一
過ぐる夜のこと、机竜之助が、透き通るような姿をして現われて来た逢坂の関の清水の
その二人、どちらも小粒の姿で、ことによると子供かも知れない。石の階段をしとしとと下りて、鳥居のわきから、からまるようにして海道筋へ姿を見せた二人は、案の如く子供でした。いや、子供ではないけれど、ちょっと見た目には、子供と受取られてもどうも仕方がない。青年にしても、成人にしても、世間並みよりはグッと物が小さいのですが、事実上、子供でないことは、いま海道筋へ現われたところを、もう一応とくと見直しさえすれば、すぐにわかることで、第一、この夜中に子供が二人で、こんなところを夜歩きをするはずがないではないですか。
前なるが
今日この頃は、京洛の天地に入ることの容易ならぬ危険性を帯びていることは、この二人も知らぬはずはあるまい。まして深夜のことです。今も深夜ですから、この歩調で歩いて行っても僅か三里足らず、京洛の天地は、やはり深夜の眠りから覚めてはいないはず。そうでなくても、海道筋の夜の旅はきつい。打見たところでは、有力な公武合体の保証があるというわけでなし、奇兵隊、新撰組の後ろだてがついているというわけでもないが、こういう人柄に限り、後ろから、オーイオーイと呼びかけて決闘を
「弁信さん、イヤに明るい晩だなア、お月夜でもなし、お星様もねえのに、イヤに天地が明るいよう」
と後ろなるが呼びかけたのは、宇治山田の米友でありました。
「はい」
と、それを直ぐに受答えたのは、
さては、御両人であったよな。グロの友公と、お
驚いてはいけない。二人ともに足が地についている。決して、妖でもなければ怪でもない。弁信が先に立って、米友が後ろについて、二人連れでここまで来たのですが、今ぞ鳴くらん
人によっては歓迎をしない限りはないのに、物々しく、無言の行をつづけて来たものですから、人が、なあーんだと
それのみではない、この二人のいでたちが、今晩は少し変っているのであります。
二
どう変っているかと言えば、今晩は弁信が笠をかぶっている。墨染の
一方、宇治山田の米友に至ると、めくら
最初、伊勢の国から
二人が二人であるとわかってみれば、二人が二人であることに異議はないのですが、二人が二人ながらどういう径路をたどって、ここまで歩いて来たかということには、なお多大な問題が残されていると見なければなりません。
よって念のために、大菩薩峠の「農奴の巻」までさかのぼって、それを検討してみますと、弁信法師は、長浜から
弁信法師が、
何がさて、笠のことや、琵琶のことはどうありましょうとも、二人がこうして無事であっていてくれさえすれば、よいではありませんか。
三
そこで、米友の方から沈黙の第一声を破って、「弁信さん、イヤに明るい晩だなア、お月夜でもなし、お星様もねえのに、イヤに天地が明るいよう」と呼びかけてみたところで、これは弁信にはこたえられまい。明るい月夜であろうと、暗い闇夜であろうと、生れつき、明と暗とが不可分平等に賦与されてある弁信その人にとっては、現実には打って響く何物の経験がない、と見なければならない。では、「夢のような晩だなあ」と形容してみたところで、やっぱり弁信の感覚にはピンと来ないに相違ない。この法師には、明と暗とが不可分平等であるように、夢と現実との区別が、最初からはっきりとしていないのです。
よって米友の唱破第一声は、米友が米友としての詠歎に過ぎないのですが、それでも、その気分だけは弁信にもよくわかると見えて、それを素直に受入れて、「はい」と言ったきりで、明るいとも、暗いとも、夢に似ているとも、現実に近いとも、あえて肯否のいずれをも言明いたしません。やや暫く、足の方は小止みもないのにかかわらず、言葉がつづかない。
「はい」と言った応唱一声で、あとが続かない。この法師としては、また極めてめずらしいことです。本来ならば、沈黙は沈黙として、ひとたび舌根が動き出して、言説の堤が切れた以上は、のべつ幕なし、長江千里、まくし立て、おどし立て、流し立て、それは怖るべき広長舌を
それにも拘らず、米友は重ねて言いました、
「弁信さん、おいらは京都を見るのは、はじめてなんだぜ」
「はい」
「おいらは伊勢者で、
「はい」
「東海道を下る時は一人だったんだ、
「はい」
「それからお前、一度、甲州という山国へ入り込んで、あすこの生活を少し味わったよ」
「はい」
「それから、また江戸へ帰ると今度は、道庵先生のおともをしてこっちへ来ることになったんだ、来る時は東海道を来たけれど、帰る時は木曾街道というわけなんだ」
「はい」
「お前も知ってるだろう、あの先生は世話の焼ける先生とっちゃあ」
「はい」
「それがまた、近江の胆吹山というところから道庵先生と離れて――おいらはお銀様のお附になったんだ」
「はい」
「そのまたお銀様というあまっこが、イヤに権式の高えあまっ子でな」
「はい」
「道庵先生は、親方のお角さんとおいらとを乗換えて、別々に上方行きということになったんだが、おいらは弁信さん、お前と一緒に都入りをしようとは思わなかったよ」
「はい」
何を言っても、はいはいだから、米友が少しお
「弁信さん、何と言ってもはいはいでは、あんまり気がねえじゃねえか、ちったあ張合いのある返事でもしな」
「そういうわけではありませんのです、米友さん、悪くなく思って下さいな」
四
「お
「では、米友さん、お話し相手になって上げますから、もっとお話しなさいな」
改まってそう言われると、さて何から話し出していいか、米友が少しテレる。
米友が少しテレたので、弁信が
「米友さん、私は今、考え事をしていたところなんです」
「何を考えていたんだ」
「いろいろのことを」
「いろいろのことと言えば……」
「それは世間のことと、出世間のことと――人間並みに申しますると、眼で見える世界のことと、眼で見えない世界のこととを考えておりました、人間並みではこれが二つになりますが、私にとっては一つなのです、私の眼には一切が見えない世界のみでございまして、見るべき世界がございません、ですから一つです、見える世界、見えない世界と、事わけをするのは、人間並みに五体整っている人のすることでありますから、私は仮りに世間のこと、出世間のことを二つに分けて申してみました」
さあ、むつかしくなり出した。これからの
だが、こちらもさるもの、一向にひるまない。
「二つにでも、三つにでも、わけて見ねえな」
世間とは何で、出世間とは何だと、野暮な追究を試みるようなことをしないで、三つにでも、四つにでも、千万無量にでも、分けられるものなら分けてみねえなという度量を示したものですから、弁信もさもこそとうなずきました。
「では、その世間の方から申してみますると、米友さんも御承知でしょう、今の世間は一方ならず騒がしい世間ではございませんか」
「騒がしいよ」
と米友が言下にうなずきました。
「今日の世界が、騒がしい世界でございますことは、米友さんにも充分おわかりのことと思いますが、それでは何が騒がしいとお聞き申してみたら、さすがの米友さんも返答にお困りでしょう」
「そうよな、騒々しい世間じゃああるけれど、何が騒々しいと聞かれると、ちょっと挨拶に困るなあ」
「その通りでございます――私たちの周囲に何の騒がしいことがございますか、後ろを顧みれば、逢坂、長良の山々、前は東山阿弥陀ヶ峯を越しますると京洛の夜の世界、このあたりは多分、山科の盆地、今の時は
「誰も騒ぎゃしねえけれど、天下がいってえに騒々しいんだよ」
「なるほど、天下と申しますると、
「何を証拠ったって、お
米友が、そこで時代ばなれのした裁判官を引合いに出さなければ、そろそろ受けきれない事態に追い込まれて来たことがわかります。さりとて、弁信は、ソクラテス流の産婆術を以て、米友を苦しめんがために検問をかけたのではありません。自分の喋りまくる順序としてのプロローグに過ぎないのですから、直ぐに取ってかわって言いました、
「つまり、目に見える世界が騒がしいのではなく、目に見えない世界が騒がしいから、それで、なんにも知らぬ米友さんの
弁信が物々しく、あらぬ方に向って拝礼をしました。
五
こうして、二人は前後して歩きつつあります。
本来ならば眼のあいた米友が先導をして、眼の見えない弁信がこれに従って行かなければならないのですが、この場合、絶えず弁信が先に立って、米友がついて行きます。言わず語らず、その超感覚に依頼しているものでしょう。
「だがなあ、今夜ここんところは静かだけれど、世間一体が静かというわけにゃいかねえなあ、江戸は江戸で貧窮組が出る、押込み強盗がはやる――辻斬りもたまにはある」
これは、この男の生々しい体験でありました。
「近江の国へ来て見れば
と米友が附け加えたのは、体験から来るところの感覚なのであります。それを弁信が抜からず引きとって、
「その通りでございます、米友さんのおっしゃることに間違いはありません、ですが、米友さんはやっぱり、目を持っておいでですから、二つの世界にわけて見ることができるんですね、米友さんの眼でごらんなすった関東関西いったいの騒々しさと、今そういう騒々しさから全く離れて見ましても、なお、その心の騒々しさを感覚の上に残して、
そう言うと、米友が存外
「なんしろ、弁信さんに逢っちゃあかなわねえよ」
と言いました。
それは、ヒヤかしと茶化しの意味で言ったのではありません。引きつづいて米友が言うことには、
「てえげえの人は、この目で見る世界のほかに世界はねえんだ、目でめえるもののほかにこの目で
とあっさり米友が
さればこそ、この
「米友さん、
「提灯なんざあ要らねえよ、今も言う通り、今夜は月も星もねえけれど、イヤに明るい晩なんだ、おいらは提灯は要らねえ」
米友が提灯の必要なくして、道が歩けるくらいなら、まして
「いいえ、私共は要りませんにしても、向う様が――向う様がそそうをなさるといけません、向う様のお邪魔にならないまでも、無提灯で人里を歩くのは礼儀にかないません、つけて参りましょうよ、あの大谷風呂でお借りした提灯を――」
「無提灯で歩いちゃあ礼儀に欠けるというのは、どういうわけなんだ」
「昔、江戸では
「そういうわけなら、大谷風呂で借りた提灯を
そこで米友が、腰にくくりつけていた一張の弓張提灯を取りおろして、
六
提灯に火をつけたのも、その持役も、同じく米友でありましたけれども、この提灯持は、世間常例の如く先に立つことをせず、一足あとから、例によってはったはったと歩いて行きます。
如法暗夜ではない、如法朧夜といったような東海道の上り口を「山科光仙林」の提灯が、ゆったりゆったりと渡って行く。
逢坂、
「やあ、何か唄が聞えるぞ」
と、
「そうですね」
米友の耳に入るほどの音声で、その以前に弁信が聞きとめていないはずはありません。
「盆踊りかね」
「今はその季節ではありませんね」
「念仏講かな」
「そうでもないようです」
「
「そうでもありません」
「鳴り物が入ってるな」
「はい」
「やあ、
米友は、そこに暫く立ち尽して、耳朶に手をあてがったまま、心耳を澄まそうとしました。弁信も否み兼ねて、同じように立ちどまって、米友が歌の文句を耳にしかと聞き納めるのを待っている。
ややしばし、
宮さん
宮さん
お馬の前の
ピカピカ光るは
何じゃいな
あれは朝敵
征伐せよとの
錦の御旗 じゃ
ないかいな
トコトンヤレ
トンヤレナ
「威勢のいい唄だよ」宮さん
お馬の前の
ピカピカ光るは
何じゃいな
あれは朝敵
征伐せよとの
錦の
ないかいな
トコトンヤレ
トンヤレナ
米友が附加して言いますと、弁信は先刻心得面に、
「あれは軍歌というものです」
「グンカてえのは?」
「兵隊さんが、声を
「そうすると、その兵隊さんが向うから、やって来る、弱ったなあ」
と、米友がここでガラになく弱音を吹きました。弱ったなあ、と言ったのは、何が弱ったのだかよくわかりません。よし、軍隊が繰出して来るにしてからが、それは歌詞にもある通り、朝敵征伐せよとの
「米友さん、心配なさりますな、あれは少々遠方で調練をしているのです、こっちへ来る気づかいはありません」
と言ったのは、弁信には、弱ったなと言う米友の心持がよくわかるからです。もし、調練の軍隊があの勢いで、こちらへ向って繰出して来た日には、弁信、米友の行先と正面衝突にきまっている。こちらでは衝突するつもりはないけれども、すべて公儀及び官僚の相手は米友にとっては苦手である。彼は今まで、そういう権勢と衝突しなくてもいいところで衝突し、誤解を受けなくても済むべきところを、誤解へ持ち込んでしまっている。最近、このつい隣国で、これがために重刑に処せられんとして、危うく一命を救い出された、いわば兇状持ちにひとしい身になっている。公儀及び官権を肩に着たものは苦手である。なるべくはこれと逢いたくない、できるならば逃避したい、という心持すらが、今の米友には充分に保有されている。それですから、弁信から、その危険の前進性なきことを保証されてみると、弁信の保証だけに信用して、ホッと胸を
「ドコで調練やってるんだい」
「あれはね、そうですね、鳥羽伏見あたりで歌っているのですよ、練習のために停滞して歌っているので、前進の迫力を持って歌う声ではありませんから、安心なさい」
「そうかね」
そこで、再々安心して、行手に向って歩みをつづけましたが、その軍歌の声は、いよいよあざやかに耳に落ちて来る。弁信の言うには、一所に停滞した声で、前進の迫力の声ではないとのことですけれども、米友の耳で聞くと、刻一刻に自分の耳元に迫って来て、いよいよ近づいて、いよいよ
「弁信さん、大丈夫かエ、軍歌が、だんだんこっちへ近づいて来るような気持がするぜ」
「え、それは耳のせいと、風向きのせいでございましょう、実は以前と少しも変っておりません、鳥羽伏見あたりで稽古をしているのでございますよ」
「鳥羽伏見てのは、いったい、ドコなんだ」
弁信が、ひとり合点で言うものですから、米友が、
ところで、二人は追分から、右へ伏見道へそれず、山科に入り、四宮、十禅寺、御陵、日岡、蹴上、白川、かくて三条の大橋について、京都に入るの本筋を取るつもりであろうと思われます。
七
二人の立っている地点から見ると、後ろは逢坂の関から比良、比叡へ続く峯つづき、象ヶ鼻、接心谷、前は音羽山、東山、左へやや遠く伏見の稲荷山、桃山――その間の山科盆地をさまよっている。京の中心へも程遠からぬところ、東山を打貫きさえすれば、鳥羽も、伏見も、つい目と鼻の先にはなっているが、かくまではっきり軍歌の歌詞までが受取れるほどの地点とは思われぬ。だがこの場合、弁信の錯覚があるとないとにかかわらず、米友は一応その説明に満足し、また満足するよりほかに地理の観念を持たない身は、それに聴従するよりほかはなく、相ついで歩いているが、関の明神を出てからでも、もういく時にもなるのだから、相当道のりも
宮さん
宮さん
お馬の前の
ピカピカ光るは
何じゃいな
あれは朝敵
征伐せよとの
錦の御旗じゃ
ないかいな
トコトンヤレ
トンヤレナ
の軍歌は、いよいよ宮さん
お馬の前の
ピカピカ光るは
何じゃいな
あれは朝敵
征伐せよとの
錦の御旗じゃ
ないかいな
トコトンヤレ
トンヤレナ
トコトンヤレ
トンヤレナ
と伴奏しはじめたかと見ると、興に乗じたか、提灯を地面に置いて、自分は道のまんなかに踏みはだかり、手にした例の振杖ではない杖槍を取って、中空に投げ上げ、それが落ちかかるやつを手早く取って受けては、またクルリと中空へ投げ上げる、右へ泳ぐのを左で受けたり、左へ流れるのを右で受けたりして、トンヤレナ
トコトンヤレ
トンヤレナ
とはしゃいでいる。トンヤレナ
それに頓着をしない弁信は、委細かまわず突き進んで、やがて本街道から外れて、とある
弁信の姿が藪の中にすっかり没入したが、海道に踏みとどまる米友は、杖槍を中空にハネ上げたり、受け止めたり、ひとり
ひとたび藪蔭に身を没した弁信は、容易に姿を現わして来ない。
にも拘らず、米友が手練の入興はようやく
トコトンヤレ
トンヤレナ
口合いの口拍子だけは、いっかな変らない。惜しいことに、今晩もまた、無料無見物の中に、得意の秘術をほしいままに公開している、その陶酔境の真只中へ、トンヤレナ
「米友さん、わかりました」
弁信が、竹の小藪の蔭から抜からぬ
八
しばらく弁信法師に導かれて来て見ますると、久しく閉された柴の門に、今日この頃ようやく手入れをして、いささか人の住める家としたらしい、その前へ来ました。近よって米友が門の柱を見ると、三寸に四寸ほどの門札のまだ新しいのがかけられたのへ、提灯を振りかざして見ると「光仙林」――それは自分の提灯に記された文字と同じであることを知りました。
そこで来るべきところへ来たという安心がありました。
その門をくぐって、屋敷の中へ入って見ると、広いこと、門の外も同じ原っぱならば、門の中もまた同じような原っぱ。
さすがに門の外は、
「ずいぶん広い屋敷だ」
と、歩きながら米友もひそかに舌を捲いたくらいだから、門を入ってさえドコに人家があるのだか容易にわかりません。
「光仙林」ていうから林の名なんだ、だが門があって、表札が打ってあるからには、人の住むべき構えがなければならないということを、強く予想しながら、弁信にまかせて従って行くと、果して、一口の
そこへ来て見ると、何よりも人の住んでいることに間違いのないという証拠は、
「御免下さいませ、関守様はこれにおいででございますか」
と案内を
関守といえば、その人の固有の姓、たとえば関口とか、関根とか、関山というような種類のものでなくて、関を守る人という意味の特別普通名詞であるに相違ない。
してみると、中なる人を関守氏と呼んだ以上は、ここは関だ、つまりお関所なんだ。お関所は幾つもある、東海道の箱根のお関所をはじめ、米友にはいくらもこれが出入りの体験がある。中仙道に至っては、道庵先生の従者として
「弁信殿か、よく無事で見えられたな」
障子のかげから、こっちへ姿を現わしたその人は、思いきや、関守には関守だけれども、不破の関守氏でありました。
九
不破の関守氏ならば、米友も旧識どころではない、つい近ごろまで、胆吹の
しかし、米友としては、向うでお化けに逢って、それを突き抜けて来たら、またここで同じお化けに出逢ったような気持で、出し抜かれた上に、先廻りをされて、ばあーっと言われたような感じがしないでもありません。
だが、そういうことは、弁信が先刻心得面であるから、米友はまず提灯をふき消すだけの役目をすると、人をそらさない関守氏は、
「友造君、よく無事で見えられたな」
と、弁信に対すると同一の会釈を賜わりました。ただ一方には弁信殿とかぶせたのに、今度は友造君と前置きをしただけの相違で、あとの会釈は一字一句も違わない音声と語調でありましたから、米友も納得しました。もし、これがいささかでも相違して、弁信に対しては客分、米友に対しては従者あつかいの待遇でもしようものなら、この男として、相当不快な感情を表わしたに相違ないが、その辺の呼吸は心得たもので、関守氏は一視同仁の会釈を賜わったのみならず、弁信を招ずるが如く米友をも招じ、二人ともに無事このところへ安着を賀する心持に優り劣りはなく、果ては二人のために
そもそも、この人と、それから青嵐居士との二人に助けられて、農奴として斬らるべき運命の身を
してみれば、二人をまたあの島から、この谷へ移動させるまでに
やがて、不破の関守氏は二人を炉辺に招じて、ふつふつと湯気を吐きつつある鍋の前に坐らせました。無論、自分もその一方の、熊の皮か何かを敷いた一席に座を構えているので、あたりを見れば
その見台の上にのせてある書物を「孫子」だなと、米友が
ここへ来たのはホンの昨今であろうのに、もう十年も住みわびているような気取り方が、米友にはまたいささかへんに思われる。
加うるに
かく甲斐甲斐しく炉辺の座に招じて置いてから、不破の関守氏は、
「君たち、まだ夕飯前だろう、何もござらぬが手前料理の有合せを進ぜる」
と言って、膳部を押し出したのを見ると、お椀も、
「さあさあ、お給仕だけは御免だよ、君たち手盛りで遠慮なく食い給え、米友君、君ひとつ弁信さんに給仕をして上げてな、食い給え、食い給え」
鍋の
お膳の上を見直すと、
「さて、食事が済んだら、弁信殿は女王様がお待兼ねだから、あちらの
さては女王様、即ちお銀様もここに来ているのか――いずれも熟しきった一味の仲間でありながら、米友はここにも、化け物が先廻りをしている、ドレもこれも化け物だらけという気分で、おのずから舌を捲きました。
自分がドノくらいの程度の化け物だか、そのことは考えずに……
十
やがて弁信法師だけが案内を受けた、この屋敷の母屋というべき構えは、平家建の低い作りではあって、すべて光仙林のうちに没却してはいますけれども、内容の
光悦筆と
「
「あ、そうですか」
とお銀様は、しとやかな言葉で、この法師を待受けました。
「お嬢様、弁信でございますが、はからぬところでお目にかかります」
「友造どんは、どうしました」
それを不破の関守氏が引きとって、
「あれも一緒に、無事これへ着きましたが、食事を済ませまして、とりあえず弁信殿だけをつれて参りました」
「弁信さん、そこへお坐りなさい、そうして今晩は、ゆっくりあなたと話がしたい」
「いずれ、急がぬ身でございますから」
「では、拙者に於てはこれにて御免――」
不破の関守氏は弁信を置きっぱなしにして、自身のわび
お銀様の経机に向った周囲を見ますと、幾つかの封じ文が、右と左に置かれてある。机の上にも
お銀様のお手前は本格であります。珍しくも手ずからお茶を立てて、弁信法師をもてなそうとするのであります。
「一つ、召上れ」
ふくさに載せて、わざわざ弁信の前に置かれたものですから、この法師もいたく恐縮しました。
差出された茶碗を見ると、これも光悦うつし、いや、うつしではない、光悦そのものの肉身の手にかけて焼き上げたもの――むやみに、うつしうつしと口癖になってしまってはお里が知れる。
「これはこれは、痛み入った御接待にあずかりまして」
例によって物堅い弁信法師の辞儀、お手前ともお見事とも言わないで、御接待と言いました。そうしてその言葉にかなう
「お願いには、もう一椀を所望いたしとうござります」
お銀様はそれを喜んで、更に一椀を立てて弁信に振舞いました。
それを快く喫し終った弁信が、澄ました
「たいそう落着いたお
「これが弁信さん、山科の光悦屋敷と申しまして、今度、わたしが引取ることになりました」
「あ、これがお話に承った光悦屋敷でございますか、そうして、居抜きのまま、そっくりあなた様がお引取りになりました、それは結構なことでございます、おめでたいことでござります」
「父が欲しいと申しましたが、わたしが引取ることになりました」
「ああ、そのお父様のことでございます、はるばる甲州路から京大阪の御見物と申すは附けたりで、実はあなた様を見たいばっかりで、おいであそばしたそうでござりまするな、お会いになりましたか」
「会いました」
「それは功徳をなさいました、本来ならば、子が親を見つがなければならないのに、あなた様ばかりは、親御にそむいた罪が重いにかかわらず、それでも、親は子を思いきれないで、わざわざこの上方まで見においでになる、それなのに、会うの会わぬのとおっしゃる、あなた様の御了見が間違っておりましたが、これは今更申し上げたとて甲斐のないことでございます、ともかくも、首尾よく御会見になりましたとやら、それはそれは何よりの
「いいえ、別に、嬉しくも、おかしくもありませんでした、でも、会って悪いことをしたとは思いませんでした」
「そのはずでございます、子が親に会うのが何で悪いことでしょう、お父上様のおよろこびが察せられます。して、久しぶりで親子御対面のお
「別に細かい話はありません、引合わせる人たちが立会の上で、大谷風呂の一間で会見を終りました、万事は不破の関守殿や、あのお角さんという仕事師が心得ているはずなのです、わたくしはただ大体だけの
「その大体だけの受答というのが承りとうござります」
弁信法師は
十一
お銀様は、それを悪く謝絶をしませんでした。かえって、快く、むしろ弁信にも渡りをつけて置いてみたいような気持で、
「父は第一に、有野の藤原の家のあとをどうするかということを、わたしに責めました、あの家の血統といっては現在わたし一人、そのわたしが、こんなような人間ですから、家の存続ということが、父の死後までの関心第一である限り、その相談――ではない、
「と申しますると?」
「つまり、血統唯一の本筋である私というものが、家督の権利を
「それも道理でございます」
「無論、わたくしに異存のありようはずはございません、
「それは、理非はとにかくに、あなた様らしい御返事でございました」
「しますとね、父が、よろしい、では、こちらのめがねで、しかるべき人を見立て、それに藤原家一切を引渡してしまっても、後日に至ってお前の文句はあるまいなと、駄目を押しますものですから、ええ、文句や未練などがあるべきはずのものではない、お父様のおめがねに
「なるほど、それも、まったくあなた様らしいお気持であり、あなた様らしい御返事でございます」
「その次に、財産の話が出ました、父が、念のために藤原家の現在の財産――土地家屋から、金銀宝物に至るまで、総計これだけあるから、念のために覚えて置くがよろしいと、番頭にその記入帳を取り出ださせ、それを私につきつけて説明をなさろうとしますから、私は、いいえ、すでに家督を抛棄したものに、何の財産の知識が要りましょう、捨てた本家の
「それは、あなた様は済んだとお思いでしょうが、お父様は、この解決に、容易ならぬ不本意でございましたでしょう、でも、それよりほかになさりようのないお心持が、わたくしにもよくわかります」
「あなたには、父の心持はよくわかるかも知れませんが、私という女は、わからない女なのです」
「いや、わかり過ぎておいでになる――」
「いいえ、わかりません、わたしという人間は、天地間第一等のわからず屋でございます、それでいいのです」
お銀様の言葉が少し
「それで、なんでございますか、あなた様の代りにお家をおつぎになる相続人、果してお父様のおめがねに叶うお人がありまするやら、その辺に立入っての御相談はございませんでしたか」
「ありました」
お銀様は、きっぱり答えたので、弁信法師も少しくはずみました。
十二
「そのお方はどなた様ですか、あなた様の御親戚のうち、或いはお知合いの方で、まずあれならばと
「いいえ、ちっとも知らない人です、なんでも連れ子をして、このごろ家に
「あなた様のお名前を書き、血判までしておやりになりましたならば、その証文面をイヤでも一応はごらんになりましたでしょう、あなた様に
弁信法師が念を入れて、根深くたしかめようとすると、お銀様が、
「本人の名は、与八とだけ書いてあるのを見ました、その傍に並べて、
「何とおっしゃいます、与八に、郁太郎――」
そこで、物に動ぜぬ弁信法師の語調が、いたく昂奮したような様子が歴々です、お銀様は言いました、
「わたしは、与八がどういう人で、郁太郎という子が誰の子だか知りません、知ろうとも思いません、ただあの二人が、これから藤原の家を踏まえて、わたしに代ってあの家を立ててくれることを、御苦労だと思っています、いいえ、立ててくれるのか、つぶしてくれるのか、それも知りたいとは思いません」
そうすると、弁信法師が抜からぬ
「その与八さんとやらは、おそらく、お家をつぶしてしまうでございましょう、また、
「いったい、家を起すの潰すのということが、私にはよくわかりません」
「左様でございますとも、
「コケコッコー」
弁信法師の
ははあ、話は夜と共に深入りをしようとする時、はや世界は明け方に向ったのか。鶏の声々に引きつづいて、つい近い庭先で、一声のすさまじい犬の
そこで、この屋敷に相当
「犬がおりますな」
「ええ、強い犬がいます」
「誰か参りました」
「不破さんでしょう」
「いいえ、別の人です」
つついて、犬が立てつづけに吠える、その声は尋常の犬と違って、腹から出る音声を持っていて、この座の人の丹田にこたえるのみならず、おそらく、この静かな時、十町を離れたところでらくに聞き取れるほどの音量が、超感覚の弁信の耳に、いよいよこたえないはずはありません。
「変っておりますな、あの犬は、ただ犬ではありません」
「ただの犬ではありませんよ」
非凡なる犬といえば誰しも、ムク犬を思い出すが、ムクは今、太平洋の海の中にいるはずですから、まかり間違っても山科谷の間へ来るはずはありません。
ただ、お銀様だけが、ただの犬でないことを心得ているらしい。
鶏犬の声によって、この場の会話は
十三
一方、不破の関守氏は、米友を炉辺の対座に引据えて、これもしきりに物語りをしておりました。
不破の関守氏は座談の妙手である。これはお銀様のように、権威と独断を人に押しつけることをしないし、弁信のように、感傷と理論の
そのくらいですから、会話に興が乗っても、これが切上げの潮時をもよく知っている。この小男も相当疲れているであろうことを察して、程よく一室に入れて彼を寝かし、
「今、犬が鳴いたなあ」
犬ならば吠えるというのが正格であろうけれど、鳴いたと口走ったのは、それと前後して鶏の鳴いたその混線のせいかも知れません。次の間に寝ていた不破の関守氏も、もうこの時分、すっかり覚めておりました。
「誰か来たようだよ」
「いま犬が吠えたねえ、おじさん」
誰か来たか来ないか、そんなことは注意しないで、犬の音声だけが特に気がかりになるらしい。
「吠えたよ、だから、誰か人が訪ねて来たと思っているのだ」
「今の犬は、ただ犬じゃあない」
と米友は、ただこれ、犬にのみ執着している。
「ただ犬じゃねえ」
と不破の関守氏は、隣室から米友の
「すばらしい犬だ、起きたら君に見せてやる、それは二つとない豪犬だ」
「二つとねえ犬……」
「そうだ、朝の眼ざましにはあれを見てみるかい」
「早く見てえな」
米友は、たまり兼ねて、ハネ起きて、その犬を見たがる気配を関守氏が感じたものですから、
「まあ、待ち給え、逃げろと言ったって逃げる犬じゃない、起きてから、ゆっくり見給え」
「ただ犬じゃねえ、腹で吠えてやがる」
と米友は、半身を
だが、暫くして、犬の吠える声は全く止まり、鶏の鳴く声だけが連続して聞えました。犬の吠ゆるは非常をそそるけれども、鶏の鳴く音は、平和と、希望を表わすこと、いずこも変りません。
非常の
不破の関守氏も朝寝坊の方ではないが、米友ときては、眼がさめたら、じっとしてはおられない。関守氏は、やおら起き出でて、
山科の朝はしっとりと重くして、また何となく親しみの持てる秋でありました。
十四
かくて、宇治山田の米友は、光仙林の秋にさまよいました。
深山と幽谷の中にわけ入るような気分があって、心がなんとなく勇みをなすものですから、いい気になって、園林の間を歩み歩んで行くうちにも、我を忘れて深入りをしようとするわけでもない。
今日は、心置きなく自分の住宅区域の安全地帯に、誰
おそらく、自由という気持を、この朝ほどあざやかに体験したことはなかろうと思われる米友が、その自由の尾鰭を伸ばすには、かなり充分な面積を有するこの異様な光仙林の屋敷は、空気に於てあえて不足を与えない。
そこで米友は、いい心持で朝の散歩を思うままにして、どこにとどまるということを知らないが、さりとて、
「広い屋敷だな」
その屋敷は何万坪にわたるか、米友には目算が立たないが、向うの丘山を越えても、なお地続きに制限はないと思われる。地所に制限はないと思われるが、米友の心にはおのずから制限があって、あまり遠くへふらついて、関守氏を心配させては済まないという道義感がついて廻るから、暫くして、また取って返して、住居の方へ戻って来ると、ぱったりと物置小屋の隅に異様なものを認めて、
「あっ!」
と舌を捲き、その途端に、例によっての地団駄を踏みました。
いったん舌を捲いて地団駄を踏むと共に、彼は、それに吸いつけられたもののように、一足飛びに飛んで行って見ました。
物置小屋の傍らに、差しかけがあって、その下に、いる、いる、一頭の犬がいる。
しかも、その犬が断じてただ犬ではない。
「やあ、いたな!」
走り寄った
「やあ、いたな!」
彼が、
「やあ、いたな!」
犬の傍へ寄ると、犬がまた米友に飛びついて来ました。飛びついて来たからといって、この異様な珍客に争闘を
けれども、この抱擁が生やさしい抱擁でなかったことは、一見すると、米友がこの犬のために抱きすくめられてしまったとしか思われない。尋常ならば悲鳴をあげ助けを呼ぶべきほどの体制に置かれた瞬間、米友は更にひるむということを知らないで、抱きすくめられながら、それを抱きとめてあしらっている。
一見したばっかりの米友が、かくまで犬を愛するということは、犬にかけての天才であってみると不思議はないようなものだが、相手方の犬が、米友を一見しただけで、こうにも懐かしがるということは
本来、
人見知りをしない犬、節操を解しない犬、忠義ということを知らぬ犬、勇気なき犬、
そういうことを考慮に置かず、ただ見ていれば、何のことはない、その非凡犬と、小男とが、必死になって、組んずほぐれつしているとしか見えない。血こそ流さないが、血みどろで格闘しているとしか思われない。
ことに、この犬がただ犬でない非凡の犬であることの証拠としては、その大きさが、たしかに人間の二倍はあること。米友は人並よりずんと小粒ではあるけれども、それでも成長した人間であって、身長こそ四尺であるが、体重は十貫を下るということはないのに、犬はその面積に於て、米友を抱きすくめて存在を失わせるほどの体格があって、しかも全身が、猛獣のような
ムクも非凡な犬ではあったが、その体格の非凡さに於ては遥かにムクを
この無比の豪犬を相手に今、米友は組んずほぐれつしている。気が短くて、喧嘩っ早いにかけては名うてのこの小男は、ここへ来るともうこのザマだ。だが、格闘でも、喧嘩でもない、米友が犬を愛し、犬が米友に
同時にまた、米友の方でも、無意味にこうして愛着の組討ちをしているのではない、実はその愛情を事実に示そうとして、もがいているのです。というのは、この犬は首に鉄の
犬というものは
十五
米友が躍起となって、ねちこちしているところへ、不破の関守氏が現われました。
「友造どん、何をしている」
「犬を放してやりてえんだよ」
「よし、解放してやる」
不破の関守氏は近寄って、これは手に入ったもので、難なく鍵を外すと、豪犬が尾を振ってつきまとい、或いは人間の上を高く越えたりなどする。
「このお犬係りはおいらが引受けた、犬をならすには上手に放してやらなくちゃならねえ、犬は食い物より運動だ」
と米友が言いました。この男は、お君と共にムク犬を仕立てることに、永らくの経験があって、そうして成功している。犬は訓練をしなければものにならない、これを野方図にしないためには繋縛をして置かなければならないが、これを強健にするためには解放しなければならない。食物はむしろ第二、第三であることを知っていた。犬は食うことよりは、走ることを本能として先に要求していることを知っている。そこで、この繋がれたる豪犬を見ると、いちずに放してやりたくなった。放したところで、放された人を犬は忘れない、放した人もその責任として、放された犬の面倒を見てやらなければならない。犬を走らせるにしても、これを監督するの責任は人にある。そこで米友は、この犬を走らしめつつ、自分も少し走ってみたい気持になったのです。
不破の関守氏は、そのことを知っている。米友が犬を愛する性癖を、胆吹山時代から知っていて、時あってムク犬の昔語りを聞かされたことを覚えているから、そこで、この犬を解いて、しばらくこの男に無条件で托してみる気になったのです。
「君、珍しい犬だろう」
「全く珍しいよ、犬もこうなると猛獣だね」
「いや、いかに大きくても、やっぱり家畜は家畜だよ、人間に依存して生きるものだ、だが、依存される人間が位負けをすると、ものになるものもものにならない」
「その通り――」
と米友は得意気に叫ぶと共に、
「何て名なんだい」
「電光――デンコウという名だよ」
「デンコウか――デンコウ」
と米友は、その名を呼んで頭を
不破の関守氏はこの
「なるほど、君は愛犬家の資格を備えている、この犬が一見して君になつくんだからな、もっとも純日本産の犬と違って、あっちの犬は開けている」
「こりゃ、ドコの国の犬だい」
「これは、ドイツという国の種で、グレートデーンという舶来犬だそうだ、デーンだから、デンコウとつけたが、電光石火の如く走るという意味も兼ねている」
「あ、力がありやがる」
改めて米友は、縄をかけ外してみて、この犬の力量を認識する。
「あるとも、この犬が三匹いると、百獣の王なる獅子、あちらではライオンという、その獅子と取組むそうだよ、犬が二匹で大熊を退治るそうだ、まず犬のうちでいちばん強いのはこれだろう」
「どうして、どこから連れて来たんだ」
「これは泉州堺から売りに来たのだ、毛唐が黒船に載せて大切につれて来たのを、今度、国へ帰るので、もてあまし、引取り手を探した揚句が、ここの女王様のお気に入り、早速引取ることになったのだが、この通り可愛ゆい奴だが、いやはや、世話をする段になると並大抵じゃないぞ」
「そうかなあ――一番、責めてみてくれべえ、デン公、こっちへ来い」
米友が先に立って、走り試みると、豪犬が勇躍してそれに相従う。
かくて、この大犬と、小男とは、再び光仙林の林の中へ没入してしまいました。
不破の関守氏は、その後ろ影を見送って、ひとり
「物あれば人あり、いい時にいい人を与えられたものだ、デンコウのお相手はあれに限る、おかげで拙者も、お犬係りを免職になった、事実、これから、当分、あの犬の面倒を見なけりゃならんとすると、考えるだけでも大役だった!」
十六
走り去る小男と、大犬の姿が、光仙林の中に没入した後ろ影を、不破の関守氏は、ぽつねんとながめて、ひとり言を言っておりますと、後ろから、
「ヘエ、こんにちは、お早うございます」
いやにしらっぱくれた
「やあ、がん君ではないか」
「ええ、そのがんちゃんでげすよ」
「もう帰ったのか、なるほど早いもんだなあ、能書だけのものはあるよ」
「へえ、たしかにお使者のおもむきを果して参りました、
「親分親分言うなよ、人聞きが悪い、ああ、これがその青嵐氏からの返事――十四日
「いいえ、もう
「何も昨晩、この門前が格別やかましいこともなかったはずだ――ははあ、あの犬だな、今日の明け方、犬が吠え出したのが不思議だと思ったら、貴様がやって来たんだな、ああ、それでわかったよ、それそれ、それで犬が吠えたんだな、犬がこわくって、今まで近寄れなかったというわけだな、意気地がねえなあ、口と足は達者だが、肝っ玉ときた日にはみじめなものだな」
不破の関守氏からこう言ってからかわれたので、がんりきの百は躍起となって、
「いや
「そうだろう、犬に吠えられるような人相に出来ている。今のあの小男を見たか、あれは人徳を持っているから、犬もおのずから
「
「馬鹿野郎――それ、
かくして不破の関守氏は、がんりきの百蔵の手から一通の手紙を受取って封を切り、それを読み読み住居の方へ歩いて参りますと、がんりきの百も、笠を取り、ござを
「なんにしても、どちらを向いても
手紙をひろげて立読みをしながら、がんりきの言葉を等分に耳に入れている不破の関守氏は、
「御大相なことを言うなよ。だが、百姓一揆の
「まあ、お聞きなせえ、一揆の大勢がいよいよ胆吹御殿をめがけて、
「なるほど」
不破の関守氏は、手紙よりは会話の方に向って少しく等分が崩れる。がんりきは相変らず、自分の功名をでも
「根が百姓一揆でござんすからなあ、金と穀を眼の前に山と積まれた日にぁ、
「そんなことは、どうでもいい、青嵐の親方と、百姓一揆の結末を、もう少し話してみろ」
「胆吹御殿へ向っての打ちこわし騒ぎなんてのは、それですっかり解消してしまいまして、それから一揆共が、眼の前へ振り
こいつの報告にも、キザと誇張を別にして、筋の通ったところがある。
十七
さて、如上の事情によって綜合してみますと、伊太夫とお銀様の会見も、案外無事に済んで、家督の問題も、すんなりと解決したらしい。すんなりとはいえ、世間並みに解決したのではない、伊太夫が全くあきらめて、この
同時に、取巻共がしきりに伊太夫に向って
不破の関守氏が軍師ぶりは、いよいよこれから
その日中になると、不破の関守氏が、お銀様の居間をおとずれました。弁信法師は、すでに姿を消していずれにあるやを知らず、米友も、がんりきも、デンコウも、それぞれこの林内のいずれかに、落着くべきところに落着かせて置いて、関守氏が女王様の前へ伺候したのであります。
関守氏の手には、先刻がんりきの百の手から受取った青嵐居士の手紙の一通が、
「そういう次第で、天下の風雲がいよいよ急を告げて参りました、どのみち、この風雲は只では納まりませんな、どこまで惨害を産むか、どの辺で混乱を食いとめるかということが、今、天下一般の関心でしてな、これが観察も区々ではありますが、だいたい、大いに乱れるという者と、存外手際よく時代が打開されるとこう見るものと、二通りございます……左様、我々の見るところでは、一度は大いに乱れるのじゃないかと、ひそかに憂えてみる次第なのですが、どんなものでございますか……」
これは天下の形勢を見立てるので、閑談としては
「一度は大いに乱れて、それからどうなります、乱れっきりで応仁の乱のようになりますか、それとも早く治まって……」
とお銀様は、関守氏の答案に追究を試みてみました。
「左様、いったんは大いに乱れて、それから後がどうなりますか、そこにまた深い観察が必要になって参りますな、仮に王幕相闘うこと、鎌倉以来の朝家と武家との間柄のような状態に立ちいたりましても、それからどうなりますか、容易に予断を許しません、勤王の方は、西南の雄藩が支持しておりまして、これが関ヶ原以来の鬱憤を兼ね、その潜勢力は容易なものではありません、幕府の方は、なにしろ二百数十年の天下でも、人心が
と関守氏は能弁に語りましたが、これは関守氏を待って、はじめて下さるべき卓抜の見識でもなんでもありません。
当時のすべての人は、このぐらいの憂慮と見識とを持っているに拘らず、物語の順序として、この常識の前置きから始めたものでしょう。そうするとお銀様が一度はうなずいて、それから一歩を進ませました。
「二大勢力というけれど、今日は鎌倉時代の昔、王家と武家という単純な二つの区別だけでは済みますまいね、大義名分からしますと、その二つしか差別はないようでありますけれども、今はこの二つの大きな勢力のほかに、また一つの見のがしてならない大きな力があります、それは外国の力ではありません、国内だけに限っての見方としても、勤王と佐幕のほかに、見のがしてはならない大きな勢力があることを忘れてはならない、とわたくしは思います」
お銀様から、改まってこう見識を立てられると、不破の関守氏が、いささか当惑してしまいました。
十八
勤王、佐幕の二大勢力のほかに、隠れたる一大勢力とは何ぞ、これを外患とせずして、国内だけに見ると、何と表明してよいか、実質的に言えば、関守氏ほどの聡明人が、感得しないはずはありませんが、それを瞬間に答えることに戸惑いをしたものです。
「その隠れたる一大勢力とは、何を指しておっしゃいますか」
「それは言わずと知れたこと、経済の力なのです、砕けて言えばお金持の勢力なのです、勤王にも、幕府にも、武力はありましょう、人物もありましょう、
「
不破の関守氏がお銀様の見識に、即座に膝を打ったことは申すまでもありません。お銀様はちっとも騒がず、おもむろに数字を以て、当時天下の長者といわれる家々の実力を、実際の上から論歩を進めて参りました。江戸で三井、鹿島、尾張屋、白木、大丸といったような、大阪で
「それですから、ここに相当の金力の実力を持っている者がありとしますと、たとえば三井とか、鴻池とかいう財産のある大家の中に、先を見とおす人があって、これは東方が有望だ、いや西方が将来の天下を取るというようなことを、すっかり見とおして置いて、そのどちらかに
「御説の通りでございます――そこで、金持に見透しの
不破の関守氏が、つまり今までの形勢論は、話の筋をここまで持って来る伏線でありました。
事実上、この怪婦人は、今や相当大なる財力の主人としての実力を持っている。この実力をいかに行使せしむべきかが、関守氏の腕の振いどころでなければならぬ。
しかし、お銀様としては、極めて虚心平気な答弁を以てこれを受け止めました。
「わたくしは、ドチラにもつかないつもりです、わたしはヤマを張って、目の出る方へ
「拙者の本志もそこにあるのでございました、あなた様が、父上から得られた新たな財力の保管と、その使用方法に於ては、私にも重大な責任もあり、同時に遠慮なく申しますと、相当の興味も持っているのでございまして、財を保護するは当然だが、同時に、これを殺してはいけないということも考えまして、それで、あれよ、これよともくろんだり、計算したりしてみましたが、その計画のうちの一つを、御参考までにここで申し上げてみたい、無論、御採用になるとならぬは、あなた様の
「遠慮なく申し聞かせていただきます」
「まず、この山科の光悦屋敷、改めて申しますと光仙林をお手に入れましたのを機縁と致して、こういったような計画はいかがでございましょう」
光仙林をお銀様の手に
十九
ここで、不破の関守氏の提案というものは、次のような内容でありました。
この山科屋敷が手に入ったを機会として、ここで国宝、或いは重要美術に準ずる書画と
それというのも、前提の天下の形勢論が、やはり基礎を致しているのでありまして、どのみち、天下が大いに乱れる時は、京都の地がその颱風の眼になることは、日本の従来の歴史を見ても明らかな事実である。天下が大いに乱るる時は、人民の生命財産が保証されないことも当然明白である。親しく身を兵刃の中に置くことは武士のつとめである。地方の人民は、この武士に兵糧軍費を提供したり、徴発されたりする。工人は、その武士に武器と武装を提供することに忙殺される。そこで商人もまた、その害と益とを受ける方面が出来てくる。兵は戦うことを主とし、人は生きんことを主とする。治まれる御世に於ては、人の生命は衣食住によって保証されるけれども、戦乱の時はまず住を失い、次に衣を失い、最後のものが辛うじて食にありついて生きようとする。
生活に直接したもののほかは顧みるに
こうして、あらかじめ、国宝と、それに準ずる重要美術品を集めて置くことは、つまり、国家に代ってこれを保護する役目にもなる。関守氏としては、個人の趣味を満足せしめ、その蒐集慾を満喫することになるのだが、その結果は放漫に終るのではない――ということを能弁に任せて、こまごまとお銀様に向って説き立てるのであります。
それがわからないお銀様ではない。関守氏の提案はことごとく嘉納せられて、女王はその財産の若干をこれに向って支出することを
そこで、関守氏も大いに会心の思いをしました。
今までは自分の小使銭をやり繰って、相当掘出し物をして喜ぶ程度の趣味慾でありましたが、今度のは少なくとも国家的の見地から、潤沢な資本を擁して、大量買収を行うことができるというものである。もとより、
ですから、一朝資本が
こうして、お銀様に進言をして嘉納された関守氏が、御殿を出て来ると、そこで、接心谷の方へ、とぼとぼと歩んで行く弁信法師を発見しました。
二十
山科の里に於てこそ、こういう閑居も有り得るし、閑談も行われるのでありますが、ホンの一歩を京洛の線に入れると、天地は
悽愴と言ったところで、それは天が悽愴で、地が殺気を含んでいるだけで、人家並みには何の異状もないのです。異状がないのみか、見ようによっては、京洛の天地に人間景気が湧いている。心ある人は世の成行きを憂えもし、怖れてもいるけれども、京都が歴史に現われた時のように、保元平治の恐怖時代でもなければ、木曾乱入の壊滅状態に陥っているわけでもなし、また、応仁の乱の前後のように、都の中が兵火で焼却され、八万二千の餓死者が京都の市中に
そうして景気というものの前兆も、現証も、まず花柳界に現われたものだから、京都の
そこで当然、日本色里の総本家と称せられた島原の
しかし剣術の方は知らないが、学問だけはなかなかある。ちょいちょい脱線したところを見ると、洋学がかなり達者なようである。多分その洋学で、多分の
この男は、勝負事――といっても当事流行の真剣白刃のそれではない、一月から十二月までの花と花とを合わせて遊ぶ優にやさしい勝負事が大好きで、勝った時はいいが、負けてすっからかんになると、ドタン場で自慢の「村正」を投げ出し、さあ、これを
この村正が、角屋の新座敷へ、今日は多くの
雛妓に、話したいことを話させて、自分がそれを聞いて興に
「さあ、今晩はみんなして思い入れ怖い話をしてごらん、そうして、一つ怖い話をしたら
「まあ、怖い」
「いちばん怖い話をした人と、それからいちばん上手に花籠を置いて来た人に、村正のおじさんが、すてきな
「わたし、怖い話を知らない」
「わたし、怖いところへ行けない」
「怖い話って、お化けのことでしょう」
彼等は、村正のおじさんの懸賞には相当気乗りがしているけれども、怖い! お化け! となると尻ごみをしないのはありません。
「意気地がないね、そんな意気地のない話で、よく
「でもねえ――人間と化け物とは違うわよ」
「そうよ、人間と化け物とは違うわよ」
「でも、化け物に取って食われたという人はあるまいが、壬生の浪人に斬られたという人は山ほどある、その壬生の浪人を相手にして少しもこわがらないお前たちが、ありもしない化け物を怖がるとは理に合わない」
村正のおじさんからからかわれて、はじめて一人の雛妓が、
「ああ、わたし、怖い話を知ってるわよ」
眼のすずしい、丸ぼちゃの可愛らしいのが、声をはずませて
これらの子供は島原の太夫の卵と見るべきものだから、その言葉も優にやさしい京言葉でなければならないが、ここは新座敷のことだから、新しい形式の、ほぼ標準語で、あどけない話しぶり。
へたに、どす、おす、おした、おへんの語尾を正し、だをやとし、せをへとしたり、京言葉を
二十一
「九重の太夫さんが、自害をなされたお話、それとあの――
一人の可愛ゆい
「さあ、怖い話の皮切りが出たな、すると、花籠を持って行くのは誰?」
「いや!」
子供の残された全部が否認を唱える。
「いやとは言わせぬよ、さあ、この籤をお引きなさい、短いのを引当てた人から順、いちばん長いのを引いた人がいちばん最後、中途で逃げた人はあとでお
「そんなお腰の物なんていらないわ、女が大小をいただいたってなんにもならないわ」
「では、第一等に懸賞金五両――では安いかな、よし、拾両」
と言って、幾ひらかの黄金のまぶしいのを白い紙にのせて、そこへ置くと、これにはさすがに誘惑の色が動いてくる。まことに
「第二等賞には、
いずれをいずれとしても、彼等の誘惑の好餌ならぬものはない。でも、さすがに、御褒美に目がくらんで、手のうらを返すように主張を翻したとあっては、この里の名折れ、女の意地の恥とでもいったようなみえがあってか、
「さあ、
「では、あなたお先に」
「いいえ、あなたから」
「あたし、長いのが当りますように」
「あたし、籤のがれの神様がお立ちなさいますように」
「あたし、いちばん長いの、でなければ、その次の長いのを下さいますように、妙見様」
こんなことを言いながら、一本抜き、二本抜き、とうとう十二本のこよりの籤が残らず、おのおのの舞子の手に渡りました。
「ああ、朝霧さんがいちばん短い」
「夕陽さんがいちばん長い」
当座の運命の神様の手に
すでにのがるべくもないと自覚されてみると、いまさら愚痴と不平とは禁物であって、おのおのその運命に懸命の努力を以て追従せんとはする。
そこで、最初に皮切りの、眼のすずしい、丸ぼちゃの口から、アラビヤンナイトの第一席がはじまろうとする。
「ずっと昔のことよ、ずっと昔と言っても、桃太郎さんや花咲爺さんの時分ではないこと、それから比べると新しいわね、もう何年ぐらいになるか知ら、五年ぐらいでしょう、その時分にあの
「どんなに大変だったの」
「いいから、話さないで頂戴、それからさき聞くこといらない」
と言って、ついと立ち上ったのは一番籤を引いた、朝ちゃんという子でありました。
同じコワイ思いをするくらいなら、耳をふさいで、眼をつぶって立った方がいいと思ったのでしょう。これから進行する会話によって、怖い思いの加速をさせられるよりは、聞かないで、無我夢中で、ぶつかってみた方がよい、と朝ちゃんは花籠を宙にさげ、
果して、この初一番の花籠を、御簾の間の床に置いて来られるか、あるいは途中で棄権して逃げてかえって来るか――待っている十人の子供は
二十二
村正のおじさんは、にやにやとして、懸賞金の目録の追加をこしらえようと、紙入を取り出していると、かたことと廊下を歩む朝ちゃんの足音、しばらくは聞えていたのですが、それが聞えなくなって、ほんの少しの間、
「キャッ」
という声が、その方面で起ったものですから、こちらの同勢が聞いて、震え上って、また、
「キャッ」
と叫びました。
向うは、何かに驚かされたか、そうでなければ、疑心暗鬼にやられたものに相違ないが、こちらは、無事なのに、ただ先方が「キャッ」と言ったから、電流に打たれたように、それに反応して「キャッ」と叫んだまでです。舞子たちは、それと共に重なり合って
「何か出たか」
「朝ちゃんがキャッと言いました」
「何か出たな」
「怖い……」
その押問答のうちに、息せき切って、ほとんど命からがらの
「どうしたの?」
「何が出たの?」
「出たの?」
でも、そこへ来ると、気絶して水を吹きかけなければ正気の取戻せないほどではありませんでした。寄ってたかっていたわると、朝ちゃん、
「ああ、しんど」
「どうしたの」
「あの御簾の間のお座敷に幽霊がおりました」
「幽霊が――」
「あい」
「幽霊が何をしていた」
「
「酒を飲んで?」
「はい、九重太夫様を殺したあのお武家の幽霊が、たしかにいたのよ」
「そんなはずはないよ」
「いたわよ、行ってごらんなさい」
「それは
村正のおじさんは、改めて一座を見廻したけれども、こうなると誰あって、進み出でようとするものはない。聞いただけで、唇を紫にして、本人の朝ちゃんよりも昂奮した恐怖に襲われている子さえある。
「では、みんなして
それでも、我れ行こうというものがない。
「そんなに言うなら、おじさん、自分で行って見てごらん、もしお化けがいたら、その村正の刀でやっつけておしまいなさい」
「それがいいわ、おじさんをおやりなさい」
「おじさん、ひとりで行って、調べてみてごらんなさい、そうすれば、わたしたち、あとから揃って
「さあ、おいでなさいよ」
「弱虫!」
「村正のおじさん、腰が抜けたわよ」
「お立ち」
子供たちが寄ってたかって、このおじさんを

「よし、じゃあ、おじさんはさきに行って、もし怖い者がいたら、退治るから、おーいと呼んだら、みんなして御簾の間に集まって来るのだぞ、いいか」
隠れんぼのさがし手に廻されたような気分で、村正どんが廊下をみしりみしりと渡って、暗い中を手さぐりをしながら、やがて御簾の間までやって来ました。
二十三
入口で、はっと、軽く物につまずいた、というよりは、軽い物が足にさわったばっかりに、それを蹴飛ばすと、それは、朝霧がたったいま持って来た花籠の一つ。
だが、なるほど――これは必ずしも疑心暗鬼というやつではないらしい。御簾の間の入口に来て見ると、たしかに人の気配がするようだ。
はて、当分はここは
「誰かいるのかい」
と村正のおじさんが駄目を押しつつ、一歩、入口の戸前にたた
「うーん、酔った、酔った、女が欲しいよ、女を連れて来ないか、女が欲しい」
こう言って、夢中でうめいている。果して
「戸惑いをなされたな、ここは御簾の間で、開かずになっている、お部屋はどちらで、
と、おどすように言いかけると、
「いや、戸惑いはいたさぬ、御簾の間を所望で来た身じゃ、
爛酔の客が、またもかく言って
だが、爛酔にしても
しかし、かりそめにも招かれてここへ通ったお客とあれば、その取扱いが粗略に過ぎる。真暗い中へ
村正どんは、これはちょっと厄介な相手にかかり合ったという気持だが、なんにしても、こう暗くてはやむを得ない、明るいものにしてから、一応、説諭納得せしめて、店の者に引渡すが手順だと思いまして、
「おーい」
そこで、さいぜん
「おじさん、
「お化けいた?」
「村正で退治た?」
「やっつけた?」
口々に
「なんでもない、お客様がいらしったのだよ、怖くないから早くおいで、おいで」
招き寄せて、その先頭の掲げていた雪洞を自分の手に受取って、そうして、御簾の間の部屋の中に差し入れて見ました。
二十四
雪洞を入れて見ると、広くもあらぬ御簾の間の隅々までぼうと明るくなる。
見れば、座敷の真中に一人の男が仰向きに
もとより、杯盤もなければ酒器もない。
村正どんは案外の気色につまされて、しばらく無言で雪洞を上げたまま見つめていると、その
「殺されてるの?」
「死んでるの?」
「斎藤一はいないか、伊藤甲子太郎はどうした、山崎――君たち、おれを盛りつぶして、ひとり置きっぱなしはヒドいじゃないか、来ないか、早く出て来て介抱しないか、酔った、酔った、こんなに酔ったことは珍しい、生れてはじめての酔い方じゃ」
仰向けになったまま、
爛酔して寝ている人は、枕許に大小を置いている。その
右の種類に属する程度の者とすると、これはうっかり近よらぬがよろしい、普通の酔客ならば、あやなして持扱う手もあるが、あの連中では、うっかりさわっては
「雛妓たち、ここはこのお客さんのお友達が来るらしいから、われわれは、また別の座敷で別の遊びをしよう、さあ、このままで一同引揚げたり」
こう言って、村正どんは手勢を引具して退陣を宣告すると、夢うつつで、その声を聞き
「なに、こども、こどもが来たか、子供が来たら遠慮なくここで遊ばせろ。実は拙者も、こう見えても子供は極めて好きなのじゃ、子供と遊ぶほど愉快なことはない、女は駄目だ、成熟した女というやつにはみんな毒があるが、子供には毒がない、今晩も、わしは招かれるままにここへ遊びに来たが、女、女と呼んではみたものの、もう昔のように女を相手にしてみようという気などは起らぬじゃ、子供がいたら子供と遊びたい。そうだな、せいぜい、あの時のお松といったあのくらいの年ばえの子がいたら出せと頼んだが、今晩は、子供さんを買切りのお客があって、あいにく一人も子供さんがありませぬ――とかなんとか挨拶しおったわい。いかにも残念千万――怪しからん、子供の買占めとは怪しからん、つれて来いと怒鳴ってやったが、子供の方から押しかけて来てくれたとは何より、なんの、座敷を替えて遊ぶ必要は更にない、遠慮なくこの席へ入ってお遊び」
夢うつつの境で、こう明瞭に言いましたから、村正どんの足が釘附けられました。
人を人と認めて申し出たわけではない、相変らず天井を仰いで、掌を頭の後ろに組んで、眼はじっくりと塞いだままで、こう言うのですから、正気か
二十五
「いや、どうもたあいのないことで、お騒がせして相済みませぬ」
村正氏は、それをあっさりと仕切って引上げようとするのを、爛酔の客は放しませんでした。
「そのたあいのないことが至極所望、毒のあることはもう飽きた、子供と遊びたい、遠慮なく子供たちをこれへお通し下さい、どうぞ、お心置きなくこの部屋でお遊び下さい」
「いや、なに、もう
村正氏が、なにげないことにして逃げを打とうとすると、爛酔の客が、存外
「しからば、貴殿だけはお引取り下さい、子供たちは拙者に貸していただきたい」
「いや、そうは参りませぬ、子供たちだけを手放して、拙者ひとりが引上げるというわけに参らんでな」
「ど、どうしてですか」
「どうしてという理由もないのだが、子供を監督するは大人の役目でな」
「子供を監督――ではあるまい、貴殿は子供をおもちゃにしている」
「何とおっしゃる」
「世間の親は、子供をよい子に仕立てようと苦心している、君はその子供を
「何を言われるやら、拙者はただ、子供を相手に無邪気な遊び――」
「なんとそれが無邪気な遊びか、成熟した女という女を弄んで飽き足らず、こんどは何も知らぬ娘どもを買い切って、これを
「いや、長居は怖れ、これで失礼――」
前後不覚に酔いしれていると思うと、なんでも知っているらしい。知ってそうしてワザとこだわるのか、知らずして無心に発する囈語の連続、とにかく、イヤな相手である、振り切って退散するに
「は、は、は、逃げるな、逃げるとは卑怯だよ、さだめし貴殿は、これがあるから、これが目ざわりで、子供たちを遠のける、こんなものは――」
と言って、今まで押えつけたように仰向けの姿勢を崩さなかったのが、急にその頸にしていた一方の手を引抜いて、枕頭の大小の下げ緒を引いたと見ると、それを
「子供と遊ぶに、こんなものは要らぬ、さあ、どちらへでもこれはお片づけ下さい、こうして席を広くして、子供を存分にこれで遊ばせて下さい」
「いや、その儀にも及び申さぬて」
村正氏は、つかぬ事を言って、とにかく引上げが肝腎だと思うが、無気味なことには、動けないのであります。別段、そくいづけを食っているわけではなし、抱きすくめられているわけでもなし、衣の裾の一方を押えられているわけでもないのに、動こうとして動けない、立直ろうとして、いよいよ足がすくむ思いがする。
というのは、こう、しゅうねくからんで来られる客の意志を、
だが、一方の爛酔の客は、ちっともその座を動くのではない。今の先、両刀を投げ出してみたばっかりで、
この酔客は前に言う通り、酔って紅くなる酔客ではない、酔ってますます
「では、少々御免を
切上げようとして、かえって深間へ入り込んで来たのは通人に似合わぬ不覚でした。
村正氏を先に立てて、一隊十余人の
雛妓たちは、舞をする手ぶり足ぶりで、一種無気味な気持と好奇とを持って、早くもこの一間の中に充ち満ちて来て、
「おじさん、これから何をして遊ぶの」
二十六
この一間へ招き入れたと見ると、
壁際に身を引きずると共に、仕掛物ででもあるように、さきに投げ出した大小も、同じようについて行ったのみならず、その頭の下に敷いていたらしい黒い
多分、気を利かして、席を広くしてやったつもりでもあり、同時に、席を広くしてやって、充分に相手を遊ばせ、自分は
さて、こうなってみると、遊ばざるを得ない。こうあしらわれてみると、イヤでもここで遊ばせざるを得ないことに立ちいたりましたが、そこは、村正どんも一種の通客だから、このまま遊ぶのは遊ばれるようなもので、見たところ、喧嘩の相手にはしたくない
「さあ、これから一遊び、みんな思いきって面白く遊ぶのだよ、それには、こうしていては遊べないから、みんなして寝ながら遊ぶのだ、女中さんに頼んで、ここへお
「ここへ
「みんな一緒に?」
「ああ、
「雑魚寝って?」
このやからも雑魚寝を知らないはずはあるまい。だが、遊ぶことは好きだし、ひどい骨折りをせずに寝て遊ぶように教育される雛妓は、寝ることを怖れずに喜んでいるらしい。
まもなく、仲居おちょぼ連の活躍がはじまり、幾枚かの夜具がこの座敷へ持込まれると、さきの爛酔の客のまわりだけを少々残して、ほとんどこの座敷いっぱいの面積に夜具が展開されました。
そうすると村正どんが、仲居のねえはんを呼んで、
「大儀だが、
と言いつけました。
この景物は、よほど一座の人気を呼んだらしい。さすがに手を出してガツガツはしないが、みんな面を見合わせて嬉しそうな色を見せる。
それをみると、村正どんは寝巻に着替えもせずに、ごろりと夜具の真中に横になって、
「おじさんは男だから、身ぐるみこのままで寝るが、お前たちは
「はい、お寝みなさい」
「お寝みなさい」
言われた通りに彼等は、きゃっきゃっと言いながら帯をとり、上着をとって、襦袢一枚になって、はしゃぎ廻っている。
この連中は、ある程度までは客の言うなり次第になるべく仕込まれてもいるし、また、身の防衛本能から言っても、命から二代目の衣装飾りというものを犠牲にして、ゴロ寝をするようなぶしつけはない。
さすがに
やっぱり気取っていやがるな、眼をあいて見い、眼をあいて、この未開紅の花を前後左右に置き並べて、色気なしに眠ろうとする、おれの風流をちっと見習え――こうでも言ってやりたいくらいだが、眼のあかない奴には手がつけられない、とテレ加減のところへ、
「お待遠さま」
そこへ、山の如く甘いもの、フカシたての薩摩芋、京焼、
それから暫く、眼を見合わせて遠慮をしている時間を除いて、やがて、甘いものに蟻がつき出すと、みるみる餅菓子の堤がくずれて、お薩の川が流れ、
二十七
食い気の半ばに村正どんは、次のような話をしました。
「昔々、京の三条の
だが、この落ちは、舞子たちにあんまり受けませんでした。というのは、かんじんの、釣がねえのねえは、江戸方面の
そこで、まず御座つきは終った、それからあとが大変なのです。
十余人の舞子部隊に命令一下すると、「くすぐり合い」の乱闘がはじまったのは――
甲は乙、乙は甲の、丙は丁の、咽喉の下、脇の下、こめかみ、足のひら、全身のドコと嫌わずくすぐって、くすぐって、くすぐり立てる。甲からくすぐられた乙は、甲へやり返すと共に、丙の襲撃に備えなければならぬ。丙は乙に当ると共に、
御大将の村正どん、無論、総勢を引受けて、ひるまず応戦すると共に、折々奇兵を放って、道具外れの意外の進撃をするものですから、そのたびに抗議が出たり、復讐戦が行われたり、その揚句は計らずも聯合軍の結成を誘致してしまいました。唯一の大人、大人のくせに卑怯な振舞をする、乱軍の虚を
「やっつけちゃいなさいよ」
「こんな卑怯な村正て、ありゃしない」
「油断してるところをね」
「ばかにしてるわよ」
「大人から、やっつけちゃいなさいよ」
「村正を切っちゃいなさいよ」
「打っておやりよ、くすぐるだけじゃ仕置にならないわ」
「癖が悪いわ」
「
「こいつめ、こいつめ」
「村正のなまくらめ」
「のしちゃいなさいよ」
聯合軍が同盟して、激烈な包囲攻撃やら、爆弾投下まではじめたものですから、たまり兼ねた村正がついに悲鳴を揚げました。
「こいつは堪らぬ、降参降参」
白旗を掲げたけれども、聯合軍はその誠意を認めないらしく、どうしても息の根を止めなければ兵を納めないらしい。
「拝む、拝む、この通り」
そこで、聯合軍もいくらか胸が透いたと見えて、
「ごらんなさい、拝んでるわ」
「拝んでるから、許して上げましょうよ」
「その代り、もう、この人は戦争に入れないことにしましょう、決して手出しをさせないことにしましょう」
「それがいいわ」
「では捕虜なのよ、捕虜はここで、これを持って、おとなしく見ていらっしゃい」
と言って、一人が有合わした
無惨にも捕虜の待遇を受けた村正どん、命ぜられるままに、
その騒々しさ、以前に輪をかけたように猛烈なものになって、子供とは思われない
この騒動で、すっかり忘れられていたさいぜんの
騒がしいとも言わず、面白いとも言わず、静まり返って、以前のままの姿勢。長々と壁によって、
この、いよいよ
「わーっ」
という一種異様な合唱があって、
「あら、
「怖いわ」
「あら、村正の奴、いたずらをしたんだわ」
「卑怯な奴、暗いもんだから」
「あら、村正が逃げるわよ」
「逃げ出したわよ」
「逃がすものか」
「捕虜の奴、逃がすものか」
暗に乗じて、捕虜が逃走を企てたことは確実で、それを
そうして、最初に計画を立てた明るい広間の中に乱軍が引上げて見ると、村正どんは、もうすました
二十八
いい
みんな疲れ果てて、もう愚痴も我慢も出ない。せいせいと息をきって、眼を見合わせて、息をついているばかりだが、それでも皆、昂奮しきって、愉快な色が面に現われている。
村正どんもまた、花合戦よりも
「どうだ、面白かったか」
「ほんとに面白かったわ」
「ずいぶん面白かったわ」
「でも、わたし苦しかったわ」
「負傷者は出なかったね、怪我をした者がないのが何より。さあ、この辺で、みんな引取って家へ帰って、お母さんのお乳を飲んでお寝み――」
そこで、みんな衣裳髪かたちを一通り整えて、本当の安息の時間へ急ごうとして、なお余勇がべちべちゃと、あれよあれよと
「朝ちゃんは――」
「朝霧さんがいないわ」
「おや」
「お
「さっきから見えないわ」
「どうしたんでしょう」
「朝霧さん」
「朝子ちゃん」
一人が言い出すと、みんなが言い合わせたように呼びかけたが、その求める人の返事がない。村正どんも、さすがにそれが気にかかって、
「一人でも討死をさしては、大将の面目が立たない」
そこで改めて簡閲点呼を試みたが、真実、その朝ちゃんだけがいないのです。呼んでも返事がないのです。
はっ! と何かに打たれたように、村正氏は
「おじさんが探して来るから、みんな安心して待っておいで」
一人で、その雪洞を持って、また廊下を引返して来たのは、今の乱闘の現場――
はっ! と、村正氏はついに雪洞を取落してしまいました。
四方はまたまっくらやみ。
二十九
その日、大びけ過ぎといった時刻の暁方、追い立てられるように、島原の大門を出た、たった一人の客がありました。
追い立てられるというのは、ホンの形容で、事実、誰も追う人はなし、追わるるような弱味の体勢にはなっていないが、時が時であって、四方が四方でしたから、引窓の中から抜け出して、朝霧の中へ消えて行くような感じで大門を出たが、足どりは
ははあ、これだな、先刻、御簾の間の、闇にひとりぽっちの
中堂寺の町筋へ来ると、その晩は
「へえ――お
とイヤに含み声で、前なる落し差しにこう言いかけたので、立ちどまった前の爛酔の客が、黙ってこちらをかえり見る形だけをしました。
「誰だ」
「へえ――お一人でお帰りでは、さだめてお淋しくっていらっしゃいましょうから、お宿もとまでお送り申し上げようと存じまして」
前なる人から
「別に、送ってもらわんでもいいが」
「いいえ、その、頼まれたんでございましてな、あなた様をお宿所までお送り申し上げまするように、実は頼まれたんでございまして」
「誰が頼んだ」
「わっしは、島原の地廻りの者なんでございますが、
「要らざることだ、女子供ではあるまいし、一人歩きのできない身ではない」
「ではございましょうが、お見受け申すと、どうやら不自由なところがございます御様子、ぜひお前、お宿もとまでお送り申せと、このように頼まれたものでございますから、ついその、失礼ながら、お後を」
「
「はい、左様でございます」
「お前が勝手に頼まれて、勝手について来る分には、来るなとは言わないが、こっちでは頼まぬぞ」
と言いきって、また立ち直って、前へ向って歩み去ろうとしますが、ここまでお後を慕って来たという忍び足は、はい、左様ならと言っては引返さない。
ついと、鼠の走るように走り寄って来て、ついその落し差しの膝元まで来てしまいました。
「はい、あなた様には御迷惑でおいであそばしても、こちらは頼まれたお役目が立ちませぬでござりますから、どうか、お供を仰せつけられ下さいませ、お宿もとまで」
見れば町人風のたぶさが、頬かむりの下に少し崩れている。紺の
「は、は、は、送り狼というやつかな」
と前なる頭巾が、冷やかに笑いました。
「えッ」
少々仰山な驚きかたをして見せたが、それ以上、火花も散らず、ともかくも、形は送りつ送られつの形で、道はようやく木津屋橋まで差しかかった時分、
「いったい、お宿もとはどちら様でござんしたかなあ――どちら様へお越し?」
送り狼もどきの頬かむりが、改めてここでお宿もと、お宿もととつきとめにかかるのが、うさんで、しつこく、からむようにも聞きなされるが、前のはいっこう平気で、
「こちらの宿もとをたずねるより、お前の方で名乗るがいい、何のなにがしと名乗ってみろ」
「何のなにがしと名乗るような、気の利いた
轟の源松、聞いたような名だ。おお、それそれ、御老中差廻しの手利きだと言った、長浜の町で、宇治山田の米友を捕り上げた男。あれが、やがて、農奴として
「ナニ、目明しの文吉――というのがお前の名か」
と、前なる黒頭巾が聞き耳を立てて、駄目を押すと、
「いいえ、目あかしの文吉じゃございません、轟の源松と申しまして、渡り者のケチな野郎でございます」
「ははあ、轟の源松」
その名を繰返しながら、二人は見た目には主従の形で、すれつもつれつ前へと歩みます。
三十
轟の源松なるものは、手の
何か、もっと大きい使命があって、その利腕を見込まれたればこそ、京の天地へかく身をやつして、当時、血の花の咲く島原界隈に網を張っているものと見なければならない。
この晩方、ひとり、島原を追い立てられたこの怪しの客に、何か見るところがあればこそ、お宿もとまでお送りを名として、近づいて来たことに相違ないとすると、そうなってみると、前の長身の客が、ははあ、送り狼と冷笑したのも、あながち、からかいの言い分ではない、転べば食うのである。いや転ばなくても、次第によっては転ばせて、
「エエ、お客様のお宿もとは、どちら様でございましたかな、お帰り先は」
またしても、お宿もと、お宿もと、そう
「そのお宿もとがないのだよ――実はな、拙者も久しぶりで京の地へ足を入れた最初の晩がこれなんだ。そうさなあ、もう何年の昔になるかなあ、たった一晩、島原で遊んだ風味が忘れられないで、京へ着くと第一の夜が、それあの里さ。
さらさらと、少しかすれた声で
「いえ、どう致しまして、追い立てるなんて、そんな失礼なことを致す里の習いではございません、おそそうがあってはいけないから、お宿もとまで
「いずれにしても御苦労な話だが、御苦労ついでに、その拙者のお宿もとというやつをひとつ心配してくれないか、わしは今晩ドコへ行って
「御冗談じゃございません、おれの行くところはどこだと交番でお聞きになるは、
「何はともあれ、島原は源平藤橘を嫌わないところだ、金さえあれば、王侯も、乞食も、同じ扱いをする里で、追い払われた身は行くところがないじゃないか――お前、親切で送ってくれるのだから、親切ついでに、わしを送り込む宿所まで見つけてくれるのが、本当の親切だ」
「恐れ入りました、左様の御冗談をおっしゃらずに、どうか、お行先をおっしゃっていただきます、暁方とは申せ、まだ先が長うございます、どれ、この辺でひとつ
轟の源松は、腰に下げていた小田原提灯を取り出して、
三十一
「ここは三条大橋でございます、この辺で、お宿許を教えていただかないことには、あとは東海道筋百二十二里……あ、提灯の
せっかく火を入れた小田原提灯が、もう少し前から消滅してしまっている。送ってくれと頼んだわけでも、頼まれたわけでもないから、不平を言うべき筋はあり得ないのだが、京の町を、てんから無目的で際限なく引張り廻された日にはやりきれない。それを、相手方はむしろ気の毒とでも思ったか、素直に受入れて、
「では、
「芹沢様とおっしゃいますのは」
「芹沢鴨、いま名うての新撰組では隊長だ」
「ああ、その芹沢先生ならば……」
轟の源松は、仰山らしく声を上げて、
「芹沢先生は、お気の毒なことに殺されました」
「
「ええ、まことにお気の毒なことで、あの剛勇無双な先生でも、災難というものは致し方がございません」
「いったい、芹沢は誰に
「それがその――隊の方の評判によりますると、長州の者だろうとのことでございますが、なあに、そうではございません。では何者だとお聞きになると困りますが、薩摩でも、長州でもございません、ちゃあんと犯人はわかっているのでございますが、申し上げられません」
「お梅はどうした」
「ああ、あの女は――
「人の女房を奪ったのだそうだな」
「女房ではございませんそうで、菱屋太兵衛のお
彼は、自分が親しく見たわけではあるまいが、
「では、やむを得ない」
その芹沢に厄介になろうという希望も撤回せざるを得ないと、あきらめるより仕方がない。さりとて、それに代るべき候補宿を提案する心当りもないらしい。そこで、今度は轟の源松の方から、鎌をかけて、
「では、近藤先生のお宅はいかがで、木津屋橋の近藤先生のお
「近藤は虫が好かん」
と覆面が言いました。
「では」
轟の源松が、いいかげんテレきった表情を見て、長身の人が、ついに決然と最後の決答を与えました、
「高台寺の月心院へ届けてくれ」
「高台寺の月心院、心得ました」
ここで、無目的の目的が出来た。指して行くあたりの壺がすっかりついたのだから、源松も勇みをなして、再び提灯に火を入れようとする途端に、何か物の気に感得してしまいました。
こういうやからは、道によって敏感である。まして送り狼の役をつとめてみると、送る方も、送られる方も、あやまてば食われるのだから、寸分も神経の休養が許されない。
轟の源松は再び提灯の火を入れようとして、何かの物の気に感じて、三条橋の上から、鴨川の河原の右の方、つまり下流の方の河原をずっと見込みました。
前に言う通り、
三十二
橋の上からは、物の二町とは隔らない川下を、かち渡りしている二つの人影は、ここから見当をつけても、そう危険性なものではないらしい。
本来、この時分に、天下の公橋を渡るさえ二の足が踏まれるのに、河原の真中を横に歩くようなやからが、尋常のやからでないことはわかっている。だが、轟の源松の物に慣れた眼で見て取ったところでは、特に危険性のないものであることは、一眼で明らかになりました。危険性というのは、つまり人命に関することで、最近、この辺のところは、足利三代の木像首をはじめとして、幾多人間の生首や、片腕や、生きざらしなどの行われた地点であるから、かりそめの人影の動揺にも、油断のならないのが当然でありますが、それとこれとは別、ただいまあなたにうごめく人影は、左様な危険性を帯びないものであることを、轟の源松が認めたのです。
それは、どこにもあるお
乞食というものは天下の遊民であって、天下大いに治まる時は、三日でもって人生の味を
しばらくその菰かぶりの川渡りを遠目にながめていた轟の源松は、自然提灯に火を入れる手の方がお留守になる。
「あ、旦那、済みませんが、少しの間、ここに待って、ここに待っていていただくわけには参りますまいか――ちょっと見届けて参るものがございます」
と言って、送りの客を顧みましたが、この時、提灯は抛り出してしまって、懐ろへ手を差し入れたのは、火打道具を取り出さんがためではありません――一張の
その時の源松の気勢は、変っておりました。職務の遂行のためには死をだも辞せずという、一種の張りきった気合が充ち満ちたかと見ると、
だが、今晩のは、捕手の中心がよく定まらないようです。ここで、自分の送り狼を捕ろうとするのか、或いはまた、一旦は天下御免の遊民と見て安心した下流の川渡りに、再吟味するまでもなく、なんらかの不安を感じたために、それを捕りに行くための身構えか、二つの目標が同時に現われたものですから、源松の着眼が乱視的で、これだけの仕草ではよくわからないのです。
だが、送られて来た覆面の遊客は、こころもち移動して、橋の欄干を背後にしたことによって、この気合を感得したものらしい。ただ、それだけで、柄に手をかけるのでもなく、刀を抜こうでもないが、その身そのままが構えになっている。
源松に於ては、依然として三間ばかりを遠のいた地点にいて、あえてそれより遊客に近づいては来ないのです。源松の眼を見ると、二つの眼を、二つに使い分けをしていることがわかる。すなわち一つはこの橋上の送り狼に、もう一つは川下をわたる二人の乞食に、双方に眼を配って、一本の捕縄をしごいて、空しく立っているらしい。
それはそのはずで、優れた猟師といえども、方向の違った二つの兎を同時に追うことはできない。まして、相手は兎ではなくて狼である。
このきわどい場合にも、さすがに源松は打算をしました。そこで、がらりと気分を崩して、あわただしく、いったん取り上げた捕縄を再び懐中にねじ込んでしまって、
「いや、どうも、川下に変な奴が川を渡っておりまするでな、ひとつ様子を見届けて参りたいと存じますが、その間、相済みませんが、ここで暫くお待ちを願いたいのでございます、なあに、直ぐ戻って参ります、どうか、暫くの間、ここのところで」
妥協を申し入れるような口ぶりで、急に折れて来たのは、つまり、ヒットラーではないが、同時に二つの敵を相手にすることは、戦略から言っても、外交から見ても、策の得たるものでないことがわかるから、そこで、前門の狼とは暫く妥協を試みて置いて、下流の乞食から退治にかかろうとする魂胆であるらしい。
そう言いっぱなしにして、相手の返答は聞かず、早くも橋の
且つまた、橋の上に取残された狼にしてからが、頼みも頼まれもしない
三十三
一方、視野を転換して、のんきな月夜の川渡りの二人のお菰さんの身の上に及ぶ。
二人とも、いい図体をした屈強の男ざかりでありながら、ドコぞ
「いい心持だなあ、月夜の川渡り」
「ほんとにいい心持だよう、月夜の
「月夜に釜を抜かれるということがあるが、その解釈を知っているか」
「知らん――いろはガルタには、わかったようでわからんのが幾つもある、我々いい年をしながら、いろはさえ充分にはわかっとらん」
「
「なんにしても、月夜の布袋の川渡りはいい」
しきりにこの二人が布袋の川渡り、布袋の川渡りということを口にしているのは、自分たちが菰を
「乞食を三日すれば忘れられん――というが、まさに正真の体験だ」
「そうだ、この趣味がわかると全く、人間並み生活などはばからしくて出来るものではない、ただ人間並みを廃業して、ここまで来る試験地獄がつらい、ここへ来てしまえば、何という清浄にして広大なる天地だろう」
「まあ、あんまり惜しいから、そう川渡り急ぐなよ、ゆっくり月をながめながら川を渡ろうではないか、この良夜をいかんせんというところだ」
「月は天にあり、水は川にあり、いい心持だ」
名は高いけれども、鴨川は大河ではない。ちょろちょろ水を渡る程度の川渡りも、今晩は
「清風明月一銭の買うを
「その天然の贅沢を、無条件で受入れ得る我々の贅沢さは、また格別だなあ、事実、乞食にならんと、本当の贅沢はできんものだなあ」
「そうよ、うんと欲張って我が物にしたければ、袋を空にして置くに限るよ、物があると誰も入れてくれねえ、天下将相になって見給え、志士仁人になって見給え、夜の目もロクロク眠れずに、やれ国のためだ、人のためだと
「大燈とか、大応とかいう坊主が、そこらの橋の下に穴を掘って、そこを宿として園林堂閣へ帰りたがらなかったというが、それはわれとスネたんではないな、そういう生活がむしろ自然なんだから、彼等はそれを
「そうだ、トモカク坊主でも大物になると横着千万なものでな、自分は楽をしていながら、世間からは難行苦行の大徳であり、人生の享楽を
「まず、そんなもんじゃ、乞食の六という奴の詩に有名なのがある」
「そうだそうだ、畸人伝かなにかにあったっけ、あれだけの詩を作れるくせに乞食している横着者、まさに三十棒に価する、その詩を一つ……」
一人が、そこで、詩を吟じ出してしまいました。
一鉢千家飯
孤身幾度秋
不空又不色
無楽還無憂
日暖堤頭草
風涼橋下流
人若問此六
明月浮水中
これを、高らかに和吟して、「一鉢千家の孤身幾度秋
不空又不色
無楽還無憂
日暖堤頭草
風涼橋下流
人若問此六
明月浮水中
これは昔、この川の岸に一人の乞食の
なるほど、遠目で見たのでは、単なる求食人種の移動に過ぎないが、ここでこの話しぶりを聞いていると、以ての外。こいつらも世を欺く横着もの、大応大徳のそれに匹敵すべきか、乞食の六や
これ別人ならず、よく見れば、前なる背の高い方のが南条力、後ろのやや低い方のが五十嵐甲子雄――毎々お
三十四
この南条、五十嵐の両壮士が、ある時は志士の如く、ある時は説客の如く、ある時はスパイの如く、ある時は第五部隊の如く、全国的に要所要害を経歴して来たことは、ほぼ今までのところに隠見している。
ついさき程は叡山四明ヶ岳の上で、大いに時事を論じていたと見たが、もう
しかし、今晩のような夜空に、こんな
こうして二人は河原を三条の橋の橋詰まで来ましたが、橋に近くなると、彼等もズルイ、急に沈黙を守り出して、木と、
しかしまた、上手な雲雀取りは、右の雲雀の着陸点をまず認めておいて、そのあとをひそかに追ったり、前路を考えて、これを要したりすることもあるように、轟の源松も、いったんは橋から河原へ飛び下りたが、それより後の行動は、月にも水にも知らせません。しかし、程経て、二人の壮士は橋の袂の穴っ子へ到着しました。
その橋の袂の穴っ子こそ、彼等の住所であって、その先祖をたずぬると、大燈国師伝以来の由緒のあるところです。二人がこの穴っ子へトヤについてしまった頃を見計らい、外でそろそろと網を張っているものがあります。言わずと知れた轟の源松で、もうこうなればこっちのものと、網を張りながら、ニタリと笑って橋の上を見上げました。
橋の上の一方に待たして置いた送り狼は、いかにと見上げたものでしょうが、前に言う通り、この男の要求通りに、馬鹿な
やあ、やっぱり、世界には馬鹿正直な奴がある。源松を源松とちゃんと心得ているはずなのに、馬鹿な面をして、ああしておれの帰るのを待っている。
だが、待てよ、一概に馬鹿正直扱いもできますまい。真実あれは眼が見えないのだから、意地と場合で島原をひとり抜けをして出て来たが、出てみれば、西も東も動きの取れない身なのだ。そこへ、おれがぶっつかったものだから、しらをきって挨拶をしながらも、実はおれを頼りにして、引廻されるふりをして引廻すつもりで来たのかも知れない。送り狼と知りつつ、送らせるところまで
そこで、源松としては、またしても、橋上と橋下と二つの方面に、一つの注意を張らなければならない。ロシヤと手を握って英国に当る策戦の裏をかかれたような気持がしないでもない。
そこで、張網の地点から、二つの方面に注意を向けていると、またも意外、こちらはいま巣へもぐり込んだばっかりの二人のお
三十五
おやおやと見ているうちに、頭にいただく鍋釜は穴の中に安置して置いたと覚しく、手ぶらで、第一公式のお菰をひらつかせて、のっしのっしと這い出して来たが、ドコへ行くかと見ると、
逃げ出したのではない、
ははあ、こいつら、穴の中よりも板の上が寝心がいいと見えて、お寝間直しと
この忙しい折柄に、轟の源松は、
「おいおい、吉田氏、竜太郎どの、何をそんなところで、うろうろしているのだ、気のきいた幽霊は引込む時分だ」
その男は、菊桐の御紋章の提灯を
「斎藤だよ、斎藤一だよ、一足違いで君に逢えなかった、君を
菊桐の紋のついたのがこう言って、忙がわしく
人が来る、しかも、
「誠」の一字の提灯は、新撰組の一手のほかのものでありようはずはない。
かくて轟の源松が再び橋上に戻った時分には、自分が残して行ったつもりの人影はありません。
新撰組の一行が粛々として三条大橋を西に向って渡り去った、その後ろ影を、はるかにながめやるばかりでありました。
三十六
月心院の一間で、机竜之助が、頭巾も取り、被布も取払って、真白な木綿の着衣一枚になって、大きな
それと向き合って、火鉢とはかなり離れたところに敷きのべた大蒲団の上へ、これも白衣一枚で寝まき姿で、斎藤一が無雑作に坐り込んで、しきりに竜之助に向って話をしかけている。二人ともに、この寺院の荒涼たる広間で、白衣を着て対坐したところが、行者か亡者かみたようだが、事実は、寺院備えつけの
今、二人ともに、これから寝に就こうとして、その寝つき
「ねえ君、ぜひ一度、近藤に会って見給えよ、君が毛嫌いをするような男ではない、世間が誤解している如く、君もまた誤解している、一度、近藤に会ったものは、必ず認識を改めるのを例としているのだ、彼を以て殺伐一方の、血も涙もない殺人鬼の変形のように見るのは当らない。まあ、この一軸を見給え。見給えと言ったところで、君には馬念に過ぎないが――」
ここに斎藤が馬念と言ったのは「馬の耳に念仏」という
「これは、近藤に頼んで僕が書いてもらったのだ、彼の詩だよ、七言絶句だよ、いいかい、僕が読み且つ吟ずるから聞いて居給えよ」
と斎藤は婆心を加えた。読めと言うのは無理だが、聞けと言うのに無理はない。そこで斎藤は、壁にかけた
百行所依孝与忠 取之無失果英雄
英雄縦不吾曹事 豈抱赤心願此躬
「百行依ルトコロ孝ト忠、英雄縦不吾曹事 豈抱赤心願此躬
と吟じ
「彼は知っての通り武州多摩郡の土民の出で、天然理心流の近藤家へ養われて、その四代目をついだものだ。天然理心流というのは、彼の先祖が立てた一流だが、新陰や一刀流の如き立派な由緒はない。この詩は彼が先頃、養父近藤周斎の病を聞いて心痛のあまり、幾度か養父の病気を見舞わんがために
斎藤一は感慨に満ちた声で、右の近藤の詩を再吟した上、
「詩だって君、詩人の詩というわけにはいかないが、ちゃあんと
斎藤一は、感情の高い男と見えて、その当時を回想すると共に、声を放って泣き出してしまいました。
三十七
「世間は彼を誤解している、彼の如く精神の高爽にして、志気の明快な男を見たことがない、英雄たとえわが事にあらずとも、と言っているが、彼もまた一個の英雄だよ。時勢に逆行する頑冥者、血を見て飽くことを知らざる悪鬼の如く喧伝するやからは別だ、僕の見るところでは、彼ほど大義を知り、彼ほど人情を解し、しかしてまた彼ほど果敢の英雄的気魄を有している男はまず見ない」
斎藤一は、声涙共に下って、近藤崇拝の讃美をやめることができない。彼は心から近藤を尊敬していると共に、世間の彼に対する誤解を憤り、その誤解を憤るよりは、彼の長所を没却して、それを誤解せしめんとする浮浪のやからを憤っている。そこで、余憤の
「養父の周斎には僕は会ったことはないが、
斎藤一は極端なる近藤讃美から、腕を
「忠と孝とは冷やかな名分だ、ここに意気に殉ずる血脈が加わればこそ、冷やかなる忠と孝との名分が生きて来る、意気のない忠が何だ、意気のない孝が何だ」
彼は最初に涙を下した忠孝の名分のおごそかなるをも、ここに至って、冷やかなる一片の名分と見なして、意気の讃美論に転換してしまった。
「当代、意気に生きているものは近藤勇だ、彼は鬼ではない、男児の生命たる意気に生きている男だ、彼を鬼と見る奴は眼のない奴だ、天下は
と、ここに斎藤もわずかに余裕を得て、いささか弁解に落つるの変通を示すことができたのは、眼のない奴とか、盲千人とか言ったが、偶然にも、最初から、前にいて神妙な聞き役となって、自分が昂奮しても昂奮せず、悲憤しても悲憤せず、最初の通りに、
「それはまだいい方なのだ、一層下等な奴になると、彼が金銭のために働いている、利禄に目がくらんで盲動しとる――」
またしても目前、盲動と言い、差合いが眼前にあることに今度は気がつかず、躍起となって、近藤のために
三十八
「なるほど、今日の近藤勇と、昨日の近藤勇とを比べて見ることしか知らぬやからは、彼が、さも過分の立身出世でもしたかの如く唇を翻す、将来もまた、彼がこの
斎藤一の口吻は、近藤勇の崇拝にはじまり、讃美に進み、その
こうなって来ると、
だが、程経て、これは、ひとり気焔を揚げているべき場合ではない、話の最初は、自分の相手方になって、自分の昂奮を冷然として
「とにかく、そういうわけだから、君も食わず嫌いを避けて、一度近藤勇に会って見給え。君を近藤に会わせたからとて、一味に懐柔しようということではない、また懐柔されるような相手でもなし、懐柔したところで結局、こっちが厄介者――ただ、世間の奴等の誤解と、誤解を誤解として放任するのみか、その誤解説の伝播宣伝を目的とするやからが横行しているから、それが残念で、誰でもいいから、一人でも認識を新たにする奴が出て来れば、こっちの腹が
ここで、話は
「近藤は何を用いている、刀は何を好んで使っている」
あらぬ方へ話頭を持ち出したが、それも全然つかぬことではないから、斎藤は不承不承に答えて言った、
「
「近藤の虎徹も古いものだが、あれは
「偽物説――それも聞いたよ、江戸を立つ時に、ぜひ性のいい虎徹が欲しいと苦心した末に、ようやく手に入れたのだが、あれは偽物、あまり虎徹虎徹とせがまれるので、刀屋が偽銘の虎徹をこしらえて、近藤に売りつけた、それと知らず秘蔵名代の虎徹にしてしまった近藤の甘さ加減を、あとで刀屋が舌を出して笑ったという話は聞いているが、その
近藤勇と虎猫があやになって、少しこんがらかって来る。ちょうどそこへ、
「貴様、猫か、猫ではあるまい、化け物だろう」
と言って、
「近藤に虎徹は、猫に
あんまり適切でもない苦しい
「拙者も、刀が欲しい。拙者はあまり作に頓着しない方なんだが、やっぱりいい刀は持ちたいよ。それ以来、旅から旅で、腰のものにさえ定まる縁がないのだ。一本、何か周旋してくれないか、古刀には望みがない、新刀のめざましいところを一本、世話をしてくれないか」
と、人の勧誘はそっちのけにしてしまって、自分勝手の註文を持ち出したが、斎藤も好きな道と見えて、
「よろしい、何か一つ探してみよう。
と、猫のうしなっこぞを持って宙につるしながら、こう言い出したところへ、遥かに次の間から、猫よりもっと不思議な
三十九
「モシ、こちらのお座敷へ
「あ」
と斎藤がふるえ上って、思わず手にした猫を振り放してしまった。
「おお、玉や、玉や、ここにいたかい」
入って来たものは、何とも言いようのないしなやかな美人でした。それが、寝まき姿のしどけない
獣のうちの最も人に愛せらるる獣にして、且つ最も小なるもの、この獣を玉と言い、この美人の愛猫でありました。
愛は怖ろしいものです。婦人として、他人には見せてならない寝巻の姿のまんまで、そうして進んではならない他人の室へ、女として無断に入り込んだのも愛すればこそです。人を愛するのではない、猫を愛すればこそでありました。
「あ、ここに来とりました、お持ち帰り下さい」
血を見ては怖れない新撰組のつわものの一人で、さる者ありと知られたる斎藤一も、この深夜の美人の突然の来襲には、いたく肝を抜かれたと見えまして、さも自分が猫を盗み出してでも連れ
「まあ、何という失礼ななりで、ごめん遊ばしませ、玉や」
猫におわびをしているのだか、人間におわびをしたのだかわからないほどに挨拶をして、足もとへ寄って来た猫を拾い上げると同時に、頬へ押当てて
今は近藤勇も、虎徹も、清麿も、いずれへか影をひそめてしまって、残るものは、今の女性が残して行った雰囲気の動揺だけであります。眼の見えない方は、さのみ動揺はしなかったのかも知れないが、眼の見える斎藤は、美人の夜襲に心身を悩乱せしめられたと見えて、
「あれだよ、君、一件の女は、ああ、見ようとする時には見られずに、意外の時に、正体を、あのしどけない姿は、お釈迦様でも拝めまい、ああ、千載の一遇だ」
と言って、とってもつかぬ長大息をしたので、相手の竜之助が、
「
と言いました。
「美い女――君にはどうして、いい女か、
「まだ若いな」
「若いにも、まだ嫁入り前なんだ、しかも、たまらぬ由緒のある女なんだ、あれを今晩、この座敷で拝もうとは思わなかった――しかも、あのしどけない寝巻姿の艶なるを見給え、迷うよ、仏でも迷うのは無理がないなあ」
斎藤一が、二たび、三たび浩歎して、続いて物語るよう、
「君、実際あの女は、仏を迷わした女なんだが、いいか、まあ、さしさわりのないその辺の京都名代の大寺の住職に毒水禅師というのがあったと思い給え、これは近代の
「いったい何者なのだ、処女か、
「何者でもない、単にその寺の門番の娘に過ぎないのだ。門番といっても、もとはしかるべきさむらいなんだそうだ。ところで、その毒水禅師というのが、修行者の間には悪辣なる大羅漢だが、一般の善男善女の前には
この男の一面は、意気だの情だのと言っては、溺れ
かくの如く、斎藤一が昂奮につぐに昂奮を以てするにかかわらず、机竜之助は
つい近いところの知恩院の鐘が鳴りました。幾つの時を報じたのか、時の観念を喪失してしまっているこの二人にはわからないが、どのみち、もう夜明けに近かろう。夜が明けてはじめて寝に就くというようなことになりました。
果してその翌日、机竜之助が目ざめたのは正午に近い時で、気がついて見ると、またしても斎藤一がいない。島原でも出し抜かれ、ここでもまた置去りを食ったことに苦笑いをしながら、竜之助は枕をもたげて、何をか思案しました。
四十
斎藤がいないことを知っただけで、竜之助はそのまま起き上ろうともせず、再び寝込んで眠りに取られてしまいました。それからまた眼が覚めた時は、もう暗くなっておりました。つまり、一日を寝通したのです。暗いから寝て、暗いところまで寝通したのですが、さてそれは、他人にとっては昼というものを全く超越してしまったことになるのですが、この人にとっては、人生に昼というものがないのですから、飛躍でも超越でもなんでもありません。
「ああ、また夜が来たな!」
歎息とも、自覚ともつかない認識は、視覚以外の感覚ですることであって、時間というものを光によって区別せずして、勘によってするまでのことで、おおよそ何が夜の
朝寝して、昼寝するまで、宵寝して、時々起きて、居睡りをする
という歌を思い出して、彼は苦笑を禁じ得ない。その辺で、はじめて冠を上げて、身を起すことになりました。身を起して見ると――見るというのは勿論、その特有の超感覚で見るのです、以前も以下もそれに準じていただきたい――例の
それでも、常の通り、ちゃあんとお茶弁当の接待は整っている。竜之助は部屋の一隅の洗面所へ行って、簡単に洗面を果してから、ひとりその食事にとりかかりました。
弁当を食べ、お茶を飲み
「壮士ひとたび去ってまた帰らず――か」
竜之助は、思わずこんな
実際、ここに出入りしていた者共は、新撰組から分離、或いは脱走して御陵隊へ走った壮士ばかりであった。つまり、ここはそれらの壮士の控所に当てられていたのですから、竜之助が、一人も帰らないその控所に取残されて、「壮士ひとたび去ってまた帰らず」と言う口ずさみの感じも、偶然に
食事終って、人を待つでもなく、待たれるでもない気分のうちに、ゆっくり落着いてみたが、もうそれから、三度目の休息に就くという気合ではありません。羽織を取り、
なるほど、これからが彼の世界かも知れない。悪魔は夜を世界として、闇を食物とする。明を奪われた人間は、夜は故郷に帰るようなものである。それにしても、この男にまだ出動の世界を与えているということは、いささか時の不祥と言わなければなるまい。江戸の
かくて、甲府城下の
ただし、あの時には、自分一個の天地の隠れ家にいて、秋夜、水の如く、鬢の毛の上に流れ、一行の燈の光も微かながら
やおら立ち上って、これからいずれへ向ってか御出動という間際に、よよと泣く声が座敷の一方から起りました。
よよと泣くのだから、
それには思わず立ちすくまざるを得なかったので、みるともなく、見上ぐるともなく、声のした方に
よ、よ、あ、あ! よ、よ、あ、あ! テノールとなり、アルトとなって、完全な二部合奏がはじまったのは、ついその瞬間で、まさしく男女抱き合って泣いている声です。
竜之助は、それを
それを
それを忌々しがりながら、竜之助は、ついにこの座敷を出てしまいました。外は
ただし、王城の夜は、甲州一国の城下の夜とは違い、ここには天下選抜きの壮士が、
第一、御当人の身が危ない。辻斬というものは、人の気の絶えた辻に行ってこそ多少の凄味もあるというものだが、合戦の場へ辻斬に出たからとて、幕違いの嘲笑を受けて、結局、自分の身を
さればこそ、この当人は、当座の食物をあさるべく、壬生や、三条、四条方面の本場へ行かないで、むやみに場末に向って、ふらふらと歩いて行くように見える。
四十一
ドコをどう経めぐって来たか、やがて五条橋の南の詰をめぐったかと思うと、本覚寺に近いところ、深い竹林の中を彼は歩いているうちに、一つの堂の前に立ち出でると、
「これは、ようお越しやす、近ごろはとんと御参詣の方もございませぬに、これはまあ、珍しうお越しやして」
と、先方から呼びかけるものがありました、これは相当の年配の女の声であります。
打見るところ――ではない、打聞くところです、その聞くところの音声によって判断、ではない、想像であります、その想像によると、竹林に近く一つの堂があって、その堂守として尼さんがいる、堂のわきには塚があって、石の塔が立っている、その前へ竜之助が近づいたことから、堂守がかく呼びかけたものであります。
「いや、どうも――」
と、
「近ごろは、あちらこちらの
尼さんは重ねて、かく悦びごとを言いました。その言葉によって察すると、ここに仏神のいずれかの信仰の道場があって、その名を鬼頭なにがしと呼んだかな、その道場の前へ竜之助が到りついたのである。無論、この男がなんらかの信仰心があって到着したわけではない。心はうつろにさまようて、ついここへ来てしまったのだが、先方はそれを、特にここを目ざして参詣に来た御奇特な信心者のように受取ってしまったのであります。しかし、そう受取ったならば、そう受取らせて置いて、あえて苦しいとも思わない。どちらへ受取られてみたといって、身に直接の利害が及ばない範囲に於ては、弁明に及ぶまいが、それに相当する挨拶は返さなければなるまい。
ところが、それも先方がうまく引取ってくれるのでした。
「さあ、どうぞ、これへお越しやして、朝霧の
堂守の
いや、こっちが気が早いのだ、朝霧といったところで、天下に一人や二人ではあるまい。あの時の朝霧は罪のない舞子で、ここで回向をされようというのは罪業深い過去仏のことだろう。
そんなことを考えて、竜之助は、ともかくも、この声のする方へ近づいて行くと、
「これはこれは、あなた様は、いずれにおすまいでいらせられまするか」
「高台寺の月心院に」
「ええ、何と仰せられました」
堂守の尼が聞き耳を立てました様子ですから、竜之助は重ねて、
「月心院の
「まあ、その月心院の庫裡と申しますのを、あなた様は御承知の上でおすまいでございまするか」
「いや、何も知らない」
「それでは、お話し申し上げますが、その前に、おたずね申し上げて置きたいことは、あの庫裡の中で、夜分になりますると、毎夜、怪しい物をごらんあそばしまするようなことはござりませぬか」
「左様――」
と竜之助は、問われてはじめて思案してみたが、何を言うにも昨今のことで、しかも、同居は血の気の多い幾多の壮士共だから、特に、怪しいとも、
「夜分、ある時刻になりますと、あのお台所のあたりで、男女の悲しみ泣く声がすると、世間の噂でござりまする」
「ああ、そのことならば……」
そこを出る前に、たしかに経験して来たことです。
男と女のすすり泣きの合唱があった。その合泣が、自分の部屋の一隅で起ったのか、柱の中でしているのか、或いは天井裏でしているのか、見当に苦しんだ覚えが、急によみがえって来ました。尼の問うのは、たしかにそのことに相違ない。
してみると、あの忙しい男女のすすり泣きは、自分が経験した妄想だけではない、この尼さえも知っている。程遠いところに住む人さえ知っているくらいだから、もはや、一般の常識化して、世間の
竜之助の合点が参った様子を見て取って、尼も安心したらしく、
「夜分、ある時になりますると、必ず、若い男女の悲しみの泣き声が、いずれよりか聞えて参りまして、その泣き声がやみますると、暗い中から白い手が出て参り、柱から壁、
待てよ、男女の悲泣する声だけは、たしかに聞いて出て来たが、その白い手は見なかった。闇の中から白い手が出て、柱から壁、壁から長押を撫で廻す、それは見なかったぞ。してみると自分は、前の巻だけを見て、つまり、前奏曲だけを聞いて、仕草のところは見届けなかったというわけかな――
竜之助は、一旦はうなずいて、こう言って附け足しました、
「いや、その物悲しい男女の泣き声だけは確かに、この耳に留め申したが、その白い手首が出て、柱から壁、壁から長押と撫で廻す、それは見ないで参った」
と繰返し言のように言ってみましたが、はて、見なかったのは、出なかったのではない、自分は物を聞く人であって、見る設備を欠いているから、それでこの耳に聞いただけで、目には見えなかった。
見えないのが当然であるようで、また見えないはずがないともおもわれる。よし、今晩、立ちかえったら改めて見直してみよう。そういうものが見えるか見えないかは、眼の問題ではないように疑われて来たものですから、竜之助の足はここにありながら、頭は月心院の座敷に戻っておりました。そこで、尼への挨拶には、何ともつかず、
「実は、拙者も、つい昨今あれへ参ったものでござってな、いやもう、
こんなことを返事してみました。
四十二
「いや、元はと申しますとたあいもないことでござりまするが、起りは
竜之助が現象は見たが、事実は知らない人だということに気がついて、堂守の尼さんが、次のような一条の物語を語って聞かせてくれました――
天竜寺に、若い一人の美僧があって、それが門番の美しい娘と出来合ってしまった。二人は上りつめて、
どういう縁故であるか知らないが、この月心院まで落ちて来て、ここへ一晩かくまわれ、いよいよ明日は奈良へ向けて落ちのびの、その夜のことでありました。美僧美女は、ここの一室に一夜を明かし、その時に僧は、肌身放さぬ大金の財布を柱の上の釘にかけて、そうして一夜を女と明かしたものです。
さて、その朝まだき、人目を
二人は、その運命の怖ろしさと、師にそむき、戒にそむいた現罰が、あまりにも早く身に報い
それからというもの、月心院のあの庫裡では、夜な夜な若い男女の、世にも悲しい泣く音が
そういう伝説が、パッと縁無き世間にまで広まりわたっている。
右の一条の物語を尼さんから聞かされて、はじめて竜之助も、さる因縁もありつるものかな、と思いました。聞いてみれば、哀れでないという話ではないが、そうした行き方は世間にはザラにあることだと、例によって竜之助の同情がつめたい。つむじが意地を巻いて心頭に上って来たが、やっぱり挨拶の都合上で、
「して、その財布の金はありましたか」
と駄目を押したが、我ながら、これは
堂守の尼も、そこを透かさず
「左様に仰せられるものではござりませぬ、お金の有る無しは問題ではござりませぬ、捨てられた二つの
「いや、その財布の金を盗んだものに、拙者は心当りがあるので、お聞き申してみたまでだ」
「そのお金を盗りました者が」
「たしかに、心当りがある」
「それはもはや
「いや、現在、拙者の頭では――その美僧の金を奪った女がほかにある」
「何と仰せられまする」
堂守の尼は、竜之助の言うことを解し得ざらんとしていたが、その時、また竜之助の心頭にむらむらと上って来たのは、つい今まで忘れていた、昨晩、斎藤一が口を極めて艶称した、あの愛猫を探すべく不意に二人の座敷へ侵入して来た、しなやかな美人のことでありました。
今まで、それを思い出さなかったのはどうしたものだ。
あの女が
その金は、天竜寺の和尚とやらの手許の金であったというではないか、生仏を地獄に落したほどの女が、人の恋愛の
憎い女、二人を殺したその財布の行きどころは確実にあれだ。
竜之助は、むらむらと、その心に
「帰る、月心院の庫裡へ帰る」
ほどなく、堂前を辞した竜之助の足どりは、宙に浮ぶが如く、月心院をめざして戻って来たが、庫裡へ戻って見ると、
火鉢にかかった鉄瓶を取って、湯呑についでグッと一口に飲んでみると、湯と思ったのが酒であった。あ! と思ったが、この場合、悪いものを呑まされたのではない。一杯、二杯、グッ、グッと
面白くなってきてみると、はて、なんで自分が急に思い立って、ここまで走せ戻って来たか、これもおかしい。
ははあ、斎藤はいいものを置いて行ってくれたわい、この鉄瓶が酒であろうとは思わなかった、
竜之助は湯呑で立てつづけに、三杯、四杯と呷ると、その一杯毎に、無性に気分が面白くなる。珍しく浮かれて、立って、踊って、舞おうとの気分にまでなりました。
その時、よよとして人の泣く
四十三
ああ、はじまったな、よよと
「出たな!」
そうして、うっすらと、弘仁ぶりの柱と長押が、十字架のように現われると見ると、ひらひらと蝶の舞うように、細いきゃしゃな手が、宙に浮いて来て、その柱を下の方から
途中も走って来た、かけつけ三杯にグッと茶碗酒を
それが今晩は面白い。出て行くまでは、そんなではなかったのに、帰りに向って宙を飛ぶ時から面白くなった。いや、松原通りでひっかけたおでんかん酒の利き目が、ここまで来て発したところへ茶碗酒の迎えが、めっぽう利いた。こうも面白おかしい気分のところへ、
なんだか面白くてたまらない竜之助の脳底へ、音楽と、映画とから、いろいろの想像が続々と湧いて来る。いま盛んに実演中の二人の泣き声が、いつしか、近江の、大津の宿のお豊と真三郎の姿を浮き上らせて来る。その真白い手は、僧の形に姿を変えた真三郎が、しきりに
「馬鹿な奴、いくら探したって無いものは有るものか、いいかげんにあきらめて往生しろよ、毎晩毎晩そうして合奏をつづけては、下手な左官の壁塗りのような、薄っぺらなうつしえの実演をやりつづけているそうだが、塗直し、焼直しも、そうそう手が重なっては、凄くもなんともないぞ、市中では鬼頭堂の堂守まで鼻についているぞ、いまに犬も食わないことになるぞ、いいかげんに引込め、引込め」
いや、鬼頭天王の堂守といえば、もういい年だが、あれで若い時は相当に
鬼頭天王とは、いったい何だと反問したら、あの堂守の尼が、妙に上ずった肉声をあげて、こんなことを聞かせたぞ――
昔、北面の武士に
その辺を語る時に尼は、さめざめと涙を落していたようだが、似つかわしい新夫婦のために同情せずして、不義の交りを楽しんでいた官女に同情を持つところが怪しからん。何か身につまされるものが深かったればこそだろう。おれは、そういう事は世間にあることで、また有り得ることだ、世間の神仏にある取りとめもない誇張の縁起物語と違って、失恋の結果、自分の生命を断つということは自然であって、無理でない、恋というやつは、それを失っては生きられないものだ、という理窟をそのまま受取る。そこで、兵部重清も、もともと深く
さて、出家を遂げた重清は、それから紀州のなにがしの島とやらへ

「そこで堂守の婆さん、お前さんに聞いてみたいのは、何のよしみで、お前さんが、その恋塚の堂守をなさるのだね。後伏見院の
と言って、近寄って、その手にさわってみると、どうしてどうして、その手がまるく肥えていた。
「あなた様、
と尼さんは言ったが、驚いて飛び上りもせず、そのさわられた手を引っこめもしなかった。
果して、相当
四十四
破産者の笑いそのもののうつろな笑いのうちに、机竜之助は、仰向けに横になって気を吐いていたが、もう気の
その時分に、不意に、シューッと音を立てて、仰向けに寝ている竜之助の体の上を、いなずまのように走り去ったものがあるかと思うと、それにつづいて、真白い塊りが一つ、雪団子が落ちて来たように、同じく竜之助の体を踏み越えて行こうとしましたが、寝入りばなの竜之助が許しませんでした。二番目に来た物体を、むずと右の手で押えて動かさないので、そのものがギューッと言いました。
この物体というのが、他の何物でもない、猫です。前に竜之助を踏み越えたそれより小さい物体も、珍しいものではない、ドコにもいる鼠という
ただ前の前世の仇は、ともかく首尾よくこの
だが、人間というものは、猫を飼うべく出来ているもので、猫を殺さねばならぬ前世の宿縁というようなもののないはずであるのに、罪のないのに南泉坊に切られたり、こんなところへ出現したり、非業なものに出来ておりました。寝入りばなの竜之助は、つづいて追いかけて無断突破を企てたその猫めを、単に木戸をついて妨げたのみではありません、それを払いのけてかっ飛ばしたというだけのものでもありません、猫めの頭と首のところを持って、無慈悲にそれを
「ギャッ」
と言いました。そのギャッはなまなかのギャアではない、断末魔の叫びであったのを、かわいそうとも何とも思わずに、そのまま一方に向って
「ギュー」
と言いました。ギャッと言った時が、すでに致命なのですけれども、死後の空気がまだ少し脈管に溜っていた。それが、「ギュー」という声で完全に吐き出されて絶望の境に入りました。もうこれ以上、打っても、叩いても、息もしなければ、
そうして置いて、そのしたことを、無自覚のような
「モシ、あの、玉が参りませんでしたか。玉や、玉や、またお前、ドコぞへ行きましたか、また人様に失礼なことをしてはなりません、さあ、こちらへおいで、玉や、玉や」
よくまあ、いろいろのものが出て、自分の安静をさまたげることだ、今の猫でケリがついたかと思うと、そのまた猫を探しに来た人間がある、その人間に挨拶をしていた日には、また続いて何が出て来るかわからない。
「猫はおりませんよ」
うつつで、竜之助が言うと、
「あ、左様でございますか、それは失礼を致しました」
「もしや、壁の隅の方を見てごらんなさい、あちらの方にいるかも知れません」
「左様でございますか」
猫をたずぬる主は
途端に、よろよろして、よろけたものですから、細い腰が一たまりもなく崩折れて、そうして、まともに寝ている竜之助の上へ、
今までは、夢であったり、うつつであったり、特におでん
倒れた女は当然、竜之助と重なり合った体勢にまで崩れてしまった。
「あれ!」
と言ったきり、恐怖と、失策とにおびえて、しばし口が
「まあ、何とも申上げようもないそそうを致しました」
「いいえ、なんでもないです」
「玉を探しに参りましたばっかりに」
それでも、もう一つ
「あれ、あそこに玉が――」
かけつけて、手燭をつきつけた、そのホンの瞬間から、娘が声を放って泣きました。
「あれ、玉が殺されている、玉が死んでいる、あれあれ玉が――」
ここに竜之助なる人間の存在などは、全く眼中にも脳中にも置かず、ひとり舞台の狂乱でした。
四十五
娘は、そこで絶え入ってから、三日の間は、猫の死骸を抱いたまま枕が上らなかったそうです。
竜之助は、その夜の明けないうちに、またここをさまよい出でて行方が知れません。
その夜が明けても、誰もこの座敷をおとなうものがありませんでした。いつもならば御陵隊士の片われだの、それを訪ねて来る浪客などで
しかし、表向き隊の
そこへ、
「おう!」
と答えて中から出て来たのは、これより先、いつのまにか来着して一隅に寝ていた一人の壮士でありました。
そこで、右の三人が、例の
「いやはや、すさまじいものを見せられた、先般の池田屋斬込みよりも、これはまた一段の
と三人のうち、誰からとなく、まず
異口同音に舌を捲いての感歎によってもわかる如く、およそこれらの連中が見て、舌を捲いて、やりもやったなアと沈黙せしめられたるくらいだから、相当なにか外で行われたに相違ない。猫を一匹投げ殺して、娘が三日寝たという程度の仕事では、これらの連中の神経は動かないことになっている、その神経を、かなり最大級に刺戟した事件が外で行われたことの現場を、この連中は現に見届けて来たればこそ、ここへ来て、まず舌を捲いて、あっけに取られているに相違ない。
しからばこの連中をして、かく舌を捲かして
その比較に取られた池田屋騒動は、三条小橋の旅宿、池田屋惣兵衛方に集まる長州、肥後、土佐等の、勤王方の浪士の陰謀を探知した新撰組が、隊長近藤をはじめ精鋭すぐって出動し、一網打尽にこれを襲撃して、七人をこの場で斬殺し、四人に負傷せしめ、二十二人を召捕った大捕物、というよりは小戦争に近い乱刃であった。近藤勇の名を成したのはそもそもこの時からはじまったと言ってよい。時は元治元年の六月五日。
これはいわゆる勤王方に対する、幕府の手先としての新撰組の正面襲撃であったが、後の高台寺
近藤勇方の手によって殺された伊東甲子太郎も、以前は同じ新撰組の飯を食ったもので、それが御陵衛士隊になって分裂し、新撰隊長近藤勇に隠然として
果せる
そこで、隊士中の
かくて七人の壮士が、粛々として木津屋橋さして練って行くと、果して、
彼等の悲歎と慨歎は思うべしである。そこで隊長伊東の屍骸を取り上げて、これを釣らせて来た
兼ねて期したることながら、ここで入り交っての乱刃。
前に言う如く、この夜は、月光
以前は同じ釜の飯を食った間柄とは言いながら、こうなると、名を惜しみ腕を誇るの気概が、猛然として全身に湧き上って来る。
四十余人の新撰組はみな鎖をつけていた。七名の御陵衛士は、服部を除く外はみな素肌であったこと前に申す通り。
鳴りをしずめて待構えていた新撰組に隙間のあろうはずはなかったが、来り戦う七名の壮士も武装こそしないが、いずれも覚悟の上には寸分の隙もない。
所は京都七条油小路、時は慶応三年十一月十八日の夜――新撰組の方で、角の
御陵衛士隊の一行がやって来る方向だけの兵を解いて置いて、そのほかは三方ともに固めている。三方を固めたといっても、特に要塞を築いたわけではなし、野戦の利を得た広野へ導いたわけでもない。いずれも連なる京の町家並、商家はすっかり戸を下ろしている。知らずして寝ているのか、知ってそうして戦慄の下に息を殺しているのか、カタリの音もせず。
その町家の家毎に兵を伏せて置いた新撰組が、ここで一時に現われて四十余人、覚悟をきめた七名の壮士を
同じ夜に、南条、五十嵐の二人は、この場へかけつけて、とある商家の軒に隠れて、その白昼を欺く月光の下に、
鴨川の川べりから、三条橋の橋上に姿を消した二人は、あれから直ちにその見物に間に合った。やりもやったりと舌を
四十六
これらの会話に花が咲いているところに、いつかは知らず、一人加わり、二人加わり、獅噛大火鉢の周囲が五、七人の人で囲まれて、いとど活気が炭火と共に燃え上りました。
その連中も、いずれ御多分に
つまり、諸藩を脱走して、おのおのその懐抱するイデオロギーによって自由行動をとる、当時の志ある青年武士である。藩籍にあって知行をいただいていては自由の行動が取れない、よし自由の行動が取れるにしても、その行動が藩主の身上に影響を及ぼすところをおそれて、好んで藩を脱して諸国を放浪して、大言壮語することを職としていた筋目の通る
期せずして、これらのものが会見して、語り出す日になると談論風発です。天下国家のことから、経世済民のことから、人物
「いったい、天下の形勢はどうなるんだ」
「維新というのはいったい何を意味するんだ」
このだいたいの問題が、まだ明答を与えられていない。寄るとさわると、天下の形勢は
そこで、右等の壮士連も、天下国家の談に及ぼうとする最初の出立は、ここからはじまるのです。古くして新しいのは、新しく解釈せらるべくして、現状維持の底力が動かないからです。
「いや、天下の形勢も古いものだが、落着く筋道はたいていわかっている、ただ、その筋道が一筋でない、幾筋かあるので迷っているだけのものだ、落着くということになれば、ドレかそのうちの一つに落着く」
「は、は、は」
誰かが高らかに笑いました。
「落着くところに落着くという結論は、成るようにしか成らぬという論理と同じことなんだ、なりゆき任せに手を
「それはまた至極同感である、同感であるというのは、感服という意味ではない、その意見も、要領を得たようで、要領を得ないことは前者と同じである、すなわち、問題は落着くべきところに物を落着かせるという、その落着くべきところはドコなんだ、成るべきように国家を成らしむという、その成らしむる究竟目的というものを、諸君ははっきりと指示ができるのか――」
肯定と否定とを同時にして究竟問題を提出した一人の壮士、それを判者面の南条力が、
「君たちは定義を先に立てて置いて、弁証を後にするから、それで
「なるほど、細目をあげて、しかして大綱に及ぶという帰納論法をとって見る方が、
「では……」
南条が
「いいかい、では、その落着くべきところという命題をまず、とっつかまえて
「そう言われると、そうだなあ、その落着くべき道というのが幾筋あるかなあ」
正直な北山は、注文をまともに、あれかこれかと胸算用をはじめて、急には
「胸算用はやめて、まず、頭に浮んだ一筋ずつを言って見給え、そうして、一筋ずつ
「君は
北山は、南条の頭のよさに敬服する、南条の頭がいいのではない、自分の頭が鈍に過ぎるのだ、と申しわけたらたらで、勧告された通り、逐条列挙に思考を換え、
「まず、今の天下が落着くべき筋道としては――例を挙げてみるのだよ、そこに落着くのが正しいとか、そこに落着きそうだとかいうの判定ではないよ、例を幾つも挙げてみるんだから、これが拙者の希望であり、意見であるように取られては困るよ」
「そんな申しわけはせんでもいい、早く第一条を言い給え」
「まず、今まで通り徳川の天下に安定するというのが最初の筋道として」
「次は」
「幕府が政権を朝廷に返し奉る、王政復古の筋道」
「次は」
「王政復古が成らずして、
「徳川幕府以外の幕府の成立を予想してみる、なるほど」
更に第四条件にうつろうとする時、横合いから口を出し石井権堂というのが、
「その科学的とやら数学的とやらいうところを、もう一層細かく、単に徳川幕府以外の幕府が、成立とかなんとかの仮定条件では物足りない、徳川幕府に代る幕府が成立するとすれば、誰が代るか、それをひとつ具体的に言ってみてもらいたいな」
「まず、薩摩か」
「まず、長州か」
「毛利だろう」
「島津だろう」
この二つは動かない、誰も、それを上下したり、左右にしたりして見ることはするが、それ以外のものを加えて見ようとはしない。
そこで、この席には、薩州論と長州論との談論の枝が出て、その枝がかんじんの話題の幹よりも大きく、広くなりそうで、長と、薩と、徳川家との関係から、関ヶ原以来の歴史にまで
「してみると、徳川幕府倒れて、新たに将軍職を襲うものがありとすれば、これは薩州か、長州かのいずれかより起る、その判断には異議はないか」
「異議がないようだ」
「だが、ここになお一つの勢力、お
とさしはさむものがあるかと思うと、一方には、
「いや、まだ大名のうちにも油断のならぬのがいるぞ、土佐、肥前なんぞは、なかなか食えないぞ」
と言う者もありました。
四十七
「土佐は食えない」
と和するものがあって、薩長論から続いて話壇を占有したものは土佐でありました。
「土佐の国の国論というものは一種不可思議だよ、志は王政の復古にあらず、さりとて幕政の現状維持でもない、どのみち、天下は一大改革をせにゃならんということは心得ているらしいが、その方法として、封建を改めて郡県を立てんとするの意思も相当徹底しているらしいが、それはよろしいが、その手段方策というものが土佐一流で、
「それは
「ところが、存外、それが手ごたえがありそうだということだ、幕府も大いに意が動いているらしいということだ、なんにしても、もはや徳川幕府ではこの時局担当の任に堪え得られない、よき転換の方法があれば、早く転換するのが賢いという見通しは、こと今日に至っては、いかに鈍感なりといえども、気がついていないはずはあるまい、よって、存外、土佐の建策が成功するかもしれない」
「そんなことは痴人の夢だよ、天下の幕府でなく、一藩の大名にしてからが、藩政が行詰ったから大名をやめます、藩主の地位を奉還しますとは誰にも言えまい、取るに足らぬ一家にしたってそうじゃないか、みすみす家をつぶすということが、一家の主人としても、オイソレとはやれない、幕府の無条件大政奉還などということは、いくら時勢が行詰ったって、これは夢だよ、それこそ書生の空論だよ、今の時勢だから、書生の空論も、一藩の
「ところが、存外、痴人の夢でないということを、僕はある方面から確聞した、それに大政奉還は徳川の家をつぶす
「ふーん、してみると、坂本や後藤一輩の書生空論によって、天下の大勢が急角度の転換をする、万一、それが成功したら、また一つの
「いや、それが成功したからとて、いちずに土佐が時を得るというわけには参るまい」
「失敗しても、土佐は得るところがあって、失うところはないのだ」
「だが、諸君、心配し給うな、そんな改革が、仮りに実行されるとしてみても、成功するはずがないから、心配し給うな」
「どうして」
「たとえばだ、君たち、ここに拙者が坐ったままでいて、そうして、この畳の表替えをしろと言ったところで、それはできまい、畳の表替えをしようというには、そこに坐っている者から座を立たねばならぬ、坐っている奴が、座を立つことをおっくうがって、このまま表替えをしろと言ったってそりゃあ無理だ、家の建替えや根つぎにしてからがそうだろう、天下のことに於てはなおさらだ、攻撃をする、改造をするという時に、中に人間共が旧態依然としてのさばっていて、それで改造や改築ができるか、現状維持をやりながら維新革新をやろうとしたって、そりゃ無理だよ、そんなことができるくらいなら、歴史の上に血は流れないよ、そんなおめでたい時勢というものは、いつの世にもないよ」
こういった
「だから、徳川はいったん大政を奉還し、慶喜は将軍職を去り、諸大名は国主城主の地位を捨てて藩知事となる――そこにまず現状破壊を見て、しかして革新を断行しようというのだ」
「それそれ、それがいかにも見え透いた手品だよ、再び言うと、今の畳の表替えだ、この広間なら広間全体の畳の表替えをやろうとするには、この中にいるすべての人と、調度とが一旦、皆の座を去らなければならないのだ、君の言う土佐案なるものは、去らずして去った身ぶりをする、つまり、こちらにいたものがあちらに変り、あちらにいた奴がこっちへ来る、座を去るのではない、座を置き換えるのだ、前の人は前のところにいないけれども、同じ座敷の他のいずれかの畳に坐っていることは同じだ、単に人目をくらますために、人を置き換えただけで、それが畳を換えてくれと要求する
「そうだ、その通りだ」
と共鳴する者がある。反駁者の気勢が一層加わって、
「維新とか、革新とかいうことは、旧来の第一線が全く去って、新進の新人物が全面的に進出して主力を占めるということに於て、はじめて成されたのだ――断然、徳川ではいかん、徳川を去らしめて、全面的な新勢力に革新をやらせなけりゃ意味を成さん、それがために、相当の摩擦を示し、たとえ多少の血を流すことがあっても、それを回避しては革新は成らぬ、血を以て歴史を
四十八
これらの連中の高談放言を別にして、その晩、この月心院の一間から姿を消した机竜之助。
その格闘史としては、古今無類の七条油小路の現場へ駈けつけて、そのいずれかの一方へ
この男の腕立てとして、もうそういう油の気の多いところは向かない。猫を一匹つかみ殺して、虫も殺さぬ娘を一人絶え入らせるだけの程度がせいぜいで、その前の晩か、後の晩かに、さほどの乱刃が月光の下に行われた京の天地とは……およそ方角の異った方へ、ひとり
多分、関の清水の大谷風呂あたりへ、足もとの暗いうちに辿りついて、空虚極まる疲労を休めようとの段取り。
かくて山科の広野原――へ来たが、まだ月光
山科の地点に立って島原の灯を見るということは有り得ないことだが、ありありと島原傾城町の灯が紅く、京の一方の天を燃やしているその灯に、
またしても、人を待つものらしい。行きには田中新兵衛あたりの人の気配を感じたが、戻りにもまたこのあたりで、どうやら、
たしかに、この男の勘の鋭さも昂進してきました。案の如く、人が後からついて来るのです。それは今に始まったことではないので、そもそも月心院の
「へ、へ、
先方はもうつい鼻の先までやって来ていて、こちらから
「多分、そうだろうと思った、お前に見せてやりたいものがある、それ故、ここで待っていたのだ」
「へ、へ、何でございますか、わざわざ、わっしに見せてえとおっしゃいますのは」
「それそれ、これだ、これだ、これを見ろ」
竜之助から指さされたので轟の源松が、この指さされた
「あっ!」
と言って、思わずたじたじとなりました。轟の源松とも言われる
四十九
すすき尾花の山科原のまんなかに、竹の柱を三本立てて、その上に人間の生首が一つ
と言ったところで今時、生首を見せられたからといって、単にそれだけで腰を抜かすようでは、源松の職はつとまらない。源松が驚いたのは、その梟し首が自分の首ではないかと思ったからです。宇治山田の米友も、生きながら梟しにかけられたことはあるが、あれは正式の公法によって処分されたものですから、見るほどの人が見ていい気持はしなかったけれども、その処刑というものは、形式が異法だと思うものはありませんでしたが、これは変則です。いかに重罪極悪非道の者といえども、こういう惨酷極まる梟され方というものはない。
まず、三本の竹の柱を、いとも
ばっさりと、腕の利いたのに切ってもらい、それを
「どうだ、お前の
「左様でございますねえ」
源松が、なるほど、そう言われれば、その生首は、見ているうちに、自分の面に似てくるような思いがしてなりません。寒気がゾッと襲うて来て、足もとがわなないてくる、それをじっと踏み締めて、見上げ見下ろすと、つい今まで気がつかなかったが、捨札がその首の傍らにある。
「右之者、先年より島田左兵衛尉へ隠従致し、種々姦謀 の手伝ひ致し、あまつさへ、戊午年以来種々姦吏の徒に心を合はせ、諸忠士の面々を苦痛致させ、非分の賞金を貪 り、その上、島田所持致し候不正の金を預かり、過分の利息を漁し、近来に至り候とても様々の姦計を相巧み、時勢一新の妨げに相成候間、此 の如く誅戮 を加へ、死体引捨にいたし候、同人死後に至り、右金子借用の者は、決して返弁に及ばず候、且又、其後とても、文吉同様の所業働き候者有之 候はば、高下に拘らず、臨時誅戮せしむべき者也」
「旦那、わかりました、こりゃ、わっしの首じゃございません、猿の首でございますよ」「猿! いやあ、猿じゃない、やっぱり人間だろう」
「いえ、猿と申しましても、
と轟の源松は、不意に見せられた生首が自分の首でなくて仕合せ、その素姓がすっかりわかってみると、持前の度胸を取り直して、今度は逆に、説法する気になったものらしい。
「こいつはねえ、
轟の源松は、一面わが身につまされる淡い感慨の息を吹いている。源松は、文吉ではない。その職務としては同じようなことをしているようなものの、性質が違っている。どのみち、人にはよくは思われない職務にいたが、かりに同職として見ても、この文吉の成れの果てに歎息はしても、さまでの同情は持てないらしい。それというのは、源松には源松としての気負いがあって、自分は腕で行くのだ、こいつのように利で動いて、人を陥れることで
「わかっておりますよ、わかっておりますよ、こいつを殺したのは、土佐の
「何もかも、そう知り抜いていたんじゃあ、
竜之助は
五十
「時にあなた様のお宿許は、どちら様でございましたかねえ」
轟の源松がまたしても、思い出したように、同じことを竜之助に向って問いかけましたから、竜之助がうるさいと思いました。
「まだそんなことを言っているのか、それは、こっちが聞きたいところだ、島原を振られて、京都の町の中を一晩中うろついたが、ついに拙者の泊る宿所がない、ようやくのこと月心院へたどりついて見ると、そこは、夜もすがら、あはは、おほほで眠れはしなかった、仕方がないから、日岡を越して、山科まで来てしまったのだよ」
「して、その山科は、ドチラかお心安いところがございまして」
「いや、山科へ来たからといって、別に心安いところもないがな、関の大谷風呂へ少し厄介になったことがあるから、もう一晩、あそこへ泊めてもらおうかと、それを
「大谷風呂でござんすか、それは幸い、わっしも少しあの辺に用向がございますから、御一緒にお供が願いたいもので」
「それは迷惑だな」
「いえ、なに、旅は道連れということもございますからな」
轟の源松は、人を食いそこねたようなことを言って、テレ隠しをしました。
「あんまり有難くない道づれだ」
と竜之助が苦りきりました。
「送り狼というところなんでござんすかな。この場合、どちらが狼でござんすかな。左様、送られる方が狼で……」
「いったいお前は、何でそう、わしのあとばっかりつきたがるのだ、盛りのついた野良犬のように」
「へ、へ、へ、恐れ入りました、これは、つまり、わっしの病ではない、役目なんでございますから、いかんとも致し方がございませんでして」
「お前に役目でつけられるような弱い尻は、こっちにはないぞ」
「そちら様にはとにかく、わっしの方で、ぜひ最後を見届けるところまで、おともが致したいんでございます、悪くつきまとうわけではござりません、役目でございましてな、手っとり早い話が、あなた様の昨晩のお泊り先はわかっておりますが、これからの先、それと、もう一つ、今晩のお宿許と、お国元の戸籍のところを一つ伺えば、それでよろしいんでございます。と申しますのは、まあ、世間並みのお方でございますと、一当り当れば、身分素姓のところ、すっかり洗ってお目にかけますが、あなた様に限って、当りがつきません、まるでまあ、失礼な話だが、幽霊のように、姿があって影がないんでございますからね」
「冗談を言うな、今はそんな冗談を言っている時ではあるまい、おれのような幽霊同様の影の薄い人間を、貴様のような
と竜之助からたしなめられて、源松はいよいよテレきった面をして、
「でございましても、病では死ぬ者さえあるんでございます、どうか、そこのところをひとつ、御迷惑さまながら、大谷風呂まで、その送られ狼というところで」
「エヘ、ヘ、送られ狼――こっちが気味が悪いんでございますよ」
かくて源松はまた、竜之助のあとを二三間ばかり離れて、
「あっ!」
と言ったのは、その、おどろおどろと茂る薄尾花の山科原の中から不意に猛然として風を切って現われたものがありました。
「あっ! 狼!」
轟の源松も立ちすくんでしまったのは、冗談ではない、送り狼の、送られ狼のと、口から出まかせに
と源松も一時は立ちすくんだが、そこは相当の度胸もあるから、
「あ! 狼ではない、鹿だ!」
鹿だ! と呼ばれた時は、その獣は、もはや源松の眼前をひらりと
「鹿ではない、やっぱり犬だ!」
と、源松が三たび訂正のやむを得ざるに立至ったものであります。
「犬にしちゃあ、すばらしくでけえ犬だなあ」
源松は
五十一
不意に出現の怪獣に、最初は狼と驚き、二度目には鹿と見直し、三度目には、やっぱり犬と訂正して、そうして更に、犬にしては豪勢素敵な奴だと追加の感歎を加えて、しばし呆然とその後ろ影を見送って立ち尽している。そのすぐ背後から、またも突然に、
「すっぱと、らっぱと、待ったった」
「すっぱと、らっぱと、待ったった」
こういうかけ声をしながら、息せききって
「すっぱと、らっぱと、待ったった」
「すっぱと、らっぱと、待ったった」
後ろから走せて来たのを、避けてやり過してやろう――轟の源松は、路傍の草の中へ少し身を引いていると、
「すっぱと、らっぱと、待ったった」
「すっぱと、らっぱと、待ったった」
怪しげな掛声に呼吸を合わせて、走せて来たのは、まさしく今の犬を追いかけて来たものでしょう。と見ると、犬の大なるに比して、人の小さいこと、ほとんど子供と思われるほどの
それをも、源松は暫く面くらって見送っていたが、その時急に呼びさまされたことは、犬ははじめて見る豪犬だが、人間はそうではない、どこかで見ている! ああ、あの小粒! びっこを引きながら、しかも軽快に疾走するあの足どり、
「あいつだ!」
轟の源松は、そう気がつくと、ここでもまた二狼を追うわけにはいかず、一方の送られ狼にはなんら辞譲を試むることなしに、いま目の前を過ぎ去った弾丸黒子に向って、全速の馬力を以て追いかけました。
源松が急角度の方向転換で、まっしぐらに追いかけた当の相手というのは、宇治山田の米友でありました。
あの晩、あの
ついに政略上、是非善悪不明のままに、あいつを農奴の張本に仕立てて、
ところが、現在、眼の前で、その探索の当の本人を見出した。こちらから突きとめる手数を煩わさずして、向うから飛び出して眼前を
かくて轟の源松は、いちずに宇治山田の米友のあとを追いました。
ひとり
「はい、左様でございますか、それはそれは御無理もないことでござりまするな、孔夫子の
と言う声を、草むらの奥で聞きました。
聞き直すまでもない、それは竜之助として、甲州の月見寺以来熟しきった、お
「孔夫子の聖を以てしてからが、五十以て易を学ぶと仰せられました、五十になってはじめて易を学べば大した
その音節によって見ますと、これは曠野の
そうして、この場合、この怖るべきお喋り坊主の舌頭にかかって相手役を引受けている人の誰であるかが、竜之助にはっきりわかりました。相手方は何との応対もないのに、これが竜之助の勘ではっきりとわかりました。つまり、あのむつかし屋の胆吹の女王以外の何人でもありません。
そこで、弁信がお銀様を相手に、かくも弁論の
「易という文字は、
盲人のくせに、こういう高慢ちきなお喋りをやり出す者は、弁信法師か、しからずんば、和学講談所の
いま聞いた発端だけによって判断すると、それは東西南北のいずれより起るのでもない、どうもこの地下のあたり、柳は緑、花は紅の辻の下から起り
五十二
宇津木兵馬と福松との
二人が穴馬谷へ落ち込んだということは、この場合、ざまあみやがれ! ということにはならないのであります。イヤに
その穴馬谷へ二人が落ち込んだというのも、足を踏み外して落ち込んだわけではない、青天白日の下、尋常の足どりをもって、この一部落に落着いたという意味でありまして、ここで二人が、また前巻以来同様の宿泊ぶりを、一部落の一民家によって繰返しました。福松が破れ傘のような素振りで、絶えず兵馬を誘惑したり、からかったりしていることも以前と変らず、それを兵馬が閑々として、一個の行路底の修行道として受流しつつ行くことも前と変りません。
ただ、変っているのは、白山白水谷をわけ入って、加賀の白山に登ろうということが、目標でもあり、一種の信仰でもあるようでした。それがすっかり目標から外れて、仏頂寺弥助の亡霊がさまよう越中の山境へも出でず、白山を経ての菜畑であった加賀の金沢とも、およそ方面を異にして、越前へめぐり込んでしまったということを、穴馬谷に落着いて、山民から聞いて初めてそれと知ったという有様なのでありました。
とはいえ、極楽へ行こうとして菜畑へ落ちたわけでもなく、北斗をたずねんとして南魚に進んだというのでもなく、ちょっと針路が左へ片よったという程度で、
「ねえ、宇津木さん、ここは越前分ですとさ、越前の国、穴馬谷という村ですとさ、ほんとに穴のような土地じゃありませんか、どちらを見ても高い山ばっかり、穴馬谷へおっこちなんて、仏頂寺がいたらヒヤかされちまいますわねえ」
「変な名だ――これが越前の国とは思わなかったよ」
と言って、兵馬は携帯の地図を取り出して、ひろげて見ているのを、福松がのぞき込んで、
「加賀へ出る道が、すっかり
福松はもう、落ち込んだところが住居で、思い立つところが旅路である――そういう気分本位になりきっているが、兵馬はそういう気にはなれない。
「図面で見ると、ここに相当大きな川がある、これが有名な
「三国、いいところですってね、北国にはいい港が多いけれど、三国は、また格別な
三国小女郎
見たくはあるが
やしゃで
やのしゃで
やのしゃで
やしゃで
やしゃで
やのしゃで
こちゃ知らぬ
福松は口三味線を取って見たくはあるが
やしゃで
やのしゃで
やのしゃで
やしゃで
やしゃで
やのしゃで
こちゃ知らぬ
いとし殿さんの矢帆 巻く姿
枕屏風 の絵に欲しや
「三国の女はとりわけ情が深くって、旅の人をつかまえて放さないって言いますけれど、わたしがついていれば大丈夫、三国へ行きましょうよ、北国情味がたまらないんですとさ。そうして、飽きたら金沢へ行きましょう――でなければ船で、三国から佐渡ヶ島へ――来いと言ったとて、行かりょか佐渡へ、佐渡は四十九里、浪の上――って、佐渡の女もまた情味が深いんですってさ、男一人はやれない。佐渡に限ったことはないわ、あだし波間の兵馬は、相も変らず浮き立つ福松の調子に乗らず、
「どのみち、一旦は福井へ出なければなるまい、福井へ出るには……モシ、山がつのおじさん、ちょっとここへ来て見てくれないか、紙の上で道案内をしてもらいたい」
宿の山がつを呼ぶと、
「ドコさ行きなさる、勝山へおいでさんすかなあ」
五十三
その翌朝から、九頭竜川の沿岸を下って福井へ出る道も、かなりの難路でしたけれども、今までの山越しと比べては苦にならない。二人はついに越前福井の城下へ落着いてしまいました。
福松の、そわそわとして上ずっていることは、山の中から町へ出て、いっそう
ただ、この三勝は少し毛が生え過ぎているし、半七は追手のかかる身でないが、女のために
放縦のようでも、売られ売られつつ、旅から旅を稼がせられ、およそこの世の
「二十日余りに四十両、使い果して二分残る――なんて、
福松は、その都度、こう言って、三百両の金包を
宇津木兵馬になると、そうはゆかないのであります――白骨から、飛騨の平湯へ出て、高山まで、旅の遊山で
ただこういう女に、こういう際に持ちかけられたということに、運命の興味を感じて、これを相手に行路難の修行底といったような、善意に水を引いた興味が伴えばこそで、実は穴馬谷へ落ち込んで、はじめて、たずぬる相手は北国へ落ちたのではないということを確認したまでのことで、越中、加賀の方面には断じて、それらしい人の通過した形跡がないことを、この間に、たしかに確めたのです。が今となっては路頭を転ずることができない。いっそ、名に聞いたまま足を入れていない北国の名都、越前の福井に見参してから、その上で、あれから近江路へ出ることは天下の北陸道だから、それを通って、やがて再び京都の地に上り得られるのも旬日の間。
こうなると、兵馬の頭には、金沢もなく、三国もない、地図を案じて北陸の本筋を
福松の頭には、浮いた
兵馬は、福井のことは頭に上らず、しきりに、京へ、京へと心が飛んで参りました。
五十四
福井の宿についたその翌日午後、福松は
その時に、宇津木兵馬は旅日記を
「ねえ、宇津木さん、ほんとに都合よく事が運びましてよ、わたしの昔
福松の
「ああ、それは結構です、実は、拙者も今、物を書きながら、それを考えていたところです、自分の身は
この改まった言葉を聞いて福松が、がっかりして
「あら、そんなはずではありませんのよ、わたしが嬉しいことは、あなたにも悦んでいただきたいから申しあげたのに、わたしにここへ留まって、あなただけがお出かけなさるなんて、そんな情合いで申し上げたのじゃあありません。何でもいいから、暫く御逗留なさいね、少しの間、この福井の御城下を見物したり、三国へとうじんぼうをたずねたりして、当分こちらにいらっしゃいね。わたしの家ときまったところに落着いて、一月でも、二月でもいいから、そうして、お
福松の願いが、泣き声になって、こう
「いや、お志は有難いし、情合いのほどもよくわかります、けれども、あなたの安定は、拙者の安定ではない、今日まで、縁あってあの道中、助けつ助けられつしてここまで来たのは、君の方で拙者に親切をしてくれたから、拙者もまた乗りかかった舟、仏頂寺、丸山の徒ならば知らぬこと、かりそめにも女の身一つを、山の中へ投げ出して、お前はお前、わしはわし、どうにでもなれと不人情のできない羽目に置かれたから、それで、心ならずも――ここまで同行をして来たのです、ここへ来て、君の一身が、もう全く心配がない、安定の見込みがついたとなれば、拙者の使命は完全に果されたのだ、この上、君の御好意に随うのは、もう人情の上を越えた溺没――少し言葉がむずかしいが、今まではおたがいに親切、これからはおたがいに溺れるということになり兼ねない。且つまた、これでも一匹一人の男が、君を稼がせて、その仕送りの下に、たとえ一日でも半日でも、いい気で暮していられるか、いられぬか、その辺のことは、君が拙者の身になり代って考えてみてもらわにゃならぬ。人間、別れる時に別れないのは未練というもので、あとが悪いにきまっている、人情は人情として、今日から、きれいに君とお別れする、このことは、もはや、何とも言ってくれるな、拙者の心底はきまったのだから、誰が何と言おうとも動かすことはできない、拙者は今日から出立します。出立については――」
別れと覚悟の断案を下して置いて、何か条件的に申し置こうとする兵馬を、福松はあわてておさえてしまい、
「いけないわ、いけないことよ、それはわたし聞かない、今も、おっしゃったじゃありませんか、どちらがお世話になったか、お世話になられたか、そんなことは存じません、今、おっしゃったじゃありませんか、乗りかかった舟だから是非がない――ほんとにそうなのよ、あなたと、わたしと、これまで同じ舟に乗って、
福松は泣きじゃくりながら、立てつづけて
「人の運命を見届けるということは不可能なことです、その人と生涯を共にしない限り、その人の末の末までの運命がわかるものじゃないです、人の一生は道中のようなものであるから、泊り泊りの一夜を、即ち生涯の運命の終りとして、途中の別れに未練があってはならない――いずれにしても、拙者の心はきまっている、誰がどう言っても立ちます」
彼は早や
五十五
「そうおっしゃられてしまうと、わたしには、このうえ何も申し上げられないわ、その人と生涯を共にしない限り、その人の末の末までの運命は見届けられない、その通りでございます、あなたと、わたしと、生涯を共にして下さいと言わない限り、この上あなたをお引きとめすることはできませんのねえ。あなたのような行末の有望なお方を、わたしのような
「何ですか」
「今晩一晩だけ、泊っていらっしゃい、ね、いくら何でも、話がきまったから、今日この場でお別れなんて、考えるにも考えられやしないわ、別れたあとのわたしは、血を吐いて死ぬばかりなんでしょう、ですから、わたしに、あきらめの時間を与えて下さいな、長いことは申しません、たった一晩だけ、お立ちを明日に延ばして下さい、ただ、それだけのお頼みよ、そのくらいは聞いて下さるでしょうね、それをお聞き下さらなければ、わたしにも、わたしとしての
「ふーむ」
と、ここに至って兵馬は、最初の如く、決然として進退を宣告する言葉が出ませんでした。
その
「ね、それは聞いて下さるわね、今晩一晩だけ、ゆっくり話し合って、尽きぬ別れというのを、惜しみ惜しまれた上で、これでおたがいに、もう愚痴もこぼさず、未練を言わず、
それを聞かなければ化けて出る、とも言い兼ねまじき気色に、兵馬は自分のはらが決まってここまで来ている以上、さのみ末節にかかわるべきでもないと、沈黙していました。沈黙は、つまり女の提議に無言の同意のものと受取ったから、女はまたも元気を取りもどしてはしゃぎかけました、
「ほんとに、白山白水谷の旅では、あたしがあなたに負けました、一度、あなたを降参させてみたいと秘術――ではない、心づくしの限りを見せたつもりなんですけれど、あなたはついに落ちなかったわよ、えらいわねえ、ほんとにえらいのよ、あたしの腕も、
道中での思わせぶりは、多分のイヤ味もあったし、若干の真実もあって、兵馬も心得て、これに応対し、その応対そのものもまた、人生の行路の一つの修行底とも見なして、隙間なき用心のもとに、それを扱って来たから、兵馬の心にも油断はなかったけれども、今ここで、この女がムキ出しに懐かしがったり、有難がったりして、そわそわ、わくわくする心持には、女としての天真の流露もある、子供同士の気分に帰ったようなものでもあるし、それには警戒の不安もなく、いや味の禁忌もないことに動かされて、兵馬も、この女と最後の一夜の水入らずの名残りを惜しむの時間が惜しいとも思われませんでした。そうすると、女というものが別な女になって、海千山千の股旅者ではない、純な処女の人情として扱うことの、何となしの魅力を、兵馬が改めて感得したものと見えて、気持よく言いました、
「よろしい、最後の一夜を明かしましょう、出立は一日延ばしてあげます」
「まあ嬉しい、嬉しい」
女は飛び立って悦びました。
五十六
ここは、あわらの温泉の一夜。
あわらの温泉は明治の十年に発見されたということだから、その時分はまだ地下に埋もれていた、その仮普請の一夜。
福松の言う相当の顔役が言っていた、旦那衆もてなしの
そこで、兵馬はドテラに着替えて、福松も
「では、道中お預かりの品、ここでしかとお渡し申す、お受取り下さい」
「それは、いただきません、これはわたしのものではございません」
そこで、問題の三百両の大金を前にして、二人の間に辞譲の押問答がはじまりました。
兵馬は、これはたしかに福松への授かり物で、本来は、代官の
それに比べると、あなたはこれから、やっぱり旅。いくら有っても邪魔にならないのは、お財というもの、これはあなたがお使いなさるが当然のお駄賃。
心から福松は、そういう観念で、兵馬にまた三百両の大金を押し返し、押しすすめましたけれども、それを、そうかと言って、翻って受け納める兵馬ではありません。
なるほど、一応それは聞えるけれども、拙者は男子一匹、天涯一剣の身、路用があればあるで心強いには相違ないが、なかったところで、相当助力の友は到るところにあって、更に窮屈というものはない、それよりも、身が定まった、定まったというけれど、とにかく、知らない土地へ来ての一本立ちは、見込み以上に物がいる、まして、相当の顔に立てられれば立てられるように、株の手前もあり、附合いの
「そういうわけだから、君はこの金でしかるべき
と言って、極めて分別的な、しかも
こういう分別的な、算盤に合う提案をしたものですから、それが福松をうなずかせもし、安心もさせ、あなたというお方は、ほんとに感心なお方、お若いに珍しい、品行がお堅い上に、老巧の年寄も及ばない行末の心配まで、
もう一ぺん、思い直して頂戴よ、ここでまた福松が、いたく昂奮して参りました。
別れを惜しんでいると、処女の親しみを感じるけれども、昂奮し出すと、
「馬はいいですか、明朝六つに出立と申しつけて置いてくれましたね」
「いけませんの――思い直しは
あきらめられたり、あきらめ兼ねたり――女は三百両の大金の上へ、どっかりと身をくねらせて、やけ半分のような気持で、
「宇津木さん、あなたという人は、女の情合いは知ってらっしゃるが、女の意地というものがわかりませんのねえ」
「一通りはわかっているよ」
兵馬も、自分が純粋無垢の青年だと誇るわけにはゆかない。その昔は江戸での色町で、相当な
「では、ほんの一くさり、わたしの身の上話を聞いて頂戴な、わたしののろけを受けて見て頂戴、今晩のは真剣よ」
女は、もうまさしく畜生谷のほとり近い女にかえっている。兵馬はそれに怖れを感じ出しました。女はいよいよ
「身の上話なんて
兵馬は、そんなことは、いいとも悪いとも思わない、ただ今晩一晩は、この女のために、なんでもかでも聞き役になってやりさえすれば修行が済むのだ、義務が果せる! といういい気だけのもので、その間、ちょいちょい、座を白まさぬ程度にうけ答えているうちに、一番鶏が鳴き出しました。
「あら、鶏の
女は、
五十七
宇津木兵馬は、その翌朝、まだ暗いうちに馬をやとうて、あわらを出立しました。
さすがにこの女も、一間の中に泣き伏してしまったらしい。泣けて泣けて止まることができないために、意地にも、我慢にも、
兵馬もまた、何とも言えない感情に震動させられながら、いったん福井の城下まで帰って来たのです。福井の町にこれ以上とどまるべき因縁は解消してしまったようなものの、このまま見捨てるには忍びないものがある。人情の上とは別に、ここも北国名代の城下であり、いや、自分の尋ねる敵の手がかりが、どこにどう偶然を待っているか知れたものではないというようなおもわくもあって、ともかくも市内の要所を一めぐりして、その足で
道の順から福井の名所の第一は、もとの北の庄の城跡、織田氏の宿将柴田勝家がこれに
猿郎出世是天魔(猿郎世に出づ是れ天魔)
一代雄風冠大倭(一代の雄風、大倭に冠たり)
可惜柴亡豊亦滅(惜しむべし柴亡び豊また滅びぬ)
荒池水涸緑莎多(荒池、水涸 れて緑莎のみ多し)
一代雄風冠大倭(一代の雄風、大倭に冠たり)
可惜柴亡豊亦滅(惜しむべし柴亡び豊また滅びぬ)
荒池水涸緑莎多(荒池、水
清人 王治本
これを作ったのは支那人だな、詩はあんまり上手とも思われないが、支那人らしい詠み方だ――と思うと、その昔、秀吉がこの北の庄の城を攻め落し、柴田勝家が天主へ火をかけて一族自殺し終った、それを秀吉が高台から見下ろして豪快がったという悲壮な物語は太閤記で読んだが、なるほど、地理を
天主に火のあがるをながめて、秀吉が、もうそれでよし、勝家の亡後を見届けるに及ぶまい、なに、火をかけて城を焼いておいて、当人が逃亡して再挙を企てる憂えはないか。それを聞いて秀吉がカラカラと笑って、勝家ほどの大将が、天主に火をかけて逃げ出したら逃がして置け、と取合わなかった。そこに恥を知る武将の面影と、勝ち誇る英雄の余裕とが見られて、太閤記のうちでも面白いところだ。柴田勝家は織田の宿将第一で、地位から言っても、名望から言っても、秀吉などよりは
いや、収穫といえばまだある、まだある、むしろそれ以上の収穫がここから秀吉の内閨まで取入れられたというものは、後年、天下の大阪の城を傾けた
そういう歴史口碑は、誰も知っている。兵馬もそれを知って、今こうして
本来、柴田勝家という人が、猛将の名はあるけれども、悪人の
北陸の
日本の人気から言えば、猿面郎は天下取りであるけれども、この土地から言えば、天魔
そういうような混み入る感情に、頭が縦横に働いたが、足羽の台に立つことしばし、歴史的の感傷がようやく去ってみると、ただ見る越前平野の
五十八
福井を出立した宇津木兵馬は、浅水、江尻、水落、長泉寺、鯖江、府中、今宿、脇本、さば波、湯の尾、今庄、板取――松本峠を越えて、中河、つばえ――それから
そうして、福井の足羽山で呼び起された柴田陥落の悲劇だの、太閤の雄図だの、実際に於ての想像を追うて行くうちに、不思議と、北の庄の城から送られて来る淀君の面影、その母のお市の方、武力戦は同時に色慾戦であった。国を取り、城を
「あなたは、女の情合いというものはわかっているけれど、女の意地というものがわからない」――自分としては実際、手際よく相手になり、手際よく別れて来たと思うけれど、それにしては、何か大事なものを落して来たような気がしてならない。捨てたつもりでやって来たのに、実はまだ頭に置いている、背に負っている。昔、なにがしの禅僧が二人、川の岸に立っていると、一人の
そうだ、そうありそうなことだ、おれはまだ女と別れていないのだ、と宇津木兵馬が、むらむらとそのことを考えました。兵馬は自分が潔白無垢な身上だとは信じていない。色里に
兵馬は、その思いに迫られてみると、手の中の
行こか越前、帰ろか近江、ここが思案の柳ヶ瀬の峠――
そこへ、行手、すなわち近江路の方から、高らかに詩を吟じて上り
五十九
兵馬が待つ心地で立っていると、
近づき
そこで、兵馬と行き逢いました。人跡の稀れな山中の出会いですから、おたがいに言葉をかけ合うのが当然です。
「こんにちは――」
と先方が、笠をかたげてまず兵馬に挨拶をしかけましたから、兵馬も、
「やあ」
と言いました。先方は第二句をつづける代りに、兵馬の立っているすぐ
「幸いに、好天気ですな」
存外、世間慣れた口の
「ドコにおいでです」
と兵馬から尋ねられて、
「これから、越前の福井へ帰るです」
「ドコからおいで?」
「近江の
越前福井へ行くというのは常道だが、胆吹山から来たというのが少し変です。
「胆吹山から――」
兵馬も不審を持ちながら、この青年を相手に少し話して行こうと、自分も路傍のほどよき木の根に腰を卸して、青年と押並んで話しよい地点を保つと、青年が、
「胆吹山で、少し働いておりましたが、これからひとまず故郷の越前福井へ帰ってみようと思います」
「胆吹山で何を働いておいででした」
と兵馬がたずねたのは、最初から胆吹山というのが気にかかったからです。この青年は
「御存じでございましょうが、胆吹山にこのごろ、例の
青年は能弁に、すらすらと、問われない部分まで明快に話し出したものですから、その物語りだけで、すっかり、その過ぎ越しも、行く末も、明瞭に諒解がつき、全くこの青年が、好学に燃える一青年以外の何者でもないということがわかりました。
ただ、よくわからないのは、その胆吹山に巣を食うという一味の開墾者の団体の性質のことですが、それは兵馬として詳しく問いただすべきことではない。もう一つ――江戸で有数な英学者、身分は旗本――というようなことも、離して別々に持ち出されてみると、兵馬も思い当るところがあったに相違ないが、青年の志望を主として聞いていたものですから、兵馬としての受け答えは、この好学の青年の志望を讃して、励ましてやることにはじまりました。
「それは結構な志だ、しっかりやり給え、江戸はなかなか誘惑が多いからな」
江戸は誘惑が多いことなんどを、特に附け加えて、はじめて兵馬も自分がテレ加減になっていると、今度は青年の方で反問的に、
「あなたは、ドコからおいでですか」
とたずねました。兵馬が、
「拙者は越前福井から来たのですが……」
「へえ、あなたは福井から、僕は福井へ帰るんですが、僕は本来、福井のものが福井へ帰るまでなんですが、あなたは福井のお方ではござんすまいね」
「そうです、拙者は旅から旅を廻って歩くものです――」
「どちらが御生国なんですか」
「まあ、江戸ですね」
「江戸ですか、それは懐かしいです」
青年が懐かしいというのは、どういう意味かよくわからないが、多分、この青年には過去に於て江戸を懐かしがる何物もないけれど、これからの目的地として、懐かしがるべき理由が大いにあるというのでしょう。
六十
この青年と、かなりの長い談話をした後に、兵馬は、いざ別れようとして、
「君、福井へ帰るなら、一つ頼みたいことがある」
「何ですか、喜んで頼まれます」
「実はねえ」
と兵馬は、何と思ったか、自分のかぶっていた一文字の
「申し兼ねるが、君のその笠と、僕のこの笠と取換えていただけまいか」
「え、僕のこのみすぼらしい饅頭笠と、あなたのその菅笠と、無条件交換ですと、僕の方が大きに
「いいですとも、君、ひとつこの笠をかぶって福井へ帰って下さい、僕は君の笠をかぶって近江へ行きたい」
「
「いや、そういうわけでもない、必ずしも君に対する志というわけではないが、ところで、もう一つ、いま、拙者がその笠へ一筆書きますから、君はそれをかぶって福井へ着いたならば、その笠をそっくりひとつ、僕の名ざすところへ届けてもらいたいのだ」
「笠だけを届ければいいんですか、おやすいことです、広くもあらぬ福井の城下ですから、所番地さえわかっておりますれば」
「実は、福井の堺町というのです」
「堺町、知ってます」
「その堺町で、うつの家――福松というところへ、この笠を届けてもらいたい」
「堺町で、うつのや福松君ですか、よろしいです、番地はなくてもわかりましょう」
と心やすく引受けた。その語気によって察すると、この青年は、相手を男性と見ているらしい。男性と見ていないまでも、女性であり、ああした女だとは、夢にも当りをつけていない。実は、兵馬も、思いきってうつの家福松の名を言った時に、青年から一応、疑惑の眼を向けられての上で、反問をされるものと期待して、いささかテレて言い出したのですが、先方は、そんな思惑は
「うつの家の福松と言えば、すぐにわかることになっているのですが、では、ひとつお願い申しましょうかな」
と言って、自分のかぶって来た一文字の笠を取り直しました。そうして、矢立を取り出して、墨汁を含ませて、何をかしばらく一思案。それから、さらさらと笠の内側の一部分へ、
思君不見下渝州
さらさらと「ははあ、李白ですな、唐詩選にあります」
「いや、どうも、まずいもので」
青年は、うまいとも
「いや、結構です、君を思えども見ず、
それと知れば、ただではこの使はつとまりませんよ、何ぞ
「では、どうぞ、お頼みします、その代りに君の笠を貸して下さい」
「竹の
青年は、自分のかぶって来た饅頭笠を改めて兵馬に提出したが、これはなんらの文字を書こうとも言わず、それはまた
これが縁で袖摺り合う間、二人は十年の知己の気分になって、ここで、おたがいに携帯の弁当を開き、水筒の水を
「ここです、この場所が、柴田勝家じだんだの石というのです、織田信長が本能寺で明智のために殺された時、柴田勝家は北軍の大将として、佐々、前田らの諸将を率いて、越後の上杉と戦っていたのですが、変を聞いて軍を部将に托して置いて、急ぎ都をさして走り帰ったのですが、この、柳ヶ瀬のこの地点へ来ると、もはや羽柴秀吉が中国から攻め上って、山崎の一戦に明智を打滅ぼしたという報告を、ここで受取ったものですから、柴田が、猿面郎にしてやられたりと、地団駄を踏んだという言いつたえがあるのです」
「そうでしたか。してみるとこの地は、勝家にとってはなかなか恨みの多いところだ、万一、あの人が中原に近いところに領土を持っていたら、秀吉をして名を成さしめるようなことはなかったに相違ない」
「それはそうに違いないと僕も思いますが、また必ずしも、そうと断言のできないものもありますよ。僕は、これでもやっぱり北人ですから、勝家
「しかし、あの時の家康は裸でしたから、手も足も出ないのが当然だが、勝家が近畿にいたら、あんなことはありますまい」
こんなことを語り合って、いざや両々、これでお別れという時に、青年が、
「僕、お別れに詩を吟じましょう、今のその
影ハ
夜、清渓ヲ発シテ
君ヲ思ヘドモ見ズ渝州ニ下ル
「もう一つ――陽関三畳をやります」

君に勧む、更に尽せよ一杯の酒
西の方、陽関を出づれば故人無からん
さて、と二人は立ち上りました。
ここで二人は、近江と越前へ、おたがいにまだ手に持って、頭に載せない取交わせの笠を手に振りながら、姿の見えなくなるまで、さらばさらばと振返り振返り別れました。
別れた後、兵馬は、この好青年にあらぬ使命を持たせたものだ、福井へいたりついて、尋ねる主を発見した時、この青年の驚異のほどが思われる。驚異はいいが、からかわれたと憤慨して、相手に当り散らされても困る。だが、あんな
「忘れられない」
うつつ心に、こう言って、近江へ下る足がたどたどしい。
ほどなく近江へ出て、中の郷、木の本、はや見から長浜へ――長浜へ来て、兵馬は計らずも見のがせないものを認めてしまいました。
それは、長浜の岸を飛ぶ一人の急飛脚――ただの飛脚ならばなんでもないが、その足どり、身のこなし、たしかに見覚えのある、それは、がんりきの百蔵というやくざ者に相違ないということを、確認したからです。
その瞬間に、万事を忘れて、
「あいつが来ているからには、何か事がある」
自分の胸へ、何とはつかず、ぴーんと来るものがありました。
六十一
神尾主膳は相変らず、
神尾をして、かくも一人の自叙伝に読み耽らしむる
よく世間には、偽らずに自分を写した、なんぞというけれど、眼の深い奴から
神尾のような人間から見ると、自分が、あらゆる不良のかたまりでありながら、人のアラには至って敏感な感覚にひっかかると、及第する奴はまず一人もない。大物ぶる奴、殿様ぶる奴、忠義ぶる奴、君子ぶる奴、志士ぶる奴、江戸っ子がる奴、通人めかす奴……神尾にあっては一たまりもない。新井白石の
「ソレカラ、ダンダン行ッテ、大井川ガ九十六文川ニナッタカラ、問屋ヘ寄ッテ、水戸ノ急ギノ御用ダカラ、早ク通セト云ッタラ、早々人足ガ出テ、大切ダ、播磨様ダトヌカシテ、一人前払ッテオレハ蓮台 デ越シ、荷物ハ人足ガ越シタガ、水上ニ四人並ンデ、水ヲヨケテ通シタガ、心持ガヨカッタ」
勝麟太郎の親父――小吉ともいえば、左衛門太郎ともいう馬鹿者が、子供の時分から、
「オレホドノ馬鹿ナ者ハ世ノ中ニモアンマリ有ルマイト思ウ故 ニ、孫ヤ彦ノタメニ話シテ聞カセルガ、ヨク不法モノ、馬鹿モノノイマシメニ話シテ聞カセルガイイゼ」
と言っている通り、馬鹿も度外れの馬鹿になっている。しかし家は剣道で名うての最初の出奔は十四の時。乞食同様ではない、乞食そのものになりきって、海道筋をほうつき歩き、やっと江戸のわが家へのたりついたが、十九の年にまたぞろ出奔して、今度は前と違い、
「オレガ思ウニハ、コレカラハ、日本国ヲ歩イテ、何ゾアッタラ切死ヲシヨウト覚悟デ出タカラ、何モコワイコトハ無カッタ」
と、剣術道具を
「ソレカラ遠州ノ掛川ノ宿ヘ行ッタガ、昔、帯刀 ヲ世話ヲシタコトヲ思イ出シタカラ、問屋ヘ行ッテ、雨ノ森ノ神主中村斎宮 マデ、水戸ノ御祈願ノコトデ行クカラ駕籠 ヲ出セトイウト、直グニ駕籠ヲ出シテクレタカラ、乗ッテ、森ノ町トイウ秋葉街道ノ宿ヘ行ッタ、宿デ駕籠人足ニ聞イタラ、旦那ハ水戸ノ御使デ、中村様ヘ行カシャルト言ッタラ、一人カケ出シテ行キオッタガ、程ナク中村親子ガ迎エニ来タカラ、オレガ駕籠カラ顔ヲ出シタラ、帯刀ガキモヲツブシテ、ドウシテ来タト云イオルカラ、ウチヘ行ッテ委 シク咄 ソウトテ、帯刀ノ座敷ヘ通リテ、斎宮 ヘモ逢ッタガ、江戸ニテ帯刀ガ世話ニナッタコトヲ厚ク礼ヲ云イオル、ソレカラ江戸ノ様子ヲ話シテ、思イ出シタカラ逢イニ来タト云ッタラ、親子ガ悦 ンデ、マズマズ悠々ト逗留シロトテ、座敷ヲ一間明ケテ、不自由ナク世話ヲシテクレタカラ、近所ノ剣術遣イヘ遣イニ行クヤラ、イロイロ好キナコトヲシテ遊ンデ居タガ、ソノウチ、弟子ガ四五人出来テ、毎日毎日、ケイコヲシテイタガ、所詮ココニ長ク居テモツマラヌ故 、上方ヘ行コウト思ッタラ、長州萩ノ藩中ノ城一家馬トイウ修行者ガ来タカラ、試合ヲシテ、家馬ガ諸所歩イタトコロヲ書キ記シテイルウチ、家馬ガ不快デ六七日逗留ヲシタイトイウカラ、泊ッテイルウチハ立タレズ、イロイロト支度ヲシタラ、斎宮ハアル晩、色々異見ヲ云ッテクレテ、江戸ヘ帰レトイウカラ、最早決シテ江戸ヘハ帰ラレズ、此処 デ二度マデウチヲ出タ故、ソレハ忝 イガ聞カレヌト云ッタラ、ソンナラ、今暑イ盛リダカラ七月末マデ居ロトイウ故、世話ニモナッタカラ、振リ切ラレモ出来ヌカラ、向ウノ云ウ通リニシタラ、悦ンデナオナオ親切ニシテクレタ、毎日毎日、外村ノ若者ガ来テ、稽古ヲシテ、ソノ後デ、方々ヘ呼バレテ行ッタガ、着物ハ出来、金モ少シハ出来テ、日々入用ノモノハ、通帳 ガ弟子ヨリヨコシテアルカラ、只 買ッテ遣ウシ、困ルコトモナク、ソコヨリ七里脇ニ向坂トイウ所ニ、サキ坂浅二郎トイウガイルガ、江戸車坂井上伝兵衛ノ門人故、江戸ニテ稽古ヲシテヤッタモノ故、ソコヘ度々 行ッテ泊ッタガ、所ノ代官故ニ工面モイイカラ、オレガコトハイロイロシテクレ、ソレ故ニウカウカトシテ七月三日迄、帯刀ノウチニ逗留シテイタガ、アル日江戸ヨリ石川瀬兵衛ガ、吉田ヘ来ル序 ニ、今日ココヘヨルトイウカラ、座敷ノソウジヲシテイタラ、オレガ甥 ノ新太郎ガ迎イニ来オッタカラ、ソレカラ仕方無シニ逢ッタラ、オマエノ迎エニ外ノ者ヲヤッタラ、切リチラシテ帰ルマイト、相談ノ上、ワタシガ来タカラ、是非共、江戸ヘ帰ルニシタ」
ここのところ、「帰るにした」と切ったところ、文章が少し変だと神尾も感じたが、文章字句の変なのは、ここにはじまったのではない。別段、文章家の文章というわけではないから神尾も深く気にしないで、いよいよ先生、また江戸へ逆戻りかな、しかしまあ旅先では、よくこんな馬鹿を人が相手にして、ちやほやともてなしたものだ、
「翌日、斎宮 ヲ立ッテ、段々帰ルウチ、三島ノ宿 デ甥ガ気絶シテ大騒ギヲヤッタガ、気ガツイテ、ソレカラ通シ駕籠デ江戸ヘ帰ッタガ、親父モ、兄モ、ナンニモ云ワヌ故、少シ安心シテウチヘ行ッタ、翌日、兄ガ呼ビニヨコシタカラ行ッタラ、イロイロ馳走ヲシタ、夕方、親父ガ隠宅カラ呼ビニ来タカラ行ッタラ、親父ガ云ウニハ、オノレハ度々不埒 ガアルカラ、先ズ当分ハヒッソクシテ、始終ノ身ノ思案ヲシロ、所詮、直グニハ了簡ガツクモノデハナイカラ、一両年考エテ身ノ納マリヲスルガイイ、トカク、人ハ学問ガナクテハナラヌカラ、ヨク本デモ見ルガイイト云ウカラウチヘ帰ッタラ、座敷ヘ三畳ノ檻 ヲコシラエテ置イテ、オレヲブチ込ンダ」
ざまあ見ろ! と神尾が
「ソレカラ色々工夫ヲシテ、一月モタタヌウチ、檻ノ柱ヲ二本抜ケルヨウニシテ置イタガ、ヨクヨク考エタトコロガ、皆ンナオレガ悪イカラ起ッタコトダト気ガツイタカラ、檻ノ中デ手習ヲハジメテ、ソレカライロイロ軍書本モ毎日見タ、友達ガ尋ネテ来ルカラ、檻ノソバヘ呼ンデ、世間ノコトヲ聞イテ頼 シンデ居タラ、二十一ノ秋カラ二十四ノ冬マデ檻ノ中ヘ入ッテイタガ、苦シカッタ」
野郎とうとう監獄だ。三畳の檻も広くはないが、二十一から二十四までも短くない、苦しかったはずだ。おれもかなりしたい
「ソノウチ、親父ヨリ度々書取リニシテ、イケンヲ云ッテクレタ、ソノ時、隠居ヲシテ、息子ガ三ツニナルカラ家督ヲヤリタイトイッタラ、ソレハ悪イ了簡 ダ……」
悪イ了簡ではない、図々しいというものだ、と神尾が
「コレマデイロイロノ不埒ガアッタカラ、一度ハ御奉公デモシテ世間ノ人口ヲモ塞ギ、養家ヘモ孝養ヲモシテ、ソノ上ニテ好キニシロト、親父ガ云ッテヨコシタカラ、尤 モノコトダト初メテ気ガ附イタ故……」
それ見ろ、それは親父の言うことがあたりまえの看板だ。それを今更になって、初めて尤ものことと気がついたもないものだ。
「出勤ガシタイト兄ヘ云ッタラ、手前ガ手段デ、勤道具、衣服モ出来ルナラ、勝手ニシロ、オレハ、イカイコト手前ニハイリ上ゲタ故、今度ハ構ワヌトイッタ故、ソノ時ハオレガホホノ下ニハレ物ガ出テイテ寝テ居タガ、少シモ苦労ヲカケマイトイウ書附ヲ出シテ、檻ヲ出デ――」
出たな! なんとかかとか言って出してもらったな、これからがまた思いやられるよ――と神尾は苦笑をつづけつつ読む。
「翌日、拝領屋敷ヘ行ッテ、家主ヘ談ジテ金子 二十両借リ出シテイロイロ入用ノモノヲ残ラズ拵 エテ、十日目ニ出勤シタ。
ソレカラ毎日毎日、上下 ヲ着テ、諸所ノケンカヲ頼ンデ歩イタガ、ソノ時、頭 ガ大久保上野介ト云イシガ、赤阪喰違外 ダガ、毎日毎日行ツテ御番入リヲセメタ、ソレカラ、以前ヨリイヨイヨ悪イコトヲシタコトヲ残ラズ書取ッテ、只今ハ改心シタカラ見出シテクレロト云ッタラ、取扱ガ来テ、御支配ヨリオンミツヲ以テ、世間ヲ聞糺 スカラ、ソノ心得ニテ居ロトイウカラ、待ッテ居タラ、頭ガ、或時云ウニハ、配下ノ者ハイツモ隠スガ、御自分ハ残ラズ行路ヲ申聞ケタ故、諸所聞キ合ワセタ所ガ、云ワレタヨリハ事大キイ、シカシ改心シテ満足ダ、是非見立テヤルベシ、精勤シロトイウカラ、出精シテ、アイニハ稽古ヲシテイタガ、度々書上 ニモナッタガ、トカク心願ガ出来ヌカラクヤシカッタ――」
まあ、とにかく、この辺で納まれば見つけたものだ、ソレカラ毎日毎日、
六十二
ここで勝の小吉が親父と言ったのは、実家
「コノ年、親父ヤ兄ニ云イ立テテ、外宅ヲシテ割下水 天野右京トイッタ人ノ地面ヲ借リテ、今迄ノ家ヲ引イタガ、ソノ時、居所ニ困ッタカラ、天野ノ二階ヲ借リテイタウチニ、俄 ニ右京ガ大病ニテ死ンダ故、イロイロト世話ヲシタガ、ソノウチ普請モ出来、新宅ヘ移リ居ルト、右京方ニテハ跡取ガ二歳故、本家ノ天野岩蔵トイウ仁ガ、久来ノ意趣ニテ、家督願ノ時六 ツカシク云イ出シテ、右京ノ家ヲツブサントシタカラ、イロイロ揉 メテ片附カズ、ソノ時、オレガ本家トハ心安イカライロイロナダメ、トウトウ家督ニサセタ故、天野ノ親類ガ悦 ンデ、猶々 アトノコトヲ頼ミオッタカラ、世話ヲシテイルウチ、右京ノオフクロガ不行跡デ、ヤタラニ男グルイヲシテ、フダンソウドウシテ困ルカラ、セッカク普請ヲシタガ、ソノ家ヲ売ッテ外ヘ越ソウト思ッテ、右京ノ子金次郎ガ頭向キヘ云イ出シタラ、ソノ取扱ガ云ウニハ、今オ前ニ行カレルト、アトハ乱脈ニナルカラ、一両年居テクレロト云ウカラ居タガ、人ノコトハ修メテモ、オレガ内ガ修マラヌカラ困ッテイタラ、或老人ガ教エテクレタガ、世ノ中ハ恩ヲ怨 デ返スガ世間人ノ習イダガ、オマエハコレカラ怨ヲ恩デ返シテミロト云ッタカラ、ソノ通リニシタラ追々内モ治マッテ、ヤカマシイババア殿モ、段々オレヲヨクシテクレタシ、世間ノ人モ用イテクレルカラ、ソレカラ、人ノ出来ヌ六ツカシイ相談事、カケ合イソノ外何事ニ限ラズ、手前ノ事ノヨウニ思ッテシタガ、シマイニハ、オレニ刃向ッタヤツラガ、段々シタガッテ来テ、ハイハイト云イ居ル、コレモカノ老人ガ賜物トシ嬉シク……」
ここまで来ると神尾は少し耳――ではない、眼が痛い。勝のおやじの馬鹿め、この辺で、そろそろ一転機を劃し出したな、重大な転向ぶりを示して来たようだ、おれは幾つになっても、その転換ができない――笑止千万と三ツ眼をひらめかす。さて、転向の角度から見ると、やくざ者の自叙伝が、どうやら修身書の第一巻のような気分が漂いはじめたので、神尾の三ツ眼が少々まぶしくなるのもぜひがないらしい。
「同流ノ剣術遣イガ、不埒又ハツカイ込ミシテ途方ニ暮レテイル者ハ、ソレゾレ少シズツ金ヲ持タセテ諸方ヘ遣ワシ、身ノ安全ヲシテヤッタコト幾人カ数モ知レズ、ソノ後オレガ諸国ヘ行ッタ時、イカイコトトクニナッタ事ガアル、歩イタトコロデ、オレガ名ヲ知ッテイテ世話ヲシタッケ」
まあ、ともかく、自分が人に苦労をかけただけに、人のために一肌ぬぐことも鼻にかからない俗に
「天野ガ地面ニイルウチモ、トカク地主ノ後家ガコトデ、六ツカシイコトバカリ云ッテ困ッタカラ、三年メニ同町ノ山口鉄五郎ガ地面ヘ家作ガ有ルカラ引越シタガ、コノ鉄五郎ガ惣領ハ元ヨリ心易 カッタガ、イロイロウチヲカブッタ時ニ世話ヲ焼イテヤッタ故、ソノバア様ガゼヒ地面ヘ来イトイウカラ行ッタ、コノ年勤メノ外ニハ諸道具ノ売買ヲシテ内職ニシタガ、初メハ損バカリシテ居ルウチ、段々慣レテ来テ金ヲ取ッタ、ハジメハ一月半バカリノウチニ五六十両損ヲシタガ、毎晩毎晩、道具屋ノ市ニ出タカラ、随分トクガ附イタ、何シロ、早ク御勤入リヲシヨウト思ッタ故、方々カセイデ歩イテイタウチニ――」
神尾がニタリと笑って、天野の後家という奴が曲者だな、若後家になって、男ぐるいをはじめて、相当小吉をてこずらしたように書いてあるが、小吉の奴も相当のイカモノのくせに、こいつをこなせなかったというのはないもんだ、だが相性が違ったんだろう。ところで、今度は近所のばばア様から来いと言われて、そっちへ引越したのは、後家であったり、ばばア様であったりするが、妙に女臭い。そのうちに道具屋をはじめたのは
「男谷ノ親父ガ死ンダカラ、ガッカリトシテ、何モイヤニナッタ」
親父が死んだそうな。死んだ親父もこいつのためにはどのくらい苦労をしたか、死んで、
「シカモ卒中風トカデ一日ノウチニ死ンダカラ、ソノ時ハオレハ真崎イナリヘ出稽古ヲシテヤリニ行ッテイタカラ、ウチノ小侍ガ迎イニ来タカラ、一散ニカケテ親父ノトコロヘ行ッタガ、最早コトガ切レタ、ソレカライロイロ世話ヲシテ翌日帰ッタ、毎日ソノ事ニカカッテ居タ、息子ガ五ツノ時ダ、ソレカラ忌命ガ明イタカラ又々カセイダ」
親父の死んだ時、自分の倅が五歳になっていた。この五歳になっていた倅が、今時評判になっている六十三
さあ、今までの不良が、多少とも改心をして、これから
「コノ年十月、本所猿江ニ、摩利支天 ノ神主ニ吉田兵庫トイウ者ガアッタガ、友達ガ大勢コノ弟子ニナッテ神道ヲシタ、オレニモ弟子ニナレトイウカラ、行ッテ心易 クナッタラ、兵庫ガイウニハ、勝様ハ世間ヲ広クナサルカラ、私ノ社 ヘ、亥 ノ日講 トイウノヲ拵 エテ下サイマセ、ト頼ンダカラ、一カ月三文三合ノ加入ヲスル人ヲ拵エタガ、剣術遣イハイウニ及バズ、町人百姓マデ入レタラ、二三カ月ノ中ニ、尚五六十人バカリ出来タカラ、名前ヲ持ッテ、兵庫ニヤッタラ、悦ンデ受取ッタ、ソレカラ一年半カカッタラ、五六百人ニナッタ、全クオレガ御陰ダカラ当年ハ十月亥ノ日ニ、神前ニテ十二座ノ跡デ踊リヲ催シテ神イサメヲシタイトテ頼ムカラ、先 ズ講中ノ世話人ヲ三十八人拵エタ、諸所ヘ触レテ、当日参詣ヲシテクレロト云ッテヤリ、ソノ日ニハ皆々見聞ノタメダカラ、世話人ハ残ラズ、御紋服ヲ着テクレロトイウカラ、ソノ通リニシテヤッタラ、兵庫ハ装束ヲ着テ居タ、段々参詣モ多ク、初メテコノヨウナ賑 ヤカナコトハナイトテ、前町ヘハイロイロ商人ガ出テ居タ、ソレカラ講中ガ段々来ルト、酒肴デ、アトデ膳ヲ出シテ振舞ッテ居ルト、兵庫メガ、イツカ酒ニ酔ッテ居オッテ、西久保デ百万石モ持ッタツモリヲシ、オレガ友達ノ宮川鉄次郎ト云ウニ、太平楽ヲヌカシテコキ遣ウ故、オレガオコッテ、ヤカマシク云ッタラ不法ノ挨拶ヲシオル故、中途デオレガ友達ヲ皆ンナ連レテ帰ッタ、ソウスルト多クノ者ガツカイヲ云ッテアヤマルカラ、オレガ云ウニハ、ヒッキョウハコノ講中ハ、オレガ骨折故出来タヲ有難クハ思ワナイデ、太平楽ヲヌカスハ物ヲ知ラヌ奴ダカラ、講中ヲバ抜ケルカラ、ソウ云ッテクレロト云ウタラ、大頭伊兵衛、橋本庄兵衛、最上幾五郎トイウ友達ガ、尤 モダガ、セッカク出来タノニオ前ガ断ワルト、皆々断ワル故 、兵庫今更後悔シテアヤマルカラ、許シテヤレト種々イウカラ、ソンナラ以来ハ御旗本様ヘ対シ、慮外致スマイト云ウ書附ヲ出セトイッタラ、ドノ様ニモサセルカラト云ウ故、宮川並ビニ深津金次郎トイウ者ト一所ニ兵庫ノトコロヘ行ッタ、ソウスルト、大頭伊兵衛ガ道マデ来テ云ウニハ、オマエガオ入リニハ、兵庫ハカリ衣 ヲ着テ門マデオ迎エニ出ル、ソレカラ座敷ヘ出ロ、昨日ノ不調法ヲワビサセルカラ挨拶ヲシテヤレト云ウカラ、聞届ケタトイエ、ソレカラハ講中ガ残ラズ出テ馳走ヲスルカラ、アトデハ決シテ右ノ咄 ハシテクレルナトイウカラ、オレガ云ウニハ、残ラズ承知シタガ、外ノ者ヘヨクヨク口留メヲシナサイ、モシモ昨日ノ咄ヲシタヤツガ有ルソノ時ハ、世話人ガウソツキニナルカラ、片ハシヨリ切ッテ仕舞ウツモリデ来タカラ、ヨク云イ聞カシテ置キナサルガイイトテ、イジョウヲコメテ帰シタ、間モナク兵庫ガ宅ヘ行ッタラ、同人ガ迎エニ出ルシ、世話人モ残ラズ玄関マデ出タガ、座敷ノ正面ヘ通ッタラ、刀カケニオレガ刀ヲカケテ、皆々座ニツイタ、兵庫モ出テ、オレニ昨日ハ酒興ノ上無礼ノ段々恐レ入ッタリ、以来慎シミ申スベキ由、平伏シテ云イオルカラ、オレガイウニハ、足下ハ裏店神主 ナル故、何事モ知ラヌト見エル、御旗本ヘ対シテ不礼言語同断ノ故咎 メシナリ、講中漸々 広クナラントスル時ニ、最早心ニ奢 リヲ生ジタ故、右ノ如ク不礼アリ、随分慎ンデ取続ク様ニトテ、ソレカラ一同ガオレニイロイロ機ゲンヲ取リテモテナシタガ、酒ガキライ故ニ、人々酔ッテ騒グヲ見テイタラ、兵庫ノ甥 ニ大竹源二郎トイウ仁ガ有リ、オレガ裏店神主ト云ッタヲ聞キオッテ腹ヲ立テ、キノウノシマツヲ、宮川ヲダマシテ聞キオリ、小吉ハイラヌ世話ヲ焼ク、宮川ノコトデ、伯父 ニ大勢ノ中デ恥ヲカカシオッタ、是カラオレガ相手ダ、サア小吉出ロ、トイッテソノ身御紋服ヲ着ナガラ、鉢巻ヲシテ、片肌ヌギデ座敷ヘ来ル故ニ、知ラヌ顔シテ居タラ、直ニオレガ向ウヘ立ッテジタバタシオルカラ、オレガイウニハ、大竹ハ気ガ違ウタソウダ、雑人 ノ喧嘩ヲミタヨウニ、鉢巻トハ何ノコトダ、武士ハ武士ラシクスルガイイ、此方 ハ侍ダカラ中間 小者 ノヨウナコトハ嫌イダト云ッタラ、フトイ奴ダトテ吸物膳ヲ打附 ケタカラ、オレガソバノ刀ヲ取ッテ立上リ、契約ヲ違エテ、タワ言ヲヌカスハ兵庫ガ行届カザルカラダ、甥ガ手向ウカラハ云イ合ワセタニチガイナイカラ、望ミ通リ相手ニナッテヤロウト云ッタラ、大竹ガクソヲ喰 エトヌカシタカラ、大竹ヨリ先ヘツキハナシテ出ヨウト思イ、追ッカケタラ、皆ンナガ逃ゲ出シタ、ソレカラ兵庫ガ勝手ノ方ヘ大竹モ逃ゲタカラ追イ行クト、折ワルク兵庫ガ納戸 ヘオレガ入ッタラ、大勢ニテ杉戸ヲ入レテ押エテ居ルカラ、出ルコトガ出来ヌ、大竹ハ恐レテ丸腰デ、ウヌガ屋敷ノ伊予殿橋マデ帰ッタガ、ソレカラ大勢ガ杉戸口ヘ来テ、イロイロニ云ウカラ、許シテヤッタラ、大竹ト和ボクシテクレト云イオルカラ、大竹ガ不礼ノコトヲトガメタシ、色々アツカイガハイッテ、特ニハ大竹ガオフクロガ泣イテ詫 ビルカラ、伊予殿橋ヘ呼ビニヤッテ、源太郎ガ来タカラ、段々酒酔ノ上、恐レ入ッタトテ、殊更相支配ユエニ、何卒 御支配ヘハ話ヲシテクレルナトテ、和ボクヲシタ、ソレカラ酒ガ又出テ、大竹が云ウニハ一パイ飲メトイウカラ、酒ハ一向呑メヌトイッタラ、ソレハマダ打チトケヌカラダトヌカス故、盃 ヲヨウヨウ取ッタラ、吸物椀デ呑メト皆ンナガ云ウ、カンシャクニサワッタカラ、吸物椀デ一パイ呑ンダラ大勢ヨッテ、今一パイトヌカスカラ、ソレカラツヅケテ十三杯呑ンダ、後ノヤツラハ呑ンデイロイロ不作法ヲシタカラ、オレハソノ席デ少シモ間違ッタコトハシナカッタ、兵庫ガ駕籠 ヲ出シタカラ、乗ッテ橋本庄右衛門ガ林町ノウチマデ来タガ、ソレカラ何モ知ラナカッタ、ウチヘ帰ッテモ三日ホドハ咽喉 ガ腫 レテ、飯ガ食エナカッタ、翌日皆ンナガ尋ネテ来テ、兵庫ガウチノ様子ヲイロイロ話シテ、ソノ時、橋本ト深津ハ後ヘ残ッテ居テ、以来ハ親類同様ニシテクレトイウテカラ、両人ガ起請文 ヲ壱通ズツヨコシタ、ソレカラ猶々 本所中ガ従ッタヨ、兵庫ガ脳ガ悪イカラ、講中モ断ワッテヤッタ、ソノ時オレガ加入シタ分ハ、残ラズ断ワッタ故、段々スクナクナッテツブレタヨ」
なんだ、くだらない、こんな奴に講中を頼む神主も神主だが、飲める奴なら吸物椀で十三杯も、さして驚くには当らないが、てんで呑まない奴が十三杯は
六十四
咽喉をグイグイと鳴らしたけれど、いずれを見ても酒はなし、吸物椀もないし、咽喉を鳴らし、
その途端、
「チワ――これはこれは、御書見の
いやはや、イケ好かない奴が来たもので、例の
「鐚か――一ぱい飲みたいと思っていたところだ」
「イケません、せっかく聖賢の書をひもといて善良な感化に落着きあそばそうというその途端に、酒というやつが悪魔! そもそも、和漢をいわず酒を賞すること勝計すべからず、
「えらく貴様、今日に限って学者ぶるな」
「ちっとばかり学問をして参りやした、時にごらんあそばす聖賢の書はいったい何でござりますな、大学でげすか、論語でげすか。君子に三ツの戒めあり、
「この野郎!」
「この野郎は怖れやす、殿様ともあろうお方のお言葉とも覚えやせん。さて、
「風流――
主膳も、いささかアクドイ応酬を致しましたが、鐚に於ては
「どう致しやして、衣食足って礼節を知る、古人はいいところを言いやした、鐚儀が不肖ながら食物は今朝アブ玉で、とんとお腹いっぱいこしらえて参じやした、食の方は事足りて余りあり、衣の方に於きましては、これごらんあそばせ、上着が空色の
「うむ、なるほど、田舎の貧乏医者という衣裳づけだ、熨斗目が利いているよ」
「かくの通り、衣食足って礼節は、本来ビタの
「まあ、言ってみろ」
「
「和歌――歌だな」
「いわゆる、みそひともじなんでげす。その旦那が次のような歌をお
「そうか、貴様が
「まさに仰せの通り――鐚儀、お弟子入り、お弟子入り」
「どれ見せろ」
と神尾主膳が、鐚の手から短冊を受取って、それを上から読みおろしてみると、
かながはで、蒸気の船に打乗りて、
一升さげて、南面して行く
「何だ、これは」一升さげて、南面して行く
神尾が、
「めっそうな!
仰々しく取り上げて、恨み面にじっと主膳の面を見上げていると、
「貴様の贔屓を受けている三一旦那とやらは、いったい何者だ!」
主膳が、怒鳴りつけるように
「三一旦那、当時舶来、エレキ屋の三一旦那! 大したもんでげす、商業界きってのお大尽でげす」
「貴様にとっちゃ旦那かお大尽か知らないが、その歌のザマは何だ、そんなものが、人に見せられるか、人を
「イケやせんか、なっとりゃせんか、和歌の法則から申しますと」
「馬鹿、和歌も詩歌もあるものか、そんなものを、よく人中へ出したもんだ、こっちへよこせ、
「じょ、じょうだんでげしょう、ドル旦のお大尽のお墨附! 愚拙が家の家宝――何とあそばします」
神尾の余憤は容易に去らない。冗談にしろ、和歌を持って来たから直してくれとか、評をしてくれとかいうことになると、なあに、この野郎がもたらすものだと軽蔑しながらも、その風流のやや向上気味なるを取らないでもないが、もたらしたその
「そりゃ、あなた、お大尽と申しやしたところで、根が町家の商人のことでげすから、
「黙れ黙れ! 言語道断の代物だ――笑って済むだけならまだいいが、見て
「そこでげす!」
「そこが、どうした」
「鐚がそこを
「馬鹿野郎!」
「これは重ね重ねお手厳しい、そういちいち、馬鹿の、はっつけのと、あくたいずくめにおっしゃっては、風流が泣くではございませんか、第一殿様の
「その第五句の南面という言葉がはなはだ穏かでない、町人風情のかりそめにも用うべからざる語だ」
「へえそんなたいそうな文句を引張り出したんでげすか」
「南面というのは天子に限るのだ、この文句で見ると、三一旦那なるものは、何か蒸気船に乗って南の方へでも出て行く門出のつもりで、こいつを
「へえ――大変なことになりましたな」
「これ、ここへ出ろ、鐚、おれはこう見えても――物の分際ということにはやかましい、
と言って神尾主膳は、鐚の油断している手から大事の短冊をもぎ取って、
「あっ!」
と驚いて、我知らず火鉢の中をのぞき込む鐚の横っ面を、イヤというほど、
「ピシャリ」
「あっ!」
鐚助、みるみる
六十五
ビタをハリ飛ばしておいてからの神尾主膳は、その足で台所へ行って、膳棚の上から備前徳利を一つ取り下ろして振り試みると、まだカタコトと若干の音がする。それをそのまま
「アル時、橋本庄右衛門ヘ妙見ノ帰リガケニ行ッタラ、殿村南平トイウ男ガ来テ居タカラ、近附 ニナッタガ、ソノ男ガ云ウニハ、オマエ様ハ天府ノ神ヲ御信心ト見エマスガ、左様デ御座リマスカト云ウカラ、年来妙見宮ヲ拝ストイッタラ、左様デ御座リ升 、御人相ノ天帝ニアラワレテオリマスト云イオル、ソレカライロイロ咄 シテイルト、奇妙ノコトヲ種々咄スカラ、ヨク聞イタラ、両部ノ真言ヲスルトイウカラ、面白イ人ダト思ッテイタラ、橋本ガ親類ノ病人ノコトヲ聞イタラ、ソノ死霊ノ者ハ男ダト云ッテ、年カッコウ、ソノ時ノ死ニヨウマデ、ツブサニ見タヨウニ云ウカラ、橋本ニ聞イタラ、ソノ通リダト云ウカラ、大キニ恐レテ、弟子ニナリタイト頼ンダラ、随分法ヲ教エテヤロウト挨拶スルカラ、ウチヘ連レテ来テソノ晩ハ泊メタ、ソレカラ真言ノコトヲイロイロ教エテ、先ズ稲荷ヲ拝メトテソノ法ヲ教エタ、病人ノ加持ノ法又ハ摩利支天ノ鑑通ノ法、修行術種々、二カ月バカリニ残ラズ教エテクレタ、ソレカラコノ南平ハボロノナリ故、色々入用 ヲカケ、謝礼旁々 一年半バカリニ四五十両カケタ、本所デモ大勢弟子ガ出来テ、シマイニハ弥勒寺ノ前ノ小倉主税ト云ウ仁ノ屋敷ヘ住ンデイタ、日々、病人、迷人、ソノホカ加持祈祷ヲシ、御番入リノ祈祷ヤ何ヤイロイロ諸方ヨリ頼ンダガ、オレガ初メ見出シタ故ニ、南平モ悦 ンデ、オレノコトイロイロ骨折リヲシテクレタ」
野郎いよいよ
「近藤弥之助ノ内弟子ノ小林隼太モ、トウトウオレノ家来ニナツタカラ――」
近藤弥之助というのは、やっぱり
「毎日毎日来テ、イロイロト奉公ヲシタガ、ウチガナイ故、浅草ノ入屋ニテカナリノ家作ガアルカラ買ッテヤッタ、剣術仲間ヘ頼ンデ稽古場ヲ出シテヤッタ、下谷ムレガヒイキニシテクレル故、内職ニハ大小売買ヲシテイタガ、シマイニハ金廻リガヨクナッテ、フダン身ノ上ノ世話ヲシオッタガ、悪ガシコイ奴デ、仲間ハ皆ンナガイロイロハグラカサレタ、江戸ヲ三度借倒シテ三州ヘ行キオッタガ、オレニハイツモ咄 シテ逃ゲタ、又江戸ヘ出ロトイッテモ、オレガ手紙ヲ附ケテ、仲間中ヘ借倒シノワケヲシテヤルト、ミンナガ損ヲシタコトハソレナリニシテクレタ、トウトウ七八十両ノアビセデ三州ヘ行キオッタガ今ニ帰ッテ来ヌ、三州デドウニカ人間ニナッタト云ウコトダ、ソレハオレガチョウシヘ行ッタ時、向島ノ兼ト云ウ男ニ聞イタ、兼ガ遠州ノ秋葉ヘ参詣シタ時ニ、鳳来寺ニテ逢ッタト、ソノ時ハ綺麗 ノナリデ居タト、オレノハナシヲシテ、二時 バカリ休ンデ居テ別レタト聞イタ」
こいつ同病相憐み、自分が自堕落だから、自然、相当に自堕落の世話もするところが妙だ。
「或日、小倉主税ノ宅デ、神田黒川町ノ仕立屋ニ逢ッタガ、コイツハ、カゲ富 ノ箱屋ヲスル奴ダガ、オレガ懇意ノ徳山主計トイウ仁ガ、至ッテ富ヲ好キデ、南平ニ富ヲ頼ンダ故ニ、今日ハ富ノ日ダカラ寄加持 ヲスルトッテ、主税ノ宅ヘ大勢ソノムレガ寄ッテ来テ、ヨセ加持ヲ始メヨウトスル時、オレガ知ラズニ行ッタラ、大勢揃 ッテイルカラ、様子ヲ聞イタラ右ノ次第ヲ咄 ス故、ソノ席ニイテ始終ノ様子ヲ見タラ、南平ガ女ヲ呼ンデ、種々祷 ッテ護摩ヲタイテカラ、女ノ中座 ニ幣束ヲ持タセテ神イサメヲシテ、少シ過ギルト、女ガ口バシリデ、今日ハ六ノ大目、当リハ何番ノ何番ト云ウ故、一同ガ嬉シガッタ、ソレカラ上ゲテ仕舞ウカラ、南平ヘオレガ云ウニハ、ハジメテ見テ恐レ入ッタ、シカシ是レハ随分出来ルコトダロウト云ッタラバ、仕立屋メガ直グニ口ヲ出シテ、勝様ガ仰セデハアルガ、ナカナカ容易ニハ寄加持ハ出来ヌ、ソノ訳ハ悉 ク法ガ有ルト云イオルカラ、ソレハ尤 モダガ、ヨクツモッテ見ロ、南平ハ何処 ノ馬ノ骨ダカ知ラナイガ、アノ通リスルガ、オレハ生レナガラ御旗本デ身分モ尊シ、ソノオレガ一心ヲ誠ニシテ寄セタラ、神ハ速 カニ納受ガ有ロト思ウ故ニ云ウノダ、南平ニ聞クニ、オノシガ出過ギタコトヲイウトハ失礼ダト叱ッタラバ、仕立屋ガ云ウニハ、ソレハアナタガ御無理ダ、神事ニハ法ト云ウ物ガアリマストテ、イロイロヌカス故、オレガ座敷ノ真中ヘ出テ、先ズ論ハ無益ダカラ、手前ハ自分ノ前ヘ出テ礼ヲシロ、許スト云ワヌウチニ手前ノ額ガ上ッタラ、オレハ直チニ手前ノ飯焚ニナロウカラ、サア来イトイッタラ、大勢ガケンマクヲ見テ取リ、イロイロ挨拶スルカラ、ソレハ許シタガ、何シロソレホド出来様ト思ウナラ直グニ寄加持ヲシテ見ロトイウカラ、水ヲ浴シテ、先ノ女ヲ呼ンデ祈ッタラ、南平ガシタ通リイロイロ口走リオッタカラ、仕舞ッテカラ高慢ヲ云ッテ帰ッタガ、ソレカラミンナガ、南平ヘ頼ムト金ガイル故、オレニバカリ頼ンダ、徳山ノ妹ヲ一度南平ニ寄セテクレロト主計ガ頼ンダラ、生霊ガ附イテアルカラ、二三日ソノ生霊ヲハナサナケレバナラヌ故、金五両ホドカカルト云ッタカラ、同人ガオレニ咄 ス故、三晩カカッテ放シテヤッタ、ソレカラ南平ハオレヲ恨ンデ仲ガ悪クナッタ、カゲ富デモ九十両、徳山ト一所ニトッタ、ソレヨリ、十、二十位ハ幾度モ取ッタコトガアル」
「行 ハイロイロシタガ、落合ノ藤イナリヘ百日夜々参詣シ、又ハ王子ノイナリヘモ百日、半田稲荷ヘモ百日参シタ、水行ハ神前ニ桶ヲ置イテ百五十日三時ズツ行ヲシタ、シカモ冬ダ、ソノ間ニハ種々ノコトガ有ッタガ、ココヘハ漏ラシタ、断食モ三四度シタガ出来ヌト云ウコトハナイモノダ」
こいつは断然おれにはできぬと、神尾が考えました。ここにはこともなげに書いてあるが、冬の最中に、百日も百五十日も
「地主ニ代官ヲ先代ヨリ勤メタ故、役所ノ跡ガアイテイル故ニ、水心子天秀トイウ刀鍛冶ノ孫聟 ニ水心子秀世ト云ウ男ヲ呼ンデ、役所ノ跡ヘ入レテ刀ヲ打ッタ、又、研屋 ニ、本阿弥三郎兵衛ト云ウノノ弟子ニ仁吉ト云ウ男ガ研ガ上手ダカラ、呼ンデオレノ住居ヲ分ケテ、刀ヲ研ガシテオレモ習ッタ、ソレヨリ刀剣講トイウモノノ事ヲ工夫シテ、相弟子ヤ心易 イニ出シテ取出立テ、秀世又ハ細川主税正義、並ビニ美濃部大慶直税、神田ノ道賀又ハ梅山弥曾八、小林真平、ソノ時代ノ刀鑑 ヘ残ラズ刀剣講ヲ取立テヤッタガ、或日千住ヘ行ッテ胴ヲタメシタガ、ソレカラ浅右衛門ノ弟子ニナッテ、上段切リヲシテ遊ンダ、息子ハ御殿ヘ上ッテイルカラ世話ハ無カッタ、息子ガ七歳ノ時ダ」
御祈祷師、
「地主ガ小高デ貧乏故 、借金取ガ来テ困ルトイウカラ、引受ケテ片ヲ附ケテヤッタガ、ソレカラ地面ウチノ地借ガ九軒有ッタガ、地代モ宿賃モロクロクヨコサヌカラ、ミンナタタキ出シテ、オレガ懇意ノ者ヲ呼ンデ置イタカラ、ソノ後ハ地代ソノ外滞ラヌカラ悦ンデ、ヤイヤイ云イ居ッタ、地主ガ或日御代官ヲ願ウカラ異見ヲイッテヤッタラ大キニ腹ヲ立テ、葉山孫三郎トイウ手代ト相談ヲシテ、オレヲ地面カラ追出ソウト云ッタカラ、オマエハ最早五十年ニオナリニナサルカラ、御代官ハ御止メナサレトイッタラ、ナゼト云ウカラ、御代官ニナルニハ、先ズ始メハ千両バカリイッテ、ソレカライロイロ家作モ大破ダカラ、弐百両半モイルシ、皆サンガ支度ニモ百両トシテ、モシモ支配ヘ引越シデモスルト百両半モカカル故、弐千両ノ借金ガ出来ルカラ、ソノ上ニ元〆《もとじめ》ガ悪イト引責モ出来テ、ドノヨウニ倹約ヲシテ勤メテモ、三十年ハ借金ヲ抜クニカカル故、子孫ガ迷惑シテ、ソノ勘定ガ立タヌト遠流 又ハ断絶ニナルカラ、決シテ働キノナイ者ガ勤メル役デハナイト云ッタラ、ウチジュウガオコッテ、地面ヲ返シテクレロトイイオルカラ、地面中ヘ触レテ、不足ノ地代宿代ヲ残ラズ集メテ、オレガ懐ヘ入レテイテ、ノキ場所ヲ見附ケルニ折悪 シク脚気ニテ、久シク煩ッテイタ故、歩クコトガ出来ヌカラ、人ニ頼ンデ漸々 入江町ノ岡野孫一郎トイウ相支配ノ地面ヘ移ッタガ、ソノ時オレハ、地主ヘ地返シスルノ礼ニ行ッテ――」
六十六
いよいよ地面立ちのきを食ったな。しかし、世渡りをしただけに、目先の見えるところもある――
「御代官ニナッタラ五年ハ持ツマイカラ、ドウデ御心願ガ成就ナスッタラ、シクジラヌヨウ専一ニ成サレマシ、ソレハ云ウコトガ違ッタラ生キテハオ目ニカカラヌ、ト云ウタラ、ナゼダ、ト云ウカラ、葉山ノ成立チヲアラマシ云ッテ帰ッタガ、案ノ定、四年目、甲州ノ騒ギデシクジリ、江戸ヘ行ッテ小十人組ヘ組入リヲシタガ、三千両ホド借金出来テ、家来モ六ツカシク、大心配ヲシテ、オマケニ、葉山ハ上リ屋ヘ行ッテ三年程カカッタガ、気ノ毒ダカラ、オレガ一度尋ネテヤッタラ、オマエノ異見ヲ聞カヌ故ニコウナッタガ、ドウゾ家ハ助ケタイモノダト云ッテ涙グンダカラ、カアイソウダカラ、段々ト葉山ガ始末ヲ聞イテ、甲州ノ郡代ヘヤル手紙ノ下書ヲ書イテ、是ヲ甲州ヘ遣ワシテ、コウシロ、大方奇徳人ガダマッテハイヌマイ、五百ヤソコラハ出スダロウト教エテヤッタラ、キモヲツブシタ顔ヲシテ、早々甲州ヘ届ケタ、ソノ後マモナク六百両金ガ出来タカラ家ヲ立テタガ、今ハ三十俵三人扶持ダカラ困ッテイル、江戸ノカケヤニモ千五百両バカリ借ガアル故、三人扶持ハ向ケキリニナッテイル、ソレ故ニ子供ガ月々、今ニオレヲ尋ネテクレル、ソレカラトウトウシマイニハ小普請入リヲサセラレテ百日ノ閉門デ済ンダ、ソノ時ノ同役ノ井上五郎右衛門ハ、トウトウ改易 ニナッタ、葉山モ江戸ノ構エヲ喰ッタヨ」
お代官になるもまたつらい
「岡野ヘ引越シテカラ段々脚気モヨクナッテ来タカラ、息子ガ九ツノ年御殿カラ下ゲタガ、本ノケイコニ三ツ目所ノ多羅尾七郎三郎ガ用人ノトコロヘヤッタガ、或日ケイコニ行ク道ニテ病犬 ニ出合ッテ、キン玉ヲ喰ワレタガ……」
息子というのは今のその利け者の勝麟のことで、稽古にいく途中、病犬に食われた、江戸は犬の多いところだが、病犬はあぶない、食われるに事を欠いて、キン玉を食われたんでは
「ソノ時ハ、花町ノ仕事師八五郎ト云ウ者ガウチヘ上ッテ、イロイロ世話ヲシテクレタ、オレハウチニ寝テイタガ、知ラシテ来タカラ飛ンデ八五郎ガ所ヘ行ッタ、息子ハ蒲団 ヲ積ンデ、ソレニ寄リカカッテイタカラ、前ヲマクッテ見タラ、玉ガ下リテイタ故、幸イ外科ノ成田ト云ウ人ガ来テイルカラ、命ハ助カルカト尋ネタラ、六ツカシク云ウカラ、先ズ悴 ヲヒドク叱ッテヤッタラ、ソレデ気ガシッカリトシタ様子故ニ、駕籠 デウチヘ連レテ来テ、篠田トイウ外科ヲ地主ガ呼ンデ頼ンダカラ、キズ口ヲ縫ッタガ、医者ガフルエテイルカラ、オレガ刀ヲ抜イテ、枕元ヘ立テテ置イテ力 ンダラ、息子ガ少シモ泣カナカッタ故、漸々縫ッテ仕舞ウタカラ、様子ヲ聞イタラ、命ハ今晩ニモ受合ハ出来ヌト云ッタカラ、ウチ中ノ奴ハ泣イテバカリイル故、思ウサマ小言ヲ言ッテ叩キチラシテ、ソノ晩カラ、水ヲ浴ビテ、金比羅 ヘ毎晩裸参リヲシテ祈ッタ、始終オレガ抱イテ寝テ、外ノ者ニハ手ヲ附ケサセヌ、毎日毎日アバレ散ラシタラバ、近所ノ者ガ、今度岡野様ヘキタ剣術遣イハ、子ヲ犬ニ喰ワレテ気ガ違ッタト云イオッタ位ダガ、トウトウキズモ直リ、七十日目ニ床ヲハナレタ、ソレカラ今ニナントモナイカラ、病人ハ看病ガカンジンダヨ」
ここまで読んで来た時、神尾主膳の「ここだよ、馬鹿は馬鹿で、箸にも棒にもかからない奴も、子を見る心はまた別だな、親の心というものは実際こうしたものだろうよ、あれほど自分を粗末にし、世間を粗末にした奴も、子供のことであってみると、気違いになる。この愛情があればこそだ、今の勝が、
これに引比べて、おれは親の愛情というものを知らない。父が早く世を去ってしまった。今日の、このうだつの上らない、骨までやくざ者と化したのは、一にこの父親の愛情が恵まれなかったからだ――
ということを、神尾主膳がそぞろ心に思い起して来ると、世間の親の有難さということに
不思議にも熱くなった目頭から、うるおってくる瞳で、なお巻を読み進めて行く。
「親類ノ牧野長門守ガ山田奉行ヨリ長崎奉行ニ転役シタガ、ソノ月、水心子秀世ガ云イ人デ、虎ノ門外桜田町ノ尾張屋亀吉トイウ安芸ノ小差ガ、牧野ノ小差ニナリタガッテ、オレニ頼ンダ故、世話ヲシテヤロウト云ッタラ、金ヲ五十両持ッテ来テ、是デ牧野様ガ御好ミノ物ヲ買ッテ上ゲテクレロト云ウカラ、イロイロ牧野ノ息子ヘ品物ヲヤッタガ、一日オソクテ外ノ者ガナッタカラ、尾張屋ハ鼻ガアイタ故、気ノ毒ダカラ、残リノ金ヲバ返スト言ッタラ、ソレハ水金デゴザリマスカラ御遣イナサレマセトテ三十両バカリ呉レタトコロ、ソノ後ニ久セガナッタ故、世話ヲシテヤロウトオモッテ呼ビニヤッタラ、亀吉ハ疾 ウニ死ンダトイウカラ、ソレキリニシタッケ」
「地主ノ当主ガドウラク者デ或時、揚代 ガ十七両タマッテ、吉原ノ茶屋ガ願ウト云イオッテ困ッタガ、フダンカラ誰モ世話ヲシナイ故、オレニ頼ンダ、オレハ昨今ノコトダカラ知ラズ、金ヲ工面 シテ済マシテヤッタガ、ソノ後モ五両ニ壱分ノ利ヲ七十両借リテ女郎ヲ受ケタガ、皆済目録トカヲ代リニヤッタトテ、用人ヤ知行ノ者ガ困ッテイル故ニ、又オレニ頼ンダカラ、諸方ノ道具屋ヨリ来テイタ大小ヤラ、道具ヤラ、イロイロコンタンヲシテ取返シテヤッタガ、イチエンソレヲ返サヌカラ、オレガ困ッテ、諸方ヘ段々ト返シタガ、ソレカラ万事、金ノ融通ガ悪クナッテ困ッタ、ソレニツキ合イガハルカラ大迷惑ヲシタ、ソノ当分ハイロイロ道具ヲ売ッテ取リツヅイタガ、段々物ガ尽キルカラ、シマイニハ武器ヲ払ッタガ、年来丹精ヲシテ拵 エタモノ故、惜シカッタガ、仕方ガナイ故、残ラズ売ッタガ、拵エル時ノ半分ニモナラナイモノダ、シマイニハ四文ノ銭ニモ困ッタ、全ク地主ニ立替エタ故ダ」
それそれ、見たことか、顔役、千三屋も限度というものがある。いい気になって人の世話を焼いていると、今度は身が詰って来るは火を見るようなものなのだ。ツキ合イガハルカラ大迷惑――それが当然の成行きで、それから身のつまりになるのは、我も人も変ったことはない――
「ソレカラ或晩、地主ノオマエサマガ忍ンデ来テ云ウニハ、孫一郎ガフシダラ故ニ、家内中ハ困ルカラ、支配向ヘ話シテ隠居サセテクレロト云ウカラ、取扱エモ咄 シタラ、オマエ様ヨリ証拠ノ文ヲ取ッテ来イト云ウカラ、ソノ事ヲ咄シテ、文ヲ取ッテ、長坂三右衛門ヘ見セタラ、頭 ノ長井五右衛門ヘ始終ヲ咄シテ、支配カラ隠居シロト云ッテ出タカラ、孫一郎モ何トモ云ウコトガ出来ズニ隠居シタガ、後ノ孫一郎ハ十四ダカラ、ミンナオレガ世話ヲシテ、家督ノ時モ一緒ニ御城ヘ連レテ出タ、先孫一郎ハ隠居シテ江雪ト改メテ剃髪 シタ、ソレカラ家来ノコトモミダラニナッテイルカラ、家来ニ差図シテ、取締方万事口入レシテ取極メヲツケテヤッタラ、程ナク又々隠居ガ、岩瀬権右衛門トイウ男ヲ用人ニ入レテ、イロイロ悪法ヲカイテ、権右衛門ヘ給金弐拾両ニ弐拾俵五人扶持ヤッテ好キノコトヲシオルカラ、ウチジュウガ寄ッテ頼ム故ニ、頭沙汰ニシテ、権右衛門ヲ追出シテ、外ノ用人ヲ入レタ、ソノウチニ後ノ孫一郎ノオフクロガ死ヌ故、隠居ガマタマタモクロミヲシタカラ、ソノ時モ、ソノ一件ヲ片附ケテヤルシ、ソノ後、江雪ガ女郎ヲ引受ケ連レテ来タ時モ世話ヲシテ、柳島ヘ別宅ヲ拵エテヤッタ、ソレカラ一年バカリタッテ、江雪ガ大病故ニ、イロイロ世話ヲシタガ、ソノ時ニ、オレニ云ウニハ、今度ハ快気ハオボツカナイカラ、悴 ノコトハ万端頼ムカラ、嫁ヲ取ラシテ後、御番入リスルマデハ必ズ見捨テズニ世話ヲシテクレト云ウカラ、聞届ケタト挨拶ヲシタカラ、悦ンデ翌日死ンダカラ、又々世話ヲシテ、残リ無ク後ヲ片附ケタガ、世間デ岡野ト云ウト、誰モ嫁ノ呉レテガ無イカラ、麻布市兵衛町ノ伊藤権之助ガ嫁ヲ貰ッテヤッタ、オマエ様ガ云ウニハ、何モ持ッテキテガナイカラ、何ニモイラヌト云ウカラ、権之助ヘオレガ掛合ッテ百両ノ持参デ、諸道具モ高相応ニシテ貰ッタカラ、知行所ノ百姓モキモヲツブシテ、私共二三年諸方ヘ頼ンデ奥様ノコトヲ骨ヲ折ッタガ、岡野ト聞クト皆々破談ニナリマシタガ、御蔭デ殿様初メ一同安心シテ悦ビマス、殊ニハ御持参金モアルシ有難イト云イオッタ、ソレ迄ハ千五百石デ道具ガ一ツ無クッテ、大小マデモ逢対 ノ時ニ借リテ出ル位ダカラ、世間デ呉レナイモ尤 モダト思ッタ、ソレカラ普請ガ大破故、武州相州ノ百姓ヲ呼ビ出シテ、家作モ直シ、大勢ノ厄介ノ身上マデ拵エテヤッタ、当主ノ伯父ノ坊主デイタ仙之助ト云ウ男ニモ、地面内ヘ家作ヲシテ、妾 マデ持タシテヤッタラ、家内ノ者ガオレヲ神様ノヨウニ云イオッタ、暮シ方モ百両故、三百三十両ノ暮シニシテ、厄介ヘモソレゾレ壱カ年アテガイヲ附ケテ稽古事デモ出来ル様ニシテ、馬迄買ワシ、千五百石ノ高位ニハ少シ過ギル位ニシテヤッタガ、何ヲイウニモ借金ガ五千両バカリアル故、コラエガ馬鹿ノ者ニハ出来ヌ」
これはまた、神尾にとって少々耳――ではない、目が痛い。千五百石となると、もう小身の部ではない、おれの分限にも近くなってくるし、当主という奴の身持が、おれの伝だ。他人のことにして見ると、六十七
こうして顔を広くし、人の面倒を見てやっては男を売るというような立場になると、どのみち、行詰まるのは運動費だ。本来、金のなる木を持っているわけではなし、千三屋というものは、千に三つしか当らないわけのものだろう。当った時の
「オレハ次第ニ貧乏ニナルシ、仕方ガ無イカラ妙見宮ヘムリノ願ヲカケテ、今一度困窮ノ直ルヨウニト、百日ノ行ヲハジメタガ……」
それ見たことか、
「日ニ三度ズツ水行ヲシテ、食ヲスクナクシテ祈ッタガ、八九十日タツト、下谷ノ友達ガ寄ッテ、久シクオレガ下谷ヘ来ナイトテ、ナゼダロウト云ウト、オレノ家来分ノ小林隼太ガ、此頃ハ貧乏ニナッテ弱ッテイルト云ッタラ、皆ンナガ、気ノ毒ナコトダ、今迄イロイロ世話ニモナルシ、恩返シニハ少シデモ無尽 ヲシテ、掛捨テニシテヤロウカ、ソウ云ッテハ取ラヌカラ、勝ヲ会主ニスルガイイト相談シテ、鈴木新二郎ト云ウ井上ノ弟子ノ免許ノ仁ガ来テ、オレニ云ウニハ、今度友達ガ寄ッテ遊山無尽ヲ拵 エルガ、最早大ガイハ拵エタガ、オマエニ会主ヲシテクレロトイウカラ、ナッテクレロトイウ故ニ、ソレハヨカロウガ、此節ハ困窮シテ中々無尽ドコロデハナイカラ、断ワッテクレト云ッタラ、何ニシロ、オマエガ断ワルト出来ヌカラ加入シロト云ウ、掛金モ出来ヌトイッタラ、ソレデモイイカラトイウ故、承知シタトテ帰シタラ、二三日タッテ、マタ新二郎ガ来テ、帳面ヲ出シテ、金五両置イテ、此後ハ加入ノ人々ガ来ルト云ッテ帰ッタ故、全ク妙見ノ利益 ト思ッテ、ソレカラ直グニ刀ノ売買ヲシタラ、ソノ月ノ末ニハ、築地ノ又兵衛ト云ウ蔵宿ノ番当ガ頼ンダ備前ノ助包 ノ刀ヲ、松平伯耆守ヘ売ッテ十一両モウケタガ、又兵衛モ、ウナギ代トテ別ニ五両クレタ、ソレカラ毎晩、江戸神田辺、本所ノ道具市ヘ出テハモウケスルコトガヨカッタカラ、復々 金ガ出来ル故ニ、諸所ノコン意ノ者ガ困ルト聞クト、助ケテヤッタ故、ミンナガヒイキヲシテ、イロイロ刀ヲ持ッテ来ルカラ、素人 ヨリ買ウカライツモ損ヲシタコトハナカッタ、道具ノ市ニテハモウケノ半分ハ諸道具屋ヘ、ソバ又ハ酒ヲ買ッテ食ワセタユエ、殿様殿様ト云イオッテ、外ノ者ガカッテ物ヲ持ッテ来ルト、前金ニ内通シテクレル故、イチモ損ヲシナカッタカラ、伏ノ市ニハ切者 ノモノニ、オレガカサヲアケサセタカラ見損ジテ、三匁ノ物ヲオレガ一分入レルト、カセアケガ段々見テ、勝様ハ三匁五分ト云ウカラ、五分ノ損ダカラヨカッタ、ソノ替リニハ、イツモ仕舞イニハソバヲタトエ五十人来テモ一パイズツニテモ、是非クワセルヨウニシテ帰シタカラ、町人ハ壱文弐文ヲアラソウ故、皆ンナガ悦ンデ、諸所ノ市場ニハ、オレガ乗ル蒲団ヲ一ツズツ拵エテアッタ、友達ガクヤシガッテ、イツモオマエハ、市デハ商人ガハイハイ云ウ、ドウイウ訳ダト云ウカラ、右ノ次第ヲ咄 シタラ、ソレデハ損ダト皆々云ッタガ、タイソウ得ニナッタ、ソレカラ借金ガ四十俵ノ高デ三百五十両半アルカラ、女郎ヲ買ッタト思ッテ、金ノハイル度々 、段々トウチコンダカラ、二年半バカリニ三四十両ニナッタ、コワイモノダ」
やりくりというものは、窮するが如くして迫らざるところのあるものだ。この窮通ができたのは、妙見様の
「何デモ施シガ第一ト心得テ近所ハ勿論 、困ルト云ウモノニハ、ソレゾレソノ者ガ身ニ応ジテ施シタガ、ソノセイカ、饑饉ノ年ニハ、毎日毎日日々壱朱ズツ小遣 ニシテ遊ンダ、友達ヘモ時ノ会ヲ合ワシテヤルシ、毎晩毎晩、道具ノ市ヘ行ッテ勤メダト思ッテ精ヲ出シタ、売物ノブ市トイウ物ヲ百文ニツイテ四文ズツノケテミタガ、三月ノ中ニ三両弐分ト葉銭ガタマッタカラ、刀ヲコシラエタ」
この辺になると、二宮金次郎はだしだ。感心感心と神尾があしらい――さて、その次には本職の方になってくる。
「剣術ノ仲間デハ、諸先生ヲノケテ、イツモオレガ皆ノ上座ヲシタガ、藤川近義先生ノ年廻リニハ出席ガ五百八十半人有ッタガ、ソノ時ハオレガ一本勝負源平ノ行司ヲシタ、赤石孚祐先生ノ年忘レハ岡野デシタガ、行司取締ハオレダ、井上ノ先伝兵衛先生ノ年忘レニモ頼ミデ諸勝負ノ見分 ハオレガシタ、男谷 ノ稽古場開キニモオレガ取締行司ダ、ソノ時分ハ万事流儀ノモメ合イ、弟子口論伝受ノ時ノ言渡シ、多分オレバカリシタガ、岡野ハ伝受ノコトハ皆々オレニ聞キ合ワセタ、オレガ下知ニソムク者ハナカッタ、大小ノ拵 エ様並ビニ衣服又ハ髪形マデ、下谷、本所ハオレノ通リニシタガ、奇妙ノコトダト思ッテ居ルヨ。
ソノ時分ハ、諸所ノ道場ガ至ッテ義定ガ立ッテイテ、先生トハ同座同席ハ弟子ガシナカッタ、外ノ先生ガ来ルト、直グニ高弟ガ出向イテ刀ヲ取ッテ案内ヲシタ、先生迄モソノ玄関マデ迎イニ出タモノダガ、此頃ハ物ガ乱レテ、知ラヌ顔デカマワヌガ、イロイロノ様子ニナルモノダ、稽古モ稽古場ヘ二組トキマッテイタガ、ソレモムチャニナッテ幾組モ勝負ヲスルヨウニナッタ」
さてまた、いろいろのソノ時分ハ、諸所ノ道場ガ至ッテ義定ガ立ッテイテ、先生トハ同座同席ハ弟子ガシナカッタ、外ノ先生ガ来ルト、直グニ高弟ガ出向イテ刀ヲ取ッテ案内ヲシタ、先生迄モソノ玄関マデ迎イニ出タモノダガ、此頃ハ物ガ乱レテ、知ラヌ顔デカマワヌガ、イロイロノ様子ニナルモノダ、稽古モ稽古場ヘ二組トキマッテイタガ、ソレモムチャニナッテ幾組モ勝負ヲスルヨウニナッタ」
「通リ町ノチチブ屋三九郎ト云ウ者ガ、公儀ノキジカタ小遣モノノ御用足 ダガ、段々家ガ衰エテ来テ、今ハソノ株ガホカニモ出来テ、一向ニ御用モタサズシテ困ッテイルト高田藤五郎トイウ者ガ云ウカラ、段々聞イタラ、此節末姫様ガ薩州ヘ御引移リ故、右ノ御用ガキキタイト云ウ故ニ、オレガ骨ヲ折ッテ、御本丸ノ御年寄ノ瀬山サンヲ頼ンデ、末姫様ノ御引移リノ時ノ師匠番くれないサンヘ頼ンデ御用キキニシテヤッタガ、ソノ前ニ心願ガ出来タラ、紅サンヘ三十両、瀬山サンヘモ礼ヲスル約束故ニ、ソノコトヲ云ッテヤッタラ、紅サンハ大ノ慾バリ故、悦ンデチチブ屋ヘカンサツヲ渡シテ、先ズ七十両ノ御用ヲ申シ渡シタ故、右ノ金ヲヨコセトイウカラ、三九郎ヘ咄 シタラ、イロイロ難渋ヲ云イオッテ、始メトハ違ッテ、オレノウチヘモ来タ故、三九郎ヲ呼ンデ、世話ノ変替 ヲシタ、ソウスルト早々御用モ下ルシ、カンサツヲ取上ゲハシマイト思ッテイルト、二三日タツトカンサツヲ取上ゲラレテ御用ノ物ハ不用ニナッタカラ、オレノ所ヘカケツケテ夫婦デ来タ、イロイロ云イオッタガ、始末ガカン気ニサワッタ故、ソレナソニシテイタラ、四十両バカリ損ヲシテ、ソノ上ニ大火事ニ焼ケテ裏店 ヘハイッテイルト聞イタ、世ノ中ニハ三九郎ノヨウナ者ガ今ハイクラモアルカラ、油断ヲスルトクラウモノダ」
六十八
さて、これから勝のおやじの生れ家、男谷との間柄を書いてあるが、このおやじは前に言う通り、子供の時分から勝へ養子にやられ、
「二番目ノ兄ガ御代官ニナッテカラ、先年三郎左衛門ヘ八両貸シタラ返サヌカラ、男谷デ出会ッテ大喧嘩ヲシテ、兄ハソノ晩逃ゲテ帰ッタガ、ソレカラ十年バカリ絶交シテ居タガ、何トカ思ッタト見エテ、オレノ所ヘ手紙ヲヨコシテ、久々逢ワヌカラ近所ヘ来タカラ尋ネテクレロトイッテ金ヲ二分ヨコシタカラ、亀沢町ヘ行ッテアニヨメニ話シタラバ、先カラ尋ネタラ行クガヨイトイウカラ、直グニ行ッタラ、家中出テイロイロト馳走ヲシテ、彼是トイウカラ、久シク御無沙汰 ノ段ヲイロイロ云ッテ仲直リ同様ニシテ帰ッタラ、又々、兄ガ女房ヨリ文ヲヨコシテ、オレノ妻ヘ礼ヲイッテヨコシタ、ソレカラ不断尋ネテヤッタ、丁度、支配ガ大兄ノ支配シタ越後水原 ニナッタカラ、国ノ風俗人気ノコトヲ聞クカラ、オレガモト行ッタ時ノ様子ヲハナシテ勤向キノコトモ、アラアラシカッタコトハ咄 シテヤッタ。
ソノ翌年ノ春正月七日、御用始メノ夜ニ、何者トモ知ラズ、狼藉者 ガハイッテ惣領忠蔵ヲキリ殺シタガ、ソノ時、早速ニ使ヲヨコシタ故、飛ンデイッタガ、モハヤ事ガキレタ、翌日心当リガアッタカラ、小石川ヘ行ッタガ立退イタト見エテ知レヌカラ帰ッタ、ソノウチ大兄ニ近親共ガ来テ相談シテ、オレニ当分林町ニ居テクレロト云ウカラ、毎晩毎晩泊ッテ居タ、昼ハ用ガ有ルカラウチヘ帰ッテイテ、ソノ月ノ二十五日ニ、ケンシガ来テ、二十九日ニハ忠蔵ノ妻ト、兄ガ妻ト、忠蔵ノ惣領ノ※[#「月+毛」、117-16]太郎ヲ評定所ヘ呼出シニナッテ、オレト黒部篤三郎ト云ウ兄ガ三男ガ同道人ニナッテイタガ、ソレカラソノコトデ一年ノ内、月ニ二度位ズツ評定所ヘ出タ、或時同所御座敷ニテ大草能登守ガ与力神上八太郎ト云ウ者ト大談事ヲナシタガ、同所留守居ノ神尾藤右衛門、御徒目附 石坂清三郎、評定所同心湯場宗十郎等ガ中ヘイリテ、段々八太郎ガ不礼ノ段ヲ詫 ビルカラ、大草ヘモ云ワズニ帰ッタ、オヨソ壱時 バカリノコト、御座敷中ガ大騒動シタガ、イイキビダッタ、相士ノ者ハ皆フルエテ居オッタ」
二番目の兄というのは男谷精一郎のことだろう。その総領の忠蔵が寝込みを襲われて人に斬り殺されたというのは只事ではない。ほかならぬ剣術の家であって、しかも男谷信友ともある者の長子だから、相当腕に覚えがなければならないのが、おめおめと斬り殺されたとは不審の至りだ。何者が、何の恨みあってしたことか、これをくわしく知りたいものだが、この自叙伝は大ざっぱで、それにはちっとも触れていない。評定所で与力と大喧嘩をして、これを詫びさせるなどは、どういういきさつか、これもわからないが、このおやじらしい振舞だ――ソノ翌年ノ春正月七日、御用始メノ夜ニ、何者トモ知ラズ、
「コノ年、次ノ兄ガ始メテ越後ヘ行ク故ニ留守ヲ預カッタ、ソレカラオレガ借金モ抜ケタカラ、少シズツ遊山ヲ始メタガ、仕舞イニハイロイロ馬鹿ヲヤッテ、金ヲ遣ッタカラ困ッタ、シカシ借金ハシナイヨウニシタ、林町ノ兄ガ帰ッタカラ、留守ノウチノコトヲ書附デ出シテヤッタラ悦ンデ居タ、コノ年、従弟 ノ竹内平右衛門ガ娘ヲ、オレノ実娘ニシテ六合忠五郎ト云ウ三百俵ノ男ヘヨメニヤッタ、忠五郎ハモトヨリ弟子故、縁者ニナッタ、竹内ノ惣領三平ガ此年御番入リヲシ、カタクルシクテ出勤ガ出来ヌカラ、御断ワリヲ申シテ引クト云ウカラ、オレガイロイロ工夫シテ、翌日カラ登城サセテタラ、大御番ニナッタ、ソノ親父ガ悦ンデ、一生コノ恩ハ忘レヌト云ッタガ、後年イロイロオレヲホメオッタ」
この辺は例の世話好きが現われて、相当に善事を致してもいるようだが、本来、しっかりした観念があってやるわけではないから、
「此暮ニ松坂三右衛門ガ越後ヘ行ク故、三男ノ正之助ト云ウヲ気遣ウ故ニ、オレガ異見ヲシテ、供ニ連レテ行ケト云ッタラ、聞済マシテ連レテ行クツモリニナッタラ、正之助ヘ供先ノコトヲイロイロト教エテ、御代官ノ侍ハ支配ヘ行クト金ニナルカラ、ソノ心得ヲヨク含メテヤッタガ、嬉シガッタ、彼地ヨリ帰ルト礼ヲスルト云ウカラ、ソノ約束デ別レタガ、検見中心得ノコトモ有ルカラ、ソレヲ手紙ニ書イテ送ッタガ、フト取落シタガ、兄ガ拾ッテ持ッテ帰ッテ大兄ヘ見セテ、イロイロオレヲ悪ク云ッタカラ、大兄ガ立腹シテ、オレヲ呼ビニヨコシタ」
何を云ったか、若い者によくない知恵をつけたのだろう。二人の兄が立腹するのも無理はなかろう。
「亀沢町ヘ行ッタラ兄ガ云ウニハ、オノシハ、ナゼ正之助ヘ知恵ヲツケテ、イロイロ支配所ノコトヲ教エタ、不埒 ノ男ガ、ソノ上ニ、羅紗羽織 ヲ着テイルガ、ナゼソンナ奢 リオルト叱ルカラ、オレガ云ウニハ、正之助ヘ書状ヲヤリシ覚エハ無ク、羅紗ノ羽織ハ小高故ニ、身ナリガ悪イト融通ガ出来ヌ故、余儀ナク着テオリ升 トイッタラ、ソノ外ニモ聞イタコトノ有ルハ、此頃ハモッパラ吉原ハイリヲスル由、世間ニテハ、オノシガ年頃ニハ、ミンナヤメル時分ニ、不届ノ致シ方ダトイロイロ云ウカラ、御尤 モニハゴザリマスガ、是モヤハリ身上ノタメニ、ツキ合イニ参リマスト云ウト、猶々 怒ッテ、何事モオレニ向ッテ口答エヲスル、親類ガ、オレガ云ウコトヲ誰モ云イ返ス者ハナイニ、オノシ壱人バカリ刃向ウハ不埒ダ、今一言云ッテミロ、手ハ見セヌト脇差ヘ手ヲ掛ケテ云ウカラ、オレガ云ウニハ、ソレハ兄デモ御言葉ガ過ギマショウ、私モ上 ノ御人ダ、犬モ朋輩、鷹モ朋輩ダカラ、ソウハ切レ升マイトテ、オレモ脇差ヲ取ッタラ、アニヨメガ中ヘハイッテ、イロイロ云ッテオレヲツレテ、手前ノ部屋ヘ来テ、正之助ノ一件ヲ片附ケロト云ウカラ、直グニ林町ヘ行ッテ兄ニ逢ッテ、兄弟ノ情ガ薄イトテ強談シタガ、兄ガ云ウニハ、全ク貴様ノタメヲ思ッテ、大兄ニ云ッタトテ、強情ヲハルカラ、ソノ時ハ役所ノ壱番元〆 太郎次ヲ兄ノ側ヘ呼寄セテ、兄ガ家事不取締故ニ、是迄度々 結構ノ御役ニナルトシクジリシコトカラ、当時ノ御役ノコトヲモ勤メル器量ガ無イトイウコトノアラマシヲ云イ聞カセテ、御役ヲ引クガイイトイッテヤッタ、ソウスルトソレハドウイウ訳ダト云ウカラ、ソノ時ニ兄ガ兄弟ノ手跡ノ真偽ヲ見分スルコトガ出来ヌ故ハ、ナカナカ県令ハ大役故ニ勤メラレヌト云ッテナゲ出シタ故、オレガ取ッテ燭台ヲ出サセテ三度クリ返シテ大音ニ読ンデ、兄ヘ返シテヨク似セマシタト云ッタラ、兄ガ云ウニハ、ナント是デモカレコレイウカト云ウカラ、オレガ云ウニハ、ソコガ三郎右衛門ハ分ラヌトイウモノダ、ナント私ガ書イタモノナラ、読ムウチニケン語ガスミハシマスマイ、大勢ヲ取扱ウ者ガ此位ノコトニ心ガ附カズバ大ナル御役ハ出来マスマイ、親類共ガ毎度私ヲバ不勤故ニ、小馬鹿ニ致シマスガ、天下ノ評定所デ筋違イノ不礼ヲタダス者ハ是迄聞キマセヌ、真偽ヲ知ラヌ兄ヲ持ッタガ私ガ不肖デゴザリ升 、ト挨拶シタラバ、ソノ座ノ者ガ一言モイウコトガ出来ヌ故、兄ガイウニハ、是ハ偽筆ニ違イナイカラ、ワシガアヤマッタト云ウカラ、サヨウナラ大兄ヘ手紙ヲ遣 ワシテ、ソノ訳ヲ御申シナサレト云イ、ソノツイデ又通ジタ故、返事ノクルマデ待ッテ居テ、申シ分ナイト云ウ大兄ガ返事ヲ見テカラウチヘ帰ッタガ、ソノ時、甥 メラハ脇差ヲサシテ次ノ間ニ残ラズ結ンデ居タカラ、帰リガケニ甥ラニ向ッテ、オノシ等ハ先達テ中ノ狼藉ノ時、ソノ通リノ心ガケヲシテタラ、忠蔵ハヤミヤミト殺シハシマイモノ、ソノ時ハ逃ゲテ伯父ヲ取廻イタ、馬鹿ニモ程ノアッタモノダガ、親父様ノ子供ヘノ御教エニカンシンシタト云ッテ笑ッタガ、ウチ中ガクヤシガッタトソノ後聞イタヨ」
兄貴二人をやり込めていい気でいる。ドウもこういう乱暴者にあっては、府内第一の剣術遣いもねっから押しが
「ソレカラ後ハ、大兄モ、林町ノ兄モ、オレガ事ヲ気ヲ附ケテ居ルカラ、少シモトンチャクシナイデ、イロイロ馬鹿騒ギヲシテ日ヲ送ッタガ、或時ニ林町ノ兄ガ三男ノ正之助ガ来テイロイロ兄ノ咄 ヲシタカラ、揚代滞リニシテ六両金ヲ出シテ、カリ宅ヘ林町ノ用人ヲ連レテ行ッテ、方ヲカイテヤッタラ、兄ガオコッテ、ヤカマシクイウカラ、アニヨメヘオレガ行ッテ、イロイロハグラカシテソノコトハ済ンダ、オレモ三四年ハ大キニ心ガユルンダカラ、吉原ヘバカリハイッテ居タガ、トウトウ、地廻リノ悪輩共ヲ手下ニ附ケタカラ、壱人モオレニ刃向ウ者無カッタ、ソノ替リニ金モイカイコト遣ッタガ、皆ンナオレガ働キデ、借金ヲセヌヨウニシテ、道具ノ市ヘハ一晩デモ欠カサヌヨウニシテ儲ケタガ足リナカッタ」
六十九
二人の兄貴も、いよいよこれでは黙ってばかりいられない。
「此年、男谷カラ呼ビニヨコシタカラ、精一郎ガ部屋ヘ行ッタラ、ソレカラ、姉ガ云ウニハ、左衛門太郎殿、オ前ハナゼニソンナニ心得違イバカリシナサル、オ兄様ガコノ間カラ世間ノ様子ヲ残ラズ聞合ワセテゴザッタガ、捨置ケヌトテ心配シテ、今度、庭ヘ檻 ヲ拵 エテ、オマエヲ入レルト云イナサルカラ、イロイロミンナガ留メタガ、少シモ聞カズシテ、昨日出来上ッタカラハ、晩ニ呼ビニニヤッテオシ籠 メルト相談ガキマッタガ、精一郎モ留メタガナカナカ聞入レガナイカラ、ワタシモ困ッテ居ルト云ッテ、オレニ庭ヘ出テ見ロト云ウカラ、出テ見タラ、二重ガコイニシテ厳重ニ拵エタ故――」
それ見ろ、またしても熊の檻へ入れられる。前に三年というもの三畳の座敷牢へ押込められて、多少は覚えがあるだろう。今度は座敷牢では
「姉ニ云ウニハ、段々、兄弟ガ御深切ハ有難ウゴザイマスガ(これが有難くなくてなるものか)今度ハ燈心デデモオコシラエナサレバイイニ、ナゼトイウニ、私モ今度入ルト、最早、出スト免 シテモ出ハシマセヌ、ソノ訳ハ、此節ハ先ズ本所デ男ダテノヨウニナッテキマシテ、世間モ広シ、私ヲ知ラヌ者ハ人ガ馬鹿ニスルヨウニナリマシタカラ、コノ如クニナルト最早、世ノ中ヘハ面 ヲ出スコトハ出来マセヌカラ、断食シテ一日モ早ク死ニマス、斯様 ダロウト思ッタ故、妻ヘモアトノコトヲワザワザ云イ含メテ来マシタ、思召次第 ニナリマショウ、精一郎サン、大小ヲ渡シマスト云ッテ渡シタラ、姉ガ此上ハ改心シロトイウカラ、オレガ、此上改心ハ出来マセヌ、気ガ違イハセヌトイッタラ、精一ガ、御尤 モダガ御身ノ上ヲ慎シメト云ウカラ、慎ミ様モナイ、最早親父ガ死ンダカラ、頼ミモナイカラ、心願モ疾 ウヨリ止メタ故、セメテシタイ程ノコトヲシテ死ノウト思ウタ故ニ、兄ヘ世話ヲカケテ気ノ毒ダカラ、今ヨリ直グニココニ居リマショウト居タガ、精一郎ガ云ウニハ、必ズオマエハ食ヲ断ッテ死ヌダロウト思ッタ故、種々親父ガ機嫌ヲ見合ワセテ居タガ、聞入レヌ故、コウナッタトテ案ジテクレルカラ、何デモ兄ノ心ノ休マルガ肝要ダカラ、オリヘハイルガオレハヨカロウト思ッタ、先達テカラ友達ガ、ウスウス内通モシテクレタ故、疾ウヨリ覚悟ヲシテ居タカラ、一向ニ驚カヌトイッタラ、何シロ先ズ一度御宅ヘ御帰リナサレテ、妻トモ相談シロトイウカラ、ソレニハ及バズ、先ニイウ通リ何モウチノコトハ気ニカカルコトハナイ、息子ハ十六ダカラ、オレハ隠居ヲシテ早ク死ンダガマシダ、長イキヲスルト息子ガ困ルカラ、息子ノコトハ何分頼ムトイッタラ、ソノウチニ姉ガ来テ、一先ズウチヘ帰レトイウカラ、ソレカラ家ヘ戻ッタラ、夜五ツ時分迄、呼ビニ来ルカト待ッテ居タガ、一向沙汰 ガナイカラ、ソノ晩ハ吉原ヘ行ッタ、翌日帰ッタ」
「ソレカラ兄ヘ只ハ済マヌカラ、書附ヲ出セト云ウカラ、ソレモシナカッタ、姉ガイロイロ心配ヲシテ、諸寺諸山ヘ祈祷ナド頼ンダトイウコトヲ聞イタカラ、翌年春、挨拶安心ノタメ隠居シタガ、三十七ノ歳ダ」
三十七にもなるどうらくおやじを檻には入れそこなったが、隠居ということで、兄貴たちもまず安心の
「ソレカラハ、ムコクニ世ノ中ヲカケ廻リテ、イロイロノ世話ヲシテ、金ヲ取ッテ小遣ニシタガマダ足リナカッタ故、イロイロ工夫ヲシテ、オレノ身ノ上ガコウナッタハ、誰ガ大兄ヘススメテ、詰牢ヘマデ入レヨウトシタカトテ、ソレヲ探ッタラ、林町ノ兄ガ先年ノ恥ジシメタ意趣バラシニ、ウチ中ガ寄ッテ、無イコトマデ大兄ヘ告ゲタトイウコトヲ、慥 カニ聞留メタカラ、ソノ又返シニ目ヲ見セテクレヨウト思ッテ居ルト……」
こういう身知らずで執念深い弟を持った兄貴も思いやられる。さて、その
「三男ノ正之助ガ放蕩者故ニ、兄ガ困ッテイルト聞キナガラ、正之助ヲ呼ンデ、ダマシテ聞イタラ、残ラズ兄ガ謀 ヲ白状シタカラ、工面 ヲシテハ正之助ヘ金ヲ貸シテ遣ワシタガ、仕舞イニハ兄ガ借金ガ蔵宿ノモ切レシトイウカラ、オレガ竹内ノ隠居ヲダマシテ、トウトウ兄ノ判ヲ拵 エサセ、蔵宿デ百七十五両、勤メト入用ガ急ニ林町ニテ出来タトテ、正之助ガ諏訪部トイウ男ヲ頼ンデヤッテ借リタガ、蔵宿デモ、三人ガ道具箱デ肩衣 マデ着テ行ッタ故、疑ラズニヨコシタ、ソノ金ヲ皆ンナ遣ッテ仕舞ッタガ二月バカリデ知ッテ、兄ガ吝嗇 故ニ大層ニオコッタカラ、トウトウドコマデモ知ラヌ顔デシマッタガ蔵宿デハイロイロセンサクヲシタガ、知レズニシマッタ」
兄貴の息子をそそのかして放蕩を教えた上に、謀判を以て蔵宿から詐欺取財!
「或日、諏訪部ガ来テ、常盤橋ニテ明後日、狐バクチガ有ルカラ、オレニ一ショニ行ッテクレロ、是ハ千両バクチ故ニ、勝ツト大金ガハイルカラ、壱人デハ帰リガ気遣イダカラト云ウカラ、オレハソノ道ニハ今マデ手ヲ出シタコトガナイカライヤダトイッタラ、只行ッテ食物デモ食ウテ寝テ居ロト云ウカラ行ッタガ、ソノ時ハ諏訪部ニモ元手ガ三両シカ無カッタ、ソレモオレガ十両バカリハ貸シタ故ニ、深川ヘ行ッテ見タラ、蔵宿ノ亭主ダノ、大商人 ガ、日本橋近辺ヨリ集マッテ五六十人バカリシテ場ヲ始メタガ、オレニハイロイロノ馳走ヲシテクレタ故、常盤町ノ女郎屋ヘ行ッテ女郎ヲ呼ンデ遊ンデ居タガ、夜ノ七ツ時分ニ迎エヲヨコシタカラ、茶屋ヘ行ッテ見タラ、諏訪部ハ六百両ホド勝ッタ故、オレガ見切ッテ連レテ帰ッタ、生レテ初メテ、コンナバクチヲ見タト云ッタラ、皆ガ先生ハ人ガイイト云ッテ笑ッタヨ」
このくらい人がよければ申し分はなかろうが、御当人はバクチだけはやらなかったようだが、トバの用心棒に祭り上げられた。
「ソレカラ思イツイテ、心易 イ者ヘ高利ヲカシタガヨカッタ、浅草ノ奥山ノ茶屋ヘ金ヲカシタガ、是ハマダルカッタガ、ソノ代り山中ハハイハイトイイオッタ故親分ノヨウダッケ」
七十
さて、これから名うての剣客島田虎之助をからかった物語だ。
「或日、息子ガ柔術ノ相弟子ニ、島田虎之助トイウ男ガアッタガ、当時デノ剣術遣イダトミンナガオソレル故、コノ男ガカン癪 ノ強気者デ、男谷 ノ弟子モ皆々タタキ伏セラレテ浅草ノ新堀ヘ道場ヲ出シテ居タガ、オレハ一度モ逢ッタコトガナイカラ、近附 ニ行ッタラ、ソノ時オレガ思ウニハ、九州者ノ二三年先ニ江戸ニ来タトイッテモ、マダ江戸ナレハシマイカラ一ツタマシイヲ抜カシテヤロウト心附イタカラ、緋縮緬 ノジュバンニ洒落 タ衣類ヲ着テ、短刀羽織デヒョウシ木ノ木刀ヲ一本サシテ逢イタイト云ッタラバ、内弟子ガ出テドコカラ来タトイイオル故ニ、勝ノ隠居ダトイッタラ、早速ニ虎ガ出テ、袴ヲハイテ、座敷ヘ通シ、始メテノ挨拶モ済ンデカラ、イロイロ悴 ガ世話ノ段ヲ述ベテ、世間剣術話ヲシテ居タガ、オレノナリヲヤタラニ見テ、イロイロ世上ノ云ウタノノコトヲモッテ、アテツケルヨウニ聞ユルカラ、カネテソノ咄 モ聞イテ居タ故ニ、一向カマワズ、ソノ日ノ七ツ時分ニナッタカラ、虎ヘ云ウニハ、今日ハ始メテ参ッタカラ何ゾ土産ニテモ持ッテト存ジタガ、御好キナ物モ知レヌ故ニ、手ブラデ参ッタガ、酒ハ如何 トイッタラバ呑マヌト云ウカラ、甘物ハト聞イタラ、ソレハイイト答エルカラ、サヨウナラ御苦労ナガラ一所ニ浅草辺マデオ出デト、断ワルヲムリニ引出シテ、浅草デ先ズ奥山ノ女ドモヲナブッテ歩イタカラ、キモヲツブシタ顔ヲシテアトカラ来ルカラ、スシ飯ヲ食ウカト聞イタラ、好キダト云ウ故ニ、ソンナラ面白イトコロデ鮨 ヲ上ゲルトイッテ、吉原ヘイッテ大門ヲハイリニカカルト、御免御免ト云ウカラ、ムリニ仲ノ町ノオ亀ズシヘハイッテ、二階ヘ上ルト間モナク、イイツケタ鮨ヲ出シタ故、食ッテ居ル、ソノ時ニ、煙草ハドウダト聞イタラ、呑ムガ修行中故ヤメテ居ルト云ウカラ、ソレカラソレハ小量ノコトダ、煙草ヲスウトモ修行ノ出来ヌコトハアルマイ、世間デハオマエヲ豪傑ダト云ウカラ、近附ニ来タ、ソノヨウナ小量デハ江戸ノ修行ハ出来ヌトイッタラ、サヨウナラ今日ハ吸オウト云ウ故ニ、下ヘイイツケテ煙草入、煙管 ヲ買ワシタ、マタ酒モ呑メトセメタラ、同断ノ挨拶故ソレモ呑マシタ、ソノウチニ日ガ入ッタ故、諸方ヘ提灯ガトボルシ、折柄桜時故ニ風景モ一入 ヨク、段々ト揚屋ノ太夫ガ道中スルカラ、二階ヨリ見セタラ、虎ノ云ウニハ、誠ニ別世界ダトテ、余念無ク見テ居タカラ、是カラハオレガ威勢ヲ見セヨウトテ、隅カラ隅マデ見セテ、リキンデ見セタガ、大キニ恐レタ様子ダカラ、直チニ佐野槌ヤヘハイッテ、女郎ノ器量ノソノウチデ一番トイウノヲアゲテ遊ンダガ、桜ノ時分ダカラ、室ガ大勢デ座敷ガ無カッタガ、オレノ顔デ明ケサセテ、明日帰ッタガ、オレハ森下デ別レテ、ウチヘ帰ッタ、ソノ時ニ吉原デアノ通リノ振舞ハ出来ヌモノダガトイウコトデ、顔ガ売レタロウト皆ンナニ咄 シタトテ、松平ノ家来ノ松浦勘次ガオレニ咄シタニ、最早、隠居ハ吉原ヘ行ッテモ大丈夫ダトイッタ故、男谷ニテモ安心シタト。
ソレカラスルコトガ無イカラ、毎日毎日カン音、吉原ガ遊ビドコロデ居タガ、虎ガススメデ、香取カシマ参詣ヲスルト云ウカラ、四月初メニ松平内記ノ家中松浦勘次ヲトモニ連レテ、下総カラ諸所歩イタ道ニ、他流ヘ行キテツカイツツ行ッタガ、先年ヨリ居候共ヲ多ク出シタ故、ソレガ徳ニナッテ路銀モ遣ワズニ諸所ヲ見テ来タ、銚子ニテ足ガ痛ンダカラ、勘次ヲ上総房州ノ方ヘ約束シタ所ヘヤッテ、オレハ銚子ノ広ヤカラ舟デ江戸ヘ送ッテクレタカラ、寝ナガラウチヘ帰ッタ、ソレカラ毎日毎日、浄ルリヲ聞イテ浅草辺カラ下谷辺ヲ歩イテ、楽シミニシテ居タガ、六月カ五月末カト思ッタガ、九州ヨリ虎ガ兄弟ガ江戸ヘキタカラ、毎日毎日、行通イシテ、世話ヲシテ、江戸ヲ見セテ歩イタ、虎ノ兄ノ金十郎トイウ男ハ、万事オレ次第ニナッテ居ルカラ、大ガイオレノウチヘトメテ居タガ、或日、吉原ニワカヲ見ニ行ッタ晩、馬道デ喧嘩ヲシテ見セタラ金十郎ハコワガッタ、金十郎ハ国デハアバレ者ト云ッタガ、江戸ヘ来テハツマラヌ男デアッタ、八月末ニ九州ヘ帰ルカラ、川崎マデ送ッテ別レタ」
島田虎之助が当時での剣術ということは、神尾主膳も聞いて知ってはいるが、その島田の虎も、勝のおやじにかかっては、いやはや――しかしこんなに書きなぐるのは表面で、内心は勝のおやじも、たしかに島田に敬服したればこそ、この男を、ソレカラスルコトガ無イカラ、毎日毎日カン音、吉原ガ遊ビドコロデ居タガ、虎ガススメデ、香取カシマ参詣ヲスルト云ウカラ、四月初メニ松平内記ノ家中松浦勘次ヲトモニ連レテ、下総カラ諸所歩イタ道ニ、他流ヘ行キテツカイツツ行ッタガ、先年ヨリ居候共ヲ多ク出シタ故、ソレガ徳ニナッテ路銀モ遣ワズニ諸所ヲ見テ来タ、銚子ニテ足ガ痛ンダカラ、勘次ヲ上総房州ノ方ヘ約束シタ所ヘヤッテ、オレハ銚子ノ広ヤカラ舟デ江戸ヘ送ッテクレタカラ、寝ナガラウチヘ帰ッタ、ソレカラ毎日毎日、浄ルリヲ聞イテ浅草辺カラ下谷辺ヲ歩イテ、楽シミニシテ居タガ、六月カ五月末カト思ッタガ、九州ヨリ虎ガ兄弟ガ江戸ヘキタカラ、毎日毎日、行通イシテ、世話ヲシテ、江戸ヲ見セテ歩イタ、虎ノ兄ノ金十郎トイウ男ハ、万事オレ次第ニナッテ居ルカラ、大ガイオレノウチヘトメテ居タガ、或日、吉原ニワカヲ見ニ行ッタ晩、馬道デ喧嘩ヲシテ見セタラ金十郎ハコワガッタ、金十郎ハ国デハアバレ者ト云ッタガ、江戸ヘ来テハツマラヌ男デアッタ、八月末ニ九州ヘ帰ルカラ、川崎マデ送ッテ別レタ」
おれなんぞは――と神尾は、いつも身に引きくらべて見る。それはこの自叙伝が、雰囲気から言っても、どうらくから言っても、神尾の身に引きくらべて読むに最も都合よく出来ている――おれなんぞも、武術の方は、いい師匠を取って、相当に仕込まれたのだが、親爺がこんな馬鹿者でなかったためにしくじった。虎のような名剣師に就かなかったのが、まあ残念といえば残念のようなものだ。江戸者に生れて、身をあやまるも、身を立つるも、ほんの皮一重のものだよ――おれに子供でもあったらば……
神尾主膳も、こんなように
「あなた、何を読んでらっしゃるの」
不意に隔ての
七十一
襖越しに突立ったままで、
「あなた、何を読んでらっしゃるの」
ずいぶん、なめた行儀であるけれども、神尾にはそれがおこれない。ビタにしたように、
「うむ、なに、その、ちっとばかり読んでいるところだよ」
何を読んでいるのかと、これ以上はお絹が突っこまない。何を読もうとこの女には、読書というものが、あまり頭にない。
「ねえ、あなた――」
と、お絹が甘ったれた口調で言いました。甘ったれた口調ではない、これが本来この女の本調子なのですが、これを聞くと、神尾の血がグッと下って来る。
突立ったままの大丸髷で、だらしのない立ち姿をしながら、「ねえ、あなた――」それを神尾がおこれない。
こんななめきった行儀をされても、こんな甘ったるい言葉づかいをされても、つむじ曲りの神尾主膳が、どうしても腹を立つ気になれないのは、今にはじまったことではないのです。これが昨今になると、一層、身にこたえて来たようで
この女だけが、親爺の残してくれた唯一の遺産だ、いつも、神尾がこの女にさわると、むらむらとそれを受身にとって来る。この女は父の
神尾主膳はこの女を母とは、どうしても思えないが、姉とは受取れる。姉としては、いかさまふしだらな、甘ったる過ぎた姉ではあるが、姉の気分はいくらか
妙なもので、こんな我儘一ぱいに振舞える相手だが、自分が女狂いをする時は忘れてしまっているのに、この女が、ちょっと外へ出たり、また外泊なんぞをした場合には、神尾の心頭が異様に乱れ出して来るのである。それが近ごろは、だんだん
なあに、親爺の寵者で、うちの召使なんだ、おれのいろではあるまいし、おれもまずほかに女がいないではあるまいし、あいつに
「何だい――」
と受答え、自分の声は苦りきったつもりでも、いつしか、甘ったるい、舌たるいものになっている。
癪だ。
お絹は、神尾のそんな気分を知るや知らずや、
「あのねえ、駒井能登守様――あの方、このごろ、どうしていらっしゃるでしょう、御様子をお聞きにならない?」
「うむ、駒井か」
と神尾が、こうと言われて何となく胸を
「駒井能登か、知らんなあ、その後、どうしているかなあ」
「あのお方をあやまらせたのは、あなたの罪ね」
「いいや、そんなこたあないよ、駒井自身の
「でも、あなたがいて、あんなになさらなければ、駒井様は御無事でしたに違いないわ」
「うむ、おれのためじゃないよ、女のためだよ、駒井の奴め、あれで女にのろいもんだから、そこに
「どちらがどうか存じませんが、およそ、隙のない人間てありませんからね。駒井様の隙なんかは、同情して上げてよい隙なんでしょう。過ぎたことは仕方がありませんね。それにしてもあの方、今どうしていらっしゃるでしょう」
「イヤに今日に限って駒井に気を持つじゃないか」
「少し伺いたいことがありますから」
「ふむ、いまさら駒井に、何を聞きたい」
「あの方、たいそう洋学がお出来になるんですってね」
「うむ、そのことか。洋学、あれは出来るよ、あれが表芸なんだ、洋学だけは相当にやれると自他ともに許していたよ」
「惜しいわね」
「何が惜しい」
「それほど洋学がお出来になるのに」
「洋学なんぞは、毛唐の学問だ」
と、神尾が取って投げるように言いました。洋学が毛唐の学問であることは、神尾に聞かなくても、お絹でさえよくわかっている。
「惜しいわね、それほど洋学がお出来になるのに」
「何が惜しいんだよ」
「でも、当節、洋学がお出来になれば、お
「洋学が出来れば金儲けは望み次第? それで駒井のいないのが、宝の持腐れだというコケ惜しみか」
「そうよ、わたし、このごろ、つくづくそう思いますわ、もし、わたしに少しでも横文字が読め、達者に異人さんと話ができたら、どんなにお金儲けができますか、ちょっとやそっとのお金儲けではございませんのよ、何十万というお金儲け……」
「ふん、毛唐だって、そう甘い奴ばかりはあるまい、日本の金と土を取りたがって来ている奴等だ、洋学が出来たからというて、ペロが
「ところが、あなた、それが違うんですよ、日本人と見ると、むやみにお金を
「それを知っているなら、お前、遠慮なく拝借をしといたらいいじゃないか」
「わたしでは駄目、女では信用がないから」
「では、おれの名前でよろしければ貸して上げてもいい」
「あなたではなお駄目――駒井様あたりだと確かなものなんですがね」
「ふーむ、えらく踏み倒されたものだな――おれと駒井の相場がそれほど違うかな」
「違いますとも、あなたなんかはさかさに振っても鼻血も出やしないけれど、駒井様なら洋学もお出来になるし」
「洋学が出来さえすれば、毛唐は誰にでも金を貸すのか」
「洋学が出来て、御身分の保証がおありなされば、何万、何十万、何百万とまとまったお金を、右から左へ貸してくれますのよ」
「それはまた
「まあ、お聞きなさい、決して夢じゃありませんから」
ここまで、立ち姿、
七十二
お絹は白い手を火鉢の前にかざして、神尾の手をなぶるような仕草をしながら、
「ねえ、あなた、
「何だい、また
「小栗様、御存じなの?」
「知ってるよ。知ってると言ったところで、親密という間柄ではないが、若い時はおたがいに見知り越しだ」
「では、もう一つ、
「勝――それは知らん」
「小栗上野様と、勝安房様と、どっちがおえらいの?」
「小栗と、勝と、どっちがえらい? とわしに聞くのか。変な質問を出したもんだなあ。いったい、お前が今日に限って、そんな柄にもないことを聞き出す、その了見方から聞きたい」
「まあ、いいから、わたしの質問だけに答えて頂戴――わけはあとでお話しするから。ねえ、勝様と小栗様と、どちらがえらいのですか、それを聞かせて頂戴よう」
「勝がエライか、小栗がエライか、おれはそんなことは知らん、だが、旗本の地位からいうと、二人は比較にならん、小栗は東照権現以来の名家だが、勝というのはドコの馬の骨か、このごろになって
「お家柄は別としましてね、人物はどちらが上なんです」
「そりゃ、わからん、小栗は名家の末だからといって、当人が馬鹿では今の役はつとまるまいし、勝はまた無名のところから成り上ったくらいだから、相当の手腕がある奴だろう」
「同じお旗本のうちでも、その小栗様と、勝様とが、合わないんですってね、小栗様は徳川家を立てようとなさるし、勝様は薩摩と組んで、徳川家をつぶそうとしておいでなさるんですってね」
「そんなことがあるものか、小栗でなくったって、誰だって、旗本で徳川家を立てようとしない奴があるか、勝が薩摩と組んで徳川を
「誰いうとなく、そういった
「勝は奸物?
「それは、そうでしょう。では小栗様は小栗様、勝様は勝様として置いて、いったい、今の徳川様の天下をねらっている相手は誰なの」
「それは、薩摩と長州よ」
「そうなんでしょう、その薩摩と長州が、つまり徳川様の天下を倒そうとなさるんでしょう、それをそうはさせないと、小栗様や勝様が力んでいらっしゃるのですわね」
「勝と小栗に限ったことではないが、まず旗本では、あいつらが代表している」
「つまりは、薩摩や長州を相手に戦争ということになるわね。
「さすがに、築地通いをしているだけに、見識が広大になったものだ――金ばかりじゃ戦はできないよ、第一、士気というものが
「まあお聞きなさい、異人さんはね、そこのところへ目をつけて、日本へお金を貸したがってるんですとさ。それでね、上方の方へはイギリスという国が金主につき、お江戸の方へはフランスという国が金主について、お金をドンドン貸出して
「ばかげた噂だ、毛唐を金主に頼めば、毛唐に頭が上らなくなる、日本を抵当にして、一六勝負を争うようなもんだから、どんなに貧乏したって、毛唐の金で戦ができるか」
「でも、お金は借りたって、返しさえすれば、国を渡さなくても済むんでしょう、貸すというものはどんどん借りて置いて、
「ナニ、小栗がフランスから六百万両を借りる!」
神尾は複雑な意味で、驚異の叫びを立てましたけれども、お絹の頭は単純な貸借関係と、金額の数字の多少だけのもの。
「ここで、あなた、駒井様あたりがその間に立って、異人さんと口を
七十三
お絹は今日は、これだけのことを話して帰りました。
洋学の出来ない恨みを、おれに向って晴らしに来たようなものだが、それはたしかにお門違いだ、当然、駒井甚三郎のところへ持って行かねばならぬものを、戸惑いしておれのところへ来た。
だが、考えてみると、女というやつの考え方は、今に始めぬことだが浅どいものだ。洋学の知識というものも、
今、あいつが、附けたりで口走って行ったところに、聞捨てのならないものがある。聞捨てにすべきところが、聞捨てにならない。本末も、始終も、見境のない女のことだから、その本論は憫笑すべく、その附けたりは傾聴すべしか。というのは、ああいう女が無心で受けて来る
小栗と、勝と、どっちがエライ。そんなことは鼻垂小僧のする質問だが、勝が薩摩と組んで、主家の徳川を倒そうとしている。小栗が金を外国から借りて、宗家のために戦おうとしている。この風聞は聞きのがせないぞ、たとえ
勝が
小栗はこれを引受けて、これから、いざという時の軍用金、重々容易な苦心であるまいことも察するよ。金がなければ戦はできない、勿論のことだ、だが金だけで戦ができるものじゃない。第一、士気が振わなければ戦はできない、それから兵糧、それから金、と今も女に言って聞かせたのだが、さて実際、今の徳川に当てハメて見ると、この条件が叶っているかいないか、と念を押すまでもない、士気といったらごらんの通り、恥かしながらこの神尾主膳の如きが代表の一人かも知れぬ。食糧の点も、諸国の大名との交通に差しさわりがなく、幕下の知行が今のままなら何のことはあるまいけれども、いざ戦争となれば、天下が乱れて諸道が塞がる、江戸そのものの食糧が上ったりになりはしないか。金ときた日には――徳川家康は金を持っていたが、豊臣秀吉も金を持っていたぞ、天下を取る奴はみんな金を持っていた。金持がキッと天下を取るというわけではないが、金のない奴には大仕事はできない。いやいや大仕事をする奴は金運というものが向いて来るものなんだ、時運が盛んで、英気が
おれも貧乏だが、徳川の宗家も貧乏だよ。その傾きかかった宗家を支えて、戦争の一つもしようというには、先立つものは金だ。金だと言ったところで、生やさしいものではない。勝のおやじや、おれなんぞは、
まさか、小栗だって、国というものを抵当に置いて、毛唐から借金するまでに血迷いはすまい。毛唐の力を借りて徳川を立ててみたところで、日本という国が毛唐の下風に立つようになってはおしまいだ。あの女の言うところによると、幕府の方の後ろの金方はフランス、長州薩摩の方はイギリスだとのことだが、長州や薩摩だって同様だ、徳川が憎いからといって、毛唐に国を売るような振舞はすまい。
だが、意地となると、どういう番狂わせが出来るか知れたものでない。今時きっての知恵者だという勝安房は、いったい、どういう考えを持っているのか。おれは一概にあいつを奸物だとは見たくないのだ。彼の本意を聞いてみたいものではないか。
且つまた、小栗のはらがドコまで据わっているか、これも一番見届けたいものではないか。
その他、いよいよという時に頼みになる奴は、ドコの誰で、どうしている。
神尾が、しばし眼をつぶって沈思の
以前ほど気乗りはしないが、とにかく、もうあと少しだ、読んでしまってみてやろうという気になって、丁をめくってみましたが、もはや心が全く書物の上から移ったようで、それでも、眼はその文字の上を惰力的に追っている。
七十四
神尾主膳は、せっかく興味をもって読みつづいていた勝の親父の自叙伝を、さきにはビタが来て妨げ、今はお絹が来て中断されたが、さきのビタは問題にならず、お絹の話して行った言句が気になって、これからは、うつろに何枚かの丁を飛ばして行ったが、ふと、しまい際へ来て、女、という文字に釣り込まれて読みついでみると、
「オレガ山口ニ居タ時分ダガ、或女ニホレテ困ッタコトガアッタガ、ソノ時ニ、オレガ女房ガソノ女ヲ貰ッテヤロウト云イオルカラ、頼ンダラバ、私ヘ暇ヲ呉レトイウカラ、ソレハナゼダト云ッタラ、女ノウチヘ私ガ参ッテ、是非トモ貰イマスカラ、先モ武士ダカラ、挨拶ガ悪イト、私ガ死ンデモライマスカラ、ト云ッタ、ソノ時ニ短刀ヲ女房ヘ渡シタガ、今晩参ッテキット連レテ来ルト云ウカラ、オレハ外ヘ遊ビニ行ッタラバ、南平ニ出先デ出会ッタ故 、何事無シニ咄 シテ居タラバ、南平ガ云ウニハ、勝様ハ女難ノ相ガ厳シイ、心当リハ無イカト尋ネルカラ、右ノ次第ヲ咄シタラバ、ソレハヨクナスッタト云ウカラ、別レテ、又々、関川讃岐トイウ易者ト心易 イカラ、通リガカリニ寄ッタラ、アナタハ大変ダ、上レトイウ故、上ヘ通ッタラバ、女難ノコトヲ云イオッテ、今晩ハ剣難ガ有ルガ、人ガ大勢痛ムダロウトテ、心当リハ無イカト尋ネルカラ、初メヨリノコトヲ話シタラバ肝ヲツブシテ、段々深切ニ意見ヲシテクレテ、女房ハ貞実ダト云ッテ、以来ハ情ヲ懸ケテヤレ、トイロイロ云ウカラ、考エテミタラバ、オレガ心得違イダカラ、夕方ウチヘ飛ンデ帰ッタラ、隠居ニ娘ヲ抱カセテ男谷 ヘヤッテ、女房ハ書置ヲシテウチヲ出ルトコロヘ帰ッテ、ソレカラ漸々 止メテ、何事モ無カッタガ、是迄、度々、女房ニモ助ケラレシコトモアッタ、ソレカラハ不便 ヲカケテヤッタガ、ソレマデハ一日デモ、オレニ叩カレヌトイウコトハ無カッタ、此ノ四五年、俄 カニ病身ニナッタモ、ソノセイカモ知レヌト思ウカラ、隠居様ノヨウニシテ置クワ」
こういうおやじの兄弟も大抵ではないが、細君となるものがことさら思いやられる。亭主の馬鹿に比べてこの女房はエライ、勘弁が届いている――だが、内心ドノくらい、血の涙を呑んだことか。女ではおれもずいぶん馬鹿を尽しただけに、貞婦なる女房というものの有難さがわかって来た。さて、それからは、また頭に入って読みつづくと、
「オレガ隠居スル前年ダカ、吉原ガ焼ケテ、諸方ヘ仮宅ガ出来タ、ソノ時、山ノ宿 ノ佐野槌屋ノ二階デ、端場 ノ息子熊トイウ者ト大喧嘩ヲシタガ、熊ヲ二階カラ下ヘ投ゲ出シテヤッタガ、ソノ時、銭座ノ手代ガ二三人来テ熊ヲ連レテ帰ッタガ、少シ過ギルト三十人バカリ、長鍵デ来テ佐野槌屋ヲ取巻イタカラ、オレガ肌ヲヌイデ、襦袢 一ツデ高モモ立ヲ取ッテ飛ビ出シテ叩キ合ッタガ、三度、二三町追イ返シタソノ時ニ、会所カラ大勢出テ引分ケタガ、ソレカラ山ノ宿デモ、女郎屋一同ニ、客ヲ送ル婆アモ、嬶 アモ、オレガ顔ヲ下カラヨクヨクシオッタ故、何モ間違イガ無カッタ、ソノ時ハ刀ハ二尺五寸ノヲ差シテイタ、山ノ宿中、女郎屋ガ三日戸ヲシメタガ、事無ク済ンダ。
ソノ外、所々ニテノ喧嘩、幾度モアッタガ、タイガイ忘レタ。
浅草市デ、多羅尾七郎三郎ト、男谷忠次郎ト、ソノ外五六人デ行ッタ時ハ、二尺八寸ノ関ノ金光ノ刀ヲサシタガ――ソレニ急ニ七郎三郎ガ誘ッタ故、袴 ヲハカズニ行ッタカラ、雷門ノ内デ込合ウ故ニ、刀ガ股倉ヘ入ッテ歩カレナカッタガ、押合ッテ行クト、侍ガ多羅尾ノ頭ヲ山椒 ノ摺古木 デブッタカラ、オレガ押サレナガラ、ソイツノ羽織ヲオサエタラバ、摺古木デマタオレノ肩ヲブチオッタ故、刀ヲ抜コウトシタラ、コジリガツカエタカラ、片ハシカラキリ倒スト大声ヲ上ゲタラバ、通リノ者ガパット散ッタカラ、抜打チニソノ男ノ逃ゲルトコロヲアビセタラバ、間合イガ遠クテ、切先デ背ヲ下マデ切下ゲタカラ、帯ガ切レテ大小懐中物モ残ラズ落シテ逃ゲタガ、ソウスルト伝法院ノ辻番カラ、棒ヲ持ッテ一人出タカラ、二三ベン刀ヲ振リ廻シテヤッタラ、往来ノ者ガ半町バカリ散ッタカラ、大小ト鼻紙入ヲ拾イテ、辻番ノ内ヘ投ゲ込ンダ、ソレカラ直グニ奥山ヘ行ッタ、漸々 切先ガ一寸半モカカッタト思ッタ、大勢ノ混ミ合イ場ハ長刀モヨシワルシダト思ッタ、多羅尾ハ禿頭故ニ創 ガツイタ、ソレカラ段々喧嘩ヲシナガラ、両国橋マデ来タガ、ソノ晩ハ何モホカニハ仕事ガナイカラウチヘ帰ッタ。
ソノ外ニモ、イロイロ様々ノコトガ有ッタガ、久シクナルカラ思イ出サレヌ、オレハ一生ノウチニ、無法ノ馬鹿ナコトヲシテ年月ヲ送ッタケレドモ、イマダ天道 ノ罰モ当ラヌト見エテ、何事ナク四十二年コウシテイルガ、身内ニ創一ツ受ケタコトガナイ、ソノ外ノ者ハ或ハブチ殺サレ、又ハ行衛ガ知レズ、イロイロノ身ニ成ッタ者ガ数知レヌガ、オレハ好運ダト見エテ、我儘 ノシタイ程シテ、小高ノ者ハオレノヨウニ金ヲ遣ッタモノモ無シ、イツモ力 ンデ配下ヲ多クツカッタ、衣類ハタイガイ人ノ着ヌ唐物ソノ外ノ結構ノ物ヲ着テ、甘イモノハ食イ次第ニシテ、一生女郎ハ好キニ買ッテ、十分ノコトヲシテ来タガ、此頃ニナッテ漸々人間ラシク成ッテ、昔ノコトヲ思ウト身ノ毛ガ立ツヨウダ、男タルモノハ決シテオレガ真似 ヲシナイガイイ、孫ヤヒコガ出来タラバ、ヨクヨク此ノ書物ヲ見セテ身ノイマシメニスルガイイ、今ハ書クノモ気恥カシイ、是レトイウモ無学ニシテ、手跡モ漸ク二十余ニナッテ、手前ノ小用ガ出来ルヨウニナッテ、好キ友達モ無ク、悪友バカリト交ッタ故、ヨキコトハ少シモ気ガ附カヌカラ、此様ノ法外ノコトヲ英雄ゴウケツト思ッタ故、皆ナ心得違イシテ、親類父母妻子ニ迄イクラノ苦労ヲ懸ケタカ知レヌ、カンジンノ旦那ヘハ不忠至極ヲシテ、頭取扱モ不断ニ敵対シテ、トウトウ今ノ如クノ身ノ上ニ成ッタ、幸イニ息子ガヨクッテ孝道シテクレ、又娘ガヨクツカエテ、女房ガオレニソムカナイ故ニ、満足デ此年マデ無難ニ通ッタノダ、四十二ニナッテ初メテ人倫ノ道、且ツハ君父ヘ仕エルコト、諸親ヘムツミ、又ハ妻子下人ノ仁愛ノ道ヲ少シ知ッタラ、是迄ノ所行ガオソロシクナッタ、ヨクヨク読ンデ味ウベシ、子ニ、孫ニマデ、アナカシコ。
ソノ外、所々ニテノ喧嘩、幾度モアッタガ、タイガイ忘レタ。
浅草市デ、多羅尾七郎三郎ト、男谷忠次郎ト、ソノ外五六人デ行ッタ時ハ、二尺八寸ノ関ノ金光ノ刀ヲサシタガ――ソレニ急ニ七郎三郎ガ誘ッタ故、
ソノ外ニモ、イロイロ様々ノコトガ有ッタガ、久シクナルカラ思イ出サレヌ、オレハ一生ノウチニ、無法ノ馬鹿ナコトヲシテ年月ヲ送ッタケレドモ、イマダ
于時天保十四年寅年初於鶯谷書ス
夢酔道人」
これで一巻を読み上野の鐘がじゃんじゃんと鳴るのは警報ではない、上野のじゃんじゃんは通り物になっているのですが、今日はそのじゃんじゃんが、神尾が耳に事有りげに響いて聞えました。
「覚王院に会おう、そうだ、あの院主を叩いて、ひとつ聞いてみようではないか」
神尾が突然、巻を叩いて立ち上ったのは、じゃんじゃんの鐘の音につれて、何か急に思い当ったことがあるらしいのです。
その口の
七十五
その後の与八の生活は、極めて無事でありました。
無事は安定を意味するので、安定なくして無事があり得ようはずはありません。安定は
与八は、この土地に居ついた心持になりました。このところ、甲州有野村、富士と白根にかこまれた別天地――ここに於て、わが生涯が居ついたという感じが出ると共に、安定の心が備わりました。そこで、居る時は即ち安心、出づる時は即ち平和であります。そうして土に居ついて働くということが即ち
ここに教育というのは、ことさらに定義のある教育ではない。自分に於ては行持、それが他に反映して、教育ともなれば教化ともなるのみで、与八にあっては、教育せんがための教育の何物もないのであります。与八こそは、全く世の
ナゼだと言えば、二三、人の子の集まるところへ行くと、拾いっ児だという冷たい指さしが、この男の心を暗くしたのと、天性学問が好きでなかったから、学問の庭へ行くことを怖れ且つ避けました。そこで、主人側でも、むりやりにということをしないで、「なにも、字を知ることが最上の学問ではない、人間、字を知らなくても、字を知る以上の生活ができるものだ」という弾正が、他の人にはわからない警語を添えて、与八を早くから水車番に下ろしたものですから、これを天職として生きて来ただけのものです。その後、字を知らなくてはいけない、字を書かないと恥をかくということを、与八がようやく自覚して来たのは、相当の年になってからですが、その事は自ら言い出せませんから、水車小屋へ入って、
ここに群がる子供たちの多数の親が、教育に無頓着である。そうして、仕事の邪魔になってうるさい場合には、「外へ出て、遊んでこう」と言って子供を追い出す。一時の喧騒から追払いさえすれば、追払われた先では何をしようと、そこまでは考えない、考えていられない。この子供たち――一名餓鬼共の、遊び場を求めて自分のところへ群がって来るを見るにつけて、与八は、この中に善性もあるし、悪性もあるということを、見て取らないわけにはゆきません。
そこで、これらの餓鬼共の相手になって、これを善導することに、おのずからなる責務を感じ出したのも、与八としては決して無理ではないのです。
そこで、与八の仕事場が、同時に学校になって行くのも、水いたって
ばくちの真似や、穴一や、わいわい天王や、どうろく神や、わけもわからず色事の身ぶりこわ色などをする少年の多数を教えて、そういうことはさせないようにしたい。それには、別な興味と、教育を与えなければならないということが、指導方針の研究題目となって現われるのも自然の成行きでありました。
そこで、玩具に代るに手工を以てしました。彼等に材料を与えて、物を構造せしむるの趣味を与えることを以て、邪道淫風から離導しようとする与八の教策は当りました。
そこで、彼等に、手工を与え、
こんな山村のことですから、よき師匠といわないまでも、村のお寺へ行って和尚さんに教わるものも、そう多くはなし、またお寺まで行く道のり、行きついてみたところで、和尚さんまた必ずしも教育の熱心家とは限らない。碁を打ったり、酒を飲んだり、時としては法事や年会に出かけたりして、子供らの文字のめんどうを見る時間も
そこで、与八は、いろはから、アイウエオ、一二三四の教授方をも兼ねました。
「与八さん、七という字は、ドッチへ曲げるだっけかなア」
横に一本書いて、縦から書き卸してみたが、途中まで来て、どっちへ曲げていいかわからない、そこで行先をたずねて哀号する子供がある。
「右へ曲げるだよ、右へ」
ところが、右と左の観念がよくわからない。思いきって左へ曲げてしまって、げんなりした
「そら、右というのは、こっちの方で、左というのは、こっちだよ、おまんまあ食う時、
「そうかなあ、みんな、いいことう聞いたよ、おまんまあ食う時、箸う持つ方が右で、茶碗を持つ方が左だとよ、いい事う聞いた、みんな忘れんなよ」
教えられた子供は得意になって、それの新知識を更にまた他に向って移植しようとする。かくして、かりそめにも教育に従事した与八は、他教育と共に、自分を教育せねばならぬ必要を感じました。いわゆる、自ら教育せぬものには、他を教育するの資格がないことを、切実に感得しました。
そこで与八は、村の有識者――いやしくも自分より以上の智能者であると見ると、機会ある
七十六
与八は、自分の働く周囲が、おのずから学校となることには煩わしさを感じませんでしたが、自分の出て行く先が、偶像となることを深く怖れました。
与八に対して、一つの信仰が起りかけて来たことは、前に言った通りであります。
この超経済の奇篤人の行動が、世俗人の目から驚異に見られたあまり、これは
与八さんのまわりへ寄れば、気が休まる――なんとなく気分が
そこで、なるべく出歩かないように、
与八の心配としては、どうも、これを早く消してしまいたい。自分は、人並み足らずの、頭のない人間で、決して神様や仏様の乗りうつりでもなんでもありはしない。自分は馬鹿だから、せめて世間並みのところで心やすく働かせてもらいたいと一生懸命につとめているのを、世間が買いかぶってくれてしまっている。そのことわけを言って、辞退をすればするほど、買い手が殖えて来る――与八は、どうかしてそれを今のうちに予防しなければならない、ということを、心ひそかに恐れ怖れているのです。
それから、もう一つ――与八が内心の恐れ、というよりは、内心の責務に責められて、これを怠ってはならないと絶えず鞭打たれているような心持の一つに、
郁太郎も、今年はもう数え歳の五つです。これから人間をこしらえなければならぬ、その父となり、母となり、兄となり、姉となり、師となり、友となる一切の責任が、自分一つの身にかかっているということを、与八は常に、
この子を教育しなければならない、他の子供の教育はいわば片手間であるが、この子供は特別に自分の上に課せられた任務であることを感じてみると、漠然とした、その教育方針を考えさせられるのも当然です。
この子供は素姓の優れた家柄に生れた子だ、将来どんなことになるか、現在ではわからないが、将来を思うと、
郁太郎の父は竜之助であって、その祖父は弾正であることを、与八ほどよく知っている者はない。父の竜之助の優れた天分の人であることは、その善悪邪正にかかわらず、与八はよく認めている。それを誤ったものに教育があるということを、
そこで彼は、この子を父にしてはならない、祖父にしなくてはならない、と感づくのは当然の認識であるが、与八としては、その父を怖れるよりは、一層、祖父なるものの偉大なるを信じている。そこに、与八の教育の根本方針が成り立っていました。
事実、与八の眼で見た弾正という人、すなわち郁太郎のためには祖父、竜之助のためには父なる人ほど、この世に於て偉大なりと信じている人は有りません。
それは、
およそ、この世界に於て、いかなる人がエライといって、うちの大先生ほどのエライ人はない。江戸へ出て、エライと言われる人もお見かけ申したことがないではないが、そのエライ人でも、うちの大先生にはかなわない。どこがどうエライかということは与八にはわからないが、どんなエライと言われる人をお見かけ申しても、うちの大先生のことを思い出すと、引け目を感じないことを与八は直覚する。つまり、エライ人にはみんなそれぞれ身に備わる「威」というものがある。うちの大先生の「威」は、どんな人にも遜色がない、ということが、与八の信仰となっているのであります。与八が「威」という観念で解釈しているのは、近づき難い怖れという意味ではない、与八は与八らしく世間の「威」という観念を受入れて、人格の備わった徳の高い人に、おのずから備わる後光のようなものだと信じているのです。ドコへ出て、どういう人を見ても、与八はうちの大先生のことを思うと、ちっとも引け目を感じない。それがつまり、大先生の威というものだと信じているのです。
そこで当然、その血筋を引いた郁太郎様は、お
どうして教育して上げたらいいか、わしぁ学問はなし、金ぁなし、器量はなし、なにもかもないないづくし。これで人一倍の血筋の子供を仕立てようとするのは、てんで話が無理だ、わしにゃ、どう教育して上げていいかわかんねえ、いい先生はないかなあ、いい学校はねえかなあ、恐懼戦慄の後に、与八が観念はこれでありましたが、そういう時に、眼をつぶって、大先生の信仰をはじめると、不思議に、今まで忘れていた昔の面影がありありと、自分の眼の前に現われて、その折々に言われた言葉が耳の底から
「与八、お前は貧乏に生れて、棄児にされたその運命を恨んではいけないぞ、その運命というものが、お前を教育する恩人だということを忘れちゃいけないぞ、わしがこうして長年の病気を、人は不幸だと思うけれども、わしにとってはこの病気によって教育されたことが大きい、それと同じこと、人間がよくなる、悪くなるということは、物があり余って、立派な親、師匠がついているいないということではないぞ、貧乏はこの世界の最もよい教師だということを忘れるなよ」
と言って、慰め励まされたその言葉が、今し耳の底でガンガン鳴り出して来ました。
その当座は、大先生のおっしゃることは無条件で拝伏して聞いていた。無論、大先生のおっしゃることなどが、自分の頭で理解のつく限りではないから、ただ有難くお聞き申していただけだが、それが今日になって、ありありと出て来て、実際の手引をして下さるとは夢にも思っていなかった。
「貧乏は、この世界の最もよい教師だということを忘れるなよ」
してみると、自分の貧乏は苦にならない。いや、いっそこの貧乏が郁太郎様にもよい教師――果して、そういうものか知ら――どうもわからないが、大先生のおっしゃるお言葉にムダがあろうとは思われない。してみると、教育のために自分たちは最も恵まれていればとて、不足の身ではない。そういうようなことを、与八は考えて安心しようとしましたが、一面には、自分の頭に余り過ぎて考えられないものですから、その度毎に、痴鈍な自分の
七十七
さて大菩薩峠「山科の巻」はこれを以て
┌─宇治山田の米友
├─不破の関守氏
山科新居────┼─弁信法師
├─お銀様
└─がんりきの百蔵
┌─芸妓福松
福井より近江路─┤
└─宇津木兵馬
┌─神尾主膳
根岸侘住居 ───┼─ビタ助
└─お絹
┌─机竜之助
京洛市中────┼─南条力
├─五十嵐甲子雄
└─轟源松
┌─与八
甲州有野村───┤
└─郁太郎
├─不破の関守氏
山科新居────┼─弁信法師
├─お銀様
└─がんりきの百蔵
┌─芸妓福松
福井より近江路─┤
└─宇津木兵馬
┌─神尾主膳
└─お絹
┌─机竜之助
京洛市中────┼─南条力
├─五十嵐甲子雄
└─轟源松
┌─与八
甲州有野村───┤
└─郁太郎
等でありまして、裏面或いは側面に動く人名、或いは新たに点出された人間としては、月心院内、門番の娘と、
さてまた、従来引きつづいての重要な登場をつとめていた人々で、本篇に現わるべくして現われなかったものの所在を考えてみると、
┌─駒井甚三郎
├─お松
├─七兵衛
├─お喜代
├─田山白雲
海洋の上────┼─柳田平治
├─ムク犬
├─清澄の茂太郎
├─ウスノロ氏
├─兵部の娘
├─金椎
└─無名丸とその乗組員
┌─藤原伊太夫
├─お角
関西旅中────┼─道庵先生
├─お雪ちゃん
└─加藤伊都丸
┌─銀杏加藤 の奥方
清洲城下────┤
└─宇治山田の米友
┌─青嵐居士
胆吹山─────┤
└─胆吹王国に集まる人々
右の外、点出せられた人物としては、金茶金十郎、のろま清次、新撰組の人々、よたとん、木口勘兵衛、安直、デモ倉、プロ亀、築地異人館の誰々、仙台の仏兵助、ファッショイ連、女軽業の一座、等々。├─お松
├─七兵衛
├─お喜代
├─田山白雲
海洋の上────┼─柳田平治
├─ムク犬
├─清澄の茂太郎
├─ウスノロ氏
├─兵部の娘
├─
└─無名丸とその乗組員
┌─藤原伊太夫
├─お角
関西旅中────┼─道庵先生
├─お雪ちゃん
└─
┌─
清洲城下────┤
└─宇治山田の米友
┌─青嵐居士
胆吹山─────┤
└─胆吹王国に集まる人々
地理の区域は、現在の日本の東海東山の両道から、北陸の一部、北は陸奥に及び、畿内の中心、いわゆる日本アルプスの地帯が活躍の壇場になって来たが、海の方は太平洋の真中にまで及んでいる。
この「山科の巻」の稿を起すの日時は昭和十五年の九月十日――稿を了るの日は同年十月十六日。これを大菩薩峠全体から見ると、起稿は明治四十五年、著者二十八歳の時、本年即ち昭和十五年より、またまさに二十八年の過去にあり、最初の発表はそれより一年後の大正二年。分量は前巻にも申す通り、開巻「甲源一刀流の巻」よりこの「山科の巻」に至るまで二十六冊として一万頁に上り、文字無慮五百万、世界第一の長篇小説であることは変らない。読者は
今や世界全体が空前の戦国状態に落ちている。日本に於ても内政的に新体制のことが考えられている。わが大菩薩峠も、形式として新しく充実した出直しをしなければなるまい。