、いいわ」
「じゃ、踊りましょうよ」
「踊りましょうよ」
女連は、おたがいに手をとり合って、お稚児桜を中に輪を作ってしまいました。自然、右の桜の根を枕にして熟睡に落ちていた米友ぐるみ、輪の中に入れてしまったものです。
「さあ、踊りましょう」
「よい、よい、よいとな」
「よいとさ」
「あら、よいきたしょ」
「及びなけれど――」
「ほら、よい」
「及びなけれど――」
「ねえ、ねえ」
「万松寺さんの――」
「はい」
「万松寺さんの――」
「はい」
「お稚児桜――」
「お稚児桜――」
「一枝
「一枝手折って――」
「欲しうござる――」
「欲しうござる――」
初めは手をつなぎ合って、輪をつくり、三べんほど廻ってから、音頭で、はっと手を放し、「及びなけれど」で、左の手で、ちょっと長い袂をおさえて、右の手を上げて、桜の枝を指し、「万松寺さんの」で、クルリと廻って、お寺の
「一枝手折って欲しうござる」で、手をからげて水車のような形も
この時ならぬ花見の催しに、あたり近所が急に春めいてきて、
踊り手も、それで一層、張合いになって踊りもはずみました。
そこで、自然、宇治山田の米友も、ひとり長く甘睡を
踊りに夢を破られた米友が、むっくりと起き上り、睡眼をみはると、このていたらくで、不覚にも眠りこけた自分というもののおぞましさを悔ゆると共に、いつのまにか、あたりの光景の花やかな変り方に驚きました。
自分のねこんだ時は、
仰天して見ると、あたりこそ花を振りまいたような陽気ですけれど、仰いで見るところの稚児桜は、寝込んだ以前に見たのと、少しも変りません。
枝が老女の髪のようにおどろに垂れて、病葉が欠歯のように
「いけねえ、つい知らずに一寝入りやらかしちゃった」
狼狽してみたが、前も後ろもめまぐるしいばかりの踊り手で、その後ろはまた見物の人だかりで垣根を造られている。
そこで、米友は、例の
本来、こうしたあわてぶりは、米友自身だけで単独に見せられると、かなり人目を
けれど、たまに存在としての米友の狼狽ぶりに注意を向けたものはあっても、多分、これはこの踊りの女連の弁当担ぎか、下足番の小冠者に過ぎまいと見ただけのものです。
そこで、米友は、誰のなんらの怪しみにもでくわさずして、手早く荷物を取って肩にかけ、杖槍を拾い取って、飛び立ったが、さて、行かんとする周囲は、踊り連の
手を放して、めぐっていた踊りの連中が、この時は、また手をつなぎ合って、ぐるぐるめぐりを始めたから、相手がこの連中であるだけに、米友としても、鉄砲玉のようにその一角を突き破って通ることに、いささか
そこで米友が、引きぞわずろうという気持で、躊躇をしている間に、
「あっ!」
といって、舌を捲いて
「あっ!」
と、二たび、三たび、地団太を踏んだのは、そこに破綻を見出したのではなく、そこに特別に何か興味の中心を見出したものでなければなりません。
「あっ!」
二度、三度、叫んで、地団太踏んだ米友が、その時こそ、ほんとうに鉄砲玉のようになって、いま、自分が見つけ出した興味の中心――つまり、踊り子の中のちょうど、
この時になって、群衆の興味が踊りの方面だけに取られてはおりませんでした。
むっくり起き上った時は、さほどではありませんでした。荷物をかつぎ上げた時も、杖槍を拾った時も、まだ見物に向ってなんらの注意をも呼ぶに足りませんでしたけれども、いよいよ立って一方を突破しようとして、小さな仁王立ちで、あたりを
一角に何か事ありと見て、異様な叫びを立てながら、二度、三度、躍り上って地団太を踏んだ時分には、それに当面していた者の注意を
それと同時に、どっと、失笑の声が湧き出したのは是非もありません。
この男の、ムキになった狼狽ぶりは、知っている者は気にしないが、はじめて見る人にとっては、絶大なる驚異と見られることも多いのです。子供たちは稀れにそれを恐怖を以て見ることもあるけれど、御当人が真剣であり、御当人が困惑すればするほど、周囲の人には、滑稽であり、無邪気であって、最も好意ある失笑を以て報われないという
今もその例に洩れず、まじめに狼狽しはじめたグロテスクの存在が、ハッキリと浮き出したために見物以外の見物が、見るほどの人をあっけに取らせました。そのとき早く、桜の樹からは巽の方面に踊っていた一人の娘のところへ行って、委細かまわず飛びついてしまって、
「お
米友は烈しく
「お前は、よっちゃんじゃねえか」
と叫びながら、無理にその女の子をゆすぶったものです。
そこで、踊りの情景が粉砕される。
袂を取られて、この怪物に喰いつかれた娘は
「おや、お前さんは米友さんじゃないの」
こう言って、色を立て直したものですから、
「おお、お前、ほんとうによっちゃんだな、おいらあ、米友だよ」
彼は、その昂奮した顔面を、すりつけるように、自分が、よっちゃんと呼びかけた娘にちかよせると、たじたじと後ろにさがりながら、
「
こう言って、せっかく立ち直った面の色をまた変えて、隙を見て、転ぶように逃げ出しました。
「違えねえんだよ、本当の米友だよ、本当の友がおいらなんだよ、だから、よっちゃん、間違えねえんだぜ」
こう呼びながら、米友は、その娘の跡を追いかけて、再び袂を捉えようとしたものですから、事が大きくなりました。
「怖いわよう、放して下さい」
娘は顛倒して走りました。
「違やしねえんだよ、友だよ、網受けの米友なんだよ、お
と叫びながら、追いかける。混乱したのは、それを見ていた同連と群衆だけではありません。
米友自身の言うところも、怖れておるところの娘の挙動も、何が何だかわかりません。
しかしながら、驚愕と、恐怖とで、夢中で走り出した娘の足と、あっけに取られている四方の人の
「ね、よっちゃん、もう一ぺん、よくおいらの
と、三たびその面を
摺りつけないまでも、遠眼で見たって、一たび見覚えのある者にとっては、この男の面は忘れようとしても、忘れられない記憶となっているはず。
「あ、友さんに違いない、けれども、わたしの知っている米友さんは、もう生きていないんですもの」
娘は恐怖のあまり、つきつけられた米友の
「ところが、生きてるんだよ、この通り、生きてるんだ、間違いはねえのですからね、よっちゃん、そんなに、むずからねえでもいいや、
「いいえ、わたしの知ってる米友さんは、たしかに死にました」
「ちぇッ、だって、当人がここにいて、生きていると言ってるじゃねえか」
「そんなはずはありません、友さんは死んじゃったのです、お前さんは別の人か、そうでなければ、米友さんの幽霊に違いありません」
「ちぇッ――別の人がおいらだなんて言うかい、ニセモノをこしらえたって、ニセモノ
「放して下さい――怖いから」
これはホンの一瞬時の出来事でしたが、この辺に至って第三者が承知しません。
第三者は皆、米友を以て、兇暴性を帯びた色きちがいかなんぞと勘違いをしていないものはない。娘を引離すより先に、米友を手ごめにかかりました。
その時、米友の
「よっちゃん、お前、ほんとうにおいらが死んでると思ってるのかい。そうだそうだ、それも無理は
この弁明が、意外に
「ほんとう――」
「ほんとうだとも、話せば長いけれど、盗みもしねえのに、
「ほんとうなの、友さん」
「ほんとうだよ、ほら、幽霊じゃねえや、足があるだろう」
そこで、米友は、また二三度飛び上って、足のあることの証明をして見せました。
娘は笑いませんでした。笑わないけど、恐怖は早くもその面から消え失せて、
「ほんとうなの?」
「嘘じゃねえというに。お前は疑ぐり深え人だなあ」
「ほんとうにお前が米友さんなら、わたし、こんな嬉しいことはないわ」
「おいらだって、おんなじことだよ、お前がほんとうによっちゃんなら、その次に嬉しくってたまらねえんだ」
と米友が言いました。心あわてているとはいえ、米友の言うことにはかなり不透明なところと、ひとり
「まあ、嬉しい」
「おいらも、嬉しい」
「友さん、まあ、よく無事でいてくれたわねえ」
「あ――おいらも苦労したよ」
「ほんとうに――」
二人は、そこで、人目も恥じずに抱き合ってしまいました。
知ると、知らざると、弥次であると、弥次でないとにかかわらず、この急激なる妥協が、すべてのあいた口をふさがらせないことにしました。
二十八
この人騒がせも、後になって接待の茶屋で、二人の無邪気な会話を聞いていれば、なんのことはないのです。
読者諸君は御存じのことでしょう、伊勢の
そうして米友の唯一の友であり、兄妹であるというよりは、一つの肉体を二つに分けて、その表の方を米友と名づけ、その裏をお君と名づけたかのようにしていた、そのお君という子の芸名がお玉であったことを――
それと同時に、お君のお玉と相棒になって、胡弓をひき、
今、ここで米友が「よっちゃん」と呼びかけてかぶりついた踊り子の娘が、すなわちこのお杉でありました。
まあ、二人の無邪気な会話を聞いていればいるほど、筋はよく通ったものです。
「ねえ、友さん、君ちゃんにも、お前にも行かれてしまったあとの、わたしのツマらないこと察してごらん、一日だって忘れたことはありゃしませんよ、いどころぐらい知らせてくれたっていいじゃないの」
「そりゃあね、知らせるのは雑作もねえが、おいらたちは罪人扱いなんだからな、うっかり便りをしようものなら、こっちも危ねえが、お前たちの方にも、かかり合いになると悪いと思ってね」
「友さん、その事なら、もう大丈夫よ。あの晩、備前屋さんへ入って、江戸のお客様のものを
「そうかなあ」
「そうだともお前、あの時の泥棒は別にあって、名乗って出たんですとさ」
「どこの奴だい」
「名乗って出たけれど、まだつかまらないんですとさ」
「おかしいなあ、名乗って出た奴がつかまらねえというのは」
「そんな事は、どうでもいいのよ。それでね、土地の人も、お前さんたちを、大へん気の毒がって、友さん、お前のお墓が、もうちゃんと出来ているのよ」
「おいらのお墓が出来てるのかい」
「ええ、お前さんは、たしかに尾上山から突き落されて、お
「ばかにしてやがら」
米友が唇を
「ばかにするつもりでしたんじゃないのよ、友さんがかわいそうだ、気の毒だ、盗りもしない
「そりゃ、そうかも知れねえが、生きている時は、さんざん人を粗末にしやがって、死んだと思って荒神様に祭り上げるなんて、ほんとうにばかにしてやがら」
「悪く取っちゃいけないよ、友さん、たとえ荒神様だって神様のうちだろう、生きていて神様に祭られるなんて、結構じゃないか。それでお前の方は死んだものと、みんなあきらめているが、お君ちゃんばっかりは、生きているのか、死んでいるのか、ちっともわからないんだもの」
「うむ……そのはずだ、生きているか、死んでいるかわかるめえ」
「ことに、わたしは、ああして姉妹同様に一つ小屋で
お杉であったよっちゃんは、今日もまた、この万松寺へ参詣したのは、その昔の朋輩思いのために、このお寺には、白雪稲荷のほかに「足止め不動」というのがある。家出人や、駈落者が遠くへは行かないように、この不動尊の足を縛っておくと、動けなくなってやがて帰って来るとの迷信がある――それを信じて、昔の朋輩のお君のために、この娘は不動尊の足を縛りに来たのだが、それが、米友さんの足を縛ったことになったのも有難い……と。
そうして、この名古屋に来ているという理由も、お君と離れてから、間の山稼ぎも面白くなく、看板は新進に譲り、自分は、これから芸事を本格に勉強しておきたいという志願で、踊りの本場といわれるこの名古屋へやって来て、当時有名な坂東力寿さんのところへお弟子入りしているということ。
もう、踊りも名取になったから、一旦、国へ帰って、それから四日市へ出て、お師匠さんで身を立てようと思う――というようなことを、米友に語って聞かせました。
そうして、一通りの身の上話が終ると、結局、
「友さん、そういうわけだから、ぜひ、わたしと一緒に国へお帰り……お前さんが帰ると、土地の人が、どんなにびっくりするだろう、わたしは、そのびっくりする
二十九
お銀様というものの存在が、今や有野村にとっては、恐怖の的でありました。
あの災難の後、伊太夫は、慢心和尚を招じて大供養をいとなみ、追善として、米穀と、金銀との
お銀様は、
ただ、御当人だけが呪われたる生活にひたる分には、まだいいが、その個人生活が漸く
父の伊太夫のこの娘に対する苦心、もてあましは、今に始まったことではないが、この際一つの悔いを追加したのは、この娘から、あの弁信という奇怪な小法師を取放してしまったことが、今になると、悔いても及ばぬ感じを起させました。
火事の混乱まぎれに、あの小坊主を冷遇して、出て行かせてしまったことは重大なる失策だ、とはじめて気がついたようです。ナゼならば、あの小坊主のいる間は、とにかく、お銀様は慰められていたようです。慰められないまでも、お
あの小坊主去った後は、お銀様の傍へ寄りつくものがありません。
たまに、寄りつくものがあれば、
雇人たちは、戦々兢々として、椿の下の御殿へ行くことを怖れます――けれども、主命によって行かねばならない時は負傷を覚悟して、その被害をなるべく少なくするの用意を整えて行きます。
その負傷の軽重は
伊太夫は、供養の時も、慢心和尚に向って、更に
「あれは、わしが手にも負えぬ、わしも、あの娘にはおそれいる」
と言ったきりで、もう取りつく島がないのでありました。
そこで、伊太夫は、小坊主の弁信を手放したことを、返す返すも悔い、あとから追いかけさせてみたけれど、行方は更に知れません。やむを得ずんば第二の幸内をと、暗に当りをつけてみたけれども、その選に当ったものはほうほうの
だが、人間はいつもそう張りきった心で、精髄を
小春日和に、どこともなく裏山を歩いて、森を越え、村を越えて、高いところへ出ると、そこに腰を下ろして、じっと山河を見つめているお銀様の眼から、ひとりでに涙の泉の湧き
そこで、お銀様は、甲府盆地に見ゆる限りの山河をながめます。後ろは
ことに、金峯の山が、お銀様の嗜好に適するというのではなく、この地点に座を構ゆれば、おのずから、視線がそこに向くのであります。そこでお銀様は、日の暮るるまで山を見つめて泣くことがある。
自然を見ることによって、人事に想到し
東に走る大道を見れば、自然、そこで、ついこの間まで暫くの間、数奇なる転変をつづけていたところの生活を、思い出でないという限りはありますまい。
屋敷にいると、人間の
そこで、胸が開けるのでしょう。胸が開けると、
そこで、お銀様は人を恋うて泣く。
かつて、愛し且つ
柔順な、純真なあの子を、わが心のひがみから、あまりにも虐げ過ぎたと自覚した時には、たまらない悔恨に責められる。
お君を想い出して、次に竜之助のことに及ぶと、お銀様の全身の鱗が逆立ってくる。そのもだもだした、いらいらした風情で
その時は、どうかすると、眼をつぶって、高いところから急にかけ下りることがある。
肉の中にうめく、八万四千の虫が、肉の中でいら立つと見える。
たまらない。その時は、夢中に馳け出して、やっと踏みとどまったところもまだ高い。もしそのところが断崖であったら、その肉体は砕けてしまったでしょう――
平地に至るまでには、自分の屋敷へ帰るまでには、まだまだ多分の距離がある。そこで、踏みとどまったお銀様は、またぐったりと身を落して、草原の上から、遠くつづく、わが家の森を見る。
山も、森も、水も、
その時、弁信は何と言った。
三十
お銀様は、弁信の言葉を思い出しながら、当夜の業火のあとをつくづくとながめる。
火が、すべてを焼きつくす革命の痛快に驚喜したのも何の事――その時の業火のあとを少し避けて、今し、盛んなる再建工事が、前よりも一層の規模を以て、進行されているではないか。
全く、革命がどこにある。絶滅がどこにある。浄化が、魔化が、それが今、どこに権威を示しているのだ。
復興が早い。焼け尽したと見せた
お銀様は充分の冷笑をたたえて、その新築の作事工場から焼野原を見ました。
その焼野原のまんなかに、そそり立つ巨大なる一本の木柱を見出した時に、お銀様は、またもや、極めて皮肉なる冷笑を禁ずることができませんでした。
お銀様は、その日のことを狂言と見ている。父の伊太夫が、尊信
祖先以来、積み蓄えた金銀財宝を七日の間、あらゆる人に施行してみたところで、それが何だ。
ことにあの気ちがいじみた、まん円い坊主が、力自慢をこれ見よがしに、あの木柱をかついで来て見せて、俗衆をあっといわせ、その図を外さず、わざと自分の握り拳かなにかを振りかざして、グッと自分の口中へ入れて見せてのしたり顔。
あの木柱は、あれは何です。
あれをかついで来た、あの気ちがい山師坊主の怪力とやらが、そんなに有難いものですか。
牛や馬が無いじゃあるまいし。
それを、仔細らしく、あの木柱へ筆太に書き立てたあの文句は何です。
そうして、仔細らしい文句を、人を食ったような、まじめなような、物々しい気取りで書き納めて、それを押立ててその下で、伊太夫はじめ一族が参列の施餓鬼か、施行か知らないが、その物々しさと、あの坊主の悪ふざけ。藤原の家の財宝を、わがもの顔にふりまいて、あまねく一切に慈悲善根を
それを、委細かしこまり上げて、いちいち、渇仰尊信して、
滑稽の
その滑稽と、嘲笑の的となって残されているのがあの木柱ではないか。
白々しい、おかしらしい、
お銀様は、慢心和尚という坊主を快からず思っている。あの時の施行供養を、
その翌日、お銀様は急に自分の持分の小作たちをかり集めて、自分が命令を下して、一つの工事に取りかかりました。
「お前たち、これから気を揃えて、わたしのために塚を立てて下さい。その場所は、わたしが行って指図をしますから、その場所へ、まず土をできるだけ高く盛り上げて、大きな塚をこしらえて下さい。その塚の上へ立てるものは、また別にわたしが工夫して、お前たちに頼みます。今日はこれから、わたしと一緒に、その場所を検分に来て下さい」
彼女は二十四人の男を率いて、自分の家を出ましたが、ほどなく到着したのは、別のところではありません、昨日、散歩のみぎりに足をとどめて、つくづくと見入ったところ。かつてはそこで弁信法師と共に、業火に焼けるわが家の炎をながめながら、一流の強弁を
ここへ来ると、お銀様は手に持っていたところの杖で、その地点の上に、かなり大きな円を
「お嬢様、ここへ、
「普請というわけじゃありませんが、できるだけ土を盛って下さい。土は、どこから運んでもかまいません、土をできるだけ高く盛って、それを雨で溶けないように固めて、芝を植えて下さい。その上は四坪ほど平らにして置いて下さい。それから四方へ上り口をつけて、石段をつけてもらいましょう」
「で、お嬢様、高さはどのくらいに致したものでございましょう」
「高さは、できるだけ高くして下さい」
小作連のうちの年長は、この注文には、少なからず当惑の色があった。
「できるだけ高く、とおっしゃっても、高いには際限がありませんでございますから……」
「それはわかっていますよ、富士や白根より高くなんて言いやしません、お前たちの力で、このくらいの円さのうちへ、頂上へ四坪ほどの平地を置いて、それでどのくらい高く出来るか、やれるだけやってみてごらん」
「左様でございますか……そうして、四方へ石段をつけますと、その勾配を見計らわなけりゃなりません、勾配はどのくらいにしたもんでございましょう、あんまり急ではいけますまい、そうかといって、あんまり低くてはお気に召しますまいが、高くするには土を固めて芝を植えただけでは持つまいかと存じます、石垣に致しますか、石で畳み上げますか、いずれに致しましても、あらかじめ高さをきめて、やっていただきませんと……」
「わからない人たちだね、いま言った通りにして、できるだけ高くすれば、それでいいじゃないの。でも、それでやりにくければ寸法をきめて上げましょう、塚の高さは一丈六尺八寸となさい」
「一丈六尺八寸でございますか」
「ええ、一丈六尺八寸の高さになるように土を盛って、その上を四坪四方ほど平らにしておくんですよ、そこへまた物を建てるのですから、まわりは石垣でも、石畳でもいけません、塚ですから、土を積み固めて芝を植えるのです、まわりの上り道だけに石段をつけて……都合によっては、土台はこの円よりも大きくなってもかまいません――わかりましたか」
「わかりました」
「わかったら、今日から取りかかって下さい、かかりはお父さんの方へ言ってはいけません、一切わたしの方で持ちます」
父以上の暴君であるこの姫君の命令に、小作連が
ただ一つ、取柄なことは、この暴君は、父に比して人使いが荒い代りに、金払いが極めてよろしいということです。大抵、今まで、この姫君から命ぜられた
果して、その日から、ここに新たな土木工事が起されました。
本宅の再建工事を監督している父の伊太夫が、
だが、何の目的のために、何の必要あっての工事か、それは問わないことにしている。
三十一
それから数日の間、お銀様が面を見せなかったのは、
果して、数日を経て、使の者が甲府の町に向って飛ばされました。
それに応じて、使者ともろともに召し出されたのは、甲府で名うての腕利きの老石工でありました。
この石工をお銀様は一間に招じて、そうして自分が手ずから
甲府から呼んだ老石工に、一枚の絵像をつきつけたお銀様は、まず絵像そのものだけで、老石工を驚倒させてしまいました。
藤原家の勢力のほど、その家庭内の風評、ことにお銀様というものの存在について、この老石工は熟知している。さればこそ、こうして、迎いを受けると、時を移さず親方が出向いて来たものに相違ないが、この絵像をつきつけられた時は、さすがの老石工が
右の絵像に現われた一種異様なグロテスク。これは多分お銀様の創作というものでありましょう。
今まで、神社仏閣の表に、多くの伝説あるグロテスクを刻むことに慣らされた老石工も、この画像には驚かされました。
「お嬢様、これはいったい、何様なんでございますか。わしが若い時分日光へ参りました時、あれにお若様というのがありましたが、そんなんでもございません。箱根の
「そんなものじゃありませんのよ、わたしの
「アクジョ様でございますか」
「ええ、仮りに悪女様とつけておいて下さい。親方、ひとつこれを丹念にこしらえ上げてみて下さい、もう立てるところは、ちゃあーんときまっていますから」
「なるほど――」
怖る怖る手に取り上げて、まぶしそうに老石工はその絵像をとって、つくづくと打眺めました。
巨大なる

巨大な、どんよりとした眼が、パッカリと二つあいていて眉毛は無い。
鼻との境が極めて明瞭を欠くけれども、口は極めて大きく、固く結んだ間へ冷笑を浮ばせている。頭から顔の輪郭を見ると、どうやら慢心和尚に似ているが、パッカリとあいた眼は、誰をどことも想像がつかない。
だが、そのパッカリとあいた、力のないどんよりとした眼が、見ようによっては、
お銀様のこしらえたのはスフィンクスです。
だが、古代
たとえば、復興時代のエジプト人が、母性守護の女神として表徴した、奇怪なる河馬女神トリエスの石彫像に似たと言えば言えるが、もちろんそれではない。
牝牛を頭にいただいたハトル女神の面? アプシンベル神殿の岩窟の四箇の神像のその一つ、クラノフェルの面に似ていると言えば言えるかもしれないが、それでありようはずのないのは、メンツヘテブの石彫がこれと似て非なるものと同じこと。
古代
お銀様のスフィンクスには、怪奇はあるが写実はないといってよろしい。
古代エジプト人は、死者の霊魂は必ずその彫像を借りて生きて来る、或いは彫像によって死者の霊魂を迎え取ろうという信仰があった。よし、それは迷信であっても、信仰の一つには相違ない。
そこで六千年以前から、人類生活を持っていた偉大なるハム民族は、その巨大なる想像力と、独得なる霊魂復活の信念を働かせて、多くの巨人的製作を、現代の我々の眼にまで残している。
お銀様のスフィンクスは、こんなものではない。
第一、お銀様には、その巨大なる想像力がない如く、殊勝なる霊魂復活の思想なんぞはありはしない。
そこで怪奇の目的が、大自然へのあこがれでもなく、大自然力への奉仕、或いは恐怖でもなく、ただそれより以降、六千年の人間の世にうごめく眼前の我慾凡俗の間の、呪いと、恨みと、嫉みとが、生み上げた復讐的精神の変形として見るよりほかは見ようがないらしい。
だから、彼女のスフィンクスの怪奇の対象は、彼女自身の、むしゃくしゃ腹の具象変形に過ぎないと思われる。
そこで、この絵像の与うるところの印象は、全体に於てノッペラボーで、部分に於て呪いで、
これを突きつけられた老石工が、圧倒的に、驚愕と狼狽を与えられたほかに、文句の出しようがなかったのも無理はありません。
それを立てつづけにお銀様は、多くの石刷や、絵像や、堂塔の図面の類を持ち出し、石質がこうの、台座がああの、
かようにお銀様の高圧的な提出の上に、お銀様の家の実力と、多年のお出入りの恩顧というものが、老石工をして、否の応のを申し立てる余地のないことにしているのは申すまでもありません。
委細を了承して、老石工はひとまず辞して帰りました。
それから後、お銀様の屋敷の一角に、石材工場が設けられ、右の老石工が数名の助手をつれて、そこに詰めきりになったことは、まもないことでありました。
三十二
こうして、スフィンクスのプランと、工事の進行とを、遮二無二おしかたづけてしまったお銀様は、次に何を為す?
先日の火事に、藤原の家の焼け残ったもののすべてのうちに、文庫がある。
この文庫に没頭したお銀様が、更に記録の上から調べ物にかかりました。
何を調べる?
多分、近き将来に竣工すべき、この悪女塚のための施主として、その塚に祭るべき悪女の因縁と、経歴との考証に取りかかっているのでしょう。悪女塚の亡霊の主を、書巻の間から求めようとしているのでしょう。
まあ、見ていてごらんなさい、あの通り六寸に切った塔婆形の小木片に向って、いちいち、その書巻の間から探し出した亡霊の主の名前を、書きとめているではありませんか。
また、その一枚一枚を書くごとに現われる、あの面の色――というよりは、覆面の下から浮び出でるところのあの箇々の表情をごらんなさい、一種の痛快なる反抗に、筆のおののくのを感じませんか。たまらないほどの肉感的昂奮のために、眼の色が燃え立つのを認められませんか。
こうして、お銀様の周囲には、あらゆる参考書と、それから選び出され、或いはそれを聯想して浮び出でた人名が、筆に伝わって、六寸の小木片の上に走ります――
いったい、かような異常な昂奮によって、お銀様に選び出されて、その筆端に載せられている、
それは狂熱的、昂奮的、反抗的であることは勿論だが、そのうちに、冷静なる史的根拠と、お銀様独断の順序が、一糸乱れずに存在していることはいるらしい。
昂奮と、反抗は、ただ表情として現われるのみで、仕事の事務としては、いささかも、狼狽と不規律は存していないようです。
まず、そのお銀様の筆端にのぼった最初の人の名から調べてみましょう。
六寸に切った木片の第一には「
妹姫、
その美なるを以て妹姫はかぎりなく
その次にお銀様は「
この女性は、神代に於ける第一の艶福家
それより、やんごとなき身で、実の兄妹で深い恋に落ちた女性の名。
尊貴の身にして、やはり嫉妬のために焼き亡ぼされ給わんとしたその御名。
蘇我氏の大逆の裏に拭うべからざる
藤原の
夫を外征にやって、その間に
延喜天暦の頃の才媛にも悪女が多い。
頼朝の政子も――秀吉の淀殿も――家康の築山殿も、千姫も、みんなお銀様は悪女の名に編入しているらしい。
ずっと近代になって、延命院の美僧のために犯されたという女性たち。
大奥の江島は、実は月光院の犠牲であるという意味でお銀様は、流された江島よりは、本尊の月光院の名を憎んで、悪女の中に入れてしまっているらしい。
それと、生島新五郎の弟大吉を長持に入れて、奥へ運ばせて淫楽に
三十六人の情夫を持ったという
蛇責めにあったという反逆の女性。
すでにかくの如くして、歴史、文章、記録、草紙、物語の中より、一通り検討しつくして筆端にのぼせてしまったお銀様は――ついには物の本にあり、或いは伝説にあって、その実在を疑われるほどのものまでも、ようやく取入れてしまったらしい。
そこで、今度は、自分の身辺のことに及んで来る。自分の身に最も近いところの、悪女の面影を思い浮べ
「悪女大姉」
この名が、染井の化物屋敷の、うんきの中に、土蔵住まいをしていた時の机竜之助の口ずから聞いて、亡き者を、有るが如くに妬みにくんだあのお浜という不貞な女。
お銀様は、筆誅を加えるほどの意気組みで、その名を
その次には、自分の継母を加えようとしたらしいが、あれはにくむに足りない女だという、軽蔑の気が先に立ったものか、急にとりやめてしまったようです。
ある時は、お角という女興行師の親方をも筆端に上せようとしてみたが、いやいや、あの女も悪女ではない、いい女だ、気象のさっぱりした、男惚れのする女でもあれば、男まさりもする女だ、自分に対してだけは妙に気を置くが、自分はあの女を嫌いではない、あれは悪女ではあり得ない、とあきらめもしたようです。
そこで、お銀様は、なお周囲を狭くして、自分の眼に見、耳に聞くところの範囲での悪女――姦通した女、
夫を持ちながら情夫が数人あって、その情夫に殺されたというなにがし村の淫婦。
夫を毒殺して男と逃げたという良家の家附きの女房。
娘の婿を奪って、娘を川へ突き飛ばしたという後家さんの名。
夫の情婦をつかまえて来て、焼火箸で突き殺したという武勇伝の女主人公。
強姦されて出来たという子を殺した娘。
お銀様としても、多年、左様な淪落の罪悪史を聞いていないことはない。また人の口の
この計画はかなり図に当ったようです。夜もすがら、酒を飲ませ、肉を喰わせつつ、思う存分に、エロチッシュを語らせて、それを一室にあって盗み聞くお銀様は、かくてまたこの事に得ならぬ会心と昂奮とを覚えたようです。
それを聞取ったお銀様は、それぞれの名をしるし、名のわからない時は、情夫を幾人持った女、幾人の男に辱しめられた女――亭主を殺した女、殺したといわれるが証拠の無いという女――その罪の輪郭だけを書いた幾つもの位牌をこしらえつつ、その殖えてゆくのに、ほくそ笑みをしています。
最初は、歴史的に、文章記録の上から調べ上げた者、その名は全部過去の人でありましたが、後には、ある部分は過去の人があり、追々に大部分が現存の人であろうとする。お銀様は過去の悪女のために位牌を作るのみならず、現存の悪女のためにも位牌を作っているのです。そうして、その結果が、あっぱれ、この悪女塚の供養式の日には、世に無き亡霊を呼び迎えるのみならず、現に生きている悪女という悪女をことごとく招いて、列席させてみようではないかとの、一種異様なる興味に
この女の
三十三
こうして幾日の間、お銀様はスフィンクスをこしらえることの興味に熱中している時、不意にこの熱中を破るものがありました。
ここでは絶対権を有するお銀様、来って触るるものには、暴君の威を示して粉砕するお銀様の興味を破るものは何、破り得るものは何。
それはもとより、父の干渉ではありません。父といえども、この領国に足を踏み入るることの危険は、知りつくしていなければなりません。否、父こそ最もその危険を知っているものといわねばならぬ。自然、善にまれ、悪にまれ、気まぐれにせよ、
それは、酒飲みに酒を与えて置くように、餓虎に肉をあてがって置くように、飽いて後の兇暴は知らず、ありついている間の平静を喜ばねばならないのが、父伊太夫の立場です。
「まあ、お嬢様、御無事でいらっしゃいまして何よりでございます、ほんとに、よく御無事でいらっしゃいました」
こういって、遠慮なく、障子越しに、なれなれしい言葉を聞いたものだから、暴女王が、悪女の名を記す筆をとどめて、あっけに取られました。
この王国のうちに、自分に対して、こんななれなれしい、
のみならず、障子越しに、こんななれなれしい言葉をかけてから、縁側へ進み寄って、
「御無礼いたします、お嬢様」
と言って、障子を引開けてしまったのです。そこでお銀様、
「あ、お前は両国の親方じゃないの」
「はい、
「まあまあ、お前」
さすがのお銀様が、あきれて物が言えなくなったのも道理であります。
「だしぬけに、あがりまして、申しわけがございませんが、お嬢様が、こちらにいらっしゃると聞いて、あんまり、おなつかしいものですから、つい、こんなに、ざっかけに押しかけて、お仕事のおさまたげをしてしまいました」
息をはずませて、お角がこう言いました。これに対して、お銀様に悪意を表するの機会を与えないほどの呼吸でありました。お銀様とても、この意外は
「ほんとに、親方、珍しいことですね。どうして、いつ、こっちへ来ました。まあ、お上りなさい」
といって、お銀様は、あたりを取りかたづけてお角を招きます。
「まあ、お上り……」
といって、この暴女王から特権を与えられたものは、あの
それを、ハニかんだり、辞退したりするようなお角ではありません。
「では、御免下さいませ」
ここで、お銀様とさしむかいになると、お角はまた打ちつけに、
「お嬢様、御無事で結構には結構でございますが、角はずいぶんお恨み申し上げますよ。どうして、わたしのところをまあ、おことわり無しに出ておしまいになったのでございますか。お嬢様のためには、わたしはああしてあれほど、もうできます限り御機嫌に逆らわないように、お世話申し上げたつもりでおりましたのに、何が御不足で、おことわり無しにお出かけになってしまったのでございますか。お嬢様に出し抜かれた、わたしの身にもなって御覧下さいまし、
と、お角は一息にまくし立てましたが、なるほど、それも口前ばかりではないらしく、お角の眼が、次第次第にうるおってくるようです。お角さんという女、まさか人を喜ばすために眼を
といって、お角ほどの女が、お銀様に向っては苦手であることはいまさら申すまでもありません。
お角さんほどの女が、このお銀様の前へ出ると何か気が引けて、
お角ほどの女が、こうしてお銀様の前で涙ぐむのも、この言い知れぬ親愛の縁がそうさせるのかも知れません。
「親方、どうも済みませんでした、あの時は、つい、あんな気になってしまったものですから、フラフラと出かけてしまいましたが、お前さんにことわらないで出たのは、わたしの卑怯ゆえだと思いました」
「いいえ、お嬢様、わたしが至らないからでございます、お嬢様の機先を打つことができなかった、つまり、こっちの抜かりでございますから、仕方がございません」
「そうではありません、お前さんの信用をいいことにして、ペテンにかけて、わたしが出し抜いたのですから、全く、わたしの卑怯よ、
「どう致しまして、わたくしこそ申しわけがございません」
「いいえ、重々、こちらが悪かったのよ、あやまります」
といって、お銀様がお角の前に、頭を下げたものですから、お角が何といっていいか、暫く挨拶に困りました。
三十四
お角の、ここへ訪ねて来たということは、必ずしも出来心ではありませんでした。
そうかといって、
また、お銀様の父の伊太夫に対して、資本主としての貸借関係から、その債務を果すためとか、申しわけのためとか、そんな用向で、わざわざ再び甲州の地を踏みに来たものとも思われません。打ちとけた話を聞いてみると、それもこれもひっくるめて、こんなような次第です。
切支丹大魔術師の一世一代を
だが、見込みのつかない事には乗らず、見込みのつく事は人に知恵を授けてやって自分は乗出さずに、うまく
それは、この甲府が目的の地ではありませんでした。
一蓮寺のあのいきさつは、今ではもう夢のあとです。お角ほどの江戸ッ児が、あの時の燃えのこりを根に持って、灰下をせせりに来るという、了見はありますまい。甲州へ来るのが目的でなく、その目的のところは、ずっと離れた尾張の名古屋の城下ということでありました。
尾張名古屋へまた、江戸ッ児のお角さんが何の用あって――何の
それには、また、こういうわけと仔細があるのです。
少し長いかも知れないけれども、その由緒来歴は一通り説明してみないとわからないでしょう。
そこで、大要が尾張名古屋の城下の舞踊の略史ということになる。
舞踊――おどりを口にするほどのものが、名古屋の踊りに特別の地位を認めないというわけにはゆくまい。
人も知るところの、近代の名古屋の舞踊界に同時に現われた三人の名手。
京都祇園の生れ、
阪東秀代が江戸から流れて来たのは弘化三年、年二十三歳の時という。秀代は江戸旗本の娘(本名、川澄うら)、これが篠塚流に劣らざる名古屋舞踊界の大きな勢力となる。
この間に出入介在して、長と能とを取入れて、ついに天下無比と名古屋が誇る名古屋踊りを大成した西川鯉三郎が現われる。
力寿――秀代――鯉三郎。流名を以て言えば篠塚流と、阪東流と、西川流とが、幕末及び明治にかけての名古屋舞踊の三大潮流をなす。後にはみな西川派へ合流してしまったようなものだが、この三派にもおのおの、盛衰と消長とがあって、或いは合し、或いは離れて、かなりの混戦があった。力寿は京都にある時、四歳にして家元篠塚文寿の門に入り、十三歳にして
西川鯉三郎が、江戸から名古屋へ入って来たのは、右の篠塚力寿が全盛時代であったことと思われる。
力寿の父は、鯉三郎が西川流の踊りを見て感嘆し、これを自分の家に留めて踊りの師匠をさせていたが、やがて二人は結婚して、ほどなく離婚し、力寿は京都円山へ移り住むことになった。
文久元年、力寿は再び京都から名府へ帰って来たけれど、その時、阪東秀代の勢力が隆々として、力寿はこれに圧倒されんとしていた。
阪東秀代は舞踊に於て、篠塚流を抜いたのみならず、安政四年、門弟を集めて女芝居の一座を組織し、その初興行を若宮で催したのが縁となって、名古屋の女優界に一つの機運を産み出した上に、中村宗十郎の妻となって、彼を一代の名優に仕立てたのは、その内助か、内教かの功多きによるという。
篠塚力寿が京から再び名古屋へ帰って来る。留守の間に自派の振わざるを見、阪東派の盛んなのを見て、いかなる感慨を
舞踊は西川流に併呑され、或いは合流されて行くうちに、この二人の花形がようやく老いゆきて、舞踊から女優方面に、進路を見つけようとした潮流はよくわかる。
それと前後して、以上の三流とは全く別派の流れをなして来たものに、初代岡本美根太夫がある。
もとは江戸の人で、新内を業としていたが、大阪で薩摩説教節を聞いて、これを新内と調和して新曲をはじめ出した。
この岡本の女弟子たちによって源氏節なるものが生れんとして
そんなような空気から、名古屋の女流界にはかなり
その空気を見て取った誰かが、お角さんに伝えたものらしい。
人に屈下せざる、とにもかくにも自ら祖をなさんとする意気に満ちた女流芸人が、名古屋の天地に存在していないということはない。ただ憂うるところは彼等を踊らせる舞台廻しがいないことだ。八天下は無天下になり
その不足と、遺憾の点を見て取ったその道の通人が、江戸へ往復のついでに、当時、異彩を放って、未だ老いたりという年でもないのに、あたら引退しているお角さんに眼をつけ、あの親方を名古屋に引っぱり出して、この機運の
天下の興行は名古屋から出で、名古屋の興行は女流から出でるという歴史が作れる――と、そこまで乗込んだかどうか知らないが、名古屋の女流の人才余りあって、その経営者の不足を見て取った者が、江戸に遊んでいるお角さんのことを想い出したのは、人物経済眼の
そこで、通人がお角さんを説きつけたものです。
そこは、お角さんも女ではあり、小うるさいから引退を表明したようなものの、人のする仕事を見ていると、子供のようで、腕がむず
興行界で、未だ
しかし、お角さんは、道庵先生とは違い、根が興行師だけに、かなり山っ気も向う見ずもあるが、また相当に腹のしめくくりがある。いかに乗り気になったところで乗出した以上は物笑いになるようなことをしでかして、江戸ッ児の
「なあに、わたしなんぞ、
こう言って、お角さんは、
その一通りの道程を、お角はお銀様に物語る前に、伊太夫に会って、
伊太夫はお角のきっぷを愛して、かなりの信用と、
お角さんの方でも、今後また名古屋を地盤として、東西へ足をかけた仕事に乗出してみるような機会には、この大尽の好意、或いは諒解を得ておくことは、どのみち損ではないと考えていました。
この
「それは結構なことで。いつになっても、お前さんのその男まさりの仕事好きの勇気には感心するよ、お前さんが男であったら、それこそ大物師になれるし、一代の金持にも、株持にもなれるお人だ、感心しました。ずいぶん、大切に行っておいでなさい。また旅先で何かと、わしで用の足りることがあったら、言ってよこしてみて下さい……それからね、いやな話だが、やっぱり落ちて行くのは、あの娘のことだがね――あれもお前さんにまで、重々迷惑をかけてしまったが、何ともしようがない、今は我儘放題にして、屋敷のうちへ取りこめて、
こういって、
「どう致しまして、わたしなんぞに、あのお嬢様をお引廻し申すなんて、そんな力があるものじゃございません、わたしどもこそ、お嬢様から引廻されているようなものでございますが、それでも多少年の功で、おとなしく引廻されているところに
こういうふうに答えて、お角は、お銀様に向い、一通りのゆくたてを話した後に、改めて、それとなく父の希望を、自分の希望として、お銀様に旅の誘いをかけてみました。
お角の説きつけぶりがよかったせいか、お銀様の風向きがよかったのか、すらすらとお角の誘引に乗出したのが不思議なくらいでありました。
「そうですね、そう言われると、東海道の道中は面白そうですね、名古屋の踊りも見たい、お伊勢参りもしたい、奈良や、京都や、大阪、なんだか物語でなつかしがっている風景が、眼の前へ浮いて来るように思います。お前さんとなら安心だと思います、一緒につれてもらおうか知ら」
「お嬢様、ぜひそうなさいまし、わたしがついて、思いきって、お嬢様に面白い旅をさせてお上げ申しますよ」
こうして、お角はとうとう、お銀様を口説き落して旅立ちの決心をさせてしまったのは、予想外以上の成功でありました。
お角が、この予想外以上の成功に、自分の腕の誇りを感ずるよりは、それと聞いた父の伊太夫の喜びは、非常なものでありました。厄介払いをしたというわけでないが、たしかに自分のあえぎあえぎ背負って来た重荷を、
スフィンクス建設の工事と計画は、案を授けて、不在中に進行させ、自分は早くも旅の用意にかかったお銀様――お銀様自身の用意よりもなお周到に、十二分の用意を迅速にととのえてやる父の手配。
善はいそげ、御意の変らぬうちと、その発足も、翌日ということにきめてしまいました。
この有力な人質を得て置くことは、今も昔もお角にとって、損の行くことではありません。一石二鳥というが、これは少し荷が重いには違いないが、一石二鳥にも三鳥にも、或いは無尽鳥にも向う宝の庫を背負わせられたように、転んでもただは起きないお角の功名の一つでありました。
これがまた、父の伊太夫を喜ばすことは前述の如く、この暴女王の絶対権に支配されていた以前の小作たちから圧迫の
いずれにしても、お銀様の急の旅立ちということが、三方四方によい空気を持ち
だが、申し合わせたわけではないが、この時、名古屋にはすでに、江戸ッ児の
そこへ、お銀様と、お角さんが乗込んで、万一かの地で鉢合せでもしてしまった日には、名府城下の天地の風雲も想われないではない。
三十五
神尾主膳はこのごろ、子供と遊ぶことに興味を覚えたらしい。だがそれは子供と遊ぶというよりは、子供をおもちゃにすること、子供を
それの因縁は、先日のある日のこと、子供らが
「ここんちの親玉は、こわい
「悪いやい、親玉なんていうのはよせやい、こんな大きな、豪勢なお屋敷だろう、殿様だよ、きっとお旗本の殿様なんだぜ」
と、たしなめる。
「殿様――殿様にしちゃあ、家来がすくねえのう」
「殿様の御隠居なんだろう」
「御隠居――それにしちゃあ、年が
「だって、ただのさんぴんじゃ、こんなお邸は持てねえや、殿様だよ、殿様にしておかねえと悪いや」
「殿様? ほんとうに殿様か知ら、じゃあ、加賀様かえ」
「馬鹿――加賀様は百万石だ、殿様だって、ここん殿様あ、そんな大名と違わあ」
「じゃあ、何て殿様?」
「殿様は殿様だが、お旗本だよ」
「お旗本の何て殿様なの――」
こうたずねられて、悪太郎の
百万石の殿様でないことはわかっている。お旗本の殿様だと仮定してみる。百万石必ずしも大ならず、小なりとも、お旗本にはお旗本の貫禄があるということも、子供心に納得はしているらしい。だが、ここの殿様は、何という殿様――何様のお屋敷とたずねられては
「ここんとこの殿様には、目が三ツあるね」
先日、平身低頭していた凧の持主が、突然にこう言い出すと、
「ああ、本当だよ、眼が三ツあるよ、一つはここんとこのまんなかにあって、
眼が三ツある殿様。普通の眼のほかに、錐のような眼が、額のまんなかに一つついていて、総計三ツある。
「じゃあ、三ツ目錐の殿様と、おいらたちで名をつけようじゃねえか」
「三ツ目錐の殿様――よかろう」
「いいかえ、では、ここの殿様は三ツ目錐の殿様、このお邸は三ツ目錐の殿様のお邸っていうんだなあ」
「ああ、そうきめちゃおう」
「きまった、きまった、三ツ目錐の殿様、三ツ目錐のお邸」
異議なく、ここに新名称が選定される。口さがなき根岸わらべによって、神尾主膳は、三ツ目錐の殿様の名を奉られてしまう。こういう名称は、本人が聞いて、喜んでもよろこばなくても、禁じてもすすめても、それの流行は止むを得ない。
子供たちも、さすがに、殿様自身に聞えるようには、選定名称を呼びかけはしないようです。
三ツ目錐の殿様は、日を期して、これらの
子供らは、よい遊び場所を得たと思っている。見かけは怖いおじさんが、存外以上に甘いおじさんだということを見出してきた。その芝生の上は相撲競技、凧あげに持って来いだし、座敷へ上り込むと、この子供たちとしては、武器や、掛額や、相応見るものがあり、碁盤、将棋盤の
五人が六人――十人――二十人と殖えて、三ツ目錐の屋敷が、界隈の子供たちの
だが、ここに繰返すまでもなく、主膳のは、空也上人や、良寛坊が子供と遊ぶことを好むのとも違い、ペスタロッチやルソーが子供の教育にかかるといったような精神でもなく、お松や与八のように、子供そのものと共に学ぶというのでもないことは
あらゆるものと遊び、あらゆる人間を
だから、時を期してここへ集まった子供らに、主膳は露ほども教養の制縛を与えないのです。与えないのみならず、あらゆる野卑と、
そこで、相撲も、凧上げも禁じない如く、
大人も及ばぬ、
性の知識と裏面、その楽書、その振舞、聞いていて、さすがの主膳を撞着せしむるものがある。
家族の罪か、早熟のせいか、主膳をして、ほとほとその原因を究めさせたくなるほどにマセた奴がある。
自分が胴元となって、本式にばくちをかり催す手際を見ていると末怖ろしくなる。
主膳がかくの如く、
まだ白いと思っている新入生が、二三日してみるみる赤くなってしまう。
善良の
且つまた、流行物を移入することの迅速なる手際。これもまた子供わざと思えないのです。
たとえば、メリケン遊びというのがある。
芝生の上へ広く四隅に人を配置して、一人が
「フラフラホウ、フラアラアキャット」
というようなことを叫ぶ。
真中にいて、球を投げる奴が、妙に気取った恰好をして、肩をグルグル廻したりなんぞしている。球を受け留めると、
「フラフラフラホウ、フラアラアラキャット」
なんぞと口走る。
主膳には、それが何の
それから、また一隊は座敷へ上りこんで、それで、いつ誰が懐中して来たか知れない将棋の駒を取り出して「
その方法の複雑なる、日本の花がるたの、もう少し混み入ったようなものを、
見ている主膳もわからない。また、こんな新遊戯術がいつ流行して来たか自分も知らなかった。
だが、メリケンと言い、南京と呼ぶからには、ともかく最近外国から渡来して来たもののうつしに相違あるまいとは思われる。
主膳は流行の潜勢というものと、少年の感染力というものを、そこに見せつけられて、思わず身ぶるいをしました。
遊戯を好み、雷同性を助成せしむることが、国民性を最も軽薄に導くことに有力であるという説を聞いたことがある。国を亡ぼそうとすれば、兵力を以てするよりは、国民のうちの、いちばん、上っ調子な、
そこで、メリケンとか、南京とかいう者共が、こんな軽薄な競技を日本に流行させて、日本の国粋をけがす手段ではないか、なんぞと主膳も、がらになくそぞろ憂国の念を感じてきたもののようです。
事実、大人の道楽者にあっては大抵は驚かないが、子供の堕落には、主膳ほどのものが全く怖れる。
「後世おそるべし」
けれども、当座の間は、悪太郎ばかりで、女の子というものは更に加わらなかったけれど、ある日、一人の、ここに常連の子供たちよりは、やや年長で、がらも大きいし、容貌も醜いほどではないが、なんとなく締りのない、低能に近いほどに見ゆる女の児を一人、子供の愚連隊が連れこんだことによって、今までとは全く異った遊びの興味を湧かすのを、主膳が見ました。
「今日は、おいらん遊びをしようよ、吉原のおいらん遊び」
その低能に近い女の子を、多数の子供で一室に連れこんで行く。主膳が遠くから見ていると、その女の子が別段こわがりもせず、いっそ、嬉しそうに連れられて行くのを見ました。
後世おそるべしとは言いながら、ただみまねききまねだ、吉原が何で、おいらんが何者だか知っていてするいたずらではない――と、タカをくくって為すがままにさせて置いたけれど、それを見過ごせなかったのはお絹でありました。
ふと、通りかかったお絹は、子供たちがする「おいらん遊び」というのを、のぞいて見て、立ちすくみの形です。
「お前、廻しを取るんだぞ」
「おいらんが廻しを取る間は、みんな離れ離れにならなくっちゃいけねえ」
お絹はそれを聞いて、ほとほと見る元気もありませんでした。
低能に近い女の子を連れ込んで、廻しをとる遊びをさせている。これが子供のすることか。
お絹は、なんぼなんでも、こんな遊びを放任して置くのはよくないと思いました。主膳に言いつけて、キッパリ断わらせなければならないと意気込みました。そこで、主膳のもとへかけつけて、
「あなた――」
と口を切って――このごろは、若様なんぞは全く口の
「廻しをとるのは、おいらんばかりじゃあるまい」
と言ったのが、いつになく下品に、侮辱的に聞えたので、お絹がむらむらとしました。
三十六
その翌日、ひょっこりと姿を現わして、縁に腰を打ちかけた例の如く旅ごしらえの七兵衛、
「どうも御無沙汰を致しました」
「あんまり御無沙汰でもなかろうぜ」
「つい、口癖になってしまいましてな」
早くもかますを取り出して、煙草にかかる。
「商売の方は、どうだい」
と主膳がたずねる。
「へ、へ、ちょっと当りがつくにはつきましたが、どうも、はや、あんまり子供じみた推量が、自分ながらおかしいくらいなものでございました」
「何を言っているのだ」
「いや、殿様にもかねて御心配をかけましたことでございますが……」
「ふむ――」
と主膳はその時、槍の穂先を拭っていたが、万事心得顔に、
「あんまり高上りをするとあぶない、もうその辺であきらめた方がよかろう」
「お言葉ではございますが、ここまで当りのついたものを、このままではあきらめられません」
「当りがついたというのは、つまりその有無の境がハッキリしたというだけの意味だろうなあ。つまり、お前の目をつけた
「お察しの通りでございます」
「うむ、実は拙者もお前からの頼みで、あちらこちらを聞き合わせてみたがな、秘密中の秘密といったようなわけで、要領を得たような得ないような、近頃の難物だが、そのうちの幾つかは、あの才物の
「いや、どうも、いろいろの取沙汰はございますがね、なぜか存じませんが、残っているには残っているに相違ございませんな。残っていさえすれば、ちょっと一枚だけ暫時拝借してみたいなんて、だいそれた御本丸まで忍び込むなんぞと、ずいぶん、七兵衛も高上りを致したもんでございますが、成上り者の地金は争われません、それは自分ながらはや全くお気の毒みたような、甘い了見でございました」
「どうしてな」
「まあ、早い話が、あの千枚分銅の一枚が、かりにどこかに残されてあると致しまして、殿様、その一枚の目方が、おおよそどのくらいあると
「左様――なるほど、形はよく知っている、それに『行軍守城用、勿作尋常費』と刻印があることも聞いている、大きさもおおよそのところはわかっているが、目方はどのくらいあるかなあ、それはちょっと聞き
「七兵衛も、そこに抜かりがございました。御宝蔵へ忍び込み、まんまとちょろまかして、小脇にかいこみ、さて花道へかかって、四天を切って落しの、馬鹿め! と大見得を切って、片手六方で引込みの……と至極大時代のお芝居がかりで当ってみましたが、なんの、殿様、あの千枚分銅の一箇の目方が四十八貫目あると知った日には、うんざり致しました」
「ナニ、四十八貫目……それが一かたまりの
「間違いございません。四十八貫目ではいくら金でも、ちょっと手に負えませんな、よしんば、盗み出したところで、
「そうか――四十八貫の金では、かなり大したものだな」
「積ってごろうじませ、千枚分銅と申しますのは、こいつが一箇で大判が千枚取れるというんでございます、今の値段にしたらどのくらいになりますか、かりに大判一枚を十両としますと、十枚の百両、百枚の千両、千枚の一万両、それを十層倍に見ますと十万両、そんな値段もございますまいが、一匁を五両と致しますと、四十八貫目では二十四万両、そいつを数知れずこしらえて、秀頼様のために残して置いたんですから太閤様でなければ、やれない仕事でございますな。権現様も、大阪に集まる浪人衆には怖れなかったが、この黄金の力を怖れたそうでございます。そいつが権現様の手に入ってから、後世、だんだんにつぶされてしまったのは、どうも時勢やむを得ないこととは存じますが、惜しいものでございます。どうか、一つだけは現物のままで永久に残して置きたいとこう思い込んだものですから、実は七兵衛とても欲にからんだというばっかりではなく、そう申し上げてはなんだが、当時惰弱の
「そうか、さすが
「その一つは、たしかに尾張名古屋の城の、御宝蔵にあるとこう
「名古屋の城に――」
「はい、尾張名古屋のお城というところには、どういうものか、徳川のお家の
と言って七兵衛は、保命酒のようなものを一つ取り出して主膳の前に置き、そのまま、風のように、さっと出かけてしまいました。それを、あっけに取られて見送っていた主膳が、
「相変らず忙しい男だ、お土産を持って到着の挨拶に来たのだか、出立の暇乞いに来たのだかわかりはしない、羽の生えている奴にはかなわねえ、尾張名古屋への往復が、芝金杉へ行くような調子なんだから。だが、危ねえもんだなあ、あいつ、あれで分別盛り、べつだん高上りをしているわけでもないが、四十八貫目の泥棒は骨だろう、あいつも
主膳は、
三十七
駒井甚三郎は、今晩、遠見の番所の附近へ新たに立てたバルコン式の台上にのぼって、天体を観察している。
駒井が、天体を観察するの余裕を得たことは、それだけ、海と船との事業が滞りなく進捗している証拠であります。さりとて、海を行く者が天を観ることは必須であります。駒井が天文の趣味と、天体の観察は、今に始まったことではないが、船の方の工事に、すっかり安心が出来た故にこそ、今度はこうも落着いて、専門的に天を観ることに取りかかったその態度、空気は
事実、駒井のこのごろは、船の工事の監督が三分の、天文の研究が七分といってもよいほどに時間を
駒井が天体を観察する傍らに、清澄の茂太郎が立っている。小脇には例によって
「殿様、歌をうたってもようござんすか」
「お歌いなさい」
お許しが出たものだから、澄み渡った夜の外房の空に向って、得意の即興詩がはじまる。
さて皆さん
皆さんは
この大地は
四角なものだとか
或いは平らなものだとか
お考えでございましょう
ところが違います
この大地は丸いものです
丸い毬 のようなものです
丸い毬のようなものが
ブラリと大空の中に
ブラ下がっているのです
それを嘘だと申しますか
嘘ではございません
どうして丸いものが
大空の中に
ブラ下がっています
針金で留めてありますか
紐 で下げてありますか
ネジでまいてありますか
そんなら、その
針金と、紐と、ネジは
どこにあります
その針金と、紐と、ネジを
かける柱はどこにあります
壁はどこにあります
そんなことを知りたければ
駒井の殿様に
聞いてごらんなさい
殿様は学者ですから
その理窟を知っています
ですけれども
その理窟を知る前に
皆さんは
三角形の内角の和は
常に百八十度であるということと
多角形の外角の和は
常に三百六十度であるということを
知っておかなければなりません
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
そこで茂太郎は足ぶみをして、踊りをはじめてしまいました。皆さんは
この大地は
四角なものだとか
或いは平らなものだとか
お考えでございましょう
ところが違います
この大地は丸いものです
丸い
丸い毬のようなものが
ブラリと大空の中に
ブラ下がっているのです
それを嘘だと申しますか
嘘ではございません
どうして丸いものが
大空の中に
ブラ下がっています
針金で留めてありますか
ネジでまいてありますか
そんなら、その
針金と、紐と、ネジは
どこにあります
その針金と、紐と、ネジを
かける柱はどこにあります
壁はどこにあります
そんなことを知りたければ
駒井の殿様に
聞いてごらんなさい
殿様は学者ですから
その理窟を知っています
ですけれども
その理窟を知る前に
皆さんは
三角形の内角の和は
常に百八十度であるということと
多角形の外角の和は
常に三百六十度であるということを
知っておかなければなりません
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
「もう、わかっているよ」
駒井は、望遠鏡をのぞきながら言う。茂太郎は調子をかえて、
一度を
六十に分ければ
分 となる
一分を
また六十に分けて
それを秒という
だから三百六十度を
分でいえば二万一千六百分
秒でいえば百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
茂太郎は、片手を高く差し上げて、天文台の板敷の上を、踏み鳴らして踊り出しました。六十に分ければ
一分を
また六十に分けて
それを秒という
だから三百六十度を
分でいえば二万一千六百分
秒でいえば百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
争われないものです。
駒井甚三郎の傍に置くと、この子は、鼻が十六だの、眼が一つだのという即興をうたわない。
それは散文ではあるけれども、立派に数理の筋が通っています。弁信が干渉するように、道義を吹込んではいないけれど、数理を
しかし、どちらにしても、茂太郎の歌う心と、調べとは、
ああして弁信は茂太郎の歌に干渉し、こうして駒井は茂太郎に数理を教える。茂太郎自身としては方円の
その時分、駒井は天体のある部分――たとえば大熊座と小熊座の間のあたりに、何か異状を認めたらしく――望遠鏡に吸いつけられて、茂太郎の歌も聞えない。まして、その音律や行動に干渉を試むる余地もなく、全く閑却していると――いつもならば、その歌を聞いて、よく覚えたと
やがて、暫くあって、一段高いところで、一段のソプラノが起るのを聞きました。
西は丹波カラサキ口
東は伊賀越えカラサキ口
和田の岬の左手 より
追々つづく数多 の兵船
眼鏡に吸いつけられていた駒井甚三郎が、この声で、驚かされて見上げるところ、台の上からなお高く立てられた番所の旗竿のてっぺんまで、この子は上りつめて、そこで般若の面は頭上にのせたまま、片手で、しっかり旗竿につかまり、片手は東は伊賀越えカラサキ口
和田の岬の
追々つづく
「あぶない、降りておいで……」
「はい」
返事はしたが、茂太郎は急には降りて来ようとしない。急に降りて来ないのみならず、なおこの旗竿に上があるならば、上りつめたい気持らしくも見える。百尺の竿頭を進めるという言葉は知るまい。知っているとも、その意味はわかるまいが、この子供は、いつも
それはそれとして、行き行きて止まるところまで行かねばやめられないこの少年は、狭い房総の半島にいて、どちらに行っても海で極まってグルグル廻り、廻りそこねてついに海の領分にまでいったん陥没するところまで行っている。山に於ては、もう房総第一の高山を極めつくしている。旗竿でもなければ、もうこの天地にいて尖端を極めるところはなかろうと思われる――降りろといっても、急に降りられない立場にいることも無理はありますまい。
「ね、おとなしく降りておいで」
「はい」
降りるよりほかに道はないと見きわめた時、スルリと降り立ってしまいました。
下に降り立つと共に茂太郎は、
シイドネックス
ナンバンダー
ライドネックス
ナンバンダー
テント、テント
ナンバンダー
スウイッ、スウイッ
ナンバンダー
こう言って、口ずさみながら、小踊りをはじめた時に、駒井が、ナンバンダー
ライドネックス
ナンバンダー
テント、テント
ナンバンダー
スウイッ、スウイッ
ナンバンダー
「茂君、君の眼はなかなかいい、わたしの眼よりいいかも知れない、ひとつ、この眼鏡をのぞいて見給え」
「はい」
「静かに、度を乱しちゃいけない、このままで、じっと鏡の向いた方の空を静かに見ていてくれ給え、そうして、何か星があるか、星が無くとも薄い光でもあるか、光が無くても、ボーッとした空の色よりも白いものが現われているか、いないか、それをお前の眼でひとつ見てくれ給え」
「はい」
茂太郎は、プレアデスの星を、七ツ以上も見る眼を持っていることを駒井が知っている。
そこで、駒井が改めて、眼鏡を茂太郎に譲って、自身はその傍らに報告を待っていると、暫くあって、茂太郎が、
「見えますよ、殿様、ちょうど、この眼鏡の真中より少し北へ寄ったところに、たしかに一つの星がありますね」
「そうかい」
「あります、よく気をつけて見れば、星がたしかにあることをうけあいます」
「そうか、そうあるべきはずなのだが、わしには見えなかった、どれひとつ代って……」
そこで、また駒井は茂太郎に代って、再び同じ地位で眼鏡をのぞきながら、
「なるほど……君にそう言われて見ると……」
「ありましょう」
「ある、ある」
とっつかめえた
とっつかめえた
星の子を
とっつかめえて
五両に売った
五両、五両
五両の相場は誰 が立てた
八万長者の
ちょび助が……
またしても、奔放と、逆転に帰ろうとするのか。駒井がさえぎって、とっつかめえた
星の子を
とっつかめえて
五両に売った
五両、五両
五両の相場は
八万長者の
ちょび助が……
「茂君、お前に歌らしい歌の文句を教えてあげよう、それを歌って見給え」
即興を科学の正道に引戻そうとする。
「有難う、教えて下さい」
「まず文句だけを覚えておき給え、いいか」
「はい」
「星の歌だよ」
「はい」
そこで、茂太郎は、駒井から教えられようとする歌の文句を神妙に覚え込もうとして、しばらく沈黙していると、駒井は望遠鏡をのぞきながら、おもむろに、
(駒)天王星ノ彼方 ニ
(茂)天王星ノ彼方ニ
(駒)天王星ヲ狂ワス
(茂)天王星ヲ狂ワス
(駒)マダ一ツノ星ガ
(茂)マダ一ツノ星ガ
(駒)無ケレバナラヌコトガ
(茂)無ケレバナラヌコトガ
(駒)学者ヲ悩マシタ
(茂)学者ヲ悩マシタ
(駒)ソレヲ幾何学ノ上デ
(茂)ソレヲ幾何学ノ上デ
(駒)立派ニ発見シタ
(茂)立派ニ発見シタ
(駒)西洋ノ暦デ
(茂)西洋ノ暦デ
(駒)千八百四十六年ノ八月ノ三十一日
(茂)千八百四十六年ノ八月ノ三十一日
(駒)「フランス」ノ
(茂)「フランス」ノ
(駒)「ヴェニニ」トイウ
(茂)「ヴェニニ」トイウ
(駒)幾何学者ガ
(茂)幾何学者ガ
(駒)空ヲ見ナイデ
(茂)空ヲ見ナイデ
(駒)机ノ上ノ理論ト計算カラ
(茂)机ノ上ノ理論ト計算カラ
(駒)天王星ヲカキ乱ス
(茂)天王星ヲカキ乱ス
(駒)知ラレザル存在ノ星ハ
(茂)知ラレザル存在ノ星ハ
(駒)コレコレノ時間ニ
(茂)コレコレノ時間ニ
(駒)コレコレノ大キサデ
(茂)コレコレノ大キサデ
(駒)コレコレノ空ニ
(茂)コレコレノ空ニ
(駒)存在シテイルニ相違ナイ
(茂)存在シテイルニ相違ナイ
(駒)トイウコトヲ
(茂)トイウコトヲ
(駒)天ヲ見ナイデ
(茂)天ヲ見ナイデ
(駒)机ノ上ノ研究ダケデ
(茂)机ノ上ノ研究ダケデ
(駒)断定シテ発表シタ
(茂)断定シテ発表シタ
(駒)コノ発表ニモトヅイテ
(茂)コノ発表ニモトヅイテ
(駒)「ベルリン」ノ天文台長
(茂)「ベルリン」ノ天文台長
(駒)「ガール」トイウ人ガ
(茂)「ガール」トイウ人ガ
(駒)数日ノ間
(茂)数日ノ間
(駒)示サレタ通リノ天空ヲ
(茂)示サレタ通リノ天空ヲ
(駒)最良ノ望遠鏡デ
(茂)最良ノ望遠鏡デ
(駒)観測シテイルウチニ
(茂)観測シテイルウチニ
(駒)果シテ発見シタ
(茂)果シテ発見シタ
(駒)「ヴェニニ」ガ
(茂)「ヴェニニ」ガ
(駒)机ノ上デ断定シタ通リノ
(茂)机ノ上デ断定シタ通リノ
(駒)位置ト形ト時間トノ
(茂)位置ト形ト時間トノ
(駒)寸分違ワヌ
(茂)寸分違ワヌ
(駒)実在ノ星ヲ
(茂)実在ノ星ヲ
(駒)天空ニ確認シタ
(茂)天空ニ確認シタ
ここまで述べて、駒井は息を切り、(茂)天王星ノ彼方ニ
(駒)天王星ヲ狂ワス
(茂)天王星ヲ狂ワス
(駒)マダ一ツノ星ガ
(茂)マダ一ツノ星ガ
(駒)無ケレバナラヌコトガ
(茂)無ケレバナラヌコトガ
(駒)学者ヲ悩マシタ
(茂)学者ヲ悩マシタ
(駒)ソレヲ幾何学ノ上デ
(茂)ソレヲ幾何学ノ上デ
(駒)立派ニ発見シタ
(茂)立派ニ発見シタ
(駒)西洋ノ暦デ
(茂)西洋ノ暦デ
(駒)千八百四十六年ノ八月ノ三十一日
(茂)千八百四十六年ノ八月ノ三十一日
(駒)「フランス」ノ
(茂)「フランス」ノ
(駒)「ヴェニニ」トイウ
(茂)「ヴェニニ」トイウ
(駒)幾何学者ガ
(茂)幾何学者ガ
(駒)空ヲ見ナイデ
(茂)空ヲ見ナイデ
(駒)机ノ上ノ理論ト計算カラ
(茂)机ノ上ノ理論ト計算カラ
(駒)天王星ヲカキ乱ス
(茂)天王星ヲカキ乱ス
(駒)知ラレザル存在ノ星ハ
(茂)知ラレザル存在ノ星ハ
(駒)コレコレノ時間ニ
(茂)コレコレノ時間ニ
(駒)コレコレノ大キサデ
(茂)コレコレノ大キサデ
(駒)コレコレノ空ニ
(茂)コレコレノ空ニ
(駒)存在シテイルニ相違ナイ
(茂)存在シテイルニ相違ナイ
(駒)トイウコトヲ
(茂)トイウコトヲ
(駒)天ヲ見ナイデ
(茂)天ヲ見ナイデ
(駒)机ノ上ノ研究ダケデ
(茂)机ノ上ノ研究ダケデ
(駒)断定シテ発表シタ
(茂)断定シテ発表シタ
(駒)コノ発表ニモトヅイテ
(茂)コノ発表ニモトヅイテ
(駒)「ベルリン」ノ天文台長
(茂)「ベルリン」ノ天文台長
(駒)「ガール」トイウ人ガ
(茂)「ガール」トイウ人ガ
(駒)数日ノ間
(茂)数日ノ間
(駒)示サレタ通リノ天空ヲ
(茂)示サレタ通リノ天空ヲ
(駒)最良ノ望遠鏡デ
(茂)最良ノ望遠鏡デ
(駒)観測シテイルウチニ
(茂)観測シテイルウチニ
(駒)果シテ発見シタ
(茂)果シテ発見シタ
(駒)「ヴェニニ」ガ
(茂)「ヴェニニ」ガ
(駒)机ノ上デ断定シタ通リノ
(茂)机ノ上デ断定シタ通リノ
(駒)位置ト形ト時間トノ
(茂)位置ト形ト時間トノ
(駒)寸分違ワヌ
(茂)寸分違ワヌ
(駒)実在ノ星ヲ
(茂)実在ノ星ヲ
(駒)天空ニ確認シタ
(茂)天空ニ確認シタ
「どうだ、茂坊、わかったか」
茂太郎はうっかりと、
「どうだ、茂坊、わかったか」
「はは、それは言わんでもいいのだ、この文句をお前も覚えておいて、筋道を立ててうたうことにしなさい」
「でも面白かありませんね、論語よりむずかしい」
「覚えこめば
茂太郎は、やや倦怠を覚えたらしいが、それでも、いやだとは言わなかった。
「さあ――天の歌のつづき、はじまり」
(駒)ソコデ海王星
(茂)ソコデ海王星
(駒)一名ヲ「ヴェニニ」ノ遊星トイウ
(茂)一名ヲ「ヴェニニ」ノ遊星トイウ
(駒)ソノ大キサハ
(茂)ソノ大キサハ
(駒)地球ノ百十一倍
(茂)地球ノ百十一倍
(駒)太陽トノ距離ガ十一億里
(茂)太陽トノ距離ガ十一億里
(駒)太陽ノ周囲ヲマワルノニ
(茂)太陽ノ周囲ヲマワルノニ
(駒)百六十四年カカル
(茂)百六十四年カカル
(駒)ソレデ終リ
(茂)ソレデ終リ
駒井は、その時、肉眼を望遠鏡から離して、今宵の観察を終るの用意にかかります。解放された茂太郎は、駒井について、この台を下りると、(茂)ソコデ海王星
(駒)一名ヲ「ヴェニニ」ノ遊星トイウ
(茂)一名ヲ「ヴェニニ」ノ遊星トイウ
(駒)ソノ大キサハ
(茂)ソノ大キサハ
(駒)地球ノ百十一倍
(茂)地球ノ百十一倍
(駒)太陽トノ距離ガ十一億里
(茂)太陽トノ距離ガ十一億里
(駒)太陽ノ周囲ヲマワルノニ
(茂)太陽ノ周囲ヲマワルノニ
(駒)百六十四年カカル
(茂)百六十四年カカル
(駒)ソレデ終リ
(茂)ソレデ終リ
ありもしない海竜に
お杉のあまっ子おどろいた
マドロスはウスノロ
ここで、また科学が、即興と、野調に逆転しようとする。お杉のあまっ子おどろいた
マドロスはウスノロ
「茂君、だまって歩きなさい」
三十八
「おや」
提灯をさしつけて見るまでもなく、それはマドロス氏です。
「マドロスさん」
茂太郎は、道に横たわる人間の
それはもとより、生命に別条があるのではなく、マドロスは泥酔したために、この通り正体もなく地上に眠っているのです。
人間は、少し足りないくらいで、危険性は持っていないが、
こんなにして、途上に酔いつぶれて、駒井を困らせたのは、もうこれで三度目です。このままにして置いては悪いが、そうかといって、呼びさませばなお始末が悪いかも知れぬ。第一、持運びにも困難だ。
「よし、誰か取りによこそう、このままにして置け」
苦りきった駒井は、茂太郎を促して、その場を去ってしまいました。
そうして、駒井は陣屋へ帰って来て、内外を一巡して見たが、マドロスの不在のほかには、別に異状がありません。
兵部の娘も、
「茂君、お前、もうよろしいからお休み」
提灯を消して、
「殿様、マドロスさんをどうしましょう」
「そうだな」
駒井は思い出したように、
「貞さんを呼びましょうか」
「もう寝ているだろう」
「起しましょうか」
「気の毒だ」
「では、金椎さんと、わたし、二人で行ってマドロスさんを、かついで来ましょうか」
「金椎もよく寝ているのにかわいそうだ、それに二人の力ではかつげまい、まあ、いいから、ほうって置け」
「では、マドロスさんを今晩中、あのままにして置きますか」
「一晩、すずませてやれ、生命には仔細あるまい、そのうち酔いがさめると、ひとりで帰って来る」
「では、かまわないで、ほうって置いてみましょうか。でも狼に食われるといけませんね」
「そんなことがあるものか、よしよし、お前はお休み」
「では、殿様もお休みあそばせ」
こう言って、茂太郎は、おとなしく、自分の部屋に戻りました。
自分の部屋といううちに、この子は部屋を二つ持っている。ある時は金椎と枕を並べ、ある時は兵部の娘のところに居候をする。
こんな場合には、兵部の娘を驚かさないで、金椎の部屋に行くのを例とする。少しぐらい、物音を立てても、金椎の夢を驚かすことはないが、兵部の娘は、ささやかな物の動揺にも目をさます。
茂太郎は、金椎のよく眠っている
駒井甚三郎は、どっかと椅子に腰を卸した。けれども、急に眠ろうという気にはなれません。それはあえて、路傍へ寝かしておくマドロスのことが気になるからではありません。時としては、こんな際に、また研究心が突発して、
だが、駒井はこの際、別に新しい研究にとりかかる様子もなく、椅子に
あれを引上げることに成功すれば、そのまま使用ができないまでも、それを参考として、必ず相当なものを、新たに作り上げるだけの自信が出来ているはず。
そこで、次に
駒井の新たなる調査とか、研究とかいうことは、勢いそこまで進んで来るのが当然で、その次には、船がいよいよ竣工して、その乗組員と積込物資のこと。
まあ、ここにいて生活を共にする者の全部と、工事を助ける者の一部分とは、同乗することになっているが、指を折ってみると、
第一、自分というもの、次に、金椎、次に、茂太郎、次に、マドロス、それから、兵部の娘――あの娘も、今では健康も、精神状態も、常態に復したといってよい。あの分なら大丈夫だろう。別に田山白雲が、ぜひとも自分の妻子を伴って参加を申入れている。その他、夫婦共稼ぎで乗組みたいというものが、この地で自分が養成した工人のうちに若干ある、そのうちから選抜すること。植民には女性が要る、同時にまたその女性にも、植民の母という資格が無ければならぬというようなことを、駒井が、うつらうつらと考えはじめました。
その時に駒井の頭の中にも、お松という女の子のことが、計数と考慮の中に入って来ました。植民の将来の母として、あのお松のような子がぜひ欲しいものだ、と思わせられました。
それに、あの娘には自分として、切っても切れぬ恩義を
駒井は、また既往のことと、自分のあやまちとを考え
その時分に、時計の二時が鳴る。
ああ、もう二時だ、
捨てておいても大事はないと信じているが、それでも気にかかる。
あいつは憎めない男だから、傍へ置いてみたが、今は単に愛嬌者としてでなく、実用の上に無くてはならぬ男になっている。
彼は、下級労働者ではあるが、外国の事情と、航海の知識等については、経験上から珍重すべきものを持っている。本は読めないが、言葉を研究するには、悪い参考とばかりはならない。それのみならず、船乗りとしての生活の前には、到るところを渡り労働者として歩いているから、何かと経験もあり、小器用でもあって、時には信じ過ぎ、買いかぶって苦笑いに終ることもあるが、大体に於て、この男から得るところのものは、決して少なくないことになっている。
現に――すでに、機関の方の目鼻があいてみると、次に当然
そこで、駒井甚三郎は、一方天文を研究して船の航路学の準備をすると共に、地質をたずねて、石炭――というものに多大の注意を払いはじめたのは、この頃のことです。
石炭――に就て駒井甚三郎が注意を払っていたのは、今に始まったことではありません。
燃ゆる水、燃ゆる土の、半ば伝説的時代はさておき、近代に於ては、九州地方に於て、ひそかにこれを採掘して実用に供している住民のあることを駒井は認めている。
日本の当局者も、心ある者は、近き将来に、この新たなる燃料の大量需要の
最も有望といわれる産地、九州地方はさておき、江戸を中心としては静岡地方――それから
しかし、これは
そこで一つ都合のよいことには、このマドロス君が前生涯に一度、炭坑の坑夫として働いていたことがある。メリケンのペンシルヴァニアというところで、ほんの僅かの間ではあったけれども、炭山の経験があるということを耳にしたから、この男を引きつれて明日にも、常磐の山に鉱脈をさぐろうと心がけていた際であります。
困った奴だ――人間はごくいいのだが、ちょっと眼をはなすと、とめどもないだらしなさを
こういう際には、田山白雲のことを駒井がかなり痛切に思い出す。白雲が存在すれば、マドロスは一たまりもない。白雲によって悪い方は
今夜のような醜態を、かりに白雲に見られたとすれば、マドロスは
その荒療治は、駒井の得意とするところではない。
「さて、どうしてやろうかな」
この際駒井が、ふいと、心頭を突かれたのは、いつぞや、あの大嵐の前後、難破船から投げ出されたお角という女を、
清吉は
今となっても一向、マドロスの帰って来た模様はない。まだあのままで酔倒の夢がさめないのだろう。そこで駒井は、狼に食われはしないかと言った茂公の言葉までが気にならないではない。
「よし、それでは、もう一度見届けて来てやろう」
多少の責任感のようなものに迫られて、駒井は寝室に入ってねまきを着ることの代りに、刀架に置いた刀をとって差し、陣笠をかぶり、鞭をとって、音のしないように、この家の外の闇に出てしまいました。
たった一人で、
三十九
駒井甚三郎は、マドロスが酔倒していた現場まで来て見たけれども、もはや、そのところにマドロスの形がありません。
そのあたりを、暗い中で、相当にあたりをつけて見たけれど、単にいたところの人が見えなくなったというだけで、そのほかにはなんら異常の気配は見えないようです。
つまり行違いになったのだ、先生、ようやく目がさめて、あわてふためいて立戻り、いまごろは、寝床へもぐり込んで、前後不覚の夢を繰り返しているのだろうと、駒井はタカをくくって、そうして、それから海岸の方へと歩みを進めました。
その時も、天文の興味が頭を去らないものですから、思わず頭を天空にもたげて、そうしてさいぜん観察した星の進行を注意しつつ海岸を歩いて、家路の方へ静かに
急にあわただしい空気があって、バタバタと人の足音があって、やがて夜目にもしるき着物の色がこちらへ向って見えて来ましたから、駒井が驚いて足をとどめていると、まもなくせいせいと息をきる音。それらの雰囲気で、よくわかっている、これは珍しくもない兵部の娘、もゆる子であるということを、駒井が直ちに感づきました。
そこで、またはじまったな、困ったものだな、せっかく、鎮静しかけた病気が、またきざし出して、時と所とを嫌わず飛び出すあの娘の病気、今夜という今夜、またきざしたのだ。しかし、自分がここにめぐり合わせたのは
それとじゅうぶん
「まあ、殿様!」
もゆる子は、駒井の
「こんなに、おそく、こんなところにおいでになろうとは存じませんでした」
「お前こそ」
「いいえ、わたしのは、こうして逃げ出して来るわけがあるから、逃げ出したのでございます」
「どうして?」
「逃げなければならないから、逃げ出して、殿様のお部屋へ逃げ込みましたけれど、どうしたものか、殿様がいらっしゃらないものですから、たまらなくなって、窓から飛び出して逃げて来ました」
こう言って、女は嵐のように息をきる。しかし、これも、深くは駒井を驚かすことはありません。やはり例によっての病気のきざしのさせる
「何か怖い夢でも見たのかね」
「いいえ、夢ではありません、わたしは、今夜という今夜こそ、あのマドロスさんに、ひどい目に
「え!」
この時、なぜか駒井がギョッとして胸が騒ぎました。女は息をはずませながら、
「ちょっと先、戸があくような音がしましたので、ふと、眼をさまして見ますと、誰か、わたしの傍へ来ておりました」
「うむ」
「茂ちゃんならば、入りさえすれば、言葉をかけるのに、あんまり静かに入って来たものですから、わたしは、もしや……と思って」
「うむ」
「ところが、どうでしょう、今まで静かであったその人が、急に
「うむ」
駒井は、うめくように答えます。
「ホントに
もゆる子は歯噛みをして、息をはずませている。駒井は憤然として拳を握りしめました。
「ああ、油断の罪だ、ちょっとの注意の怠りが、そうさせたのだ」
「ホントに憎らしい奴です、いつ、
「うむ、油断だ、全く、こっちの油断の責めというよりほかはない、む、む」
「ですけれども、女だって、一生懸命というものはばかになりません、それほどにされた、あの大きな奴を突き飛ばして、はね起きて、わたしは、殿様のお居間までかけつけたのは、自分ながら夢中でございました。ところが、殿様のお居間の戸をあけますと、今夜は
「ああ、そうか……」
駒井が、こうも抑えきれない無念の色を現わすことは、今までにあまり例のないことでありました。
「もう、安心なさい、マドロスの奴、酒の上とは言いながら、許し難き奴」
駒井は、やはり抑え難い怒気を含んで、そうしてその手はぐんぐんと、もゆる子を引き立てて、そうして陣屋の方へ急ぎました。
帰って駒井は、手早くキャンドルをともして見ると、
駒井と兵部の娘とは、その声を聞きつけて飛んで行って見ると、茂太郎は
そして、手も足も出ない茂太郎は、声だけを上げて叫んでいる。
その網を取払って、そうして、茂太郎の口から聞くところによれば、熟睡中に不意に襲いかかって、自分の口をおさえ、その上をこの通り
それを聞いてみると、酔いどれとは言いながら、たしかに、計画的にやった犯行だというよりほかはない。茂太郎を抑え込む以前には、多分主人公駒井の室の動静をもうかがっての上だろう。たしかに主人公がいないと見極めて、急に
すべてを、もとのようにあらしめ、もゆる子と、茂太郎とは自分の次の一室において、駒井自身も寝についたが、その夜は、ほとんど眠られませんでした。
翌日、人を集めて、旨を含めて、マドロスの
その日、一日さがさせただけで、マドロスの行方捜索は打切り……駒井の頭は、この浮浪人の行方よりも、そやつの働いた不徳の行為よりも、自分が監視のぬかりを悔ゆるよりも、それと関聯して、それとは別に、一つの軽からぬ悩みに捉われてしまいました。
その翌日は雨だものでしたから、駒井は、造船の方へ行かずして、一室に閉じ
四十
駒井甚三郎はその翌朝、兵部の娘の寝室まで来て、
「どうです、加減が悪いということだが」
「はい、御免下さいまし」
寝台の上に寝ていた兵部の娘は、駒井の来訪に恥かしがって、起き直ろうとするのを、
「そうしておいでなさい」
傍らの椅子に腰を下ろすと、
「なんだか、少し寒気がしてたまらないものですから、あの子にお
「それはいけない、昨夜のことが
と、駒井は慰めるつもりで、そう言ったが、それを言ううちに、一種の不快な気分を
「そんなこともありますまいけれど……」
と答えて目をそらした娘の言葉も、
「ゆっくりお寝みなさい、何か薬をさがして上げましょう」
「有難うございます」
しとやかなお礼の言葉。
駒井は、この女が、もはや全く平常の心持を取返しているということを、この時も、つくづくと思わされます。
かつての昔のような狂態は、少しも見ることはできない。しとやかな、恥を知ることの多い処女性の多分を認めるほど、かえって昨夜の変事が
そこで、暫く沈黙の重くるしい空気のうちに、駒井は立ち上り、
「大切にしておいでなさい」
その立ちかかった時に、もゆる子は、涙ながら向き直って、
「殿様、わたしは、昨晩寝ないで考えさせられてしまいました」
「何を」
「いいえ、いろいろの事について、考えさせられてしまいました、そのうちでも、あのマドロスさんのことねえ」
「うむ」
「ほんとうに憎い奴、ゆるせない人ですけれど、よくよく考えてみると、かわいそうなところもありますから、許して上げていただきたいと、そのことを殿様にお願いに出ようか知らと思っておりました」
「うむ」
「あの時は、わたしも叩き殺してやりたいほどに憎らしいと思いましたけれど、考えてみれば、あれも、あの人の一時の出来心ですから、許してやっていただきとうございます」
「うむ、それは、どうでもお前の気の済むように、わしにはわしの了見がある」
こう言って、駒井は重い足どりで、この室を出て庭の方から一廻りして、自分の部屋へ戻って来ました。
あの女が許せ! という意味がよくわからない。
「わたしは、今までに七人の男を知っているのよ、なかにはわたしの好きな人もあったし、わたしをヒドい目に会わせた人もあるけれど……欲しがっているものを、くれてやるのはいい事じゃありませんか、物を施すのがいい事なら……慕いよる男という男に、情けを与えてやることも、悪いという理窟はないんじゃありますまいか。ああ、わたしは七人に限らず、誰にでも、この
今となってもなお、自己の貞操に加えられた極度の侮辱乱暴を、無条件に許してしまいたい心持が残っているとは浅ましい!
酒に狂暴性を煽られた人間の野獣性と、それに憎悪と、制裁を感じ得ない、麻痺した貞操心!
外国人を、毛唐といって、人間以下、獣類同格に置くのは、時勢に盲目な尊王攘夷連だけではないが、おそらくそれが事実か。人間よりは獣類に近い毛唐め!
駒井としては、珍しくもこの時に、極端な憎悪と、昂奮とを感ぜずにはおられなくなりました。
その憎悪と、昂奮とを
「お嬢さんは、まだよくなりません、熱が出ましたから、もう少し休ませていただきたいと言っていました」
茂太郎が代って申しわけをする。
「熱が出たか」
「でも元気で、時々歌をうたったりなんかしています」
「そうか」
といって、駒井は二人の給仕を受けて、御飯を済ますと、その足で、再び、もゆる子の室を見舞ってみました。
「ねえ、殿様、マトロスさんの
「わからない」
「許して上げてください、わたしは、なお繰返して考えてみましたが、いよいよあの人が憎くなくなりました」
「ふーむ」
「殿様、あなたは、まだお気が解けないようでございますが、御無理もございませんけれど、ねえ、どうかマドロスさんを許して上げてください」
「許すも許さないもない」
「お叱りにならないように。もし、行きところがなくなると、あの人は、わたしたちよりも一層哀れですからね」
「自分の犯せる罪の、当然の報いだろう」
「ほんの一時の出来心でございますよ」
「出来心! この上もなく危険性を含んだ出来心……それがたびたび繰返されてはたまるまい」
駒井が苦々しく言いきると、
「危険性とおっしゃいますけれども、すべての男の方はみんな、どなたも、あの危険性を持っておいでなのじゃありますまいか。わたしは、マドロスさんに限ったことはない、男という男の方は、隙があれば女を犯そうとしているもの、それが少しも危険なことじゃなく、あたりまえの人間の本性なのじゃないか知らと思っておりますのよ。だから、マドロスさんだけを危険がったり、憎がったりするのは不公平だと、わたしは考えました」
「そうすると、男という男は、みんな野獣のようなものか」
「いいえ、そうじゃありません、女が誘いをかけるように出来ているから、そうなるのですね。罪といえば、罪のもとはかえって女にあるかも知れません、女に誘惑の力が無ければ、男が危険をおかしてまで寄って来るはずがございませんもの」
「それじゃお前は、男の暴力を是認しているのだね、暴力の前に、女というものの貞操は食い物にされるということを、あたりまえと許している」
「貞操なんていうものは……わたしは頭が悪いからよくわかりませんが、ずいぶん手前勝手なものじゃありません?」
「貞操というものが、手前勝手のものだって……」
「ええ」
「少し頭を静かにした方がいい」
「いいえ、静かになっておりますのよ、わたしの方が、今日は殿様より静かになっているかも知れません。わたしは、男にしても、女にしても、貞操というものはずいぶん手前勝手なものじゃないか知らと、このごろ中、考えさせられていました」
「…………」
「マドロスさんは乱暴には相違ないが、それを憎むわたしたちが男だとしまして、そうして、マドロスさんがしたような事を、決してしないと言いきることができましょうか」
「男性のした最も下劣にして、不謹慎な仕事が憎めない?」
「いいえ、すべての男子の方が、女を
「…………」
「何不自由のない人が、力ずくや、金の力で、幾人の女を弄んでいる世の中に、情に
兵部の娘は平気で、こんな事を言い出しました。こんな論法をがんりきの百にでも向けようものならば、「それほどかわいそうなら、いくらでも振舞ってやんねえ」と、極めて露骨なる
「お前の考えは無茶だ、まあ、深く考えないで、静かにしていたまえ」
こう言って、自分の座敷へ帰って来ました。
午後になって、雨がはれたものだから、駒井は、造船所の方へ見廻ってみると、みな、威勢よく働いて、仕事はめざましいばかり進んでいる。
小休みの時に、駒井の
ここの連中も、惣出で手分けをしてマドロスの行方を探してみたのだが、無効に終ったのだ。
あの
そうして、駒井は夕方陣屋へ帰って来て見ると、庭を
四十一
その翌朝、枕を上げて聞くと、もゆる子と茂太郎との嬉々とした話し声が、あの室から洩れて来て、やがて二人が合唱となって歌い出したのを聞く。
駒井は、つくづく、張合抜けのするほどに、たよりなさを感ずると共に、無恥と、無智との観念の区別がわからないものかと歎息しました。
やがて、今朝はすべてが無事に食卓を囲むことになる――すべてといううちに、田山白雲と、マドロスとは除いて、つまり昨日の食卓に、一人の兵部の娘を加えただけで食卓を囲みました。
駒井の
「殿様、キュラソーを召上りますか」
「いりません」
「今朝のかぼちゃは、たいそうおいしうございます」
「茂ちゃん、このお魚を食べてごらん、骨の無いところを」
「お嬢さん、お前、怪我をしてますね」
「ええ、少しばかり」
「どうして、怪我をしたのさ」
茂太郎は、もゆる子の手の甲に、
「どうしてでもないのよ、いいからおあがりなさい」
「でも、お嬢さんの蒲団の上にも、血のついているのを、さっき、わたしは見ちまったから、変だと思ったのよ」
「御飯をいただく時に、そんなことを言うものじゃありません……」
その時、窓の外が急に、ざわめき出したのを、見やると、一群の人数が
「あれ、マドロスさんが……」
なるほど、多数の中に
マドロスは、高手小手にひっくくられている。それを、袋叩きにぴしぴしとひっぱたきながら、多勢で引摺って来る。
この毛唐め、図々しい毛唐、泥棒根性の毛唐、こんな奴は痛しめろ! というような声で、引摺りながら、いい気になって、ぴしぴしとひっぱたいている。
ぴしぴしとひっぱたかれる度毎に、
「御免下さい、ゴメン、ゴメン」
といって、泣き叫ぶマドロスの声を聞く。
食卓の一同は、言い合わせたように箸を置き、フォークを捨てて立ち上りました。
こうして、村人や造船所の連中に、ひっぱられて来たマドロスが、庭に引据えられて、駒井の訊問を受くるの段取りとなったのは間もないことであります。
庭に引据えられたマドロスは、なお盛んに泣いている、大声をあげて泣いている、本当の手ばなしで泣いていて手がつけられない。さすがの駒井もその醜態を見て、空しく失笑するのみでした。
駒井は、許すべしとも、許すべからずとも言わず、造船所連は一応マドロスを殿様の面前に引据えてから、窮命の意味か、禁獄のつもりか知らないけれど、そのまま、物置の中へ
縛られたまま、物置の隅に投げ込まれたマドロスは、そこで、相変らず大きな声をあげて泣き叫んで、ゆるしを乞うている。ずう体に似合わない泣き虫。
引捉えて来た造船所連の告げるところによると、この泣き虫は今早朝、ある漁師の家の附近にうろついているところを、大勢してとっつかまえて、必死に抵抗するのを、ようやくのことで縄にかけて来たのだとのこと。
けだし、しかるべき山中の洞穴かなにかに、身をひそめていたやつが、空腹に堪え兼ねて、人里へうろつき出したところを、引捉えられてこの運命ということらしい。
物置へ抛り込まれてなお、マドロスが盛んに泣き叫んでいるのを、こちらの室では、もゆる子と茂太郎とが聞きながら、痛いような、くすぐったいような、バチだから仕方がないというような、でもかわいそうねというような、殿様に頼んで縄を解いて上げましょうかというような、いいえ、それにしてもまだ早いわ、もう少し泣かしておきましょうよというような表情で、
ところがまもなく、米飯と、野菜と、魚肉とを、一つの皿に盛り上げたのを持って、物置へ入って行く
そうして、両手を縛られて、絶泣しているマドロスの面前へそれを持って行って、箸でいちいちハサんで、マドロスの口へあてがっているところの金椎を見る。
親鳥から餌を与えられるようにして、金椎から箸で突き出される食物を、雛が食べさせてもらうように、パクついているマドロスを見る。
その食物をパクつく間のマドロスは号泣していないのを見る。食物をパクつく間にしゃくり上げるマドロスを見る。その瞬間に、眼からポロポロと落ちる水滴は、その以後と区別した嬉し涙というものの一滴だろうとは受取れる。
こうして見ると、泣くことは泣くが、食うことも食う。見るまに大きな一皿を平げて、なお物欲しそうな色が残る。泣くことと、食うことは別なのであるように見える。泣くべき時には、泣けるだけを泣き、食うべき時には、食うだけを食うという分業組織が、この男にはかなり規律正しく使い分けられているように見える。
日本人の普通に見るように、泣くべきほどの事があるから食事も進まないの、胸が塞がって飲むものも飲まれないのというような、物と心との混線作用はないらしい。
だが、この際は、金椎も食うだけ食わせることをしないのが、かえって合理的だと思ったのでしょう。右の一皿だけを提供し終ると、あとは節制を与えて物質の補充を追加しないのが、この際相当の処置と思ったのでしょう。
そこで、食うことがこれ以上許されないとすれば、これからまた号泣の中断を続けるの段取りとならなければならぬ。
果して、金椎が立去ったあとで、哀号の声がしきりに起りました。
その哀号を遠音に聞きながら、駒井甚三郎は人間の本能性の底の知れない不検束というものを、両様に感じないわけにはゆきません。
御当人はああして哀号することによって、気分が改悔の誠意を見せているつもりか知らん、同時に同情の念を呼び起そうとつとめているのか知らん、見ている周囲にとっては、いよいよ滑稽と、侮蔑とがあるのみだ。
それにつけても、一人というものの存在が、存在その時には意識に上らなかったほどの影が、立退いてみると、無用の用の大きさの予想外なのに驚かされることがある。
田山白雲がおりさえすれば、ただ存在するその事だけで、これら一切の、悲喜劇は起らなかったのだ。田山が存在することによって、マドロスの放縦が芽を出すことができない。よし芽が出ても、伸びることができないのだ。人間には、ただ人間としての力の存在のほかに、その雰囲気の力がある――というようなことを、駒井が痛感せずにはおられないのです。
のみならず、白雲が存在することによって、マドロスの不検束に強圧が加わり、その放縦の芽が伸びる力を失うのみならず、このふしだらの天才の有する、よい方の能力をも充分と使用することができるのだ。
これが今は二つながら駄目だ――せっかく、企てた炭坑の探検も、これによって重大な支障となる。なおまた、このマドロスの処罰と、改造とのために、あたら時間と、脳力とを費さずばなるまい――二重三重の物心内外の不経済。
主として、駒井はそれを今、人物経済上の利害から考えてみて、将来、自分が船によって一自由国に向う門出の重要なる参考でなければならないと考えました。
四十二
今日しも、朝まだきより、この海岸を東へ向って、行けども行けども、人煙を絶するのところに、境涯を忘れ、やがて、松林――
やがて写生の筆を休めて、また海に向って歩み、ふと、はまなすの生い茂る、一団の砂丘、その上にのぼって、海に向って一心に弓なりの浜を見ていると、ほとんど、視野の半ばのところに、今日は珍しくも動いているものを認めました。動いているものは、海の波と、空を行く雲と、梢に通う風の音ばかりと心得ているところに、海岸の砂浜に、ほとんど豆の動くが如き黒一点を認めて、白雲は直ちに、
「人だな……人間に紛れもない」
と、かえって人間の存在することに、驚異の眼をみはりました。
暫くは静止して、その黒点を注視していましたが、その動いている黒点が、離れたり附いたりするうちに、たしかに二箇は存在することを確認しました。
なお見ているうちに、極めて少しずつではあるが、右の二つの黒点が、こちらに向って近づいて来るのだということを、見損ずるわけにはゆきません。
「はて、漁師かな」
漁師にしては舟が無い、と見ているうちに、その二つの影がようやく、はっきりする。二つの人影が、棒を以て渡り合っている――と白雲はそう思いました。多分、棒だろうと思われる、そうでなければ
かりにこの辺に、数戸の漁師があって、それが朝がかりの仕事としては、念の入った身がまえである。
田山白雲は、海に酔うた眼を以て、暫くその二つの人影に、注意を払わずにはおられなくなりました。
やや暫く注視を怠らないでいるうちに、附いては離れ、或いは飛び違い、走せ戻り、時とすると、一町二町を一人が走り移って、また走り戻ることもある。そうして、両の手には、しかるべき得物を離すことをしない。
その
決闘だ――たしかに、そう断定を下すより持って行き場がない。
そうだ、あの二つの人影の間に、何か意趣を含むところのものがあって、相しめし合わせて、全く人目を避けたこの海岸に来て、生命を端的の
それも、普通の田夫漁人の、なぐり合いではなく、相当の心得ある士分のやり口だと直覚しないわけにはゆきません。香取鹿島は名にし負う、武神の地――特にこの海岸を選んで、隔意なしの武道の角技――そうして、生も死も、芸術の上にかけて、残るところの恨みをとどめざる契約。必ずや二人ともに、腕に覚えあり余るつわものには相違あるまい――そうだとすれば、時にとってのよい
これから、息をも切らさずに飛んで行っても、
それは、海岸の陸に於て、目下見つつあった二つの黒影とは、比較を絶するほどに大きな黒影が、波を切って南に向って行くのであります。
「黒船だ!」
白雲が
「うむ、黒船だ」
こんな大きな海上を走る存在物を、多分、白雲は今までに見なかったであろう。
黒船――その名が暗示するところは、日本のものではない、日本には海上を走るもので、これだけの存在物は目下あり得ない、と白雲の頭はなんとなく激昂する。
鹿島洋を横断する不敵な怪物!
荒海を征服してわがもの顔に行く、その雄姿を、この大洋の上に見せられると、白雲も、外夷を軽蔑する頭を以て、充分の
田山白雲は、一種の感激と、いらだたしさを感じて、黒船の姿に見とれ、決闘の場に赴くべく、丘を下らんとした砂丘を下らずして、しばらく立ち尽すのやむを得ざるに至りました。
駒井甚三郎ならば、この
白雲では、そういう数字と、計算には頭が働き得られない。その直覚と、感激から来るところの結論は到底――
この船のよるてふことを束 の間 も
忘れぬは世の宝なりけり
というものに似た迄に帰着する。なあに、毛唐め! なる程機械力の優秀に於ては一歩を譲るかも知れないが、いよいよの時は「わが檣柱を倒して虜船に上る」までの事だ!忘れぬは世の宝なりけり
こうして、黒船を見送っているうちに、黒船の大きさも豆のようになる。やがて、波間に消えてしまう、そうすると海の波の大きさが浮き上って来る。見るべき焦点を失った時に、茫洋たる瞳がよみがえる――
あ、そうだ、黒船も黒船だが、さいぜんのあの人影は、あの決闘は、あの果し合いは――その結末はどうなったのだ。黒船であろうとも、白船であろうとも、船が海を往くことは尋常中の尋常である。それを、うっかりと見とれていたこっちが
さあ、両個の運命は、どうなった。
白雲は、いそがわしく、眼を転じたが、幸か不幸か、さいぜんまで見えた両個の人影の二つとも見えない。
もしや、両虎共に傷ついて、砂に倒れて万事
では、黒船に見とれている間に、案の如く、両虎は共に傷ついて砂浜に倒れたところを、無雑作に波が来て、さらって行ってしまったのだろう――あとかたもない。
田山白雲は手の中の珠でも取られたように、なんとなく心に一味の哀愁を覚えつつ、さて、今は全く、ながめやるべき焦点を失い、最初の茫洋たる豪興を回復するまでの間、無意識に砂浜を歩み――足は本能的に南の方、黒船の走って行った方向、決闘の行われていたと同方向に向って、そぞろ歩きの
海を避けて林に入ったのではなく、この林を抜けて、また彼方に渺茫たる海を見ようとして進み入ったものであります。
ところが、この松林が意外に深く、これに入った白雲の足どりが、存外要領を得ていなかったものだから、松林を行きつ戻りつ、
四十三
海を見て
雑林地帯と違って、下萌えのない芝原に、スクスクと生い立った松の大幹の梢が、
太古、この松林には
大和の奈良の春日山の神鹿の祖、ここに数千の野生の、しかも柔順な、その頭には雄健なる角をいただいて、その衣裳にはなだらかな模様を有し、その眼には豊富なるうるみを持った神苑動物の野生的群遊を、その豪宕な海と、閑雅なる松林の間に想像してみると、これも、すばらしい画題だ! その群鹿の中に取囲まれて、人と獣とが全く友となって一味になって、悠遊寛歩する前代人の快感を想像する。
そうだ、「春日以前の神鹿」といったような画題で、また一つ、この群生動物を中心に一大画幅をつくってみようとの、画興が
画題は有り余る! 彼はかく感ずる瞬間の自分というものを、限りなく果報に感じ出してきた。おれも貧乏に於てはかなり人後に落ちないが、
人は技の拙なるに
「おれは仕合せ者だ!」
白雲は、こういう瞬間には、かく自分の身の恵まれたることの讃歌を、誰はばからず絶叫するの稚気を有している。
この稚気が存する間、妻は病床に臥すとも、子は飢えに泣くとも、存外、のんき千万で生きて行かれる!
「ああ、いい気持だ」
こう言いながら、白雲は松林の間を、縦横に歩いて行くと、ふと、人の声がする。一町とは隔たるまいところで……やはりこの松林の中で、松の木の下で、極めて平凡な人間の声が起るのを聞きました。
海も、海岸も、松林も、ここは自分ひとりの専有と信じていたのに、人がいる。極めて、あたりまえの人間の声がする。その声は
「なあんだ、人がいたのか」
それは軽蔑でもないし、憤怒でもない。極めて軽い意味の失望の程度のものでありました。
それは何を話しているか知れないが、向うの松の木蔭で、人が話し合っている。話し合っているから一人でないことは確かだが、それでも二人以上ではありそうにない。
おや、松の間から海が見えている。
二人だ。二人の前には、何か道具みたようなものが投げ出してあるな!
あれだ、あの黒船が来る前に、黒船の出現によって、トンと存在を忘却してしまっていたが、あの以前に海岸で果し合いを試みていた二人の者――
おお、おお、その生死のほども確めることを忘却していたのだが、それだ、その二人がここにこうしているのだ。
なんの――決闘でも果し合いでもあろうことか、近づいて見れば、眼の前にころがっている機械、道具類が物を言うではないか。
測量だ、測量だ、測量をしていたのだ。それを遠目で見て、一概に決闘と早呑込みをしてしまったのは、度外れた滑稽沙汰であった。
しかし、まあ、ちょうど、何かしら人懐かしい折柄、近く寄って、
「やあ、こんにちは、御苦労さまです」
田山が近づいて愛想をいうと、先方も、
「いや、どうも……」
という返事。
「測量ですか」
「はい」
「拙者は、あなた方がさいぜん、海岸で測量しておいでになるところを遠方から見て、これは、てっきり果し合いだと勘違いを致しましたよ、いやはや、笑止千万」
と言いますと、先方は、さほど興にも乗らないで、
「左様でございましたか、それはどうも」
立っている田山に、まあお坐りなさいとも言わない。
白雲も、ちょっとバツが悪い思いをしている。といって、なにも先方が別段傲慢な態度でこちらを冷淡に扱っているというわけでもないし、また質朴そのものが、挨拶の表示を十分円満にさせないというわけでもないし……そう重い身分の者ではなかろうが、一人はたしかに士分の者、一人もまたそれに準ずるもので、人夫や人足の
はてな、自分では磊落のつもりでも、自分の風采というやつが、この珍客に
「測量は、どこからどこまでなさるのですか、地上を測って行くという仕事には、無限の面白味がありましょうね……拙者は足利の田山白雲という田舎絵師ですが」
と、彼は大抵の場合にするように、あけすけに自分の名を名乗ってしまいました。
拙者は
今の田山白雲は、決して名を惜しむほどの名でなく、腕を惜しむほどの腕でないことを、充分に自覚し抜いているから、どちらにしても惜気がない。
名乗れと言われない先に名乗り、腕を要求せらるれば、一山三文の、当時の価をそのままで提示することを辞さない。
今も、その例によって、問われざるに名乗ってしまってから、懐中から画帖を取り出したものです。
「君方は地面を数量で刻んでいくのですが、拙者は直観でうつしていく商売です。どうです、あなた方はそうしてコツコツと地面を数量で刻んで行きながら、地面そのものの魅力に感激せしめられるようなことはございませんか」
四十四
写生帖を持って白雲がこう問いかけると、二人の測量師は面食って、
「何、何でござるてな……」
彼等は
「この間、江戸へ行った時、広小路の
「そうですか」
「尚信とありますが、本物ですかどうですか」
「ははあ」
「その道の人に見てもらったら、わかりましょうが、あんまり安いものですからね。
「ははあ、よく描いてありますなあ、
「なるほど、よくうつしてありますなあ」
「いや、お恥かしいものですよ」
と白雲も、自分の絵が存外、その人たちのお気に召したことに、多少の光栄を感じて謙遜する。
「どうして、どうして、立派なものです。失礼ながら、このくらいに描ける絵かきは、田舎なんぞにそうたんとは転がっておりませんよ」
「恐縮です」
「一枚描いて下さらんか」
「御希望なら、描いて上げてもいいです」
「なんでしたら、わしの屋敷へおいで下さらんか」
「おたずねしてもよいが、どちらですか」
「相馬です」
「相馬――相馬中村ですか」
「そうです、これから、北へと測量して行って相馬へ行くのですが、相馬で仕事が終るわけではありません、屋敷は相馬にあるけれど、相馬を通り越して、もっと遠くまで行くのですよ」
「ははあ、家門を過ぐるとも入らず、というわけですね」
「いいえ、家門を過ぎれば立寄って、妻子をよろこばせます。どうでござるか、先生、相馬はさまで遠くないところですから、我々と同行して下さるまいか」
「ははあ、それは至極、都合のよい話のようですが、遠くないといっても相馬ですから、どのくらいの里数と時間とを要しますか」
「左様――おおよそ五十五里――まず六十里足らずと思えばようござる、日に十里ずつの旅をしてかれこれ五日」
測量師の言うことだから間違いはあるまい。それを聞くと、白雲も少し考えて、
「この海岸を、北へ北へと行くんですな。途中見るところがありますか、いい景色がありますか、名物といったようなものが……」
「左様――海岸の景色といっても大抵きまったようなものでござるが、大洗、助川、
「ははあ、勿来の関……なんとなく意をそそられます」
「お気が向いたら、ぜひ、お出かけ下さい、拙者宅に幾日でも
相当の絵師と見定めてから、先生号で呼びかけ、その先生を自宅へ招じて、何枚でも描かせようとまで働いて来たのは、隅に置けないところがあるとおかしがり、
「海岸の風景のほかに何か、名物、或いは、画の題になるものがありますか」
「左様でござるな、この海岸で名物といっては、大洗に磯節というのがござり、海では、さんま、
実際家だけに、相当具体的に答えてはくれるが、さんまや、鯖や、こんにゃくでは、画題として、あんまり感心しないと、白雲が考えていると、測量師は附け加えて、
「相馬へ行くと、馬がたくさんいる、生きた馬が放し飼いにしてござるが、あれは絵になりませんかな」
「なりますとも」
ここに至って、白雲は、
絵になるどころか、馬は天下の画材である。ことに放牧の馬は、和漢古来、名匠の全力を傾けて悔いざる画題だ。
白雲は、天馬のように心が躍る。そこで、白雲は、馬を描いた古今の名画について、気焔を揚げてみたかったのだが、この相手が相手だと
「それはいいことを聞きました、相馬は馬の名所でしたね。なお、あの附近に、名物、そのほかに、たとえば、古代の名建築とか、名画を所持している人とか、名彫刻の保存家とかいうようなところはありませんか」
「そうですね、なんにしても東北の
「ははあ、松島ですか」
「松島まで行きますと、かなり天下に向って誇るべき名所も、名物もござるというものです」
「それは、それに違いない」
「八百八島――あれは天然がこしらえた名物でござるが、
「すばらしい狩野家とは?」
「瑞巌寺には、永徳と、山楽がありますね」
「あ、そうだ、そうだ」
その時に、白雲がまた興を呼び起して、膝を打ちました。
そうだ、そうだ、松島には、伊達政宗が太閤からもらい受けたという観瀾亭がある。そこには、すばらしい山楽の壁画があるということは、兼ねて聞いている。
畿内をほかにして、あれだけの狩野は他に無い――ある友人は、それを見て来て、あれは山楽というより、永徳と言いたい、いや、自分は永徳であることを確信すると、告げたことがある。松島まで行こう――その永徳を見るために。
永徳は画壇の英雄である。
政治家に秀吉があって、画界に永徳がある。
時代に桃山があって、やはり画家に永徳がある。
画壇においての永徳は、秀吉に譲らざる英雄である。
ということを、白雲は日頃念頭に置いている。相馬には奔馬があり、松島には永徳がある――恵まれたるわが天地なる
四十五
白骨の温泉の一室で、池田良斎と、北原賢次とが、「
「北原さん、お客様でございます」
「え!」
北原は愕然として筆を
「お客様がお着きになりまして、今、おすすぎをなすっていらっしゃいます」
「誰ですか」
「尾張の名古屋の
「来た、来た! 先生、伝書鳩の効能がかくも的確とは予想外でした……お雪さん、どうも有難う、いま行きます」
「どう致しまして」
室の外で北原に取次だけをして、姿を見せないで行ってしまったのはお雪ちゃんです。
北原賢次は、良斎を残して、とつかわと出て行ったが、暫くして、北原はその名古屋から来た紅売りというのを伴うて、浴槽の方へ行った様子。浴槽の中でも、いつもとは違って、極めてしめやかに、話し込んでいると見えて、時々、湯の音がするだけのものでした。
湯を出てから、再び、以前の校訂室へつれて来るかと思うと、そうではなく、別に
夜になると、例によって、炉辺閑話が賑わい出してきましたけれど、北原は
こんなことは、すこぶる違例で、それでも少なくとも池田良斎あたりには引合わしたろうと思われるが、良斎もすまし込んでいるものだから、紅売りという者の正体がまだわかりません。
かくて、その夜は更けて行きました。
その夜の白骨谷は満眼の月でありました。
三階の亜字の
お雪は、つくづくこれを美しいながめだと思います。
美しいだけでは言い足りないと思います。なんだか、悲しいような、奥深いような、言うに言われぬ心持で、白骨谷の深夜を、ひとり愛して、やみ難いことがしばしばあるのであります。
この地上には、人間に隠されたところの秘境が、いくらもあるということを、このごろほどしみじみ感じさせられたことはありません。
多くの人は、白骨谷は人間の冬来るべきところではないと言いました。土地の主さえも、冬は逃れて里へ帰るところだと言いました。
それだのに、この美しい景色は、どうでしょう。それも、冬がようやく迫って来るほど、昼よりも宵、宵よりも、この深夜の月の澄んだ時ほど美しさが増して行く。
今は、どうでしょう、人去り、時更けて、この骨まで凍る白骨谷のつめたさ。
この美しい、つめたさを、自分ひとりだけがながめつくす特権がうれしい。
起して見せてあげたいが、そうしない方がよい。慾ばりのようだが、これだけは、わたし一人占めにして、誰にも見せないことにしておきましょう。
先日も、このことで、弁信さんへの手紙を書いたことでした。
その手紙の中に、白骨谷の深夜の景色に拙い描写を試みた後、こんなことを書き伝えた覚えがあります、
「弁信さん――
風景というものは、人間に見せるために出来ているものではないということが、このごろになって、やっと、わたしにわかってきました。
今まで、私は、美しい花だの、キレイな鳥だの、屏風 を立てたような山や、波のように音を立てて流れる川、みんな、自然――が人間をなぐさめてくれるために出来ているものとばかり思って、それとお友達になったつもりで慰められて来ましたが、このごろになって、ようやく、本当のよい景色は、人間のために作られているのではない、ということがよくわかりました。
冬になっての、夜更けての、白骨谷の景色というものの、美しさを、弁信さんにひとめ見せてあげたら、きっと、わたしの言うことをわかって下さいます。
毎年、夏から秋にかけましては、白骨へ入湯に来るお客もたくさんございますけれども、冬の白骨を知っている人はないのです。知っている人があっても、冬の夜更けての白骨谷に、こうまであこがれているのは、古来――(ずいぶん大きな言い方ですけれども御免下さい)わたしひとりだけなんでしょう。
冬が深くなり、人が絶えてくるほど、景色はよくなって参ります。
まして――これから上の乗鞍ヶ岳や、穂高ヶ岳や、槍、白馬、越中の剣山の上あたりの今夜の月の景色は、どんなでしょう。それはただ想いやるばかりで見ることはできません。わたくしに見ることが許されないだけではなく、人間というものには、誰にも許されないところに、いよいよ本当の美しい景色が現わされてあるに相違ありません。
わたくしたちが住んでいる、地上にさえその通りですから、あの天上のお月様――とお星様の世界には、どのくらい、美しいところがあるか、それはもう想像も及ばないことでございます。地上にも、天上にも、わたくしたちには見つくせない景色が、いよいよ隠されていることを思うと、自分ができるだけそれを探りたい喜びを感ずると共に、人間の力では及びもないことも考えさせられて、泣きたくなることもございます。
ずいぶん、夢を見ます、高いところへ登った夢も、見なれないものを見せられた夢も――夕べの炉辺で聞いた山家話が、その晩はきっと、ぼかされた絵のようになって夢に現われるんですもの……夢を見ることもまた大きな楽しみの一つでございます。
それから、
こうして、毎日、どこにいるか知れない弁信さんに、届くはずのない手紙ばかり書いて、自分ひとりを慰めているうちに、不思議なことには、毎日毎日、なんだか、弁信さんが、こちらへ向いて少しずつ近づいて来るのじゃないかと思われて――
ほんとうに弁信さん――
あなたのような勘のいい方は、わたしがここに、こんなに考えていることを気づいて、こちらへ向けて出かけておいでになるのかも知れません。近いうちに、弁信さんがここへ来るような気がしてなりませんもの――
それは全く空想に違いありません。いくらなんだって、この交通の杜絶 している白骨の奥へ、土地の案内者か、冒険者なら格別、弁信さんみたような、きゃしゃな人が、来られようとは思いませんが、日々日々 に、そんな心持がして、これを書いている一行毎に、弁信さんの姿が、わたしに近づいて来る心持を、どうすることもできません。
事実としては、そんなことはあろうはずはありませんけれど、もし、万に一つ、そんなことがあり得るとしたら、弁信さん、あなた一人だけでなく、茂ちゃんも連れて来て下さい。
それは来るなといっても、あの子は弁信さんについて来るにきまっているでしょうが、忘れないで下さい――
茂ちゃんも、弁信さんの傍へ置かないとあぶなくてなりません――」
風景というものは、人間に見せるために出来ているものではないということが、このごろになって、やっと、わたしにわかってきました。
今まで、私は、美しい花だの、キレイな鳥だの、
冬になっての、夜更けての、白骨谷の景色というものの、美しさを、弁信さんにひとめ見せてあげたら、きっと、わたしの言うことをわかって下さいます。
毎年、夏から秋にかけましては、白骨へ入湯に来るお客もたくさんございますけれども、冬の白骨を知っている人はないのです。知っている人があっても、冬の夜更けての白骨谷に、こうまであこがれているのは、古来――(ずいぶん大きな言い方ですけれども御免下さい)わたしひとりだけなんでしょう。
冬が深くなり、人が絶えてくるほど、景色はよくなって参ります。
まして――これから上の乗鞍ヶ岳や、穂高ヶ岳や、槍、白馬、越中の剣山の上あたりの今夜の月の景色は、どんなでしょう。それはただ想いやるばかりで見ることはできません。わたくしに見ることが許されないだけではなく、人間というものには、誰にも許されないところに、いよいよ本当の美しい景色が現わされてあるに相違ありません。
わたくしたちが住んでいる、地上にさえその通りですから、あの天上のお月様――とお星様の世界には、どのくらい、美しいところがあるか、それはもう想像も及ばないことでございます。地上にも、天上にも、わたくしたちには見つくせない景色が、いよいよ隠されていることを思うと、自分ができるだけそれを探りたい喜びを感ずると共に、人間の力では及びもないことも考えさせられて、泣きたくなることもございます。
ずいぶん、夢を見ます、高いところへ登った夢も、見なれないものを見せられた夢も――夕べの炉辺で聞いた山家話が、その晩はきっと、ぼかされた絵のようになって夢に現われるんですもの……夢を見ることもまた大きな楽しみの一つでございます。
それから、
こうして、毎日、どこにいるか知れない弁信さんに、届くはずのない手紙ばかり書いて、自分ひとりを慰めているうちに、不思議なことには、毎日毎日、なんだか、弁信さんが、こちらへ向いて少しずつ近づいて来るのじゃないかと思われて――
ほんとうに弁信さん――
あなたのような勘のいい方は、わたしがここに、こんなに考えていることを気づいて、こちらへ向けて出かけておいでになるのかも知れません。近いうちに、弁信さんがここへ来るような気がしてなりませんもの――
それは全く空想に違いありません。いくらなんだって、この交通の
事実としては、そんなことはあろうはずはありませんけれど、もし、万に一つ、そんなことがあり得るとしたら、弁信さん、あなた一人だけでなく、茂ちゃんも連れて来て下さい。
それは来るなといっても、あの子は弁信さんについて来るにきまっているでしょうが、忘れないで下さい――
茂ちゃんも、弁信さんの傍へ置かないとあぶなくてなりません――」
四十六
お雪が、ひとりこうして月夜の大観に酔うている時、宿の軒下から、一つの
時は、この通りの月夜ですから、ちょっと、そこらへ出るには明りはいりません。ところはこの場合ですから、遠方より行きつ戻りつすべき場合でもありません。
これが闇の夜ならばとにかく、
誰だろう、今時分、何しに……と疑いながら幻想をくずし、眼をみはって、その人を見たしかめようとしたが、三階の高さから
それで、お雪ちゃんは、ほとんど身の毛をよだてたものです。
一旦、軒下から、ふらふらとさまよい出した提灯は、軒をめぐって消えてしまいましたけれど、しばらくして、また現われ、
幻想を恐怖に破られながらお雪は、その提灯から眼をはなすわけにはゆきません。
その時、不意に後ろから音もなく、自分の肩の上に落ちて来たものがあります。
「あっ!」
と振返れば、
「まあ、先生」
お雪の肩に後ろから手を置いたのは、机竜之助でありました。
肩に手を置かれるまで、どうして、どちらから歩み寄って来られたか、それがわかりません。ただ、不意に襲うて来た手の主が、さる人であったから、ようやく落着きました。そうでなければ、いつぞや、仏頂寺のために、目かくしをされた時よりも、もっと怖れたかも知れません。
それでも、息がハズんで、
「ちっとも存じませんでした」
返事をせずに竜之助の、お雪の肩に置いた手はようやく深くなって胸のあたりに襲うて来ると共に、その胸が自分の背を圧迫して来るのを感じます。
お雪は、いったん、落ちついたが、それからまた胸の
それは、どうもなんとなくこの人の挙動に、圧迫を感じるのと、ちょっと振返って見た途端に、右の手を自分の肩にかけ、左の手には刀を提げていたからです。
それは、ちょっと
それでも、圧迫をのがれようという気にもなりません。
「なんて、いい月夜なんでしょう」
と言いました。
「寒いことはない?」
と、深く胸に腕をおろしながら、竜之助が言いました。
「あんまり、いい景色だものですから、寒いことも忘れてしまいました」
「そうかなあ、そんなによい景色ですか」
「ええ、それはそれは」
「景色はいいが、今晩はなんだか宿が物さわがしいではないか」
「いいえ……」
お雪が
「いいえ、騒がしいことは少しもございません、いつもの通り、ほんとに静かな
「でも、なんとなく物騒がしい晩だ」
「いいえ、やっぱり静かな晩でございますわ」
「そうかなあ」
その時、竜之助の深くさし込んだ左の腕が、お雪の乳房の首まで届きました。お雪でなければ、まあ、くすぐったいと、はしゃいで振りもぎるところでしょう。お雪は、最初から圧迫的な空気を、
「物騒がしい晩だ、今晩ぐらい、物騒がしい晩はない」
と、竜之助の言うことはやはり圧迫的で、且つ独断に偏しています。
「いいえ……ちっとも騒がしいことは」
お雪は、竜之助の独断を打消そうとしたが、自分の胸の騒ぎを打消すことはできないと見えて、言葉半ばで、自分の口の中が乾きました。
「ああ、やっぱり物騒がしい、なんとなく落ちつかぬ空気だ、今晩は誰か、この白骨谷の空気を乱しに来た奴がある……」
「え……」
「誰か、この天地へ、外から入り込んだ奴がある、それが、この白骨谷の空気をかき廻して、それでこんなに騒がしい」
と竜之助が言いました。お雪は、
「いいえ、そんなことは、この静かな晩に……」
途切れ途切れに言う、お雪の口がかわいてゆくのを、やはり、どうすることもできないらしい。
「静かな晩でございますが、ね、先生、ただ一つ、おかしいことがございます」
圧迫に堪えきれぬお雪は、ついに自分の指で、乳房にかかる竜之助の手を
「この夜中に、どことも当てもなく
一旦、谷間に隠れてしまった問題の提灯は、この時、また姿を現わしました。
そうして、おもむろにこちらへ向いて戻って来る気色は確かです。
お雪は、前後に圧迫の思いを以て、その提灯を見つめています。
提灯は極めて静かに
そうして、それがなお一歩一歩と近づくのを見ているうちに、足の歩みのたどたどしいのも道理、この提灯の人は、片手に鏡のような水を満たした手桶を提げている、ということが明らかとなりました。
ああ、水汲みにいったものだ、軒下に貯えの水がなくなったから、わざわざ谷川まで水を汲みに行ったものだ。そうだとすればなにも、恐怖も
けれども、なお残る不審は、どうしてこの夜中に、わざわざ谷川まで水を汲みに行かなければならなくなったのだろうという事、どなたかが勉強のために夜ふかしをして、お茶が少し上りたくなって、茶釜を見たが水が無い、
だが、わざわざこの深夜、水汲みにおいでになったのはどなた、それもお雪の気にかかりました。
今しも上って来る人は、頭に笠をいただいておりましたから、人柄はさっぱりわかりませんが、かなりたどたどしい足どりであります。桶に満たした水が、月にかがやいてさざ波を立てながら銀のように動いているのを見ると、お雪は風流な姿よと思いました。水たまらねば月も宿らずと、口ずさんでやりたいような気分になりました。
でも、その当人が、この宿に
そのうちに、だらだら坂を上りつくして、右の水汲みは、疲れを休めるためにや、手桶を後生大事に下に置いて、ホッと一息ついている
その時に、高欄の上から
お雪はハッとしました。自分の手に持っていた
お雪ちゃんはハッとしました。ふだん、数珠なんぞを携えているわけではないが、その時は、無意識に、自分の手文庫の中に
お雪はハッとしたでしょうが、それよりも一層驚かされたのは、足許に物の落された水汲みの主で、落ちたその物を注視するよりは、高欄を見上げることの方が先でした。
見上げるところの三階の亜字の高欄には、たしかに人が立っている。御承知の通りの隈なき月夜のことだから、それを見まごうはずはありません。
但し、その人影が一つであったか、二つであったか、一つ一つが重なっていたのだか、そうしてその人がいかなる人であったかは、わからなかったようです。ただ、天上に人ありという意外の驚異で、しばらく、ふり仰いで、高欄の上から目をはなすことができませんでした。
二人が深夜の楼上にこうしているところを、下から見られたのが、二人にとって幸か不幸かはわかりませんが――下なる人の正体をある程度まで見定めるには、これが上なる人――お雪ちゃんにとってはよい機会でありました。
笠を阿弥陀にして、ふり仰いでいるその人は、いやでもその
その時に、お雪は、二重三重の意外に見舞われて、胸を
笠のうちなる人の面影は、今まで全く見なかった人です。ここに冬籠りをして熟しきっている同宿の人たちのうちの一人でないことは
全く別な、全く新しい人――一眼見てまぎろう方なき、あざやかな印象――お雪が、一も無く二も無く感じてしまったことは、その人の面影を、どうしても女とよりほかは見ることができなかったからです。
男の眼では間違いということもあろうけれど、女が女を見る眼には間違いないと、お雪は直覚的に信じてしまったのです。
さあ――この白骨の温泉の今までの冬籠りには、女というものは自分のほかには絶対になかったはず。
呼ぼうということも、来るということも、誰人のおくびにも出てはいなかった。たとえ、呼んでも、招いても、自分たちのように夏の時分から来ているならば格別、今のこの際に、女の身でここへ来ること(冒険の男でさえも)は、全く不可能であると信ぜられていたのです。
この人が女ならば、いつ、どうして、誰が連れて来た。もっと以前に連れて来て、誰か隠して置いたのか――それは、どちらにしても容易ならぬ事だ。
と、お雪の胸が
しかし、その場の光景はその瞬間だけで、下なる人は直ちに
幻怪にもせよ、恐怖にもせよ、幻怪でも恐怖でもなく、ただ人あって水を汲みに出たという平凡極まる光景であったにせよ、眼前のその事は、それでひとまず解決しましたが、それと同時に、背後の圧迫のゆるやかなことを感ぜずにはおられません。
四十七
その夜の寝物語に――といっても、襖一重の明け開いた隔ての間で、竜之助とお雪とが、こんな話をしました。話はむしろ、お雪の方から持ちかけたものです。
「ねえ、先生、いつまでもこうして、白骨にばかりもおられませんわね」
「でも、こんなところで、一生暮してもいいと、お前は言ったではないかね」
「一時はそう思いましたけれども、ここは、わたしたちだけの天地ではありませんもの」
「我々だけの天地というものが、別に造られてあるはずはないのだ」
「それはそうですけれども、温泉だけに、人の出入りが絶えませんわね、誰も来ないはずの冬の白骨へ、やっぱり、思いがけなく、いろいろの人が出たり入ったりするものだから、わたしは危なっかしくて、このごろはほんとうに落着かなくなりました」
「といって、冬が終るまでは、動きが取れないことになっているではないかね」
「いいえ――あんな見知らぬ人が、今晩も入って来るくらいだから、出ようとすれば、出られない限りもないと思いますわ」
「そうか知ら、そこで、お雪ちゃん、お前も、もう白骨にあきがきて、家へ帰りたくなったのか」
「いいえ、そういうわけではありませんけれど、ここがなんとなく不安になりました。ねえ、先生、今のうちに白骨を立ってしまいましょうか」
「そうして、どこへ行こうというの」
「それはね、一つ、わたしに考えがありますのよ」
「その考えというのは?」
「まあ、お聞き下さい。わたしは少しでも、ここへ来た甲斐があって、第一、先生のお目のだいぶよろしくなったとおっしゃるのを喜ばずにはおられません。それに、わたくし自らも、ここへ来たために、いろいろの学問を致しました、ずいぶん、ためになりました。ですから、白骨へ来たことは全く後悔にはなりません。けれども、もうこのぐらいが、切上げ時じゃないかと思います。今までも、思いがけない人のごたごたがありましたけれど、ともかくも、おたがいに無事で今日まで参りました、この上いい気になって逗留していると、ためにならないことが起るような気がしてなりません。ですから、別のところで、あなたの充分御養生になれるようなところを選んで、それはここよりは、一層静かで、人事のごたごたのないところへ行って、春まで暮してみた方がよいのではないかと、そんな気がしてなりません」
「なるほど……それも一理のある考え方だが、といって、ここを立って、別にいいところがありますか」
「それはありますとも、いくらもございますよ。第一、この谷を後ろへめぐって
「なるほど」
「そこは山国は山国ですけれども、こんな迫った
「聞いて極楽、見て地獄ということは、世間にありがちのことだから、正直なお雪ちゃんが、うっかり聞いたままを信ずると、後に大きな失望をするに違いない」
「いいえ、それとは比較が違います、白川郷というところは、悪いところであろうはずがないことがよくわかりました、そうしてわたしは、なにもかも一切あきらめて、その白川村へ入ってしまった方がいいのじゃないかと、ずっと以前から思案しておりました。それは久助さんに話せば、むろん、賛成はしません、誰だってほかの者が承知をするはずはありませんけれど、わたしは、それがいちばん、わたしたちのこれからのためによい道ではないかと、思い定めていましたからお話をするのです」
「そうかなあ」
「ねえ、それですから、先生、あなたさえ御承知くだされば、明日にもこの白骨を立ってしまいたいと思います」
「誰にもことわらずに?」
「ええ、あなたと二人だけで」
「
「駈落というわけじゃありませんけれど、誰かに言えば、キット留めますもの」
「では、それも一思案として、どうしてここを出ますか。お雪ちゃんだけは、出られるとしても、相手を連れ出す手段がありますまいね」
「それは、あなたさえ御同意くだされば、きっとできると思います、時々、あちらから入り込んで来る猟師さんたちに、そっと頼んでみても話がわかってくれるだろうと思います」
「うむ――そうかなあ」
「先生、よくって、あなたが御同意をして下されば、わたしは今日から、その実行にかかります」
「さあ、いよいよとなれば一大事だ」
「いいえ、一大事ではございません、万が一、間違っても、牢破りをするのとは違いますもの、久助さんだけにあやまれば済みます。けれども、わたしが心を決めてやる以上は、決して、やりそこなうようなことはしませんよ。もし、やりそこなうようなおそれがあれば、やらないうちにやめてしまいます。とにかく、わたしに任せてみて下さいな、ねえ、先生」
「それほどまでにして、ここを出たいの?」
「ええ、それは、あなたのためばかりではございません、わたしのためにも……来る人、来る人が、どうも、あなたを探しに来る人に見えたり、また、わたしをさぐりに来る人にばっかり見えて、たまりませんもの……白骨は、もう落着きません、どうしても、白川まで行きたいと思いつのりました。白川ならば、平家の落武者ではありませんけれど、永久に、わたしたちの身を隠すことができましょう――わたしたちばかりでなく、子供たちや孫の代まで、落着いてこの生を託することができるというわけではありませんか。ああ、白川へ行ってしまいたい、ねえ、先生、御同意ください、いいでしょう、この白骨を脱け出すことに御同意をして下すって、その方法を一切、わたしにお任せ下さいな――そうして白骨から白川で落着いて、そこがほんとうに住みよいところでしたら、一生をそこで暮しましょう。そうして落着いているうちに、先生の御養生も届いて、立派にお目があくようになれば、また、どうにでも方法はございます。もし、また、その白川とやらも、思わしくないようでしたら、それこそほんとうに、この世の行きづまりですから、わたしは、もう、それより以上に生きようとは思いません……ですから、どうぞ、そんなようにして、誰にも話さずにこの白骨を抜け出すことに御同意をして下さい、そうして、その方法を、わたしにお任せ下さいな、ね、いいでしょう、どうぞお願いです」
こう言って、お雪としては珍しいほどの昂奮を以て、一生懸命に訴えてみましたが、竜之助はハッキリした返事を与えませんでした。
けれども、ハッキリした返事を与えないことが、同意の表示であるように、お雪をして
伝うるところによると、飛騨の白川村に通ずる路は、千岳万渓の間に僅かに一条の
そうして、その難路を分け入って、白川村に着いて見れば、土地は美しく、人情は
四十八
別に、その同じ夜更けて、自称お
その一団は、いずれも見知り合いの
それは、さいぜん、お雪が
色の乳白色な、小肥りといってよいくらいな肉附の、三十を越した年増ではありますが、キリリとした身のこなし、真黒な髪をいぼじりといったように無雑作に巻きつけてあるのは、この際だからやむを得ますまい。
今まで無かった女性が、ここへ現われたのは、天から落ちて来たのでもなく、地から湧いて来たのでもなく、先刻、お雪が取次をして、北原が迎いに出でたところの、名古屋から来た紅売りその人なんでありましょう。そうだとすれば、旅路の必要から、男装して来たものが、ここではその必要を解いて、本来の姿を見せているものと見られる。
ここ、白骨に冬籠りをやっている自称お神楽師連が、必ずしも自称お神楽師でないことを知る者は、これをたずねて、女の身で大胆にも、冒険にも、ここまでひとり旅をして来た名古屋の紅売りなるものが、単純な紅売りでないということもあたりまえです。
それはこの一座の誰
その、遠慮の入用のない秘密会議の雑話と、熟議と、談論とを混合してみると、さすがにこれは炉辺閑話とは全く趣を異にしています。京阪、或いは関東の要所に於て、二三人集まって、こんな事を口走れば、
この秘密会議の内容を綜合してみると、飛騨の高山と、尾張の名古屋とが、話題の中心になるらしい。
慶長以来の、関ヶ原当時の陣形を細やかに持ち出すものがある。結局、美濃、尾張の平野は、今日でも大勢を制するの中原であって、その中原の後ろを押えるものが、近江と飛騨とだ。石田三成は近江に根拠を置いたが、飛騨を閑却したのはいけない。我々は、飛騨を押えておらねばならぬ。飛騨を押えるのは、難事ではないが、目的は尾張にある。
今し、彼等の間に拡げられた大地図は、尾張の中原平野の地図であって、その上に
そこで、一座の陰謀の中心は、尾張名古屋の城の研究ということに集まっているらしい。一座の異彩、名古屋から昨晩着いた紅売りの女――も多分、それがために有力な資料を持ち
「名古屋は、怖るるに足りない」
と一人が言いました。
「水戸を、徳川というものに反逆させたのが
と言った壮士は、おたがいに呼ぶところの名をもってすれば、
どうも、その談論風発の勢い、どこぞで見たところのある――ああ、そうそう、たしかにあれは三田の薩摩屋敷にいた。しかも薩摩屋敷の浪士のうちでも牛耳を取っている男に、たしかにこれがいた。
この一座の語るところは以上の如く、その間、かの女性は神妙に一座を取持っている。相良はこの女性を顧みて、時々、
「梅野さん、梅野さん」
と呼ぶ。
なまなかの道づれや、かりそめの道案内者として、雇うて来たものではないらしい。
こう言って尾張をそしるもあれば尾張
尾州
この相良とか小島という新入りの壮士が連れて来た右の一人の女性。それは、やっぱりわからない。或いは、この一味に投ずるほどの女侠か、そうでなければ、相良が、松本あたりから雇うて来た女案内人か。それにしては肌が柔らかい。
四十九
お銀様を誘い出して、尾張の名古屋を的に東海道を上るお角さんの一行は、無事に三州の赤坂の
道中馴れたお角の歯ぎれのいい女っぷりに、事新しく感心したらしいお銀様。そのおかげで、今までに経験したことのない快い旅路をつづけ得たと思いました。
お角という女は、お銀様に対してこそ、妙に気が引けてならないが、その他にかけては、無人の境を行くようで、さすがの雲助、
宿に着いてから出るまで、万端の行き方が小気味がよく、
赤坂を出て宝蔵寺まで来た時分に、お角は
ははあ――興行だな、芝居ではない、相撲だな、この景気で見ると、まんざら田舎相撲とも思われない、江戸か上方、いずれ大相撲の一行が、この辺で打っているのだな――
まもなく、
天性、興行師に出来ているこの女は、見物心理として感興を湧かされるのではありません。いわば剛の者が、戦陣の前に当って武者ぶるいを禁ずることができないように、いやしくも、興行物となってみれば、大きければ大きいように、小さければ小さいように、都会ならば都会のように、田舎ならば田舎のように、
「おや、大相撲らしいが、どんな
と、旗幟の文字を読んでみると、その真先に眼に落ちた一つに、
「大関、舞鶴駒吉――」
という白ぬきの大文字を見た途端に、ツーンと頭へ来てしまいました。「はあ、舞鶴駒吉――あれからどうしているかと思ったら、こんなところに来ていたのかねえ」
勧進元は誰がやっているか知らないが、乗込んで見れば存外知った面で、おたがいに、これはこれはという段取りかも知れない。
茶屋の前で、ちょっと駕籠を休ませて、
「お嬢様」
と後ろを顧みて言いました。
「はい」
お銀様が、
「相撲はお好きでございますか」
「好きでもありませんが、嫌いという程でもありませんよ」
「田舎にしては、ちょっと珍しい相撲がかかっていますから、のぞいてごらんになる気はございませんか」
「お前さんが見たいと言うんなら、わたしも一緒に参りましょう」
「岡崎泊りには時間がたっぷりございますから、なんならひとつ、相撲を見てやりましょう」
「お前さんのよいように」
「では、お嬢様、これから駕籠を下りて参りましょう、石河原ですけれど、そんなに遠いところではありませんから、おひろいでおいで下さいまし」
お角が先に出て、案内に立ちました。
相撲場は、直ぐに眼の前の広場です。お銀様も快く駕籠を出て、茶屋から借りた
先に立ったお角のキビキビしたのと、連れの
「ねえ、お嬢様、あの
お角がお銀様にこんなことを言いました。
この時分、後ろの赤坂の方面から来るのと、行手の藤川筋から往くのと、それに意外に間道をつめかけて来る近郷近在の衆とが、河岸の広場の相撲小屋をめざして進んで行く光景は、蟻の町の立ったような
お銀様とお角の一行も、その
振返って見ると、人々が怖れて、逃げて通すのも道理――酔っぱらって、傍若無人に振舞いながら、こっちへやって来るのは、血気盛りの二人の若い、二本差しているところから見ても、このあたりの藩の士分の者と見えるそれが、かなり酒気を帯びているらしく、傍若無人に振舞い、農工商連の怖れてよけて通すのをいいことにして、婦人をめがけて戯れかかるらしい。こうして見物に行く婦人連をおびやかしながら、ようやくお角と、そうしてお銀様の一行のすぐ後ろまで迫って来ていました。
お角は、ちょっとイヤな
「ホ、ホ、ホ、たいそうよいお機嫌でいらっしゃいますね、でもお足許がおあぶのうございますよ」
こういった気合に、二人の生酔いの悪ざむらいがちょっと気を呑まれた形でした。
その途端に、連れて来た、六さんといって喧嘩上手で聞えた
つむじ風をやり過ごして、足並みを立て直したお銀様とお角の一行――
「飛んだ金十郎だよ」
とお角が、軽蔑の冷笑を後ろから浴びせているにもかかわらず、二人の生酔いの若ざむらいは、なお行く手の見物人に存分悪ふざけを試みながら行くのを見て、この分で、相撲小屋へつくまで、また場内へ入ってから後に間違いがなければいいが――と気を揉んだのはお角さんばかりではありません。同じ金十郎にしても、アクドい。
間違いがなければいいが――
果して……まだそれとは言えないが、一町程の
「喧嘩だ、喧嘩だ――」
それ見たことか。見ているまに、黒山となった人だかりが容易に崩れないのは、喧嘩のたちが悪くなったに相違ない。
当然、行くべき道筋、お角さんの一行は、いやでもその場へ通りかからねばなりません。喧嘩の売り方は言うまでもなく、さいぜんの生酔いの二人の若ざむらいで、それを買ったのは、町人風であるらしい。
その町人の後ろには、男の連れが三人ばかりあって、これが、町人に応援している。この町人の一行はかなり
この町人の
多勢を頼む
そこで、女の手前もあり、気の立った一行が、なあに二本差していたって相手は生酔い二人、あんまりふざけ方がアクどいやいという気になったらしい。
「あんた方、人のてほんになるべき身でおだしながら、何たる無作法な
「何を――この
「斬って捨てるぞ!」
二人の悪ざむらいは、
「何、何と言いなはる、お腰の物へ手をかけなさったは、わしたちをお斬りなさる了見かエ。面白い、さあ斬っていただきやしょうか。今日はお天気がよくて皆さん、みんな御見物にいらっしゃる、わしも名古屋の河嘉の松五郎じゃ、こんなところで、晴れて斬られるならずいぶん斬られて上げる。どちらが道理か、お立会の方がみんな御存じ。さあ、お斬り下さい、どこからでも、横になと、縦になと、斬っていただきやしょう」
相手の言葉尻を逆にとらえ、尻をまくることの代りに、片肌をぬいでしまって、
「さあ斬れ――」
をきめこんだものだから、見ている人が手に汗を握りました。
それで、勢いこんだのは相手の悪ざむらいではなく、町人の後ろに控えている身内の若いのと、それを声援する芸妓たちです。
「兄さんの、おっしゃる通りが道理じゃ、さあ、白いと黒いは、皆様がご存じ、斬られておやりなさい――まんざら、犬死はなさるまい、道理は、わしたちはじめ、お立会の皆様がご存じじゃ、斬られるものなら、立派に斬られてごろうじ、骨はわしたちが拾って帰りやす、さあ、おさむらい衆、うちの兄さんを、お斬りなさい――立派にお斬りなさい」
そこで、親方が、いよいよ強気になる。
「さあ、斬られましょう、夜討や
と
この
案の定!
お角としては、自分たちが引受けねばならなかった役廻りを、この芸妓連の一行が買い受けてくれたようにも思われて、本来は、痛快を感じて、多少声援の役廻りでもつとめねばならぬ立場であり、そういう際には、引込んでいる女ではないのですが、この際は、どういうわけか、さほど気が進みませんでした。
これは、悪ざむらいたちの
どうも、この連中は、降りかかった難儀のために、やむにやまれず、喧嘩を買って出たというよりも、周囲の同情が自分たちの方に有利な形勢を見て、どうも少々増長気味があるらしい。それに、見損うない、かいなでの在郷連と違った兄さんだぞという
ああまでしなくってもよい、若ざむらいの悪いのは、もとよりわかっているが、あれは若気の至りに酒があって、あたりの在郷連の間に、自分たちの身分に慢心しきって、人が一目置いて行くのをいい気になってしまったというまでで、かなりアクドいふざけ方はするが、避ければ、
だから、たしなめるにしても、上手にたしなめさえすれば、成績が上るのである。それを、こちらが、あの通り逆に取って、カサにかかるように出ては、相手の引込みがつかない。
と、お角さんは、かえって、この町人連の喧嘩の買いっぷりは
果して事は次第に悪化して行く。
そこへ、自分たちの
それを、加勢がまた殖えてきたと見たのか、名古屋の料理屋の親方、河嘉の松五郎は、
「さあ、お斬りなさい」
が、さあ斬れ、斬りやがれ、斬って赤いものが出たらお目にかかる、という寸法通りの
この時分、悪い若ざむらい連は酒の酔いもさめてしまい、
さりとて、こうなっては、
悪い若ざむらい連の立場は、どうにもこうにも、抜いて斬らなければならないことになって、しかも抜いて斬った結果は、いよいよ悪くなるということに自分が気がついて、自分がおびやかされています。
この町人の鼻っぱしの予想外に強いのに、後ろについている奴も遊び人上り、それを芸妓共が
「さんぴん、これでも斬れねえか」
いきなり、平手で、さむらいの頬を打ちにかかったものだから、もう破裂、二人がさっと抜いてしまいました。
「抜きやがったな、しゃら
松五郎が石を拾って
芸妓連は、悲鳴を上げて逃げるのもあれば、遠くから石を投げて
それから後の乱闘と、二人のさむらいの立場は見るも無惨なものです。
抜きは抜いたが、もう、すっかり度胆を抜かれているところだから、日頃学んだ剣術も、さっぱり役には立たない。松五郎の身内に追い詰められて、弥次に逃げ場をふさがれ、やがて抜刀を奪い取られて、しばらく組んずほぐれつ、河原でこね合ってみたが、やがて、思う存分の手ごめに遭って、袋叩き、石こづき、髪も、
それを、ザマあ見やがれ! という表情で見送っていた料理屋連――その親方は、二人の悪ざむらいから奪い取った大小をからげて、
「こいつは、会所へ届けておかにゃならねえ」
荷かつぎに持たせているところへ、
一切の事情を、
五十
聞いてみると、二人の若い悪ざむらいは、岡崎藩の者だそうです。
東照権現誕生の地――五万石でも城の下まで船がつく、とうたわれた岡崎様の家中も、こんな若ざむらいばかりではあるまいから、後日が思われる。
ところで、この一場の争闘が、さしもの相撲興行を、ほとんど
「その駕籠、少々待たっしゃれ」
女長兵衛の格で納まっているお角が
「御迷惑でもござろうが、おのおの方におたずね致したい、お控え下さるよう」
棒鼻をおさえての申入れが、事有りげではあったが親切でしたから、女長兵衛も、お若けえの、お控えなせえとも言えず、神妙に、
「何の御用でございますか」
駕籠から出て挨拶をしようとするのを、
「いいや、そのままで苦しうござりませぬ、そのままでお尋ね致したいが、あなた方は、いずれへおいでになりますか」
「はい、わたくしたちは、江戸から参りました者、名古屋まで参る途中のものでございます」
「御婦人と見受け申す、して、その後ろのお方は……」
「あれは、わたくしの主人でございます、やはり女でございます」
「お二人とも、
「はい、六に、松に、芳……三人でございます」
「三名ともに、江戸から御同行でござるか」
「はい、二人だけは甲州から連れて参りました」
「近ごろ、ご無礼の至りなれど、一応、後ろのお乗物の中のお連れにお目通りがしたい、拙者は岡崎藩の中、梶川与之助と申すもの、友人のために
「ご挨拶恐縮に存じます、どうぞ、充分におあらため下さいませ」
と言って、お角は
事実をいえば、お角は、お銀様の乗物を、人にあらためさせたくはないのです。お銀様もまた、なによりも人に見らるることを嫌うのを心得ているのですが、この場合、相当に条理のありそうな、この士分の者のあらためのかけ合いを、素直に聞いてやらないのは、かえって不利益だとさとりました。
お銀様があらためらるることを快しとしないだけで、
「お嬢様」
「はい」
「お聞きの通り、岡崎様の御藩中の方が、なんぞ人あらためをなさりたいとの
「はい、どうぞ、御自由に。なんならそれまで、
お銀様は、動ぜぬ声で答えました。
その声を聞いただけで、岡崎藩の美少年は納得したようです。
「いいや、そのお声で、たしかに御女性とお察し申します、乗物をお立ち出で下さるには及びませぬ、一応、御旅切手だけを拝見お許し下さるよう」
「心得ました」
お角はお関所切手を取り出して、美少年に示すと、美少年は
「これは近ごろ、ご無礼の段、お許し下さるよう、どうぞ、そのままお通り下されませ」
「こちらこそ失礼をつかまつりました」
お角はこう言って挨拶をして、再び駕籠の中に納まりましたが、これより先、早くも胸に思い当るところのものがありました。
当然――これは昨日のあの相撲場の喧嘩のなごりだな……
どのみち、あれだけでは納まりのつかない後日があらねばならぬ。実は昨夜の泊りから、今朝まで、それとなく、
あれで、あの若ざむらいたちは泣寝入りかな、身から出た
自分たちの駕籠をおさえて、人あらためにかかったのは、右の美少年ひとりだけだが、行手の松林の中に相当の人数が控えている、これは愚図愚図していると人違いの災難を受ける、そこをお角が感づいて、先を越して早くも
「あいや、
その申入れをお角はことごとく受入れて、この一行は道を
一行を、ここへ導いておいてから、右の美少年は、再び街道へ取って返しました。
果して、これは昨日の喧嘩の引返し幕だ、しかもこの幕が本幕だ、これはお
ほどなく――二挺の駕籠が――その駕籠と従者との並木から現われたのを見た瞬間、松林の方からバラバラと姿を現わして、さいぜんの美少年のところまで
そのうちの二名は、たしかに、昨日の藤川河原の
自分たちにしたのと同様に、まずその美少年が棒鼻をおさえると、駕籠の中から転がり出した一人の男。
それは遠目で見てもわかる、小肥りにして丈の高いかの料亭の親方。たしか名古屋の河嘉の松五郎とか名乗っていた、その男に違いない。駕籠から転がり出して、美少年に武者ぶりついたところを、早くも美少年の刀が抜かれて、一太刀浴びせたようです。
一太刀斬られて腕を打ち落され、後ろへひっくり返るところを、
「昨日の無礼、覚えたか」
と言ったその声が、お角のところまで透るほどです。よくよくの恨みをこめたためでしたろう、さまでの大音ではなかったが、キリキリと歯ぎしりする音までが、お角の耳にまで聞えたようです。
それから後、走せ加わった都合五六名ほどの者が、
「
寄ってたかって、骨髄に徹する恨みのほどを乱刀の下に、
残忍至極だが、昨日の結果としては、是非のほど、何とも言えない!
これは実に瞬間の兇事でしたが、次の瞬間には一行の駕籠屋が逃げ出すこと、昨日の鼻っぱしの非常に強かった身内の者と、宰領と、荷持が、度を失って逃げ惑う。
それを追いかける者――
その時、
相撲取だ――とすれば、この一行の
美少年に立向った力士は、一太刀合わせるまでもなく、小手を切り落されて、よろめきよろめき後へさがるところを、小溝へつまずいて、後ろへ倒れたまま、パッと水を飛ばして、姿は再び現われないから、多分、溝が狭いのに、
一方、大木を振りかざした一人の力士は、五人の行手にふさがってみたが、この五人の武士たちの勇気は、昨日の川原の光景とは打って変った鋭いもので、かいくぐり、かいくぐりして、とうとうその力士をも乱刀の下に仕留めてしまう。
さて、親方を見殺しにして逃げた三人の者、その一人は親方の養子――他の一人は宰領、他の一人は荷かつぎ。
美少年ひとりだけが現場に残って、あとは、透かさず三名の恨みの片割れを追撃しに出かけて行ってしまいました。
まもなく、彼等が、一人の若い男をズルズル引きずって来るのを見る。
それが、昨日、親分にも負けない喧嘩の買いっぷりを示したところの、養子の吉蔵というものであることがわかる。
その近いところまで、大地をズルズルと引きずって来て、親方と枕を並べたところへ引据えると、それを打つ、蹴る、なぐる、
宰領と荷かつぎの二人は、とうとうつかまえそこねたらしい。
だが、その二人は憎しみの程度が浅い――まあこれで充分の溜飲を下げたというものだ。美少年を中にして、松林の中に引上げた一同――都合八名ある。
お角の一行は、さながら昔の伊賀の上野の仇討の光景を、
その時に、松林の中での美少年が、一同に向ってこう言い渡しているのを聞きました。
「二人の奴を取逃がしたのは、いささか残念のようなものだが、その代り、予期しなかった二人の相撲を加えたから、差引き埋合せがついたとする。これで、我々の恨みも晴れ、面目もつないだようなものだから、諸君は、彼等が加勢の角力共がまた押しかけて来ない先――押しかけて来る勇気もあるまいが、来たところでなにほどのことはないが、道中筋の通行人と、役人たちが来合わせると事が面倒になり
と、かいがいしく少年が立ち上りましたから、一同その意を諒したのか、かねて打合せもあったのか、別段にこだわらずに、少年の提言の通りに事が運んでしまいました。往来にある屍体は、田の中へ叩き込み、そうして、六七名の者は、そのまま
少年は、そのあとで、矢立を出して、さらさらと何か紙の表に
お角と、右の少年とが、そこでしばらく
そうして、すすめられるままに、しつこい辞退もせずに、お角の乗った
だが、お角は女のことであるし、少年は小柄のことであるし、両人合わせたからとて、その目方は到底一人の力士を乗せたほどのことはあるまい……
そこで一行の駕籠が、朝まだきの活劇を一幕残して、東海道の並木の嵐を
五十一
そんなことで、この一行は、その晩は
強行すれば、宮か名古屋へは着けないではなかったが、万事この方が余裕があってよいと思ったのです。それに、鳴海、有松絞りといったようなところと、品が、女だけに、この一行を引きつけたのかも知れません。
宿へ着いて――お角は、例の美少年を上座に招じて、委細の物語を聞きはじめました。
その語るところによると、岡崎藩でも武術の家に生れ、去年のこと、
しかし、天性、利発で、侠気があって、腕が優れているというところが、どこまでも
今度も、昨日の名古屋者のために、かりにも自分の藩中の者が、大恥辱を
実は、自分も昨日、赤坂を越えて藤川河原の相撲場の喧嘩は、一から十まで見ていましたが、あなた方としては、
お角は、この人たちの復讐心を是認したくなって、この少年の義気と、勇気とに、ほんとに舌を捲かせられました。
だが、苦労人のお角としてみると、その
子供のうちは
全く、そうです。男がよくて、腕が立って、気が
お角は、ついこんなことまで気が廻ったものですから、改めて、応対話にかこつけて、意見のようなことを言いました。
将来を大切になさること、御修行中は、もう決して腕立てはなさらぬこと、頼まれても引受けぬようになさるべきこと――つまり、すべての所行というものを封じて、当分、勉強なさって、御帰参の時を待つか、そうでなければ大都会で、もう一修行なさることを望みます、というようなことを言って聞かせました。少年にはこの言葉がわかるらしい、決してこの教訓を、内心で舌を吐いて聞いているのではないらしい。
やがて、今後の身の振り方というようなことになって行くと、今朝の出来事は、藩の諒解を得てやったことではないにきまっているが、その事の結果は、藩の面目のために戦ったことにもなるから、藩の方でも、他の罪人を追究するように厳しいことはすまい、まあ、当分、足を抜いていさえすれば、おのずからほとぼりも冷めて、相当期間の後には、無事、帰参のできるようになるにきまっている。それまでの間、知人もあるから当分、名古屋へでも行ってみようというようなことを、極めて軽く取扱っているから、お角が、そこでも、少し考えて、くさびを打ってみました。
なるほど、それはそのように、わたしたちにも思われますが、なお思い過ごしをしてみますと、一藩だけの間の出来事ならばともかく、相手は他藩、ことに御三家の一なる名古屋藩の城下の者――たとえ士分の者でないとはいえ、相手は御三家のお膝元の者、ことに二人は仕留めたが、二人は逃がしてしまっているから、先方の証人に不足はない、正式に藩から藩へのかけ合いでもあった日には、そう、あなたのお考えになるほど、事は単純に参りますまい。
ことに、あなたが、これから名古屋でお住まいになるとすれば、敵の中で暮らしているようなもので、油断はできないと思います。
こんな注意をお角から受けると、なるほど、そう言われると、それはそうかも知れぬ、自分がこれから名古屋城下に落着こうという考えは、少々軽率であったかも知れない、では、改めてどうしよう――さすが利発な少年が、少々迷いはじめて来たようです。
そこで、お角は、当分の間、江戸へでも行ってみたいとのお考えならば、適当の隠れ家を御紹介して上げましょう――いっそ、このまま、名古屋をつき抜けて、自分たちと一緒に京大阪から
こう言って、かなり長い時間の二人の会話は終り、少年を先に風呂へやって、さあ、これからお銀様へ御機嫌うかがい……ということになると、自分はあんまり少年との話に身が入り過ぎ、時間がかかり過ぎたりしたことを気がつきました。それは同時に、今までは下へも置かなかったお銀様を、今日はじめて閑却していたというような形になるのです。
座敷を隔てたお銀様の間へ
ああ、つい、うっかりお嬢様の御機嫌をそこねたか知らん、この心がかりが、お角ほどの女の胸をヒドク打ちました。
「お嬢様は……」
誰に聞いてみても知りません。お角はやや
「六さん、お前、なんだって、お嬢様におつき申していないんだエ」
甲州附の従者も叱れないから、自分の従者をドナリつけてみました。
宿の女中に聞いても知らない――
お角は、そこで胸を打ちました。
本来、ちょっとの間、当人の姿が見えないからとて、そんなに胸を騒がせたり、人を叱ったりするほどのことはないのですが、ナゼ、お角ほどの女が、
「ちぇッ、わたしといったら、自分ながら業が煮えてたまらない、一から十までわかりきっていながら、いい年をして、ついこんな抜かりをしでかすなんて、愛想がつきたものさ、ここを押せばここがハネるくらいのことを、御存じないお角さんじゃないのに、ちぇッ、いやになっちゃあなあ」
こう言って、お角は、
だが、その地金の棄鉢も、今日は、周囲に当り方が軟らかいのは、つまり、焦れったがりこそするが、その失策の責めは、誰にあるのでもない、自分にあるのだ、この年甲斐もないお角さんというあばずれが、存外甘いところを見せちゃった、そのむくいだよ――
お角のように、目から鼻へ抜ける女にとって、お銀様のここにいないということの、心理解剖ができないはずはありません。
美少年と、無遠慮に
それをいまさら気がついたから、お角は、自分の甘ったるさ加減を、噛んで吐き出してやりたいほど腹立たしくなったに相違ありません。
お銀様が誰にもことわらず、フラリと宿を出てしまったことは事実です。
それは単に、お角が
音に聞えた鳴海と聞いて、歌書や、物語で覚えた
鳴海潟のあと、鳴海潟のあとと、たずねて参りましたけれども、誰もそれと教えてくれる人はありません。
鳴海という字面から、古えの
人にたずねてみると、海はまだまだこれから遠いとのこと。この辺が海であったのは、遠い昔のことで、鳴海は名のみ、今は鳴らずの海だという。多分、あの小さなお寺のあるあたりが、昔の鳴海潟であったでござんしょう、だが、それは千年も昔のこと――と言われるままに、お銀様は、とあるところの小さな庵寺にまでさまよい至りました。
手のつけようもなく荒れ果てた庵寺。お銀様は堂をめぐってその額などをながめて見ました。
古雅な土佐風の絵に、古歌をかいたのがゆかしい。
読みにくいのを、お銀様は注意して読んでみる。
あはれなり
いかになるみの里なれば
又あこがれて浦つたふらむ
と読まれるのもある。いかになるみの里なれば
又あこがれて浦つたふらむ
甲斐なきは
なほ人知れず逢ふことの
はるかなるみの怨 みなりけり
としるされたのもある。なほ人知れず逢ふことの
はるかなるみの
昔にも
ならぬなるみの里に来て
都恋しき旅寝をぞする
とうたわれたのもある。ならぬなるみの里に来て
都恋しき旅寝をぞする
よみ人の名の記されているのもある、いないのもあるけれども、いずれも古えの名家の歌であることは疑うべくもない。
少しむずかしいのには、
幾人東至又西還(幾人か東に至りまた西に還るや)
潮満沙頭行路難(潮沙頭に満ちて行路難し)
会得截流那一句(流れを截 つの那 の一句を会得 せば)
何妨抹過海門関(何ぞ妨げん海門の関を抹過するを)
と読まれるのもある。潮満沙頭行路難(潮沙頭に満ちて行路難し)
会得截流那一句(流れを
何妨抹過海門関(何ぞ妨げん海門の関を抹過するを)
どれもこれも、時間の永遠にして、人生のはかないなげき、いかになる身の果ての詠歌でないものは無いらしい――と思われる。
お銀様はどうかして古えの鳴海の海を見たいと思いました。鳴海潟に
五十二
この際、名古屋にいた宇治山田の米友は、まっしぐらに宮の七里の渡し場めがけて走っている。
名古屋を後ろにして、やや東へ向いて走るのです。
その眼の中には焦燥はあるが、それは軽井沢の時に、主人を見失った責任感から峠を
波止場に立った米友は、ちょうど、いま立ったばかりの七里の渡し舟をめがけて、
「おーい、よっちゃんよう」
俊寛もどきに舟を呼ぶ。呼べば答えるの距離は充分にある。
「友さんかい」
船ばたに現われた女人の一隊。その中でも一人が
「よっちゃん――一足で
米友が叫ぶ。舟の中の女、
「ほんとに惜しいことをしたねえ、米友さん、もしかしてお前の姿が見えるかと、どんなに待っていたか知れなかったのよ」
「そうだろうと思って、一生懸命にかけて来たんだが、どうも、地の理がよくわからねえもんだからな」
「ほんとに残念だけれど、さよなら」
「さよなら」
「友さん――」
「おーい」
「お前、帰りには、きっとお寄りね、四日市で待っているからね。昨日話したろう、あの通り言って四日市をたずねて下さいね、待っているから、きっとよ」
「うーむ」
「嘘ついちゃいやよ」
「うーむ」
「そうして、それから二人で、
「うーむ」
「先生様にお願い申して、きっとお寄りよ」
「うーむ」
「帰りでいけなければ、お前、行きにお寄りな――ほんとうは、こっちから京大阪へ出る方が順なのよ」
「うーむ」
「じゃあ、きっとね、帰りにね」
こう言っている間に、舟は、隔たって行く。米友は、どう足ずりしても甲斐のないことを知る。
このところ、佐用姫と俊寛の生き別れ――波止場に棒の如く突立っている米友は、またまた死んだ者と、生きた者との区別がわからなくなってしまった。今の現在と、空想との境がわからなくなってしまった。
あの船で、あの女の子たちと共に久しぶりで帰って来た故郷の拝田村――お君が待ち兼ねている――
「友さん、どうしたの、わたしはこうして、さっきから待っているのに、それにどうしてお前、そんなに来るのが遅いの、なぜ前の船で来てくれなかったの、ごらんよ、この家を、お前の家を。二人が逃げ出した時のまま、そっくりじゃないの」
「おお、拝田村のおらが
「庭には
「あの晩、わたしが、備前屋さんで、盗みの疑いを受けて、お前のところへ逃げて来たろう。そら、あの時のまま、そっくりじゃないの――」
「ああ、ムクがいない――ムクは、どうしたやい」
「まあ、友さん、あれから二人が夢中で山の方へ逃げましたね。あれっきり、この家へは帰らないでしょう。それだのに、お前、格別荒れもしないで、昔のままじゃないの。お上りよ、そんなに怖がることはないわ、もう今じゃ、土地の人、誰だって、わたしたちを疑ぐるようなものはありゃしない、みんな、むじつの罪だということがわかっているのよ」
「でも、ムクがいないね」
「どうしたろう、あの犬は、殺されちまやしないかね。友さん、お前、来るぐらいなら、どうしてムクをつれて来なかったの――」
「まあ、いいからお上りな、ムクのことは、あとで、ゆっくり探すとしましょうよ」
「どうしたの、友さん、そんなに棒のように黙って突立っていてさ」
「わたしじゃない、わたしをお前忘れてしまったの?」
「え、それじゃお前、まだあのことを根に持っているの?」
「わたしが、駒井の殿様のお情けを受けたのを、お前はまだ憎んでいるの、もう、いいじゃないの、もう、そんなことはお前、忘れてしまってくれてもいいじゃないの、おたがいにこうして故郷へ帰ったんじゃないの――ここで二人で、もう、昔の通りに仲よく暮らしましょうよ」
米友さん、
どうしたの?
どうしたというのさ、
黙って突立っていて……
怖いわよ――
まあ――
「おっと、あぶない、
後ろに船頭があって、留めることがなければ、米友はその時、波止場から海へ身を投げてしまっていたでしょう。身を投げるのではない、海へ落ちこんでしまったでしょう。そうして、この海をかち渡りするか、泳いでか、とにかく、いま出た船を追いかけて乗るつもりであったでしょう。幸いに後ろに船頭があって、もうちょっとというところで、米友を抱き留めることができました。
「危ねえ――若衆」
つかまえた船頭も、この若者が身投げをするとは見なかったでしょうが、まさしく
危うく溺没を救われた米友は、
「ちぇッ」
舌打ちをして、
「おかしな野郎だなあ」
船頭が
そこで、米友は、全くあられもない方へ走り出してしまいました。
宮から名古屋へ、もと来た道を順に戻ろうというのでもなし。
その昔、机竜之助が半明半暗の道をたどって、東へ下ったそれ――
「江戸へ八十六里二十町、京へ三十六里半、鳴海へ二里半」
と書かれた道標の文字、そんなものも眼中には入らず、ただ、あられもない方へ、横っ飛びに飛んで米友が走りました。横っ飛びに飛んでも、到底人間の至りつくすところの道はきまっている。人里が尽くれば原、原が尽くれば山、大きな川か水があって、それが尽くれば、その先はまた地続き、そうして、ついに行きとまるべきところは海――
日本の国は四方が海だから、米友の足を以てしても、幾日か飛ばし通しに飛ばせば、四海のうちのいずれかへ行き止るにきまっている。
幸いに、その行止りが存外早いことでありました。
当人は、どちらへいくら走ったか知らないが、ものの二里とは行くまいと思われる時に、パッタリと、またも一つの海に当面してしまいました。
海に当面して、右か、左かの思案を、きめねばならぬ境遇に立たせられていることをさとりました。右か、左かの思案をきめる前に、ここはどこの地点? ということを知っておく必要もあるが、それは急にはわからない。
五十三
そこで米友は、とある
誰か人が居合わせたら、たずねてみようとはしたらしいが、あいにく、見渡す限りのところには、人らしいものの影が見えなかったから、寝ている方がよいと思ったのでしょう。
杖も、荷物も、
いい心持でうとうとする、うとうとがかなりの熟睡に落ちる。眼がさめた時は、天地が灰色になっている。
あ、しまった! 寝過ごした。
杖を拾い、荷物をかつぎ取って、またも海も背負うて、人里をめざして走り出す。
「ちぇッ、お腹も
砂丘と草原とを行くと畑がある。その畑にさつま
畑の前に立って、米友が暫く前後左右を見廻す――人あらば、請うて物を得ようとするつもりらしいが、あいにく、人がない。暫く
だが、餓えと渇きとの非常である際に、必ずしも良心にそむかぬ方法と程度とに於て、胃の腑の窮乏を救ってやるということの融通は、乞食同様の旅をして歩いた経験のうちに、多少会得しているだろうと思われます。
「おーい」
と呼んでみました。
返事がない。
「おーい、この畑の持主の大将、さつま薯を三本ばかりおいらに恵んでくれねえか、それについでといっちゃあ済まねえが、蕪を一本な――」
あたりに響くだけの声で呼んでみたが、相変らず返事がない。
「ようし、一番」
米友は、懐中へむんずと手を入れて引出した
「お貰い申しますぞ」
畑の中に分け入って、やにわに、
それから、松林の間の細い道――土を落して皮をむいて、歩きながらがりがりとかじる、一本のさつま薯。残りの分は、木の枝でからげて腰にブラ下げて歩み行くと、その林の間から思いがけなく人の気配。
ようやく人間にありついた、見られない先に、こちらから断わろう――畑荒しと見られてもつまらねえ――
現われ出でた漁師に向ってたずねるよう。
「ここは何というところダエ」
「エ?」
「いったい、ここは何というところなんだね、尾張の名古屋へ出るには、どっちへ行ったらいいんですかね、名古屋へ帰りてえと思うんだが」
「名古屋へ……では、一度鳴海の本宿へお出なさい、その方がようござんすよ」
「鳴海……鳴海潟というんだな、昔から名前だけは聞いてらあ、そうかなあ」
「鳴海の本宿へ出て、それから東海道を真直ぐに行けば名古屋へは間違いっこなし――宮へ出るのもいいが、はじめての人にはわかりにくいから、いっそ、鳴海へ出ておしまいなさいよ」
「そうかね、では、そういうことに致しましょう。鳴海から名古屋までの道のりは知れたもんだろうなあ」
「三里だよ」
「どうも、有難う」
宇治山田の米友は、やがて教えられた通りの広い街道に出て、それを尋常に歩いて行きました。
最初は野を、山を、横っ飛びに、飛び歩いたものが、尋常に、
果して、傍目もふらず、ぐんぐん歩いて行くうち、ハッと気がついた時に
天下の往来を歩いて来たのだから、道そのものを踏み誤るはずはないが、立ちどまった時、天下の往来そのものに向って今更らしい、驚異と、迷いとを感じ出した
言わないことじゃない、実は、東西と南北とを忘れていたのです。
東西と南北とを忘れたのは、右と左とを取りちがったあやまりであり、近くいえば、鳴海と名古屋とのあやまりであり、それを延長すれば、京と江戸とのあやまりであり、縦に持って行けば、天と地のあやまり。
ここに至って、米友が、はじめて我に帰りました。鳴海の本宿へ出ろといわれたのだが、本宿はうかと通り越したのか――本街道は本街道だが、東と西がわからない。
ああ、何か、東西と南北とを示す標準はないか。
往来の人馬――は動くものだから、標準にならないと思いました。路傍の人家も、特にこの男のために東西を記したのはありません。山川草木も、南北を指しているのはない。道標か、札場は……それも見当らない。
米友は地団太を踏みました。
誰かをつかまえて、尋ねてみれば直ぐにわかることだが、この際の米友は、人間というやつをつかまえて教えを乞うには、かなり
「ちぇッ――東西南北がわからねえ」
こう言って天下の大道に立ったものです。と見ると、左の方に石柱が一本立っている。そうだ、多分あれに、何のなにがし、何里何町と刻んである、ひとつ見てやれ――
石の柱へちかよって見ると、それは道標でも、里程でもなく、ただ二字、石に刻んだそれが「
笠寺!
こいつを入って行けば、その笠寺というのへ出るんだな。
笠寺! 聞いたような名だな。そういえばこの入口が何だかうろ覚えのあるような道だ、一度は通ったことのあるような気がするぞ。
行ってみろ――
ははあ、そうだそうだ、その昔、故郷を出奔し、ひとり東海道の道を下って行った時、ここへ入り込んで、この寺の軒の下を一晩お借り申したことがあったっけ。その翌朝、親切な寺番に見つけられ、叱られもせずに、温かい御飯と、温かい味噌汁とを振舞われたことがあったっけ。
その覚えのある道だ。
そうだ。だが、今、ようやくその寺の名を思い出すくらいだから、土地の名もさっぱり記憶はしていないが、やっぱり、熱田の宮から程遠からぬところであったとは、うろ覚えに覚えている。
とにもかくにも、昔なつかしいあのお寺の門前まで行って見てのことだ。
やがて、さまで大きからぬ古寺の門前。
たしかにここだ。
ここに堀があって、そこに門があって、宝塔があって、護摩堂があって、突当りが本堂で、当時、自分が御厄介になったのは、あの地蔵堂の下で、わざわざ朝飯の御馳走をしてくれたのは、護摩堂の後ろの小さな家にいる老夫婦だった。
ははあ、それではこの寺が「笠寺」といったのか。
今日この頃も、いろいろ心配はあるが、あの時に比べれば、頼るべき人と、宿るべきところに事を欠かないだけが、せめてものましというものか。しかし、あの時、東をめざして進んで行った憂き旅の間にも、何か希望のようなものが前途にあって、旅は
あの、親切な老夫婦でもいたら、昔のお礼を言っておこうか知ら――それとも言わない方がいいか。昔のお礼を述べるからには、自分というものが、多少飾りになるほどな出世をしているとか、心ばかりの土産物でも携えて来ているとかならばいいが、こんな様子で突然、昔を名乗ってみたところで、また一飯にありつきに来たのか、そうそうはいけねえ、もう行っちまえ、なんぞとあしらわれてはたまらない。
老夫婦はたずねない方がよかろ。だが、御本堂へはひとつ、その昔、一夜の宿をお貸し下すったお礼を述べずばなるまい。
こんなふうに考えて、本堂の方へと進んで行くと、閑寂な、人影とては一つも見えないと思っていた
その人は女であって、お
米友が拝礼している間に、お高祖頭巾の婦人は、御本堂のまわりを一廻りして、地蔵堂の方へ行くらしい。
自然、そのあとを追うように、米友が地蔵堂の以前の自分のねぐらをおとずれようとすると、
「もし」
と呼びとめたのはお高祖頭巾の婦人です。
「何ですか」
と米友が円い眼を笠の下から、こちらに向けました。
「あの、海まではまだよほど遠いんでございますか」
「海ですか」
「はい」
「そうさねえ、海はねえ」
米友が、ちょっと歯切れのいい応答ができないでいると、婦人が、
「鳴海潟というのは、いったい、どちらなのですか」
「え、鳴海ガタですって」
「はい、昔の歌や、詩に有名な鳴海潟は、どちらなんですか」
「鳴海ですか、鳴海は……」
ここで、また米友が応答に窮してしまいました。
実は、鳴海という固有名詞であびせかけられたのに、先手を取られてしまった形で、彼はこの時まで、地名ということに、全く白紙でおりました。そこへ、先方から鳴海と聞かれてしまって、自分の書くべき文字が無くなってしまったという形です。
「おかみさん、ここはいったい、何というところですか」
笑止千万、先方から礼を厚うして、尋ねられた相手に向って、
「まあ、お前さん、ここの土地の方ではないのですか」
「はあ、見たらわかるでしょう、おいらは旅の者なんだ」
「そうですか、それは失礼いたしました。実は、ここは鳴海の土地と聞いておりますから、昔から有名な鳴海潟を見物しようと思いまして、こうして宿を出て来るには来ましたが、いくら行っても海がないのに、誰に聞いても、鳴海潟を教えてくれないものですから、困りました。このお寺へ行ってごらんなさればわかるかも知れない、と教えてくれる人がありましたが、やっぱりわかりません」
婦人がこう物語りましたので、米友が元気づきました。自分でさえも、人がましく思うものだから、それで物を尋ねてみたり、また求めざるのに、物を尋ねるその理由を説明してみたりしてくれるのだ。この婦人も、この地に足をとどめた旅人であることに於ては自分と同じことだという感じが率直な米友の心に親しみを持たせました。
「はあ、そうですか――鳴海というのは、おいらもよく歌や、
「この辺がいったいに鳴海のうちですけれども、かんじんの海が少しも見えません」
「なるほど、海がねえなあ」
「あなたは、どちらの方からおいでになりました」
「おいらかね、おいらは宮の渡し場から来たんだが……」
「あ、熱田の宮からおいでになりましたのですか。鳴海の本宿から古鳴海と聞きましたが、その途中に海はありませんでしたか」
「さあ――途中」
米友がまたも眼を円くしました。たしかにその道程を歩んで来たには相違ないが、途中のことをたずねられると印象がゼロだ。
だが、ゼロだといえばふいになる、いやしくも眼あきであって、足で歩いて来る間に、途中の風物を見なかったということは申しわけにならない、それも一日一路のことか、或いは
正直な米友が、またまた擬議狼狽してしまいました。
「海のことは気がつかなかったねえ」
「そうですか。あなたは、どちらまでいらっしゃるの」
「名古屋へ
「名古屋へ、では後へお戻りなさるんですね」
「え――」
ははあ、ここがいわゆる、鳴海のうちとすれば、名古屋へ行くのは後戻り……つまり自分というものは、宮の渡し場から、ふらふら歩きで鳴海へ来てしまったのだ。鳴海で止まったからよかったけれども、このまま方針をかえなければ江戸まで行く……たとえ一里半とはいえ、自分が逆行したことを、はじめてさとらしめられたようです。
この時、不意に屋根の上に声があって、
「あんた方、海が見たければ、千鳥塚までいらっしゃい、千鳥塚なら、海がよく見えますよ」
二人が驚いて、言い合わせたように屋根の上に眼を向けると、そこに一人の老人が首を出していました。
米友は、それを一目見て、ああこれだ、先年自分に温かい御飯と、温かい味噌汁をめぐんでくれた好人はこの爺さんに違いない、と見たけれども、爺さんの方では、そんなこと、とうに忘れてしまっているらしい。
「千鳥塚というのはどこですか」
女の人がたずね返すと、
「千鳥塚は天王山にありますがねえ、この道をこう行って、こう戻らっしゃると……」
千鳥塚の案内をかなり細かく親切にしてくれる。
「どうも有難う」
女の人が礼をいう。
「さあ――」
米友も、ここを立去らねばならぬ、千鳥塚とやらまで、この女性のお供をする義務は断じてない。
だが、この際、米友もなんだか、急に立去りたくない気持がする。
千鳥塚を聞いて、それへ行こうとする婦人も、なんとなく連れが欲しいようだ。
期せずして二人は、最初からの道連れででもあったように、すれつもつれつ……というのもおかしいが、後になり先になって、この寺の境内を出て行きました。
「お前さん、名古屋の人なの?」
「いいんにゃ、名古屋の人じゃねえ、暫く名古屋へ
「おや、それじゃやっぱり旅中なのね。わたしたちも明日は名古屋へ行って、暫く泊っているにはいるけれど、京大阪から田宮の方まで行くかも知れません」
「そうですか、じゃ、また途中で
「ええ、途中ばかりじゃない、明日は名古屋で、また逢えるかも知れません」
「旅は道づれ――と言ってな」
米友がこう言ってバツを合わせました。旅は道づれの意味が、米友にはよく徹底していなかった――が、この場合、やむを得ず、有合せを使用したものらしい。
「ええ、旅は道づれ次第のものですね」
それを婦人が、気安く、また意義ある取り方をしてくれたので、米友も助かり、
「
と、米友も如才なく合わせました。最初にはおかみさんと言い、今は姉さんと言う、この点米友も多少考えたらしいけれども、この姉さんは以前と変らず、
「ええ、幾人も連れはありますけれど、気の合わない時は、連れがあるより、一人の方がようござんすね」
「それもそうだろうが……男と違って女というやつは、めったに一人じゃあ旅ができなかろうから、かわいそうだ」
「そうでもありませんね、気が合わないくらいなら、やっぱり一人がようござんすよ」
「うむ――そうだなあ、一人だと、思うようにどこへでも行けるが、連れがあると、おたがいに世話が焼けたり、焼かれたり……」
その通り、道庵のお守役には、米友もかなり世話を焼かされているらしい。そこで身につまされたものと見える。
ところが、この風変りな一人歩きの女の人も、突然逢ったザッカケの男と、会話のやりとりをしているうちに、なんとなく自分も、身につまされてくるらしいものがある。
気が合うというものか知らん、偶然の会話が、二人を結んで行くようです。
こうして、
「姉さん、お前は、どこからおいでなさったのだエ」
米友がこう言いますと、女は、
「わたしは江戸から来ました」
「江戸ですか。おいらも江戸から来たには来たが、東海道を来なかった」
「甲州街道?」
「ううん、木曾街道だ」
「そうですか」
「姉さん、江戸はどこだエ」
こう聞かれて、女の人が、ちょっと返答にたじろいだようでしたが、
「江戸は本所です」
「本所……」
ここで米友が、ちょっと眼を円くしました。
本所というところには、米友としてはかなり多くの思い出を持っている。
向う両国も本所だし、
「本所」と聞いて、米友が思わず苦い
しかし、この男は、これより以上に
女の人の方は、また、本所と言ったそのことが、急場の間に合わせ言葉かも知れない。そこで、おたがいの戸籍しらべは、それより進行しませんでした。
こうして、本街道筋に出た二人は、ついにここで
「兄さん、お前さん、もし急ぎでなければ、千鳥塚を見て行かない?」
と、女の人の方から誘いをかけられて、
「そうさなあ」
米友としては、歯切れの悪い生返事でしたが、少しも拒絶の意味には響いていない。
「急ぎでなければ、一緒においでなさいな」
「今晩は泊るかも知れねえと、先生の前へことわって来たには来たけれど」
「そんなら一緒に行って下さい、そうして都合によれば、わたしの宿へ今晩はお泊りなさいな」
「どうしようかなあ」
「一緒においでなさい、ね、千鳥塚はずいぶん淋しいところだと思うから、わたし一人で行くよりは、連れがあった方がいい」
「じゃあ、行ってみるとしようかな」
「そうなさいよ」
「うむ」
米友は、
常の米友ならば、一たまりもなく拒絶して、自分は名古屋に残して置いた主人のための責任感に向って一直線に動くはずであったのに、今日は存外歯ざわりが柔らかい。
かくて二人は相前後して、路を裏に取り、教えられた通り、天王山の千鳥塚をさして行くべく、
五十四
かくて二人が千鳥塚に着いた時分には、夕暮の色が、いよいよ濃くなっておりました。
ここへ登って見ると、はじめて海が見える。この女の人が、絶えずあこがれているらしい海が、遥かに布を張ったようにほの白く見えました。
「ごらんなさい、ここへ来てはじめて、昔の鳴海潟の趣がわかりました。昔の歌によまれた時分は、海がもっと近かったのでしょう、だんだん、時代がたつにつれて、海が陸になり、陸が田になったのに違いありません。昔の人はあの波打際を歩いたのです、そうして海を見ながら、人の世の旅路のあわれを、つくづくと思いやったものに違いありません。いかに鳴海の潮干潟……ほんとに、この海が、どのくらい、古代の旅人を悩ませたかわからない」
と女の人が言いました。
「そうだろうなあ」
と米友が極めて無器用に合わせました。これが弁信ならば、右の女人の感懐に答えるのに、更に幾倍の感傷と、
「古代の人は、海道に近く旅路を急ぎながら、海の波に足を洗わせながら、この
「うむ……そうだろうなあ」
「それは、わたしが山国にばっかり育っていたせいではありますまい、誰でもその通り、海を見ると悲しくなるのです。哀れなりなにと鳴海の果てなれば……という歌もあの笠寺の額に書いてありました。いかに鳴海の潮干潟、傾く月に道見えて……と太平記にもありますね。ほんとうに高貴な地位にいた人が、
「うむ……」
「兄さん、お前さん、旅をして歩いて、悲しいと思ったことはない?」
「あるよ、それはあるよ」
「悲しいと思った次に、ツマらないと考えたことはない?」
「そんなことも、あるにはあるようだ」
「ツマらないと思った次に、死んでしまいたいと思ったことはない?」
「さあ――おいらにゃあ、死んでるのか、生きてるのか、わからねえことがあるよ」
「そうですね、わたしたちだって、ほんとうに生きているのがいいのか、死んだ方がいいのかわからないことが、不断にありますよ」
「人は死んでも、魂というものが生きてるからなあ」
ここで米友は、道庵ゆずりの霊魂不滅説を持ち出したのはまじめです。
女の人は、それには答えずに、さきへ立って無言に、塚の細道を下りにかかりました。
米友もまた、
五十五
こうして米友は、不思議な女の人に誘われて、とうとう、鳴海本宿の、その宿屋まで伴われて来ました。
どのみち、明日は名古屋へ着くべき間柄だから、誘わるるままに米友も、今日は一泊という気になったのでしょう。
大和屋というのへ着いた時は、もう夕暮を過ぎて、夜の領分に入っていました。
この女の人が、宿へ着いたと見た時、宿の人の騒ぎは大きい。
「二十番のお客様がお帰りになった」
「お嬢様がお見えになりました」
といって、上を下へと騒ぐのを尻目にかけて、
「連れの方が出来ましたから、お
その途端に、出逢がしらに、飛んで出たのは女軽業の親方お角でした。
「まあ、お嬢様、あんまりじゃありませんか、どのくらい心配したかわかりませんよ」
「それはお気の毒でしたね」
お気の毒を、よそ事のように言って、女の人が歩み出すと、お角は、むしろ
「それでもまあ、お帰り下すって安心を致しました」
お角さんの気象では、なぐりつけてやりたいほどのところでしょう。それを虫を殺して、なだめにかかる言葉の様子は、全く泣く子と地頭には勝たれないといったような表情でした。本来、そうまで下手に出るはずはなかろうに、先天的に、お角さんほどの女が、この人にだけは一目も二目も引け目を感ずるらしい。女の人はお角に命令するように言いました、
「あの、道でお連れのを一人見つけて来ましたから、今晩はわたしの座敷に泊めて上げるようにして下さい」
「あ、そうでございましたか、承知いたしました。さあ、お嬢様のお連れの方を、こちらへ御案内申しな」
といって、お角が女中に指図をし、自分もまた、この
「お疲れでございましたろう、さあ、どうぞ……」
ともてなしました。
草鞋を解き終った米友――女中が汲んでくれた
笠を取って、なにげなく振向いた珍客の姿を、
「あっ!」
といって仰天してから、急にけたたましい声で、
「お前、友公じゃないか」
「え!」
米友もギョッとして、振返って見ると、立って自分を見下ろしている女――
「あ! 親方!」
米友が舌を捲きました。
「ばかにしてるよ、お前は友じゃないか、米友じゃないか、友しゅうだよ」
お角は、続けざまに、けたたましく叫びました。それは、
「やあ!」
米友は、
「まあ、どうしたんだい、お前」
お角は、いよいよ、すさまじい軽蔑の語気でいう。
「どうも御無沙汰をしちゃいましたね、親方」
米友が神妙に
「なんだって、こんなところに、お前、うろついてるんだい、旅に出るなら出るように、あらかじめ、わたしんところへ渡りをつければいいじゃないか、お嬢様に取入って、わたしに出し投げを食わせるなんて、たちが悪いよ」
「そういうわけじゃねえんだ、途中でなあ、つい、話合いになっちまったんだよ」
「まあ、いいから早く足をお洗い、友なら友のように、はじめっからそう言ってくれれば、こんなにあわてやしないよ」
見ていた宿の者が、お嬢様という人に対するのと、この従者に対するのとで、お角さんという人の言葉の当りさわりが、こうも違うものかと驚きました。
お嬢様がいなくなったというので、今まで、騒がせられたのは容易なものでない。それほど騒がせておいて、帰ってみれば一言の申しわけもなく、打通る大風にも驚かせられましたが、あれほど
これは一つは、前ので抑えていた癇癪が、次の相手に向って、加速度に浴びせられたと見れば見られないこともないが、この従者としての小男が、そのお嬢様という人からは、かなり鄭重に扱われているにかかわらず、そのお嬢様に恐れ入っているこの伝法な女に対しては、頭が上らない様子でいることが、不思議でなりません。
そうして、おのずから、そこに蛇と、なめくじと、蛙のような気分を見て取らないわけにはゆきませんでした。
そんなような一種変テコな気分の下に、米友は足を洗いおわって、座敷に通らせられました。
五十六
白骨を立とうと思い定めたお雪は、その翌日の朝から机に向って、例の弁信へ宛てて書く手紙の文章に、
「弁信さん――
近いうちに、わたしたちは白骨を立ちます。
ここも悪いところではありませんけれど、とかくこのごろは人の出入りが多くて、なんとなしに不安を感じますから、あんまり冬の厳しくならない以前に、ひとまずここを立ちのいた方がよかろうと思います。これは誰にもすすめられたのじゃありません、わたしが思い立って、わたしが、ひとりできめてしまったのです。
これでも、わたし、思い立てば、きっと、それを実行に現わしてお目にかける自信は持っておりますのよ。
では、ここを立って、どこへ行くとおっしゃりますか。
松本の方へ出るのが順でございますけれど、それでは帰り道になってしまいます。わたしは、家へ帰るためにこの白骨を出ようとするのではございません。
とりあえず、ここからは、程遠からぬ、そして山と山の間道を行けば、道もそんなに険しくはないところを通って、飛騨 の国の平湯というのへ、ひとまず落着いてみようと思います。
けれども、平湯は――同じ山里ではあるけれど、ここと違って、平地になって人家も多いし、人の出入りも一層はげしいと思いますから、そこにも落着いてはおられないだろうと思います――
それでは、どちらへ行きますか。山をなお奥へ入って行きますと、白川の郷というところがあるそうです。
そこは何人にも秘められた理想の里で、古 えの武陵桃源といった、おだやかな夢が、まだ浮世の人によって、破られてはいないそうです。わたしたちは、そこへ行って、ほんとうの落着いた気分になって、浮世の人と、事とを、暫くの間でも全く忘れてしまいたいと思うのです。
わたしたちといううちにも、久助さんなんぞに言えば、きっと反対するにきまっています。そのくらいなら故郷へ帰りましょう、その方が……なんぞと言うにきまっていますから、わたしは、先生だけを誘いました。
あの方と二人だけで、その白川郷へ行くことにきめてしまいました。
え、それでは駈落 だとおっしゃるのですか。そうかも知れませんね、でも……
あの方が、いけないとおっしゃるものですか。第一、あの方は、わたしがいなければ生きて行けないじゃありませんか。
誰があの不自由な方を、世話をして上げるものですか。
わたしというもの無しには、あの人はここを出ることはできません。なにもかも、わたし次第です。
ええ、弁信さん、何とお言いです。雪ちゃん、お前もまた、あの人が無しには生きて行かれないのじゃない……ここを出る時から、もうそうなっているのじゃない?
弁信さん――
あなたまでが、そんなことを言ってはいけません。
それはもう、今となっては何とお取り下さってもかまいません。駈落といわれても、心中といわれても、今はもうわたしは驚かなくなりました。白川へ行ってしまえば別天地ですから、多分、天地がわたしたちにだけ出来ているようになってくると思います。
そこで、武陵桃源の夢のように、一生を過ごせてしまうなら、一生でもかまわないと思います。
世間体 や義理なんぞ……
自身のからだの変化や、人様のおもわくや、出る人や、来る人に、いちいち気をおくような無用な心配は、一切なくなってしまうじゃありませんか。
きっと、そういうところで、わたしたちは、いつまでも若い血色で、そうして、自分ながら数えきれないほどの長生きをするのじゃないかと思います……
長生きすれば恥多しというのは、世間体があるからなのです。恥というものは、よく考えてみると、取るに足りないほどのことを、ただ世間体のおもわくだけで、小さくなっていることじゃありますまいか。
自分は自分だけの信ずるところで、生きて行けさえすれば、何をして悪い、何をして恥だということがありましょうか。
よく考えてみますと、わたしたちは、自分たちが弱いから、信念が無いから、それで世間というもののために圧迫されて、この白骨の谷まで押しつめられてしまったのじゃありますまいか。
いつか、申し上げた、イヤなおばさんから、わたしはイヤなことを言われて、もう世間へ面向 けができないほどに、イヤな思いをさせられました。一時はどうしてやろうかと思いました。こんな山深いところにいてさえ、自分の身の置きどころの無いことを考えて、出る人、来る人に気兼ねをして、温泉に来ていながら、この肌を誰にも見られまいと苦心するなんぞ、なんという愚かなことでございましょう。
それが、白川村の話を聞いているうち、そうして、いよいよ、その白川郷まで入ってしまおうと決心した時、そんな気兼ねや、羞恥 が、一切合財サラリと取払われてしまいましたようです。
国へ帰って、もと通りの生活をし、やがて世間並みの女としての、きまった生活を予想すればこそ、いろいろの煩悶 もありました。
白川入りをすれば、その点は、全く解放されてしまいます……
弁信さん――
勝手なことや、夢のようないいことばかり言っておられません。イヤなことも書かなければならないのです。
白川郷のもっと奥か、その途中か知れませんけれど、そこには畜生谷というところがあるそうです。
そこにも、幾人かの人間が住んでいるのだそうです。
そうして、そこにも、やはり平家の落武者の伝説が残っているのでございます。そうだとすれば、由緒正しい高貴の人の胤 も残っていないというはずはありますまい。それだのに、ナゼ人が畜生谷なんて、いやな名をつけるのでしょう……
それとなく、たずねてみますと、その谷では、親子、兄弟、姉妹の別が無いのだそうです。全く忌 わしいことではありますけれど、最初のその谷へ落ちて隠れた人たちが、二人であったか、三人であったか、極めて少数の人でありましたでしょう。それが時を経て谷にひろがるまでには、どうしても近親の間で結婚ということが行われて、それが習いとなって、その部落の間だけでは、あやしまれないことになっていなければならないかも知れません。
自然――畜生谷――なんだか、たまらないいやな感じも致します。
人の噂 ですから、よくわかりませんけれど、そこでは他人と親族との区別が、ほとんど無いそうです。肉親の兄弟、姉妹が、自分にその夫と妻とを選ぶことができるのだそうです。妻や娘を貸し借りすることはなんでもないことだそうです。ですから、土地の子供も、自分の父というものがわからないから、父の年頃の者をすべて父と呼ぶならわしになっており、親から見ると、子というものがわからないから、子の年頃の者はすべて子と呼んでいるのだそうです。それで、お母さんだけは自分の子がわかるわけですから、親子の本当の愛は、母というものだけにあるのではないでしょうか。そこで、母の権力が、父の権力より大きくなってくるのも自然でございましょう。
弁信さん――
諸国の人の集まる温泉などに来ていると、どうも、わたしたちの頭では想像に苦しむほどの異った風俗を、聞きもし、見もすることが多くございます。
……こんなことを書くのは、書いているうちにも、筆がけがれるように感じますから、それはよしましょう。
わたしたちは、白川の武陵桃源に向って分け上って行くのです。決して、畜生谷へ向って駈落をするのではございません。
え、え、それでも、もし、白川へ行くつもりで、その畜生谷へ落ち込んだらどうなさる。
道案内を知らない、あなた方が、見えない眼で、向う見ずの心に導かれて、どうしても、まっすぐに白川へ行けないで、あやまって畜生谷へ落ちこまないことを誰が保証しますか?
それは、やっぱり弁信さんの取越し苦労ですよ。行こうと思えば、同じ人間の住んでいるところですもの、行けないということがありますものか。
もしや、畜生谷に迷い込んだところで……それはたとえですよ、それはたとえですけれども、迷って畜生谷へ落ちても、そこの人たちは決して、人食い人種ではありますまい。かえって人情には極めて親切な人たちばかりだと聞きましたから、わたしたちを導いて、また元の道へ送り帰らせて下さるに違いありません。
畜生谷と言いましても、地獄ではございません。鬼が棲んでいるのでもございません。話だけに聞けば、わたしたちが身ぶるいするほどのいやな風儀の谷であっても、そこの人情には変りがないばかりか、世間の人情よりも一層濃いものがあって、どうかして間違って、そこへ一晩でも泊った人は、帰ることを忘れるほどの、もてなしを受けるのだそうです。
その昔から、悪いと知らないで現われて来た乱婚の風儀を別にしては、畜生谷は、白川と同じことに、土地も、人情も、美しいところだと聞いていますから、御安心ください。
思い立ったのが吉日ということもありますから、わたしは、これから大急ぎで身のまわりのとりまとめにかかります。
この次の手紙は、平湯で書いて上げるか、白川で書くことになるか、そうでなければ畜生谷――決して、そんなことはありませんけれども、もしや、道を踏み迷った時は――
弁信さん――
あなたに向って、助けを呼びますから、そのつもりで始終、勘を働かせていて下さいましな」
近いうちに、わたしたちは白骨を立ちます。
ここも悪いところではありませんけれど、とかくこのごろは人の出入りが多くて、なんとなしに不安を感じますから、あんまり冬の厳しくならない以前に、ひとまずここを立ちのいた方がよかろうと思います。これは誰にもすすめられたのじゃありません、わたしが思い立って、わたしが、ひとりできめてしまったのです。
これでも、わたし、思い立てば、きっと、それを実行に現わしてお目にかける自信は持っておりますのよ。
では、ここを立って、どこへ行くとおっしゃりますか。
松本の方へ出るのが順でございますけれど、それでは帰り道になってしまいます。わたしは、家へ帰るためにこの白骨を出ようとするのではございません。
とりあえず、ここからは、程遠からぬ、そして山と山の間道を行けば、道もそんなに険しくはないところを通って、
けれども、平湯は――同じ山里ではあるけれど、ここと違って、平地になって人家も多いし、人の出入りも一層はげしいと思いますから、そこにも落着いてはおられないだろうと思います――
それでは、どちらへ行きますか。山をなお奥へ入って行きますと、白川の郷というところがあるそうです。
そこは何人にも秘められた理想の里で、
わたしたちといううちにも、久助さんなんぞに言えば、きっと反対するにきまっています。そのくらいなら故郷へ帰りましょう、その方が……なんぞと言うにきまっていますから、わたしは、先生だけを誘いました。
あの方と二人だけで、その白川郷へ行くことにきめてしまいました。
え、それでは
あの方が、いけないとおっしゃるものですか。第一、あの方は、わたしがいなければ生きて行けないじゃありませんか。
誰があの不自由な方を、世話をして上げるものですか。
わたしというもの無しには、あの人はここを出ることはできません。なにもかも、わたし次第です。
ええ、弁信さん、何とお言いです。雪ちゃん、お前もまた、あの人が無しには生きて行かれないのじゃない……ここを出る時から、もうそうなっているのじゃない?
弁信さん――
あなたまでが、そんなことを言ってはいけません。
それはもう、今となっては何とお取り下さってもかまいません。駈落といわれても、心中といわれても、今はもうわたしは驚かなくなりました。白川へ行ってしまえば別天地ですから、多分、天地がわたしたちにだけ出来ているようになってくると思います。
そこで、武陵桃源の夢のように、一生を過ごせてしまうなら、一生でもかまわないと思います。
世間
自身のからだの変化や、人様のおもわくや、出る人や、来る人に、いちいち気をおくような無用な心配は、一切なくなってしまうじゃありませんか。
きっと、そういうところで、わたしたちは、いつまでも若い血色で、そうして、自分ながら数えきれないほどの長生きをするのじゃないかと思います……
長生きすれば恥多しというのは、世間体があるからなのです。恥というものは、よく考えてみると、取るに足りないほどのことを、ただ世間体のおもわくだけで、小さくなっていることじゃありますまいか。
自分は自分だけの信ずるところで、生きて行けさえすれば、何をして悪い、何をして恥だということがありましょうか。
よく考えてみますと、わたしたちは、自分たちが弱いから、信念が無いから、それで世間というもののために圧迫されて、この白骨の谷まで押しつめられてしまったのじゃありますまいか。
いつか、申し上げた、イヤなおばさんから、わたしはイヤなことを言われて、もう世間へ
それが、白川村の話を聞いているうち、そうして、いよいよ、その白川郷まで入ってしまおうと決心した時、そんな気兼ねや、
国へ帰って、もと通りの生活をし、やがて世間並みの女としての、きまった生活を予想すればこそ、いろいろの
白川入りをすれば、その点は、全く解放されてしまいます……
弁信さん――
勝手なことや、夢のようないいことばかり言っておられません。イヤなことも書かなければならないのです。
白川郷のもっと奥か、その途中か知れませんけれど、そこには畜生谷というところがあるそうです。
そこにも、幾人かの人間が住んでいるのだそうです。
そうして、そこにも、やはり平家の落武者の伝説が残っているのでございます。そうだとすれば、由緒正しい高貴の人の
それとなく、たずねてみますと、その谷では、親子、兄弟、姉妹の別が無いのだそうです。全く
自然――畜生谷――なんだか、たまらないいやな感じも致します。
人の
弁信さん――
諸国の人の集まる温泉などに来ていると、どうも、わたしたちの頭では想像に苦しむほどの異った風俗を、聞きもし、見もすることが多くございます。
……こんなことを書くのは、書いているうちにも、筆がけがれるように感じますから、それはよしましょう。
わたしたちは、白川の武陵桃源に向って分け上って行くのです。決して、畜生谷へ向って駈落をするのではございません。
え、え、それでも、もし、白川へ行くつもりで、その畜生谷へ落ち込んだらどうなさる。
道案内を知らない、あなた方が、見えない眼で、向う見ずの心に導かれて、どうしても、まっすぐに白川へ行けないで、あやまって畜生谷へ落ちこまないことを誰が保証しますか?
それは、やっぱり弁信さんの取越し苦労ですよ。行こうと思えば、同じ人間の住んでいるところですもの、行けないということがありますものか。
もしや、畜生谷に迷い込んだところで……それはたとえですよ、それはたとえですけれども、迷って畜生谷へ落ちても、そこの人たちは決して、人食い人種ではありますまい。かえって人情には極めて親切な人たちばかりだと聞きましたから、わたしたちを導いて、また元の道へ送り帰らせて下さるに違いありません。
畜生谷と言いましても、地獄ではございません。鬼が棲んでいるのでもございません。話だけに聞けば、わたしたちが身ぶるいするほどのいやな風儀の谷であっても、そこの人情には変りがないばかりか、世間の人情よりも一層濃いものがあって、どうかして間違って、そこへ一晩でも泊った人は、帰ることを忘れるほどの、もてなしを受けるのだそうです。
その昔から、悪いと知らないで現われて来た乱婚の風儀を別にしては、畜生谷は、白川と同じことに、土地も、人情も、美しいところだと聞いていますから、御安心ください。
思い立ったのが吉日ということもありますから、わたしは、これから大急ぎで身のまわりのとりまとめにかかります。
この次の手紙は、平湯で書いて上げるか、白川で書くことになるか、そうでなければ畜生谷――決して、そんなことはありませんけれども、もしや、道を踏み迷った時は――
弁信さん――
あなたに向って、助けを呼びますから、そのつもりで始終、勘を働かせていて下さいましな」
五十七
名古屋へ来て以来、道庵先生の持て方が非常に過ぎていましたから、そうでなくてさえ、いい気持の道庵を、全く
破格中の突飛なるもの――名古屋城天守閣の登臨を特許されたことは別問題として、あちらでも、こちらでも、在名古屋一流の名士、風流者、貧乏人といったようなものが、道庵を招請するの会の絶え間がない。
今夕しも、
そうして、名古屋に於けるあらゆる名物という名物を、この機会に於て、残らず道庵先生に見せてしまわねば納まらないとの期待かも知れません。
道庵がかくまで名古屋人士の人気を取ったという一つの理由は、無論木曾川で、ここの藩中の重役の命を取返したという余徳がさせることであるが、他の半面には、この
名古屋に入るとまず、金の鯱なんぞには目もくれず、一直線に尾張中村まで来てしまって、そこで、豊太閤の供養を営んで、徳川幕府の
それから、見るもの聞くものに対する軽率なる判断と
つまり、こんなふうに、わが道庵先生を買いかぶってしまったればこそ、この江戸舶来の珍客に、名古屋の粋を味わわせて、歯に
こういう人の罵倒は、罵倒せられた方も恥ではなし、また、こういう人に
そこで、次から次と、道庵滞名中の時間を繰合わせて、例のお数寄屋坊主を進行係に立てて、道庵先生の閲覧を仰ぐべきプログラムが編成されたものです。
そのプログラムを
そこで、プログラムの編成者や、各催しの主催者側は恐悦しましたけれど、いったい、事実上、それを道庵先生自身が、どう処分するのか。
このプログラム通り巡見するとすれば、かけ足で通っても十日はかかるだろう。前途日程、限りあるこのたびの旅路、それをどうする。
そんなことはいっこう、頓着のない道庵――もてはやされると、いよいよ乗り気になるばかり。謙遜ということを知らず、辞退ということをわきまえず、遠慮ということに目のないこの先生は、魂が酒量と同じことに底抜けで、脱線がかえって本筋に通るのだから、始末にいけないことはこの上もない。
その日も果して、勢いこんで、尚歯会主催の詩歌連俳の会に定刻前から乗込んで、放言を
「山陽なんぞは
と口走ったのをきっかけに、騎虎の勢いで頼山陽をやっつけにかかり、
「山陽なんぞは甘えものさ。まあ、支那の本場は論外、近世ではおらが方の佐藤一斎だねえ。一斎の前へ出てごらん、山陽なんぞは後学のまた後学の
この思いきった道庵の罵倒に、席上の山陽
思う存分に、山陽を下げたり上げたりしてからに、
「まあ、そいったようなわけだが、人物としては山陽なんぞはごくお粗末なものさ、いわば一種のおっちょこちょいさ。わしも若い時分に、ちょいちょいあの男とは逢ったものだがね(註に
その露骨さ加減に、また一座が白け渡ったとする。それを委細かまわず道庵が、古今の詩を論じ去り、論じ
「君たちは、山陽なんぞを問題にするがものはねえ、この尾張の国から、
脱線もここまで来ると、一座が驚倒絶息せざるを得なくなりました。この座に連なる名古屋の、一流株の名士連といえども、いまだかつて、自分と同じ国に森槐南とかなんとかいう、すばらしい漢詩学者が存在しているということも、いたということも、見たものは愚か、聞いたものは一人もないはずです――
それもそのはず、その当時、森槐南は、まだ生れていたかどうか、生れていたとしても、ようやく立って歩むほどの年ばえであったであったかどうか、それを道庵先生が引張り出した脱線ぶりには、誰あって驚倒しないものはないはずです。
それにつづいて、名古屋の
そうして、伝馬会所の札の辻のところまでやって来た時、不意に道庵先生の後ろから水をブッかけたものがありました。
「あっ!」
と腰を抜かして、道庵が振りむくところ、また一杯、今度はその左の方から物をも言わず、手桶に一ぱいアビせかけた者があります。
「あっ!」
と左を見返す時に、今度は右の方から、思いきって冷たい一杯の手桶の水を、ブッかけた者があります。
見るも無惨に道庵の腰が抜けて、仰天しているところで、
「あっ!」
ほとんど道庵をして、腰を立てるどころか、息をもつかせないほどの出来事で、札の辻の真中に腰を抜かし、醜態を遺憾なく曝した道庵は、
「あっぷ、あっぷ」
と
そもそも、これは何という無惨なことでありましょう。例のプロ亀やデモ倉の、苦肉を以てのたくらみ、道庵を江戸からつけ
こういう場合に於ての宇治山田の米友――またしても危急存亡の場合に、英雄が居合わさない。
だが、この場合は全く軽井沢の場合と別に、一英雄が現われたとて
それは、先生は知ってか知らずにか、とにかく、この場の水難は、これはなにも、江戸の
尾州の古俗に「水祝い」というのがある。上品なところでは婚礼が済むと、その家の門の前で、
小笠原家から出た水島家の伝書の中にも「水祝い」の礼物を記したのがある。
「手桶一対――白絵に鶴亀、松竹を書く、本式は手桶十二――それに髭籠 ――摺古木 ――杓子 」
これによって考うれば、王朝時代から行われた「とにかく、この「水祝い」は二代光友の時までは行われ、家中奥向勤めの
なお、「もみ」を以て水にかえることもあったと見られるのは、同じ定めのうちに、
「もみ候事、上下衣服等もみ候ひて、人前出で難きほどの体 成り候はば水むやくたるべくの事、一度もみ候上は水同然に候間、其上はもみ候事無用の事、附、無筋 儀を申立てもみ候儀無用たるべき事」
というのは、もみはすなわち胴上げのことであろうと思われる。ところが、元禄五年に至って、玉置市正なるものが千石の加増を賜わって、
この禁令は元禄十七年(宝永元年)十二月二十八日ということで、その時の廻文に、
「手紙ヲ以テ申入候、近年婚礼相済ミ候者、水振廻ノ祝儀ヲ為シ、近所ノ者寄リ集マリ、作法宜 シカラザル儀之 レ有ル段相聞エ候、以後右ノ様子ノ族 、之レ有ルニ於テハ、急度 、御吟味ヲ遂ゲラルベキ旨、仰セ出サレ候、向後、相慎シミ、作法宜シキ様ニ仕 ルベキ旨、御老中仰セ渡サレ候条、其ノ意ヲ得ラルベク候、以上」
とあるによって見ると、この「水祝い」がかなり無作法なものになって、この慣例をいいことに、ずいぶん人に迷惑を及ぼす弊害が多かったものと見える。それでも儀式としてはまだ相当に残されていたものと見え、万治三年の正月に、家中水あびせがあった時に、侍たちが光友の
「侍たる者を裸にして、庭上を引きずり廻ることは、更に行儀にあらず、作法が
と制止せられたとある。
これによって見ると、前後に少し合わぬところはあるが、尾州の「水祝い」も、元禄以後には全く廃止せられたものと見なければならぬ。
しかるに、この際、特に道庵先生に敬意を表するために、この
それにしても、少々祝い過ぎたようです。
事がこう不意に出でては、いかに古式の復活でも、驚かされないわけにはゆかぬ。いかに物に動ぜぬ道庵先生とても、行逢いがしらに前後左右から水をブッかけられたのでは、悲鳴をあげないわけにはゆきますまい。せっかく、名古屋人士が、充分の好意を以て、あらゆる名所見物を道庵先生のために開放したのはいいが、古式の復活も、ここまで来ては少々礼を過ぎたことになりはしますまいか。
しかし、これを好意に取ると、親切なる名古屋人士は、あらゆる歓待をこの珍客に向って加え、のぼせ上らせるだけのぼせ上らせてみれば、もうこの上は、そののぼせを引下げるよりほかには御馳走が無いと見たから、ついにこの最後の水饗応に及んだものだろうかと察せられる。
また、道庵の方から見て、こうも仰山に、周章狼狽して、陸上に沈溺し、足も腰も立たない醜態を演じているが、実のところこれも芝居だ。
「面白え、その水祝いというのを
なんぞと言い出したのが最後――不意に
ともかくも、あえなく水倒しにされて、路上で陸沈の醜態をさらしている道庵それ自身は、思ったよりも天下泰平で、めでたく
五十八
東妙和尚が、ある日のこと、与八に向って何を言うかと思えば、
「与八や――わしも永年、諸所方々を歩き廻って来たけれど、まずこの地方の
と言いました。
「へえ、そうでございますかね」
「まず日本一――とは言えるかどうか知らないが、この土地の梅干の味は無類だよ」
「そうでございますかね、この辺は桃の名所だということは、昔から誰も知っています」
「それは、桃の名所としても聞えたところだが、梅は格別だな」
「土地にばかりいちゃわかりませんね」
「そうだ、他と比較してみなくちゃ、すべて物のねうちというのはわからない」
「そんなどころじゃございません、この土地では、梅の木を邪魔にして、
「それだ、わしも時々、出かけて見ると、あの枝ぶりの面白い老梅の樹を、むざむざと伐っているから、何にするのだと尋ねると、家が日蔭になって邪魔になるから伐って薪にすると言っていたが、さてさて、物の
「そうですね、年々、梅の樹が減ってしまうようですね」
「名物がなくなってしまうのだ」
「惜しいことでございますね」
「惜しいことだ。すべてな、与八、物がその土地の名物とまでなるには、その土地に備わる天分というものがあって、最初にその種を
「そうでござんすかなあ」
「そうさ、わしはお百姓でないから、地味のことはよくわからんがの、この土地は陽を受けているから桃がよく育つ、川向うは陰だから、それで梅の質に合っている、それを見込んで昔の人は、土地にかなうような苗を植えつけたものだ。これから少し西へ出ると
「このごろは、梅を植えるより桑を植えた方が割がいいなんて、みんな桑畑にしちまいたがるようです」
「それだ――桑を植えて、
「そうですね、いま、割が悪いと思っても、直ぐにまた、よくなることもありますね、今時、ずっと景気がいいからといって、それが幾年も幾年も続いていられるかどうかわかりましねえ」
「そうだとも、今、梅よりも桑がいいからといって、あの見事な梅の老木を
と東妙和尚から、与八殿がかなり長い前置附きで相談を持ちかけられたところは、いつぞや、石の地蔵をきざみながら、地蔵和讃の口うつしを受けた、彼岸桜の大木の下の芝生の上です。
「お前に相談というのはほかでもないがな、あんまり、あの梅の亡びることが惜しいものだから、ひとつ、わしが、もくろみを立ててみたものだ。これからひとつ、そのもくろみによって、お前と
「わしゃ、あんまり商売は上手でねえんでしてなあ」
と与八が謙遜する。与八があんまり商売が上手でないことは、自分が謙遜するまでもなく、東妙和尚がよく呑込んでいるはずだ。東妙和尚とても、あんまり商売に得手であるまいと思われる。どのみち、この二人が片棒ずつかついで、ありつこうという商売は、士族の商売よりもあぶないものかも知れないが、さりとて、和尚は世間を知っている、それに坊主丸儲けということもある、存外、妙腕を
「損をしたって
と慰め、
「うまく行けば坊主丸もうけだ。実は、わしがあの梅の木を
東妙和尚も、芝生の上の虎の子石へ腰を下ろして、両膝をかかえながら、与八に向っての、金儲け話。
「与八、聞いてくれ、あの梅の木を伐らせないように、残らずこっちで買占めるのだ」
「へえ、あの吉野村の梅の木を、残らず買占めるんですか、何千本、何万本てあるやつを、そっくり買占めるんですか、買占めて、どこへ持っておいでなさる」
と与八が、仰天してしまいました。それを東妙和尚が説明して言うことには、
「残らずったってお前、あの村の梅をみんな買占めるという日には大変なものだ、そういうわけではない、なかには、先祖伝来の庭木だから、また多年手入れをよく仕立てたものだから、という理由で、大切に育てているところが大分ある、無茶に伐り倒して薪にして、そのあとへ桑なり、除虫菊なりを植えようというのは、実は村内にそうよけいあるわけじゃないから、それを、相当の価格で、買占めておくまでのことだ、老木の惜しい奴を二三百本も買っておけば、大体話がつくのだ」
「一本いくらで売りますかね、値段よりも人夫が大変でござんしょうなあ、一本でも持って来て、こっちへ移し植えようというには、五人や十人の手間じゃありませんぜ、とても費用がかかりますねえ」
「かりに一本、二分ずつにしたところで、三百本と見ても知れたものだ。二分なら喜んで売るだろう。そうして買ったからとて、なにも
「だって方丈様、土地でも、実を取って売ったところで引合わねえから、伐って桑を植えたり、桐を植えたりしたがるのでしょう、それをわざわざ大金を出して買って、置据えにしたって、いよいよ割に合わないねえ」
「そこだ――そこが商売の
「なるほど……」
「そうだろう――土地で食ったり、青梅あたりへ売るだけでは数の知れたものだ、これが馬に積んで、どんどん江戸まで出るようになってごろうじろ、あの山と谷をみんな梅の木にしたって、まだ足りない。そこでひとつ、お前とのりになって、その梅干屋を開業してみたいのだが、どうだな、わしが金主元で、お前が製造主任、お松さんが、販売兼支配人ということになれば、この商売
「引受ける段ではございません、方丈様のおっしゃることなら、何だって、いやとは申しませんが、梅干の製造法は、わしはまだよく知らねえですから、ひとつ、誰かに聞いて勉強してから、お引受けをした方が、たしかじゃあござんすめえか、せっかく、製造元を引受けたって、下手にやって腐らかしたり、まずく漬けてしまった分には、済まねえことだから」
「うむ、そのこと、それも心配しなさんな、その梅干の製造法も、わしが、ちゃあんと心得ているから、秘伝をお前に伝授してやる、お前は、それに従って、近所の若者でもかり集めて、働いてもらったりすりゃあいいのだ」
東妙和尚から、この相談を持ちかけられた与八は、一応納得して、その委細をお松に伝えるべく、机の家の本家まで帰って来ました。
五十九
お松はその日、子供を帰したあとの講堂(もとの机の道場)を整理していると、ふと外の庭でする子供らの話に耳を傾けさせられました。
のぞいて見ると、十歳を頭と思われるくらいの男の子が五六人、いずれも背中に乳呑児を結びつけて、子守を仰せつかりながら、桜の木の下で石蹴りなんぞをして、遊んでいるところであります。
寺子屋としての日課が終ってからでも、この校庭が遊び場所になるのは毎日のことのようなものですが、今日は、お松が特別に注意を向けさせられたのは、子供たちの無意識な
「お前んちへは、また赤ん坊が出来たのかえ」
「ああ」
「貧乏のくせに、そんなに子供ばかり出来ちゃあ、食わせるに困るだろう」
「困りゃしないよ、赤ん坊はまだ何も食やしないもの、乳ばかり飲んでいるよ」
「馬鹿、今は乳ばかりだって、いまにでかくなればおまんまを食うぞ」
「そりゃ、そうさ」
「その時になると、食わせなけりゃならねえ、お前のうちじゃ食わせられるかい」
お松はそれを聞いて、ずいぶんマセきった言い分だと思いました。だが、そのマセきった言い分も、当人は無邪気で、家庭の
「おらの家じゃ、貧乏のくせに子供ばかり出来やがって、食わせることができねえから、こんど出来たら
「間曳くというのは何だろう」
「間曳くというのは、赤ん坊が生れると一緒に、つぶしてしまうことだとさ」
「つぶす?」
「うむ」
「つぶすというのは、どうするんだろうねえ」
「殺しちまうんだよ、生れると一緒に、息のできねえようにしちまってさ」
「ずいぶん、悪いなあ、生きて生れたのを殺しちゃうなんて」
「だって、仕方がねえさ、生かして置いたって、食わして行けなけりゃあ、人間は死ぬだろう、生れたものに食べさせねえで殺すより、痛いも
「かわいそうだなあ」
「かわいそうだって仕方がねえや。おいらなんぞも、家が貧乏なんだから、お
「変だなあ、そんなに子供が邪魔になるなら、産まなけりゃいいにな」
「産まなけりゃいいったって、生れるのは仕方がねえや」
「産まねえようにできないのかなあ」
「うんこと同じだよ、出したい時には我慢ができないだろう」
「だって、子供を産むのは、お母あばかりだろう、うんこは誰だってするよ、どうかして、お母あに子を産ませないようにできないものか知ら」
「馬鹿、お母あに子を産ませないようになんぞできるものか」
「だって」
「くにいの家を見な、もう七人あるけれど、また始まったって言ってるぜ」
「どうして、お母あが、そんなに子を産みたがるんだろうな」
「自分じゃ、産みたがらなくったって、ひとりでに出て来るんだから仕方がないじゃないか――女ちうものは、子を産むように出来てるんだぜ」
「そうだ、子を産むのは女ばかりで、その女も、お母あにならなけりゃ産まねえのだ、お母あになると仕掛が違うのかなあ」
「馬鹿――子を産むのはお母あばかりじゃねえぞ、家の
「でも、うちの姉やは産まねえよ」
「ちぇッ、お母あだって、産まねえお母あもあるよ、あの
「みんな知らねえのかい、御亭主を持たなければ子は産まねえんだぜ、いくらお母あだって、御亭主が無けりゃあ子が産れないよ」
「御亭主てのは何だい、
「そうさ――父親と母親というものがあって、はじめて子が生れるんだよ」
「だッて……」
「だッて、姉やは御亭主が無くって子が出来たというじゃねえか」
「そりゃあ――そりゃあ」
「先生のお松さんだって、ごらん、御亭主が無くって子供があるよ、そら、郁太郎様と、登様と、二人も子供があるじゃないか」
「そうさなあ」
「だから、
この話をお松は立聞きをして、ある時は吹き出したくなり、ある時は恥かしくなり、ある時はまた身ぶるいをするほど怖ろしくなりました。
これら、無心の子供に言わせる社会相。
子供が出来ても食わせられないが、子供は産れるものだ。
この子供らは、子供の生れる性の知識には暗かったからいいようなもの、これでも出産の結果の負担の重いことを、家庭から深刻に吹き込まれている。
産れたものは、食わせなければならぬ。その家々で食わせられなければ、他の方法で食わせて生かさなければならないものだと思いました。食わせられないがために、生かしては置けないということ、そういう場合には
産れた子は、きっと育てられるように、家々の生活を保証させてやらなければならぬ。家々でやれなければ村々で……村々でやれなければ、お
人間を多く産まないようにすることができないならば、家庭を富ましてやらなければならぬ、家々の生活を楽にしてやらなければならぬ、それには、どうしても土地を富ますように、その土地から、よき職業と、よき産物を見出して、生活を楽にしてやりさえすれば、この悲惨は救われるはず――お松は、日頃考えていないことではなかったが、今の無邪気な、怖ろしい会話を、子供の口から聞かせられた時に、一日の急のように、強くそのことを感ぜしめられました。
そこへ、ノソリと入って来たのは、海蔵寺から帰った与八です。
六十
その翌日、東妙和尚と、与八と、ムク犬とが相携えて、吉野村へ梅を買いに行きました。
村へ入ると、千樹の梅林――それを東妙和尚がいちいち見立てて、持主と値ぶみをする。協定が済むと、サラリサラリと代価を払う。
梅はもとより移植するためではない。代価を過分――といっても、材木や、薪として売り飛ばすよりは過分な代価を払っての上に、倉敷料としての見つもり若干を与えて、そのままにし、季節に実を取るだけの約定なのだから、売ってかえって保護をされているようなもの――取引も至極円満に進行して行きました。
梅の木買収の協定が済むと、その一本毎に、東妙和尚は、与八の手から一枚の木札を受取ります。その木札は三寸に五寸ほど、新しく削らせて、上端に小さな穴が明けてある。沢井を立つ時、与八はそれを
「それ与八、その巌の間にはさまれている大木にはこれを附けろ」
認めたのは「重巌梅」――とある。
「さあ、次なる、その横へつんとのしたのは――それ、鳥道梅」
「こっちの方の枝の盛んなやつは白雲梅」
「そら、こっちの方に低く
「向うの谷間にあるのが聯渓梅」
「低く地についているやつが泣露梅」
「そら、これが吟風梅だ」
「その
「それ践草梅」
「それ胆雲梅」
「そっちのは歌聖梅」
「あの一本立ちは無人梅」
「池の傍のは沃魚梅」
「ははあ、鳥がとまっているな、そこで
「その枝のよく
「それは姿がいいから
「
「長条梅」
「馬屋梅」
「孤影梅」
「玉堂梅」
「飛雲梅」
「金籠梅」
「珠簾梅」
「
「東明梅」
「西暗梅」
一木を得るに従って一名を選み、それをサラサラと木札に書いて、与八に与えて、それぞれの木に結びつけさせる。鈍重な与八が、応接に追われるほどの進行ぶり。見ていた村の持主たちまでが舌を捲いてしまったというのは、物の名をつけるのは、八兵衛、太郎兵衛でさえむずかしい、一木一草にでさえ、しかるべき雅名を与えるのは容易なことではない、おのおのの持ち分の老梅にも何とか名をつけたがったり、つけてもらおうとしたり、相当の学者に頼んでおいたりしても容易に出来ないのに、この和尚様は、一木を得るごとに一名を選むこと、数字の番号を打つことの速さと同じことだ、博学な坊さんもあったものだと驚く。それに頓着なしの東妙和尚、
「梅は、ずっと昔、支那から渡って来たものだということになっているが、それもしかとはわからぬ、九州の
と講釈をして、また次の如き順序の選名――
「青煙梅」
「蜂蝶梅」
「
「微風梅」
「斑白梅」
「黄老梅」
「柳楊梅」
「四運梅」
「
「
「
「銀床梅」
「深障梅」
それは、あらかじめ選んで置いて、それを転写するでさえ、そうは迅速に参るべからざるものを、いちいち、その景を見、境を見、木ぶり枝ぶりを見、来歴を参考として、即座に選んで、サラサラと書き飛ばすものだから、これは、たしかに容易なことでないと、村人を驚かすに充分でありました。それよりも、あまりに選名が早いので、それに縄をつけて、木に結ぶことの
この前後から、村々の子供をはじめ、
それだけではない、最初のほどは一匹二匹と出て来て、遠くムク犬の雄姿をのぞみ、あえて虎威をおかすことをしなかった附近の犬がようやく数を増して、何十頭というほど群がり出し、それが遠くから
何と思ったか、この時、ムク犬は、主を離れてやや早足に、丘陵をかけのぼると、群犬がまた
かくて、ムクが上れば群犬も上り、ムクが止れば群犬もとどまり、ムクが走れば群犬も走る――それに興を催してか、ムクと、群犬とは、この人間たちとは遥かに離れて、やがて行方を見せなくなってしまいました。
六十一
その同じ日の同じ時刻に、ちょうど、東妙和尚や与八が梅を買っているところの裏山で、一人の百姓がしきりに薪をこしらえておりました。
ところは、ひっそりとした雑木林。木を
これは
いつまで経っても話相手になる人もなし、加勢に来ようという人もなし、それでも根よくほとんど休むということを知らないで、薪をこなし、そうしてようやく、お
その弁当というのが、一かたけに約五合炊ぐらいははいる古風な
そうして、一方、小さな樽の中へ詰めて来た水を飲んで、さも
こうして見ると、本当の質朴そのものの、太古の民で、木と薪のほかには、一切の邪念というものが頭の中に無いのでしょう。たとえ王侯の位を
面桶の中の麦飯を食べながら、ふと、
だが、七兵衛には、親も、子も、兄弟も無かったはず。多少、縁を引いた親類でもあるかと思うて見直すと、見直せば見直すほどよく似ている。
よく似ているはずです、これが正銘の七兵衛ですもの――
人々は、めまぐるしいほど海道筋を飛び廻る七兵衛を知る。
ある時は京都に、ある時は江戸に、近くはまた尾張の名古屋に根を生やそうかと言っていた裏宿の七兵衛を知る。そこで、こうして薪を取っている七兵衛の存在を疑うのも無理はありませんが、これこそ七兵衛の本色ということを、誰か知る。
筒袖の
あんなにめまぐるしく飛び廻っても、時間にすれば、その飛び廻っている時間は、こうして働いている三分の一にも足りますまい。善良無名なる百姓七兵衛を、こうして見ることに全くその本色がありました。
ここで薪を取って、それをこなして、
男やもめの七兵衛さんは、よくあれで辛抱して
豊太閤伝来の千枚分銅に目をかけて、東西を
あたりの山林はいよいよ静かなものです。冬木立昔々の音すなり、と古人の句にある通り、林の静かなるところに、本当の静かさというものが味わわれる。
ひとり煙草をのみながら、山林の静かな樹に七兵衛の平和な
これを、やや久しうすることあって、遥かに山林の外で犬の吠ゆるのを聞きました。
まもなく、一頭の大きな犬が走って来るのを認める。それは山林深く犬の走るのを見ることは珍しくはない。ただ、その犬の真黒くして、大きなことが目に立つ。
七兵衛は、その犬の近づいて来るのを無心に注意している。
やがて、その犬の後ろから、多数の犬が現われたのを見る。
五頭、六頭、十頭、あんまり数が多いものだから、少しく異様の目を以て見る。
犬は見えたが猟師は見えない、犬の飼主というものも見えない。
黒い大きな犬が、七兵衛の方へと、おもむろに歩んで来る。群犬がそれに従うもののように、周囲から群れて来る。
黒い大きい犬が、七兵衛の真向いに来て、はたと歩みをとどめて、七兵衛の
七兵衛もその犬を見る――両個が面を見合わせる。犬はそれより以上に進まない。七兵衛は、はて見たような犬だと思う。
「あ!」
七兵衛が思わず立ち上る。
犬が一声高く吠える。
だが、その吠える声になんらの
一声吠えただけで犬は、七兵衛の面をつくづくと見ている。
「あ!」
七兵衛の方で
彼は当然、この犬が自分に向って、のしかかって来るもののように警戒する。
だが、犬は動かない――
知る人は知ろう、この犬は
恐るべきものを恐れない七兵衛は、この犬をこそ最も恐れておりました。
今や、また、ここでこの強敵に
ところが、今日はその呼吸が少し違う。前いったように、戦意を示す吠え方でなくて、この山中、思わぬ人に出会したという驚異の吠え方であって、それのみか、一声吠えた後の犬の挙動が全然違います。
第一、あの眼の色が違います――殺気がありません、敵意がありません――無論多少の警戒はありますが、その警戒のうちに、充分和気の存することを七兵衛が見て取りました。犬が折れたのではない、こちらの疑いが晴れたのだという感じ……
こうして、犬と人とが
この時ふと、人間の口笛の音がする――犬が出て来たのと同じ方向から、人が出て来たのを認める。極めて鈍重な若い大きな男が――これも見たような男、うむうむ、せんだってのあの沢井の水車小屋にいたあの男だ。
まもなく、すべてが、姿と形を見合って、与八がまず言葉をかけました、
「こんにちは……」
その言葉と態度とで見ると、せんだっての晩、水車小屋へ潜入して、自分に、とっくりと意見を試みて行ったその人と、気がついてはいないらしい。
「こんにちは……」
と七兵衛も同じように挨拶する。
「ソダごしらえですか」
与八がいう。
「はい」
七兵衛が答える。
「犬が邪魔をしやしませんかね」
「いいえ、邪魔をしやしませんよ。その犬はお前さんとこの犬ですか」
「これはお松さんの犬ですよ」
「お松さんは、どこからその犬をつれて来ましたか」
「どこからですかねえ、江戸にいる時分からついていましたよ」
「そうですか」
「はい、でかいけれど、おとなしい犬ですよ」
「お前さんは、沢井でしたね」
「はい」
「沢井の机の若先生は、今どちらにおいでになりますか」
「竜之助様ですか」
「はい」
「あの人はどこにおいでなさいますかねえ」
「奥様は……」
「奥様というのは?」
「あれ、その、お浜様といって」
「ああ、あのお浜様か、ありゃ、江戸でお死になされた」
「おやおや、それはお気の毒な」
「気の毒なことをしましたよ」
「お子さんは……」
「お子さんというのは、あの
「ええ、郁太郎さんと申しましたかね」
「あれは今、おたっしゃで、沢井におりますよ」
「そうですか、お父さんも、お母さんも、おいでなさらねえでは、さだめて、不自由なことでしょうねえ」
「それでも、お松さんが世話をしてくれるから助かります」
「それから、和田の宇津木様はあれからどうなりましたか」
「あそこもいけませんねえ」
「文之丞様があんなにおなりなすって、あとはどうなりました、お江戸へ出ておしまいなすったそうですね」
「え、え」
「文之丞様の弟御に兵馬様という方がありましたが、あの方は時々お見えになりますか」
「あれから一遍も、こっちへは帰って来られねえようですよ」
「机の
「とうの昔になくなりました」
「おやおや、それはお気の毒な」
「机のお家も、宇津木も、どっちもいけませんが、机の方はお松さんがよく郁太郎様を世話しているし、宇津木の方も兵馬様の代になれば立ち直ることでござんしょう」
「お松さんという子は、どこの人ですか」
「お松さんは江戸の人ですよ」
「机のお家の御親類ですか」
「親類ですかどうですか、そのことはよく知りませんが、お松さんはいい人です、あの人がいる間は、わしもこの土地を離れられませんねえ」
「そうですか、お前さんはお松さんと仲がいいかい」
「そりゃ、お松さんは無ければならない人になっていますよ」
「もし、そのお松さんが、江戸へ出るとか、他国へ行くとかすれば、お前さんはどうしますね」
「その時は、わしも一緒に行きますね、お松さんがお嫁入りするようなことになれば、わしは下男としてでもあとをついて行きますが、あの人はお嫁入りなんぞはしないでしょうと思います」
「では、お松さんという子が、この土地にいつく限り、お前さんもこの土地を離れないのだね」
「ええ、その通りです」
「お松さんは、ほんとうにこの土地にいたがりますか、よそへ行きたがりませんか」
「どこへも行きたがりません、行きたがっても、もう、ちょっと動けないでしょう」
「どうして」
「あの人は、人様の子供を二人も自分の手で育てていますからね。そのほかに、近所の娘たちや子供を集めて、いろんなことを教えたり、諸方へ頼まれて行くものですから、今では、ちっとの
「それはまあ結構なことだ」
「でも、お松さんは、房州へ一度行きたい、行きたいと、口癖のように言っていますよ」
「房州へ?」
「え、え、ほかにも行きたいところはあるようですけれど、それはあきらめるが、房州へはぜひ一度行きたいものだが、行けないと言っていますよ」
「はてね」
「あの登様というののお父様が、房州に住んでいるとか言っていました、そのお父様に一度逢いたいと、こう言ってお松さんが、わしに相談をすることがありますけれど、お松さんひとり出向いて行くわけにもいかず、わしもお松さんを置いて出かけるわけにもいかず、困っていることもあります」
「なるほど――して、その登様という子は誰の子なんだね」
「登様というのはまだ赤ん坊でしてね、お松さんが預かって世話をしているのです、いい坊ちゃんですよ」
「ははあ、そのお父さんという人が、房州に住んでいるのかね、房州で何をしているのです」
「何をしていますかね」
「それには事情がありそうだ――ではね与八さん」
この時、七兵衛が膝を立てました。
「はい」
「わしは、お前さんとこのお松さんはよく知っているのだがね、わけがあって、
「はい、そう言いましょう、お前さんはどなたでしたかね」
「わしは、裏宿の七兵衛といえばわかります、ないしょで言って下さい、わしの名は、なるべく小さい声でお松さんの耳へ入れて下さいよ」
「はい」
ここで、七兵衛は再び斧を取り上げて、薪のこなしにとりかかりました。
与八は、犬を引きつれて、帰り路に向います。この時まで、七兵衛を見まもっていたムク犬は、全く無事に与八について引上げる。その人と犬との後ろ影を、七兵衛は、いったん取り上げた斧を下におろして、じっとながめていること久しいものでありました。
六十二
果して、その翌朝、まだ暗いうちに七兵衛が、沢井までお松をたずねて来ました。
「まあ、おじさん」
こんな近いところにいながら、お松は、七兵衛に会うの機会が極めて少ないことでありましたから、無上の珍客として、なつかしい思いが先に立つのです。
「御無事で結構だね、お松さん、このごろどこへ行っても大へん評判がいい」
「ほんとに、おじさん、暫くでございました、青梅の方へ通りがかりの時、おたずねしてみたのですけれど、お留守だものでしたから、つい失礼いたしました」
「いや、わしの方もこれで貧乏暇なしなもんですから、つい……昨日、ふと与八さんに逢ったものだから、急にその気になって出かけて来ましたよ」
「まあ、きょうは、ごゆっくりなさいまし」
「ゆっくりしていたいんだがね、なかなかせわしない
「そんなにお忙がしいのですか」
「いや、百姓の方は、そんなでもないがね、人様から
「大抵じゃありません――」
「頼まれると、いやとも言えず、つい、うかうかと進み過ぎてしまって、ああ取返しがつかねえ……とこう思った時は後の祭りだ」
「ホ、ホ、ホ、何ですおじさん、人様から頼まれて、そんなに大仰に
「ハ、ハ、ハ、頼まれたことを悔むわけじゃねえが、ちっと進み過ぎて、もう今じゃ後戻りができず……お笑い草だねえ」
「いいえ、そんなことはありません。おじさんは、わたしを背負って山を下る時なんぞは、ずいぶんお足が早うございましたが、里へ出ると、あたりまえになってしまいますね、おじさんの足の早いことなぞは、青梅あたりにも知っている人は一人もないようですね、わたしだけが、それを知っているような気持がします」
「頭がいいのなら名誉にもなりますがね、手の長いのや、足の早いのは、あんまり自慢にはなりませんからね」
「ホ、ホ、ホ、手の長いのは自慢にはなりませんけれど、足の早いのは結構じゃありませんか、わたしなんぞも、こうして今では不自由なく、この地に根が生えたようなものですけれども、それでも、おじさんのように足が早ければ、行ってみたいと思うところがいくらもありますけれど、女の足では仕方がありません」
「その事、昨日、与八さんから、お松さんがしきりに、房州へ行きたがっているという話を聞きましたが――そこで、なんなら、わしが代ってその房州とやらまで行って上げてもいいと、そんなことを、ふと思いついたものだから、今日は久しぶりで訪ねて来てみる気になったのだよ」
「ああ、それはようございました、なるほど、おじさんならば……ほんとうに、房州までお使をお頼み申したいことでございます」
「おやすい御用だね」
「房州といえば、ずいぶん遠いところでしょうが、与八さんでは日数がかかるし、それに与八さんは、ここをはなせない人になっているし、あのムク犬は
「そんなことは全くおやすい御用だ――房州は何というところだね」
「
「洲崎――あんまり聞いたことのねえ名だが、なあに、たずねれば直ぐわかるだろう」
「江戸の霊岸島から、船で行くといいそうでございます」
「船はいけないね、千葉の方から内海を一走りした方が楽だろう」
「どちらでもかまいません――洲崎に、わたしが只今お預かりしているお子さんのお父様がおいでになるのです、そこへお便りをしていただきとうございます」
「うむ、何という人だね」
「以前は、駒井能登守様といって、甲府の勤番支配をつとめていらっしゃいました」
「え、甲府の勤番支配、そりゃ大物だ」
七兵衛はここで、ギクリとした思い入れ。
「はい、今は駒井甚三郎様といって、世を忍んで、房州の洲崎にいらっしゃいます、そこへおたよりを願いたいのでございます」
「たしかに頼まれました、これから直ぐに出かけましょう」
「まあ、それはあんまり」
「なあに、房州ぐらい、江戸へ出て見れば鼻の先に山が見えますよ、何でもありゃしません、ほんの一走り、この足で、ここから飛んで行きますよ」
「それでは、これから、わたしが手紙を書きますから、どうぞ少しの間、お待ち下さいまし」
こう言って、お松は引込んでしまいました。
七兵衛は、ひとり炉辺で、お茶を飲みながら待っている。
かなり長い時間――お松はかなり長い文言を書いていると見える。やがて、乳母の手に駒井の一子登を抱かせて、三人で出て来て、
「お待たせ申しました」
お松は炉辺へ坐って、七兵衛に手紙を差出して、
「委細はこれに書いてございますから、駒井の殿様にこれを差上げていただきとうございます、それから、おじさん、ちょっとこのお子さんをごらん下さいまし」
「はいはい」
「これが駒井の殿様のたった一人の御血統なんでございます、この通り虫気もなく、すこやかにお育て申しておりますから、殿様にそれを申し上げて下さいまし」
「はいはい、よくねんねしていますね、争われないものだ、いいお子さんだ、立派な御人相だ」
七兵衛は、登の
「ほんとうに、このお姿を殿様に、一目でも見せてお上げ申したいと思います」
「
「ええ、まだ親子のお名乗りさえしていらっしゃらないので、登様というお名前も、わたしがつけて上げたのです」
「そうですか、早く、このお子さんに、親子の名乗りをさせてお上げ申したいものだな、そうして、すんなりと御家督をついで、お家繁昌ということにして上げたいものだ、お松さん、頼みますよ」
「はい、わたくしも、そのことばかり願っておりますのよ。あの殿様は、今の時世にはエラ過ぎるので、ああして隠れていらっしゃいますが、やがて、世にお出なさる時は、どんなにめざましいことでしょう。その時になって、駒井のひとり子があのザマだと言われては、わたしの恥にもなりますから、きっと立派な方に育ててお目にかけるつもりでおりますと、そのことをよく殿様にお取次ぎ下さいまし」
「あ、わかった、わかった、いい心がけだ、お松さん、お前の心がけには感心した、世間の女房と娘に、その心がけの百一さえあってくれりゃあ、こんなことにはならねえのだ」
「何をおっしゃるのです、おじさん、それではあんまり愚痴っぽく聞えてしまいますよ」
「ハ、ハ、ハ、自分のことと、人様のこととを取交ぜて考えるものだから、つい……これを見るにつけてもなあ、お松さん」
「はい」
「こんな血統の立派な、
「何をおっしゃるのです、おじさん、与八さんには、わたくしの方でこそ、いろいろとお世話になっていますよ」
「おたがいに面倒を見て、助け合ってな、いよいよ立派な人になっておくんなさい」
「そのつもりではおりますけれど」
「さあ、出かけようなあ、遅くも三日のうちには返事を持って来ますよ。どうれ、お邪魔を致しました」
「まあ、よろしいじゃありませんか、たまのことですから、もう少しごゆるりと。それに与八さんもここへ呼びましょう」
「なあに、あの人には昨日逢ったばかりだからいい、それに善はいそげ、この足で……どうれ」
七兵衛は炉辺から
「お松さん、私の来たことは内証だよ」
と、お松の耳に口を当てて、ささやく。
「え、ようござんすとも、そんなことは少しも御心配なく……」
お松の呑込みをあとにして、この邸を立ち出でてしまいました。
六十三
即日発足した七兵衛、生地より関八州、江戸から
船を嫌って、内房をめぐるべく歩を取った七兵衛――江戸を離れようとする時に、乗込んで来た一隊の兵士と出逢い、直ちにこれが会津の兵だということに気がつきました。
会津の兵が江戸にとどまるのではなく、このまま京都へ
それと、もう一つは北へ向って走る飛脚を一人見ました。飛脚の風をしているが、それは飛脚ではない、士分の者だ、ということを七兵衛が見て取りました。そうしてこれは水戸へ向って急ぐのだ、気のせいか山崎譲の後ろ姿のようにも見える。これらのものに行違うと、七兵衛の足は外房に向って走りながら、心はどうしても京阪に向って飛ばずにはおられぬ。
その日、千葉の町で泊って、翌日はもう洲崎着。
駒井の陣屋をたずねると、直ぐにわかる。来意を告げると直ちに会える。
七兵衛は、そこで、はじめて駒井甚三郎に対面の挨拶をしました。
世が世ならば、土下座をしても、対談はかなうまじきはずなのを、
椅子なんぞに腰を下ろしたことはないのに、こういった人品と当面して、会話を取りかわすなんぞということは、今までに経験のないことでした。
それは神尾主膳のような人には、ずいぶん勝手な立居振舞をしたりしてもいいように出来ているが、この人との対面は、調子の違うこと
そうして、せっかく、近くすすめてくれた椅子を、わざと自分でしりぞけて、
「それは、いけません、おかけなさい、こういう室では、腰をかけて話さないと、かえって失礼に当るものです」
駒井から説かれて、七兵衛がおそるおそる、また椅子に取りついて、それを与えられた距離よりは、ずっと遠くへひっぱって行き、その上へちょこなんと腰をかけたものです。
例によって、
そこで七兵衛は、お松からの手紙を取り出して
駒井は、その場で封をきって、サラサラと読み流し、
「よくわかりました、どうも御苦労でした。お前も、お松のいるところと同じ土地の人ですか」
「はい――二三里隔たっておりますが、まあ、同じ土地といったようなものでございます」
「いや、何かと、家の者共がお世話になります、拙者も子供のこと、お松のこと、絶えず気にかからないではないが、何を言うにも今は閑散の身で、かえって多忙なため、沙汰無しでいました、そのうち、あれを呼び寄せるか、こちらから使を出すか、どちらかせねばならぬと思っていたところでした」
「お松という子は、ふとした縁で、私が世話をして来たこともございますが、あれはたしかな子でございます、あれに預けてお置きなされば心配はございませんけれど、若様のためには親御様のお
「それも考えないではないが、今のところ、そうしてはおられぬのだ。
「殿様が、あちらへお越し下さるのは
「いや、それが……わしは江戸へ落着くことはまずあるまいと思う」
「いいえ、そのうちには、晴れてお帰りになる日を、みんながお待ち申し上げているようでございます」
「よし、晴れて帰れるようになった日が来たとて、拙者は江戸では住めない、住みたくないのだ、といって、この地に永住するつもりもないのだ」
「では、また甲州へでもおいであそばしますか」
「いや、甲州へはなおさら――実は、そなたにも見てもらいたい、幸いに、これから造船所へ行ってみようと思うから、疲れたことでもあろうが、一緒に行かないか」
「はい、どちらへでもおともを致します」
「これから、ちょっと離れたところに、わしがこしらえた造船所がある、そこで船を製造しているのだ」
「船をおこしらえになっておいででございますか」
「うむ、その船も近々出来上るから、それで外国へ乗出してみようと思っている」
「それは大仕事でございますね、外国とおっしゃるのは、ドチラでございますか」
「外国……とだけでは、さっぱり当りがつくまいが、実はこっちにもまだ行先の当てはついていないのだが、まあ、伊豆の小笠原島よりは、もっと遠い、
「それはそれは、たまげたおもくろみでございます、左様な遠方へお越しになるお船は、さだめしめざましいことでございましょう」
そこへ、また給仕役の
「ちょうど、食事時だ、これから食堂へ行って、食事を済ましてから造船所へ案内いたそう」
と言って、自分が先に立ちましたから、七兵衛はそのあとに従います。
例の食堂に、今日は七兵衛という珍客を一人加えて、七兵衛が、全く勝手が違って戸惑いをするほどの変った形式で、食事を進めていると、さきほどから気がかりになるのは、程遠からぬ物置で、泣きわめく声。泣き疲れたのか、一時は低くすすり泣きのようにまで落ちていたのが、この一同が食卓を開くとじきに、またすばらしい声で号泣をはじめました。
駒井は
茂太郎と、もゆる子とは面を見合わせて、くすぐったい思い入れ。
金椎には聞えないから、平々淡々。
食卓の調子の変ったので戸惑いをさせられた七兵衛は、この号泣でまた驚かされてしまいました。
それでも誰ひとり、号泣者を顧みようとする者はなく、食事は頓着なしに進んで行く――
六十四
駒井から船を見せられた七兵衛は、その時全く別な世界があることを教えられました。
別な世界というのは、自分が今まで、
今までの自分の生涯が、土の上を走っていたから、行詰りが出来る、そのとどのつまりの行詰りは、もう極まった運命のほかに何物も無いと観念をしておりましたのに、ここには全く自分の能力を不用として、生きて行ける生涯があるということを知りました。
この船というものに自分を托しさえすれば、この自分の特徴であり、また、自分をあやまらせたところの超凡の足というものの能力が、全く無用になると共に、今まで自分の恐れかしこみ、潜み、隠れ、わなないていた魂というものが、全く解放されることを考えずにはおられません。
全くその通り、いかに早足でも、地上を走る時には必ず行詰りがあるにきまっている。
船に身を任せて海外へ走れば、そこには無限のにげ路があるではないか。
七兵衛は駒井から船を見せられて、そして海外移住の説明を聞かせられたときに、自分の前途の
船! 船に限る。
七兵衛は早くもこういうふうに宗旨変えを、心のうちで誓ってみました。
そしてまた、陣屋へ戻って来ると、暫しあって、かの物置で号泣の声が聞えます。どうも不思議でたまらないが、そうかといって、それを問い
ともかくも今日は休息するようにと、七兵衛は客間へ案内されて、そこに一人で暫く止まっておりました。
休んでいると、やがてコトコトと戸を叩いて、
「御免なさい」
「はい」
そこへ入って来たのは、清澄の茂太郎であります。
茂太郎は、片手には例の
「おじさん、お茶をおあがりなさい」
「はい、どうも有難う」
この子供はお茶を注いで、七兵衛にすすめたが、そのまま出て行かないで、お客様の傍へきちんとかしこまり、例の般若の面は後生大事にして、そうして、七兵衛に
「おじさん、お前どこから来たの?」
「え、私は遠いところから来ましたよ」
「遠いところってどこ?」
「向うの方のお山ですよ」
「向うのお山? では甲州上野原?」
と言われて七兵衛がギョッとして、思わずこの少年の顔を見直し、
「上野原とは違いますけれど、坊ちゃん、あっちの方を知ってますか」
「ああ、あたい、甲州の上野原の月見寺にいたことがあるのよ」
「ああ、そうですか、おじさんのところは上野原より少し近いけれども、やっぱり山ですよ」
「何というところなの」
「青梅というところですよ」
「青梅? 大きな眼があるの?」
「そういうわけじゃありませんよ、青い梅というところですよ」
「そうですか、そんな山の中から何しに来たの」
「少し頼まれた用事があって来ましたよ」
「何の用事を頼まれたの」
「こちらの殿様の御親類から頼まれて来たのさ」
「あんな山の中に、殿様の御親類があったのかしら」
「ええ、ありますとも、そこには御親類の可愛らしいお子さんがいますよ」
「そう、おじさん、もしかして、弁信さんはそっちへ行かないかしら」
「弁信さんて?」
「弁信さんというのは、私のいちばん仲のいいお友達よ。あの人とは、上野原で別れたっきりなんですもの。もしかしておじさんの方へ行ったら知らせて下さい、その人は琵琶を弾く
「ああ、それじゃ、もしおじさんの方へ来たら、知らせてあげよう」
「どうぞ頼みます」
そこでこんどは七兵衛が、この少年に向ってたずねてみる気になりました。
「坊ちゃん、お前の名は何ていうの」
「茂太郎――」
「茂ちゃん」
「ええ」
「あの、さっきから物置の方で大きな声で泣いていた者がありますね、あれは何ですか」
「あれはマドロスさんよ」
「マドロスさんというのは?」
「マドロスさんは、外国から海を流れ着いた人なのよ、それを殿様が拾って来て、うちに置いてあるんです」
「そうですか、では外国人の大人ですね」
「ええ、ええ、大人も大人、六尺の上もありますよ、田山先生も大きいけれど、それよりずっと大きくて、眼が
「そうですか、そんな大きな人が、なぜあんなに泣くのです」
「それには
「へえ、何か悪いことをしたのですか」
「ええ、悪いことをしたんです」
「どんな悪いことをしたの」
「お嬢様に
「え、お嬢さんに?」
「そうですよ、それも一度や二度のことではないのです、ですから、今度という今度は殿様もお赦しになりません」
「そうですか、そんな悪い人なんですか」
「いいえ、悪い人じゃないんです、田山先生などは、ウスノロと名を附けてばかにしているくらいですけれど、田山先生がいないとあんなになってしまいます、お酒を飲むからいけないんですね」
「そうですか、誰も殿様へ、お
「誰もありません、あんまり悪いことをしたから、造船所の人たちなんかは憎がって、海の中へ投げ込んでしまおうと言ってました。そのくらいですから、ああして、本当に心が直るまで手をつけない方がよかろうということです」
「困ったものですね」
「え、こんどのことは私たちもお詫びのしようがないから、うっちゃって置くのです」
「そうですか、でも船が出来上った時は、あの人も連れて行くのでしょう」
「そのことはわかりませんね」
その時、このところにあった時計が、五ツ鳴りました。七兵衛はこの音で初めて時計に気がついて、そしてなんだか分らない顔をして時計を眺めました。
「ああ五時だ、おじさん、私はちょっと行ってまいりますよ」
こう言って茂太郎は、この室を飛び出してしまいました。
六十五
あとに残された七兵衛、お茶を飲みかけていると、急にまた例の物置の方面で、けたたましい叫び声がして、人がののしり、号泣し、容易ならぬ騒動が持上ったもののようです。
七兵衛も一度は駈け出して見ようかと思いましたが、そのうちに
「おじさん、おじさん、大変だよ、大変なことが出来ちまったよ」
「何だい」
「今ねえ、村の人やなんかが大勢やって来て、マドロスさんをさらって行ってしまったのよ。マドロスさんは悪いことはしたけれども、本当は悪い人じゃないの、それをみんながああして連れて行ってしまったから、マドロスさんは殺されるかも知れません、大変よ、大変よ」
「そりゃ大変だ、殿様に申し上げたかい、殿様はどうしていらっしゃる」
「殿様は造船所の方へ行っちまったんです、そのあとへ村の人が大勢入って来て、
「それはいけないね、早く殿様に告げに行っておやりなさい」
「お嬢さんが行きました」
「それじゃ、おじさんもこうしてはいられない」
七兵衛もあわただしく立って、庭の方へ出て見ました。
なるほど、茂太郎が言った通り、村の人かなにかが多数に乱入して、無理矢理にこの物置の中の人を奪って行った形跡はたしかです。それにしても乱暴過ぎると思わないわけにはゆきません。
いくら悪いことをしたからとて、そこの主人が承知で物置へ入れて置くものを、よそから来て奪い去って行くというのは、あまりに乱暴です。
多分、このマドロスという男が、村人に、堪え忍び難きほどの損害か、恥辱かを与えたればこそ、こういう仕返しが来たのかもしれません。それにしても、主人を無視した、乱暴な仕打ちであると考えさせられました。
この分では、奪って行かれたマドロスという人の運命の程が思われる。どのみち、虐殺のうき目を
そうしてみると、一刻も猶予してはいられない。よしよし、とにかく、ひとつ出かけて行って見てやろう。七兵衛は客間へ取って返して、自分の道中差を取ってぶち込み、尻端折りをして飛び出しました。
行く先は分らないながら、とにかくあらましを茂太郎から聞き、足跡をたどり、途中で聞き聞き行くつもりで駈け出しました。
これが行く先さえ分っていれば、七兵衛の足だから先廻りをするに
一方急を訴えられた造船所では、ちょうどそこに、主人の居合わされないことを残念に思いました。駒井甚三郎は七兵衛を置いて、それからまたここへ戻って来たには来たが、またフラリと立去ってしまったとのことです。
とうとう夜になったが、行方が知れませんでした。
夜になると、駒井甚三郎が帰って来てその報告をきいて、安からぬことに思いました。
それは、この辺の土民にしてはやり過ぎである。誰か尻押しをしたものがあるのだろう、けしかけたものがあるだろう、黒幕にいるものがあるに相違ない、と感じさせられないわけにはゆきません。
そうしてみると、この地に来た自分の挙動に、注意しているものに二種類ある。一方は充分の好意と、信頼を以て、何かと助力を惜しまない人。一方は何か異端が来て、陰謀の
このたびの事を機会として、その反動の側の勢力がはかって、不意に来たのだな。不意に来たとはいえ、この暴行には相当根拠がある、後ろだてがあるということを駒井がさとってしまって、この結末は相当面倒であり、手数がかかると思案しました。
そこへ帰って来たのは七兵衛です。
七兵衛は駒井の前へ、次の如く報告しました。
「これはなかなか
あれは、この界隈きっての博徒の親分、洲崎のなにがしという奴の子分共の仕業でございますぜ。それもまた、洲崎の親分だけがさせたのではありません、そのうしろには黒幕がありますぜ。
とにかく、殿様がこの土地へおいでになって、そもそもの初めから、嫌な眼で見ていた奴がございます。
それが、殿様が仕事をお進めになればなるほど、怪しい眼を光らせていたものでございます。
それにはお上役人の筋を引いているものもございます、土地の昔からの家柄の者もございます、お寺の信者や、神様の氏子、そのうしろには坊さんや神主が糸を引いているのもございます。それらが、殿様がおいでになった最初から変な眼で見てはいましたが、何しろ、駒井の殿様の以前の御身分が御身分ということを知っておりますものですから、うかと手出し、口出しをすることができませんで、今日まで引込んでおりました。
だが、殿様が全く見馴れない、聞き馴れない西洋流の仕事を、ドシドシおやりなさるのを見るにつけ、聞くにつけ、いよいよそれらの連中の業が煮えてたまらず、あれは切支丹だ、ヤソだ、国を取りに来る毛唐の廻し者のさせる
けれども、前申し上げる通り、殿様の以前の御身分が御身分であり、それに鉄砲の名人でいらっしゃること、造船所には心服している職工もあるし、大砲を据えつけてあるというようなことが、彼等を警戒せしめたのみではなく、表面上、まだこれぞという証拠を押えたわけではありません、そこで彼等は躍起となって、何か殿様の身辺から、アラを探そうと
先日逃げ出した時、あのマドロスが、あちらの縄張りの中で鶏を
ですから、あのマドロスはいわば人質で、どうも本当の目的は、駒井の殿様の方にあるようでございます。
殿様に向っては、
え? あのマドロスさんとやらの行方ですか、それはちゃんと知っております、その洲崎の親分の家の土間にひっくくられているんでございます、それを明日は天神山へ連れ出して、そこで焼き殺すのだと、こう言っておりました。
ええ、それはあいつらのことですから、やりかねないことでございますよ。何しろメリケンの方の国では、文明国だなんぞと言いながら、黒ん坊をとっつかまえて、生きながら焼き殺すという話ですから、その伝でひとつ、あのマドロスを天神山で焼き殺してしまおうではないか。
なあに、毛唐の、切支丹の、ヤソの、日本の国を取りに来る廻し者の片割れだ、そのくらいにしてやったって、
明日はやっつけてやれ、と、こんなことを、あの
だが殿様、どう御処分なさいますか、ここは充分考えどころでございますよ……」
と七兵衛が、ここまで語り
ほとんど、どうしようとの思案と、返辞とに窮してしまったらしい。マドロスを取返しにこちらから押しかければ、いわゆるなぐり込みだ、いかに腹が立てばとて、駒井能登守ともあろうものが、天保水滸伝の向うを張って、博徒を相手のなぐり込みが、できるものか、できないものか。
だがまた、これをそのままにして置けば、みすみす頼りない外国の漂浪者を、無残なる私刑者の手に、見殺しにしなければならない、これをしもまた忍び得ることかどうか。
これを忍んでいれば、その次には大挙して、この陣屋と、造船所とを襲うに相違ない。たかの知れた博徒共を追払うは何のことはないとしても、彼等に口実を与えた以上は、ここに落着いて事業の進行は覚束ない。まかり間違えば、吾々一同の生命の危害の問題だ。
ああ、これは自分の思案に余るワイと、さすがの駒井甚三郎の面に、苦悶の色のいよいよ濃くなるのを隠すことができません。
それを見て七兵衛が、静かに膝を進ませて言いました、
「殿様、御心配なさいますな、向うはたかのしれた
こんなのにはやっぱり裏をかいてやらなければなりません、いかがでございましょう、出過ぎた申し分でございますが、こうして参り合わせるも何かの御縁、この七兵衛にひとつ、お任せ下さいませんでしょうか」
と言われて、駒井が、苦悶の面をパッとあげて、改めて、七兵衛の頭から足の先までを見直しました。
今までは、単純なお使役の青梅在のお百姓とばかりあしらっていたこの男としては、意外千万な、大胆不敵の申し分である。
第一、これだけの報告を、いつ、どうして聞き出したかさえ大きな疑問であるのに、不肖ながらこの駒井にさえも、どうしていいか、さばきのつかぬこの差当っての大難関を、ポッと出の
そこで駒井が、七兵衛に向って言いました、
「ふん、お前に何ぞよい知恵がありますか」
「はい、知恵というわけではございませんが、お殿様が私にお任せ下さりますならば、一番あいつらの鼻ッ端をくじいてやりたいと存じます。としましても、ポッと出の私一人の力で土地っ子の大親分とその一まきを相手に、正面から喧嘩が買えるものではございません。そうかといって、長い間たくらんでした仕事を扱いにはなりますまい。元はといえばそのマドロスさんとやらいうお人一人のこと。そこでそのマドロスさんを、あいつらの手にかけない先に、こっちの手でなくしてしまえば、向うは拍子抜けがしてしまい、また言いがかりの
七兵衛に
「ふん、それは最もよい計略かもしれないが、また最も行い難い仕事だ、第一、それらの無頼漢が覚悟の上で護る根拠地へ、今晩のうちに出向いて行って、それを首尾よく盗み出して来るほどの働き者がこの際、あるか、ないか、それを考えて見給え」
と駒井から、重々しく戒めるように言われたのを七兵衛は、軽く受け、
「はい、そこでございます、そこのところをひとつ、この七兵衛にお任せを願われないものでございましょうか、仕遂げた上でなければ口幅ったいことは申し上げられませんが、ともかくこの七兵衛にお任せ下されば、やれるだけはやってお目にかけようと存じます」
「うむ、お前の勇気には恐れ入ったが、それをお前に任せることは、お前をまたあのマドロスの運命にすることだ、いわば一つで済む犠牲を、二つにするようなものだ」
「わたくしの方は、どうなりましょうとも、決して殿様に御迷惑をおかけ申すようなことは致しません、もしおまかせがなければ、私も乗りかかった船でございますから、私の一了見で、ひとつ出かけてみたいと思いますから、見ぬふりをあそばしていただきたいものでございます」
そう言われて、駒井は全くこたえたように七兵衛の
不思議の男だ。見かけはどう見直しても
満身これ胆とはこういう男をいうのかしら……今こそお百姓の風をしているが、若い時分には長脇差の
ともかくも妙な場合に来合わせたものだ。
こういう男に限って、行くなと言ってもきっと行く、これはともかく任せてみるよりほかに仕方がない、と心を決めました。
六十六
清洲の山吹御殿の
「これはまあお珍しい、梶川さん、ようこそ」
と、例の居間で奥方から笑顔で迎えられたのは、この間岡崎市外の街道で、友人のために人を討ち果し、そして、お角の
「これは奥方、不意に御静居をお驚かせ申して相済みません、
「はい、伊津丸もおるにはおりますが、もう永いこと
「それはそれは、存じませぬ事ゆえ、お見舞も致しませんで失礼いたしました」
「こちらへ
「それにしても、同じく柳生殿の道場通いを致しました私にだけは、お知らせ下さらないことを恨みに存じます」
「そのことは何とも申しわけがござりませぬ、あれも常にあなたのことをお
「それでは、これから御病床へお見舞に上ってよろしうござりますか」
「病床での失礼をお許し下さるならば、御案内をいたしましょう。まあ、お茶一つ召上れ」
といって奥方は、女中の運んで来たお茶を取って与之助にすすめました。
「頂戴をいたしまする」
有難くお茶を飲んで控えていると、
「よくここがお分りになりましたね」
「はい、名古屋へ参ってお尋ねをいたしましたところ、当節はこちらだということで、直ぐさまお伺い致した次第でございます」
「名古屋へは何ぞ御用でおいでになりましたか」
「はい……実は申し上げ兼ねるのでござるが、申し上げないとかえってお疑いをあそばすかも知れません、私事はこのたび岡崎を立退いてまいりました」
「まあ、お家を立退いておいでになりましたとは、それはどういうわけでございますか」
「その仔細はお話し申し上げると長うございますが、一口に申さば、人を討ち果したためでございまする」
「まあ、あなたは伊津丸の口からもききましたが、お家が剣術のお家である上に、柳生殿の道場でも指折りの望みをかけられていたそうでございますが、その
「はい、好んで術を
「なんにしても、よくよくの御事情とお察し申します、そういうわけでしたならば、こちらは閑静でよろしうございますから、ゆっくり
「はい、お言葉に甘えましてしばらくかくまっていただきたいと、それ故こうして不意に参上いたしました」
「よくおいでになりました、いずれくわしいことはのちほどお伺いいたしましょう。では伊津丸の病床へ御案内をいたしましょう」
と言って銀杏加藤の奥方は、立ってこの美少年を案内して、病床に親しむ自分の弟の座敷まで連れて行きました。
八畳の一間、そこに静かな敷物がある、部屋の飾りも落着いて、卑しげがない。
正面に「南無妙法蓮華経」の
「
「はい」
「梶川様が岡崎からお越しになりました」
「おお梶川殿」
と、寝返りを打とうとするのを押止めた梶川は、
「そうしていらっしゃい、あなたがそんなに御病気で休んでおられるということを、つい存じませぬ故、お見舞も致さず、失礼しました」
「いえいえ、失礼はこちらのこと、こんな意気地のない姿を人に見られるがいやさに、どちらへもお知らせをしませんでした」
「それは御遠慮深すぎる、ほかならぬ拙者にだけはお便りを下さってもよかろうものと、只今も奥方の前で、それをお
「有難うございます、同じ怨みはこちらからも申さねばなりますまい。それはどちらに致せ、今日はよくお越し下されました」
「いや、よくまいったと申し上げたいが、実は只今も奥方に申し上げました通り、余儀ないわけで人を討ち果し、それがために岡崎を立退いてまいりました」
「おお、それはそれは、大事ではござれども武士の意気地、やむにやまれぬこともござりましょう。どうしてまた、人を討たねばならぬようになりましたか」
「自分ではいらぬ腕立てを致すつもりは更にござらねど、事情がおのずからそうなっては、ぜひもござらぬ」
「貴殿は天性、術に
「いやいや、客気にはやって身をあやまらぬよう、父からも堅くいましめられ、自分ながら心を締めておりますけれども、どうも勢い止むを得ませぬ」
「左様な儀ならば遠慮なくこの屋敷に逗留なさい、私も良い友達があって、心丈夫」
「まことに御迷惑の儀とはお察しいたしますが、暫くおかくまいが願えれば、それに越した喜びはござりませぬ、只今、奥方にもそのお許しを受けました」
「ここは離れて静かなところですから、隠れているにはくっきょうと思います」
「それはそれとしまして、貴殿の御病気を一日も早く治したいものでございます、そして昔のようにおたがいに
「いや、それはもう望みが絶えました、立って歩けるようになれば、それだけで本望だと思っておりますが、多分それも叶いますまい」
「なんという心細いことをおっしゃる、まだまだ、おたがいに元気いっぱい、こうして拙者が傍にお附き申している限りは、拙者の念力だけでも丈夫にしてお目にかけます」
「そのお言葉が何より心強く感じます。実はこうして永らく病床になやんでいるより、どこぞ湯治へでも行けとすすめられておりますが、湯治に行こうという気にもなりませぬ」
「ははあ、湯治は悪くありません、次第によってはその湯治先まで、拙者が附いてまいってあげてもようございます、そうすれば拙者のためにもよいと思います」
「いやいや、貴殿のお隠れなさるには、かえってこの屋敷がようございます、この屋敷にありさえすれば、決して人の手に捕われるという心配はありませぬ」
「いやいや、拙者のは国を立退いて来たとは申せ、実は、武士の面目の上に止み難き事態であることは、藩の者も皆判っている故、さのみ恐れて隠れ潜む必要はござりませぬ、表面上謹慎を表して立退けばそれで済むのでございます」
「いずれにしても御用心に
「奥方様」
と、梶川は奥方の方に向いて、
「拙者は隠れ潜んでいるのがよいとは申せ、伊津丸殿はこうして永らく一室におられては、お気も屈しましょう、湯治のことはよい思いつきと存じますが、もし湯治においでなさるのに、お手不足でもあるならば、及ばずながら拙者がおともを致しましょう」
「それは有難うございます。実は信濃の国の白骨の湯というのが、たいそうよく効くという話でございますから、それへ、この子を連れて行ってみようとも思いましたが、何を申すにも、時も時、所も所、私たちだけではどうすることもできませぬ」
「ははあ、白骨とはどちらか存じませぬが、そういう次第ならば、拙者が喜んでおともを致しましょう、どうです伊津丸殿」
病人の方へ向き直り、
「湯治に行く気はござりませぬか」
と言われて伊津丸は天井の一方を、涼しい目でじっと見詰めながら、
「湯治に行くよりは、私は肥後の熊本へ行きたいのです」
「はて、肥後の熊本」
と梶川が小首をかしげるのを、奥方がひきとって、
「肥後の熊本は先祖の地だということで、この子はそのことばかり申しております。同じ湯治をするならば、肥後の阿蘇山の
「ははあ、伊津丸殿は拙者と共に道場通いを致した時も、よく左様なことを申されました」
「はい、この子はどうしたものか肥後の熊本を、先祖の地、先祖の地、と言いますけれど、本当に先祖の地は、この尾張の国だということが、どうしても分らないで困ります。すなわち御先祖清正公は、ここからほんの地続きの尾張の中村で生れ、そうしてあの尾張名古屋の御本丸も、清正公一手で築き成したもの、清正公の魂魄は、肥後の熊本よりは、この尾張の名古屋に残っているということを、よくよく申し聞かせても、どうしてもこの子にはその気になれないようでございます」
「それもそうかも知れませぬ、世間の人も加藤清正公と申せば、肥後の熊本だと思います、清正公の魂は、かえってあちらに止まっておられるかも知れません、それが伊津丸殿の心を
と梶川が言った時に、病人はちょっと向き直って、
「わたしはやはり肥後の熊本が、なんとも言えず慕わしい、梶川殿、どちらかなれば、わたしは白骨よりは熊本へ行きたい、なんと熊本まで私をお送り下さるまいか」
「お送り申すは
その時奥方は、キッと
「伊津丸、お前はそれほど熊本へ行きたいならばおいでなさい、私はいつまでもこの尾張の国に残っております、御先祖の心をこめた、あの金の
六十七
信濃の国は
「おいおい、寒い時は山から小僧が飛んで来るものだぜ、今時分、逆に山入りをする小僧があるものか」
どこからともない、嘲笑罵声を聞き流して耳を傾けた弁信法師――
「おや、私一人ばかりかと思いましたこの道に、うしろからお呼びになったのは、どなたでございます。え? 何とおっしゃる、白骨谷へ行くのは止めに致せとおっしゃいますか。ははあ、それもそうでございますな、私も今となってまた心が変りました、最初のほどは白骨へ、白骨へと引かされる心持になりましたが、今となりますと、どうも白骨谷が
弁信は天の一方を見つめて、じっと考え込んでいましたが、
「さあ、そうなりますと、わたくしはこれからどこへ行ったものでございましょう、十方に道はありとは申せ、わたくしの行くべきところはどこでございましょう、白骨でいけないとすれば、再び甲州の有野村へ帰りましょうか。わたくしが有野村へ帰りましたとて、もうわたくしの為すべき仕事はござりませぬ、伊太夫殿のためにも、お銀様のためにも、わたくしが帰ったことによって、いささかも加えることはできないようになっております。それではいっそ月見寺へ帰りましょうか、あれは白骨谷が空なるよりもなおさらに空なものになっております。さあ、左の方木曾路へ迷い入って、あれをはるばると行けるだけ行ってみましょうか、やがては花の九重の都に至り上ることはわかっておりますが、天子の都も、今は
と言って弁信は、力なくも足を運ぼうとしましたが、また急に
「え、わたくしに待てとおっしゃいますか。待てとおっしゃいますならば、いつまでもお待ち申しておりましょう、数ある人間のうちで、行方定めぬやせ法師のわたくしを、特に見込んでお呼び止め下さるあなた様に、浅からぬ御縁を感じますものですから、静かにこうしてお待ち申し上げます故、お急ぎなくお越し下されませ、白骨の道は険しうございます――決してお急ぎには及びません、わたくしを雪の中に待たせて置いて、というお気兼ねは御無用にあそばしませ。今のわたくしは引返して、そちらまであなた様をお迎えに出る力こそござりませぬ、止まってお待ち申し上げるぶんには、いつまででも、日が暮れましても、夜が明けましても、月が終りましても、年が経ちましても、一生の間でも、ここにこうしてお待ち申しておりまする」