彼が殺したか

浜尾四郎





 し私があなた方のような探偵小説作家だったら、之からお話しようとする事件を一篇の興味深い探偵小説に仕組んで発表するでしょう。然し単に一法律家に過ぎぬ私が、なまじ変な小説を書けば世のわらいを招くにすぎないでしょうから、私は今、あなた方の前に事件を有りの儘にお話して見ましょう。そうして最後に、未だ世に発表された事のない不思議な手記を読んでお聞かせします。勿論私は、法律家として、弁護士として此の事件に関係したのですから、それに依って知り得た事実以外には、何等の想像も推測も附け加えずにお話します。従ってあなた方がお書きになる小説のような興味はないかも知れませんが、もしそうだったらどなたでも一ツ小説にして発表なさったらよいでしょう。そうなさる値打はありそうな話です。
 ず順序として其の事件の推移を申し上げましょう。事件というのは、う申せば直ぐお解りの事と思いますが、昨年の真夏の夜、相州K町で行われたあの惨劇です。当時都下の諸新聞がこぞって大々的に報道した事件ですから、無論皆さんはよく御承知でしょうが、もう一度記憶をあらたにする為に、ここで初めからお話して見ましょう。
 昨年の八月十六日の夜、正確に云うと八月十七日の午前一時半頃――おぼえて居る方があるかも知れませんが、あの日は夕方から東京地方は大暴風雨おおあらしでした――東京附近で避暑地としてにぎやかなK町の或る別荘で恐ろしい惨劇が行われました。一体K町は昔から海水浴や避寒地として有名であるのみならず、近頃は上流中流の人々の住居なども出来てすこぶる繁昌して居ますが、殊に夏場はまず東京附近では第一等に人の出る所です。その賑かな土地の一角に突如として行われた惨劇ですから、人心に与えた衝動は非常なものでした。
 惨劇の行われた家は小田清三という若い実業家の別荘で、悲劇の主人公は小田家の若い当主清三(当時三十三年)及びその妻道子(当時二十四年)の二人でした。一夜の中に此の二人の生命がむごたらしく失われてしまったのです。
 一体小田家は先代が貿易商をやって非常な財産を作ったのですが、清三は中学時代に其の父親を失って、あとは母の手一ツで育てられたのでした。生来余り丈夫でない為に大学を半途で退学してもっぱら身体の静養につとめて居ました。勿論大財産の主人ですから、中々忙しかったに違いありませんが、それも主として母にまかせて、自分は大抵K町の別荘の方に住んで居たのです。お坊っちゃん育ちの上に身体を大切にして育てられたので、そういう階級特有の我儘な所はありましたが、一体に無口な性質なので、余り人と争ったりするような事はなかったそうです。それから、又、非常に親しいという友もなく、金持ながら云わば淋しい生活をして居た人と云っていいでしょう。殊に一昨年おととしの末頃から、前から悪かった肺の病が烈しくなった上、神経衰弱にかかったので、妻と共にK町にずっとすまって、東京には全く出ずに暮して居たのです。
 妻の道子は数年前になくなった有名な川上という大学教授のお嬢さんです。生れつき聡明な上に、非常な美人でした。あなた方の中には或いはお会いになった方もあるかも知れませんが、噂によるとK町に行ってからはK町の女王といわれた程の人だそうです。何と形容したらよろしいでしょうか、法律家の私には云いようがありませんが、兎に角、非常に美しく、しかも此の頃の流行語を用いれば、所謂いわゆる性的魅力を十分にもって居た人のようです。既に女学校在学当時から其の美しさは有名なもので、一度彼女を見たものは、すべてが彼女の讚美者となってしまったといってよい位だそうです。それ故、彼女の周囲にはその讚美者たる若き男が常に大勢集まって居ました。而も彼女は父を失ってからは一層自由に振舞って居たのですから、彼女をめぐる若き人々――殊に男性はただひたすらに殖える一方でした。その中には或る若い独身の音楽好きの伯爵がありました。彼女が彼と屡々しばしば銀座を歩いて居る所を人々は見たのです。又、或る大政治家の息子で文学好きな青年は、度々たびたび彼女と共に劇場に姿を現わして、多くの人々をうらやましがらせました。斯様な有様ですから、彼女が将来如何なる人の妻となるかという事は、一般に非常な問題とされて居たのです。
 美しくて聡明で、大学教授の令嬢に生れ、音楽を解し、文学を解し、而も斯様に多くの人々と交際しながら、一度として品行について非難された事のない彼女ですから、伯爵夫人となるか、大政治家の嫁になるか、将又はたまた大実業家に見込まれてその伜の妻となるかは、殆ど彼女の意のままに見えたのでした。
 ですから、今から約三年程前に彼女が突然小田清三と結婚した時は、多くの人々は可なり驚かされました。勿論一方は非常な資産家の主人であり、一方は相当地位ある家の娘で、而も絶世の美人だというのですから、決して釣合わぬ縁というわけではなかったのでした。従って人々が意外に感じたのは其の点ではなかったのです。
 ただ此の二人は結婚する迄、殆ど互に知らぬ人々だったのでした。つまり此の結婚は、純粋に我が国旧来の見合結婚だったのです。道子の性質を知って居る人々が驚いたのは無理もありません。あのようなモダーンな女が、どうしてそんな結婚をしたのか、全く人々には意外でした。道子と交際して相当自信をもって居た人々の失望は云うまでもありません。
 斯ういう多くの人々の驚きの中に、然し両家は着々と此の縁談を進め、やがて間もなく此処ここに若い一対の立派な夫婦が出来上ったわけなのです。
 道子を知って居た人々の中には、あれは真の道子の意志ではあるまい、案外有るように見えて無いのが金だから、或いは道子は、家の犠牲となって資産家の所へ嫁したのだろうというものもありました。之はあながち根拠の無い説ではありますまい。殊に聡明な女は可成りそういう事を考えるものですから。


 結婚後一年程は何の噂も立ちませんでした。そして小田夫妻は極めて平穏に、平和に暮して居るように見えました。ただ道子が不相変あいかわらず若い男達と交際して居た事は、或る人達の眉をひそめさせて居たのです。
 一年程経ちますと、清三はひどい肋膜炎を患って、半年程臥床がしょうするようになりましたが、その後は、殆どK町に退いてそこに召使を相手の静かな夫婦生活をするようになったのです。
 丁度その頃から妙な噂が立ちはじめました。それは道子がまことに気の毒な生活くらしをして居るのだという噂です。一言で云えば、彼女の夫たる清三は全く道子を愛しても居なければ、又、理解しても居ない。二言目には病身の人特有の癇癪かんしゃくを起して妻を罵しり、揚句の果は手を上げる事さえ屡々あるという事でした。現に、小田家の召使は、主人が妻をった所を数回見たというのです。
 道子は夫の乱暴を甘受して、忍んで暮して居るのだと伝えられたのです。この噂は、道子が、何人に対しても常に快活であるだけ、少くも快活を装って居るらしいだけ、道子の為に同情を惹きはじめました。もっとも極く少数の人達には、彼女は、真面目に淋しい夫婦生活を語ったといいますけれど、兎も角、此の噂は一般に拡まったのですが、同時に人々は、之を決して不思議とは思いませんでした。そうして皆は、見合結婚で且つ財産を当ての結婚の結果を、今更はっきり知ったように感じたのです。道子に対する同情と共に、夫とそれから道子を財産の犠牲にしたその母とが、一般の好意を失いはじめた事は云うまでもありません。
 ところが、それから又半年程経つと、今度は道子に対するかんばしからぬ風評が立ちはじめました。
 一体、清三は妻を虐待すると噂されたものの、妻を全く束縛して居ない事は、道子自身のようすでも分るのです。つまり、妻というものを全然無視して居るから、ああいう態度が執れたのかも知れません。所がこの、道子の自由な行動は、仮令たとい夫には無視されて居たにしろ、世間には遂に無視してはられぬ位のものになってしまったのでした。
 道子が家庭を常に冷い牢獄のように考えて居り、それにく堪え忍んで来たという事実は、一方に於て十分彼女の為同情をよんだのでしたが、同時に他方に於ては、彼女の品行問題に就て却って彼女の噂に不利益な根拠を与えたわけなのです。世人は彼女が若き学生等と交際する事をしきりに罵り始めました。中には誰某たれそれが彼女と特に親しいのだというような事を明かに云う人達も出て来ました。それにも不拘かかわらず、彼女は之等の噂を全く聞かぬものの如く振舞って居ました。彼女にもまして、此の事に冷淡であったのは――少くも冷淡に見えたのは夫の清三でありました。
 彼女の品行が果して如何どんなものであったかという事は、あの惨劇に依ってはしなくも暴露されたのでした。
 斯様かような有様で、外からは種々いろいろな取沙汰をされながらも、此の似合わしからぬ一対の夫婦は無事にK町で暮して居りました。あの事件迄の小田家の有様は、大体右のようなものでありました。
 さて、昨年の八月十六日の日ですが、此の日の午後、K町の小田の家には二人の男の客がありました。二人はいずれも小田夫婦とは二、三年前からの知己しりあいでありまして、一人は友田剛ともだごうというK大学生、年は二十五歳、他の一人は大寺一郎おおでらいちろうという某大学の学生で、此の人は当時二十四歳であったのです。友田は小田清三の通学して居た学校の後輩でして、相当の家の息子です。丁度其の頃矢張りK町のはずれに家を借りて住んで居たのですが、一人で淋しいものですからひる過ぎに小田家を訪問したわけなのです。大寺は、道子の父がかつて勤めて居た大学の学生ですが、之は友田とは一寸ちょっとちがった境遇の人でした。之は後に知ったのですが、大寺の父は嘗て道子の父親に大変世話になって居た人でしたが、生れ付き頑固な上に訴訟狂とでも云いますか、無暗むやみに法律問題を起して争って、田舎にもって居た僅かな財産も全く使ってしまった揚句、一郎がまだ中学生であった時分に死んでしまったのです。つづいて、母親も亡くなってしまったので、親戚の者が一郎を助け、せめて大学に入れてやろうというので道子の里に頼み込み、ようやく一郎を上京させて入学させたという次第なのです。それで現に其の当時も、田舎の中学を出て、漸く三年目の彼は、いろいろの人の世話を受けて、東京の大学に在学して居り、郊外の下宿に住んで居りました。それで丁度其の日は、夏休み中でもあり、かねて小田夫婦とは知己の仲だったので、日がえりか何かのつもりで、K町へ泳ぎに来たのでした。一寸申しておきますが、友田と大寺の二人は偶然にも、丁度其の頃道子と非常に親しい――否親しすぎると云われて居た人々なのです。
 ところで、その日の午後、友田と大寺とは道子と一緒に海に行って泳いで居たのですが、先にも申した通り、あの日は夕方から大変な暴風雨あらしになったのです。夕方、空模様が怪しくなって来たので、二人は道子に注意されて急いで水から上って来たのでした。
 その日、清三は珍しく元気だったそうです。そうして二人の客が海から上って来ると、自分から、
「丁度、四人集まったから麻雀をやろうじゃないか」
 と、云い出したのです。二人の客は、いつもK町の小田の家に出入りして居る位ですから、此の遊戯には相当熟達して居たと見え、此処で四人は直ぐに此の遊戯を始めました。
 夕食後――之は後に調べられた者の言が皆一致して居ますが――五時半頃にはじめられ三十分位で終ったそうです。夕食をすますと四人は直ぐに卓を囲んで、ポンとかチイとかはじめたわけです。その頃は天気は全く悪化して完全な嵐となって居ました。
 私は麻雀の事はよくは知りませんが、この遊びは、相当うまくても、割に時間を要するものだといわれて居ります。此の夜は何でも二勝負――八圏パーチョワンとか云うそうですが――ぶッつづけてやる約束で始めたのだそうです。所が、八圏がすんだ頃は、雨も未だ甚しく中々やみそうもない上、丁度道子の大勝だったので、一番敗けた清三が珍しく夢中になって口惜しがり、もう四圏スーチョワンやろうというので、又それをつづけたそうですから、結局十二圏シアルチョワンやり続けた事になるのです。
 ところで勝負が全く終った頃は、夜も相当更けて十二時近くだったそうです。その時は風はやみましたが雨は不相変あいかわらず降って居たので、主人夫妻は二人の客に頻りと泊って行くようにすすめたのでしたが、友田はK町に家があるので之を断って車で帰りました。然し大寺の方は、汽車は勿論もうないし、天気も悪いというわけで、小田家に泊めてもらう事になりました。
 女中達の話に依りますと、彼等が主人からもうねるから、お前達も寝てよろしいと云われたのは十二時一寸過ぎだったそうです。そこで二人の女中、お種とお春という女は、待ちかまえて自分の部屋に引取ったのですが、其の頃は前にも述べた通り、ただ雨ばかりが烈しかったのです。
 一寸此処で、小田家の家屋のようすをお話しておきましょう。此の家は、全部日本式の建築で、二階に主人夫婦の寝室と主人の書斎とがあり、丁度其の下に二つの座敷があります。その書斎の下に当る部屋は其の夜大寺に当てられた所で、それから廊下伝いに一寸来た所に女中部屋があり、台所から外に出ると又建物がありまして、此処には仁兵衛という水兵上りの下僕しもべがねて居たのでした。
 扠、主人の許しがあったので、今まで眠い目をこすって居た二人の女中はすぐ部屋に引取り、夜具を出して、大抵な奉公人の例に洩れず、直ぐに健康な眠りに陥りました。
 暫くして年上のお種という女中が、ふと目をさましました。自分では可なり長くねた積りでしたし、自然に目がさめた気がしたので、いつもの癖で、枕もとの主人からあてがわれてあった目醒めざまし時計を見たのです。すると、時間は未だ一時半頃でした。雨は依然として降りつづけて居ます。お種が安心して再びねようとした途端、不意に人の叫び声のようなものをききました。続いて障子の倒れるような音が二階の方から聞えました。
 お種は、危く叫び声を出しそうにしながら、あわてて夜着を引っかついで床の中にもぐりこみ暫く息を殺して居たのです。それから一寸経てから、こわごわ頭を出して様子をきいて居ますと、又々人のうめくような声がきこえて来ました。お種は我慢し切れなくなって、側にいぎたなく寝入って居るお春を叩くようにして起しました。お春も其の話を聞かされてはただ慄えるばかりです。二人はともかく、下僕を起そうと相談しました。
 ところで、下僕を起すのには前にも申した通り、戸をくり開けて別のむねに行かねばなりません。雨のひどい此の深夜、此れだけの仕事は二人の女には非常な難事でした。それで二人は、廊下伝いに少し行った座敷に居るお客を起そうじゃないかという相談をしたのです。
 二人は慄えながら、やっと大寺のねて居る室まで辿りついて、外から小さい声で大寺の名を二、三度よびましたが、答はありません。思い切って障子を開けて見ると、そこにねて居るとばかり思った大寺の寝床は藻抜の殻なのです。二人は室の中にはいりながら呆然として居ましたが、この時丁度その室の上あたりの二階の座敷で人がたおれたような音がしました。二人は悲鳴を上げながらそこを飛び出して、夢中になって下僕仁兵衛を叩き起しました。四十何歳という血気盛りの、此の水兵上りの下僕は、いきなり大きなステッキを一本とりながらかけつけ、二人の女中を励まして二階へかけ上りました。
 惨劇が、当事者以外の者にはじめて発見されたのは全く此の時でした。まっさきにかけ上った仁兵衛と、続いてこわごわ上って行った二人の女中とは、二階に上るや否や、ぞっとするような恐ろしい光景を見出したのです。
 梯子段の突当りが夫婦の寝室なのですが、障子は真中から開けられて――むしろ障子は一枚はねとばされて居たので――中ははっきりと外から見えるのです。座敷の一方には紫檀の机がおいてあり、其の机の上には電気のスタンドがあって、五燭位のうす暗い光りが室中を浮き出さして居ました。蚊帳は二ところ釣手がひきちぎられて一方にだらりと下り、切れた方は片すみに押しつけられて居ます。机の方を枕にして二つのとこがとってありましたが、向って左の床の上に道子がねて居ます。否、血みどろになってうごめいて居たのでした。胸から上は素裸にされて、其の上を腰ひもか何かで後手うしろでにぐるぐる巻にされ、その端が咽喉のどにまきつけてありました。そして豊満な白い乳房のあたりから、真紅の血が流れて道子がうごめく度毎にどろどろとたれて来るのです。
 其の床と並んで敷かれた床の上から半ばはい出して、机に頭をのせて俯伏うつぶせに仆れて居る清三の姿が見られました。道子は殆ど死んだようになって居ましたが、清三は、断末魔の苦痛を味わって居るように見えました。
 斯うやって申上げれば長いようですが、勿論仁兵衛や女中が見た刹那せつなの感じは一秒にも足らぬ時なのです、否、お種が目をさましてから、此の光景を見るまででさえ、極めて短時間しかたたなかった事は云うまでもありません。
 主人のその有様を見た仁兵衛は、いきなり主人の側にかけよって後から抱き起しました。見ると主人の着物は血だらけで、なお口から血を吐いて居たばかりでなく、右の胸からも血が一面に流れ出て居ました。
 仁兵衛が助け起すと、主人は仁兵衛の顔をきっと見ながら、
「大寺……大寺……が」
 と、最後の力を全身にこめて叫んだのでした。
 すると此の叫声をきいたものか、今まで死んだようになって居た道子が、不意に呻り声を上げましたが、つづいて、
「一郎……」
 と、はっきり一言云ったそうです。
 此の二人の言葉は、その時其処に居た仁兵衛も、他の二人の女中も確に明かにきいて居るのです。夫婦は此の言葉を発すると間もなく、殆ど同時に息を引き取ったのでした。
「大寺」と云われて、仁兵衛は初めて、大寺が何処に居るのかという事を考えました。彼がはっと思って四辺あたりを見廻すと、直ぐ其の隣室の書斎の中に、一人の男が彫像の如くつッたって居るのを見出しました。云うまでもなく、此の男こそ大寺なのでしたが、彼は、血だらけになった寝巻を着たまま――その寝巻は格闘でもした後らしく着くずれて居たそうですが――右の手に何か光るものをもって、黙って、さながら瞑想に耽って居る者のように、暗やみの中に立って居ました。
 勇敢な仁兵衛は、いきなりステッキを取上げるや、大寺の右手をめがけて叩きつけました。大寺の手から兇器らしきものが落ちると同時に、仁兵衛は大寺を組み敷いたのです。大寺は、既に覚悟をして居たものか、案外にも全く抵抗する事なく、仁兵衛の為に細帯で、忽ちぐるぐる巻にされてしまいました。
 仁兵衛は驚いて居る女中達に命じて、直ちに電話で急を警察に報告させました。くして直ちに捜査機関は活動をはじめたわけなのです。此の事件がこれからどう発展したかは、当時の新聞紙がいち早く報じた所で、皆さん十分御承知の事と信じますから、詳しくは述べませんが、一、二重要な点だと思われる所を話して見ましょう。


 之は、私が後に知ったのですが、此の事件を耳にした検事は、直ぐに予審判事に強制処分を求め、死亡の原因の調査、現場の検証及び兇器の押収等は、すべて予審判事が出動して行ったので、今私が述べる所は、後に其の結果によって知り得た点もあり、又当時既に世上に知られて居た点もあるので、私の知り得た時の関係については大分順序が異るのですが、それら法律的な順序には煩わされずに、当時の有様を述べて見ましょう。
 小田清三及び同道子の死因は、無論他殺と認定されました。そして犯罪に供せられた物件は、相当に鋭利な刃物であるという事も明かになりました。清三の仆れて居た周囲の血は、肺からの出血であるという事が明瞭になりましたが、致命傷は右胸部の刺創であります。之は寝巻の上から突き刺されたもので、なお此の外に前額部に打撲傷がありましたが、之は机にでもぶつけたものだろうという事にまりました。即ち清三のおもな傷はたった一箇所であります。
 道子は、さきに述べたように、無惨極まる死様しにざまをしていたのですが、傷は三ヶ所で左右の胸に各一ヶ所、それから右の頬に軽い切傷が一つありました。致命傷は左胸部の刺創でありました。寝巻は、帯から上ははぎ取られて自分の腰紐で後手に緊縛されていました。縛られる時か、縛られた後、いましめをとろうともがいた為か、両手首の皮膚に擦過傷が見られ、なお咽喉にまきつけられた紐の為に、その皮膚にもいくらかかすり傷が認められました。
 そうして夫婦共殆ど同時に息を引き取ったものと断定されました。
 犯人は勿論大寺一郎で、現行犯として捕えられたのですから、まず問題はないのです。彼の手にして居たのはジャックナイフで、之は小田清三が平常書斎で使っているもので、検証の結果、被害者達の刺創は全く此のナイフによって作られたものなる事が確められました。
 大寺は素直に捕えられたにも不拘かかわらず、警察に行ってから一言も口を開きません。たしか二日間位全く一言も云わなかったのです。
 検事は、小田清三夫妻に対する殺人事件として直ちに起訴しました。
 私が此の事件を依頼されたのは、大寺と非常な親友の某という貴族からでした。一体大寺一郎という男は、性質が温和な上に女にもして見たいような美しい青年でしたから、自分の境遇の割にはずい分と種々いろいろな人々と交際していたのですが、とりわけ此の貴族は、彼の美貌とその性質を愛していたためか、熱心な彼の庇護者でした。それで、此の騒ぎが起るとまもなく自ら私の所に来て、是非骨を折って見てくれ、大寺が人殺しをするなどという事は到底信じられぬから、というわけなので、私も一応骨を折って見る気になったのでした。
 ところが、私が之を引き受けた時には検事は既に起訴し、沈黙を守っていた大寺がすっかり犯罪事実を自白してしまったという事が、種々の新聞に大々的に宣伝された後なのです。ここに当時の新聞がありますから其の一つを読んで見ましょう。

 ※(丸中黒、1-3-26) K町実業家小田夫妻殺し遂に自白す
   ――原因は痴情、上流社会の驚くべき醜状暴露――
 現行犯として捕えられながら、昨日まで頑として一言も発しなかったK町実業家小田夫婦殺しの犯人大寺一郎(二十四年)は、其の後係官の厳重な訊問に包み切れず、昨夜遂に犯罪事実を自白するに至った。之によって一見虫も殺さぬようなこの美青年が憎むべき殺人鬼なる事が明かになったが、同時に彼の自白によって、昨今上流社会の家庭が如何に乱行を以て満たされているかという事がはしなくも暴露するに至ったのである。
 彼が此の大それた犯罪の動機は全く痴情であった。醜き不義の恋であった。若く美しき道子夫人は実は大寺と一年程前から凡てを許す仲になっていたのである。大寺が道子と相識るに至ったのは最近二年程の事であったが、妻に全く愛を持たず、且つ病身で常に薬に親しんでいる夫と淋しい家庭生活を送って居た道子は、僅かの交際によってこの美青年を愛するようになったのである。一方大寺の方は、かねて道子の淋しい家庭生活をきき之に同情して居た際とて道子からの甘い言葉をきくと、学生たる本分も忘れ果て、たちまち不義の甘酒うまざけに酔うようになったのである。此の二人の間は、決して妻の行動を束縛しない夫の態度によってますます濃厚となり、二人は之をよい事にして盛んに媾曳あいびきをするようになった。或る時は道子自ら大寺をその下宿に訪れ、或る時は東京駅で出会って二人して郊外に出かけ、殆ど醜態の限りを尽して居たのであった。一郎の自白によって直ちにその住居すまいの捜索が行われたが、其の時押収された道子から一郎に宛てた封書は百通にも上って居たと云われて居る。ところが此の道子の心が最近に至って外に移りはじめて、浮気な道子はやはり大寺の仲間の友田剛(当日K町に行った学生)に恋するようになったのだが、之こそ今回の兇行の動機であった。
 十六日の夜は、道子は鉄面皮にも二人の愛人を夫の前に並べて麻雀をして居たわけなのである。彼女は云わば麻雀にかこつけて三人の男を飜弄して居たのであるが、隙を見て友田と二人で媾曳の日の約束を定めて居る所をはしなくも大寺に聞かれたため大寺は憤慨の余り、どうしても道子の本心を確めんと決心したが、其の夜まんじりともせず、機会をうかがって居たのであった。偶々たまたま夜半に至り道子が便所に降りて来たのを擁して未練がましく、不義を続けん事を強要したのであったが、今は全く心変りした道子は之を素気すげなくはねつけたため、大寺は此処に殺意を起し、夫諸共もろともやっつけてくれんと夜半夫婦の寝室に侵入し、まず清三を刺して重傷を負わせ、恨み重なる道子にはわざと急所を避けて傷をつけ、散々に苦しめた上、なぶり殺しにしたものであった。云々。

 此の記事などは比較的おだやかな方なのですが、多くは煽情的な書振かきぶりで当夜の模様や、道子と一郎の情事を記して、盛に読者の好奇心をあおったものでした。
 ただどの新聞も、道子の惨死を以て、不品行の自業自得の末路と見做し、妻をとられた上、命までも失った清三に対しては、同情を現わす事を拒みませんでした。唯、一、二の新聞は、道子の実家川上家を訪れ、川上未亡人に会った由を伝えましたが、道子の醜行はさる事ながら、金の為に娘を犠牲にした母親も、今更らしく非難の的となったわけなのです。
 扠、私が事件を頼まれた時は既に申した通り検事の起訴後で、事件は予審に繋属けいぞくしていたのです。御承知でしょうが此の時分には、被告人に接見する事は禁止されて居りましたし、検事も予審判事も事件の内容に就ては、勿論何も語っては呉れませんので、私自身も世人同様、ただ外部から探りを入れる外事実を知り得よう手段は何もなかったのです。従ってその時まで、此の事件に就ての知識は新聞紙に依って得たばかりでした。尤もそれから私は出来るだけ活動はして見ました。例えば友田に会う事は出来たのですが、彼から知り得た事はまず第一に小田夫妻の平常で、之は世上の噂通り極めて冷く見えたそうです。道子の事に就て、友田は道子との特別の交際に関しては絶対に事実無根であると主張し、殊に当夜道子とひそかに話をしたなどという事は全く新聞の書いた偽りであると申して居りました。けれども、道子が大寺同様友田とも可なり親しくつき合っていた事は事実らしく、之は友田も必ずしも否定しませんでした。のみならず、道子からは友田も可なり多くの手紙を貰っているそうですし、又時にはずい分いろいろ心を動かすような話をされた事もあるという事でした。或る時の如きは、友田に夫の冷酷を訴え、自分の二の腕に生々しいあざが出来ているのを見せて、同情を求めた事などもあるそうです。然し之以上の交際は全くなかったと主張して居りましたし、又道子と大寺との関係に就ては、友田は余り多くを知らなかったようでした。唯、大寺が非常に道子を恋しているらしいようだと考えた事はあると云う位の事しか云いませんでした。


 一体、新聞紙は、犯人らしき者が捕えられると、直ちに、さながらそれが真犯人であるかのように伝えるもので、又世人もすぐにそれをそのまま鵜呑うのみにして信じてしまう癖があるようです。そうしてしそれが、偶々無罪にでもなると、世人は直ぐまた官憲を攻撃してやれ人権蹂躙じゅうりんだの、拷問をやったろうのと騒ぎたがるものです。然し之は、大体被疑者を直ぐ真犯人と考えるから悪いのです。否、われわれから云わせれば、既に検事が公訴を提起した後でも、被告人であるからというて直ちに犯人だと決して断言すべきではないのです。それはただ検事が真犯人也と確信したという事を表わすにとどまっているので、勿論検事が真犯人也と断ずる以上、相当の根拠こんきょはありましょうけれども、然し、公判の確定するまでは決してわれわれは、これを真犯人也と断じてはいけないと思うのです。それ故、仮令たとい、新聞紙上では、真犯人と判決されて居るものでも、私共から見ると十分疑わしく、従って防禦し易い場合がずい分あるものです。
 事件の内容が明かにされてない以上、未だ如何ともわからぬ為、私は非常に迷っていたのですが、どうも此の事件に於ては、大寺以外に一寸犯人があるようにも考えられませんでした。
 とうとう事件が公判に移されるまで、はっきり事情を知るわけにはいかなかったのでした。兇行が行われてから約四ヶ月後に、ようやく事件は予審判事の手をはなれて、公判に移されました。そうして大寺一郎は、まさしく小田清三、同道子に対する殺人被告人として、公判廷に立たねばならぬのだという事を知ったのでありました。
 ところで、今まで伝えられていただけの事実を見たとして、私は、空しく手を引かなければならないでしょうか、大寺の犯罪には少しもうたがいはないでしょうか。私はそうは思いませんでした。賢明なあなた方も勿論お気付きの事と思いますが、伝えられている通りとすれば、可なり疑わしい数点がある筈です。私が被告人の防禦を引き受けて最も努力して真相を掴もうとしたのは其の点だったのであります。
 まず第一の疑問はこういう事です。
 殺人の動機に就ては説明が合理的につけられて居りますから、争わぬとして、さて大寺は、道子が心を友田に移したのをかねて怒っていたが、それをなじったのに対して素気なくはねつけられたために殺意を生じたのだという事になって居ります。ところが、大寺が犯罪にきょうしたナイフは彼自身のものではなく、被害者小田清三のものである事は明かになって居ります。
 成程、相手はかよわい女でありましょうが、然しそばには夫がいる筈です。之も病身の人ではありますけれども、まさか妻が殺されるのに黙って見て居る筈はないのです。従って、其の室内で道子を殺す以上、夫をも同時に手にかけなければならない事は分り切って居る話です。而も其の室にジャックナイフがあるかどうかという事は、必ずしも大寺が知っていたわけではありますまい。とすれば、大寺は二人の人間を殺す気で赤手空拳せきしゅくうけんで、其の人々の室に飛び込んだ事になるわけです。之は通常の場合では一寸珍らしい事ではないでしょうか。勿論大寺が小田家に泊った時は、まだ殺意はなかったでしょう。然し殺意を起してから仮令五分間でも考えるひまがあったとしたら、せめて手拭一本位でも用意しそうなものです。場合によっては煙草の空鑵一つでも兇器になり得ます。まして大寺は自身、体力は弱く、女のような男だったのですから、此の事はあり得べからざる場合ではないにしても、十分疑っていい点だと思うのです。此の疑がはっきりとすれば、殺意の有無を問題にする事が出来るのです。後に至ってあの惨劇を起したにしろ、何らかの利益は必ず被告人側に来るはずです。
 第二に現場の模様について考えるべき点があります。之は極めて重大な問題です。
 一体、夫婦二人を殺す場合に、夫を先に殺してしまうか、又は縛り上げておいて妻を殺し、又は暴行を加えるという事はよく起る事件です。所が此の事件に於ては、妻が上半身を裸にされた上、後手に縛り上げられているのです。而も伝えられている所が真実だとすると、夫婦は殆ど同時に息を引き取って居ります。果してしからば、大寺が道子に復讐する為、まず裸体にし、両腕を縛り上げ、更に顔や胸に傷をつけて殺すまで、清三は一体何をしていたかという事が問題となるべきです。更に又、道子自身は死者狂しにものぐるいの叫びを上げなかったか、之をどう説明するかです。此の点に関して、被告人は何と自白しているでしょうか。又検事や予審判事は如何なるテオリーを組み立てているでしょうか。
 次に、疑わしいと云えば、もう一つ云いたい事があるのです。之はあなた方の小説などによく出て来る事ゆえ、却ってあなた方の方が早くお考えつきの事と思いますが、被害者清三の致命傷です。それが右胸部の刺創だという事実です。真正面から刃物で相手を刺し殺す場合に、其の右胸部を突くという事は犯人が左利でない限り、一寸やりにくい仕事です。これは決して小説ばかりでなく事実問題として重大な事です。犯人の右手を伸べた所に丁度相手の胸が来るような姿勢にならない限り、出来難い傷なのです。所が大寺が左利であるという事は、今までに云われて居りません。従ってこの傷は他のテオリーを立てた方が説明がつき易いのです。例之たとえば、刃物を間に二人が争っていた時、それが(その刃物は大寺よりも清三が握って居たと見る方が自然です)誤って清三の胸に刺さったというような場合です。此の点は非常に大切な点で、道子に対してはともかくも、清三に対して殺人罪が成立するかしないかという問題です。而して若し清三に対し、殺人罪が成立しないとすれば、仮令他の法条に触るる事はあるとも、判決には重大な影響があるべきなのです。何故ならば、此の事件はただ人を一人殺したか二人殺したかという問題とは全然ちがいます。簡単に分り易く云って見れば、もし大寺が清三を殺したのでなく道子一人を殺したとすれば、大寺は或いは死刑に処せられるかも知れません。然し或いは処せられないかも知れません。反之これにはんし、もし大寺が清三を殺したとすれば、即ち姦夫が本夫を殺したとすれば、仮令道子を殺さないでも、まず死刑を言い渡される事は疑いないからであります。
 大寺は全部犯罪事実を認めているというが、一体どういう風に云っているのか。勿論さきに御紹介した新聞の記事のようなものでは余り漠然として居ますから、一日も早く取調の内容が分明ぶんめいする日の来るようにと、私は待ちに待っていたのでした。
 然し、私はただその間ぼんやりとしていたわけでもないのです。種々なテオリーを考えていたのでした。此処で当時私が考えた事を申して見ましょう。
 若し、被告人が此の犯罪を全然否認していたらどうなるでしょう。又、被告人を全然無罪としてはテオリーは立たないでしょうか。
 私はそう考えた時、立たぬ事はあるまいと思ったのです。之は実際家の私よりも却って、探偵小説家であるあなた方の方がいろいろお考え下さるでしょうが、一寸一つのテオリーをあげて見ましょう。
 例之たとえばどうでしょう。小田清三自身を其の妻の殺害者とする考えは。
 小田清三が其の夜、妻の不貞を発見したか、若くは予て知っていて其の夜何かで挑発された憤怒の余り、妻を惨殺したのだと仮定したらどうでしょう。
 予てから妻の様子を疑っていたとする。其の夜何か二人の間に起って夫はいよいよ妻の不貞を確信した。一方道子は一向改悛の様子を見せない。見せないどころか二人の男と時々へんなようすをする。遂に清三は妻を殺してやろうという意思を起すのです。己れを裏切った妻をただ一撃に殺したのでは物足りない。そこで、深夜、妻のねしずまった頃、いきなり妻に躍りかかって之を縛る。出来るだけ苦しめようというので、顔や胸を突いた。其の時、騒ぎをきいたかして大寺が飛込んで来る。大寺に対しても勿論怒っている場合ですから、ナイフを振って斬ってかかる。格闘の末却って自分が刺されるというような事実、このような事実を考える事は出来るでしょう。もしそうとすれば、道子に対する殺人に就ては勿論大寺は法律上無責任であり、清三に対して、傷害致死、或いは正当防衛事件となって、殺人事件にはならないかも知れない。之は余り小説じみていますが、私は一時真面目に考えて見た事なのです。
 所が此のテオリーに従っても亦説明のつかぬいろいろの疑問が出て来るのです。第一に、妻を惨殺しよう、嬲り殺しにしようというものが、わざわざ泊り客のある夜をえらぶという事が極めて考えられない事に属するのです。しかも、自分達の居る室の直ぐ下に大寺がねて居るのです。西洋館ならば兎も角、日本建の家で、階下に人が居る限り、仮令それが眠って居るにもせよ、相当時間を要する方法を以て人を殺す事が出来るでしょうか。否、そもそもそんな事を思い付くでしょうか。又怒りの余り夢中になったとしても、やっぱり嬲り殺しにする考えがこんな夜におこるでしょうか。清三がひと思いに道子を殺したとすれば別として、あのような惨虐な行為をする以上、大寺が少くも現場に現われる事を予期した上でなくては出来ぬ事だろうと思われるのです。
 それから又、大寺がどうして其の場に、あの時分――というのは既に道子が緊縛されて傷つけられた頃に、かけつけたかという事が問題になります。成程、道子の悲鳴を聞いて駈けつけたとすれば、説明のつかぬ事はないでしょう。然しそれならば道子は縛られようとする時分に既に叫ぶ筈です。私は先刻さっき、被告人に有利に疑を挿んだ時申す事を落しましたが、道子が猿轡さるぐつわようのものをはめられて居た形跡はまったくなかったのです。
 とすれば、此処でも又、道子は何をして居たかと考えなければならないのです。
 それから清三の死が、二人で格闘の結果誤って傷をうけたのに依るとする考えは、さき程も申した通り一応の考えなのですが、実はかなりもって廻った考えのようにも思えて来るのです。
 此の場合どうも、大寺が左利であったとしなければ工合が悪い。更に、清三が妻を殺してから自殺した、とする考え、これもまた清三が左利である、と仮定しなければどうもおかしいのです。
 所が、大寺が左利でなかったと同様、清三も左利ではなかったらしいのです。
 斯様な次第で、大寺無罪説も大分苦しい立場に立ったわけです。
 想像力の豊かなあなた方は、然し今まで申して来た事実に就て、或る点に対して説明がつき得るところの或る他の一つのテオリーをお思い付きになって居るでしょうね。
 わざとそれを挙げませんけれど、探偵小説作家たるあなた方が、必ず想到するべき一つのテオリーが未だある筈です、と私は敢て思うのであります。
 然し、それならば何故大寺が犯罪を認めているのでしょう。更に、此処に最も望みが少いのは死者二人の瀕死の刹那の言葉であります。
 清三も道子も、死の直前に明かに「大寺」及び「一郎」という名を言って居るのです。若し之が確められたならば、殆ど問題はないのです。ただたった一つの場合を除けば、それは即ち、道子が死にひんして、わが愛人の名を呼んだのではないかという考えであります。ともかく、最大の不利益は被告人の自白です。何よりも一番有力な証拠は、被告人の自白であります。此の事件に於て大寺一郎はことごとく犯罪を認めて居るのです。
 結局私は、道子に対する殺人罪は兎も角も、清三に対しては、或いは傷害致死の事件になるのではなかろうか、と迷いに迷って考えたのです。迷いに迷った私は、予審の終結決定を、今か今かと待ちこがれて居たのでした。


 待ちに待った決定は遂に与えられました。事件はさきに申した通り、愈々いよいよ公判に附せられる事になったのです。私は正式に此の事件の被告人大寺一郎の弁護人として、急いで記録を取り寄せて見ました。どの位躍るような気もちで私はその記録を手にとった事でしょう。私は恋人の手紙でもよむような気持で、始めから終りまで、むさぼるように読みました。紙の裏を貫くような鋭い眼を以て、字という字は一つといえども見逃さぬように一気に読み通してしまったのです。
 ところがどうでしょう。記録をすっかり読み終った私は、全然失望するより外はありませんでした。新聞紙の報告は、残念ながら殆ど誤って居なかったのです。被告人大寺一郎は、検事廷に於ても、亦予審廷に於ても、悉く其の罪を認めて居ます。而もそれは二人の男女に対する立派な殺人罪なのでありました。
 私が最後の望みをつないで居る数ヶ所の疑問は、被告人の極めて合理的な自白によって立派に説明がつくのです。被告人の自白は、出鱈目というには余りに熱意がありすぎます。余りに真摯しんしです。而も検事や予審判事の前で、此の被告人が出鱈目を云う必要が何処にありましょう。
 此処に其の時の記録の写しがあります。今予審廷に於ける訊問及び答弁をそのまま読んで御らんに入れましょう。(原文には仮名に濁りが附してありません。又句読点もないのですが、わかり易い為普通の文にして読みます)

問 ソウスルト被告ガ道子ヲ殺ス気ニナッタノハ、道子ガ他ノ男ニ心ヲ移スヨウニナッタカラカ。
答 私ガ道子ヲ殺ス気ニナッタノハ、今マデ私ニ親切デアッタノニ心変リヲシテカラ全ク私ニ冷淡ニナリ、友田ヲ愛スルヨウニナッタカラデアリマス。
問 被告ハ道子が友田ヲ愛シテ居ル事ヲ知ッテ居タカ。
答 其ノ日マデ、確カナ証拠ガナカッタノデアリマス。ソノ日ノ夜、二人ノ話デ確信スルヨウニナリマシタ。
問 被告ガ道子ヲ殺ス気ヲ起シタノハイツ頃カ。
答 ソレハソノ日ノ夜半デアリマス。ソレ迄私ハ心中デハ非常ニ煩悶シテ居リマシタガ、殺ソウトハ思イマセンデシタ。
問 殺意ヲ生ジタ迄ノ経過を述ベヨ。
答 其ノ日「マージャン」ヲシテ居ル最中、タシカ九時半頃デシタト思イマス、友田ガ便所ニ立ッタノデス、スルト道子ガ続イテ何カ台所ニ用ガアルト見エテ室ヲ出マシタ。私ハカネテカラ二人ノ様子ガオカシイト感ジテ居リマシタカラ、其ノ時何トナク気ニナリマシタノデ暫クたっテカラ私モ便所ニ行ッテクルカラト申シテ室外ニ出マシタ。ソシテ便所ノ方ニ進ンデ暗イ廊下ヲワザトソット曲ッテ行クト、角デ道子ト友田トガ何カヒソヒソト話シテ居ルノガ聞エマシタ、道子ガアサッテ六時ニイツモノ所デネト云ウ声ガハッキリキコエマシタ、友田ノ声ハヨクキキ取レナカッタノデスガ、私ハソノ時二人ガ手ヲ握リ合ッタノヲ感ジタノデス。之ハ見タワケデハアリマセンガ、確ニ私ハソレヲ感ジタノデス。
問 友田ハソノ頃便所ニ立ッタカモ知レヌト申シテ居ルガ、道子ト話ヲシタ事ハ全クナイト云ッテ居ルガ如何いかん
答 ソレハ全ク嘘デアリマス。私ハタシカニソレヲ覚エテ居ルノデス。又ソレヲ聞カナケレバアンナニ憤慨ハシナカッタノデス。私ハ此ノ話ヲ立チ聞キシタ時真ニ心カラ憤慨シマシタ。モウ此ノ世ニ望ミガ無イヨウナ気ガシタノデス。然シ未ダソノ時道子ヲ殺ソウナドトハ考エマセンデシタ。ソノ夜階下ノ座敷ニ泊マル事ニナリ十二時過ニ就床しゅうしょうシマシタケレ共、残念デ残念デ眠レマセン。ソレデ約一時間位床ノ中ニ呻吟シテ居タノデス。スルトやがテ二階カラ人ガ降リテ来ルヨウナノデ、ソット様子ヲうかがウトソレハ道子デシタ。彼女ガハバカリニ入ッタ後、私ハ床ノ中デイロイロ考エマシタガ、ドウシテモ彼女ニ会ッテ彼女ノ心ヲ飜エサネバナラヌト思イマシタ。ソレデ彼女ガ便所カラ出テ来タトコロヲ廊下ニようシテ話シタノデス。私ハソコデ出来ル限リ彼女ノ心ヲ戻スヲウニ申シマシタ。ケレ共、友田ニ心ヲ移シテシマッタ彼女ハモウ全ク私ニハ戻ッテ来ヨウトハシマセンデシタ。揚句ノ果ニハ、
 「アナタハ一体今迄清三ニカクレテ私ト愛シ合ッテ居タノデハナクッテ? 私達ハ二人トモ姦通者ナンデショウ。ソノアナタガ私ガ今誰ヲ又愛シヨウト、何モ云ウ権利ハナイ筈ダワ。私ハ夫ニハスマナイト思ウカモ知レナイケレド、アナタカラ文句ヲ云ワレルハズハナイワ」
 ト言イ放ッタノデス。私ハ勿論権利ガアルトハ思イマセンケレ共、余リ乱暴ナ言イ方ナノデ私モ二言三言申シマスト、
 「一体アナタハホントニ私ニ可愛ガラレテ居タト思ウノ? オ馬鹿サンネ、私がアナタニ身ヲ任セタノハカラカッタカラダワ。之以上グズグズイウナラ私今清三ヲ起シテ来マスヨサア放シテ頂戴」
 トイッテ、私ヲフリ切ッテ二階ニ上ッテ行ッテ了イマシタ。
  私は仕方ナク床ニ戻ッタノデスガ、ドウ考エテモ余リニ無札ナ[#「無札ナ」はママ]仕打デハアリ、私が今更ソンナ事ヲイエタワケデハナイノデスガ、道子ガ人妻トシテ余リニヒドイ乱行ヲシテ居ルノヲ見テ、モウ堪エラレヌ、イッソ道子ヲ殺シテ自分モ自殺シヨウト決心シタノデアリマス。実際今マデ道子ノ為ニ生キテ来タヨウナ私ハ、道子ヲ失ッタ今生キテ居ル甲斐ガナイト思ッタノデアリマス。
問 被告ハ道子ヲ何処デ殺スツモリダッタカ。
答 寝室ニイッテ殺スツモリデシタ。
問 道子ノ室ニハ夫ガネテ居ル事ヲ知ッテ居タカ。
答 知ッテ居リマシタ。
問 被告ハ清三ガ寝テ居ル間ニヒソカニ道子ヲ殺ス事ガ出来ルト思ッタノカ。
答 ソウハ思イマセン、道子ヲ殺セバ清三ハ勿論目ヲサマスニ違イナイト思イマシタ。
問 然ラバ、清三ガオキタラドウスル積リダッタカ。
答 ハジメハ、道子ヲ殺シタ後清三ガオキタラ、罪ヲスッカリ自白シテ自殺シヨウト思ッテ居タノデスガ、然シ清三ノ態度如何ニ依ッテハ之ヲ殺スツモリデシタ。
問 被告ハ清三ニ恨ミガアルノカ。
答 平常つねカラ私ノ愛シテ居ル女ヲ苦シメテ居タ事ガ実ニ憎イノデス。シカシ私ガ一番タマラナイノハ清三ガ道子ノ夫ダトイウ事デス。私ニハ清三ガ道子ノ夫ダトイウ事ダケデ、清三ノ存在ガ呪ワシイモノダッタノデス。此ノ気モチハ一寸オワカリニナラナイカモ知レマセンガホントウデス。
問 オ前ハ二人ヲ殺スノニ何モ物ヲ使オウトハシナカッタノカ。
答 ソノ時探シタノデスガ何モアリマセンデシタ。
問 如何どうイウ方法デ殺ス積リダッタカ。
答 ソノ時ハ何シロ夢中デスカラ詳シクハ考エマセンデシタガ、イキナリハイッテ行ッテネテイル道子ノ咽喉ヲ手デシメル積リデアリマシタ。清三ノ方ハ病人デスカラ頭ヲ殴ッタダケデモ何トカ始末ガツクト考エタノデス。
問 二人ヲ殺シタ有様ヲ述ベヨ。
答 私ハ二人ガテ居ルラシイ事ヲ室ノ外カラウカガッタ後、障子ヲソット開ケテ中ヘ入リマシタ。ソシテ蚊帳ノ中ニ入リ熟睡シテ居ル道子ノ上ニ馬乗リトナッテ、両手デイキナリ咽喉ヲシメヨウトシタノデアリマス。スルトソノ時不意ニ清三ガ目ヲサマシテ誰ダト叫ンダノデス。
  私ハカネテノ考エ通リニモハヤ仕方ガナイト思ッテ、
 「僕ハアナタニハ大変スマナイ事ヲシテ居タンダ、許シテクレ、君ニ謝ラナケレバナラナインダ」
 ト云イマスト清三ハ床ノ上ニ起キ上リナガラ、
 「何ダ、君ハ大寺君ジャナイカ、今頃人ノ寝室ニハイリコンデ何ヲシヨウトスルンダ」
 ト申シマシタ。私ハ、
 「実ハ此処ニ居ル道子サンヲ殺シテ自分モ死ヌ気デ来タノダ。君ハドウ思ッテ居ルカ知ラナイガ、実ハ道子サント僕トハズット前カラ姦通シテ居タノダ。道子ハ君ヲ愛シテハ居ナイゾ、君モ道子ヲ愛シテハ居ナイデハナイカ。僕コソホントノ道子ノ愛人ナノダ、所有者ナノダ。ソレヲ道子ガ裏切ッタノダ、ダカラ今ココデ罰シテヤルンダ」
 ト云ッタノデス。
問 ソノ間道子ハ黙ッテキイテイタノカ。
答 ハジメハ目ヲサマスト驚イテフルエテ居タヨウデシタガ、私ガシャベリ出ストソレニ対シテ、コノウソツキメ、大嘘ツキメト私ヲ罵リマシタ。然シ人ヲヨンダリ叫ンダリハシマセンデシタ。道子ハタダ夫ニ自分ヲ弁解シヨウトバカリシテ居タノデス。
問 ツヅイテ事件ノ経過ヲ述ベヨ。
答 モシ私ノ云ッタ事ニ対シテ、清三ガ少シデモ耳ヲ傾ケテクレタラ、私ハ清三ヲ殺サズニスンダカモシレナイノデス。所ガ私ガアレダケホントウノ事ヲ告白シタノニ不拘かかわらず清三ハ全ク耳ニモ入レマセンデシタ。入レナイドコロカ、机ノ上ニデモアッタカ、ナイフヲイツノ間ニカ抜イテ、蒼白まっさおニナッテフルエナガラ、突然私ニ斬リツケタノデス。私ニハソノ顔ガ悪魔ノヨウニ見エマシタ。私ハカットナッテイキナリ拳固ヲ堅メテ頭ヲ突キマシタ。彼ハアット云ッテ倒レ机ノハシデ頭ヲヒドク打チ、倒レルト同時ニ血ヲハイタヨウデシタガ、ソノママ昏倒シテシマッタノデス。此ノサワギノ最中蚊帳ノ釣手ガフッツリ切レテ上カラ下リマシタノデ、私ハ一気ニ之ヲハネノケテシマイマシタ。道子ハ夫ガ倒レルト悲鳴ヲアゲナガラ夫ノトコロニカケヨッテ介抱シヨウトシマシタ。私ハイキナリ道子ノ髪ヲツカミ清三ノ持ッテ居タナイフヲ突キツケテ声ヲ立テルト殺スゾト云ッテヤリマシタ。所ガ道子ハナオモ叫ボウトスルヨウダッタノデ、イキナリ彼女の顔ヘ斬リツケマシタ。道子ハ悲鳴ヲアゲルト同時ニソノ場ニ気ヲ失ッテ倒レテシマッタノデス。今マデ愛シニ愛シタ女ガ、ネマキ一ツデ顔ニ傷ヲ受ケテ倒レテイル姿ヲ見テ急ニ惨忍ナ気持デ一杯ニナリマシタ。ソレデ此ノママ一息ニ殺シタノデハ気ガスマヌカラ嬲リ殺シニシテヤラナケレバト思イ、彼女ガ気ヲ失ッテ居ルノヲ幸イ、素早ク腰紐ヲトッテ道子ヲ後手ニ縛リ上ゲタノデス。ソシテ急所ヲサケテ右ノ乳ノアタリヲ突イテヤリマシタ。私ハソノ時自分ノ危険ヲ考エテオリマセンデシタガ然シモシ誰カ来タラ自分ハ道子ヲ一思イニ殺シテ自殺スル気デシタ。
  道子ガ痛ミノ為ニ息ヲフキ返シタ時、私ハ叫バレテハイケヌト思イ膝デソノ顔ヲ押エツケマシタ。ソシテ彼女ガ自由ガキカズタダ苦シミモダエテ居ル間、アラユル呪イヲ浴セテヤリマシタ。道子ハソノ間苦シミニ苦シンデ居タヨウデシタガ、ソノうち、清三ガ意識ヲふくシテ動クヨウデシタカラ、思イ切ッテ、道子ノ心臓ト思ウトコロヲ一刺ニ刺シテ此ノ女ヲヤッツケテシマッタノデス。
  清三ハ息ヲフキ返シテ起キアガロウトシテ居マシタカラ、私ハ之モ膝ノ下ニ組ミ敷イテ胸ノアタリヲ一突キニ刺シタノデス。
  丁度ソノ時下カラ人ノ来ル足音ガシタノデ、私ハイソイデ立チ上リ、ナイフデ死ノウカドウシヨウカト迷ッテ居タノデス、清三ハ未ダ死ニ切レナカッタト見エ又起キ上リカケマシタ。丁度ソノ時ニ下僕ガカケツケテ清三ヲ抱キ起シタノデシタ。
云々。

 大寺一郎が予審廷で述べて居ることは、大体右のようなものでありまして、之は検事の前でも云って居る事です。
 予審判事はなお、友田剛、下僕の仁兵衛、お種、お春を一通り取り調べて居ります。友田の供述は先刻一寸判事が引用して居る通り、道子との肉体的関係に対しては絶対否認であり、又同夜、道子とひそひそ話をした事をも否認して居りますが、手紙の交換等については之を認めて居ります。
 仁兵衛、お種、お春に対しては、勿論主として現場の模様が詳しく訊ねられて居ります。
 殊に判事が力を入れてきいて居るところは、清三夫妻が瀕死の一言です。之に就て仁兵衛は次のように答えて居ます。

 私ガ主人ヲ抱キ起シタ時、主人ハサキ申シタ通リ殆ド死ンダヨウニナッテ居リマシタガ、私ガ旦那様旦那様トクリ返シマスト、カスカニ目ヲアキマシタガ、不意ニ思イガケナイ位大キナ声デ、
「大寺……大寺ダ」
ト申サレマシタ。ソレハ大変大キナ声デアリマシタカラ、聞キマチガイハアリマセヌ。ソノ時主人ハチャント私ガワカッテ居タヨウデアリマシタカラ、勿論私ヘ伝エタモノト思イマス。
 主人ノ言葉ヲキクト今マデ死ンダヨウニナッテ居タ奥様ガ何カ云イマシタ。ソレデ、オ種ト私ガカケツケマスト奥様モ目ヲアイテ私ヲ見ナガラ、
「……一郎……」
ト一言云ワレマシタ。此ノ声ハカスカデシタガハッキリトキキ取レマシタ。ソレデ奥様モ夢中デ云ッタヨウデハアリマセンデシタ。誰カ来テクレタ人ニ云ウヨウスデシテ、決シテ一郎トイウ名ヲタダヨンダノデハナカッタト思イマス。

 なおお種も同じように供述をして居るのです。
 さてあなた方もおわかりのように、之で一通り私の知りたいと思って居た事は、遺憾ながら明かになってしまいました。夫に責任を負わせるというテオリーも全く望みはないのです。
 之で私の疑問はまず消えてしまったと云っていいのです。更に悪い事は、被告人の自白の裏書をするように、彼の住居からは道子が彼に宛てた手紙がかなりたくさん発見されたのです。尤もこの手紙には非常に愛情のこもった事は書いてないので、道子と大寺が姦通して居たという事実、又之がもととなってあの惨劇が行われたという事実に対して直接証拠を提供して居ませんが、所謂間接のものとしては、可なり有力だった事は疑いありません。
 事件が予審を離れた頃、私は弁護人として被告人にはじめて会う事を許されました。私は被告人を見て、第一にその美しさに驚かされたのです。なるほど道子ほどの美人が、愛人としてえらぶに少しも不思議はないと思いました。刑務所に収容されてからも、大して健康には変りないと見え、元気で青春の美しさが満ち満ちて居ました。私は一体美しい青年に対しては大抵好意をもつ事が出来る男なのですが、今大寺を見て、特にその感が深かったのです。私は今までの事実にも不拘、此の男があの大罪を犯す筈はないと感じました。法律家としては、決して顔はあてにならないものだ、否、虫も殺さぬような人が却って大犯罪を行う事があるとは重々知っては居ながらも、何となく、この男に好意がもてたのでした。
 私はまず、私を彼の為に頼んだ某貴族の事を話し、その人の為にもつまらぬ嘘を云ってはいけないと云う事、それから私自身がどれ程の好意を持って居るかを告げ、私の為にも是非ほんとうの事を云わなければいけないという事を力説し、そうして法律で許されて居る範囲内に於て、出来るだけ詳しく事情を聴取しようと試みたのでした。
 彼は美しい眉をあげながら、私と某貴族に対する深い感謝の意を表したのですが、同時に、事件に就ては全く期待してくれるな、という事を申しました。そうして、彼は凡ての場合に対して最早や、覚悟して居るから安心してくれ、なお彼がこの不名誉を抱いて墓場に行っても、悲しむ親はもはやないのだから、などと悲しい事をいろいろ物語りしたのでした。
 今でもおぼえて居ますが、彼に最後に会った日は小雨の降った日でした。美しい眼差を時々空の方にやりながら、
「僕は覚悟はしてるんですから、安心して下さい。僕あね、あきらめてるんですよ」
 と淋しく云って私に別れを告げた彼をあとにしながら、私は何とも云いようのない寂寞せきばくにおそわれつつ、雨の中をわざと車にも乗らず一人とぼとぼと帰途についたのでした。
 妙なものでそれでも私はなお望みをなげうてませんでした。そうして又出来るだけ機会を利用して友田はじめ、仁兵衛等にも会いいろいろと訊ねて見たのでした、が之も結局何の得るところもなく、いたずらに日は過ぎて、今はただ、公判廷に於ける被告人の陳述を、待つばかりになったのです。
 成程、大寺は、検事の所でも、予審判事の前でも凡て罪状を自白して居ますけれど、未だ公判というものがあります。而も我が国の法律に於ては、公判が、凡ての中心となるべきものとされて居ます。被告人は何等かの理由があって、今まで犯罪を認めて居るのかも知れませぬ。従って、又最後に公判廷に於て今までの自白を全くひるがえして、全然別の陳述をしないとも限りません。斯様な例は、勿論、世に屡々ある事でみなさんもよく聞いて居られる事でしょう。
 そこで、執拗なようですが、私は、一の望みを又この公判につないだのでした。弁護人としての此の苦しい立場は、十分みなさんにわかって頂けることと信じます。
 愈々公判は開かれました。此の公判の模様に就ては、之亦これまた新聞紙がこぞって書き立てた事ゆえ、みなさん十分御承知のことと思いますから、詳しくはここに述べますまい。
 私の唯一の望みもあだとなり、被告人はまっすぐに、此処でも犯罪を立派に認めたのです。否それはただ認めたというどころではありませぬ。醜き恋にただれた心をもって、而も純な青春のあの一本気な気もちを以て、熱と涙の中から彼は道子との関係を述べ、道子に対する苦しい思いを打明け、満廷の人々をして、その熱情を以て動かしたのです。勿論多くの人々は眉を顰めた事でしょう。その許すべからざる犯罪と、其の動機については好意をもつ事は出来なかったにちがいありません。然し、恋する若人わこうどの気もちを知る或る人々は、この哀れな一青年の心情に、或いは多少の同情を与えてくれたかも知れないと、私は信じて居ります。
 彼は、愚かにも――然り愚かにもです――犯罪を単に全部認めたのみならず、今なお道子を恨んで居る旨をのべました。若し、道子が再び生き返って来て、同じ事を被告人に対して云ったなら恐くは十度でも、否百度でも、彼女を惨殺しそうな口吻こうふんを洩したのです。
 語を換えて云えば、被告人は道子を殺した事に就ては勿論、清三を手にかけた事さえも悔いては居ないように見えたのです。
 自分が、極力防禦してやろうと思って居た被告人自身が、公判廷で何の遠慮もなく――その時の検事の論告の言葉をれば厚顔無恥比するにものなき態度を以て――斯様な事実を述べ立てたのですから、弁護人たる私の立場は弁護人としては古今に稀なと云っていい位悲惨なものになってしまったのです。
 然しながら私は出来るだけの努力はしました。私は証人として是非友田剛、仁兵衛、お種、お春を、公判廷に喚問せられたき旨を申請したのでした。
 私の空しき努力は今や、瀕死の二人が叫んだ言葉の解釈一点に向けられたのです。結局そのうち、仁兵衛だけが調べられる事になりましたが、此の証人訊問の結果もやはり不利益でありまして、仁兵衛は予審廷で云ったことを、再びくり返したにすぎませんでした。
 私は裁判長の許しを得て直接に、証人は道子の言を以て愛人の名を叫んだようには思わなかったかという事をたずねたのですが、仁兵衛はあくまでも、自分に対して訴えるように叫んだと思うと主張して居りました。
 道子が「大寺」とは云わずに「一郎」と云った事に就て、私は主力をむけたのですが、道子が平常大寺の事を大寺さんと云わず一郎さんと呼んで居たと云う事実が、仁兵衛の口からはっきりと云われたので、最早、之以上追及する方法はなかったのでした。
 もはや一点の疑も許されませぬ。凡ての人の言は大寺一郎が殺人者なる事を指示して居ます。而も、動かす事の出来ない証拠は、被告自身の自白であります。
 私はさきに述べたように被告人は或いは公判廷に於て、その自白を飜すかも知れぬという事を考えて居たのです。而も結果は右のような有様となってしまいました。
 私は警察官は勿論、検事にも判事にもなった経験はありませんから、捜査機関の内情については殆ど何も知りませぬ。然し警察あたりではよく自白を無理に強いて、かなり乱暴な事をするように世間は伝えて居ります。然し、如何に反対の立場にいる私でも、検事廷や予審廷に於ては被告人は最も合法的に取扱われるものであるという事を信じて居ます。況んや公判廷に於ける被告人の立場は、衆人の知っているところであります。それ故、本件の被告人が強いられて自白して居るのでないという事だけは極めて明瞭なわけであります。
 私は勿論、被告人自ら、虚偽の自白を敢てすることがあるものであるという事は、十分知っています。之はあなた方も御承知でしょう。之には大体次のような場合が多いのです。
 第一名を売るためにやるのです。
 人間というものは、何時でも芝居気は失せぬと見え、世間をおどろかし、我が名をひろめる為に、途方もない大犯罪を自白することがあるものです。そうして、勿論生命を賭してやるわけではないのですから、結局おそくも公判廷に於て之を否認し、又、事実おそくも公判へ行けば之がひっくり返され得るものである事を知っているのです。
 之等の犯罪人の多くは、極くつまらぬ犯罪をっているか、でなければ、他に立派な生命に係る犯罪があって、到底それだけでも助からないと覚悟をきめている人々が多いのですけれども、大寺一郎は他に犯罪を犯しているようには見えませんし、又売名をかかる方法でするには余りに教育がありすぎます。従ってこの種類に属する人間とはどうしても見る事は出来ないのです。
 第二は、或る大犯罪を行っていて、之をかくす為に、他の小犯罪を認める場合であります。そうして、その小犯罪によって、刑務所に入れられ他の大犯罪に対する訴追をまぬがれようとするものです。この場合は勿論、かくされようとする犯罪が、自白する犯罪よりはるかに大なるものである事は当然です。ところが大寺一郎が今自白している犯罪は、大犯罪でありますから、之に依って他の罪をかくすという事は考えられない事に属します。
 第三は、之は探偵小説――殊にフランスの探偵小説などによく出て来る場合ですが、即ち他に自分の愛する真犯人があるため、自分が犠牲となって、罪を引き受けようとする場合です、之は実際は、男より女の方が多いように考えられます。大寺一郎の場合はどうでしょう。此の事件には小田家に他から侵入したものがない事は明かであり、又仁兵衛その他二人の女中が真犯人ではあり得ない場合であります。大寺が仮にこの二人の女中のうちいずれかを恋して居たとしても、その女の犯罪はかくしおおせぬ場合でありますから、之は考えられないのです。彼がかばって居ると見らるべき犯人の存在は想像する事は出来ませぬ。彼は愛する女の不名誉をかばって居るとは思われませぬ。否、かばうどころか、彼が最も愛して居たと思われる婦人の事は右述べた通り完膚なき迄に、不遠慮に自白し、しかばねむちうって居る有様です。
 以上の如く考え来れば、大寺一郎の自白は虚偽であるという理由はないものと見なければなりませぬ。而もいう事に極めて筋道が立って居る事を思えば、彼の脳に狂いが来たとも考えられませぬ。(此の点に付いては裁判所はぬかりなく精神鑑定をして居ります)
 扠公判は何等の波乱もなく進行し、審理を終りました。検事は直ちに論告を試みましたが、それはこの場合、殆ど誰もが予期し得るような極めて峻烈なものでありました。検事はまず、事実は極めて明瞭なる事を述べ、ついで、かくの如き犯罪を行って、なお且つ天地に恥ずるを知らざる被告人の厚顔無恥をののしった結果、法律の許す範囲の極刑を求めたのであります。検事のこの論告に対して行われた私の弁論は何という力なきものだったでしょう。私は元来、自分を雄弁だと考えた事はなかったのですが、凡そこの時程、みじめな弁論をした事はありません。私はただ被告人が若年であるという点、一時の怒りにかられてなした若人の犯罪という点に就て、いくらかの主張をなすより外仕方がなかったのです。
 検事の論告、私の弁論、この間、被告人は美しい顔を少しも乱さず、不相変あいかわらず、しずかな表情をもって黙ってきいて居たのでした。
 言渡しの日は来ました。
 あなた方も御承知の通り、この言渡しは死刑でした。裁判長が判決文の順序を逆にし、事実及び理由を先に読みはじめた時、私は既に之を知ったのです。美しき被告人は、之も少しも驚かずにきいて居りました。
 死刑の言渡しがあった後せめてもの努力として、私は控訴するようにすすめて見ましたが、被告は断然之を拒絶しました。そうして、御承知かも知れませんが、この春の或る日、死刑は遂に執行されて、大寺一郎は絞首台上にその青春の生命を終ったのでした。
 私がお話しようとした事件は以上の様なものであります。
 ところが、彼の死後、私ははからずも獄中でしるした手記を手に入れたのです。之は彼の遺書と見らるべきものです。如何なる方法で之が私の手に這入ったかは、別に必要のない事ですからここには申上げますまい。
 私は彼の手記を手に入れるや、はじめから終りまで息もつかずに読み通しました。恐ろしい遺書です。之は今まで誰にも見せた事はないのです。今こそあなた方に発表しましょう。恐らく被告人自身も、これがあなた方の前に発表される事を望んで居ただろうからであります。そして、又、此の遺書をあなた方に発表しない限り、私が今までお話した事は全く意味のない事になるからです。
 手記中「私」と書いたり「俺」と書いたり「自分」とかいたりしてあるのは、さすがに、獄中の手記の事とて、いろいろにその時々で、感じがかわったので大寺はその時の感じに従ったものと思われます。


 予期した通りだった。
 とうとう死刑の言渡しを受けた。何も知らぬ弁護士は頻りと控訴するようにすすめる。然し今の私にどうしてそんな気持があろう。控訴する位ならはじめから、私は事実を有りのままに云うたに違いない。警察で一日の間あれだけ一生懸命になって考え抜いた大嘘を述べる筈はない。
 今や私は、裁判の確定次第、いつ生命を失うかわからぬのだ。
 俺が、生命を捨て、名誉を捨て、そして得たるものは何だろう。憎い憎い然し可愛い可愛いあの道子だ。おお道子! なつかしい道子。俺が生命いのちをかけた此の恋。我が生命。我が凡て! それがお前だ。
 お前は此の世では俺を弄んだ。そうだ、この若い俺の心を何の遠慮もなくかきむしり、恋を燃えたてさせながら、而も完全に飜弄した。
 然し、死屍となったお前は、何という無力な奴だ。何という気の毒な女だ。
 あの豊麗な肉体が、ぎりぎりと縛り上げられて、悶え死んだ瞬間から、お前は完全に俺のものなのだ。そうだ、天下は皆、お前は俺のものだったと信じて居る。この事件が人々の頭に残る限り、永遠にお前の名はこの俺の名と共にうたわれるであろう。
 成程お前の体は、夫の側に眠るかも知れない。けれどもお前は、ほんとうのお前は俺と共に居る。夫にそむいて俺の側に居る。不貞の妻、姦通者! こういう永遠の烙印を其の額にやきつけられながら、永久に俺と共に地獄に苦しまねばならない。おお、何たる喜ばしさであろう。
 憎いが然し、可愛いお前を、此の地上からなくしてしまった今、俺は何として生きて行こう。こうやってただ生きた屍となって何年生きて行く甲斐があろう。而も俺はお前の夫と同じ病にかかって居る。健康ではないのだ。世に出ていたところで先は見えて居る。
 その俺がお前を失った今、死ぬ気になったのが不思議だろうか。而も俺は死に方一つで、大きなものが掴める立場に居るのだ。大きな不名誉を得ると共に、更にそれ以上の望ましきものが手に入ろうとして居る。生きて居ては一指をも触れ得なかったお前を、永遠に自分のものにするという事だ!
 そうだ、そうして同時に、鹿爪らしい顔をして居る世の法律家達に――この中には俺を何とかして救おうと空しき努力をしてくれた気の毒なあの弁護士も含まれるのだが――彼等の金城鉄壁と頼む法律というものの無力さを示してやる事が出来る。
 証拠証拠と二言目にはさがしまわる。それがなければ、不正を罰する事が出来ない。而もそれらしきものが見えれば、自信を以て何人をも殺す事の出来る彼等。その彼等に、この素晴らしい俺の脚本の仕組がわかるだろうか。
 法律家達よ。今こそ俺は真実をいう。
 君等は罪なき男に死刑を言渡した。俺は全く無罪なのだ。
 何故俺が自白したか。
 一つにはこの世では一指をも触れ得ざりし、生命よりも愛する美しき女性を永遠に得んが為に。一つには純な俺の心を弄んだ憎むべき妖婦に永遠の烙印の復讐をなさんが為に。一つには生きるに甲斐なき生命を法律を利用して、断たんが為に。而して最後に、かくの如くにして、君等の自信がどの位まで根拠をおかれるべきものであるかを知らしめんが為に。
 俺の父は僅か百円の金が取り返せないで、憤死した。彼は或る悪党にほんとうに欺されたのだ。詐欺にかかったのだ。それにも不拘かかわらず法律をよく知って居る相手の為に、負けなければならなかった。悪党から金を取り返さねば、奴をぶちこんでやると意気込んで家を出かけた父親は、ついには却って相手から誣告ぶこくだと云って訴えられた。父はたまらなかったのだ。百円や千円は問題ではなかった。父はただお上を信じて居たのだ。お上のなさる事にまちがいはないと信じ切って居たのだ。ところがどうだ、彼が神のように信じて居たお上は、証拠が足りないと云って彼を相手にしなかった。其の上、結局は不起訴にはなったものの、誣告罪の被疑者として、厳重に調べられた。法律を頼り切って居た父は当然、苦しんだ。彼はこの不名誉には堪えられなかったのだ。
 日毎に沈み勝になって行く父の面影を、おお、今俺は獄窓にあってもはっきりと思い出すことが出来る。
 父はその問題から日毎に健康が衰えてついに逝いた。残る妻子に、永久に法律を呪えと叫びながら。
 おお俺は其の言葉を忘れない。法を呪え。法律の偽善的標語を呪え。俺は法律を呪う。この世に法律が存する限り、その法律を呪う。法律は正義の為に在るという。正しきものの味方也とうそぶく。然し如何に多くの法律が不正の為に利用せられたことだろう。而も如何に有力に、横暴に、不正は屡々法律を利用した事だろう。
 俺に与えられた時間は短い。俺は出来るだけ早くこの手記を終らねばならぬ。いそいで事実を描いて行こう。

 俺がはじめて道子に会ったのは、丁度三年程前の或る秋の日だった。故郷の中学を卒業しようとする頃、母も亦、世を呪いながら父の後を追ってしまったので、叔父の世話で東京に勉強をしに出して貰ったのであった。其の叔父が丁度道子の父に当る大学教授に世話になった事がある関係から、上京してしばらくたってから、道子の家を訪れたのだった。
 俺ははじめて川上母子に会った時から、道子がすきになった。あの威張り返った母親に比して彼女は何という親しみ易い人だったろう。田舎から出て来てまもない俺を、道子は何といって家に迎えてくれた事か。
 勿論当時道子は令嬢だったのだ。
 もし世に一分間の恋というものがあるとすれば、俺の場合はそうだろう。俺はたった一目彼女を見た時、たった一言彼女と語った瞬間から、道子に魅せられてしまったと云っていい。
 如何にも親しげに語ってくれた彼女に又会うべく、俺は下宿を定めてからも、屡々彼女の家を訪れるようになった。此の秋から以来、若き田舎出の青年は全く彼女の為に生きて居たようなものである。
 彼女と交際をするにつれて、私は彼女を取り巻く多くの人々の居る事を見出した。私と同じ学校の学生の中にも、可成り彼女の顔を見に来る奴等があった。之等の大勢の男の中に在って道子は少しも困惑のようすはなく、皆に対して如何にも巧みな交際振を発揮して居た。それ故、彼女が誰に最大の好意をもって居るかという事はまったくわからなかった。愚かな俺は、彼女の母の信用を多分に持って居たので、道子からも相当好意をもたれて居ると信じて居たのである。
 道子は決してしかし真面目な話をしなかった。恐らく之は誰に対してもそうであったろうが、音楽の話、文学の話、芝居の話など皆とする外は、ブリッジを仕込み、マージャンを我々に教えては楽しんで居るように見えた。
 その間、俺はひそかに恋をして居たのだ。俺は若かった。いや今でも俺は未だ若い。然し俺が道子を知った頃は、なお若かったのだ。幼かったといってもいい。其の俺が若人の純な気分で彼女を生命にかけて恋して居たとて何の不思議があろう。而も考えれば、俺を之ほどまで夢中にさせたについては、道子の態度に十分責任があったと云える。
 然し俺は自白する。俺は多くの男の中からえらばれて彼女の夫となろうという自信はなかった。けれども、恋するものの常として、非常に謙遜である心と、一方、万一を望む心とが必ずいつも胸の中にあった。従って道子が小田清三と結婚するという話をきいた時、不思議には思わなかったが、同時に、熱湯を呑まされた思いがした。俺は苦しんだ。ああ今でも思い出す、彼女の結婚の夜、(俺は其の披露の席に招かれて居たのだが、どうして花嫁姿の彼女を正視する気になれよう)俺はこの身体一つのおき所がなく、広い東京の町をただあてどもなく、ひたすらにあるき廻り飲みまわった。そして遂に浅草のある裏町の汚い家に酔い倒れてしまったまま、考えてもおそろしい、浅ましい一夜をあかしたのだった。
 小田夫人となった道子は、然し不相変あいかわらず、俺と会った。俺ははじめ、断然彼女に会うまいと思ったのだが、彼女からわざわざ手紙をよこされると、もはや其の決意もにぶって、夢の中に居る人の如くに、彼女と会ってはただ苦しい、しかしながら喜ばしい時を過して居たのだ。
 道子が俺に対して明かに好意を示しはじめたのは、彼女が結婚してからである。彼女からは盛んに手紙が来た。勿論、手紙には愛情にわたった事は余り書いてはなかったけれど、敏感な、恋する若人にとっては或る種の、普通の手紙の型はなまじな愛の文句で綴られた文よりも、はるかに力強き或る印象を与えるものである。道子は殊にこの種の手紙の書き方がうまかった。愚かな俺は、ねる時も側をはなさずにそれ等の手紙を愛撫した。彼女は特に、P・Sの書方が極めてうまく、僅か二、三行のP・S中に、千万言の思いを巧みに託した。それ故、俺はしまいには本文よりもまっさきに、追伸を読む事にした位である。
 一昨年の末頃から、彼女はK町から出て来る毎に必ず俺の所を訪れて、誘い出しては、二人で銀座あたりを歩いた。而も途上、決してはっきりと、触れた話はしない。俺は俺で、人妻に恋して居るという気持を、若人特有のセンティメンタリズムで懐いて居たので、沈黙を以て、心を通じさせようとした。
 今から思えば、きざの極みだが、俺は当時「ヴェルテルの悲しみ」をレクラム版で求めて之を常に懐中して、ならいたての独逸ドイツ語だから読める筈はないのに、時々開いては、ため息をついて居たものである。
 おお当時のヴェルテルは、今やロッテを呪わずには居られないのだ。
 或る夕、東京の或る町を歩きながら道子夫人は俺にこう云った事がある。
「私、一郎さんのような人ほんとにすきよ。ほんとにすきよ。あなたのような方の奥さんになる方、どんなに幸福でしょう」
 ああおそい、何故早くそう云ってはくれなかったんだ、俺は愚かにも――然り千万遍も愚かにも――この言葉をこういう風に解し、こういうように心の中で叫んだものである。しかし、若い青年の心に、この不用意な、もしくは極めて巧みに巧まれた、この言葉が、こうひびくのがどうしておかしかろう。
 或る時は又こういう事もあった。
 或る友人の家にブリッジをしに行った時、道子夫人も亦加わったが、夕方五時頃に彼女は、
「私もう帰るわ」
 と云って席を立とうとした。
 丁度其の時俺も帰る気になったので、俺はその友人に、僕も失礼するという事を云って、立上りかけた。すると道子は、俺の言葉の終るか終らないうち、俺を見ながらこう云った。
「私、一郎さんを一緒に連れていってもいいんだけれど、今日は人目が多いからよしましょうね」
 大勢の前でこうはっきり云われた時、俺はただ赤くなって黙るより外仕方がなかった。俺はもとより、道子の自動車に乗って行こうと思って帰ろうと云ったわけではないのだ。
 しかし此の道子の言葉は、冗談なのだろうか、真面目にとっていいものだろうか、俺にはとうとうわからなかった。
 彼女が真面目に俺と語るようになったのは、あの事件の起るより半年ほど前の事である。
 当時、甘きなやましさを以て、思い出し、今は苦き極度の不快を以て想起するのは、昨年のはじめの或る冬の夜の会話であった。
 其の日、道子は東京へ出て来たといって、俺を突然銀座まで電話でよび出したが、活動写真を見た後、とあるカフェーの二階で紅茶を飲んだ事があった。其の日見たフィルムの中に、淋しい家庭の有様が出て居たのに心を動かされたのか、又はそれにきっかけを思いついたのか、道子は俺にこう云いかけた。
「一郎さん、私幸福に見えて?」
「さあ……」
 俺にはこういう場合、上手うわてに出て物をいう事が出来ないので、ただ答に窮して居ると、彼女は媚を含んだ眼を以てこうつづけた。
「私、幸福じゃないのよ、ほんとうは。だって清三は私をいつもいじめるんですもの。私、夫から愛されては居ないのよ」
 俺はもとより清三が彼女を愛しては居ないらしいという噂はきいて居た。けれども、道子から之を訴えられたのは此の時がはじめてなのだ。
「だって清三氏は、別段遊ぶわけじゃなし、他に女があるわけじゃなしするんだから、いいじゃありませんか」
 俺はやっと之だけの事を辛うじて云った。
「あら、女ってものは夫がただそれだけだからって満足するものじゃないことよ。ねえ一郎さん、もしあなたが私の夫だったら、やっぱりそんな態度をとるつもりなの?」
 俺は心が燃え上るような気がした。心臓がはげしくうつ。あの昔のスパルタで獣を盗んだ若人が、その恥をかくさんがため、獣を胸に抱いて、自分の胸の肉をくい破られるのを堪え忍んで居たという、あの苦悩を自ら味わって居るような気もちで、
「さあ」
 と云ったきり黙って彼女の顔を見た。俺はただ恋の悩みにあこがれて居たのだ。愚かな男よ!
 俺が燃えるような眼で彼女を見た途端、彼女の視線とバッタリ合った。と、道子は又燃えるようなまなざしで俺を見ながら、
「一寸、見て頂戴」
 と俺が視線を外にそらす間も与えず、いきなり肉づきのいい左手ゆんでの袂をぐっとまくりあげながら、其の腕を俺の目の前に差出したのである。むっとする香りと共に、俺はぐらぐらするような気がしたが、その時、むっくりもり上って居る彼女の二の腕の肉に、きつけられたような、蛇のような青痣を見てしまった。
 二人は一寸の間まったく黙った。
「清三さんは、あなたをそんなに苦しめるんですか」
 俺は思わずこう云った途端、右の手を出して道子の豊かな腕にふれてしまった。彼女は引こうともしないで、黙ってうなずいて見せたのである。
 おお悪魔よ。神の如き此の女性を、汝は何が故にかくも虐待するのか、汝は此の女性の夫たる――否、否、しもべにすらなる資格はないのだ。
 俺は清三の存在を呪った。彼を罵った。彼女の結婚を呪った。
 さすがにそれとは云わなかったけれ共、俺は興奮した余り、可なり遠慮なく清三の事を云ってのけたのだった。
 彼女はただ黙ってうなずいて居たが、終りに、
「だけど、こんな事あなたっきりに云うんだから黙っててね」
 と一言いった切りである。
 道子よ。汝こそ呪わるべき哉、俺は汝が、こんな技巧をいろいろな男に示して居たかと思えば、全身の血が逆流するような気がする。
 俺は其の時から、悪魔に虐げられて居る彼女の為に立とうと決心した。どんな事があっても彼女の為に戦ってやろうと思った。俺は全く彼女の奴隷であった。おお愚かな俺は!
 清三が、道子に対して、自由な行動をとらして居るのは、決して本心から喜んで居るわけではないのだ。道子が俺などと交際することの為にも、清三は道子を可なり苦しめることがあったそうだ。そうとすれば清三にだって嫉妬心はあるのだ。ただ彼の冷たい自尊心の為に、はっきりと道子には云わないのだ。こうわかった以上、俺も道子と同じ行動をとろうとした。わざわざ清三が不愉快になるような話を彼の前でした。わざわざ清三を不愉快にして愉快がった。斯の如くにして、昨年の春から俺は、はっきりと清三に不愉快なようすを見せられつつ、彼と屡々会ったのであった。
 八月の十六日! あの呪わしい日、あの日にも此の様子は十分見えたのである。
 友田という男に対して、道子がどういう態度をとって居たかという事を、俺はよくは知らない。然し、清三が、俺よりも友田に、より多く親しさを見せて居たことから思えば、彼は俺ほど道子に近づいては居なかったのではなかろうか。
 然し、清三のような男は、態度は却って反対を表わす事が多いのだから何とも云えないけれど。
 あの日俺は招かれたわけではなかったが、丁度ひまだったので遊びに行ったのだった。偶然友田が来合わせたので、夕方マージャンが始まったのである。
 俺は此の遊戯の間にも、常に恋人に対して居るという喜びと、人妻と恋し合って居りながら、而もたがいに如何ともする事が出来ず、僅かに遊戯を共にして楽しむという、ひどく感傷的な感激にひたりつづけて居た。
 嵐になったので俺はどうせ帰れないつもりだったから、全然他に気をちらさずにマージャンに耽り、恋のよろこびと悲痛とを味わうことが出来た。
 八圏パーチョワン目に入っても勝負は一こう荒れなかった。その西風シーフォンの時である。大きな手が道子に出来たのは。
 否出来たというより出来上らせてしまったのだ。その時は、西風で清三が親であった。俺は清三の上に居て丁度道子の対面トイメンになって居たのである。ところが、めくりが四回位廻ってしまうと、道子は四万スーワン五万ウーワンと切って来た。つづいて一筒イートン三筒サントンと切って次に門風メンフォンを一枚切ったのである。此の時、飜牌ファンパイは早く方々から出て居るのだし、道子は総かくしの手ではあるが、索字ソオツーを、一個も捨てて居ないのだから、道子が索字の清一色チンイーソーを企てて居ることは誰の目にも明かなのである。而も外の三人はまだ中々聴牌テンパイしない。殊に清三は此の有様を見て、親の事だから頻りにいらだって、あがりをいそいで居るらしいのだが、之もまだ容易に聴牌したようすはなく、おまけに彼は道子の上に居るので索字を握って放さぬから、尚更、和りがむずかしくなって居る。その中、道子の自摸ツモの番となった。彼女は十四枚のパイを全部立てたまま並べて居たが、暫く考えて居た結果、いきなり七索チーソオを一枚すてて来た。
「余ったな」
 清三は半ばほんとに恐れたようで、半ばは、他の二人に注意するような様子でつぶやいた。
 友田を経て俺の番になった。幸か不幸か、求め難い辺三索ペンザンソオをつかんで来たので、今や孤立せる八索一個を捨てれば、一四七筒イースーチートンの絶好の平和ピンフの聴牌である。
 通常の場合でも、七索チーソオをすてて聴牌したらしい際、八索パーソオを打つ事は危険である。況んや清一色チンイーソーで而も門前清メンチェンチンの手と来ているから、一般の和りの原則は容易に適用出来ぬ。今俺が握っている八索は絶対危険牌と見なければならない。
 然し相手は愛する道子である。親は憎むべき清三である。而も自分は三つの機会ある聴牌なのだ。よしやって見ろと思いながらいきなり八索を打ったところ、はたして道子を清一色で和らせてしまった。此の時の清三の不愉快な顔は忘れられない。これで道子が絶対の勝となったが、全く不愉快になった清三はやめようとはせぬ。それでとうとうつづいて四圏スーチョワンやることになったのだった。
 ところが此のまわりのファイナルで、又々清三を極度に不快ならしめることがもち上った。
 それは北風ペイフォンの一番しまいで、此の時も清三が親、俺はやはり彼の上で、俺の対面トイメンが今度は友田であった。それまで手がつかなかった俺は、俄然幸運に見舞われたか、与えられた牌を見ると実にいい手がついている。
 其の中、二回ほどまわると清三が俺の連風レンフォンペイを打った。俺は之をポンし、つづけて友田から出た発財ファイツァイをポンし、次いで又友田が打った九万チュウワンをポンした。従って此の場合、※(「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-1-10)九牌ヤオチュウパイの全部と、万字ワンツの全部が、包牌パオパイとなったわけである。
 此の時俺の手は四七万スーチーワン両単吊リャンタンチャオの待であったが、もはや万字を打って一人払いの危険を冒す人もないらしいので、自摸ツモして和る一手しかないのである。
 すると此の時、俺の上にいた道子がどうした拍子か誤って二枚牌を前に仆した。それは二枚ともトンであった。もとより之も包牌パオパイである。「あら見えちゃったわ」といいながら、之を立てようとすると清三が、
「あ、そこにあるか、じゃ、トン単吊タンチャオじゃないな」
 と俺の方を見ながら云った。そして自分も一個の東を手に出して見せた。彼は、東が門風メンフォンなのだが、捨て場に困っていたわけなのだ。すると、道子も危険を感じなかったと見え、「見えたからすてるわ」と意味の無い打方のようであるが、その二枚の東を一個捨てて来た。つづいて俺の自摸ツモ。ところがどうだろう。此の時自摸したのが最後の一個の東であった。俺はすばやく東の単吊に聴牌をかえて七万を打った。清三は手が変ったのに気がつかなかったか、又は気がついてもまさか最後の東を掴んだとは思わなかったと見え、絶対安全と信じてもて余していた一個の東を打って来たから、俺は遠慮なくあがってしまった。清三の一人払いである。
 ところがこの際、清三は不快のようすをはっきり表わしながら、
「君はなぜ、道子がすてた時和らなかったんだ。道子に一人払いさせないのか」
 と云い出した。俺はたった今、東を掴んだばかりだと云う事を主張して、結局清三に一人払いさせたのであったが、此の俺の主張を、清三は全然信じなかったらしい。
「あんなパオははじめてだ」
 と吐き出すように云いながら、マージャンを終って了ったのであった。此の言葉を何ときいたか――道子は俺の方を見て一寸微笑んで見せた。道子も或いは、俺がはじめわざと彼女の牌で和らなかったのだと思っていたのではあるまいか。
 斯うして嵐の夜は、こんな変な気分と共に更けはじめたのである。
 俺は階下の一室に床をとってもらってねることになった。
 俺は度々清三にも会っているが、今日ほどはっきり彼に不愉快なことを云わした事もないし、又云われた事もなかった。何となく痛快なような気もちであったが、同時に又何ともいえぬ不気味な気もちになった。
 こうやってしまいに俺はどうなるのだ。人妻に恋していてどうするのだ。と誰かささやくような気がする。


 清三と道子は丁度俺のねている室の上にねているわけである。俺はかつて一度も、道子と同じ屋根の下で夜を明した事はない。この夜がはじめてである。
 自分が生命をかけて恋している女、それが他人の妻である。その夫婦が、今自分の室の上で同じ室にねているのだ。こう考えただけで俺はとうてい眠られそうもないと思った。
 はじめは、海で泳いだ疲れの為に、何となく眠られそうだったが、然しいろいろのことを考え出すと、目はさえて来てとても眠られそうにもない。外は風はやんだが、雨は依然として降りつづいて居る。
 俺は、青年特有の感傷的な気もちで、道子と自分とが愛し合って居りながら、如何ともする事の出来ないありさまを考えた。ヴェルテルを今更のように思い出して、快いような悲しいような気分に浸って居た。が、頭は又いつか現実の世にかえって来る。そうすると、あの豊麗な身体をもった女性が、愛も理解もない男と、今自分の居る上の室に一緒にねているのだと思うと、何とも云えない不愉快さが身にしみ通って来る。俺は又心に清三を呪った。清三の存在を呪った。一寸した物音にも敏感になって、浅ましいいろいろな想像が頭の中を通りすぎる。雨はやまない。
 遠い室から女中のいびきがきこえて来る。丁度海の中で泳いで居る時のように、全身の力を手足一杯にはり切って、身体をのたうちまわらせて見たい、大声をあげて叫びたいような気持に襲われはじめるかと思うと、いつか又ロマンティックな、夢のような、やるせない気分になってただ涙がこぼれ落ちるのであった。
 こんな錯雑した気もちのところへ、昼間の疲れがやって来るので、自分はただただ、天と地との間を上ったり下りたりするような気分で約一時間余をすごしてしまった。
 ふと、自分の耳をある声が打った。それはきわめてかすかな音であったが、敏感になって居た自分の耳は、明かにそれが人の声である事をしらせてくれた。
 自分は半身をおこして全身を耳にした。声は再びきこえて来た。その時、又極めてかすかながら人のうなるような声がきこえた。まさしくそれは二階から!
 俺は身体がふるえるように感じた。
 ふと、幼い時まだ故郷にいた時分、ある暗い夜、村の叔父の家に泊った時、そこの叔父夫婦の室からきこえた声を思い出した。俺は浅ましさにふるえながら夢中で夜具をかぶって中にもぐり込んだ。
 暫くして又頭を出して見たが、今度は何かいう声がきこえた。自分は今度は完全に床の上に起き上って、上を注意していたが此の時、稍々やや異様な感じにおそわれはじめた。
 明かにあれは、幼い頃きいた人の声とはちがう。いや、だんだんきいているうちに、全くその調子が異っている事に気がついた。
 たしかに清三が何か罵っている。極めて小さい声のようであるが、怒ったような声である。
 自分は、息を殺して耳をたてた。その中、ふと、「大寺」という俺の名が聞えた。すると暫くたって、道子のらしいうめくような声がきこえる。
 最早、疑う所はない。清三はたしかに俺と道子の間を疑って居る。少くも俺の事で道子が苦しめられているのではあるまいか。俺はそっと、しかしすばやく起き上った。この時の俺の気もちは全く騎士のようであった。悪魔に苦しめられつつある姫を救う気もちで、俺はすべるように室を出て二階に上って行った。
 夫婦の寝室の外に立って内のようすをうかがうという事は、世にも浅ましい事にちがいない。けれども俺のその時の気持は総てを神聖化すると云っていい位だった。俺は俺の為に罪なくして苦しむ女性を救いに行くのだ。そうだ、俺はそう思ってえんりょなく内のようすを探ろうとしたのであった。
 夏の事ではあるが、其の室は廊下に面した方は障子が立ててあった。然しふと見ると其の端の方から中が見えそうである。俺はすばやく忍び寄って目をあてて内を眺めた。
 丁度そこからは電気のスタンドがはっきり見える。それにてらされて、白い蚊帳を通して清三が全く床から起き上って稍々前こごみになってうずくまっているのがはっきりわかる。俺がそれを発見した途端、
「貴様、やっぱり大寺を愛しているんだな」
 と彼がつぶやくように云ったのであった。
 俺は必死になって、その障子を少し引きあけた、そうして清三が蹲っている前の方を見る事が出来た。その刹那、俺はもう少しであっと叫ぶところであった。
 見よ、そこには俺の愛する道子が、上半身をむき出し、両腕をぎりぎりと後手に縛られて横たわっているではないか。そうして、清三は、「大寺」と云う度毎に、道子もさいなむと見え、道子はかすかなうなり声を発している。
 俺は最早我慢が出来なくなった。俺の為に道子はあんなに苦しんでいるのだ。どうして之が見て居られよう、俺はいきなり、障子を蹴仆してとび込もうかと思った。しかし、俺は一歩を踏み止った。道子が夫の問に対して何というかをはっきり聞こうが為に。
 然し次の瞬間に、清三の手に光るものを見た時は我慢が出来なかった。
「どうだ云わないか」
 こういいながら、道子の頬の辺りにかざした清三の手には明かに刃物が見えた。同時に道子の声らしく、
あっ、痛」
 という小さい力のこもった声がきこえた時、俺はもう障子を蹴仆して室の中に飛び込んでいったのである。中の驚きは勿論であった。
「何をするんだ」
 と叫んで俺が飛び込んだ時は、同時に清三が驚いて、
「何だ、誰だ」と叫んで立ち上った時であった。
 俺は夢中で飛び込んだ時、蚊帳にぶつかったと見え、釣手つりては引きちぎられてだらりとたれかかったが、俺も清三もいつの間にかはねのけていたと見える。
 ぐるぐる巻に縛り上げられて横たわって居る道子をそばに、清三と俺とはつっ立ったままでにらみ合った。そこには物凄い沈黙があった。清三は驚きからやっと自身を取り返したらしく右手に刃物をもった儘、俺をにらみつけて立っていた。
 おお此の瞬間を境にして、俺は地獄に落ちねばならなかったのだ。此の奇怪な沈黙が破られた途端、此の場にいた三人の生命は永遠に呪われたのである。
 此の沈黙は道子によって破られた。
「一郎さん、あなた馬鹿ね。ほんとうに、ほほほほ」
 両手を縛られ、責め苛まれていた道子が発したこの奇怪な一言は、俺の為に天地をくつがえらしたのだ! おお道子の今の言葉! 今の笑い声。
 電光の如く俺の頭にひらめいたものがあった。俺は雷に打たれたように感じて、そこに石のようになってたちすくんだ。
 ぐらぐらと脳味噌が動揺したような感じがしたと思うと、堪え切れずにそこにそのまま蹲ってしまったのであった。
 俺は今、獄中に在って、当時のようすをふり返りながら、出来るだけ此のときの状況を詳しく思い出そうとしている。
 其の瞬間にはいろいろな感じが一度に襲って来て、殆ど何とも云いようのない気もちがしたのであるが、今冷静に返ってその時のことを思えば、一つ一つの事実がありありと浮んで来るのである。
 道子の発した一言は俺には余りに十分であった。十分すぎた。
 俺が今まで其処そこに思い至らなかったとは何たる愚かさであろう。清三も道子も共に通常の性的生活をしている人々ではなかったのだ。彼等がここでやっていた事は全く一ツの変態な性的乱舞にすぎなかったのだ。清三が俺に対して、快く思っていなかったことは事実であるが、常にああした乱舞をしている二人の間にはやはり筋の通った芝居が必要だったのだ。俺の名は知らない間に其の芝居の重要な一つの役を演じていたのだ。夫は妻を疑っており之を自白させるため拷問する芝居を演ずる事によって満足を得、妻は又拷問される事を喜んでいたのだった。
 俺は身も世もあらずはずかしい思いに打たれてその場に蹲ってしまったのである。
 所が、俺の為に大地をくつがえしたあの道子の一言は、更に大きな悲劇を惹き起したのだった。
 成程清三は、俺をだしに使って自分の慾を満足させていたにちがいはあるまい。しかし、はたして清三は道子と俺の間を疑っていなかったのだろうか。
 否、彼は十分に疑っていたと云っていいのだ。それがこの場で明かにされた。
 見よ、突然の俺の出現に対し、道子は之を一笑に附し去ったが、清三はこの出現を何と解釈したか。
 彼は蹲っている侵入者には目もくれず、いきなり道子の所に進み、側にすわりながら、
「どうしてここに大寺が来たんだ?」
 と呼吸いきせわしく鋭くつめよったのである。
 清三は今や自分が云っている芝居の台詞せりふに自分自身が刺戟されているのだ。「芝居と思っていた其の仕組みは或いは事実ではなかろうか、ほんとうに道子は大寺を愛して居て、此の芝居によって二重にマゾヒズムスを満足させて居るのではないか」之が清三の気持だったにちがいない。否、この時の彼の真剣さは、全くこの事を信じはじめたように見えた。
 道子が黙っているのを見て彼は再び云った。
「おい、貴様、ほんとうに大寺とくっついてやがるのか」
 若し此の時の清三の裏に切迫した状態を道子がはっきり見てとったなら、あの悲劇は起らなかったかも知れない。
 然るに軽率にも道子はその注意を怠った。
 彼女はいつもの芝居でやるであろうように、至極手軽にこう答えたのである。
「ええ、そうかも知れないわよ」
 之をきいた時の清三の表情は、何とも形容のしようのない複雑なものであった。
 次の瞬間に恐ろしい事が起った。
 憤怒の声と悲鳴とが一時に爆発した。俺が驚いて清三をとめにかかった時、彼は既に道子の右胸を突き刺した。はじめて事の真剣味を知った道子が悲鳴をあげて悶えまわるうちに、
「おのれ、悪魔め!」
 と叫ぶより早く、俺の止めるひまもなくナイフは彼女の心臓の上を更に突き刺したのであった。
 俺があわてて抑えようとすると、清三は自身悪魔の如き形相を以て俺に斬りかけようとしたが、不意に、苦しそうにあっと云って胸をかきむしり始めた。と、ずるずると自分の床の方に仆れて行ったが、うむという苦しそうな呻き声を発してかっと喀血すると一緒に、前かがみに完全に仆れた。俺が驚いて、後から助け起そうとすると、恐ろしい血だらけの口から俺に対するあらゆる呪いを浴びせたが、見ると、右手めてにナイフを立ててもって居たと見え、仆れる時に無惨にもそのきっさきが胸にささったらしく、右の胸から血がほとばしり、ナイフは着物にもつれて身体にひっかかって居る。
 俺は凡ての判断を失った。もうどうにでもなれ、と思っていきなりそのナイフを抜きとり、清三を其の場に投げ仆しておいて(此の途端に彼は上半身を机に打つけ頭に傷をしたのである)自分は即座にそのナイフで死のうと、決心したのだ。
 しかし其の刹那に、下から男女が上って来たので俺は一寸躊躇したのである。つづいて清三が俺の名を云った事も、道子が俺の名を云った事も其の場に居てはっきりと聞いた。
 之をきいた時、俺はこのまま黙っては死ねぬと思った。そうだ、この俺をさんざん飜弄しつくしたこの女と又、浅ましき姦通をしたと軽率にもきめてかかったその夫に復讐しないではおかぬ。どうせ死ぬんだ。とこう思った俺はおとなしくその場で捕えられたのである。
 これが其の夜の真の実況であった。


 俺は復讐してやろうと、決心した。そうだ、道子は俺をなぶりものにしたのだ。夫が自分を愛していない、いじめて困る、とは何だ。俺に見せたあの痣! おお悪魔! 俺は其の時ほんとうに同情していたのだ。而も凡ては偽瞞だったのだ。道子は俺をはじめ多くの青年をからかっていたのだ。なる程、お前は夫に対しては貞操を守った。然し幾人の多くの男子の心をお前は飜弄したか。そういう事が許されていてよいものであろうか。
 よし、俺は自分が地獄に行く時、必ずおまえを道連れにしてやる。
 死刑になる俺の不名誉は勿論ながら、姦通した上に痴情の果、殺されたと云われるお前も名誉ではあるまい。又死ぬまで俺を呪ったあの清三も妻をとられた上、自分が殺されたとあっては、汝も名誉ではあるまい。此の一介いっかいの田舎出の青年は、社会的に有名な汝等の名誉と名誉の相殺をする事を敢ていとうものではないのだ。
 俺は捕まってから一日中、何も云わずに俺が自白すべき筋道を考えた。考えに考えた。そうして小田夫妻に復讐すると同時に、法律に対しても復讐してやろうと決心した。
 その結果は、どうだ。見よ、あのむずかしい顔をした裁判官は、俺を死刑に処する理由として、俺が道子と永い間姦通していたと、公文書を以て天下に広告してくれたではないか。道子は俺のものだった。又永久に俺のものであることを判決文の中にうたってくれている。
 俺が警察で考えた一つの小説――悪魔の魂より創作した小説を、法律は正に事実であると裏書してくれたのである。
 俺はあの美しき道子の肉体を得たのだ。
 其の代償としては、どうせ不用になっている俺の生命を取ろうというのだ。何たる安価な報酬であろう。
 生命のいらぬ人々よ、君等の魂を悪魔に売りつけよ。生命を以て価とせよ。然らば君等には不可能ということはなくなるであろう。
 正義よ、幾度汝の名によりて血が流されたことであろう。
 法律家達よ。君等は今この俺の手記を信ずるか、信じないか二つの途しかもっていない。若し信ずるとせば君等の力のはかなさを感ずるであろう。君等は、仮令、俺の罠に陥ちたのであるとするも、全然無辜むこの一人を死刑に処したことになるのだ。之は君等が恥じてよいことだろう。又若しこの手記を信じないとすれば、これ又我が思う壺である。君等は法律を利用して貞淑であった一人の女性に対し、――それは既に死んでいるが為、何ら自分を弁護するに由なき女性――姦婦という死刑以上の烙印を永遠におしたことになるのだ。俺は笑う、心から!

おお道子よ! 愛する道子よ!
お前は俺のものだ。俺の恋人だ。……
道子! しかし……
 お前はほんとうはやはり淋しかったのではないか。清三はほんとうにお前を愛していなかったのではないか。仮令、肉体的に、性的には調和した夫妻ではあったろうが、精神的には淋しかったのではないか、それで俺にいろいろ話したのではないのか。
 若しそうとすれば、此の俺の復讐は余りにひどすぎたことになるが……
 道子! お前はほんとうに俺を愛していたのではないか? 云ってくれ、云ってくれ、俺は死なねばならぬ身なのだ。
 おお、そうだ、お前が最後に云った俺の名? 一郎という名、なるほどお前は俺に呼びかけたのではないことを俺は知っている。然し、愛するお前が瀕死の境に云った一言でも、この俺が聞きのがしたと思うか。
 俺は知っているぞ、道子! 道子! お前はあのときほんとうを云ってくれたんだ。清三が、
「大寺……大寺が……」
 と云ったのに対し、お前はそれが耳に入るや否や、最後の努力を以ておっかぶせるように云ったのだ。
「いいえ……一郎さんではあり……」
 俺はきいた、俺はきいた、全身を耳にして俺は愛するお前の叫びをきいた。
 外の人々はこの前後の言葉を聞き落したのだ。そしてききなれた俺の名ばかりをきいたのだ。
 そうとすればお前は俺を愛していたのだね、おお、そうとすれば……おおもしそうだとすれば……

 悪魔よ、来れ、悪魔よ、汝の翼に俺を抱きしめよ。俺の胸に残っている人間らしき血を悉く吸いとってくれ※[#感嘆符三つ、79-18]
 俺は女を憎む、道子を憎む、道子は夫に忠実だったんだ。俺を愛してなんかはいなかったのだ。悪魔よ。悪魔よ、来れわが魂を俺の胸からむしりとってくれ。そして永遠に汝のもとにおけ。
 道子……道子までが死ぬ時俺の名を云いやがったんだ。あの憎むべき夫婦……呪われてあれ。

法律よ。呪われてあれ。
女よ。呪われてあれ。

ああしかし、最後に疑う……もしや……
道子は、はたして俺を……


 奇怪なる手記はここで終っております。悪魔に呼びかけた彼もやはり人間であったと見え、この後は書きつづけられなかったかして、手記はここでポツンと切れてしまい、紙には落涙のあとが点々として見えています。
 私はこの手記については何も申しますまい。ただあなた方の推測と想像とにお任せします。われわれは彼のこの切々のげんを信ずべきでしょうか。将又はたまた、荒唐無稽の世まい言として葬り去るべきものでしょうか。私は敢て多くを語りますまい。
 ただ一つ、あの哀れな青年が、恐らくは死の間ぎわまで気にしていたであろう点、道子がほんとうに淋しかったのか、大寺一郎を真に愛していたのか、それとも夫とは仲がよくて全く彼を飜弄したに過ぎなかったかは、はっきりと知って見たいような気がするのです。
 道子としては夫をも愛さず、又大寺一郎をも愛することなくただ飜弄していたという立場もある筈です。
 変態性慾者に往々にしてあることですが、肉体的にはマゾヒストであって、精神的には之と反対な人間があります。
 財産の為に、余儀ない結婚をした彼女が、身体は夫のしいたぐるに任せておいて、今度は精神的には全く反対の立場に出でたかも知れぬということは果して考えられぬでしょうか。
 もしそうとすれば彼女は、心の中では夫をも飜弄し、同時に大寺をももてあそび物としていたことになります。そうやって同時に二人の男をからかったわけです。
 果して然らば彼女は、自らあおった夫の嫉妬心の為に生命を落したことになるのです。
 然し、純な青年の大寺は、こんな複雑した場合を想像しては居なかったようです。
 彼はただ道子が、夫を真に愛していたのか、又は大寺を心では愛していたのか、二つの場合しか考えて居りません。勿論それは無理の無いことでありますけれど。
 ともあれ、私はこの惨劇の犠牲者等に対し、その死後の冥福を祈りたい。
 私は、あるいは無実の罪で死んだかも知れないあの美しい青年の為に、祈る事を忘れません。又、或は無実の汚名をきせられて地下に眠って居る道子の為にも、奥津城おくつきに花の絶えぬように心がけて居ります。
(〈新青年〉昭和四年一〜二月号連載)





底本:「日本探偵小説全集5 浜尾四郎集」創元推理文庫、東京創元社
   1985(昭和60)年3月29日初版
   1993(平成5)年3月5日4刷
底本の親本:「浜尾四郎全集※(ローマ数字1、1-13-21) 殺人小説集」桃源社
   1971(昭和46)年6月
初出:「新青年」
   1929(昭和4)年1〜2月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

感嘆符三つ    79-18


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