馬頭観世音

原民喜




 東京から叔父が由三の家を訪ねて来たのは、今度叔父も愈々墓地を買ったのでそれの自慢のためだった。叔父は由三の灰白な貌と奇怪なアトリエを見較べながら、そこらに並んでゐるカンバスがすべてまっ白なのに驚いて、
「君は絵を描くと云ひながら、何も描ててはゐないぢゃないか、さう云ふ精神で出世が出来るか、それに君はこんな結構な静かな海辺に居りながら恐しく顔色がわるい、どうして毎日散歩して体のことを考へないのだ、その調子だと君は間もなく死ぬるぞ。」と叱りつけてをいてやがてニヤリと白い歯を見せながら、
「ところで今度俺は墓地を買ったよ、今日はまあその自慢に来たのだが一つ散歩がてら見に行かないか。」と、叔父は由三を促して、自動車を傭った。
 二人はそこから一里ばかり離れた、海岸の丘の上にある寺に来た。叔父の買った墓地は、一番高いところに在って、太平洋を睥睨してゐる恐しく眺望のいい場所だった。椿の真紅な花が燃えてゐて、陽は初夏のやうに豊かに降り注ぎ、何の鳥だか、頻りに人を恍惚とさす囀りが、あたりの空気を顫はせてゐた。そして沖の方には今、汽船が一艘、煙をくゆらせてゐた。
「どうだね、かう云ふ静かな場所へ睡り度いと君は思はぬか。」
 由三は曖昧に微笑してゐたが、不図、馬頭観世音とあって奇妙な馬の顔が朱で刻られてゐる墓が眼に留まった。
 由三はその時、どうしたのか口に出しては叔父に云へなかったが、後になってから段々馬の墓の印象が異様な気持をそそった。

 その夜、叔父は由三を激励するつもりで、T――市の料理屋へ案内した。酒が廻り、芸者が騒ぎ、一通り時間が過ぎて行ったが、そのうちに叔父はまた墓の問題に返った。
「どうだ、君なんかから見ると、この俺は俗物かも知れないが、俗物にだって、ちゃんと肚は出来てゐるのだぞ、ちゃんと、もう死後の覚悟までして置いて、これからまた思ひきって一奮発するのだ。君も芸術をやるのなら死ぬる覚悟でやり給へ。男一匹どう転んだって大したことはないと肚を作ってからでなきゃ駄目だ。ねえ、さうぢゃないか。」と叔父は芸者に賛同を求めると、芸者は威勢のいい語気に合槌を打ちながら、
「でも、こちらは随分沈んでらっしゃるのね、どうなさったのかしら。」と由三をつまんなさうに眺めるのであった。

 <由三の日記>
 丸の内の煩雑な場所で煩瑣な事務を捌いてゐる叔父の墓が、太平洋を眺める丘の上にある。ところで僕にもし墓が自分で撰定出来るものだったら、僕は何処も気に入らないだけなのか。
 僕が段々絵が描けなくなるのは、僕が未に世間から認められないために腐ったのだらうか。それもあるが、何を描いたってつまらない、と云ふデーモンの声のためかも知れない。なまじ作品を残すよりか、何も残さない方が望ましいと思はれたりする。
 しかし作品が残らないにしろ、僕の記憶は数名の胸のなかに残り、やはり面白くもないことにすぎぬ。それに僕の肉体は焼かれて分解したところで、やはり地上を流転するだけのことか。どうしても虚無に化せ失せない運命を想ふと、茫としてしまふ。





底本:「普及版 原民喜全集第一巻」芳賀書店
   1966(昭和41)年2月15日初版発行
入力:蒋龍
校正:伊藤時也
2013年1月24日作成
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