清貧の書

林芙美子




     一

 私はもう長い間、一人で住みたいとう事を願ってくらした。古里も、古里の家族たちの事も忘れ果てて今なお私の戸籍こせきの上は、真白いままで遠い肉親の記憶きおくの中からうすれかけようとしている。
 ただひとり母だけは、つまずき勝ちな私に度々手紙をくれてしかって云う事は、――

おまえは、おかあさんでも、おとこうんがわるうて、くろうしていると、ふてくされてみえるが、よう、むねにてをあててかんがえてみい。しっかりものじゃ、ゆうて、おまえを、しんようしていても、そうそう、おとこさんのなまえがちごうては、わしもくるしいけに、さっち五円おくってくれとあったが、ばばさがしんで、そうれんもだされんのを、しってであろう。あんなひとじゃけに、おとうさんも、ほんのこて、しんぼうしなはって、このごろは、めしのうえに、しょおゆうかけた、べんとうだけもって、かいへいだんに、せきたんはこびにいっておんなはる、五円なおくれんけん、二円ばいれとく、しんぼうしなはい。てがみかくのも、いちんちがかりで、あたまがいとうなる。かえろうごとあったら、二人でもどんなさい。
はは。

 ひなたくさい母の手紙を取り出しては、なみだをじくじくこぼし、「だれがかえってやるもンか、田舎いなかへ帰っても飯が満足に食えんのに……今に見い」私は母の手紙の中の、義父が醤油しょうゆをかけた弁当を持って毎日海兵団へ働きに行っていると云う事が、一番胸にこたえた。――もう東京に来て四年にもなる。さして遠い過去ではない。
 私は、その四年の間に三人の男の妻となった。いまの、その三人目の男は、私の気質から云えばひどく正反対で、平凡へいぼん誇張こちょうのない男であった。たとえて云えば、「また引越ひっこしをされたようですが、今度は、さびしいところらしいですね」このように、誰かが私達に聞いてくれるとすると、私はいつものようにたのに「ええこんなに、そう、何千株と躑躅つつじの植っているおやしきのようなところです」と、私は両手をひろげて、何千株の躑躅がいかに美しいかと云う事を表現するのに苦心をする。それであるのに、三人目の男はとんでもなく白気しらけきった顔つきで、「いや二百株ばかり、それもごくありふれた、種類の悪い躑躅が植えてある荒地あれちのような家敷跡やしきあとですよ」という。で、私は度々引込ひっこみのならないずかしい思いをした。それで、まあ二人にでもなったならば思いきり立腹している風なところを見せようと考えていたのだけれど、――私達は一緒いっしょになって間もなかったし、多少の遠慮えんりょが私をたしなみ深くさせたのであろうか、その男の白々しらじらとした物云いを、私はいつも沈黙だまって、わざわざ報いるような事もしなかった。
 もともと、二人もの男の妻になった過去を持っていて、――私はかつての男たちの性根を、何と云っても今だにすすけた標本のように、もうひとつの記憶のらち内に固く保存しているので、今更いまさらなんぞかぞ」と云い合いする事は大変面倒めんどうな事でもあった。

     二

 二人目の男が、私を三人目の小松与一こまつよいちに結びつけたについては――

お前を打擲ちょうちゃくすると
初々と米をぐような骨の音がする
とぼしい財布の中には支那しな銅貨ドンペが一ツ
たたくに都合つごうのよいむち
骨も身もばらばらにするのに
私をかべに突き当てては
「この女メたんぽぽが食えるか!」
白いつゆの出たたんぽぽを
男はさきさきとみながら
お前が悪いからだと
銅貨の笞でいつも私を打擲する。

 二人目の男の名前を魚谷一太郎と云って、「おれの祖先は、わたり者かも知れない。魚をってカツカツ食って行ったのであろう」そういいながらも、貧乏びんぼうをして何日も飯が食えぬと私を叩き、米の代りにたんぽぽをでて食わせたと云うてはなぐり、「お前はどうしてそう下品な女のくせがけないのだ。えりを背中までずっこかすのはどんな量見なんだ」と、そう云って打擲し、全く、毎日私の骨はガラガラとくずれて行きそうで打たれるためのデクのような存在であった。
 私はその男と二年ほど連れっていたけれど、肋骨ろっこつられてから、思いきって遠い街にげて行ってしまった。街に出て骨が鳴らなくなってからも、時々私は手紙の中に壱円札いちえんさつをいれてやっては、「殴らなければ一度位は会いに帰ってもよい」と云う意味の事を、その別れた男に書き送ってやっていた。すると別れた男からは、「お前が淫売いんばいをしたい故、衿に固練かたねり白粉おしろいもつけたい故、美味うまいものもたらふく食べたい故、俺から去って行ったのであろう、俺は今日きょうで三日もえている。この手紙が着くころは四日目だ、考えてみろ」――
 このはなやかな都会の片隅かたすみに、四日も飯を食わぬ男がいる。働こうにも働かせてくれぬ社会にいつもペッペッとつばきをき、ののしりわめいている男が……私はこのような手紙には何としても返事が書けず、「あなたひとりに身も世も捨てた」と云う小唄こうたをうたって、誤魔化ごまかして暮していた。
 間もなく、魚谷と云う男も結婚けっこんしたのであろう、大変楽し気な姿で、細々とした女と歩いているのを私は見た事がある。ちょうど、そのおり、私は白いエプロンをけていたので、呼び止めはしなかったけれど、私も早く女給のような仕事から足を洗わねばならぬと、地獄壺じごくつぼの中へ、働いただけの金を落して行く事を楽しみとしていた。
 それから、――幾月いくつきたないで、正月をその場末のカフェーでむかえると、また、私は三度目の花嫁はなよめとなっていまの与一と連れ添い、「私はあれほど、一人でいたい事を願っていながら、何と云う根気のない淋しがりやの女であろうか」と云う事をしみじみ考えさせられていた。

     三

「君は前の亭主ていしゅにどんな風に叱られていたかね……」
 与一は骨の無い方のあじ干物ひものを口からはなしてこういった。
「叱られた事なんぞありませんよ」
「無い事はないよ、きっときつい目に会っていたと思うね」
 私は骨つきの方の鰺をしゃぶりながら風呂屋ふろや煙突えんとつを見ていた。「どんなに叱られていたか」何と云う乱暴な聞き方であろう、私は背筋が熱くなるような思いをえて、与一の顔を見上げた。与一はくずぬいてはしめていた。私は胃の中につまったように、――まぶたれ上って来た。
「どうして、今更そんな事を云うの、私をいじめてみようと思うンでしょう、――ねえ、どんなに貧乏しても苛めないでくださいよ、殴らないでよね、これ以上私達豊かになろうなんて見当もつかないけれど、これ以上に食えなくなる日は、私達の上に度々あるでしょうし、でも、貧乏するからと云って、私の体を打擲しないで下さい。もしも、どうしても殴ると云うのンなら、私は……またあなたから離れなければならないもの、それに、私は今度殴られたら、グラグラした右の肋骨の一本は見事に折れて、私は働けなくなってしまうでしょう」
「ホウ……そんなに前の男は君を殴っていたのかね」
「ええこのボロカス女メと云ってね」
「道理で君はよく寝言ねごとを云っているよ。骨が飛ぶからカンニンしてッ、そう云ってゆめにまで君は泣いているンだよ」
「だけど――けっして、別れた男がこいしくて泣いているんじゃないでしょう。あんまり苛められると、犬だって寝言にヒクヒク泣いているじゃありませんか」
「責めているわけじゃない。よっぽどつらかったのだろうと思ったからさ」

「この鰺はもう食べませんか」
「ああ」
 飯台が小さいためか、魚が非常に大きく見えた。頭から尻尾しっぽまである魚を飯の菜にすると云う事は久しくない事なので、私は与一の食べ荒らしたのまで洗うように食べた。与一はさらの上に白く残った鰺の残骸ざんがいを見て驚いたように笑った。
「女と云う動物は、どうして魚が好きなのかね」
「男のひとはうろこきらいなンでしょう」
「鱗と云えば、お前が持って来たこいの地獄壺を割ってみないかね、引越しの費用位はあるだろう」
「そうねえ、引越し賃位はね……でも八円のこの家から拾七円の家じゃア、随分ずいぶんと差があるし、それに、昨日きのう行って見たンだけれど、まるでたぬきでも出そうな家じゃありませんか」
「拾七円だってかまうもンか、いい仕事がみつかればそんなにビクビクする事もないよ」
「だって、あなたはまだ私よりほかに、女のひとと所帯を持った事がないからですよ。すぐ手も足も出なくなるだろうと私は思うのだけれど――」
「フフン、君はなかなか経験家だからね、だが、そんな事は云わンもンだよ」
 与一との生活に、もっと私に青春があれば、きっと私は初々ういういしい女になったのだろうけれど、いつも、野良犬のらいぬのように食べる事にあせる私である。また二階借りから、一けんの所帯へとびて行く、――それはまるで、果てしのない沙漠さばくへでも出発するかのように私をひどく不安がらせた。

     四

 風呂敷ふろしきの中から地獄壺を出して、与一の耳の辺でってみせた事が大きいそぶりであっただけに私は閉口してしまった。なぜならば、遠い旅の空で醤油飯しか食っていない、義父や母の事を考えると、私は古ハガキで、地獄壺の中をほじくり、銀貨と云う銀貨は、母への手紙の中へ札にえて送ってやっていたのである。いま、「割ってごらんよ」といわれると、中味が銅貨ばかりである事を知っている私は、何としても引込みがつかなく白状していった。
「割ってもいいのよ、だけれど……本当はもう銅貨ばかりになっていますよ」
「銅貨だって金だよ、少し重いから弐参拾銭にさんじっせんはあるだろう」
 この男は、精神不感性ででもあるのかも知れない。風がいたほどにもの色を動かさないで、茶をんでいた。
「金と云うものはたまらぬものさ、――ああとうとう雨だぜ、オイ、弱ったね」
 私は元気よく、柱へ地獄壺を打ちつけた。

 ひめくりは六月十五日だ。
 大安で、結婚旅立ちにいい日とある。
 午後から雷鳴らいめいはげしく、ひょうのような雨さえ降って来た。
 山国の産のせいであろう、まるで森林のように毛深いあしを出して、与一はいそがしく荷造りを始めた。私はひどく楽しかった。男が力いっぱい荷造りをしている姿を見ると、いつも自分で行李こうりめていた一人の時の味気あじけなさが思い出されてきて、「とにかく二人で長くやって行きたい」とこんなところで、――みょうあまくなってゆく。
 私は塩たれたメリンスの帯の結びめに、庖丁ほうちょう金火箸かなひばしや、大根り、露杓子つゆじゃくしのような、非遊離的ひゆうりてきな諸道具の一切いっさいはさんだ。また、私のふところの中には箸や手鏡や、五銭で二切のさけの切身なんぞが新聞紙に包まれてひそんでいる。
「そんなにゴタゴタしないで、風呂敷へでも包んでしまえよ」
「ええでもこうやって、馬穴バケツをさげて行こうかと思っているのよ」
 私達が初めて所帯を持った二階借りの家から、その引越し先の屋敷跡へは、道程から云うと、五丁ばかりもあったであろう。そのわずか五丁もの道の間には、火葬場かそうばや大根畑や、墓やすぎの森を突切つっきらない事には、大変なまわり道になるので、私達は引越しの代を倹約けんやくするためにも、その近い道を通って僅かな荷物を一ツ一ツ運ぶ事にした。荷物と云っても、ビールばこで造った茶碗ちゃわん入れとこしの高いガタガタの卓子テーブルと、蒲団ふとんに風呂敷包みに、与一の絵の道具とこのようなたぐいであった。
 蒲団はもちろん私のもので、これは別れた男達の時代にはなかったものである。浴衣ゆかたのつぎはぎで出来た蒲団ではあったが、――母はこの蒲団を送ってくれるについてまくらは一ツでよいかと聞いてよこした。私は母にだけは、三人目の男の履歴りれきについて、少しばかり私の意見を述べて書き送ってあったので、母は「ほんにこのむすめはまた、男さんがちごうてのう」そのように腹の中では悲しがっていたのであろうが、心を取りなおして気をかせてくれたのであろう、「枕は一ツでよいのか」と、書いてよこした。私は蒲団の中から出た母の手紙を見ると何ほどか恥ずかしい思いであった。上流の人達と云うものは、恥ずかしいと云う観念が薄いと云う事を聞いているけれど――母親であるゆえ、しもざまの者だから、なおさら恥ずかしいと思うまいと心がけても、枕の事は、今までに送ってもらっているとするならば、私はもう三ツ新しい枕を男のためにねだっている事になる。そう考えてゆくと、ジンとするほどな、悲しい恥ずかしさがいて来た。
 そのころ、与一は木綿もめんの掛蒲団一枚と熟柿じゅくしのような、蕎麦殻そばがらのはいった枕を一ツ持っていた。私は枕がないので、座蒲団を二ツに折って用いていたので、そう不自由ではなかったが、目立ってその座蒲団がピカピカよごれて来るのが苦痛であった。それで枕は二ツいるのだろうと云って寄こした母の心づかいに対して、私は二ツ返事で欲しかったのではあったが、枕は一ツでよいと云う風な、少々ばかりやけさせた思わせ振りを書き送ってやったのである。すると最も田舎風な、黒塗くろぬりの枕を私は一ツ手にした。死んだ祖母の枕ででもあったのであろうが、小枕が非常に高いせいか、寝ているのか起きているのかわからないほど、その枕はひどく私の首にぴったりとしない。
 後、私は蒲団の事については、長々と母へ礼状を書き送ってやったのであるが、枕の事については、礼の一言も、私は失念したかの形にして書き添えてはやらなかった。

     五

 躑躅はもちろん、うつぎやあざみの花やきりの木が、家の周囲を取り巻いていた。この広い屋敷の中には、私達の家の外に、同じような草花や木に囲まれた平家ひらやが、円をえがいたようにまだ四軒ほどもならんでいた。
 家の前には五六十本の低い松の植込みがあって、松のこずえからいて見える原っぱは、二百つぼばかりの空地あきちだ。真中まんなかにはヒマラヤ杉が一本植っている。
「東京中探しても、こんな良い所は無いだろうね」
 与一はパレットナイフで牡蠣かきのように固くなった絵の具をバリバリとパレットの上で引掻ひっかきながら、越して来たこの家がひどく気に入った風であった。
 玄関げんかんの出入口と書いてある硝子戸ガラスどを引くと寄宿舎のように長い廊下ろうかが一本横につらぬいていて、それに並行へいこうして、六じょうの部屋が三ツ、鳥の箱のように並んでいる。
「だけど、外から見ると、この家の主人は何者と判断するでしょうね、私はブリキ屋か、大工でも住む家のような気がして、仕方がないのよ」
「フフン、お上品でいらっしゃるから、どうも似たり寄ったりだよ。ペンキ屋と看板出しておいたらいいだろう。――だが、こんなかたのはらない家と云うものは、そう探したってあるもンじゃないよ。庭は広いしとなりは遠いしねえ……」
「隣りと云えば、今晩は蕎麦を持って行かなければいけないのだけれど、どうでしょうか」
「幾つずつ配るもンだ?」
「そうね、三つずつもやればいいンでしょう」
 引越した初めというものは、妙に淋しく何かを思い出すのだ。私は何度となくこのような記憶がある。別れた男達と引越しをしては蕎麦を配った遠い日の事、――もう窓の外は暗くなりかけている。私は錯覚さっかくはらいのけるように、ふっと天井てんじょうを見上げた。
「オヤ、電気もまだ引いてないンですよ」
「本当だ、引込線も無いじゃないか、二三日は不自由だね」
 長い間の習癖しゅうへきと云うものは恐ろしいものだ。私は立ち上ると、人差指で柱の真中辺を二三度強く突いて見た。すると、私自身でも思いがけなかったほど、その柱はひどくグラグラしていて天井から砂埃すなぼこりが二人の襟足えりあし雲脂ふけのように降りかかって来た。
「ねえ、これはあンた、つぶしにしたってせいぜい弐参拾円で買える家ですよ。どう考えたって、拾七円の家賃だなんて、ひどすぎるわ、馬鹿ばかだと思うわ」
 与一は沈黙だまって、一生懸命いっしょうけんめい赤い鼻の先をこすっていた。「この女は旅行に出ても、色々と世話を焼きたがる女に違いない。前の生活で質屋の使いや、借金の断りや、家賃の掛引かけひきなんぞには並々なみなみならぬ苦労を積んで来たのであろう」与一はそんな事でも考えていたらしく、ズシンと壁に背をもたせかけて言った。
ぼくはとてもロマンチストなんだからね、だが、君のどんなところに僕はかされたンだろう……」
 そうむきになって云われると、私はまたなみだぐまずにはいられなかった。「またこの男も私から逃げて行くのだろうか」男心と云うものは、随分と骨の折れるものだ。別れた二人の男達も、あれでもない、これでもないと云って、金があるとらちもなく自分だけで浪費ろうひしてしまって、食えなくなるとそのウップンを私の体を打擲する事で誤魔化していた。
「ねえ、私のような女は、そんなに惹かされない部類の女なの? だって夫婦ふうふですものね、それに、私は誰からも金を送ってもらうあてはないし……」
 与一は二寸ばかりの黄色い蝋燭ろうそくくぎ箱の中から探し出すと、灯をつけて台所のある部屋へやの方へ疳性かんしょうらしく歩いて行った。真中の暗い部屋に取り残された私は、仕方なくれたたたみ腹這はらばって、そでで瞼をおおい、「私だってロマンチストなのよう」と何となく声をたてて唄ってみた。

     六

 長いこと、人間が住まなかったからであろう、部屋の中は馬糞紙ばふんしのような、ボコボコした古いにおいがこもっていて、黒い畳の縁には薄くかびあとがあった。
「おい、隣りだけでも蕎麦を持って行っといた方が都合がいいぜ、井戸いどが一緒らしいよッ」
 カツンカツン鴨居かもいに何かぶっつけながら与一は不興気に私に呶鳴どなった。

 私は参拾銭の蕎麦の券を近所の蕎麦屋から一枚買って来ると、左側の一軒目の家へ引越しの挨拶あいさつに出向いた。
 隣りと云っても、田舎風にポツンポツンと家の間に灌木かんぼくが続いているので、見たところ一軒家も同然のところである。私は何度も水をくぐってあかき出たようなネルの単衣ひとえを着て、与一のバンド用の、三尺帯をぐるぐる締めていた。
「何をする人だろう」と考えるに違いない。たずねた場合は、「絵の先生をしています」とでもにごしておこうと、私は私の家と同然な御出入口と書いてあるその硝子戸を引いた。

 この家のあるじは、よっぽど白い花が好きと見えて、空地と云う空地には、早咲はやざきの除虫菊じょちゅうぎくのようなのが雪のように咲いていた。
 家根やねの上から白いけむりがあがっている。
 花のかげでは、かえるくから帰ろうと歌って、男の子がポツンとひとりで尿いばりをしている。

 一軒だけ挨拶を済まして帰って来ると、与一は、私が買って来ておいた、細い壱銭蝋燭に灯をつけて台所に続いた部屋の壁に何かベタベタ張りつけていた。
 家の中はもう真暗だ。
「何をする人なンだ?」
煙草たばこ専売局の会計をしてるンですってよ」
「ホウ、固い方なンだね」
 土色の壁にはモジリアニの描いた頭の半分無い女や、ディフィの青ばかりの海の絵が張ってあった。
 こんな出鱈目でたらめな色刷でも無聊ぶりょうな壁をなぐさめるものだ。灯がやわらかいせいか、濡れているように海の色などは青々と眼にしみた。
「その隣りが気合術診療所しんりょうじょよ」
「ヘエ、どんな事をやるンかね」
「私一人でこの家を見に来た時、気合術診療所の娘が案内してくれたのよ、とてもいい娘だわ」
「そう云えば、僕もあの娘が連れて来てくれたんだが、俺ンとこと同じようなもンらしい、うり、トマト、茄子なすなえ売りますなんて、木のふだが出てるあそこなんだろう」
 与一が灯を持って、三ツの部屋を廻るたび、私はまるでのようにくっついて歩いた。右側の坊主ぼうず畳の部屋には、ゴッホの横向きの少女が、おそろしくせこけて壁に張りついている。その下には箪笥たんすの一ツも欲しいところだ。この部屋は寝室しんしつにでも当てるにふさわしく、二方が壁で窓の外には桐のえだがかぶさり、小里万造氏の台所口が遠くに見えた。
 真中の部屋はもちろん与一のアトリエともなるべき部屋であろうが、四枚の障子しょうじが全部廊下を食っているので、三ツの部屋の内では、一番そうぞうしい位置にあった。
 与一は、この部屋に手製の額に入れた自分の風景画を一枚かざりつけた。あんまりいい絵ではない。私はかつて、与一の絵をそんなに上手じょうずだと思った事がない。それにひとつは私は、このように画面に小さく道を横に描くことはあんまり好きでないからかもしれない。「私は道のない絵が好きなんだけれど」そうも言ってみた事があるけれど、与一はむきになって、茶色の道を何本も塗りたくって、「君なんかに絵がわかってたまるもンか」と、与一はそう心の中で思っているのかも知れない。

     七

 山は静かにして性をやしない水は動いて情を慰む静動二の間にして住家を得る者あり、私は芭蕉ばしょう洒落堂しゃれどうの記と云う文章の中に、このようにいい言葉があると与一に聞いた事がある。
 そんなによい言葉を知っている与一が、収入の道と両立しない、法外もなく高い家賃で、馬かなんぞでも這入って来そうな、こんな安住の出来そうもない住家に満足している事が淋しかった。
 台所の流しの下には、根笹ねざさや、山牛蒡やまごぼうのような蔓草つるくさがはびこっていて、敷居しきいの根元はありでぼろぼろにちていた。
「済みませんねえ。つかれていなかったら台所へたなを一ツつるして下さい」
「棚なんか明日にして飯にでもしないか」
「ええだけど何も棚らしいものがないから、どうにも取りつき場がないわ」
「眼がいそうだ。飯にしよう」
 与一が後ろ鉢巻はちまきを取りながら、台所へ炭箱をげて来た。
 鮭が二切れで米が無い。
 それで、与一が隣りの部屋に去ると、私は暗がりの中に、割りそこなった鯉の地獄壺を尻尾の方から石でもってコツンコツンと割ってみた。
 もろ土屑つちくずがボロボロ前掛けの上にこわれて、ひざの上にあふれた銅貨は、かなりズシリと重みがあった。どれを見ても銅貨のようだ。私は一ツ一ツ五拾銭銀貨が一枚ぐらいざっていはしないかと、膝の上にこぼれた銭の縁を指で引掻いて見た。
 銅貨がちょうど二十枚で、拾銭の穴明き銭と五拾銭銀貨が一枚ずつ、私の胸はしばらくは子供のように動悸どうきが激しかった。
 き替えたこの一銭銅貨がみんな五拾銭銀貨であったならば、拾円以上にもなっているであろう――私はざるを持つと、暗がりの多い町へ出て行った。
 のきの低い町並みではあるけれど、割合と色々な商い店がそろっていて、荷箱のように小さい、はとと云う酒場などは、銀座を唄ったレコードなんかを掛けていたりした。
 その町の中ほどには川があった。白い橋がかかっている。その橋の向うは、郊外こうがいらしい安料理屋が軒を並べていて、法華寺ほっけじがあると云う事であった。
 私は米を一しょうほどと、野菜屋では、玉葱たまねぎ山東菜さんとうなを少しばかり求めて、ねこの子でもかくしているかのように前掛けでくるりと巻くと、何度となく味わったこれだけあれば明日いっぱいはと云う心安さや、またそんな事をいつまでも味わって暮さなければならなかった度々の男との記憶――いっそ、どこかに突き当って血でも吹き上げたならば、額でも割って骨を打ちくだいたならば、進んで行く道も判然とするであろう。仕事をするためにか、食べるためにか、どんなために人間は生きているのであろうか、私は毎日が一時しのぎばかりであるのが、だんだん苦痛になって来ていた。
 手探りでからたちの門を潜ると、家の中は真暗で、台所の三和土たたきの上には、七輪の炭火だけが目玉のように明るく燃えていた。
「どこへ行っていたんだ?」
「私、ねえ……お米が無かったから、通りへ行っていたのよ」
「米を買いに? なぜそう早く云わないんだ。もう動けないよッ」
 与一は大の字にでも寝ているらしく、そういいながら、転々と畳をころがっているようなけはいがしている。
「早くそう云うつもりで云いそびれたのよ、……すぐけるからねえ」
「うん、――あのね、何も遠慮する事はないんだよ。金が無かったら無いようにハッキリ云いたまえ。ハッキリと云えばいいンだ。……俺は明日上野の博覧会にでも廻ってみよう。ペンキ屋の仕事のこぼれが少しはあるだろうと思うンだ。働かないで絵を描いて行こうなんて虫が良すぎる。そうだよ! 芸術だの、絵だのって、個人の慰みもンだアね、俺なんかペンキで夏のパノラマでも描いて、田舎のじいさんばあさんに見てもらった方が相当なンかも知れないよ、それが似合っているんだ」
「あなた、私を叱っているんですか?」
「叱って。叱ってなんかいないよ、だからいやなんだ、君はひねくれない方がいい。――僕が君に云ったのは貧乏人はあんまり物事をアイマイにするもンじゃないと云う事だ。遠慮なんか蹴飛ばしてハッキリと、誰にだって要求すればいいじゃないかッ! ヒクツな考えは自分を堕落だらくさせるからね」
 米を洗っていると泪が溢れた。
 卑屈ひくつになるなと云った男の言葉がどしんと胸にこたえてきて、いままでの貞女ていじょのような私の虚勢きょせいが、ガラガラとみじめに壊れて行った。
 与一はあらゆるものへ絶望を感じている今の状態から自分を引きずり上げるかのような、まるで、笞のようにピシピシした声でさけんだ。
「今時、おぼれるものが無ければ生きて行けないなんて、ゼイタクな気持ちは清算しなければいけないんだ。全く食えないんだから……」
「食わなくったって、溺れていた方がいいじゃないの……」
「君はいったい何日位飢える修養が積ンであるのかね、まさか一年も続くまい」

     八

 清朗な日が続いた。
 井戸端いどばたに植えておいた三ツ葉の根から、薄い小米のような白い花が咲いた。
 壁のモジリアニも、ユトリオもディフィも、おそろしく退屈な色にめてしまって、私は、与一が毎朝出掛けて行くと、一日中呆んやり庭で暮らした。
 人気のない部屋の空気と云うものはいつもすわっている肩の上から人の手のように重くのしかかって来る。まして家具もなく、壁の多い部屋の中は、昼間でも退屈で淋しい。

 青い空だ。
 白米のような三ツ葉の花が、ぬるくれている。
小母おばさんはどうして帯をしないのウ」
 蛙の唄をうたった小里氏の男の子が、こまっしゃくれた首の曲げ方をして、私の腰のあたりを不思議そうに見ている。
「小母さんは帯をすると、頭が痛くなるからねえ」
「フン、――僕のおとうちゃんも頭が痛いの」
 私は、青と黄でひねったしでひもで前を合わせていた。――ああ、疲れたあかいメリンスの帯はもうあの朝鮮人の屑屋の手から、どこかの子守女へでも渡っている事だろう。帯を売って五日目だ。もう今朝けさは上野へ行く電車賃もないので、与一は栗色くりいろの自分のくつをさげて例の朴のところへ売りに行った。
「何ほどって?」
「六拾銭で買ってくれたよ」
「そう、朴君はあの靴に四ツも穴が明いているのを知っていたんでしょうか?」
「どうせ屋敷めぐりで、穴めさ、味噌汁みそしる吸って行けってたからんで来た」
美味うまかった?」
「ああとても美味かったよ……弐拾銭置いとくから、何か食べるといい」
 私は今朝から弐拾銭をにぎったまま呆んやり庭に立っていたのだ。松の梢では、初めてせみがしんしんと鳴き出したし、何もかもが眼に痛いような緑だ。
 唾を呑み込もうとすると、舌の上が妙に熱っぽく荒れている。何か食べたい。――赤飯に支那蕎麦、大福餅だいふくもちにうどん、そんな拾銭で食べられそうなものを楽しみに空想して、私は二枚の拾銭白銅をチリンと耳もとで鳴らしてみた。
 しんしんと蝉は鳴いている。
 けた松の植込みの向うを裸馬はだかうまが何びきかれて通る。
「良いお天気で……」
 屑屋の朴がはかりでトントン首筋を叩きながら、枳の門の戸を蹴飛ばして這入って来た。
「朴さん、あの靴、穴が明いていたでしょうに……」
「よろしいよ。どうせ屋敷でもうけるからねえ」
「助かりましたわ」
「よろしいよ。小松さんは帰りはおそいですか?」
「ええいつも夜になってから……」
「大変ですな。――ところで、石油コンロ買いませんか、金は三度位でよろしいよ」
「ええ……どの位ですウ」
「九拾銭でよろしいよ。元々、便利ですよ」
 朴は冷々と気持ちがいいのであろう、玄関の長い廊下に寝そべって、私が石油コンロを鳴らしている手附てつきを見ていた。大分、錆附さびついてはいたけれど、灰色のエナメルが塗ってあって妙に古風だ。しんに火をつけると、ヴウ……と、まるで下降している飛行機のうなりのような音を立てる。
「石油そんなにりません。一かん三月みつきもある。私の家もそう」
 石油コンロを置いて朴が帰ると私はその灰色の石油コンロを、台所の部屋の窓ぎわに置いて眺めた。家具と云うものは、どうしてこんなに、人間を慰めてくれるのだろう。

 夕方井戸端で、うどんをでた汁を捨てていると、小里氏の子供が走って来て空を見上げた。
「ねえ、小母さん! 飛行機が飛んでらア」
「どこに?」
「ホラ、音がするだろう……」
 私は、空を見上げている子供の頭をでていった。
「小母さんところの石油コンロが唸っているのよ、明日おで、見せて上げるから……」
 そういって聞かせても、子供は、(炭やまき煮焚にたきしているのであろう、小里氏の屋根の煙を私は毎日見ている)不思議そうに薄暗い空を見上げて、「飛行機じゃないの」といっていた。

     九

 与一は日記をつけることがこまめであった。私であったら、馬鹿らしく、なにも書かないでいるだろう、そんな無為むいに暮れた日でも、雨だの、晴れだの与一は事務のようにかき込んでいた。
 雨だの晴れだのが毎日続くと、与一自身もやりきれなくなってしまうのか、ついには「蚊帳かやが欲しい」とか「我もし王者なりせばと云う広告を街で見る」そんな事などが書き込まれるようになった。
 だが飢える日がくさりのように続いた。もうこまめな与一も日記をほうりっぱなしにして薄く埃をためておく事が多くなった。
 そうして、日記の白いままに八月に入ったある朝、――つまずいた夢でも見たのであろう、私は眼がめると、私はいつものように壁にしたかげを見ていた。浅黄色の美しい夜明けだ。光線がまだ窓の入口にも射していない。
 その時、私は新しげな靴の音を耳にした。「まだ五時位なのに誰だろう」そんな事を考えながら、ふすまして庭の透けて見える硝子戸をのぞくと、大きなあから顔の男が何気なく私の眼を見て笑った。背筋の上に何か冷いものが流れた気持ちであったが、私も笑ってみせた。
「小松君起きてるウ?」
「随分早いんですね、ただ今起します」
 朝の光線のせいか、何もかも新しいものをつけている紳士しんしが、このように早く与一を尋ねて来ると云う事は、よっぽど親しい、遠い地からの友人であろうと、私は忙がしく与一を揺り起した。

「そんな友人無いがね、小松って云ったア?」
「ええ、起きているかって笑って云っているのよ」
「変だなア」
 与一が着物を着ている間に、私は玄関のかぎを開けた。
 すると、どうであろう、四五人の紳士達が手に手に靴を持ったまま、一本の長い廊下を、何か声高く叫びながら、三方に散って行った。驚いて寝室に逃げこむ私の後からも、二人の紳士が立ちはだかって叫んだ。
「君が小松与一[#「与一」は底本では「与一郎」]君かね?」
 与一も面喰めんくらったのだろう、くちびるを引きつらせてピクピクさせていた。
「ちょっと、署まで来てもらいたい」
「へえ、……いったい何ですウ、現行犯で立小便位なら覚えはあるンですが、原因は何んですウ」
「そんなに白っぱくれなくてもいいよ」
「君は小松与一だろう?」
「そうですよ。小松与一と云うペンキ屋で、目下上野の博覧会でもって東照宮の杉の木を日慣らし七八本は描いていますよ」
「フフン君が絵を描こうと描くまいと、そんな事はどうでもいいんだ、一応来てもらいたい」
「思想犯の方でですか?――僕は今ンところは臨時やといで、今日行かないと、また、外のやつに取られッちまうんですがね」
「まあ、男らしく来て、一応いい開いたらいいだろう」
「何時間位かかるンですか? 長くかかるンじゃないンですか?」
 落ちついたのか与一は脣をゆるめて笑い出した。
「二十九日だなんて事になると厭だから、こんなもンでもお見せしましょう」
 そういって押入れの中から、与一は召集しょうしゅう令状を出して見せた。
「本当に何か人違いでしょう? 僕はこの月末はこうして、三週間兵隊に行くンですがね」
 他の二ツの部屋を調べた紳士諸君も呆んやりした顔で、
「オイ、どうも人違いらしいぜ」
「そんな事はない。この男だよ、僕は確証を得ているンだ」
「そうかねえ、でもちょっとおかしいよ君、――君、この与一は雅号がごうではないだろうね。本名は小松世市、こう書くンだろう」
「だから、召集令状を見たらいいでしょう」
 一枚の小さな召集令状が、あっちこっちの紳士諸君の手に渡った。
「不思議だねえ、もいちど探しなおしだ。ところで、ほかに客は無いだろうね」
 枳の門の外には、白い小型の自動車が待っていた。仕入れに行く魚屋や、新聞配達等が覗いている。

「チェッ、何のために月給もらっているンだ。おいッ! 加奈代かなよ、塩をいてやれ」
「だって、塩がないのよ」
「塩が無かったらどろだっていいじゃないかッ、泥が無かったら、石油でもブッかけろ」
「こんなに家中無断で引掻ひっかきまわして、済みませんなンて云わないッ」
「云うもンか……あンなのを見ると、食えないで焦々いらいらしているところだ、赤くなりたくもなるさ」
「小さい頃、私の義父とうさんも、路傍に店を出して、よく巡査じゅんさにビンタ殴られていたけれど――全く、これより以上私達にどうしろって云うのかしら?」

     十

 上野の博覧会の仕事もあと二三日で終ると云う夕方、与一は頭中を繃帯ほうたいで巻いて帰って来た。
「八方ふさがりかね。オイー! 暑いせいか焦々して喧嘩けんかしちまったよ」
「誰とさア」
「なまじっか油絵の具をねた者は、変な気障きざさがあって困るって、ペンキ屋同士が云ってるだろう、だから、僕の事なンですか、僕の事なら僕へはっきり云って下さいって、云ってやったンだ。するとね、ああちんぴら絵描きは骨が折れるって云ったから、何をお高く止ってるンだ馬鹿野郎やろう、ピンハネをしてやがってと呶鳴ってやったら、いきなりコップを額にぶっつけたンだ」
「マア、まるで土工みたいね、痛い?」
「硝子がはいったけど大丈夫だいじょうぶだろう」
 バンド代りに締めた三尺帯の中から、与一は十三日分の給料を出していった。
「日当弐円五拾銭だちって、こうなると、五拾銭引いてやがる。おまけに、会場の方は俺達の分を四円位にしといてピンをねるンだから、やりきれないさ」
 それでも、参拾円近い現金は、ちょっと胸がドキリとするようにうれしかった。
「でも、故意に喧嘩して、めさせるンじゃないの?」
「そうでもないだろうが、みな不平を云いながら、前へ出るとペコペコしてるンだからね」
「そンなものよ」

 ひさりに石油を一升買った。
 灰色の石油コンロは、まるい飛行機のような音をたてて威勢いせいよく鳴っている。
 二人は庭へ出て水を浴びた。
 あおぐろくなった躑躅の葉にザブザブ水を撒いてやりながら、何気なく与一の出発の日の事を考えていた。
「もう後六日で兵隊だねえ……」
「ああ」
留守るすはどうしよう」
「参拾円近くあるじゃないか、俺の旅費や小遣こづかいは五円もあればいいし、家賃は拾円もやっとけば、残金で細々食えないかい?」
「そうだね」
 気合術診療所から貰って来たトマトの苗が、やっと三ツばかり黄色い花を咲かせていた。あの花が落ちて、赤い実が熟する頃は帰って来るのだろう。――私一人で何もしない生活の不安さや、醤油飯の弁当を持って海兵団へ仕事に行っていた義父が、トロッコで流されたという故郷からの手紙を見て、妙に暗く私はとらわれて行った。

 唐津出来からつでき茶碗ちゃわんや、さらどんぶりなどを、ござを敷いて、「どいつもこいつも、茶碗で飯を食わねンだな、ホラ唐津出来の茶碗だ。五ツで二分と負けとこウ、これでも驚かなきゃ、ドンと三かん、ええッこの娘もそえもンで、弐拾五銭、いい娘だぜ、髪が赤くて鼻たらし娘だ!」
 私は、長崎ながさきの石畳の多い旧波止場で、義父が支那人の繻子しゅす売りなんかと、店を並べて肩肌かたはだ抜いで唐津のせり売りしているのを思い出した。黄色いちゃんぽんうどんの一ぱいを親子で分けあった長い生活、それも、道路妨害ぼうがいとかでめさせられると、荷車をいて北九州の田舎をまわった義父の真黒に疲れた姿、――私は東京へ出た四年の間に、もう弐拾円ばかりも、この貧しい両親から送金を受けている。

 結局、義父たちが佐世保に落ちついてもう一年になるけれど、海兵団のトロ押しが、とうとう義父の働く最後であったのかも知れない。
 暗雲やみくもにヒッパクした故郷からの手紙だ。
――それで、おまえが、なんとかなれば七円ほど、くめんをして、しきゅう、たのむ、おとっさんも、いたか、いたか、きってくれ、いいよんなはる。せきたんさんで、あらいよっとじゃが、びょういんにいったほうが、よかあんばいのごとある。
 私は夕飯の済んだ後、与一に故郷からの手紙を見せようと思った。与一は何か考えているのであろう、何となく淋しそうに窓に凭れて唄をうたっていた。その唄の節はひどく秋めいた、憂愁ゆうしゅうのこもったものであった。私は何度となく熱い茶をすすりながら、手紙を出す機会をねらっていたが、与一はいつまでもその淋し気な唄を止めなかった。

     十一

 沈黙だまって故郷へは送金しよう、――私はそう思って毎日与一の額の繃帯を巻いてやった。
「ちょっとした怪我けがでも痛いンだから、これでうであしを切断するとなると、どんなでしょう?」
「それはもう人生の終りだよ、俺だったら自殺する」
「働かないとなると、生きていても仕様がないからね……」

 与一が、山の聯隊れんたいへ出発した日は、空気が灰色になるほど風が激しかった。「まるで春のようだ、気持ちの悪い風だ」誰もそういいながら停車場に集った。
「石油コンロは消してあったかい?」
 与一は、こんな事でもいうより仕方がないといった風に、私の顔を見て笑った。
 奉公袋ほうこうぶくろを提げて下駄げたをはいた姿は、まるで新聞屋の集金係りのようで、私はクックッと笑い出して、「火事になった方がいいわ」と、言葉を誤魔化した。
「一人で淋しかったら、診療所の娘でも来てもらうといい」
「大丈夫ですよ、一人の方が気楽でいいから……」
 与一に対して、何となく肉親のような愛情がいた。かつての二人の男に感じなかったあまさが、妙に私を泪もろくして、私は固く二重あごを結んで下を向いた。
「厭ンなっちゃう、まったく……」
 私は甘いものの好きな与一のために、五銭のキャラメルと、バナナのふさを新聞に包んで持たせてやった。
「どうせ今晩は宿屋へでもとまるンでしょう?」
「知った家はないし、どうせ兵営の傍の木賃泊りだ」
「召集されて随分悲惨ひさんな家もあるンでしょうね」
「ああ百姓ひゃくしょうなんか収穫時しゅうかくどきだ、実際困るだろう」
 海水浴場案内のビラが、いまは寒気にビラビラしていて、駅の前を行く女達の薄着のすそのようにふくれ上っていた。
 拡声機は発車を知らせている。
「元気でいるンだよ」
 長いホームを歩いている間中、与一は同じ事を何度もり返した。私は、そんな優しい言葉をかけられると、妙に胸が詰った。で、いかにも間抜けた女らしく見せるべく、私はっぺたをふくらまして微笑ほほえんでみせた。ほおをふくらましていると、眼の内が痛い。私はじっと脣をつぼめて、与一が窓から覗くのを待った。
 山へ行く汽車はすすけたままで、バタバタ瞼のように窓を開けた。窓が開くと、たくさんの見送りが、蟻のように窓に寄った。与一は網棚あみだなの上に帽子ぼうしと新聞包みを高く差し上げている。咽喉仏のどぼとけが大きくとがって見えた。そのたくましい首を見ていると、耐えていた泪が鼻の裏にしみて、私は遠い時計の方を白々と見るより仕方がなかった。
「おいッ!」
 与一はもうキャラメルを一ツむいて、頬ばったらしく、口をもぐもぐさせて私を呼んだ。
「何?」
「キャラメル一ツやろう」
 誰も私達の方を向いてはいなかった。与一の座席は洗面所と背中合せなので気楽に足を投げ出して行けるだろう。与一は思い出したように指を折って、「三七、二十一日もかかるンかね」一人でつぶやいてうんざりしたかの風であった。
「誰も見てくれるもンが無いンだから、病気をせんように、気をつけるンだぞ」
 私は汽車が早く出てくれるといいと念じた。焦々した五分間であった。そのつらい気持ちをおたがいにざっくばらんにいえないだけに、余計焦々して私はピントを合せるのに、微笑の顔がゆがみそうであった。

     十二

 一人になったせいであろう。昼間でも台所の部屋などは、ゴソゴソと穴蔵こおろぎが幾つも飛んでいた。与一が出発して九日になる。山から来た最初の絵葉書には、汽車が着いて、谷間の町の中を、しかも、夜更けて宿を探すに厭な思いをしたと書いてあった。
 第二番目の葉書には、松本市五〇聯隊留守隊、第二中隊召集兵、小松与一あてと住所が通知してあった。
 三番目の絵葉書は、高原の白樺しらかばが白く光って、大きい綿雲のいた美しい写真であった。文面には、「今日は行軍で四里ばかり歩いた。田舎屋で葡萄ぶどうを食べて甘美うまかった。皆百姓は忙がしそうだ。歩いていると、呑気のんきなのは俺達ばかりのような気がして、何のために歩いているのか判らなくなって来る。こうしていても、気が気でないと云う男もいた。留守はうまくやって行けそうか。知らせるがいい」こんな事が書いてあった。
 私は徒爾いたずらな時間をつぶすために、与一の絵葉書や手紙を、何度となく読んでまぎらした。あの下駄はどう処分したであろうか、逞しい軍人靴をはいて、かえって、子供のように楽しんでいるかも知れない。出発の日の与一のわびしい姿を思うと、胸の中が焼けるように痛かった。
 第四番目の手紙は、どうも俺は、始終お前に手紙を書いているようだ。お前は甘い奴と思うかも知れない。――遠くはなれて食べる事に困らないと、君がどんな風に食べているンだろうと云う事が案ぜられるのだ。まだ一度も君から手紙を貰っていない。君もこれから生活にチツジョを立てて、本当に落ちついたらいいだろう。落ちつくと云う事は、ブルジョアの細君の真似まねをしろと云うのではない。俺と君の生活に処する力をたくわえる事さ。金のある奴達は酒保へ行く。無いものは班にいて、淋しくなると出鱈目に唄をうたう。唄をうたう奴達は、収穫を前にして焦々しているのだろう。俺の隣りのベッドに舶大工ふなだいくがいる、子供三人に女房にょうぼうを置いて来たと云って、一週間目に貰った壱円足らずの金を送ってやっていた。そんなものもあるのだ。マア元気でやってくれるように、小鳥がってあるとか、花でも植えてあるならその後成長はどんな風かとでも聞けるが、そこには君自身の外に、何も無いンだからね。――元気でたのむ」
 かつて知らなかった男の杳々ようようとした思いが、どんなに私をなみだっぽくかなしくした事であろう。
 私は手鏡へ顔を写してみたりした。「お前も流浪るろうの性じゃ」と母がよく云い云いしたけれど、二十三と云うのに、ひどくけ込んで、脣などはさんで見えた。瞼には深い影がさして、あのようにほこっていた長いまつげも、抜けたようにささくれて、見るかげもない。
 べにもなければ白粉おしろいもない、裸のままの私に、大きい愛情をかけてくれる与一の思いやりを、私は、過去の二人の男達の中には探し得なかった。それに、子供の頃の母親の愛情なんかと云うものは、義父のつぎのもののようにさえ考えられ、私は長い間、孤独こどくのままにひねくれていたのだ。

 五番目の手紙には、「まだ、お前の手紙を手にしない。君は例の変な義理立てと云った風なものにおぼれているのだろう。もう一二年もたったらそれがどんなに馬鹿らしかったかとわかるだろうが、そんな古さは飛び越える決心をして欲しい。君は、僕に、なるべく悪い事を聞かすまい、弱味を見せまいとしているらしいが、そンな事は吹けば飛ぶような事だ。マア、とにかく困った習癖しゅうへきだと云っておこう。同封どうふうの金は、隊で貰ったのと、東京を出る時、旅費や宿料の残りだ。僕は壱銭もなくなった。だが生きるようなものは食っている。困らない。山は快晴だ」
 第六番目の手紙、「君は僕の心の中で、だんだん素直に成長して行く。手紙は読んだ。一字も抜かさないように読んだ。君のように怱々そうそうと読むンではない。君の姿を空想して読むのだ。僕の送った弐拾円ばかりの金が、よっぽどこたえたらしいが、何かあるのだろうとは思っていた。――おかあさんへ拾五円送ったって、そんな事を僕がおこると思ったら、君は僕の事について認識不足だよ。僕からも、佐世保へ手紙を出しておこう。君は働きたいとあるが、それもいいだろう。
 弐円ぐらいでは十日も保つまいし、ただ女給と云う商売は絶対に反対だ。威張る商売ではない。僕は色々の事を兵営で考えさせられた。――ところで、こんな甘いことも時に考える。二人で佐世保へ新婚旅行ぐらいしてみたいとね。兵営の中は殺風景で、寝ても起きても女の話だ。僕もそろそろ君への旅愁がとっつき始めた。十日すれば会える。女給以外の仕事であったら、元気に働いて生きていてくれ。小里氏が気がくるったそうだが、気の毒な隣人りんじんは大いに慰さめてあげる事だ」

 トマトの花が落ちて、青い実を三ツ結んだ。かつてなかった楽しさが、非常に私を朗らかにした。私は与一の手紙が来てから、朴の紹介しょうかいで、気合術診療所の娘と、朝早く屑市場へ浅草紙を造る屑をりに通った。
 日暦ひごよみを一枚一枚ひっぺがしては、朝の素晴しく威勢のいい石油コンロの唸りを聞いて、熱い茶を啜る事が、とてもさわやかな私の日課となった。

 第七番目、第八番目、第九番目、山の兵営からの手紙は頬を染めるような文字でうまっている。――吾木香われもかうすすきかるかや秋くさの、さびしききはみ、君におくらむ。とても与一の歌ではあるまい。だが眼の裏にみる歌のひとふしではあった。
(昭和六年十一月)





底本:「ちくま日本文学全集 林芙美子」筑摩書房
   1992(平成4)年12月18日第1刷発行
底本の親本:「現代日本文学大系69」筑摩書房
   1969(昭和44)年
初出:「改造」
   1931(昭和6)年11月
入力:土屋隆
校正:林幸雄
2006年9月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について