「鎌と鎚」工場の文学研究会

宮本百合子




 自分に与えられたほんとの課題は、ソヴェト生産拡張五箇年計画と芸術との関係について、ちょっと簡単に書いて貰えますまいか、というのだった。
 ところが、自分はそのことについて、この頃『ナップ』へ毎号つづけて書いている。また、近く内外社から出る綜合プロレタリア芸術講座の中にも、本気で、書いた。
 この問題は、同時に、そうちょいと簡単に、ナンセンスでやっつけるわけには行かない代物なのだから、自分とすると、またまたここで、抑々そもそもソヴェト生産拡張五箇年計画は、というところからやり直すのが、ひどい苦痛だ。
 いろいろやって見たが、三度目に、またはじめてのときのようないい熱情でこのことは書けないのがわかった。
 ソヴェトの五箇年計画は、どんなにソヴェト同盟内の社会生活を飛躍させたか、生産における社会主義的前進が、ソヴェトの一般芸術をどんな力で、強固なプロレタリア・リアリズムの大道へ据えつける結果となったか。それ等について、ホントに知りたい読者は、どうか、今に出るそのプロレタリア芸術講座をよむなり、『ナップ』を読むなりして欲しい。
 ところで、ここではなにを話そうか。――そう! 一つ、ソヴェトの文学研究会のことを書いて見よう。
 ソヴェトの勤労者は、ブルジュア国の勤労者のように、工場や役所で搾られるばっかりで暮してはいない。間にたって利益を吸いとる者のない生産のための生産をやっているのだから、根本は一般勤労者の生活水準を高めるのが目的だ。産業別の生産組合は、或る一つの企業をやるとき、必ずてんから勤労者福祉資金何割というものを予算に加えて仕事をはじめる。
 五箇年計画でソヴェト同盟の中には、水力発電所、工場、集団農場、夥しくふえた。ソヴェトで工場が建ち集団農場が一つふえたということは、だから必ず同時に、そこには労働者クラブ、托児所が建ち或る場合にはごく新式の設備をもった住宅さえ立ち並ぶことを意味するのだ。
 労働者クラブは、現在ソヴェトに五六四〇〇ある。(五箇年計画は、その数を一二七〇〇〇にする。)
 そのクラブで、ソヴェト勤労者は、政治教程、文学、劇、音楽、美術、ラジオ、科学、体育などの研究会をもち、大衆の中からの新鮮な創造力をもりたてている。
 十月にはいると、モスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)は晩秋だ。
 並木道ブリ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ールがすっかり黄色くなり、深く重りあった黄色い秋の木の葉のむこうに、それより更に黄色く塗られたロシア風の建物の前面が見える。よく驟雨が降った。並木道には水たまりが出来る。すぐあがった雨のあとは爽やかな青空だ。落葉のふきよせた水たまりに、逆さにその空がうつっている。――夕方、東京で云えば日本橋のようなクズニェツキー・モーストの安全地帯で電車を待った。
 チン、チン、チン。
 ベルを鳴らして疾走して来る電車はどれも満員だ。引け時だからたまらない。群衆をかきわけて飛び出した書類入鞄を抱え瘠せた赤髭の男が、雨外套の裾をひるがえして電車の踏段に片足かけ、必死になって
 ――入り給え! 入り給え!
とやっている。電車は男を外へはみ出させたまんま動き出した。赤髭の男は、断然自分の肩と意志の力で段の上へわり込んだ。
 交叉点では、黒の裾長外套を着た巡査が、赤い棒を鼻の先に上げたり下げたりして交通整理をやってる。電車にぶら下って行くのを見つけられると、職業組合手帖を見せて、一ルーブル罰金をとられる。
 数台まって、やっと乗りこんだ電車は行く先の関係で殆ど労働者専用車だ。鳥打帽をかぶり、半外套をひっかけた大きな体の連中が、二人分の座席に三人ずつ腰かけ、通路まで三重ぐらいに詰って、黙って、ミッシリ、ミッシリ押し合っている。
 電車は段々モスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)市の中心をはずれた。
 東南の終点で降りると、工場街だ。広場を前にして、三階コンクリート建の国営デパートメントの大きい硝子窓がある。
 木橋がある。下は鉄道線路だ。子供が四五人、木橋の段々に腰かけて遊んでいる。そこをよけて、仕事から引上げて来る労働者、交代に行く労働者。人通りは絶えない。
 木橋を境にして、九千人の従業員をもつモスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)第一の金属工場「鎌と鎚」が、蜒々えんえんと煉瓦壁をのばしている。
「郵便」と書いた板の出ている小さい入口をわれわれは入って行った。ここに、鎌と鎚工場の工場新聞の発行所がある。そして、文学研究会の中心になっているのだ。
 工場内へ通じる狭い柵の横に一人赤衛兵と、二三人の男がかたまっている。そこは一本の廊下だがその辺には工場委員会共産党青年コムソモーリスカヤヤチェイカの札が見えるだけで、どこに新聞発行所があるかわからない。
 自分は、柵のところに立ってる男に、「新聞発行所はどの室ですか、」と訊いた。
「つき当って、右に折れたところだよ」
「そっちへ行って見たが、ありませんよ」
 赤衛兵と、引越したのか? そうじゃあるめえなどと云い合った後、その男は云った。
「じゃ、左の第一番目の戸をあけて見なさい」
 外からの気勢けはいでは到って静かだ。ソーッとあけて見た。いる! いる!
 つき当りの壁から左へ鍵のてに卓子が並んで、真中に赤い鼻の丸まっちい「ラップ」の作家タラソフ・ロディオーノフが、鳥打帽かぶって、黄色っぽいレイン・コートをひっかけたまま坐っている。
 二十人ばかりの職場からの若い連中が集っているのだが、椅子が人数ひとかずだけない。山羊皮の半外套を着た若い労働者が三四人、床の上でじかに膝を抱え、むき出しな板の羽目へよっかかっている。
 四十がらみの、ルバーシカの上へ黒い上衣を着た男が立って報告しているところだ。
「タワーリシチ! われわれは工場新聞と各職場の壁新聞を動員して、少くとも九百人の文学衝撃隊リト・ウダールニクが集められるだろうと思う。
 どんなことがあっても、それより少いことが、あっちゃならない。
 われわれは、生産経済計画を百パーセントに充すとともに、文化戦線を閑却してはいけない。九千人の労働者から九百人の文学衝撃隊は、ちっとも多くないんだ。寧ろ少い!」
 カサのない電球が天井から二箇所にぶら下って室内を照している。緊張した空気だ。
「職場における文学委員たちの任務は」
 直ぐタラソフ・ロディオーノフが、党員らしいきっぱりした口調で坐ったまま始めた。
「これまでみたいに、自分一人手帖をゴチャゴチャ書きよごすことにはないんだ。タワーリシチ! 一般の自発力イニチアチーブをひき出すことだ。壁新聞を、発行者たちの独専にしてはいけない。壁新聞を通じ、工場新聞を通じて、一般大衆の日常の闘争を、生産経済計画プロフィンプラン完成への闘争をとりあげて行かなけりゃいけないんだ!」
 いいところへ来合わせた。
「鎌と鎚」工場の文学研究会が、新経済年度のはじまりといっしょに、再組織されようとしているところだ。
 七月の共産党大会後、ロシア・プロレタリア作家連盟は、一つの自己批判として、文学研究会指導方針を改めた。
 革命以来、各工場、クラブ内の文学研究会は共産党青年コムソモールの中から多く有望な作家を送り出した。その点大きい役割を果しつつあるが一方、段々、所謂文学趣味に堕す傾向があった。
 文学研究会へ出て来る青年たちは、むろん職場の連中だ。彼等は職場にいるときは、生産経済計画プロフィンプランについて熱心に討論し、職場内の反動分子と争闘しながら、いよいよ七時間の労働を終って、文学研究会の椅子へ坐ると、もう別な彼になってしまう。
 所謂文学青年になって、互の書く作品だけを、互の程度の低い標準で批評し合っていい気持になっていたり、機械に向って働き、社会主義社会建設につとめる俺達を妙な作家気どりで、客観して描写したり――気分の上で文学研究会は実生活と遊離する危険にさらされていたのだ。
 ところで、ソヴェトの生産拡張五箇年計画の実施は、ソヴェトのプロレタリア作家たちに何を教えたろうか?
 工場見学隊を組織し、集団農場視察団を組織して、生産の場所に在る大衆の中へ進出したソヴェト・プロレタリア作家たちは発見した。本当に、唯物弁証主義的手法――プロレタリア・リアリズムを獲得するために、芸術は、どこまでも生産の場所になければならない、と。
 五箇年計画による生産手段の変化がドシドシ大衆の社会的心理を変えてゆくその社会的心理を把握するために、作家は生産の場所をはなれて、活きた人間を描くことは出来ないのだ。
 文学研究会の青年たちは、もう技術的に或る程度まで完成したプロレタリア作家たちの持っている、このすき間を、生産と文学との間に持たない地位にある。
 折角そういう位置にありながら、専門作家が清算しようと努力している欠点から発足するというようなことがあっていいものか!
 現在、ソヴェト同盟の全社会生活は、生産経済計画プロフィンプランが根柢となって動いている。文学だけが、それについて無関係だなどということはあり得ない。
 各文学研究会は、狭い、睡いディレッタンチズムからとび出さなければならない。文学研究員は大衆を、壁新聞と工場新聞に向って動員し、生産経済計画達成に大衆の自発性イニチアチーブを鼓舞する文学的実践を自身の文学的勉強とすべきだということになったのだ。
 これは、完く正しい。そして
「鎌と鎚」工場の文学研究会がこの集会で再組織をしようとしていることも大いにいい。
 やっぱり、党大会後のことだ。
 ソヴェト・プロレタリア大衆の間に、「プロレタリア作家に対する師匠役」という動員が行われた。
 五箇年計画と資本主義世界の行きづまりとの激しい対立を目撃したソヴェトのプロレタリアートは、社会主義社会建設の真価とプロレタリア文化の値うちをしんから理解した。
 彼等は、文学をもうただ専門家に書いて貰って読むというだけの、受け身な立場で考えなくなった。世界の資本主義に対して、プロレタリアートの勝利、社会主義ソヴェトの生産は現実に盛りあがって来つつある。この歴史的時期に、プロレタリア文学は、ソヴェト・プロレタリアートの全社会的活動を、心理を記録し再現しなければならない。そのために、われわれプロレタリアートは、出来上った作品をただ読んで、いいとかわるいとか、俺たちの生活を描いているとかいないとか批判するのは止めよう。積極的に、プロレタリア作家にとって或る場合必要なら師匠役となろう。作家は、草稿や筋を、先ず工場の一般集会でよめ。そして大衆の忠言や注意を利用しろ。文学的団体の間に行われる文学理論上の討論も、工場でやってくれ! こういう決議をした。
『文学新聞』にいろいろな工場連名でこの決議が載せられたとき、「鎌と鎚」工場はその先頭にたっていた。
 五箇年計画は、第一に重工業の生産拡大を眼目としている。「鎌と鎚」は全ソヴェト同盟内でも有数な金属工場だ。古いボルシェビキで、国内戦のときは、一方の指揮者となって戦ったプロレタリア作家タラソフ・ロディオーノフが、本気な顔をしているのは当然だ。
 次の研究会までに、各職場の文学委員が、各自何人の文学衝撃隊を組織出来るか報告することになって、作品研究にうつった。
 大抵の文学研究会では詩ばかり沢山よまれるのに、ここでは、縞フランネルの襯衣シャツをカラーなしで着た青年が、短篇小説をよんだ。
 五箇年計画で、各生産部分には熟練工が足りなくなった。一九二八年には百十万人もあった失業者を全部吸収したが、それでもまだ足りない。工場によっては苦しまぎれに、賃銀をよくして労働者を集めようとする。そこで、一九三〇年の冬に大清算された「飛びや」が現れた。つまり、五十カペイカでも多い方へ多い方へと、工場から工場へと飛びうつってゆく飛びや労働者だ。
 短篇小説は、職場の意識の低い男が飛びやになりかける。それを、若い共産党青年コムソモールの仲間が改心させるという主題を扱ってる。
「ふーむ。主題はいいね!」
 タラソフ・ロディオーノフは、さっき文学衝撃隊組織について論じてたときよりはグッとくだけて、親しみ深い同輩の口調で云った。
「われわれの日常の中からとられている、これは健康な徴候だ。――君のこの前の作品、あのホラ、染めた髪の女が出て来る――少くともあれとは比較にならないね」
 みんなドッと笑った。云われた当人は、少し顔を赤らめながら、やっぱり大笑いした。
「だが、材料はまだ整理が足りない。ゴチャゴチャしている。いらないところをどうすてるかということは――君、ジャック・ロンドンを読んだかい?」
「読みません」
「ぜひ読んで勉強したまえ! われわれは、われわれの前にいい仕事をして行った者の技術は一遍検査しておく必要があるよ」
 手をあげて、一人の青年労働者が、その短篇の批評を追加した。「ハッキリ今憶えてないが、言葉が少し労働者らしくないと思うんだ。例えば、そん中で、マクシムが、俺はあっちの工場へ行くかもしれねえって云った時、ワーリャが訊く。何故だ? するとマクシムは、あっちの方が得だ、って返事してる。労働者の、ましてマクシムのような男は、そうは云わないんだ。『あっちは三十五哥多い』そういうんだ」
 赤い襟飾を結んだ年上のピオニェールが、椅子なしで、卓上へ肱をつき、日やけのした脚を蚊トンボみたいに曲げて熱心に一人一人の話し手の顔を見つめながら聞いてる。
 今、詩が朗読されはじめた。
「俺は、今日はじめてこの研究会へ出たんだが……」
 そう云ってその黒い捲毛の青年労働者が手の中に円めている紙をひねくったら、タラソフ・ロディオーノフが
「いよいよ結構じゃないか! さあ、聴こう!」と陽気に鼓舞した。
 それで、読みはじめた。
 羽目へもたれてゆかに坐ってる連中も、膝を抱え森として聞いている。
 工場の内庭に面した方の窓全体に、強いアーク燈の光がさしている。時々起重機の巨大な黒い影が、重くゆっくり窓の外を横切った。
〔一九三一年五月〕





底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「新潮」
   1931(昭和6)年5月号
※底本は表題の「文学研究会」に「リト・クルジョーク」とルビを付しています。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年8月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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