秋の反射

宮本百合子




          一

 田舎[#「田舎」は底本では「 舎」]では何処にでも、一つの村に一人は、馬鹿や村中の厄介で生きている独りものの年寄があるものだ。敷生村では十年ばかり前、善馬鹿という白痴がいた。女子供に面白がられたり可怖がられたりしていたが、池に溺れて或る冬死んだ。それ以来幸なことに白痴は一人も出なかった。尤も、気違いが一人いたが。――三十五になる、村ではハイカラな女であった。彼女は東京に出て、墓地を埋めて建てた家を知らずに借りて住んだ。そこで二人目の子供を産んで半月立った或る夕方、茶の間に坐っていた女がいきなり亭主におこりつけた。
「いやな人! 何故其那に蓮の花なんぞ買いこんで来たんだよ、縁起がわるい!」
 亭主は働きのない、蒼い輓い顔をした小男であった。
「――俺そんなもの、買って来やしねえ」
「うそ! 壁まで蓮の花だらけだよ。この人ったら」
「買わねえよ――何云ってるんだ」
「強情張るにも程がある。ほら、ほら! そんなにあるのに無いって私をだますのか、ほら、ほら! ああ、蓮だらけだよう!」
と、彼女はおいおい泣いて亭主にかじりついた。――これが気違いになり始めだと云う噂であった。村へ帰って来ても発狂は治らなかった。然し、何かひどく工合よい機械のように、毎年毎年、年児に女や男の児を産みつづけた。村の人は愕いて居心地わるく感じていた。然し亭主がいて、皆其一隊を養っている以上別に云う程のことはない。――
 村の在郷軍人で、消防の小頭をし、同時に青年団の役員をつとめている仙二が心を悩ましていたのは、お園のことや、近く迫っている役員改選期のことではなかった。沢や婆さんのことであった。
 何故、この白髪蓬々の、膝からじかに大きな瞼に袋の下った顔がくっついているように見える程腰の曲った婆さんが、姓も名も呼ばれず、沢やという屋号で呼ばれているのか? 亭主はあったのか? なかったのか? 何か沢やらしい商売でもしていたのか? つい先頃、後妻にいじめられ、水ものめずに死んだ石屋の爺さんが、七十六かで、沢や婆さんとほぼ同年輩の最後の一人であった。その爺さえ、彼女の前身を確に知ってはいなかった。まして、村の若い者、仙二位の男達だって、赤児で始めて沢や婆さんの顔を見、怯えて泣き立てて以来、見なれて、改った身元の穿索もせずに来た。村の往道に一本、誰のものとも判らない樫の木が飛び生えていた。その樫の木はいつ其那ところへ芽を出したのだろうとは誰も考えもせず、永年荷馬車を一寸つないだり、子供がじ登りの稽古台にしたり、共同に役立てて暮して来た。沢や婆さんの存在もその通りであった。村人は、彼女が女であって、やはり金や家や着物がないと暮して行けない――自分と同じ人間であることも忘れたようになって、或る時は呼んで按摩をさせた。或る時は留守番をさせ、或る時は台処の土間で豆をむかせた。何かさせれば、大抵その晩は泊めてやった。勿論食事もさせる。場合によっては金もやったが、沢や婆は、ちゃんと金の貰えるようなことは何一つ出来なかった。村では、子供でも養蚕の手伝いをした。彼女は、
「私しゃ、気味がわるうござんしてね、そんな虫、大嫌さ」
と、東京弁で断った。縫物も出来なかった。五月には、
「お百姓なんて辛いもんだね、私にゃ半日辛棒もなりませんや」
と、肩を動して笑った。――本当にこの永い一生、何をして生きて来たんだろう。村の人は、土地に馴れたという丈でやっと犬が吠ないような身装をし、食べ歩いて生きている癖に、高く止っている婆さんを軽蔑した。誰からも愛されず、内心では互にさげすみつつ、食物のたっぷりした処を探しては自分で食って来るので、どうにか此年月が過て来た。

          二

 この瞬間が、いつ迄続くものだろう。
 真先にここに気づいた仙二は、さすが青年団の口ききだけあった。彼は、役場に用事があった時、戸籍係に、沢や婆さんの戸籍を調べて貰った。彼は三十四年目で始めて、彼女が有坂イサヲと云う姓名で、籍は二里近く離れた柳田村にあることを知った。
 此那奇蹟的関心が沢や婆に払われるには原因があった。仙二の家の納屋をなおした小屋に沢や婆は十五年以上暮していた。一月の三分の二はよその屋根の下で眠って来た。夏が去りがけの時、沢や婆さんは腸工合を悪くして寝ついた。何年にもない事であった。一日二日放って置いた仙二夫婦も、四日目には知らない顔を仕切れなくなった。女房のいしが、
「婆さま、塩梅どうだね」
と尋ねて行った。彼女は間もなく戻って、気味わるそうに仙二に告げた。
「――あの婆さま――死ぬんじゃあんめえか」
「そんなか?」
「なんだか――俺やあな気がしたわ」
 仙二が行って見た。翌朝、彼はぶっきら棒にいしに命じた。
「飯炊くとき、おねばりとってやんな」
 その次の日又重湯を運んでやり、歩けるようになる迄、粥をやるのがいしの任務であった。仙二は、苦笑しながら半分冗談、半分本気で云った。
「あげえ業の深けえ婆、世話でも仕ずに死なしたら、忘れっこねえ、きっと化けて出よるぜ」
 沢や婆は、幸死なずに治れた。が、すっかり衰えた。憎たらしい、横柄な口も利かなくなった。いずれにせよ、仙二はこの経験で、彼女を隣人として持つことは、どのような手数、心の重荷――厄介かということを知ったのであった。
 青年団の寄合で、村会議員の清助に会った時、彼はざっくばらんに自分の意見を話した。
「どんなもんだべ、俺、まだ足腰の立つうち柳田村さやるのがいいと思うが、あっちにゃ何でも姪とかが一戸構えてる話でねえか。――万一の時、俺一人で世話はやき切れねえからなあ」
「そうともよ、皆さ計って見べ」
 清助は、大力な、髭むじゃな、字の読めない正直な金持の百姓であった。彼は仙二の立場をよく理解した。

          三

 村役場と村役場、村役場と姪の一家族。交渉はなかなか手間どった。永年住んでいたものだから、毎月敷生村から救済費として米を六升ずつ送る条件で、愈々いよいよ沢や婆は柳田村に移されることになった。
 沢や婆は、一軒ずつ暇乞いに歩いた。
「私ももうこれでおめにかかれませんよ、こう弱っちゃあね」
 ごぼごぼと咳をした。
「どうも永年御世話様でございました」
 彼女がもう二度と来ないということは、村人を寛大な心持にさせた。
「せきが出るな――せきの時は食べにくいもんだが、これなら他のものと違ってもつから、ほまちに食いなされ」
 麦粉菓子を呉れる者があった。
「寒さに向って、体気をつけなんしょよ」
と或る者は真綿をくれた。元村長をした人の後家のところでは一晩泊って、綿入れの着物と毛糸で編んだ頭巾とを貰った。古びた信玄袋を振って、出かけてゆく姿を、仙二は嫌悪と哀みと半ばした気持で見た。
「ほ、婆さま真剣だ。何か呉れそうなところは一軒あまさずっていう形恰だ」
 明後日村を出かけるという日の夕方近く、沢や婆は、畦道づたいに植村婆さまを訪ねた。竹藪を切り拓いた畑に、小さい秋茄子を見ながら、婆さんは例によってめの粗い縫物をしていた。沢や婆の丸い背を見つけると、彼女は、
「おう、婆やでないかい」
と云いながら、眼鏡をはずした。眼鏡は、鼻に当るところに真綿が巻きつけてある。五つ年下の植村婆さんは、耳の遠い沢やに、大きな声でゆっくり訊いた。
「いよいよ行ぐかね?」
 沢や婆は、さも草臥れたように其に答えず、
「やっとせ」
と上り框に腰を下した。そして、がさがさの手の平で顔じゅう撫でた。植村婆さんは、一寸皮肉に笑いながら云った。
「婆やつき合がひろいから、暇乞いだけでも容易であんめ?」
「早く上らなくちゃならなかったんですがね、一日に二とこは歩けないもんだから」
「そうともよ」
 出した茶を、婆はごくり、ごくり、喉に音をさせて飲んだ。それぎり又ぼんやり井戸前の早咲黄菊を眺めている。――
 植村婆さんは可哀そうな気がして来た。
「まあお前も、姪のところで悠くり休まっせ。――他人の中よりはいいわな、何てっても血道だもんなあ」
 沢や婆は、又返事をしなかった。彼女は手間をかけて信玄袋の口をあけ、中から長田の女隠居のくれた頭巾と着物を出した。
「――これを御隠居さんにいただきましたよ」
 植村の婆さんは、婆の慾ばりが憎いような心持がした。人に見せ、此位にしてやる人もあるのだと思わせ沢山貰おうとする。彼女は、さりげなく、
「俺、前に見たわ、御隠居が出して来て、これ婆やにやろうと思うがどうかと相談しなすった――あれだろう?――うん、これよ」
 沢や婆は、不服気に仕舞い込んだ。
「――柳田村だっけな、婆やの姪の家は――あすこまで大分有っぺえが――歩けるかい」
「仙二さんが、荷車に乗せてってくれますってよ」
 ……もう土間の隅では微に地虫が鳴いている。秋の日を眺めながら、荷車に乗ってゆくという沢や婆と坐っていると、植村の婆さんの心は妙に寂しくなって来た。彼女も、夫に死なれてから全くの一人身であった。村の縫物をして、やっと暮していた。彼女には、青森に甥がいた。今いる家は、町の家作持ちの好意で家賃なしであった。村にも、彼女より立派に縫物の出来る女は、数人いた。植村婆さんは、若い其等の縫いてがいやがる子供物の木綿の縫いなおしだの、野良着だのを分けて貰って生計を立てて来たのであった。沢や婆のいるうちは、彼女よりもっと年よりの一人者があった訳だ。もっと貧しい、もっと人に嫌がられる者があった。その者を、彼女も婆やと呼んで、時には慈悲もかけてやれた。自分が決してどん底の者でないことが感じられていたのだが――沢やの婆が行ってしまったら、後に、誰か自分より老耄おいぼれた、自分より貧乏な、自分より孤独な者が残るだろうか?
 自分が正直に働いてい、従って真逆まさか荷車で村から出されるようなことにならないのは解り切っている筈なのに、其那気になるのが植村の婆さんには我ながら情けなかった。癪にさわると思っても、何だか淋しい、沢や婆を村に置きたい心持がのかない。植村の婆さんは、しみじみとした調子で呟いた。
「今度会うのは何処だやら――地獄か、極楽かね」
「私しゃ、どうで地獄さ――生きて地獄、死んでも地獄」
 万更出まかせと思えないような調子であった。
「…………」
 七十と七十六になった老婆は、暫く黙って、秋日に照る松叢を見ていた。
 沢や婆が帰る時、植村の婆さんは、五十銭やった。
「其辺さ俺も出て見べ」
 二人は並んで半町ばかり歩いた。
〔一九二六年六月〕





底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「ウーマンカレント」
   1926(大正15)年6月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年8月14日作成
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