一つのエチケット

松濤明




 七月、谷川に行った帰りだった。ちょうど集会の夜だったので、私は例のようにもう、とぐろを巻いて怪弁を振るっているであろう仲間たちの顔を思いうかべながら、地下鉄にゆられていた――とつぜん、背後から声をかけられた私は振り返った。そこに立っていたのは一人の青年だった。がっちりと、背の高い、面もなかなかの男振りで、軽い着流し姿は涼みがてらに夜店を冷やかしての帰りであろうか。彼はにこやかに話しかけてきた。
「どちらに行っておいででした?」
 登山姿の私にどちらと訊くからには、山の名を訊いているのだろうが、どういう相手か判らないので私はなるべく注釈の要らぬ答え方をした。
「上越です」
「谷川ですか」
「そうです」
 これで少なくとも彼自身山へ登る男だなと判った。この体格で登山姿になったらさぞかし立派なことだろう。何か名のあるクライマーであろうと、私は返答の心構えを改めた。うかつな返事はできないと思ったのだ。
何方どちらからお登りになったのですか?」
 何方から? これには二様の解釈がある。単に出発地だけ訊いている場合と、それを含めたルート全体を問題にしている場合とだが、はっきりしない場合には答える側としては当然前者をとるべきだ。訊かれないことを少しでも口を滑らせるのは山男の恥だから――。それにしても要件は何だろうか?
土合どあいからです」
「東面ですね」
「え……」
「一ノ倉ですか」
「そうです」
 問答はそこで終った。何の要件も切り出されなくて、私は少々張り合い抜けがした。
 いきなり彼はおかしな質問をしたものだ。
「ウチの会の奴ら行ってませんでしたか」
「……?」
 ウチの会? この男は一体何を言うのだろう。初対面の相手に自己紹介も抜きにして――
 私がその顔をそらんじていなければならない理由でもあると言うのだろうか? 私は急に不愉快に感じながら訊き返した。
「どちらの会ですか」
 ところが驚くべきことに、これに対して彼は符牒ふちょうをもって答えたものだ。私に判らない符牒で――。何か南瓜かぼちゃの親類のような符牒で――。けげんそうな私の面持ちをあわれむように彼は注釈を加えた。
「クラブです[#「クラブです」はママ]
 ああそうだったか、それなら最近聞いてはいるが、私はどうにも不愉快になってきたので口をつぐんでしまった。
 山に行く人々がお互いに分けへだてなく話し合えることはできないのだろうか。そこにはおのずから礼儀が保たれねばならない。山に行く人間だからではない、人間だからである。うちの会ではどうやっていてくれるだろうか。私は若いGたちの顔をもう一度そっと思いうかべた。
(昭和二十二年[#「昭和二十二年」はママ]十月 会報・山窓欄)





底本:「風雪のビバーク」二見書房
   1971(昭和46)年1月12日初版発行
初出:「会報・山窓欄」
   1948(昭和23)年10月
※「「クラブです」」は、「新編 風説のビヴァーク」山と溪谷社、2000(平成12)年3月20日初版第1刷では「「××クラブです」」と訂されています。
入力:ゼファー生
校正:門田裕志
2005年2月20日作成
2014年6月21日修正
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