ラムプの影

正岡子規




 病の牀に仰向に寐てつまらなさに天井を睨んで居ると天井板の木目が人の顔に見える。それは一つある節穴が人の眼のやうに見えてそのぐるりの木目が不思議に顔の輪郭を形づくつて居る。其顔が始終目について気になつていけないので、今度は右向に横に寐ると、襖にある雲形の模様が天狗の顔に見える。いかにもうるさいと思ふて其顔を心で打ち消して見ると、襖の下の隅にある水か何かのしみが又横顔の輪郭を成して居る。仕方が無いから試に左向きに寐て見るとガラスごしに上野の杉の森が見えて其森の隙間に向ふの空が透いて見える。其隙間の空が人の顔になつて居る。丁度画探しの画のやうで横顔が稍※(二の字点、1-2-22)逆さになつて見えるのは少し風変りの顔だ。再び仰向になつて、今度は顔の無い方の天井の隅を睨んで居ると、馬鹿に大きな顔が忽然と現れて来る。
 筒様に暗裏の鬼神を画き空中の楼閣を造るは平常の事であるが、ラムプの火影に顔が現れたのは今宵が始めてゞある。
 年の暮の事で今年も例のやうに忙しいので、まだ十三四日の日子を余して居るにも拘らず、新聞へ投書になつた新年の俳句を病牀で整理して居る。読む、点をつける。それ/\の題の下に分けて書く、草稿へ棒を引いて向ふへ投げやる。それから次の草稿へ移る。又読む、点をつける、水祝といふ題の処へ四五句書き抜く、草稿へ棒を引いて向ふへ投げやる。同じ事を繰り返して居る。夜はわづかに更けそめてもう周囲は静まつてゐる。いくらか熱が出て居るやうでもあるが毎夜の事だからそれにも構はず仕事にかゝつて居る。けれども熱のある間は呼吸が迫るので仕事はちつともはかどらぬ。それのみでない蒲団の上に横になつて、右の肱をついて、左の手に原稿紙を持つて、書く時には原稿紙の方を動かして右の手の筆のさきへ持つて往てやるといふ次第だから、只でも一時間か二時間かやると肩が痛くなる。徹夜などした時は、仕事がすんでから右の手を伸ばさうとしても容易に伸ばす事が出来んやうになつてしまふ。今日も昼からつゞけざまに書いて居るので大分くたびれたから、筆を投げやつて、右の肱を蒲団の外へ突いて、頬杖をして、暫く休んだ。熱と草臥とで少しぼんやりとなつて、見るとも無く目を張つて見て居ると、ガラス障子の向ふに、我枕元にあるラムプの火の影が写つて居る。もつともガラスとラムプの距離は一間余りあるので火の影は揺れて稍※(二の字点、1-2-22)大きく見える。それを只見つめて居ると涙が出て来る。すると灯が二つに見える。けれどもガラスの疵の加減であるか、其二つの灯が離れて居ないで不規則に接続して見える。全くの無心で大きな火の影を見てゐると其火の中に俄に人の顔が現れた。
 見ると西洋の画に善くある、眼の丸い、くる/\した子供の顔であつた。それが忽ち変つて高帽の紳士となつた。もつとも帽の上部は見えて居らぬ。首から下も見えぬけれど何だか二重廻しを著て居るやうに思はれた。其顔が三たび変つた。今度は八つか九つ位の女の子の顔で眼は全く下向いて居る。額際の髪にはゴムの長い櫛をはめて髪を押へて居る。四たび変つて鬼の顔が出た。此顔は先日京都から送つてもらふた牛祭の鬼の面に似て居る。筒様にして順々に変つて行く時間が非常に早く且つ其顔は思はぬ顔が出て来るので、今度は興に乗つてどこ迄変化するかためして見んと思ひはじめた。丸で見せ物でも見るやうな気になつたのだ。さう思ふとそれから変りやうが稍※(二の字点、1-2-22)遅くなつた。
 其次には猿の顔が出た。それが西洋の昔の学者か豪傑かの顔と変つた。其顔は少し横向きで柔かな髪は肩迄垂れて居る。極めて優しい顔であるが只見たやうに思ふだけで誰の肖像か分らぬ。それから暫くは火が輝いて居るばかりで何の形も現れて来ぬ。猶見つめて居ると火の真中に極めて明るい一点が見えて来た。それが次第に大きくなつて往く。終に一つの大目玉が成り立つた。それが崩れると又暫く何も出来ずに居たが、やう/\丸髷の女が現れた。其の女の鬢が両方へ張つて居るのは四方へ放つて居る光線がさう見えるのである。其光線の鬢は白くまばらなので石膏細工の女かと思はれた。此女は初め下向いて眼を塞いで居たが、其眼を少しづゝ明けながら其顔を少しづゝあげると、段々すさまじい人相になつて、遂に髪の逆立つた三宝荒神と変つてしまふた。荒神様が消えると耶蘇が出て来た。これは十字架上の耶蘇だと見えて首をうなだれて眼をつぶつて居るが、それにも拘らず頭の周囲には丸い御光が輝いて居る。耶蘇が首をあげて眼を開くと、面頬を著けた武士の顔と変つた。その武者の顔をよく/\見て居る内に、それは面頬でなくて、口に呼吸器を掛けて居る肺病患者と見え出した。其次はすつかり変つて般若の面が小く見えた。それが消えると、癩病の、頬のふくれた、眼を剥いたやうな、気味の悪い顔が出た。試に其顔の恰好をいふと、文学者のギボンの顔を飴細工でこしらへて其顔の内側から息を入れてふくらました、といふやうな工合だ。忽ち火が三つになつた。
 何か出るであらうと待つて居ると又前の耶蘇が出た。これではいかぬと思ふて、少く頭を後へ引くと、視線が変つたと共にガラスの疵の工合も変つたので、火の影は細長い鍵の様な者になつた。今度は屹度風変りの顔が見えるだらうと見て居たけれど、火の形が変なためか一向何も現れぬ。やゝ暫くすると何やら少し出て来た。段々明らかになつて来ると仰向に寝た人の横顔らしい。いよ/\さうときまつた。眼は静かに塞いで居る。顔は何となく沈んで居て些の活気も無い。たしかにこれは死人の顔であらう。見せ物はこれでおやめにした。





底本:「日本の名随筆73 火」作品社
   1988(昭和63)年11月25日第1刷発行
   1992(平成4)年9月20日第6刷発行
底本の親本:「子規全集 第一〇巻」改造社
   1929(昭和4)年10月発行
入力:門田裕志
校正:小林繁雄
2003年9月14日作成
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